秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

別冊正論

0845/渡部昇一の「裁判」・「判決」区別論は適切なのか?③。

 一 既述のように、渡部昇一は、月刊ボイス10月号・「東アジア共同体は永遠の幻」(PHP、2009)で「判決の受諾か、裁判の受諾か。これをどう考えるかで、じつは恐ろしい違いがある。『裁判を受諾する』といった場合には、東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――に日本が縛られつづけるということになるからだ」と書き、別冊正論エクストラ第10号・「東京裁判史観からの脱却なくして自立なし」では、「裁判の『内容』を受諾するか、『判決』を受諾するかは、絶対に混同してはいけない」と書く(p.5)。
 はたして、<裁判>と<判決>の区別で、このような「おそろしい」違いが出てくるものなのか??
 1951年9月締結(翌年4月発効)のいわゆるサンフランシスコ講和条約は日本国は「裁判(または諸判決)」を「遵守し、…」とする部分を含み、この「裁判(または諸判決)」の原語は<
judgments>なのだが、これを「裁判」ではなく「(諸)判決」と訳しかつその意味で理解するとして、そもそも<judgment>とは何を意味するのか。渡部のいうような帰結を本当にもたらすのか?

 二 A/高柳賢三=末延三次・英米法辞典(有斐閣、初版1952.10,16刷1978.07)、B/田中英夫編集代表・英米法辞典(初版1991.05、3刷1994.08)、C/田中英夫編集代表・BACIC英米法辞典(東京大学出版会、初版1993.09、5刷1997.07)のそれぞれにおいて、<judgment>がどう翻訳され、説明されているかを、以下にほとんどそのまま引用して記載する。
 なお、第一に、時期的に東京「裁判」と講和条約(「日本国との平和条約」)に最も近いのはAだ。第二に、CはBの簡略版のようなもので(編者も同じ)、いずれも1990代以降のもの。二種あるからといって、多数決でB・Cの記述の方がAよりも信頼できる、という保障があるわけではない。
 A・「判決」-「(イ)裁判所の判決。…〔略〕。(ロ)判決の理由。判決にあたつて述べた各裁判官の意見をjudgmentということもある」(p.251)。
 B・「判決」-「当事者間の権利義務について判断し解決する裁判所の最終判断。…〔略〕。Judgmentとは、裁判所が事件の解決について出した結論のことで、例えばFederal Rules of Civil Procedure(連邦民事訴訟規則)Form31&32の示すように、日本の判決の主文にほぼ相当し、この結論に達するまでの根拠を述べた部分はopinion(意見)とよばれる。ただし、俗語的には、この意見の部分も含めてjudgmentということがある」(p.480)。
 〔なお、Bは第一の訳語として上記の「判決」を挙げ、第二の訳語として「判断・評価」を示す。後者は日常的用語としてのjudgmentの意味だと思われ、特段の説明はない。〕
 C・「判決」-上のBと(「略」部分の二文のうちの一文が削除されているが、その他は)まったく同じ。
 三 AとB(・C)のいずれも「判決」と訳す点では共通している。「裁判」よりは適切な訳語であるわけだ。
 だが、Aは「裁判所の判決」とは異なる第二の訳語・意味として「判決の理由」と記すのに対して、B(・C)は「日本の判決の主文にほぼ相当」する、と説明していて、この部分に関するかぎり、二種(・三種)の英米法辞典は異なる、矛盾する説明をしている。
 四 渡部昇一の議論が成立しうるのは、1990代に入って以降のB(・C)に「ほぼ」従って、Judgmentを「判決の主文」と理解する場合に限られる。この場合であっても、まったく<理由>(による拘束?)から自由ではないことは、のちに述べる。
 逆に、1952年初版のAの狭義の説明に従って「判決の理由」と理解するならば、渡部昇一の主張・理解はまったく見当はずれ、ということになるだろう。「判決の理由」の中にこそ、渡部のいう「東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――」が書かれていた(はずだ)からだ。
 問題は、1951年9月の時点で条約締結国、とくにアメリカと日本の担当者たちが「judgment(s)」をどういう意味で用い、どういう意味だと理解したかだ。とりわけ、「判決の主文」のみか、むしろ「判決の理由」を含むかだ。しかし、参照した二種(・三種)の英米法辞典によっては、決定的な手がかりを得ることはできない。1951年に近いAが当時の一般的または相対的多数の理解だったと言えそうにも見える。しかし、B(・C)はその後の研究の成果をふまえて、より正確な叙述をしている、という評価が成り立たないわけでもなかろう。但し、1952年以降のアメリカ・連邦民事訴訟規則の上掲部分の制定または改正がB(・C)の叙述につながっているとすると、新しいからといって、1951年の条約中の文言の解釈の決め手には少なくともならない。
 また、そもそも、いわゆる<東京裁判>にかかわって、通常の裁判・訴訟を念頭に置いた諸概念が条約中で用いられたのか、という基本的な問題もあると思われるのだ。
 ともあれ、「judgment(s)」を「裁判」ではなく「(諸)判決」と訳さないと「東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け―南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで―に日本が縛られつづけるということになるからだ」という渡部昇一の主張は、十分なまたは決定的な根拠はないと思われる。「裁判」と理解すれば上のように「縛られ」、「(諸)判決」と訳せば上のようには「縛られ」ない、というのは、何らかの誤解にもとづく、不適切な主張だと考えられる。
 既に言及したことだが、渡部は「判決」とは「判決主文」のことだと単純に思い込んでいるのではないか? 「判決」の中には「主文」の他に「事実」と「理由」又は「事実及び理由」も含まれる。
 英文学者の渡部昇一が書いているからといって、裁判(・法律)関係の英米語についてまで正確な知識が示されている
とは限らない。
 また、かりにB(・C)に従って「日本の判決の主文にほぼ相当」する、と理解するとしても、日本の<東京裁判>遵守義務を主張・強調したい者たちは、次のように主張するすることが可能だと思われる。
 すなわち-「judgment(s)」とは厳密には(各)「判決主文」のことだとしても、結論たる「主文」にはそれなりの何らかの「理由(根拠)」(事実認定とその評価・法的判断)があるはずだ、従って、両者を無関係のものとして扱うことは不当で、「判決主文」を遵守するということは、当該(各)判決で書かれた「理由」をも実質的には尊重することにつながるはずだ…、と。
 このように、「judgment(s)」をかりに厳密に(各)「判決主文」と理解するとしても、日本が「縛られ」ることを期待し、主張する者たちには「南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで」等を<事実>の記載として尊重すべきだとする余地がなおも残されている、と見られる。
 以上のことからすると、「裁判」と「(諸)判決」の区別論は、後者の方が適訳だとしても、渡部昇一が望むような効果を(残念ながら)もたらさない、と考えられる。
 問題・課題は、「裁判(諸判決)を遵守」するという条約中の文章の意味を、それが置かれたテキスト・条文(関係他条項を含む)の中で的確に(関係的に)把握することであって、「judgment(s)」の訳語に渡部昇一のごとく拘泥することは、決して生産的・建設的意味をもたない、と思われる。
 保守論者たちの中に渡部昇一の議論がどの程度の影響を与えているのかは知らないが、遵守の対象は「裁判」ではなく「(諸)判決」だと(条約中の「遵守」義務を持ち出す)<左翼>に対して反論(?)しても、決定的な力を持たないし、たいして有効なものにもならない、と思われる。これまた傍流的(?)な意見かもしれないとは思いつつ。
 なお、このテーマをこれで終えておくが、12月以降の中断は、自分が想定していたことの誤謬等に気付いたためでは全くない。叙上のことはすでに12月の時点で分かっていたことだ。遅れは、東京裁判関係の本をいくつか捲って、<「裁判」・「(諸)判決」論争>はたいして重要な争点ではなく、他に考えるべきもっと重要な点がいくつもあると思い至ったこと、ついでに半分は冗句として書くと、多少は専門的な(ふつうの人々は見ないだろうような英米法辞典を使っての)叙述を、一円の利益を得ることもなく、かかるブログに書いてしまうことが多少は馬鹿馬鹿しくなった、ということによる。

0304/中西輝政「構造改革なくして「美しい国」はない」(別冊正論エクストラ)を読む。

 7/23に通読し終えていたのだが、中西輝政「構造改革なくして「美しい国」はない」(別冊正論エクストラ07、2007所収p.52以下)はなかなか(いや、たぶん極めて)スゴい、優れた論文だ。
 巷の選挙戦論議における政党の主張のレベル、各新聞社の政治記者の記事のレベル、そして月刊現代に駄文を掲載している立花隆の議論レベルと比べて、これらがアホくさくなるほどに、視野が広く、分析が深く、歴史を丁寧に見ている
 立花隆の議論は要するに、<日本の戦後の「繁栄」(経済大国化)は軽武装主義の憲法(九条)のおかげ>ということに尽きる。上の中西論文を読むと、立花隆のように2007年までの戦後を全てひっくるめて議論している(冷戦崩壊にもバブル崩壊にもまともに言及していない)のが、まるで、大学研究者と幼稚園児の違いのように感じるほどだ。少しでも立花隆の議論に傾聴し、少しでも立花隆に敬意を払っている者は、上の中西輝政論文(その他の同氏の論文・著書)と比べてみるとよいと思われる。立花隆の衰え・鈍さ・粗雑さを看取できるに違いない。
 と書きつつも、中西氏の思考・分析を正確に論評・評価できる能力・資格が私にあるはずもない。上の論文の副題又はリードは「世界は「思慮深い保守」の時代に入った。改革の痛みを克服し自立した国をめざせ」で、これが論旨・主張の要点だろう。以下、途中から要約的に紹介する。
 1.欧州での冷戦終了後、大幅対米黒字を背景に「日米構造協議」交渉が始まり、米国は日本に市場開放・大幅規制緩和を求めた。しかし、日本人の関心は「三つのあらぬ方向」に向いていた。一つは85年以降の<バブル景気>、二つは日本経済の世界一化、三つは<グローバリゼーション>というのみの国際経済動向認識。
 2.そのとき、バブルが崩壊しはじめ、「91年の湾岸戦争で、バブル崩壊がはっきりする」。この二つは、「「軽武装・経済繁栄」と言われた戦後日本の「国家戦略」の敗北を意味」した。
 この敗北は文字通り「第二の敗戦」だった。このとき、「不可避の戦後処理」課題が二つ生じた。「構造改革」と「憲法改正」だ。
 3.にもかかわらず、安保政策も経済政策も変わらず、竹下・海部・宮沢内閣の時代に「内需拡大策、四百数十兆円の国内投資」を対米公約にさせられた。
 4.ケインズ主義的景気刺激策としての公共投資・需要創造によっても景気は回復しなかった。戸惑っているうちに、経済の<戦後ドリーム>の崩壊は「政治危機に発展」し、細川内閣・村山内閣誕生という「混乱した事態」となり、国内的な「政治的意思決定が全くできない政権が橋本内閣の前まで続いた」。
 5.バブル崩壊の影響は深刻で「日本の金融システムを危機に陥れ、日本経済の「戦後レジーム」を崩壊させて行った」。
 そこで日本経済の自主的な「構造改革」の必要性が明確に認識された。「金融ビッグバン」の完成は、2001年・小泉政権誕生の年だった。
 6.英米から始まった経済改革(サッチャー・レーガン)は大きな世界的潮流だったが、日本は認識が遅れ、国内は<戦後体制>のままで凌げるという「無知と楽観」が「バブルの発生と崩壊」をもたらした。日本経済のどん底化を経験して初めて「構造改革」の必要性に気づいた。
 日本人は視野狭窄で、「構造改革」が<大きな政府から小さな政府へ>への転換という「資本主義の本質的問題と結びついている」ことが理解できなかった。21世紀を前に、日本は「決定的な出遅れ」をした。全ての原因は「世界を見る眼とそこでの国家戦略の欠如」だった。
 7.グローバル化・ボーダーレス化は経済次元のことで、個別国家の消失を意味しない。多くの国は国際経済の変化を自国の国力の向上に利用しようとした。日本もまた、「この潮流に抗して何が出来るか、遅くとも九〇年代始めに詰めて考えて置くべきだった」。経済とともに「安保つまり憲法改正と「国防の自立」も同時に着手しておくべきだった」。
 しかし、日本は古い経済システムの中では先頭にいたために認識が遅れた。「いまだに「国防の自立」が…世界で重要か、目覚めようとしない」のと同様だった。経済についての覚醒は橋本内閣以降で、明確な自覚は小泉内閣になってからだ。
 8.小泉内閣登場までの「失われた十年」に「国家の競争力にとって非常にまずい」ことがあったが、それは「「第二の敗戦」のまごうことなき結果」だ。しかし、その責任の議論や総括は全くなされていない。
 小渕内閣・森内閣でもまだ「財政出動」による「景気回復」という議論と政策を続け、「ドブに金を捨てる」ことになったが、財政赤字が最大になった宮沢内閣、小渕内閣の宮沢蔵相、ということからして、財政積極論者・アメリカ「タダ乗り」論者・「「大きな政府」の体現者」だった宮沢喜一は、「第二の敗戦の「A級戦犯」の筆頭」に他ならない。
 9.グローバル化もマクロ的には終わろうとし、欧米では活性化とともに生じたカオスを調整する段階に入っている。それが「新・新保守」・「ネオ・ネオコンサーバティブ」ともいうべきフランスのサルコジ、ドイツのメルケル等の政権だ。日本では小泉政権がサッチャーの役割を果たしたとすれば、安倍政権のすべきことは「小さな政府」(構造改革)が引き起こした大波、小波を日本独自のやり方で克服していく作業」だ。
 10.小泉構造改革により景気は全体として顕著に回復した。その過程での「陰」・「負」の部分のみを指摘するのは正しくない。
 雇用の問題は重要だ。一方、「「官の支配」の打破」も重要で、安倍首相は公務員制度改革の入口・「天下り」規制に取り組んだが、「徹底的にやらないと、日本経済のさらなる潜在力は発揮できない」。それこそ「戦後レジームからの脱却」で、「官の支配」という日本の根本的構造を変えないと他の一切の構造改革は進まない。「「官の構造」に大きなメスを入れる」ことは「安倍改革の大きなテーマ」だ。
 以上。
 1990年前後に日本は大きな転機を遂げた。中西は「第二の敗戦」と位置づける。それから20年近くも経つのだが、立花隆は相変わらず日本が「繁栄」しているという前提でモノを書いている。彼の本が一番売れた頃と時代自体が相当に変わっていることが、立花隆には全く見えていない。
 それはともかく、むろん上述のとおり、中西の議論の妥当性を証することはできないが、世界の中での日本の位置と日本独自の課題、小泉内閣や安倍内閣の性格・課題等について、示唆に富むと言えるだろう。
 中西は政治学者の一人の筈だが、財政・経済問題にも関心を持っており、詳しそうだ。そしてやはり、それこそ人びとの<生活>に最終的には直結する経済・財政政策こそが政治にとっては最重要又は最も基礎的だと感じる。
 7党党首討論会で安倍首相は<自分は財政主義者ではない、経済主義者だ>と発言したのだったが、理解した政治部記者や国民はどれほどいただろうか(私には解る)。
 また、安倍首相は<改革か逆行か、成長か逆行か>と訴えているが、これの意味を理解できる政治部記者や国民はどれほどいるだろうか(私には解る)。
 安倍首相がハード・イシューを取り上げ、国民にわかりやすく説明していないという批判は十分にありうると思うが、彼の主張が誤っているわけではない。経済成長があってこそ借金を返せるし、福祉・社会保障にも金を回せるのだ。
 中西が最後に指摘する<官の支配の打破>もなるほどと思わせる。OBを含む上級官僚も含めて、安倍に批判的な官僚がいるのも解るような気がする。
 たぶん前の日曜日の午前八時台のトーク番組で、元大蔵省の榊原英資がしたり顔で安倍内閣には<ガヴァナビリティ(Governability)>(統治能力)という点で問題がある旨を言い、安倍の指揮能力を疑問視したいふうだったが、彼自身が<第二の敗戦>の責任を負うべき大蔵省の有力官僚の一人だったのではなかろうか。そしてまた、彼は、日本全体、日本の将来のことよりも、後輩たちを含む「官僚」世界の既得権的地位の保持に関心を持っているのではなかろうか。そういう人物が、客観的に安倍政権を理解・論評できるはずがない。
 中西は安倍政権が参院選後も継続するという前提で、この論文を執筆しただろう。「官の打破」を含む「安倍改革」を継続・推進するためにも、安倍首相や彼を支える自民党は頑張ってほしいものだ

0116/小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)を少し読む。

 日本国憲法「無効」論について、小山常実の別冊正論Extra.06上の「無効論の立場から-占領管理基本法学から真の憲法学へ」を読んで、過日簡単に疑問を書いた。主として、1.「無効」の意味・この概念の使い方、2.「無効確認」主体、の問題だったかと思う。
 この2.については十分な説明がなく憲法学界が無効確認などできる筈がないなどの頓珍漢な指摘もしたのだが、別の方から、国会で可能だ旨の情報も提供していただいたものの、小山常実・憲法無効論とは何か(展転社、2006)によると、正確にはこうだ。この点にかかわる問題のみを今回は主として扱う。なお、小山・「日本国憲法」無効論(草思社、2002年)も所持しているので、「第一書」としてp.数だけを示しておく。
 新憲法制定のための「第一段階の第一作業」は、日本国憲法の「無効と明治憲法の復原を確認すること」で、「法的にいえば、首相他内閣を構成する国務大臣の副署に基づき、天皇が無効・復原確認を行えば十分である」(p.140。第一書、p.248)。
 答えは、天皇なのだ。そして、現日本国憲法を<裁可し、公布せしめ>たのは天皇であり、施行文後の御名御璽の後に「副署」したのは当時の首相他の閣僚なので、いちおう-後述の疑問はあるが-論理一貫している。但し、次の文は、いけない。
 「ただし、政治的には国会による決議がなければ立ち行かないだろう。それゆえ、国会による決議を経て、内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為を行う形がよい」(p.140。第一書にはないようだ)。
 これは一体何だろう。「政治的には」とは一体何だろう。法的議論をしている筈なのに、「政治的」又は「現実的」な議論を混淆させている。それに「政治的には、国会による決議がなければ立ち行かないだろう」というのも奇妙なことで、法的に全く問題がなければ、「首相他内閣を構成する国務大臣の副署に基づき、天皇が」行うので、それこそ「十分」な筈なのではなかろうか。
 こんな疑問がまず生じるが、できるだけ国民の総意でという形をとるために国民代表で構成される「
国会による決議」を経た方が望ましい、という趣旨だと理解することはできる。
 だが上にいう「国会」とは何だろうか。日本国憲法制定時には国会は衆議院と貴族院で構成されており、貴族院議員も審議に参加していた。ここでの「国会」とは衆議院なのか、それとも貴族院を復活させるのか(無効確認の段階ではまだ復活していない?)、いや参議院を含めるのか、が明らかではないようだ。
 但し、無効・復原確認後の明治憲法改正=真正な新憲法制定については、次のように書いている。
 「明治憲法第七三条によれば、天皇が発議して、貴族院と衆議院で可決されて憲法改正が行われる。貴族院はもう存在しないから、参議院によって代替すればよいだろう」(p.144。第一書、p.248)。
 何とここではあっさりと、参議院をもって貴族院に「代替」させるのがよい、と明記している。しかし、貴族院と参議院とは、第二院という点では共通性はあるかもしれないが、選出方法・構成はまるで異なっている。第二衆議院とか衆議院のカーボンコピーと言われることもある参議院に貴族院の「代わり」をさせるのは、明治憲法七三条の趣旨に適合的なのだろうか。少なくとも、復原した明治憲法の下での議論としては、「貴族院はもう存在しないから、参議院によって代替すればよいだろう」などと簡単に言い切ってはいけないのではなかろうか(明治憲法が復活したとすれば「貴族院」をいったん復活させて新「貴族院」を設置し(議員の選出・構成は難問だが)、憲法改正だけの任を与えることも考えられよう)。
 以上の他、次のような疑問もある。日本国憲法「無効」論が絶対に「正しく」、関係機関又はその担当者は全員がこの考え方を支持してくれる筈だ、という前提に立たないかぎり、当然に生じる疑問だと思われる。
 第一に、国会(この意味が不明なことは既述)が日本国憲法を「無効」と考えず、「無効」という「国会による決議
」ができないことも想定できる。この場合はどうなるのか。
 もっとも、「国会による決議」は「政治的には」
あった方が望ましいものであるならば、これを欠いても、無効・復原が確認できないわけではないということになるのだろう。
 では第二に、かりに天皇陛下は「無効」と考えられても、「首相他内閣を構成する国務大臣」
はそう判断せず、副署もしない場合はどうなるのだろうか。終戦詔勅の場合と同様に首相等の国務大臣は唯々諾々と服従するのだろうか。
 逆に、かりに首相等の国務大臣は一致して「無効」と考えても、天皇陛下はそうはお考えにならない場合はどうなるのだろうか。
 そんなことはあり得ないということを前提として立論されているのだろうとは思うが、しかし、現実的には、こういう場合も想定しての「法的」議論も用意しておかなければならないのではなかろうか(そういう場合は無効確認ができないだけ、という結論になるのだろうか。それなら簡単だが)。
 第三に、より現実的な疑問がある。現日本国憲法を<裁可し、公布せしめ>たのは昭和天皇であり、今上天皇ではなかった。「副署」したのは当時の首相等の国務大臣であり現在の首相等ではなかった。
 当時の天皇陛下や首相等の「本心」・「内心」というものが明瞭に分かる資料は恐らく存在しないのだが、昭和天皇は、こんな明治憲法改正・日本国憲法は「無効」だと思われつつも不本意に<裁可し、公布せしめ>たのだろうか。吉田首相等も、こんな日本国憲法は「無効」だと思いつつ不本意にも「副署」したのだろうか。
 むろん、天皇も首相等も国家機関の一種であり、担当者(?)が変われば異なる意思を持ちうる、という理屈は成り立つ。従って、「
内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為」を行うことが法的にも事実的にもできなくはない、と考える。
 しかし、現実論としては、昭和天皇等が「無効」だと感じつつやむを得ず「裁可」し「副署」したという事情が明瞭に伝えられていないかぎり、今上天皇等が「無効」との判断に至る可能性は極めて乏しく、現実的可能性は0.1%もないものと思われる。それよりは、天皇と首相以下の国務大臣との間で見解が齟齬する現実的可能性の方がほんの少し高いだろう。
 むろん、上のような事情は日本国憲法制定・施行後60年の「欺瞞」によるのだ、「大ウソ」の教育・報道等によるのだ、と主張したい(であろう)ことはよく理解できる。だがいかに「正しい」理論でも支持者が微少であれば、現実的な「力」をもちえない。「正しい」理論であれば大多数の者によって支持される筈だ、というのは理想かもしれないが、現実は必ずしもそうはならない。
 現在の国会議員にしろ、2005年の両院の憲法調査報告書はおそらく日本国憲法「無効」論に殆ど又は全く言及しておらず、有効論に立っての諸意見を記載しているものと推察される。近年の各政党の有力者の発言を聞いても、日本国憲法「無効」論に立つ発言は一つもない筈だ(日本共産党と社会民主党が現憲法の有効性を前提として、九条墨守論を主張しているのも明瞭なことだ)。
 昨5月3日に護憲・改憲両派を「無効」論に立って批判する集会等もあったのかもしれないが、残念ながら(おそらく)一切報道されていないようだ。
 このような状況を現内閣構成者は勿論、今上天皇陛下もご存知の筈だ。
 日本国憲法「無効」論者にとって、一般国民はまだしも、天皇陛下の支持を獲得することは決定的に重要なことだが、今上(明仁)天皇は日本国憲法を憲法としては「無効」と考えておられるのか。
 以上、要するに、法的にも事実的にも、「内閣総理大臣他の副署に基づき、天皇が正式に無効と復原の確認行為」を行うことが不可能だとは思わない。だが、その現実的可能性は極めて乏しく、ほぼ(絶対に近いほどに)絶望的だ、と考えられる。
 以上のような判断には、そもそも日本国憲法が「無効」とする論拠が必ずしも説得的ではないという理由づけが付着しているのだが、この問題は今回は省略する。
 この機会に別の、誤りだと思う点を指摘させていただく。小山・上掲書p.142はこう書いている。
 旧西独は「半年かけてドイツ人自身が起草した「ボン基本法」のことを、占領下ではドイツ人の自由意思は存在しないという理由から、占領下の暫定的な基本法または暫定憲法にすぎないと位置づけた」/「…旧西ドイツは、占領中は少なくとも永久憲法を作ることは出来ないという立場を明確にした」。
 私は憲法学者ではないが、次のことくらいは知っている。端的にいえば、
「ボン基本法」が「暫定憲法」として位置づけられたのは、「占領下ではドイツ人の自由意思は存在しないという理由から」では全くなく、国土・国民が二つに分裂していたからだ(p.141の条項にいう「ドイツ人民」には東独領域のドイツ人を含むのだ)。
 
「暫定」ということの意味は、「占領」期間に限ってという意味ではなく、将来東西のドイツが統一するまでの「暫定
」、という意味なのだ(首都もフランクフルトにすると永続的印象を与えかねないということであえて小都市・ボンが選ばれた)。
 たしかに1949年9月の西独=ドイツ連邦共和国発足前の「占領」中の同年5月に「ボン基本法」(「ドイツ連邦共和国のための基本法律」)は制定・施行されているが、僅か4ケ月というタイムラグを考えても、「ボン基本法」は西独という一国家にとっての正式の憲法的意味あいを持つ法(正確には特別の性格をもつ法律)として施行されたのであり、西独の発足時にいったん「無効」とされたりはしていない。占領中に施行された憲法(・基本法)が無効なら、その改正も全て「無効」となる筈だが、西ドイツは頻繁に「ボン基本法」を改正してきた。
 従って、西ドイツの例は、日本国憲法「無効」論のために有利には利用できない。
 (なお、東独を吸収・統一して統一国家のための新「憲法」制定となるのかと思ったが、現実的発想というべきか、「ボン基本法」の一条項を利用して東独を併合し、むろん多少の改正をしたうえで「ボン基本法」(正式名称は上記)の名称を改めることなくそのまま旧東ドイツ領域にも適用している。)
 ところで、過日、日本国憲法「無効」論に多少の疑問を示す文章を書いたら、すみやかに「改憲論者の ドアホ!」(実際にはもっと大きい)と色付きで大書した一頁をもつブログ等がTBで貼り付けられた。「ドアホ!」という大きな字を見るのは不快なのでTB不許可の設定にしたら、今度は、同じハンドルネームの人から<TB不許可か、「よくやるね」>とのコメントが送られてきた。
 これも気持ちが悪いので、もっぱらこの人に対する防御を目的として、今のところTBもコメントも不許可にしている。どうかご容赦願いたい
 小山常実は上の著で、「党派を問わず、「日本国憲法」を憲法と認められない全ての方には、…加わっていただきたい」と書いておられる(p.161)。
 私は小山の二つの本を所持し部分的には読み、渡部昇一=南出喜久治の共著も(未読だが)所持している。珍しい、奇特な人間の一人ではないかと思っているが、「改憲論者の ドアホ!」(実際にはもっと大きい)との色付きの大きな字等を貼り付けるなどというのは(色は忘れたし、確認する気もない)、支持者を増やすのを却って妨げることになるのではなかろうか。
 議論は好んでするが、従うか・従わないかと詰問されるような雰囲気は、好みではない。

0109/藤原正彦の短い「日本国憲法」論に寄せて。

 藤原正彦は、産経4/28の「「昭和の日」を語る」の中で、日本国憲法について、こう書いている。
 「今の憲法は連合国軍総司令部(GHQ)の占領下で、押しつけられたものだ。いつまでも守り続けるのは国辱でもある。自前で全部作り直すのは当たり前だ。だが、誰が作るのかと考えると頭を抱え込んでしまう。/戦後、教育を壊され、祖国への誇りを持たない国民になってしまったからだ。他のどの国とも違う国柄を持つ日本にふさわしい憲法をつくらなければならない。
 短い文だが、日本国憲法が「押しつけられたもの」としつつも「無効」なものとはツユも言及しておらず、その上で、「自前で全部作り直すのは当たり前だ」、とする。
 至極まっとうな、常識的な、日本人として「ふつうの」感覚だと思う。
 その後の文も共感を覚えるところがある。すなわち、私の言葉を使えば、「自前で」「作り直す」べき主体のほとんどは、戦後の「平等・民主主義・平和・無国籍」教育を受けた者たちなのだ。「他のどの国とも違う国柄を持つ日本にふさわしい憲法」を制定できるだろうか。
 
よく「保守」派=改憲派といわれる。
 だが、筑紫哲也は今年になってからのいつか、テレビニュースの最後に、<戦後に生きてきた者としては、戦後の終わりが新しい戦前の始まりにならないように願っている>とかの旨を言っていた。例の如く、戦争への道を歩まないように、との「サヨク」的偏見に充ちたフレーズなのだが、そこには「戦後」的価値を守りたい、保守したい、との<気分>が表れていた。
 護憲派こそ、上のような意味では「保守」派なのだ。改憲派こそが現状を変革しようとする「革新」派に他ならない。
 そして、一般的にいって、現状維持の意味での「保守」よりは、「革新」・「変革」の方がじつは困難なのだ。
 憲法改正が現実的問題になるのは早くても三年後以降のようだが、かりに現時点で国会が改正の発議をし国民投票がなされれば、否決される(承認されない)可能性の方が高いように思われる。
 日本共産党等々はすでに九条二項絶対「保守」のための運動を(各種ブログサイト上も含めて)行っている。
 これに対して、改憲派の国民運動など殆どどこにも存在しないのではないか。改正案を作った筈の自民党はその内容を広く国民に知ってもらう運動を十分にしているだろうか。同党は、少なくとも憲法改正に関する思考・議論を誘発するような活動を十分にしているだろうか。
 安倍首相が改憲を目標に掲げるのは結構なのだが、今のところはまだ「上滑り」的な印象がある。
 私自身が一般マスコミに毒されているのかもしれないのだが、改憲(憲法改正)の時期にはまだ達していない、時機がまだ熟していない、という印象が強い。
 別冊正論Extra.06・日本国憲法の正体(産経)に掲載の論稿のレベルの議論がなされているようでは、まだ途は遠いように思える。
 下手をして国民投票で否決される(承認されない)ようでは、日本人は「自前」の憲法を二度と持てなくなる懸念・不安がある。
 選挙の票には結びつき難いかもしれないのだが、本当に憲法改正=「自前」の憲法を持つことを目指している候補者は、7月の参院選挙でも、訴える事項の一つに<改憲>をきちんと加えるべきだろう。

0105/潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007)の渡部昇一による書評。

 産経新聞4/29に、渡部昇一による潮匡人・憲法九条は諸悪の根源(PHP、2007)の書評(紹介)が載っている。
 結論的に、「戦後の日本の平和が日米安保条約のおかげでなく、憲法九条のおかげだと言うのは誰にも分かる嘘である」、こうした「嘘を直視することのできる本書の出版を喜びたい」と評している。
 「誰にも分かる嘘」でありながら、立花隆呉智英はそれを信じているらしいことはすでに触れた。呉智英は、別冊正論Extra.06(産経新聞社、2007)に、「自衛隊、安保条約が平和を護ったのだと主張する人もいる。それも一理あるが、やはり中心にあるのは第九条である」と明言しつつ(p.190)、情報戦・謀略戦の重要性を説く、やや意味不明の一文を寄せている。
 それはともかく、渡部はこの潮の本を肯定的に評価していることは明らかだ。しかし、潮の本は、当然のこととして敢えて言及してもいないようだが、九条を含む現憲法が憲法として有効であること、「現行」憲法であることを前提にしている。
 一方、渡部はどうやら日本国憲法「無効」論を支持しているようで、この書評文の中でも、こう書く。
 「日本の常識が世界の常識からずれてしまった」のは「新憲法と呼ばれる占領軍政策の占領基本法を日本人が「憲法」であると考えるようになったから」だ、「憲法制定が、主権が失われた状態でできるわれがないという明白な事実を、当時の日本人はごまかし」、「そのごまかしは今まで続いている」。
 明瞭ではないが、<占領基本法を「憲法」と考えるごまかし>という表現の仕方は、私が多少の知識を得た日本国憲法「無効」論に適合的だ。
 かかる九条を含む現「憲法」無効論と九条を有効な憲法規範としたうえでそれを「諸悪の根源」とする本の「出版を喜びたい」とする評価は、両立するのだろうか。無効論・有効論に立ち入らずに、憲法としては本来は無効でも現実には通用しているかぎりで、九条が「諸悪の根源」と評価をすることもできるのだろうか。あるいは、渡部はそんな理屈あるいは疑問などを全く想定していないで書評しているのだろうか。
 というわけで、やや不思議な気がした書評文だった。
 潮匡人の本自体は、憲法制定過程には言及していないが、「憲法九条は諸悪の根源」であることを相当十分に論じており、何人かの九条護持論者を名指しで批判し、「戦後レジームからの脱却」のために(「日本の戦後」を終わらせるために)、「名実ともに、自衛隊を軍隊にすべきである」と最後に主張する、軍事問題に詳しい人の書いた、読みやすい好著だと思う。そうした「本書の出版を喜びたい」。 

0090/「日本国憲法無効」論に接して-小山常実氏の一文を読む。

 「日本国憲法無効」論というのがあるのを知って、先日、小山常実・「日本国憲法」無効論(草思社、2002)と渡部昇一=南出喜久治・日本国憲法無効論(ビジネス社、2007.04)の二つを入手し、おいおい読もうと思っていたのだが、昨日4/22に発売された別冊正論Extra.06・日本国憲法の正体(産経新聞社)の中に小山常実「無効論の立場から-占領管理基本法学から真の憲法学へ」があったので、「無効論」の要約的なものだろうと思い、読んでみた。
 大部分については、少なくとも「理解」できる。だが、大部分に「賛同」できるかというとそういうわけではなく、基本的な一部には疑問も生じる。小山氏の最新の憲法無効論とは何か(展転社、2006)を読めば解消するのかもしれないが、とりあえず、簡単に記しておこう。
 第一に、無効論者は(憲法としては)「無効」確認を主張しているが、「無効確認の効力は、将来に向けてのみ発生する」(p.109)、いずれの無効論も「戦後六十一年間の国家の行為を過去に遡ってなかったことにするのではない。…それゆえ、国家社会が混乱するわけではない」(p.112)とされる。
 このような印象を持ってはいなかったので勉強させていただいたが、しかし、上のような意味だとすれば、「無効」という言葉を使うのは法律学上通常の「無効」とは異なる新奇の「無効」概念であり、用語法に混乱を招くように思われる。
 無効とは、契約でも法的効果のある一方的な国家行為でもよいが、当初(行為時又は成立時)に遡って効力がない(=有効ではない)ことを意味する。無効確認によって当初から効力がなかったこと(無効だったこと)が「確認」され、その行為を不可欠の前提とする事後の全ての行為も無効となる。と、このように理解して用いられているのが「無効」概念ではなかろうか。
 選挙区定数が人口(有権者数)に比例しておらず選挙無効との訴訟(公職選挙法にもとづく)が提起され、最高裁は複数回請求を棄却しているが、憲法(選挙権の平等)に違反して無効であるが、既成事実を重く見て、請求は棄却する、と判示しているのでは、ない。憲法に違反しているが、無効ではない、という理由で請求を棄却している。無効と言ってしまえば、過去の(全て又は一部の選挙区の)選挙はやり直さなければならず、全ての選挙区の選挙が無効とされれば、選出議員がいなくなり、公職選挙法を合憲なものに改正する作業をすべき国会議員(両院のいずれかの全員)がいなくなってしまうからだ。
 余計なことを書いたが、民法学でもその他の分野でもよい、「無効」または「無効確認」を将来に向かってのみ効力を無くす、という意味では用いてきてはいないはずだ(なお、「取消し」も原則的には、遡及して効力を消滅せしめる、という意味だ)。
 さらに第一点に関連して続ければ、なぜ「過去に遡ってなかったことにするのではない」のかの理由・根拠がよくわからない。憲法としては無効だが、60年までは「占領管理基本法」として、その後は<国家運営臨時措置法>として有効だという趣旨だろうか。
 そうだとすると日本国「憲法無効」論というやや仰々しい表現にもかかわらず、憲法以外の法規範としての効力は認めることとなり、この説の意味・機能、そして存在意義が問題になる。
 第二に、「日本国憲法無効」論者は、憲法としては無効で、占領下では「占領下暫定代用法」、占領「管理基本法」又は「占領管理法」、「暫定基本法」又は「講和条約群の一つ」と「日本国憲法」を性格づけるらしい(p.109)。
 占領後についての<国家運営臨時措置法>に関してもいえるが、上の「講和条約群の一つ」が「日本国憲法」を条約の一種と見ているようであるものの、その他のものについては、それがいかなる法形式のものであるのか、曖昧だ。
 条約は別として、立法形式としては、法律以上では(つまり政令や条例等を別にすれば)、法律と憲法しか存在しないはずだ。
 ということは、「占領下暫定代用法」、占領「管理基本法」・「占領管理法」、「暫定基本法」、<国家運営臨時措置法>は法律のはずなのだ。そして、ということは、たんなる法律であれば、事後法、特別法の優先が働いて、その所謂「占領管理基本法」に違反する法律も何ら違法ではない、ということを意味する。法律として、効力は対等なのだ。さらに、ということは、現在は現実にときに問題となる法律の「日本国憲法」適合性は、全く問題にならないことを意味する。「占領管理基本法」等との整合性は(教育基本法もそうなのだが)法的にではなく、政治的に要請されるにとどまる。だが、それにしては、「占領管理基本法」等としての「日本国憲法」は、内閣総理大臣の選出方法、司法権の構成、「地方公共団体の長」の選出方法(住民公選)、裁判官の罷免方法等々、曖昧ではない「固い」・明確な規定をたくさん持っている(「人権」条項は教育基本法の定めと同様の「理念」的規定と言えるとしても)。
 「教育基本法」、「建築基準法」等と「~法」という題名になっていても「法律」だ。ドイツには、可決に特別多数を要する法律と、過半数で足りる「普通法律」とがあるらしいが、日本では(たぶん戦前も)そのような区別を知らない。
 「日本国憲法無効」論者が「日本国憲法」を憲法以外の他の性格のものと位置づけるとき、上のことは十分に意識されているだろうか。再述すれば、憲法と法律の間に「法」又は「基本法」という中間的な「法」規範の存在形式はないのだ。
 さらに第二点に関連して続れば、「日本国憲法」無効論者は瑕疵の治癒、追認、時効(私が追記すれば他に「(憲法)慣習法」化論もありうるだろう。「無効行為の転換」は意味不明だ)等による日本国憲法の有効視、正当化を批判しているが、このような後者の議論と、「占領管理基本法」等として有効視する議論は、実質的にどこが違うのだろうか。「無効」論者が「過去に遡ってなかったことにするのではない」というとき、瑕疵の治癒、追認、時効、慣習法化等々の<既成事実の重み>を尊重する議論を少なくともある程度は実質的には採用しているのではあるまいか。
 ちなみに、細かいことだが、<「治癒」できないような絶対的な「瑕疵」>との概念(p.112)は理解できる。だが、そのような概念を用いた議論のためには、「治癒」できる「瑕疵」と「治癒」できない絶対的な「瑕疵」の区別の基準を明瞭に示しておいていただく必要がある。
 第三に、(憲法としての)「無効」確認を主張しているようだが、「無効」確認をする、又はすべき主体は誰又はどの国家機関なのか。
 p.115は<「憲法学」は…「日本国憲法」が無効なことを確認すべきである>という。
 ここでの「憲法学」とは何か。憲法学者の集まりの憲法学界又は憲法学会をおそらくは意味していそうだ。
 だが、たかが「学界」又は「学会」が「無効」確認をして(あるいは「無効」を宣言して)、日本国憲法の「無効」性が確認されるわけがない。無効と考える憲法学者が多数派を占めれば「無効」確認が可能だ、と考えられているとすれば、奇妙で採用され難い前提に立っている。
 では、最高裁判所なのか。最高裁は「日本国憲法」によって新設された国家機関で、自らの基礎である「日本国憲法」の無効性・有効性を(あるいは「占領管理基本法」等と性格づければ自らを否定することにはならないとしても、いずれにせよ自らの存在根拠の無効性・有効性)を審査するだろうか。また、そもそもどういう請求をして「無効確認」してもらえるかの適切な方法を思い浮かべられない(いわゆる「事件性」の要求又は「付随的違憲審査制」にかかわる)。
 現憲法41条にいう「国権の最高機関」としての国会なのか、と考えても、同様のことが言える。(では、天皇陛下なのか?)
 要するに、無効である、無効を確認すべきである、とか言っても、一つの(憲法)学説にすぎないのであり、現実的に又は制度的に「無効」が確認されることは、ほぼ絶対的にありえないのではなかろうか。とすると、考え方又は主張としては魅力がある「日本国憲法」無効論も、実際的に見るとそれが現実化されることはほぼありえない、という意味で、やや失礼な表現かもしれないが、机上の空論なのではあるまいか。
 第四に(今までのような<疑問>ではない)、「日本国憲法」無効論は、このたび読んだ小山の一文が明示しているわけではないが、現憲法の有効性を前提とする改憲論・護憲論をいずれも誤った前提に立つものとして斥け、「日本国憲法」無効論にこそ立脚すべき、という議論のようだ。
 運動論として言えば、そう排他的?にならないで、内容や制定過程の問題も十分に(人によれば多少は)理解していると思われる<改憲派>と「共闘」して欲しいものだ、と思っている。
 ただ、次のような文は上のような「夢」を打ち砕く可能性がある。
 <将来「日本国憲法」がどのような内容に改正されようとも、改定「日本国憲法」は、引き続き、国家運営のための臨時措置法〔法律だ-秋月〕にすぎない>(p.111)。
 このように理解してしまうと、日本は永遠に「真正の」憲法を持てなくなってしまう可能性がある。
 もっとも、<「憲法学」は、「日本国憲法」無効論の立場に立ち、明治憲法の復元改正という形で改憲を主張しなければならない>(p.115)とも書かれているので、「明治憲法の復元改正」を経るならば、わが日本国も「真正の」憲法を持てるのだろう。その現実的可能性があるか、と問われれば、ほぼ絶望的に感じるが…。
 疑問を中心に書いてきたが、私もまた-別の機会に書くが-現在の憲法学界らしきものに対しては大きな不満を持っている。そして、次の文章(p.111)には100%賛同する、と申し上げておく。
 <戦後の「憲法学」は「日本固有の原理」を完全に無視し、「人類普遍の原理」だけを追求してきた。「憲法学者」は、日本固有の歴史も宗教も考慮せず、明治憲法史の研究さえも疎かにしてきた。彼らが参考にするのは、西欧と米国の歴史であり、西欧米国の憲法史であった。取り上げられたとしても、日本の歴史、憲法史は、西欧米国史に現れた理念によって断罪される役回りであった。そして、日本及び日本人を差別する思想を育んできたのである。
 憲法学者のうちおそらくは90%以上になると推定するが、このような戦後「憲法学」を身につけた憲法学者(憲法学の教師)によって法学部の学生たちは「憲法」という科目を学び、他の学部の学生たちも一般教養科目としての「憲法」又は「日本国憲法」を学び、高校までの教師になりたい者は必修科目(たしか「教職科目」という)としての「日本国憲法」を学んできたのだ。
 上級を含む法学部出身等の国家・地方公務員、他学部出身者を含むマスコミ・メディア就職者、小・中・高校の教師たち等々に、かかる憲法学の影響が全くなかったなどということは、到底考えられない。そして施行後もう60年も経つ。上に使ったのとは別の意味で、やや絶望的な気分になりそうでもある…。
 (不躾ながら、これまでにTBして貰った際の「無効論」のブログ元の文章は、文字の大きさ不揃い、私にはカラフル過ぎ等もあって-一番は「重たい」テーマだからだったろうが-読んでいない。)

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