秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

創文社

0410/佐伯啓思・自由とは何か(講談社新書)を全読了。

 佐伯啓思・自由とは何か(講談社現代新書)を全読了。
 最終章的または小括的な「おわりに」にも印象的な文章がある。一部についてのみかなり引用するのはバランスを欠くが、通覧してみる。
 ①<「自由」の意味は「抑圧や圧制」からどう「渇望し…実現」するかではなく、逆に「自由」の「現代的ありよう」が…「さまざまな問題を生み出してしまっている」。>(p.270)
 ②<「自由」を「至高の価値」としてそれを成立させている「何か」に不分明ならば、「誤ったイデオロギー」になる。「何か」を見ないと「個人の自立」・「選択の自由」・「諸個人の多様性」等は「混乱」の原因になる。>(同上)
 ③オルテガは、<我々は「多様な価値の間で選択を余儀なくされている、つまり自由へ向けて強制されている」旨論じた。カストリアディスは<「現代資本主義」の下で「自由」は「個人的な«享楽»を最大限」にするための「補助道具」になっている、と主張した。これらは「決して見当はずれではない」。(p.271-272)
 ④<「自由」(「個人の価値選択の主観性や多様性」→「選択の自由や自立的な幸福追求」)を保障するのは「市場経済」・「中立的国家」・「人間の基本的な権利の保障」という制度をもつ広義での「市場社会」だが、そこで生じているのは、「それぞれの」「享楽」(「富」・「消費物資」・「刹那の快楽」等)を「最大限手に入れようとするいわば『欲望資本主義』だ」。ここでの「それぞれの」は「個人の主体性」を前提にしている。>(p.272-273)
 ⑤<「消費物資や富に自己を預け、自己満足の基準を市場の評価に依存した」「自由」、「メディアやメディア的装置にしたがって自分を著名人にしたり、著名人に近づくことで富を得るチャンスを拡大する自由」は、いかに「個人主義」的選択に基づくと言っても「自立」しておらず、「本来の意味で個人主義的でもない」。>(p.273)
 ⑥<「個人の主体的な自立や自由な選択という概念によって『自由』を論じることができるのか」。(p.274)換言すれば、「現代の個人の自由」とは「先進国の市場経済というある特定の体制」の下でしか成立不可能なもので、「市場や金銭的評価や富と結びついた名声やメディアが生み出す有名性といった特有の現象に随伴」してしか発現できないのでないか。「個人の自立」などは「最初からあり得ず」、「個人の自立した選択」とは「市場経済に依存した見せかけの自立」にすぎないのではないか。「この種の疑問はしごくもっともだ」。>(p.275)
 ⑦<かかる議論・疑問自体が「個人の主体性、その多様性、自由な選択」等の「現代の自由の観念」によって生じている。「個人の自立」は「市場経済体制」ではあり得ないと言っても、その「市場経済体制」を拡大してきたのは「個人の主体性、多様性、自由な選択」という「自由」の観念だ。「自由な選択」がせいぜい「享楽の最大化」だとしても、そのような状況を生み出したのは「現代の『自由』の観念」で、ここに「現代」の「自由のパラドックス」がある。>(p.275-276)
 ⑧<「自由のパラドックス」は、「自由」を「個人の主体性、主観性、多様性」といった観念で特徴づけたことに「理由」がある。「現代の自由」とは「端的」には「個人の選択の自由」だが、かかる特徴づけ・定式化が「あまりに偏狭」だから、つまり「自由」に「実際上、意味を与えている条件、それを支えている条件に目を向けていない」ために「自由のパラドックス」が生じた。>(p.276-277)
 ⑨<そこで、「個人の平等な選択の自由」の背後に「もっと重要な『何か』があるのではないか」と「多層的」に「考察」する必要がある。例えば「自由」と対立的に捉えられがちな「規範」の両者は、後者が「道徳的ニュアンス」・「正義」という観念・「価値」を前提にしているかぎり、切り離すことはできない。>(p.276)
 ⑩<「もっと重要な『何か』」の第一の次元は「善」だろう。「善」とみなすか否かは「共同体」の評価だ。「ある程度共有された価値を持った共同社会がなければ、事実上『自由な選択』などというものはない」。>(p.278-279)
 「もっと重要な」ものは、「多様なレベルの共同体の規範を超えたいっそう超越的な規範への自発的な従属」だ。これをかりに「義」と呼んだ(カントにおける「定言命法」、天、道、儒教上の五倫、仏教上の六度)。(p.279)
 樋口陽一・憲法/第三版p.44(創文社、2007)にはこんな文章がある。「本書は、近代立憲主義にとって、権利保障と権力分立のさらに核心にあるのが個人の解放という究極的価値である、ということを何より重視する見地に立っている」。
 この憲法概説書の中では詳しい方の本は2007年刊。上に見てきた佐伯啓思の本は2004年刊。「個人の解放という究極的価値である、ということを何より重視する」と有力な憲法学者がなお書いている以前に、佐伯は現代の「個人の平等な選択の自由」のパラドクスとその原因、「個人の平等な選択の自由」の背後にあるはずの<もっと重要な「何か」>を論じていたのだ。
 佐伯が特段に優れているというよりも、憲法学者のあまりの<時代錯誤的な遅れ>こそが指摘されるべきだろう。こうした違いは、憲法学が法学の一種として主として<規範>を対象とする(かつ主として<規範解釈>をする)という特質をもつことだけからは説明できないだろう。憲法思想(論)もまた社会思想・政治思想をふまえ、少なくとも参照する必要があるのではないか。問題は、<個人に平等に享受されるべき「自由」>という憲法論(解釈論を含む)上の基礎的・骨格的概念にかかわっているのだから。

0379/親日本共産党作家・井上ひさしと「個人の尊重」。

 樋口陽一・憲法第三版(創文社、2007)は、憲法のどこにも明文では書かれていないことだが、「日本国憲法の基本的諸原理」を「国民主権の原理」、「平和主義の原理」、「人権の原理」の三つにきれいに分けて説明している(p.109~p.165)。憲法の専門書としてはむしろ珍しいと思われるくらいで、こうした「三原理」で説明する本が高校以下の教科書の執筆者(大学の憲法学者も含む)には影響を与えているのだろう(余計ながら、「象徴」としての天皇制度の存置は日本国憲法の「基本的諸原理」の一つではないのだろうか。専門家に尋ねてみたい)。
 ところで、今年1/12のこの欄でこう書いた-「私自身の記憶のみに頼れば、憲法学者の樋口陽一は日本国憲法上の「個人の尊重」規定を重視し(参照、第13条第一文「すべて国民は、個人として尊重される。」)、樋口と対談したことのある井上ひさし
は、<個人の尊重>または<個人の尊厳の保障>が最も大切または最も基本的なこととして印象に残った旨を何かの本に記していた」。
 この「何かの本」は、不破哲三=井上ひさし・新日本共産党宣言(光文社、1999)だった。
 この本のp.103-4で井上はこう書いている。
 高校同級生の樋口陽一から聞いた「忘れられない言葉」は次だ。…「日本国憲法のアイデンティテイ」は「一般的説明ではその三本柱(主権在民、人権尊重、平和主義)というのが正しい」が、「この三つを束ねる”遡った価値”」は「個人の尊重」だ。「条文でいうと、第一三条」。「国民主権という原理も一人ひとりの個人の生き方を大事にするということが原点でなければならない」。
 この内容は、未読だが、樋口=井上・日本国憲法を読む(講談社)によるらしい。
 上の「個人の尊重」の強調、それを憲法上最大・究極の理念だとすることに、一見問題はないかにも見える。しかし、はたしてそうだろうか。むろん、言葉としては、「一人ひとりの個人の生き方を大事にするということ」に反論し難いのだが、かかる主張の行き着くところをさらに見据えなければならないだろう。とくに憲法学者が強調する「個人主義」、そして<戦後民主主義>のもとで空気の如く蔓延している「個人主義」には胡散臭さを感じているからだ。
 この点は別の回で書こう。
 ところで(と二回目の「ところで」を使うが)、不破=井上ひさしの上の本は、微笑み合いながら並んで立つ二人の写真から始まっている。そして、「わたしにとってかけがえのない大切な一票を日本共産党に投じる」(p.101)井上ひさしが、一生懸命に日本共産党の主張・政策を勉強し?、関連する諸問題も日本共産党の主張・考え方に添って論じる、という、井上の勉強成果報告書の趣がある。
 井上は占領時の現憲法制定過程にも言及していて、鈴木安蔵らの憲法研究会の新憲法案のことも知っており、「民間憲法」がマッカーサー憲法を「先取り」していた等と述べて、「押しつけられた」憲法論を批判又は揶揄してもいる(p.191)。
 マルキスト(又は少なくとも親マルクス主義者)・鈴木安蔵らの憲法研究会の新憲法案およびこれに焦点をあてた小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書)にはこのブログで以前とり上げたので、ここではもはや触れない。
 強調しておきたいのは、井上ひさしとはただの作家・小説家・戯曲家ではない、じつは日本共産党員であるかもしれないと思ってしまうほどの<左翼イデオローグ>だ、<左翼>活動家だ、ということだ。仔細をいちいち書かないが、不破哲三に迎合しつつ?あれこれと発言・主張している上の本を読むだけでもわかる(この本が当然に日本共産党を<宣伝する>本になっていることは言うまでもない)。
 しかるに井上は、作家等の肩書きを利用して、公正さを装った?文化人として発言しているようであり、司馬遼太郎の菜の花忌という追悼会のパネラーになったりしている。
 ひょっとして昭和・戦前に対する想いでは司馬と井上に共通するところがあるのかもしれないが、司馬遼太郎の基本的作風・基本的考え方の<継承者>のごとく振る舞われると、彼界の司馬遼太郎にとっても大迷惑だろう。司馬遼太郎の<遺産>をいわゆる<保守派>に占領されないために、井上は司馬遼太郎(又は同記念館)関係の行事等に<政策的に>関与しているのではないか、とも勘ぐってしまう。
 日本共産党系作家・文化人の活動には警戒要。大きな顔をしての跋扈を許してはならない。
 追記-最近は佐伯啓思・イデオロギー/脱イデオロギー(岩波、1995)と佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の未読の部分を読むことが多かった。まだ、いずれも読了していない。
 1/24の夜に、赤木智弘・若者を見殺しにする国(双風舎、2007)を入手し、一気にp.117-p.286(第三~第五章)を読んだ。面白い。これとの関係で、1/25は堀井憲一郎・若者殺しの時代(講談社現代新書、2006)の一部を読んだ。
  阪本昌成の本(法の支配(勁草))の読書は、遅れている。
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