秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

大原康男

1145/石原新党と橋下徹・維新の会-憲法「破棄」か否かで対立するな。

 1 石原慎太郎、都知事辞職、新党結成・代表就任・総選挙立候補を表明。
 これについての、みんなの党・渡辺某と比べて、維新の会の国会議員団代表・松野頼久の反応ないしコメントの方がよかった。自民党も含めて「近いうち」の衆議院選挙の結果はむろんまだ不明だが、連携・協力の余地は十分に残しておいた方がよい。
 2 石原慎太郎と橋下徹(・維新の会)との違いの一つは、現憲法の見方にあり、石原は憲法<破棄>論であるのに対して、橋下は<改正>論である、らしい。つまり、石原は、渡部昇一の影響を受けてか、現憲法を<無効>と考えているのに対して、橋下は<有効>であることを前提にしているようだ(彼らの発言を厳密にフォローすることを省略するので、<ようだ>と記しておく)。
 おそらくこの違いもあるのだろう、橋下徹は、代表を務める日本維新の会の「傘下」にあるはずの東京維新の会の東京都議会議員が「憲法破棄」・旧かな遣いの大日本帝国憲法復活の請願に賛成したことについて、大きく問題視はしないとしつつも、クレームをつけた、という(10/09。都議会全体としては請願を否決)。
 石原慎太郎が産経新聞紙上で述べていた「憲法破棄」論については、この欄で疑問視したので子細を反復しないが、橋下徹の「憲法改正」論の方が適切だ。現実性はないと思うが、かりに国会で「憲法破棄」決議をしたところで法的には無意味で、そのことによって大日本帝国憲法が復活するわけでもない。国会についてすらそうで、現憲法によってはじめて府県レベルでも設置することとされた住民公選議員により構成される都道府県議会が、橋下も言っていたように、現憲法「破棄」決議をする権限はなく、かりに決議または請願採択をしてもまったく無意味だ。
 3 上のことをとくに指摘しておきたいのではない。あとでも触れるかもしれないが、この問題は今日ではほとんど決着済みの、議論する必要がないと思われる論点だ。
 なぜあえてこの論点に触れているかというと、この問題についての石原新党と維新の会の違いが強調されまたはクローズアップされて、両党の連携に支障が生じることを、あるいは支障の程度が大きくなることを危惧しているからだ。
 安部晋三内閣時代に2007年に成立しのちに施行された憲法改正手続法=正確には「日本国憲法の改正手続に関する法律」は、名称どおり、現憲法の有効性を前提にして、同96条によるその「改正」のための国民投票等の手続を定めたものだ。自民党の第一次、第二次の新憲法案も<憲法改正案>であり、ずっと前の読売新聞案も同様だったかと記憶する。
 橋下徹は 「日本維新の会としての方針としては、憲法破棄という方針はとらない。あくまで改正手続きをとっていく。理論上は憲法破棄ということも成り立ちうるのかもしれないが、その後現実的に積み重ねられてきた事実をもとにすると、簡単に憲法について破棄、という方法はとれないのではないのか」と発言したらしい。この発言のとおり、「理論上は憲法破棄ということも成り立ちうるのかもしれない」とかりにしても、上のような法律が安部晋三の新憲法制定の意欲のもとに作られ、重要な「改正案」も発表されているのであり、石原慎太郎・石原新党は、政治的・現実的に判断し、<憲法破棄>論に拘泥すべきではない、だろう。実質的に日本国民による新憲法の制定がなされる方向で、両党(と自民党)は連携・協力すべきだ。
 4 上の論点についての見解の相違が<保守勢力の結集>を妨げるようなことがあってはならない。
 この点、産経新聞(社)はどういう立場を採っているのだろうか。
 上記のように維新の会・東京都議会議員団は旧かな遣いの憲法に戻したいようだが、この主張およびそのもととなった都民の請願が産経新聞「正論」欄に掲載された新保祐司のそれの影響を受けているとすると、新保祐司と産経新聞は、極論すれば<保守派>の中に分裂を持ち込むものだ。そして、国民の過半数の支持による新憲法制定を妨害する役割を客観的には果たすものだ。また、石原の<憲法破棄論>が渡部昇一らの<現憲法無効論>の影響を受けているか支えの一つになっているのだとすると、渡部昇一らの議論もまた、極論すれば<保守派>の中に分裂を持ち込むものだ。そして、国民の過半数の支持による新憲法制定を妨害する役割を客観的には果たすものだ。
 念のため確かめてみると、産経新聞社に置かれたという数名による委員会の議論について、同新聞は「新憲法起草」とか「国民の憲法」起草とかと見出しを立てていて、<改正>と明記していないようだ。つまり、<破棄>論に配慮したとも解釈できる言葉遣いを採用しているように見える。
 また、「産経新聞出版」ではなく産経新聞社発行の月刊雑誌・正論(編集長・桑原聡)の今年8月号p.232-は、渡部昇一と大原康男の「対論/改正か無効か~日本が『日本』であるための憲法論」を掲載して、「改正か無効か」が大きな論点であるかのごとくとりあげている。この問題に関心を持つことや月刊正論上で取り上げること自体を批判はしないが、このとり上げ方は、月刊正論、そして産経新聞が少なくとも<憲法無効・破棄論>を一顧だにしないという立場ではない、ということを示しているだろう。
 また、上の二人のうち大原は実質的には有効・改正論者だと読めるが、大原が渡部に敬意を表して遠慮しているせいか、法学に「素人」だと自認している渡部にしゃべらせ過ぎており(大原は京都大学法学部卒でもある)、<憲法無効・破棄論>の無意味さを明確にするものには(私には残念ながら)なっていない。
 こうしたことも併せ考えると、産経新聞社・月刊正論(編集長・桑原聡)は、石原・同新党と橋下・維新の会の協力・連携を阻害する役割を果たしている可能性、そして今後も果たす可能性があると危惧される。
 月刊正論の編集長・桑原聡は橋下徹を「きわめて危険な政治家」だと判断しているので、上の両党の協力・連携が阻害されるのは、少なくとも桑原聡の意図には即しているのかもしれない
 だが、産経新聞も月刊正論も少なくとも強くは批判していない安部晋三・現自民党総裁は、憲法改正のためには橋下徹・維新の会と連携する必要がある、あるいはそういう時期が来る可能性がある、という旨を発言している。橋下徹が現憲法96条の要件緩和に賛成していることは周知のことだ。
 大局を見ない、または国民の過半数の支持という重要なハードルを考慮しない主張や議論は(旧仮名遣い復活論も含めて)、新憲法の制定に賛成する立場の新聞や雑誌からは排されるべきだ。 
 5 <憲法無効・破棄論>はむろん、自民党の立場でもないと考えられる。この論に固執することは、石原新党と自民党との対立も深めることとなり、<保守派の結集あるいは連携・協力>を妨げることとなるだろう。自民党全体を<リベラル>または「左翼」と考えるならば話は別だが。

 憲法「破棄」論に立ち、<旧かな遣い>の憲法に戻すべきだ、という見解こそが「真の保守」だ、などという大きな、かつ危険な勘違いをしてはいけない。
 なお、中島岳志のごとき、現憲法9条改正(2項削除・国防軍明記)反対論は、言うまでもなく「保守派」のそれではない。
 6 上の渡部・大原対論も含めて、産経新聞や月刊正論の記事・主張・議論に、この欄で最近はほとんど言及していない。だからといって、何の感想も持っていないわけではない。以上で書いたものの中には、その一部は含まれているだろう。

1081/2012年になって一部読んだ書物等。

 感想等をすべて文章にする時間的余裕がないが、今年に入ってから入手(・購入)して全部または一部を読んだものは、この欄にすでに記載のほか、以下のとおり。
 論考類を除いて、全読了の単行本はない。しかし、手にした書物は少なくとも数ページは読んでしまうものなので、以下には、ぞれらも含まれる。かりに一瞥しても印象に残っていないものもあるが、以下には含めない。
 西尾幹二・個人全集第一巻(第二回配本)・ヨーロッパの個人主義(国書刊行会、2012)…第一回配本も既購入…、西尾幹二・壁の向うの狂気―東ヨーロッパから北朝鮮(2003、恒文社21)、西尾幹二「女性宮家と雅子妃問題」月刊WiLL3月号(ワック)、山際澄夫「金正日死去を”悼む”懲りないマスコミ」同上、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論社、2011)…ようやく本格的に読み始めて第一章は済み…、秦郁彦・靖国神社の祭神たち(新潮選書、2010)…「B・C級戦犯」処刑死者の多くも靖国神社に祭祀されていることを確認…、ペマ・ギャルポ・最終目標は天皇の処刑―中国「日本解放工作」の恐るべき全貌(飛鳥新社、2012)…「中国」ものはたいていは想像しうる中身なので敢えて入手しないがこれだけは…、大阪の地方自治を考える会・「仮面の騎士」橋下徹(講談社!、2011)、政教分離を正す会(大原康男)・新実例に学ぶ「政教分離」―こんなことまで憲法違反?(展転社、2011)、石平・中国大虐殺史―なぜ中国人は人殺しが好きなのか(ビジネス社、2007)、ウッダード・天皇と神道―GHQの宗教政策(サイマル出版会、1988)、シャピロ・民主主義論の現在(慶應大学出版会、2010)、佐伯啓思・反・幸福論(新潮新書、2011)、西部邁=佐伯啓思編・危機の思想(NT化出版、2011.08)、山村明義・神道と日本人(新潮社、2011)、佐藤優・はじめての宗教論・右巻(NHKの出版、2009)、佐伯啓思「開国と維新の精神」新潮45/2月号、林俊彦・大災害の経済学(PHP新書、2011)、井上寛司・神道の虚像と実像(講談社現代新書、2011)。
 他にもありそうだが、探す手間を省く。月刊正論(産経)の最新号も所持しているが、残念ながら又は申し訳なくも、きちんと読んでいない。これ、という重要論考がない。但し、所功の論考はきちんと読んでおく必要があるだろう。

0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。

 月刊ヴォイス9月号(PHP)の鳩山由紀夫「私の政治哲学」(p.132-)によると、彼のいう「友愛」は、フランス革命のスローガン中の「博愛」=フラタニティ(fraternite)のことのようだ。言葉だけ似ていて別物かと思っていたら、本人がそう書いている。
 その祖父・鳩山一郎がクーデカホフ・カレルギーの『全体主義国家対人間』を訳したときに(邦題は『自由と人生』)、「フラタニティ」を「友愛」としたらしい。
 鳩山由紀夫も共鳴・共感しているらしいカレルギーの本によると「友愛が伴わなければ、自由は無政府状態の混乱を招き、平等は暴政を招く」。そして、カレルギーの本は反ヒトラー・反スターリンという、「左右の全体主義との激しい戦いを支える戦闘の理論だった」と由紀夫は書いている。
 この「友愛」主義を現代日本にあてはめると、基本的には「市場至上主義」ではない「共生の経済社会の建設」になる。より具体的な政策レベルでは、第一に「地域主権国家」の確立、第二に、「『東アジア共同体』の創造」だ、と述べられる。
 「左右の全体主義」の排斥は結構なことだ。だが、こう言うとき、鳩山由紀夫は、「右」のそれとして、安倍晋三平沼赳夫らを(あるいは「靖国」参拝政治家・国民を)イメージしているのではないか。
 「左の全体主義」とも戦うとすればぎりぎり容認されるのは社民党までで、日本共産党や中国共産党とは対立しなければならないはずだが、はたして中国「社会主義」を鳩山はどう見ているのか。鳩山は「中国の軍事的脅威を減少させながら、その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい」(p.140)とか書いてはいるが、「『東アジア共同体』の創造」を現時点から国家目標として掲げ(p.139)、「各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創り上げ…」と言うとき、彼の立場はかなり「左」にあり、「共生」と「東アジア共同体」の背後に中国「社会主義」は退いて、「左の全体主義」には相当に甘いようだ。
 もともと鳩山のみの意向で政権が運営されるわけはなく、民主党の中には明瞭な親中国派、親「社会主義」派もいることが留意される必要がある。
 そして、サピオ9/09号(小学館)の巻頭の大原康男「ますます遠くなった首相の靖国神社参拝を憂う」から借りると、民主党現幹事長・岡田克也は、結果的・客観的には中国の主張に応じて「A級戦犯が祀られている限り、日本の首相は参拝に行くべきではない」と明言し(鳩山が同旨のことから別の国立追悼施設設置を主張していることは別の回でも言及した)、<チベット、新疆ウィグル問題>については「中国国内の事柄」で「中国の内政に干渉すべきではない」と明言した、という。
 A級戦犯「合祀を理由とする参拝反対は中国からの内政干渉が発端であるにもかかわらず、…たび重なる残虐な・非道な少数民族迫害・弾圧には内政不干渉の美名の下に容認」している(大原、p.3)わけだ。
 こうして見ると、鳩山由紀夫の二つ又は左右の「全体主義」との戦いという「友愛」主義も、嘘くさい。この人物も、戦後<民主主義・個人主義・自由主義>の優等生で、究極的には、右翼「ファシズム」よりも<左翼全体主義>=社会主義・コミュニズムを選択しそうな、つまり「容共」の考え方・意識の持ち主なのではないか。そして、それはもともとの祖父やクーデカホフ・カレルギーの考え方・意識からは離反しているのではないか。
 (なお、誰かがどこかで書いていたように、民主党政権ができるとすれば、それは<戦後レジーム維持>派の大勝利なのだ。)
 サピオ9/09号に上で言及したが、同号の小林よしのりの連載の最後の頁の欄外上には、「民主党は政権をとったら靖国神社に代わる新たな『国立追悼施設の建設』を本格化させ、『外国人参政権』『非核三原則の法制化』も実現させるつもりだ。……左翼全体主義の時代が近づいている」とある。
 鳩山政権が「左右の全体主義との激しい戦い」をするとは信じられず、むしろ「左翼全体主義」へ接近するように見える。ちなみに、「左翼全体主義(左翼ファシズム)」とは、昨秋の所謂田母神俊雄論文後の政治・社会状況を見て、私が(も)使った概念だった。
  

0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。

 〇先日、日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)の日本語部分を全読了。
 
 いくつか「南京大虐殺」否定論・疑問論の本を読んできたが、これが最も簡潔で、わかり易い。
 中身とは直接関係はない問題は、執筆者が必ずしも明瞭でないことだ。日本会議国際広報委員会編というからには「日本会議国際広報委員会」は編者にすぎない。また、表紙に竹本忠雄・大原康男の二人だけの名前が出ていて、本文中にも出てくるが、竹本忠雄は「序言」の、そして大原康男は「結語」だけの執筆者として氏名が記載されているのだろう。そうすると「序言」と「結語」以外の狭い意味での本文は誰が書いたのかが疑問になるが、「編集委員」として、以下の者の氏名が扉裏に記載されている。
 竹本忠雄、大原康男、椛島有三、伊藤哲夫、岡田邦宏、野間健、江崎道明、北川裕子
 おそらくこれらの人々が共同して執筆した、ということなのだろう。だが、最終的な責任者又は執筆代表者(編集代表者)が誰かくらいは特定しておいてほしかったものだ。厳密には、細かな表現まで(論旨・骨子はともあれ)八人が揃って一致するということはありえないと思われる。
 〇いわゆる「南京大虐殺」の責任をとって(とらされて)「A級戦犯」とされ、「東京裁判」の結果として刑死したのが松井石根だった。
 この「東京裁判」については現在まで、種々・多様な議論がある。だが、朝日新聞の社説子はそんなことを知らないか、知っていても無視しているようだ。
 朝日新聞8/19の社説では<無宗教の国立の追悼施設>の設置を、「政権選択選挙という絶好の機会に議論を深め、今度こそ実現させてもらいたい」と明言した。民主党(中心)政権実現のついでに(?)<反靖国>主義も徹底・完成させたい、という執念に満ちた願望をあからさまにしているわけだ。この社説の中に、つぎの文章がある。
 「靖国神社には、東京裁判で日本の侵略戦争の責任を問われたA級戦犯が合祀(ごうし)されている。」
 ここでは「東京裁判」の合法性・正当性等を問題にする姿勢を欠片も感じることができない。「東京裁判」が「侵略戦争」の「責任」を問うたことに疑問を挟まず、「A級戦犯」を(当然のごとく?)「犯罪者」扱いしているわけだ。
 上のように簡単に書いてしまえる朝日新聞の社説執筆者の神経を疑う。<狂っている>のではないか。占領史観・東京裁判史観を本当に100%「信じて」いるのだろうか。
 ついでに、上の文の次には以下の文がつづく。
 「A級戦犯が合祀(ごうし)されている。だからこそ、昭和天皇も現天皇も、その後は参拝していない。」
 敬語がないのも気になるが、このように断定してよいかはなお十分に疑問とする余地がある。いわゆる<富田メモ>が話題になったが、上のように「だからこそ」と確定的に書いてはいけないだろう。朝日新聞による一種の情報操作だ。また、かりに<富田メモ>が昭和天皇に関する真実を伝えるものだったとしても、今上天皇も昭和天皇と同一のご認識であるとの証拠はどこにもないのだ。
 短い上の文章にも、朝日新聞の<いやらしさ>は透けて見える。
 〇民主党(中心)政権誕生が確実ということで、朝日新聞は小躍りし、舞い上がっているのではないか。
 8/24の社説では、横浜市立中学校の約半数で来年春から自由社版の歴史教科書を使うことが決まったことにケチをつけている。
 横浜市で採択されたとしても、育鵬社版を含めても全国的にはまだ1%以下の採択率ではないか。ごく僅少だが、それでも朝日新聞の社説子は気にくわないようだ。
 ナチス・ファシズム、ソ連等・コミュニズム下において、<秘密警察>は猜疑心をもって、ほんの僅かな、又は小さな<反体制>言動でも調査し、弾圧(逮捕等)をした、という。発想において、朝日新聞も<左右の全体主義>も似ているところがあるように見える。
 しかも、上の社説は、特定の人物を批判・攻撃する内容のものだ。ターゲットにされているのは、前教育委員の一人で、現在の教育委員会委員長の今田忠彦。
 この欄のようなブログではない、数千万の読者をもつ新聞の社説が、<(特別職)公務員>にあたるとはいえ、首相でも大臣でも知事・市町村長でもない人物を名指しして、批判しているのだ。
 知事や市町村長ですら、その名前が朝日新聞の社説に登場して批判されることはほとんどなかっただろう。その意味では異様な社説だ。

 「新しい歴史教科書をつくる会」系列の教科書に対する、これまた執念の如き、猜疑心に溢れた、敵愾心が、朝日新聞には宿っているのだろう。

 こんな新聞社に後押しされた政権は怖ろしい。また、朝日新聞よ、慢心するな、と言いたい。

0670/櫻田淳は「真正保守」主義者か?等。

 〇一週間前に出した名前の小牧薫、高嶋伸欣でネット検索してみると、この二人がただの某裁判支援事務局長、名誉教授ではないことがよくわかった。逐一資料は挙げないが、れっきとした「左翼」組織員だ。日本共産党員である可能性もある。小牧薫は大江健三郎の本につき、「一定の」批判はある、と発言していたが、この「一定」(ある程度又はある側面)という表現の仕方は、日本共産党活動家に特有なものだ。あるいは、「左翼」活動家に広く使われている独特の表現方法・語彙の使い方かもしれない。
 〇産経新聞3/02の「正論」欄で、大原康男「保守派は『正念場』を迎えた」と書いている。
 政権交代が現実味を帯びており、民主党中心政権が誕生すると、①選択的夫婦別姓法案、②「戦時性的強制被害者問題解決」法案、③<定住外国人への地方参政権付与>法案、④<靖国神社に代わる国立追悼施設設置>法案などが成立する可能性がある。「保守派はこれまでにない難局に直面し、まさに正念場を迎えることになるだろう」。……
 そして大原は言う。-政治家だけではなく「民間の実力・器量も問われる」、「…党派を超えて真正保守の政と民が今まで以上に緊密かつ強力な戦線を構築することが望まれる」。
 大原に積極的に反対するつもりはないし、むしろきっとそうだろうとは思う。だがやはり、上の「真正保守」とはどういう考え方又はそれにもとづく団体・組織なのかは、不明瞭なままだろう。
 同じく産経新聞「正論」欄に登場し、「保守」派らしい月刊諸君!4月号(文藝春秋)に「保守再生は<柔軟なリベラリズム>から」を書いている櫻田淳は自らを「保守」主義者だと疑っていないようだが、大原のいう(いや誰が言ってもよい)「真正保守」の立場にあるのだろうか。
 櫻田によると、現在「保守」言論は「敗北」し、それは自らの「堕落」の帰結だ。櫻田は必ずしも解り易くはなくかつ決定的に重要とも思われない「福祉価値」と「威信価値」の二つを持ち出して、昨今の「保守・右翼」言説の特徴は後者の価値への「過度の傾斜」だとし、例として(日本)核武装論を挙げる。そして、この論は「核」廃絶による平和実現を説いた昔日の「進歩・左翼」言説と「何ら質的な差を見出せない」とする(諸君!4月号p.46-48)。
 さらに注目されることには又は驚かされることには、次のようにも言う。
 「村山談話」は、「現時点では日本の国益に資する『盾』や『共感の縁』としての効果を持つに至っていると評価している」。「村山談話」を、2005.04に小泉純一郎首相はバンドン演説で「対日批判」に対する「盾」として転用し、その演説は中韓以外のアジア・アフリカ諸国との「共感の縁」としても作用した(p.48-49)。
 こうした櫻田の主張は「保守」ではないのではないか。「盾」として転用せざるを得なかった?中韓の「反日」姿勢に対する批判的・警戒的な言葉はどこにもない。
 櫻田はつぎのようにも言う。-「村山談話」発表が世界での日本の「声望」への著しい害悪を及ぼしたのならば再考・破棄を提起したいが、「そうした事実を客観的に裏付ける根拠はない」(p.50)。
 かかる認識もまた(「保守派」としては)異様なのではないか。「そうした事実を客観的に裏付ける根拠はない」などと暢気に言っておれる神経が理解できない。また、論理的には、<日本の「声望」への著しい害悪>があったか否かが第一次的に重要なのではなく、「村山談話」の内容そのものの適否こそをまずは問題にしなければならないのではないか。
 櫻田は「保守・右翼」知識層の言説に種々の状況判断をふまえての<政治性>を求めているようだ。かかる姿勢は、不可避的に現状追認、過度の?摩擦・軋轢の回避の方向に親和的だ。それは、どこかで誰かが、あるいは広く朝日新聞等の「左翼」も含めて主張している、対中国・対韓国(・北朝鮮)関係は<できるだけ穏便に>・<不必要に刺激しないように>という、首を出すのを恐れるかたつむりか亀のような意識・神経をもて、という主張に近いように思われる。
 櫻田によると、高坂正嶤やかつての自民党は「福祉価値」を重視し、それの着実な充足によって多くの日本人の支持を得た。戦後生まれの者が三島由紀夫や福田恆存のように戦前の「古き良き」日本を思慕するのならば、それは「共産主義」社会を夢想した「進歩・左翼」の観念論に似た趣きをもつ。この「観念論の趣きこそが」、「保守」言論の「堕落」を招いている一因だ(p.51-53)。
 紹介は面倒なのでこのくらいにしたいが、まず第一に、「必ずしも解り易くはなくかつ決定的に重要とも思われない」とすでに上で記したが、櫻田が何やら新味を提出していると思っているらしい「福祉価値」と「威信価値」の区別は、多少の説明はあるが、また別の本か何かで書いているのかもしれないが、その意味・重大性の程度がきわめて曖昧だ。
 第二に、櫻田は「保守・右翼」言論が「進歩・左翼」のごとき「観念論の趣き」を持つと批判しているが、櫻田淳のこの論考自体が、私がこれまで読んできた「保守・右翼」言論の多くよりもはるかに「観念論」的だ。要するに、観念・言葉の<遊び>が多すぎる。日本の現実、日本をとり巻く国際情勢の現実を、この人は<リアル>に見ているのか。それよりも、「保守・右翼」言論の<方法・観点>を批判してやろうという主観的意図(これを一概に批判するわけではない)を、優先させているとしか思えない。
 このような櫻田淳は「真正保守」か?
 月刊正論4月号(産経新聞社)には潮匡人の「リベラルな俗物たち」の連載が続いている(今回の対象は、保阪正康という「軽薄な進歩主義を掲げた凡庸な歴史家」)。櫻田が「保守再生は<柔軟なリベラリズム>から」というときの「リベラル」と潮匡人の「リベラル」とは意味が違っているに違いない。違っていないとすれば、櫻田淳もまた客観的には「リベラルな俗物たち」の一人である可能性がある。
 「真正保守」・「リベラル」についての自らの見解を提示していないことは承知している。ただ<保守>論壇らしきものの危うさを懸念して、以上を書きたくなった。

0651/天皇(制度)と伊勢神宮をあらためて考える-その2。

 天皇(制度)と伊勢神宮の関係にかかわる若干の諸問題については、昨年の3月~5月に何回も書かせていただいた。もともとは一宗教法人のはずの神宮(伊勢神宮)の式年遷宮について天皇陛下の「ご聴許」があった旨が宮内庁の公文書によって神宮側に通知されているという事実を知って、??と感じ、関心をもったテーマだった。
 以下は昨年の3月~5月の関係エントリーの月日。3/27に始まっている。
 03月27日、04月04日、04月05日、04月15日、04月16日、05月05日、05月07日、05月08日、05月14日。  上記の事実から始まって三種の神器(うち二つは伊勢神宮と熱田大社に本物が所在する)の所有権の帰属等にまで発展したかと思う。あらためて一瞥すると、伊勢神宮崇敬会叢書の第一号、幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(1995.08)も読んで、言及していた。大して多くない文献を読んで自分なりに思考・考察したところが多かったと思う。
 最近に(前々回に言及した)大原康男・戦後の神宮と国民奉賛(上記叢書10号、2005)と百地章・伊勢神宮と公民宗教(叢書9号、2005)の二つを読んで(読了している)、議論されるべきことはすでにほぼきちんと議論されている(私などが関与しなくとも)、という想いが強い。
 できるだけ重複は避けて(といってもかつて書いたことを記憶していないので二度書きする可能性はある)、まずは上の前者を読んで知ったことを、確認も含めてメモしておく。
 ・戦後最初の式年遷宮(第59回)は20年毎だと1949年に挙行だったところ4年遅れて1953年になったのは、戦後の日本の混乱・財政難等に原因があったのだろうと推測していたが、必ずしも正確ではなく、財政難はその通りだが、(とりわけ国費を使っての)式年遷宮の挙行自体にGHQが「難色」を示したことが決定的だったようだ。当初ははたんに遅れるだけではなく「無期延期」の状態だったようでもある(以上、p.14~p.16等)。
 ・戦後最初の式年遷宮は、天皇陛下(昭和天皇)の「ご発意」によりその準備がすでに戦前から始まっており、前半は国営、後半・最終的には「民営」という異例の形をとった(p.21。戦前の準備を除き直接の国費支弁は全くなし。この点はその後も同じ))。
 ・戦後2回めの式年遷宮(第60回=1973年)は、まず神宮側(大宮司)が「大綱」を作成し、宮内庁(長官)を通じて天皇陛下(昭和天皇)の「ご聴許」(1964.03.17)があって、作業が進められた(p.22)。
 しかし、遷宮の本質からして「一宗教法人たる神宮が先に申し出る」事柄ではないので、戦後3回めの式年遷宮(第61回=1993年)の際は、大宮司が天皇陛下(昭和天皇)に「拝謁」した際に「次期式年運営のご準備をとり進めるように」との発言を賜ったのちに「準備の大綱」を神宮側が作成し、宮内庁(長官)を通じて天皇陛下(昭和天皇)の「ご聴許」(1984.02.03)を受けて具体的な準備に入った。天皇陛下の「ご発意」により始まる、という「本来の姿」により近づいた(p.26)。
 (上のような経緯はこれまで知らなかった。-秋月)
 ・天皇陛下ご自身は遷宮の儀式(最終的な「遷御の儀」)に直接には関与されない。
 戦後最初の式年遷宮の祭主(実質的には天皇陛下の名代に当たると考えられる-秋月)は北白川房子・明治天皇内親王で、皇族代表としての列席は高松宮宣仁殿下(昭和天皇の弟)(p.20)。
 戦後2回めの式年遷宮の祭主は鷹司和子・昭和天皇内親王(今上天皇の第三姉)で、皇族代表としての列席は常陸宮正仁殿下(今上天皇の弟)。
 戦後3回めの式年遷宮の祭主は池田厚子・昭和天皇内親王(今上天皇の第四姉)で、皇族代表としての列席は秋篠宮文仁殿下(今上天皇親王、皇太子殿下の弟)。
 天皇陛下はいずれの回も「出御」(「遷御の儀」のためにご神体とともに新正殿地に向けて出立することだと思われる-秋月)の時刻に合わせて、皇居内で神宮を「遙拝」された。(なお、内宮と外宮の二つあるので二日に分けて「出御」・「遷御の儀」は2回あった筈だ-秋月)
 ・戦後最初の式年遷宮(1953)の翌春(1954.04.08)に昭和天皇・香淳皇后が神宮をご親拝された際の、天皇陛下御製は次のとおり。
 「伊勢の宮に詣づる人の日にましてあとをたたぬがうれしかりけり」。
 (次回の式年遷宮は上記のことから明らかなように、2013年だ。内宮入口の宇治橋の立て替え(正確には別の箇所での新しい橋の建設)がすでに進んでいる)。

0649/天皇・皇室と伊勢神宮をあらためて考える-たぶん・その1。

 一 ある本(冊子)を読んで、神宮(=伊勢神宮)に関して又は当地を奉参されて天皇陛下がお詠みになった歌のいくつかを知り、いささかの感動を覚えた。他にもメモしておきたい事項を多く含む本(冊子)だが、まずは、天皇陛下御製を紹介しておく。<左翼>や神宮(=伊勢神宮)参拝の経験のない人には何の感慨も湧かないかもしれないのだが。
 明治天皇
 「とこしへに民やすかれといのるなるわが世をまもれ伊勢の大神」
 明治天皇(日ロ戦争勝利後のポーツマス条約締結後、1905年)
 「久方のあめにのぼれるここちしていすずの宮にまゐるけふかな」
 大正天皇(皇太子時代のご結婚の報告の際、漢詩、1901年)
 「納妃祇告げて神宮を謁す/一路車を馳す雨後の風
 継述敢て忘れんや天祖の勅/但菲徳を漸ぢ窮り無し」(訓みは木下彪)
 昭和天皇(1980年5月、三重県での全国植樹祭の前)
 「五月晴内外の宮にいのりけり人びとのさちと世のたひらぎを」
 昭和天皇
 「わが庭の初穂ささげて来む年のみのりいのりつ五十鈴の宮に」
 今上天皇(皇太子時代、ご結婚報告の際)
 「木にかげる参道を来て垣内なり新しき宮に朝日かがやく」
 今上天皇(1993年の式年遷宮の翌春、1994年=平成6年)
 「白石を踏み進みゆく我が前に光に映えて新宮は立つ」(以上、p.42-44)
 二 この本(冊子)によると、天皇の神宮(伊勢神宮)ご親拝の回数は次のとおり。
 明治天皇-3、大正天皇-5(うち皇太子時代4)、昭和天皇-11(別に皇太子時代に7回)、今上陛下-3(別に皇太子時代に8回)。
 皇后の、天皇とご一緒ではないお一人でのご参拝の場合を含む回数(皇太子妃時代を含む)
 昭憲皇太后(明治天皇妃)-1、貞明皇后(大正天皇妃)-4、香淳皇后-8、美智子皇后陛下-8(以上、p.41-42)。
 三 ある本(冊子)とは、大原康男・戦後の神宮と国民奉賛(伊勢神宮崇敬会〔叢書10〕、2005年11月、400円)だ。本文、計54頁。
 伊勢神宮や天皇とは直接の関係はないが、いわゆる<村山談話>の「空虚」性、それが公的にも絶対的なものではないことは、大原康男産経新聞12/16の「正論」欄の文章がとりあえずは最もしっかりと書いていたように思う。
 四 上につづける。月刊正論2月号(産経新聞社)の安倍晋三=山谷えり子対談の中で安倍晋三は、①「侵略」概念を使った最初の首相は細川護煕、②その次の首相の<村山談話>以降、これを継承するかが(マスコミの)「踏み絵」になった。③換わる<安倍談話>を出そうとしたが、(橋本首相→小渕首相の)1998年の日中共同宣言でいわゆる「村山談話」の「遵守」を明記していることを知り、一方的に破棄できにくくなった。④国会では「継承」を表明しつつ、<政治は歴史認識を確定できない。歴史分析は歴史家の役割だ>と答弁し、野党から実質的には「継承」でないとの批判を受けた、といった苦労?話を述べている。日中共同宣言における<村山談話>(正式名称はもっと長い)の「遵守」という文言は、外務省の官僚が下準備をし、無神経になっている当時の内閣(・総理大臣)が無意識に・無自覚に了承したのではないか。
 散漫になったが、今回は以上。

0563/大原康男・象徴天皇考(展転社、1989)第一章読了-<象徴侮辱罪>は合憲。

 一 大原康男・象徴天皇考―政治と宗教をめぐって(展転社、1989)は、第一章を数日前に読み終えて、次の章に入っている。
 第一章は「象徴天皇と皇室の伝統」でp.102までと長い。
 ともあれ、<統治権の総覧者から象徴にすぎなくなった>と理解し強調するのと、現憲法上の<象徴>性の意味を積極的に語ろうとするのでは、憲法解釈論にも違いが出てきそうなのは確かだ。多数説および政府解釈も認めている(とされる)「象徴」としての天皇の<公的行為>の中にどのようなものが入ってくるかは、今回は立ち入らないが、祭祀行為の位置づけ、皇室経済法の具体的内容、祭祀関係規定の皇室典範(法律)からの除外等々に関係してくる。あらためて、このあたりのことを今日の憲法(学)教科書・概説書を実際に見て確認又は検討してみたい。
 
二 1 興味を惹いた一つは、日本社会党のブレインだった(自衛隊「違憲合法」論を少なくとも示唆した)と見られる元東京大学の憲法学者・小林直樹ですら、現憲法のもとで、「特殊な天皇制を存置する以上、象徴侮辱罪というようなものを設けても、―立法政策としてはむろん反対だが―憲法違反ではあるまいと考える」と述べているらしい、ということだ(p.34)。
 戦前の<不敬罪>の正確な内容と運用を知らない。だが、一般国民と異なる<天皇>という世襲職を憲法が「象徴」として設けることを明言しているのだから、天皇陛下についての<象徴侮辱罪>というものがあっても、理屈としては不思議ではなく、ただちに憲法違反にはならないだろう。
 日本共産党(員)あたりはすぐに<国民主権制>と矛盾し違憲だと単細胞的反応をするだろうが、<国民主権>を謳い、かつ<平等原則>(法のもとでの平等)を明記する憲法が同時に「世襲」の「天皇」の存在を認めているのだ。憲法は、一部の都合のよい原理・条項だけを持ち出すのではなく、総合的に解釈されなければならない。
 とはいえ現実に<象徴侮辱罪>を新設する(刑法改正又は独自法律の制定)は困難なようだ。人権擁護委員会なる国家行政組織法三条機関が想定されているならば、<皇室擁護委員会>でも設置して、天皇・皇族への<侮辱>的発言・出版をとり上げ、何らかの勧告・指導をできるようにしてもよいだろうが、対象とすべき<侮辱>の内容およびその(公表)方法の具体的判断はむつかしい。人権擁護法案について言われているのと同じ問題が生じそうだ。
 国家行政組織法三条機関に第一次的には委ねるのではなく、警察官・検察官に直接任せること(刑罰の直接適用)も一つの方途だが、これまた具体的判断はむつかしく、<表現の自由>等の侵害可能性等の反対論が一斉に噴き出しそうだ。
 というわけで、合憲であっても現実にはとても法的規制にはなじまないように思うが、しかし、国民がもっておくべき精神論・<心構え>としては、やはり、国家と国民統合の「象徴」である天皇というお方に対する何らかの敬意的なもの、対等に物言いできるお人ではないという気持ち、を持つべきなのではなかろうか。
 誰かの表現にあったが、国家と国民統合の「象徴」たる地位に就くことを国民は<お願い>しているのであり、かつその地位は「世襲」であって、2660年とは言わないまでも少なくとも1500年は血統が続いていることが正式文書等の上でも明瞭な<天皇家>(?)の当主なのだ。
 2 天皇とそれ以外の皇族とを同一視することはできない。しかし、やや大雑把に書いてしまうが、皇太子・皇嗣として次代天皇になられることが予定されているお方、ついで皇位継承順位第二位のお方や皇后陛下・(次代皇后となられることが想定される)皇太子妃殿下についてもまた、何らかの<敬譲>の気持ちはあってしかるべきなのではないだろうか。
 <象徴侮辱罪>が合憲的に成立しうるならば、<皇室(皇族)侮辱罪>も(その立法政策的当否、現実性は別として)法的には合憲的に成立しそうに見える
 国民に対して完全に<開かれた>皇室など存在する筈はなく、皇室・皇族に関するあれこれを全く自由に発言・出版してよいとは(少なくとも道徳的・倫理的には)思えない。
 佐高信らの週刊金曜日主催の集会が、悠仁親王に模した縫いぐるみの人形を投げ遊ぶことを含むパフォーマンスをしたことがあった(確認しないが、たぶん一昨年末)。これは「公」の面前でなされた。
 家庭内で、あるいは喫茶店内で、家族や知人たちと皇太子妃殿下や秋篠宮妃殿下のにことをあれこれと噂しあい、あるいは情報交換しあい、それにもとづいてあれこれの分析や今後の処方箋なり解決策を<世間話>の類として話題にしあるいは提言する程度のことは許されるし、法的な規制が及ぶべきではないだろう。
 但し、現皇太子の天皇不適格論(皇位継承不適格論)又は少なくとも現皇太子の皇位継承疑問視論や、これらを含む可能性が論理的にはある現皇太子妃の<皇后位継承再考論>が、堂々と、三・四流とは一般には評されていないとみられる月刊雑誌上に「公」にされるとなると、はたしていかがなものだろうか。
 それも表現(・出版)の自由かもしれないが、そのような議論を個人名を出して「公」にできる(そして活字化させて将来=未来永劫に残す)とは大した<勇気>だと感じ入っている。少なくとも私にはできない。
 <表現(・出版)の自由>にも元来、<内在的制約>というものがある。天皇・皇室との関係でそれを全く意識していない議論が<保守>の側から(も)出ている。戦後日本の、<表現・出版の自由>が保障されているとの「自由」意識は、このようにして<保守>の(筈の)論者の数人にまで及んでしまった、という感慨を私は今もっている。

0536/西部邁における近代主義・左翼・価値相対主義-別冊宝島・左翼はどこへ行ったのか!

 一 別冊宝島・左翼はどこへ行ったのか!(宝島社、2008.05)の中の西部邁へのインタビュー記事(「60年安保の東大委員長が語る『左翼』」-取材・文/高山数生)を読んで、西部邁はさすがになかなか鋭いなぁと感じた。
 ①近代主義・「左翼」につき-「近代主義とは、要するに大して教養もない、経験もない、人間ごときの存在が思いついたものを、普遍性があるように見せかけ、抽象的概念に基づいて、この社会に大がかりな変革を仕掛ける。それを左翼は『革命』って言っているだけ」。「そういう近代主義のことを実は『左翼』っていうわけ」。「左翼って言葉はフランス革命のときの言葉です。ジャコバン党ですよ。…自由だ、平等だって叫んでた奴らですよ。理性だ、合理だ、啓蒙だって」(p.44)。
 ②価値相対主義につき-「価値相対主義とか、個人の自由とか、あれは全部嘘話なわけです」。「価値相対主義っていうのは、他人になんの関心もない変な奴らの思想です」。「価値相対主義なんていってるのは、他人に対して、外国に対してでもいい、本格的関心を持たない奴らが価値の多様性とか個人の自由とかってほざいてるだけのもの」。「あいつらの精神、さらにいうと現代人の精神は、おそろしく衰弱し退歩している。その…衰弱とか退歩に有力な貢献をしたのが、いわゆる『左翼』だっていうことだね」(p.47)。
 上の①は樋口陽一やその追随者、いや多くの憲法学者に対する批判になっているだろう。もっとも、近代主義=「左翼」という用語法が一般的かどうかは知らない。
 いずれにせよ、書いた論文ではなく、質問に対する話し言葉で上のようなことを瞬時に語れるというのは、さすがの能力だ。
  いくつかのたぶん偏見があって西部邁は殆ど読んでいない。西部邁・六〇年安保-センチメンタル・ジャーニー(文藝春秋、1986)も持っているだけで、未読。他にも同様なのがある。何かを本格的に読むと面白いかもしれない。
 ところで、<左翼はどこへ行ったのか!>という雑誌?タイトルは妙だ。「左翼」と自称はしていなくとも、朝日新聞を筆頭に、大学教授の中も含めて、世間・巷に溢れているではないか。
 二 最近の書き込みはほぼいくつかのテーマに限定されている。一つは天皇・皇室・政教分離問題。大原康男・象徴天皇考(展転社、1989)と中西輝政=福田和也・皇室の本義-日本文明の核心とは何か(PHP、2005)は、かなり読み進んだ。月刊・諸君!の特集の中の文章についてもまだ書きたいことがある。
 二つは、フランス革命・ジャコバン主義・一七九三年憲法の評価の問題。樋口陽一辻村みよ子等の批判的検討(大袈裟か?)はさらに続ける。
 三つは、共産主義・コミンテルン等の「謀略」。日本国憲法の制定過程もこれと無関係ではなく、何回か書いてみたい。/その他、朝日新聞や日本共産党の個別問題。
 書きたいことはたくさんあるが、時間はたくさんはない。

0514/大原康男の本を読み続ける。戦争と「朝日新聞」らの世論、「十五年戦争」。

 一 大原康男・天皇-その論の変遷と皇室制度(展転社、1988)をさらに読み続けて、p.188まで。
 1 戦前は天皇・皇室自体に固有の財産があったようだが、戦後は三種の神器・宮中三殿・微少の有価証券類を除いて、皇居・御用邸・陵墓等は国有財産となった。国有財産のうちの行政財産のうちの皇室用財産だ〔他に公共用財産・公用財産等の種別がある〕。大原・上掲書の「戦後の皇室の民主化を問う」によると、昭和62年(1987年)の「内廷費」総額は約2億5700万円(p.154)。この費用で一般の「祭祀」は行われるが、「仄聞するところによれば、祭祀費のやりくりも決して楽ではないとのこと」(p.155)。英国・エリザベス女王の財産は7600億円、チャールズ皇太子のそれは770億円で、別途国家からの王室費も計上されているとか(p.154)。
 2 上の本のうち「昭和史の教訓―政治と軍事と」によると、杉森久英はエッセイ集(『昭和史見たまま』)の中で、昭和10年代の「軍国主義全盛」は「第一次大戦後の戦争反対、軍事否定、軍人蔑視の風潮がみずから招いたものだといえなくもないだろう」と書いた。第一次大戦後の欧州を席巻した戦争嫌悪・平和主義の気分が日本にも及び、「軍縮」が「世論の圧倒的支持の下」で断行された(p.175)。
 軍人だった武藤章は、第一次大戦の中頃からの世界での「軍国主義打破、平和主義の横行、デモクラシー謳歌」を「日本国民」は「日本軍人」に対して向けた。軍人に「嫌悪の眼をむけ」、ときには「露骨に電車や道路上で罵倒した」とのちに書いた(p.176)。
 また、杉森久英は満州事変以降は「冬の時代」の「屈辱と怨念」を晴らす「軍人の復讐」だと書いた、という(p.177)。
 <大正デモクラシー>の中にあった「ゆき過ぎた反軍感情」等を大原は問題にしている。そして、「滔々たる平和主義・厭戦思想・反軍感情の奔流」を前に、軍の立場は弱くなり、かつ政党も政治家も「政治と軍事との関係、国務と統帥との関係、政略と戦略との関係」を根本的に見直すことを怠った、旨を述べている。
 <天皇論>からある程度離れるが(「統帥権」問題では関係する)、上のようなことは戦後日本の「平和主義・厭戦思想・反軍感情」(の「滔々たる」「奔流」?)についてもある程度は示唆的だ。すなわち、軍事を知らずして、軍事を忘れて(=軍事・軍人をバカにして)、平和を語れるのか?、平和を維持できるのか?、ということだ。
 二 ところで、第一次大戦後の日本の「世論」は<戦争嫌悪・平和主義の気分>で、「軍縮」も圧倒的に支持したようだが、北岡伸一・政党から軍部へ/日本の近代5(中央公論新社、1999)によると、1931年の満州事変勃発後のある時点では「世論の方が前に出つつあり」、関東軍はそれをうまく利用した(p.162)。また、より一般的に「『大阪朝日新聞』に代表される進歩的と目される新聞まで、一斉に事変を支持」していた。
 反対にせよ賛成(支持)にせよ、「世論」とそれを形成する新聞等のマスコミの影響力は怖ろしいものだ。かつての満州事変以降の事変や戦争につき、朝日新聞他人事のように断罪し、政府・軍部要人の<責任>を糾弾しているが、かつての自らも<戦時体制>の中にいたことを忘れてもらっては困る。
 三 さらに離れるが、マルクス主義的歴史学者を中心に、満州事変開始(1931.09.18)から1945年の八・一五の敗戦詔勅(又は9月の降伏調印?)までを「十五年戦争」と呼ぶことがある。実際には14年間足らずしかないのだが。
 もっとも「十五年戦争」という語は一般化してはおらず、上の北岡伸一著は使っていない(索引にもない)し、有馬学・帝国の昭和/日本の歴史23(講談社、2002)も同様だ。また、あの?岩波書店による岩波新書の加藤陽子・満州事変から日中戦争へ/日本近現代史⑤(2007)ですら、「十五年戦争」という語は使っておらず、索引事項にもない(但し、私は「支那事変」のことを「日華事変」と習った世代だが、今は1936年以降は「日中戦争」と称することが多いようだ)。
 しかるに、先日言及した、デアゴスティーニの昭和タイムズの昭和6年号(第30号、2008/5/13号)は、満州事変について「15年戦争の発端となった関東軍の一大策略」との大きな文字の見出しで記述している。
 デアゴスティーニのこの雑誌(冊子?)は、いったいどういう傾向の歴史専門家が文章を書き、特定の概念を使っているのだろうか? 歴史専門家が書いているのではないとすれば、記述者はいったいどんな書物を読んで文章をまとめ、見出しをつけているのだろうか。
 大原の皇室論からだいぶ離れたが、<左翼>は気味が悪く、怖ろしい。映画にも本にも冊子にも(むろん新聞にもテレビにも)何食わぬ顔をして棲息している。

0513/大原康男・天皇―その論の変遷と皇室制度(展転社、1988)を半分読んだ。

 曽野綾子・沖縄戦・渡嘉敷島-「集団自決」の真実(ワック、2006)は所持している筈で、(小林よしのり・山崎行太郎にかかわって)現物を見て何か追記する必要を感じているのだが、何故か手元周辺に見つからない。
 大原康男・天皇―その論の変遷と皇室制度(展転社、1988)をp.140まで、約半分を読んだ。
 1985年に初出の「戦後天皇論の変遷」(上掲書第一章の4節)によると、戦後占領期の「反天皇論」は大別して二つあった。一つは「講座派」マルクス主義に立ち「封建的絶対君主制の一種」等と捉える、羽仁五郎、井上清、伊豆公夫、戸田慎太郎、神山茂夫ら。もう一つは、「啓蒙主義的傾向の強い一部リベラリスト」によるもので、「本質的に民主主義と両立しない」と断言した横田喜三郎(当時東京大学法学部教授(国際法)、のち最高裁裁判官-秋月)、共和制憲法案を作った高野岩三郎ら。そして、大原によると、丸山真男は「両者をつなぐ思想的接点のような位置」にいた(p.75-76)。
 その後「今日」(=1985年)までの議論状況をみて、大原は次の三派?に分けている。第一は天皇制度「肯定・支持派」で、福田恆存、村尾次郎、清水幾太郎、戸田義雄、黛敏郎、江藤淳、渡部昇一、村松剛、小堀桂一郎、第二の「否定・廃止派」は、いいだもも、野坂昭如、松浦総三、渡辺清、菅孝行、松浦玲、第三の「積極的に肯定」もせず「はっきり否定もしない」「中間派」は、山本七平、佐藤功(憲法学者-秋月)、和歌森太郎、橋川文三、松本健一
(p.84)。
 以上あくまで大原による。山本七平や松本健一は「中間派」なのかという感想も残るが、とりあえず、参考にしておこう。とくに松浦総三、菅孝行
あたりはときにその名を目にすることがあるような気がするので。
 その大原は天皇(制度)に関する本を100冊選んで紹介しているが、その一つに
菅孝行・天皇制ノート(田畑書店、1975)を挙げ、次のように紹介・論評する(p.108)。
 「現在」(=1985年当時)「もっとも熱心に反天皇キャンペーンを実践している」著者の代表著。「反天皇論者」は殆どが「戦前の天皇制に対する怨念を原体験としてもっている」が、「純然たる戦後世代」。「その情熱はどこから出てくるのか」。
 以上のような論者の分布?に関心をもつほかは、大原の主張の内容は殆ど又はおおむね理解できる。天皇の祭祀行為を「私的行為」として皇室経済法上の「内廷費」で負担するのは奇妙だ等とこれまでこの欄で書いてきたが、私ごときが思う(思いつく)又は考える(考えつく)程度のことは、すでに誰かがもっと正確にかつ説得力をもって書いて(主張して)いるものだ、という想いをあらためて持たざるをえない。
 「皇室祭祀こそ象徴天皇制を支える真の基盤である。皇室祭祀が単なる皇室の『私事』に非ざることは、もはや明白であろう」(p.140)。

0512/宗教・政教分離・大嘗祭あれこれ-大原康男・小堀桂一郎らの論述。

 一 ドイツでは、市町村又は基礎的自治体のことを「ゲマインデ(Gemeinde)」というらしい。「ゲマイン」という部分は、ゲマインシャフト(Gemeinschaft=「共同体」)とも共通する語頭だろう。
 この程度の知識をもってドイツの標準的・平均的な国民の一人と思われる某人とドイツ滞在中に話していたら、その人は「ゲマインデ(Gemeinde)」という語で連想するのは、まずは「教会」だ、という旨を言ったのでやや驚いた。あとで、ドイツの(小さくとも美しい又は可愛い)「ゲマインデ(Gemeinde)」にはたいていは街の中心部の広場に面して(プロテスタント系の?)教会が存在していて、すぐ傍らに役場もある、したがって、地域自治体(「ゲマインデ」)の宗教的拠点又は一種の霊的(聖的)な集会場所として、「教会」は「ゲマインデ」を連想させるのだろう、などと漠然と考えていた。
 二 田中卓=所功=大原康男=小堀桂一郎・平成時代の幕明け-即位礼と大嘗祭を中心に-(新人物往来社、1990)の共著者の4つの論文を殆ど読了した。上のようなことを書いたのも、<宗教>にかかわって、何となく連想してしまったから。
 1 大原康男「政教分離をめぐる問題」によると、①最高裁が津地鎮祭訴訟判決(1977.07.13)で国・地方公共団体も「一定の条件のもとで宗教と関わることができるという限定的分離主義」(「目的効果基準」等を用いた個別的・実質的判断)を採用したにもかかわらず、「完全分離主義の誤った解釈を今なお憲法学者とマスコミがあきもせず墨守している」(p.123、p.127)。
 この指摘のとおりだとすると、「憲法学者とマスコミ」の責任は重大だ。政教分離原則違反を原告が主張する訴訟の多さも、「憲法学者とマスコミ」に支えられ、又は煽られているのかもしれない。
 また、大原・同上によると、②占領中の1951年に貞明皇太后(今上天皇の祖母・昭和天皇の母)が崩御されたあと、皇室の伝統・慣例により(戦前は法令の定めがあったので事実上はこれに則り)神道式で、国費で支弁して「国の儀式」として「事実上の準国葬」として御葬儀が挙行された(p.115-6)。1949年11月に当時の参議院議長・松平恒雄(会津松平家・秩父宮妃の父)が逝去した際の葬儀は「参議院葬」として(つまり国費を使って)「神式」で行われた(p.121)。1951年に幣原喜重郎(元首相・前衆議院議長)が逝去した際の葬儀は「衆議院葬」として(つまり国費を使って)「仏式」(真宗大谷派)・築地本願寺で行われた。同じく1951年、長崎市名誉市民・永井隆が逝去した際の葬儀は長崎「市民葬」として(つまり市費を使って)「カトリック式」・浦上天主堂で行われた。これらにつき、GHQは何もクレームを付けなかった(松平恒雄の葬儀ではマッカーサーは葬儀委員長あての哀悼文すら寄せた)(p.115-6、p.121-2)。大原による明記はないが、マスコミ・国民もこれらをとくに問題視しなかったと思われる。
 しかるに、と大原は今上天皇による大嘗祭ついて論及するが、尤もなことだ(但し、大嘗祭は「宗教上の儀式」との理由で「国事行為」とはされなかったが、「私的行為」とされたわけでもなく、皇位継承にかかわる「公的性格」があるとされ、皇室経済法上の「宮廷費」から費用が支出された、ということも重要だろう。p.136-7の資料(政府見解)参照)。
 そして思うに、<南京大虐殺>が戦後当初、東京裁判の際もさほど大きくは取り上げられなかったにもかかわらず、のちに朝日新聞の本多勝一のルポ記事によって大きな<事件>とされ<政治・歴史問題>化したのと同様に、<政教分離>問題の浮上も、戦後当初は(国家と宗教の分離には厳格だった筈のGHQ占領下ですら)大きな論争点ではなかったのに、一部の<左翼>や「政治謀略新聞」・朝日新聞等が<政治・憲法問題>化するために騒ぎ立てた(?)ことによるのではないか、という疑念が生じてくる。
 2 小堀桂一郎「国際社会から見た大嘗祭」は君主・国王をもつ外国各国における<国家と宗教>の関係につき有益だ。
 但し、①折口信夫による「天皇霊」という概念を持ち出しての大嘗祭の性格づけ(p.157~)は不要ではないかと、素人ながら、感じた。第一義的には天皇・皇室自体が判断されることだが、皇祖・天照大神に新しい食物(その年の新しい収穫物による米飯)を捧げ、かつ新天皇も同じそれを食すること等によつて<一体化>をシンボライズする、天皇家と「日本」国家の「歴史」を継承するための<歴史的・伝統的な>儀礼なのではないか(不必要に「秘儀」化することもないだろう)。
 ②「宗教的」とは何か、とはまことに重要な問題だ(p.171)。あらためて、日本国憲法20条等がいう「宗教」あるいは「宗教活動」の厳密な意味を問いたい。小堀は西洋近代の「宗教」概念と「日本古来の祭儀儀礼…」は同じではない、キリスト教・イスラム教・仏教それぞれに特有の「宗教的」な面があるとしても「平均値をとってすむような、普遍的概念」としての「宗教的」なるものはない、と述べる(p.170-1)。これらは正鵠を射ている指摘だろう。
 宗教を、あるいは神道を(反「神道」意識→反<天皇制度>感情)、政治的闘いの道具にするな、あるいは社会的混乱を生じさせるための手段として使うなと、ある種の政治的活動団体に対しては、朝日新聞も含めて、言いたい。

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  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
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  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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