日本共産党ウォッチャーではないので、少なくとも継続的な日本共産党ウォッチャーではないので、同党関係文献を多数所持しているわけではない。もちろん、日本共産党を研究する学者・研究者でもない。
 日本共産党特集をしている最近の諸雑誌を一瞥して不満だと思う、つまりはそれらを見ても疑問を払拭できない、いくつかの基本的と思われる論点・問題に、以下しばらく言及する。
 すでに日本共産党の外部で議論や指摘がなされているものかもしれないが、残念ながら、秋月瑛二はきちんと読んだことがない。
 現在の日本共産党を観察・評価する場合に基本的と(秋月が現在)思っている論点・問題とは、次のようなものだ。「暴力」革命問題でも(1950年頃の歴史問題でも)、憲法問題でも天皇問題でもない。
 第一。日本共産党は、かつてのソ連=ソヴィエト「社会主義」共和国連邦は「社会主義」国ではなかった、と1991年以降は言っているようだが、1989-91年以前はどのように理解・主張していたのか。
 これ以前に(生成途上であれ)「社会主義」国と理解していたとすれば、そのように理解していたことを自己批判し、反省し、国民に、少なくとも一般党員に詫びるべきだろう。
 関連して第二。日本共産党は、レーニンまでは正しく、つまりレーニン時代は「社会主義」の方向に向かっていたが、<大国主義・覇権主義>のスターリンによって誤った、と言っているようだ。
 このような、レーニン時期とスターリン時期の大きな(質的に異なると言っているような)区分論は歴史把握として適切なのか。あるいはまた、この対比は、レーニン=「社会主義」、スターリン=<それ>からの逸脱、と単純化してよいのかどうか。
 これにかかわって重要なのは、上の<それ>を現在の日本共産党は「社会主義」それ自体と認識・主張しているようだが、逸脱には<社会主義内部>あるいは<国際共産主義運動内部>でのそれまたは誤りもある、ということだ。現在の認識・理解のように、1989-91年以前の日本共産党も認識・理解していたのかどうか。
 兵本達吉・日本共産党戦後秘史(2005、産経新聞出版)にはこれらについての言及はない。
 雑誌・幻想と批評1~9号(はる書房、2004-2009)はすべて所持している。一瞥のかぎりで、黒坂真のいくつかの論考が関係している。のちに触れるかもしれない。
 それでも、黒坂が言及する不破哲三の前衛所収論考を見なくとも、ある程度丁寧に日本共産党の文献を見ていけば、上についてのいちおうの答は出てくる。
 <つづく>