秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

安保法制

1362/憲法学者の平和安保法「違憲」論は正しくない-5(終)。

 一 一年以上前の2015年6/18に「さらに続ける」と書いたままだったので、律儀に?最終回を書く。
 2015年前半に話題だった安保法案は国会・両議院ですでに可決・成立し、2016年4月に施行された。
 いわゆる(限定的)集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈は、内閣法制局でも行政権の権限主体たる「内閣」でも内閣総理大臣の解釈でもなく、「国権の最高機関」であり「国の唯一の立法機関」(憲法41条)である国会の憲法解釈になった。安倍晋三が憲法を歪めるとか壊すとか、立憲主義に違反するとかの批判は、両議院での可決・改正諸法律成立以降、国会に向けられなければならない。日本共産党党員憲法学者その他の多くの憲法学者は、このことに反対できないはずだ。恨みたいならば、国会(両議院)を呪詛したまえ。
 二 さて、最後に論及しようと思っていたのは、いわゆる平和安全保障法制は違憲だとする憲法学者たち等は、日本の安全保障環境をどう認識しているのか、だった。もともと日本国家や日本国民の「安全・平和」に(口先だけの、あるいは政略的のみの)関心しか向けていない学者たちが多いのかもしれない。だが、法規範の「解釈」にも、ある程度は「現実の認識」が必要であるはずだ。
 民科(民主主義科学者協会)法律部会という一つの学会の前会長であり、ほぼ間違いなく日本共産党の党員だと言える浦田一郎は、安保法制の基礎となったとされる2014.07.01の「集団的自衛権行使容認」閣議決定を解説しつつ批判する中で、20015年の春につぎのように言っていた。
 「軍事的緊張が高まった側面が一面的に強調されている。冷戦下で米ソが核兵器によって軍事的に対抗していた状況より、現在ははるかに緊張は低下している。このような緊張の緩和という側面が無視されている」。
 以上、森英樹編・集団的自衛権行使容認とその先にあるもの/別冊法学セミナー(日本評論社、2015.04)p.179。
 これを読んで、なるほど、日本共産党は、いや「左翼」でもよいのだが、中国や北朝鮮の「危険」性・「脅威」を無視しているか軽視している、現実を客観的に見ようとはしていない、その背後には<親中国・反アメリカ>感情、かつての<社会主義幻想>、がある、と感じたものだ。
 日本共産党の党員学者にとっては、上のような認識は当然かもしれない。
 日本共産党はかつてソ連の解体直後には、仮想敵だったはずのソ連が崩壊したにもかかわらずアメリカは軍備を縮小しようとしない、などと(都合よく)主張していた。
 彼らにとって、中国等ではなく、党の綱領上、アメリカと日本「反動」勢力こそが<敵>なのだ(かつては、アメリカ帝国主義と(それに従属した)日本独占資本の「二つの敵」と言っていた)。
 日本共産党(党員)にとって、とりわけ1998年に同党と中国共産党が友好関係を再設定して以降は、中国(・共産党)や北朝鮮は日本の安全・生存にとっての現今の最大の脅威であってはならないのだ。
 このような現状認識から、まともな安全保障関係の憲法「解釈」論が出てくるはずはない。日本共産党党員以外の多数の(日本の)憲法学者もまた、受けてきた(法学教育を含む)教育や「左翼」的出版物・メディア等によって、目を曇らされてきた、と言えるだろう。
 三 日本共産党中央委員会「理論政治」誌・前衛2015年1月号(同中央委員会)の中に、「宮地正人さん(東京大学名誉教授)に聞く」「第二次世界大戦をどうみるか」というものがあり、宮地正人は最後につぎのように語っている。
 なお、この宮地正人は日本共産党党員だと理解して間違いない。同党員でない者が前衛や「赤旗」に登場して発言したり論考を寄せたりすることは、(記事の性格にもよるが)ありえない、と考えられるからだ。いかに○大学教授とか△大学名誉教授とかの肩書きになっていても、日本共産党々員だと理解する必要がある(朝日新聞社や日本評論社等の出版物にもこのような肩書きで執筆している者が、上記の別冊法学セミナーの浦田一郎や森英樹のように、少なくないことを銘記すべきだ)。
 「二一世紀の日本は、…。対米従属と軍事一辺倒、集団的自衛権にいくのではなく、憲法第九条を柱とする日本国憲法を表に立て、東アジアの地域的な結束をつくることです。…<中略>。…いまの安倍内閣はまさに逆行する、一番まずい方向に、日本と日本国民を追い込もうとしているのです。/
 この憲法と日本の民主主義をアジアの人たちへの旗印として、共同の目的として掲げる前提が、なによりも満州事変以降の日本の侵略戦争に対する戦争責任を総括し、謝罪することです。この前提はすでに『河野談話』と…政府の侵略と植民地支配への謝罪(『村山談話』)としてある
のです。それを堅持することが、日本の二一世紀の道を切り拓く前提だと私は思っています」。
 何とここには、「東アジア」と言いながら、中国あるいは北朝鮮の軍事的膨張政策・動向への言及がまるでない。これこそが日本共産党と同党員の思考であり「認識」だと、ふつうの正常な日本人は知っておかなければならない。
 また、明示的に「河野談話」と「村山談話」にこだわっていることも明らかだ。日本共産党と同党員たちにとって、橋頭堡を守るためにも、「河野談話」・「村山談話」を日本政府に堅持させることはきわめて重要なことなのだ。「村山談話」は克服されたとか、「河野談話」の継承は外交上必要だったとか主張して、これらの談話の継承と闘おうとしない論者は、決して<保守>ではなく、現在の日本共産党の路線に客観的には追随している。
 
 

1327/憲法学者のあり方を大石眞(京都大学)が読売で語っていた。

 かなり遅いが、昨年・2015年8月2日付読売新聞で、大石真(京都大学)は、憲法(九条を含む)解釈の変更はありうること、「憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない」こと等を以下のように語っていた。
 森英樹・浦田一郎等々の日本共産党員憲法学者に直接の影響はかりに受けなくとも、かつての指導教授や同窓学者たち、現在所属機関の先輩・同僚、あるいはその大学・学部自体の意見や雰囲気等に影響されて自分自身の学問・研究の「自由」を失っているような得体の知れない憲法学者が多い中で、まともな憲法学者もいるものだ。
 以下に述べられていることにほぼ異論はない。後世の学界と日本のためにも、記録し記憶しておく必要があるだろう。
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 ――安全保障関連法案の国会論戦では、「合憲か違憲か」がいまだに議論の中心だ。
 中身の議論が深まっていないのは残念だ。野党は法案の印象ばかりを批判している。「戦争法案」というネーミングはデマゴギー(民衆扇動)で、国民の代表である国会議員が使うべき言葉ではない。野党代表が、世論調査を基に「国民の多くが憲法違反だと感じている」と訴えるのも違和感がある。国会議員が自ら判断を放棄しているようなものだからだ。
 政府が既存の法律10本の改正案を平和安全法制整備法案として束ねたのも、議論を分かりにくくしている。一括法案を否定するわけではないが、切り分ければ、野党が反対しない部分もあっただろう。政府は丁寧に切り分けて説明しないといけない。安倍首相のヤジは品性にかかわる。控えてほしい。
 ――憲法9条と安保法制の関係をどう考えるか。
 憲法が作られた時、集団的自衛権を行使する事態なんて、誰も予想していなかったはずだ。人定法は、過去の事象に対する判断や評価から、条文ができている。想定していなかった事態に対し、憲法をつくった人がどう考えていたかを想像するなんておかしい。改正手続きが定められているのは、「憲法がすべてお見通し」ではないからだ。
 もちろん、憲法が侵略的な武力行使の放棄を定めているのは疑いようがない。憲法解釈も安定している方が望ましい。しかし、国際情勢は絶えず動いている。安全保障政策は、国際情勢を考慮して、解釈変更の余地を残し、憲法の規範と整合性を取っていくべきだろう。
 例えば、ヘイトスピーチを取り締まるためにも、憲法解釈の変更が必要だ。今の解釈では、憲法21条の「集会、結社、表現の自由」が尊重され、取り締まることができない。だから、日本は、ヘイトスピーチを規制する法整備を求めた国連の人種差別撤廃条約の第4条を留保している。9条の解釈変更に反対する人たちは、ヘイトスピーチを取り締まるための解釈変更にも反対するのだろうか。憲法解釈は、政策的な要素に左右され得ることを認めた方がいい。
 野党は憲法解釈変更を「立憲主義を覆す」と批判しているが、そもそも憲法の役割は、正しい形で政治家に権力を与えることだ。「権力を抑制しなければならない」という主張は、政治家には存在価値がない、と自ら言っているようなものだ。国民が選挙で投票するのも、権力を作り、議院内閣制を確立するためなのだから、立憲主義の議論は不毛だ。
  〔見出し〕 野党の「立憲主義」議論 不毛
 ――衆院憲法審査会での違憲論争をきっかけに、憲法学者が注目を浴びるようになった。
 我々憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない。そこを誤れば、学者や研究者の範囲を踏み外してしまう。時代とともに変わる規範を、きちんと現実の出来事にあてはめることが責任ある解釈者の姿勢だと思う。内閣や国会の法制局はそうした役割を担っている。最高裁も、法文を大事にしながら、起きた出来事にいかに妥当な解決策を見いだすかに腐心している。憲法学者にも、そういう姿勢が求められるのではないか。
 (聞き手 橋本潤也)
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 以上 

1317/資料・史料-2015.06.05安保関連法案反対憲法研究者声明。

 日本の歴史の特定一時期における「憲法研究者」なるものの異常な実態を記録にとどめておく必要がある。
 なお、「法案の内容が憲法9条その他に反する〕と言いつつ、法案における「憲法9条違反の疑いがとりわけ強い主要な3点について示す」という表現を使って縷々述べていることは興味深い。
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 安保関連法案に反対し、そのすみやかな廃案を求める憲法研究者の声明
   2015.06.05

 安倍晋三内閣は、2015年5月14日、多くの人々の反対の声を押し切って、自衛隊法など既存10法を一括して改正する「平和安全法制整備法案」と新設の「国際平和支援法案」を閣議決定し、15日に国会に提出した。
 この二つの法案は、これまで政府が憲法9条の下では違憲としてきた集団的自衛権の行使を可能とし、米国などの軍隊による様々な場合での武力行使に、自衛隊が地理的限定なく緊密に協力するなど、憲法9条が定めた戦争放棄・戦力不保持・交戦権否認の体制を根底からくつがえすものである。巷間でこれが「戦争法案」と呼ばれていることには、十分な根拠がある。
 私たち憲法研究者は、以下の理由から、現在、国会で審議が進められているこの法案に反対し、そのすみやかな廃案を求めるものである。
 1.法案策定までの手続が立憲主義、国民主権、議会制民主主義に反すること
 昨年7月1日の閣議決定は、「集団的自衛権の行使は憲法違反」という60年以上にわたって積み重ねられてきた政府解釈を、国会での審議にもかけずに、また国民的議論にも付さずに、一内閣の判断でくつがえしてしまう暴挙であった。日米両政府は、本年4月27日に、現行安保条約の枠組みさえも超える「グローバルな日米同盟」をうたうものへと「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を改定し、さらに4月29日には、安倍首相が、米国上下両院議員の前での演説の中で、法案の「この夏までの成立」に言及した。こうした一連の政治手法は、国民主権を踏みにじり、「国権の最高機関」たる国会の審議をないがしろにするものであり、憲法に基づく政治、立憲主義の意義をわきまえないものと言わざるを得ない。
 2.法案の内容が憲法9条その他に反すること 以下では、法案における憲法9条違反の疑いがとりわけ強い主要な3点について示す。
 (1)歯止めのない「存立危機事態」における集団的自衛権行使
 自衛隊法と武力攻撃事態法の改正は、「存立危機事態」において自衛隊による武力の行使を規定するが、そのなかでの「我が国と密接な関係にある他国」、「存立危機武力攻撃」、この攻撃を「排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使」などの概念は極めて漠然としておりその範囲は不明確である。この点は、従来の「自衛権発動の3要件」と比較すると明白である。法案における「存立危機事態」対処は、歯止めのない集団的自衛権行使につながりかねず、憲法9条に反するものである。
その際の対処措置を、国だけでなく地方公共団体や指定公共機関にも行わせることも重大な問題をはらんでいる。
 (2)地球のどこででも米軍等に対し「後方支援」で一体的に戦争協力
 重要影響事態法案における「後方支援活動」と国際平和支援法案における「協力支援活動」は、いずれも他国軍隊に対する自衛隊の支援活動であるが、これらは、活動領域について地理的な限定がなく、「現に戦闘行為が行われている現場」以外のどこでも行われ、従来の周辺事態法やテロ特措法、イラク特措法などでは禁じられていた「弾薬の提供」も可能にするなど、自衛隊が戦闘現場近くで外国の軍隊に緊密に協力して支援活動を行うことが想定されている。これは、もはや「外国の武力行使とは一体化しない」といういわゆる「一体化」論がおよそ成立しないことを意味するものであり、そこでの自衛隊の支援活動は「武力の行使」に該当し憲法9条1項に違反する。このような違憲かつ危険な活動に自衛隊を送り出すことは、政治の責任の放棄のそしりを免れない。
国際平和支援法案の支援活動は、与党協議の結果、「例外なき国会事前承認」が求められることとなったが、その歯止めとしての実効性は、国会での審議期間の短さなどから大いに疑問である。また、重要影響事態法案は、「日本の平和と安全に重要な影響を与える事態」というきわめてあいまいな要件で国連決議等の有無に関わりなく米軍等への支援活動が可能となることから国際法上違法な武力行使に加担する危険性をはらみ、かつ国会による事後承認も許されるという点で大きな問題がある。
 (3)「武器等防護」で平時から米軍等と「同盟軍」的関係を構築
 自衛隊法改正案は、「自衛隊と連携して我が国の防衛に資する活動に現に従事している」米軍等の武器等防護のために自衛隊に武器の使用を認める規定を盛り込んでいるが、こうした規定は、自衛隊が米軍等と警戒監視活動や軍事演習などで平時から事実上の「同盟軍」的な行動をとることを想定していると言わざるを得ない。このような活動は、周辺諸国との軍事的緊張を高め、偶発的な武力紛争を誘発しかねず、武力の行使にまでエスカレートする危険をはらむものである。そこでの武器の使用を現場の判断に任せることもまた、政治の責任の放棄といわざるをえない。
領域をめぐる紛争や海洋の安全の確保は、本来平和的な外交交渉や警察的活動で対応すべきものである。それこそが、憲法9条の平和主義の志向と合致するものである。
 以上のような憲法上多くの問題点をはらむ安保関連法案を、国会はすみやかに廃案にするべきである。政府は、この法案の前提となっている昨年7月1日の閣議決定と、日米ガイドラインをただちに撤回すべきである。そして、憲法に基づく政治を担う国家機関としての最低限の責務として、国会にはこのような重大な問題をはらむ法案の拙速な審議と採決を断じて行わぬよう求める。
 2015年6月3日

 呼びかけ人
 愛敬浩二(名古屋大学大学院法学研究科教授) 青井未帆(学習院大学大学院法務研究科教授) 麻生多聞(鳴門教育大学大学院学校教育研究科准教授) 飯島滋明(名古屋学院大学准教授) *石川裕一郎(聖学院大学教授) 石村修(専修大学教授) 植野妙実子(中央大学教授) 植松健一(立命館大学教授) 浦田一郎(明治大学教授) 大久保史郎(立命館大学名誉教授) 大津浩(成城大学教授) 奥野恒久(龍谷大学教授) *小沢隆一(東京慈恵医科大学教授) 上脇博之(神戸学院大学教授) 河上暁弘(広島市立大学平和研究所准教授) 君島東彦(立命館大学教授) 清末愛砂(室蘭工業大学准教授) 小林武(沖縄大学客員教授) 小松浩(立命館大学教授) 小山剛(慶應大学教授) 斉藤小百合(恵泉女学園大学) *清水雅彦(日本体育大学教授) 隅野隆徳(専修大学名誉教授) 高良鉄美(琉球大学教授) 只野雅人(一橋大学教授) 常岡(乗本)せつ子(フェリス女学院大学) *徳永貴志(和光大学准教授) 仲地博(沖縄大学教授) 長峯信彦(愛知大学法学部教授) *永山茂樹(東海大学教授) 西原博史(早稲田大学教授) 水島朝穂(早稲田大学教授) 三宅裕一郎(三重短期大学教授) 本秀紀(名古屋大学教授) 森英樹(名古屋大学名誉教授) 山内敏弘(一橋大学名誉教授) 和田進(神戸大学名誉教授) 渡辺治(一橋大学名誉教授) 以上38名  *は事務局
 賛同人
 鮎京正訓(名古屋大学名誉教授)  青木宏治(関東学院大学法科大学院教授)  青野篤(大分大学経済学部准教授) 赤坂正浩(立教大学法学部教授) 穐山守夫(明治大学)  阿久戸光晴(聖学院大学教授)  浅川千尋(天理大学人間学部教授)  浅野宜之(関西大学政策創造学部教授)  足立英郎(大阪電気通信大学教授)  阿部純子(宮崎産業経営大学准教授)  新井信之(香川大学教授) 淡路智典(東北文化学園大学講師)  飯尾滋明(松山東雲短期大学教授) 飯野賢一 (愛知学院大学法学部教授)  井口秀作(愛媛大学法文学部総合政策学科) 池田哲之(鹿児島女子短期大学教授) 池端忠司(神奈川大学法学部教授)  石川多加子(金沢大学) 石埼学(龍谷大学)  石塚迅(山梨大学)  石村善治(福岡大学名誉教授) 井田洋子(長崎大学)  市川正人(立命館大学教授) 伊藤雅康(札幌学院大学教授)  稲正樹(国際基督教大学客員教授)  稲葉実香(金沢大学法務研究科) 猪股弘貴(明治大学教授) 井端正幸(沖縄国際大学教授)  今関源成(早稲田大学法学部教授)  岩井和由(鳥取短期大学教授)  岩本一郎(北星学園大学経済学部教授)  植木淳(北九州市立大学) 上田勝美(龍谷大学名誉教授)  植村勝慶(國學院大学法学部教授)  右崎正博(獨協大学教授)  浦田賢治(早稲田大学名誉教授) 浦部法穂(神戸大学名誉教授) 江藤英樹(明治大学准教授)  榎澤幸広(名古屋学院大学准教授) 榎透(専修大学教授)  榎本弘行(東京農工大学教員)  江原勝行(岩手大学准教授)  蛯原健介(明治学院大学教授) 遠藤美奈(早稲田大学教授)  大内憲昭(関東学院大学国際文化学部)  大河内美紀(名古屋大学大学院法学研究科教授)  大田肇(津山工業高等専門学校教授)  大野拓哉(弘前学院大学社会福祉学部教授) 大野友也(鹿児島大学准教授)  大藤紀子(獨協大学) 小笠原正(環太平洋大学名誉教授)  岡田健一郎(高知大学准教授) 岡田信弘(北海道大学特任教授)  緒方章宏(日本体育大学名誉教授)  岡本篤尚(神戸学院大学法学部教授)  岡本寛(島根県立大学講師)  奥田喜道(跡見学園女子大学助教)  小栗実(鹿児島大学法科大学院教員)  押久保倫夫(東海大学)  片山等(国士舘大学法学部教授) 加藤一彦(東京経済大学教授)  金井光生(福島大学行政政策学類准教授)  金子勝(立正大学名誉教授)  柏﨑敏義(東京理科大学教授) 彼谷環(富山国際大学) 河合正雄(弘前大学講師)  川内劦(広島修道大学教授)  川岸令和(早稲田大学)  川崎和代(大阪夕陽丘学園短期大学教授)  川畑博昭(愛知県立大学准教授)  菊地洋(岩手大学准教授)  北川善英(横浜国立大学名誉教授)  木下智史(関西大学教授)  清田雄治(愛知教育大学教育学部地域社会システム講座教授)  久保田穣(東京農工大学名誉教授)  倉田原志(立命館大教授) 倉田玲(立命館大学法学部教授)  倉持孝司(南山大学教授)  小竹聡(拓殖大学教授) 後藤光男(早稲田大学) 木幡洋子(愛知県立大学名誉教授)  小林直樹(姫路獨協大学法学部) 小林直三(高知県立大学文化学部教授)  小原清信(久留米大学)  近藤敦(名城大学)  今野健一(山形大学)  齋藤和夫(明星大学)  斉藤一久(東京学芸大学) 齊藤芳浩(西南学院大学教授) 榊原秀訓(南山大学教授) 阪口正二郎(一橋大学大学院法学研究科教授) 佐々木弘通(東北大学) 笹沼弘志(静岡大学教授)  佐藤修一郞(東洋大学)佐藤信行(中央大学)  佐藤潤一(大阪産業大学教養部教授)  澤野義一(大阪経済法科大学教授) 志田陽子(武蔵野美術大学造形学部教授)  實原隆志(長崎県立大学准教授)  嶋崎健太郎(青山学院大学教授)  神陽子(九州国際大学)  菅原真(南山大学法学部)  杉原泰雄(一橋大学名誉教授) 鈴木眞澄(龍谷大学教授) 鈴田渉(憲法学者) 妹尾克敏(松山大学法学部教授) 芹沢斉(憲法研究者) 高佐智美(青山学院大学) 高作正博(関西大学法学部)  高橋利安(広島修道大学教授) 高橋洋(愛知学院大学教授)  高橋雅人(拓殖大学准教授) 高良沙哉(沖縄大学人文学部准教授)  瀧澤信彦(北九州市立大学名誉教授)  竹内俊子(広島修道大学教授) 武川眞固(南山大学)  武永淳(滋賀大学准教授) 竹森正孝(岐阜大学名誉教授)  田島泰彦(上智大学教授)  多田一路(立命館大学教授) 建石真公子(法政大学教授) 館田晶子(北海学園大学法学部)  玉蟲由樹(日本大学教授)  田村理(専修大学法学部教授) 千國亮介(岩手県立大学講師) 長利一(東邦大学教授) 塚田哲之(神戸学院大学教授)  寺川史朗(龍谷大学教授)  徳永達哉(熊本大学大学院法曹養成研究所准教授) 内藤光博(専修大学教授)  仲哲生(愛知学院大学法学部)  長岡徹(関西学院大学法学部教授)  中川律(埼玉大学教育学部准教授) 中里見博(徳島大学准教授)  中島茂樹(立命館大学教授)  中島徹(早稲田大学)  中島宏(山形大学准教授) 中谷実(南山大学名誉教授) 永井憲一(法政大学名誉教授) 永田秀樹(関西学院大学教授) 中富公一(岡山大学教授) 中村安菜(日本女子体育大学)  中村英樹(北九州市立大学法学部法律学科准教授)  成澤孝人(信州大学教授)  成嶋隆(獨協大学) 西土彰一郞(成城大学教授)  西嶋法友(久留米大学) 丹羽徹(龍谷大学教授)  二瓶由美子(聖母学園大学教授) 糠塚康江(東北大学)  根本猛(静岡大学教授)  根森健(埼玉大学名誉教授)  畑尻剛(中央大学法学部教授)  濵口晶子(龍谷大学法学部)  樋口陽一(憲法学者)  廣田全男(横浜市立大学教授)  福岡英明(國學院大学教授) 福嶋敏明(神戸学院大学法学部准教授)  藤井正希(群馬大学社会情報学部准教授)  藤井康博(大東文化大学准教授) 藤田達朗(島根大学) 藤野美都子(福島県立医科大学教員) 船木正文(大東文化大学教員)  古川純(専修大学名誉教授)  前田聡(流通経済大学法学部准教授)  前原清隆(日本福祉大学教授)  牧本公明(松山大学法学部准教授)  又坂常人(信州大学特任教授) 松井幸夫(関西学院大学教授) 松田浩(成城大学教授)  松原幸恵(山口大学准教授)  宮井清暢(富山大学) 宮地基(明治学院大学法学部教授)  宮本栄三(宇都宮大学名誉教授) 村上博(広島修道大学教授) 村田尚紀 (関西大学教授)  毛利透 (京都大学教授)  元山健(龍谷大学名誉教授) 守谷賢輔(福岡大学法学部准教授)  諸根貞夫(龍谷大学教授)  門田孝(広島大学大学院法務研究科) 柳井健一(関西学院大学法学部教授)  山崎栄一(関西大学社会安全学部教授)  山崎英寿(都留文科大学)  山田健吾(広島修道大学法務研究科教授)  結城洋一郎(小樽商科大学名誉教授) 横尾日出雄(中京大学)  横田力(都留文科大学)  横田守弘(西南学院大学教授) 横藤田誠(広島大学教授)  吉川和宏(東海大学)  吉田栄司(関西大学法学部教授)  吉田仁美(関東学院大学法学部教授)  吉田稔(姫路獨協大学法学部特別教授) 若尾典子 佛教大学教授)  脇田吉隆(神戸学院大学総合リハビリテーション学部准教授)  渡邊弘(活水女子大学文学部准教授)  渡辺洋(神戸学院大学教授)
  以上197名 (2015年6月29日15時現在) 

1314/安保法案「違憲」論は憲法学者の「学問」か-2。

 一 今次の平和安保法案は<集団的自衛権の行使>を容認する憲法解釈に立つものだとされる。
 その場合に前提とされる<集団的自衛権>とは何か。そこでいかなるものが想定されているのか。
 産経新聞6/10の「正論」欄の中西輝政「安保法案は日本存立の切り札だ」は「護憲派」長谷部恭男にも言及のあるタイミングのよい論考だが、そこには1960年「3月に当時の岸信介首相が…答弁しているように」、「一切の集団的自衛権を(憲法上)持たないというのは言い過ぎ」で、「現憲法の枠内での限定的な集団的自衛権の成立する余地」を(日本政府は)認めてきた、という一文がある。
 この岸首相答弁を私は確認することができなかった。但し、1960年3月に当時の林修三内閣法制局長官は、憲法と<集団的自衛権>について、以下のことを述べている。すなわち、①「…外国が武力攻撃を受けた場合に、それを守るために、たとえば外国へまで行ってそれを防衛する」こと、これが「集団的自衛権の内容として特に強く理解されている」が、これは憲法は認めていない。②「現在の安保条約」で「米国に対して施設区域を提供…」、あるいは米国が他国から侵略された場合の「経済的な援助」、こういうことを「集団的自衛権」という言葉で理解すれば、これを憲法が「否定しておるとは考えません」。いずれも、1960.03.31参議院予算委員会答弁。
 また、3月ではなく4月の20日に、岸首相は衆議院安保委員会で、上の①と②と同旨のことを述べている。
 ①「自分の締約国…友好国であるという国が侵略された場合に、そこに出かけていって、そこを防衛する」、これは憲法は認めていない。②「ただ、集団的自衛権というようなことが、そういうことだけに限るのか」。「基地を貸すとか、あるいは経済的な援助をするとか」、それらを内容とするものは、「日本の憲法の上から」いってできる、「それを集団的自衛権という言葉で説明するならばしてもよい」。
 但し、今次に問題になっている<集団的自衛権(の行使)>とは、1960年の時点で政府(岸信介首相ら)が憲法も容認しているとも語っていた基地提供や経済的援助の類を含むものではなく、やはり何らかの<実力の行使>を意味すると考えられる。
 二 近時の国会等での議論では必ずしも表立っては言及されていないように見えるが、<政府解釈>は、以下のような意味での<集団的自衛権(の行使)>は憲法上容認されていないとしてきており、かつそのような解釈は今次の安保法案、およびそれの前提の重要な一つになっている「集団的自衛権行使容認」解釈によっても変更されていない、と解される。否定されていることに変わらない<集団的自衛権(の行使)>とは、次のようなものだ。そして、昨年の閣議決定により<政府解釈>を変更して、容認することとなったそれは、以下のものに<限定>を加えたもので、同一ではない、と解される。
 1.「国際法上、国家は、集団的自衛権、すなわち、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利を有しているものとされている」。しかし、「集団的自衛権を行使することは、…憲法上許されない」(1981.05.29政府答弁)。
 2.「集団的自衛権とは、国際法上、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止することが正当化される権利と解されて」いる。「これは、我が国に対する武力攻撃」への対処ではなく「他国に加えられた武力攻撃を実力でもって阻止することを内容とする」ので、「その行使は憲法上許されないと解してきた」(2004.06.18政府答弁書)。
 自国に対する(直接の)武力攻撃に対処するのが「個別的自衛権」の行使、密接な関係にある外国に対する武力攻撃に対処するのが「集団的自衛権」の行使、と相当に単純にまたは簡単に理解されてきた、と見られる。
 このような理解を前提として、いわゆる<新三要件>にもいっさい論及することなく、<集団的自衛権行使容認>に対する反対声明を出したのが、何と、日弁連会長・村越進だった。
 三 また、今回、政府が「論理的整合性」があるとし、<政府解釈>変更に際して前提にしている1972.10.14の参議院決算委員会提出文書のうち、行使が否定されるとする<集団的自衛権>について語っている部分は、以下のとおりだ。
 ①憲法九条は一定の場合に「自衛の措置」をとること禁じてはいない。②「しかしながら、…無制限に認めているとは解されない」。「あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認される」のだから、「その措置は、右の事態を排除するためにとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」。③そうだとすれば、「わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られる」。④「したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」。
 結論的に言って、2014.07.01閣議決定による<政府解釈>の変更は、上の①・②・③の「基本的な論理」は維持していると見られる。この閣議決定が、(①はもう省略するが)上の②・③についての次の部分は「従来から政府が一貫して表明してきた見解の根幹、いわば基本的な論理」であると、述べているとおりだ。すなわち、「この自衛の措置は、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るためのやむを得ない措置として初めて容認されるものであり、そのための必要最小限度の『武力の行使』は許容される」。
 だが、閣議決定および今次の法案は、上の④の具体的な適用または結論を<限定または修正>したものと解される。どのように「変更」したのか。2014.07.01閣議決定文書は、次のように述べている。
 「これまで政府は、…『武力の行使』が許容されるのは、我が国に対する武力攻撃が発生した場合に限られると考えてきた。しかし、…わが国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。…。こうした問題意識の下に、現在の安全保障環境に照らして慎重に検討した結果、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」。
 つまり、1.「我が国に対する武力攻撃が発生した場合」に<自衛>権行使を限っていたのを、この場合に限らず、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」にも認める、というわけだ。かつ、2.その場合でも実際の行使は「我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないとき」に限るとされ、3.その態様は「必要最小限度の実力」だとされた。この2.3.は従来の解釈で語られてきたのとほとんど同旨であるので、重要なのは1.ということになる。
 四 上に二で言及したような意味での<集団的自衛権>の行使が容認されたわけではないことは明らかだ、と考えられる。<外国に対する武力攻撃>の発生という要件だけではなく、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」という要件(新三要件の第一)もまた加えられている。その意味で、国際法上のまたは国連憲章が想定する<集団的自衛権>そのものの行使ではないことに注意しなければならない。
 五 長谷部恭男は憲法審査会で、今次の法案(<解釈変更>)は(従来の政府解釈と)「論理的整合性を欠く」と発言したらしい。
 結論が同じではないのだから、まったく「整合性」がとれているわけではないことは当たり前のことだ。この批判は、要するに、<解釈変更は許されない>、<解釈変更自体が違憲だ>と主張していることに究極的にはなるのかもしれない。しかし、そのような批判は成り立たない。
 また、政府側は「自衛措置」をとることの合憲性・違憲性について最も詳しく語っていると見られる1972年の答弁文書をふまえて、そこでの「自衛」権の行使に関する基本的な考え方・論理を維持しようとしている、とは言えるだろう。この点について、安倍内閣を、あるいは自民党中心政府を、批判したい者たち、あるいはアメリカとともに安倍内閣・自民党中心政権を「敵」と見なしている者たちは、何とでも言うだろう。疑うつもりならば、批判したいならば、最初からそういう立場に立てば、何とでも言える。
 もっとも、長谷部恭男は、前回に触れた読売オンライン上の論考では、「論理的整合性」の問題には明示的には触れていない。むしろ、1972年政府答弁文書等々による<集団的自衛権行使否認>解釈を変更すること自体への嫌悪、あるいは安倍内閣に対する不信・悪罵の感情の表明が目立つようだ。さらに続ける。
 

1312/資料・史料/2015.06.09<安保法案と憲法>政府見解(2)。

 他国の武力の行使との一体化の回避について
                         平成27年6月9日
                         内 閣 官 房
                         内 閣 法 制 局
 1 いわゆる「他国の武力の行使との一体化」の考え方は、我が国が行う他国の軍隊に対する補給、輸送等、それ自体は直接武力の行使を行う活動ではないが、他の者の行う武力の行使への関与の密接性等から、我が国も武力の行使をしたとの法的評価を受ける場合があり得るというものであり、そのような武力の行使と評価される活動を我が国が行うことは、憲法第9条により許されないという考え方であるが、これは、いわば憲法上の判断に関する当然の事理を述べたものである。
  2 我が国の活動が、他国の武力の行使と一体化するかの判断については、従来から、①戦闘活動が行われている、又は行われるようとしている地点と当該行動がなされる場所との地理的関係、②当該行動等の具体的内容、③他国の武力の行使の任に当たる者との関係の密接性、④協力しようとする相手の活動の現況等の諸般の事情を総合的に勘案して、個々的に判断するとしている。
 3 今般の法整備は、従来の「非戦闘地域」や「後方地域」といった枠組みを見直し、
  (1) 我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない。
  (2) 仮に、状況変化により、我が国が支援活動を実施している場所が「現に戦闘行為を行っている現場」となる場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する。
 という、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」(平成26年7月1日閣議決定)で示された考え方に立ったものであるが、これまでの「一体化」についての考え方自体を変えるものではなく、これによって、これまでと同様に、「一体化」の回避という憲法上の要請は満たすものと考えている。
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1305/長谷部恭男は九条改正反対論者、「人選ミス」では済まない。

 「人選ミス」では済まないだろう。
 6/04の衆院憲法審査会で、与党等(自民党・公明党・次世代の党)の推薦で参考人となった長谷部恭男は、安保法制整備法案について、「憲法違反」だと言い切った。
 産経新聞社のネット情報によると長谷部を選んだのはまずは衆院法制局のようだが、もちろん自民党等の委員、船田元や北側一雄(公明党)らが了解しないと参考人になれるはずがない。
 長谷部恭男はひっょとして、依頼を受けて驚くとともにほくそ笑んだのではなかろうか。
 長谷部は特定秘密保護法案には反対を明言しなかったようだが、憲法九条の改正については、<志は低い>とはいえ、明確な<護憲>つまり改憲反対論者だ。このことは、この欄でも紹介してきた。
 また、2005年の<NHKに対する安倍晋三ら政治家による圧力>という朝日新聞の記事が問題視されたあとの第三者的検証委員会のメンバーとして朝日新聞には<優しい>報告書作成に関与し、今年2015年4月にはNHK「クローズアップ現代」の<やらせ>問題でも調査委員会の一員となってNHKには<優しい>報告書をまとめた。もともとは、民主党が推薦したらしい小林節の方が<より保守的>であり、長谷部は小林節よりも<左>の人物なのだ(東京大学→早稲田大法という履歴でもすでにある程度は分かってしまう)。
 このような人物が、今次の安保法案は合憲ですと発言してくれると思っていたのだろうか。信じ難い。
 長谷部恭男は昨2014年夏の、日本共産党系「左翼」憲法学者たちの集団的自衛権行使容認閣議決定に対する反対声明に参加してはいない。純粋な日本共産党的な(教条的な?)「左翼」ではない。だが、そのような「左翼」学者もまた多いのであって、この声明に加わっていないことが集団的自衛権行使容認解釈は合憲と理解していることの保障には全くならないことは自明のことだろう。木村草太(首都大学)もまた、非共産党系「左翼」憲法学者のようだ。
 船田元は「ちょっと予想を超えた」と言ったらしいが、マヌケにもほどがある。憲法学者の中にまともな人物が少ないのは残念なことだが、それでも、自民党内で憲法改正を扱う中心的な人物の一人であるならば、憲法学界の状況、どういう学者・大学関係者が憲法改正、とくに九条2項改正に明確に賛成しているのかぐらい、きちんと把握しておくべきだろう。
 維新の党が安保法制についてどういう立場なのかは知らないし、同党の人選結果についての反応も知らない。だが、同党が推薦したらしい笹田栄司(現早稲田大)についても、長谷部恭男についてとほぼ同様なことが言えそうだ。
 どうやら、国会議員の方が、現実の憲法学界の動向・雰囲気を知らないという<浮き世離れ>した世界に生きているようだ。それはひょっとすれば、<保守>派・<改憲>派の人々にもあてはまるのではないか。

1296/月刊WiLL7月号(ワック)-読書メモ。田村重信、中西輝政ら。

 月刊WiLL7月号(ワック)を入手して、読んだもの。
 2013年、2014年と、かつてと比べれば投稿が大きく減ったが、かつてと同様に読書録・備忘録としても、この欄を利用していく。但し、ターゲット、対象、素材、要するにテーマをもう少し絞る方向で考えた方がよいかもしれない。さて…。
 ・田村重信「『安保法制』一問一答35」。全部、読了。時宜を得ている。体系的に現下の諸問題の位置づけが分かるようではないのが、残念といえば、残念。
 ・特集<戦後70年、私はこう考える>のうち、中西輝政「安倍演説で『歴史問題』は終わった」、稲田朋美「あの戦争を総括し歴史を取り戻せ」、平川祐弘「『マルクスが間違うはずはありません』」。
 安倍晋三グループ(?)の稲田朋美が-日本共産党・不破が言うような-単純な「戦争礼賛」派ではないことは、すべきことは「東京裁判の歴史認識をそのまま受け入れて思考停止するのではなく、自分たちの手で客観的事実に基づく不戦条約以降敗戦に至るまでの日本の歩みを総括し、歴史を取り戻す」ことと最後に述べている(p.63)ことでも分かる。もっとも、どう総括するかは、<保守>派において一致がないと見られるのだが…。
 平川の文章のタイトルになっているのは、東京大学学生だった19歳の不破哲三の言葉。
 中西輝政も触れている安倍米国議会演説について、金美麗、田久保忠衛の二つの論考があるが、読んでいない。おそらく少しは異なる内容で、私の理解の仕方をこの欄にいずれ書く。
 ・筆者インタビュー/池田信夫「戦後リベラルの終焉」。池田信夫は<保守派>とされていないと思うが、なかなか鋭く面白いことを発言する論客だと感じてきた。それに、いわゆる<保守派>ではないとしても、決して<容共>・親コミュニズムの人物でもない。
 このPHP新書はしかし、購入済みのままで未読だ。他にも、櫻井よしこ=花田紀凱・「正義」の嘘(産経)など、所持したまま未読のものは多い。<西尾幹二・再発見>も、試みてみたいし。池田著を読みおえてから、何かコメントしよう。/以上。
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