秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

国書刊行会

1692/安本美典・2017年7月著。

 「組織集団がある方向にむいている場合、その内部にいる人たちには、組織集団の文化の特異性に、気づきにくくなる。/思い込みと、ある程度の論証の粗雑さとがあれば、どのような結論でもみちびき出せる。当然見えるべきものが見えず、見えないはずのものが見えるようになる」。はじめにⅲ。
 「捏造をひきおこす個人、組織、文化は、捏造をくりかえす傾向があるといわれている」。はじめにⅹ。
 「素朴な人がらのよさを持っている方が、他の分野よりも多いような感じがする。/それだから困ってしまう。/信じたい情報だけを選び、それ以外は無視する」。p.346。
 「私は、…、捏造であるという『信念』を述べているのではない。…である『確率』を述べているのである。/それは、…私が…にあった『確率』を計算して述べているのであって、『信念』を述べているのではないことと同じである。/確率計算は、証明になりうる」が、「宣伝は、証明にならない。/この違いを、ご理解いただけるであろうか」。p.347。
 以上、安本美典・邪馬台国全面戦争-捏造の「畿内説」を撃つ(勉誠出版、2017.07)。
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 「信念」だけで、物事を判断してはいけない。信念とか、<保守の気概>とかの精神論は、理性的判断を誤らせ、人々を誤らさせる狂信・狂熱を呼び起こすに違いない。
 「宣伝」をしてはならないし、それを単純に信頼してもいけない。「宣伝」する者は、事実に反していることを知っていても事実・真実だと偽って「宣伝」することがしばしばある。とくに<政治的論評・主張の分野>では。<評論家・政策研究家>の肩書きの「宣伝員」を信頼してはいけない。
 自戒を込めて、安本美典の文章も読みたい。この人は古代史、かつ「邪馬台国」所在地論争について語っているが、<歴史>全般にかかわるし、現在の種々の<認識・報道・論評>にも関係するだろう。
 上の文章を、日本共産党員に読ませても意味がない。しかし、阿比留瑠比や小川榮太郞には、多少はぶつけてみたい気がする。
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 安本美典は、もう10年前には<卒業>したつもりでいた。
 しかも、しっかりと吸収して、「邪馬台国」北九州説をほとんど迷うことなく支持し、中心地だったとする福岡県甘木市(合併によりいまは朝倉市)も訪れた。さらに、甘木の奥のわが故郷(?)秋月地区も訪れた。
 卑弥呼=天照大神説もほとんど迷うことなく支持していて、実在の人物を反映しているとみられる卑弥呼=天照大神は、3世紀半ば頃の活躍だったと推測している。
 とすると、神武天皇等々の年代も、おおよそのことは判断できる。
 いつぞや皇室の系譜はどこまで実証できるかについて、神武天皇、さらには天照大神にので遡らせることはせず、継体以降は確実だが、とか記したが、実証はほとんど不可能にしても、神武天皇や天照大神「に該当する人物」または人たちはいたのだろうと感じている(但し、血統関係の正確さはよく分からない)。
 安本美典は<神武天皇実在説>なるものに分類されていることもあるようだが、日本書記記載のそのままのかたちで存在していたなどと主張はしていない(はずだ)。
 安本美典は記紀編纂時期までの<天皇の代数>くらいの記憶・記録はあったのではないか、とする。あくまで「代数」で、在位年数とか、在位時代の記述までそのまま彼が「信じて」いるわけではない(はずだ)。
 一定時期以前に関する記紀の叙述を「すべて」作り話とする大勢の学者たちに反発しているのであって、逆に「すべて」がそのまま真実だなどと主張しているわけではない(はずだ)。
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 ちなみに、櫻井よしこは、簡単に「2600年余の」皇統とか平気で書く。
 神武天皇は紀元前660年に「即位」とされているので、以降、1940年は<紀元2600年>だったわけだ。
 しかし、天照大神より後の(とされる)神武天皇が紀元前7世紀の人の可能性は絶無だろう。
 そう<信じたい>・<信念を持ちたい>人は、どうぞご勝手に、なのだが。
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 上のように安本美典を「ほとんど迷うことなく支持」したいのは、その理性的・合理的な説得性による。「確率」の高さの主張かもしれないが、そのとおりだろうなぁ、と感じてしまう。立ち入らないが、余裕があれば、詳細にこの欄で紹介したいくらいだ。
 10年ほど前までに安本の本は読み尽くした感があったので、しばらくはずっと手にしなかった。
 ところが、数年前から、ぶ厚い書物をまだ多く刊行していることに気づいた。これまでの書物をまとめた全集ものかと思ってもいたが、実際に入手してみると、そうではなかった。
 安本美典、1934年~。もう80歳を超えている。そして、上の書物は今年7月の刊行。
 すさまじい精神力と健康さだと思われる。
 この人の本を立てて並べてだけで、2メートルほどの幅になるのではないか。
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 西尾幹二・全集第20巻-江戸のダイナミズム(国書刊行会、2017.04)。
 この本の巻末に、江戸のダイナミズム・原書(文藝春秋、2007)の出版を祝う会の叙述があり(なお、2007年!、としておこう)、その中に「安本美典」の返信文も掲載されている。
 安本美典と西尾幹二は、刊行本を交換し合うような程度の交際はあったらしい。ある程度は「畑」が違うので、西尾の本で安本の名を見て、興味深く思った。
 西尾幹二、1935年~。 
 お二人とも、すごいものだ。
 秋月瑛二は80歳まで絶対に生きられないと決めて(?)いるので、異なる世界に住んでおられるようだ。いくら「信念」があっても、いくら「根性」があっても、致し方ないことはある。

1431/西尾幹二全集第16巻(国書刊行会、2016)。

 一 西尾幹二全集のうちの一つの巻を購入・入手しての愉しみは、明らかに未読のものや著者の後記、そして月報を読むことだ。
 その中に、西尾幹二は文学部出身にしては「社会科学的」だ、とか言われたことがある、というような趣旨のものがあった。最新刊行のものの中ではないので少し刊行順に遡って捲ってみたが、その趣旨の記述を再 ?発見できなかった。
 西尾は別に、文学部出身者が日本の<保守>論壇の多数または有力派を形成してきたとか語って、そのことを誇りにしているかのごときことも書いていた(と思う)。
 小林秀雄、福田恆存、江藤淳…と並べると、そうかもしれない。ここで並べるのはイヤだが、渡部昇一もそうらしい。
 だが、文芸(文学)評論家的<保守>論者は日本の<保守>派のしっかりとした形成にとっては悪影響をもたらした、少なくとも日本に独特の議論の仕方を生じさせた、と感じているので、上の趣旨の文章には違和感をもった。
 但し、西尾幹二自身は、<文芸(文学)評論家的保守>ではない。
 「評論家」では小さすぎるし、「思想家」というのも必ずしも妥当ではないだろう。
 というのは、教育政策、労働(移民)政策等々への発言も目立っているし、「新しい歴史教科書をつくる会」の初代会長という<実践家>でもあったからだ。
 「歴史家」と言ってしまうのも、その対象は日本に限らず世界に広がっているが、狭くとらえすぎるだろう。
 佐伯啓思、西部邁らの「思想家」タイプと比べても、西尾幹二の大きさ・広さは歴然としている。櫻井よしこ、八木秀次ら、そして渡部昇一とはまったく比べものにならない。
こんなことから<人文系と社会系>の差違について述べたかったし、また、西尾幹二のような論者と「専門家」という者の違いについても思い巡らしたかったのだが、別に扱おう。
 なお、追記するが、上のように記したからといって、秋月は西尾幹二の全ての主張・認識等に100%賛同しているわけではなく、100%「信頼して」いるわけでもない(そんな人物は一人もいない)。かつての皇太子妃関連の主張には異を唱えたこともある。原発に関する考え方もたぶん同じではない(秋月瑛二はすべての人物や組織から「自由」だ。それは、いかなる人物・団体の<支援>もなく「孤独」であることも意味している)。
 二 西尾幹二全集第16巻(2016、12)の「後記」を少し捲ったあと最初に読んだのは、「嗚呼、なぜ君は早く逝ったのか」と題する坂本多加雄の逝去・葬儀に関するものだった。「インターネット日録」掲載のもののようだが、知らなかった。
 坂本死去の2002年の頃の論壇等々の雰囲気を知って、テーマからするとやや非礼かもしれないが、興味深い。
 秋月もまた、坂本多加雄の少なくとも単行本化されている書物は、かなり高価だった中古本の<象徴天皇制度と日本の来歴(1995)> も含めて、ほとんどを所持し、一読はしているのだ。
 興味深い、というのは、けっこう著名な人物名が出てくるからでもある。
 伊藤哲夫、高森明勅、中川昭一、粕谷一希、北岡伸一、杉原啓志、ら。
 また、この当時の<保守>的活動の内容の一端をかなり生々しく知ることができるからでもある。
 坂本多加雄、52歳。この人の<反マルクス主義>の歴史観および歴史叙述観は、ひょっとすればこの欄に紹介したかもしれない。そして、西尾幹二の文章とともに、人の死ということをあらためて考える。
 のちに、遠藤浩一も亡くなった。いずれも、交際相手として選ばれるはずもない凡人の私の、個人的な知り合いでは全くなかつたのだが。
 この人たちが存命であれば、<保守>論壇の現状は、少しは良くなっていたような気がする。しかし、そう想ってみても、現実を変えることはできない。
 そのつぎにおそらく「後記」を読み直した。主として<路の会>のことだ。
 また、「月報」が挿入されていることに気づいて読んだ。書き手の名もその内容も興味深く、思わず集中してしまった。
 これらの感想、種々思うことは、この回には書けそうもない。

1136/西尾幹二「私の保守主義観」と中島岳志。

 一 西尾幹二全集第3巻(国書刊行会、2012.07)所収の、「私の保守主義観」(p.45~、初出・1964)を読む。以下は、私なりの要約。
 ・「保守的な生き方というものはあっても、保守主義という特定の理論体系は存在しないし、また存在すべきではない」。
 ・「革新派」の「進歩主義」のごとき、特定の「主義」を、「保守派」は掲げるべきではない。ドグマを奉じた集団形成、イデオロギーによる現実裁断は「保守主義」と言えない。
 ・「未来への明確な見通し」により「世界や歴史を理路整然と説明」するのは「革新派の身上」で、「保守派は革新側に規定されてはじめて、自分が保守派であることを意識する」。
 ・E・バーク以来、「保守主義とはつねにそういうもの」で、彼はフランス革命に「急進的な自由主義の暴走」を見て批判・抵抗した。「革新思想」は「社会主義に衣装をかえていった」が、「保守主義」の本質的あり方に変化はなかった。「保守主義とは、一個の抽象的理論なのではなく、革新側が主張する特定のドグマや世界観に対し、そのつど具体的な状況に応じて提出される懐疑であり、批判であり、警告のことば」なのだ。
 ・「保守と革新」、「反動と進歩」という対立概念は「革新側」が過去の裁断のために作った標語で、「保守派」は関知しない。対立図式により規定するには現実は手に余るものであることを、「保守派」は知っている。
 ・「保守的な生き方・考え方とは、自己についても、世界についても、割り切れないものを割り切ろうとはしない態度、理論より理論の網目からもれたものを尊重する態度」、「楽観的な合理主義に虚偽をかぎつける本能」だ。
 ・「保守派」は「進歩を否定しているのではない」。ただ、「進歩」を最高の価値・究極の目的とする「観念的な未来崇拝」に与しないだけだ。
 ・「保守主義は進歩や改革を否定しているのでは決してない。むしろその逆である」。日本では、「もっとも自覚的であるべきはずの革新主義がもっとも無自覚な偶像崇拝のとりことなり、もっとも近代的であるべきはずの知識階級の意識が、実業の世界に生きる人々にくらべてはるかに遅れているのが現状」だ。
 ・「自由な、現実的な姿勢」で対処することが必要で、それを「保守的」と呼びたい者は呼ぶがよい。肝要なのは「呼称ではなく態度、理論ではなく理論をあつかう主体の姿勢」だ。
 以上、1960年安保騒擾時に見られたような「革新勢力」・知識人の「固定観念と集団陶酔」等への批判等は割愛したが、基本的な内容はこのようなものだ。
 私は「保守」について、思考方法ないし態度ではなく一定の「価値」の選択・選好だと書き、それは今日の日本では<反コミュニズム=反共>だ、という旨を記したことがある。
 かかる考え方は西尾幹二のそれとは異なるようでもある。しかし、西尾は「革新思想」は「急進的自由主義」から「社会主義に衣装をかえていった」という叙述もしているように、「革新派(左翼)」に規定されて意識される、<反革新(反左翼)>としての「保守派」の主張内容は、今日では(今日でも)基本的には<反社会主義=反共>だろう、と思われる。それは(反マルクス主義と当然に同義であるとともに)、反日本共産党でもあり、反中国・反北朝鮮でもある。あるいは、「革新派(左翼)」によって、歴史認識や政策を含む「そのつど具体的な状況に応じて提出される」種々の論点について、「自由な、現実的な姿勢」でもって対決、あるいは反論していくことでもある。
 したがって、西尾の考え方と私のそれが全く乖離している、矛盾しているとは、感じていない。
 二 ところで、中島岳志は某雑誌(表現者)上で「私の保守主義」なるものを語って、中島なりの「保守主義」理解を<理論的・体系的に>提示しようとしているようだ。また、中島岳志は、橋下徹を「保守」ではないと断じるとともに、「保守主義」の立場から演繹した<反原発>の主張も(同じ雑誌上で)しているように理解できる。
 中島岳志は、何らかの「保守主義という特定の理論体系」を前提としているように解される。そして、そのような前提的発想は、そもそも西尾幹二のいう「保守的な考え方」ではないのではないか。
 中島岳志は、月刊・論座2008年10月号(朝日新聞社)で、つぎのように語ってもいる(p.33)。
 ①「保守とは、人間の理性によって社会を進歩させることは不可能だという立場」だ。
 ②「保守主義本来の発想」は、「伝統や慣習、常識、共同性、といった人智を超えた所与のものに依拠する方が、世の中の秩序は安定し、よりましな社会が漸進的に続いていくんだ」、というものだ。
 三 「保守主義」と言わなくとも「保守的な考え方」は「態度」・「姿勢」にある旨を強調する西尾幹二の上の叙述にもいくばくかの疑問はあり、西尾幹二が参照していると見られ、類似点のある福田恆存「私の保守主義観」同・評論集第5巻(麗澤大学出版会、2008、初出・1959)p.126以下に、岩田温・政治とはなにか(総和社、2012)は従わず、一定の内容・価値を「保守」概念に意味させている(とりあえずは詳しくは紹介しない)。
 四 上の点はともあれ、中島岳志の述べる上の①は、<理性による社会の進歩は不可能>とするのが「保守」だ、というもので、これは西尾幹二の理解とも(そして福田恆存の理解とも)異なっている、と思われる。
 西尾幹二において(但し、1964年)、「保守主義は進歩や改革を否定しているのでは決してない。むしろその逆」なのだ。その「進歩や改革」に「人間の理性」は不要だとは言えないだろう。
 中島岳志は、「保守」という「主義」を想定している点で西尾幹二・福田恆存と異なっていると考えられ、また、「保守」の理解が(その態度・心性に着目するとしても)あまりに単純すぎるか、過度に一定の面を強調しすぎている。
 また、中島岳志は上の月刊・論座の座談会の中で「保守」への不満を述べ、(<中国や韓国への感情的反発>に偏った)日本の「保守」を変えようとしたいらしき発言をしてもいるのだが(なお、中島岳志は憲法現九条改正に反対する-p.37)、そのような日本の「保守派」の現状批判と変革について、彼自身がその「理性」を働かせているはずなのだ。
 また、中島岳志は日本の「保守」は「設計主義的」すぎるとも批判しているが、「保守主義」という主義・理論に立って日本の「保守派」や原発問題等についてあれこれと論じること自体も、ある意味では<設計主義的>だと思われる。
 要するに、まともな?「保守派」・「保守主義者」らしく振る舞っているようである中島岳志は、じつは本質的に「保守派」ではない、のではないか。
 こうした疑問または結論は、すでに何度か述べたことがある。

1125/西尾幹二が「『気分左翼』による『間接的な言論統制』」を語る。

 西尾幹二全集第2巻(国書刊行会、2012)に所収の「『素心』の思想家・福田恆存の哲学」は2004年の福田恆存没後10年記念シンポでの講演が元になっているようで、月刊諸君!2005年2月号(文藝春秋)に発表されている。全集の二段組みで48頁もあるので(p.359-406)、本当に月刊雑誌一回に掲載されたのかと疑いたくなるような長さ・大作だ。
 内容はもちろん福田恆存に関係しているが、西尾幹二の当時の世相の見方等を示していて相当に興味深い。講演からは8年ほど経っているが、今日でもほとんど変わっていないのではないか。
 6頁め(p.364)にある「『気分左翼』による『間接的な言論統制』」という節見出しが、目につく。「間接的な言論統制」には「ソフト・ファシズム」というルビが振られている。「気分左翼」も「間接的な言論統制」も、福田恆存かかつて使った語のようだ。
 なぜ目を惹いたかというと、私は「何となく左翼」という語をこの欄でも使ったことがあるし、田母神俊雄の「日本は侵略国家ではない」論文に対する政府(当時は自民党政権)や<保守>論壇の一部にすらよる冷たい仕打ちに対して<左翼ファシズム>の成立を感じ、この欄でもその旨を書いたからだ。
 「何となく左翼」(意識・自覚はしなくとも「左翼」気分のメディアや人々)による「左翼」的全体主義がかなり形成されているのは間違いないと思われる。
 メディア・世間一般ではなく、特定の学界・学問研究分野では、より牢固たる「ファシズム」、<特定のイデオロギーによる支配>がほぼ成立しているのではないかとすら思われる(日本近現代史学、社会学、教育学、憲法学等)。
 さて、西尾幹二の叙述(福田恆存ではなく西尾自身の文章)を以下に要約的に紹介しておく。
 ・昭和40年の福田恆存「知識人の政治的言動」は「現在ただいまの日本を論じているに等しい」。「今の日本を覆っているのはまさに思想以前の気分左翼、感傷派左翼、左翼リベラリズムと称するもののソフトファシズムのムード」だ。「政府、官公庁、地方自治体、NHK、朝日、毎日、日経、共同通信、民放テレビ等を覆い尽くしているもの」がある。福田恆存にいう「間接的な言論統制」だ(p.366)。
 ・「真綿で首を絞められるような怪しげなマスコミの状況に今われわれ」はいる。それは「平和というタブー」に由来し、「最初はアメリカが日本全土に懸けた呪いであり、やがて革新派が親米的政権に同じ呪いをかけて身動きできなく」なった。これが「今の日本の姿」で、「呪いは全国を覆い尽くして」いる(同上)。
 ・2004年には経済界の一部が首相に靖国参拝中止を言いだし、「共産国家の言いなりになるように資本家が圧力をかけている」。NHKは1992年頃まで「政治的撃論の可能なメディア」だったが、今や「衛生無害」の「間接的な言論統制」機関になっている。文部省はかつては「保守の牙城」だったが、いつしか「次官以下の人事配置においても日教組系に占められ、”薄められたマルクス主義”の牙城」になっている(同上)。
 ・「男女に性差はないなどという非科学的奇論、ジェンダーフリーの妄想が…官僚機構の中枢に潜りこ」み、地方自治体に指令が飛び、「あちこちの地方自治体で、同性愛者、両性具有者を基準に正常な一般市民の権利を制限する」という「椿事」が、「従順な地方自治体の役人の手で次々と条例化されて」いる。「全国的な児童生徒の学力の急速な低落は、過激な性教育と無関係だとはとうてい言えない」だろう(同上)。
 ・「官庁の中心が左翼革命勢力に占領」されるという事態を福田恆存は予言しており、福田が新聞批判を開始した頃から「日本は恐らくだんだんおかしくなり」、福田の予言の「最も不吉な告知が、今日正鵠を射て当たり始めているのではないか」(p.367)。
 以上。もう少し、次回に続けよう。 

1122/西尾幹二全集第2巻(2012.04)のごく一部。

 西尾幹二が福田恆存を追悼して書いた文章の中に以下の部分がある。
 「マルクス主義を一種の身分証明のように利用して、反米・反政府を自明のよう語りながら、しかも日本共産党の過ちをも批判するという当時のどっちつかずの知識人の姿勢は、恐らく今なおリベラルの名で語られる政治潮流とどこかでつながっている。/福田氏が闘った相手はまさにこれである」。
 「現実を動かした強靱な精神―福田恆存氏を悼む」西尾幹二全集第2巻(第三回配本)所収p.299(国書刊行会、2012.04。初出は1994.11)。
 福田恆存の初期の評論「一匹と九十九匹と」に言及して「当時」と言っている。福田のこの評論は1946年(昭和21年)11月に書かれ、翌年3月刊の雑誌に発表されている(福田恆存評論集第一巻所収p.316以下、麗澤大学出版会・2009.09)。
 いつぞや、反自民・非共産で、後者よりの「左翼」が現在の日本の学者・知識人にとってもっとも安全な立ち位置だ、という旨を書いたことがある。
 さすがに現在では「マルクス主義を一種の身分証明のように利用して…」とは言い難く、<反自民・「左翼」ぶりを身分証明のように利用して、かつ日本共産党そのものとも一体化せす(同党に批判的な眼も向けつつ)…>とかに、少しは表現を変える必要があるだろうが、「リベラルの名で語られる政治潮流」の姿は、西尾幹二が上のように書いてから20年近く経っても、さらには福田恆存の「当時」から60年以上経っても、本質的には変わっていないようだ。その点が興味深く、ここに引用する気になった。
 西尾幹二が初めて読んだ福田恆存の評論は「芸術とは何か」で1950年のもの、60年安保騒擾の際に西尾の救いとなったのは福田の「常識に環れ」らしく、これは1960年のものだ(それぞれ、福田恆存評論集第一巻、第七巻に所収)。
 他にも有名な「平和論の進め方についての疑問」(福田恆存評論集第三巻)などに、西尾は言及している。
 読んだことがあるものもある。あらためて、多くの福田恆存論考をじっくりと読みたいものだ。そう思わせる「評論」が今日では少なくなっていると思われる。西尾幹二の書くものもまた、私には一部の内容・主張に不満があるが、数少ない「評論家」であることは間違いないだろう。 

1082/宮脇淳子と西尾幹二全集と岡田英弘と。

 〇隔月刊・歴史通3月号(ワック)の巻頭随筆の最後に、「東洋史家」・宮脇淳子いわく、「…震災後、国家の指導的立場にある日本人の無能力と無責任さが暴露され続けているが、じつはNHKを筆頭とする大マスコミ、大学・学界も同じなのである」(p.3)。
 これはまったくそのとおりで、「大マスコミ」の中には民間放送局(テレビ局)のキー局(TBS等々)のみならず、それらの系列下にある各道府県の「地方」テレビ局も含むだろう。また、大手全国紙のみならず、産経新聞社が関係書物を出版していたが、通信社の配信情報に多くを(場合によっては社説まで)依存している「地方」新聞(社)についても言えるだろう。さらに、大手出版社も含めてよい。
 政治家や官僚の「無能力と無責任さ」を指弾しつつ、自分たちは「そこそこに」安住した現状に満足しているのではないか。「大学・学界」も含めて、「無能力と無責任さ」においては変わるところはないのではないか。一億総白痴・一億総無責任時代だ。それを忠実に反映しているのが現在の多くの政治家や官僚たちだ。
 新聞社や出版社はさておき、放送局(放送会社)は、「免許」制度に守られ、どんな不祥事を起こしても、いかほどに利潤が減少しても、「倒産」することはない(京都の近畿放送(ラジオ局)が戦後唯一の例外だっただろう)。この身分の安定さの点で、民放社員たちは公務員と何ら異ならない。
 NHK職員の「高給」ぶりが先立っての国会で話題になっていたが、公務員の給与の「高給」さをマスコミが批判しようとするならば、自らのテレビ局(上記のとおり中央・地方を含む)の会社員の平均年収(・基準年齢)をきちんと<情報公開>してからにしたらどうか。公務員(・その給与制度)に問題がないとは言わないが、民間テレビ局社員は「高給」取りではないのだろうか?? 自らの実態を語らずして、<官僚バッシング>をして大衆うけ?を狙うのは不誠実で卑劣な作法だ。
 民間放送(テレビ局)の実態については、まだ書きたいことが多いが、今回はこの程度に。
 〇「東洋史家」とは歴史学者の一種だろうから、日本史、とくに日本近現代史の研究者ほどではないにしても、マルクス主義または日本共産党の史観に影響を受けてきたと思われる。にもかかわらず、まだその著を読んだことはないものの、ワックが刊行の歴史雑誌に登場するとは珍しい、と感じてきた。
 その理由・背景が少しは理解できたのは、西尾幹二全集第1巻(第二回配本)(国書刊行会、2012)の「月報」を見ることによってだった。その中に岡田英弘が西尾に関する一文を寄せていて、「私の妻の宮脇淳子」という表現がある。岡田英弘の本もまた読んだことがないのだが(これは昨日にちらりと記したように、少なくとも共産党・中国のひどさは何となく想像可能だからだ)、産経新聞の「正論」欄にときどき執筆している岡田と宮脇淳子は夫婦なのだ。
 些細なことだが、宮脇はおそらく、学部を卒業してすぐに大学院生になったのではないのではないか。ひょっとすれば「東洋史」は別なのかもしれないし、大学や指導教師にもよるのかもしれないが、大まかにいって、日本の歴史学界(アカデミズム)には、入ってしまうと内部にいては分からないような「偏向」があると思われる。これは「歴史学」に限らない、日本の人文・社会科学分野の特徴でもあると思われるが、それはともかく、宮脇は必ずしもオーソドクスなキャリアを経てきているのではないだろうと推測される。
 ワックの出版物などに執筆していては、<白い羊の中の黒い羊>として仲間はずれにしてしまうのが日本の歴史学界なのではなかろうか(東洋史学は例外ならばけっこうなことだ)。
 そういえば、宮脇は「東洋史家」という肩書きだけで所属大学はないようだ。これが学界または大学の「思想(傾向)」差別によるものではなければよいのだが。個人的・家庭的な事情を詮索する意図はまったくない。
 しばしばあることだが、この欄に書き出すと、当初にイメージした内容と異なるものになってしまう。今回も同様だ。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
  • 0794/月刊正論9月号の長谷川三千子による朝日新聞、竹本忠雄による「厄災としてのフランス革命」論。
  • 0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。
  • 0785/屋山太郎と勝谷誠彦は信用できるか。櫻井よしこも奇妙。
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