〇ちょうど一年前の8/15、佐伯啓思は産経新聞「正論」欄につぎのような文章を書いていた。悪くない文章なので、勝手に一部のみを再掲して紹介。
 「死者たちに思いを致すということは、別の言い方をすれば記憶するということである。そして記憶することは難しい。もっと正確にいえば、記憶したと思われるものを思いだすことは難しい。まして、戦後生まれの者にとっては、戦死者さえも想像裏のものでしかないのだから、〔…〕想像でしかないものを『うまく』思いだすことはたいへんに難しい。だから、思いだすことは、『うまく』想像することでもあるのだ。/私にとっては、あの戦争を象徴するものは、その多くが志願して死地へ赴いた若者の特攻である。〔……〕無数の若者がいる。地獄のごとき見知らぬ密林や海原に命を散らした無数の魂がある。/その魂の思いを想像することこそが、あの場違いな時間である黙祷が暗示しているものであった。特攻は、私にとっては、そのもっとも先鋭に想像力をかきたてる表出だった」。
 「あれから六十数年が経過して、戦後日本という時間と空間を眺めるとき、多くの者が、この『戦後』なるものに戸惑い、ある大きな違和感を覚えるのではなかろうか。〔……〕と報道される国が平和国家であるなどという欺瞞はもう通用しない。/基本になっていることは、戦後日本には、われわれの精神をささえる基本的な倫理観が失われてしまった、ということなのである。〔中略〕私には、もしも戦後日本において倫理の基盤があるとすれば、それは、あの戦死者たちへ思いをはせることだけであろうと思う。それは、特攻を美化するなどという批判とは無関係なことであり、また、靖国問題とも次元の異なったことである」。
 〇今年2011年の元旦の産経新聞は菅直人の動向につき、こんな記事を載せていた。
 「菅直人首相は31日深夜、東京都府中市の大国魂神社を訪れた。首相は午後10時20分に公邸を出発。同神社に到着するとスーツから、かみしも姿に着替えて、本殿に昇ると参拝した。/その後、元日午前0時になると、本殿前で太鼓を3回叩く『初太鼓打初式』に参加して、真剣な表情で太鼓を3回叩いた」。
 確認しないが、その後たぶん1/04あたりに伊勢神宮参拝もしたはずだ。
 ところで、社民党の福島瑞穂がこんなことを言うのをテレビで見聞きしたことがある。
 靖国神社への首相・閣僚の参拝は「政教分離の観点からも、好ましくない」。
 憲法上の「政教分離の観点から」(も)靖国神社首相参拝を批判するのならば、菅直人首相による府中市・大国魂神社参拝も伊勢神宮参拝も社民党・福島瑞穂は批判すべきだろう。
 靖国神社は他の神社とは違うと言うならば「政教分離」を持ち出すべきではなく、正面から<A級戦犯合祀>を堂々と批判すべきだ。
 しかして、<A級戦犯合祀>の神社だからダメだというならば、B級・C級「戦犯」としての刑死者を祀る神社もまたダメだ、ということになるはずだ(各地にある護国神社等を含む)。そのような、<B級・C級戦犯>問題に触れない靖国参拝批判論には、どこかに明らかな誤魔化しがある。
 〇早坂隆・松井石根と南京事件の真実(文春新書、2011)によると、松井石根にゆかりのある寺社等は以下のとおり(見落としがあるかもしれない)。
 ①金沢市・宗林寺(・聖徳堂)、②知立市・知立神社(・千人燈)、③熱海市・伊豆山興亜観音+「七士の碑」、④名古屋市中村区・椿神社、⑤名古屋市・日置神社、⑥愛知県三ケ根山々頂・「殉国七士廟」、⑦御殿場市・板妻駐屯地「資料館」(民営)、⑧愛知県・長福寺、⑨(⑧付近の)桶狭間古戦場公園「石碑」。