秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

唯物論

1651/弁証法ノート①-L・コワコフスキ著17章9節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。  
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 前回のつづき。第9節(最終節)。
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 第9節・レーニンの弁証法ノート①。
 論考や演説でのその時どきの文章を別にすれば、レーニンは、純然たる哲学を主題とする書物をもう書かなかった。
 (1921年の『戦闘的唯物論の意義』は、情報宣伝のための命令文書たる性質のものだ。
 1913年の『マルクス主義の三つの淵源と三つの要素』は一般向けの解説で、独自性はない。)
 しかしながら、彼の死後にソヴィエト同盟で、<哲学ノート(Notebooks)>(全集38巻)と題する一巻本の書物が刊行された。これはレーニンが主に1914-15年に書いた種々の著作の抜粋から成っていて、彼自身の肯定や憤慨の論評や若干の哲学的見解が付いていた。
 ある程度の場合について、このノートは彼が読んだものや彼自身の立場表明の要約なのかどうかが明確でない。
 主要なノートは弁証法に関係しており、<唯物論と経験批判論>での粗雑な定式の調子をある程度弱めているので、興味を惹く。
 そしてこのノートは、とくに、レーニンが戦時中に読んだヘーゲルの<論理(Logic)>と<歴史哲学講義(Lectures on the Philosophy of History)>の影響を受けていることを示している。
 レーニンは、ヘーゲルのこれら書物により、彼の弁証法はマルクス主義の発展においてきわめて重要なものだったと確信した。
 彼は、<資本論>はヘーゲルの<論理>の完全な研究なくしては理解できない、とすら書いた。そして、申し分のない一貫性をもって、こう付け加えた。
 『そう、半世紀経ったが、どのマルクス主義者も、マルクスを理解していなかった』。
 この突発表現(boutade)は、字義どおりには理解されてはならない。なぜなら、レーニンは自分が1915年までにマルクスを理解したと思っていなかったとは考え難いからだ。
 しかし、上の言葉は、レーニンがある程度はヘーゲルの考察に魅惑されたことを示す。//
 <ノート>が示すように、ヘーゲルの<論理>における『普遍性』と『個別性』の問題、および『合一(unity)と諸反対物の矛盾』の理論と考えられた弁証法に、レーニンはもっとも関心を持った。
 彼は、ヘーゲルの弁証法のうちに、唯物論の基礎へと転位した後でマルクス主義が引き継いで使用した主題を発見しようとした。
 抽象化の問題および直接的感知と『普遍』の知識(knowledge)の関係に関して言うと、レーニンは、カントの教理(例えば、『事物それ自体』は完全に不明確(indefinite)で、したがって無だ)とは対立するヘーゲルの全てを強調し、抽象的思考の自律的な認識上の機能を指摘した。
 レーニンの論理によると、弁証法、そして知識の理論は、みな同じことだった。 
 <唯物論と経験批判論>は感覚(sensations)に関する主観的な解釈との闘いに集中しており、感覚を世界に関する全ての知識の源泉だと見なすことで満足しているように見えた。
 ところが一方、<ノート>は、感知(perception)それ自体に含まれる抽象化という問題を設定し、認識の過程に際限のない『矛盾』を持ち込む。
 法則、したがってまた『普遍性』は個々の現象の中にすでに含まれている。そして同様に、個々人の感知は『普遍的』要素をうちに含む、別言すれば、抽象化の行為だ。
 かくして、自然は具体的でも抽象的でもあり、事物は、一般的な規則性を把握する、ただ観念上の知識の観点からのものだ。
 具体的なものは、個別の感知行為によっては完全に具体的には把握することができない。
 一方でそれは、無限に多数ある観念および一般的法則を通じてのみ自らを再生産するのであり、その結果として、認識され尽くすことが決してない。
 最も単純な現象ですら、世界の複雑性およびその全ての構成要素の相互依存性を示している。
 しかし、全ての現象はこのように相互に結び付いているがゆえに、人間の知識は必然的に不完全で、断片的なものだ。
 具体的なものをその全ての個別性とともに把握するためには、我々は、諸現象の間の全ての連結関係に関して、絶対的で普遍的な知識を持たなければならない。
 世界に関する全ての『反射物』は、新しい矛盾によって、知識が進歩するように消失したり置き換えられたりする、内部的な矛盾を帯同している。
 反射物は、『死んで』いたり『不活性』だったりするのではなく、その断片的な性質と矛盾によって、知識の増大を生み出す。だがそれは、不明確であり続けるのであり、決して絶対的な最終物へと到達することはない。
 かくして、真実(truth)は、矛盾を解消する過程としてのみ現われてくる。//
 知識の個別の構成要素と抽象的なそれとの間にはつねに一定の緊張、あるいは『矛盾』があるがゆえに、認識の過程で前者を犠牲にして後者を絶対化することは、すなわち観念論の方法で思考することは、つねに可能だ。
 『反射物』の『普遍的』な側面をレーニンが強調していること(これは彼の主要な哲学著作でのそれに関する叙述に反している)の他に、この考え方は、観念論は聖職者やブルジョアジーによって考案された欺瞞だという大雑把な解釈から離れている、第二の重要なものだ。     
 ここで現われる観念論は、『グノセオロジー〔認識論〕的淵源』を持つ。それは、精神上の逸脱というだけではなく、認識の一つの実際の側面を絶対化するもの、あるいは一面的に発展させたものだ。
 レーニンは、賢い観念論は、愚かな唯物論よりも、賢い唯物論に近い、とすら述べる。//
 <ノート>の第二の重要な主題は、『矛盾と諸反対物の合一』だ。
 レーニンは、弁証法の全体は諸反対物の合一の科学と定義することができる、と主張する。
 彼が列挙する16の『弁証法の要素』の中でとくに、諸反対物の矛盾は多様な形態で主要なモティーフになっている。
 全ての単一の事物は諸反対物の総体および合一体で、事物の全ての属性はその反対物へと変化する。内容の形式との『矛盾』、発展の低い段階での特徴は『否定の否定』によりより高い段階へと再生産される、等々。//
 これら全ての考えは、きわめて簡単なかつ一般的な言葉で表現された。したがって、分析を精細すぎるほどに行うほどのものではない。
 レーニンは、『矛盾』、論理的関係性がいかにして客体それ自体の属性に転化し得るのかについて、立ち入った検討をしていない。
 また、抽象化を感知の内容に導入することがいかにして『反射物』理論へのそれに照応するのかについて説明してもいない。
 しかしながら、エンゲルスのように、レーニンが弁証法は客体とは無関係に一般化された『世界の論理』だと説明できる普遍的方法だと見なした、ということは見てとれる。また、ヘーゲルの論理を唯物論的な変容の生の材料だと見なした、ということも、見てとれる。
 しかし、一般的に言って、レーニンの論述はエンゲルスの解釈よりも平易ではないヘーゲル主義に関する解釈を示すものだ。
 弁証法は、たんに『事物は全て変化する』と主張するものではなく、人間の知識は主体と客体の間での、いずれかの側の『絶対的な優先性』の問題は意味がなくなる、永続的な相互作用だと解釈しようとするものだ。//
 <ノート>は、主として党が機械論的(mechanistic)唯物論を批判するのに役立つように刊行された。
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 段落の途中だが、ここで区切る。②へとつづく。

1641/「哲学」逍遙⑥-L・コワコフスキ著17章7節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。  
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 前回のつづき(第17章の最終)。
 今回試訳掲載分の一部/第2巻単行書p.458.-レーニンは「認識論上の実在論を唯物論と混同していた。彼は唯物論は『客観的な物質的実在』を是認することで成り立つ、と言った。しかし、そうならば、カトリックの哲学者は、ほとんど全員が唯物論者だ」。
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 レーニンの哲学への逍遙⑥
 哲学としては、レーニンの著は、エンゲルスからの引用によって(この著全体でマルクスの文章は二つしか引用されていない)辛うじて成り立つ俗悪な『常識的』議論にもとづく、粗雑なかつ素人臭いものだ。そして、レーニンの反対者に対して抑制なく悪罵を投げつけるものだ。〔以上、重複〕
 この著は、彼ら反対者の見解を理解することに完全に失敗している。そして、理解しようとすることに嫌気がさしている。
 この著は、エンゲルスおよびプレハノフから引用する文章が含んでいる内容にほとんど何も加えていない。主な違いは、エンゲルスにはユーモアの感覚があったが、レーニンには少しもない、ということだ。
 彼は安っぽい罵倒と嘲笑でそれを埋め合わせようとし、論敵たちは反動的な狂人で聖職者の従僕だと非難する。
 エンゲルスの議論は世俗化され、決まり切った問答の形態へと変えられている。感覚は事物の『模写』または『鏡への反射物』だ、哲学上の学派は『党派』になる、等々。
 この書物を覆っている憤懣は、つぎのことを理解できない初歩的な思考者には典型的なものだ。すなわち、自分の想念の力で地球、星、そして物質世界全体を創造したとか、自分が見つめている客体は、どの子どももそうでないと見ているときには、自分の頭の中にあるとか、健全な精神をもつ者ならばどうやっても真面目には主張しない、ということを理解できない者。
 この点において、レーニンの観念論との闘いは、一定の未熟なキリスト教弁解主義者(apologists)のそれに類似している。//
 レーニンの攻撃は、ボグダノフ、バザロフ(Bazarov)およびユシュケヴィチ(Yushkevich)によって応酬された。
 ユシュケヴィチは、<哲学正統派の重要点>(1910)で、プレハノフを、哲学上の考えを憲兵よりも持たない警官のような(扁平足の)無学者だと攻撃した。
 彼は、宣言した。プレハノフとレーニンはいずれも、教条的な自己主張と自分たちの見解しか理解できない無能力によってロシア・マルクス主義を頽廃させたことを例証している、と。
 彼は、レーニンの無知、その執筆能力、およびその言葉遣いの粗雑さについて、とくに痛烈だった。事実の誤り、『黒の百(the Black Hundred)の習慣をマルクス主義へと持ち込むこと』、引用した書物を読んでいないこと、等々について、レーニンを非難した。
 その力で感覚の原因となるという物質の定義は、それ自体がマッハ主義への屈服だ。これは、プレハノフ、そしてプレハノフを模写したレーニンに、向けられた。
 マッハもバークリも、『世界の実在』を疑問視しなかった。論争された問題は、その存在ではなくて、実体、物質および精神(spirit)といった範疇の有効性(validity)だった。
 ユシュケヴィチは、こう書いた。経験批判論は、精神と物質の二元論を廃棄することでコペルニクス的革命を達成した、世界に対する人の自然な関係について何も変更させておらず、実在論(realism)の自然発生的な価値を形而上学的な呪物主義から自由にして回復させたものだ、と。
 レーニンは、実際に、認識論上の実在論を唯物論と混同していた(彼は何度も繰り返して、唯物論は『客観的な物質的実在』を是認することで成り立つ、と言った。しかし、そうならば、カトリックの哲学者はほとんど全員が唯物論者だ)。
 『反射物』の理論全体は、前デモクリトス派の、彼らを物体から神秘的に引き離して、彼らの眼や耳に襲来する形象(image)は存在する、という無邪気(naive)な信念を繰り返したものだ。      
 『事物それ自体』と純粋に主観的なそれの形象の間にあると想定されている『類似性』とは何であるかを、また、いかにして模写物(the copy)は始源物(the original)と比較され得るのかを、誰も語ることはできない。//
 <唯物論と経験批判論>は、革命の前およびその直後には、特別の影響力を持たなかった(1920年に第二版が出版されたけれども)。
 のちにスターリンによって、この著はマルクス主義哲学の根本的な模範だと、宣せられた。そして、およそ15年の間、スターリン自身の短い著作とともに、ソヴィエト連邦での哲学学習の主要な教材だった。
 その価値は微少だが、この著作は、正統派レーニン主義的マルクス主義とヨーロッパ哲学とが接触した最後の地点の一つを示した。
 のちの数十年間、レーニン主義と非マルクス主義思想との間には、論争という形態ですら、実質的に何の接触もなかった。
 『ブルジョア哲学』に対するソヴィエトの公式の批判は、多様な形態での『ブルジョア哲学』は、レーニンによる論駁によって死に絶えた、マッハやアヴェナリウスの観念論的呆言を繰り返すものだ、ということを当然視させた。//
 しかしながら、レーニンのこの著作の重要さは、政治的な脈絡の中で見分けられなければならない。
 レーニンがこれを書いているとき、マルクス主義を『豊かにする』とか『補充する』とか-神が禁じているところの-『修正する』とかの意図を、彼は何ら持っていなかった、と思われる。
 レーニンは、全ての哲学上の問題への解答を探求したのではなかった。全ての重要な問題は、マルクスとエンゲルスによって解決されていたのだから。    
 彼は、序文で、ルナチャルスキーはこう言った、と茶化した。『我々は道を間違えたかもしれない。だが、我々は捜し求めている』。〔+〕
 レーニンは、捜し求めていなかった。
 彼は、革命運動は明晰なかつ均一の『世界観(Weltanschauung)』を持たなければならない、この点でのいかなる多元主義も深刻な政治的危険だ、と固く信じていた。
 彼はまた、いかなる種類の観念論も、多かれ少なかれ宗教が偽装した形態であり、つねに搾取者が、民衆を欺瞞し呆然とさせるために用いるものだ、と確信していた。//
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 〔+〕 原書に、頁数等の記載はない。この部分は、日本語版全集14巻「第一版への序文」10-11頁にある。但し、参考にして、訳をある程度は変更した。
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 第7節、終わり。第8節の節名は、「レーニンと宗教」。

1635/「哲学」逍遙④-L・コワコフスキ著17章7節。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。  
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 第7節は、三巻合冊本(2008)では、p.714~p.723、単著・第二巻(1978)では、p.447~p.458。
 前回のつづき。
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 第7節・レーニンの哲学への逍遙④。
 レーニンは、つづける。しかし、我々は科学によってこの観念論の無意味さを論破することができる。
 教育をうけた人間は誰も、人類の出現以前に地球が存在していたことを疑いはしない。
 しかし、観念論者はこれを受け入れることができない。その前提からすると、地球や物質的世界全体は人の精神(mind)の産物だと考えなければならないからだ。
 科学が示す単純なことと反対に、観念論者は人が最初に来て、自然は次に来ると主張しなればならない。
 そのうえさらに、我々は、物理的客体である頭脳で人は思考(think)することを知っている。
 しかし、観念論者は、このいずれも認めることができない。全ての物理的な客体は思考(thought)の産物だ、と見なすからだ。
 ゆえに、観念論は最も根本的な科学上の知識と矛盾しており、社会的であれ、精神的であれ、全ての進歩に反するものであることが明白だ。//
 観念論にこのように悪罵を投げつけて、レーニンは、戦闘的なプロレタリアートの哲学、すなわち弁証法的唯物論(dialectical - )を、それに対置する。
 弁証法的唯物論の基礎となるのは形象(image)の反射物(reflections)の理論で、これによると、感覚(sensations)、抽象的観念および人の認知の全ての他の様相は、誰かに感知されるか否かに関係なく存在している物質世界の実際の性質が我々の精神(mind)へと反射したものだ。
 『物質とは、感覚により人に与えられる客観的実在(reality)を意味する、感覚とは独立して存在しているが我々の感覚によって模写され、反射され、撮影される客観的実在を意味する、哲学上の範疇だ』。(+)
 (ⅱ. 4, 同上、p.130。〔=日本語版全集14巻150頁〕)
 レーニンがいく度も繰り返すように、物質は、文字通りに一つの『写し撮ること(copying)』の問題だ。我々の感覚は事物の形象(images)であり、たんなる事物の結果ではなく、プレハノフが言っただろうような、その『象徴(symbols)』ではない。
 『エンゲルスは象徴やヒエログラフ文字について語っておらず、事物の模写、写真、形象、鏡の反射物について語る。』(+)
 (ⅳ. 6, 同上、p.232。〔=日本語版全集14巻279頁〕)
 感覚は、我々と世界の間にある映写幕ではなく、世界との繋ぎ目(links)、世界の主観的(subjective)な模写物だ。//
 弁証法的唯物論は、物質の構造に関する物理学上の問題を解決するとは主張しない。その立場にない。
 弁証法的唯物論は、物理学が我々に教える全てを受け入れる。『なぜなら、哲学上の唯物論がその認識と結びつく、物質の唯一の属性(property)は、客観的実在であるという属性、意識(mind)の外に存在しているという属性だからだ』(+)(ⅴ, 2, 同上、p.260-p.261。〔=日本語版全集14巻314頁〕)。//
 この最後の点で、レーニンは、首尾一貫していない。なぜなら、彼自身が物理学に関する種々の問題に自信をもって答えているからだ。
 例えば、三次元以上のものがあり得ると主張するのは反動的な馬鹿げたことだとか、全ての形態の非決定論は無意味だとか、レーニンは言っている。
 単純に『意識の外に存在している』という属性により定義されている物質に関して言うと、これはのちの、レーニン主義者の間での論争主題だった。
 経験している主体との関係によって物質は特徴づけられなければならないと示唆したので、結果として、意識(mind)が物質という観念(concept)の中にその相関概念として入ってくる。  
 同じように、レーニンは、『客観的(objective)な』という語を『意識から独立して』ということを意味するものとして用いる。
 リュボフ・アクセルロートに従って、レーニンが物質は全ての範疇のうちで最も広いものなので定義することができない、ゆえに特別の用語で表現することができない、と言う場合にどこででも、彼はそのことと上に引用した言述とを両立させようとはしていない。//
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変更した。
 ⑤へとつづく。


1628/「哲学」逍遙①-L・コワコフスキ著17章7節。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊本, 2008)。
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。
 第3節「経験批判論」は主としてまたはほとんどがアヴェナリウス(Avenarius)とマッハ(Mach)の経験批判論に関する論述、第4節「ボグダノフとロシア経験批判論」および第5節「プロレタリアートの哲学」は、主としてまたはほとんどボグダノフ(Bogdanov)の議論に関する論述だ。そして、この直前の二節に比べると短いが、第6節「<神の建設者>」はルナチャルスキー(Lunacharsky)の議論に関する論述だ。後二者がアヴェナリウスやマッハと区別されているのは、時期も含めると後二者はまだ「マルクス主義者」の範囲内と見られていたことによると思われる。L・コワコフスキが叙述するこの時期にはプレハノフやリュボフ・アクセルロートは「哲学的」にはまだレーニンと同派だったらしくあるが、この二人ものちには、レーニン主義(のちに言う)<正統派>から、政治運動的にも離れていく。
 これら第3節~第6節の試訳は割愛し、第7節から再開する。なお、レーニン<唯物論と経験批判論>への論及があるのは、まだ先だ。
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 第7節・レーニンの哲学への逍遙①。
 ロシアの経験批判論者はたいてい、自分たちはマルクス主義者だと考えていたが、エンゲルスとプレハノフの素朴で無批判の『常識的な』哲学への軽蔑を隠さなかった。
 1908年2月25日のゴールキあての手紙で、レーニンは、ボグダノフやその仲間たちとの論争の経過について述べた。
 レーニンは、1903年にプレハノフがボグダノフの誤りについて語りかけたが、とくに危険だとは考えなかった、と書いた。
 1905年革命の間、レーニンとボグダノフは、中立的分野として哲学を暗黙裡に無視していた。
 しかしながら、1906年に、レーニンは〔ボグダノフの〕<経験批判論>の第三巻を読んで、激しく苛立った。
 彼は、ボグダノフに長い批判的な論評を書き送った。これはしかし、残っていない。
 1908年に<マルクス主義哲学に関する小論集>が公刊されたとき、レーニンの憤慨には際限がないほどだった。//
 『どの論文も、私はひどく腹が立った。いや、いや、これはマルクス主義ではない!
 我々の経験批判論者、経験一元論者そして経験象徴論者は、泥沼に入り込んでいる。
 外部の世界の実在を「信じること」は「神秘主義」だ(バラゾフ)と読者を説得しようとしたり、きわめて下品なやり方で唯物論とカント主義を混同させたり(バラゾフとボグダノフ)、不可知論(agnosticism)の変種(経験批判論)や観念論の変種(経験一元論)を説いたり、「宗教的無神論」や最高度の人間の潜在能力への「崇拝」を労働者に教えたり(ルナチャルスキー)、弁証法に関するエンゲルスの教えは神秘主義だと宣言したり(ベルマン)、フランスの何人かの「実証主義者」あるいは不可知論者か形而上学者の-悪魔よこいつらを持って行け-悪臭を放つ物から「認識論の象徴的理論」をうまく抽出したりしている(ユシュケヴィチ)!
 いや、本当に、ひどすぎる。
 確かに、我々ふつうのマルクス主義者は、哲学に十分には通じていない。
 しかし、なぜ、このようなしろものをマルクス主義の哲学だとして我々に提示することによって、我々を侮辱するのか!』(+)
 (全集13巻p.450。〔=日本語版全集13巻「ア・エム・ゴーリキーへの手紙」463頁。〕)//
 経験批判論者によって直接に攻撃されたプレハノフは、エンゲルスの唯物論を守って彼らと論争した、正統派内での最初の人物だった。
 プレハノフは、彼らの哲学は『主観的観念論』だと、感知する主体の創出物と全世界を見なすものだと、強く非難した。
 党に分裂が生じたとき、プレハノフは-ボルシェヴィキ知識人階層の状況からする何らかの理由で-、攻撃文の中で、彼が対抗しているボルシェヴィズムを観念論の教理と結びつけた。  
 ロシアの経験批判論は、ボルシェヴィキの『ブランキ主義』を正当化するための哲学的な試みだと、彼は主張した。それは、自然に生起するに任せないで暴力的手段によって社会発展をせき立てようとすることで、マルクス主義理論を踏みにじる政治なのだ、と。
 ボルシェヴィキの主意主義は、主意主義的認識論の一部だ。知識を主体的機構の行為だと見なし、事物を人間の精神(mind)から独立に実存するものだと説明しないのだ。 
 プレハノフは、こう主張した。経験批判論は、ボルシェヴィキの政治がマルクス主義の歴史的決定論に反しているのと同じ様態で、マルクス主義の教理の実在論(realism)と決定論に反している、と。//
 マッハ主義者(Machists)に対抗する実在論の立場を擁護して、プレハノフは、人間の知覚は客体の『写し』ではなくヒエログリフ文字の記号だということを承認するにまで至った。
 レーニンは、この点で彼をすみやかに叱責し、『不可知論』への認容されざる譲歩だと述べた。//
 リュボフ・アクセルロート(筆名『オーソドクス』)はまた、エンゲルスを擁護して、ボグダノフを批判する論文を1904年に発表した。そこで彼女は、レーニンが18カ月前に執筆するように奨めたと書いた。
 自分の党への義務を自覚して(彼女が言うように)、彼女は、マッハとボグダノフは客体を諸印象の集合体だと見なし、かくして精神を自然の創出者にする、そしてこれはマルクス主義に真っ向から反している、と論じた。
 意識によって社会を説明する主観主義的観念論は、『情け容赦なき一貫性』をもって、社会的な保守主義に至ることになるだろう。
 マルクスが示していたように、有力な意識は支配階級のそれであり、したがって『主観主義』は、現存する社会を永続化すること、および将来の思想を無益のかつ夢想的な(utopian)ものとして放棄することを意味することになる。//
 リュボフ・アクセルロートは、<哲学小論集>(1906年)で、ボグダノフのみならず、ベルジャエフ、ストルーヴェ、カント主義者、そして一般に哲学的観念論をも攻撃した。
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 (+) 日本語版全集を参考にして、ある程度は訳を変更した。
 段落は終わっていないが、ここで区切る。
 ②へとつづく。

1622/知識人の新傾向①-L・コワコフスキ著17章2節。

 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism (1976, 英訳1978, 三巻合冊2008).
 第17章・ボルシェヴィキ運動の哲学と政治。試訳をつづけて、第2節に移る。
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 第2節・ロシア知識人の新傾向①。
 ロシアの知識階層は、世紀の変わり目に、長い間、支配的な思想の様式だった実証主義、科学主義、および唯物論を放棄する目覚ましい傾向を見せた。
 同じ傾向は、詩歌、絵画、戯曲にある哲学や社会思想において、ヨーロッパ全体で見られた。
 最後の四半世紀の、自由に思考する典型的なロシア知識人は、つぎのように、考えた。
 科学は、社会生活および個人生活に関する全ての問題への解答を用意する。
 宗教は、無知と欺瞞により維持される迷信の集合体だ。
 生物学者の解剖メスは、神と霊魂を消滅させた。
 人間の歴史は、抗しがたく、『進歩』へと強いられている。
 専政体制、宗教およびそのような全ての抑圧に反対して進歩を支援するのは、知識人階層の任務だ。
 歴史的楽観主義、合理主義、および科学のカルト(the cult)はスペンサー(Spencer)流の進化論的実証主義の主眼で、19世紀の唯物論の伝統によって強固なものになった。
 その初期の段階でのロシア・マルクス主義は、継承した世界観のこれらの要素に誇りの場所を譲った。
 確かに、19世紀の後半はチェルニュイシェフスキー(Chernyshevsky)およびドブロリュボフ(Dobrolyubov)の時代のみならず、ドストエフスキー(Dostoevsky)やソロヴィヨフ(Solovyov)の時代でもあった。
 しかし、知識人階層の最も活力に満ちた影響力のある部分、そして人民主義者(Populist)であれマルクス主義者であれ、大多数の革命家たちは、合理主義的かつ進化主義的な公教要理(catechism)を、ツァーリ体制や教会に反対する彼らの闘いの自然な付随物だと受け容れた。//
 しかしながら、このような見方は、1900年代初めには、前世紀の科学的、楽観的および集産主義(collectivist)的な理想を拒絶するという以外に共通する特質を見分けるのが困難な、多様な知的態度へと途を譲り始めた。
 カント(A. I. Vvedensky)あるいはヘーゲル(B. N. Chicherin)の様式の講壇哲学に加えて、非講壇哲学者による新しい著作が、宗教的、人格主義(personalist)的、非科学的な雰囲気を伝えた。
 多数の西側の哲学者が翻訳された。ヴント(Wund)やヴィンデルバント(Windelband)のみならず、ニーチェ(Nietzsche)、ベルクソン(Bergson)、ジェイムズ(James)、アヴェナリウス(Avenarius)、マッハ(Mach)、そして自己中心的無政府主義者のマックス・スティルナー(Max Stirner)とともに、フッサール(Husserl)ですら。
 詩歌の世界では象徴主義や『退廃』が花盛りで、ロシア文学は、メレジュコフスキー(Merezhkovsky)、ジナイダ・ギピウス(Zinaida Gippius)、ブロク(Blok)、ブリュソフ(Bryusov)、ブーニン(Bunin)、ヴャチェスラフ・イワノフ(Vyacheslav)およびビェリー(Byely)といった名前で豊かになった。。
 宗教、神秘主義、東方カルトおよび秘術信仰主義(occultism)は、ほとんど一般的になった。
 ソロヴィヨフ(Solovyov)の宗教哲学は、再生した。
 悲観主義、悪魔主義、終末論的予言、神秘や形而上的深さの探求、奇想天外嗜好、色情主義、心理学および自己分析-これら全てが一つの現代的な文化へと融合した。
 メレジュコフスキーは、ベルジャエフフ(Berdyaev)やロザノフ(Rozanov)とともに、性に関する隠喩で思い耽った。
 N・ミンスキー(Minsky)はニーチェを絶賛し、宗教的な詩歌を書き、そしてボルシェヴィキに協力した。
 元マルクス主義者は、彼らの祖であるキリスト教信仰へと戻った。宗教への関心を反啓蒙主義や政治的反動と同一視していた世代が、科学的無神論を純真で頑固な楽観主義の象徴だと見なす世代に、途を譲った。//
 1903年に、小論文を集めた、<観念論の諸問題(Problems of Idealism)>が出現した。執筆者の多くは、かつてマルクス主義者だったが、マルクス主義と唯物論を、道徳的虚無主義、人格軽視、決定主義、社会を作り上げる個人を無視する社会的価値の狂信的な追求だと、非難した。
 彼らはまた、マルクス主義を、進歩を崇拝しており、将来のために現在を犠牲にしていると攻撃した。
 ベルジャエフは、倫理的な制度は唯物論者の世界観にもとづいては設定することができない、倫理はカント的なあるものとあるべきものの区別を前提にしているのだから、と主張した。
 道徳規範は経験から演繹することができず、ゆえに経験科学は倫理に対して有用ではない。
 この規範が有効であるためには、経験の世界以外に、そうであることを知覚できる世界が存在しなければならない。その有効性はまた、人の自由な、『本態(noumeal)』的性質を前提とする。  
 かくして、道徳意識は自由、神の存在および霊魂の不滅性を前提とする。
 実証主義や功利主義(utilitarianism)は、価値に関する絶対的な規準を人に与えることができない。
 ブルガコフ(Bulgakov)は、唯物論と実証主義を、形而上の謎を解くことができない、世界と人間存在を偶然の働きだと見なす、自由を否定する、道徳価値に関する規準を提供しない、という理由で攻撃した。
 世界とそこでの人間存在は、神の和合への忠誠に照らしてのみ、知覚することができる。そして、社会への関与は、宗教上の義務の意識に他ならないものにもとづいてこそ行うことができる。
 我々の行為が聖なるものとの関係によって意味を持つときにのみ、我々は、真の自己認識と、至高の人の価値である人格の統合とについて語ることができる。//
 <観念論の諸問題>のほとんどは、つぎのことで合意していた。すなわち、法規範または道徳規範の有効性は、非経験的世界を前提とするということ。そして、人格は本来固有の絶対的価値であるがゆえに、自己認識は社会からの要求の犠牲になってはならないということ。
 ノヴゴロツェフ(Novgorodtsev)は、<先験的にある>正義の規範に法が基礎づけられる必要性を強調した。
 ストルーヴェ(Struve)は、世界的な水平化や人格の差違の除去という意味での平等性という理想を批判した。
 執筆者のほとんど、とくにS・L・フランク(Frank)は、彼ら人格主義者(personalist)の見方を支持するために、ニーチェを援用した。その際にニーチェの哲学を検討して、それは道徳的功利主義、幸福追求主義、奴隷道徳を批判している、かつ『大衆の福祉』のために人格的な創造性を犠牲にすることを批判している、とした。
 ストルーヴェ、ベルジャエフ、フランクおよびアスコルドフ(Askoldov)は全てが、ニーチェが社会主義を凡人の哲学であり群衆の価値だとして攻撃していることを支援して宣伝した。
 全ての者が社会主義の理想を、抽象観念としての人(Man)のために人格的価値を抑圧することを企図するものだと見なした。
 全ての者は、歴史的法則や、<先験的な>道徳規範の恩恵のない経験上の歴史に由来する進歩の規準について、懐疑的だった。そして、社会主義のうちに、人格に対して暴威を奮う、抽象的な『集産的な(collectiv)』価値への可能性を見た。//
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 ②へとつづく。

0333/佐藤優における左翼・右翼。

 佐藤優のものは、食わず嫌い的なところがあってか、まともに読んだことがない。
 諸君!11月号の「保守再建」の中で、彼は、左翼と右翼につき、つぎの「暫定的定義」を示す(p.130)。
 左翼-「人間の理性を信頼し、合理的計画で理想的社会を構築することができると考える。…唯物論、無神論、性善説と親和的である。…進歩主義に依拠して…表現する」。
 右翼-「人間の理性には限界があると考える。…理性を信頼した合理的計画で理想的社会を構築しようとしても、それは実現できず、醜悪な事態を招く可能性があると考える。そのため合理性の枠内では正当化できない伝統、神などの観念を重視する。…観念論、宗教、性悪説と親和的である。…保守思想に依拠して…表明する」。
 ほとんど異論はない。そして、戦後教育の優等生たちは(例えば上級官僚・法曹は)、とくに若い又は壮年の間は、優等生であるがゆえに「人間の理性を信頼し」て、自然に左翼的になっているだろうことも理解できる。マスコミに巣くっている、自分を<学歴のある、インテリ>の端くれと見なしている者も同様かもしれない。
 「人間の理性には限界があると考える」、そういう教育も大切だろう。
 疑問を呈したくなるのは、(「観念論」が右翼にのみ語られる場合の「観念論」とは左翼の「唯物論」に対比されているのかもしれないが、左翼教条主義・左翼「観念論」も十分ありうると思うので、概念の使い方になるだろうことは別として)性善説と性悪説を左翼と右翼に対応させていることだ。
 はたして、そうか。左翼の行き着いた末は1億人以上の殺戮だったが、同志や国民への猜疑心は「性悪説」にこそ親和的かも。また、右翼(保守)は基本的には「性善説」に立って人の歴史や叡智を信頼するのではないか。-という感想が生じた。
 だが、ともあれ、この人はソ連、ロシアに詳しいのは確かなようだ。
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