産経2/12夏目誠「若者に多い『叱責への免疫力低下』」は「若者の『注意、しかられることへの免疫力』が低下している」とし(「注意」されると逆ギレする、登校・出社拒否になる)、「少子高齢化、長男・長女社会で大事に育てられ、親や学校の先生にしかられることが少ない。地域社会の人も注意することが減った」と続ける。
 適切な?叱責の方法は次回らしいが、上の「若者」の現象はそのとおりで、現代日本と日本人の状況と深く結びついている気がする。
 教師-学生・生徒、親-子という「上下」関係も、<平等>教育・<みんな対等>教育とそのような意識・心理の前では霞んでしまっていることが少なくないようだ。
 教師も親もまた、殆どが、<戦後民主主義>のもとでの<みんな対等>教育を受けてきた。また、確固たる社会・国家目標とそれを前提とする<規範>がなくては、個人主義(個人の尊重)・多様な「個性」重視の前で怯えて、<叱責>することができなくなる。
 上の文章の中の「大事に育てられ」は「甘やかされて…」の方が正しいだろう。15~20歳ほど上の世代からは、「団塊」世代もまた、「甘やかされて…」という皮肉・批判を受けてはきたのだが。
 生徒を正しく「叱責」できない学校の教師の中には日教組や全教の組合員又はそのシンパも多いだろうが、産経2/11曽野綾子の週一連載のコラムは、「日教組がどうしてそんなに高価な会場費の要るホテルで集まるのか」と皮肉っている(ホテルとはグランドプリンスホテル新高輪らしい)。
 なるほど。日教組も贅沢になってきたものだ。毎年のように話題になる日教組関係の集会会場問題だが、自前の会場くらい持っていないのだろうか。あるいは日曜日又は夜間に利用を認めてくれる(日教組シンパ教授の多い)大学の一つくらいありそうに思えるのだが。