読売新聞5/20朝刊に、前木理一郎という署名入りの記事「気鋭の改憲論者どこに」がある。それによると、こうだ。
 1.「全国憲法研究会」の5/12の研究集会(成城大)に行ったら、司会の駒村圭吾(慶応大学)が<憲法60年で還暦お祝いなのに「赤いちゃんちゃんこ」ではなく「経帷子」(仏式の際死者に着せる白い着物)を着さされそうな雰囲気だ>旨言った。「憲法改正を憲法が死ぬととらえるのは穏やかではないが、…憲法学界は「護憲」派が大多数を占めている」。
 2.有望らしい東京大学教授の石川健治(1962-)が論座6月号(朝日新聞社)で<9条2項を改正して自衛隊に正当性を与えた上で国民の自由を確保すできるだけの力量は…日本の議会政治にはいまだ備わっていない>と書いているのを読んでショックを受けた。
 3.55年生まれ組として注目されているのが松井茂記、棟居快行、安念潤司各教授だが、棟居は「9条は自衛隊の存在を前提としない文字通りの丸腰論で、とっくに賞味期限は切れている」と石川を批判する。但し、安念は「憲法〔学?-秋月〕の世界では改憲論者は、はっきり言って二流学者」と言った。
 以上のように述べたあと、「同業者から認められ、政府が手を伸ばしたくなるような気鋭の改憲論者の登場を心待ちにしたい」と締め括っている。
 小さな記事だが、なかなかよく現在の憲法学界の雰囲気を伝えている。いくつかの感想・コメントを記しておく。
 1.私は勝手に憲法学者の80-90%は護憲派(とくに九条改憲反対派)だと想像しているが、この記事は「大多数」と表現している。
 「憲法研究会」なるものは、例えば日本評論社から同会編の憲法改正問題という本(雑誌特集号?)を刊行して「護憲」のための主張をしている、護憲派ばかりが集まっている研究会だと推測される。
 2.石川健治のものを読んだことはないが(とくに「論座」など買うわけがない)、この人も東京大学教授なのか。日本の「議会政治」という<権力>側に対して強い又は執拗な<不信感>を持っているようだが、「議会政治」を支える国民一般もまた<信頼>しておらず東京大学という「高み」から<蔑視>しているのだろう。それにしても東京大学の憲法学教授には「左翼」が多すぎはしないか。いや「左翼」ばかりではないか。
 3.たまたま前々回にこの記事をきちんと読まないままで肯定的評価を書いた棟居快行教授が、この記事の引用が正確である限り、明確に9条(2項)を批判している。「とっくに賞味期限は切れて…」と私も思うが(占領初期の数年だったのではないか)、この表現は九条二項改正論支持を意味しているのではないか。とすれば、珍しい、まともな「改憲論」の憲法研究者ではないか。
 上では言及しなかったが、棟居は改憲論を支持すると政府・与党に引っ張られて「勉強できなくなる」から護憲派になっている者が多いのではないかとの「ユニーク」なことを言っているようだ。当人もきっと忙しくなるのはイヤなのだろう。だが、この見方は<ジョーク>の類だと思われる。というのは、護憲派の憲法学者もまた、労組・「市民」団体等々への九条護持のための講演やら研修やらで現在すでに忙しく、「勉強できなくな」っている可能性も十分あるからだ。
 ともあれ、「同業者から認められ、政府が手を伸ばしたくなるような気鋭の改憲論者」
が必要であることは間違いない。だが、現在までの憲法研究者の「養成」の仕方(主として指導教授が大学院で行う)からすると、大きな期待をすることはできず、私はほぼ絶望的だと何となく思っている。
 東京大学の小林直樹芦部信喜両教授のもとで何人の憲法研究者が育っただろう。東京大学に限らず、小林直樹、芦部信喜両氏のような九条改正反対の教授のもとで何人の憲法研究者が育っただろう。そして、そのような、「憲法研究会」に参加しているような彼らこそが、法学部学生に、あるいは高校までの教員免許を取ろうとする教育学部等の学生に「日本国憲法」を講義してきたのだ。
 現在の国や地方の「官僚」や学校教員に(さらにはマスコミ関係者にも)、そのような<憲法教育>が影響を与えていない筈はない。いつかも書いた気がするが、暗然たる思いがするし、指導的な憲法学者(故人も含む)の社会と歴史に対する「責任」はきわめて大きい、と感じる。