秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

地方事務官

0317/産経・山本雄史記者への質問と助言・4。

 一 産経・山本雄史のブログ上にはまだ、<秋月氏に答える>、<…に反論する>というタイトル又は内容の文章は掲載されていない。但し、コメントに対して8/06付で「返信」はしているようだ(私の質問等1は8/4夜)。私もこれまでのものも含めて「コメント」欄に記述してみようか? そうすれば「返信」を頂戴できるだろうか?
 二 山本自身の発言(記述)内容を補足しておく。
 安倍首相につき-⑧会見のやりとりを見て「安倍首相はあまりにもズレているように思」った、⑨「国民の審判を安倍首相は本当に受け止めているのか、会見の受け答えをみていて…そう思った」。⑩「地位と権力にしがみついている印象、安倍首相の一連の発言や態度などから十分に感じられると思う」。
 他マスコミの報道および産経新聞の紙面につき-⑤「産経紙面は、赤城大臣の事務所費問題、発覚2~3日は驚くほど報道量は少なかった…。選挙前にこういう問題が発覚すること自体は、十分ニュースであると私は思っていたので、もう少し産経も報道した方が良かったのでは」と感じた、⑥「安倍首相の理念がなぜ国民に伝わらなかったのか、メディアだけの責任ではない」。
 前回小沢一郎について触れた部分を①として、小沢につき-②「小沢氏のどぶ板っぷりは見事だったと思います」。
 三 ところで、山本はまだ入社6年余りの20歳代の記者らしい。経験も経験の抽象化・理論化も基礎的な文献等による勉強も不十分であるに違いない。
 大学を卒業して就職した人々の中の一部にありがちなのは、大学を卒業したくらいでは、そして就職試験に合格したくらいでは社会人として実際に生活し仕事をするいかほどの能力も資格もないにもかかかわらず、<一人前>の社会人になったように<錯覚>してしまうことだ。この<錯覚>がマスコミ人の中に出てくると、大変なことになる。
 山本のブログ文やコメントへの返答を読んでいても感じる。この人は、大きな錯覚をしているのではないか?、政治(も)担当の記者になって一般人・平均的国民よりも適切に<政治>を語れる資格・能力があると、<傲慢>にも<錯覚>しているのではないか?、と。入社6年余程度で一体何が語れるというのだ。そして既に質問もした中に含意させたつもりだが、<政治>に関して、いかほどの知識・見識があり批判・分析能力(を生んだ経験・勉強の蓄積)があるというのだ
 そもそもの問題は、大した力量もない「若造の」政治(も)担当記者が、首相の出所進退という大きな政治問題について、<感覚>または<思いつき>程度で、諸問題を十分に考慮することなく、結論的なことを書いてしまった(少なくとも示唆した)ということにある、と思われる。今回のような内容の<感想>程度のものは本来はいくら個人的に感じたことでも<記者ブログ>に適当に書くのは適切ではなかった(少なくとも、まだ山本には早すぎた)、と私は思う。そのことによって、この私の一文もその一つだが、かなり多くの人に余計な(反発を含む)エネルギーをかけさせている。
 叙述の内容・結論自体よりも前に、日本政治上の重要なかつ現実的だった争点について、<感想>程度のものを<適当に>書いてしまったこと自体にまず問題があり、そのことを職業人・山本雄史はまず反省すべきだろう。
 書いたときは産経読者やイザ!読者はともかく、一般国民レベルでは圧倒的に支持される筈の思い・感想・主張だと感じていたかもしれないが、その後の反応を知ってこの人はようやく自らの軽率ぶりを少しは反省しているのではなかろうか(と期待する)。自民党敗戦の責任は安倍首相にはないとの意見の方が多いという世論調査結果を示している新聞もあるのだ。(山本の本意とは異なる主張らしい)産経のみならず、読売も日経も続投を明瞭に支持したのだ。ネット上で、この人は一種の「ピエロ」になっている。恥ずかしく感じているだろう(と期待する)。
 四 以上のように書くとやや筆致も鈍るが、予定どおり、前回につづく第四点に入る。
 第四に、山本雄史記者は7/30のブログ文で(安倍政権が?)「労働組合批判を繰り返すのは得策ではない」との「見解も示してきた」、と簡単に書いている。この「労働組合」とは社会保険庁の労働組合のことだろう。
 さて、まず瑣末で技術的な知識の問題かもしれないが、1.非現業公務員らには労組法上の「労働組合」はなく職員団体しかない、2.社会保険庁の職員はかつて都道府県に置かれた機構に勤務しながらも身分は「国家公務員」とされた(所謂「地方事務官」制度)、3.分権改革関連法令によって同制度は廃止されたにもかかわらず、職員団体(世間で不正確にいう労組)は2007年4月までは都道府県のそれに属するとされ、上部団体は所謂「自治労」(かつては日本社会党系。今は民主党系らしい)だった。
 上の3.に関して、読売8/06朝刊には興味深い記事がある。すなわち、2000年の分権改革法令施行後も2007年まで国の機関である筈の社会保険庁職員1万人を都道府県職員と同じく自治労傘下にすることを2000年の分権改革関連法令で認めたことについて、1999年に当時の社民党・村山富市元首相から「自治労が困っている…」と言われたので自民党・自由党に働きかけた結果だ、と公明党の草川昭三(今回、比例区で落選)が明らかにし、「内心忸怩たるものがある」と「悔や」んでいる、という。
 私も書いたことがあるのだが、社会保険庁職員(団体)の労働慣行のヒドさは、「地方事務官」制度とその廃止(=正規の国家公務員化)にもかかわらず職員団体は「自治労」加入を認めたことと無関係ではないだろう、と理解している。
 さて、今日の草川昭三のコメントはともあれ、その上の段に1.2.3.と記述したようなことを、「労働組合批判を繰り返すのは得策ではない」と何気なく書いた山本雄史は知っていたのだろうか。そんな知識はなかっただろうと想像するのだが、いちおう質問しておく。イェスかノーかで答えていただきたい。
 こういう細かな?ことよりも問題にしたいのは、山本雄史は、労働組合というもの、その上部団体の「自治労」、そしてそうした上部連合組織を指導した<労働運動>理論について、山本氏はどの程度理解し、どのように評価しているのか、ということだ。
 現在は民主党支持の労組・労組全国組織の幹部は今はもはや、内心でも日本をソ連のような社会主義国にしようとは思っていないだろう。ソ連はもはや存在しないからだ。また、存在する社会主義国(中国・ベトナム等)のように…ともさすがに公言はできなくなっているだろう。
 だが、詳細は知らないが、かつて「自治労」等が支持した、逆にいえば「自治労」等が<指導>を受けた日本社会党には(欧州の社会民主主義政党とは異なり)マルクス主義者(・社会主義者)が有力なグループとして存在しており、一時期は明瞭に日本の「社会主義」化を本気で狙っていた。むろんそうした社会党左派をさらに理論指導する知識人・大学教授もいた。
 かかるかつての時代と現在はむろんだいぶ異なっているだろう。だが、「社会主義」化を公然と標榜しないにせよ、反「資本主義」感覚、反「自由主義」感覚さらには-適当な言葉がないので困るのだが-<反日・自虐的>感覚は、一部の職員団体・労働組合やその上部団体の幹部には脈々とまだ受け継がれている、と私は考えている。自治労とは関係ないかもしれないが、今回も当選した民主党の岡崎トミ子の行動、かつて社民党にいた田嶋陽子のアホらしい(ピエロ役の)発言内容等を思い起こせばわかるだろう。
 そこで、憲法九条改正には賛成らしい山本雄史に質問する。労組の一部をかつて決定的に支配し、かつ現在もその可能性のあるコミュニズム(マルクス主義・社会主義)の<問題点と怖さ>をどのように認識しているのか。たんにもはや古い、支持しない、という回答だけでは困る。<問題点と怖さ>をできるだけ長く叙述してご回答いただきたい。
 この質問は、前回に述べた第二点とも関係している。
 山本雄史は安倍首相や安倍内閣にはなぜか厳しく、朝日新聞等や労組にはなぜか「甘い」のだ。簡単に表現すれば-再び適当な概念がないので困るのだが-この人はなぜか、<左に甘い>のだ。
 こういう心情は珍しくもないが、産経の記者としては珍しいのではなかろうか。だからこそ関心が涌く、何故にこんな心情が形成されたのだろうか、<左翼>の核心に(亜流・亜種も含めれば現在も)あるマルクス主義の<問題点と怖さ>をこの人はきちんと理解しているのだろうか、という関心が。
 ぜひ、質問に答えていただきたく、せつにお願い申しあげる。まだ触れていない重要なテーマは次回に。

0253/日本年金機構は独立行政法人か「特殊法人」か。

 昨夜というより今朝の「朝まで生テレビ」を見ていたら、社会保険庁解体後の日本年金機構の性格について、与党系議員は非公務員型の独立行政法人だといい、野党議員(とくに民主党)は厚生労働大臣は<特殊法人>だと答弁した、と対立していた。
 この議論はあまり生産的でない。6/26に私は非公務員型の「独立行政法人だろう」と既に書いたが、与党系議員(片山さつきら)の発言を聞いていると、これでたぶん間違いない(成立した法律全文を見れば容易に分かる筈だが容易に電子情報で発見できなかった)。
 この「独立行政法人」は独立行政法人通則法にもとづくもので概念と範囲が形式的に明瞭だが、一方の「特殊法人」となると、これは(総務省の所掌事務に関する定めに出てくるが)明確な法制上の概念ではない。独立行政法人という新しい特別の行政法人形態ができたために、これを除いて用いることもあるだろうが、独立行政法人も国・地方公共団体や純然たる民商法上の法人とは異なる「特殊な」法人であることに変わらない。
 従って、大臣答弁は含めていれば誤りとはいえない(含めていないものとして答弁したとすれば与党系議員の発言を前提とするかぎり誤りで、訂正が必要だ)。
 というわけで、それぞれの意味・範囲を明確にしないと「独立行政法人」か「特殊法人」かの議論は殆ど無意味だ。
 新聞の朝刊では「公法人」とのみ記している(たしか読売と産経はこうだった)。この「公法人」概念も曖昧又は広すぎる概念だ。純然たる民商法上の法人以外のものは全て入ってしまう可能性が高い。
 どちらにせよ、政治家もマスコミも、法制又は制度に関する基礎概念についての十分な理解のないまま発言し、記事を書いているきらいがあるのではないか。
 社会保険庁職員に関するかつての「地方事務官」制度について、きちんと説明していた新聞記事はあったのだろうか。
 さらにいえば、戦後2000年4月まで続いた「機関委任事務」制度について、新聞を含むマスコミの記者たちはいかほどの基礎知識をもっていたのだろうか。
 表面的な<政争>ばかりに目を奪われて、制度の実質的内容にかかわる記事が書かれないようだと、本当は与党(又は内閣)・野党どちらがよりよい法案を提出しているかを国民が判断することができない。
 むつかしいことを書いても一般国民に理解できないと考えているとすれば一般国民を馬鹿にしているし、自分たちの勉強不足の言い訳をしているにすぎないとも言えるだろう。
 珍しく見た今朝の番組(日テレ/読売)で、竹中平蔵が年金問題はじつは<労働問題>だと発言していた。
 社会保険庁の職員全員をいったん解雇し、新しく上記機構に採用する過程で、意識的・組織的にサボタージュやミスをしたような者は排除していく必要がある。今般成立した社会保険庁→年金機構法は、そのような意図を明瞭にもつ、安倍内閣らしい法律だ。

0247/社保庁職員の自爆戦術-屋山太郎の二つの文。

 屋山太郎産経新聞6/22「正論」欄「社保庁問題は国鉄問題にそっくり」月刊WiLL8月号「旧国鉄解体よりひどい社保庁労使国賊論」を読むと、いろいろと確認できるとともに、いろいろと想像したくなる。
 まず、6/13に社会保険庁職員は国家公務員だが都道府県知事の指揮監督をうける「地方事務官」でなくなった2000年4月以降も今年2007年4月までは自治労に所属していた旨を示唆したが、現在は「全国社会保険職員労働組合」(1万1千人)として自治労から離れたこと(他に日本共産党系「全厚生労働組合」に社会保険庁職員二千人がいること)が明記されている(後者のp.34)。いずれにせよ、今年4月までは国家公務員でありながら自治労傘下の組合(「自治労国費協議会」)員だったわけだ。
 屋山の前者によると、1973年に国労の富塚三夫書記長(のち日本社会党国会議員)はストをうつ覚悟について「国鉄が円滑に機能しないことは国の力を弱め、資本主義を崩壊させるのに役立つ」と述べたらしい。
 屋山が言うように、「社保庁自治労が同じ動機で仕事をサボっていたのは想像に難くない」。
 つまり、仕事をまともにしないことによって国家や政府に打撃を与えること、社会保険事務を「円滑に機能させないことによって国の力を弱め」ることくらいは、旧日本社会党系の労組幹部なら考えていて不思議ではないと思われる。
 しかも、仕事をたんに遅らせるだけではなく、間違って事務処理をした例やその結果が多数報道されているが、それらには、公務員もミスをすることがある、というだけでは絶対に済まない、<組織的>な動きがあったのではないか、と私は想像してしまう。
 社会保険庁の職員の仕事が完全に多数の個々の職員の責任に任されていたわけではなく、職制の詳細はよく知らないが、係長、課長等がいて、遅れや間違いがあることはある程度は職場内で公然の秘密になっていたのではなかろうか。そうした不正を糺さなかった中間「管理」職は、むしろ意識的に<見逃して>きたのではなかろうか。
 地方事務官時代は職務の指揮監督権は都道府県知事にあっても任免・懲戒権は厚生大臣又は各地方の局長にあったものと推測している。所謂キャリアとして本庁と地方を頻繁に往復している公務員は殆ど?(あまり?)知らないところで、<反国家=(当然に)反国民>の、サボタージュと意識的なミスの運動が「しずかに」行われていたのではなかろうか。怖ろしいことだが、そんな想像をしてしまう。
 社会主義神話・幻想がまだ残っていれば、あるいは残っていなくとも反国家・反政府・反資本主義の気分が残っている組合であれば、また、社会保険事務所では懲戒権を伴う上司・上級行政機関の適切な監視と督励が十分に働きにくかったとすれば(←地方事務官制度の問題点)、上のような「組織的」サボタージュとミスもありえたのではないか。
 屋山の上の後者はまた、次のようなことを書いている。
 三年前の参院選前に社会保険庁のポスターに江角マキコが起用されたが彼女が年金掛金を払っていないとの情報が出て、自民党政治家の未払いが問題になり、小泉首相自身も問題にされて「人生いろいろ」とか言い、民主党・菅直人が<未納三兄弟>と揶揄したが、のち菅自身の未納が明らかになって菅は代表を辞任した。そして、「民主党応援のために未納を暴いたのが自治労系菅を暴いたのが共産党系ではないかといわれた」(p.35)。
 最後の部分に確証はないようだが、いろいろな<情報>の流出が、三年前と同様に?(今後も参院選投票日まで)政治的意図をもってなされてきたし、なされるだろう、と見ておいてよいだろう。屋山によれば、「選挙や国会審議をにらんで事件が作為的に、政治的に起こされているとしかいいようがない」ということになる。
 社会保険庁を与党は「日本年金機構」という非公務員型の組織(独立行政法人の一つだろう)にして六分割し、いったん全員を免職したのちにその一部(又は多数?)の「良質の人材」を新たに採用しようとしている。
 屋山の後者は言う、「こういう組織の存亡に直面して社保庁職員が繰り出した手段が、自爆戦術ともいうべき五千万件の記録漏れを暴くという手段だったのではないか」、と(p.36)。
 本当にそうだったとすれば(可能性はむろんある)、表向きはいちおうどちらかといえば平穏な日本でも、<政治>が、<権謀術策>が渦巻いている。いや、改めて言うほどのものではないか…。

0221/年金記録紛失問題の浮上は今なぜ?

 年金記録紛失問題がなぜ今頃になって、参議院議員選挙の前に出てくるのか、という疑問は当然に出てくる。
 産経の客員編集委員・花岡信昭の6/06のコラムは、上の問題は「安倍政権の「失政」による」のではない、「社会保険庁という、なんともいかがわしい役所の親方日の丸体質が生んだものだ」、「まじめに働かず、ずさんな仕事を続けてきた体質の根源は職員組合にあった。日教組と並んで批判の的となってきた自治労である。民主党の有力な支援母体だ」などと書いている。
 つづけて同氏の6/13のコラムは経緯についてより詳しく、民主党の要求により社会保険庁の調査で<5000万件未処理>が判明した旨を日経新聞の2/17記事が報道したが当時は殆ど問題にされなかった、5月の国会審議で再浮上し、5/23に小沢一郎・民主党代表は「参院選の最大の争点にするよう指示」、翌5/24にも党会議で「一丸となって取り組む姿勢」をアピールした、等と書いている。
 6/10の「~委員会」と題するテレビ・トーク番組でも話題になっていた。録画から書き写そうかと思ったが、すでに他のブログサイト(「ぼやきくっくり」)に掲載されているので、無断だが利用させていただく(抜粋、一部省略の部分あり)。

 <花田紀凱年金問題は、年金の記録消失というのがなぜ出てきたかといえば、結局、社保庁を解体しようとしてる、それに対して社保庁の職員、自治労の連中が一番現場でああいうことを知ってる。もう昔からああいうふうになってることを、彼らは知ってるわけです。その情報を民主党に流した。」
 社保庁つぶしに対する抵抗なんですよ、あれ。しかも、別に記録が消失したからといって、年金がなくなるわけじゃない。記録を照らし合わせればいい、時間をかけて。だから、民主党のデマゴーグなんです。それが争点になるってこと自体がおかしいんです。そりゃ慌てて安倍さんが対策ねるのはしょうがないけども」。
 宮崎哲弥転記洩れとかね、いろんな記載漏れってのは、わざとやったところがあって、自治労は反合理化闘争の一つとして、オンライン化したりコンピューターが電算化したりすることに反対したわけです。それの闘争の一環としてやられたところもあるから、私は決して自治労がこの問題に対して、えらそうなことは言えないと思う」。
 森本敏今の総理に全部の責任を押し付けるっていうのはどうかしてる」。
 宮崎哲弥自治労にも責任があるわけ」。
 
花田紀凱自治労だよ、一番悪いのは」。>
 社保庁の職員(→自治労)に一番の責任があるようだが、しかし、今年の2月に新聞報道されていたという<年金記録紛失>の事実は、現場の職員ならば、5年前でも、3年前でも、昨年でも、とっくに知っていたことではなかろうか
 にもかかわらず今の時期に大問題化したというのは、職員(自治労?)の側から正確なデータが民主党に渡ったこと、又は朝日新聞等の<思惑のある>マスコミに同じデータが渡ったことに加えて、当該マスコミや民主党が<政治問題化>・<政治争点化>しようとしたことによる、と十分に推測できる。
 ところで、社保庁の職員を問題にするとき、忘れられてならないのは、同じことだが是非指摘されるべきなのは、彼らは1947年以来2000年4月まで、「地方事務官」という特別の(風変わりな)身分の公務員だった、ということだ。
 地方事務官というのは地方自治法施行規程旧69条2号等に根拠をもつもので、「健康保険法、厚生年金保険法、船員保険法、厚生保険特別会計法及び船員保険特別会計法並びに国民年金法及び国民年金特別会計法の施行に関する事務」を担当する職員は都道府県知事の指揮監督を受けて職務を遂行するが、身分上は「国家公務員」というものだった(3号は旧労働省所管の職業安定所関係事務)。事務自体は旧法上のいわゆる機関委任事務(国の事務だが、都道府県知事等が大臣等の指揮監督を受けつつ国の省庁の下級機関として事務処理をするもの)だったようだが、同様に機関委任事務を担当している都道府県等の職員と同様に実質的には都道府県等職員の意識の方が強かった、とも言われる。
 そして、彼らの職員団体は「国家公務員」ならば加入できない筈の自治労に属していたようだ。しかし、推測になるが、もともと「地方公務員」から成る都道府県の職員組合(職員団体)とは同一の職員団体を構成せず、独自の職員団体を作り、自治労という上部組織だけを共通にしていたのではないかと推察される。
 地方自治法施行規程旧69条2号が定める事務が現在どのように整理されているかは複雑だが、国の(直轄又は直接執行)事務と都道府県の自治事務さらに市町村の「法定受託事務」に分かれているようだ(厳密な検討をしておらず、分類の詳細にも立ち入らない)。
 多くの職員が2000年4月以降は本来の法制どおりに国家公務員となった。本省・本庁を除けば都道府県の機関ではない国の地方出先機関としての社会保険事務局又はその下級機構の社会保険事務所で仕事をしていると見られる。
 そして所属の職員団体は国家公務員としてのそれになった筈だ。しかし、1999年6月14日の全 厚生職員労働組合書記長の
「地方事務官制度廃止法案の衆議院通過をめぐっての談話」は、6月9日の自民・自由・民主・公明・社民各党の国会対策委員長会議で自治労の要請を受け入れる形で、「地方事務官から厚生事務官への身分の切替えに当たって、各都道府県の職員団体へ7年間に限って加入を認める」という共同修正が確認されたことを明記している。
 ということは2007年=今年の4月まではなお自治労(全日本自治団体労働組合)に属する職員が多かったものと思われる(その後はどうなっているのか、「7年間」はさらに延長されているのかは私には不明だ)。
 なお、上の厚生労組書記長談話によると、「自治労(国費評議会)は、「国の直接執行事務」とすることは、①地方分権に逆行する。②行政改革に逆行する。③年金制度の崩壊、無年金者の増大につながる。とし、事務処理は都道府県への法定受託事務とし、地方事務官は地方公務員とすべきと主張してきた」。すなわち、2000年以前の、国・地方関係に関する制度設計の段階で、自治労は現在のような仕組みには反対だったのだ。
 もっとも、1999年7月9日の「全厚生職員労働組合」
地方事務官制度廃止にあたっての声明は、 地方分権一括法には「今後の制度改正時に社会保険の事務処理体制、従事する職員の在り方等について、被保険者等の利便性等の視点に立って、検討し必要があると認められるときは、所要の措置を講ずる」との附則が加えられたことを明らかにしているとともに、殊勝にも、私たちは、1980年以来、被保険者等の利便性を確保するために築き上げてきたオンラインシステムをさらに発展させ、民主的な行政運営と事務処理の効率化を通じて、より確かな国民サービスが提供できるよう奮闘するものである」と宣言?している。
 やや長々と無関係なことを記したようでもあるが、上に一部に触れたような複雑な公務員法制・国-地方関係法制の狭間にあって、旧「地方事務官」(地方で知事等の指揮の下で働く国家公務員)が、どの程度、職場倫理、公務員意識、仕事をする志気を涵養していたかは疑わしい、というのが私の推測だ。
 職員団体(又は労組)の役員ならば当然なのかもしれないが、職員の勤務条件を良くし(「楽さ」の確保)、職員団体の結束・維持に心を配り、上のように「…奮闘する」と表向きは言うとしても、仕事・業務の遂行自体が疎かになっていることは殆ど無視してきたのではないか。どの公務員職場にもあるそのような問題が、旧「地方事務官」の職場では複雑な法制をも背景としてさらに大きくなった、というのが私の推測なわけだ。
 それにしても、自分たちの仕事の怠慢を棚に上げて、現在の安倍内閣や自民党等の与党を政治的な窮地に立たせるために、社保庁関係の情報(年金記録紛失)を民主党や朝日新聞に<流した>社保庁関係の職員(職員団体役員?)がいる筈だ。恥を知れ、と言いたい。

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