秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

大月隆寛

0748/大月隆寛「『論壇』は歴史的限定を超えられるか」(月刊正論7月号)と「左翼」・日本共産党。

 月刊正論7月号(産経新聞社)のp.240~、大月隆寛「『論壇』は歴史的限定を超えられるか」
 本当にメモ、引用したいのは以下の第三だが、他にもついでに触れる。
 第一に、月刊・諸君!廃刊にかかわり、実質的には(株)文藝春秋批判がある。以下のごとし。 
 (株)文藝春秋は雑誌「文学界」はなお維持する。赤字は同様で経営的視点からは同じ。「文学」畑の老舗との「意地」があるのだろうが、それは「諸君!」には何故機能しなかったのか。
 月刊WiLL(ワック)の如き編集方針でやってみる可能性もあったはず。それができないのは(株)文藝春秋の「プライド」で、「そこまではしたくない、堕ちたくはないという一線」を感じていた。
 「なりふり構わず『保守』ブランドでまだしぶとく商売」するとの<論壇馬鹿>の「心意気など、良くも悪くも初手から無縁」の会社だった。等々。
 大月の指摘のとおり、(株)文藝春秋はこの程度の会社だったと思われる。同業(同様傾向?)各誌・各社による<内輪褒め>・<楽屋褒め>に通じる月刊・諸君!廃刊への<残念>ぶりは白々しい。
 第二に、とくに「論壇」誌編集者と執筆者の<共同体>幻想への批判。
 ノンフィクション・ライターと雑誌編集者が「仲間」・「同志」という気分が感じられるのは気持ちが悪い。大手出版社の編集者ともの書きは「共闘」相手などではとっくになくなっている。
 「学生運動的な、文化祭チックな」「内輪」気分の「共同体」があるとの「勘違い」、出版・ジャーナリズムはただの商売ではない「文化」的事業との「勘違い」。そんな状況は「内側から確実に腐り始めて」いた。
 さて、第三。月刊・諸君!の廃刊とは無関係に、時代認識・時代表現として、興味深い文章が並んでいる。
 ・「ある時期以降」メディアの「左翼的」「もの言い」は、書き話す当人たちにとって「そういうものだから」というだけで「習い性としてやっている程度のこと」。
 ・「学校とその延長線上に連なる空間で、世渡りの作法としてのサヨク/リベラル系言説」は「必須」だった。「ある時期までは確実に」。
 ・「学校」や「その繋累の場であるマスコミ周辺」ではその「世渡り作法は長い間温存されて」いた。「実利があればこそ温存されていた」。「サヨク/リベラル系言説を身につけておれば、ひとまずいらぬ摩擦や軋轢を回避しながら、…超伝導のようにあらかじめ設定されたチューブの中を滑走」できたのだ。
 ・小中学校のホームルームでの「耳ざわりのいい」「もの言い」や「立ち居振る舞い」こそが、「反日マスコミ」に象徴される「サヨクぶり」・「プロ市民的もの言い」の発生地点。それは「ある意味で『優等生』の身だしなみ」。「学校」と「その延長線上の世界」、例えば「マスコミ、大学などの学者・研究者から学校の教員、そして役所に医者、弁護士…」、何のことはない、「勝ち組」とも称される「職種の多くは」、「学校民主主義の型通りが跋扈するにふさわしいものになっている」。「反日」の「身振り」はかかる「優等生」たちの「身だしなみ」で、戦後日本の「エリートカルチャー」の「あるコアの部分、でもあった」。
 ・「身だしなみ」である限りいちいち考える必要はない。「マナーとしてのサヨク、…『反日』」。「反日マスコミ」の「反省のなさ」、世間の視線についての「自覚の欠如」は、それほどまでに彼らの「反日」が「単なる習い性」で、「深く考えた上で自覚的に選択されたものではとうになくなっていることの、雄弁な証拠にすぎない」。
 ・「サヨク」は、「特に高度成長期の大衆化をくぐっていく過程」で、「ある『自由』の表象」、「『個人』であることを最も手軽にかつ効率的に身にまとうことのできるアイテムと化して」いった。「お手軽なジーンズみたいなものになった」。
 以上。このあと、「保守」は「大衆アイテム」になれなかった。だが、「少数派」だから「正義」だとの倒錯も生じた、との叙述や「田母神現象」の捉え方等への言及もあるが、省略。
 上の引用・紹介部分は、感じていたことを巧く言葉で表現してくれているようだ。
 法曹(弁護士・裁判官等)・行政官僚・大学教授等の多くが戦後教育の「優等生」である、日本国憲法の下での<平和・民主主義>教育によって彼らはほとんど自然に<何となく左翼>になっている、というような旨は、この欄で私もいく度か述べた。
 大月は「身だしなみ」・「マナー」としての「左翼」(・「反日」)という表現を用い、かつ、「世渡りの作法としてのサヨク/リベラル系言説」という表現も使っている。

 「左翼」がかなりの程度において広く「世渡りの作法」になっているという現実は事実として確認しておく必要がある。換言すると、<処世のための左翼>だ。
 だが、それ以上に、あるいは「処世」の中身として、昔風にいうと<立身出世>あるいは<著名人化>するための「左翼」、という者もいることも確認しておく必要があるだろう。
 この場合はたんに「左翼」というよりも、「確信左翼」・「組織左翼」と称してもよく、「左翼」思想ではなく、マルクス主義又は親マルクス主義という語を使った方がより理解しやすくなる。
 そして結局は<処世のため>に、そして<立身出世>・<著名人化>するために、(「綱領」をきちんと理解しているか、「マルクス主義」を本当に<正しい>と言えるかの自信は本当にはないままで)日本共産党に入党するような研究者・文化人等々もいる、ということも広く知られてよいだろう。
 「文化人」ならまだよいかもしれないが、大学に所属する研究者の場合、真の意味における「学問の自由」が彼らにある筈はない。固い枠の中で、真否の判断や発言・執筆内容に<政治的な>考慮を加える「共産党員」研究者は、(米国・英国・ドイツ等に比べると日本には)ウジャウジャと棲息していると思われる。
 少なくとも「深く考えた上で自覚的に選択されたものではとうになくなっている」、「サヨク」・「反日」の<身だしなみ>を持つ者として、NHKの日本デビューの制作者たち(浜崎憲一・島田雄介ら)及び放送総局長・日向英実や会長・福地茂雄挙をげることができよう。
 そういう「左翼」たちを生み出すことに役立っているのが、執筆者に日本共産党員も紛れもなく含まれていると推定される、実教出版の教科書、高校/政治・経済(宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂ほか執筆)でもある。
 大月隆寛の文章を読んで、こんなことまで書きたくなった。

0641/田母神俊雄・自らの身は顧みず(ワック)、撃論ムック・反日マスコミの真実2009-読書メモ。

 一 田母神俊雄・自らの身は顧みず(ワック、2009.01!-第三刷)のp.92あたりまで読む。いつのまに書いた文章かわからないが、この人の歴史認識は相当にしっかりしている。戦前の日本軍と今の自衛隊との断続性や違いを強調する向きは多く、その一人は五百旗頭真のように思われたが、軍隊(又は少なくとも実質的にはそれに相当するものの)構成員の活動にとって自国の一定の歴史認識を前提とした<愛国心>が不可欠であることは言うまでもなく、田母神俊雄は自分で選びとったその職業の存在意義を自覚し確認するためにも日本のかつての戦争等に関する強い関心を持って、種々の文献や史料を読んできたのだろう。職業・生業とはほとんど無関係に一日本国民としてしかかつての戦争等に関する文献等を(それも一部のみを)読んでいるにすぎない私とは所詮、迫力、真剣味が違うと言わざるをえない。テレビでの堂々とした、かつ余裕をもった発言ぶりも大したものだ。1948年生の「団塊」世代。こういう人もいることに安心する。
 二 西村幸祐責任編集・反日マスコミの真実2009(オークラ出版・撃論ムック264、2009.01!)をたぶん7割程度は読んでしまった。
 1 山際澄夫「どこまで続く朝日新聞の自虐史観」の中に「言うまでもなく自衛隊員は有事の際には、『自らの身は顧みず』戦うことを誓約している」(p.87)とある。知らなかったが、田母神俊雄は上の本のタイトルをなぜ「自らの身は顧みず」としたのだろうとの感想・疑問をもっていたので、疑問が解けた。なるほど、この「誓約」の文章の中の語句なのだ。
 2 11月中に何となく<左翼ファシズム(左翼全体主義)>の形成と支配を感じて、よい気分でなかった。そのような<雰囲気>が(ほぼ産経新聞を除く)マスメディアにはあることを、この書物のいろいろな執筆者が同じ概念ではなくとも縷々語っている。私の感覚は異様ではない。田母神やその歴史観に対する「報道テロリズム」という語もあった。こうした本が出て反撃してはいるが、しかし、寒心に堪えない状況にあるのは確かだ。
 3 花岡信昭によると、サンデー毎日(毎日新聞社)11/23号はアパの賞金300万円は実質は体験搭乗の見返りの「贈賄」だ、と書いたらしい。どういう週刊誌であれ「こういう嘘を書いてはいけない」(p.53)。
 4 ウェブ上での意識調査(11/04~11/11)の結果が写真として載っている(p.09)。田母神俊雄論文につき、「まったく」46%、「ほとんど」13%、計59%が「問題はない」。一方、「とても」32%、「少しは」10%、計42%が「問題あり」。投票者は「その他」を除くと約96000人。
 上の本(雑誌?)ではなく月刊WiLL2月号で、最近のいわゆる<朝ナマ>(私は観ていない)に出た水島総は、最後の電話アンケートの結果は田母神俊雄支持が6割を超え、田原総一朗・姜尚中・小森陽一は「慌てた表情」だった、と書いている。
 こうした情報には多少は溜飲が下がる。だが、朝日新聞らが大きな顔をしてのさばっていることに変わりはない。潮匡人月刊WiLL2月号反日マスコミの真実2009の文章の最後はいずれも悲観的予測だ。
 5 連載記事の中では西尾幹二「私の人生と思想1」が関心を惹く。

 大月隆寛「通俗としての『保守』」が「左翼/リベラル」と「保守」に共通する「通俗」を指摘し、「左翼/リベラル」が田母神論文に対して「敢えて言挙げせねばならなかった『想い』や至情とはどのようなものだったのか、という部分も穏当に斟酌されねば片手落ち」と書くのも面白い(p.189)。だが、朝日新聞等の「『想い』や至情とはどのようなものだったのか」は明瞭であり、すでに論じられ、語られているのではないか。

0491/大月隆寛が山田洋次批判-「インテリ左翼の御用監督?」。

 山田洋次は映画人九条の会の呼びかけ人ということで、吉永小百合様は九条擁護の岩波ブックレットに登場して「私たちには言葉というものが…」とか等の朝日新聞とよく似たことを仰って(おっしゃって)いることで、さらに二人が監督・主演の映画「母ぺぇ」についても単純素朴な<反戦>観の吐露らしきことを、それぞれ批判的にコメントしたことがある。
 この二人は紛れもない(一見「政治」とは関係がなさそうな)著名人なので(山田は直ちに「寅さん」に結びつくだろう)、この人たち(のしていること)を消極的に評価するのは勇気がいるし、山田洋次についてのまとまった批判文は見たことがない(吉永小百合様だってそうだろう。例外的に何となく「様」を付けたくらいだから。もっとも、少しは皮肉を込めている)。
 月刊・正論6月号(産経)の大月隆寛の山田洋次批判あるいは山田洋次への皮肉はすごいし、たかがブログの一文ではないので、勇気もある。タイトルの一部に何と「今やインテリ左翼の御用監督?」!。また、本文の中には吉永小百合(様)につき、「『戦後』『サヨク/リベラル』のトーテムにおさまっちゃってる、実存なき団塊還暦越えバアさまじゃないのよ」(p.272)だと!
 大月の文章はクセがあることや私が山田洋次について大月ほどの知識がない(寅さん映画以外のものを殆ど知らない)こともあって、内容に逐一共感はできないし理解不能な点もあるが、雰囲気だけは分かる。
 以下、大月から離れるが、寅さん映画のいずれかで義弟の「博」の部屋の本棚に岩波の雑誌「世界」の背表紙が見えたと言っていた知人がいたことはいつぞや書いた。
 映画人・映画関係者の中には、マスコミ人と同等かそれ以上に<左翼>的な者が多いというのは、その途を目指すこと自体が標準的・平均的ではなく<変わっており>、商売のためという側面を持ちつつも<文化・芸術>に関与しているというプライドから<一般大衆とは違う>との自意識が生じるからではないか、とかなり適当ではあるが、推測する。また、映画製作に携わるのは監督・助監督と主演者だけではなく多数の人々から成る組織・グループなので<団結>が必要であり、<労働組合>の力も(「左翼的」に)強くなる、という傾向が少なくともかつてはあったように推測される。
 芦川いづみは1970年代前半には日本共産党選挙パンフに支持者として名前を出していた。山田洋次も同様だった(私は忘れていない)。吉永小百合はそのような<色づけ>をしていなかったが、1960年代の日活労組の影響を受けていただろう。むろん時代的に見て1945年3月東京生まれという世代は「左翼的」になりやすいかもしれない。同じことを再度書くのは気が引けるが、吉永小百合(様)は、広島・長崎に原爆が落とされた(落とした)責任は<ポツダム宣言受諾を遅らせた日本政府にある>とだけ述べ、アメリカを批判することを一切していない。自分が生まれる確か前日の東京大空襲についても情緒的に<戦争反対>・<戦争はイヤだ>の脈絡で語るだけで、一般住民もターゲットにしたアメリカに対する批判的視点はまるでない。<日本(の国家又は当時の政府)が悪いことをしたのだからやむをえない>という、純朴な?歴史観をお持ちのようだ。
 駄文と自覚しつつ続ければ、山田洋次監督の<寅さん>映画は興行的に成功して有名な、歴史に残るシリーズものになったのだが、よく考えると?、不思議な映画のようでもある。映画評論は趣味ではないが、書いてみよう。
 ヒットの原因は、①毎回の如く変わる美女と渥美清という組み合わせの面白さ、②毎回異なる日本各地の街・自然のロケが<ディスカバー・ジャパン>の社会的ムード・雰囲気にも乗ったこと(山口百恵の「いい日旅立ち」はたぶん1970年代半ばだった)、③渥美を含めた出演者の芝居の巧さ、等にある(あまり「大衆」映画を観ない「左翼」系の人々も安心して観れたことも?)。
 だが、けっこういいかげんな映画でもあった。偉大なるマンネリと言われもしたが、シリーズに一貫したストーリーがあったわけではない。40数作めからは吉岡某と後藤久美子の「恋」物語がメーン風になったりして、もっと続けていたら、支離滅裂になっていたのではなかろうか(晩年の渥美はさすがに苦しく、浅丘ルリ子の演技が辛うじて作品を支えていた)。
 ミヤコ蝶々が母親として登場して、いつの間にか消えてしまったのも<けっこういいかげんな>ストーリー作りの顕著な例だった。
 と母親に言及して思うのだが、<寅さん>映画はじつは「家族」を持たない者を主人公とする映画だった。父母は亡くなっている扱いのようであり(ミヤコ蝶々のその後はフォローされていないだろう)、寅次郎は配偶者を持たない(子どももいない)。妹・甥や叔父さん・叔母さんという<近親>との交流は描かれ、<人情>が失われつつあることが却って魅力的にしたと<人情映画>の側面が肯定的に語られているかもしれない。だが、基本は、配偶者なし、子どもなし、両親も(基本的に)なしの、中年独身男の寂しくも<自由な>行動の物語だった。しかも一時的に出てきていた母親(ミヤコ蝶々)は同情的にではなく子を捨てた残忍な女性として描かれていた(と記憶する)。決して<人情映画>ではない、と思う。むしろ主人公の<孤独>(精神的・観念的な自立?)こそが隠されたテーマかも、と感じないでもない。
 香具師としてあれだけ複雑で長いセリフを流暢に語れる能力のある者が書く年賀状の字と文章の下手さの矛盾も指摘できるし、旅道中の屋台・香具師商売で果たしてまともに生活できるのかについてもリアルさはない、といった点もメモ的に指摘はできる。
 ともあれ、実在はしないだろう、独身中年男の<風来坊的>生活が何らかの共感又は関心を惹起して、上記の点が相俟って、多数の観客数を維持し続けた。
 山田洋次は、商売と自らの<信条>の折り合いをつけるのに苦労したのかもしれない。最も近い家族はいない、という主人公像は、何らかの意味をもっていたのだろうか。それとも、ヒットさえし続ければ自分の地位も安定しかつ高まり、結果としては<左派>に寄与できる、と考えていたのだろうか。
 米倉斉加年演じるT大助教授の描き方は<庶民派>=<反権力・反権威>的だったと言えるだろうし、この映画に出てくる背広・ネクタイ姿の者は(一部のタコ社長を除き)、志村喬登場の作品が典型的だったが、「世間」摺れした、むしろ悪いイメージで描かれていた。寅次郎の生き方が<まとも>に見えるかのような、このような<倒錯>は、このシリーズ映画の特徴の一つだっただろう。
 いずれにせよ、<昭和戦後>の何らかの気分を反映したシリーズ映画だったに違いない。後世、どのように評価されるのか。たんに長く続いた(48作まで)、という以上の文化的・映画芸術的意味はあるのかどうか。大月隆寛の文からだいぶ離れた。

0424/大月隆寛、辻村みよ子、保阪正康。

 1.産経新聞3/19の「断」というコラムで、大月隆寛が、福田康夫首相も用いた「生活者」という言葉に(「オルタナティブ」や「自立」と同様に)警戒する必要がある旨を書いている。<生活者(市民)の目線で>などと言っている政治家は信用できない旨をこの欄で書いたことがあり、大月には全く同感だ(大月の文章は愉快でもある)。
 大月は「プロ市民系のお札みたい」な言葉の筈なのに福田首相までが何故?、という叙述をしていたので、「市民」という言葉自体が「プロ市民系」の用語であることがあることを思い出した。いわく<市民運動>・<市民参加>・……。
 2.ここでさらに連想したのだが、憲法学者・辻村みよ子(現在、東北大学)は2002年に『市民主権の可能性-21世紀の憲法・デモクラシー・ジェンダー』という著書を刊行している(有信堂高文社)。「デモクラシー・ジェンダー」という概念の並び、すでにマルクス主義(但し、非共産党系と見られる)憲法学者としてその本の一部に言及した杉原泰雄(元一橋大)が指導教授だったらしいこと、と併せて推測すると、この「市民主権の可能性」というタイトル自体が、「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」(大月の上のコラム内の言葉)の概念である可能性があるだろう。
 安い古本が出れば、この辻村の本を読んでみたい。なお、
辻村みよ子には(これまた所持しておらず安い古本待ちだが)『人権の普遍性と歴史性―フランス人権宣言と現代憲法 』(1992)という本もある。ルソー・フランス革命・「人権宣言」に親近的な者であることにたぶん間違いない(かりに「賛美者」とは言えなくとも)。
 ついでにさらにいうと、辻村みよ子は小森陽一と岩波ブックレット・有事法制と憲法(2002)を書いてもいる。「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」の精神世界に居住する(と見られる)れっきとした憲法学者が国立大学(法人)に現にいらっしゃることを忘れてはならない。
 3.言葉、ということでさらに連想したのだが、かつては「左翼」又は進歩的文化人・知識人に馴染みだった筈の言葉に、<ファシズム>がある。この言葉自体はよいとしても(つまりドイツやイタリアについては使えるとしても)、少なくともかつては、日本も戦前(・戦中)は「ファシズム」国家だったという認識が、意識的に又は暗黙裡に表明されていたと思われる。何といっても、先の大戦は、<民主主義対ファシズム>の戦争で、道義的・倫理的にも優る前者が勝利した、と(GHQ史観の影響も受けて)語られてきたのだ。
 しかるに、丸山真男が典型だったが、戦前日本をファシズムと規定するかかる用語法は近年はあまり用いられなくなった、と思われる。
 ところが、この語を2006年の夏に平然と用いていた者に、評論家・保阪正康がいる。以下の記事にはこれまでも別の角度から言及したことがあるが、保阪正康は2006年8月の朝日新聞紙上で、次のように明記した。
 「…昭和10年代の日本は極端にバランスを欠いたファシズム体制だった…」、「無機質なファシズム体制」が2006年08.15に宿っていたとは言われたくない(「ひたすらそう叫びたい」)。
 さて、保阪正康は具体的には又は正確には「ファシズム(体制)」をどのようなものと理解し又は定義したうえで、日本はかつてその「体制」にあり、その再来を憂える、と主張しているのか。歴史家又は歴史評論家(とくに昭和日本に関する)を自認するのなら、この点を揺るがせにすることはできない筈だ。どこか別の本か何かに書いているのかもしれないが、かりに平然と又は安易に戦前日本=ファシズムというかつての(左翼に主流の)図式に現在ものっかっているだけならば、昭和日本に関する歴史家又は歴史評論家と自称するのはやめた方がよい。かりに「作家」の資格で文章を書いているとしても、かつての「プロ市民系」、<社会党共産党界隈>の概念を、その意味を曖昧にしたままで安易に用いるべきではなかろう。

0001/上野千鶴子は4/08後に福井県に転居するか。

 「アサノ〔浅野史郎〕と勝とう!女性勝手連」の3/18現在の呼びかけ人名簿を見た。
 上野千鶴子、木村民子(全国フェミニスト議員連盟元共同代表)、澤地久枝、白石冬美、辛淑玉、中山千夏、山崎朋子、樋口恵子、三井マリ子、新谷のり子、落合恵子、三木睦子等々。フェミフェミしているし、九条の会関係で名が出ていた人もいる。石原慎太郎でない有力候補なら、きっと誰でもよいのだろう。上野千鶴子は石原知事が居座るんだったら都民をやめる、と言っているらしい。他県へ転居するのをいずれ知りたいものだ。訴訟を起こしている福井県は如何?
 週刊新潮3/22号「「従軍慰安婦」問題のガン「河野談話」はこうして作られた」は1993年河野談話の当時の政権内部の動き・韓国の意向等をきちんとまとめており、櫻井よしこ連載コラムは、アメリカよこんな理不尽な決議をしてよいのかと(タイトルは「同盟国ゆえ、敢えて米国に問う」)最後にこれだけは言っておく、との感じ。やはり、週刊新潮はBestだ。と思うが、版元の新潮社は不破哲三の本や決して作家を追いかけないFocusを出すなど、儲ければ何でも手広く、との印象がある。出版社としては、新潮新書と文春新書を比較しても、文藝春秋の方が好きだが。
 大月隆寛という人の本は読んだことはないが、この人が産経3/14に「福島サンは弁護士ですよね?との小文(コラム)を書いて、慰安婦問題で「証言者がいるんだから事実なんですぅ」とのみ言っているのを皮肉っている。裁判ならば公開で(傍聴者がいて)、裁判官の前で、証言者は反対尋問を受ける。反対尋問(その際に裁判官も質問できる)に晒されていない証言は「証拠」にはならないのは当然のことだ。この当然のことを当面の日韓関係を優先して無視したのは河野洋平であり、政治的に無視しているのは福島瑞穂であるわけだ。
 上の週刊新潮の記事の最後-「しかし、今日の有様を見れば、むしろ日韓関係を悪化させる種を蒔いたばかりか、日本の国際的立場を貶めたと言わざるをえない。安倍首相は、河野談話を見直すべきである」」。
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