秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

大量殺戮

0048/浅羽通明・右翼と左翼(幻冬舎新書、2007)を読む-好著。

 浅羽通明・右翼と左翼(幻冬舎新書)を昨年末に読んだ。この本は幻冬舎新書の001番。幻冬舎新書は、某朝日新書よりデザイン、ラインナップともに良いのでないか。
 著者はどういう立場の人なのかにも関心は向くが、浅羽氏は左右から「努めて等距離」で執筆し自らは「右翼であり左翼」、「右翼でも左翼でも」ないと書くが(p.252)、どちらかというと「左」に、「左翼」に批判的な印象だ。
 レッテル貼りは本意ではないが、1.「教育一般も「左翼」のアキレス腱」、「各人に価値を委ねる」なら「未成年者はどうなるの」か、「あくまで「自由」を尊重し強制を排するのなら、「公教育」否定しかない」、2.「かつてマルクス主義的な家永教科書を不合格とした教科書検定」の「「全廃」を叫んだ「左翼」勢力」が「「新しい教科書」を潰すために同じ教科書検定を頼みとした奇観…」(以上、p.236)、3.なぜ「右傾化」・「保守化」というと「かつてはまだ建前としてであれ権威を持った「左」「革新的」「進歩的」な言論が、まるで力を喪失してしまった。ゆえに、相対的に、「右」「保守的」な本音ばかりが前面に顕れて見えてしまう」から(p.207-8)だ、などと書いており、それぞれ納得がゆく(日本共産党、朝日新聞社等の「左翼」の力を私はまだ軽侮していないが)。
 さて、とりあえず言えば、第一に、「哲学的新左翼」論者として高橋哲哉斉藤貴男森達也武田徹といった「新しい左翼ジャーナリスト」の名が記されているのは、情報として十分に参考になる。
 次が本論だが、第二に、浅羽氏は「左右」を分ける4-5点の軸を示して説明している。
 すなわち、私の理解も交えていえば、1.政治的統制の強弱(弱が左)、2.経済的統制の強弱(強が左)、3.文化的社会的統制の強弱(弱が左)の3つの軸に、4.(日中同盟)・中立・日米同盟という外交(左側が左)と、5.軍事的自立・非武装・外国軍駐留という軍事軸(左右入り乱れる)を加えて総合的に左・右は判断されるべきだ、とする。かつ、いずれにも中間又はグラデーション(又は外国軍駐留とある程度の軍事的自立の結合という組合せ)があるので左・右の区別は相対的・複雑なものにならざるを得ないともいう。先日論及した掛谷英紀氏のリベラル-保守の差異の説明に比べるとかなり多元的・立体的で、参考にすべきだろう。
 また、第三に、浅羽のこの本は学校で習ったのか習っていないのか不明瞭なままに色々なことを思い出させ又は新しく教えてくれる。フランス革命期にロベスピエールらのモンターニュ(山岳)派のさらに「左」にバブーフらの共産主義派が、イギリス革命期の「水平派という民主主義派」のさらに「左」にウィンスタンリらの共産主義派がいた(p.68、p.70)。マルクスはこれらは時期尚早で多数派にならなかったが19世紀後半には「労働者階級」の多数派化により勝利=社会主義「革命」可能と考えた(p.91)。こうして、クルトワ、長谷川三千子、西尾幹二も言及していた、<ロシア革命はフランス革命の鬼子>的理解はこの本でも述べられている。「民主主義」・「平等」の理念が急進化して共産主義となり、1億人の自国民の生命を奪うに至った…のだ。
 第四に、気になる部分はある。すなわち、「新左翼」を何ら肯定的に評価していないのは肯定的に評価したいが、「幸せな学生生活を満喫している後ろめたさ」からの「革命の側に与して道徳的正当性を獲得したかった」との動機に基づくものと一般的に理解するのは(p.196)甘すぎる、と感じる。
 「新左翼」の中の「全共闘」運動参加者にはそういう者もいただろうが、今も存在する中核派等々の活動家は自らを(日本共産党以上に?)共産主義者と考えているのではないか。また、「左翼のサヨク」化につき「メインカルチャーだったマルクス主義、社会主義、共産主義が、好みで近づく奴は一定程度いるけどねといわれるだけの趣味、つまりサブカルチャーとなり終わった」と述べるのは、これが事実ならばよいが、日本共産党の党費納入者26万人・選挙獲得票500万や社民党と一部の民主党を考えると、これまた甘く見過ぎだろう。
 この本の意義を貶める意図はないが、この人は、私より約10歳若く「70年安保」の体験もないためか、共産主義と共産党員の<恐ろしさ>・<イヤラシさ>を実感したことがないのではなかろうか。
 東アジアではまだ「冷戦」は終わっておらず、日本国内でも共産主義(・社会主義)勢力と反共産主義勢力(後者をどう一括表現すればよいか悩ましいが)の闘いは、前者が70年代頃よりも相対的に弱くなったとしても、まだ続いている、と見る必要があるだろう。
 なお、細かなことだが、最後に、p.170に「日本共産党の党員は…公職を追放され(レッド・パージ)」とあり、「公職追放」への言及はここにしかない。だが、「公職追放」とは通常は又は第一には1946年の戦争推進者又は戦争協力者(「右」)の公職追放(鳩山一郎・緒方竹虎等々。51年に解除)を指し、1950年の「左」対象のそれは通常は「レッドパージ」としか呼ばず、かりに公職追放と言うとしても前者と明瞭に区別しておく必要があるように思われる。

0008/マルクス主義・社会主義国は何故簡単に大量殺戮するのか。

 20世紀は二つの大戦を経験して「戦争の世紀」とも言われる。しかし、第一次・第二次を合わせた大戦による死亡者(戦闘員・一般国民ともに含む)よりも多数の死亡者を出したものがある。共産主義であり、「社会主義国家」だ。中川八洋・正統の哲学…(徳間、1996)p.284は、根拠資料を示すことなく「総計で約二億人の殺害」と記す。その中にはカンボジアでのポル・ボトによる自国民の殺戮も当然含まれ、中川著p.237は「スターリンだけでも四千万~七千万の大量殺戮」とも書く。
 とすると、二〇世紀は「戦争の世紀」よりも、社会主義による殺戮の世紀と言った方がより適切ではなかろうか。ロシア革命により「社会主義国」が生れ、社会主義国の国家権力によって少なくとも1億人の国民が殺戮され(処刑・暗殺の他、収容所送り又は政策失敗が原因の飢餓によるものも含む)、社会主義国の大部分が1990年以降に崩壊した、というのが、20世紀の歴史の最も重要な流れ・基本線と見るべきではないか。従って、研究対象としては、ドイツ・ファシズムや日本軍国主義よりも共産主義と社会主義家こそが重要だ。
 なぜ共産主義が生れ、一時期は成功し、ほとんどの国で失敗に終わったのか、また何よりも、なぜに社会主義国において自国の政府によって少なくとも1億人の人々が殺戮されなければならなかったのか。
 スターリン、毛沢東、ポル・ポト等々の「人柄」・「性格」によるのではないことは間違いない。そして、依拠した思想、すなわちマルクス(・レーニン)主義が原因であることは明確だ。だが、なぜマルクス主義はかくも人命を軽視する(した)のか、というのはなかなか難しい問題だ。「全体主義」だから(この概念も使い方がかなり難しい)、国家・公共を個人よりも優先するから、というだけでは解り難い。中川・上掲書p.280-1は、簡単にコントを使って説明している。彼によると、「コントとヘーゲルを読めば誰でも「マルクス」になる」らしいのだが(p.279)、コントは、人の知性の発展により社会が「進歩」するのは「哲学的な大法則」に従うもので、かつ「社会的進化が主として死(=世代交替)を基礎」とする、と理解した。そして、人類全体の進歩又は社会の進歩には「世代交替を一定のスピードで」行う必要があり、人類全体・社会の進歩が絶対的価値をもつために「個々人の人間的配慮はなく個々人はこの価値実現の単なる手段に堕されている」。かかるコント哲学を継承したがゆえにマルクス主義は「個々人の生命について一顧だにしない、大量殺戮をためらわない非人間性」をもつ、という。
 なおも不分明さは残るが、ルソーの「自由」が「立法者」・「一般意思」への全面的帰依、死(=じつは「自由」の全剥奪)をも躊躇しない自己犠牲、を意味することも思い出すと、「狂気」の思想が少しは解った気になる。
ギャラリー
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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