秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

参議院

0945/資料・史料-2010.11.26仙石由人官房長官問責決議案理由

 史料・資料-参議院・仙石由人官房長官問責決議案「理由」 2010.11.26問責決議可決

 

 理由

 「菅内閣発足以来、国難ともいうべき事態が続いており、内閣の要であり、実質的に内閣を取り仕切っているといわれる仙谷大臣の官房長官としての責任は極めて重大である。菅内閣では、仙谷官房長官が実質的に重要事項の決定を主導しており、最近では法務大臣、拉致問題担当も兼務することになったが、仙谷官房長官が内閣の中枢に居座ったままでは、現状の打開は望むべくもない。

 以下、仙谷官房長官を問責する理由を、列挙する。

 第1に、「尖閣諸島沖中国漁船衝突事件」における極めて不適切な対応である。

 公務執行妨害で逮捕された中国人船長の釈放は、那覇地検が「わが国国民への影響や今後の日中関係を考慮」して判断したとしているが、このような重大な外交上の判断が一地方検察庁でなされたと信じる者は誰もいない。総理、外務大臣が国連総会で不在の中、官邸の留守を預かる仙谷官房長官主導で釈放の政治判断が行われたと考えざるを得ない。

 しかし、仙谷官房長官は、釈放は那覇地検の判断であったとの強弁を繰り返している。仮に、一行政機関である那覇地検が外交判断による釈放を行い、それを政府が是認したとすれば、検察が外交を行ったという日本外交史上、例を見ない越権行為が民主党政権下で行われたことになる。逆に、官邸が那覇地検に釈放の圧力をかけたとすれば、仙谷官房長官は虚偽の答弁を重ねてきたことになる。どちらにしても、この件を主導してきた仙谷官房長官の責任は重大である。
 さらには、諸外国に対してわが国の正当性を訴えるために戦略的に使われるべきであった衝突時のビデオは、官房長官の主導により長期間非公開にされ、事件発生から50日間を経て、ようやく6分50秒に編集されたものが国会に提出されただけであった。仙谷長官の誤った対処により、わが国は貴重な外交カードを失ってしまったのである。一連の対応により、失われた国益は大きい。

 さらに政府が国会に提出したビデオの6倍以上にわたる2回の衝突の時間を含む44分間のビデオが一海上保安官の手で流出し、全世界で視聴可能な状態となった。仙谷官房長官はビデオの国会提出にあたり書面で「慎重な扱い」を求めていたにもかかわらず、政府内では情報管理を行っていなかったことが露呈した。本来公開すべきビデオを公開しなかったからこそ起こった問題と言わざるを得ない。この責任も重大である。加えて事態発覚後は「政治職と執行職」という詭弁を弄して、自分たちの責任を海上保安庁長官一人になすり付けようとしたことも糾弾されるべきである。

 第2に、国権の最高機関たる国会を愚弄する、暴言、失言の数々が繰り返されていることである。

 菅総理自らが今国会冒頭の所信表明演説で、熟議の国会を呼び掛けているにもかかわらず、指名されてもいない仙谷官房長官がしゃしゃり出て、話をすり替え、恫喝し、また答弁席からやじを飛ばすなど、国会軽視もはなはだしい。また、報道に基づき質問した質問者に対して、自らも過去に何度もの質問をしていたことを棚に上げて「最も拙劣な質問」だと侮辱し、予算委員会が民主党も賛成した議決に基づいて呼んだ参考人に対して疑義を唱え、さらには恫喝を加え、内閣のスポークスマンとしての官房長官の資質を疑わざるを得ない。
 第3に、日本国憲法に抵触する発言を繰り返し、憲法順守の義務に違反していることである。

 中国漁船衝突事件のビデオ公開関連の「厳秘」書類を予算委員会で撮影された際に、自らの危機管理の甘さを恥じることもなく、「盗撮」呼ばわりし、取材規制の強化を振りかざし報道の自由を侵害しようとした。また、国会の外においては、自衛隊の施設内での民間人の発言を規制することを認めるなど、仙谷官房長官は憲法に定める表現の自由の侵害に加担している。

 仙谷官房長官は自衛隊を「暴力装置」と発言した。学生時代、社会主義学生運動組織で活動していた仙谷長官にとっては、日常用語であるかもしれないが、平和憲法に基づき国家の根幹である国防を担い、国際貢献や災害救助に汗をかく自衛隊を「暴力装置」と侮辱したことは、決して許されるものではないし、自衛隊を「暴力装置」と表現することは、憲法9条をはじめとする日本国憲法の精神を全く理解していないということである。

 第4に、国会同意人事案件に対する怠慢である。

 民主党政権は、今次国会召集からかなり日時を経た、10月半ばに5機関11名について提示した。これらはすべてが任期満了か、既に辞任した空席を補充するための人事であった。さらに今なお再就職等監視委員会の人事については提示さえしてきていない。さらには、この同意人事の国会議決がされていないにもかかわらず、次の人事を提示した。これらを長く放置していたことは国会軽視、政府の怠慢以外の何ものでもない。同意人事を担当する官房長官の責任は重大である。

 第5に、北朝鮮による韓国・延坪島砲撃事件における危機管理能力の欠如である。

 北朝鮮の砲撃開始は午後2時34分であるが、菅総理は砲撃を3時半ごろ報道で知り、官房長官もほぼ同時刻に第一報を東京都内の私邸で受け取っている。総理が官邸に入ったのは午後4時45分、仙谷官房長官は同50分である。総理、官房長官ともに、砲撃から2時間以上、一報を受け取ってから1時間20分経過してから官邸に入っている。しかも官房長官は総理より遅い登庁である。

 仙谷官房長官のその傲岸不遜な発言、失策の数々には、与野党を問わず、批判が集中している。一刻も早く、官房長官が職を辞すことが、菅内閣による日本の国益への損失を少しでも抑えることにつながると確信する。

 以上が本決議案を提出する理由である。」 

0166/小山常実の日本国憲法無効論に寄せて-その2。

 小山常実氏の日本国憲法無効論(同・憲法無効論とは何か(展転社、2006))について5/04に若干の感想を記した。以下はいちおうは第二回めになる。
 最初の感想又は意見と異なるのは、次の点だ。5/04では、無効確認手続について「政治的には、国会による決議がなければ立ち行かないだろう」(p.140)とあるのを疑問視し、「政治的」又は「現実的」な議論を混淆させている等のコメントを付した。
 だが、国会の決議が「政治的」にのみ要請されるとするのは疑問で、法的にも必要ではないか、という気がしてきた。少なくとも、後者の説も成り立ちうると思われる。
 理由は次のとおり。大日本帝国憲法(明治憲法)の改正手続、ポツダム宣言、現実のGHQや日本政府、昭和天皇の言動等々が複雑に絡む現「憲法」の制定過程の問題の処理又は論点整理がまずは必要なのだろうが、それらは今回は省略する。
 第一に、かりに明治憲法の改正手続によって現憲法が制定されたのだとすれば(改正内容が改正限界論を超えるとの論、さらにそれが無効事由となる論があるのは承知だが、とりあえずは措く)、その手続は、天皇が「議案ヲ帝国議会ノ議ニ付」し、「両議院ハ各々其ノ総員三分ノ二以上出席」して「議事ヲ開」き、「出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得」て「改正ノ議決ヲ為ス」ことによって行われた(明治憲法73条1項・2項)。
 明治憲法の制定は法的には明治天皇によってなされたが、その改正については同憲法は天皇の専権とはせず、「両議院」の議員の各々2/3以上の出席と2/3以上の賛成による議決を要求していた。議会議員の意思を重視していた、と言ってよい。上の要求を充たさないと、天皇が憲法改正を「裁可」することはできなかったのだ。
 このことに着目すると、「法的に言えば」首相他の国務大臣の副署に基づき天皇が無効確認すれば「十分」である(p.140)ということにはならないように思える。
 改正(制定)時点で議会が重要な関与をしていたのだから、無効確認手続の場合も議会にしかるべき関与の機会を与えるのが「法的」な筋道のように見える。
 第二に、明治憲法の改正手続をとったのは全くのマヤカシだったということになると、現憲法の有効性を説明するためには、<国民の自由意思…>という言葉のあるポツダム宣言を受諾したことにより、<革命>によって憲法改正権力が国民に発生したという所謂<八月革命説>を採用するしかないのだろう(たぶん)。
 この場合も、無効であっても「失効・無効の確認がなされるまでは…「日本国憲法」が、一応有効であるとの推定を受ける」(p.131)のだとすれば、国民主権下における国民代表議会、あるいは「国権の最高機関」とされている国会(現憲法41条)による無効確認決議がやはり「法的」に必要なのではないか。
 (尤も、後述のように、第一の場合の議会と第二の場合の議会は同じか、衆議院のみか参議院も含むのか、等の問題はある)。
 第三に、<八月革命説>を批判してこれを採用しなくとも、しかし、もう一度書けば、無効であっても「失効・無効の確認がなされるまでは…「日本国憲法」が、一応有効であるとの推定を受ける(p.131)のだとすれば、同じことになるのでないか。
 小山において、上の部分に続けて「有効であるとの推定を受ける以上、失効・無効確認があるまでは、「日本国憲法」は守らなければならないことは当然である」と明言されているのだ(p.131)。
 但し、「日本国憲法」無効論を前提とする無効確認決議についてまで、「一応有効であるとの推定を受け
」るものであっても、日本国憲法41条等が適用されるのかはどうかはなおもよく解らないところがある。
 次に、無効確認をすべき議会とは何を意味するかいう問題に移ると、現実には貴族院が存在しないことを前提とすると、上の第一の立場からすると衆議院のみを意味することになるかもしれない。上の第二、第三の立場だと、衆議院の他に参議院も含まれることになるだろう。
 だが、第一の場合も、基本的な趣旨は選挙で選出された議員で構成された議会の意思を尊重するということなので、同じく国民(有権者)の選挙で選出された議員により成る参議院も含めてよいようだ。
 つまり、貴族院を「参議院によって代替させる」(p.144)というのではなく、実質的には又は基本的には衆議院と類似の性格をもつ参議院を無視しない、という意味で、あるいは衆議院のみよりは参議院も加えた方が選挙民の意思をより反映するだろうという意味で、参議院も加えるわけだ。
 なお、「憲法としては」無効とされる日本国憲法が無効確認手続がなされるまでは「一応有効であるとの推定を受ける」という場合、それは「憲法」として「一応有効」
との趣旨なのか、別の性格の法規範として「一応有効」
なのかは、読解に問題があるのかもしれないが、よく分からない。次回あたりで扱ってみよう。
 -というようなことを書いたが、私にとっては極めて興味を惹く法的問題に関する「頭の体操」に近いところがある。そして、<そんなアクロバティックな説明や手続要求をしなくても、日本にとって相応しい内容の憲法を日本人の手で作りあげる、ということに傾注すればいいのではないか、その方が生産的・建設的で日本国家のためにもなるのではないか>という想いを禁じえない。
 以上のような想いは次のような「現実」にもよる。
 「日本国憲法」無効論に立つ政党又は政治団体もあるようだ。しかし、管見の限りでは、各種選挙に候補者を立てているのかもしれないが、国会議員はゼロの筈だ。
 つまり、自民党・国民新党から共産党まで、少なくとも現時点では、全ての国会議員が、日本国憲法有効論に立った上で改憲賛成・反対等の議論をしているものと考えられる。このことの原因・背景として、むろん(「憲法」を「生業」とする)憲法学者の圧倒的大勢の考え方の影響も挙げうるかもしれないが、やはり「無効」論そのものに問題があることも挙げておいてように思われる(この点は別の機会に触れよう)。
 両院に設置された憲法調査会の報告書も、きちんと読んでいないので正確には言えないが、「日本国憲法」無効論には言及すら殆どしていないのではなかろうか。
 むろん、これからの選挙において、「日本国憲法」無効論に立つ議員が増えていく可能性はないとは言えない。しかし、そのような考え方が過半数を制するとはとても想定できないだろう。
 ということは、いかに衆議院単独または衆議院+参議院による現憲法「無効確認」決議は可能であるとしても、実際にそのような決議がなされることはほぼ100%期待できないのではないか。
 それでも「日本国憲法」は無効で国会は「無効確認」決議をすべきだ、と主張し続けることは、勿論自由にできる…。

0116/小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)を少し読む。

 日本国憲法「無効」論について、小山常実の別冊正論Extra.06上の「無効論の立場から-占領管理基本法学から真の憲法学へ」を読んで、過日簡単に疑問を書いた。主として、1.「無効」の意味・この概念の使い方、2.「無効確認」主体、の問題だったかと思う。
 この2.については十分な説明がなく憲法学界が無効確認などできる筈がないなどの頓珍漢な指摘もしたのだが、別の方から、国会で可能だ旨の情報も提供していただいたものの、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)によると、正確にはこうだ。この点にかかわる問題のみを今回は主として扱う。なお、小山・「日本国憲法」無効論(草思社、2002年)も所持しているので、「第一書」としてp.数だけを示しておく。
 新憲法制定のための「第一段階の第一作業」は、日本国憲法の「無効と明治憲法の復原を確認すること」で、「法的にいえば、首相他内閣を構成する国務大臣の副署に基づき、天皇が無効・復原確認を行えば十分である」(p.140。第一書、p.248)。
 答えは、天皇なのだ。そして、現日本国憲法を<裁可し、公布せしめ>たのは天皇であり、施行文後の御名御璽の後に「副署」したのは当時の首相他の閣僚なので、いちおう-後述の疑問はあるが-論理一貫している。但し、次の文は、いけない。
 「ただし、政治的には国会による決議がなければ立ち行かないだろう。それゆえ、国会による決議を経て、内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為を行う形がよい」(p.140。第一書にはないようだ)。
 これは一体何だろう。「政治的には」とは一体何だろう。法的議論をしている筈なのに、「政治的」又は「現実的」な議論を混淆させている。それに「政治的には、国会による決議がなければ立ち行かないだろう」というのも奇妙なことで、法的に全く問題がなければ、「首相他内閣を構成する国務大臣の副署に基づき、天皇が」行うので、それこそ「十分」な筈なのではなかろうか。
 こんな疑問がまず生じるが、できるだけ国民の総意でという形をとるために国民代表で構成される「
国会による決議」を経た方が望ましい、という趣旨だと理解することはできる。
 だが上にいう「国会」とは何だろうか。日本国憲法制定時には国会は衆議院と貴族院で構成されており、貴族院議員も審議に参加していた。ここでの「国会」とは衆議院なのか、それとも貴族院を復活させるのか(無効確認の段階ではまだ復活していない?)、いや参議院を含めるのか、が明らかではないようだ。
 但し、無効・復原確認後の明治憲法改正=真正な新憲法制定については、次のように書いている。
 「明治憲法第七三条によれば、天皇が発議して、貴族院と衆議院で可決されて憲法改正が行われる。貴族院はもう存在しないから、参議院によって代替すればよいだろう」(p.144。第一書、p.248)。
 何とここではあっさりと、参議院をもって貴族院に「代替」させるのがよい、と明記している。しかし、貴族院と参議院とは、第二院という点では共通性はあるかもしれないが、選出方法・構成はまるで異なっている。第二衆議院とか衆議院のカーボンコピーと言われることもある参議院に貴族院の「代わり」をさせるのは、明治憲法七三条の趣旨に適合的なのだろうか。少なくとも、復原した明治憲法の下での議論としては、「貴族院はもう存在しないから、参議院によって代替すればよいだろう」などと簡単に言い切ってはいけないのではなかろうか(明治憲法が復活したとすれば「貴族院」をいったん復活させて新「貴族院」を設置し(議員の選出・構成は難問だが)、憲法改正だけの任を与えることも考えられよう)。
 以上の他、次のような疑問もある。日本国憲法「無効」論が絶対に「正しく」、関係機関又はその担当者は全員がこの考え方を支持してくれる筈だ、という前提に立たないかぎり、当然に生じる疑問だと思われる。
 第一に、国会(この意味が不明なことは既述)が日本国憲法を「無効」と考えず、「無効」という「国会による決議
」ができないことも想定できる。この場合はどうなるのか。
 もっとも、「国会による決議」は「政治的には」
あった方が望ましいものであるならば、これを欠いても、無効・復原が確認できないわけではないということになるのだろう。
 では第二に、かりに天皇陛下は「無効」と考えられても、「首相他内閣を構成する国務大臣」
はそう判断せず、副署もしない場合はどうなるのだろうか。終戦詔勅の場合と同様に首相等の国務大臣は唯々諾々と服従するのだろうか。
 逆に、かりに首相等の国務大臣は一致して「無効」と考えても、天皇陛下はそうはお考えにならない場合はどうなるのだろうか。
 そんなことはあり得ないということを前提として立論されているのだろうとは思うが、しかし、現実的には、こういう場合も想定しての「法的」議論も用意しておかなければならないのではなかろうか(そういう場合は無効確認ができないだけ、という結論になるのだろうか。それなら簡単だが)。
 第三に、より現実的な疑問がある。現日本国憲法を<裁可し、公布せしめ>たのは昭和天皇であり、今上天皇ではなかった。「副署」したのは当時の首相等の国務大臣であり現在の首相等ではなかった。
 当時の天皇陛下や首相等の「本心」・「内心」というものが明瞭に分かる資料は恐らく存在しないのだが、昭和天皇は、こんな明治憲法改正・日本国憲法は「無効」だと思われつつも不本意に<裁可し、公布せしめ>たのだろうか。吉田首相等も、こんな日本国憲法は「無効」だと思いつつ不本意にも「副署」したのだろうか。
 むろん、天皇も首相等も国家機関の一種であり、担当者(?)が変われば異なる意思を持ちうる、という理屈は成り立つ。従って、「
内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為」を行うことが法的にも事実的にもできなくはない、と考える。
 しかし、現実論としては、昭和天皇等が「無効」だと感じつつやむを得ず「裁可」し「副署」したという事情が明瞭に伝えられていないかぎり、今上天皇等が「無効」との判断に至る可能性は極めて乏しく、現実的可能性は0.1%もないものと思われる。それよりは、天皇と首相以下の国務大臣との間で見解が齟齬する現実的可能性の方がほんの少し高いだろう。
 むろん、上のような事情は日本国憲法制定・施行後60年の「欺瞞」によるのだ、「大ウソ」の教育・報道等によるのだ、と主張したい(であろう)ことはよく理解できる。だがいかに「正しい」理論でも支持者が微少であれば、現実的な「力」をもちえない。「正しい」理論であれば大多数の者によって支持される筈だ、というのは理想かもしれないが、現実は必ずしもそうはならない。
 現在の国会議員にしろ、2005年の両院の憲法調査報告書はおそらく日本国憲法「無効」論に殆ど又は全く言及しておらず、有効論に立っての諸意見を記載しているものと推察される。近年の各政党の有力者の発言を聞いても、日本国憲法「無効」論に立つ発言は一つもない筈だ(日本共産党と社会民主党が現憲法の有効性を前提として、九条墨守論を主張しているのも明瞭なことだ)。
 昨5月3日に護憲・改憲両派を「無効」論に立って批判する集会等もあったのかもしれないが、残念ながら(おそらく)一切報道されていないようだ。
 このような状況を現内閣構成者は勿論、今上天皇陛下もご存知の筈だ。
 日本国憲法「無効」論者にとって、一般国民はまだしも、天皇陛下の支持を獲得することは決定的に重要なことだが、今上(明仁)天皇は日本国憲法を憲法としては「無効」と考えておられるのか。
 以上、要するに、法的にも事実的にも、「内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為」を行うことが不可能だとは思わない。だが、その現実的可能性は極めて乏しく、ほぼ(絶対に近いほどに)絶望的だ、と考えられる。
 以上のような判断には、そもそも日本国憲法が「無効」とする論拠が必ずしも説得的ではないという理由づけが付着しているのだが、この問題は今回は省略する。
 この機会に別の、誤りだと思う点を指摘させていただく。小山・上掲書p.142はこう書いている。
 旧西独は「半年かけてドイツ人自身が起草した「ボン基本法」のことを、占領下ではドイツ人の自由意思は存在しないという理由から、占領下の暫定的な基本法または暫定憲法にすぎないと位置づけた」/「…旧西ドイツは、占領中は少なくとも永久憲法を作ることは出来ないという立場を明確にした」。
 私は憲法学者ではないが、次のことくらいは知っている。端的にいえば、
「ボン基本法」が「暫定憲法」として位置づけられたのは、「占領下ではドイツ人の自由意思は存在しないという理由から」では全くなく、国土・国民が二つに分裂していたからだ(p.141の条項にいう「ドイツ人民」には東独領域のドイツ人を含むのだ)。
 
「暫定」ということの意味は、「占領」期間に限ってという意味ではなく、将来東西のドイツが統一するまでの「暫定
」、という意味なのだ(首都もフランクフルトにすると永続的印象を与えかねないということであえて小都市・ボンが選ばれた)。
 たしかに1949年9月の西独=ドイツ連邦共和国発足前の「占領」中の同年5月に「ボン基本法」(「ドイツ連邦共和国のための基本法律」)は制定・施行されているが、僅か4ケ月というタイムラグを考えても、「ボン基本法」は西独という一国家にとっての正式の憲法的意味あいを持つ法(正確には特別の性格をもつ法律)として施行されたのであり、西独の発足時にいったん「無効」とされたりはしていない。占領中に施行された憲法(・基本法)が無効なら、その改正も全て「無効」となる筈だが、西ドイツは頻繁に「ボン基本法」を改正してきた。
 従って、西ドイツの例は、日本国憲法「無効」論のために有利には利用できない。
 (なお、東独を吸収・統一して統一国家のための新「憲法」制定となるのかと思ったが、現実的発想というべきか、「ボン基本法」の一条項を利用して東独を併合し、むろん多少の改正をしたうえで「ボン基本法」(正式名称は上記)の名称を改めることなくそのまま旧東ドイツ領域にも適用している。)
 ところで、過日、日本国憲法「無効」論に多少の疑問を示す文章を書いたら、すみやかに「改憲論者の ドアホ!」(実際にはもっと大きい)と色付きで大書した一頁をもつブログ等がTBで貼り付けられた。「ドアホ!」という大きな字を見るのは不快なのでTB不許可の設定にしたら、今度は、同じハンドルネームの人から<TB不許可か、「よくやるね」>とのコメントが送られてきた。
 これも気持ちが悪いので、もっぱらこの人に対する防御を目的として、今のところTBもコメントも不許可にしている。どうかご容赦願いたい
 小山常実は上の著で、「党派を問わず、「日本国憲法」を憲法と認められない全ての方には、…加わっていただきたい」と書いておられる(p.161)。
 私は小山の二つの本を所持し部分的には読み、渡部昇一=南出喜久治の共著も(未読だが)所持している。珍しい、奇特な人間の一人ではないかと思っているが、「改憲論者の ドアホ!」(実際にはもっと大きい)との色付きの大きな字等を貼り付けるなどというのは(色は忘れたし、確認する気もない)、支持者を増やすのを却って妨げることになるのではなかろうか。
 議論は好んでするが、従うか・従わないかと詰問されるような雰囲気は、好みではない。

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