秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

出雲大社

1421/美しい日本03-神社仏閣の位置02。

 上州一宮・貫前(ぬきさき)神社を訪れたとき、最寄り駅から県道か市道へと登って横断したのち一挙に下って境内に入っていく、という高低差に驚いた。正確には、上がっていかずに下っていく、という神社の位置に驚いた。
 というのは、神社も寺院も、参拝口にある楼門または山門までもふつうはそうだろうし、とりわけ楼門・山門から本殿・本堂までは同じ平地上か、後者が前者よりも少しは高い場所に位置することが圧倒的に多いと思われるからだ。そのような例はいくらでも思い出せる。
 ひょっとすれば、貫前神社の楼門と本殿は同じ高さにあったのかもしれないが、楼門まではかなりの傾斜を下らなければならなかった。珍しいな、という感覚を持ったのは確かだ。
 そういう位置関係でこれまたほぼ正確なと感じるほどの記憶とともにに思い出すのは、寺院では、京都・泉涌寺(せんにゅうじ)だ。山門までタクシーで登り、または歩いて登りきって、山門をくぐり抜けると、何と石砂の参道が明らかに下っていて、本堂かそれらしきものの屋根が、両脇の叢林の間に、下方に見える。
 のちに、同寺の本堂および拝観対象の建物へは、山門まで登らなくとも、ほぼ同じ高さにある地点(今熊野観音寺への参道へと同じか近い)から歩いた方が近くて早いことに気づいた。だが、泉涌寺の最初の訪問では、立派な山門までとりあえず行ってしまうのも無理はないだろう。
 上の二つに比べると微細な変化だが、出雲大社の大鳥居から本殿方向へも、最初は少しずつ下っている。そのような<さがり参道>は、出雲大社の、いくつかの不思議の一つであるらしい。もっとも、そのような高低差を意識していないと、まったく気づかない程度のものだが。
出雲大社の場合、建造時の人々が意識的にそうしたのかは知らない。だが、これ以外の上の二つについては、意識的にそのように作られたとしか思えない。神社本殿は「南」面しており、寺の本堂は「西」面しているようだが、南または西の方向に高く隆起した土地があることは、建造時から明白だったはずだろう。そして、なぜそのような場所に立地させたのかは私には分からない。
 なお、泉涌寺は観光寺院ではないこともあり、何やら清々しく感じられる。かつまたこの寺は御寺(みてら)とも呼ばれ、天皇・皇室ときわめて関係が深い。周囲にはいくつかの天皇の御陵があり、これらは今は国有地・宮内庁管理だが、かつてこの寺が何代かの天皇の菩提寺であったことが(文献で確かめる必要なく)明らかだ。
奈良時代の天皇を除く今日までの全天皇の位牌に対して、毎朝、法要・供養が続けられていると聞いて、気の遠くなるような思いをしたことがある。
 なぜ奈良時代の(正確にはたしか天武以下の)諸天皇だけは、除外されているのか。歴史好き、逆説好きの人ならば想像できるだろうが、テーマから逸れるので、省く。

0826/長部日出雄・「君が代」肯定論(小学館101新書)の一感想。

 長部日出雄・「君が代」肯定論(小学館101新書、2009)はずっと前に、概略は読んだ。タイトルはテーマではなく(あるいは一つにすぎず)、「世界に誇れる日本美ベストテン」として、伊勢神宮・出雲大社・古事記・法隆寺五重塔・東大寺大仏・明治神宮・「羅生門」・「釈迦十大弟子」・「お伽草紙」・「君が代」を挙げて、それぞれにつき叙述する。
 書物の趣旨・内容に大きな不満はないし、むしろ肯定的に読まれるべきだろう。
 しかし、気になることもある。
 第一。伊勢神宮を語るのに、カント→カントの墓のあるカリーニングラードで成育した建築家ブルーノ・タウト、という外国人二人からなぜ始めるのだろう。
 出雲大社を語るのに、ラフカディオ・カーンという外国人の経歴からなぜ始めるのだろう。
 古事記を語るのに、外国人作家C・S・ルイスの作品からなぜ書き始めるのだろう。
 東大寺大仏に関する叙述はなぜ、マックス・ウェーバーから始まるのだろう。
 文章の書き方の趣味・作法の一つと言われれば、そうだというしかないかもしれないけれども。
 第二。かつて何であったか忘れたが、長部日出雄の文章の内容に感心・共感するともに、「左翼臭」を感じたこともあった。
 長部が伊勢神宮を初めて訪れたのは「なんと還暦をすぎてから」らしい(p.24)。「敗戦直後」の「いちばん多感な少年期」のために、「皇国史観アレルギー」が「骨髄まで徹して」、伊勢神宮を含む高校の修学旅行への参加を拒否し、「以後もずっとそこを敬して遠ざける人生」だった、という(同上)。
 同書の著者経歴欄によると、長部日出雄(1934~)は大学中退後、「週刊誌記者、フリーライター」を経て「作家」活動に入っている。
 「皇国史観アレルギー」が「骨髄まで徹して」、伊勢神宮を「敬して遠ざけ」てきたのが正確にいつまでなのかは分からないが、中高年になっても、少なくとも「還暦」の頃までは、上のような心情・態度だったと推察される。「還暦をすぎて」、「生まれて初めて鳥居をくぐって、…一回りしたとたんに、いっぺんに宗旨変えし」た、と書いている(p.24)。
 伊勢神宮のもつ不思議な力については共感する。
 だが、気になるのは、とくに「週刊誌記者、フリーライター」の時代に、「皇国史観アレルギー」を抱きつつ、いかほど<進歩的>・<左翼的>な文章を書いてきたのだろう、ということだ。そして、読者にいかほど<進歩的>・<左翼的>な影響を与えてきたのだろう、ということだ。そのような文章を、今では<自責>とでも称しうるような感覚で振り返っているのだろうか。
 他人の、しかも「作家」様の人生経路を、とやかく言う資格はないかもしれないけれども。

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