秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

北朝鮮

2489/西尾幹二批判049—根本的間違い(4-3)。

 六 3 00 <反共よりもむしろ反米を>という、政治状況または国際情勢についての西尾幹二の「根本的間違い」の原因・背景を述べてきている。
 この人の、より本質的な部分には論及していない。先走りはするが、この人にとって、「反米」でも「親米」でも、本質的にはどうでもよかったのではないか。
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 01 とは言え、叙述の流れというものがある。
 既述の誤りの指摘の追記でもあるが、西尾幹二の政治状況・国際情勢にかかる認識の間違いは、つぎの文章でも明瞭だ。
 2005年/月刊諸君!2月号、p.222。
 「米ソの対立が激化していた時代はある意味で安定し、日本の国家権力は堅実で、戦前からの伝統的な生活意識も社会の中に守られつづけました。
 おかしくなったのは、西側諸国で革命の恐怖が去って、余裕が生じたからで、さらに一段とおかしくなったのは西側が最終的に勝利を収め、反共ではもう国家目標を維持できなくなって以来です。
 日本が壊れ始めたのは冷戦の終結以降です。」
 西尾が1999年『国民の歴史』で、私たちは「共産主義体制と張り合っていた時代を、なつかしく思い出すときが来るかもしれない」、「否定すべきいかなる対象さえもはや持たない」と書いた線上に、上の文章もある。そして、現在まで、この基本的認識・主張は継続しているようだ。
 これは、グローバリズムからナショナリズムへという、〈日本会議〉公認の、日本の「保守」(の主流派:多数派)を覆った考え方でもあった。
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 02 その点はここではもう論及しないこととして、上の文章には若干の基本的な疑問がある。
 第一に、西尾のいう「冷戦の終結」以前の日本の「国家目標」は「反共」だったのか?
 「全面講和」ではなく単独(または多数)講和を選択してアメリカ・西欧陣営に入った(1951年)こと自体が「反共」だった、とは言える。継続的な「国家目標」性はうたがわしいとしても。
 かりにそうだとしても、関連して第二に、つぎの認識は適確か?
 「米ソの対立が激化していた時代はある意味で安定し、日本の国家権力は堅実で、戦前からの伝統的な生活意識も社会の中に守られつづけました」。
 「反共」という国家目標のもとで、日本は「ある意味で安定し」、「国家権力は堅実」だったのか。
 秋月瑛二は、全くそう思わない。
 例えば、ベトナム戦争があり沖縄の基地から米軍機は飛び立っていった。カンボジアに中国に援助された数年間の「共産主義」的支配があった(ポル・ポト、赤いクメール)。後年に明らかになったが、1977年に「めぐみ」ちゃんは北朝鮮の国家的「人さらい」の犠牲者となった(他にも多数いる)。国内では社会党・共産党が「統一」して推す候補が京都に続いて東京や大阪でも知事になった(横浜市でも。その他省略)。また、日本共産党も国会での議席を増やして<70年代の遅くないうちに民主連合政府を!>とか呼号していた。田中角栄元首相の収賄事件もあった。ソ連空軍兵士が函館空港に着陸して亡命したのは、1976年だった。ソ連軍機による「大韓航空機撃墜事件」が日本近海で起きたのは、1983年だった。小中学校での<学級崩壊>は1980年頃には語られ始めていた。以上は、例。
 いったいどこに、日本は「ある意味で安定し」ていたとする根拠があるのか。
 じつは西尾幹二の「主観的」状況は「安定」していたのかもしれない。西尾は2000年にこう言っている。
 1970年の<三島事件>の後、私は「三島について論じることをやめ、政治論からも離れました。そして、 ニーチェとショーペンハウアーの研究に打ち込むことになります」。
 三島没後30周年記念講演、西尾・日本の根本問題(新潮社(編集担当は冨澤祥郎)、2003)、p.285。
 根拠文献をいちいち記さないが、以下も参照。
 1966年、ニーチェ『悲劇の誕生』翻訳書(中央公論社)。
 1969年、「文芸評論」を書き始める。
 1977年、ニーチェの(よく言って前半期だけの「評伝文学」の)『ニーチェ』(第一部・第二部)刊行。北朝鮮による「拉致」が始まった年。
 1979年、上記書により文学博士号(審査委員の一人は、同学年で当時は東京大学助教授だった柴田翔)。
 1987年、ニーチェ『この人を見よ』・『偶像の黄昏』・『反キリスト』翻訳書(白水社)。
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 03 1990年近くまでこんな調子だと、文芸評論や、政治評論家ではない「文芸評論家」としての遊覧視察旅行にもとづくソ連関係本や「古巣」の感覚に依拠したドイツ関係本の刊行をしていても、日本の政治状況や国際情勢、日米関係に強い関心が向かわなかったとしても、やむをえないだろう。
 主観的・心理的・精神的に、西尾幹二個人は1989-91年以降よりも「安定」していたのだ。
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 04 「安定」したままでなく、状況が変化した(と西尾は感じた)のは、1996.12/1997.01の〈新しい歴史教科書をつくる会〉発足と会長就任だっただろう。それまでよりも「著名人」となり、社会・政治に関する発言も求められるようになった。
 そして、橋本龍太郎(1996-98)、小渕恵三(1998-2000)、森喜郎(2000)の各首相時代には特段の政治的発言をしていないようだが(自社さ連立での村山富市首相と同内閣(1994-96)・戦後50年談話についても同じ)、小泉純一郎内閣が誕生して(2001年)以降、突如として?<政治評論家>をも兼ねるようになる。小泉を「狂人」、「左翼ファシスト」と称し、いわゆる郵政解散選挙では反対(元)自民党候補を応援するという「政治的実践活動」まで行なった
 政治状況、国際情勢の把握も必要だから、大急ぎで、付け焼き刃的に?「勉強」したのだろう。ニーチェやドイツに関する素養、観念的「自由の悲劇」論では足りない。
 そして、今回の冒頭で言及したのは、1999年と2005年の文章だ(「つくる会」設立後、分裂前)。
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 05 さて、日本の政治状況、国際的状況を把握しようとした際、容易に参照し得たのは、〈日本会議〉史観だっただろう。つまり、グローバリズムからナショナリズムへ、「反共」だけでなく「日本」重視と「反米」がむしろ重要だ、という時代感覚だ。
 その際に、どの程度強くかは不明だが、西尾幹二が潜在的に意識したのは、ニーチェが生きた時代、そして従来の価値観はもはや通じず、「新しい」価値・哲学等が必要だ、というニーチェの基本的主張だったと思われる。
 西尾幹二は、自分をある程度は、ニーチェに擬(なぞら)えていたのだ。
 ニーチェの一部しか知らないままで、ニーチェを「ドイツ文学」的にではなく、構造的・歴史的・「哲学」的に理解することのないままで。
 誰でも、あるいは多くのとくに政治活動家や政治評論家たちは、自分の生きている時代は将来にとってきわめて重要な、分岐点にある時代だ、と思いたがるものだ。
 ニーチェにもおそらく、そういう意識・感覚があっただろう。
 西尾幹二にとっても、1989-1991年の前と後は、質的に異ならなければならなかった。「新しい」時代なのだ、「反共」だけを唱えてはいけないのだ。
 2010年に、こう書いた。
 1990年頃の「冷戦の終焉」までの「日本の保守の概念」は日本の「歴史や伝統に根差したものではなく、『共産主義の防波堤』にすぎなかった」
 月刊正論2010年10月号「左翼ファシズムに奪われた日本」、p.45。
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 06 これで、政治・国際情勢に関する西尾幹二の「根本的間違い」の原因・背景の叙述を終える。今回書いたのが、その第三点だ。
 その他、西尾幹二に関して指摘ておきたいことは、ニーチェに関係することも含めて、「山ほど」ある。
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1822/A・ブラウン・共産主義の興亡(邦訳2012)の日本人向け序文②。

 アーチー・ブラウン/下斗米伸夫監訳・共産主義の興亡(中央公論新社、2012)
 =Archie Brown, The Rise and Fall of Communism(Oxford, 2009 ;Vintage, 2010)。
 この邦訳書の冒頭にある著者自身による「日本語版のための序文」で、A・ブラウンはさらにこんなことも書いている。一文ごとに改行する。
 ③(第四段落冒頭)「日本の読者にとって共産主義が大変重要な主題である、より一層意義深い理由がある。
 今日のヨーロッパには共産主義国家は一つも残っていないが、現存する五つのうち四つがアジアに見いだすことができる
 つまり、キューバはここでは措くとして、中国、ベトナム、ラオス、北朝鮮である。
 いくつかの共通の特徴はあるとしても、共産主義は異なった時代に異なった場所で、まったく異なった現れ方を示した。
 類似点と相違点、いかに…を主要な話題として、以下のページで探っていく。」
 このあと中国と北朝鮮に関するやや立ち入った言及をしたあと、つぎのようにまとめている。
 ④「アジアの共産主義国家がこの先どう進んでいくかは、日本にとって明らかに重大事である
 このことはとりわけ、世界最大の人口を擁し、遠からず世界最大の経済規模となる中国に当てはまる。//
 共産主義の歴史--革命と戦争、悲劇と勝利、失敗と成功、イデオロギーの信奉者と殺戮者--は日本の読者にとって、他の国民に劣らず興味深いものであろう
 アジアの近隣に共産主義国家が存在することもあって、本書は今日のための洞察を含んでおり、また、過去への省察を提供するのみならず、未来への思索を誘発するであろう。
 本書が日本語に翻訳されることは私にとって大きな喜びである。」
 ** さて、上にある次の文章を、多くの日本人はそのとおりだと感じるだろうか。
 ・「日本の読者にとって共産主義が大変重要な主題である」意義深い理由は、共産主義国家で「現存する五つのうち四つがアジアに見いだすことができる」からだ。。
 ・「アジアの共産主義国家がこの先どう進んでいくかは、日本にとって明らかに重大事である」。
 ・「共産主義の歴史は日本の読者にとって、他の国民に劣らず興味深いものであろう」。
 このように言われても、**それほどではありません、共産主義がさほど重要な主題だと感じていないしアジア近隣に四つの共産主義国家が現存しているという意識もないし、共産主義の歴史がさほど興味深いものとは思っていません**、という日本人の方が、知的産業・情報産業従事者も含めて、多いのではないだろうか。
 R・パイプス、S・フィツパトリクらは、日本共産党等も含めて日本のことをほとんど知らないし、日本国内での共産主義・ロシア革命等に関する議論を知らないままで、それぞれの研究をしてきただろう。
 それはA・ブラウンも同じで、日本国内のにある「異例な」<左翼>的雰囲気を-おそらく日本語が読解できないことを決定的な理由として-知らないままで、上のようなことを書いているのだろう。
 しかし、、欧米の「共産主義」研究者からするとおそらく、上のような推測が当然に生じてくるのに違いない。
 ソ連・東欧や欧米の「共産主義」史に詳しい日本以外の研究者にとっては、上のような指摘や推測は自然または当然であって、日本人の方がむしろ違和感を覚えるのだとすると、日本人の方が<奇妙>なのではないか、と思われる。
 <共産主義の恐ろしさ>を肌感覚では理解しておらず、中国も北朝鮮も海を隔てた<遠い国>であるかのごとく捉えられているのではないだろうか。
 そもそも、中国や北朝鮮のことを「非民主主義国」とか「党独裁国家」ということはあっても、日本人は、あるいは日本のメディアや論壇者は「社会主義国家」とか「共産主義国家」などと称すること自体がまずない(なお、日本共産党は北朝鮮は「社会主義国」ではないとする)。
 欧米のメディアや論壇者と比べて、どこか感覚が麻痺しているのではなかろうか。
 それは、日本に「社会主義(・共産主義)」幻想がまだ強く残り、日本共産党の存在もあって、公然と「社会主義」・「共産主義」を批判し難い雰囲気があるからだと思われる。
 「反共」はバカな「愛国・保守」の主張であって、理性的・知的な者は<日本会議的アホ>のような主張をするはずはない、という感覚の者もいるかもしれない。「反共」ではあるらしい<日本会議的アホ>も、江崎道朗らに見られるごとく、「共産主義」に関する知識・素養がまるでないのではあるが。
 A・ブラウンの日本人向け序文を読んで感じるのは、このようなもどかしさ、不思議さだ。
 <反共産主義>あるいはその意味での<自由主義>が、おそらく知的活動者にとっての<常識>になっている国と、そうではない国(日本、おそらく韓国も)の違いだろう。
 立ち入らないが、アメリカ合衆国を含むNATO締結国であることを当然のこととしていると思われる(ソ連解体後は例えばチェコも加入した)ほとんどのヨーロッパ諸国と、日米安保や日本の自衛隊の存在自体を危険視する意識をもつ勢力がなおもある程度存在し、あるいは「抑止力」を理解していませんでしたと平気で言える首相(鳩山由紀夫)がいた国との違いだ。
 D・トランプ現大統領は、R・パイプスのぶ厚い研究書を読んでいないかもしれない。
 しかし、この大統領も、R・パイプスの<共産主義の歴史>という一般人向けの簡潔な本くらいは読んでいて、<反共産主義>の基礎的な知識・常識くらいは持っているだろう。
 基礎的な知識・常識あるいは感覚レベルで、日本には独特の<雰囲気>があるようだ。
 いいも悪いもなく「現実」なのだから受忍する他はないが、このように指摘する者がいてもいけないということはないだろう。

1715/日本会議の20年②と丘みどり「佐渡の夕笛」。

 横田めぐみさんが北朝鮮当局によって拉致(人さらい・人身の自由の侵害)から、今年10月で40年が経った。
 父の滋氏は日本銀行行員として新潟に赴任したはずで、転勤があったのだと思われる。あの転勤がなかったらとか転勤を固持してたいればとか等々の思いを、こ両親は何度も反芻されただろう。
 新潟でめぐみさんが特定されて狙われていたわけではなく、たまたま特定の地区・地域を彼女が通りかかったことで被害にあったのだろう。とすると、あの日に何とかしてあの地域・地区へ行かさないようにすればよかった、といった想いもまた、何度も想起されただろう。
 人生は、運命は、苛酷なものだ。もとより原始コミュニズム国家、実兄を公然と殺戮した首領がいる国家に責任はある。
 日本共産党は今は北朝鮮を<社会主義を目指している国>から除外しているが、かつては「友党」で、拉致についても疑惑の程度に応じた交渉をとか主張して拉致犯行者が北朝鮮国家であることを認めたがらなかったこと、北朝鮮はレーニン・スターリンのコミンテルンまたはロシア(ソ連)共産党の指導と援助で建設されたこと、金日成の指名も彼らによってなされたことは否定できないだろう。
 日本会議の20周年記念大会案内パンフの最終欄に、この20年間に<日本会議が取り組んだ主な国民運動」と題する26項が総括的に列挙されている。
 それらの中には、「北朝鮮拉致被害者救援国民運動」といったものは掲げられていない。
 西岡力等の日本会議関係者がこれに強く関与してはいるが、日本会議自体は、これを自らの団体の運動の実績の一つに挙げることをしない、あるいは、そうできないのだ。
 実績・成果がなかった・乏しかったことが理由にならないことは、選定・列挙されている26項を見ても分かる。
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 ところで最近にたまたま聴いた歌謡曲、丘みどり「佐渡の夕笛」の一番の歌詞は、横田めぐみさんの家族、とりわけご両親の滋・早紀江のお二人には、涙なくした聴けるものではないようにも思える。
 丘みどり「佐渡の夕笛」(2017)-作詞・仁井谷俊也/作曲・弦哲也。
 (一番)
  「荒海にあの人の船が消えて
  二とせ三とせと過ぎていく
  今年も浜辺に島桔梗
  咲いても迎えの文(恋文)はない
  待ちわびる切なさを
  佐渡の 佐渡の夕笛 届けてほしい」
もともとは船で他所に出かけた男を待つ女性の気持ちを歌った歌詞と曲だと思われるのだが、一番の歌詞だけは拉致被害者を、そして横田めぐみさんを連想させうる。
 佐渡島は、拉致されていく橫田めぐみさんを見ていたに違いない。
 「あの人の船が消えて」、「二年三年と過ぎていく」、「迎えの文はない」、「待ちわびる切なさ」、これらの言葉を、家族、とくにご両親はどういう想いで聴くだろう。
 丘みどり、1984年生まれ、2017年NHK紅白歌合戦初出場予定。

1338/日本共産党(不破哲三ら)の大ペテン・大ウソ10。

 「共産主義読本」編集委員会編・共産主義読本(1966.12)という本がかつて刊行されていた。編者名だけでは明確でないが、奥付では、日本共産党中央委員会出版部発行で、日本共産党中央委員会機関紙経営局が発売元とされているので、少なくとも当時の、日本共産党の公式見解・主張が語られている、と理解してよい。
この本のp.327-8は、「社会主義社会」とは~ですという説明のあと、次のように述べる。
 「このような社会主義社会は、ロシアにおける1917年の十月社会主義革命の勝利のあと、長期にわたる闘争の結果、1936年ごろにソ連邦で基本的に実現されました。//
 その後、第二次世界大戦の末期から終戦後数年にかけての激動の時期に、チェコスロバキア、ポーランド、アルバニア、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、ドイツ民主共和国、中国、朝鮮民主主義人民共和国、ベトナム民主共和国およびキューバが資本主義世界体制から離脱して、社会主義建設の道にのりだしました。//
 これらの国のほかに、すでに第一次大戦後まもなく資本主義的発展の道をとおって社会主義社会をうちたてつつあったモンゴル人民共和国をくわえると、すでに基本的に社会主義を建設した国、および社会主義を建設しつつある国は、こんにちでは一三カ国をかぞうます。//
 つまり、いまではもう世界人口の三分の一以上をしめる9億50万人以上の人びとが、社会主義の道にふみだして新しい生活をきずきはじめているわけです。//
 いまでは資本主義世界体制とならんで、強大な社会主義世界体制が存在します。」
 以上。//は、原文では改行ではない。
 なかなか感慨、あるいは興趣?を覚える文章だ。こうした文章をたぶん1980年代までは、日本共産党は書いていたのだろう。
 上のうち、ソ連は「1936年ごろ」に「社会主義社会」が「基本的に実現」されていたという記述に、第一に驚かされる。
 一つは「1936年ごろ」という時期の特定だ。
 別により詳しく言及したいが、今日の日本共産党は、「1930年代」(の半ば)にスターリン指導のソ連は「社会主義」の道を踏み外した=「社会主義」とは縁もゆかりもない社会に変質した旨を言って(主張して?、理解して?)いるので、まったく真逆に、この1930年代半ば頃に「社会主義社会」が「基本的に実現」されていたと、1966年の時点では言って(主張して?、理解して?)いたわけだ。
 コメントの二つめに、とりあえず文献は省略するが、その後の日本共産党が社会主義化が「基本的に実現」されたなどとは言わず、<まだ生成期の(生成途上の)>「社会主義国」と言ってきたことを承知している。
 この点でも、日本共産党は<歴史認識>を変えている。1994年7月以降は、「社会主義」国でもなかった、と言っているのだが。
 第二に、いわゆる東欧の7国を「社会主義建設の道にのりだし」た国々と理解している。
 これらはすべて、今日ではいかなる意味でも「社会主義」国ではなくなった。
 1966年当時の真面目な日本共産党員、真面目な共産党シンパは、この「現実」をどう受けとめたのだろう。
 第三に、この当時、モンゴルや北朝鮮も含めて13カ国が「社会主義世界体制」に属する、と言っているが、今日の日本共産党の言っているところによると-文献省略-、今日の「社会主義」国は、中国、ベトナム、キューバの3国にすぎない。北朝鮮は、日本共産党にとって、今日では「社会主義」への道を歩んではいない。
 この激減の「現実」を、1966年当時の真面目な日本共産党員、真面目な共産党シンパは、どう受けとめるのだろう。
 最後に、上の叙述は1966年のものだが、<共産主義読本>などと称するタイトルの本で上のように書いた<責任>は、今日の日本共産党にはまったくないのだろうか。同じ日本共産党の、組織としては同じはずの中央委員会が了解していたはずの書物ではないか。
 こんなことを書いても虚しいのだろう。まだこの欄で言及してはいないが-もう省略するかもしれないが-、日本共産党の65年、日本共産党の70年という二つの「党史」の叙述は、丁寧に見ると、かなり変化している。
 「党史」という<歴史>をも平然と書き換える政党。それが日本共産党だ。

1289/戦後70年よりも2016年末のソ連崩壊25周年-1。

 月刊正論2015年5月号(産経新聞社)p.86-の鼎談、西岡力=島田洋一=江崎道朗「歴史の大転換『戦後70年』から『100年冷戦』へ」は面白いし、かつすこぶる重要な指摘をする発言に充ちている。
 第一に、日本にとっては「冷戦」は今も継続しているということが、明確に語られている。
 この欄を書き始めた頃、強調したかったことの数少ない一つは、この点だった。なぜなら、保守派論者の文章の中でも、<冷戦は終焉したが…>とか、しばしば書かれていたからだ。なるほどくに西欧の国々・人々にとってはソ連邦の解体によって冷戦は終わったと感じられてよいのかもしれないが、日本と日本人にとってはそんなに暢気なことを言うことはできない、と考えていた。もちろん、近隣に、中華人民共和国、北朝鮮などの共産党(・労働党)一党独裁の国家がなおも存在するからであり、これらによる日本に対する脅威は依然としてあったからだ。
 中国や北朝鮮について、その「社会主義」国家性または<社会主義を目指す>国家であることの認識は意外にも乏しいような印象もある。とくに北朝鮮の現状からすれば「…主義」以前の国家であるとも感じる。しかし、この国がソ連・コミンテルンから「派遣」されたマルクス・レーニン主義者の金日成(本名ではない)を中心にして作られた国家であることは疑いなく、1950年には資本主義・「自由主義」国の南朝鮮(韓国)へと侵攻して朝鮮戦争が始まった。中国の現在もたしかに中国的ではあるが、日本共産党・不破哲三が<市場経済を通じて社会主義へ>の道を通っている国と認めているように、また毛沢東がマルクス主義者であったことも疑いないところで、日本やアメリカ・ドイツ等々と基本的に拠って立つ理念・しくみが異なっている。
 日本にとっての最大の矛盾・対立は、石原慎太郎のように毛沢東・矛盾論に傚って言えば、これら<社会主義>の国々との間にある。アメリカとの間にもむろん対立・矛盾はあり日本の「自立」が図られるべきだが、この<社会主義(・共産主義)>との対抗という点を絶対に忘却してはならない、とつねづね考えてきた。アメリカと中国に対する<等距離>外交・<正三角形>外交などはありえないし、中国が入っての<東アジア共同体>など、中国の政治・経済の仕組みが現状であるかぎりは、語ってはいけないことだ。
 上記鼎談で、島田と西岡は言っている(p.91)。
 島田-冷戦は「終わったのはヨーロッパにおいてだけで、アジアでは終わっていません」。
 西岡-1989年の中国共産党は「ファシズムを続ける選択」をした、「アジアでは…対ファシズム中国という構図を中心にした冷戦は終わっていない…」。ここでの「ファシズム」という語の使用にも私は賛成だが、しばらく措く。
 また、江崎は次のように語る。-アメリカの「共産主義犠牲者財団」は2014年に、「アジアでは。…北朝鮮と、…中国がいまなお人権弾圧を繰り返しており、アジアでの共産主義との戦いはまだ続いている」というキャンペーンを繰り広げているなど、アメリカの保守派の中には戦後70年ではなく「アジアの冷戦という現在進行形の課題」への強い問題意識をもつ人たちがいる。
 かかるアメリカの一部の動向と比べてみて、日本の状況は<対共産主義>・<反共>という視点からの問題関心が乏しすぎると感じられる。
 さて、いちおうここでの第一点に含めておくが、20世紀は二つの世界大戦によって象徴される世紀であるというよりも、ロシア革命の勃発によるソ連<社会主義>国家の生成と崩壊の世紀だったということの方がより大きな世界史的意味をもつ、といつぞや(数年以上前だが)この欄に書いたことがある。こういう観点から歴史を把握する必要があるのではないか。
 このような問題関心からすると、鼎談最後にある江崎道朗の以下の発言も、十分によく理解できる。重要な問題意識だと思われる。
 すなわち、「日本にとっての冷戦はわが国に共産主義思想が押し寄せてきた大正期に始まり、大東亜戦争に影響を与えて現在も続いている」、と考える。2017年はロシア革命100年、2019年はコミンテルン創設100年、こうした100年を見通した「100年冷戦史観」とでも言うべき「歴史観」の確立に向けて今後も議論したい。
 70年後に反省・謝罪したりするのではなく25周年を祝え、という意味の第二点は、別に続ける。
 
 

1251/NHK・大越健介いわく「人間のすることではない」。

 8/21のニュース9で大越健介は冒頭に「人間のすることではない」と言った。そののち家族(遺族)の映像の箇所では「人間の所業ではない」というテロップが下部に出た。「イスラム国」戦闘員によるアメリカ人殺害のニュースに関してだ。
 このように報道することを批判しないが、しかし、気になることがある。
 北朝鮮の有力者だった趙成沢は、「粛清」された。裁判などいう手続を経たに値しない、思想又は政策又は些細な都合による「処刑」として殺害されたのだが、複数の処刑者(軍人)による銃殺で、かつ身体のどの部分か分からなくなるほどの<肉体をバラバラにする>殺害だったとされる。
 この趙成沢「粛清」=殺害の仕方からは、「人間の所業ではない」という感覚が生じる。しかも、「イスラム国」とは異なり国連に加盟しているれっきとした一国家の首脳者=金正恩による、おばの配偶者の<殺害>だ。北朝鮮という国家および独裁者は、「人間のすることではない」ことをしているのではないか。
 大越健介は、あるいはNHKは、趙成沢「処刑」をどう報道したのか。冒頭のアメリカ人殺害が「人間のすることではない」とすれば、趙成沢「処刑」(の仕方)もまた「人間のすることではない」と感じるのが、まともな「人間」の感覚ではないのか。大越健介およびニュース9制作者に問いたい。貴方たちは、まともな「人間」の(公平な)感覚をもっているのか。
 北朝鮮に限らず、中国でも「人間の所業ではない」ことが行われていることは明らかだ。中国や北朝鮮に「優しい」のはいいかげんにしろ、と大越健介やNHKには言いたい。

1229/共産主義者は平然と殺戮する-日本共産党と朝鮮労働党は「兄弟」。

 北朝鮮で張成沢の「死刑」執行される。死刑とはいってもいかなる刑事裁判があったのかはまるで明らかではなく、要するに、<粛清>であり、共産主義・独裁者の意向に反したがゆえの<殺戮>だ。
 日本共産党は現在はいちおう紳士的に振るまっているが、歴史的には目的のためには殺人を厭わないことを実践したこともあった。宮本賢治は暴行致死という一般刑罰も含めて網走刑務所に十年以上収監されていた。1950年前後には分裂していた日本共産党の一方は、公然と<武力>闘争を行った。
 1961年綱領のもとで、不破哲三の命名によるいわゆる「人民的議会主義」という穏健路線をとり、また綱領では明確に<社会主義・共産主義>社会をめざすと謳いつつ、とりあえずは<自由と民主主義>を守るとも宣言した。
 だが、だいぶ前に書いたことがあるが、現在の日本共産党員でも、その「主義」に忠実であるかぎりは、自分たちの「敵」の死を願い喜ぶくらいの気持ちは持っており、誰にも認知されない状況にあれば、例えば何らかの事故で「死」に貧しているのが「敵」の人物である場合は、救急車を呼ぶことなく放置し、「死」に至らせてよい、という気分を持っている、と思われる。
 生命についてすらそうなのだから、彼らが「敵」あるいは「保守・反動」と見なす者の感情を害するくらいのことは、これに類似するが<精神的にいじめる>くらいのことは、日本共産党員は平気で行ってきたし、現に行っている、と思われる。
 そのような共産主義者のいやらしさ・怖さを知らないで、日本共産党員学者が提案した声明類に賛同する、結果としてはあるいは客観的には<容共>の大学教授たちも日本には多くいるのだろう。
 20世紀において大戦・戦争による死者数よりも共産主義者による殺人の方が多く、ほぼ1億人に昇ると推定されている(政策失敗による餓死等による殺戮、反対勢力の集団的虐殺、政治犯収容所に送っての病死・餓死、政敵の<粛清>等)。
 「権威主義」は<リベラル>に極化すれば<社会主義(共産主義)>、<保守>に極化すれば<ファシズム>になる。という説明をする者もいる。ハンナ・アレントは<全体主義・ファシズム>には「左翼」のそれである<社会主義(共産主義)>と「右翼のそれである<ナチズム>があるとした。社会主義(共産主義)とファシズム(または全体主義)は対立する、対極にある思想・主義ではなく、共通性・類似性があるのだ。
 また、日本共産党が今のところは「民主主義」の担い手のごとく振るはってはいても、それは「民主主義」の徹底・強化を手段として社会主義(共産主義)へ、という路を想定しているためであり、「真の民主主義」の擁護者・主張者だなどというのは真っ赤なウソだ。フランス革命は<自由と民主主義、民主主義>の近代を生み出したとはいうが、そこでの民主主義の中には、早すぎた<プロレタリア独裁>とも言われる、ロベスピエールの、政敵の殺戮を伴う「恐怖政治」(テルール)を含んでいた。そしてまた、マルクスらの文献を読むと明記されているが、マルクス主義者はフランス革命の担い手に敬意を払い、レーニンらはそれにも学んでロシア革命を成功させた。民主主義の弊害の除去・是正こそ重要な課題だと筆者は考えるが、「民主主義」の徹底・強化を主張する、「民主化」なるものが好きな日本共産党は、市民革命(ブルジョワ革命)から社会主義革命への途へ進むための重要な手段として「民主主義」を語っているにすぎない。北朝鮮の正式名称が「朝鮮民主主義人民共和国」であるように、彼らにとっては「民主主義」と「共産主義」は矛盾しないのだ(だからこそ、<直接民主主義>礼賛というファシズム的思考も出てくる)。
 日本共産党員学者に騙されている大学教授たちに心から言いたい。対立軸は「民主主義」対「ファシズム(または戦前のごとき日本軍国主義)」ではない。後者ではなく前者を選ぶために日本共産党(員)に協力するのは、決定的に判断を誤っている。
 日本での、および世界でもとくに東アジアでの対立軸は、<社会主義(共産主義)>か<自由主義>かだ。誤ったイメージまたはコンセプトを固定化してしまって、共産主義者・日本共産党を客観的には応援することとなる<容共>主義者になってはいけない。
 日本共産党はコミンテルンの指令のもとで国際共産党日本支部として1922年に設立された。日本共産党に32年テーゼを与えたソ連共産党の実権はとっくにスターリンに移っていた。北朝鮮が建国したときにはコミンテルンはなくなっていたが、その建国時に金日成を「傀儡政権」の指導者としてモスクワから送り込んだのは、スターリンだった。
 してみると、日本共産党と「傀儡政権」党だった朝鮮労働党は<兄弟政党>であり、後者ではその後「世襲」により指導者が交代して三代目を迎えていることになる。
 歴史的に見て、日本共産党は北朝鮮の悲惨さ・劣悪さ・非人道ぶりを自分たちと無関係だなどとほざいてはおれないはずだ。まずは、マルクス主義・共産主義自体が誤りだったとの総括と反省および謝罪から始めなければならない。
 だが、ソ連が消滅してもソ連は「(真の)社会主義」国家ではなかったと「後出しじゃんけん」をして言うくらいだから、中国共産党や朝鮮労働党が崩壊・解体しても、いずれも「(真の)社会主義・共産主義」政党ではなかった、と言いだしかねない。なおも<青い鳥>のごとき<真の社会主義・共産主義>社会への夢想を語り続けるのかもしれない。もともと外来思想であって、日本人の多数を捉えることができるはずのない思想なのだが、それだけ、<マルクス幻想>、ルソーの撒き散らした<平等>幻想は強い、ということなのだろう。

1208/2020東京五輪-やらせたくなかった朝日新聞と利用したい中国共産党。

 日本時間で9/08の午前5時すぎ、2020年の五輪開催都市が日本の東京に決定した。

 関西テレビの夕方の「スーパーニュース・アンカー」は、青山繁晴出演の水曜だけ録画しているのだが、9/11の青山の発言・指摘は興味深くかつ重要だった。他にもあるが、二点だけ取りあげておく。

 第一。最下位都市除外するための第一回投票において、たまたま第二・第三の得票数の都市が同数であったためその二都市の名だけが公表され、東京の名前が出なかった。私は仕組みを知っていたから、東京が落選したものとは思わなかった。
 だが、東京敗退という誤報を打った報道機関があったらしい。一つは、中国の国営新華社通信、もう一つは朝日新聞社のツイッター。朝日新聞は1分程度のちに訂正はしたらしい。青山繁晴が朝日新聞の関係者に電話するとその者はともかく、朝日新聞社内には、<2020五輪を東京でやらせたくない>雰囲気があった、ようだ

 中国はともあれ、朝日新聞のことは重要だ。なぜ、やらせたくないのか? それは、東京招致の成功は安倍晋三や安倍内閣にプラスに働くからに決まっている。朝日新聞としては、東京敗退=誘致失敗により、安倍首相や(朝日新聞がケチをつけた)高円宮妃殿下のわざわざの南米訪問・プレゼン参加にもかかわらず敗れたと大いに騒いで、安倍政権に打撃を与えたかったのだろうと思われる。

 気分だけではなく、経済・雇用・観光等の面で五輪開催は日本と日本人にとってプラスに働くだろう。それを、そう思わない、歓迎しない、東京で五輪をやらせたくないと考える新聞社はいったいどこの国の、社員の大多数がどの国の国籍をもつ新聞社なのだろう。

 朝日新聞社としては、<安倍晋三の葬式は再びウチで出す>と少なくとも幹部の内心では、考えているに違いない。
 現実化・保守化しているという論評もあるが、信じられない。朝日新聞の報道姿勢が広告主の大幅な減少を導き、経営自体に支障を生じさせかねないという事態になるまでは、彼らはその本質を変えることはないと思われる。テレビに顔を出す星浩らは、東京誘致成功を本心では喜んでいないのだろう。

 第二。中国の尖閣侵略と五輪東京開催との関係の方がより重要だ。中国の政府系環球時報9/09付は、円滑で安全な東京五輪開催を目指す日本政府は日中の「武力衝突を避けるため、低姿勢をとらなければならないだろう」と書いたらしく、日本側にも中国は尖閣侵略(武力による実効支配)を「早めるおそれ」がある、という見方があるらしい。
 要するにこういうことだ。中国は尖閣諸島を中心とする「地域紛争」を発生させる。これが武力や実力衝突を伴うものである場合、東京五輪の準備や開催に支障が出てくる可能性がある。中国が狙っている一つは、日本がアジアで初めて夏期五輪を二度も開催することを妨害したい、東京五輪を中止に追い込むことだ。

 東京五輪が中止にならなくとも、日本政府が同開催のために「低姿勢」になる、つまりは中国による武力行使・実力による実効支配の試みに対して、自衛隊等を使っての「武力」による自衛=領土の防衛に「弱腰」になる。そうすると、円滑に東京五輪を開催したい日本政府の意向を逆手に取って、尖閣諸島を武力行使をして「奪う」ことができる。これが中国が狙っているもう一つだ。

 上のどちらか一方でも達成できれば、中国としては<うまくやった>ことになる。
 以上は、青山発言や番組内容の忠実な紹介ではなく、この欄の私の解釈・理解によって言葉や表現を変えている。但し、基本的な「論理」自体としては、青山は上のような趣旨を述べていた。
 青山繁晴の言っていたことは基本的に適切なのではなかろうか。<対中国危機のもとでの2020東京五輪>と言わなければならないだろう。
 自衛隊の戦力は、尖閣を防衛する日本国民の意識は、そして国防軍設置のための憲法改正は、あるいは「日米同盟」は、2018年頃までに、ということはあと5年しかないが、どうなっているだろうか。むろん、中国内部での変化の可能性もなくはない。
 かつて1988年ソウル五輪の開催を北朝鮮は爆弾を使ってでも妨害しようとし、実行に移した。脳天気で「お人好し」の大多数の日本人が想定できないようなことを考えている国が外国にはある(それに呼応しかねない日本人・日本のマスコミも存在する)、ということを知っておく必要があるし、まともなマスコミは、テロによる妨害を含むあらゆる危険性について、きちんと警鐘を鳴らしておくべきだ。

1064/渡部昇一の日本史年表には北朝鮮「拉致」がない。

 〇11/15は横田めぐみさんが北朝鮮当局に「拉致」された日だった。
 政府が認定しているかぎりでも、北朝鮮による「拉致」は1977年と1978年あたりに集中している。
 これらの「拉致」は、とりわけ最初のそれや重要なそれは、昭和史年表とか戦後史年表とかに、重要な歴史的事実として、きちんと記載されるべきだろう。
 渡部昇一は「保守」派らしく、かつあえて中川八洋によらずとも、<民族系保守>派のはずだ。
 しかし、書店で手にしてめくってみたかぎりでは、渡部昇一・読む年表/日本の歴史(ワック)には、北朝鮮による「拉致」実行の年月についてはいかなる記載もない。これが(かりに民族系でなくとも)<保守派>を自認しているはずの者の編む日本史年表なのだろうか。失望するし、やはり渡部昇一は信頼できないと感じる。
 信頼度が低いと思っているために、渡部昇一の日本歴史の全集もの(ワック)は一冊も、古書でも、購入していない。

 渡部昇一は月刊WiLL誌上に(立花隆ではなく)<渡部昇一はこんなものを読んできた>ふうの連載をしている(「書物ある人生」)。西尾幹二の少年時代の自叙伝ふうの本とは違い、<こんな本を読んでエラくなりました>という感じの、「保守」思想とはまるで関係のなさそうな内容なので、これまたまともに読む気にはなれない。

 〇信頼度の高い人の文章は、納得・同意するところが多いために、却って、この欄ではとり上げないこともある。
 遠藤浩一稲田朋美はそれらのうちに入り、この一年以内の産経新聞上での、衆議院解散要求や(民主党との)大連立反対などの文章は、その通りだと思って読み終えた。
 ジャパニズム第4号(青林堂、2011.10)の、稲田朋美=城内実(対談)「『詐術と裏切り』亡国の野田内閣」も、とくに大きな違和感なく読めてしまう。
 城内実の本はたぶん読んだことはないが、どのような人物かは経歴も含めて知っている。
 「頭」だけでっかちの、書くこと(語ること)だけは一人前の?<保守>派評論家・大学教授等よりは、石原慎太郎もそうだが、現実に「政治(・行政)」に直接関与している者の言葉の方に聞くに値するものが多いかもしれない。遠藤浩一はいちおう「評論家・大学教授」の肩書のようだが、経歴によるとふつうの「アカデミズム」の世界のみから生まれた人物ではなさそうだ。 

1045/北朝鮮による人権侵害への対処に関する法律。

 「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」という名前の法律が(生きている現行法として)ある。平成18年法律96号。
 民主党であっても松原仁はたぶん知っているだろうが、山岡某担当大臣は内容まで含めて知っているだろうか。
 多くの人は知らないと思うので、またさして長い法律ではないので、以下に、全文を紹介しておく。

 「第一条(目的)   この法律は、二千五年十二月十六日の国際連合総会において採択された北朝鮮の人権状況に関する決議を踏まえ、我が国の喫緊の国民的な課題である拉致問題の解決をはじめとする北朝鮮当局による人権侵害問題への対処が国際社会を挙げて取り組むべき課題であることにかんがみ、北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民の認識を深めるとともに、国際社会と連携しつつ北朝鮮当局による人権侵害問題の実態を解明し、及びその抑止を図ることを目的とする。 
 第二条(国の責務)   国は、北朝鮮当局による国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題(以下「拉致問題」という。)を解決するため、最大限の努力をするものとする。
   政府は、北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民の安否等について国民に対し広く情報の提供を求めるとともに自ら徹底した調査を行い、その帰国の実現に最大限の努力をするものとする。
   政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関し、国民世論の啓発を図るとともに、その実態の解明に努めるものとする。
 第三条(地方公共団体の責務)  地方公共団体は、国と連携を図りつつ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民世論の啓発を図るよう努めるものとする。
 第四条(北朝鮮人権侵害問題啓発週間)  国民の間に広く拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題についての関心と認識を深めるため、北朝鮮人権侵害問題啓発週間を設ける。
 2  北朝鮮人権侵害問題啓発週間は、十二月十日から同月十六日までとする。
   国及び地方公共団体は、北朝鮮人権侵害問題啓発週間の趣旨にふさわしい事業が実施されるよう努めるものとする。
 第五条(年次報告)  政府は、毎年、国会に、拉致問題の解決その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する政府の取組についての報告を提出するとともに、これを公表しなければならない。
 第六条(国際的な連携の強化等)  政府は、北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民、脱北者(北朝鮮を脱出した者であって、人道的見地から保護及び支援が必要であると認められるものをいう。次項において同じ。)その他北朝鮮当局による人権侵害の被害者に対する適切な施策を講ずるため、外国政府又は国際機関との情報の交換、国際捜査共助その他国際的な連携の強化に努めるとともに、これらの者に対する支援等の活動を行う国内外の民間団体との密接な連携の確保に努めるものとする。
 2  政府は、脱北者の保護及び支援に関し、施策を講ずるよう努めるものとする。
   政府は、第一項に定める民間団体に対し、必要に応じ、情報の提供、財政上の配慮その他の支援を行うよう努めるものとする。 
 第七条(施策における留意等)  政府は、その施策を行うに当たっては、拉致問題の解決その他北朝鮮当局による人権侵害状況の改善に資するものとなるよう、十分に留意するとともに、外国政府及び国際連合(国際連合の人権理事会、安全保障理事会等を含む。)、国際開発金融機関等の国際機関に対する適切な働きかけを行わなければならない。
 第八条(北朝鮮当局による人権侵害状況が改善されない場合の措置)  政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による日本国民に対する重大な人権侵害状況について改善が図られていないと認めるときは、北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する国際的動向等を総合的に勘案し、特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法(平成十六年法律第百二十五号)第三条第一項 の規定による措置、外国為替及び外国貿易法 (昭和二十四年法律第二百二十八号)第十条第一項の規定による措置その他の北朝鮮当局による日本国民に対する人権侵害の抑止のため必要な措置を講ずるものとする。」
 以上。
 北朝鮮系の朝鮮学校への補助(学費無償化)の問題も、上の法律の趣旨と関連させて論じられてよいのではないか。
  なお、すべてとはいわないが、北朝鮮の現況の重要な起源・原因・背景がコミュニズム・共産主義・マルクス主義にあること、マルクス→レーニン→スターリン→毛沢東・金日成という系譜の果てに現在の北朝鮮があることを、とりわけ日本の「左翼」は―むろん朝日新聞を含む―しっかりと認める必要がある。

0954/資料・史料-2010.12.09朝日新聞社説。

 資料・史料 朝日新聞2010年12月09日付社説

 

 離島防衛―「鎧」見せつけるだけでは
 自衛隊と米軍あわせて4万5千人が参加する過去最大規模の日米共同統合演習が、今月3日から九州、沖縄や日本海の周辺で行われている。
 北朝鮮の軍事挑発とともに中国の著しい海洋進出を牽制(けんせい)するのが狙いだ。演習には沖縄本島から与那国島にかけての、いわゆる南西諸島を防衛するための海上・航空作戦が含まれる。
 近年の中国海軍の活動をにらんで、これまで手薄だった離島地域の防衛体制を大幅に見直す。そんな議論が、「防衛計画の大綱」の年内改定に向け政府・与党内で進められている。
 ここは結論を急がず、熟慮してもらいたい。
 この地域の防衛力は現在、沖縄本島の陸上自衛隊約2100人や航空機部隊が中心で、それ以西は宮古島のレーダーサイトだけだ。地理的な制約や住民感情に配慮し、本島に駐留する米軍の抑止力に頼ってきたことが大きい。
 2004年にできた今の防衛大綱は、初めて中国の動向を意識して「島しょ部に対する侵略への対応」を盛り込み、防衛省は冷戦時代の北方重視を改め、「南西シフト」と呼ばれる部隊や訓練の見直しを進めてきた。
 同省は現在、与那国島への陸自配備などを検討している。
 9月の漁船衝突事件もあり、尖閣諸島への自衛隊配備や米海兵隊のような水陸両用部隊の創設を求める意見が、民主党内からも出た。
 とはいえ、日中両国の相互依存関係は深まる一方であり、近い将来、中国が武力侵攻を起こすとは考えにくい。日米の緊密な防衛協力体制がそれを抑止している。米中が正面から軍事的に衝突する展開も、ありそうにない。
 そうした状況で、脅威対応型の発想に傾きすぎるのは得策ではあるまい。かえって、日米中3カ国の安定した政治的枠組みを構築していく地道な作業を妨げることにならないか。
 洋上の移動手段もない陸上部隊を島々においても、中国海軍の艦艇に対する抑止効果は望めない。
 仮に海兵隊のような攻撃力の高い部隊をおけば、それこそ中国側に軍備拡張の格好の口実を与えかねない
 この地域で今後起こりうる危険は、偶発的な海上衝突だろう。それを避けるには、まずは対話を通じ両国間の連絡メカニズムや危険回避のルール作りを急ぐべきだ。
 同時に、これからも続くと見られる中国の民間船や公船との摩擦に備え、海上保安庁の警察機能を充実させ、領海警備をめぐる海自と海保の連携を深めることである。
 万一の場合の備えが必要としても、機動性の高い艦艇や航空機を遠方からでも投入できるよう即応性を高める方が賢明ではないか。「鎧(よろい)」を見せつけるだけが抑止ではあるまい
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 (下線は掲載者)

0945/資料・史料-2010.11.26仙石由人官房長官問責決議案理由

 史料・資料-参議院・仙石由人官房長官問責決議案「理由」 2010.11.26問責決議可決

 

 理由

 「菅内閣発足以来、国難ともいうべき事態が続いており、内閣の要であり、実質的に内閣を取り仕切っているといわれる仙谷大臣の官房長官としての責任は極めて重大である。菅内閣では、仙谷官房長官が実質的に重要事項の決定を主導しており、最近では法務大臣、拉致問題担当も兼務することになったが、仙谷官房長官が内閣の中枢に居座ったままでは、現状の打開は望むべくもない。

 以下、仙谷官房長官を問責する理由を、列挙する。

 第1に、「尖閣諸島沖中国漁船衝突事件」における極めて不適切な対応である。

 公務執行妨害で逮捕された中国人船長の釈放は、那覇地検が「わが国国民への影響や今後の日中関係を考慮」して判断したとしているが、このような重大な外交上の判断が一地方検察庁でなされたと信じる者は誰もいない。総理、外務大臣が国連総会で不在の中、官邸の留守を預かる仙谷官房長官主導で釈放の政治判断が行われたと考えざるを得ない。

 しかし、仙谷官房長官は、釈放は那覇地検の判断であったとの強弁を繰り返している。仮に、一行政機関である那覇地検が外交判断による釈放を行い、それを政府が是認したとすれば、検察が外交を行ったという日本外交史上、例を見ない越権行為が民主党政権下で行われたことになる。逆に、官邸が那覇地検に釈放の圧力をかけたとすれば、仙谷官房長官は虚偽の答弁を重ねてきたことになる。どちらにしても、この件を主導してきた仙谷官房長官の責任は重大である。
 さらには、諸外国に対してわが国の正当性を訴えるために戦略的に使われるべきであった衝突時のビデオは、官房長官の主導により長期間非公開にされ、事件発生から50日間を経て、ようやく6分50秒に編集されたものが国会に提出されただけであった。仙谷長官の誤った対処により、わが国は貴重な外交カードを失ってしまったのである。一連の対応により、失われた国益は大きい。

 さらに政府が国会に提出したビデオの6倍以上にわたる2回の衝突の時間を含む44分間のビデオが一海上保安官の手で流出し、全世界で視聴可能な状態となった。仙谷官房長官はビデオの国会提出にあたり書面で「慎重な扱い」を求めていたにもかかわらず、政府内では情報管理を行っていなかったことが露呈した。本来公開すべきビデオを公開しなかったからこそ起こった問題と言わざるを得ない。この責任も重大である。加えて事態発覚後は「政治職と執行職」という詭弁を弄して、自分たちの責任を海上保安庁長官一人になすり付けようとしたことも糾弾されるべきである。

 第2に、国権の最高機関たる国会を愚弄する、暴言、失言の数々が繰り返されていることである。

 菅総理自らが今国会冒頭の所信表明演説で、熟議の国会を呼び掛けているにもかかわらず、指名されてもいない仙谷官房長官がしゃしゃり出て、話をすり替え、恫喝し、また答弁席からやじを飛ばすなど、国会軽視もはなはだしい。また、報道に基づき質問した質問者に対して、自らも過去に何度もの質問をしていたことを棚に上げて「最も拙劣な質問」だと侮辱し、予算委員会が民主党も賛成した議決に基づいて呼んだ参考人に対して疑義を唱え、さらには恫喝を加え、内閣のスポークスマンとしての官房長官の資質を疑わざるを得ない。
 第3に、日本国憲法に抵触する発言を繰り返し、憲法順守の義務に違反していることである。

 中国漁船衝突事件のビデオ公開関連の「厳秘」書類を予算委員会で撮影された際に、自らの危機管理の甘さを恥じることもなく、「盗撮」呼ばわりし、取材規制の強化を振りかざし報道の自由を侵害しようとした。また、国会の外においては、自衛隊の施設内での民間人の発言を規制することを認めるなど、仙谷官房長官は憲法に定める表現の自由の侵害に加担している。

 仙谷官房長官は自衛隊を「暴力装置」と発言した。学生時代、社会主義学生運動組織で活動していた仙谷長官にとっては、日常用語であるかもしれないが、平和憲法に基づき国家の根幹である国防を担い、国際貢献や災害救助に汗をかく自衛隊を「暴力装置」と侮辱したことは、決して許されるものではないし、自衛隊を「暴力装置」と表現することは、憲法9条をはじめとする日本国憲法の精神を全く理解していないということである。

 第4に、国会同意人事案件に対する怠慢である。

 民主党政権は、今次国会召集からかなり日時を経た、10月半ばに5機関11名について提示した。これらはすべてが任期満了か、既に辞任した空席を補充するための人事であった。さらに今なお再就職等監視委員会の人事については提示さえしてきていない。さらには、この同意人事の国会議決がされていないにもかかわらず、次の人事を提示した。これらを長く放置していたことは国会軽視、政府の怠慢以外の何ものでもない。同意人事を担当する官房長官の責任は重大である。

 第5に、北朝鮮による韓国・延坪島砲撃事件における危機管理能力の欠如である。

 北朝鮮の砲撃開始は午後2時34分であるが、菅総理は砲撃を3時半ごろ報道で知り、官房長官もほぼ同時刻に第一報を東京都内の私邸で受け取っている。総理が官邸に入ったのは午後4時45分、仙谷官房長官は同50分である。総理、官房長官ともに、砲撃から2時間以上、一報を受け取ってから1時間20分経過してから官邸に入っている。しかも官房長官は総理より遅い登庁である。

 仙谷官房長官のその傲岸不遜な発言、失策の数々には、与野党を問わず、批判が集中している。一刻も早く、官房長官が職を辞すことが、菅内閣による日本の国益への損失を少しでも抑えることにつながると確信する。

 以上が本決議案を提出する理由である。」 

0908/資料・史料-2010.05.10「韓国併合」100年日韓知識人共同声明。

 史料/「韓国併合」100年日韓知識人共同声明(全文)


 「韓国併合」100年日韓知識人共同声明
 2010年5月10日 東京・ソウル


 「1910年8月29日、日本帝国は大韓帝国をこの地上から抹殺し、朝鮮半島をみずからの領土に併合することを宣言した。そのときからちょうど100年となる2010年を迎え、私たちは、韓国併合の過程がいかなるものであったか、「韓国併合条約」をどのように考えるべきかについて、日韓両国の政府と国民が共同の認識を確認することが重要であると考える。この問題こそが両民族の間の歴史問題の核心であり、われわれの和解と協力のための基本である。
 今日まで両国の歴史家は、日本による韓国併合が長期にわたる日本の侵略、数次にわたる日本軍の占領、王后の殺害と国王・政府要人への脅迫、そして朝鮮の人々の抵抗の圧殺の結果実現されたものであることを明らかにしている。
 近代日本国家は1875年江華島に軍艦を送り込み、砲台を攻撃、占領するなどの軍事作戦を行った。翌年、日本側は、特使を派遣し、不平等条約をおしつけ、開国させた。1894年朝鮮に大規模な農民の蜂起がおこり、清国軍が出兵すると、日本は大軍を派遣して、ソウルを制圧した。そして王宮を占領して、国王王后をとりことしたあとで、清国軍を攻撃し、日清戦争を開始した。他方で朝鮮の農民軍を武力で鎮圧した。日清戦争の勝利で、日本は清国の勢力を朝鮮から一掃することに成功したが、三国干渉をうけ、獲得した遼東半島を還付させられるにいたった。この結果、獲得した朝鮮での地位も失うと心配した日本は王后閔氏の殺害を実行し、国王に恐怖を与えんとした。国王高宗がロシア公使館に保護をもとめるにいたり、日本はロシアとの協定によって、態勢を挽回することをよぎなくされた。
 しかし、義和団事件とロシアの満州占領ののち、1903年には日本は韓国全土を自らの保護国とすることを認めるようにロシアに求めるにいたった。ロシアがこれを峻拒すると、日本は戦争を決意し、1904年戦時中立宣言をした大韓帝国に大軍を侵入させ、ソウルを占領した。その占領軍の圧力のもと、2月23日韓国保護国化の第一歩となる日韓議定書の調印を強制した。はじまった日露戦争は日本の優勢勝ちにおわり、日本はポーツマス講和において、ロシアに朝鮮での自らの支配を認めさせた。伊藤博文はただちにソウルに乗り込み、日本軍の力を背景に、威嚇と懐柔をおりまぜながら、1905年11月18日、外交権を剥奪する第二次日韓協約を結ばせた。義兵運動が各地におこる中、皇帝高宗はこの協約が無効であるとの訴えを列国に送った。1907年ハーグ平和会議に密使を送ったことで、伊藤統監は高宗の責任を問い、ついに軍隊解散、高宗退位を実現させた。7月24日第三次日韓協約により日本は韓国内政の監督権をも掌握した。このような日本の支配の強化に対して、義兵運動が高まったが、日本は軍隊、憲兵、警察の力で弾圧し、1910年の韓国併合に進んだのである。
 以上のとおり、韓国併合は、この国の皇帝から民衆までの激しい抗議を軍隊の力で押しつぶして、実現された、文字通りの帝国主義の行為であり、不義不正の行為である
 日本国家の韓国併合の宣言は1910年8月22日の併合条約に基づいていると説明されている。この条約の前文には、日本と韓国の皇帝が日本と韓国の親密な関係を願い、相互の幸福と東洋の平和の永久確保のために、「韓国ヲ日本帝国ニ併合スルニ如カザル」、併合するのが最善だと確信して、本条約を結ぶにいたったと述べられている。そして第一条に、「韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且ツ永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス」と記され、第二条に「日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ゲタル譲与ヲ受諾シ、且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス」と記されている。
 ここにおいて、力によって民族の意志を踏みにじった併合の歴史的真実は、平等な両者の自発的な合意によって、韓国皇帝が日本に国権の譲与を申し出て、日本の天皇がそれをうけとって、韓国併合に同意したという神話によって覆い隠されている。前文も偽りであり、条約本文も偽りである。条約締結の手続き、形式にも重大な欠点と欠陥が見いだされる。
 かくして韓国併合にいたる過程が不義不当であると同様に、韓国併合条約も不義不当である。
 日本帝国がその侵略戦争のはてに敗北した1945年、朝鮮は植民地支配から解放された。解放された朝鮮半島の南側に生まれた大韓民国と日本は、1965年に国交を樹立した。そのさい結ばれた日韓基本条約の第二条において、1910年8月22日及びそれ以前に締結されたすべての条約および協定はalready null and voidであると宣言された。しかし、この条項の解釈が日韓両政府間で分かれた。
 日本政府は、併合条約等は「対等の立場で、また自由意思で結ばれた」ものであり、締結時より効力を発生し、有効であったが、1948年の大韓民国成立時に無効になったと解釈した。これに対し、韓国政府は、「過去日本の侵略主義の所産」の不義不当な条約は当初より不法無効であると解釈したのである。
 併合の歴史について今日明らかにされた事実と歪みなき認識に立って振り返れば、もはや日本側の解釈を維持することはできない。 併合条約は元来不義不当なものであったという意味において、当初よりnull and voidであるとする韓国側の解釈が共通に受け入れられるべきである
 現在にいたるまで、日本でも緩慢ながら、植民地支配に関する認識は前進してきた。新しい認識は、1990年代に入って、河野官房長官談話(1993年)、村山総理談話(1995年)、日韓共同宣言(1998年)、日朝平壌宣言(2002年)などにあらわれている。とくに1995年8月15日村山総理談話において、日本政府は「植民地支配」がもたらした「多大の損害と苦痛」に対して、「痛切な反省の意」、「心からのおわびの気持ち」を表明した。
 なお、村山首相は1995年10月13日衆議院予算委員会で「韓国併合条約」について「双方の立場が平等であったというふうには考えておりません」と答弁し、野坂官房長官も同日の記者会見で「日韓併合条約は…極めて強制的なものだった」と認めている。村山首相は11月14日、金泳三大統領への親書で、併合条約とこれに先立つ日韓協約について、「民族の自決と尊厳を認めない帝国主義時代の条約であることは疑いをいれない」と強調した。
 そこでつくられた基礎が、その後のさまざまな試練と検証をへて、今日日本政府が公式的に、併合と併合条約について判断を示し、日韓基本条約第二条の解釈を修正することを可能にしている。米国議会も、ハワイ併合の前提をなしたハワイ王国転覆の行為を100年目にあたる1993年に「不法な illegal 行為」であったと認め、謝罪する決議を採択した。近年「人道に反する罪」や「植民地犯罪」に関する国際法学界でのさまざまな努力も進められている。いまや、日本でも新しい正義感の風を受けて、侵略と併合、植民地支配の歴史を根本的に反省する時がきているのである。
 韓国併合100年にあたり、われわれはこのような共通の歴史認識を有する。この共通の歴史認識に立って、日本と韓国のあいだにある、歴史に由来する多くの問題を問い直し、共同の努力によって解決していくことができるだろう。和解のためのプロセスが一層自覚的に進められなければならない。
 共通の歴史認識をさらに強固なものにするために、過去100年以上にわたる日本と朝鮮半島との歴史的関係に関わる資料は、隠すことなく公開されねばならない。とりわけ、植民地支配の時期に記録文書の作成を独占していた日本政府当局は、歴史資料を積極的に収集し公開する義務を負っている。
 罪の許しは乞わねばならず、許しはあたえられねばならない。苦痛は癒され、損害は償われなければならない。関東大震災のさいになされた朝鮮人住民の大量殺害をはじめとするすべての理不尽なる行為は振り返られなければならない。日本軍「慰安婦」問題はいまだ解決されたとはいえない状態にある。韓国政府が取り組みを開始した強制動員労働者・軍人軍属に対する慰労と医療支援の措置に、日本政府と企業、国民は積極的な努力で応えることが望まれる。
 対立する問題は、過去を省察し、未来を見据えることで、先のばしすることなく解決をはからねばならない。朝鮮半島の北側にあるもうひとつの国、朝鮮民主主義人民共和国と日本との国交正常化も、この併合100年という年に進められなければならない。このようにすることによって、韓国と日本の間に、真の和解と友好に基づいた新しい100年を切り開くことができる。私たちは、この趣意を韓日両国の政府と国民に広く知らせ、これを厳粛に受け止めることを訴える。」

 (下線は引用・掲載者)

0905/月刊正論11月号・中西輝政論文等-冷戦。

 一 月刊正論11月号(産経、2010)の巻頭、中西輝政「中国の無法を阻止する戦略はあるか」
 巻頭言にしては長い。p.33-44の二段組み、計12頁。
 「東アジア全体が、…『冷戦』に突入しているのである。今回の新たな冷戦では、東西冷戦とは異なり、日本が否応なくその最前線に立たされる。…」(p.41)

 欧州ではともかくとしても、日本ではソ連崩壊後も<冷戦は継続している>ということは、近時の主張しておきたいところだった。
 同上誌のp.316で水島総は「既に世界は変わり、ポスト冷戦から、ポストポスト冷戦に様変わりした」、と書く。
 ニュアンス、厳密な意味は同一ではなさそうだが、現在の日本が「冷戦」の真っ只中にあるという認識では共通しているだろう。
 水島が言っているだろうように、ソ連崩壊によって「資本主義」あるいは「保守(・自由主義)」が勝利した、と単純に考えている「戦後保守」がいるとすれば、とんでもない間違いだ(但し、この人のこの号の叙述には感覚的に合わないところもある)。
 いずれにせよ、「保守」の側はともかくとしても、中国・北朝鮮(論じ方によっては韓国も)という近隣諸国に断固として立ち向かう必要がある、と漠然としてであれ考えている国民が多数派ではないようであることが、現在の日本の怖ろしいところだ。

 新憲法によって日本は平和で自由なよい国になった、それは基本的には今日までずっと継続している、と何となく考えている(私に言わせれば勉強不足の、あるいは主流派的マスコミに騙されたままの)国民はまだけっこう多いのではないか。

 そのような人々は、中国等の脅威(・異様さ)を正当に指摘し、例えば日本の「ナショナルなもの」の保持の必要性を語るような議論を、<偏っている>とか<右翼・民族派>とか言って無視するか軽蔑しがちだ。
 説明する必要もないほどだが、そのような人々とはもはや「口をきく気にもなれなくなっている」。

0896/大江健三郎は何を喚くか-朝日新聞6/15。

 朝日新聞6/15大江健三郎の「<これからも沖縄で続くこと>/侮辱への正当な怒りと抵抗」と題する文章(コラム)が掲載されている。朝日新聞は定期的に大江に執筆させているようで、さすがに<九条護持・親中・左翼>新聞だ。
 沖縄に駐留していた日本軍人を平然と「屠殺者」と書けた大江健三郎だから、この人の文章は警戒心を持って読む必要がある。
 相変わらず要領を得ない文章だが、結局、憲法九条の護持の主張のようだ。その前に、自然(水)保護という地球環境論の展開や安藤昌益(ルソー的思想家と肯定的に評価するばか者がいる)への肯定的言及も見られる。井上ひさしや加藤周一という「仲間」への言及もあり、加藤周一は、日本の「米軍基地を段階的に縮小し、安保条約の解消をめざす」べきことを14年前の朝日新聞に書き、それが「九条の会」にもつながっている、らしい。
 文章の最後に大江は、辺野古等の怒りと抵抗が「鎮まるとすれば、この国の根本的な方向転換が実際に見えて来る時です」(下線は実際には傍点部分)と書いているので、より具体的には何を意味するのかと読み直すと、どうやら、「九条の会」運動にもつながる「憲法の平和主義に徹底すること」か、それによって達成される何かであるらしい。
 寝惚けたご老人がまだおり、「作家」らしいその人が書いた文章を大切なものの如く掲載する新聞社がまだあるのだ。
 「平和主義」は言葉としては結構だが、中華人民共和国の軍備拡張等々や北朝鮮の核保有問題等々を抜きにして、それらにいっさい触れないままで、「憲法の平和主義に徹底すること」などとお題目のようによくぞ書けるものだと思う。しかもそれが、「この国の根本的な方向転換」と同一視されているか、そのための手段として書かれているのだから、いったい何を考えているのか、と言いたくなる。
 大江健三郎のような者たちがいなくならないと、日本国家の「根本的な方向転換が実際に見えて来る時」にはならないようだ。

0696/ヒドい「左翼」教条、荒川章二・豊かさへの渇望/日本の歴史16(小学館)。

 一 荒川章二・豊かさへの渇望/日本の歴史16・一九五五年から現在(小学館、2009.03)。最近は珍しくなった日本史通史の全集ものの最後の巻で、現在までを扱う。
 少し読んで、反吐が出そうになる。民主党内の旧社会党派、社民党、共産党、あるいはこれらの政党を支持する政治団体又は労働団体の<政治宣伝ビラ>を集めて並べたような本だ。
 「おわりに」によると、「私たちは歴史の主体として戦後社会をどのようにつくりあげてきたのか」が「本巻の問題設定」だったらしく、その結論は、「戦後日本の民衆的経験は、ある時は行政や企業に真っ向から対抗し、しだいに現実的な提案能力を高め、拒否と批判による政治への影響だけではなく、提案と創造による社会の改革・変革の能力をも蓄積してきた」(p.362-3)、ということらしい。
 この荒川章二という人は、狂っているのではないか。
 二 「おわりに」の文章は次のように続く。「現代の私たち」が「新しい時代」に選択する「選択肢」を考える「素材」として「本巻」では、「家族・労働と、そのなかにひそむ性や民族的出自による差別、諸地域・諸産業を切り分ける極端に不均衡な政策、そして沖縄に代表される戦後国家の巨大な『軍事空間』に注目して」、戦後史像を描いた、と(p.363)。この明記に見られるように、この本は要するに、①「差別」と②「不均衡」な政策、③「軍事」に着目して「戦後史」を書いた、というわけだ。
 これらが歴史叙述の重要な要素たりうることを否定はしないが、これらに(のみ)「注目」したと特記しているのだから、その偏向ぶりのヒドさを予想させる。
 「おわりに」では、さらに次のように述べる。上の①の「家族・労働にひそむ差別」に関して、「近年の新自由主義的市場原理が、…貧困・格差問題を浮かび上がらせたように、…雇用と生活の破壊はさらに進行する可能性さえあるだろう」。
 上の②に関して、「経済成長…過程で傷めつづけてきた国土」の再生が課題で、「分権と自治」が前提になるが、「ひたすらな自治体合併、統合政策の推進は、…市民的活力を削ぐことが危惧される」。
 上の③に関して、「…日米軍事同盟の行方という点に帰着」し、「東アジアにおける日本の位置」の定めという外交課題に直結する…(p.363-5)。
 三 1.日本の戦後史を考える又は叙述する場合でも、米ソ対立あるいは冷戦の成立と終焉(欧州での)という国際環境の変化を無視することはできないはずだ。
 上の荒川章二の本は、欧州での冷戦終結・「社会主義」ソ連の崩壊について、竹下~宮沢内閣の、「その間に、…冷戦崩壊・東西ドイツの統一で世界的な軍縮が急激に進み、九一年末、ソ連邦も解体した」 (p.219)としか書いていないと見られる。
 この本が扱っている米軍・自衛隊「基地反対闘争」も60年「安保反対」運動も、米ソ対立や「社会主義」国・ソ連の存在があればこそ発生し、ある人々にとってはそれが少なくとも精神的・理念的な「支え」にもなったのではないか? にもかかわらず、ソ連解体の叙述が上の程度であるのは何故か? 歴史学者らしい荒川章二は、まともに物事を見聞きし、理解する力があるのだろうか。
 2.北朝鮮への「祖国帰還」運動、北朝鮮当局による1970年代の日本人拉致については、当該時代の叙述の中には欠けている(いっさい触れていない)と見られる。その代わり、次のような<異様な>叙述が、小泉内閣時代の中に出ている。
 2002年10月に拉致被害者「五人の帰国が実現した。彼らは当初一時帰国とされたが、日本にとどめたまま家族の帰国を要求したことから北朝鮮側が硬化し、事態は膠着し、国交回復交渉も暗礁に乗り上げた。この後日本国内では…同情と真相究明の世論…北朝鮮への反発が高まった。同じころ、アメリカ…は北朝鮮を悪の枢軸の一国と名指しし、国際社会に対決を訴えた。北朝鮮は対抗的に核開発を再開し、日本政府は対米関係に配慮して、…日朝関係は一挙に暗転した。…日本政府は拉致問題の解決を働きかけるが、膠着した外交関係に制約され、…その後は事態打開への扉は開けないままである」(p.323-4)。
 上の文章によると、「北朝鮮側が硬化」して「事態」が「膠着」した原因は日本政府(・被害者家族)が「日本にとどめたまま家族の帰国を要求したこと」にあり、米政府と同一姿勢に立ったことにもよるこの「膠着した外交関係」によって、「事態打開」がなされていない、つまりは責任は全て北朝鮮ではなく日本(+「悪の枢軸の一国と名指しし」た米国)にある、とされている。北朝鮮の「核開発」の責任は米国にあるらしい。
 この荒川章二という人の頭は(他にも和田春樹とかがいたが)<ふつうではない>のではないか。
 他にも沖縄問題、教科書問題等々について、見事に「左翼教条」言説が並んでいる。ヒマがあれば別に紹介する。
 四 ブログの記述やそれこそ政党ビラならばここで取り上げようとも思わないが、日本史通史の<全集>ものの一巻というのだから、メモしておかざるをえない。日本の近現代史(学)はまだまだマルクス主義又は「左翼」が支配していると誰かがどこかで書いていたが、見事な例証を知った思いがする。
 荒川章二(1952-)は一橋大学社会学研究科出身で「専攻」は「日本近現代史」だという。青木書店から単著(『軍隊と地域』)を刊行しているので、日本共産党員か日本共産党の強いシンパである可能性が髙い。
 一橋大学にはかつて、藤原彰、中村政則、永原慶二等のマルクス主義歴史学者が巣くっていた(現在も?)。荒川章二は、これら先輩たちの薫陶よろしきを得たに違いない。そして20歳代、30歳代の若手の研究者へと強く継承されていっているのだろうから、恐ろしい。
 小学館も奇妙な書物を刊行したものだ。だが、直接の責任は小学館の編集部にではなく、この全集の編集委員、すなわち、平川南、五味文彦、倉地克直らにあると思われる。こんな本の内容が、1955年~現代の歴史叙述の日本史学界の「通説」的・「代表」的なものと理解されてよいのか。編集委員も少しは恥ずかしく思ってもらいたい。

0541/樋口陽一・ほんとうの自由社会とは(岩波ブックレット)を読む-2回め。

 樋口陽一・ほんとうの自由社会とは(岩波ブックレット、1990)について、前回(6/04)のつづき。
 「ほんとうの自由社会」を論じるならば、対象は1990年にまだ存在した<社会主義>ソ連おける個人的「自由」や中国・北朝鮮の「自由社会」度であっても奇妙ではない。しかし、この冊子が批判の対象としているのは、日本だ。日本は「ほんとうの自由社会」ではない、と全体を通じて罵っているわけだ。
 ①樋口にとって1989年は『自粛』でもって陰うつに重苦しく明けた」らしい(p.24)。「陰うつに重苦しく」と表現する辺りには、この人の(昭和?)天皇に対する感情が現れているだろう。この1989年の、日本社会党が第一党になった参院選挙では日本人は「自分の考えで」投票所へ行き投票した、と樋口が積極的に評価していることは前回(6/04)に記した。
 ②この「自分の考えをもつ」ということは「自由社会」の基本らしい(p.28)。それはそれでよいとして、樋口は次のように続ける。
 だが、自分の考えによらない「みんなで渡ればこわくない」が「日本社会のひとつの美徳」とされてきた。「渡れば…」くらいならいいが、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」などというものもあるように、「自由社会」の基本=「自分の考えをもつ」ことと「うまく折り合わない」(p.28)。
 樋口陽一は上の文章を<正気で>書いたのだろうか。「自分の考えをもつ」ことに反対の例として、なぜ、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」のみを挙げるのか?
 「みんなで…」という名を付けていなくとも、実質的にみて<みんなで教育基本法改悪に反対する会>、<みんなで自衛隊基地増強に反対する会>、<みんなで憲法(9条)改悪に反対する会>等々はいくらでもある。もともと、目的を共通にするグループ、集団というものは「みんなで…」という性格をもっている。樋口陽一自身が、そのような、<みんなで…会>に該当するものの中心メンバーだったり、一員であったりしているだろう。樋口が殊更に「みんなで靖国神社に参拝する…の会」のみを例示するのは、その<歪んだ>心性によるとしか思えない。
 ③樋口はまた言う-「戦前の日本では、天皇制国家と家族制度という二つの重圧(「忠」と「孝」)が、…個人の尊厳を、がんじがらめにして」しまった(p.33)。
 樋口の世代の一つくらい上の世代から始まる戦後<進歩的知識人・文化人>の合言葉のようなもので、珍しくもなく、まともに扱う気もないが、いかに小冊子とはいえ、戦前の「天皇制国家」と「家族制度」についてこんなに簡単に総括してもらっては困る。なお、樋口は、別の本で、(「家族制度」解体に導く)フェミニズムに肯定的に言及していた。
 ④樋口は、カレル・ヴァン・ヴォルフレンの、日本による1930年代の諸問題の再現の怖れという文章を肯定的に引用している(p.40)。
 ヴォルフレンの立脚点を詳細には知らないが、欧米「普遍」主義又はアメリカ・グローバリズムの観点から、日本の政治・社会的システムの「特殊」性(>「閉鎖」性)を、かなり厳しく(見方によれば「悪意をもって」と感じるほどに)批判している人物だ。日本を批判するためには、欧米の<日本叩き>主義者の言説も利用する-これは<自虐>者というのではないか。
 ⑤樋口はまた、奇妙なことも書いている。まず、1987年12月の中国「人民日報」が南京での追悼集会の記事で「三十多万遭難同胞」に言及していることにも「センシティブでなければ」ならない、と言う(p.41)。
 日本に対する「アジアの国ぐにの対応」に留意せよとの趣旨の段落の中でのものだが、「センシティブでなければ」ならない、とは一体いかなる意味か? 南京「大虐殺」遭難者数「三十多万」説にそのまま従っているかの如き文章だ。
 つぎに、「…なにがしかの良心をもつ日本人ながら意識せざるをえなかった…中国政府というものが、正義とのかかわりをやめてしまって、日本に経済援助を求めるふつうの政府になってしまった」、「日中国交回復以来、中国政府は日本にとって、日本の戦中戦後の思想、歴史を問う道義の物差しであることをやめて、日本に経済援助を求めるふつうの政府になった」、とも言う(p.41)。
 なかなか理解し難いが、樋口陽一はどうやら再び<怖ろしい>言葉を吐いているようだ。こうした文章は、中国政府が「経済援助を求めるふつうの政府」になったことを<残念がって>いる、と読める。そしてなんと、中国(政府)は「日本の戦中戦後の思想、歴史を問う道義の物差し」だった(のに…)、と主張しているのだ。<左翼>・<反日自虐派>ならば当然のことかもしれないが、「日本の戦中戦後の思想、歴史を問う」基準(「道義の物差し」)は中国(政府)にある筈だ、と言っているのだ。ここまで樋口陽一が親中国、いや屈中国だとは知らなかった。
 なお、1990年頃の中国政府の対日本姿勢がどうだったかを確認・調査することはしないが、江沢民体制になってから再び?、<歴史認識>問題(従軍慰安婦・南京大虐殺問題等々)でしきりと日本を攻撃したことは記憶に新しい。とすれば、やはり中国(政府)は「ふつうの政府」ではなく、「日本の戦中戦後の思想、歴史を問う道義の物差し」たる役割を果たしていることになり(今年5月に来日した胡錦涛はさほどでもなかつたようだが)、樋口陽一はさぞや喜んだことだろう。
 今回で終えるつもりだったが、もう一回だけ続ける(予定)。憲法(学)の教科書・概説書よりも、こうした冊子にこそ「本音」が出ていることはありうる。この樋口の岩波ブックレットもそのようで、樋口の<怖ろしい>思想(と敢えて言っておく)がときどき顔を覗かせているようだ。

0534/「北朝鮮に憑かれた人々」-稲垣武の2003年の本による。

 稲垣武・北朝鮮に憑かれた人々(PHP、2003)は、同・「悪魔払い」の戦後史(文藝春秋)の中の第10~第13章と雑誌に掲載された別の3つの論考をまとめもの。太文字で名指しされている<北朝鮮に憑かれた人々>を、稲垣に従って、列挙しておこう。()は当時又は過去。
 第一章-朝日新聞、岩波「世界」、和田春樹、坂本義和、吉田康彦、小田実、野中広務、加藤紘一、中山正暉、田中真紀子、河野洋平、村山富市、田辺誠、土井たか子、辻元清美、田英夫、木村伊量(朝日新聞政治部長)、槇田邦彦、金丸信、北川広和(社民党)、保阪展人、稲村稔夫・小山一平(社会党-朝鮮総連から金受領)、山口鶴男、佐藤三吾、菅直人、福島瑞穂、吉田猛(加藤紘一「秘書」)、青木宏之、岡本厚(「世界」編集長)、安江良介、野田峯雄、進藤榮一。
 第二章(前章までに記載の者を除く、以下同じ)-佐柄木俊郎(朝日新聞論説主幹)、田中均、本多勝一、筑紫哲也、黒川宣之(朝日新聞論説副主幹、「週刊金曜日」編集主幹)、早野透、渡辺誠毅・秦正流・伊藤牧夫(朝日新聞「左派三羽ガラス」)。
 第三章-高樹のぶ子。
 第四章-遠山茂樹・今井清一・藤原彰(岩波新書・昭和史-朝鮮戦争は韓国北侵で開始と明記)、大江志乃夫、徳武敏夫、I・F・ストーン、杉捷夫、堀江忠男(早大教授・朝鮮戦争韓国北侵説)、中川信夫、寺尾五郎(NHK解説委員・日朝協会理事)、入江徳郎(朝日新聞)、嶋元謙郎(読売新聞)、山口淑子、後藤基夫(朝日新聞東京編集局長)、宮田浩人(朝日新聞)、松下宗之(朝日新聞東京編集局長)。
 第五章-西川潤、本橋渥、藤島宇内、安井郁、槇枝元文、岩井章、岩垂弘(朝日新聞編集委員)。
 第六章-関寛治、夏堀正元。
 第七章-前田康博(毎日新聞編集委員)、高柳芳夫、中薗英助、岡留安則。
 以上。一時的誤り又は特定問題での判断ミスをした者も含んでいるだろう。だが、さすがに朝日新聞関係者に詳しく、岩波「世界」への執筆者とその内容はフォローされているようだ。だが、とくに何かの見解発表をしていなくとも、親北朝鮮(=反韓国)だった人びとは多かった筈で、それはほぼ<左翼>陣営全体へと広がりを見せていたはずだ。自民党の中にすら、<北朝鮮に憑かれた人々>がいるのが日本の特徴だろうか。
 まったく余計だが、加藤紘一は、天皇が訪中して<謝罪>的談話を述べられたときの官房長官でもある(首相は宮沢喜一)。

0467/共産主義との闘い-人間が人間らしく生きるために。

 「なぜ1917年に出現した現代共産主義は、ほとんど瞬時に血なまぐさい独裁制をうちたて、ついで犯罪的な体制に変貌することになったのだろうか。…この犯罪が共産主義勢力によって、平凡で当たり前の施策と認識され実践されてきたことをどう説明できるのだろうか」。
 これはクルトワ等共産主義黒書コミンテルン・アジア篇(恵雅堂出版、2006)p.334の文章だ。「犯罪」はむろん粛清=大量殺戮を含む。
 この本はフランス人によるだけにフランス革命後のロベスピエール等によるギロチン等による死刑とテロルの大量さとの関連性にも言及しているのが興味深いが、この文章の「現代共産主義」は殆どソ連のみを意味する。だが、「現代共産主義」は欧州では無力になったとしても、東アジアではまだ「生きている」。アジア的・儒教的とか形容が追加されることもある、中国・北朝鮮(・ベトナム)だ。中国との「闘い」に勝てるかどうかが、これらの国を「共産主義」から解放できるかどうかが、大袈裟かつ大雑把な言い方だが、日本の将来を分ける。下手をすると(チベットのように<侵略>されて)中華人民共和国日本州になっている、あるいは日中軍事同盟の下で事実上の中国傀儡政権が東京に成立しているかもしれない。そうした事態へと推移していく可能性が全くないとはいえないことを意識して、そうならないように国と全国民が「闘う」意思を持続させる必要がある、と強く感じている。むろん「闘い」は武力に限らず、言論・外交等々によるものを含む。
 といって、現在の北朝鮮・中国情勢に関して日本「国家」が採るべき方策の具体的かつ詳細な案が自分にあるわけではない。だが、中国・北朝鮮対応は共産主義との闘いという大きな歴史的流れの中で捉えられるべきだし、将来振り返ってそのように位置づけられるはずのものだ、と考えている。
 近現代日本史も「共産主義」との関係を軸にして整理し直すことができるし、そうなされるべきだろう。共産主義がロシアにおいて実体化されなかったら、日本共産党(国際共産党日本支部)は設立されず、治安維持法も制定されなかった。コミンテルンはなく、その指導にもとづく中国共産党の対日本政策もなく、支那は毛沢東に支配されることもなかった。米ルーズベルト政権への共産主義の影響もなく、アメリカが支那諸政府よりも日本を警戒するという「倒錯」は生じなかった。悪魔の思想=コミュニズムがなかったら、一億の人間が無慈悲に殺戮される又は非人間的に死亡することはなかったとともに、今のような東アジアの状態もなかった。

0455/佐伯啓思の一部の議論を疑問視する。

 佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版、2008)を4/07夜までにp.245まで読み、あとは第六章のみ。全体の約3/4を了えた。
 この本の読書ばかりしている訳ではないので(仕事もある)、最初の方はもう忘れかけている。丸山真男に対する厳しいかつ明晰な批判は別の機会に触れよう。
 4/07に鷲田小彌太・「戦後思想」まるごと総決算(彩流社、2005)というのを買って第一部の3の最後、p.64まで(4の「天皇制、あるいはその政治と倫理」の前まで)一気に読んだ。佐伯著とともに戦後(思想)史を(も)扱う点で共通する部分があるが、鷲田著は直球一本の短い・断定的文章が連続している感じで、佐伯の文章、論理展開が直球・カーブ・シンカーあり、たまには捕手との相談あり、たまにはマウンドでの沈思黙考あり、という印象であるのと比べると、失礼ながら(比較する相手が悪いのか)相当に<粗い>。鷲田小彌太は決して嫌いな書き手ではないが。
 さて、佐伯啓思の上の本のほとんどは何と無く納得して読めるが、一点だけ気になることがある。それは、瑣末なことでもなさそうだ。
 p.19にこうある。「冷戦の崩壊は、社会主義に対して蜃気楼のような漠然たる希望を託した左翼の幻想を一晩で吹き飛ばした」。<左翼の幻想>はまだ残っていないかと問いたくなるが、この文はとりあえずまぁよいとしておこう。
 p.80の次の文章(要約)はどうだろうか。
 <「アメリカの歴史観」には「典型的な啓蒙主義的理念」、「西欧近代の進歩主義を代表する理念」がある。これは「左翼的思想」と言ってよく、少なくとも「無条件の進歩を疑うという西欧保守主義とは全く異なった思想」だ。そして、ソ連崩壊後はこの「左翼的思想」を掲げた国はアメリカになった。その「左翼的国家」との同盟に「国益を全面的に委ねる」日本の「保守派」は日米間で「価値を共有する」とまでいうが、これでは「何が保守なのか」分からなくなってしまう。>
 上の文章は気になりつつも読み続けていたら、p.239辺り以下(~p.243)にもこういう文章(要約)があった。
 <アメリカの「ネオコンの価値観」は「自由・民主主義」・「市場経済」・「隠されたユダヤ・キリスト教」。これらを日本人は「共有」していない。日本はアメリカの「啓蒙主義的なメシアニズムという進歩的歴史観」を「信奉」してもいない。にもかかわらず、小泉・安倍両首相は「価値観を共有している」ことを根拠として「日米関係」の「緊密化」を唱え、「保守主義者」がアメリカ的歴史観を支持するとは「何とも奇妙な光景」だ。アメリカ的歴史観は「東京裁判」に現れているが、その「東京裁判史観」を否定してきた「保守派」が「安易に、日米は価値観を共有している、などというべきではない」。>
 なかなか興味深い論点が提示されている。佐伯啓思が<グローバリズム>追従を批判する、<反米・非米>の保守主義者であることをここで問題視するつもりはない。かかる批判(矛盾・逆説の指摘)は<親米>保守派に向けられているのだろう(そういえば八木秀次は<親米>保守派を「現実的」保守とか称していた)。
 だが、日米間の<価値の共有>をこうまであっさりと切って捨ててしまうのはいかがなものか。
 佐伯啓思について気になるのは、ソ連崩壊によって社会主義・マルクス主義は「崩壊」してしまった、という強固な認識に立っているように見えることだ。p.243には、「マルクスが失権した後」、最「左」は「ヘーゲル」になり、この「ヘーゲルとコジェーブの進歩史観にもっとも忠実なのがネオコンのアメリカという事態」になった、とある。かかる「左」=「進歩主義」(のはずのもの)を日本の<左派>が批判し、<保守>が支持している、という「奇妙な光景」がある、というわけだ。
 いくどか書いたことがあるが、アジアには中国・北朝鮮という「社会主義」(←マルクス主義)を標榜する国々があり、「冷戦」は終わっていない。ソ連・東欧「社会主義」の崩壊により終焉したのは欧州(又は欧米)内での「冷戦」だ。日本には「日本共産党」という社会主義・共産主義社会を目指すことを綱領に明記する政党が国会内に議席を占め、佐伯啓思が所属する大学にも京都府委員会直属の日本共産党の「大学支部」がちゃんと?まだ残っている筈だ。
 日本は近隣に中国・北朝鮮という国々を置いて生きていかなければならない。その際に、中国・北朝鮮と欧米と、<価値観>が(相対的に)より近いのはどちらなのだろうか。
 むろん、佐伯が強調するように、アメリカ(や欧州)と日本は「価値観」が全く同じではなく、全く同じにすることもできない、ということはよく分かる。平均的日本人以上に、その点は私も強く感じるに至っている。アメリカ産の<戦後民主主義の虚妄に賭ける>とか書いたらしい丸山真男はバカに違いない、と考えている。
 だが、日本の政治家が近隣の「社会主義」国家(<侵略>国家・<拉致>国家だ)の存在を意識し、とくに<正規の軍隊>を持てないという憲法上の制約の中で、(中国・北朝鮮と比べての)アメリカとの<価値観の近さ>を強調し、<価値観外交>を展開する、あるいはインド等をも含めた<自由の弧>構想を描く(麻生太郎元外相)ということが、なぜ上のように厳しく批判されなければならないのか。
 政治・外交は戦略であり方便だ。全く同じ価値を共有していなくとも、アメリカと100%完全に異質の文化・価値を持っているわけでもなかろう。その場合に、中国・北朝鮮に対抗するために<価値観の共通性>を(むろん厳密な学者の議論としては問題があるかもしれないが)強調して、何が悪いのか。
 <戦後レジーム>の問題性・限界を意識していた筈の安倍晋三が、日本(人)はアメリカとべったり全く同じ価値観をもつ国(人)だなどと考えていたとは思われない。麻生太郎も同様。
 佐伯啓思の論理それ自体はよく理解できる(つもりだ)。西欧近代(進歩主義)の一方の鬼子のソ連が消滅して、もう一方の鬼子のアメリカが(かつてはソ連に隠れて分からなかった)進歩主義=「左翼」国家として登場している、という。
 上のこと自体はかりにそれでよいとして、しかし、佐伯啓思の眼(頭)には、アジアに厳然として残る「社会主義」国家、マルクス主義の思想潮流はどの程度の大きさをもって映っているのだろうか。<西欧近代>又は<自由・民主主義>の限界の露出のみが現代の(国家および思想の)状況だとは思われない。まだマルクス主義・「社会主義」との闘いは続いている。マルクス主義者・「社会主義」者は、<親>・<シンパ=共感者>も含めて、しぶとくまだ生き残っている、と私は考えている。彼らのいう<自由・民主主義>の欺瞞を暴くことも、また中国・北朝鮮における<自由・民主主義>の欠如を衝くことも、戦略的には何ら責められないのではないか。
 <西欧近代>に淵源をもつ本来は非日本的な<自由・民主主義>価値観の欺罔を批判することも大切だろうが、やはり<西欧近代>に発する<社会主義>的価値観と闘うことも依然として重要ではないか。究極的には、日本も属する<自由主義>を採るか、中国・北朝鮮が立脚する<社会主義(共産主義)>を採るか、であり、この対立は、反米か親米かよりもより重要な、より大きな矛盾なのではないか。
 とこう書いている私は「進歩主義」に毒されているだろうか。そうとは自覚していない。問題は、上の方で引用した言葉を使えば、ソ連の崩壊は「左翼の幻想を一晩で吹き飛ばした」と簡単に言い切れるかどうか、だ。この点の認識の違いが、佐伯啓思の一部の論理に違和感を覚えた理由だろう。
 追-二カ所、校正ミスを発見している。
 ①p.138-「共産主義ルネサンス」→正しくは「共和主義ルネサンス」。②p.170後から5行め-「傷づけられた」→正しくは「傷つけられた」。

0383/高山正之―朝日新聞は「9万人を地獄に送って殺した」。

 以下、週刊新潮(2008年)1/31号高山正之の連載コラムからの一部要約と引用のみ。
 タリバンのいるアンガンは危険な地域だ。「米軍に協力した村民」がタリバン兵士によりナイフで喉を切られ、首が切り落とされるシーンを含むDVDを送られて、見た。「自爆テロに使われる女は何も知らされていないという話も聞く」。
 「朝日新聞にはこの手の怖い話は載らない」。代わりに、アフガン人はいい人等と支援組織代表に書かせたり、アフガンの子供が幽霊の絵を書くのは「戦争を持ち込んだ米軍が悪い」と天声人語で指弾したり、髭のイスラム教徒はテロリストというのは偏見と特派員コラムでたしなめたり。
 髭を剃ったテロリストもいるが(ブット女史暗殺射撃後の自爆者)、そんな報道を信じて出かけて、DVDのように首を切られたらどうするのか。
 「この新聞はかつて『北朝鮮は天国』と書いて9万人を地獄に送って殺した」。「共産主義の幻想から書いたと思っていたが、どうもそうじゃあない。記事に騙されて人が殺されに行くのが愉しくてしょうがないのかもしれない」。

0372/棟居快行と読売新聞が「フランス革命」に言及。

 読売新聞1/05朝刊の「この国をどうする4」で憲法学者(大阪大学)の棟居快行が語っている。
 <「個人の能力」の解放と「組織的な強み」の両方が日本には必要。「個人の尊重」と「社会の公正」のどちらを重視するかを政党は示すべきだし、両者の「調和」をどこに見出すかで「憲法秩序」を語った方がよい。
 衆院と参院での「国民」の反応の違いの背景の指摘も含めて、上の指摘に大きな異論はない。当たり前のことを語っているにすぎないとすら言える。
 関心を惹いたのは次の部分だ。
 「『自由と平等』というフランス革命的なカードではなくて、もう少し現代の日本にあわせたカードで…切り分けた」方が、「二大政党にうまく移行できる」。
 後段の「二大政党」うんぬんはともかくとして、「フランス革命的なカード」ではない「もう少し現代の日本にあわせたカード」で切り分ける必要を説いている。
 この点にもとくに反対はしない。
 問題は次のことだ。すなわち、「自由と平等」という「フランス革命的なカード」ではダメ(少なくともそれだけではダメ)だということくらいは、とっくに明らかなことではないのか
 日本国憲法施行後すでに60年経った。1989年からでも20年めを迎えた。憲法学界はこれまでずっと、「自由と平等」という「フランス革命的なカード」で、あるいは広くとっても<欧米思想系>のカード、によってのみ切り分けた議論をしてきたのだろうか。
 日本について、そして、日本国憲法について、「もう少し現代の日本にあわせた」カードでの議論をすべきことは、至極当然のことではないか。
 棟居快行を非難するつもりはないが、上のような言葉が、さも新鮮なこととして語られるような風潮があるように見られること自体が、フランス「革命」思想あるいは<欧米系思想>に依拠してしか議論をしていない(むろん一部の例外はあるだろうが)かの如く見える憲法学界の異様さを示しているようだ(と私は感じる)。
 ついでに、読売新聞は同欄の「フランス革命」という語に注釈をつけ、「フランスの民衆が1789年に決起し、絶対王政を打倒した革命」、とまず定義づけている。こうした何気ない解説部分にも、朝日新聞に比べれば<保守的>と言われる読売においてすら、戦後日本が依拠した<フランス革命幻想>が浸透していることが、鮮明に示されている。
 読売のこの部分の(きっと安直な辞典類でも一瞥したのだろう)執筆者に尋ねたいが、上にいう「民衆」とは何か。「ブルジョア革命」との通説に従ってすら、主体とされる「ブルジョアジー」と当時にすでに存在した「民衆」を区別することはできる。前者も後者の語の中に含めているつもりだろうが、そのような「民衆」概念の用法は誤解を招くだろう。通説に従ってすら、「市民(ブルジョア)革命」と「民衆革命」とは別の筈であって、フランス革命は前者ではないのか?(<絶対王政打倒>との従来の支配的理解にも異論が出てきているがこの点には立ち入らない。)
 さらに言うと、読売新聞の「フランス革命」の注釈者は「フランス人権宣言一条」は「各国憲法に大きな影響を与えた」、とも書いている。その事実自体を否定するつもりはとりあえずないが、「人権宣言」などはただの紙切れ上の言葉にすぎない。フランスでそこに書かれたことがいちおうにせよ現実に達成されたのはいつだったのか?
 かつてのソビエト憲法にだって現在の北朝鮮憲法にだって、言葉としては立派なことが書かれていたし、書かれてある。
 当たり前のことだが、言葉(理念またはウソと知りつつ掲げる理想)と現実とは異なる。このことを読売の一記者には知ってほしいものだ。
 また、上に見られるが如く、一定の<フランス革命のイメージ>が牢固にすでに完成されているように見え、数千万の読者にそれがバラ撒かれているのは、怖ろしいことだ。

0371/水島朝穂(早稲田大学)は学者なら真摯に反応したらどうか。

 1/03頃に、川人博・金正日と日本の知識人(講談社現代新書、2007.06)を読了。
 親北朝鮮の「日本の知識人」を批判した本だが、具体的に固有名詞が挙げられ、批判的論評がされているのは、姜尚中、和田春樹、佐高信、水島朝穂の4名。
 和田春樹佐高信の二人についてもはや言う必要もない。姜尚中については、この本とは別の観点からいつか近い将来に述べたいことがある。
 残る水島朝穂はこのブログでも批判的に取り上げたことのある早稲田大学所属の憲法学者だが、私も所持はしている同著・憲法「私」論(小学館)や他の発言等を対象に、著者の川人(弁護士、特定失踪者問題調査会常務理事)は次のように批判する(p.91~p.99)。
 ・2002年9月以降に(いったん北朝鮮から)帰国した五人について、安倍晋三(当時、官房副長官)は(帰国させないという)「駄々っ子のような方向」を選んだが、返せば(帰国させれば)よかったと主張した。「ここまで人を罵倒する発言をする」なら、「もっときちっと根拠を示しなさい」。
 ・具体的には第一に、五人は日本に滞在したいとの意向だったのに、日本が無理やり北朝鮮に連れて行くべきだ、という主張は、「国際人権法の、あるいは日本国憲法の、どの規定に基づき正当性を有するのか、ぜひ、憲法学者として責任をもって明確にしてもらいたい」。
 ・第二に、北朝鮮に戻った五人とその家族が無事に日本に帰国できるという「具体的根拠を述べていただきたい」。
 ・上記の憲法「私」論の中で、「韓国での米軍犯罪、日本の戦争責任」等には多くを語りながら、「拉致問題」には「わずか一〇行程度触れるだけ」で、「北朝鮮国内の人権侵害に関しては、一言も語っていない」。「中国国内での人権侵害にも一切触れていない」。また、「国境を超えた市民運動」が重要との旨を主張しつつ、「北朝鮮独裁者と対峙して活動しているNGOや民衆」について一切語らず、「北朝鮮独裁体制に親和的なNGOの活動を紹介するのみ」。
 総括的に、こんな批判的な言葉もある。
 「民衆の闘いを忘れ、独裁者の『メンツ』を気にするのが、憲法学者のとるべき態度であろうか」。(p.96)
 「自らの思想や論理を真摯に総括することもなく、『半径平和主義』(狭い『平和主義』のわく)ともいうべき殻の中に閉じ籠もる、それが水島氏の姿」だ。(p.98)
 「真にアジアの民衆の人権と平和を希求している」のなら、「まず、過去の暴言を真摯に反省していただきたい」。(p.98)
 名指しされてこうまで批判されると―姜尚中は週刊誌上で<応戦>したようだが―、ふつうの人ならば、反論(あるいは釈明、可能性は少ないが「真摯な反省」)をしたくなるだろう。ましてや、水島朝穂は、著書の数も多そうな大学教授なのだ。このまま黙っていれば「学者」の名が廃(すた)り、批判を甘受していることになってしまうのではないか。水島氏よ、真摯に対応したら、いかがか(すでにどこかでしているのかもしれないが、私は気づいていない)。
 いや、そもそも水島朝穂は学者・研究者ではなく活動拠点を早稲田大学に置く政治活動家なのかもしれない。とすると、弁護士・川人博についても―かりにこの文を彼が読んだとして秋月瑛二についても-<「保守・反動」が何やら喚(わめ)いている>といったレッテル貼りで内心で反論したつもりになって済ますのかもしれない。
 怖ろしいのは、憶測にはなるが、水島朝穂ほどには目立たなくとも、憲法改正反対・憲法九条擁護の憲法学者には、水島の上記のような対北朝鮮反応、対北朝鮮感情と同様のものを<空気>として抱え込んでいる憲法学者が日本には少なくない、と見られることだ。日本の憲法学者・憲法学界とはかくも<異様な>ものだということは広く大方の共通理解になってよいものと思われる。
 ところで、この本は昨年6月に刊行されているが、新聞・雑誌の書評欄で採り上げられているのを読んだことはなく、その存在自体を昨年末に知った。テーマは単純ではあるが、少なくとも紹介くらいはされる価値のある本だろう(新書で読みやすくもある)。
 だが、かりにだが、どの新聞・雑誌も採り上げなかったとすれば、それは、姜尚中、和田春樹、佐高信、水島朝穂という特定個人(の主張)を批判している書物のためなのかもしれない。
 各「知識人」または新聞・雑誌への各寄稿者(またはその可能性ある特定個人)に遠慮し、その背後にいるグループ・団体・出版界にも遠慮しているのだとすれば、新聞・雑誌の「表現・出版の自由」も疑わしいものだ。この例のみで言うつもりは全くないが、一般論としても、新聞・雑誌の「書評欄」を(参考にしてもいいが)<信頼>してはいけない。
  

0316/産経・山本雄史記者への質問・3。

 再述すれば、産経・山本雄史は自らのブログ7/30上で、最後に「安倍首相は引き続き政権を維持する決意を固めている。政権にとどまることで、さらなる国民の反発が予想されるのだが、…。安倍首相は空気を読めているのだろうか」と結ぶ一文を書いたコメントに対して「「退陣しろ」とまでは書いてません。におわせるような部分はありますが…」と逃げている文章もあるが、退陣すべきだった(続投すべきでなかった)と考えており、そう主張したのは実質的に明瞭なことだ。
 なお、以下はすべて、同氏の書いたものの引用だ。①「国民に「首相が居座っている」という印象を持たれても仕方がないような発言が多い」、②「不信任とみられても仕方がない負け方だ」、③「国民がノーを突きつけているという事実をこの人〔首相〕にはわかっているのかなあ?と思わせるような発言が多かった」、④「国民の審判が下ったにもかかわらず、…現在の状況を把握されていないのではないか?という疑問」を持った、⑤「自民党の最高責任者は安倍首相なので、責任が問われるのは筋としておかしくない」、⑥「首相自身が、自身の置かれている状況を正確に把握しているように思えなかった」、⑦首相発言は「民意なるものを軽視しているとしか思えない」。
 上のブログ本文を中心にして、いくつかの疑問も湧き、質問もし批判もしているのだが、山本雄史のブログ上にはまだ、<秋月氏に答える>、<…に反論する>というタイトル又は内容の文章は掲載されていない。
 ネット上に新しい言論空間の可能性があるというなら、頬かむりしないで何らかの反応をネット上で示したらどうだろうか。私は一個人としての山本氏ではなく、産経新聞記者としての山本雄史氏に向かって発言している。
 さて、依然として、この人はなぜこんな皮相で単純なことしか書けず、主張できないのだろうか、とその理由・背景について思いめぐらしている。いくつかそれらを推測するとともに、あらためて質問をしておこう。
 第一に、山本は安倍首相は退陣すべき旨を主張したとき、内閣総理大臣の地位に関する衆議院と参議院の位置づけの違いを少しでも考慮しただろうか。
 政治(も)担当する新聞記者ならば、国会法・公職選挙法・政治資金規正法等の基本的概要を熟知しておく(少なくとも簡単に確認・調査できる状態にしておく)べきなのは当然だが、現憲法上の関係規定を知っておくべきことは当然のこと、言わずもがな、のことだろう。
 安倍首相は憲法の定めにもとづき衆院・参院両院の議決によって内閣総理大臣の地位に就いた。これ以上は既述のことでもあるので反復しない。
 山本は、衆院の内閣不信任議決→総辞職か解散、に対して参院にはかかる手段又は制度はない、ということくらいはきちんと理解した上で問題の一文を書いたのだろうか。
 むろん参院選の結果について党首に<政治的責任>の問題が発生しうることは一般論として否定しない。だが、かりに、こうしたあたり(憲法制度・憲法諸規定)について何の知識もなく、何の考慮することもなく、安倍首相は退陣すべきとの一文を書いたのだとすれば、もうそれだけで政治(も)担当記者として失格だと思われる。
 質問したい。山本雄史記者は、内閣総理大臣の選任、内閣総理大臣の地位に対する参議院の権限に関する憲法上の諸規定を知ったうえで、又は考慮したうえで上のような主張をしたのかどうか。
 なお、参院選挙の位置づけに関する参考となる論述を含み、かつ安倍首相続投を支持するものとして、以下がある。<リンク削除>
 第二に、朝日新聞等のマスコミの選挙報道の仕方についての認識が、少なくとも私とは異なっている。少なくとも私、と書いたが、同様の認識・理解は決して少なくはない。例えば、それぞれ私のブログで取り上げたのだが、産経の古森義久は7/11ブログ「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」で、このタイトルどおりのことを批判的に指摘・主張していた。
 週刊新潮7/26号も「「安倍憎し」に燃える朝日の「異様すぎる選挙報道」」との見出しの特集的記事を書いた。
 また、稲垣武は8/02に「今回の参院選での選挙報道は疑問だらけ」とし、選挙結果について「戦後レジームからの脱却を唱えた安倍首相と対立する朝日新聞の「反安倍キャンペーン」が功を奏した」と簡潔に言い切っている。
 さらに、そもそも山本雄史が所属する産経新聞自体が「何たる選挙戦」という他マスコミ批判をかなり含む特集記事を投票日直前に連載したのだ。 
 ところが山本は、驚くべきことに、産経新聞、古森、稲垣(そして私等)のような認識を全く又は殆ど持っておらず、むしろ他マスコミを擁護する言葉を発している。
 例えば、①「安倍氏の志も業績もなにひとつ伝えず、すべて悪意に解釈する報道を日々執拗に繰り返して強引に作り出された空気ではないか」との山本ブログ文へのコメント(発信者の名は省略させていただく)に対する、「うーん、少なくとも産経新聞は安倍政権の良さ、魅力を徹底的に報道していたと思いますが…」。ここでは、他マスコミには言及しないで逃げている。
 ②「産経は一貫して、安倍政権支持を明確にしてきました。公平さの面で言うと、首相サイドの記事が選挙期間中も多かったです。産経が公平な報道をしてきたか、というと何ともいえません」。ここでは何と、安倍首相支持を明確にしてきた(という)産経新聞の「公平さ」を問題にしている(!)。安倍首相を批判した朝日新聞等の方が「公平」だったと主張していると理解されてもやむをえない文章だ。
 ③「野党の失言や不祥事について、マスコミは意図的に無視していた…。うーん、そういう印象はあまりない」。
 ④「確かに、一部メディアは「安倍叩き」に奔走してました。ただ、軽薄かどうかは、国民は意外にシビアに見ていると思います」。ここでは一部メディアの「安倍叩き」奔走の事実は承認しながら、それを「軽薄」だとは言っていない。むしろ、「安倍叩き」奔走は決して「軽薄」ではなかった、と擁護しているニュアンスの方が強いことは明らかだ。
 以上の言葉は、一般の人が書いているならば読み流す類のものかもしれないが、新聞記者、しかも産経の記者の言葉となると、驚かざるをえない。
 山本雄史氏は、自らが帰属する産経新聞の主張・判断よりも他マスコミのそれらをむしろ支持しているようだ。産経の記者が産経新聞の「公平さ」を疑問視した部分は、歴史的にも記録、記憶されてよいものになるだろう。
 さて、推測になるが、山本は産経以外の各紙を読み(例えば私と違って全紙に容易にアクセスでき容易に読めるに違いない)、諸テレビ局の報道ぶりを見て、数の上では多かったかもしれない<反安倍>ムードの方の影響を受けてしまったのではなかろうか。あるいは朝日等の他紙の記者と接して語り合ったりしているうちにその影響を受けて、自社(産経)よりも他紙の主張の方に魅力?を感じたのではあるまいか。稲垣のいう朝日新聞の「反安倍キャンペーン」の効果は、あるいは同氏のいうマスコミの「狂風」は、マスコミ内にいる産経・山本の心理・考え方にまですら及び、巻き込んだのではなかろうか。
 あらためて質問したい。朝日新聞に便宜的に又は代表させて限定しておくが、朝日新聞の今回の選挙報道ぶりに問題(批判されるべき点)はなかったのかどうか。かりにあったとすれば、それはどの程度のもので、貴氏はそれをどう批判するのか(「問題はなかった」と言うなら、その旨答えてほしい)。
 関連して言及するが、山本雄史ははたして、朝日新聞という新聞社がどういう主張をし又はどういう虚報(捏造報道)を発してきたか等についての十分な知識を持っているのだろうか。昨年末の若宮啓文論説主幹の(私には滑稽至極な)コラムを読んだことがあるのだろうか。読んだとして、どういう感想を持ったのだろうか。あるいは、朝日新聞のみを批判する単行本、朝日新聞批判を含む単行本は何冊も出版されているのだが、この人はいったい、どの程度読んでいるのだろうか。
 そこで端的に質問する。1.最近10年間についてでもよいが、朝日新聞の論説・主張の「傾向」をどのように評価しているか。2.上のような単行本のうち何冊、かついずれの本を読んだことがあるのか(全くないなら、その旨答えてほしい)。
 なお、質問ではないが、北朝鮮当局は安倍首相の辞任を要求した、という。
別の国家の人事に介入してくるとは噴飯ものだが、北朝鮮は朝日新聞と同じ主張をしたことになる。いや、朝日新聞が先立って北朝鮮と同じ主張をしていた、と見るべきものだろう。
 第三に、山本雄史は安倍首相よりも小沢一郎を積極的に評価しているようだ。例えば言う-「小沢一郎が地味に地方や事務所回りに精を出した。一部メディアは小沢の作戦を冷ややかに受けとめていたが、小沢のやっていることは選挙の王道で、何ら奇をてらったものではない。そもそも、遊説で票が取れると思ってはいけない」。
 上の「一部メディア」とはどのメディアを指すのかよく分からないが(産経新聞だとしたら、再び驚愕だ。ネット上で自社の報道ぶりを再び公然と批判していることになる)、上の記述内容自体を問題にしようとは思わない。適切な指摘だと思われる部分があるからだ。
 だが、山本のかなり固い<安倍嫌い>を読まされると、小沢一郎についての、この山本という人の知識・認識の程度・内容を知りたくなる。
 90年代の政界の中心にいて<掻き混ぜた>のは小沢一郎その人だった。細川連立政権を生んだのは実質的に小沢一郎だったと言ってよいが、日本社会党を政権内に入れさせ、官僚を<社会党(社会民主主義)>に慣れさせ(例えば、文部官僚と日教組の接近→「ゆとり教育」)、細川首相の先の戦争は<侵略戦争だった>との単純な歴史認識の表明も生んだ。その後の村山・自社さ連立政権も、小沢一郎(新生党)と社会党・さきがけの自衛隊国際貢献等に関する対立と細川政権下での小沢の露骨な社会党外しにそもそもの原因あったのだとすると、小沢こそが社会党を自民党の方に追いやり(社民主義に甘かった当時の)自民党が受け入れたことによって成立した、ということもできる。そして村山政権は戦後50年国会議決(当時の安倍晋三議員は退席したと記憶する)や同村山談話をも生んだ。とくに後者は「自虐的」と評しうるものだった。小沢一郎が生んだともいえる一連の細川・(羽田)・村山政権は、―呼称はむつかしいが―親中国(・北朝鮮)「自虐的」政権だった、と言えなくもない(そのように論評する人もいる)。
 一方、新進党瓦解後、小沢一郎は自由党を結成していて、一時期自民党と連立与党を構成した。過半数獲得のために自民党が自由党を必要とした事情があったが、小沢は政権与党内での自らの地位の向上を狙っていただろう。公明党の連立参加により自由党がいなくとも与党は過半数を取れるようになり、自由党は小沢自由党と保守党に分裂して前者は野党に転じた。その直前に小沢・小渕首相会談があり、会談後に小渕首相は脳梗塞で倒れたのだが、会談において小沢一郎は、小渕首相に対して、自己の政府内要職(首相を含む)の地位の保障を要求したのではないか、と私は想像している。
 前後するが、小沢一郎らが新生党を結成して自民党を離党したとき、立花隆は<何が改革派だ、ちゃんちゃらおかしい>旨述べて朝日新聞紙上で酷評した(とっくに朝日読者でなかったので当日は読んでいないが、のちに有名になって別の本で読んだ)。小沢一郎は田中角栄-金丸信の直系の「金権」政治家(新しそうでじつは古い政治家)だという少なくともイメージはあったのだ。
 余計なことを私の推測も交えて長々と書いたが、問題にしたいのは、山本雄史記者が上に一端を示したような90年以降の政界改編の状況・歴史、小沢一郎という政治家について、どの程度の知識・見識を持っているのか、ということだ。20年もまだ経っていない近年の日本の政治状況・歴史や重要な政治家の一人について、十分な知識と見識なくして、小沢氏等について十分に適確な記述・論評ができるのだろうか。政治(も)担当の新聞記者なら、書物を通じてであれ、基本的な概要は知り、理解して何らかの見識は持っておくべきだろう。
 はたして、山本雄史記者は、上のような十分な知識と見識を持っているのかどうか。
 そこで、質問したい。90年以降の政界(政党改編等)の状況・歴史、小沢一郎という政治家について、何という書物を読んで知識・見識を得たのか(小沢一郎の著書を含む)。これらに関する知識・見識が不十分のままでは政治(も)担当の新聞記者の資格はないと考えるので、あえて問う。
 なお、私がすでに書いた以下も参照。<リンク削除>
 もう一つ、第四点を予定していたが、長くなったので、「民主主義」・「民意」論とともに次回に回す。
 いくら何でも<完全沈黙>はないだろう。

0302/参院選投票2日前-産経・櫻井よしこ談を手がかりに。

 産経7/27一面の<何たる選挙戦4>は「首相の理念・継続が大事」との櫻井よしこ氏の「談」。3までは産経の記者執筆だったので、体裁・形式にはやや違和感もある(櫻井氏は産経の記者扱いか?というような…)。
 櫻井氏の談には、いつものとおり殆ど異論はない。安倍首相の欠点もこう率直に書かれるとそうだっただろうな、と思える所もある。
 しかし、「私は、安倍政権が続いてほしいと考えるが…」という氏の、次の最後の言葉は余計又は早すぎはしないか。
 「安倍首相の継続を好ましいと思いつつも、万一の場合、まだ52歳なのだから、一度、退陣し、強靱なる精神を身につけてから再チャレンジするというほどの余裕を持ってほしい」。
 まだ参院選の投票は行われず、開票も行われず、結果も明らかになっていない。種々のよく似た予測が報道されているが、20-40%がまだ最終決定していないということも附加されており、本当のところは当日29日の夜の開票を待たないと分からないのではないか。各選挙区で接戦が続いているようだが、一つの選挙区の予測が違えば他も揃って違ってくる可能性があることはまだ否定できない。そもそもいずれかの新聞の予測どおりの結果になったことはこれまでの選挙で一度としてあったのだろうか。予測の範囲すらはみ出たこともあったのではないだろうか。
 従って、万一の場合」を語るのはまだ早すぎる。焦らなくてよい。
 そもそも、今回の選挙で安倍首相率いる自民党以外の政党に投票してはいけないことは、100%明瞭なことだ。それは、4月の東京都知事選において石原慎太郎候補以外の者に投票してはいけなかったのと全く同じことだ。
 多少の後退はやむを得ないとしても大幅な議席減少は、安倍氏が企図している政策推進を大きく阻害してしまう。「万が一」の場合は後継者が誰かにもよるが、よりスムーズに政権運営・政策実現がなされる保障は全くない。
 安倍首相が続投の意思を明確化しているのは正しい。
 選挙後の内閣改造で、守旧派組又は年寄り組を排除し、人心を一新する清新な内閣を作って、再スタートしてほしい(麻生太郎は幹事長。尾身・伊吹・柳沢らの頭の切れが悪くなっている老人組は壮年・若手と交替していただく)。
 基本方針バラバラ、多様といいつつレズビアン公表者・元在日韓国人、労組・労連代表者等の寄せ集めの民主党が伸張して、なぜ日本が良くなるのか。
 <安倍政権にお灸を>なんて言って遊んでいる余裕は日本にはない。
 安倍晋三政権を継続させるべきなのは当然だ。「安倍政権は歴代政権で唯一、北朝鮮が恐れた政権だ」(上掲・櫻井談)。日本を弱体化させてはならない。北朝鮮や中国を喜ばせてはならない(憲法改正=自衛軍正規認知を最も懼れているのは中国だろう)。
 民主党投票者のほとんどは北朝鮮や中国の怖さ・脅威を深刻には受け取っていない「甘さ」があるのだろう。理念的・主義的に親中国・親北朝鮮の者はやむをえないが、そうでない者はこぞって安倍・自民党にこそ投票すべきだ。

0268/朝日新聞の情報操作・世論誘導に騙されてはいけない。

 松岡前農水相自殺の翌朝の朝日新聞には、<安倍政権に打撃>という文字が一面中央下あたりにしっかりと刻まれていた。それも含めて、この事件が、<安倍政権に打撃になってほしい>という気持ちがありありと感じられる紙面の作り方だった。読売・産経を読んだあとだったので、新聞によってこうも違うのかと、改めて感じ入った記憶がある。
 久間防衛相辞任後の朝日新聞7/04朝刊の一面右上見出しは「参院選 首相に打撃」で前農水相自殺の際の<安倍政権に打撃>よりも大きいフォントだ。かつ今度は<安倍政権>ではなく、ずばり「首相」になっている。安倍首相にとっての打撃になれ、なってほしいとの気分が溢れ出ている。二面も同じで、大きく「身内かばい政権危機」とある他、「甘い認識対応後手」「「反転攻勢」狙った矢先」とタタミかけている(いささか品が悪いほどだ)。
 批判的な指摘もあった産経・読売と比べても、明らかに紙面作り、その結果としての紙面から生じる印象・雰囲気が異なる。
 朝日新聞は自民党の大幅減は必至と予想し、何とか安倍首相の退陣にもっていきたい、と考えている、と容易に想像がつく。そうなるまでの自民党の大敗北を期待し、かつ世論を誘導しようとしているのだ。
 安倍首相と朝日新聞はふつうの政治家・マスコミの関係とは異なる。安倍首相に関係すると、報道機関性など忘れた露骨な政治団体と化すのが朝日新聞だ。
 定期購読していないのでただちには気づかないだろうが、朝日新聞は、今後ますます、安倍首相率いる自民党大敗北に寄与する記事を書き、紙面を作るだろう。明瞭な捏造・虚報記事は発しないかもしれないが、これまでのいきさつ・事件も含めて、安倍首相攻撃は止むことがないだろう。
 <地球貢献国家へ>などと寝ぼけたことを言い、7/04の社説では1945年9月の同紙上の鳩山一郎の原爆投下批判により「占領軍により発行停止になった」と自慢げに書きつつ、その後は占領軍にべったりの迎合記事しか書けなかったことには一言も触れていない。さらに、主権回復後に<米国は原爆投下を謝罪せよ>との旨の社説を掲載したことは一度もない筈であるにもかかわらず、「原爆投下が誤りであり、原爆の被害が悲惨なことを、日本から粘り強く発信し、米国に伝えていく」などと、「粘り強く発信」という独特の朝日用語も用いつつ、<偽善者>的に主張している。
 政界の、そして参院選の最も大きな対立・争点は、やはり、あくまでも親共産主義か親自由主義かにある。朝日新聞は親共産主義陣営に入る代表的なマスコミだ。
 この対立点さえ忘れられていなければ、選挙結果が日本を悪い方向には向かわせないだろう、と信じる。
 左翼又は<進歩的・良心的>リベラル対安倍首相が代表だとする<強権的><国家主義的>右翼の対立では、ない。
 前者を支持して投票行動をとろうと思っている人々は、無意識に、意図せずにであれ、共産主義者(中国・北朝鮮を含む)に手を貸すことになることを知るべきだ。
 むろん、日本国憲法が有効かどうかなどいう<法学上の神学的議論>は些細な争点ですらない。

0256/日本評論社の本(2001)の中の浦部法穂・常岡せつ子「平和主義」対談。

 いま、憲法学を問う(2001)という本は日本評論社出版なので原則的には入手したいと思う本ではないが(資料としてのみ教条的な論文、文章を読むのは辛い)、三人の編者の一人に棟居快行の名があるので、面白いかもしれないと思い、古書で入手した(あとの編者は浦部法穂、市川正人)。
 三人のいずれかが対談者の一人となり、テーマによって異なる三人以外の憲法学者一人と対談する、というものだが、予想したよりも面白い。憲法学に全く素人の本や対談書もあるが、基本的なところで誤解があったりすると興醒めがする。その点、この本はそのような心配はしなくてよさそうだ。
 「平和主義」とのテーマはあの浦部法穂(私の6/01、6/14参照)とあの常岡せつ子(私の5/24、5/27、5/30など参照)が対談している。九条と憲法改正の限界というテーマまで含めていないようなので、改正限界論で常岡氏はボロを出してはいない。
 ここに記しておきたいのは次の四点だ。
 第一に、常岡せつ子の現憲法九条の解釈だ。この人によると、現憲法は「日本が攻められる可能性があることも想定しつつ、たとえ攻められても、あえて戦争という手段には出ないと言っている」と解釈している(p.78)。その際、九条の二項があるからではなく、一項からその旨を読み込んでいるようだ。
 さらにこの人は言う、日本の一部にミサイルが落ちて何十万人が死ぬという場合に迎撃ミサイルくらいは持っていないとという議論があるかもしれないが、「第一発目に関しては、その限りであるである程度は国民の被害を少なくするかもしれませんが」、迎撃ミサイル発射によって「さらなる軍事力のエスカレートを招いていまいます」、「反撃をすれば、もっと大きな攻撃が返ってくる」、と。つまりは迎撃ミサイルを発射するな従って迎撃ミサイルを保有するな、というのがこの常岡先生の主張となる。
 その能力の詳細は知らないが、現実には迎撃ミサイルをわが自衛隊も保有している、とだけ記して、私とは意見の異なる、上の常岡の主張・議論(非武装・無抵抗主義型の平和主義)には立ち入らない。
 第二に、常岡せつ子によると、他の国からミサイル攻撃されるという事態に至るには何らかの理由がある筈だ。そのとおりだと思うが、その際、この人が述べるのは次のことだけだ。関係する所を全部引用する。
 「ある日突然に攻めてくるということはありえないということです。そこに至る前段階に、外交政策にまずい点があったり、日本の平和構築の努力が足りないということがあるはずです。攻められるという状況に至るまで、何もしないでただ黙って見ているだけなのかと逆に問う必要があります」。
 この部分には、かなり唖然とする。これではまるで、ミサイルで攻められるのは日本の平和構築の努力が足りない」等、日本の側に全面的な原因、責任があるかの如くだ
 外交政策にまずい点」はなく、「平和構築の努力」を十分にしても、なおも日本をミサイル攻撃(この本は2001年刊だが、その後も視野に入れると、一般論としては核攻撃もありうる)してくるような外国は存在しない、とこの常岡先生は判断している、と理解して、まず間違いなさそうだ。そこまで、現実の東アジアで、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」(現憲法前文)できるのかどうか。
 第三に、浦部法穂常岡せつ子ともに「正しい戦争」はありえない、という点では一致している。さすがに日本評論社の本だとも言える。浦部が「私も…同じ考え方なので論争しにくいですね(笑)」と発言するくらいだ(p.87)。
 憲法学者の多くが明確にかかる考え方から九条護持論に立っているかどうかは不明だが、二人のこの前提が、政治家を含む一般国民に容易に受け容れられているとは思えない。
 第四に、上のことに関連して、浦部法穂がこう発言しているのが目を惹いた。
 「私自身も、昔は漠然とですが、理論上は人民解放のための戦争は正しい戦争としてありうるという前提で議論してきた…。しかし、それでは通用しないと、数年前に転向しました(笑)」。
 ここでの(かつては「正しい」と考えていたという)「人民解放のための戦争」とはいったい何だろうか。北ベトナムが南ベトナムにいる同じ民族の「人民」を「解放」するためであるとしていた対米ベトナム戦争のような戦争だろうか。それに限らず、日本「人民」を解放するために社会主義国(のすべて又は一部)の軍隊が例えば米軍と日本の(「人民」の一部ではない)自衛隊を相手に起こすような戦争も想定していたのではなかろうか。
 そうだとすると、同じ核兵器保有や核実験でも社会主義国=進歩勢力のそれらは「正しく」、米国等の資本主義国=反動勢力のそれらは「非難されるべき」というのと同じ単純な、(マルクス主義の)公式的教条主義に陥っていたことがあることを、浦部法穂は<告白>していることになる。
 これまで一部であれ読んだことのある浦部法穂の文の内容からすると、この人がかつて(勝手に推測すればおそらくソ連崩壊前後まで)上のように考えていたとしても驚きではない。十分にありうることだ、と思える。そして、そのような人物が、今の日本の憲法学界の中である程度は重要な位置を占めているようであることを、怖ろしい、と私は感じる。

0222/安倍首相、朝鮮総連構成員は犯罪関与、中国のサミット参加認めず、と明言。

 安倍晋三首相は6/12に、朝鮮総連中央本部の土地・建物元公安調査庁長官が社長を務める投資顧問会社に売却されていたこと関連して、「朝鮮総連はその構成員が拉致をはじめ犯罪に関与してきたことが明らかになっている」と記者団の前で明言した(イザ!6/12、21:06)。
 また、安倍晋三首相は、産経6/14によると、独・ハイリゲンダムでの独メルケル首相との会談の際に、サミットへの中国の参加につき、「日本は認めない」と明言し、1.軍事費不透明で19年間2桁の伸び率、2.スーダン・ダルフールでの大量虐殺を黙認し、スーダン政府を支援、3.国際的ルール不遵守、の三点を挙げた(メルケル首相も「よく理解する」と同調した)、という。
 朝鮮総連(=北朝鮮)や中国について、これだけきちんと明確に、堂々と公言できる内閣総理大臣はこれまでの中でも珍しいのではないか
 朝日新聞等の論調の影響を受けた、又は受けそうな首相又は自民党議員はたくさんいたし、いる。
 現在、安倍氏が首相であることによる国家的、国民的利益の大きさを、国民はもっと感じてよい、と思う。
 それにしても、緒方重威という元公安調査庁長官が<朝鮮総連の本部の建物は在日朝鮮人の権利擁護のための大使館のようなもの>と発言していたのには驚いた。日本国内での諸工作の出発点、謀議の場所でもあったのでないか。
 さらには、元日弁連会長土屋公献氏が朝鮮総連側代理人になっていて、彼が「北朝鮮との国交を回復するため、私自身の信念に基づいて行動している。中央本部は在日朝鮮人にとって大使館のようなもの。なくなると、在日の人たちはよりどころをなくしてしまう」と述べたらしいことにも驚いた。
 北朝鮮の工作は公安調査庁の幹部にまで、さらには日弁連の幹部にまで及んでいたことを容易に想像させるものだ。改めて活発な<情報工作>がなされていたことを感じる。容易ならざる状況だ、と考えておく必要があろう。

0188/安倍晋三現首相は朝日新聞と何度も闘ってきた。

 安倍晋三首相と朝日新聞社の闘いは今後も続くだろうが、北朝鮮の拉致被害者問題に関して、安倍首相による朝日新聞批判が活字になっているのを二つ見つけた。古書で入手した諸君!2003年02月号(文藝春秋)と山際澄夫・安倍晋三と「宰相の資格」(小学館文庫、2006)の中でだ。
 記憶をたどれば、2002.09.17の首脳会談で金正日が拉致を認め生存者5名・死亡者8名(・あとは不知)と伝え、同年10.15に5人が羽田空港に帰国した。10.24に政府は5人を日本に永住させる(北朝鮮に戻さない)、家族の早期帰国を求める等を決定した。
 もともと朝日新聞は親北朝鮮の姿勢で拉致問題解決よりも国交回復を急げとの主張が基本だったが(今回はその詳細は省略)、朝日は政府決定のあと「5人の言動からはいったん北朝鮮に戻るという気持ちがうかがえた。…北朝鮮にやはり戻りたいということもあるかもしれない」との部分を含む10/26社説で混ぜ返した(5人はそんな気持ちでなかったとの証言がのちにあるが省略)。
 家族が離れた状態になったのだが(4人=2夫妻の子供たちの帰国は04.05.22、1人の夫・子供たちの帰国は同07.18)、北朝鮮は5人を戻さなければ交渉しないと(約束違反だとか言って)態度を「硬化」させたのだった。
 そんな北朝鮮の態度を知って(それを配慮したのか?)、朝日新聞は、拉致被害者の「居住の自由は?」、「家族離散の強制では」等の投書を多数載せつつ12/26社説体制変換望めばこそ/北朝鮮との国交交渉」で、5人の家族の帰国問題につき「大事なのは、打開に向け、日本側も一切の妥協を排すという態度をとるべきではない。感情論に乗るだけでは真の国益を踏まえた外交にはならない」と述べた。
 この朝日新聞社説を厳しく批判したのは、当時官房副長官で政府内で重要な役割を果たしていた安倍現首相だった。次のように述べた。
 「これを読んで、私は非常に落胆しました。記事は…暴発の可能性を示唆しつつ、拉致問題については、双方の原則やメンツにこだわるのはよくない、「大事なのは、打開に向け、日本側も一切の妥協を排すという態度をとるべきではないということだ」と、主張しています。国家的犯罪を犯した立場の国と、被害者のわが国を同列におくという、論理の基本がそもそも間違っているのです。/いったい、「朝日」は、どういう妥協をしろといっているのでしょうか」。
 「…「死亡」とされた8人の方々の安否について、あれは北朝鮮側の通りでした、といって納得すればいいのでしょうか。5人の帰国者たちの家族についてはもう諦めました、とでもいえばいいのか。あるいはもう戻りたくないといっている5人を、無理やり平壌へ送還すればいいのか」。
 「はこれほど無責任な提言は見たことがありません。「真の国益を踏まえた外交」を展開せよ、と記事はいうが、9月の台風のさなかに海水浴をしていて溺死しました、というような報告を鵜呑みにしたうえで実現しなければならない「国益」とは一体、何なのでしょうか」。(諸君!2003年02月号p.68-9)
 朝日新聞はその後2003年元旦の社説でも基本的態度を変えなかったようだ。安倍は2003年1月下旬の某講演会で次のように述べて朝日を「敢然と批判した」(山際澄夫・安倍晋三と「宰相の資格」(小学館文庫、2006)p.169-170による)。
 「いま大切なことは国民の声をひとつにしていくことです。…今年の元旦の(朝日新聞の)社説の場合、拉致問題では「強硬論を言うだけでなく、落としどころを考えろ」という趣旨の論調があったわけです。拉致問題そのものに妥協なんてありません。「5人の子供たちは帰ってこなくていい」「5人を向こうに戻す」なんてしません。また、5人の子供たちが帰ってきたら後の人たちは忘れてもいいのでしょうか。…そういうわけにはいかない。私たちは私たちの手で安否を確認しなければならない。…朝日新聞は「8人を忘れてしまえ」というのと同じことをいっているといっても差し支えないでしょう。こういう論調が交渉をうまく進めさせない、われわれの主張を通すことができない障害になっていると強く懸念しています」。
 山崎行太郎という無名と思われる文芸評論家によると、こうした安倍氏の発言は全て朝日への<言論弾圧>であり<恫喝と恐喝>ということになるのだろう。文芸評論家と名乗るからには、言葉は正確に使って欲しいものだ。
 政治家にも言論の自由があり、それを行使し、広義には「権力」団体に他ならない朝日の謬見を正当に指摘し、批判しているにすぎない。
 なお、読売論説委編・読売VS朝日-北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002.12)の最後には、「同時に大局を失ってもならない。ためらわず、正常化交渉を再開させることである」との朝日02.09.22社説と「国交正常化を急ぐことはない」と題する読売02.10.10社説が対比して掲載されている(p.198-)。

0187/立花隆は社会主義中国・北京大学で特別講義ができる。

 やや古いが、立花隆イラク戦争・日本の運命・小泉の運命(講談社、2004.06)という長い題名の本の目次を見て、中身を概観すると、奇妙な気分になる。この本は当時から約1年間前までに月刊現代(講談社)に彼が書いたものを中心にまとめたものだが、「日本の運命・小泉の運命」と題するにもかかわらず、北朝鮮問題には一切の言及がない。また、中国の脅威・危険性への言及もない
 中国については「躍動する中国経済」との見出しで、むしろこの国の経済成長を肯定的に語っている。かつ、その部分を含む論稿は北京大学での特別講義を元にしているようだ。中国の北京大学で講義ができるということは、立花隆は中国当局=中国共産党に信頼されている人物であることを明瞭に示している。
 この人には中国の現状を客観的に直視する資格・能力はないのでないか。従ってまた、中国問題でもある北朝鮮問題への関心を彼は全く示さないのだろう。講談社や月刊現代編集者は立花に日本を軸とした社会時評を期待しているとすれば、再検討した方がよいだろう。
 殆ど同じ頃に出た櫻井よしこ・このまま滅ぶな、日本-論戦2004(ダイヤモンド社、2004.07)は当時から約1年半前までに週刊ダイヤモンド・週刊新潮に彼女が書いたものをまとめたものだが、北朝鮮問題は勿論、中国に関係するSARS問題や台湾問題に言及があり、教育・国立大学法人化・道路公団問題等々も広く扱っている。立花の本とどちらが優れているかは、歴然としている。

0143/日本に「軍隊」があれば、北朝鮮の日本人「拉致」はどうなっていたか。

 月刊雑誌・正論6月号(産経)の荒木和博「なぜ拉致被害者救出に自衛隊を投入しない!」(p.144-)を読んで、この中には書かれていないが、こんなことをふと考えた。
 憲法九条の存在によって日本の平和は守られたなどとの愚劣な言を吐く人がいる。しかし、真の事態は逆であり、憲法九条二項によって、日本が正規の「軍隊」をもちえなかったからこそ、北朝鮮当局による日本人拉致という<侵略>を許してしまったのではないか
 荒木は上の一文の中で「北朝鮮による拉致は戦争である」を見出しの一つにしている。そのとおり、北朝鮮にとっては日本人の拉致はかりに散発的であっても軍事行動の一つであり、<侵略>であり、対日<戦争>そのものの一部なのではなかろうか。
 しかるに、政府も拉致をテロとか主権侵害とか言っているが、日本国内から容易に日本国民が実力行使によって<さらわれる>という事態を、日本の防衛問題、安全保障問題の一つと考える思考が些か弱いのではなかろうか。
 北朝鮮の工作員たちが一様に言うのは、日本ほど<侵入>しやすい国はない、ということらしい(むろん不法入国である)。
 荒木は、日本の海岸に突如外国の軍隊が上陸してその地域一を占領し、住民を殺傷し又は拘束して人質にした仮定した場合、「まず敵を制圧して、国民の生命財産と領土を保全」しなければならないが、「警察には許されない」、「軍隊であればこそ許される」と書いている(このあたりは「日本国憲法2.0開発部」とやらの人々に読んでほしいものだ)。
 実際の北朝鮮による日本人拉致は上のような軍事行動よりは小規模だが、不法上陸・日本国民の人身略奪であることに変わりはない。いつぞや北朝鮮の「不審船」が日本の領海内で逃走しつつ自爆して沈下したのち引き揚げたら、相当の重装備の船だった筈だ。拉致被害者を運んだ船も当然に何らかの「武器」で装備されていただろう。
 日本人の拉致に対して、自衛隊が何をしてきたのか、何をできるのか、に関する詳細な知識はない。自衛隊ではなく正式に憲法上も認知された<海軍>・<陸軍>・<空軍>があれば何ができたのかを詳細・正確に述べる能力もない。
 しかし、正規に「軍隊」を持っていれば、あれほど簡単に侵入を許し、女子中学生を含む日本国民が<略奪>されることはなかったのでないか。
 むろん、「軍隊」の行動規範は基本的には法律によって定められるだろうから、「軍隊」という呼称のみから具体的な結論を導くことはできない。
 上のことは承知で再び言うのだが、九条二項によって正規の「軍隊」扱いされない自衛隊があり、<専守防衛>という(相手が明確に攻撃するまで何もするなという)安保政策をとっていたからこそ、北朝鮮の日本人拉致が生じ、少なくとも、被害者の数は増えたのではなかろうか。
 継続的に「軍隊」が領海上を監視し、場合によっては領海内の「不審船」を堂々と攻撃できるような法制であれば、北朝鮮当局も日本人拉致にはより警戒的、より消極的になったのではなかろうか。
 憲法九条二項があるがゆえに、つまりは50年代又は60年代に憲法が改正されて「国軍」・「防衛軍」が正規に誕生するということが無かったがゆえに、北朝鮮による日本人拉致が起きた、と単純化するつもりはない。
 だが、とっくに日本が正規の「軍隊」を持ち、安全保障(「拉致」阻止を当然に含む)に関する政治家や国民の意識が実際とは異なっていれば、70年代以降の日本人「拉致」もまた、その様相は実際に起きたのとは異なっていた、と間違いなく言えるのではないか、と思う。

0112/日本統治協力者の子孫の財産没収をする韓国、協定無視の北朝鮮。

 読売5/02夕刊によると、韓国の大統領直属の某機関は李完用等の日本統治協力者「親日派」9人の子孫から計(日本円で)4億8000万円の財産を没収することを決定した、という。
 民族・国家にとっての歴史的「悪玉」をのちの国家・政府が「公定」してしまうというのも異常だが、その「悪玉」たちの子孫から財産を没収するというのもきわめて異常だ。
 祖先に「犯罪者」がいたとして、その罪が子孫に及ばないのは近代又は「個人主義」の時代では当然のことだろう。ましてや、1910年の日韓併合条約の署名者等は「犯罪者」なのか。
 韓国には憲法裁判所があるが、すでに根拠法律について合憲判断をしているのだろうか。日本であれば、このようなことを認める法律は、平等原則違反、合理的理由のない財産権の侵害として、簡単に違憲と判断されるだろう。
 上に関する記事の隣に、米国ライス国務長官の、北朝鮮に対する「忍耐力は無限ではない」等の、麻生外相・久間防衛相との会談後の記者会見要旨が載っている。
 産経の同日夕刊によれば、北朝鮮は2月の六カ国協議での二ヶ月以内にとの「約束」を履行せず、履行期限の4/14をもう二週間過ぎたらしい。
 そもそも北朝鮮という国家の指導部に「約束(協定)を守る」という観念など全くないのではなかろうか。これまた異常だ。
 何やらいつも怒っているようなブログタイトルのizanamiはきっと、上の二つの国の「異常さ」を「異常」とは感じないのだろう。
 izanami氏に対してizanamin氏が反論ブログを開始された。izanamiの方は読む気はしないが、izanamin氏の方はときには訪れるので、頑張ってほしい。
 私もizanami大批判を専用ブログで毎日繰り広げたいところだが(関係文献も沢山所持しているので資料には困らないだろう。ハンドルネームは「izanamia」でどうか?)、時間的余裕がないし、もう一つブログページをこのイザ!に持てるのかどうか分からない。

0106/高山正之・日本人が勇気と自信を持つ本-朝日新聞の報道を正せば明るくなる(2007)を少し読む。

 朝日新聞を批判する書物はすでに多いが、高山正之・日本人が勇気と自信を持つ本―朝日新聞の報道を正せば明るくなる(テーミス、2007.04)がさらに加わった。高山が月刊テーミスとの雑誌に連載したものを加筆・再編集したものらしい。
 33項目あるので、少なくとも33の朝日新聞の記事(社説を含む)を取り上げている。竹島、韓国、北朝鮮、文革、南京事件、現代中国、土井たか子等々と幅は広いが、過日、日露戦争等に関する原田敬一の岩波新書に言及したこともあり、日露戦争に触れた朝日の社説に関する部分をまず読んでみた。
 読んだ記憶はないし、Web上にも(たぶん)ないが、2003年1/17の朝日社説のタイトルは「日露戦争って何だった」らしい。そして、朝日の日露戦争のとらえ方は次だという。すなわち、「近代日本を朝鮮の植民地支配、さらに中国省略に向かわせた転換点」(「」内は朝日社説の一部の直接引用と考えられる)。
 また、日本は侵略国家だとしたうえで北朝鮮の核問題に話題を飛躍させ、北朝鮮を非難することなく、「その歴史をたどれば南北分断と朝鮮戦争に、さらに日本人による植民地支配、そして日露戦争へ行き着く」と書いたらしい。
 朝日新聞のかかる「歴史認識」を近年は読んだことがなく、推測していただけだったが、こうまで明確に「社説」で書いていたとは知らなかった。
 朝日によれば、日露戦争(の勝利)は朝鮮「植民地支配」・中国「侵略」への「転換点」で、それは、朝鮮半島の「南北分断と朝鮮戦争」、北朝鮮の核保有へとつながる、のだ。
 原田敬一の岩波新書(2007)は日露戦争から1945年の敗戦までを不可避的な一直線の歴史として捉えていたようだが、朝日によると、「南北分断と朝鮮戦争」や北朝鮮の核保有もまた日露戦争から「たどり」着いたものなのだ。
 呆れて、莫迦らしくて、開いた口が塞がらない。
 「日露戦争へ行き着く」で終わらせずに、日露戦争(の勝利)へと至るまでの、明治政府の「富国強兵」政策、さらに少なくとも明治維新自体まで一直線に遡らせたらどうか。
 1905年日露戦争勝利が1945年敗戦につながるという見方自体がすでに単純すぎて誤っている。朝鮮半島の「南北分断」と朝鮮戦争や北朝鮮の核保有までも日本に「原因」があるとは、一体どこから出てくる見解で、他にいったい誰が主張しているのか。とにかく日本の過去を「悪く」理解したいという歴史観(「自虐」史観)もここに極まれり、という感じだ。
 昨28日に四国・松山市に「坂の上の雲ミュージアム」とやらが開館したらしいのだが、司馬遼太郎が「坂の上の雲」で描いた日露戦争は、上のような朝日新聞の捉え方とは全く異なっている。
 そのような司馬遼太郎氏を「商売」=金稼ぎのために利用して、週刊・司馬遼太郎なる雑誌その他の司馬遼太郎氏関係出版物を発行することを、朝日新聞社は即刻止めるべきだ。

0053/憲法再生フォーラムの岩波新書2冊での憲法学者・水島朝穂の「妄想」。

 憲法再生フォーラムというのは2001.09に発足した団体で2003.01に会員35名、代表は小林直樹・高橋哲哉(以上2名、東京大法)・暉峻淑子事務局長・小森陽一(東京大文)だったようだが、同編・有事法制批判を岩波新書として出したものの(2003.02)、力及ばず?、いわゆる有事法制(「武力事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」等々)は2003~04年に成立・施行された。次は憲法改正を阻止しようということらしく、やはり岩波新書で同編・改憲は必要か(2004.10)を刊行している。この後者の本によると、05.06現在会員39名、代表は辻井喬・桂敬一・水島朝穂(早稲田大法)、事務局長・水島朝穂(兼務)、のようだ。
 さて、いわゆる有事法制成立前の憲法再生フォーラム編・有事法制批判(岩波新書、2003.02)の、上にも名が出ている水島朝穂という憲法学者の執筆部分を読んでみた。結論的に言って、違和感を覚える所が頗る多い。
 1.憲法は「民主主義や人権を圧殺するものに対する断固たる姿勢をとっている」(p.190)と言うが、アメリカの「悪の枢軸」論とは「断固一線を画して」いるとのみされ、北朝鮮・中国の「民主主義や人権」状況への言及は欠落している。むしろ北朝鮮については宥和的で、太陽政策を継承する盧武鉉の当選は「平和的方向への追い風」と明言する(p.203-4)。「断固たる姿勢」はアメリカに対してのみ見られ、北朝鮮には大甘だ。
 2.軍備を強化すると「それを使ってみたくなるのが人間」と言うが、そのあと懸念の対象として語られるのはブッシュ政権で、「軍備」をもつ北朝鮮でも中国でもない(p.194)。
 3.市民が国家によって守ってもらうのではなく、「市民が国境を超えた連隊によって、お互いの安全を守っていく」べきと言うが、日本の「市民」がどのようにして他国「市民」と連帯しどのように「お互いの安全」を守るかの説明はない(p.200)。北朝鮮・中国からの攻撃に対してこれら両国の「市民」と連帯するのか(そういう事態の際に連帯可能な「市民」はいるのか)、それとも米軍の「暴発」の際に北朝鮮・中国等の「市民」との連帯を<夢想>しているのか、よくわからない。
 4.「北朝鮮の脅威や中国海軍の脅威」はかつての「ソ連脅威論」と同じで、むしろ日本が「後方支援」をして米軍が「他国を攻めてしまったらという蓋然性の方がリアリティを増している」(p.192-3)と十分な根拠もなく述べる。
 これらに見られるのは異常と思えるほどのかつ執拗な、アメリカ(とそれに追随する日本政府?)に対する不信だ。
 一方で、北朝鮮・中国の危険性をできるだけ無視しようとする、これまた私には不可解な心性だ。これらがなぜ生じているのかは興味ある問題だが、戦後教育の影響、社会主義幻想の残存、米・日を二つの「敵」とする日本共産党理論の影響、等が考えられる。
 といったことを感じたあとで、憲法再生フォーラム編・改憲は必要か(2004.10)の中の、やはり水島朝穂氏執筆部分を読んでみた。
 同氏は、「現実に合わせて規範を変更する」のでなく「違憲の現実を規範の方向に…近づけていく」努力が必要と明言するが(p.151)、違憲と判断しているはずの「現実」の自衛隊をどのように改編・縮小すれば合憲となるかの具体的方策・基準を語ることは諦めているようである(p.160参照)。そしてたんに、「自衛隊を違憲でない方向に「漸進的」に転換していくことは、長期にわたるプロセスになります」と抽象的に述べるにとどまる(p.176)。かりに改憲反対論=自衛隊違憲論と理解するとすれば、呆気ないほど、「現実」の「違憲」の自衛隊に対して<優しい>論述だ。
 その代わりにこの人が強調するのは、集団的自衛権行使を伴う可能性を残した日米軍事同盟の強化(そのための改憲)ではなく、国連中心主義、「国際協調主義」の方向に向かうべきということだ。
 しかし、常任安保理に中・露が含まれていて決議すら容易ではない(昨年10月に見られたように5国一致の制裁決議があれば大きなニュースとなるほどの)国連の「集団安全保障体制」はどの程度、日本の安全に「現実的」に役立ってくれるのだろうかという疑問があるし、「日米同盟一辺倒」の外交から、全欧安保協力機構(OSCE)のような地域的安全保障機構をアジア地域でも立ち上げる方向に「軸足を移すべき」と主張するに至っては(p.171)<空想的>と断じざるを得ない。中国・北朝鮮という基本的価値観を共有しない国々を含めてどうやって「アジア」の「地域的安全保障機構」を作るのか。
 また、上に書いたように、水島氏には「異常と思えるほどのかつ執拗な、アメリカに対する不信」があると思われるのだが、この本でも、「いま、世界の平和や安全保障にとって「いま、そこにある危機」は…でも「ならず者国家」でもなく、じつは「対テロ戦争」以降の米国の先制攻撃戦略とそれが世界にもたらす影響」だ(p.169)、と迷うことなく?書いている。
 米国全面賛美のつもりは私にも全くないが、この人は北朝鮮や中国の軍事的危険性については一片も言及していない。北朝鮮や中国の兵士たちは「平和を愛する諸国民」(憲法前文)と考えているのか(信じ難いが)。日本にとって「いま、そこにある危機」は北朝鮮という「ならず者国家」のミサイル・核の実験・開発、および中国共産党支配の中国の軍備増強ではないのか。この本は2004.10の出版だが、その時点ですでに北朝鮮の「異常さ」・危険性は分かっていたはずなのだ。北朝鮮(・中国)に警戒と批判の目を向けず、批判の矛先をもっぱら米国(と追随する?日本政府)に向けるこの憲法学者が、まさか日本の憲法学界を代表しているとは思いたくない。
 この水島朝穂氏と議論してもおそらく噛み合わないだろう。だが、大多数の日本国民は「九条の会」の理論的中核かもしれぬ「憲法再生フォーラム」の(紹介したのは今のところ水島朝穂氏のみだが)「妄言」ぶりを知っておいてよいと思われる。

0014/一面で大きく-PAC3の配備。

 この記事は、産経新聞では朝刊11面の右上に出ている。埼玉県の入間基地に3/29にPAC3が配備されること、SM3(海上配備型迎撃ミサイル)なるものの配備も進めて2010年までに(北朝鮮等からのミサイル攻撃への)迎撃態勢を整える予定であること、といったことも含めて、国防の基本にかかわることで、第一面に配置してもいいのではないか。軍事に関する知識について威張れる私ではないが、軍事技術の詳細はともかく、「自衛隊」や米軍の基本的な動きくらいは、多くの国民が一般的知識として共有すべきものと思う。

0009/日本共産党2004年綱領と不破哲三の本を瞥見する。

 1991年のソ連解体と東欧諸国の「自由」化によって<冷戦>は終わったとも感じたが、またそのように理解している人が多いかもしれないが、東・東南アジアには中国・北朝鮮・ベトナム・ラオスがあり前二者は日本への現実的脅威なのだから、少なくとも東アジアでは<冷戦>は継続していると見るのが正しい。<冷戦>とは、戦争に至らない、社会主義経済・・共産党独裁政治と資本主義経済・自由主義政治の戦いであり、日本国内でも前者を目指す又は前者に甘い勢力は残存しているので(日本共産党・社会民主党・これら周辺の団体等)、国内での戦いも継続している。
 
日本共産党もHPをもつことを昨年になって知ったが、そこに出ている2004年改正の同党綱領に「日本共産党は、わが国の進歩と変革の伝統を受けつぎ、日本と世界の人民の解放闘争の高まりのなかで、1922年7月15日、科学的社会主義を理論的な基礎とする政党として、創立された。」とある。ここにすでに虚偽がある。戦後もかなり後からの造語「科学的社会主義」をさも当時の概念かのごとく使っているのは別としても、<共産主義インターナショナルの日本支部として、天皇制と日本帝国主義の打倒をめざして(=大日本帝国の敗戦・崩壊をめざして)、ソ連共産党の理論的・財政的援助を受けて設立されました。>と正確に記述すべきだ。そのあとで「たたかった」を6つ並べていて戦前に一貫して継続的に「たたかった」かのごとく書くが、これも虚偽=ウソだ。長く見たとしても党としての活動は1934年くらいまでで、10年間以上は見るべきものはない。獄中で「帝国主義戦争反対」と念仏の如く呟くことも「闘い」だったというなら話は別だが。それに、1934年頃の中央委は半分以上がスパイで実質は特高にコントロールされていたのだ(笑っちゃうね)。22年以降一貫してでなく、1961年の新綱領制定・宮本体制の確立が実質的には現在の党の開始で、これは自民党、日本社会党よりも遅い。そのあと、「平和と民主主義の旗を掲げて不屈にたたかい続けた」、ポツダム宣言受諾は「日本の国民が進むべき道は、平和で民主的な日本の実現にこそあることを示し」、「党が不屈に掲げてきた方針が基本的に正しかったことを、証明した」と書く。よくもまぁヌケヌケととは、こういう文章にこそあてはまる。まずは自党の党員を騙す=洗脳しておく必要があるのはわかるが。
 同綱領は1989-91年のソ連・東欧の共産党支配の崩壊は「社会主義の失敗」ではなく、これらは「社会主義とは無縁な人間抑圧型の社会」だったので「資本主義の優位性を示すものとはならな」い、と明記する。だが、これはどう見ても<後出しジャンケン>だ。つまり、ソ連等の崩壊のあとでソ連は「覇権主義」の「歴史的巨悪」で「社会主義国」でなかった、と言い立てる。では、日本共産党は、ソ連は「社会主義国」でないといつから言い始めたのか。ソ連の崩壊以降ではないか。不破氏も、例えば1977年日本共産党党大会でソ連は「社会主義の生成期」と見ていて社会主義をめざす国であることを否定していなかったと明記している。不破・新日本共産党綱領を読むp.184(新日本出版社、2004)参照。ソ連共産党に対する自主性があるかに見えたルーマニアを社会主義志向国と見つつ同共産党の大会に出席したのはチャウシェスクが殺された2年半前ほどではなかったのか。1950年代からスターリンのソ連は社会主義とは異質な国と主張していたならともかく、1992年以降になってよくもヌケヌケと自分たちを合理化する言辞を考え出せるものだ。恥ずかしいとは思わないのか。党の言うことを信頼していた党員・シンパに謝罪するつもりはないのか。
 日本共産党にとって今の希望の星は中国、ベトナム、キューバのようだ(北朝鮮は挙げていない)。不破・党綱領の理論上の突破点について(日本共産党、2005.03)p.77以下は、中国の「社会主義的市場経済」を「理論」的に?擁護している。すなわち、レーニンはロシアでは実践しなかったが「市場経済を通じて社会主義」へという路線の可能性を肯定しており、「中国やベトナム」はレーニンが構想した「道」に新たに挑戦している、のだとさ。
 不破氏が2005年に中国、ベトナム、キューバは「社会主義」に向かっている国である旨明記していることを我々はきちんと記憶しておこう。中国共産党の支配が崩壊したあとで、中国は「真の社会主義国」でなかった、となど言われるとシラケルからね(もういい加減白けているけど)。上の本では「専門家筋の観測では、中国の経済規模がやがて日本を抜き、ついでアメリカに追いつき、さらに上回ってゆくことも時間の問題だという見通し論が、いよいよ強くなっているようです」(p.71)とも書いている。このハシャギようは、予測が外れるとどうなるのだろう。楽しみでもあり、空怖ろしくもある。

-0070/山崎正和―平和を守るために何をできるかを考えよ。

 本の他に新聞・雑誌、さらにテレビ番組についても感想等を書いていくと、とても約1000字では足りず、時機を失してしまう。かといって本格的な「ブログ」サイトを維持していく時間的余裕はなく、たぶん能力もない。
 10月29日(日)午前のサンプロの録画の後半を観たが、朝日が「安心」するような安倍首相の「君子豹変」につき櫻井よしこや岡崎久彦に不信又は戸惑いを番組制作者(テレビ朝日だ)は語らせかったのかもしれないが、見事に失敗していたのが面白かった。中川昭一の核武装検討発言も、それと矛盾するかのごとき安倍の発言をフリップでいったん示していながら、塩川、山本も含めて全く当然のことという雰囲気になった。あとで制作者と田原総一朗は少しは後悔したのでないか。スタンスは全く同じではないが、櫻井と岡崎の発言の趣旨はよく分かった。いずれも了解の範囲内だ。
 それにしても、北朝鮮の核実験に関する諸々の問題、周辺事態法適用問題、教育基本法改正問題等もあるのに、「村山談話」と安倍の「歴史認識」の変化?といったテーマを設定する(そしてひょっとして安倍に厭味を言おうとする)とは、テレビ朝日も田原も、いま何が大切な問題かを忘れているのでないか。
 読売1~2面の山崎正和の論稿は予想外に非常によい。この人のは昔、柔らかい個人主義とかを少し囓った程度だが、ここまでハッキリと書ける人とは思ってなかった。
 「ほんとうの危機はこれからである」、法的問題も含めて議論すべき課題が多々ある、憲法のいう「『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼』しようにも、それのできない国が目前にある」、「『国の交戦権』を否定したくとも、相手がかってに宣戦布告をしたと認定してくる状況がある」、「『水と平和はただ』という通念を改め、平和を守るために一人ひとりが何をできるかを考えなければならない」、「治安のために市民的自由をどこまで犠牲にできるか、論議を深める必要がある」等々。その通りだ。
 今までとは質的に異なる安全保障環境の時代に入っていることを多くの人々が認識すべきでないか。リアルな把握ができず、観念と言葉を弄び、自分たちの面子がとりあえず立てばよいと考えている(朝日のような)人々を除いて。産経社説は<従軍慰安婦強制連行>肯定の93年「河野談話」の見直しを主張する。この中の「一部マスコミ」は朝日新聞で、これまた内容的に異論はない。

-0061/民主党は頑張った。しかし、「新鮮さ」はもうなく、将来は暗い。

 10月22日の衆院補選民主党は負けたが、二選挙区ともに投票者に対する得票率は昨年9月の総選挙時よりも上げており(神奈川32.7→40.3%、大阪39.7→41.7%。自民党はいずれもやや下げている)、その点では善戦で「どぶ板選挙」の効果はあったのかもしれない。
 新聞でほとんど触れられていないが、共産党は神奈川で11642票、大阪で19537票減らし、得票率も神奈川8.0→4.9%、大阪9.7→8.0%と明らかに減少させた。
 補選では党の余力を二選挙区に回せるはずなのにこの数字だ。来年7月頃の北朝鮮情勢等がどうなっているか分からないが、この党は参院選挙も経て緩やかに消滅方向に向かうのではないか(と期待している)。
 福田和也という人の本は読んだことはないし、週刊誌のコラムもとくに印象に残ったものはなかった。しかし福田は、文藝春秋11月号p.160~163でいい指摘をしている。
 福田はまず、朝日新聞の9/27記事が安倍内閣の陣容で「小沢民主党に対抗できるだけの迫力」を出せるかと疑問視したのを、民主党又は小沢への「贔屓の引き倒し」だとする。そして、小沢民主党を過大に見せようとすることに「メディアの貧困が救いようなく露呈している」と切り捨てる。
 次いで小沢や民主党の批判に移り、「昔なつかしい…何でも反対の野党ぶりを、演じている」、それは「参院選の勝利、政権奪取」のためなら「短期的には国益を犠牲にしてもかまわない、という小沢的マキャベリズム」、安倍内閣を「論功行賞内閣」というなら、民主党のネクスト内閣は「典型的な派閥均衡型」だ等々。
 そして、私も所持だけはしている小沢の13年前の書物に福田は触れて、「13年が過ぎて、みずからの理念が大方実現してしまい、時代に追い抜かれてしまったことを率直に認めるべだろう」等と締め括る。
 まことに鋭く、かつ同感だ。
 安倍自民党にとっては、民主党が小沢を戴いたまま今のような政府対応をしてくれている間に来年の参院選を迎えることは、他の新鮮な?党首の下で対北朝鮮政策についても「国益」の観点から政府に協力しもする民主党と対決するよりは楽なのではないか。
 民主党は小さな分裂も経て、将来的には大分裂するのでないか。その際、東アジア政策や「大きな政府」維持論等の共通性から、河野洋平、加藤紘一らと民主党の旧自民党勢力は、合同したらどうか。自民党が衆院で480のうち殆ど300議席を占めているのは、やや多すぎると感じなくもない。
 また、民主党内の旧社会党勢力は社民党に移るのがよい。人間関係の問題を全く知らないまま書いているのだが。


-0055/某韓国人から金日成は3人いると1980年代に聞いてから。

 北朝鮮という国の異常さを知ったのはたぶん1992年に崔銀姫=申相玉・闇からの谺―北朝鮮の内幕―(上・下、文春文庫、1989)を読んでだ。北朝鮮の映画を「向上」させるために韓国の映画監督・女優夫妻を金正日の指令で「拉致」したというのだから、その「人間」・「個人」無視の精神には唖然とした。
 続いて、1994年頃に姜哲煥=安赫・北朝鮮脱出(上・下、文藝春秋、単行本)によって北朝鮮の印象は決定的になった。デマの可能性はあったが、これだけの全てを捏造することはできず、少なくとも大半は真実だろうと感じ、こんな国がすぐ近くに存在していることについて信じ難い思いをしたものだ。これらを出版した文藝春秋の勇気?は称えたい。
 他にも若干の本は読んでいて、平均的日本人よりは北朝鮮の実態を知っていただろう。従って、日本人拉致問題に詳しくはなかったものの、2002年9月17日に金正日自身が拉致の事実を認めたとき、驚天動地の思いではなかった。この国なら何でもする、と感じていたからだ(むしろ認めたことの方に驚いた)。
 北朝鮮の歴史の知識もすでに持っていて、種々の金日成・金正日伝説は「ウソ」らしいと知っていた。
 市井の一日本人が若干の文献から「ふつうの感覚」でそう思っていたのに、より多くの情報に接する可能性があるはずの日本社会党等々の政治家たちが北朝鮮に「騙され」、日本共産党もまた「疑惑の程度に応じた」交渉を、などと能天気なことを言っていたのはこれまた信じ難い。社会主義幻想と朝鮮総連との接触の成した業だったろうか。今でも北朝鮮にはできるだけ甘く、米国や日本政府にはできるだけ批判的又は揶揄的に、という姿勢がかいま見える人々がいるしメディアがあるのは困ったものだ。
 そうしたメディアの代表は朝日新聞だが、朝日を批判する本又は論文・記事を一部抜粋して引用していくだけでもこの日記は続けていけそうだ。
 読売論説委編・読売VS朝日・社説対決北朝鮮問題(中公新書ラクレ、2002)の中で作家・柘植久慶は言う。
 「一方の朝日新聞の社説となると、悲惨なくらい過去の主張や見通しの外れているのがよく判る。これは…空想的社会主義と共産主義諸国に対してのダブルスタンダードが、ベルリンの壁の崩壊とソ連―社会主義の終幕によって、一気に価値を喪失したから…」、「地盤沈下の著しい左翼政党―共産党や社民党と同じように、朝日もまた地盤沈下の同じ轍を踏む危険性が大きい」(同書「解説にあたって」)。

-0053/北朝鮮危機-李英和・強硬には超強硬!が適切。

 鷲田の本をほぼ読了。「岩波の総合雑誌『世界』や『思想』は、すでに死に体である。朝日新聞社が次々に試みる総合誌、オピニオン誌も、ばたばたと消える」(p.186)。これが事実ならいいのだが。
 「世界」や「論座」の(「諸君」や「正論」もだが)販売実数はどうすれば分かるのだろう。朝日が出すらしい何とか「新書」も売れ行き低迷で「消え」てほしいものだ。むろん、朝日的なテーマ設定、執筆者人選が行われるに決まっているから。
 数日前に気づいていたが、朝日新聞10/12社説「ニュー安倍・君子豹変ですか」はヒドい。若宮啓文なのかどうか、こういう文を書く人の人格・品性を疑う。立ち入りたくもないが、「首相になると一転、ソフト路線で支持率を上げ、参院選を乗り切る。地金を出すのは政権が安定してから……。そんな邪推をする人」こそ社説子で、かつ「邪推」でなく、思い切り叩き罵倒するために「期待」しているのでないか。
 そういえば読売編集の社説対決・読売対朝日が中公新書ラクレで3冊出ている。朝日が自らの社説に自信があるなら、朝日の「新書」で読売又は産経の社説と比較分析して公にしたらどうか。
 朝日新聞10/13社説は「日本が先行して厳しい措置をとったことで中韓など関係国との足並みが乱れては逆効果になる。単なる国内向けのパフォーマンスと勘ぐられないためにも、関係国間の結束を第一に考え…」と安倍内閣の決定にケチをつける、「あっち」向いたことをのたまう。中韓日の足並みが揃うわけがない。バカではないか。
 読売新聞10/15社説は「日本の安全を損ねる憲法解釈」と題して、1.集団自衛権行使不可の(従前の)政府解釈や2.武器使用基準の再検討を提言している。内閣は最高裁判決の解釈には実質的又は事実上拘束されるが、1.の基礎の解釈を示した内閣法制局はたかが内閣の補佐機関で、内閣を永続的に拘束するはずがない。憲法改正は間に合いそうにないが、現行法制に事態対処のためには不備があるとすれば、当然に改正又は新法制定すべきだ。朝日よりも読売の方が適切・冷静なのは言うまでもない(読売を全面支持はしないが)。
 午後のTV番組で田嶋陽子は北朝鮮に「アメリカと話し合う」機会を与えるとの意見を示した。
 ヒトラーに対するチェンバレン(英国)の宥和政策の失敗、北朝鮮へのクリントン政権の穏和的姿勢の失敗を見ても、絶対化・一般化は無理としても、「強硬」姿勢には「超強硬」姿勢で対応・制裁すべきだろう。

-0051/吉永小百合様へのラブ・レター。ついでに朝日の「言葉」とは?

 「団塊」世代のマドンナ・吉永小百合様が岩波ブックレット・憲法を変えて戦争に行こうという世の中にしないための18人の発言(2005.08)の中で、こう書いている。
 「人間は『言葉』という素晴らしい道具を持っています。その道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく――報復ではなく、半歩でも一歩でも歩み寄ることが『言葉』を持つ私たちの使命だと思います」(p.18)。
 「言葉」という「道具で粘り強く話し合い、根っこの部分の相違点を解決していく」ことができれば、それに越したことはない。「粘り強く話し合」っても何ら誠意をもって対応せず、言葉と矛盾する行動を平気で行う人や国家が存在するからこそ問題なのであり、経済的・軍事的「圧力」も必要になるのだ。
 美しい心の小百合様には、国民を餓死させ、開発凍結と言っておいて平気で核実験実施をする国家の存在を想像すらできないのだろう。
 彼女はまた、「命を大切にすることは、憲法9条を大切にすること。国際紛争を解決する手段として、武力行使は永久にしないと定めた憲法は、人間の命を尊ぶ、素晴らしいものです」と憲法九条を讃える。
 しかし、残念ながら小百合様には基礎的素養がなさそうだ。「国際紛争を解決する手段」としての武力行使の禁止は「侵略」戦争の放棄の意味であり9条1項が規定している。そしてこれは日本国憲法に限らず今日の世界においては当然のことなのだ。憲法改正に際しての焦点は、「戦力」不保持、「交戦権」否認の9条2項をどうするかにある。「戦力」不保持・「交戦権」否認の憲法があるがゆえにこそ外国からの攻撃によって日本国民の生命が奪われることを有効に防止できないとすれば、「憲法9条を大切にすること」は日本国民の「命を大切に」しないこと、を意味することになる。
 このように、小百合様の文章は美しいが、戦争反対という情緒(これ自体を悪いとか誤っているとかは言わない)が書かせたものにすぎない。
 朝日新聞社が<私たちは「言葉」の力を信じます>とかのコピーで宣伝しているが、小百合様の上の文章にヒントを得たのではなかろうか。
 それはともかく、朝日は、事実を否定し又は存在しない事実を作り出す(「捏造」)ために「言葉」を用いた、あるいは「言葉」の力によって虚報をさも真実のごとく装ったことがある。当然ながら「言葉」の力は良い方向にも逆の方向にも働きうる。それが明確でないコピーは「言葉」の力でウソを真実に変えますと言っているようで気持ちが悪い。


-0050/北朝鮮の核実験実施と鷲田小彌太・学者の値打ち(ちくま新書)。

 10月9日、北朝鮮が核実験成功と発表。安倍首相が東京に着いて航空機内から出るときの姿はさすがに相当疲れているように見えた。彼は「空気の宰相」ではなく小泉前首相と違って「論理」と「骨」があると思っており、今日の勝谷誠彦日記には賛成だ。
 この時期に「あっちむいてホイ」の「あっち」を向いた動きがあるとは、「平和ボケ」はなかなか治らないと感じる。
 鳥越俊太郎を含む人々は日本の核武装論はもちろん日本が正規軍をもつための憲法改正にも反対し続けるのだろう。もともと中国は核保有国で日本を核攻撃する能力・技術をすでに持っている。当然にこのことも意識して、対米関係に留意しつつ、これまで関心がなかった国民も含めて自国の「安全保障」のあり方を考えてみるべきだ。
 安倍内閣が河野談話・村山談話を踏襲するとしたことに、彼のかつての持論維持を期待した人たちからの批判もありうる。
 昨日の朝日新聞のたぶん3面に(記憶のみだが)本来の支持者「反発も」という見出しがあった。これは、<安倍さんはかつて述べていた持論を封印して中韓に擦り寄ってますよ、さぁ彼の「歴史認識」に期待していた支持者の皆さん、「反発」しましょう>という煽動だと理解すべきものだ。安倍がかつての持論をそのまま展開すれば中韓が反発し、それ見ろと朝日が激しく安倍批判をするのは目に見えている。朝日はいずれにせよ批判的・揶揄的スタンスを変えない。
 朝日新聞10/07社説の見出しは「安倍政権、ちょっぴり安心した」だったが、ひょっとして本音は「残念」ではなかったか。安倍を「先の大戦を『自存自衛の戦い』と位置づける。日本政府の『謝罪外交』を批判し、歴史教科書の『自虐史観』に修正を求める」「議員グループなどで中心的な役割を果たしてきた」と認識している朝日にとって、振り上げた拳を降ろせない状況になったからだ。
 昨日は古書店にも寄って鷲田小彌太・学者の値打ち(ちくま新書、2004)等10冊余り購入した。この本の類書はたぶんほとんどなく、一気に100頁過ぎまで読んでしまった。

-0048/サ講和条約11条の<裁判>・<判決>に意味はあるか。

 安倍首相の「歴史認識」問題よりも北朝鮮核実験問題の方が重要と思いつつも、いくつかの本で読んだ講和条約・戦犯問題が国会で現に議論されていたのはなかなか興味深かった。
 講和条約11条の解釈については、「裁判」は「諸判決」のことと反論する保守派もいるが(小林よしのりも)、この欄の08/11で述べたように、そんな「訳語」のことを問題にしない安倍の解釈が適切と思う。
 簡単に買える小さな六法(例えば有斐閣ポケット六法)にも掲載されている講和条約(日本国との平和条約、1952.04.28発効)11条第一文は次のとおり。
 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」。
 全27条や11条の第二文以下との関係・位置づけから見ても、これから日本国が東京「裁判」等の事実認定・理由づけ等を細かなことも含めてすべてに同意し、将来も国自体の「歴史認識」として有し続けるなどという解釈が出てくるはずがない。
 「承諾し」という語は、第一文後段の前提として、個々の諸判決の結論(とくに拘禁刑判決)に国としては異議を唱えない(異論を述べない、従う)との意味で用いられているのだ。
 再言になるが、誰が「戦争犯罪人」かの結論はもちろん事実認定・理由づけについてもそのまま将来にわたって自らの「歴史認識」とすべき旨を東京裁判終了後に述べていたのが、朝日新聞だった。

-0047/田中真紀子の大醜態。小泉前首相による解任は大正解。

 前回のついでに書いておけば、現存「社会主義」国以外で「共産党」と称する政党が存在するのは日本の他、フランス、ポルトガルのみだ。かつ、実質的になおプロレタリアート独裁を標榜し組織論として民主集中制を残しているのは、某情報ソースによれば、日本共産党のみだという。まことに日本はユニークな国なのだ。
 国会論戦をニュースや録画も含めて見ていると、北朝鮮の核実験実施声明に言及したのは自民党・中川昭一のみで、民主党は何ら触れていないのでないか。この認識が正しければ、民主党は主として歴史認識を用いた「安倍いじめ」に関心があり、日本(国民を当然に含む)と東アジアの平和と安全に目を向けていないという致命的な失態を演じている。
 北朝鮮に関して拉致問題にのみ触れ核問題に具体的に言及しなかった田中真紀子の質問・発言は大醜態だった。安倍はなぜ一人ででも平壌に残って膝詰め談判の交渉を続けなかったのかとの質問には唖然とした。
 この人を菅直人の次に配した民主党のセンスを疑う。岡田克也の講和条約・「戦争犯罪人」に関する質問のあたりでは安倍の方が知識・思考が深いと感じた。岡田克也は一面的な知識・見解しか知らないために、安倍の答えに対して質問とほぼ同じことを反復するのみで有効に反撃できていない。もっとも、国会論戦の詳細と適切な評価が昨夜のテレビニュースや今日の新聞で紹介されているかは疑問だが。
 田中真紀子は自らが2003年10月に「拉致家族の子供は北朝鮮で生まれたから本来なら北朝鮮に返すべきじゃないですか」、「(拉致被害者の)家族の国籍は国際法上は北朝鮮籍。外務省も知っているはずで、日本帰国は難しいとはっきり言うべき」と発言し、家族会等から「田中氏はすぐに発言を取り消し、謝罪して政治家として完全に引退すべき」と抗議されたことを忘れてはいないだろう。安倍に対して何故もっと頑張らなかったのか旨をよく言えたものだ。
 それにこの人の発言には身内の講演会等であってはじめて許容されるような無意味な比喩的話が多すぎるし、「媚中」的言辞も気になる(民主党に接近しているのも解る)。
 小泉純一郎がこの人を外相にしていたとは今思えば信じ難い。明確な「論功行賞」的かつ失敗の人事だったが、大失態の発現の前に首を切っておいてよかった。

-0045/菅直人は辛光洙の北朝鮮帰国という「歴史」をどう思うか。

 菅直人が安倍晋三に国会で質問していた。安倍晋三個人、一国会議員としての安倍、安倍内閣総理大臣のそれぞれによって質問への回答は異なりうる。とりわけ歴史に関する首相としての見解表明は、政治的な、かつ近年では外交的な重要な意味を持ちうるからだ。
 録画した菅直人と安倍首相の質疑を見ていてそんな感想をまず持った。
 安倍個人は河野談話や村山談話に否定的のはずで、私も前者は誤りかつ完全な失策、後者は不正確と考えるが、しかし首相としてこれらを批判・否定できないのもよくわかる。国家行政の継続性からすると、否定すればその意味・理由が問題となり場合によっては新たな別の談話が求められるからだ。たしかに、安倍は逃げていた印象はあるが、逃げていること自体はやむをえないだろう。
 民主党を代表してこそ菅直人もじくりじくりと「安倍いじめ」的・本音誘発的質問をしていたのだろうが、「満州国をどう思いますか?」との質問へと至ってはさすがに異様な感をもった。岸信介が同国にどうかかわっていたのかの詳細は知らないが、国会の質疑で何故そんなテーマが出てくるのか。
 国会で、通州事件をどう思うか、廬溝橋事件のきっかけは何か、南京で何人死んだか等々の「論戦」を民主党はするつもりなのか、馬鹿馬鹿しい。
 そんな質問をした菅直人は民主党、少なくとも民主党執行部の「満州国をどう思うか」の回答を用意しているのだろうか。そもそも、民主党はその有力議員に限っても先の大戦にかかわる「歴史認識」を一致させているのか。社会党左派の生き残り(横路孝雄ら)と小沢一郎と菅直人と西村慎吾において共通の「歴史認識」があるとはとても思えない。
 民主党の中では菅直人は最悪の印象はない。しかし、かつて北朝鮮による日本人拉致の主犯格だった辛光洙(シン・グァンス)が85年に韓国で拘束されたあと89年に「解放」を求める韓国大統領あて署名をして日本で取り調べる機会を奪い北朝鮮に帰国させた(かの国で英雄視させた)国会議員の一人は菅直人だった、という歴史的禍根を私は忘れてはいない。
 「土井たか子さんに頼まれて軽い気持ちで…」とか本人が言っていたのを聞いたことがあるが、釈明にも何にもなっていない。
 署名した者は他に村山富市、田英夫、淵上貞雄、江田五月、千葉景子等々の当時の社会党や社民連の議員たち。拉致問題の解明が遅れている原因であることに間違いない。この署名につき、1997年10月に安倍晋三は官房副長官時代に「土井氏、菅氏はマヌケ」と正しく批判したのだった。


-0044/日本共産党・「嘘ばっかりで70年」は80年又は45年ではないか。

 東京地裁の判決は懲戒処分取消訴訟でなく、(懲戒処分を事前防止するための)通達服従義務(起立斉唱等義務)不存在確認訴訟だったようだ。
 日本共産党はネット上でさっそく支持等を表明。この判決をめぐっても、秩序―破壊、規律―混乱の基本的対立がある。日本社会が混乱すればするほど、あるいは(少し飛躍するが)日本が悪く言われれば言われるほど快感を覚える人たちが確実に存在する。後者を「自虐」派という。
 社民党は共産党と違い運営体制未整備のようで、ネット上では東京地裁判決に対する反応は不明。
 但し、2003年01月22日の「拉致事件被害者と、そのご家族の声を、もっと真正面から受け止める努力を重ねるべきでした。その取り組みは誠に不十分だったことを悔いるとともに、被害者・ご家族に対し、お詫び申し上げます」との謝罪文を初めて見た。
 まことに、土井たか子のように有本恵子さんのご両親からの相談に不誠実にしか対応しないで、よくも「人権」を語っていたものだ(この問題についての日本共産党の過去の言動に関する同党の正確な総括は知らない)。
 但し、社民党の同一文内の「日朝の国交正常化へ向けた交渉が進むことによって初めて拉致問題の真相究明と解決があると考えています」との国交正常化・拉致問題解決並行論は、北朝鮮を利するだろう。
 谷沢永一・正体見たり社会主義(PHP文庫、1998)を2/3ほど読んだ。平易な語と文章で解りやすい。この本は同・『嘘ばっかり』で七十年(講談社、1994)の文庫化で、題名どおり日本共産党批判の書だ。
 今でいうと「…八十年」になるだろう。もっとも終戦前10数年は壊滅状態だったので、1945年か、実質的に現綱領・体制になった1961年を起点にするのが適切で、そうすると「嘘ばっかり」の年数は少なくなる。
 それにしても谷沢は日本近代文学専攻なのに社会主義や共産党問題をよく知っている。戦前か50年頃に党員かシンパだったと読んだ記憶があるが、「実体験」こそがかかる書物執筆の動機・エネルギ-ではなかろうか。
 西岡力・闇に挑む(徳間文庫、1998)を入手した。
 北朝鮮による拉致等を扱うが、金正日が拉致を認める前に告発していたことに意味がある。「身の危険」もあったに違いない。
 西岡力はかつて拉致被害者家族連絡会の事務局長だったかと思うが(今は北朝鮮拉致日本人救出全国協議会常任副会長)、大学教員でかつさほど目立たっていないことに好感を覚える。

-0034/九条を改正すれば日本は「戦争をする国」になるか。

 映画監督・山田洋次は70年代には日本共産党のパンフ類に共産党を「支持します」と出ていたので、その後も変わらず「九条の会」のごとき会に関係しても不思議ではない(変わっていても不思議ではないが)。知人某が10年以上前、映画「男はつらいよ」のいずれかの中でさくらの夫=博の本棚に雑誌「世界」があったのを見たと言っていた。私は雑誌「前衛」でなかったか?と尋ねたが。
 鳥越俊太郎の名がある。彼は最近OhmyNewsとやらで頑張っているらしいが、はたして「中立」的ニュ-スサイトは可能かどうか。彼自身がすでに「政治」的な<色>を自らに付けているので、「中立」的又はそれと同義の宣伝をOhmyNewsについてしていれば、虚偽広告になりはしないか。
 同じくコメンテイタ-としてテレビに登場している(たぶん元朝日の)大谷昭宏の名もある。
 いかなる主張・見解も自由だが、さも中立的・客観的な見解のごとき装いをとって視聴者を欺瞞的に誘導しないでほしい。鳥越もだが。
  「九条の会」アピ-ルを検討するためには、1.国際とくに東アジア情勢の認識、2.現九条の解釈論議をふまえる必要があるのだが、アピ-ル自体がこれらをきちんと認識し勉強しているとは思えない。
 北朝鮮のノドン一発で東京は壊滅し、中国の核弾頭は何本も日本に向けられているという現実の深刻さが彼らの文からはまるで伝わらない。武力攻撃という「危険」行為の可能性があるのは北朝鮮でも中国でもなく日米の側=自衛隊か在日米軍(「アメリカとの軍事同盟」)という倒錯し誤った認識に立っているとしか思えない。
 第二次大戦から「世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓」を導いたと最初の方にあるが、「国際紛争の解決のため」の戦争とは侵略戦争の意味であり、現9条1項のみからは自衛権と自衛戦争の否定は出てこない、ということは常識のはずなのに(奥平康弘がいながら)、常識的語法に無知の文だ。
 つづいて言う。「九条を中心に日本国憲法を『改正』しようとする動き」の「意図は、日本を、アメリカに従って『戦争をする国』に変えるところにあります」。
 ここに「九条の会」アピ-ルの策略と欺瞞性が象徴的に現れている。
 批判対象を批判しやすいように勝手に改めたうえで非難するという、議論の際よくみられる論法を使っている。
 さらにつづける。

-0021/旅をして日本と大江健三郎を考える。

 25日夕方に旅に出た。往復の列車の車窓から見ると、山の樹々の緑は深く、まだまだ日本の自然は美しい。朝鮮戦争の際のゲリラ活動のために朝鮮半島の山は樹木が少ないと某ソウル市民からかつて聞いたことを思い出した。都市部と地方・農村部の「格差」が言われているようだが、邸宅といってよい大きな農家風住宅をしばしばみると、住宅は都市部の方が貧困、「格差」があっても中国や北朝鮮のそれとは質・レベルが大幅に異なるはず、と感じる。
  出立する直前に届いて目次を見て持参した小浜逸郎『いまどきの思想、ここが問題』(1998、PHP)を旅行中に読了した。この中の大江健三郎批判(分析)は秀逸ではないか。大江についてはこの欄で今後何かを書くだろう。上野千鶴子については、小浜が別に本格的に論じているという本を読んでからやはり(再び)何か書こう。小浜は、シタリ顔で論じ、字数を稼いでいるような箇所は別として、予想どおり<面白い>論者だ(たしか24日に、同『男という不安』(2001、PHP)も読了)。
 ただ、一番最後の国家論のうちの「ユートピア」の叙述は批判の対象になりうる。それを予期した「ユートピア」という語なのかと今ふと思ったが、「個の身体が実感しうる範囲の小さな共同体」と国家=「超越的な調整機構」の関係は、日本の戦国時代の一時期又は一地方や「くに」のない縄文式時代を想定すると一般化できないが、前者がつねに論理的に先に成立しているものではなく、後者の(機能・情念としての)「国家」があってこそ前者も平穏かつ秩序をもって成立しうるのであって、前者の存在を論理的につねに先行させるとすれば正しくないようにみえる。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
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  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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  • 2302/加地伸行・妄言録−月刊WiLL2016年6月号(再掲)。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
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  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
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  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
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  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
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  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
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  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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