日経新聞3/16の書評欄の一つを読んで、驚いた。というか、やはり、なるほど、との思いも半分以上はした。
 吉田司フィリップ・ショート著・ポル・ポト(白水社、山形浩生訳)を紹介・論評しているのだが、まず、「私たちは」1970年代後半にポル・ポトの「赤色革命を”社会主義の実験”として高く評価した」という最初の文自体が奇妙だ。
 「私たち」とは誰々なのか知らないが、ポル・ポト支配のカンボジアを「高く評価した」のは、社会主義幻想をまだ持っていた一部の者たちに他ならないだろう。吉田司もその奇矯な人々の中に含まれるのかもしれない。
 (奇矯な者のうち著名なのは、朝日新聞記者で、一時はテレビ朝日の夜のニュース番組で久米宏の隣に座っていた和田俊という人物だった。彼は、朝日新聞1975年4/19でこう書いた-「カンボジア解放勢力」は「敵を遇するうえで、極めてアジア的な優しさにあふれているように見える。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、新生カンボジアは、いわば『明るい社会主義国』として、人々の期待に応えるかもしれない」。「民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式から見て、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか」。)

 驚き、かつ納得もしたというのは、上のことではなく-原本ではなくあくまで吉田司の文章によるのだが-パリへの国費留学生だったポル・ポトたちはマルクス主義文献を読解できないほど無能で、「結局、ポル・ポトが社会主義革命を理解したお手本は無政府主義のクロポトキンが書いた『フランス大革命』だったという」との部分だ。吉田の文を続ければ、フランス革命とは「…血みどろな生首が飛ぶあのジャコバン党の恐怖政治=ギロチン革命のことである」、ポル・ポトたちは「十八世紀フランスを夢見ていた」。
 フランス革命とマルクス・レーニン主義→ロシア革命の関係にはすでに何度か触れたことがあり、フランス革命がなければロシア革命も(そして総計一億人以上の「大虐殺」も)なかった、との旨を記したことがある。さらにはフランス革命を準備したルソーらの「啓蒙思想家」(遡ればデカルトらの「理性主義者」)を「近代」を切り拓いた<大偉人(大思想家)>の如く理解すべきではない(むしろ<狂人>の一種だ)旨を記したこともあった。
 そのような指摘が誤りではないことを、ポル・ポトに関するフィリップ・ショートの本は確認させてくれるようだ。
 フランス革命がなければ、クメール・ルージュの<大量虐殺>もなかった。フランス人は、あるいは一八世紀の「変革」を導いた<進歩的な>思想をばら撒いた一部の者たちは、後世に対して何と罪作りなことをしたものだろう。
 あらためてフランス革命やロシア革命後の、さらには北朝鮮や中国で<自国政権によって虐殺された人々>を哀悼したくなる。また、「近代」への画期としてフランス革命を理解・賛美し、そのような「イデオロギー」に染まって一般国民又は一般大衆を<指導>してきた日本の<進歩的知識人>たちの責任を問いたくなる(桑原武夫を含む。樋口陽一もその後裔ではないか)。
 ところで、フランス革命→ロシア革命という繋がりが見えてしまうと、ポル・ポトらがフランス革命を「社会主義革命」の「お手本」(吉田)にしたのは不思議でも何ではなく、吉田司が「なんという時代錯誤のファンタジー、革命のファルス(笑劇)だ!」と大仰に書くほどのことではないだろう。書評文の「70年代に仏革命めざした悲劇」という見出し自体がミス・リーディングの可能性すらある。通説的・通俗的なフランス革命観を持っている、吉田の蒙昧さを垣間見る思いもするのだが…。