秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

天照大御神

0851/小林よしのりの皇位継承論(女系天皇容認論)-サピオ4/14・21号。

 小林よしのり・昭和天皇論(幻冬舎、2010)は読み了えているし、小林よしのりのサピオ(小学館)と月刊WiLL(ワック)上の天皇・皇室関係の連載もすべて読んできている。
 そのつど何らかの知識も追加的に得ており、何らかの感想も持ってきている。
 皇位継承問題が-雅子皇太子妃の個人的問題などよりはるかに-重要であることは言うまでもない。但し、小林よしのりの議論・主張に全面的に反対はしないが、無条件に支持することもできない。
 結論・内容自体についてもそうだが、論旨・論理過程にいささか無理なところもあると感じるし、内在矛盾がある点もあると感じる。
 さかのぼることは面倒なので(ヒマがあればいつか書いてもよいが)、最も新しい、サピオ4/14・21号(小学館)の2本の「天皇論・追撃篇」を取り上げてみる。
 小林よしのりは女系天皇容認論者で、男系限定論者、小堀桂一郎・櫻井よしこ・渡部昇一らを批判する。それはそれでもよいとして、その理由づけには疑問も残る。
 小林よしのりは今上天皇および皇太子・秋篠宮両殿下の意向は<女系天皇容認>だとし、それを「忖度」せよ、と主張している。
 基礎的データを小林が使っているものに限るが(いろいろと調べ、確認するのにも時間が要るし、そのヒマがない)、第一に、天皇陛下が「将来の皇室の在り方については、皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要」と述べられたその意味は、「将来の皇室の在り方」は皇太子・秋篠宮殿下の「考え」そのままに決定してほしい、という趣旨かどうかは疑問が残る。日本国憲法を遵守する旨を仰ったこともある天皇陛下が、皇室典範が法律として国会が定めることに現憲法ではなっていることを御存じないはずはなく、現実にも「国会の議論にゆだねるべきであると思いますが…」と前置きされている(p.61)。
 皇太子・秋篠宮殿下の「考え」そのままに決定してほしいとかりに望まれているとしても法制上はそれが絶対的に可能だとは思われていないと推察されるのであり、上のご発言の基本的な趣旨は、国会が議論する際には、皇太子・秋篠宮の「考え」も十分に配慮して議論して決定してほしい、ということではないだろうか。
 国会(あるいは加えて政府・審議会)だけで議論すれば足り、皇族の意見などいちいち聴く必要はないと考えている者たちもいるので、その意味では、陛下のご発言は「実に異例」、あるいは画期的だったかもしれない。
 だがそれは、審議(議論)・決定の<過程>に皇族、とくに皇太子・秋篠宮殿下も参画する機会、ご意見を発表する機会が与えられ、かつそれが十分に配慮されるように望む、という趣旨ではないかと思われる。
 上の意味でのご発言に、私はまったく異存はない。皇太子・秋篠宮殿下に限らず、皇族は発言して(意見発表して)も構わない、と考える。その内容について自由に批判する自由も国民には(あるいは政治家・評論家等)あるが、しかしそうした発言をすること自体を<けしからん>・<余計な介入をするな>とは言えないだろう。そのような意味で、天皇陛下のご発言は理解されるべきではないか。
 上の趣旨に沿ったことを秋篠宮殿下も言われているようだが(p.63、「皇太子」とご自分・「秋篠宮」殿下にとりあえず限定されているようだ)、第二に、皇太子殿下や秋篠宮殿下のお考えが「女系天皇」の容認(p.65)、あるいは「将来の皇族は…皇太子と秋篠宮、そしてその子供が新設する宮家に限定すべき」というもの=かつての皇族の皇族復帰の否定(p.63)であるかどうかは、なおも断定できないし、断定してはいけないような気がする。
 小林は「というお考えにしか読めない」(p.63)、「誰にでも『お察し』できよう」(p.65)と言うが、それは自らの女系天皇容認論に都合のよいように推測(忖度)している可能性を、なおも論理的には否定できないのではないか? かりに「せっかく」の「サイン」だとしても(p.65)、あくまで推測であり、「忖度」の結果であることは明瞭に意識しておく必要があるように思われる。
 第三に、小林よしのりは女系天皇容認の論拠の一つとして皇祖・天照大御神が女性だったことを挙げ、「ならば日本の天皇は女系だったと考えることもできる!」と言っているようだが(p.66)、これはさすがに無理だ。
 天照大御神が女性だったとしても(これは間違いないだろう。「卑弥呼」も女性だ)、その後の天皇位の継承が<男系>主義でなされたことは歴史的事実だろう。女性天皇は存在したが例外的で、<女系天皇容認>の歴史的根拠を探すならば、皇子がいたのに皇女が皇位を継承した例、あるいは最初に生まれた子供が女性(皇女)だったが最長子を優先して天皇となった、というような例、というのを見出さなければならないように思われる。あらためて勉強する気持ちは今はないが、そのような例は皆無だったのではないか。
 まだ「天皇」位というものが意識されていない時代の、そしてまた後世(飛鳥時代・奈良時代)になっても「天皇」とはされなかった天照大御神が女性だったことを援用するのは、いかにも苦しい。
 「日本の天皇は女系だったと考えることもできる」と小林は言うが、その場合の「女系」という語は一般に理解された「女系」ではなく、拡張された、あるいはズラされた「女系」概念で、今日の議論にそのまま当てはまるものではないだろう。
 第四に、上の点をもち出したうえで、小林は男系限定論者は天照大御神が登場する「神話」を無視、否定しようとしていると批判しているが(p.66、p.73)、そこで登場させている小堀や新田均の主張を正確には知らないものの、これも無理筋、<いいがかり>にすぎないような気がする。
 小堀、新田均のこの問題に関する主張を支持している、と言いたいわけではない。彼ら「男系主義者」は天照大神を「排除」するために「神話」を「切り離し」、「何が何でも『神武天皇から』にしたいのだ、という論難は当たっていないような気がする、と言いたいだけだ。彼らとて、神話を完全に「否定」・「排除」する気などはないだろう。
 したがって、「神話を否定することは、天皇を否定することだ」、<男系主義者>は「どこまでカルト化」するのか、彼らは「うるさい少数者」で「左翼プロ市民と変わらない」、「神話と歴史を切り離し、天皇を単なるホモ・サピエンスの子孫としか」見ない、などと批判するのは(p.74)、感情的な表現で、それこそ「左翼プロ市民」の言い方にも似ている悪罵・罵詈雑言の類のように思える。
 それに、そもそもが、天照大神からか神武天皇からか、という議論の仕方は不毛なのではないか。
 第五に、最後の基本的な問題として、かりに天皇陛下や(重要な)皇族の意向が「忖度」できたとして、日本国民はそれを絶対的に支持しなければならないのか、という問題があるだろう。
 こんなことを書くと、小林よしのりから<不忠>・<左翼>と罵られるのかもしれないが、しかし、皇位継承の仕方は、歴史的に見ても、各時期の天皇や皇族の意向どおりになった、とは必ずしもいえないように思われる。この点もあらためて勉強しないで書くが、ときどきの政治的・世俗的権力者の意向も反映して定められたことはあったのではないか。
 そのような事例こそ異例であり、純粋に天皇・皇族の意向どおりに皇位の継承(とその仕方)は決定されるべきだ、という主張は成り立つだろう。しかし、かりに異例であっても事実としては、天皇・皇族の意向どおりには皇位継承されなかったこともあった。あるいはそもそも天皇・皇族の間で(皇室の内部で)皇位継承につき争いのあったこともあったのだ。
 天皇陛下や皇太子殿下等の皇族のご意向・ご意見も十分に考慮して審議・決定はなされるべきだろう。だが、かりに万が一正確に拝察できたとしても、「忖度」されたその内容に国民(・国会)はそのまま従うべきなのか、という問題はなおも残っている、と私は考えている。重く受け止めるべき、という程度のことは言えるだろう。しかし、「そのまま」拘束されるべき、とまで言えるのか…。
 以上は思考方法、論理の立て方の問題にかかわる。皇位継承の仕方の中身の問題については別途書くつもりだ。

0577/憲法学者・樋口陽一のデマ5-神道は多神の「自然信仰」。

 憲法研究者の多くは、日本国憲法上の政教分離原則に関して、津地鎮祭訴訟最高裁判決が示した<目的効果基準>を説明し、その後の諸判決が事案の差違に応じてどのようにこの一般論を厳格にあるいは緩やかに適用しているかを分析したりするのに忙しいようだが、そもそも政教分離関係訴訟で問題になることの多い-それ自体から訴訟の提起の「政治」性も感じるのだが-<神道>なるものについて、いかほどの知見を有しているのだろうか。
 樋口陽一・個人と国家―今なぜ立憲主義か(集英社新書、2000)には、神道に関する次のような叙述がある(p.147)。
 ①明治政府は天皇・皇室を「社会の基軸」にしたかったが、「後ろ楯になる権威」がなかった。「そこでつくられたのが、国家神道」だ。
 ②「神道といっても、日本の従来の神道というのは多神教で、山の神様があったり、川の神様があったり、お稲荷さんがあったり、つまり自然信仰でしょう」。
 ③神道は「そのままでは皇室を支えるイデオロギーになりそうもない」。それで、「従来の自然信仰の神道」を「国家神道として再編成」した。
 神道に関する知識の多さ・深さについて自慢できるほどのものは全く持っていないが、その私でも、とくに上の②には驚愕した。
 神道=「自然信仰」だって?? このことが上の③の前提になっている。
 たしかに「自然」物を祭神とする神社もある(代表例、奈良県の大神神社)。また、基礎的には<太陽>こそが神道の究極の崇敬・祭祀の対象だったと思えなくもないし(素人談義なので許されたい)、その他の自然(・自然現象)に<神>を感じてきたことも事実だろう。それが日本人の<心性>だ。
 だが、絶対に神道=「自然信仰」と=で結ぶことはできないことは、常識的なことで、日本国民のほとんどが知っていることではないか。
 第一に、神道は皇室の祖先をも皇祖神として<神>と見なしている。記紀の<神代>との言葉ですでに示されているかも知れない。代表的には、現在の天皇・皇室の皇祖とされる天照大御神こそが<信仰>等の対象であり、<八幡さん>で知られる応神天皇も、神功皇后も、現在の天皇・皇室の祖先であり、かつかなり多くの神社の祭神とされている(樋口陽一は、知っている神社の祭神を調べて見ればよいだろう)。
 第二に、現在の天皇・皇室の祖先とされているかは明瞭ではないが、記紀に出てくる多数の<神>を祭神とする神社も少なくない。なお、各神社の祭神は、通常は複数だ。
 第三に、皇室関係者以外の<傑出した>人物が祭神とされ、<信仰>等の対象になっている場合がある。
 天満宮(天神さん)は菅原道真を祀る(怨霊信仰と結びついているとも言われる)。日光東照宮は徳川家康を神として祀る(「東照」という語は「天照」を意識しているとも言われる)。豊臣秀吉を祀る豊国神社もある。
 念のためにいうが、以上は、すでに江戸時代以前に存在したことで、「国家神道」化以降のことではない。
 神道における又は日本語としての「神(カミ)」とは<何か優れたものを持つもの>又は<何か特別なことをすることができるもの>とも理解されているらしい(本居宣長の説だっただろうか。何で読んだかの記憶は不明瞭だが、井沢元彦も何かに書いていた)。
 というわけで、さしあたり<神社神道>に限っても、樋口陽一の、神道は、山も川も神様とする多神教の「自然信仰」だ、という理解は明らかに誤っており、完全な<デマ>だ
 神道の理解がこの程度だと、かつての国家神道についても、現在まで続く天皇制度の由来・歴史についても、<宮中祭祀>(神道による)についても、不十分な、かつ誤った知識を持っている可能性が高い。この程度の前提的知識しかなくて、よくも憲法上の政教分離原則について滔々と?語れるものだ。この点に限られないが、ちょっとした知識・知見で大胆なことを断言する樋口陽一の「心臓」には驚くことが多い。

0562/安本美典・大和朝廷の起源、同・倭王卑弥呼と天照大御神伝承(勉誠出版、2005・2003)全読了。

 一 この数日間で、安本美典・大和朝廷の起源―邪馬台国の東遷と神武東征伝承(勉誠出版、2005)、安本美典・倭王卑弥呼と天照大御神伝承―神話の中に、史実の核がある(勉誠出版、2003)を、この順序で、それぞれ全読了した。
 安本美典の2000年以降の本(№はないが、「推理・邪馬台国と日本神話の謎」との統一タイトルのシリーズ扱いのようだ)は、安本がそれまでに主張してきたことの集大成プラス若干の補足的情報で、1934年生まれの安本としては、同じ形式・スタイル・造本で<ライフ・ワーク>を遺しておきたかったのだと思われる。したがって、その主張に馴染みがある者にはごく簡単に読めるし、もともとこの人の文章は(安本は文章心理学の本も出しているが)短く、読みやすく、主張が明晰だ(それと比べて、丸山真男の文章は何と読み難いのか。大江健三郎も、そしてある程度樋口陽一もそうだが)。但し、価格がやや高いのが難。
 二 上の安本・大和朝廷の起源の一部紹介。
 ・p.244-「平等」を至高の「正義」と考えれば「天皇制こそは、わが国において、平等の実現を阻害してきた最大の要因」になる。「いかに人々が平等をめざして戦ってきたか」という「人民の歴史」観は「第二次大戦後、大きく燃えあがり、マルクス主義などによってささえられ、とくに学界を席巻した」。「人民の歴史」観に立つと、「天皇制の源である大和朝廷も、本来、価値的に否定すべきものとして見ることとなる。そして、古代において大和朝廷が果たした一定の積極的役割を、評価しにくくなる」。
 ・p.247-「今日、古代においては、天皇家も、他の氏族と同じていどの権力しかもっていなかったとする議論がさかんである。しかし、私は、そのような議論は、古代における天皇の権威を、実質以上に低くみようとする一定の意図にもとづくものであると思う。/天皇家の権威は、大和朝廷の成立の当初から、他の氏族に比べ、卓越していたとみられる……」。
 ・各天皇の活躍期等/(卑弥呼=天照大御神230年頃)-神武天皇280年~290年頃-北九州から大和への「東遷」3世紀末-崇神天皇360年頃。
 ・時期の理解・主張に違いはあるが、<神武東遷>又は<邪馬台国東遷>を史実とするものに、和辻哲郎、市村其三郎、森浩一、井上光貞らがいる(安本美典が初めて主張といった珍説?では全くない)。
 三 上の安本・倭王卑弥呼と天照大御神伝承の一部紹介。
 ・247年と248年に続けて皆既日食が起きた(前年のものは大和・飛鳥の上では「皆既」にならない)。この史実(天文学的事実)の反映が<天の岩屋>(天照大御神の「隠れ」)伝承で、これは天照大御神=卑弥呼の<死>を意味するだろう(なお、卑弥呼が中国に使いを遣ったのは中国文献によると239年)。
 ・伝承では天照大御神が天の岩屋から再び地上に出てくるが、前後の天照大御神の活動の仕方には違いがある(後では補佐がつき単独では行動しない)など、再登場後の天照大御神は、中国文献で卑弥呼の「宗女」とされる<台与(豊)>のことだろう。
 ・第一代神武から第一六代仁徳まで皇位は父から子に継承されているが、これは信じられない。弟や甥への継承もあった筈。だが、第一代神武は勿論、非実在説の有力な第二代綏靖~第九代開化も(第十代が崇神)、生没年・在位年数等は別として、存在自体は否定できないだろう。
 ・直木孝次郎は(井上光貞も)、第二代綏靖~第九代開化には「事跡記事」(「旧辞」的部分)が全くないことをもって非実在の根拠とする。しかし、仁賢(24代)・武烈(25代)・安閑(27代)・宣化(28代)・欽明(29代)・敏達(30代)という存在が「ほぼ確実な」天皇にも「旧辞」的部分はなく、用明(31代)・崇峻(32代)・推古(33代)という存在が「確実な」天皇にも「旧辞」的部分はない。
 直木孝次郎は、①神武には事跡記事があっても存在を否定し、②綏靖以下八代は事跡記事を欠くことを理由に存在を否定し、③崇神や仁徳は事跡記事があって存在を肯定し、④用明・崇峻・推古には事跡記事が欠けていても存在を肯定する。こんな根拠は「主観にもとづくもので、およそ、論理や実証にたえるような議論とは思えない」(p.168、典拠は、直木・神話と歴史(吉川弘文館))。
 ・第二代綏靖~第九代開化非実在説の井上光貞(中央公論社の全集の初巻)の第二の根拠は名前(和風諡号を含む)が<後世的>だということにある(三王朝交替説の水野祐に大きく依存)。だが、記紀編纂後の桓武以降の天皇も第二代綏靖~第九代開化に似た又は同じ部分(例、ヤマトネコ)のある諡号をもつ。<後世>の記紀編纂期の天皇の名前を真似たのではなく、逆に、第二代綏靖~第九代開化の名前が<後世>に影響を与えた、と見られる。
 ・神功皇后は実在。活躍時期は400年前後。高句麗・広開土王の碑文は391年に倭が半島に侵入してきたことを示す。神功皇后はこの頃の人物。雄略天皇の活躍時期は470年頃。
 ・天皇等の代数と在位年数(10年程度で古代になればなるほど短くなる)が不自然にならない、というのが、コロンブスの卵的な安本美典説の立脚点。p.217、p.280のグラフは卑弥呼=天照大御神説にきわめて説得的。卑弥呼は神功皇后(日本書記の考え方)でも倭姫でも倭迹迹日百襲姫(箸墓被埋葬者とされる)でもない。
 四 以上の紹介はごく一部。安本美典説すべてを支持はしていないが、相当に説得的かつ刺激的だ。
 日本を<天皇を中心とする神の国>だと完全に又は多分に又は一部にせよ考えている日本国民は、日本古代史についてもっと知っておくべきと思うのだが、はたして<保守>派とされる論客たちにはどの程度の知識・見識とどの程度の一致があるのだろう。かなり心許ないのではないか、という気もする。

ギャラリー
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
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  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
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  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
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  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
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  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
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  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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  • 1721/L・コワコフスキの「『左翼』の君へ」等。
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