秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

古田博司

1021/西尾幹二は渡部昇一『昭和史』を批判する。

 一 渡部昇一は<保守>の大物?らしいのだが、①1951年講和条約中の一文言は「裁判」ではなく「(諸)判決」だということにかなり無意味に(=決定的意味を持たないのに)拘泥していること、②日本国憲法<無効論>に引きずられて自らもその旨を述べていることで、私自身はさほどに信頼してこなかった。産経新聞・ワック系の雑誌等に渡部昇一はなぜこんなに頻繁に登場するのだろうと不思議にも感じてきた。
 二 ジャパニズム02号(青林堂、2011.06)の座談会の中で、西尾幹二が渡部昇一の『昭和史』(ワック)を批判している。
 西尾は、戦前の日本についての「内向き」の、「失敗」・「愚か」話ばかりの歴史叙述を批判し、渡部昇一も「昭和史」と称して「統帥権の失敗と暴走」という「たった一本でずっと」(それを「中心のテーマ」として)書いている、とする。そして、渡部昇一は「日本はリーダーなき暴走をした」、「日本には主体性がなかった」と、丸山真男ばりのまとめ方をしている旨を指摘し、「渡部さんの方は最後には、日本の迷走を食いとめたのは、広島、長崎の原爆であったとかいてある」とも発言している(そのあとに「(笑)」とある)(p.105-6)。
 渡部昇一の『昭和史』を読む気になれず、かつ読んでいないので西尾幹二(ら)の批判の適切さを確認することはできないが、さもありなんという気はする。渡部昇一は、<保守>の大立者として信頼し尊敬するに値するような人物なのだろうか。
 なお、古田博司が、丸山真男や加藤周一らの「日本の文化ダメ、日本人バカ」論が続いてきたと述べたのち、その流れにある者として西尾幹二は、半藤一利、保阪正康、加藤陽子、秦郁彦、福田和也の名を挙げている。
 これまたこれら5人すべての著書類を読んでいないので適切な反応をしにくいが、渡部昇一の場合以上に、あたっているだろうと思われる(とくに、半藤と保阪については)。ついでながら、先日、NHKは加藤陽子を登場させて語らせて、<さかのぼる日本史>とかの一回分の番組ままるまるを作って放送していた。特定の日本史学者の考え方にそって日本の(昭和戦前の)歴史を語るということの(よく言えば?)大胆不敵さあるいは公平さ・客観性の欠如(偏向性)をほとんど意識していないようなのだから、怖ろしい放送局もあるものだ。今年もまた、8/15に向けて、戦争は悲惨だ、日本は悪い事をした、という「ドキュメンタリー」?類を垂れ流すのだろう。
 三 中川八洋・小林よしのり「新天皇論」の禍毒―悪魔の女系論はどうつくられたか―(オークラ出版、2011.07)はタイトルのとおり、小林よしのり(+高森明勅)と、他に「民族派・男系論者」を批判する本のようだ。
 中川は戦前の平泉澄・戦後の小堀桂一郎も罵倒しているが、ヘレン・ミヤーズとその著を『国民の歴史』の中で「礼賛」しているとして、ミヤーズの肯定的評価について、小堀ととともに西尾幹二をも批判している(p.287、p.310)。
 中川のこの本については別の機会に言及するし、ミヤーズについて適切に評価する資格はない。
 ただ第三者的に面白いと思うのは(失礼ながら)、これで渡部昇一が中川八洋を批判していれば、渡部昇一←西尾幹二←中川八洋←渡部昇一←……という循環的相互批判が成り立つなぁ、ということだ。やれやれ…、という気もするが。

0991/古田博司「時代の触角/親中メディアの生理的イライラ」(歴史通3月号)。

 歴史通3月号(ワック)の古田博司「時代の触角③/親中メディアの生理的イライラ」(p.200-)によると、日本の全国紙のうち朝日・毎日・日経は1960年代に「黙って」・「素知らぬ顔で」反米・親中へと変化した、読売は2006年に「鋭角的に」そう変化し、産経は非親中のまま、らしい。これにNHKの親中ぶりを合わせると、大手メディアの<親中>体制は強固だ。

 NHKは在日エジプト人の200人ほどの集会を丁寧に放送し、別の某民放局(忘れた)は在日リビア人のそれよりも少ない数の活動を追っていたが、昨秋の尖閣事件を契機とする他ならぬ日本人の東京での数回にわたる数千人規模のデモ・集会をほとんど無視した。だが、菅直人内閣の支持率の急落の最大の原因は私にはこの尖閣問題への対処のヒドさ(国民に生じた基本的な平和・安全自体への危惧)にあったと思える。大手メディアの報道ぶりと庶民的<世論>の感覚はかなりズレているのではないか。

 古田論考には他にも興味を惹く叙述がある。詳しく反復しないが、親中べったり派の毎日新聞の元・現の記者として、石川昌、中野謙二、辻康吾、金子秀敏という固有名詞を挙げている。そして、「尖閣事件以来、毎日の『スター』はずっとイライラし続けている」のだそうだ。

 古田によると日中友愛の<理想・幻想・空想>は「ウソの団子三兄弟」または「想兄弟」。これに該当する兄弟たちは、東京新聞の清水美和、慶應大学の国分良成、みずほ総研の細川美穂子、東京大学の苅部直(「事後のピエロ」)、慶應大学の添谷芳秀

 「わが日本国ではリベラルと親中が六〇年代に進歩的文化人らにより接着されてから、ずっと剥がせないまま、インテリのマジョリティを作り上げて今日まで来てしまった」のだが、古田は、自分たちで剥がせなければ「際限なくウソ」をつき続ける他はないとして、若干の例も挙げている。
 この古田論考をとり上げたくなったのは、次の最後の一文にある。「東アジア情勢の変動が国内政治にどう反映するか、いよいよ楽しみになってきた今日この頃である」。

 「いよいよ楽しみになってきた今日この頃である」。日本の将来を悲観し、悲痛に思い詰める必要はない。菅直人政権の右往左往ぶり、支持率急落(最新の某調査で20%以下!)、衆議院解散を求める世論の増大(事態の改善方向の第一位意見)に対して、朝日新聞はこれからどう菅・民主党政権を擁護し、自らのかつての主張との齟齬を取り繕うだろうか、「いよいよ楽しみになってきた今日この頃である」、という気分で日々を過ごすことにしよう。

0569/古田博司・新しい神の国(ちくま新書、2007)等々を読む。

 〇小林よしのり・パール真論(小学館、2008)p.235まで読了。あとはパール判決書解題と最終章だけなので、殆ど終わったと言えるだろう。
 〇安本美典・「邪馬台国畿内説」徹底批判(勉誠出版、2008)のp.213まで読了。
 上の二つは、後者の問題には考古学等という介在要素が増えるが、何が事実だったか、という問題を論じている点では共通性がある。そして、それぞれの知的な論理的作業は興味深い。
 いま一つの共通点は、どちらの問題についても、朝日新聞という<左翼政治(謀略)団体>が関係していて、それぞれ<悪質な>ことをしている、又は<悪質な>影響を与えている、ということだ。具体的に書き出すと長くなるので、別の回に時間があれば書く。朝日新聞(社)は至るところで害悪をもたらしていて、嘔吐が出る。
 〇大原康男・象徴天皇考(展転社、1989)はp.149まで読了。今後さらに調べてみたいテーマはこの本に最も近いかもしれない。
 〇古田博司・新しい神の国(ちくま新書、2007)はp.166までとほぼ3/4を読了。単発短篇の寄せ集めでまとまりは悪いが、区切りがつけやすいのは却って読みやすい。
 1.著者・古田は1953年生。もっと上の世代の論者の中に、60年安保世代(「全学連」世代)と「全共闘」世代(70年安保世代)を混同して、あるいは一括して論評しているのを読んだことがあるが、さすがに私より若い人で、両世代の差違に言及する部分がある。以下、古田による(p.36以下)。
 全学連世代は戦争を知っておりナショナリズムの残滓をまだ抱えていたため「体制否定」まで進まなかったが、「全共闘」にはこの「防波堤がない」。「全共闘」の克服すべき対象は資本主義の成長により消失しつつあったのに、「革命の可能性と資本主義の終焉を信じ切り」、「暴力革命」を実践し始めた。「貧困」はなくなりつつあったのに学費値上げ反対等の闘争をした。さらに、「ナショナリズムが希薄」なため、全学連世代がもった「対東アジア侮蔑観」も薄く、「中国や北朝鮮からの悪宣伝にやすやすと踊らされ」、「悪漢日本を自分たちが懲らす」との「正義の闘争」を始めた。……
 この「全共闘」観は、「全共闘」運動の中での相当に職業的な<革命>運動党派を念頭に置いているようで、異論・違和感をもつ人びとも多いかもしれない。だが、非日本共産党・ノンセクト「左翼」学生たち(こうなると「ベ平連」学生にすら接近する)に焦点を当てた「全共闘」論よりは、私には感覚的に共感するところがある。<ナショナリズム>や「対東アジア侮蔑観」の有無・濃淡も、完全に同意又は理解はできないが、興味深くなくはない。
 2.古田によると、日本のインテリの「愛国しない心」には「三つの歴史的な層」があり、最後のものの「上に」いくつかの「派」が広がっている(p.56-57)。
 第一は、明治以来の対西洋劣等感。「劣った日本」ではなく「舶来」ものに飛びつくのがインテリの本分と心得る。
 第二は、スターリン(コミンテルン)の32年テーゼ(「日本共産主義者への下賜物」)の影響で、天皇制度は「絶対的に遅れた」「後進性の象徴」と思い込んだこと。「愛国するならソ連とか、社会主義国にしなさい」。
 第三は、「マルクスの残留思念」としての「カルチュラル・スタディーズ、ポスト・コロニアリズム」の層で、「国家なんか権力者の造りだした幻想」だ、「愛国心」は権力者が都合よく利用しようとするものだ、と考える。
 この上に、次のような「さまざまな雑念がアナーキーな広がりを見せている」。
 一つは、「地球市民派」-自分は「自由な市民だから国家なんか嫌いだ」。
 二つは、「反パラサイト派」-「アメリカの寄生国家なんか愛せない」。
 三つは、「似非個人主義派」-自分という「個人に圧力を加えるから愛国心なんか厭だ」。
 なるほど、なるほど。

0568/古田博司・新しい神の国(ちくま新書、2007)より-マルクス主義と戦後「左翼」インテリ。

 古田博司・新しい神の国(ちくま新書、2007.10)の最初の方からの一部引用。
 ①「要は反体制ならばハイカラで格好良いという軽薄さは、今日の左翼インテリまで脈々と繋がっており、ソビエトが解体し、中国が転向し、北朝鮮が没落してもなお、資本主義国家に対抗することこそがインテリの本分だと解している向きが跡を絶たない。/『天皇制』を絶対王政に比すの論はさすがに影を潜めているが、『天皇制打倒』の心性はいまだに引き継がれており、日本の左翼人士は『天皇制』が日本の後進性であり、日本人の主体的な自立を妨げてきたのではないかという議論をずっと続けてきた」(p.35)。
 ②1.2000年以降「マルクス主義に対する信仰」は着実に壊れた。大学の科目から「マルクス経済学」に関するものは次第になくなり「日本のインテリ層が徐々に呪縛から解き放たれていった」。
 2.「しかし何という壮大なる洗脳機構だったのだろうか 。価値・史観・階級の論を柱とし、それらが複雑に絡み合うさまは天上の大神殿を思わせた」。
 3.「今日ではすべて塵と化した大社会科学者たちの生涯の業績は、ひたすらその祭司たらんとする献身の理想に満ちあふれていた。だが、その神殿の柱は今やぶざまにも折れ、廃墟の荒涼を白日の下に曝しているではないか。なぜこのような無駄をし、屑のごとき書物を図書館に積み上げていったのだろうか。日本のインテりは一体何をやっていたのだろうか。結局、慨嘆が残っただけではなかったのか」(p.40)。
 ③韓国人や中国人は日韓基本条約・日中友好条約のときに「日本からの援助が欲しかっただけ」で、当時は「嫉妬も押し隠して笑顔を向けた」が、その「微笑みが本物でないことは、やがて露わになっていった」。/「そして戦後からずっと、『東アジアの人々は良い人ばかりで話し合えばわかる』といい続けたのは、実は共産主義者であり、社会民主主義者であり、進歩的文化人であり、良心的な知識人たちであった。伝統的なことには、右も左もない。日本では『伝統的な善人』や『国際的な正義派』がいつも国を過つのである」(p.45)。
 以上。上の②2.の「祭司」たらんとした者は、歴史学、経済学、法学等々の分野に雲霞のごとく存在した。非日本共産党系研究者でも、大塚久雄、井上清は入るし、丸山真男も立派な「祭司」だった。法学分野では日本共産党系の渡辺洋三、長谷川正安を挙げうる。だが、こうした者たちが築いた「神殿の柱は今やぶざまにも折れ、廃墟の荒涼を白日の下に曝しているではないか。なぜこのような無駄をし、屑のごとき書物を図書館に積み上げていったのだろうか。…結局、慨嘆が残っただけではなかったのか」。
 だがなお、マルクス主義の影響を受けた<左翼>インテリは数多い。例えば、樋口陽一よ、かつては「献身の理想に満ちあふれて」仕事をしていたかもしれないが、フランス革命が「理想」・「範型」ではなくなり、社会主義(・共産主義)社会への展望が見出せなくなった現在、かつての仕事は「廃墟の荒涼を白日の下に曝」している筈なのに、(ソビエト「社会主義」崩壊の理論的影響が出にくい法学界であるがゆえに)巧妙にシラを切って、惰性的に似たようなことを反復しているだけではないのか。そういう者たちを指導者として、さらに若い世代に<左翼>インテリが性懲りもなく再生産されていく。壮大な社会的無駄だし、害悪でもある。個人的に見ても、一度しかない人生なのに、せっかくの相対的には優れた基礎的能力をもちながら、気の毒に…。

0266/大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?

 この1年間で、いや8カ月と区切ってもいいのだが、最も印象的で、最も衝撃的な情報は、月刊諸君!2007年2月号(文藝春秋、2006.12末発売)の伊藤隆・櫻井よしこ・中西輝政・古田博司による「「冷戦」は終わっていない!」との「激論」の中の次のような文章だった。
 伊藤教え子たちがいろいろな大学に就職…聞くのですが、大学の歴史・社会科学系では実はまだまだ共産主義系の勢力が圧倒的多数なんですね
 中西近年、むしろ増えているのではないですか。現在は昭和20年代以上に、広い意味での「大学の赤化」は進んでいると思います
 伊藤「…戦後第一世代と異なるのは、そうした左翼シンパのひとりひとりはほとんど無名の存在だ…。いま大学にいるのは遠山(茂樹)井上(清)の孫弟子の世代なんです。だから誰も彼らが左派系だなんて気づかない。そんな連中が教授会の多数派をしっかりと握っている大学が多い
 中西「…石母田(正)の怨念の籠もり籠もった歴史学…。家永遠山の歴史観にも共通した特徴ですが、彼らの影響を受けた研究者たちが、いま日本の歴史学会の多数を支配している…。大学はなかなか変化しないんです」(p.50-1)。
 伊藤隆は歴史学者であり、歴史学界を主な対象として語られているようだ。だが、中西輝政は政治学・経済学界についても丸山真男大塚久雄の名を出したのち次のように言っている。
 中西研究対象を選ぶ段になると、学会での地位や就職が絡みますからナーバスに…。直接、左派知識人に批判的なことをやると、大学への就職が難しくなるという有形無形のプレッシャーはいまだにものすごく強いですからね」(p.53)
 <大学の自治>の下での<学問の自由>の現状はおそらくこうなのだろう。国家ではなく「左派」によって<学問の自由>が事実上侵害されている。そしてかかる現象は―特段の言及はないが―歴史・政治・経済学以外の法学・社会学等々にもある程度はあるものと思われる。
 「左派」すなわち共産主義・マルクス主義の影響を受けた、又はこれを「容認」する大学研究者(教員)が人文・社会系では「多数」のようだとは、私のある程度は想像する所でもあったが、こう明確に語られると、慄然とする。彼らが執筆した人文・社会系の(日本史・世界史・政治経済・現代社会等の)中学・高校の教科書で学んで、上級官僚や法曹が、そして若い国会議員が育ってきているのだ。
 上の<激論>の中で中西輝政は指導教授の高坂正堯が時々「きみたちには悪いねぇ」(早く就職させられなくて)と大学院学生たちに言っていた、「高坂先生は…七〇年代までは学界で異端視されていて、その門下生と知れると、ほとんどお呼びがかからなくなる。私たち大学院生は…「高坂門下」ということで大いに差別される」等と発言しており(諸君!2月号p.52)、中公クラシックスとなった高坂正堯の本・宰相吉田茂(中央公論新社、2006)の緒言で、中西寛(現京都大学法学部)は高坂正堯の吉田茂を肯定的に評価する論文・著書に関連して、「マルクス主義や進歩派知識人による保守政治批判が大多数だった」「当時においては、学者や知識人にとって保守政治家を批判する方が肯定的に評価するよりもよほど安全だった」と記している。
 「左翼」/マルクス主義者/日本共産党員の強い分野では、事実上の「思想統制」が(国家によってではなく)行われていたし、現在も行われている可能性があるわけだ。
 「思想統制」にはあたらず、その逆だろうが、東京大学出身者でもない樋口陽一はなぜ東北大学から東京大学(法学部)に迎えられたのか、同じく上野千鶴子はなぜ京都の某女子大から東京大学(文学部社会学科)に迎えられたのか。その<思想傾向>は、一般世間以上に、大学の世界では所属大学の変更も含む<人事>にかなりの影響を与えていそうだ。

0138/諸君!2007年02月号-冷戦期知識人の「責任」。

 今年の(厳密には昨年末刊行以降の)月刊雑誌の記事で最も印象に残っているのは、諸君!07年02月号(文藝春秋)の、伊藤隆・櫻井よしこ・中西輝政・古田博司による「「冷戦」は終わっていない!」との「激論」(p.34-66)だ。
 具体的な一部分にはすでに言及したかもしれない。
 この「激論」は「戦後日本の負の遺産ともいうべき、冷戦における知識人の戦争責任」につき論じるもので(櫻井、p.35)、「戦争責任」ある「冷戦における知識人」とは、私流にいえば(ソ連・)中国・北朝鮮との「冷戦」中にこれら諸国を客観的にでも応援している(した)者たちだ。
 対論中に登場する順に、一時期のことにせよ批判されている者又は批判的にとり上げられている者の名を生(・没)年の記載もそのまま引用しつつ以下に掲げる。田中角栄(1918-93)、金丸信(1914-96)、野中広務(1925-)、和田春樹(1938-)、大江健三郎(1935-)、丸山真男(1914-96)、大塚久雄(1907-96)、竹内好(1910-77)、加藤紘一(1939-)、河野洋平(1937-)、橋本龍太郎(1937-2006)、山田盛太郎(1897-1980)、石母田正(1913-2001)、井上清(1913-2001)、家永三郎(1913-2002)、遠山茂樹(1914-)、蝋山政道(1895-1980)、大内兵衛(1888-1980)、有沢広巳(1896-1988)、尾崎秀実(1901-44)、西園寺公一(1906-93)、風見章(1886-1961)、横田喜三郎(1896-1993)、石田雄(1923-)、加藤周一(1919-)、南原繁(1889-1974)、中島健蔵(1903-1979)、千田是也(1904-1994)、武田泰淳(1912-1976)、秋岡家栄(1925-)、杉田亮毅(1937-)、清水幾太郎(1907-1988)。
 対談者の専門の関係で日本史学者の名もある程度出てくる(石母田正、井上清、家永三郎、遠山茂樹)、丸山真男、石田雄、南原繁は政治学者だ。秋岡家栄は朝日新聞の元北京特派員、同社退職後は中国「人民日報」の販売代理店の代表とかの御仁だ。過日紹介した「平和問題談話会」のメンバーも多い。
 1955年の南原繁の、「中国では毛沢東主席、周恩来総理、そういう偉大な政治家を持っておる国民は非常に幸福だと思う」との発言が、中国による対日工作との関係で紹介されている(p.57)。この南原繁に対して最大級の尊敬の言を発していた立花隆(1940-)に読んでもらいたいものだ。だが、立花隆もこの南原と同じ考えだったりして!?
 なお、同誌同号には細谷茂樹「金正日をあやし肥らせた言説」との論稿もあり(p.67-75)、タイトルどおりの諸氏の言説が引用・紹介されているので、記録又は資料として価値がある。
 言説がとり上げられているのは、野中広務鳩山由紀夫不破哲三村山富市辻元清美土井たか子日本社会党石橋政嗣小田実都留重人和田春樹坂本義和安江良介(元岩波書店)、松本昌次西谷能雄(以上2名、元未来社)、朝日新聞、だ。
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