秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

公職追放

0201/現憲法制定過程-古関彰一・新憲法の誕生(中公文庫、1995)を読む。

 現憲法制定過程に関する言及を続ける。1946年前半の関係日付の一部は既に記したが、背景状況に関するものとして、5/03に所謂東京裁判が開廷したが天皇の処遇は不明で検事による天皇不訴追の言明は6/18だったこと、5/12に「朕はタラフク食ってるゾ。汝人民飢えて死ね」のプラカードで知られる米よこせ世田谷区民集会の皇居デモに見られるように食糧事情は不十分だったこと(これは「公職追放」が家族を含めての生活苦をもたらし得ることを意味した)を追記しておく(なお、吉田内閣発足は5/22)。
 これまで、古関彰一・新憲法の誕生(中公文庫、1995、初出1989)という本が別にあることを承知で、かつ読まないままで書いてきた。今回はこの本に言及する。
 この本によると、2/13にGHQ(ホイットニー民政局長ら計4名)から憲法草案の手交を受けたのは松本烝治の他吉田茂外相、白州次郎他1名。その後の最初の閣議は2/19。この閣議上で松本が2/13のGHQ側の発言内容を紹介したその内容が問題になったようで、古関によれば、松本はGHQ案不採用だと「天皇の身体を保障することはできない」とホイットニーが「脅迫的に」述べ、これがのちの新憲法「押しつけ」論の「究極の根拠」になっているが、芦田均日記によれば「むしろ逆に、天皇を護る警告」の如く記されており、後者が適切だという(p.167)。
 しかし、この分析は奇妙だ。p.157-8に長く引用されている会議録上のホイットニー発言の内容を読んでも、受容しないと天皇を護れないとの「脅迫」と、受容すれば天皇を護れるとの「警告」とは、「むしろ逆」のものではなく、同じことの別表現ではないか。
 古関によれば次に、2/19以降の閣議でGHQ案の英文全文は配布されたことがなく(松本・幣原・吉田の他に閣僚でない白州・佐藤達夫のみが保有したらしい)、GHQ案の受容を決定した2/22の閣議には第一章(天皇)・第二章(戦争放棄)のみの日本語訳文が配布され、日本語訳全文が配布されたのは2/26の閣議だった(p.170-2)。かかる経緯につき古関は、内閣には「冷静に議論する土台すらできていなかった」、「天皇制を護ること…以外に、思想らしい思想をたたかわす憲法論議はないままに、GHQ案受け入れへと歴史の歯車は大きく回った」と述べた後、こう結論づける-「これは8月15日につづく第二の敗戦であった。「押しつけとは武力による敗戦に続く、政治理念、歴史認識の敗北であり、憲法思想の決定的敗北を意味した」(p.172-第五章の末尾)。
 古関の今回言及の著は九条の日本人発案説を採っているわけではない。また、上の如く新憲法についての「GHQ案受け入れ」は「第二の敗戦」だったと明言している。
 この著の
第五章のタイトルの「第二の「敗戦」―「押しつけ」とはなんであったのか」という設問への回答は、上に引用の「武力による敗戦に続く、政治理念、歴史認識の敗北であり、憲法思想の決定的敗北」(p.172)ということになるのだろう。そしてかかる結論は「押しつけ」だったことの肯定を前提にしている、と常識的には理解してよいだろう。
 しかし、先に紹介したように、新憲法「押しつけ」論の「究極の根拠」になっているという2/19の松本発言の理解を彼自身は否定していることとの論理的関係がよく分からない。
 古関によれば、彼自身が日本国憲法「押しつけ」論の「究極の論拠」となったとする松本の「脅迫的」理解は誤りで、(前回指摘したように矛盾していないと私は思うが)「天皇制を護る警告のごとく」理解すべきなのだ(p.167)。p.166-7とp.172はどう整合しているのか、矛盾してはいないのか、よく解らない。
 また、GHQ案受容は「政治理念、歴史認識」、「憲法思想」の「敗北」であり、「第二の敗戦」と古関は言うが、憲法改正に関してGHQ又は米国と「政治理念、歴史認識」、「憲法思想」を対等に闘わせることのできる時代状況にあったのだろうか。そもそもが降伏後半年後の「占領下」に占領軍最高司令部により「案」が示され、昭和天皇一身の将来も不明、国民生活は困窮、経済復興・発展は未展望という状況だったのであり、「政治理念、歴史認識、憲法思想」を対等に闘わせることを期待する方が無理というものではないか。
 さらには、自国の憲法改正(新憲法制定)につき他国(米国・GHQ)による提案・関与があったこと自体が「異様」なのであり、「憲法思想」等の外国との闘い(勝利・「敗北」)を語ること自体が「異様」なのでないか。
 付記すれば、古関は「敗北」を日本国・日本人のそれと理解しているのか、日本の当時の「支配層」の敗北と考えているのか。少し言い換えると、「敗北」という語を彼自身を含む日本国・日本人の問題としてGHQ・米国に対する怒りの感情も含めて使っているのか、それとも日本の当時の「支配層」に対する怒りが主で、敗北につき当時の日本政府の「責任」を追及する気分で使っているのだろうか。
 「押しつけ」か否かは、通常は日本国憲法の出自の正当性の問題として論じられ、私もその観点から関心をもつ。だが、古関が「押しつけ」た側の責任若しくは「押しつけ」られた側の責任を問題にしようとしている、又は「押しつけ」た側と「押しつけ」られた側のどちらが「悪かった」のか(どちらに「責任」があったのか)という「正邪」を問題にしようとしているのだとすれば、それは論点・問題をズラし、肝心の問題を避ける議論であり、客観的な評論家的立場を「装った」奇妙な議論だと思える。
 古関のこの本で次に興味深いのは、1945年12月公布の衆議院議員選挙改正法に基づく男女同等の普通選挙が実施され、「憲法制定議会」の意味を実質的にもちうるはずの46年4/10の衆院選挙で、憲法改正がどの程度争点になったかに関する部分だ。
 GHQ案がそのまま日本語訳されて改正案になったわけではなく、「日本化」の努力がなされある程度は成功して3/06に内閣の「憲法改正案要綱」が発表されたのだが(九条は実質的・内容的には変更なし)、全国ではなく8選挙区の535名の候補者の公報のうちこの「要綱」に触れるもの17.4%、触れないもの82.6%だという。古関とともに「あまり争点とはならなかったと言えそう」だ(p.208-9)。  また、公表されていたのは「改正案要綱」であり、選挙後の4/17に「改正案全文」が発表された(p.210)。これでは、新選挙法に基づき国民=有権者が、憲法「改正案」の内容を正確に知ったうえで、かつ候補者の憲法「改正案」への態度を知ったうえで投票し、実質的な「憲法制定議会」を構成したとは、とても言い難いだろう。
 その次の関心事項は、岡崎久彦著に依ってすでに簡単に記したが、衆院等により憲法「改正案」がどのように審議されたか、国民はどの程度自由にどのような議論を展開したかだ。議会での「日本化」の努力や国会外での各種改正論議に関する古関の叙述は「憲法制定過程の通史」(p.436)としての資料的価値はあるのだろうが、基本的には「占領下」でのGHQが許容する範囲内での、1946年当時のGHQの政策方針の範囲内での修正や議論だった、という大きな枠の存在の意識が十分ではないという印象がある。
 古関著は、新憲法公布後の1947年1/03に吉田茂がマッカーサーから新憲法施行後の一定期間内に(48年5/03-49年5/02)新憲法は「日本の人民…国会の正式な審査に再度付されるべき」で「国民投票…の適切な手段を更に必要とするであろう」等の書簡を受け取り、実際に48年3/10成立の芦田均内閣は再検討作業を行ったが、後継した同年10/19成立の第二次吉田内閣は具体化しなかった旨を述べた後、「憲法改正の機会はあった…。与えられていた…。その機会を自ら逃しておきながら「押しつけ憲法」論が語りつがれ、主張され続けてきた」と言う(p.380)。
 この叙述は現憲法は「押しつけ憲法」ではない、と主張しているのと同じだ。そのように理解するのが自然だ。しかし、最初の制定(明治憲法改正)がかりに「押しつけ」だったとすれば、「再検討」の機会がのちに与えられたことによって「押しつけ」ではなくなる、と論理的に言えるのだろうか。許容されなければ再検討できないということ自体がそもそも「異様」ではないのか。古関説はこの点でも奇妙だ。
 今述べたことを
補足しておく。1.吉田茂は「憲法の基本理念を変えることはGHQがいる限り不可能」と考えたと古関は推測する(p.379)。後段が占領下では=主権回復がなければ、との意味である限り、吉田は適切だったと考える。占領下で再改正しようとしてもその内容を「自由に」判断できたとはとても思われないからだ。
 2.「再検討」の意向はGHQよりも極東委員会に強かったようだ(p.369、p.381)。
 3.しかし、48年秋には北朝鮮成立等すでに「冷戦」構造の形勢が明らかになっていて、米国は日本の「非軍事化、民主化政策はもはやこれ以上に必要ない」(p.382参照)との方針へと傾斜していた。かくして、47年初頭の意味での「再検討許容」方針は事実上放棄されたと見られる。
 引用しないでさらに付言するが、p.380に吉田の回想記の一部を引用して「押しつけ憲法」論否定の補強資料としているようだが、吉田が米国・GHQの「強圧」・「強制」によって日本国憲法は制定された、と「回想記」に記すはずがないではないか。引用部分を参照すれば、GHQ側が新憲法制定を「可成り積極的に、せき立ててきたこと、また内容に関する注文のあったことなど」を吉田が肯定し明記していることで、事態の真相はほぼ明らかだ。つまり、吉田は<押しつけられた>と感じていた、とほぼ確実に言えると思われる。
 以上に述べて又は指摘してきたように、古関彰一・新憲法の誕生という本は、論旨が一貫していないか、少なくとも解りにくい部分を残しており、事実の評価についても十分に疑問視できる箇所が少なくない。まさかとは思うが、この本が憲法学者による現憲法制定過程に関する決定版の本で、最も信頼できる、という評価を与えられてはいないだろう。かりに本人がそう思って自信を持っているとすれば、それは<錯覚>というものだ。
 ところでこの古関彰一という憲法学者は、憲法制定過程(および強いて言うと九条)の他にきちんと憲法学の研究を広範囲にわたってしているのだろうか。教科書・概説書がないのはもちろん、他の個別の論点についての研究や発言にどんなものがあるかも全く知らない。
 

0199/現憲法制定過程-主として岡崎久彦・吉田茂とその時代(PHP文庫、2003)を読む。

 岡崎久彦・吉田茂とその時代(PHP文庫、2003)は、最終章、10-12章、8-9章、1-5章というヘンな順序で読み継いで、昨年12月に全読了した。読み終えてから、古書で単行本も入手した。
 この本は日本政治外交史第5巻・戦後占領期とでも題した方が内容に即しており、より多く売れたのではないか。貴重な分析・示唆に富んでいて逐一の感想は書けない。岡崎は1930年生れだから自身が生きた時代に添って書いたわけではなく、多数の文献を渉猟し、分析し、凝縮して叙述している。
 いま印象に残っている一つは、GHQの指示による数次の公職追放の結果、「明治、大正、昭和初期の平和な時代に、深い教養を培い、海外経験も豊かで、大正デモクラシーから軍国主義への移り変わりの時期を、責任ある地位にいてすべて経験した世代が失われ」、そして「軍国主義時代に中途半端な役職を務めた経験しかなく、海外経験も乏しい世代、あるいは、その後の個性を没却した軍隊教育を受けた世代が戦後長きにわたって日本の支配層になった」という「弊害」の指摘だ(p.101)。
 海外で戦死した青年・中堅の人々、米軍の攻撃により死んだ一般の人々、戦犯として処刑死した人々、敗戦後に自殺した人々、彼らの中には生きていれば戦後日本の発展に重要な貢献をしたと思われる真摯で優秀な人たちも多くいたに違いない。勿体ない、と溜息をつきたい想いがする。それに、戦後に生まれた「団塊」世代等を含む日本社会の「支配層」だったのは、岡崎によれば要するに<二流>の人たちだったのだ。公職追放されてものちに解除されたはずだが、僅か数年間にせよ、恣意的な基準による公職追放によって、日本に残された最優秀・最強力の人々の叡智・努力による日本の再建設は不可能になった、ということなのだろう。
 この本のp.134-156(ほぼ5章の全て)とp.205-219は、現憲法制定史に関する叙述としても重要だ。
 1.主権のない又は少なくとも制限された国家(と言えるかどうか)で憲法制定(・改正)という通常の国家にとっての根本的な行為ができるのか、2.ポツダム宣言受諾と明治憲法改正という手続は矛盾しないのか、3.国会で「完全に」自由な審議ができたのか、4.マスコミ(ラジオ・新聞・雑誌等)で(国会議員を含めてもよいが)議員以外の「知識人」等の言論人や一般国民は、憲法案の内容につき「自由に」論評し、議論できたのか。当時16歳以上だった1930年生れ以前の(76歳以上の)人なら何となくの実感は残っているかもしれないが、私(たち)は文献で読むしかない。
 上の3.につき岡崎の上掲書p.206は言う。-「新憲法の国会審議は、…ごく少数の例外を除いては、ほとんど占領軍のいいなりであった」。さらにp.207-「憲法草案は押しつけられたものかもしれないが、国民の自由意思で選出された国会議員の多数に支持されたものであるというような形式論は、占領下の実態とはかけ離れたものである」。
 岡崎の上掲書に主として依ると、1946年2/03にマッカーサーは、1.天皇制護持、2.戦争放棄、3.封建制度廃止の原則のもとで憲法草案の起草を部下職員に命じ、10日後の2/13に米国(GHQ)案が幣原内閣(松本蒸治大臣)へ手交され、2/21にマッカーサー・幣原会談があり、3/06の閣議は「憲法改正草案要綱」を了解した。4/10の総選挙後に成立した第一次吉田内閣のもとで、6/25に新憲法案は国会(まずは衆院)に上程された。敗戦詔勅から10月足らず、降伏文書調印から9月半しか経っていない。この国会での審議は「完全に自由」なものでは全くなかった。占領下であり国会外での議論が新聞等も含めて「自由」だったのでもない。GHQ批判は禁止され検閲又は自主規制が一般にまかり通っていた。「武力」をもつ占領軍の「権威」は今日では想像し難いものと思われる。
 一般的な言論統制に加えて、国会議員には、その1946年の1/04に発せられた公職追放指令の対象に自らもなりはしないかとの「恐怖」があった。国会で自由に発言したのはこの時期には追放の心配がなかった日本共産党議員のみだったとされる(p.212)。
 九条については共産党・野坂参三が戦争には「正しい戦争」もあると主張し、吉田茂が「正当防衛権を認めることは有害」と(思わず?)反論したのは興味深い(同党は九条のゆえに新憲法に反対投票した)。
 より重要なのは、東京裁判の被告が未だ決まっておらず、ソ連も含めて天皇制廃止の意見も有力にあり憲法改正も検討すべきとされていた極東委員会が2/26に発足した時期において、この九条が天皇制護持を前提とする一条以下と密接な関係をもつこと-、つまり九条に疑問・反対論も提出し得るが、天皇を戦犯とせず天皇制を(象徴等としてであれ)維持するためにはマッカーサーの要求(九条導入)に服従せざるを得なかった、マッカーサーとしては日本が「戦争放棄」憲法を自ら制定してまで軍国主義を否定して再出発しようとしていることを極東委員会構成各国やワシントンに示したかった、という旨の指摘・分析だろう(文はかなり変えているが、基本的趣旨は岡崎に依る)。
 古関彰一・憲法九条はなぜ制定されたか(岩波ブックレット、2006)p.26にも「戦争放棄条項は、昭和天皇を戦犯から除外するための戦略として憲法に盛り込まれたといえましょう」とある。しかし、古関は自分の本を読む者は岡崎の本は読まない、又はその逆、と思っているのかどうか知らないが、この文に至る叙述内容にも共通部分のある岡崎久彦の本が2002年(文庫化は翌年)にすでに刊行されていたにもかかわらず、岡崎の本に何ら言及していない。「ブックレット」だから許容されるのかもしれないが、学術論文ならば、重要文献の見落とし又は意図的な無視と論評されうるのでないか。
 古関の本を登場させたので、ここで一区切りとする。

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