秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

名声

2351/L・コワコフスキ「名声について」(1999)②。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由、名声、 嘘つき、背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999)。
 試訳のつづき。第2章②。この書物に、邦訳書はない。
 ——
 第二章・名声(fame, 有名さ)について②。
 (6)このように考察すると、名声はいくぶん「不公正に」配分されている、という愚かな考えが生まれる。
 このような考え方は、名声の「公正な」配分とはどのようなものかを、さらにはそれをどうすれば実現できるかを、我々は知らないがゆえに、愚かだ。
 実際そうであるように、ほとんど読み書きのできない何人かのボクシング王者は、純粋に人類の利益のために働く偉大な学者や科学者が、例えば医学研究者が一握りの者たちにだけしか知られていないのに対して、世界じゅうに有名であり得る。しかし、これのどこに問題があるのか?
 なぜ名声は、知的な大きな成果に対する正当な褒賞である<べき>で、スポーツ技量またはテレビ・ショーの司会術に対する報償であってはならないのか?
 名声は、しばしば全くの好運の問題だ。宝くじ当選者ですら、自分の努力や長所がなくとも、短期間は有名であり得る。
 我々自身もまた、しばしば、聴衆や観衆として誰かを有名にすることができる。例えば、その女優が出演している映画を観に行くことによって、ある女優を有名にすることができる。
 多数の人々—Xanthippe〔ソクラテスの妻〕、Theo van Gogh〔画家ゴッホの弟〕、Pontius Pilate〔キリスト処刑許可者〕 —は、たまたま何らかのかたちで有名な人々と関係があるために有名さを獲得している。
 そして問おう、なぜそうであってはならないのか?
 名声の「不公正な」配分について、文句を言っても無意味だ。名声は、善良さ、知恵、勇気その他の美徳の報償ではないし、かつそう考えられてはならないからだ。名声とはそのようなものでは全くないし、決してそうはならないだろう。//
 (7)これは良いことだ。なぜなら、かりに我々の生活がその大部分が予見不可能でなく、偶然に支配されていないとすれば、そのような生活はじつにひどく退屈なものになるだろうから。偶然は総じて我々の有利にはならないという事実があるとしても、やはりそうだろう。
 世界は、公正な報償なるものを基盤にして編成されてはいないし、実際そうであるのとは異なって世界を編成し得ると言うことが何を意味するのか、思い描くことすらできない。
 おそらく天界では、名声や栄誉は異なる規準で従って授与される。おそらく最高のレベルにまで昇りつめた有名な人々がおり、彼らは地上では誰もその名を聞いたことがない人々なのだろう。
 しかしながら、地上で熱烈に名声を追求する人々は、偶然によって有名になった者たちを見て嫉妬心を使い果たして、有名な人々の中には入らない、と想定しておくのが安全だ。
 ノーペル賞受賞者やアメリカ大統領になろうとする絶望的な多数の者たちは、彼ら受賞者らが明瞭に獲得した褒賞を拒否されたという憤懣をもって、天界に行けば自分たちの苦痛に褒美が与えられる、と考えることに慰めを見出してはならない。
 なぜなら、実際には、神は、我々の嫉妬心や虚栄心に対する褒賞として我々を着飾ってくれそうにはないからだ。//
 (8)名声を求める渇望やそれを得られないこと、または値するほどには多く名声を得ていないことは不公正だとする感情は、もちろん虚栄心の結果であり、聡明さとは何の関係もない。
 道徳家たちはこの数世紀の間に、我々の知性はその我々の虚栄心や傲慢さを前にしては無力だ、と知ってきた。
 我々はみなたぶん、さもなくば全く知的な人々が、尊大で傲慢で独善的だという理由で、疫病のごとく避ける人々に遭遇したことがある。
 我々に説教をしたり望んでいない助言をするこの種の人々は、我々がその仲間でなくなるときには、それに気づいていないふりをするか、または自分たちの道徳の高さや知的な卓越性に原因を求める。
 我々はみな、知識と先見性があるにもかかわらず、誰も自分を認めてくれないと常時不満をこぼしている、そして、自分たちが嘲弄に値する者であると理解するのを拒否する、全く知的な人々を知っている。
 彼らは、自分たちを殉教者に仕立て、絶えず我々の同情を惹こうとする。我々の時代の出来事からして、彼らの殉教ぶりは些細な程度であるとしても。
 彼らはまた、自分たちの馬鹿げさ加減を理解するのを拒む。
 我々にあらゆる機会を使って、世界の女性たちは全員がベッドに一緒に行くことしか望んでいないことを明確に教えようとする、完全に知的な人々がいる。
 知性は、虚栄心を克服できない。
 「虚栄(vanity)」という言葉が「空虚(void)」に近いのは、決して偶然ではない。//
 (9)しかしながら、名声の追求は、二つの条件が充たされるならば、卑しいことでも、無価値のものでもない。
 第一に、主要な目標に対して付随的なものでなければならない。主要な目標とは、それ自体が価値があるものを達成することだ。
 その目標へと、我々の努力は傾注されなければならない。その結果として生じ得る名声の見込みに、誘惑されることがかりにあるとしても。
 第二に、名声の追求は、強迫観念(obsession)に転化してはならない。ほとんど余計なことを追記すれば、この強迫観念は、世間に対する憤懣という破壊的な感情を生むことがあり、これは人生を破綻させてしまうことがあり得る。
 概して言えば、名声については全く考えないで、家族や良き友人たちの小さな仲間うちの愛情や敬意に満足しておくのがよいだろう。//
 ——
 第2章、終わり。

2349/L・コワコフスキ「名声について」(1999)①。

 レシェク・コワコフスキ/Leszek Kolakowski・自由、名声、 嘘つき、背信—日常生活に関するエッセイ(1999)。
 =Freedom, Fame, Lying and Betrayal -Essays on Everyday Life-(Westview Press, 1999)。
 試訳のつづき。第2章へと進む。この書物に、邦訳書はない。
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 第二章・名声(fame, 有名さ)について。
 (1)我々みんなが知るように、名声(fame)は、諸々の物の中で、人々が最も望むものだ。
 なぜそうなのか—なぜ名声はさほどに名高く(famously)望ましいものなのか—に立ち入る必要はない、というのは明らかに正しい。
 有名であることは、どのような理由であれ、自分を肯定し、自分自身の存在を確認することだ、そして自己肯定は人間の自然の欲求に見える、と言うので十分だ。//
 (2)しかしながら、名声を求める渇望は、我々自身の文明では名声は執拗に追求される目標だという事実があるにもかかわらず、普遍的なものではない。
 何人かの古代の哲学者たちは(当然に有名な人々だが)、とくにストア学派やエピクロス学派の哲学者たちは、名声は避けられるべきものだと教えすらし、隠れて生活するよう助言し、無名であることの幸福を説いた。
 名声には、疑いなく煩わしい側面がある。有名な人々は、テレビに登場したり新聞に名前を載せたりすべく最大限の努力を同時にしているがゆえに、総じて信頼が措けないというひどい負担を負わされていると不満を述べるけれども。
 しかしながら、純粋に名声を追い求めない多数の人々がいる。—自信がないか、光に当たるのが好きでないか、またはたぶん自分自身について強い意見を持っていないか、のいずれかの理由で。
 (3)我々が知るように、名声は、しばしば—つねにではないが—富をもたらす。
 名声は、一定の職業の人々に富を与える。俳優、映画監督、ロック歌手、スボーツ選手、等々。
 名声を追求するほとんどの人々は、しかしながら、それがもたらす利益のためではなくそれ自体のために、そうしている。—たぶん、名声を得たいというただ一つの理由でDiana の寺院を全焼させたと言われるヘラストラトス(Herostrates)の不朽の例を忘れないで(きっと、彼が見事に達成したと言われる目的。数世紀のちにでもこうして我々が話題にしているのだから、見事にだ)。
 我々は毎日、有名になりたいというだけの理由で、テレビで観るようなおぞましい犯罪を冒している、まだ十代の粗野な若者たちを見ている。
 一方の天秤の端には、大きな富のごとき、ときには名声の結果として生じるものをすでに持つているが、名声そのものは避けて無名のままでいるのを好む人々もいる。
 しかしながら、総じて言って、名声ははそれ自体で、他の望ましい良きものを獲得するたんなる手段としてではなく、望ましいものと考えられている。//
 (4)名声は、まさにその性質上、僅かの者にしか与えられない。稀少性は、その定義の一部だ。
 我々はみないつかの日には、15分間の名声を得られるべきだ、ということが(有名なAndy Warholによって)言われた。だが、これは馬鹿げている。
 二つの理由で、無意味だ。第一に、単純な計算をしてみても、我々の全員に15分間の名声を与えるには、現在の世界人口を前提にすると、おそらくは何らかの国際テレビ網で、およそ20万年の類の年数を必要とするだろう。そのテレビ網が一日じゅう放送し、その連続する15分間の名声への熱望以外には何も放送せず、世界の全ての人々が一日じゅうそれを観たとしてすら。
 第二に、そんな馬鹿げた平等の状態では、誰一人少しも有名にならないだろう。
 名声は、稀少なものでなければならない。だからこそ、名声を得たいと夢見る人々のうちごく僅かの者だけが、その夢が実現するのを見るのだ。そして、ほとんどの者は、悲しく幻滅するだろう。
 ほとんどの者は、多大の時間と努力を無駄に費やすことになっただろう。人生の目標を名声の獲得に設定すると、時間を無駄に消費することになる。
 もちろん、人々が求めるが滅多に得られない多数のものがあるが、得られそうでなくとも求める努力をする価値があるものも多い。
 例えば、数百万の人々が、大当たりする可能性はごく小さいことを知っていても、宝くじを買う。
 しかし、宝くじを買う費用は安くて(義務的にそうしないかぎり)、時間や努力をほとんど必要としない。他方で、名声を望むのは、多くのことを必要とし、ふつうは無駄に終わる。//
 (5)名声と言っても、多数の程度の違いがある。程度の差が大きいので、誰が本当に有名で、誰が有名でないかを厳密に決定するのは不可能だ。
 職務のために有名な、世界諸大国の大統領や首相、国王や教皇のような人々を無視するならば、今日での名声(知名度)は、通常は、映画やテレビに人々が登場する長さに比例している、と言うことができる。
 アメリカでは、誰もが報道の読み手や人気のあるテレビ・ショーの司会者の名前と顔を知っている。
 我々は誰もが、Jack Nicholson や(もっと最近だが)Emma Thompson を知っている。また、Antonioni やWajda について聞いたことがある。
 我々は、Einstein、Planck、Bohr、あるいはMarie Curie-Sklodowska のような、今世紀の前半以降の何人かの科学者の名前を知っている。
 しかし、化学者または物理学者ではない我々のうちどの程度多くが、最近40年間の物理や化学のノーベル賞受賞者の名前を挙げることができるだろうか?
 我々は彼らの名前を知らない。ときには、彼らをどう区別すればよいのか、あるいは正確にはどの分野の人物なのかすら、知らない。
 我々は、彼らは傑出していて優秀であるに違いない、とだけ推測する。
 しかし、彼らは有名ではない。なぜなら、我々のうちほとんど誰も、彼らについて聞いたことがないからだ。//
 ——
 ②へとつづく。
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