秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

宮中祭祀

0879/サピオ5/12号(小学館)の小林よしのりも奇妙だ。

 佐伯啓思や雑誌・表現者(ジョルダン)での議論に触れたいし、民主党や鳩山由紀夫についても、日本共産党についても書きたいことは多い。
 小林よしのりの議論にかかわることが当面重要とも思えないが、小林よしのりサピオ5/12号(小学館)の「天皇論・追撃篇」での叙述について、網羅的にではなく断片的にコメントする。
 1.小林よしのりは、①側室の子だった明治・大正両天皇ののち「昭和天皇、今上陛下、皇太子殿下と3代も嫡男が続いたのは異例の幸運だった」、②「女子ばかりつづくことだって当然起こる。現にその後は41年間、9人連続で女子しか誕生しなかった」、とまず言う(p.62)。
 このいずれにもすでに、異論がある(敬語を省略させていただくことがある)。
 大正天皇妃(貞明皇后)は4人お生みになり4人とも男子、昭和天皇妃(香淳皇后)は4人お生みになりうち2人が男子、今上天皇妃(美智子皇后)は3人お生みになり2人が男子。
 なるほど男子の割合の方が多いが、もともと確率的には男子か女子かはほとんど1/2(50%)のはずなので、3人の子のいずれも女子である可能性(確率)は1/2の3乗で12.5%しかない。87.5%の確率で少なくとも1人の男子は生まれる。子が4人の場合は、いずれも女子である可能性(確率)は1/2の4乗で6.25%しかなく、93.75%の確率で少なくとも1人の男子は生まれる。
 上のような確率上の計算・予測からしても、「3代も嫡男が続いたのは異例の幸運」だった、とは思えない。3~4名の子をお産みになれる健康な女性(と配偶者男性)が三代つづけば、「嫡男」が三代続いたのは何ら「異例」ではないと考えられる。従って、上の①は疑問。
 つぎに、上の②は清子内親王~敬宮愛子内親王の9名を指しているのだろう(両親は4組)。たしかに、「女子ばかりつづくことだって当然起こる」が、それが9回も続いたのは決して「当然」のことではない。「9人連続で女子しか誕生しなかった」ことこそが、確率的にはきわめて異例のことだった。
 上のような計算をすれば、9人続けて女子が産まれる確率は、1/2の9乗で1/512であり、これは0.195%で、ほぼ0.2%。つまりはほぼ1%の五分の一の確率でしか起こりえなかったことだ。こちらの方こそが「異例」だった、というべきだ。
 今上陛下・皇后の末子である清子内親王を別とすれば、三笠宮寛仁親王の子は2人とも女子、高円宮憲仁親王の子は3人とも女子、秋篠宮文仁親王の最初の2人の子はいずれも女子、皇太子殿下の子は女子(愛子さま)だった。
 確率的にいうと、これら8名のうち3~5名が男子であっても決して不思議ではなかった。8名全員が女子である可能性は、1/2の8乗で1/256、ほぼ0.4%しかなかったのだ。
 8-9名続けて皇室内に女子しか産まれなかったことがさも「当然」のことだったかのように書く上の②は支持できない。
 小林よしのりは上の①・②を根拠にして③「現在の皇統の危機は一夫一婦制を維持する限り、いつかは必ず訪れた事態」だ、というが(p.62)、①・②が疑問である以上、これも支持できない。8-9名続けて女子しか生まれなかったことこそが確率的には異例で、「必ず訪れた」とは(1000年単位での長期スパンで見ないかぎりは)とても言えない、と思われる。
 上の①・②・③がまともな結論ではないので、その後の小林の議論もまともではなくなっている。
 ④「必要な議論は、『女系容認か?旧宮家復活か?』ではない。『女系容認か?側室復活か?』である!」
 小林は男子が生まれなかった原因を「一夫一婦制」に求め、「男子継承」には「側室制度」(の復活)が不可欠というのだ。これは明らかに奇妙な理解で、誤った前提に立つ、誤った問題設定だ。
 むろん、8-9名続けて皇室内に女子しか生まれなかったことは客観的事実で(その後に悠仁親王がお生まれになった)、悠仁親王と同世代には男子がおられない、という深刻な状況にある、ということまでも否定するものではない。
 2.同号の後半で小林よしのりは「本来、すべての生物はまずメスとして発生するのである!」(p.72)などということを懸命に強調しているが、小林が紹介するような生物学的なオス・メスに関する議論が、皇位継承適格性の問題といったいどういう関係があるのか、大いに疑問だ。
 生物学的な問題をとり上げるのならば、女性は妊娠し出産する可能性がある、妊娠中のまたは出産直後の女性は「天皇」だけしか行うことができない宮中祭祀(の少なくとも一部)を適切にまたは十分に行うことができるのだろうか、ということを議論すべきだ。
 冗言は省くが、ほとんどの場合は天皇位は男に継承されてきたこと、女性天皇の場合の女性は妊娠し出産する可能性がなかったことが多いと想定されること(逐一確認しはしないが)は、天皇しか行えない宮中祭祀(の少なくとも一部)の存在に関係しているものと考えている。
 そのような宮中祭祀の存在、女性は妊娠し出産する可能性がある、ということを考慮しない皇位継承論議・「女系」天皇の是非論はほとんど無意味なのではなかろうか。この程度にする。

0615/西尾幹二の月刊諸君!12月号論稿を読む。やはりどこかおかしい。

 月刊諸君!(文藝春秋)12月号西尾幹二「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」。p.26-37でけっこう長い。
 一 「論壇」という観点等からの戦後史の理解に参考になる指摘がある。
 1.「1960年代の終わりから1970年代なかば」は「決定的分岐点」。「大学知識人」の地位は失墜した。丸山真男の力も「雲散霧消」した。p.27。
 2.1970年代以後、朝日新聞対文藝春秋の対立の構図があり、やがて朝日対産経の構図にとって代わられた。
 産経の「保守的姿勢」は純度を欠くにいたっている。また、文藝春秋はかつての中央公論と似てきており、朝日・論座、講談社・現代を欠く中で、文藝春秋と中央公論(=読売)は「皮肉なことに最左翼の座を占め、右側の攻勢から朝日的左側を守る防波堤になりつつある」。p.27。
 挿むと、なかなか興味深いが、かかる論壇の現状認識は適確なのだろうか。「右側の攻勢」が「朝日的左側」に対して実際に有効に加えられているのなら、よいのだが。
 3.論壇誌は経済に弱い。経済誌は政治に弱い。後者から出た野口悠紀夫の「一九四〇年体制論」はかつての「戦時協力体制」が支配しつづけて、日本経済の「自由主義的発展」を阻害しているとするが、「戦時体制」による「日本社会の合理化」が戦後日本経済(の成長・強さ)に関係あるのではないか。p.29-30。
 挿むと、高度経済成長の終焉後の議論としては噛み合っていないところがあるようでもある。
 4.ロッキード事件・田中角栄逮捕は、「ソ連主導の共産主義」の経済的「足踏み」の時期と重なる。1970年代半ば、日本国内の「革命幻想の嵐」は終息に向かい、自民党・社会党の「馴れ合い進行」へと移っていた。国際的なある種の「雪解けムード」が田中角栄逮捕→角栄の闇権力の残存・政権たらい回しにも反映したのでないか。p.31。
 5.1993年の細川政権誕生、その翌年の自社連立政権という「想像を絶する愚劣な政権」の誕生も、「冷戦終焉、ベルリンの壁崩壊による安堵感」という世界史的背景を見てこそ、本質がわかるだろう。p.32。
 6.いま、今日の日本の政治状況も「国際政治」の「なんらかの反映」がある筈だが、「答えることができ」ず、「ぜひ教えてもらいたい」。
 上の4.5.は興味深い。社会主義国の状況はやはり日本の国内政治と関係ではない筈だ。
 「いまの政治状況」をどう理解しどう叙述するか自体が難問だ。だが、今後の方向を考える場合には、「公務員制度改革」も「地方分権」も、<格差是正>も(「国民生活」も)大切かもしれないが、やはり「社会主義」国である中国・北朝鮮との関係にかかる見解・政策こそが最大または第一の論争点でなければならない、と私は考えている。
 相対的にだろうが、親中国派・親北朝鮮派のより多い政党への<政権交代>を主張する又は期待するのは、反コミュニズムを最大の基本理念とする「保守主義」者ではないだろう。この点で怪しい「保守」論客もいるようだが別の機会に書こう。
 二 西尾幹二は論壇における「皇室論」、又は自らの「皇室論」への論壇の反応についても触れる。p.36-37。
 二つの「皇室論」があったという。第一は、「皇太子殿下ご夫妻に、もっと多くの自由を」と説く、「ソフトで、制約がないことが望ましい」とする「平和主義的、現状維持的イデオロギー」(「自由派」)、第二は、「古風な、がちがちに硬直した、皇室至上主義的なイデオロギー」で、皇室に「もの申す」のは「不敬の極み」などと西尾を論難した(「伝統派」)。
 そして、これらいずれも「東宮家の危機を、いっさい考慮にいれていない」、「目を閉ざしてしまう」点では「一致している」。
 こうしたまとめ方・語句の使い方には必ずしも賛同できないところがあるが、とりあえず措く。
 問題だと思うのは次の文章だ(p.37上段)。
 「私が危惧するのは、いまのような状態をつづければ、あと五十年を経ずして、皇室はなくなるのではないかということです。雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける。というか、明確に拒否されて、すでに五年がたっている。…皇太子殿下はなすすべもなく見守っておられるばかりなのではないか。これはだれかがお諫めしなければならない。…なら、言論人がやらなきゃいけない」。
 西尾はどうしてこうまで<焦って>いるのだろうか? よく分からない。「あと五十年を経ずして、皇室はなくなるのではないか」との懸念が「雅子妃には、宮中祭祀をなさるご意思がまったくないように見受ける」ということを根拠にしているとすれば、それは当たっていないと思われる。
 そもそもが「雅子妃」は「宮中祭祀をなさる(なさらない)」と書いて、雅子妃殿下が宮中祭祀の主体(の少なくとも一人)であるかのごとき認識をもっているようだが、これは誤りだろう。すなわち、皇太子妃は宮中祭祀の主体ではなく参加しても「同席者」・「列席者」にすぎず、「主体」はあくまで天皇陛下だと思われる。
 また、これまでの歴史においていろいろな皇太子妃や皇后がいたはずで、雅子妃と同様に(?)宮中祭祀に関心を示さない皇太子妃や皇后もいたのではなかろうか。美智子前皇太子妃・美智子皇后を基準にしてはいけない。
 さらには、確認はしないが、財政不如意のために皇位継承後の大嘗祭(新嘗祭)というきわめて重要な宮中祭祀を行えず、数年後になってそれをようやくなしえた天皇がかつて複数いたはずなのだ。
 にもかかわらず、そういう時代があっても、天皇家と天皇制度は存続し続けてきた。雅子妃の件が<皇室消滅>の原因になるとは思われない。いろいろな皇太子妃・皇后がいた、ということだけになるではないのか。
 再確認はしないが、宮中祭祀の主体は天皇陛下おん自らであり(代拝等はありうる)、皇太子妃等は<付き添い>・<見守り>役にすぎないことは、西尾よりも皇室行事・宮中祭祀に詳しいと考えられる竹田恒泰が明言していたことだ。
 竹田恒泰は(そしてついでに私も)、西尾幹二が上にいう第二の「伝統派」にあたるのだろうが、皇太子妃・皇后と宮中祭祀の関係についての竹田恒泰の文章を西尾は読んでいるはずなのに、その後も全く触れるところがない。
 「伝統派」は畏れ多いとだけ言っているのではなく、<大げさに心配するほどの問題ではない>と言っているのだ、と思う。この点でも、西尾幹二は正確に論議を把握していないか、知っていても無視しているのではないか。
 以前に、かりに本当に皇太子妃殿下が<反日・左翼分子>に囚われてしまっているのだとすると<もう遅い>、現皇太子の婚姻の前にこそ西尾は発言すべきだった、と書いたことがある。
 <もう遅い>というのは、極めて遺憾なことだがやむをえない(いろいろな皇族がいても不思議ではない)という意味であり、そのこと(皇太子妃殿下の心情や行動)と皇太子殿下(将来の天皇)のそれらとを同一視してはいけない、又は同一になるはずがない、ということを前提にしている。
 このような同一視の傾向は、再引用は省略するが、八木秀次の文章の中にも見られたところだった。
 西尾幹二の全ての仕事を否定する(消極視する)つもりはないのだが、やはり今年の西尾の皇室論はいくぶんエキセントリックだったと思われる。その意味では、今日の「雑誌ジャーナリズム」・「論壇」を奇妙なものにし、「衰退」させている一因は、西尾幹二にもあるのではないか。
 なお、現皇太子はもっぱら戦後の<空気・雰囲気>の中で生きてこられた。戦後に生まれ、戦後の「教育」を受けてこられた。昭和天皇や今上天皇と全く同じことを期待するのは酷だ。「自由派」の主張には全く反対だが、悠久の歴史を引き継ぎつつ、独自の新しい面もある天皇像が示されることとなってもやむをえないのではないか。むろんこれは宮中祭祀不要論・否定論では全くない。伝統は伝統として(神道形式も含めて)間違いなく継承されるはずだ、と信頼している。

0550/天皇こそ、かつ天皇のみが、宮中祭祀の主体、ということについての呟き。

 昨日、「皇后や皇太子妃が(宮中祭祀に)どのように関与するかについては多様な形態の歴史があったものと推察される」と書いたが、竹田恒泰の叙述の趣旨はもっと深いところにあると理解すべきだ、と考え直した。
 昨日書いたことと矛盾はしていないが、「天皇の本質は『祭り主』」で「皇后や東宮妃の本質」はそうではない、「全ての宮中祭祀は天皇お一人で完成するのが本質」、等の竹田恒泰の指摘は要するに、宮中祭祀の主体は<皇室>でも<皇族>でもなく、<天皇陛下ご一身>だ、ということだ。そして、天皇は「神」だとは言わないものの、天皇こそが、また天皇のみが、践祚後の大嘗祭で皇祖神と寝食を共にすること等によって、皇祖神の「神霊」と接触する(そして祈る・願う・祀る等の)資格と能力を有する者として扱われる、ということではないか、と思う。
 天皇の代わり(「代拝」等)を神職にある者=「掌典」職の者が務めることができる祭祀行為があるとしても、皇后、皇太子、皇太子妃は、いかに天皇に近い「皇室」の方々又は「皇族」であっても、宮中祭祀の主体にはなりえない、なぜなら、天皇や神官がもつような、「神霊」と接触する資格・能力がないから、ということではないか。
 従って、皇后、皇太子、皇太子妃その他の皇族が宮中祭祀に「列席」することがあっても、それは彼らも宮中祭祀を「している」のではなく、「陪席」して、あるいは「付き添って」、天皇の祭祀行為を(実際に視野に入れるかどうかは別として)<見守っている>(又は形・表面は天皇の真似をしている?)にすぎないのだろう。
 従ってまた、皇后、皇太子、皇太子妃に「宮中祭祀のお務め」なるものがある筈がない。「お務め」するのは基本的に天皇のみだ。皇后、皇太子、皇太子妃に「お務め」がかりにあるのだとすると、それは「陪席」する又は「付き添う」義務ということになるが、この義務は宮中祭祀にとって「本質的」なものではないし、また、時代によって又は人によって、この意味での義務の有無や義務履行の仕方は異なってきた、ということなのだと思われる。
 以上は私なりの現時点での理解だ。祭祀行為や神道に関する知識が不十分なことによる誤りや概念の不正確さがあるだろうが、お許しいただきたい。
 それにしても、天皇の祭祀行為について、いかに無知だったかを痛感する。また、宮中祭祀といっても多数のかつ多様なものがあるようなので、一括しての議論は避けるべきとも考え始めている(他に、宮中祭祀以外の祭祀-例えば伊勢神宮・靖国神社…-の問題もある)。
 もっとも、<保守>派を称している人々の中にも私と似たようなレベルの人はいるようだ。戦後の風潮、つまり天皇・皇室・祭祀行為への無関心・無知識の傾向は、<保守>派の論客と言われる人々にも間違いなく及んでいる。

0548/取り返しのつかない一生の蹉跌ではないか-中西輝政・八木秀次・西尾幹二。

 一 諸君!7月号の56人の文章のうち、<皇太子妃問題>に言及しているのは20。うち、天皇制度自体に批判的と見られるのは、原武史、森暢平の2つ。
 二 以下は、前回のつづき。
 皇太子妃(雅子妃殿下)を批判・攻撃し、制度上の何らかの提言までしているのが、中西輝政、八木秀次、そして西尾幹二の3人。全体の56から見ても、また20の中でも、<異様な>(少なくとも<少数派>の)見解だ。
 私的に内々にご意見申し上げる、というのとは全く異なり、月刊雑誌を利用して、<世論>の一部として現皇太子妃等に圧力を加えていることに客観的にはなるものと思われる。主観的な善意の有無はともかく、現皇太子妃(雅子妃殿下)の心身によい影響を与えるだろうか? 攻撃だけが目的ならばそれで執筆者は目的を達しているのかもしれないが。
 1 西尾幹二は首相あて質問・要請文のスタイルで書いているが、月刊Will5月号(ワック)での文章と併せて読むと、ここに明瞭に位置づけられる。
 西尾幹二は、①小和田家が皇太子妃を「引き取るのが筋」との旨を書いた(月刊WiLL上掲p.39-40)。これは、常識的には現皇太子妃は<離婚(離縁)せよ>ということを意味するだろう。
 また、②「秋篠宮への皇統の移動」との提言も「納得がいく」と明記した(同上p.42)。
 この②は法律としての現皇室典範2条の定め(長男が最優先の皇位継承者の旨等)に反し、かつすでに所謂立太子された皇太子殿下がいらっしゃるので、同3条(皇位継承順序の変更)の要件に該当するとする「皇室会議の議」が必要となる。
 本来はこういう話題をこの欄で取り上げるのはそれこそ畏れ多いことで恐懼の至りだが、すでに月刊雑誌上で公表されている以上、このブログ欄でだけ隠しても意味がない。以下、同じ趣旨で記録に残す(すでにこの欄で一部書いたことと重複する)。
 2 中西輝政は、①現皇太子妃の「皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ」と明記する(諸君!上掲p.239-240)。
 再考して、現皇太子妃の<「皇后位継承」を不可とすること>は、基本的には、皇太子殿下との離婚か、皇太子自体が天皇位を継承しないこと、によってしか実現しない。
 「離婚」は<左翼>・<フェミニスト>を喜ばせるだろう。「皇室会議の議」を要すると思われるが、皇族同士の離婚の例があるかどうかは知らない。後者の「皇太子自体が天皇位を継承しないこと」も簡単ではないことは、「秋篠宮への皇統の移動」について上に記したとおりだ。
 中西は、②「皇太子妃におかせられては、…特段のご決意をなされるようお願い申し上げたい」とも書く(p.239)。「特段のご決意」の意味・趣旨が不明だが、「宮中祭祀」に列席することか、それとも<離婚>のことなのか(後者は西尾幹二がいう小和田家による「引き取り」とほぼ同じ)。
 なお、中西は、③皇太子妃が「宮中祭祀のお務めに全く耐え得ない」のが真実なら「ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき大問題である」(p.239)と書いて、このことを①・②の前提にしている。また、「皇族」、「平成の皇室」という語を使っているが、これらの人的範囲は明確にされていない。
 3 八木秀次は、つぎのように書いた。
 「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上している」。そして、皇室典範3条が定める皇位継承順序の変更可能な要件の一つである「重大な事故があるとき」に、「祭祀をしない」ことは該当する、という解釈を示した(p.262)。
 既述のように、「皇室の本質」という場合の「皇室」の意味・範囲は明確にされていない。
 また、「祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する…」というのは、いったいいかなるニュアンスを含む文章だろうか。「祭祀をしない天皇」と「祭祀に違和感をもつ皇后」とは全く意味が異なる。「いや少なくとも」という語で簡単につなげてよいものだろうか? 思考・論理の曖昧さが垣間見える気がするのだが…。
 三 以上の3人の見解は、つぎの竹田恒泰の文章が適切なものだとすると、前提自体がそもそも欠けている。
 そうだとすると、中西、八木そして西尾は、<取り返しのつかない、一生の蹉跌>をしてしまったのではないか。
 竹田恒泰の叙述を再掲する(月刊Will7月号(ワック))。
 ・「天皇の本質は『祭り主』であり、祈る存在こそが本当の天皇のお姿」だが、「皇后や東宮妃の本質は『祭り主』ではない」。
 ・皇后等の皇族が宮中祭祀に「陪席」することはあり「現在はそれが通例」だが、あくまでも「付き添い役」としてであり、新嘗祭等に内閣総理大臣が陪席するのと同様だ。「大祭」に際して「全皇族方が…陪席」するのは「理想」かもしれないが、「天皇
は『上御一人』であり、全ての宮中祭祀は天皇お一人で完成するのが本質」だ。「皇族の陪席を必要」とはしないし、「皇族の一方が陪席されない」からといって「完成しないものではない」。
 ・「歴史的に宮中祭祀に携わらなかった皇后はいくらでも例があ」り、「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった。そもそも皇后の役割は宮中祭祀ではない、まして東宮妃であれば尚更」だ。

 ・東宮妃(=雅子妃殿下)が皇后になられたときにまだご病気であれば「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」。
 この竹田の理解は(上の三人のそれと比べると)より正確又はより適切なのではないか。かりにそうだとすると、西尾幹二、中西輝政、八木秀次は<いったい何を大騒ぎしているのか??>
 今上天皇による宮中祭祀の場合の美智子皇后を「標準」と考えるのは歴史的には正しくないし、明治維新以降の宮中祭祀の慣例もまた絶対に遵守すべき「皇室」のルールではないだろう。明治期以前に、もっと長い長い、天皇による祭祀の歴史があり、皇后や皇太子妃がどのように関与するかについては多様な形態の歴史があったものと推察される。

 他人事ながら、自らを恥ずかしく思わないのか、と感じるのは、中西輝政だ。中西は、「ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき大問題である」と書いてしまった(八木秀次もほとんど同じだが)。中西は「真実であるなら」と留保(条件・仮定)を付けたと弁明するかもしれないが、かりに「真実」だったとしても、竹田恒泰の言を信頼するかぎり、「天皇制度の根幹に関わる由々しき大問題」などと大仰に言うほどの問題ではないのだ。
 
先月だったか、産経新聞に小さく、櫻井よしこが所長(理事長)の国家基本問題研究所が提言を発表したとかの報道があった。ウェブ上の情報によると、中西輝政はこの研究所の「理事」らしい。上記の諸君!特集の56人の中で中西と同じ見解とは思えない考えを書いている「理事」の遠藤浩一や「副理事長」の田久保忠衛がいるようなので、中西輝政が提案しても、上のような中西見解が、この研究所全体の提言にはならないだろう。だが、「国家基本問題」の所在を見誤ったと思われる中西は、―余計なお世話だとは思うが―「理事」を辞めてもよろしいのではないか。
 あと、15人残っている。さらに続ける。

0543/中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP)と諸君!7月号でのこの二人の文章。

 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人びと(PHP、2008.06)につづいて中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008.06)も入手して、読む時間が足りない。また、書く時間があればこれらを読んでしまいたい。だが、いずれも途中まで読んだだけだが(座談なので、すぱやく読めてしまう)、後者から一部抜き出して、関連するコメントを書いておこう。いちおう、後者についての第一回になる。
 上の中西輝政と八木秀次の対談本の大切なポイントではないかもしれないが、<進歩(革新)派>から<保守派>への「改宗派」や所謂「すべて派」〔説明省略〕に対する皮肉らしきものを述べたあと、中西輝政は言う-「非常に過度な攻撃性を示してしまうというのは、まだ本来の保守になりきれず、『反左翼』『反リベラル』にとどまっている」。また、八木秀次も続ける-「本来保守というものは、ふくよかなものであるはずです」(p.105)。
 別の箇所で、中西輝政はこうも言う-保守とは思想ではなく感覚・心。「だから賢(さか)しらに論(あげつら)うという試みを過度にすると、かえって保守から離れるという側面」がある(p.131)。そして、八木秀次は「保守思想」の「理論化、体系化をすべき時期」ではないか(p.131)、「底の浅い保守思想」の淘汰(p.134)、「保守思想」の整備(p.135)等と言及しつつ、本来は「保守から離れる」ことになるかもしれないが(p.131)、などとも言っている。
 これらのやりとりにとくに反対するつもりはない。却って、むろん二人が意識している筈もないが、このブログ欄が<反朝日新聞・反日本共産党>とのみ語って「保守」という語を使っていないことや、樋口陽一らを「賢(さか)しらに論(あげつら)う」ということをしてきたようで、やや耳に痛い気もする。
 だが、この二人が日本の<保守>主義界を代表している筈はないし、この二人がそのように自分たちを位置づけているとすれば、傲慢だろう、とも思う。また、八木秀次が発言していることの中には私には彼には荷が重すぎると感じることもあるが、この点は別の回に書く。
 思い出すのは、月刊・諸君!7月号の特集「われらの天皇家、かくあれかし」の中に計56あった文章の中の、中西輝政と八木秀次のものの内容だ。
 全員のものをまだ読み終えていないが、西尾幹二が別の雑誌で述べていた結論的なことと、表現は違っても、同趣旨のことを述べていたのがまさにこの二人だった。
 そして、竹田恒泰を信頼するかぎりは、この二人の文章は、現時点では、率直に言って<妄言だ>。よくぞ、「神道と皇室に対してどういう態度をとるのか」、この点を「素通りして日本の保守はない」(中西輝政。上の対談本p.135)と言えるものだ、という気がしている。
 この問題に前回に触れて述べたようなことに対して、<では皇室(の重要部分)が「左翼」に乗っ取られてよいのか、「左翼」の浸透を許してよいのか>という反論があるかもしれない。それを想定して、いちおう再反論しておこう。
 竹田恒泰の言を信じれば、皇太子妃が宮中祭祀に列席されようとされまいと宮中祭祀の本質に変化はない。天皇(と将来の天皇・皇太子)こそが大切なのだ天皇陛下が「左翼」に乗っ取られない限り、<天皇制度>はまだ生きており、「日本」も存続している
 私には事実関係の確定のための資料も能力もないが、―以下、本来は書きたくないことに入ってしまうが―万が一、皇太子妃が(祭祀の意義を認めることのできないような)「左翼」心情の持ち主なのだとすれば、もう遅いのではないか。それを阻止するためには、皇太子のご婚姻前の段階ですでに警告・警戒の発言を八木や中西は(西尾幹二も)しておくべきだった、と思う。今では、一国民としては(憂慮しつつも?)「静かに見守る」他はないのではないか。
 また、皇室の<外>からの<世論>(月刊雑誌上の意見も含む)の圧力で、皇太子妃たる地位の適格性を論じ、あまつさえ変更の趣旨を含む意見を述べるというのは、きわめて不謹慎なことだ、と思う。このことは、たんに皇室への敬意という心構えのみの問題ではなく、<世論>(月刊雑誌上の意見も含む)という圧力によって皇族の地位が変動されることがありうるという先例を作ってしまえば、逆に<左翼的世論>が皇室内の問題・皇族の地位に具体的に介入してくることは目に見えている、という趣旨の方をむしろ多く含んでいる。
 上のことくらい、中西輝政、八木秀次、西尾幹二は理解できないのだろうか。じつに嘆かわしいことだ、と私は感じている。「賢(さか)しらに論(あげつら)うという試みを過度に」行っていることにはならないのだろうか。
 
ということもあって、中西輝政と八木秀次が日本の<保守>主義界を代表している筈はないし、この二人がそのように自分たちを位置づけているとすれば、傲慢だろう、とも思っている。もっとも、彼らが上掲の本で語っていることの80%は理解できるし、かつそのうち90%くらいは支持できる(読んだ限りでは皇太子妃問題に言及していない)、ということも追記しておこう。

0540/中西輝政=福田和也・皇室の本義(PHP、2005)をほぼ読了。

 中西輝政=福田和也・皇室の本義(PHP、2005)を殆ど読了。記憶に残っている範囲から、いくつかメモしておく。
 ・江戸時代に祭祀復活、略式祭祀の正規化(古い形式に戻すこと)、飢饉の際の施米につとめられたのは、光格天皇
 (この天皇は東山天皇の三世の孫(玄孫)で、後桃園天皇までとは別の(現在につづく)皇統に移った最初の天皇とも言える。なお、竹田恒泰は明治天皇の四世の孫。)
 ・今上天皇は、美智子皇后とともに橿原神宮出雲大社も親拝され、石清水八幡宮も親拝された(p.73)。両陛下は、平成5年以降、各県の護国神社をすべて親拝された(p.151)。
 (上のようなご親拝は天皇の「公的」行為と理解するのが通常の感覚と思うが、「私的」な<宗教的>行為と見なしているのだろう、マスコミは全く又は殆ど報道していない。)
 ・佐藤栄作と田中角栄とで天皇・皇室観はかなり異なる。田中角栄は天皇に対して「反感」をもち「一種不遜な」態度をとっていたとも言われる(p.91)。日本人の一部にある天皇(・皇室)への<怨念>は継続している。「伝統的・文化的」に「型が定まったもの」を崩すことを「進歩」と捉える心情が、戦前の社会主義者(・共産主義者)以外にも残っている(p.93-94)。
 ・現皇室典範(法律)は現憲法施行前に制定されており、かつ旧憲法下で必要だった法律制定手続を経ていない、という問題をもつ(p.104)。
 (この手続の瑕疵は旧憲法自体に違反しているのか、法令上の定めに違反しているのか、それとも旧憲法・法令は明記していない<慣行>に反していたのか、なお確認してみたい。)
 ・「天皇制」を厳しく批判し、「いずれ廃止されるべきである」と書いた横田喜三郎・天皇制。当時、東京大学法学部教授(国際法)、のち最高裁裁判官、勲一等叙勲(p.118-9)。
 ・宮中三殿への日々のお参り、宮中祭祀こそ天皇の「最大の御公務」。また、天皇はご旅行の際には「必ず『三種の神器』を一緒」に携行される。どこに宿泊されても、「毎朝、伊勢の皇大神宮に向かっての遙拝」を必ずされる。だが、多くの国民がこれらのことを知らない(p.136-8)。
 ・宮中三殿には「掌典」という神職、「内掌典」という巫女にあたる神職もいて、「皇居から一歩も外に出ずに神事を務めて」いる。こうした支えがあってはじめて宮中祭祀は成り立つ(p.138)。
 (「掌典」・「内掌典」は宮内庁職員としての<国家公務員>か。そうではなく、天皇の<私的な>使用人として、「公的行為」のための宮廷費からではなく、天皇・皇室の「私事」のための「内廷費」から給料?(報酬・手当?)は出ている。宮中祭祀の挙行を「私事」扱いすることは、<天皇制度の本質>と矛盾すると思われることは、何度も書いた。)
 とりあえず、以上。
 どこかに書いてあったかもしれないが、樋口陽一を含むおそらく殆どの憲法学者が、<統治権の総覧者>から<象徴>への変化・断絶、<天皇主権>から<国民主権>への変化・断絶を強調するのは、一面しか捉えていない。歴史的・伝統的な天皇制度を見るとき、日本国憲法のもとでもそれは<連続して>生き続けている、という理解の方が本質により近いものと考えられる。

0529/月刊・諸君7月号(文藝春秋)の天皇・皇室特集の一部を読んで。

 月刊・諸君!7月号(文藝春秋)の特集<われらの天皇家、かくあれかし>の各人の文章をかなり読んでみた(途中で気付いたが、執筆者名の五十音順で掲載されている)。56人分もあるので、まだ全員は読めていない。
 いくつか感想を述べる。
  皇太子妃殿下問題(?)-と書くのも失礼のような気もするが容赦いただきたい-に関して、私の意見・気分に最も近いのは、次の竹田恒泰の言葉だ。
 「騒ぎ立てるのではなく、静かにお見守り申し上げるのが日本国民としてのあるべき姿」ではないか(p.228)。
 この文の直前の「…など、報道されていることが仮に事実だとしても、その程度で皇室の存在が揺らぐようなことはあり得ないと私は断言する」、もきちんと読むべき(そして感得すべき)文章だと思う。
  なぜかかる立場をとりたいのかの理由の(すべてではないが)きわめて重要な一つは、田久保忠衛が異なる文脈で述べている文章を借りると、皇室内部の問題について騒げば騒ぐほど、「世界に例のない皇室に反対する向き」が「さぞかし喜んで」しまう、なぜなら「『天皇制打倒』などと叫ぶ必要もなくなるから」(p.226)、ということだ。
 皇太子妃殿下問題(?)による皇室内部の混乱、論壇や世論の沸騰・混乱こそ、「左翼」、とりわけ「<天皇制度>解体論者」が望んでいることだと考えられる。正面から表明していなくとも、「左翼」>反・天皇主義者たちがほくそ笑んでいる姿を想像できそうな気がする。
 皇室に関する一切の議論・論評をしてはいけない、とは勿論主張しない(所謂「お世継ぎ」問題・女系天皇の可否問題は重要だ)。しかし、推測・憶測等にもとづく特定の皇族への批判・攻撃あるいは問題提起等は、主観的意図がどうであれ、皇室や<天皇制度>を支持する人々を離反させ、国民の間に亀裂を生み、結果として<天皇制度>廃止・解体につながっていく危険性を秘めている(その方向は「左翼」、とくにマルクス主義者=反「天皇制」主義者が切望していることだ)、ということに留意しておくべきだ、と思う。
 ということから、西尾幹二論文については5/27に書いただけであえて済ましたのだった。
  今回は上記のような特集も出たので感想を述べざるを得ないが(そしてすでに述べているが)、上のような見地からすると、尊敬している西尾幹二に対して厳しい言い方になるが、次のような笠原英彦の西尾に対する反応は尤もだと感じる。笠原は次のように述べる。
 西尾の皇室観は「実に卓越」したものだが、「読み進むうちに…正直いって驚いた」。「氏の根拠となる情報源は何処に。いつのまにか西尾氏まで次元の低いマスコミ情報に汚染されていないことを切に祈る」。西尾の論調は、「格調高くスタート」し、「おそらく」を連発し、「思いっきり想像を膨らませ」、ついに妃殿下を「獅子身中の虫」と呼んで、「噂話の類まで権威づけてしまつた」。
 笠原英彦は私も所持している中公新書・歴代天皇総覧(2001)の著者だが、竹田恒泰とほぼ同様に、西尾は「憂国の士であるが、過剰な心配はご無用」と書き、「天皇といえども十人十色」と続けている。おそらく、皇后も、皇太子も、皇太子妃も「十人十色」ということになるだろう。
  皇太子妃問題(?)に言及している執筆者(過半数というわけではなさそうだ)には、かつての私と同様の、皇室祭祀・宮中祭祀に関する理解・知識の不足があるように思われる。
 5/27に触れたことだが、竹田恒泰同・「西尾幹二
さんに敢えて注〔忠?〕告します/これでは『朝敵』といわれても…」(月刊WiLL7月号(ワック))によると、次のとおり(5/27の一部反復になる)。

 「天皇の本質は『祭り主』であり、祈る存在こそが本当の天皇のお姿」だが、「皇后や東宮妃の本質は『祭り主』ではない」。皇后等の皇族が宮中祭祀に「陪席」することはあり「現在はそれが通例」だが、あくまでも「付き添い役」としてであり、新嘗祭等に内閣総理大臣が陪席するのと同様だ。「大祭」に際して「全皇族方が…陪席」するのは「理想」かもしれないが、「天皇は『上御一人』であり、全ての宮中祭祀は天皇お一人で完成するのが本質」だ。「皇族の陪席を必要」とはしないし、「皇族の一方が陪席されない」からといって「完成しないものではない」。「歴史的に宮中祭祀に携わらなかった皇后はいくらでも例があ」り、「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった。そもそも皇后の役割は宮中祭祀ではない、まして東宮妃であれば尚更」だ(月刊WiLL7月号p.41)。
 竹田はさらに、次のように言い切っていた。
 東宮妃(=雅子妃殿下)が皇后になられたときにまだご病気であれば「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」。
 かかる理解とそれにもとづく見解が適切なものだとすると、皇太子妃殿下が長期にわたって宮中祭祀に列席されていないことが事実なのだとしても、それは、中西輝政がいうほどに「ことは誠に重大であり、天皇制度の根幹に関わる由々しき問題」(p.239)なのだろうか。
 また、八木秀次も「祭祀に違和感を持つ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題」と書いているが(p.262)、これも適切な理解なのだろうか。
 美智子皇后がご立派すぎているのかもしれない。だが、竹田恒泰によると、前述のとおり、「幕末までは皇后が祭祀に参加しないことが通例だった。そもそも皇后の役割は宮中祭祀ではない、まして東宮妃であれば尚更」なのだ。
 従って、中西輝政の「あえて臣下の分を越えて」の提言(p.239-240)も、正鵠を射ていない可能性があるのではないか。八木秀次の皇室典範三条の解釈論(p.262)も不要か、又は少なくとも早すぎるのではないか(なお、雅子妃殿下は「皇嗣」ではなく、また「立后」の時期ではまだない)。
  他にも、上記特集には、感想を付し又はコメントしたい文章がある。回を改める。
 書きたい(そして具体的に予定している)テーマは他に五、六はあるが、いかんせん、書く時間が足りない。

0488/「左翼」出版社とその雑誌、講談社と月刊現代-月刊正論6月号(産経)を一部読む。

 月末から月初めは月刊誌の新刊が出るので楽しみだが、感想やメモをこの欄に書ききれないままで月日が経っていった論稿や記事が少なくない。ひょっとして、月刊WiLL6月号(ワック)のいくつかも…?
 講談社の月刊現代といえば、1970年代から80年代の少なくとも前半くらいまでは、月刊・文藝春秋とともに、エンタテイメント性もあり、かつ文藝春秋よりは大衆的・世俗的な愉しいイメージもある総合雑誌だった。
 月刊・正論6月号(産経)の新田均による原武史批判(「『21世紀の皇室』のためにという詭弁」)を読んで、月刊現代は、そして講談社は、ついに「左翼」雑誌・「左翼」出版社に<落ちぶれて>しまったと感じた。
 文藝春秋の月刊・諸君!、中央公論新社の中央公論、PHPの月刊ヴォイスあるいは週刊誌・週刊現代のライバル誌の週刊ポストを発刊している小学館による隔週刊行のサピオに対抗せざるをえないためだろうか。
 月刊現代が立花隆の護憲(改憲反対)のための駄文をまだ連載しているかは知らないが、月刊現代5月号(講談社)は、原武史の皇室・宮中祭祀不要論を「注目論考」として掲載した、という(上記、新田均p.209)。反天皇・反皇室あるいは天皇制度の崩壊につながる議論は<左翼>と称してよい。改憲反対論と天皇制度解体論を掲載していれば立派に「左翼」で、かつ出版社の基本的イメージを決める論壇誌・総合誌がそうでは、講談社自体を「左翼」と見て誤りとはいえないだろう。残念だし、講談社の社員は可哀想だ。
 ついでに、新田均が言及している原武史の本の出版元は、朝日新聞社2、岩波書店1、みすず書房1で、他に朝日新聞社の論座への寄稿も1つある。みすず書房についてはよくは知らないが、朝日・岩波というまさしく顕著な<左翼>出版社が原武史をかつぎ上げ、活躍させようとしていることが分かる。こうまでその傾向が歴然としている著者・出版社関係も珍しいかもしれない。
 内容に立ち入る気は殆どないが、原武史は宮中祭祀の「大部分」は「明治以降」に作られたもので、宮中祭祀を止めても本来の?明治以前に戻るだけ、と主張しているらしい。
 これはおかしいだろう。新田均は「古代そのままではないものの、宮中祭祀の多くは、新嘗祭にしろ、神嘗祭にしろ、賢所御神楽にしろ、古代に行われていたものである」(p.216)等と反論しているが、この論点についてのもっと詳細な叙述と原への反論(原の謬論批判)を書いてほしい。
 それにしても、<左翼>は、性懲りもなく、執拗に、<保守>を、あるいは<日本>を攻撃してくるものだ、と思わざるを得ない。
 日本国憲法はGHQに「押し付けられた」との論が憲法改正論の有力な論拠の一つになっていると感じれば、小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書、2006)という、国民主権等(現九条は含まず)は日本人研究者(たち)の提言によるものとの本が出てくる。
 あの<戦争>と<戦犯>についての<東京裁判>批判が有力になり、パール判事意見書が一つの拠り所とされていると見るや、中島岳志・パール判事-東京裁判批判と絶対平和主義(白水社、2007)等が出てくる。
 天皇制度が彼らにとっての究極的な障害になるので、今から、実質的に天皇家を歴史的・伝統的な天皇制度とは無関係のものにしようとする原武史の本が数冊も出てくる。
 ついでに言えば、丸山真男はとっくに歴史上(過去)の人物・思想の筈だが、岩波は1995年から全集、書簡集などを刊行して丸山の現在への力を維持しようとしているが如くであり、この欄であえて取り上げなかったが、長谷川宏・丸山眞男をどう読むか(講談社現代新書、2001)などという、素人同然のエピコーネンが丸山真男を賛美するだけの本も生まれている。
 まことに精神衛生に悪い。言論・出版の自由のもと、国論の基本的な分裂を抱えたまま、「日本」は何とか生きながらえていけるのだろうか。憂いは相変わらず、深い。

0456/八木秀次-天皇制度廃止への道筋をつける原武史・昭和天皇(岩波新書)。

 原武史・滝山コミューン1974(講談社、2007)には、二回触れたことがある。
 この本は日教組の影響下にあったと見られる「全国生活指導研究協議会」に属する教員による「学級集団づくり」に対して批判的なので、著者はどちらかというと<保守的>又は<反左翼>的だと思っていた。
 サピオ4/23号(小学館)の八木秀次「天皇『9時-5時勤務制』まで飛び出した宮中祭祀廃止論の大いなる誤り」(p.83-85)によると、この宮中祭祀廃止論の中心的主張者は明治学院大学教授・原武史らしい。なお、<宮中祭祀>自体が広く知られていないが、八木によると、宮中三殿といわれる「賢所」・「皇霊殿」・「神殿」で行われる祭儀のことで、「大きなものだけで年間30近くある」とのこと。
 「天皇は先祖を祀る『祭祀王』としての性格を持ち、それこそが天皇の本質的要素と言っても過言ではない」(p.83)。
 「祭祀王」という概念がどの程度一般化しているのか、適切なのか(=「王」という語を用いてよいのか)は疑問だが、八木の指摘する趣旨は、そのとおりだろうと私も考える(また、その祭祀とは<神道>によるものでないかと思うが立ち入らない)。そして「宮中祭祀廃止」論は<天皇制度>の否認論と殆ど同じことだろう、と思われる。
 八木によると、「原氏が抱く昭和天皇、いや、天皇制への嫌悪感」は原武史・昭和天皇(岩波新書、2008.01)の「全編からたちのぼってくる」という。その具体的例示も紹介されているが、ここでは侵略する。
 興味をそそられたのは、冒頭に示した本を書いたのと同じ著者が昭和天皇を批判し、天皇制度を「崩壊させる道筋をつける」(八木、p.85)議論を展開している(らしい)ということだ。と同時に、さすがに岩波書店の岩波新書だ、と思いも強い。究極的には<天皇制度を「崩壊させる」>ことは(それは日本が「日本」でなくなることを意味するのではないか)、この出版社の社是、出版活動の(政治的)大目的の一つだと理解しておいて誤りではないだろう。
 岩波新書といえば、中央公論3月号(中央公論新社)の<特集・新書大賞ベスト30>の中の座談会で、宮崎哲弥は、<岩波新書らしいもの>を出せと注文をつけ、西山太吉・沖縄密約につき「単行本でいい…。新書で出す必要性が感じられない」と述べつつ、「これぞ岩波新書」をあえて探せばとして藤田正勝・西田幾太郎丸山勇・カラー版ブッダの旅の二つを挙げ、「岩波らしい」ものとして豊下楢彦・集団的自衛権とは何か二宮周平・家族と法二つを挙げている(p.129-130。出版年月の調査は省略。いずれも未読)。
 宮崎哲弥のいう「これぞ岩波新書」とか「岩波らしい」ということの意味は必ずしも明瞭でないが、何となく雰囲気は理解できる。そして、「これぞ岩波新書」と「岩波らしい」は必ずしも同じ意味ではなく、原武史・昭和天皇は上の二つとともに「岩波らしい」の方に位置づけられる書物のような気がする。
 追記-4/09夜に佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版)を全読了>

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