秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

八木秀次

1702/百地章・産経「正論」欄8/9の過ちと悲しさ。

 気の毒だ。悲しいことだ。しかし、百地章はやはり信頼できない。
 産経新聞8/9「正論」欄に、つぎの案を書いてしまった。二項存置自衛隊明記の条文案だ。
 「9条の2/前条〔9条〕の下に、わが国の平和と独立を守り、国際平和活動に協力するため、自衛隊を保持する。その組織及び権限等は、法律で定める」。
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 さっそく小林よしのりが批判した。ブログの8/9で。
 「産経新聞の『正論』欄で、百地章が安倍政権の改憲草案作りを粛々と進めよと言っている。//
 ものすごい勘違いだと思うのは……。…/百地章は客観性を担保しろ。/
 そして、甚だしい勘ちがいの2番目は、憲法9条1、2項をそのままで自衛隊明記という『加憲案』は、『一歩でも二歩でも前進する』方法論ではない。
 国民投票で、可決されても、否決されても、現状より悪くなる史上最悪の『加憲案』」である。/
 わしは純然たる『改憲論者』だから、この『加憲案』は絶対に許せない!」
 小林よしのりはその前から、今次の「加憲」なるものに反対だった。<安倍・日本会議案>とも、事態をより本質的に?捉えてもいる。
 8/3-「憲法9条1項2項をそのままで、自衛隊を明記するという考えは完全に『護憲派左翼』である。/
 「『護憲派左翼』は実は『従米主義』であるという欺瞞から目を背けているだけなのだ」。
 7/31-「安倍晋三のわがままで、日本会議のために、憲法9条そのままで自衛隊を明記するというトリック加憲が目指されている。/『お友だち内閣』だから、日本会議というお友だちのために、働くのだ。/決して国民のためではない」//。
 「安倍晋三は、発議しても国民投票で必ず負ける詐欺的加憲案を、やっぱり作るらしい。/憲法改正は、安倍晋三の『私』的なレガシー、政治的遺産作り、名誉欲のためだけに行ってはならない!//
 「わしは『公』と『権力』が合致しているときは、政府を応援するが、この二つがズレ始めたら、警鐘を鳴らし、……これを阻止する。//
 わしは常に「公」に付く。/だが、劣化保守&ネトウヨ連中は、安倍個人崇拝で、「公」よりも「権力」に付く。//
 言っておくが、自衛隊明記のためだけの加憲は、国民投票で可決されても、否決されても、日本にとって最悪な結果しかもたらされない。/可決されれば、戦後レジームの完成、軍事法廷なしの集団的自衛権行使に突入。//
 否決されれば、憲法改正の機会は100年遅れる。// 
 「公」のためにならない、最悪の安倍・日本会議案にわしは断固反対する!」
 7/28-「わしは安倍首相の改憲論は、ウルトラ欺瞞であって、左翼に媚びた加憲だと思っている。/
 わしは個人的に、恐れると言えば、確かに恐れる。//
 なぜなら「戦後レジームの完成」、自衛隊が永遠に軍隊になれない、盤石な左翼国家の誕生になるからだ。//
 それはアメリカの永久属国憲法になると思っている」。
 「福島瑞穂が出したら、猛反対するくせに、安倍晋三が出したら大賛成するのだから、産経新聞、極左大転向というニュースになっていいくらいだ」。
 この最後の7/28には、この欄の7/30=№1677で言及した。
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 秋月瑛二も6月に伊藤哲夫改憲案に批判的にコメントしたあと、7月末からこの<九条存置自衛隊明記>論を成文化がほぼ間違いなく不可能な案として、その論拠も含めて、頻繁に書いた。
 その中には、百地章「私案」に対するものもあった。
 すなわち、8/2の「百地章私案もダメ-「日本会議」派の九条二項存置・自衛隊明記論」。
 産経「正論」欄で百地章が書いている案は、ほぼ上と同じなので、8/2での批判がそのまま当てはまる。
 以下、あらためて記し、またこの人が他に言うことにもコメントしよう。
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 「9条の2/前条〔9条〕の下に、わが国の平和と独立を守り、国際平和活動に協力するため、自衛隊を保持する。その組織及び権限等は、法律で定める」。
 第一、「前条〔9条〕の下に、わが国の平和と独立を守り…i協力するため」は「自衛隊法の条文を参考に」しているらしいが、自民党の改憲案にも、「国防軍」か「自衛軍」について見られるはずだ。但し、自民党改憲案は九条二項削除での<軍>設立明記の際の趣旨文言だったのだから、意味・位置づけが全く違う。
 第二に、上のことよりも、「自衛隊を保持する」と、第一文の最後に「自衛隊」という語・概念を使っているが、これがそもそも何を意味するのかがさっぱり分からない、という基本問題がある。
 前回に批判的にコメントをしたときは<自衛隊の権限を一切変更しないのが大前提」だという事前の<解釈>または<解説>をつけていた。
 これをおそらく、第二文案の「その組織及び権限等は、法律で定める」に改めている。
 <現在の自衛隊の権限等を変更しないのが前提>とか言っていた部分を、「法律で定める」に変更して、問題を回避している、かに見える。
 実際には、そんなことは全くない。
 百地章は、この案の「狙いの第一」は「『自衛隊の保持』を憲法に明記することで違憲論の余地を無くすことにある」という。
 憲法学者でありながら、幼稚としか言いようがない。
 何度も、同じことを書く。
 第一文にいう「自衛隊」とは何のことなのか。
 たしかに、ここにいう(加憲された条文の言う)「自衛隊」なるものは、その設置が明記され、合憲的なものとされる。しかし、これはまだ、憲法規範上の概念であり、用語だ。
 この自衛隊が現在の・今の自衛隊をそのまま意味しているはずがない。
 百地章が正当にも第二文で書くように、「自衛隊」「の組織及び権限等は、法律で定める」のであって、その「法律」を見なければ何も分からない。
 上記のごとき目的のための「自衛」の「隊」というだけのことだ。
 しかしおそらく百地章は、現在に自衛隊に関して存在する諸法律が憲法上の「法律」に当たることになる、と主張するのだろうと思われる
 そのように、論旨展開をすることはできなくはない。しかし、そう主張しても、現在の諸「法律」自体が違憲だ、あるいは例えば集団的自衛権行使容認のこの部分が違憲だ、といった主張を消滅させることはできない。
 <<かりに万が一>>百地章の案が実際に憲法条項なったとしても、いまの・現在の自衛隊違憲論者あるいは少なくとも集団的自衛権行使容認違憲論者は、断固としてつぎのような憲法解釈を主張するに違いない。
 すなわち、例えば、百地章案九条の二の「自衛隊」は九条二項の「軍その他の戦力」であってはならない、いまの・現在の自衛隊(を種々に定めている)「法律」はその根幹部分がこの制約に違反しており、少なくとも自衛隊に集団的自衛権行使を認めている法律諸条項は違憲である、と
 前回に言及した、「左翼」・水島朝穂の憲法解釈の仕方は、スジとしては誤っていない。
 百地章は、設置が明記され合憲的なものとされる、と言うが、これは大ウソ。
 絶対に、違憲論が残り、有力に主張される。この点で現状と同じで、憲法解釈論を今よりも複雑にさせるだけだ。
 そして、万が一かりにこの加憲が成功したとしても、それは、<軍・戦力ではないものとしての自衛隊>をしばらくの間はずっと公認・公定することになる。これこそが、今次の百地章案であり、「日本会議」案だ
  また百地章は今回の立論の趣旨の一つは「自衛隊に栄誉を、そして自衛官に自信と誇りを与え、社会的地位を高めることだ」、という。
 気分が少しは分からなくはないが、これは欺瞞だ。
 なぜなら、「軍その他の戦力」である、正規の?国軍・国防軍・自衛軍・防衛軍ではない<自衛隊>の構成員としての「自信と誇りを与え」、というのは、一体何を百地章は主張したいのだろうか。<軍・戦力ではない自衛隊員としての自信・誇り>とは一体何のことだ。
 <自衛隊を明記を>というスローガンの真実は、<戦力でない自衛隊の明記を>、<戦力として認めないままで自衛隊の明記を>、ということだ。
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 これ以上の繰り返しを避ける。百地章等について記したことを、もう一度、そのまま以下に掲載する。
 8/2-「百地章にいう私案の冒頭で『自衛隊』という概念を使ったとたんに、現実にいまある『自衛隊』とは論理的には別の概念・範疇が生まれる。/その別の概念・範疇と現実とを、…連結することはできない。百地章の<頭・観念世界>の中ではできても。/この<連結>は、不能だ。分かって主張しているとすれば、ペテンであり、欺瞞だ。//
 この百地章も、概念・現実、規範と現実、憲法規範と現行法規範の関係について、大きな錯覚に陥っている。大きな過ちを冒している」。
 8/9-「憲法上に『自衛隊』なるものの容認規定を作ったところで、そこでの『自衛隊』がいまの・現在の自衛隊を意味することになるわけでは全くない。
 ひどいことに、八木秀次や西修も、全く気づいていない。/
 法規範解釈論としては、「左翼」・水島朝穂の方がまだ鋭い。/
 百地章、八木秀次、西修、いずれも産経新聞、「日本会議」派の<憲法学者>のようだが、知的・学問的なレベルでは、九条二項存置・自衛隊明記論に限ると、伊藤哲夫・岡田邦宏・小坂実、そして櫻井よしこ・田久保忠衛らと変わらないようだ
 いや、知的学問としてではなく、<政治>優先の=安倍支持・産経支持の=文章を書いているのにすぎないのかもしれない。」


1701/二項存置「自衛隊」明記でも「自衛隊」は違憲-水島朝穂(早稲田大)。

 一 「戦力」不保有のままで自衛隊が何らかの形で憲法に明記されても、自衛隊の合憲性が確定するわけでは全くない。
 いまの・現実の自衛隊の合憲・違憲論争が終わるわけではない。
 すでに何度も書いた。
 なぜか。上にいう憲法に<何らかのかたちで明記される自衛隊>と<いまの・現実の自衛隊>が同一のものであるはずがないからだ。
 今回のタイトルでいうと、「自衛隊」の意味が左右で(前と後で)十分に異なりうるからだ。
 憲法解釈論を本業としている者は、とりわけ「左翼」として長年を(一生を?)過ごしてきた者は、水島朝穂は、さすがに?よく理解している。
 二 水島朝穂「明記しても自衛隊の違憲性は問われ続ける」週刊金曜日8/4=11合併号。
 つぎのように、明記している。これは解釈論として、誤りではない。p.28。
 「新9条で自衛隊『自体』が合憲になったとしても、自衛隊の個別の『装備・人員』が『戦力』に当たることはあり得るから、自衛隊の違憲性は問われ続ける」。
 このとおりだ。
 この点は、すでに百地章と潮匡人に対する批判の中で述べた。
 つまり、<現在の自衛隊を変えない>とか<自衛隊の名前だけ>という場合に意味されているだろう、いまの・現在の自衛隊が<<万が一>>合憲になったとしても、その小さな権限・装備・人員を変える(おさらくは拡充・拡大・増員)するたびに、二項でいう「戦力」の範囲内にとどまるものであるのか否かが、つねに問われつづける、ということだ。
 百地章では、現状を<固定>してしまう危険があると、この欄で明記した。同じ趣旨は、潮匡人案についても言える。
 また、そもそも伊藤哲夫ら日本政策研究センターの者たちの案についても言えるが、この人たちは、上のような問題の所在を全く知らないままで、単純かつ幼稚な議論をしているので、ここまでこう書いているのを読んでも、?と趣旨が理解できない可能性が高い。
 三 水島朝穂は、<いま・現在の自衛隊の明記による合憲化>はありうると考えているようだ
 しかし、秋月瑛二は、この点で、この「左翼」たちよりも厳しく、冷静だ。
 だからといって、私は「左翼」でも「極左」でもない。
 <政治的信条>から離れての、<憲法規範と現実>の理解の仕方という観点から申し述べている。
 すなわち、現二項存置のままでの<いま・現在の自衛隊の明記による合憲化>、つまり最終的にはこれのための「条文化」は不可能だろう、と断じたい。
 成文化の作業でつねに、「戦力」概念の解釈を何らかのかたちで前提にせざるをえない
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 繰り返すが、憲法上に「自衛隊」なるものの容認規定を作ったところで、そこでの「自衛隊」がいまの・現在の自衛隊を意味することになるわけでは全くない
 言葉・概念の錯覚に陥ってはならない。
 ひどいことに、八木秀次や西修も、上述のことに(この欄で何回か書いたことに)全く気づいていない。ネット上で、この二人の安倍晋三改憲案関連文章を読んだ。
 法規範解釈論としては、「左翼」・水島朝穂の方がまだ鋭い。
 百地章、八木秀次、西修-いずれも産経新聞、「日本会議」派の<憲法学者>のようだが、知的・学問的なレベルでは、九条二項存置・自衛隊明記論に限ると、伊藤哲夫・岡田・邦宏・小坂実、そして櫻井よしこ・田久保忠衛らと変わらないようだ。
 いや、知的学問としてではなく、<政治>優先の=安倍支持・産経支持の=文章を書いているのにすぎないのかもしれない。

1662/藤岡信勝・汚辱の近現代史(1996.10)。

 藤岡信勝・汚辱の近現代史(徳間書店、1996.10)。
 この本の一部、「自由主義史観とは何か-自虐的な歴史観の呪縛を解く」原/諸君!1996年4月号。
 この本自体は、<つくる会>発足直前に出版されている。この会とも関連してよく読まれたかもしれない(読んだ自信はないが、かつて読んだかもしれない)。
 計わずか11頁。半分ほどは、教科書を問題にする中で、明治維新、ロシア革命、「冷戦」に触れつつ日本共産党の歴史観・コミンテルンの歴史観を叙述する。そして言う。
 「アメリカの国家利益を反映する『東京裁判史観』と、ソ連の国家利益に由来する『コミンテルン史観』が『日本国家の否定』という共通項を媒介にして合体し、それが戦後歴史教育の原型を形づくった」。p.77。
 間違っているとは思えない。
 むしろ、つぎの点で優れている。
 戦後歴史教育の原型、つまり戦後の支配的歴史観を<東京裁判史観+コミンテルン史観>と明記していること、つまり、前者に限っていないことだ。
 「諸悪の根源は東京裁判史観だ」と何気なく、あるいは衒いもなく言ってのけた人もいた。
 慣れ親しんだかもしれないが、この欄で既述のとおり、こういう表現の仕方は、占領・東京裁判にのみ焦点を当て、実際上単独占領であったことからアメリカの戦後すぐの歴史観のみを悪玉に据える悪弊がある。
 つまりは、より遡って、少なくとも<連合国史観>とでも言うべきであり、ソ連・スターリン体制がもった歴史観も含めるべきなのだ。
 アメリカに対する<ルサンチマン>(・怨念)だけを基礎にしてはいけない。
 その観点からして、東京裁判史観とは別に<コミンテルン史観>を挙げているのは適確だと思える。
 <東京裁判史観+コミンテルン史観>とは何か。
 藤岡信勝から離れて言うが、先の大戦(第二次大戦)を、基本的には、<民主主義対ファシズム>の闘いとして捉える歴史観だ。
 そして、ここでの<民主主義>の側にソ連・共産主義もまた含めるところが、この考え方のミソだ。
 つまりは秋月瑛二のいう、諸相・諸層等の対立・矛盾の第一の段階の、克服されるべき<民主主義対ファシズム>という対立軸で世界・社会・国家を把握しようとする過った<歴史観>・<世界観>だ。
 これこそが、フランソワ・フュレやE・ノルテも指弾し続けた、<容コミュニズム>の歴史観だ。
 これの克服で終わり、というわけではないが、この次元・層でのみ思考している日本国民・論者等々は数多い。<民主主義>を謳う日本共産党も、巧妙にこれを利用している
 <東京裁判史観>とだけ称するのは、この点を隠蔽する弊害があるだろう。
 そのような<保守>論者は、民主主義に隠れた共産主義を助けている可能性がある。
 離れたが、つぎに、「自由主義史観」という概念について。
 いつかこれが「反共産主義」史観という意味なら結構なことだと書いたが、正確には同じではないようだ。しかし、大きく異なっているわけでもないだろう。藤岡信勝いわく。
 ①「健康なナショナリズム」、②「リアリズム」、③「イデオロギーからの自由」、④「官僚主義批判」。
 ④が出てくるのは、よく分からない。スターリン官僚主義、あるいは日本共産党官僚主義の批判なのか。
 しかし、残りは、とくに歴史教科書や歴史教育という観点からすると当然のことだ。当然ではないから困るのだが。 
 第一。①にかかわる明治維新の捉え方は種々でありうる。
 しかし、「江戸時代を暗黒・悲惨」ともっぱら否定的に見てはいけない、「一般化して言えば、歴史について発展段階説的な先験的立場をとらない」、と書くのは、至極まっとうだ。
 当然に、とくに後者は、マルクス主義史観あるいは「日本共産党」の基礎的歴史観の排除を意味する。
 第二。先の戦争の「原因」について、こう言い切っているのが注目される。
 「日本だけが悪かったという『東京裁判史観』も、日本は少しも悪くなかったという『大東亜戦争肯定論』もともに一面的である」。p.79。
 ここで「悪かった」か「悪くなかった」かという言葉遣いに、私はとくに最近は否定的だ。
 正邪・善悪の価値判断を持ち込んではいけない。
 しかし、趣旨は、理解できる。
戦争に「敗北」して、少しも問題はなかった、とは言い難いだろう。やはり「敗北」であり「失敗」したのだという現実は、そのまま受容する他はないのではないか。
 共産主義者が誘導したとか、F・ルーズベルトは「容共」で周辺にソ連のスパイや共産主義者がいた、という話も興味深いが、しかし、そのような<策略>に「敗北した」ことの釈明にはならないのではないか。「負けて」しまったのだ。
 いや「敗北」したのではない、アジア解放につながり、実質的には「勝利」した、とかの歴史観もあるのだろう。
 ここで「敗北」とか「勝利」自体の意味が問題になるのかもしれない。
 しかし、こういう主張をしている人たちがしばしば唾棄するようでもある「戦後」は、あるいは「日本国憲法」は、あるいは出発点かもしれない「東京裁判」そのものが、軍事的「敗北」と「軍事占領」(つまりは究極的には、実力・軍事力・暴力による支配だ)の結果として発生している。
 この<事実>は消去しようがない。
 こう大きく二点を挙げたが、すでにここに、藤岡信勝と今日の「日本会議」派または櫻井よしこらとの違いが明らかなようだ。
 つまり、「日本会議」派はおそらく、また櫻井よしこは確実に、明治維新を(そして天皇中心政治を)「素晴らしかった」として旧幕府に冷ややかであり、2007年の<大東亜戦争>をタイトルに掲げる椛島有三著にも見られるように、日本の先の大戦への関与について、可能なかぎり<釈明>し、日本を<悪く>は評価しないようにしている。
 少なくとも1996年著に限っての藤岡信勝「史観」と「日本会議・史観」は両立し得ないだろう。共産党所属の経歴の有無などは関係がない。
 しかし、歴史教育または歴史教科書レベルではなお融和できるのではないか、という問題は残る。「日本会議」派がコミンテルン史観・共産党史観を排除しているならば、いわゆる<自虐史観>反対のレベルでは一致できただろう。
 だからこそ、「日本会議」派は(あるいはごく限っても八木秀次は?)、たぶん2005年くらいまでは、「つくる会」騒動を起こすつもりはなかったかに見える。
 少し余計なことも書いた。もっと書きたくなるが、さて措く。

1623/日本の保守-2006-2007年に何が起こったか①。

 椛島有三・米ソのアジア戦略と大東亜戦争(明成社、2007.04)。
 西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007.07)。
 こう書くと西尾の本が後で刊行されているが、その内容のほとんどは前年までに、おそらくは前者よりも早く書かれている。ともあれ、同年の刊行。
 その「あとがき」の副題は、「保守論壇は二つに割れた」だ(2007年6月)。
 その中に収載の「小さな意見の違いは決定的違い」は、2006年夏・秋のことを書いている。
 2007年。この年の初め、第一次安倍晋三内閣だった。まだ2007年の参院選挙はなかった。
 この年の3月下旬、<秋月瑛二の…つぶやき日記>がかつてあった産経・イザ上で始まった(このとき、産経新聞社が運営とは知らなかった)。
 この年の12月、櫻井よしこを理事長とする、(公益財団法人)国家基本問題研究所が発足した。
 2000年頃と、この年のこの時期までの間に(ということはこの年のおそらく前半には)、櫻井よしこは<華麗なる変身>を遂げたもののと見られる。
 つまりは、国家基本問題研究所関係者のむしろ多くが知らないのかもしれないが、椛島有三や伊藤哲夫たちの、つまり「日本会議」派と仲良くなった。あるいは、仲間になった。あるいは、前者が後者に<取り込まれた>。冒頭の著者の椛島は、言わずもがなだが、<日本会議事務総長>。
 この年以降、つまり2008年以降の櫻井よしこの論調と、2000年頃の櫻井よしこの論調は、明らかに異なる。
 西尾幹二は、上の書物全体をその全集には収めてはいないようだ。全集とはいえ、本人編集かつ追記だから、いろいろな想いが重なるのだろう。
 2007年というのは、前年またはさらにその前の年から始まった、新しい歴史教科書を「つくる会」の激変時でもあった。
 「日本教育再生機構」とやらができ、安倍内閣に「教育再生会議」なるものも設置された(今これはどうなっているのか?)。
 これの重要人物が、八木秀次。今年になって私が名づけた天皇譲位問題に関する「アホ」の一人(櫻井よしことともに)。
 この欄で言及した記憶があるが(たぶん雑誌上のものを読んで)、西尾は上の本に「八木秀次君には『戦う保守』の気概がない」と題する文章を収載している(諸君!2006年年8月号のもの)。
 こうしたものを含む単行本が7月末日付で刊行されており、上の椛島有三著は4月が刊行月になっている。そして、この年の最後の月、櫻井よしこは「研究」所理事長になった。
 以上のことは、いつでも記せるような内容だった。
 小林よしのりの本を併せて読むと、もっといろいろなことが分かるはずだ(所持しており、読んではいる)。
 10年後の今に残る「分裂」・「対立」について、誰かがきちんと総括しておかないと、日本の<保守>に未来はないのではないか。
 中西輝政は、いったいどうやって<世渡り>をしてきたのか。さらに言えば、西尾幹二ですら、その後どうやって<世渡り>をしてきたのか。なぜ月刊正論や産経新聞に執筆できるのだろう。
 無名の、大洋の底の貝のごとき秋月瑛二が、何かを記しておく意味がほんの少しはあるかもしれない。
 もう一度書いておこうか。
 ①2006年~2007年、櫻井よしこは<変身>した。あるいは<変節>した。あるいは、<狂信>先が明確になった、と思われる。
 ②この頃のことを、誰かがきちんと総括しておかないと、日本の<保守>はダメだ。もっとも、秋月瑛二は<自由と反共産主義>に執着しており、<保守>か否かは全くの副次的な関心主題にすぎないのだが。

1557/天皇譲位問題-産経新聞社と「日本会議」派の敗北。

 ○ 勝利や敗北は何らかの「規準」の必要な価値評価なので、簡単には使えない言葉だ。ここでは、<現実化>した又はしそうな見解を主張していたかどうかを規準とする。
 また、産経新聞社は社として公式に譲位反対又は摂政制度利用を主張していたわけではない。但し、当初ないし昨年秋頃には、譲位反対の雰囲気だったことは下記のことでも、また確認しないが、(生前)譲位を認めるとすると膨大な諸法制の改正・整備が必要となって大変だ旨の一般的記事もあった(ネット上で読んだ)。
 「日本会議」派、というのも正確ではない。会員とか関係者の範囲は定かでないが、近いとされる百地章は最終的には摂政利用反対論を述べた。また、上原康男が「日本会議」関係者なのかも知らない(調べればすぐに分かるのかもしれないが、労を厭う。いずれにせよ、この人に多数の天皇制度・政教分離関係研究書・評論書があるを知っているので-たいていは所持しているだろう-、櫻井よしこ・八木秀次らと同じ<アホ>扱いはしていない)。
 しかし、譲位反対派は「日本会議」系だというレッテリ貼りもあったほか、櫻井よしこ、平川祐弘、八木秀次らは明らかにこの組織・団体に「近い」と見られ(これは櫻井よしこについては歴然としている)、申し訳ないが簡潔にするためにも「日本会議」派と称させていただく。
 ○ 関心があるのは、<アホの4人組>らの退位反対論者が、いまどういう感想をもち、どういう自己「総括」をしているのか、だ。
 櫻井よしこはおそらく何も触れないままで、週刊新潮・週刊ダイヤモンドらに相変わらず別のことを<書き散らして>いるようだ。
 自己の見解が、なぜ<現実化>しそうにないのか、その原因・理由をどう考えているのだろうか ?
 「評論家」にせよどういう肩書きにせよ、政府の会議に呼ばれた発言者としてその発言「内容」に関する責任、その後の展開に関してコメントする「責任」くらいはあるのではないか ?
 八木秀次はすぐに①摂政制度の利用と②国事行為委任法(法律)で対応できると判断したように伝えられているが、この二つともに対象は憲法・法律上は天皇の国事行為であり、「公的(象徴的)行為」や天皇・皇室の「宗教行為」祭祀を含むと解されている「私的行為」は法的には全く対象にされていない。したがって、この二つをもってしても、天皇と新「摂政」のいずれが行うかという重大な問題が残ったままになる、ということを、いつ頃に気づいたのだろうか。
 しぶとく譲位反対論を書いていたが、自らの憲法(・法)学者 ?としての「無知」を、恥ずかしく感じなかったのだろうか。
 とくにこの欄でまた触れたくなったのは、既に言及したのだが、月刊正論(産経)昨年11月号末尾の喫茶店での雑談のような「匿名」記事(「編集者」も参加)で、「先生」がこう語っていたからだ。
 「月刊正論10月号で…ご譲位を遠回しに否定した八木秀次が批判されている」が、「間違っているのは、どっちなんだ」。p.319。
 ここに「間違っている」うんぬんが語られているのが、概念または論理の問題として、きわめて気になる。
 つまり、この「先生」は、<譲位否定(論)>が、「間違っている」とは逆の「正しい」ものだと考えているのだろう。
 「正しい」見解がつねに<現実化>されるとは限らない。上の意味で「敗北」することはありうる。それは、そうだ。
 しかし、産経新聞社発行の月刊雑誌・正論に出てくるこの「先生」における、「正しい」か否かの規準は、いったいどこにあるのか。いったい何をもって、「正しい」と「間違い」を区別しているのか。
 多くの者が指摘したように、天皇の生前退位は少なからずあり、<終身在位>が制度として定められたのは1889年のことだ。
 1889年または明治憲法下のことだけが「正しい」とするのは、じつに<誤った>(あえて「誤り」という)、<偏狭な>考え方だ。
 こういう「先生」のような、「先生」と称される者たちがごろごろいるから困る。<保守>派の未来をも、暗くしている。
 「正」・「誤」の問題と「適」・「不適」や「合理的」・「非合理的」の問題は、別の次元にあるだろう。また、<思い込んで>いることがつねに「正しい」などと考えてはいけない。
 「教授」とは八木秀次自身のことでないかとすでに推測したが、「先生」が誰かは分からない。
 この「先生」は、現在までの<現実化>に向けての推移をいかに自己「総括」しているのか、是非とも尋ねてみたい。

1488/日本の保守-小川榮太郎とその日本の「保守」批判。

 小川榮太郎は、かなり、又はきわめて、鋭敏な「保守主義」者だ。
 小川が、ほとんど適切に平川祐弘の天皇論・譲位制度反対論を批判し、「日本の保守はじつに危うい」と的確に指摘していることは、すでに言及した。
 月刊正論3月号(産経、1917年)では小川は、<「保守主義」者宣言>と題して、つぎのように書く。保守とは何か、自分にとっての保守、というのがおそらく執筆依頼された主題なので、このような批判的叙述をするのは少しは勇気が必要だっただろう。p.76-。旧かな遣いは勝手ながら現代かな遣いに変えた。
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 「戦後イデオロギーは、今や完全に全日本人の遺伝子に浸透し、保守的な『生き方ないし考え方の根本』そのものが、日本人から失われてしまった。保守を自称する人達も例外ではない」。
 安倍支持保守・安倍批判保守、熱烈天皇主義者、理論派保守(反リベラリズム・バーク・福田恆存・アメリカ共和党に依拠)等々、「様々な自称・他称保守」を見ても、保守的な『生き方ないし考え方の根本』を体現する人は「殆ど見当たらない」。
 「天皇陛下万歳を唱えながら、排他主義のはけ口にしているだけなのかもしれない」。
 蓮舫を批判しつつ「職場では権利の主張に余念がない」かもしれない。等々。
 要するに、「近年保守的な標語が世上に乱舞している状況は、ネットの断片的な情報によって過激化したナショナリズムと評すべきであって、保守的な人間像、保守的なエートスの蘇りではない」。
 「ナショナリズムを否定するつもりは毛頭ない」が、「本当に日本の核になるもの」を「保守」したいのなら「その奥に踏み込まねばならぬ」。「本当に消えつつあるのは、日本人が歴史の持続の中で鍛えあげてきた人間像そのものなのだ」。
 日本が失われるのは「反日勢力に否定された」からではない。「真に侵され、危機に瀕しているのは日本の外被ではない、我々の内側に息づいているべき日本の方なのだ」。「その記憶を取り戻す事こそが『保守』でなくて何なのだろう」。 
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 自分であればこのような表現の仕方はしない、又はできない、と感じはする。
 しかし、小川榮太郎が単純な「安倍支持保守」や「熱烈な天皇主義者」を<保守主義>者と見ていないことはよく分かる。
 秋月瑛二にとつては、「保守」という言葉で自分を意識するか自体も大した問題ではない。がともあれ、「反共産主義」や「反左翼」の意味では<保守>なのだろうという思いはある。
 そのような<保守>感情からすれば、渡部昇一・櫻井よしこらのアホの4人組、加地伸行を含めるとアホの5人組らの「観念保守」は、平川祐弘・八木秀次を含めて、批判されるべき、危険視されるべき人物たちだ。
 そのような気持ちと、小川榮太郎が述べている「保守主義」には、少なくとも部分的には、合致点があるように考えられる。

1486/天皇譲位問題-産経新聞社・月刊正論の困惑と怨念。

 天皇譲位問題-往生際の悪い産経新聞社・月刊正論。
 昨年夏以降の天皇譲位問題の発生とその帰趨は、少なくとも内部的には産経新聞社を困惑させ、混乱させたと思われる。
 もともとの主張は、当時又はのちの「アホの4人組(加地伸行を含めて5人組でもよい)」の主張と同じで、譲位反対・摂政制度利用論だったようだ。
 産経新聞は昨年8/06社説(主張)で、とくに小堀桂一郎の言を紹介したりして、このような方向の主張をしている。
 但し、世論調査の結果と大きな齟齬がでてきたことは、意識したに違いない。
 それでも、記憶に頼れば、阿比留瑠比は、<世論調査結果に一喜一憂しないで…〔じっくりと正しい方向へ〕>という旨を書いていた。産経や阿比留にとって「喜」となる調査結果、「憂」となる調査結果は何かと思いめぐらさせ、それらが推測できそうで、かなり興味深かった。
 11月のヒアリングの頃には社としての主張を確定していたのかどうかは、私にははっきりしない。購読者でないので、いつ頃に転じたのか分からないが、12/23日社説では、「今の陛下の一代に限り、特別措置法で譲位を実現する方向性が出ている。/陛下のお気持ちを踏まえ、できるだけ早く見直す観点からは、自然な流れではないだろうか」となっており、その後はこの線の主張をしてきている。
 世論を完全に無視できず、かつ皇室典範全面改正も認めたくない、という、政府・自民党がもともと提供しようとしていた折衷案的解決にすがったことになるのかもしれない。
 というわけで、産経新聞と譲位問題には現時点では語ることはほとんどないとも言える。
 しかし、同社発行の月刊正論上の「教授」・「先生」はなおも、<ぐじゃぐじゃ>と述べている。「負け犬の遠吠え」というか「敗者のルサンチマン」というか。
 3月上旬辺りが最終編集だろうか、月刊正論5月号(産経)「メディア裏通信簿」欄によると、以下。
 ①「教授」-「天皇陛下のご意思に基づく法整備と退位は憲法上の疑義がある」。「先生」-「完全に憲法違反だぜ」。
 ②「教授」-「摂政設置や国事行為の代行という選択肢もあると指摘されているのに、あえてその方向をとらず、退位にこだわったのは、天皇陛下が摂政に否定だったからでしょう。そういう意味でも〔=天皇の意思によるのだから〕退位制度は国民や国会の意思という理屈には無理がある」。
 上の①については、「おことば」後の記者会見の際に「内閣の助言の承認により」発したという説明を今上陛下はなされた。また、NHKによる放送を予め政権中枢が全く知らなかったとは考え難い。さらにもともと言えば、今上陛下にも一人間としての意思や思考は当然にあるので、その表明を一切封じてよいのか、「国政」に結果として影響を与えることになるのか否かは「お言葉」の時点ではまだ分からない、といった論点もある。
 ②については、もともと摂政設置と国事行為委任法では天皇の行為の全てをカバーできない部分があるという原理的・基礎的な問題点がある。また、「天皇の意思」によるからと言うが、国会が自立的に法律を改正しその原案・法律案を内閣が自立的に作成するということに問題はないだろう。自立性を正面から否定するのはむつかしい。「教授」や「先生」も、政府が改正準備を始めたあとの、彼らにとって賛成できる皇室典範の非改正、現状維持であれば、それがいかに今上陛下の明示の意思表明にもとづくものであっても、形式や手続を問題にしないのだろう。
 そういう中味よりも、もしこれらを正々堂々と主張したいならば、月刊正論の最後の辺りの、「覆面」雑談記事でではなく、産経新聞の「正論」欄とか、あるいは<誰が正しい譲位否定論を潰したか>とでも題した論考を月刊正論にでも掲載すべきだろう。
 そうしないで覆面をかぶって雑談のごとくしゃべっているのは、じつに諦めの悪い、怨念丸出しの、印象のよくないことだ。
 ところで、「教授」は月刊正論も含めて原稿執筆依頼を受けて、執筆して校正・見出しつけにかかわることがあるらしい(p.335)。
 月刊正論に小さくとも必ずのように登場する、「教授」のごとき主張をしかつ恨み節も述べそうな覆面人間は、八木秀次、という人ではないか。
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 同欄から追加の引用。社説には現れていない、産経新聞又は月刊正論編集部の<本音>や<困惑>がかなり分かる。
 月刊正論2016年11月号p.319〔9月上旬に最終編集か〕。「先生」-「俺たち保守派は伝統と法にもとづいて天皇が政治的決定をしないように主張すべき」だし、それが「天皇の立場を守ることになる」。「月刊正論10月号で終身在位制の意義を強調して、ご譲位を遠回しに否定した八木秀次が批判されている」が、「間違っているのは、どっちなんだ」。
 月刊正論2016年12月号p.308〔10月上旬に最終編集か〕。「先生」-「SAPIO11月号では小林よしのりが…男系維持派の渡部昇一や八木秀次たち保守論客をバカみたいな絵で描いていたな」。
 「教授」-「ひどい描き方ですね。しかも名前を書いていない。文句を付けられないように、わざと書いていないんでしようね」。
 /名前を書いていないのは、「教授」も「先生」も同じで、かつ似顔絵もない〔秋月〕。
 同p.309〔10月上旬に最終編集か〕。「編集者」-「産経も読売も、自分たち自身が本音では『困惑』している当事者でもあるから、はっきりものが言えなくて…。」
 「先生」-「少なくとも、月刊正論ではもっと〔譲位に対する〕反対・慎重論を明記して、議論を喚起すべきじゃないか」。
 「編集者」-「また、そんな厳しいことを。……いろいろ考えるとなかなか…。…を読んでも、そこのところを悩んでいるのが、分かるじゃないですか、勘弁してください」。等々。

1481/天皇譲位問題-小林よしのり・天皇論平成29年の一部を読む①。

 ○ 小林よしのり・天皇論平成29年(小学館、2017)のp.479以下を読んだ(又は拝見した)。
 入手が遅れたのは、主題についての関心の薄さ、「観念保守」(=小林よしのりが「自称保守」とか称しているものに近いかもしれない)の文章を思い出すことへの嫌悪にもよる。 
 ○ 最後の方の p.544に、小林が批判の矛先を向けている8名の人物の顔の似顔絵が出てくる。
 ちなみに、昨秋あたりの月刊正論(産経)はこの似顔絵化を、<卑劣>だとか批判していた。
 しかし、小林よしのりの絵から、私でもかなり人物名を特定できる。しかるに、月刊正論(産経)は最終頁あたりで「教授」・「先生」・「女史」等とだけ冠名する人物を登場させて、個人名を隠したままで勝手な?ことを言わせている。
 良心的なのはまだ小林よしのりで、月刊正論編集部(産経)の方が<卑怯>だろう。
 元に戻る。8名のうち、左の2名はすぐには分からなかったが、どうやら加瀬英明と加地伸行らしい。
 残るは、右から、八木秀次、渡部昇一、小堀桂一郎、竹田恒泰、平川祐弘、櫻井よしこ。ほんの少し頭を覗かせているのが大原康男かと思われるが、さしあたり計算から省く。
 上の8名のうち政府・天皇関連有識者会議のヒアリング対象者は、八木秀次、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこの4名
 なんと、秋月瑛二が「観念保守」と批判し、<アホの4人組>と酷評した4名と全く同じ。100%の合致だ。
 しかも、上の点はかりにさておいても、8人のうち4名が該当するだけでも、相当な<打率>だ。なお、大原康男を含めても、4/4.3くらい、および4/8.3くらいの高い<打率>になる。
 小林よしのりの上の基本的な感覚または彼らの論旨(譲位反対論)に対する非難は、まことに健全だ。
 ○ 加地伸行がヒアリング対象者だったとすれば、平川祐弘と同じかさらに低レベルの発言をしていた可能性がある。 
 たぶん昨年中に、西尾幹二は(確認しないが)月刊正論あたりでたしか天皇・皇室問題で加地伸行と対談していたが、加地の発言にほとんど頷くばかりで、容喙していなかった。加地の発言のあまりのヒドさに思わず、私は当該雑誌自体を放り投げたほどだ。
 もっと前にも、西尾幹二と加地伸行の二人は天皇・皇室問題でかなりひどい対談か論考を載せて話題になったらしい(これもかすかな記憶はある)。
 西尾幹二は、ときに一緒に酒呑みするくらいならよいが、加地伸行レベルの人物と雑誌用の対談などはしない方がよいと思われる。せっかくの高名を辱めるだけだろう。
 ○ とここまで書いて、まだ小林よしのり著の内容にはほとんど立ち入っていない。
 これまた連載にするしかない。


1471/平川祐弘・天皇譲位問題-「観念保守」批判、つづき④。

 ○ 小川榮太郎「平川祐弘氏に反論する-譲位の制度化がなぜ必要なのか」月刊Hanada5月号p.303-による、おそらく同誌4月号の平川祐弘「誰が論点をすり替えたか-天皇陛下『譲位』問題の核心」p.30-に対する批判は、平川批判として優れている。
 書いていることに即しての譲位問題に関する平川祐弘批判は秋月もする予定だったが、小川の言述の紹介でもってほぼ代替させることができるかもしれない。
 もっとも、櫻井よしこらと親交があるらしい編集長・花田凱紀の意向だと思われるが、平川論考のタイトルは4月号の表紙の右側に最も大きく掲載されているのに対して、小川榮太郎の上記については表紙の中になく、目次の中でも目立ってはいない。
 月刊正論、月刊WiLL、月刊Hanadaは、同人誌的サークルが別の名前で、似たような人が似たようなことを順番に書く雑誌に堕してしまっている観がある。ときにはこの小川榮太郎論考のようなものや、西尾幹二や中西輝政のものを載せて、ゴマカしているけれども。
 ○ 小川榮太郎に同意できない部分はあるが、そこはさておき、以下は平川批判。
 ・最後の、「…日本の保守は実に危うい」。p.315。平川を読んでの結論的感想のようだ。そのとおりだ。とくに「観念保守」の精神的頽廃は著しい。もっとも、「…」の「…させねば」の部分には同意できない。
 ・まん中あたりの、「そもそも平川氏-および保守系論客の多数-が、そんなに摂政に固執することが私には寧ろ理解できません」。p.311。そのとおり。かりに本当に「保守系論客の多数」だとすれば、日本の保守はすでに死んでいる。つぎの根拠づけも適切だ。
 「皇太子による摂政の制は、明治の典範で初めて定められたものに過ぎず、本来の天皇伝統ではない」。p.311。
 ・平川祐弘は、今上の「お言葉」は<天皇の役割を拡大する「個人的解釈」・「拡大解釈」>だと理解して、「我が儘を言っておられるだけ」だとし、「祀り主として存在することに最大の意義がある」と言うが、「そもそもが陛下のお言葉への反論になっていない」。p.305。
 ・存在するだけでよいとは、観念的詭弁(秋月の言葉)。「極論すれば」、「植物人間状態で全く『機能』していなくとも、『存在』が継承されれば天皇伝統は続いたか」。p.306。
 ・平川は譲位の問題を縷々述べるが「体系的網羅的懸念」でない。制度又は慣習化で防止できる。p.310。また、例えば以下。
 ①上皇と新天皇の各周辺の「人間関係がうまくいく保証はない」というが、同様のことが「摂政と天皇の間にも」「起こるに違いない」。p.310。
 ②エドワード八世の退位後のヒトラー接近というのは、「失礼極まる」「拡大解釈」だ。p.310。
 ・平川は源氏物語を持ち出して「高齢化」への配慮は不要だとする。しかし、現在の「高齢化」社会の出現は突然のもので、「世襲の制度にとって、この突然の平均寿命の倍増は、根底的な制度設計の変更を要求するものだと考えるのは、寧ろ当然ではないでしょうか」。p.311。
 以下は秋月瑛二による追記。源氏物語がかりに50-100年間の天皇の実態を反映して(物語だが史実に即して)書かれていたとしても、たかだか50-100年間の天皇の歴史にすぎない。なぜこれが、現在の議論の根拠になるのか。源氏物語が描いていない、平安期以前、平安期の残り、鎌倉以降の武家・幕府時代等についての根拠になるはずはない。平川祐弘の言及の仕方は、思いつくままの(限られた個人的な知識にのみ頼った)恣意的なものにすぎない。「バカ(アホ)」なのだ。
 ・小川の論述はさらに進む。「終身在位に固執する弊のほうが、遙かに実際的な危機ではないでしょうか」。p.312。
 (明治皇室典範の摂政位継承順位の定めに関する小川の理解p.311-312は、適切だろう。つまり、摂関時代のように、皇太子等の皇族以外が摂政になることを禁止し、天皇家・摂政家(これにつながる皇族)の対立、後者による「明治新政府を転覆する可能性」を摘み取ったのだ。ちなみに、1989年・明治皇室典範は、1877年・西南戦争のわずか12年後、1968年・新政府樹立の21年あと。)
 皇太子が摂政につくとすると、「事実上、六十代以降に即位した老齢天皇が、八十代で摂政を立てるというのが基本的な天皇のあり方になってしまいます」。p.312。
 ・「宮中祭祀七つに関しては摂政は代行できません」。p.312。
 これについて調べる必要があると感じていたところ、珍しくこの問題に論及している<保守>の人の文章を見た。現在の皇室典範によれば、摂政は天皇の「国事行為」のみを代行できる。また、国事行為委任法(略称)も、名前のとおり、「国事行為」のみを委任できる。八木秀次もいるはずなのに、これについての言及がなかったのは不思議だった。
 いわゆる<公的(象徴的)行為>や祭祀を含む<私的行為>について、どこまで摂政が代替できるかは、本来はきわめて重要な論点だったはずなのだ。
 ・平川祐弘ら「保守派」はただ宮中でお祈りしていただければよいとの議論が多いが、「天皇の祈り」は「そんな気楽なもの」ではない。p.312-3。
 以上にとどめる。小川の批判は、平川祐弘に対してのみならず、、渡部昇一、櫻井よしこ、八木秀次にも、そしてその他の、月刊Hanada、月刊WiLL、月刊正論の関係者やこれらの愛読者に対しても、相当程度にあてはまるだろう。
 昨年の文藝春秋スペシャルの天皇特集号でも、そこにあった八木秀次よりも遙かに柔軟でかつ制度もよく理解していた文章を、小川榮太郎は書いていた。
 ○ 八木秀次を除けば、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこはすべて<文学部>出身者。「アホ」になるのはどちらかというと文学部系に多い、というのが秋月の見立てだ。
 しかし、小川榮太郎は格段に優れている。話がかなり通じそうな気がする。
 もっとも、先に記載のとおり、小川が天皇について一般論として記していることについては、かなり違和感をもつ部分もある。だが、それは今回のテーマではない。

1469/なぜ「アホの4人組」か。天皇譲位問題・「観念保守」、つづき③。

 たぶん年齢順に、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ、八木秀次。この人たち4人をなぜ「アホの4人組」と称するのか。
 第一に、もちろん、昨2016年11月に、天皇関連有識者会議での「有識者ヒアリング」で発言した者たちであり、今上天皇の譲位(いわゆる生前退位)に反対して摂政制度の利用を主張した点で共通性がある。だが、そのような者は、他にもいる。
 第二に、いずれも、天皇の歴史も含めた、天皇問題の専門家ではない。
 大原康男や今谷明は、それぞれの分野で「専門家」だとは言えるだろう。所功も、園部逸夫もそうだ。
 八木秀次は憲法学者・研究者として、天皇問題の専門家だと自分を思っているのかもしれない。天皇・皇室問題で発言してきてもいる。
 百地章も、大石眞も、また高橋和之も、憲法学者・研究者として「専門家」なのかもしれない。 
 しかし、八木秀次の憲法学「専門家」性は、相当に疑問がある。そういうためには、憲法学界または憲法アカデミズムの一員として受容されていなければならないと思われるが、八木はとっくにそれから離脱しているのではないか。そして、<教育>問題・分野へと「活動」の重心を移しているのではないか。
 2015年にいわゆる平和安保法制問題が政局化した際に産経新聞は西修、百地章、八木秀次の三人の文章を「正論」欄に掲載したが、最も拙劣だったのは八木の文章だった。この当時にはこの欄で触れなかったが、八木秀次は、<憲法体制と安保体制の矛盾>という、日本共産党員の長谷川正安(故人、名古屋大学・憲法学)が言っていたようなことを述べていた(秋月も、子どもたちにウソを教えてはいけない旨を書いたことはある)。戦後日本の法現象の認識としてそのようなことを指摘できる可能性はあるのだろうが、当時の憲法「解釈」論としては、平和安保法制違憲論を断固として排斥し、合憲論をもっと強く主張しなければならなかった。
 というわけで、大石眞や高橋和之、そして百地章と並ぶ「専門家」と性格づけるのは困難だと思われる。
 第三に、月刊正論(産経)、月刊WiLL(ワック)、月刊Hanada(飛鳥新社)という保守系月刊雑誌に、人と雑誌によって多少は異なると思うが、頻繁に登場している。
 これが最も共通性の高い点だという印象もある。しかし、これだけではない。
 第四に、2015年8月の安倍晋三内閣によるいわゆる戦後70年談話を、いずれも支持した。
 渡部昇一と平川祐弘については、この点にこの欄でも触れて批判した。櫻井よしこがこの派に属することはとっくに確認している。 
 八木秀次について確認はしていないが、この安倍談話を批判していないことはおそらく間違いないだろう。今年になってからの、月刊正論3月号p.58でも、八木は「安倍晋三首相」と共通する立場にいることをとくに記している。
 第五に、これら4人はいずれも、秋月瑛二がこの欄で長らく批判的なコメントをし続けている人物だ。
 開設当初からというわけではない。漠然と思い出せば、八木秀次を信用できないと感じたのは早かったし、渡部昇一は現憲法無効論または廃棄論の主張者だと知って、これまた早々に(批判的コメントをするため以外は)読まなくなった。
 櫻井よしこを<保守>派のようだと明確に知ったのは遅かったかもしれないが、2009年の民主党内閣誕生前後の論考はひどいもので、とても<保守>派だとは思えなかった。
 屋山太郎とともに、この点で櫻井よしこは批判の俎上に載せた。2009-10年頃に秋月がコメントしたことは、間違っていないと今でも考えている。内容をいまここで繰り返しはしない。
 最後に、平川祐弘の名前は以前から知っていたが、積極的にせよ消極的にせよ読む価値のある人物だとの印象はなかった。
 にわかに関心を持ったのは、安倍戦後70年談話を、稚拙な文章でもって支持していたのを読んでからだ。そして、昨年以降のこの人の文章を読んでも、全く支持できない。
 以上のとおりで、たまたま「アホの4人組」と称したのではない。
 上智大学「名誉教授」、東京大学「名誉教授」、現役の某大学教授、そして「国家基本問題研究所」なるものの理事長を「アホ」だと言うのは、相当に勇気が必要なような気もする。
 しかし、「アホ」は「アホ」だから、仕方がないだろう。
 個人攻撃あるいは全面的な人格批判をしているのでは全くない。この人たちが何を、どのように書いているかを読んだうえでの、その内容についての批判だ。
 「アホ」は「アホ」だから仕方がない、と言うためには、もっと書かなければならないだろう。

1443/天皇譲位問題ー「観念保守」というアホの4人組。

 一 天皇譲位問題は、現在の私には最優先の論題、思考テーマではない。
 しかし、日本の<伝統と歴史>を守るためにとか言いながら、じつはデタラメな歴史観と歴史知識をもったままで単純かつ<観念的>な議論をする者がいて、しかも首相のもとでの検討会に専門家として見解・意見まで述べる機会が与えられたというのだから、ヒドイものだ、ますます<保守>派の印象は悪くなる、と憂いていた。
 といっても、いくつかの論考や文章にきちんと目を通して、精確に批判しておくことは、むろん不可能ではないが、それだけの手間と労力をかける意味があるのかと思うと、大いに躊躇するところがあった。
 本郷和人・天皇にとって退位とは何か(イースト・プレス、2017)を入手して読んで、やれやれやっと、私が言いたかったこと、論じたかったことの8割ほどは書いてくれている書物が出てきた、と思った。
 すでに昨年8月に、生前譲位を認める何らかの<改正>をせざるをえないだろうと簡単に記した。また、昨年12月頃には<観念保守>の主張らしきものを批判的にコメントしている。その中で、明治期以降だけが日本や天皇の歴史ではない、とも書いた。
 上の本郷著を概読して、あるいは冒頭の数頁をひもといても、やはり、(たぶん年齢順に)渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこ、八木秀次の4人はバカなのだと思う。
 いや、最近読んだ西部邁の文章によると、「バカ」なのは左翼で、右翼・保守は「アホ」なのだそうだ。
 本当に上の4人は、「アホ」らしいことを真面目に書ける、主張できるものだ。恥ずかしい。また、これらの人々の言論のために、政府や出版社も含めて、多くの時間・コストを要していることを、何と無駄なことをしているのか、と感じる。
 二 さて、本郷和人著から、ほぼ首肯できる文章を、ほとんどが以前から私が感じてきたことや知っていることだが、抜き出して引用する。
 「じつは、いわゆる右といわれている思想家や研究者のなかには平気でウソをついている人がたくさんいます」。/歴史に「無知なためにウソをついている人もいれば、なかには知っていてわざとウソをついているのでは、という人もいます」。p.11。
 「摂政のあり方や摂政としての制度の運用のしかたというのは、まだ固まっていません。戦後の象徴天皇制のもとでは、もちろん一度も置かれていません」。p.33。
 「皇室典範を金科玉条のように思い、改正することに対して否定的な考えの人たちも多い」。だが、私が思うに、「じつは天皇陛下は、そういう人たちの動き、いうなれば硬直的というか、極度に保守的な考え方を快く思っていないのではないでしょうか」。p.38。
 「ただ疲れたからやめたい、体力的にキツいというだけで提案したわけではないでしょう。それ以上の意味合いをもっての行動だったのではないでしょうか」。p.45。〔本郷の推測する意味づけは省略。〕
 旧皇室典範が終身在位を定めたのは-「死ぬまで天皇をやってください」と決めたのは-、「天皇の後継者への任命権を制限する行為ともいえる」。天皇の「絶対的な存在」を規定しつつ、「伊藤博文をはじめとする元勲たちは、どこか冷めた目も持っていた」。p.51。
 明治政府は、「もう一度、朝廷の力や権限を担ぎ出されたくはない」。自分たちが成功したのと「同様のことを行われたくはないから」だ。天皇の「政治利用」を極端に恐れたはずだ。「旧幕府軍側が、[奥州戦争で]…皇族の北白川宮能久親王を先頭に押し立てて戦おうとした」ような政治利用の再現を恐れた。「終身天皇という形を制定したことはそういう政治利用の場に引っ張り出される危険性を未然に防ぐ効用もあったはずです」。p.53。
 「明治時代の元勲たち」は、「天皇が絶対であると一般大衆には布告しながら、本音としてはそれは方便でした」。p.54。
 のちの指導者たちは「明治の元勲たちの持っていた冷めた視点を失ってしまった」。「第二世代、第三世代になると建前を盲信してしまい、あやまちを犯す」。p.58。〔この最後の辺りの評価と原因分析は議論の余地があるだろうが、立ち入らないでさらに続ける。〕
 「実在が確認されている天皇のほとんどは生前退位しています。現在のような終身在位の方がめずらしいケースでした」。p.66。
 「第50代くらいまでの歴代の天皇」では「生前退位が行われているケースは、やはり女性と高齢天皇の場合が多いのです。しかるべき人が無事に即位できる時期になれば生前退位をして譲位をすることが前提に近い状態で即位した」。p.69。
 「桓武天皇以降からは生前退位が当たり前になってきます」。p.70。
 「後三条天皇」以降で「死ぬまで天皇でいた人は、若くして亡くなったり、不慮の死で急逝したりした場合と、経済的に苦しかった戦国の天皇たちにかぎられていきます」。p.74。〔経済的に苦しいとなぜ生前譲位できないのか。それは、新天皇の践祚・即位の儀礼等に多大の費用がかかるからだ-秋月瑛二。〕
 「院政の時代」は、「権力を握った上皇のほうが天皇より偉い」。p.77。
 「家康は…、天皇や公家のやることは学問であると『上から』規定して役割を与えて」いった。天皇の存在を重視せず、公家・貴族は、将軍-大名-旗本-御家人の、御家人クラスの「必要最低限の援助」しか受けられなかった。p.85。
 この時代には「天皇の権力は無力化され、江戸幕府がすべての権力を集中して持っていた」。天皇は「領地」も将軍家から与えられて「経済的にもまったく自立していません」。但し、改元と暦に関する権限だけは別だった。p.86。〔但し、これは近世・江戸時代のことで、少なくとも室町時代には改元権は幕府・将軍にあったことがある-秋月。〕
 「天皇というのは、そのときそのときで性格を変えてきた」。地域首長・首長連合の筆頭・院政・武家政治、等々。p.126-7。[武士幕府政治のもとでも、後鳥羽・後醍醐のように「親政」へと挑戦した天皇・上皇はいたし、そうでなくとも、個々の天皇等ごとに幕府と朝廷・公家の関係は一様ではないとみられるー秋月。]
 天皇・武士の関係について「よく耳にする言葉に『天皇は権力は失った、だが権威だった』という言葉があります」。しかし、私は「それはあくまでも言葉の遊びにすぎないと思っています。権力も何も持っていない権威なんてものが存在するのかと考えるからです」。p.128。
 今の社会ならば「権力はなく、権威として存在することは可能」かもしれないが、昔、たとえば「中世社会において権力=力のない権威というものが存在したでしょうか」。同上。
 「そもそも将軍が天皇からお預かりしているという思想自体が、江戸時代の後期になって尊王とともに登場してきた概念にすぎません」。「朝廷の命によって征夷大将軍に任じられて」いるのは、「それこそ形式的なもの」です。p.135。
 「万世一系」を「日本の皇室がもつ特徴のひとつ」と思うのは問題はない。しかし、「だから日本人は偉い」・「日本人は特別の民族」とかの「優越意識や選民思想と結びつくと非常に問題があります」。日本・日本人を誇るときに「『天皇』を引き合いに出して自尊心を満たしたい」という心理はある。p.144。
 三種の神器の存在、前天皇又は上皇の承認の二つを欠いたまま即位した、「かなりグレーというか、いい加減な対応」による、後光厳天皇もいた。p.147-9。
 武家政治は鎌倉時代から江戸時代で「700年」続いたが、「軍事力をほぼ独占した武士たちによる政府ができたからこそ、天皇家は続いた」といえるかもしれない。「天皇が軍事も政治も意欲的に」行えば、とって代わろうとする勢力によって滅ぼされた「かもしれない」。古代の天皇のように自ら軍事行動をすれば、「どこかで戦いに敗れ、滅ぼされていた可能性は高い」。p.150-1。
 「怠惰な国民のもとに独裁者が生まれるし、怠惰な国民が独裁者をつくりだす」。「生臭いものから皇室は距離を保っておくべきだ」との意見が大勢であるようで国民はさほとどバカではない。「日本の場合、独裁者が生まれるとするなら、皇室もしくはその周辺からしか生まれないでしょうから」。p.156。〔この部分の言明は興味深い。「皇室の周辺」等についてさらに発展させて議論したいが、省略。〕
 生前退位による「政争の具」化、「政治的な混乱」の発生は「もはや難しい気がします」。皇室も含めて「絶えず可視化」されている情報化社会はそれを許さないだろう。p.159-160。
 「外部勢力が生前退位というシステムを使って」「手を突っ込んでくることはほぼ考えられません」。「あるとしたら、天皇家のなかでそういう動きがある場合でしょう」。p.162。〔この部分も興味を惹く。別に話題にしたい。〕
 「時の内閣の政治的駆け引きに利用される」という危惧が再三提起されるが、これは「天皇の人格の問題」、「どんな人が天皇になるのかという問題」だろう。p.162。 
 三 以上のすべてではないが、アホの4人組の見解・主張に対する反論や無知の指摘になっているところが多いだろう。
 <観念保守>の思考方法自体に最近は関心があるが、日本共産党による<明治維新以来ずっと日本は悪いことをしてきた-「帝国主義」化と「侵略」戦争>という歴史観を裏返しにした、しかも明治当初の元勲たちにはあった冷静な視点すら失った、戦前の一時期の<皇国史観>に立ち戻れ、というだけではないだろうか。
 本郷も指摘するし、産経新聞・「正論」欄で秦郁彦も述べていたように、明治期の旧皇室典範の内容こそがむしろ長い日本の歴史、天皇の歴史からすると<異例>だったのだ。
 誰も書いていないようだからあえて書いておくが、明治新政府の誕生時(1868年)、明治天皇は16歳で、明治憲法発布・旧皇室典範(勅令ですらない)制定時には38歳だった。かつまた、すでにのちの大正天皇は生まれていた(12年後にはのちの昭和天皇も生まれた)。そのような、40歳にもなっていない若い又は壮年の天皇がいた時期に、言うまでもなく、そのことや当時の後嗣を含む皇室の具体的状況も考慮して、あるいは具体的なそれを背景として、旧皇室典範により終身皇位制度が採用されたのだ-反対論もあったことが知られている-。この当時と大きく具体的な事情が異なる(むろん法的な位置づけも異なる)現在において、旧皇室典範の<精神>を持ち出すのは、狂気であるか、あるいはたんにアホであるとしか思えない。
 旧皇室典範以降で、わずか三代の代替わりしか行われていない(大正・昭和・今上)。これがなぜ、「日本の伝統と歴史」と言えるのか。昨年12月に触れたことだが、(<保守>派ならば神武天皇にまでさかのぼって ?)天皇の歴史に関する知識を持たなければならない。欽明まで遡らなくとも、平安直前の光仁、そして桓武あたり以降の歴史をすべて(概略でもよいが)知っておかないと、いかなる発言もマトモにはできないのではないか。
 本郷和人は、平川祐弘・月刊Hanada4月号(飛鳥新社)が嫌味を言っているような「法学」者ではなく、東京大学史学科出身の(中世が専門の)歴史学者だ。平川は、自らの視野の狭さ、思い込みとそれからくる「無知」、そして<観念論>ぶりを自ら嘆くべきだろう。
 また、平川は源氏物語という<文学>作品を読んでいない「法学」者を批判しているようだが、そんなものを持ち出さなくとも、いくらでも多数、より実際の<歴史>に近い書物・文献・史書はある(すべてが100%信用できるとは言わない)。
 櫻井よしこ、八木秀次らの具体的叙述も、かりにきちんと読めば、いくらでも、反駁あるいは無知の指摘をすることができる。
 こうしたアホたちがなぜ生まれて、出版界等で生きておれるのか。その理由、背景に最近は興味をもっている。アホたちを生息させている産経新聞等にもかつてよりはるかに批判的になっている。
 天皇・皇室制度それ自体について、種々書き残しておきたいことはあるが、今回はこれくらいにしよう。
 なお、本郷の長くはない叙述のすべてに同意しているのではない。例えば、明治新政権を世襲否定として肯定的な見方を示しているが、薩長中心の、藩閥的・門閥的な政府でもあっただろう(それは昭和期にも影響を与えた)。

1383/日本の保守-悲惨な渡部昇一・加地伸行。

 天皇譲位問題についての、月刊WiLL9月号(ワック)の渡部昇一、加地伸行、百地章、月刊正論9月号(産経)の渡部昇一、八木秀次、竹田恒泰、月刊Hanada9月号(飛鳥新社)の高森明勅、に触れる。
 あまりにヒドいのは、渡部昇一、加地伸行だ。この二人は、「摂政」の制度の利用で(現実的には)足りるとするが、その際、現行の皇室典範(法律の一つ)が定める「摂政」に関する規定の内容を全く無視している。
 渡部昇一は「天皇がご病気のとき」という要件を勝手にでっちあげており(妄想しており、月刊正論p.56)、加地伸行は「摂政」制度の利用は当然に可能だという前提(思い込み)に立っている(月刊WiLLp.44以下)。
 こうした、議論の作法自体をわきまえない「論考」が保守系とされる月刊雑誌の冒頭近くに置かれ、表紙等でも重要視されていることは、現在の日本の「保守」論壇の悲惨さを曝け出している。
 「保守」言論人のすべてが渡部や加地のごとくではないだろうが、上のような雑誌の編集部が原稿を依頼した十人に満たない中に、皇室典範の規定を一瞥することすらしないで天皇・皇室問題を「論じる」者がいるのだから、「保守」論壇の劣化・悲惨さは明らかだ。
 高森明勅が引用しかつ論及しているが(月刊Hanada、p.293)、天皇が未成年のとき以外に「摂政を置く」と皇室典範が定めている条文は、つぎのとおりだ。第16条二項。
 「天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。」
天皇陛下の談話以前に書いた原稿だと弁明するかもしれないが、陛下ご自身が問題は「摂政」制度利用では解決されえないことを明言された。
 また、高森明勅は上の条文の解釈に踏み込みつつ(これは当然の作業だ)、「陛下がお考え」の譲位と摂政設置は「似ても似つかない」と結論している。
 詳論しないが、私もまた、上の条文が定める要件は充たされていないだろう、と考える。
 渡部や加地は、天皇・皇室に関する自らのイメージと理解でもって「摂政」・譲位問題を議論している。愚昧きわまりない。
 渡部や加地は、結果としては、現在の天皇陛下が「精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができない」状態にある、と主張していると理解される可能性すらある(誤解だが)。
 百地章と八木秀次はさすがに皇室典範の上の条項を意識しているが、二人ともに<柔軟な解釈>をして適用することを主張または示唆していることが興味深い。
 しかし、このような論法は皇室典範の<解釈による実質的改正>の可能性を説くもので、支持し難い。<柔軟な>解釈なるものは、法的安定性を損なうことにもなる。
 また、百地や八木の解釈がほぼ一致して採用されるとは限らず、正面からこれを説けば、世論はもちろん、「皇室会議」での議論も紛糾するだろう。
 竹田恒泰が言うように(月刊正論p.75)、皇室典範の改正か「特別措置法」制定しかないだろう。立ち入らないが、竹田が後者を主張している根拠は必ずしも十分ではない。特別措置法も(現天皇についてのみ適用する、と竹田はイメージしているのだろうか ?)、いったん成立すれば「制度」(しかも皇室典範の特別法として優先する)になってしまうことに変わりはない。
 問題は、天皇・皇族の高齢化を避けることはできず(喜ばしいことかもしれないが)、いわゆる「高齢化」社会を想定していない法律(皇室典範)が60年以上も改正されることなく存在し続けていることにあるだろう。
 加地伸行が「暴力革命を支持する勢力」による譲位・退位の強制がありうるとして、「退位規程」を作るのに反対しているのは、一見もっとものように見えて、現行の制度・皇室典範についての知識のなさを再び示している。
 加地伸行によると、「議会で過半数を占める特定勢力が、議会の議決によって退位を可能」とする危険もあるのだ、という。
 皇室典範を法律ではなく天皇(・皇室 ?)が定める「家法」にせよとの主張ならばまだ分かる。しかし、憲法自体を改正しないとこれも困難だ。
 憲法第2条「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範 の定めるところにより、これを継承する」。
 加地は、この条項も知らないで適当な文章を書いて、小遣い銭を貰っているのだろう。
 むろん、個別案件の適否は、国会が決めるのではなく、現行の制度を前提にすれば「皇室会議」が議決することになろう。
  「暴力革命を支持する勢力」が「議員」の過半数を占める事態は抽象的には想定できるが、そのような事態にな っているのであれば、現憲法の天皇条項自体が廃止・削除されているのではないか。
 ところで、現皇室典範第28条はつぎのように定める。
 「1 皇室会議は、議員十人でこれを組織する。
  2 議員は、皇族二人、衆議院及び参議院の議長及び副議長、内閣総理大臣、宮内庁の長並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人を以て、これに充てる。
  3 議員となる皇族及び最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官は、各々成年に達した皇族又は最高裁判所の長たる裁判官以外の裁判官の互選による。」
 マスコミによる外からの「煽動」も考えられるが、基本的には、これらの「議員」となる人物が信頼できないとなれば、日本は、国家と諸制度自体が「脆うい」状況にある、ということになろう。
 加地伸行は、上の規定もおそらく知らないままで原稿を書いているのだろう(摂政を置くことも個別には皇室会議の議決が必要)。
 渡部昇一もそうだが、どうして、このような人物が「保守」系雑誌に、よりにもよって天皇・皇室問題について、登場してくるのか。
 嘆かわしい、悲惨な状態だ。
 ついでに。天皇陛下の「ご負担」軽減というとき、①憲法上明記された国事行為、②その他の「公的」行為、③祭祀を含む「私的」行為、を区別して論じてもらいたい。百地、八木、竹田の論考も丁寧にこの問題に言及してはいない。
 法律、政令の改廃に対する御璽押印と署名だけでも(慣行上または法制上、公布=官報掲載のために必要だ。公布自体は憲法上の国事行為だ)、おそらく一年に数千件にのぼるだろう。

1263/具体的・建設的で戦略も意識した議論を-憲法改正をめぐる保守派の怠惰。

 月刊正論1月号(産経新聞社)に、田久保忠衛「衆院選で忘れてはならぬ/憲法改正のラスト・チャンス」がある(p.158-)。産経新聞の憲法改正案起草委員会の一員だった人物(かつ国家基本問題研究所の幹部)が憲法改正の必要性を説き、衆院選の重要な争点とすべき旨を主張してるのだが、これを概読して、2010年11月03日の産経新聞「正論」に掲載された、やはり田久保忠衛の「憲法改正の狼煙上げる秋がきた」を読んで感じたのと似たようなことを感じた。
 当時感じたことは、この欄の2013.08.12投稿でも繰り返されている-「問題は、いかにして、望ましい憲法改正を実現できる勢力をまずは国会内に作るかだ。/この問題に触れないで、ただ憲法改正を!とだけ訴えても、空しいだけだ」。
 当時は民主党政権下だったので現在とはやや状況は異なるが、発議自体に各議院議員の2/3以上の賛成が必要であることに変わりはなく、これが達成されている状況にあるとは、衆議院に限っても明確には言い難い。
 また、国会議員の構成は民主党政権下に比べれば改憲のためにより有利にはなっているだろうが、そもそも憲法「改正」の具体的内容は改憲派(あるいは「保守派」)において明確になっているのか、という根本的問題がある。
 田久保は月刊正論1月号で現前文・現九条の改正と緊急事態対処条項の三つに少なくとも触れているようだが、田久保には尋ねてみたいことがある。
 まず、産経新聞社「国民の憲法」草案起草委員の一人として、すでに公表されていた自民党の憲法改正案を知っていたはずだが、産経「国民の憲法」案・要綱と自民党改憲案はまったく同じではないはずのところ、なぜ両者には違いがあるのか?、自民党の改憲案をそのまま採用しなかった具体的理由は何なのか?
 これくらいのことを明らかにしてくれていないと憲法改正のための具体的な議論はできないのではないか。
 また、憲法改正は-いずれまた触れるだろうように、明治憲法を全体としてそのまま復活させるという主張を採用しないかぎり-現憲法全体に対して改正案全体を提示して、全体について一括して支持するか否かを国民投票によって決する、というのではない。一箇条(の改正または新設)のみについて一回の記載か、複数の条項についての改正案(新設を含む)に即して複数回の(賛否の)記載を国民に問うのか、というやや技術的な(とはいえ現実には重要な)問題もあるが、いずれにせよ、改正が優先されるべき個々の条項について改正(・新設)の賛否を国民に問うことになるはずだ。
 しかして、田久保はいったい現憲法のどの条項から改正を始めるべきだと考えているのか。この点も明らかにしてくれていないと、憲法改正についての具体的な議論はできない。
 田久保忠衛に限らない。月刊正論2月号(産経新聞社)に、八木秀次「見え始める憲法改正への道筋」という魅力的なタイトルの論考があるが(p.58-)、総選挙結果の政治評論家的分析が3/4を占め、憲法改正に関する、上のような疑問に答えるところはない。ただ一つ、「憲法改正を政治日程に載せるためには1年半後の参議院選挙で改憲派の議席を確保しなければならない」等の、率直に言って改憲派ならば誰でも書けるようなことを書いているにすぎない。
 たまたま田久保忠衛と八木秀次の名を出したが、①両議院に2/3の改憲派を生み出し、国民投票でも国民・有権者の過半数の支持を得るための戦略・戦術、②すでにある改正案もふまえて、具体的にどのような内容の条文にするかのより突っ込んだ検討(ちなみに、櫻井よしこは「国防軍」ではなく「国軍」でよいと、どこかに書いていた)、③そもそもどういう順番で、改正案を国民に提示していくのか、についてのきちんとした検討、はいずれも、改憲派(「保守派))において、決定的に遅れているか、まったくなされていない。
 実に悲観的(・悲惨的)で危機的な状況にある、とすら言える。改憲派の論者たちは、本当に、真剣に、現憲法を変えたい、「自主憲法」を制定したい、と考えているのだろうか。
 このような状況では、安倍晋三首相が、憲法改正について具体的なことを語ることができないのも、当然だ。適当に何かを論じ、書いていれば済む立場に、安倍首相はいるわけではない。発議に必要な要件を彼は痛いほど理解しているだろうし(96条改正問題にもかかわる)、また、具体的な改憲条文を示した上で国民投票にかける必要があることも、どの条項から始めるべきかという問題があることも、当然に強く意識しているはずだ。
 にもかかわらず、安倍首相の問題意識・問題関心に応え、具体的にサポートする議論を改憲派(「保守派))が行ってきているとは思えない。
 優先順位にしても、公明党の「加憲」論に配慮して、安倍首相は緊急事態対処条項から始めたいのでは、という憶測記事を新聞で読んだことがあるが(何新聞だったかは忘れた)、かかる程度の<優先順位>論すら、改憲派(「保守派))は何もしていないのではないか。現九条か、前文か、緊急事態条項か、それとも「環境権」か?
 改憲派(「保守派」)の怠惰だ。
 もともと自民党は安倍晋三が言うとおり、「自主憲法の制定」を悲願としてきたのだから、改憲派(「保守派」)が、たんに、<憲法を改正しよう>と主張しても、訴えても、ほとんど意味はない。いいかげんに、それだけの主張や議論はやめるべきだ。
 ついでに言うと、周知のとおり、憲法改正反対(とくに現九条2項護持)の政党・運動団体があり、憲法学者の大半は<護憲派>とみられるところ、現96条改正や現九条改正に反対する憲法学者等の主張・議論に、改憲派(「保守派」)は適確に反駁してきているだろうか。
 例えば、昨2014年に、東京大学の現役教授・石川健治は朝日新聞に「乾坤一擲」の長い文章を載せ、京都大学の現役教授・毛利透は読売新聞紙上で護憲の立場で論考(・インタビュー回答)を載せていたが、これらに、迅速に改憲派(「保守派」)は反応し、これらを批判したのだろうか。
 <憲法改正を>だけ叫ぶのはいいかげんにしてほしい。具体的かつ建設的で戦略も意識した議論が、そして<護憲派>に対する執拗といってよいほどの批判が、必要だ。

1212/東京大学文学部社会学科はなぜ上野千鶴子を東京大学教授にしたのか。

 日本の大学の人事において、とくに歴史学や社会学を含む「社会系」については、その人物の「思想」・「イデオロギー」(それらによる所属団体、それらについての指導教授の「傾向」)がかなりの影響をもっているかを、この欄で何度か触れたことがある。マイナスになることもあれば、「左翼」/マルクス主義者・親マルクス主義者/日本共産党員であることがむしろプラスに働いて、これらを大学または学界における「処世の手段」として利用している者も少なくないのではないか、等をかつて記したことがある。   2007.07.06「大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?」   2009.02.06「<処世の手段>としての『左翼』/マルクス主義者/日本共産党員」。   2010.10.02「『共産党ではないが左翼』の社会・人文系学者たちの多さ」、など。

 長らく失念していたが、上野千鶴子の東京大学への招聘について、西尾幹二らが当時の東京大学文学部長と社会学科長に対して「公開質問状」を出していたことを思い出した。
 ネット上で、全文かどうかは不明だが見つけたので、再掲して紹介しておくことにする。なお、この質問状は西尾=八木・新・国民の油断(PHP、2005)に全文・経緯が掲載されているようだ。所持しているが、確認作業を節約させていただく。

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 「『上野千鶴子』問題については、東京大学の社会的責任を問う必要があると考えます。

 『女遊び』は、上野千鶴子氏が東京大学文学部教授会に迎え入れられる前、平安女学院短期大学教員の名で出された本で、東京大学の資格審査の際の参考文献に当然なっていたはずですから、同書と同書著者を受け入れた社会的責任が、東京大学文学部長と社会学科主任教授とにあると思います。もちろん、それに先立ち、文学部教授会全体にも社会的責任があります。

 憲法で『表現の自由』と『学問の自由』は保障されていますが、表現の『評価』は無差別ではありません。社会的影響力の大きい機関は『評価』に対し、当然、社会的責任を有しています。

 『女遊び』がどのような文献であるかは本書中で紹介したとおりで、必要なら古書でなお入手でき、再調査が可能でしょう。関係各位はご調査のうえ、判断や評価が適切であったか否かを、いまあらためてマスコミにおいて公表してほしい。

 もちろん機関としての判断決定の見直しは、いかに失敗であるとはいえ、もう時機を失しているでしょう。けれども、文学部所属の教授たち、ことに社会学科所属の関係者が上野千鶴子氏の『評価』の見直しを、己の学問的良心に照らして再度ここで行うことは可能です。私たちのこの提案に対し、開き直って彼女を礼賛するか、賛同して彼女を批判するか、いずれも自由ですが、沈黙するのは社会的無責任の表明と見なします。開き直って礼賛する人の論法は見物で、いまから楽しみにしています。

 なお、『女遊び』は学術的著作ではないので、審査対象からは外していたという見え透いた逃げ口上は慎んでいただきたい。業績の少ない若い学者の資格審査においては一般著作も参考にすべきで、それを怠ったとすれば、かえって問題です。

 まして『女遊び』は、上野氏のその後の反社会的思想と日本社会に及ぼしている悪魔的役割と切り離せない関係にあるだけに、見逃したという言い方は弁解としても成り立たないと思います。

 平成16年12月8日
  西尾幹二・八木秀次」

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 上野千鶴子は京都大学文学部・同大学院出身で上記の京都市内の女子短大や京都精華大学の教員だったが、突然に?東京大学文学部の助教授になった。
 上野の著「女遊び」とやらは読んだこともないが、上野のたった一つの学問的研究書と言えそうなのは同・家父長制と資本制-マルクス主義フェミニズムの地平-(岩波書店、1990)だろう。ここに見られるように、上野はたんなる「フェミニスト」またはフェミニズムの研究者ではない。「マルクス主義フェミニズムの地平」を目指して、ベルリンの壁崩壊・ソ連解体の頃以前に研究した文章をまとめて、1990年に、あの「岩波」から出版したのだった。<容日本共産党>の人物であることにもこの欄で言及したことがある。現在では東京大学を定年退官して優雅な「おひとりさまの老後」を過ごしているのだろうか。

 ところで、上の質問状からは不明だが、質問を受けた2004年度の東京大学文学部長ではなく、上野を採用することを決定した時点(1992年度と思われる)での東京大学文学部長は柴田翔であったと見られる。柴田翔とは、大学院学生だったとみられる1964年の芥川賞を「されどわれらが日々」で受けた人物。

 興味深いことに、西尾幹二と柴田翔(本名)はともに1935年の早生まれで(これは大江健三郎も同じ)、ともに東京大学独文学科で学んだ「学友」にあたる。そして、上野千鶴子問題を離れてさらに次のように思うのだ。

 失礼かもしれないが、西尾幹二は東京電気通信大学という理系の大学のドイツ語・ドイツ文学の教員だったのに対して、柴田翔は東京大学文学部教員として東京大学に残り、文学部長にまでなった。
 これまでの仕事・業績の全体を見ると、ドイツ関係に限ってすら、圧倒的に西尾幹二が柴田翔を凌駕しているのではないか。西尾幹二には「個人全集」すらある。柴田翔は芥川賞のおかげで世間的には著名かもしれないが、いったいいかほどのものを学界に残したのだろう。彼らの20歳代においても、東京電気通信大学と東京大学とでイメージされるような力量の差はなかったのではないかと思われる。しかるに、なぜ、柴田翔は東京大学に残り、その専任教員になれたのか。あくまで推測にはなるが、<思想傾向>がまったく無関係だったとは思われない。

 日本の大学というのは、「大学の自治」・「学問の自由」といった美名に隠れてはいるが、じつはかなり異様で奇妙な世界ではないかと感じている。  *後記(訂正)ー西尾幹二は1935年の「早生まれ」ではなく、同年7月生まれ。なお、大江はいわゆる<一浪>をしているので、結果として西尾と同年の入学のはずだ。

1129/月刊正論編集部の「異常」-監督・コーチではなく「選手」としても登場する等。

 月刊正論(産経)は、発売日(毎月1日)から二週間経てば、送料を含めても150-200円安く、一ヵ月も過ぎれば約半額で購入することができることが分かった。
 そのようにして入手した月刊正論6月号(産経)を見て、驚き、あるいは唖然とした点がいくつかある。とりわけ「編集者へ/編集者から」という読者・編集部間のやりとりは、注目に値する。
 月刊正論5月号の適菜収論考には読者からの疑問・反論も多かったようで、そのうちの一つを紹介し(p.324-5)、「編集者」が簡単に答えて(コメントして?)いる。適菜は自らの考える「保守の理想形」を提示していないという疑問(の一つ)に関して、「編集者」は以下のように書いている(p.325)。
 「おそらく適菜さんは、人間の理性には限界があり、その暴走を食い止めるために伝統を拠り所としようという態度こそが保守であると考えているのだと思います。その立場から見ると、橋下氏には理性暴走の傾向が感じられませんか。」
 これには驚き、かつ唖然とした。
 第一。「…が感じられませんか」という質問形・反問形での文章にしているのもイヤらしい。それはさておくとしても、この読者はもっと多くの疑問・批判を適菜収論考に対して投げかけている。
 それらを無視して、ただ一点についてだけ答える(コメントする)というのは、紙面の限界等もあるのかもしれないが、到底誠実な「編集者」の態度だとは言えないように思われる。紙面の関係で一点だけに限らせていただく、といった断わりも何もないのだ。
 第二。月刊正論編集部は橋下徹に「理性の暴走の傾向」を感じているようだが、その根拠・理由は全く示されていない。編集長・桑原聡の前月号の末尾の文章と同じく、理由・根拠をいっさい述べないままの、結論のみの提示だ。こんな回答(コメント)でまともで誠実な対応になると思っているのだろうか。
 なるほど適菜収論考の中に、橋下徹には「理性暴走の傾向」がある旨が書かれていたのかもしれない。そのように解釈できる部分が(あらためて見てみたが)ないではない。
 だが、「伝統を拠り所」にするか「理性の暴走」かという対置を適菜は採っていない。従って、上の短い文章は「編集者」自身が新たに作ったもので、適菜論考の簡潔な要約ではない。
 あらためて適菜「橋下徹は『保守』ではない!」の橋下徹に対する罵倒ぶりを見てみたが、適菜は橋下徹を「文明社会の敵」、「アナーキスト」、「国家解体」論者、「天性のデマゴーグ」等と断じている。
 明らかな敵意・害意を感じるほどに異常な文章であり、「決めつけ」だ。何段階かの推論(・憶測)を積み重ねて初めて導き出せるような結論を、適菜はいとも簡単に述べてしまっている。
 ともあれ、「伝統を拠り所」にするか「理性の暴走」か、という対立軸を立てて、適菜は書いているのではない。とりわけ、「伝統を拠り所」に、という部分は適菜の文章の中にはない。
 第三。読者の(省略するが)これらの疑問に対しては、本来、適菜本人が答えるか、別の新しい論考の中で実質的に回答するのが、正常なあり方だと思われる。
 しかるに、これが最も唖然としたことなのだが、月刊正論「編集者」は、「おそらく」という副詞を使いつつ、適菜収に代わって、適菜の「保守」観を述べ、読者に回答(コメント)しているのだ。適菜論考から容易に出てくる文章ではないことは上の第二で述べた。
 雑誌、とくに月刊正論のような論壇誌の編集部というのは、「監督」または「コーチ」であって、自らが「プレイヤー(選手)」も兼ねてはいけないのではないだろうか。にもかかわらず、月刊正論「編集者」はプレイヤー(執筆者)に代わって、自らブレイヤーとして登場として、自らの見解を述べてしまっている。
 雑誌編集者のありようについての詳細な知見はないが、これは編集者としては<異様>な行動ではないだろうか。しかも、「執筆者」の考え方を代弁して自ら回答(コメント)するという形をとりながら、上に述べたように、結論らしきものを語っているだけで、いっさいの理由づけ、論拠の提示を割愛させてしまっているのだ。
 「編集者」・「編集長」に用意された短い文章の中で、特集を組んでいるような重要なテーマについての編集者・編集長自らの(特定の)「結論」を、執筆者に代わって、理由づけをすることもなく明らかにしてよいのか??
 雑誌出版・編集関係者のご意見を伺いたいところだ。
 第四。適菜は(おそらく)「伝統を拠り所」にする態度を「保守」と考えており、橋下徹にはこれとは異なる「理性の暴走の傾向」があるのではないか、というのが月刊正論(産経)「編集者」の見解のようだ。
 このような対置が「保守」と「左翼」の間にはある、という議論・説明があることは承知している。
 だが、少しでも立ち入って思考すれば容易に分かるだろう。いっさいの<変化>やいっさいの<理性>を否定しようとしないかぎり、維持すべき「伝統」とそうでない「伝統」、必要な「理性」と危険視すべき「理性の暴走」の区別こそが重要であり、かつ困難で微妙な問題でもあるのだ。
 もちろん、月刊正論「編集者」の文章(p.325)はこの点に触れていない。全ての<変化>・<理性>を否定しないで、かつ「伝統を拠り所」とする態度と「理性暴走の傾向」とを明確に区別するメルクマール・基準・素材等々を、何らかの機会に、月刊正論編集部(編集長・桑原聡)は明らかにしていただきたい。
 第五。月刊正論「編集者」の文章に乗っかるとして、そもそも橋下徹に「理性暴走の傾向」はあるのだろうか。
 むろん「理性暴走」の正確な意味、それと断じる基準等が問題なのだが、それはさておくとしても、例えば橋下徹における次の二例は、「理性暴走」というよりもむしろ日本の「伝統」を重視している(少なくとも軽視していない)ことの証左ではないか、と考えられる。
 ①橋下徹は5/08に、公務員が国歌(・君が代)を斉唱するのは「当たり前」のこと、「ふつうの感覚」、「理屈じゃない」と発言している。
 ②橋下徹は大阪府知事時代の最後の時期、昨年秋の、大阪護国神社秋季例大祭の日に(知事として)同神社に参拝している。
 推測にはなるが、上の②は、大阪府出身の、「国家のために」死んだ(そして同神社の祭祀の対象になっている)人々を「慰霊する」(とさしあたり表現しておく)のは大阪府知事としての仕事・「責務」でもあると橋下は考えたのではないかと思われる。
 これらのどこに「理性暴走の傾向」が
あるのだろうか。月刊正論編集部(編集長・桑原聡)は、何らかの機会に回答してほしいものだ。
 なお、この欄で既述のとおり、産経新聞や月刊正論でもお馴染みの八木秀次は、隔週刊サピオ5/09・16号の中で、橋下徹は「間違いなく素朴な保守主義者、健全なナショナリスト」だ等と述べている(p.16)。
 八木秀次のあらゆる議論を支持するのではないが、上の指摘は、適菜収や月刊正論編集部とはまるで異なり、素直で的確な感覚を示していると思われる。
 第六。そもそも、「保守」か否かの基準として、「伝統」重視か「理性」重視(「理性暴走」)かをまず提示する、という(適菜ではなく)月刊正論「編集者」の考え方自体が正しくはない、と考えられる。
 上でも少し触れたように、この基準は明確で具体的なものになりえない。
 「保守主義の父」とか言われるE・バークもこうした旨を説いたようだが、私の理解では、上のような<態度>・<姿勢>という一種の<思考方法>ではなく、バークは、その結果としての<価値>に着目している。つまり、フランス革命によって生じた「価値」(の変化)の中身にバークは嫌悪感を持ったのであり、たんに「ラディカルさ」・「急激な変化」を批判したのではない、と言うべきだと思っている。
 「保守」か否かは、第一義的には、「伝統」か「理性」かといった<思考方法>のレベルでの対立ではないだろう、と思われる。
 E・バークの時代には、まだ「共産主義」思想は確立していなかった(マルクスらの「共産党宣言」は1848年)。従って、余計ながら、いくらバークを「勉強」しても、今日における「保守」主義の意味・存在意義を十分には明らかにすることはできないだろう。
 この問題は、「保守」という概念の理解にかかわる。月刊正論編集部がいかなる「保守主義」観をもっているのかきわめて疑わしいと感じているのだが、この問題には、何度でも今後言及するだろう。
 なお、関連して触れておくが、月刊正論編集部が「保守」の論客だと間違いなく認定していると思われる中西輝政は、月刊文藝春秋6月号(文藝春秋)の中の橋下への「公開質問状」特集の中で、「私は橋下徹氏の率いる『大阪維新の会』が唱える政策の殆どに賛成である」と明記し、橋下の「中国観」についてのみ質問する文章を書いている(p.106-7)。
 どう読んでも中西輝政が橋下徹を「保守ではない」と見なしているとは思えないのだが、中西の橋下徹観が誤っており、橋下は「保守ではない!」「きわめて危険な政治家」だと言うのならば、月刊正論編集長・桑原聡は、末尾の編集長コラム頁に書くなりして、中西輝政を「たしなめる」ことをしてみたらどうか。 
 いずれにせよ、上に六つ並べたように、月刊正論編集部はどこか<異常>なのではないか。今回言及した以外にもある。月刊正論6月号の上記冒頭の欄についてはもう一度言及する。

1116/憲法・「勤労の義務」と自民党憲法改正草案。

 〇憲法や諸法律の<性格>について、必ずしも多くの人が、適確な素養・知識をもっているわけではない。
 憲法についての、「最高法規」あるいは<最も重要な法>・<成文法のうち国家にとって重要な事項を定めたもの>といった理解は、例えばだが、必ずしも適切なものではない。
 また、憲法に違反する法律や国家行為はただちに無効とは必ずしもいえない(そのように表向きは書いてある現憲法の規定もあるが)。そして、国民間(民間内部)の紛争・問題について、憲法が直接に適用されるわけでも必ずしもない。これらのことは、おそらく国民の一般教養にはなっていないだろう。
 塩野七生・日本人へ/リーダー篇(文春新書、2010)は「法律と律法」について語り(p.42-)、憲法はこれらのうちいずれと位置づけるのかといった議論をしているが、ボイントを衝いてはいないように思われる。失礼ながら、素人の悲しさ、というものがある。
 保守系の論者の中に、現憲法は国民の権利や自由に関する条項が多すぎ、それに比べて「義務」(・責務)に関する規定が少なすぎる、との感想・意見を述べる者もいる。櫻井よしこもたしか、そのような旨をどこかに書いていた。
 宮崎哲弥週刊文春5/17号の連載コラムの中で、「憲法の眼目は政府や地方自治体など統治権力の制限にあり、従って一般国民に憲法に守る義務はない」と一〇年近く主張してきたと書いている。この主張は基本的な部分では適切だ。
 もっとも、憲法の拘束をうける「統治権力」の範囲は、少なくとも一部は、実質的には「民間」部門へも拡大されていて、その境界が問題になっている(直接適用か間接適用かが相対的になっている)。
 上の点はともあれ、国家(統治権力)を拘束することが憲法の「眼目」であるかぎり、<国民の義務>が憲法の主要な関心にはならないことは自明のことで、「義務」条項が少なすぎるとの現憲法に対する疑問・批判は、当たっているようでいて、じつは憲法の基本的な性格の理解が不十分な部分があると言えるだろう。
 〇その宮崎哲弥の文章の中に、面白い指摘がある。この欄ですでに言及した可能性がひょっとしてなくはないが、宮崎は、現憲法27条の国民の「勤労の権利」と「勤労の義務」の規定はいかがわしく、「近代憲法から逸脱した、むしろ社会主義的憲法に近い」と指摘している。宮崎によると、八木秀次は27条を「スターリン憲法に倣ったもの」と断じているらしい(p.135)。
 現憲法24条あたりには、「個人」と「両性の平等」はあるが「家族」という語はない。上の27条とともに、現憲法の規定の中には、自由主義(資本主義)諸国の憲法としては<行きすぎた>部分があることに十分に留意すべきだろう。
 自民党の憲法改正草案の現憲法27条対応条項を見てみると(同じく27条)、何と「義務を負ふ」が「義務を負う」に改められているだけで、ちゃんと「勤労の義務」を残している(同条1項)。
 もともとこの憲法上の「勤労の権利・義務」規定がいかなる具体的な法的意味をもちうるかは問題だが、<社会主義>的だったり、<スターリン憲法>的だとすれば、このような条項は削除するのが望ましいのではないか。
 旧ソ連や北朝鮮のように<労働の義務>が国家によって課され、国家インフラ等の建設等のための労働力の無償提供が、こんな憲法条項によって正当化されては困る(具体化する法律が制定されるだろうが、そのような法律の基本理念などとして持ち出されては困る)。また、女性の子育て放棄を伴う<外で働け(働きたい)症候群>がさらに蔓延するのも―この点は議論があるだろうが―困る。
 自民党の憲法改正意欲は、九条関係部分や前文等を別とすれば、なお相当に微温的だ。<親社会主義>な部分、<非・日本>的部分は、憲法改正に際して、すっぱりと削除しておいた方がよい。

0997/中川八洋・国が滅びる(徳間書店、1997)の「教育」篇。

 一 たしか西尾幹二が書いていたところによると、日本の「社会学」は圧倒的にマルクス主義の影響下にあるらしい。歴史学(とくに日本近現代史)も同様と見られるが、「教育学」もまた<左翼>・マルクス主義によって強く支配されていることは、月刊諸君!、月刊正論に<革新幻想の…>を連載している竹内洋によっても指摘されている。戦後当初の東京大学教育学部の「赤い」3Mとかにも論及があったが振りかえらない。狭義の「文学畑」ではない<文学部>分野および<教育学部>分野には(にも?)、広くマルクス主義(とその亜流)は浸透しているわけだ。
 二 中川八洋・国が滅びる―教育・家族・国家の自壊(徳間書店、1997)p.48-によると、日本の「狂った学校教育」は、①「反日」教育、②「人権」教育(「人間の高貴性や道徳」の否定)、③「平等」教育(「勤勉や努力」の否定・「卑しい嫉妬心」の正当化)、を意味する。

 生存・労働権を中核とする「人権」のドグマは人間を「動物視」・「奴隷視」する考えを基底にもち、ロシア革命後にも人間の「ロボット」改造化が処刑の恐怖(テロル)のもとで進められた。さらに、「人権」のドグマは、①地球上の人間を平等に扱うがゆえに「民族固有の歴史・伝統・祖先」をもつことを否定し、②「善悪(正邪)の峻別を原点とする道徳律や自生的な社会規範」を否定する(p.50-52)。

 ①の魔毒は「反日キャンペーン」となり、日本国民ではなく「地球人」・「地球市民」に子供たちを改造しようとする。②の魔毒は「生存」の絶対視を前提として「どんな悪逆な殺人者に対する死刑の制度」も許さず、殺された被害者は「すでに生存していない」ので「人権」の対象から除外される。「人権」派弁護士とは生存する犯罪者に動物的「生存」を享受させようとする「人格破綻者」だ(p.52-53)。

 かかる「教育」論に影響を与えている第一はルソーの、とくに『エミール』だ。日本の教育学部で50年以上もこれを必読文献としている狂気は「日本共産化革命」を目的としている。ルソーは、『社会契約論』により目指した全体主義体制を支える人間を改造人間=ロボットにせんとするマニュアルを示すためにこれを執筆した。ルソーは『人間不平等起源論』に見られるように「動物や未開人」を人間の理想とするので、『エミール』を学んだ教師は生徒を精神の「高貴性」・高い「道徳観」をもたない「動物並み」に降下させる(p.55-59)。

 第二はスペンサーで、その著『教育論』は「人間と動物に共通する」普遍の教育原理を追求し、人間を野生化させる「自然主義・放任主義」を是とし、「道徳律の鍛錬」や「倫理的人間のへ陶冶」を徹底的に排除した(p.59-60)。

 第三は戦後日本教育を攪乱したデューイで、スペンサーの熱烈な継承者、実際の実験者だった。

 これら三大「悪の教育論」を排斥しないと、日本の教育は健全化しない(p.60)。

 以上は、中川八洋の上掲書の「Ⅰ・教育」のごく一部。
 三 八木秀次「骨抜きにされる教育基本法改正」(月刊正論3月号(産経)p.40-41)は安倍内閣時の教育基本法改正にもかかわらず、教育実態は変わらないか却って悪くなっていると嘆いているが、教育「再生」のためには、多数の教師が学んできた戦後日本の「教育学」・「教育」理論そのもの、そしてそれを支えた(中川八洋の指摘が正しいとすれば)ルソー、デューイらの教育「理論」にさかのぼって、批判的に検討する必要もあると強く感じられる。教育基本法という法律の改正程度で「左翼」・「反日」(<「国際」化)教育が死に絶えることはありえない。 

0995/月刊正論(産経新聞社)編集長・桑原聡の政治感覚とは。

 月刊正論4月号(産経新聞社)で編集長・桑原聡いわく-「…民主党内閣が、憲政史上最低最悪の内閣であることは多くの国民が感じているところだろうが、かりに解散総選挙が行われ、自民党が政権を奪回したとしても、賞味期限の過ぎたこの政党にも、わが国を元気にする知恵も力もないように思える」(p.326)。
 同誌の宣伝紹介記事(産経3/01付)で同じく桑原聡いわく-「国民の大半が期待しているのは、この党〔民主党〕が一日も早く政権の座から降りてくれることだけだ。しかし、かりに解散総選挙となって、自民党が返り咲いたとしても、賞味期限の過ぎたこの政党にも多くを期待できない」。
 産経新聞社内の出世コースを歩んでいるのかもしれないこの桑原聡のこのような<政治的>判断を基準にして、産経新聞全体は別としても、当面の月刊正論は編集されていくものと見られる。

 はたして、かかる立場を編集長が明記することはよいことなのかどうか。それよりも、その<政治的>判断は適切なものなのかどうか。

 2009年総選挙前に、自民党はダメだ、(よくは分からないが、新しい)民主党は期待できそうだ、というムードを煽ったのは朝日新聞を含む大手メディアだった。櫻井よしこすら、自民党に対して冷たかった(民主党内閣成立後も<期待と不安が相半ばする>旨を書いていた)。

 現時点で、自民党を「賞味期限の過ぎた政党」と断定して叙述するこの桑原聡のような、大(?)雑誌、しかも<保守系>とされる雑誌の姿勢は、どのような政治的効果をもたらすだけだろうか。

 2009年に自民党離れが生じ、かりに民主党に投票しなくとも<保守派>国民の中に<棄権(無投票)>行動がある程度は生じたと推測されるように、上のような断定は、反民主党(同党政権)の見解をもった国民に対して、自民党にも投票せず、<棄権(無投票)>するという行動を誘発する方向に機能するだろう。そしてそれは、民主党に有利に働くだろう。

 かりに現在のような政党状況のままで解散・総選挙が行われた場合、そのような投票行動は、日本を<良い>方向に導くのだろうか? 民主党の延命を助けるだけではないのか。
 それに、上のような断定は、<右>からの自民党は「第二民主党」、「民主党と同根同類のリベラル」という批判と共鳴しているとももに、<左>からの、例えば日本共産党(・社民党)のいう、民主党(内閣)は<第二自民党(内閣)>だ、という批判とも共振している。

 桑原聡は、上のように、その主張は、日本共産党(・社民党)のそれとも共通することを、いかほど意識しているのだろうか。代表的<保守系>雑誌が、こんな感覚の編集長に率いられているのだから、内容に奇妙な部分が出てくるのもやむをえないだろう。

 月刊正論4月号のウリは「保守論客50人が提言~これが日本再生の救国内閣だ!」で、屋山太郎のような「保主論客」とは思えぬ者を含む人々に、それぞれが構想する内閣の布陣(構成)を語らせている。

 まじめによく考えられており、かつ現実味がなくはないと感じられる「構想」もあるが、雑誌の全体としていえば、<お遊び>の類だ。保守的論者による保守派政治家・評論家類の「人気投票」のような観もある(一部には文章を書かせているが、じっくりと読みたいものがあるものの、1.5頁~2頁に過ぎず、短か過ぎる)。

 八木秀次は「公務員制度改革担当相」に屋山太郎をあてる。筆坂秀世は法務大臣に長谷部恭男(東京大学教授)、「領土問題担当相」に志位和夫(日本共産党委員長)をあてる。野口健は外務大臣に岡本行夫、防衛大臣に前原誠司、環境大臣にC・W・ニコルをあてる。河添恵子は首相に出井伸行、官房長官に辛坊治郎をあてる。……。

 重ねて桑原聡はこの雑誌の最後でこう書く-「筆坂秀世氏が領土問題担当大臣に志位和夫氏を指名しているが、現在の国難は、これぐらいの大胆さがないと乗り越えられないのではないか。いかがだろうか」(p.326)。「賞味期限の過ぎた」自民党(中心)内閣よりも、志位和夫を閣僚の一人とする<救国>内閣の方が、桑原には「よりまし」であるらしい。

 現実的実現可能性はさておくとしても、この桑原聡は正気で、「いかがだろうか」などと暢気に訊いているのだろうか。

 (少なくとも日本の)ジャーナリズム・ジャーナリストの類は(マスメディア一般がそうだが)、総じては、または基本的には、国家・社会・国民を「正」・「善」・「美徳」の方向に導こうなどという気構えはなく、そもそもが何が「正」・「善」・「美徳」かなどという思考をめぐらしもせず(価値相対主義・一種のニヒリズムに陥るとこうなる)、何が<話題になるか>、何が<面白いか(興味を惹くか)>、そして何が<相対的によく(多く)売れるか(儲かるか)>を基準にして雑誌等を編集しているように見える。

 例えば「適切さ」はもちろん現実の実現可能性よりも、<面白い>かどうか、<話題になる>かどうか、が基準になっているように見える。

 産経新聞社の新(?)編集長のもとでの月刊正論も(いい論考も少なくないのに)、そのような弊を免れていないようだ。

0992/もはや解散・総選挙以外にない+渡部昇一の妄論。

 〇「もはや解散・総選挙以外にない」-遠藤浩一・産経新聞3/02正論欄。なお、この人は法学部出身。

 〇とりあえずごく簡単に書いておく-渡部昇一監修・日本は憲法で滅びる(総和社、2011.02)の「はじめに」を渡部昇一が書いていて、日本国憲法は「占領対策基本法」で憲法としては「無効」なので「無効宣言」をすべし、というこれまでもいろいろな所で書いてきている妄論を主張している(「憲法改正」反対論の一種。p.3)。

 たんなる渡部個人の著・論考ならまだよいが、「憲法」をタイトルに打った本の監修者の「はじめに」となると、座視できない。

 日本国憲法「無効」論については渡部昇一以外の者の詳論も読んで検討したことがある(今回は急いでいるのでかつてのエントリーへのリンク省略)。結論は、「無効論」に値せず(「無効」概念の誤用がある)かつ<憲法改正>または<自主憲法の新制定>を遅らせるだけの、議論の混乱を招くだけの妄論だ、ということだった。

 「無効宣言」すべしとする一部の論者に尋ねたいが、その宣言主体はいったいどの国家機関なのか(あるいはどのような手続を経てどの国家機関が行うのか)? 「国会」とする論者もあるようだが、渡部昇一は上の「はじめに」で、「その手続は意外と簡単」だなどと空論を述べ、「日本政府」がとにかく一度でも「無効宣言」すればよい、と説く(p.3、p.5)。

 そこで渡部昇一に一つだけ尋ねる。「日本政府」とはいったい何か。国会も含めて広く統治機構を「政府」と称する語法もあるが、現憲法(および大日本帝国憲法)の概念だと「内閣」をおそらく想定しているのだろう。そうでないと、漠然と「日本政府」と言うだけでは国家機関を特定したことにはならない。あるいは渡部は緻密に思考していないので、内閣を代表する内閣総理大臣を念頭に置いているのだろうか。その場合でも以下の論旨は同じ。

 しかして、渡部昇一のいう「日本政府」=「内閣」(または内閣総理大臣)は旧憲法上のものか、渡部昇一のいう日本国憲法=「占領対策基本法」上のものか??

 前者はすでに存在していない、と認識するのが(規範論としても現実論としても)妥当だろうと思われる。

 後者だとして、渡部昇一のいう日本国憲法=「占領対策基本法」にもとづく、かつそのもとで制定されてきた法律(「内閣法」)によっても構成されてきた内閣(または代表・内閣総理大臣)に、自らを生んだ日本国憲法=「占領対策基本法」を「無効」と判断し「宣言する」権限はあるのか??。自らの祖先を殺すようなもので、こういうことを平気で述べる著名な<保守>論客が存在すること自体が、悲痛な想いにさせる。

 「国会」を「無効宣言」の主体と考えても、同じことがいえる。衆議院と参議院から成る国会は日本国憲法のもとでの国家機関で、日本国憲法が生み出したものだ(旧憲法では構成も異なる「帝国議会」)。

 渡部昇一は、「日本政府」なのものの意味をより明確にするとともに(日本国憲法には前文を除き「政府」概念はない。旧憲法でも同じ)、その国家機関を「法的に」生み出した出所を明らかにされたい。

 占領下において、日本国憲法を上回る超憲法的な「権力」があり、諸施策が行われたことを否定はしない。現憲法が禁止する「検閲」はあったし、超憲法・超法規的に公職追放等もなされた。

 だが、そのようなことは、現在における日本国憲法「無効」論の根拠にはならない。

 不思議に思うのだが、渡部昇一の「はじめに」以外は未読だが、各執筆者のうち南出喜久治を除いて、その他の者は、例えば西尾幹二も(現憲法下の法制のもとでの)「法曹」資格ある稲田朋美も法学部出身の遠藤浩一も、監修者・渡部昇一の日本国憲法「無効」論・「無効宣言」すべし論に与しているのだろうか??

 一見新鮮なようでいてじつは無駄な議論だと、南出以外の者は感じていないのだろうか?

 そのように一致しているとは思えない主張を、監修者たる資格で渡部昇一はよくも堂々と書けたものだと思う。

 このような者が、<保守>の代表的な論者とされているのかと思うと、日本の将来に、やはり暗澹たる思いがする。かかる妄論が一冊の初めに堂々と主張されているようでは、「九条の会」参集者も、渡部昇一のいう「憲法を食い物にする敗戦利得者」=現在の日本の憲法学者(憲法研究者)のほとんども、せせら嗤って、何ら痛痒を感じないだろう。

 百地章、西修、稲田朋美、ついでに八木秀次らは、渡部昇一という名前に怯む?ことなく、日本国憲法「無効」論・「無効宣言」すべし論を批判すべきだ。こんな「はじめに」をもつ、<憲法>をテーマとするがごとき書物が<保守>派によって刊行されてよいのか? 百地、西、八木に学者としての「良心」はあるのか?

 以上述べたことは、個別の各論考にかかわるものではない。

 これまでこの欄でほとんど渡部昇一の本・主張を採り上げなかったのは、渡部が日本国憲法「無効」論にだらしもなく影響をうけていることが明瞭だったからでもある。誰か、勇気のある者は、退場勧告をつき突けた方が(日本の将来のためにも)よい。

0876/佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号)読了。

 〇4月某日、表現者第29号(ジョルダン、2010.03)の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「市場論-資本主義による国民精神の砂漠化」を読了。
 4月某日、同上の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「議会論-『チルドレン』による『討論の絶滅』」を読了。
 いずれも座談会記録だが、ふつうの論文的文章に比べて、却って読みにくく、理解がし難い面がある。ほとんど未読の、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(ジョルダン、2010.03)もきっとそうだろう。
 〇5月某日、佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」月刊正論6月号(産経、2010.05)を読了。月刊正論のこの号では最初に読んだ。計16頁で長い。
 簡単にまとめられるわけがないが、佐伯啓思の主張・見解のほとんどはよく理解できる。こういう言い方が不遜ならば、とても参考になる。
 「親米」でも「反米」でもあるし、どちらでもない、という表現も(p.94~)、よく分かる。かつて八木秀次は<保守>論者を「親米」と「反米」とに分けた図表を作っていたが(この欄で言及したことがある)、そのように簡単にはグループ化できないだろう(八木は「親米」派のつもりで自分を西尾幹二と区別したかったのかもしれない)。議論は<多層的、複層的>なのだ。「幾層かにわけて論じられねばならない」(p.93)。
 だが第一に、佐伯啓思に限られないが(西部邁も似たことを言っているが)、<冷戦は終わった>という前提で議論されていることには、きわめて大きな疑問をもつ(p.88には「一応の冷戦終結」との表現が一箇所あるが、他の部分では「一応の」という限定はない)。佐伯啓思に関係して、同旨のことは既に書いたことがある。
 なるほど欧州では対ソ連との間の<冷戦>は終わったのかもしれない(それでも拡大されたNATOがあることの意味を日本国民はよく理解すべきだ)。しかし、中国・北朝鮮との間での日本の<冷戦>はまだ続いているし、その真っ只中にある、と考えるべきだ。まだ日本(とアメリカ)は勝利していない。敗北する可能性すらある。
 したがって、佐伯啓思には、アメリカに問題点、批判されるべき(追従すべきではない)点があるのは分かるが、中国(共産党)・北朝鮮(労働党)の現状をもっと批判してほしい。
 第二に、思想家・佐伯啓思に期待しても無理なのだろうが、「まずこのディレンマを自覚すること」との結論(p.95)だけでは、実際には一種の精神論だけで、ほとんど役に立たない可能性もある。
 佐伯啓思の複層的な思考と叙述は魅力的だが、例えば、7月参院選に関してどう行動すべきかは、佐伯啓思の文章をいくら読んでも分からないだろう。
 行動あるいは政治的戦略の前にまずは「保守」の意味・立場・考え方を明確にしておくべきとの前提的主張は、そのとおりではあるのだが、具体的な成果がすぐには出にくいことはたしかだろう。
 それに、私はよく理解できたと書いてしまったが、佐伯啓思の議論に従いていける<知的大衆>はどれほどいるだろうか、という懸念もなくはない。いわゆる<保守>派にも(「左翼」と同様に)狂信的・狂熱的な者たちがいそうだ。そういう人たちは佐伯啓思の本・文章を読もうとしないか、または読んでも(失礼ながら)ほとんど理解できないのではないか。
 2008年2月の佐伯啓思・日本の愛国心-序論的考察(NTT出版)を刊行直後に読んで、何かの賞に値するように思ったが、論壇で大きな話題になることなく終わってしまったようだ。そういう意味では佐伯啓思は不当に扱われており(不遇であり)、もっと多くの人にその著書等は読まれてよいと感じている。それを阻んでいるのが、佐伯啓思の本等を書評欄等で絶対に取り上げたりはしない、朝日新聞等の「左翼」マスメディアであるのだが。

0842/最高裁判決の「傍論」だから「法的拘束力はない」?-外国人地方参政権問題の一つ。

 外国人(地方)参政権(選挙権)付与法案に関して論議がなされている。その際に、保守系論者・評論家の中から、<外国人地方参政権付与を許容したかのような最高裁判決(平成07.02.28)は傍論でそれを述べたのであり、法的拘束力はない>旨が発言または論述されることがある。
 かかる保守系論者・評論家の発言・叙述には(私は上記の案に反対だが)「ひとこと言っておきたいことがある」(「さだまさし」ふう)。ひとことではなく二言以上になるかもしれない。
 第一。そもそも、最高裁判決の理由中の一文(「傍論」だろうとなかろうと)が「法的拘束力」をもつとはどういう意味をもち、「法的拘束力」をもたないとはどういう意味をもつのか、きちんとわきまえて発言等をしているのだろうか。
 いわゆる東京裁判の「拘束」力についてもかなり近いことが言えるが、そもそも「法的拘束力」をもつ・もたないがいかなる法的意味をもつかを説明できない議論は無意味だ。
 専門的な詳細は知らないが、判決主文の「拘束」力、あるいは判決理由中の(とくに直接に主文に関係する)<争点>に関する記述の「拘束」力の有無や「拘束」を受ける者の範囲等々について、議論があるはずなのだ。
 もともと訴訟および判決は原則としては訴訟当事者の権利義務に関する紛争について提起され、出されるもので、厳密にいえば直接には、訴訟当事者にしか<効力>を及ぼさない。
 <法的拘束力>の有無をうんぬんする論者は<判例としての法的意味>を言っているつもりなのかもしれないが、それにしても判決理由中の叙述がいかなる<判例(理論)としての意味>をもつかは一概に答えられるものではなかろう。
 そして、<判例(理論)としての法的意味>だとしても、<傍論には法的意味(法的拘束力)はない>などと簡単に言い切れない、と考えられる。
 とりあえず<傍論>を主文=結論とは直接には関係のないつぶやき、某のいう「司法のしゃべりすぎ」のようなもの、と理解するとしても、<傍論>は全く無意味というわけではない。ある紛争の発生・訴訟の提起に応じて、結論とは直接に関係なくとも、判決を出す機会に最高裁としての法的見解をついでに述べておくという運用は頻繁ではないが(とくに最高裁では)行われているようだ。対立している下級審判決の統一、行政・立法への警告等の意味をもつこともあるのだろう。 
 某のいう「司法のしゃべりすぎ」は、主文=結論とは直接には関係のない<つぶやき>のすべてを指しているわけでもなかろう。
 傍論中の判示ではあっても<最高裁判例>(最高裁の考え方)として重要な意味をもたされている例もあることを私は知っている。
 第二に、上記の最高裁判決は憲法は外国人に(地方公共団体レベルでも)選挙権を保障していない、憲法上の権利として憲法上付与されるものではない、と言っている。原文はつぎのとおり(下線部は引用者)。
 憲法第三章による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象とするものを除き在留外国人に対しても等しく及ぶが、「憲法一五条一項にいう公務員を選定罷免する権利の保障が我が国に在留する外国人に対しても及ぶものと解すべきか否かについて考えると、憲法の右規定は、国民主権の原理に基づき、公務員の終局的任免権が国民に存することを表明したものにほかならないところ、主権が『日本国民』に存するものとする憲法前文及び一条の規定に照らせば、憲法の国民主権の原理における国民とは、日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。そうとすれば、公務員を選定罷免する権利を保障した憲法一五条一項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。そして、地方自治について定める憲法第八章は、九三条二項において、地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が直接これを選挙するものと規定しているのであるが、前記の国民主権の原理及びこれに基づく憲法一五条一項の規定の趣旨に鑑み、地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素を成すものであることをも併せ考えると、憲法九三条二項にいう『住民』とは、地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり、右規定は、我が国に在留する外国人に対して、地方公共団体の長、その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない」。
 上の部分は外国人(地方)参政権(選挙権)付与に反対する保守系論者・評論家において、要旨的にでも言及されることが多い。
 だが、あくまで、憲法上は外国人(地方)参政権(選挙権)を保障していない、と述べているにすぎず、憲法は外国人(地方)参政権(選挙権)を<法律によって>付与することを禁止している、とまでは述べていない。
 憲法上付与されてはいないとしつつ、法律で付与することは憲法違反(違憲)になる、とも明言していないのだ。
 上のことを、上のような違いを、保守系論者・評論家はきちんと理解しているだろうか。
 そして、<法律で付与することまで憲法が禁止しているわけではない>旨を明言したのが、いわゆる「傍論」部分だ。原文はつぎのとおり(下線は引用者)。
 「憲法九三条二項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第八章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら、右のような措置を講ずるか否かは、専ら国の立法政策にかかわる事柄であって、このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない」。
 保守系論者・評論家は、憲法レベルと法律レベルでの問題をきちんと分けて論じているだろうか。
 この最高裁判決は小法廷判決だが、裁判官全員一致による文章として、上のように書かれたことの意味は(その当否・評価は別論として)小さくない、と思われる。<傍論だから法的拘束力はない>などと言って切り捨てて無視しようとすることはできないものと思われる。
 むろん、この部分を、特定外国人への(地方)参政権(選挙権)付与賛成論者が、最高裁が積極的に認めているとして援用するのも間違いだ。
 最高裁は法律レベルで、つまり国会による立法政策によって、<特定範囲の>外国人について(「国」政ではなく)<地方公共団体>レベルでの参政権(被選挙権を含めていないと解される)を付与するかどうかを判断できる、と言っている、と理解するのが、日本語文の素直な読み方だろう(繰り返すが、法律で付与しても、逆に法律で付与しなくても、どちらでも違憲ではない、と言っているのだ)。
 以上のようなやや複雑な(といって、さほど理解困難でもない)最高裁判決の論理構造(?)を、外国人(地方)参政権(選挙権)付与に反対する保守系論者・評論家はきちんと理解しているだろうか?
 第三。最高裁判決とは、最高裁判決の「理由」とは(「傍論」かどうかはともあれ)、いったいいかなる機能をもつものなのか。最高裁判決はその「理由」も含めて(少なくとも「傍論」でないかぎりは)、日本国民は金科玉条、高貴で権威あるものとして絶対視しなればならないものなのか?
 そんなことはない。確定したとされる最高裁の判例(理論)ですら、国民は批判することが可能だ。最高裁「判例」を最高裁自身が大法廷によって「変更」することも可能なのだ(追記すれば、最高裁の裁判官というのは、「戦後」の「平和と民主主義」教育―日本国憲法等にもとづく憲法等の教育を含む―のトップ・エリート的「優等生」たちであることを忘れてはいけない)。
 なぜこんなことを書くかというと、外国人(地方)参政権(選挙権)付与に反対する保守系論者・評論家の最高裁判決への言及の仕方には一種の<ご都合主義>が紛れ込んでいないか、という疑問がある。
 つまり、最高裁判決がいわゆる<傍論>において<保守派>にとって都合のよいことを書いていれば、彼ら<保守派>(といって私も広くは<保守派>のつもりなのだが)の多くは、<最高裁も傍論において(傍論ではあれ)述べているように……>などという言い方をして、自己の主張を正当化するために、最高裁判決の「傍論」を援用し、利用しようとするのではないか? かりにそういうことがあるとすれば、それは<ご都合主義>であり、最高裁判決に対する<ダブル・スタンダード>だ。
 こんな思考方法、議論の仕方としては朝日新聞的な「左翼」が採用するようなことを、まともでまっとうな<保守派>はしてはいけない。
 <傍論だから法的拘束力はない>とのフレーズが気になって書いておこうと思っていたが、思いの外、長くなってしまった。
 八木秀次はもちろん、百地章も、上のようなことをきちんとは書いてくれていないのではないか? だが私としては、上記最高裁判決の読み方も含めて、しごくまともなことを書いたつもりだ。
 上の最高裁判決を前提にしても、法律レベル、つまり立法政策レベルでの議論をきちんとすれはそれで足りる。この次元の問題についてはあえて書くまでもないだろう。

0834/渡部昇一の「裁判」・「判決」区別論は正しいのか?

 1952年4月発効の日本国との平和条約、いわゆるサンフランシスコ講和条約の11条第一文前段につき、「受諾」=accept したのは「裁判」ではなく「(諸)判決」(judgements)だとの旨を、渡部昇一は強調し続けている。
 月刊正論11月号(産経新聞社、2009)の巻頭、渡部「社会党なき社会党の時代」p.42は、田母神俊雄更迭←村山談話←東京裁判史観と系譜をたどった上で、日本の外務省は平和条約11条の「判決」を「裁判」と混同したため、日本政府・自民党は「卑屈」になった、外務省・小和田恒の国会答弁には「裁判と判決をごっちゃにした致命的な誤り」がある、等と説く。
 渡部昇一ら・日本を讒する人々(PHP、2009)p.149でも同旨を語り、11条の「…の受諾」という「部分の解釈をしっかりしておくことが、日本が独立として起つために不可欠の『知』だと思います」とも述べる。
 月刊ボイス10月号(PHP、2009)の渡部「東アジア共同体は永遠の幻」p.77では、次のようにすら述べる。
 「判決の受諾か、裁判の受諾か。これをどう考えるかで、じつは恐ろしい違いがある。『裁判を受諾する』といった場合には、東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――に日本が縛られつづけるということになるからだ。/げんに、『東京裁判を受諾した』ということが強調されるようになる一九八〇年前後から日本の外交は全部ダメになっていく。…」。
 講和(平和)条約11条第一文前段につき、「判決の受諾か、裁判の受諾か」を問題にする渡部昇一の問題意識とその結論的叙述は適切なのか?
 なるほど「裁判」ではなく「諸判決」の方がより適切な訳語であるように思われる。だが、そのことで、いったい何が変わるというのか?
 かねて、かかる疑問を持ってきた。だが、櫻井よしこも-渡部昇一の影響を受けてだろう-、とくに「左翼」による日本国・東京裁判「肯定」説に対して、「裁判」ではなく「判決」にすぎない旨を言って反論しているのを読んだことがある。
 また、法学者であるはずの八木秀次も、上のPHPの鼎談本の中で、渡部昇一の言い分をそのまま聞いていて、疑問を発しようともしていない。
 渡部昇一は①いかに「裁判」と「判決」を定義しているのだろう? いちおう別だが、重なり合うところの多い概念ではないか? あるいは、渡部昇一は②「判決」を判決「主文」のことだと誤解しているのではないか? 「判決」は「主文」と「理由」(・「事実」)から成り立っていることを知ったうえで語っているのだろうか?(かつては「主文」・「事実」・「理由」の三分だったが、後二者は「事実及び理由」に括られるようになっている-正確な叙述は別の機会に行ってみよう)。
 上の②の疑問からして、「裁判」と理解すれば、「東京裁判の誤った事実認定に基づく不正確な決め付け――南京大虐殺二十数万人や日本のソ連侵略というものまで――に日本が縛られつづける」が、「(諸)判決」と理解すれば「誤った事実認定に基づく不正確な決め付け」から免れる、などと簡単に言えるはずはない、と考えられる。
 また、上の①の疑問を基礎づけうるある法律用語辞典による「裁判」と「判決」の説明も、紹介したことがある(この欄の10/19)。再掲する。
 以下、有斐閣・法律用語辞典(第三版)による。それぞれ全文。
 「裁判」=「通常は、司法機関である裁判所又は裁判官が具体的事件についてする公権的な判断。訴訟事件の本案に関する判断はもとより、訴訟に付随しこれから派生する事項についての判断も含まれる。判決、決定及び命令の三種類がある。なお、両議院がその議員の資格に関する争訟について判断する場合及び弾劾裁判所が判断する場合にも、裁判という語が用いられる。」
 「判決」=「(1)民事訴訟法上、原則として口頭弁論に基づき裁判所がする裁判で、特別の場合を除き法定の事項を記載する文書(判決書)に基づく言渡しによって効力を生ずるもの。①確認判決、給付判決、形成判決、②終局判決、中間判決、③本案判決、訴訟判決、④全部判決、一部判決、追加判決等と講学上分類される。(2)刑事訴訟法上は、特別の場合を除き口頭弁論に基づいて裁判所がする裁判で、公判廷で宣告によって告知されるもの。すべて終局裁判である。」
 再度いうが、「裁判」ではなく「(諸)判決」と理解して(訳して)、いったいどういう違いが出てくるのか??
 <保守>の代表的論客の指摘だからといってつねに適切だとは限らない。上の問題を疑問視する<保守>知識人がいないようであることこそ奇妙というべきだ。
 渡部昇一は「裁判」(trial、tribunal)と「判決」(judgement)の違いに関する<英文学者>としての何らかの根拠をもっているのかもしれない。だが、その根拠自体がすでに危うい可能性がある。英米語(とくにアメリカ語)でも、「裁判」と「判決」は上の日本の辞典のようにやはり解されている可能性が高い。また、より適切に議論するためには<英米法>学者の知識も必要だろう。「裁判」・「判決」区別論には、あらためて論及する。   

0813/竹田恒泰は安易に「真正保守」と語ることなかれ。

 月刊正論11月号(産経新聞社)に竹田恒泰による渡部昇一ら・日本を讒する人々(PHP)の書評がある(p.332-3)。
 この本は未読だし、内容は問題にしない。だが、気になることがある。
 竹田恒泰は、渡部昇一・金美齢・八木秀次という三人の著者(対談者?)のこの本につき、「…真正保守の立場から緻密に検証を加えている」と書く(p.332)。
 「本書は、日本の保守はどのようにあるべきかの指針を与えてくれる」(p.333)というのは過大なリップサービスくらいに理解しておけばよいだろうが、<真正保守>という語を上のように簡単に用いるべきではない。
 竹田恒泰は自らを<真正保守>と考えている(又はそれを志向している)のかもしれないが、その前に、どこかで<真正保守>なるものの意味、似非・不真正の<保守>との違いを明瞭にしておいてもらいたいものだ。
 皇室に関するかつての議論からして、竹田は西尾幹二は<真正保守>だとは見なしていないかもしれない。
 では、三人の一人、八木秀次は<真正保守>なのか?、という疑問がある。八木秀次が<真正保守>であるとして、そのような者が、皇太子妃の宮中祭祀忌避を事実だと断定して(又は強く推定して)、そのことを理由として現皇太子の皇位就任適格を疑問視するような皇室典範の解釈を示したりするのだろうか。
 現皇太子妃を理由として現皇太子の皇位就任適格を疑う者が<真正保守>なのか?
 竹田恒泰は、八木秀次の<保守>論者としての底の浅さに気づいてもいないのではないか? 竹田恒泰のために、余計ながら、かついかほどの効果があるかも自信がないままに、ご助言申し上げる。
 なお、既述だが、渡部昇一がサンフランシスコ講和条約の一部の解釈につき、東京「裁判」ではなく「諸判決」だとまだ繰り返し主張しているのは(櫻井よしこもこれの影響を受けている)、「遵守」対象批判としては必ずしも的確ではなく、有効性に欠ける(なお、文献または記事を明記できないが、坂元一哉も何かの文章の中で私と同様に「裁判」か「諸判決」かの違いを軽視-または無視-していた)。
 また、渡部昇一は日本国憲法「無効」論の影響をうけ、それを支持しているようでもある。
 かりに渡部昇一が<真正保守>だとしても(私はこの人のものを多数は読んでいない)、そのことが、この人のすべての主張・見解の正しさ・適確さを保障するものでは全くない。念のため。

0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。

 〇たぶん7月中に、水島総(作画・前田俊夫)・1937南京の真実(飛鳥新社、2008.12)を読了。
 〇1.小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)は一件を除いて最近三年間の『わしズム』の巻頭コラムをまとめたもので、既読のため、あらためてじっくりと読み直す気はない。
 
 但し、第六章「天皇論」とまとめられた三論考は昨日に書いたこととの関係でも気になる。また、①「天皇を政治利用するサヨクとホシュ」(初出2006秋)、②「皇太子が天皇になる日」(初出2009冬)につづく③「天皇論の作法」は、この本が初出(書き下ろし)だ。
 2.上の②は月刊文藝春秋2009年2月号のとくに保阪正康の文章を批判したもの。保阪正康をまともに論評する価値があるとは考えなくなっているが、あえて少し引用すると、「戦前の日本を悪とする蛸壺史観の保阪正康」、「馬鹿じゃないか! そんな妄想ゴシップは女性誌で書け!」、「天皇とは何かが全くわかっていない輩の戯れ言」、「…人格評価に至っては、自分の戦前否定史観に合わせて天皇を選ぶつもりかと、怒りを覚える」。とこんな調子だ。
 この論考の主眼は、「徳があるか否かが皇位継承の条件にはならない」、ということだろう(p.209)。
 さらには、「今上陛下が特に祭祀に熱心であるのは有名だが、皇太子殿下もその際には立派に陪席されているという。〔妃殿下への言及を省略するが-秋月〕そうなると皇太子夫妻共に何も問題はないのである」。
 これらに異論はない。次の文章もある。
 「70歳も過ぎた老知識人が、天皇について何ら思想した形跡もなく、大人が読むのであろう雑誌にゴシップ記事を書いていたり、祭祀は創られた伝統だとか、天皇の戦争責任を追及したげな岩波新書がやたら評価を得ていたり、低レベルな天皇観が横行している…」。
 前者は保阪正康、「祭祀は創られた伝統だとか、天皇の戦争責任を追及したげな」岩波新書の著者は原武史だろう。
 3.上を書いたのち小林よしのり・天皇論(ゴーマニズム宣言スペシャル、小学館、2009.06)が刊行された。これもすでに既読(この欄に記したかどうか?)。
 上の③「天皇論の作法」は上の本のあとの文章ということになる。そして、以下の<保守派知識人>批判が印象に残る。
 「日頃『歴史』と『伝統』を保守すべしと主張している保守派の知識人」は(少なくとも一部は)「自分は一般参賀に混じるような低レベルの庶民ではないと思っている。自分のような知的な人間は、天皇を論じるが、敬愛はしないといかにも冷淡である。敬宮殿下(愛子内親王)や悠仁親王殿下のご誕生の時も率直に寿ぐ様子がない。自分は庶民より上の存在だと思っている。庶民を馬鹿にしている」。
 「保守を自称する知識人たちとて、しょせんは戦後民主主義のうす甘い蜜を吸いすぎて頽落したカタカナ・サヨクに過ぎない」。皇太子妃・皇太子両殿下をバッシングして「秋篠宮の方がいい」と「言い出すのは、現行憲法の『国民主権』が骨がらみになっていることの証左である。戦後民主主義者=国民主権論者は、世論を誘導して皇位継承順位まで変えられると思っている」(以上、p.215-6)。
 なかなかに聞くべき言葉だと思われる。
 <保守派知識人>の中に「天皇論の作法」をわきまえず、天皇陛下や皇太子殿下(・同妃殿下)を<畏れ多く>感じることのないままに、<対等に>あるいは<民主主義・個人主義>的に論じる又は叙述する者がいることは間違いない。それは、彼らが忌避しているはずの<戦後民主主義>・<国民主権>・<平等原理>が彼らの中にもある程度は浸透してしまっているためだ、と小林とともに言うことは、ある程度はできそうに見える。
 小林よしのりは特定の氏名を記してはいないが、想定されているのは、まず、この本の途中でも批判の対象としている西部邁ではないか。ついで、西尾幹二ではないか(直接に西尾の皇室論を批判する小林の文章を読んだ記憶は今はないのだが)。
 この二人は博識だが、とくに西部はやたら外国の思想(・外国語・原語)に言及する傾向があり、その天皇・皇室観ははっきりしない。西尾幹二は現皇太子殿下等に対して、<上から目線>で説教をしているような印象の文章を書いており、(内容もそうだがこの点でも)違和感をもつ。私を含む<庶民>の多くもそうではないか。
 この二人は自らを<庶民>とは考えていないだろう。あるいは<庶民>の中の<特別の>存在とでも思っているだろう。
 他に、小林よしのりが想定しているかは不明だが、実質的には、昨年の月刊諸君!7月号における中西輝政や八木秀次も挙げることができる。
 中西自身が「畏れ多きことながら」旨を書いたような、現皇太子妃の皇后適格性を疑問視する言葉を中西輝政は明記した。
 八木秀次は、皇太子妃の「現状」?を理由として現皇太子が天皇に就位すれば宮中祭祀をしなくなると決めつけて(又は推測して)、天皇就位適格性を疑問視し、その方向での現皇室典範の解釈をも示した。
 上の二人の部分は、昨年に書いたことのほとんど繰り返し。
 何度も書いているのは、この二人の発言は必ずや「歴史」に残すべきだと思われるからだ。
 この中西輝政・八木秀次の二人にすら、<戦後民主主義・平等・個人主義>教育の影響が全くないとは言えないだろう。
 なお、前回言及した橋本明は<保守派知識人>とはいえず、共同通信の記者・幹部という経歴からすると、むしろ「左翼」心情性が疑われる。

0737/自由社・日本人の歴史教科書(2009)を一瞥-「市民革命」・「全体主義」。

 藤岡信勝編集代表・日本人の歴史教科書(自由社、2009.05)に収録されている最新版<新しい歴史教科書>(中学校用)の近現代部分を概読して、とりあえず印象に残ったことが二つあった。
 一つは、「市民革命」に関する叙述が、従来のもの、つまり私が学習した頃と何ら異ならないようであることだ。
 上の教科書では、17世紀後半から約100年間に欧州政治に新しい動きが起こったとし、イギリス、アメリカ、フランスについて述べたあとこう書く。「これら国々の政治の動きは、王や貴族の政治独占を認めず、人々が平等な市民(国民)として活動する社会をめざし、近代国家を生み出したので、市民革命とよばれている」(p.130、太字はママ。執筆者不明)。
 ここには「フランス革命」は「革命」ではなく支配層の中での権力の移動だった等々の<修正主義>の影響はない。のちのロシア革命(暴力革命)と共産党独裁につながるような「フランス革命」の一時期の<怖さ>、「フランス革命」の<影>の部分への言及又は示唆もない(のちのロシア革命についてはある)。
 アメリカの独立と合邦との間の理念の違いへの言及もなく、アメリカ「革命」とフランス「革命」が異なる性質のものだったとの言及・示唆もない。
 「市民革命」の「市民」の意味の詳しい説明はない。また、上の三国にのみ「市民革命」は起こったのか(そうだとすれば何故か)、他の国々も「市民革命」はあったのか=普遍的なのか(そうだとすれば、例えばドイツ・イタリア・日本はいつが「市民革命」だったのか)、といった疑問に答えてくれるところはなさそうだ。
 中学生用の簡潔な叙述なので、やむをえない、と言えるのだろうか。少なくとも、イギリス、アメリカ、フランスを例として「市民革命」を語るのは、何ら「新しい」ものではなく、かつ従来のマルクス主義的歴史学による理解・叙述と何ら矛盾していない。
 もう一つは、欧州で生まれた二つの政治思想が1920~30年代に台頭して世界に広まったとし、その二つとして①「共産主義」と②「ファシズム」を挙げて、「どちらも全体主義の一種」だと明記していることだ。その部分の項の見出しは「二つの全体主義」で、左欄には「20世紀の歴史を動かした共産主義とファシズムにはどのような特徴と共通点があったのだろうか」という文章もある(p.192)。
 このように①「共産主義」と②「ファシズム」が同種のものとして明記されていることに、よい意味で驚いた。かかる理解は、必ずしも日本人の「通念」になっているとは思えないからだ。
 かつて民社党は左翼全体主義(=共産主義)・右翼全体主義(=ファシズム)という言い方をしていたと思われる。だが、日本の戦後「思想」界・「歴史学」界等々で、かかる理解は少数派ではなかったかと思われる。
 外国では、ハイエクやハンナ・アレントなど、「共産主義」と「ファシズム(とくにナチズム)」を同列のものと扱う傾向が日本におけるよりも強かっただろう。
 日本では、例えば丸山真男は(あるいは「戦後民主主義」者のほとんど全てが)「民主主義」と「ファシズム(・日本軍国主義)」を対置させたが、その際、「民主主義」の中に、「人民民主主義」という言葉が今でも残るように、「民主主義」の徹底した形態又は発展形態としての「社会主義(・共産主義)」を含めていたように解される。
 そのような日本の戦後<進歩的文化人>にとって、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」が「どちらも全体主義の一種」などという理解は耐えられるものではなく、「全体主義」という語を使うとしても、「ファシズム(・日本軍国主義)」のみを意味させたものと思われる。
 そして、彼らにとっては、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」は両極にあって対立しているものであった。後者の<復活の阻止>こそが最大目標だった(そして「民主主義」の擁護・徹底による日本の「社会主義(・共産主義)」化こそが<隠された>目標だった)のだ。
 丸山真男に対して、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」のどちらを選ぶかという<究極の>選択を要求すれば、丸山真男は間違いなく後者ではなく前者を選んだと思われる。丸山には、「社会主義(・共産主義)」も「ファシズム(・日本軍国主義)」も<同じ全体主義>などという考えは、露も浮かばなかったのではないか。
 「民主主義」対「ファシズム(・日本軍国主義)」というあの戦争の把握の仕方はアメリカ・GHQのものであり、丸山真男および戦後<進歩的文化人>は占領期当初のアメリカ・GHQの「歴史認識」あるいは<パラダイム>に少なくとも客観的には<迎合>していたと考えられるが、この点は別の回でもあらためて触れる。
 ともあれ、「二つの全体主義」とかつて学習した記憶はなく、「新し」さを感じさせた。これで教科書検定を合格するのだから、決して悪い方向にばかり動いてはいない、という感もする。
 ところで、上掲書には教科書部分のほか、寛仁親王殿下のほかに、櫻井よしこ・加瀬英明・高山正之・黄文雄・西尾幹二・中西輝政・石平等々の15名の2頁ずつの文章を収載している。
 <新しい教科書をつくる会>分裂騒ぎに関する知識も大きな関心もないが、「自由社」版の他に産経新聞社グループの「扶桑社」の子会社「育鵬社」版の、殆んどか全くか同じの教科書も刊行されているらしい。
 上の15名の名前を見ていると、八木秀次、渡部昇一、岡崎久彦あたりの名前がないことに気づく。西尾幹二と八木秀次の間に確執があるのは知っているので、どうやら八木秀次らが「育鵬社」グループらしい(屋山太郎は?)。
 だが、15名の名前の連なりはなかなか重厚だ。いわゆる<保守派>というのがあるとすれば、八木秀次らのグループはその中の少数派なのではないか。そうだとすると、八木秀次と渡部昇一の二人への信頼度は私には相対的には上の15名の平均よりずっと低いので、悪い印象ではない。些末なことながら。

0717/月刊正論6月号(産経)・西尾幹二論考における天皇条項論、稲田朋美等。

 一 稲田朋美は、渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)のp.207-8で、現憲法1条の「象徴天皇」は「成文憲法以前の不文の憲法として確立していると見なすべき」として、憲法改正の限界を超える(改正できない)と主張する(この本については、昨年に言及したことがある。但し、上の点には言及しなかった筈だ)。
 また、稲田は同書p.209で、現皇室典範(法律)1条が「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めていることに注目し、ここでの「皇統に属する…」は2条以下の「皇族」に限られないとして、現在「皇族」でなくとも、「皇統に属」しているかぎりは皇位の継承資格がある(したがって、現在の法律上では「皇族」でなくとも「皇統に属する男系の男子」が存在するかぎりは皇位継承者も存在し、皇統断絶の懸念又は皇位継承者欠如の問題は生じない)旨を主張する。
 これらは憲法問題でもあるが、憲法学者であるはずの八木秀次は稲田朋美のこれらの主張に何ら反応していない。
 上の点はともかく、稲田朋美の主張(解釈)はいずれも成り立つ可能性がある。もっと議論されてよいだろう。
 だが、いずれも現在の通説・政府解釈ではないようだ。とくに皇位継承資格者の問題は、それが「皇族」に限られることを前提として、旧宮家一族の皇族籍復活等が論じられてもいる。
 かかる現在の通説・政府解釈を前提にすると、現皇太子・秋篠宮両殿下の下の世代の男子(親王)は悠仁親王しかおられないことをふまえて、「皇族」の範囲を拡大して、皇位継承者・「皇統」の安定的確保の途を早急に検討しなければならないと思われる。この問題は、現皇太子妃殿下に関するあれこれの議論よりもはるかに重要だ。
 二 さて、月刊正論6月号(産経)で八木秀次はご成婚50年記者会見(4/08)での天皇・皇后両陛下のご発言を「誰よりも保守主義を正確に理解されている」とそのままに全面的に尊重・尊敬するコメントを述べている(p.44)。
 結果的には大きな異存はないが、両陛下のご発言はある意味ではきわめて政治的で、あるいは非常によく準備されたものだ、という感想も私は持った。八木秀次ほどには私は単純・素朴ではないのかもしれない。
 また、美智子皇后陛下が「一方で、型のみで残った伝統が社会の発展を阻んだり、伝統という名の下で古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません」等と「伝統」について述べられた内容はある意味で新鮮であり、ある意味では刺激的でもあった。<保守すべき伝統>というものがあるはずなのだが、<保守>派はどちらかというと日本の<伝統>を丸ごと維持・保守しようという言説・主張に傾きやすかったのではないか。その意味で、皇后陛下が「伝統」の消極的な面・弊害も明言されたことは、注目されてよいと思われる(その内容自体に反論するつもりはない。問題は「社会の進展を阻」む「型のみで残った伝統」とは具体的に何か、になる)。
 三 月刊正論同号西尾幹二論考は、両陛下、とくに天皇陛下の発言を(八木秀次は勿論)私よりも<深く>解釈しているようだ。西尾は、「陛下の…お言葉はじつは相当に政治的であり、政治的役割を果たしておられるとも思います」と書いている。
 天皇陛下のお言葉とは、簡単には、日本国憲法の「象徴」規定に「心を致」す、日本国憲法の天皇条項は「天皇の長い歴史で見た場合、天皇の伝統的な天皇のあり方に沿う」、というものだ。
 西尾幹二は、十分な展開は見られないと思われるが、こうしたご発言を手がかりにして、天皇制度の将来には次の二つの方向があると主張していると見られる(天皇条項改正論でもあると思われる)。この点にも安倍晋三・中曽根康弘による日本「再占領」政策加担・追随論とともに、斬新さがある。
 一つは、政治的責任をより負担する、その点を明文化した「元首」になっていただくことだ。
 いま一つは、「京都にお住居をお移し下さり」、一段と「非政治的存在に変わっていく方針をおとり下さる」ことだ。
 これらは天皇条項の憲法改正をほとんど不可避的に伴うものと思われる。もっとも、「国」と「日本国民の統合」の「象徴」である旨の現1条を改正する必要はない可能性はあるので、冒頭に記した稲田朋美説と完全に矛盾するわけではないかもしれない。
 憲法改正は必要ではないとしても、前者の方向をとる場合、例えば、天皇の<宮中祭祀>は正式の「国事行為」(現憲法だと7条10号「儀礼を行うこと」)か、少なくとも「公的行為」としてきちんと位置づけられる必要が出てくるだろう(憲法20条と皇室の「神道」の関係についての解釈論の整理も必要だ)。
 後者の方向をとる場合、西尾は言及していないが、現行憲法の大幅な改正が必要になるものと思われる。
 現憲法6条・7条によると、天皇に最終的・形式的な権能があるのは、次のように幅広く、かつ重要なものばかりだ。
 ①内閣総理大臣の任命、②最高裁長官の任命、③法律・政令・条約の公布、④国会の召集、⑤衆議院の解散、⑥総選挙施行の公示、⑦国務大臣等の任免、⑧「全権委任状及び大使及び公使の信任状」の「認証」、⑨外国の大使・公使の「接受」、等々。
 これらの行為は、天皇のお住まいが現在の皇居のように、国会・首相官邸・諸外国大使館等に近い場所にあるからこそ容易にかつ速やかに行うことが可能なものではないか。
 したがって、天皇(・皇后)陛下が京都にお戻りになるということは、まさしく西尾の言葉どおりに、上のような<政治(・外交)>に関わらない、「非政治的存在」に変わることを意味することにほとんどつながるものと考えられる。例えば首相が衆議院解散を決意し記者会見等で公にしても、天皇陛下による正式の(最終的・形式的な)衆議院解散は、かりに天皇陛下が京都におられれば、その後早くても6時間程度は要するのではないか。同じことは、多数あるはずの、法律・政令等の「公布」についても言える(「公布」にはさらに官報掲載が必要な筈だが、その前提として現行憲法上は天皇陛下の御名・御璽が不可欠なのだ)。
 こう見ると、天皇の明確な政治的「元首」化にしても純粋な「非政治的存在」化にしても、憲法条項の具体的内容にかかわるもので、本来、憲法改正論議のなかで丁寧に議論すべきものと思われる。
 そういう問題提起を含んでいるので、西尾幹二は憲法学者・八木秀次よりも<鋭い>し、よく考えていると思わざるをえない。かりに明確な「元首」化を想定せず、「象徴」規定を維持するとしても、憲法が天皇に認める国事行為又は「公的」行為の範囲いかんによって、天皇は現在よりもより政治的にもなりうるし、非政治的にもなりうる。憲法改正をゼロ・ベースから、すなわち「白紙」の出発点から考えるのなら、この点は留意されておくべきだ。
 とは言っても、今後いかほどの熱心な議論が上に示した論点について生じるかは、心もとない。ほとんど現九条二項問題だけに関心が集まる可能性は高い。また、西尾幹二のいう二つの方向(現状のままだと三つの方向)のいずれが適切かについて、既述のこと以外には、述べるほどの私見は現在のところは殆どないというのが率直なところだ。

0688/鷲田小彌太・日本とはどういう国か(五月書房、2002)の一部と「新自由主義」。

 鷲田小彌太・日本とはどういう国か(五月書房、2002)。
 一 ・マルクス主義文献の研究・著作(「マルクス主義学」)で日本は世界一。経済学-河上肇、猪俣都南雄、宇野弘蔵、歴史学-服部之総、石母田正、網野善彦、哲学-福本和夫、三木清、戸坂潤、廣松渉。
 ・しかし、日本には社会主義革命は起こらなかった。すでに日本は「社会主義」だからだ。「隠れマルクス主義者の手で、社会主義者が権力を握り、社会主義になっていた」。
 ・「戦後社会主義日本」の「徹底した民主化」を主張したのが、「丸山真男(政治学)、川島武宜(法社会学)、内田義彦(経済学)ら」で、これらも「隠れマルクス主義者」。
 ・社会主義崩壊・マルクス主義者大没落後も「隠れマルクス主義者」は健在で「不断に社会主義的意識と行動が再生産されている」。(以上、p.328-330)。
 谷沢永一を最後の「師」とする鷲田小彌 8太だから、冗談か遊びかもしれないが、上の二つ目の・のごとく、日本は「社会主義」国だ、と簡単に書いてもらっては困る。松下幸之助の言とやらもあるが、まさか「社会主義」概念を通例のそれとは異なる意味で使っているのではあるまい。
 二 上につづく以下の叙述の方がじつは興味深い(p.331-2)。
 ・20世紀後半、アメリカが世界の文化の中心になった。この傾向は冷戦構造崩壊後にはますます顕著に。
 ・日本はアメリカを追い、「かなりの部門で…追い越した」。これを「アメリカニズムの追従」というなら、「それはベターなことだ」。「脱欧入米」の気分に日本はようやくなったではないか。
 ・「アメリカニズムへの拝跪」と観る者もいるらしい。だが、自国より優れたものをコピーし独自のものに磨き上げるのこそ「日本式(ジャパニズム)」ではないか。アメリカ一般がよいというのでくなく、アメリカ方式の最先端は「コピーするのに足る」。それは「アメリカ方式がグローバルスタンダードになっているもの」だ。
 ・日本の進化も「世界スタンダードをコピーし、それを自家薬籠中にする」努力によるのではないか。「アメリカ文化に対しても同じ態度をとってどこが悪いのか?」。
 ・コピーと「阿諛追従」は違う。(アメリカニズムとは同じではない)グローバルスタンダードを採用すれば「日本の歴史的伝統が破壊されると考えることこそ、日本の文化的伝統に則さない考えではないだろうか?」
 ・「アメリカニズムのコピーはアメリカへの拝跪」で「日本の固有性の放棄」だとの主張は、「攘夷」思想の「現代版」でなければよい、というのが「私の率直な気持ちだ」。
 ・「アメリカニズム=グローバルスタンダードを受け入れることは、自国滅亡への道だ」との説は、「実のところ、日米開戦からはじまり、いまや構造改革の下で崩壊の危機にさらされている日本的国家社会主義の再構築をめざす主張ではないのか?
 以上の鷲田の文章には素朴で楽観的な<親米保守>の匂いがすこぶる強い。むろん書かれた(公刊された)のが2002年だということは考慮しなければならないが、<アメリカニズムの終焉>を語っていた佐伯啓思や、小泉純一郎を「狂気の首相」と称した西尾幹二とは(かりに「保守」で括れても)対極にある。また、サッチャーやレーガンを「保守」の<再興>者の如く称えていた八木秀次に近いと思われる。
 もともと単純な標語的概念で指し示される現実的具体的意味内容のレベルで議論しないと建設的ではない<空中戦>になるのは分かっていることだが、アメリカ産の<新自由主義>(・「新保守主義」)―「反米」になりやすい「左翼」は<ネオリベ>とか<ネオコン>とかとの蔑称?を作っていた―なるものの評価・総括は、日本ではこれらの概念ではなく上に鷲田が用いている「構造改革」とか、「規制緩和」・「民でできるものは民で」とかの標語で示された日本での<改革>の評価・総括ということになるが、重要だし、(とくに「保守系」の)諸論者がどういう立場に立つか、どういう見解をもつか、には関心を持たざるをえない。
 2009年春の現時点では、鷲田小彌太も上のようには書かないのではなかろうか。また、もともと「グローバルスタンダード」か否かとそれが世界各国にとって「最良」か否かとは別の問題だ、という論理的欠陥を鷲田の上の所論は含むようにも見える。
 鷲田は、ひょっとして(あくまで推測で、あるいは結果的にはだが)野口悠紀夫・一九四〇年体制(東洋経済新報社、初版1995)の影響を受けていたのかもしれない。ともあれ、「構造改革」と「日本的国家社会主義(の再構築)」とを鷲田が2002年に対比させていたのは、あまりにも単純だったのではないか。多数の著書を出版しているわりには、必ずしも<学ぶ>対象という意識を持てなかった原因は、こうした点にもあったようだ。このあたりの、つまり<経済政策>の問題についても関心をもって本や論考を読んでいる。

0682/小林よしのりのサピオ3/25号・わしズム2009冬号(小学館)。

 一 サピオ3/25号(小学館)の小林よしのり「天皇論・第四章」計10頁は、月刊文藝春秋2月号の保阪正康「秋篠宮が天皇になる日」の全面批判だ。少しは単純化されているのだろうが、読んでいない保阪の文章の趣旨がよくわかった。小林によると、保阪正康は「『個性』を至上とする戦後民主主義的価値観を無条件に信じ、『ゆとり教育』的な馬鹿げた価値判断で人格評価」をしている。そして、その「人格評価」からすると秋篠宮殿下の方が現皇太子殿下よりも天皇に相応しいと保阪は示唆しているようだ。
 保阪正康は相も変わらず馬鹿なことを書いていると見られる。皇太子とその弟殿下で、皇室・歴史等々に関する発言の内容が異なるのは当たり前ではないか。平板に比較しているようでは、文言実証主義?には即していても、まともな<皇室論>にはならない。
 月刊文藝春秋の最新号でも同誌編集部は「秋篠宮が天皇になる日を書いたわけ」とかを保阪正康に書かせて、原稿料を支払っている(未購入・未読)。(株)文藝春秋はやはりおかしいのではないか。
 月刊諸君!4月号(文藝春秋)の秦郁彦・西尾幹二の対談「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」には「捨て身の問題提起か、ただの目立ちたがりか」という惹句が付いていた(表紙・目次・p.76)。
  こうした謳い文句自体、読者大衆の<下世話な興味>を煽るがごときであるし、(株)文藝春秋は田母神俊雄論文は「捨て身の問題提起」か「ただの目立ちたがり」かのいずれの立場にも(公平にも?)立っていない、ということを姑息にもこっそりと表明しているかのごときでもある。
 二 小林よしのりは、同責任編集・わしズム2009冬号(最終号)(小学館)に、「田母神論文を補強、擁護する!」も書いている(p.121~、計13頁。漫画部分はなし)。そこで批判されている人物は、順番に、秦郁彦、保阪正康、ジョン・ダワー、櫻田淳、森本敏、八木秀次、杉山隆男、石破茂、五百旗頭真、麻生太郎、浜田靖一
 ジョン・ダワーは別として、多くは日本の保守・中道派だと見られるが、「左翼」も含まれ、かつ保守・中道派であるような印象を与えている、客観的には「左翼」もいそうだ。少なくとも広義での<保守>は、田母神俊雄論文をめぐって、二つに分裂した。<戦後民主主義>を基本的なところでは疑わない「保守」もいるわけだ。麻生首相・浜田防衛相も、この問題では「左翼」と同じ立場に回った。「左翼」の<体制化>(左翼ファシズムの成立?)を意味し、何度も書くが、怖ろしい。  

0679/福田恆存「私の保守主義観」(1959)を読む。

 福田恆存評論集第五巻(麗澤大学出版会、2008.11)の中に収載されている「私の保守主義観」、初出は「読書人」1959年6月19日号、はたった5頁だが(p.126-)、興味深い。以下、要約又は引用。
 ・私は「保守的」だが「保守主義者」とは考えていない。「保守派」は「保守主義」を「奉じるべきではない」。
 ・「保守派」は眼前の「改革主義」という「敵」を見て自らが「保守派」であることに気づく。「保守主義」はイデオロギーとしては「最初から遅れをとっている」。それは、「本来、消極的、反動的であるべき」ものだ。
 ・「保守派がつねに現状に満足し、現状の維持を欲している」とは、「革新派」の誤解。「保守党」が自分たち支配階級の利害しか考えず、「進歩や改革を欲しない」との「革新派の宣伝」は、日本では「古すぎるし、効果もない」。
 ・「保守派」と「革新派」の差異は、「進歩や改革」を前者はただ「希望する」だけなのに対して、後者は「義務」と心得ることにある。前者における「私的な欲望」は後者において「公的な正義になる」。「進歩」は前者において自然な「現実」・人間活動の「部分」・「手段」だが、後者においては最高の「価値」、生存の「全体」・「目的」になる。
 ・「保守派が合理的でないのは当然」。「進歩や改革」を嫌うのはその「影響や結果に自信がもてないから」。一部の改革が全体の総計に与える不便に関する見通しがつかないから。
 ・「保守派」は「態度によって人を納得させるべきで」、「イデオロギーによって承服させるべきではない」。「保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分としたとき、それは反動になる」。「大義名分」は「改革主義」のもの。
 ・「保守派は無智といわれようと、頑迷といわれようと、まづ素直で正直であればよい。…。常識に随い、素手で行って、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか」。
 以上。今や死語になったかの「革新(派)」という語が出てくるなど、時代を感じさせる。だが、「まづ素直で正直で」、「常識に随い」…とは、<左右>を問わない、人の生き方そのものだと思える。無理をする必要はない。イデオロギー闘いを挑み、「左翼」を論難するのも本来は「保守派」ではないかもしれない。
 中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP)というような問いかけも、少しは肩肘が張りすぎているのかもしれない、と思ったりする。「常識に随い、素手で行って、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか」。このくらいの神経を持っていないと、今の時代を精神の安定を保って生きるのはむつかしいのかもしれない。
 ところで、保守又は「保守主義」を論じるとき、イギリスのE・バークはフランス革命に際して…と始める論者も多いように見えるが、福田恆存はその「保守派」の考え方をどのようにして形成したのだろう。バークを読んだから、ではないことは確かなのだが。 

0667/「秋月映二」ではなく「秋月瑛二」。撃論ムック・沖縄とアイヌの真実(2009.02)を一部読む。

 一 西村幸祐責任編集/撃論ムック・沖縄とアイヌの真実(オークラ出版、2009.02)は10日ほど前に入手し、気を惹いたものはすでに読んだ。
 民族問題の特集のようだが、佐藤優批判がいくつか揃っている。若杉大のもの(p.114-)は小林よしのり対「言論封殺魔」佐藤優論争の紹介・整理だが、櫻井よしこ「『国家の罠』における事実誤認」、高森明勅「佐藤優『護憲論』のトリック」(各々p.118-、p.126-)は明らかに佐藤批判だ。
 櫻井よしこによると(初出は2005)、佐藤優の上の本が新潮社・ドキュメント賞の候補作になったとき、事実誤認を理由としてゼロ採点した、という。むしろ興味深いのは高森論考で、佐藤優は、天皇制度擁護のための護憲派なのだ、という。つまり現憲法1~8条改悪(削除)阻止のために「護憲の立場」を採るのが「真の保守」だ、と佐藤優は言っているらしい。
 高森明勅はあれこれと1~8条死守と9条改正は矛盾しない旨等を述べているが、なかなか面白い、聴くべき<護憲論>だ。天皇制度の歴史に無知・無関心の圧倒的多数の国民(主権者)は、皇室に何か大きな不肖事でもあると、もともとひそかに天皇・皇室制度解体を目論んでいる朝日新聞等のマスメディアの煽動しだいでは、天皇は多忙でお気の毒、天皇・皇族にも人権を、皇室に対する国費支出額が大きすぎる、皇居を国民公園に、等々の理屈に納得して天皇制度廃止(憲法1~8条削除)の提案があれば、過半数の賛成票を与えてしまいかねないのではないか、という不安を私はもつ。そのような国会議員の構成にならなければよいのだが…。
 そのような憲法改正に対して私は反対の<護憲>派になるだろう。
 上のように、当たり前のことだが、何をどう変えるかが問題で、一般的な改憲論・護憲論の対立などは存在しない。現在<護憲論>とふつうの場合には言われているものは、憲法9条改正(とくに2項削除)に反対して9条を護持する、という意味での護憲論なわけだ。
 憲法9条改正と憲法1条以下改正と、どちらが先に国会で発議されるか、といった心配をしなければならないことになるとは、情けない。中国(共産党)は究極的には、天皇制度解体を望んでおり、神社神道も邪魔物と感じているだろうということは間違いないと思われる。日本国内には今でも、そのような中国(共産党)に迎合する<売国奴>団体・個人が絶対にいる。
 三浦小太郎「ハーバーマスとその誤読」(p.140-)も、短いが興味深く読んだ。
 二 ところで、「匿名コラム/天気晴朗」(p.179)を読んでいて最後の三段めに入って驚いてしまった。
 「秋月映二というブロガー」が「闘わない八木秀次の蒙昧さと日本共産党・若宮啓文との類似性」というエントリーで八木を「こき下ろしている」、「まさに秋月の言うの通り…」。
 これはこの欄での私の文章のことであるに違いない。私は秋月瑛二で「映二」ではないのだが。上のエントリーは今年1/08のものだ。
 さらにところで、「秋月瑛二」で検索すると-検索サイトによって違い、異様と思える並べ方をするものもあるが-、中身を読まず、冒頭又はタイトルを見ただけだが、①「秋月瑛二」を産経新聞記者と誤解している人がいる。私は産経新聞社とはいっさいの組織的関係がない。②私を「媚東宮派」と呼んでいる者がいる。皇室問題での西尾幹二批判がそのような呼称になっているのだろう。何と呼ぼうと勝手だが、「媚東宮派」という語を使うからには、それとは異なる「派」の存在を想定しているに違いない。それは「反東宮派」だろうか、「親秋篠宮派」だろうか。どちらにせよ、そういう対立を持ち込み、拡大しようとすること自体が、天皇制度の解体につながっていく可能性・危険性を孕んでおり、朝日新聞等の「左翼」が喜んでいそうなことだ、ということくらいは感じてほしいものだ。

0650/闘わない八木秀次の蒙昧さと日本共産党・若宮啓文との類似性(?)。

 一 月刊正論2月号(産経新聞社)の八木秀次コラム(p.42-43)は、かなりの問題性を含む。
 
田母神俊雄論文の発表につき、八木秀次は、①「内容とは次元の異なるところで大いに問題があった」、②「村山談話」が「日本国政府の手足を縛る有効な道具であることを左翼勢力に再認識させた」と批判し、「その意味で、…田母神氏の一連の発言を褒める気にはなれない」と述べる。
 桜田淳森本敏に近い見解だろうか。
 <保守>派の一つのありうる反応なのだろうが、かかる見解はやはりおかしい。批判されるべきだ。
 せっかく温和しくして(刺激的な言動をしないで)国民の信頼も徐々に獲得してきたのに田母神俊雄論文で台無しになった、というかのごとき論調は間違っている、と考える。それに、八木秀次は別の間違いも犯し、無知蒙昧さを明らかにしている。
 二 第一に、八木は、田母神論文の影響で、統合幕僚学校等の「外部講師」の現状が調査され再検討され始めた、という。日本共産党も「外部講師」の人選を調査していた、という。
 だが、「再検討」の是非はともかくとして、統合幕僚学校等の「外部講師」の人選の現状は、日本国民一般に対して明らかにされても原則的には何ら不思議ではないのではないか。
 国公立大学(法人)はもちろん私立大学でも、専任教員の他、どのような非常勤教員が来て教育を担当しているかは、積極的にあるいは問い合わせ・調査があれば受動的にでも、明らかにされているだろうし、明らかに(公開・開示)されるべきだ。
 統合幕僚学校や防衛大学校についても、これらは上記の学校教育法上の学校でないことは承知の上だが、どのような人たちが教師・講師になっているかは、防衛に対する国民の信頼を得るためにも、国民の関心に応えるためにも、国民に公にされてよいものだ(原則的には公開されるべきだ)という見解が十分に成り立つ。
 これが消極的に解されるためには、正規教員や「外部講師」の氏名を明らかにすることが、(間接的にせよとくに中国・北朝鮮という近隣諸国に知られることによって)わが国の防衛(行政)上著しい支障が生じると認められる場合に限られるのではないか。
 自衛隊は国の一組織であり、その内部に置かれる学校についても、(行政機関)情報公開法の精神は及ぶはずだ(行政機関情報公開法=法律は防衛省も適用対象とする。そして「公にすることにより、国の安全が害されるおそれ……があると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」は開示しないことができる(同法5条3号))。
 説明責任といってもよいし、あるいは透明性の問題であるかもしれない。軍事・防衛関係に<秘密>にしておくべき事項があることは当然のことだが、しかし、その対外的<秘密>事項の中に、統合幕僚学校等の「外部講師」の氏名は含まれるのかどうか。いかに「個人情報」だとしても、公金によって講師料を支弁されている者の<プライバシー>の保護は<秘密>性確保の理由にはならないだろう。
 八木秀次は憲法学者の筈だ。だとすれば、以上のような思考をしなければならないのではないか。
 しかるに八木は、共産党・赤旗の記者に自分の「外部講師」歴を問われて(国会に提出された資料中の)特定大学助教授だけでは「わからない」と答えたとし、自分以外のすべての「外部講師」本人が氏名公表に同意したのは「賢明な判断だとは思わない」、と批判している。
 その理由は、八木によると、①「統幕学校での講師の人選に一定の傾向があることが露見してしまった」こと、②防衛大臣が「見直しを明言した」こと(「村山談話」の線に沿った講師が選ばれそうなこと)、にあるようだ。
 八木秀次という人は、小粒の、<いじましい>人のように見える。上の①中の「講師の人選に一定の傾向があることが露見してしまった」とは、何と情けない文章だろう。<一定の傾向の講師たちで何故いけないのか>と堂々と開き直る(?)べきではないのか? あるいはそもそも「一定の傾向」とは何なのか?(「一定の傾向」について八木は自信・確信を持っているのか。自信・確信があって「一定の傾向」なる語をあえて使うだろうか?)
 また、悪いことをしていたわけでもないのに、日本共産党記者に対して、何故堂々と、自分も「外部講師」だった、とどうして言えないのか?
 そしてそもそも、前述のような、防衛行政を含む国政(・行政)についての説明責任・「情報公開」の要請といった論点は、この人の頭の中には全く存在しないようだ。
 実際の説明責任のとり方・「情報公開」制度の運用について問題が全くないとは思わない。<左翼>がこれらを利用している面は否定できない。しかし、憲法学者ならば、こうした論点があること自体は留意しておくべきではないか。こうした意味で、私は、八木秀次には憲法学者として<無知蒙昧>なところがある、と感じる。
 「外部講師」の人選の見直しの是非はまた別の次元の問題だ。さらに、こうした現状調査や見直しのきっかけを作ったのが田母神俊雄論文の発表だとして八木秀次は批判の根拠としているようだが、これまた別次元の問題だ。「見直し」に問題があるならば、それはそれとして堂々と批判すればよいのではないのか。
 三 第二に、上記とも重複するところがあるが、八木秀次は原因・結果の関係についての理解が<倒錯>しているように見える。
 すなわち八木は、田母神論文は、「村山談話」の有用性を左翼に「再認識」させた、という咎がある、と主張している。しかし、そもそもが左翼勢力が「村山談話」を生み出したのだったし、八木自ら「再認識」と書いているように、その有用性くらい、<左翼勢力>はとっくにご存知なのだ。内閣総理大臣が交代するたびに「村山談話」の継承の有無を問う朝日新聞をはじめとするマスメディアがいる。
 どの程度<左翼的>かは不明だが、1998年の日中共同声明に「村山談話」の「遵守」を盛り込んだ外務官僚もいたのだ(積極的に賛成したのだとすると、首相や外務大臣も「左翼」と称しうる)。
 本当の<保守>派は田母神俊雄の揚げ足取りをするのではなく、第一には「村山談話」をこそ問題にして、それを批判すべきではないのか。より正確には、「かつての一時期」の日本=<侵略国家>という一面的で単純な歴史認識自体を払拭するように各方面で尽力すべきではないのか。
 なお、八木は田母神論文のおかげで「自衛隊を含む政府関係機関の歴史観・国家観は二十年前に逆戻り」だという(コラムのタイトルも「逆戻りする歴史観」になっている)。
 こういう認識を私は持たない。政府関係機関(担当者)の歴史観・国家観をこのように単純に述べることはできないと思うし、かりにこれが正しい指摘だとしても、それは田母神論文が原因なのではなく、「二十年」の間に徐々に進行していた事態なのだと考える。
 四 タイトルに最初に付した「日本共産党・若宮啓文との類似性(?)」について書くのを忘れていた。
 簡単には次のようなことだ。
 1 日本共産党はかつて(1960年代後半~1970年代)、「全共闘」派あるいは<新左翼>の<暴力>を批判する際に、敵(権力)を過激な暴力行為で挑発して治安機構を拡大強化させている、自衛隊の治安出動すら生じさせようとしている、彼らは敵(権力)の「手先」・「別働隊」だ、というようなことを主張していた。
 八木の田母神俊雄批判はこれに少しは似ていないか? 「闘う」者に対して、そんな闘い方をしたら却って「敵」を有利にするだけだ、と八木は田母神俊雄を批判している、と言ってよい。
 2 若宮啓文は、朝日新聞昨年7/21のコラム(風考計)で次のように書いていた。
 日本の学習指導要領「解説書」に教育事項として<竹島は日本の領土>の旨が盛り込まれた。「それにしても、『独島』に寄せる韓国の情念を知りつつ、なぜまた刺激するのか」、「このセンスはどんなものだろう」。
 朝日新聞・若宮啓文お得意の<中国・北朝鮮・韓国を刺激するな>(なぜならかつて侵略又は植民地化した国だから)という見解・方針が露骨に示されている。
 八木秀次の田母神批判は、これに似てはいないか?
 かつての「歴史認識」に関する<左翼>の「情念」を知りつつ、「なぜ…刺激するのか」、刺激しないで(言いたいこと・書きたいことも言わず・書かずにして)おけば、従前どおりの状態でおれたのに、と八木は主張しているようなものではないか? 
 五 八木秀次に大した期待はしていないが、身辺回りのみならず、<大局>を観てもらいたい。

0643/月刊正論2月号(産経、2008.12)を一部読む-花岡信昭・潮匡人・高池勝彦。

 月刊正論2月号(産経、2008.12)。次の順で読んだ。ふつうの人の読み方とは違うかもしれない。
 1 花岡信昭「『朝まで生テレビ』出演者が明かすお茶の間に届かなかった真実」(p.75-)。前々回に書いたことの関心のつづき。録画しておけばよかった。
 自衛隊の憲法上の明記につき、80%が賛成だったとか。だが、「世論は確実に変わりつつある」(p.79)と言ってよいのかどうか。
 田原総一朗が月刊WiLLの中西輝政論文を褒めていたらしい(p.76)。但し、田原は揺れ動いている人だし、具体的メディア・番組・出演者に調子を合わせることができるような人の印象があり、とても<保守>派とは思えない。かつてはいい本も書いていたのだが。
 読んだ順番どおりではないが、ペラペラ捲っていると、「セイコの『朝ナマ』を見た朝は」(p.158-)、中村粲「NHKウォッチング」(p.176-)の初め部分、も上の『朝ナマ』(11/28)を扱っていた。視聴者によって感想・印象点は同じではないのが面白い。
 平沢勝栄を含めて、辻元清美を代表とする国会議員のレベルはひどいものだ。産経本紙でもそうだったが、元自衛隊関係者・森本敏はいったい何を考えているのか。ナマで観ていたとすると精神衛生に悪かったような気もする。
 2 潮匡人「リベラルな俗物たち/高橋哲哉」(p.208-)。高橋哲哉・靖国問題(ちくま新書)は所持していていつか読むつもりだったが、その気が失せた。潮匡人の紹介・分析だと、高橋哲哉とは、哲学者・大学教授の上衣だけを纏った、<左翼・反日>の政治活動家そのものではないか。ここまで<反右派・親北朝鮮>ぶりを明言する知識人?は今や珍しいのではないか。姜尚中和田春樹らとともに「コリアNGOセンター」専門委員。北朝鮮系新聞・朝鮮新報に「東京朝鮮第九初級学校」の講演会で(反日)講演をした旨の記事が載ったこともあった。
 <左翼>ビラをまじめに読むつもりはない。ちくま新書の筑摩書房とはかなりの<左翼>傾向の出版社であるらしい。樋口陽一の新書も出している。NHKブックスにも高橋は書いているらしい。高橋もNHKも気持ちが悪い。
 この高橋は東京大学大学院総合文化研究科教授でもある。東京大学所属の教授たちにはなぜへんな<左翼>活動家が多いのか。
 東京大学といえば、月刊正論(上掲)の石川水穂「マスコミ走査線」p.171によると、東京大学法学研究科(と思われる)の日本政治外交史担当の北岡伸一も朝日新聞紙上(11/13)で田母神俊雄論文を批判したという。東京大学は(法学部をはじめとして)「戦後的なるもの」あるいは「戦後民主主義」の守護神として、今日の<翼賛>体制を支えているようだ。さすがに<体制べったり>だ(とは言えない教授たちもいるとは思うが)。
 3 高池勝彦「ケルゼンを知らねばパール判決は読み解けないか」(p.278-)。このタイトルは、この欄で既述の私見と同じ。
 東谷暁や八木秀次のパール・ケルゼン関係の文章よりもはるかに私には腑に落ちる。法実証主義の問題もそうだが、また、被告人は個人だが結果としてはパールは「日本」無罪論だったというのも納得がいく。法的に個人を無罪としつつ、道義的には国家・日本を批判していた、などという(<左翼>体制派・東京裁判(多数意見)史観に都合のよい)コジツケ論は信頼できない。中島岳志は政治的・政策的な、又は(左翼)ジャーナリズムに媚びた本を書いたのだ。
 あとは時間的余裕に合わせて、今後に。巻頭の安倍晋三=山谷えり子(対談)「保守はこの試練に耐えられるか」くらいは読んでおきたい。
 それにしても、月刊正論の最初の方の二頁コラムの執筆者5人の中に八木秀次と兵頭二十八がいるのは、重みに欠け、正統「保守」らしくないなぁと感じるのだが、これはごく少数の感想か。

0621/東谷暁はひょっとして<恥ずかしい>ことを月刊正論に書いたのではないか。

 一 東谷暁が、月刊正論(産経新聞社)12月号で妙な、恥ずかしいことを書いている。
 「論壇時評・寸鉄一閃」の最後から二つめの文にいわく-「そもそも、パールに政治的意図がなければ『意見書』として提出している文書に『判決書』と記すわけがない」(p.165)。
 東谷はパールは日本語で「意見書」を書き、日本語でタイトルを付けたとでも錯覚しているのだろうか。そうだとすれば「恥」だ。次号には登場しないでいただきたい。
 小林よしのりもサピオ誌上で明記しているし、某ネット書籍等販売サイト上でも表紙写真が出ているが、パール意見書(判決書)は、Dissentient Judgement という表紙題名が付けられている。実際の所謂東京裁判の際にどのような言葉(英語)で表現したのかは知らないが(本来はそれを確認しておかなければならない)、上の英語は「反対の(同意しない)判決」が一番の直訳だろう。だが、裁判官一人が「判決」を書けるはずはなく多数意見が「法廷意見」、すなわちその事件についての「判決」になるのだから、パールの「Dissentient Judgement」は―小林よしのりもサピオのどこかに書いていたと思うが―戦後の日本の通例の用語法によれば、実質的には「少数意見書」又は「反対ー」というのが適切な訳になるものと思われる。「意見」とか「少数意見」・「補足意見」とかの日本の用語法に東京裁判が拘束されるいわれはないとも言えるのだが、しかし、少なくともパールの長い文章を「判決書」と訳すのだけは誤りで、<パール判決(書)>という言い方は便宜的な、一般的・慣例的用語にすぎないのは常識的なことにすぎないのではないか。
 ちなみに、東京裁判研究会・共同研究パル判決書(講談社学術文庫、1984)p.142-3は、一又正雄の次の文を載せる‐「このJudgementには二種の意味があ」り、一つは普通の理解での「判決」で、もう一つは「その裁判に参加した判事が、その判決について述べる『意見』」だ。パル判事のそれはまさに「後者の意味」だ。
 従って、『意見書』を『判決書』と書いて提出したという前提自体に誤りがあると思われる。ああ、恥ずかしい。なお、Judgementの訳は「判決」だけではない。「判断」も「決定」も(そして上の説明にもあるように「意見」も)入りうるものだ。
 なお、「意見書」=政治的、「判決書」=法的、という理解の仕方を(も)東谷はしているようにも読めるが、これも誤り。こう理解しているのだとすると、ああ、恥ずかしい。
 二 その東谷と八木秀次が、<パール判決書>は(少なくとも「法理」を示した文章は)法的文書か「政治文書(思想書)」かで論争をしているようだ。
 これについては、
10/06に、「さほど重要だとは思われない」、「この議論の意義自体が判りにくい」と書いておいた。
 現在でも変わりはなく、お二人はエネルギーと時間と雑誌誌面を無駄に費しておられる。
 そもそも一般論として、「法」と「政治」はいちおう別の概念であり別の対象をもつが、厳密に区別できないことは常識的なところだ。対大江・岩波名誉毀損訴訟にかかる判決はむろん「法的」なものだろうが、それは別の観点からすれば「政治」的文書でもあるだろう。少なくない裁判と判決が、何らかの意味で「政治」性をも持ちうるのではないか。ちなみに、第一法規という出版社から、1980年に、『戦後政治裁判史録』全5巻が出ている。扱われている対象はすべて(事件の経緯と)「判決」だが、何らかの「政治」性を認めるからこそ「政治裁判」という語も使われるのだ(扱われているか確認していないが、ロッキード事件判決、リクルート事件判決に「政治」性がないはずがないだろう。民事事件でも当事者が政治家や著名な「政治的」作家や出版社だと、当然に「政治」性を持ちうる)。
 従って、「法理」の提示か「政治文書」かという問いかけ自体がナンセンスだ。とりわけ、何が「法」か自体が不明瞭な戦争、そして国際法にかかわる裁判と判決に「政治」性が紛れ込まないと考える方がどうかしている。
 なお、上の東谷の文章によると、八木秀次は、<パール判決書>における「法理そのもの」には「政治性」がなく、「事実認定」が「政治性を帯びていた」と、東谷に対する回答として説明したらしい(その雑誌も所持はしているが確認の労を厭う)。
 私は、上の八木の説明も正しくはない、と考えている。いかなる「法理」を発見(又は創出)し、事案に適用するかは、(事件によっては)十分に「政治」性をもちうる、「政治」的機能を果たす、と考える。そして、パール「判決書」もまた「政治」性を帯びざるを得ないものと理解している(だからといって、私は「法理」の提示がない、法的文書ではない、と主張しているのではない)。
 要するに、ほとんど生産的ではない議論を東谷らはしている。ほとんど、恥ずかしいレベルだ。<保守>論壇の「衰退」の一例だろうか。
 二 ところで、東谷暁の先月号の文章について10/06に「もともとケルゼンを持ち出して議論を始めたのは西部邁・中島岳志だった。だとすると、西部邁・中島岳志によるケルゼン理解が適切かどうかにも論及しないと、『論壇時評』としてはアンフェアなのではないか。東谷暁は、だが、西部邁・中島岳志によるケルゼン理解については一言も触れていない」と書いた。
 今でもこう思うが、小林よしのりがサピオ誌上で、東谷暁について、「西部邁グループ」とか「親分を守るため」とか書いているのを見て(後者はサピオ11/12号p.62)、謎(?)が解けた。ヘーゲル理解の真否を問題にしていったい何の役に立つのだろうと怪訝に感じていたのだが、東谷が西部邁の仲間又は「弟子」?だとすると、西部邁を擁護することとなる文章を書いているのも納得がいく。
 <保守派>評論家たちは、いったいいくつに分解しているのだろうか。嘆かわしい。もっとも、小林よしのりによると、西部邁は「左翼」に回帰している。
 三 さて、もともとのパールにかかわる論争は、「パール判決(書)」の理解の仕方にある。中心的論争は中島岳志と小林よしのりの間で行われている。そして、この論争は、いずれかが正しく、残る一方は誤っている、という性格のものだろう。つまり、「パール判決(書)」はいろいろな読み方ができる、いろいろに解釈できる、というものではない、と考えられる。
 要するに、いずれが原文のテキストを正確に理解しているか、という勝負だろう。
 この点については、西部邁ですら最初の関係論文で小林よしのりに「分がある」ことを認めていた(月刊正論の今年の2月号だったかな)。
 パールの原文を読む余裕はないので断言できないが、直感的には、小林よしのりの勝ち、だろう。
 そうだとすると、小林が明示的に列挙しているアカデミズム(バカデミズム?)界の大学教授たち、中島の本を肯定的・積極的に評価又は紹介した者たちの<責任>が当然に問われる。
 中島岳志(北海道大学)本人はもちろん、御厨貴(東京大学)、加藤陽子(東京大学)、赤井敏夫(神戸学院大学)、原武史(明治学院大学)、長崎暢子(龍谷大学)は戦々恐々として日々を送るべきであるような気がする。

0620/再び八木秀次の文章について。天に向かって唾を吐くとはこのような…。

 一 小林よしのり責任編集わしズム(小学館)28号(2008秋号)に、八木秀次が連載風随筆欄で「作法も品格もない皇室報道が跋扈している」と題して書いている(p.178-)。
 八木によると、①「保守系論壇誌は、この10年間ほど」、「北朝鮮、中国、朝日新聞、NHK、左翼市民団体などを激烈な言葉で批判し、部数を伸ばしてきた」が、「読者もそろそろ飽き始め、部数が落ちてきた」。②「そこで新たな批判・攻撃の対象として登場してきたのが皇室である」。
 ①の「伸ばしてきた」・「落ちてきた」は実証的根拠がないので説得力が十分ではない。また、後半に「読者」が「飽き始め」た、とあるが、何を根拠にこう推測しているのか?
 より問題だと感じるのは、②。すなわち、「そこで」と簡単に繋げうるほどに、部数が「落ちてきた」ことと最近の皇室「報道」との間に関係があるのか?
 根拠のない推測にすぎないのではないか。

 二 八木秀次の上の文章全体の問題又は<異様さ>は、上に記した点よりもむしろ、その80%以上、全3頁弱、計ほぼ10段のうち8段が、西尾幹二の皇室関係評論への攻撃に向けられていることにある。
 この欄の9/21で八木の竹田恒泰との対談本に言及して、「八木秀次は西尾幹二の主張内容を、批判しやすいように歪めているところがある」と批判的にコメントしたこととは関係はないだろうが、上の今回の文章では西尾幹二の言い分をかなり詳細に紹介又は引用したうえで批判している。
 それはよいとしても、やはりこれだけ続けて西尾幹二批判を継続するのは、本来は<保守派>どうしの間柄なのだとすれば、異様に感じるし、みっともない(とこの欄で書いているのも以下も含めて執拗かもしれないが、影響力は活字になっている八木の文章とはまるで違うし、書いておきたいことなので書いておく)。「左翼」の中の多少とも<戦略>を意識している者たちは大喜びしているだろう。
 三 また、再言になるのだが、そもそも八木秀次に西尾幹二を批判する資格はあるのか? わしズムの上の文章は「最近の皇室報道や評論は慎みや作法・品格を失い、明らかに言論の矩を越えている。『傲慢の罪』を犯しているのはどちらの方なのか」で終わっている。これが、西尾幹二に対して、少なくとも西尾幹二を主たる対象にして述べられていることは明らかだ。
 だが、これまた再述になるが、執拗にも再確認しておく。月刊諸君!(文藝春秋)という「保守系論壇誌」の今年7月号が企画した<皇室>関係報道・評論に「参加」して、次のように明言したのはいったい誰なのか??
 「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである。皇室典範には『皇嗣に、……又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、……皇位継承順序を変えることができる』(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは『重大な事故』に当たるだろう」。
 八木秀次自身ではないか。
 少しは新しいことを記しておけば、現皇太子が将来は(=天皇になれば)「祭祀をしない」と公言し明言されないかぎりは、皇太子殿下が皇位を継承したあとでなければ、将来の天皇(現皇太子)が「祭祀をしない」かどうかは分からない筈なのだ。にもかかわらず、八木は現時点において、皇室典範第三条を適用しての「皇位継承順序」の変更を主張している、少なくともその可能性に言及している。将来の天皇(現皇太子殿下)が「祭祀をしない」だろうということを、八木は現時点においてどうやって認定するつもりなのか? 八木の言っていることには、基本的な、論理的問題点もある。
 そしてまた、上のようなことを書くということは、「慎みや作法・品格を失った」皇室関係評論にあたらないのだろうか。
 月刊正論(産経新聞社)誌上に連載随筆欄を持ちながら、まるで自分が「保守系論壇誌」とは無関係の第三者であるかのごとき書き方であることも含めて、やはり八木秀次は信用できない。
 <保守の純度>が落ちていると西尾幹二によって論評されている産経新聞は相変わらず武田徹を本誌(新聞)上で起用し、相変わらず月刊正論では八木秀次を使うのだろうか。もともと全面的に100%支持できる論客も新聞もないと考えているので、八木のような存在にも産経新聞の現状にもとくに驚きはしないが。

0602/八木秀次・日本国憲法とは何か(PHP新書)の「ナシオン=国民主権」・「プープル=人民主権」。

 一 憲法学上に、「国民主権」や立法議会(議員)の地位・性格にかかわって、「ナシオン(国民)主権」論と「プープル(人民)主権」論の対立があるようだ。
 八木秀次・日本国憲法とは何か(PHP新書、2003)も上の対立に言及し、この対立・分類は「フランス革命のときに生れた」などと書いている(p.50)。
 だが、この二つの意味に関する八木の理解は適切なのだろうか。あるいは少なくとも、現在の日本の憲法学上の一般的・常識的なものなのだろうか。

 第一に、八木は、「ナシオン=国民主権」(「狭義の国民主権」)論における「国民」を「歴史的な総国民」と説明し、この意味での「国民主権と君主制は…両立する」と書く(p.48~49)。
 この、「狭義の国民主権」における「国民」の説明、「君主制」との関係の説明は、どうも一般的・常識的ではないような気がする。
 上の点にもかかわるだろうが、第二に、八木は、日本の「現在の憲法学の主流は…『プープル主権』『人民主権』に立っています」と書く(p.50)。
 「プープル(人民)主権」論からは「直接民主制が要請され」るとの説明(p.50)は妥当だとして、しかし、その「プープル(人民)主権」論が「憲法学の主流」だという認識が妥当であるかは、疑わしく思っている。
 二 浦部法穂=棟居快行=市川正人編・いま、憲法学を問う(日本評論社、2001)という本があり、その中で、棟居快行(現・大阪大学)と「プープル(人民)主権」論者らしい辻村みよ子(現・東北大学)が「主権論の現代的課題」というテーマで対談している。
 棟居快行によると、辻村みよ子は「杉原泰雄教授のブープル主権(人民主権)論を継承されると共に、その具体的な実現のコンセプトとして…『市民主権』を提唱されて」いる(p.56)。
 辻村みよ子はその杉原泰雄の指導を一橋大学で受けたようだ。マルクス主義憲法学者・杉原泰雄についてはその本の一つの一部をこの欄で紹介・言及したことがある。

 その点はともかく、八木秀次の叙述との関係でいうと、棟居快行は「…ナシオン主権論が有力なわけですが…」と明言し(p.56)、辻村も、「ナシオン主権の解釈が通説を占めるなかで…」と発言している(p.60)。いずれも、(日本の少なくとも2001年頃の)憲法学界の「有力」説又は「通説」は、「プープル(人民)主権」論ではなく、「ナシオン(国民)主権」論だと述べているわけだ。
 これら二人の認識は八木秀次とは異なる。はたして、八木秀次の日本の現在又は近年の憲法学説理解は適切なのか。
 また、フランス革命期の憲法・人権学説に関する研究書もある辻村みよ子と八木秀次では、「ナシオン(国民)主権」という場合の「国民」の理解も異なるようだ。

 すなわち、八木によると「国民」は「歴史的な総国民」で「国民主権と君主制は…両立する」らしいが、辻村はそんなことを書いてはおらず、「ナシオン(国民)主権」における「国民」は「…全国籍保持者」で、「国籍保持者の全体」なのか「有権者」団なのかという論点は残っている、という(p.58)。八木の「歴史的な総国民」という理解・説明とは大違いだ。
 三 辻村みよ子の所論、とくにその「プープル(人民)主権」論・「市民」主権論・直接民主制論を支持するために書いているわけではない。むしろ、これへの批判的なコメントを今後書くだろう。
 指摘しておきたいのは、八木秀次の日本国憲法論あるいは実際の日本の憲法学説の理解には、どうも正しくないところがあるということだ。
 また、些細な揚げ足取りの可能性もあるが(一方で重要な指摘の可能性もあるだろう)、例えば、八木秀次が「日本国憲法が政治哲学でいえば自由主義と民主主義に立脚」しているのは「評価」すべきだと肯定的に論及する(p.38)一方で、「日本国憲法が社会契約説に立脚していることを問題に」する改憲論に肯定的・好意的に言及する(p.47-)のは、矛盾していないだろうか。
 ともあれ、<保守>派の現役の憲法学者は数少ないので、<保守>派の人々は憲法論については八木秀次の本を参照することが多いかもしれない。しかし、この人の書いていることを無条件に信用・信頼してはいけない。上に書いたことはその一例だ。

 もともと、きちんとした憲法研究者ならば、高崎経済大学という法学部のない大学に所属しているのは奇妙なのではないか。いや、それは、<保守>派だから冷遇されているのだと八木は反論又は釈明するだろうか。

 私にとっては、八木秀次とは憲法(思想)研究者・憲法学者というよりも、<保守>派の「活動(運動)家」・「評論家」のイメージの方がとっくに強い。だが、一般論として言うのだが、専門分野(または「得意」分野)できちんと(それなりに高く)評価されていない者は、すぐれた「評論家」にはなれない(ならない)のではないか。

0599/新田均(月刊正論10月号)による竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP)の書評。

 一 月刊正論10月号(産経新聞社)p.318-9は、新田均による竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)の書評。
 「書評」と書いたが、「Book Lesson」・「読書の時間」というコーナーの一つの論稿なので、やはり「書評」又は「紹介」なのだろう。
 その中で、新田均による西尾幹二と八木秀次の違いの「解釈」や「推測」がなされているのが興味を惹いた。
 二 まず新田はつぎのように対象書を「紹介」する。
 批判の対象は①マスコミ(とくに月刊WiLL)、②宮内庁、③原武史、④西尾幹二で、「中でも西尾氏への批判が手厳しい」。
 新田均がこうまとめているのだから、たぶん正確なのだろう。つまり、<皇統保守>の意義を積極的に展開するというより、マスコミや他人を批判することがこの本の目的・趣旨であることを、暗黙のうちに新田も認めている。

 紙幅のためもあるのだろう、新田は引用していないが、八木秀次は上の書で西尾幹二について、こんな批判(悪罵?)の言葉も投げつけている。以下は、一部。

 「相変わらず精神的に不安定なのでしょう」(p.153)。

 <つくる会騒動>の際と同様に「点と点を結びつけて壮大なストーリーを作る。…ストーリー全体は妄想にすぎない」(p.157)。

 三 新田はついで、竹田恒泰と八木秀次でなぜ「共同歩調」をとれるのか、八木は西尾と「五十歩百歩」ではないかとの(私も抱いた)印象をもつ「読者」も中にはいるだろう、と認めている。流石に、この辺りの議論状況をよくご存知だ(とくに褒め、感心しているわけではない)。
 四 新田均のこの「書評」の独創性は、八木秀次が「おわりに」で書いてあることを手がかりにして、西尾幹二と八木秀次の違いを「解釈」 し、八木が竹田と「論じ合う」ことができた理由を「推測」していることだ。
 新田によると、第一に、日本・天皇・自己の三者関係につき、①西尾は「切断が可能」、②八木は「三位一体」の感覚、第二に、①西尾は「分離可能」の故に「手厳しく批判」でき、②八木は分離「不可能」の故に「臣下の責務として強く諫言せざるを得ない」。
 五 新田均の立場を知らないままだと何となく納得できるような気もする。しかし、現行皇室典範の「重大な事故あるとき」の解釈にまで言及して現皇太子の皇位継承資格を(紛れもなく)疑った八木秀次について、「臣下の責務として強く諫言」している、と評することができるとは私には思えない。
 西尾と八木が全く同じとは思わないが、こと皇太子妃問題に関する議論・結論はやはり「五十歩百歩」だ。もともと「手厳しく批判」と「強く諫言」は実質的には似たようなことなのだ。西尾自身は「忠言」という言葉を用いている。
 また、既述のように、<つくる会騒動>の際に新田均は八木秀次の側に立ち、反西尾幹二で行動したようだ。
 そのような新田均が八木秀次の擁護に傾きがちなのはむしろ自然かもしれない。つまり、どう見ても、客観的・第三者的な「書評」ではないと思われる。
 もっとも、すべての「書評」(あるいはすべての人文・社会系の論文)は<客観的・第三者的>たりえない、と言われればそうかもしれない。それはそうなのだが、しかし、新田均の八木寄りの「主観」性を誰かが指摘しておいてもよいだろう(すでにどこかで誰かが書いているかもしれない)。
 六 それにしても、西尾幹二と八木秀次といえばともに<保守>派論客のはずだった。かつての日本共産党と旧日本社会党左派に似た、あるいは革共同中核派と革マル派の間に似た<近親憎悪>、罵倒し合いは、それを知った保守派支持の者を決して楽しく快くはしないだろう。とこんなことを書いても、両者は、きっと今後も<和解>しないに違いない。

0596/八木秀次は卑劣だ2-まっとうな「学者・研究者」なのか。

 竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)における八木秀次の西尾幹二批判は、その<仕方>も<内容>も、適切ではないところがある。
 長くは書かない。第一に、批判するためには相手の発言・執筆内容を正確に理解したうえで行う必要があるが、八木秀次は西尾幹二の主張内容を、批判しやすいように歪めているところがある。
 基本は日本語の文章、テキストの理解だ。それをいい加減にしてしまうと、どんな批判もそれらしき正当性をもっているかのごとき印象を与える。
 第二に、自分自身が発言・執筆していることとの関係で、そんな批判を西尾幹二に対してする資格が八木秀次にあるのか、と感じるところがある。
 目につく点から、以下、簡単に指摘する。
 第一に、竹田恒泰=八木秀次・皇統保守p.150の見出しは太ゴチで「『天皇制度の廃棄』を説いた『WiLL』西尾論文」となっている。そして、八木は、「西尾は『天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない』と明記しています」、西尾のように『天皇制度の廃棄に賛成する』とまで書くのは、どう考えても言いすぎです」と書いている。

 西尾幹二の言説内容を、いつのまにか天皇制度廃棄に「賛成するかもしれない」から「賛成する」に変えている。この点も無視できないが、より重要なのは次の点だ。
 月刊WiLL5月号で西尾幹二は、たしかに「天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」と明言しているが、この語句を含む一文の冒頭には「皇室がそうなった暁には…」との語句がある(p.43。「そうなった暁」の意味も書かれているが省略)。つまり、もし…ならば…かもしれない、というのが西尾幹二の原文に即した彼の主張・意見だ。
 上の八木において、<もし…ならば…かもしれない>は、<…だ>へ変更されている。批判相手の言説内容(テキスト)のこのような<改竄>は議論の仕方として許されるのだろうか。批判しやすいように、八木にとって都合よいように(意図的か無意識的にか)、改竄(=一種の捏造)をしているとしか思えない。

 八木秀次は「『ときすでに遅いのかもしれない』と言い、結論として皇室の『廃棄』まで言う…」と西尾の主張をまとめている(上掲p.151)。
 たしかに西尾は「ときすでに遅いのかもしれない」と最後に述べているが、掲載は月刊WiLL5月号ではなく6月号(p.77)。何が「すでに遅い」のか何となくは判るが、天皇制度廃棄との関係はさほど明瞭に述べられているわけではない。
 八木は何とかして、西尾を単純な<天皇制度廃棄>論者にしたいのではないか。西尾幹二の主張の内容に私は全面的に賛成しているわけではない。むしろ相当に批判的だ。だが、その西尾幹二の主張についての八木秀次の紹介の仕方は、あるいは前提としての理解の仕方は、ほんの少し立ち入っただけでも、正確だとは思えない。これでは議論は成立しない。これでは批判の正当性にも疑問符がついてしまう。
 第二に、八木秀次は、「『WiLL』を含めマスコミ全体で皇太子妃殿下を血祭りにあげている感じがします」(p.156)と書く。
 これはまさしく、<よくぞヌケヌケと>形容してよい文章だ。この問題についての前回(9/06)に紹介したように、八木自身が諸君!7月号(文藝春秋)誌上で、「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである」と明記しているのだ。「問題は深刻である。遠からぬ将来に…少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后…」という部分だけでも注目されてよい。
 八木はこれにつき「皇太子妃殿下を血祭りにあげている」のではないと反論するかもしれないが、祭祀同席に消極的だとされる皇太子妃殿下について、皇后位継承を想定しつつ、「問題は深刻である」と言い切っているのだ。「血祭りにあげている」のと五十歩百歩と言うべきだ。
 第三に、八木秀次は、西尾幹二は解決策を示していない、そして必ずしも明確ではないが、自分は「解決」策を考えている又は主張している、と言っているようだ。
 ①「われわれは『…どう解決するか』を考えるべきでしょう」(p.150)。
 ②「解決のための言論であればけっこうなのですが、西尾論文は『ときすでに遅いのかもしれない』と、すでに手遅れだという主張です。手遅れだから『天皇制度の廃棄』だと言うわけです」(p.157)。

 ③「単に批判するだけ。天皇制度を『廃棄』した方がいいというだけ」。西尾や久保紘之の「解決方法は『廃棄』だけです」(p.172)。

 すでに触れたことだが、上の②③も西尾幹二=単純な「天皇制度廃棄」論者に仕立てている。<左翼>ですら表立っては言いにくいような主張を西尾幹二はしているのだろうか。八木が理解する(理解したい)ほどには単純ではない、と私は西尾幹二の文章を読んでいる。
 それはともかく、西尾幹二は「解決」方法に(「廃棄」以外に)言及していないだろうか。
 西尾は月刊WiLL5月号で、「勤めを果たせないのなら〔小和田家が〕引き取るのが筋です」という週刊誌上の宮内庁関係者の言葉を引用して、「私も同じ考えである」と明記している(p.39-40)。この辺りの部分の見出しは「引き取るのが筋」となっている(p.39)。
 <小和田家が引き取る>とは、常識的には、皇太子妃殿下の皇室からの離脱、つまりは現皇太子殿下との離婚を意味しているのだろう(こんなこと書きたくないが……)。
 つまり、西尾は「解決」方法に触れていないわけではないのだ。たんに天皇制度「廃棄」だけを書いているのではないのだ。
 一方、八木秀次自身がもつ「解決」方法とは何か。八木はこう書く。
 「あくまで最悪の事態を想定して」、「皇位継承順位の変更や離婚の可能性も考えておくべきだ」(p.196)。
 ここで八木は「離婚の可能性」に言及しているが、上記のように、この点は西尾と何ら異ならない
 西尾幹二と異なるのは、西尾幹二は全く明示的には触れていないのに、また中西輝政も現皇太子妃殿下の「皇后位継承」適格についてのみ言及したのに対して、上に「皇位継承順位の変更」と言っているように、現皇太子の天皇位継承適格をも具体的に疑っている、ということだ。
 このように見ると、解決方法の用意のある・なしで八木と西尾を区別することはできない、と考えられる。また、八木が明記する解決方法の一つは、現皇太子殿下の天皇位継承適格を直接に問題視すること(の可能性を少なくとも肯定すること)でもある。

 西尾において廃棄に「賛成するかもしれない」との文章の内容の中には現皇太子の皇位継承否定の意味も含まれているかもしれないが、この論点について八木はむしろ明記している。
 この程度にしておく。
 八木秀次は高崎経済大学教授だという。学生のコピペのレポートを叱ることがあるかもしれない。だが、コピペ以下の西尾幹二の主張の単純化・歪曲があるなら、論文を読み、執筆するという、学者・研究者としての最低限のレベルまでも達してはいないのではなかろうか。
 竹田恒泰は八木秀次にあまり引っぱられない方がよい。

 別の回に、上の対談本に関する新田均の書評(月刊正論10月号)への感想を書く。

0593/産経新聞9/13の山田慎二「週末に読む」は低レベル。

 産経新聞9/13の山田慎二「週末に読む」は、相当にレベルが低い。
 某書(草野厚という底の浅そうな政治学者の本)を援用して「疑似政権交代の限界」を指摘し、< 国民への大政奉還>が求められる、と主張する。
 もともと全体的に村上正邦・平野貞夫・筆坂秀世(元共産党幹部)の鼎談本・自民党はなぜ潰れないのか(2007?、幻冬舎新書)を肯定的に紹介・言及しているのも奇妙に感じるが、基本的に問題なのはつぎの点だ。
 第一に、これまでの自民党(と一部の小政党)内における総裁の交代、従って首相(内閣総理大臣)の交代を「疑似政権交代」と理解して疑っていないが、重要なことを看過している。
 執筆者は「先進国」で本来の「政権交代」がないのは日本だけで、特定政党の「権力独占」は「北朝鮮や中国のような国家しかない」と書く。
 この人は日本の政治状況の歴史の、他の「先進国」との違いをまるで判っていない。
 すなわち、日本において、1990年代初めまでは、日本の野党(少なくとも第一党)は日本社会党という社会主義(・共産主義)を(全体がどの程度本気だったかどうかは別として、あるいは少なくとも一部の勢力は)目指していた政党だった。この政党は、日米安保に反対し、1960年頃には「アメリカ帝国主義は日中両国人民共同の敵」だと北京で委員長(書記長?)が声明したような政党だった。
 このような安全保障政策の野党(第一党)に「政権」を任せることができなかったからこそ、この点では聡明だった日本国民は日本社会党への「政権交代」を許さず、結果的には同じ自民党の(を中心とする)長期政権が続いたのだ(但し、日本社会党に1/3以上の議席を与えてきたのは大きな過誤だった)。
 「世界の先進国」を見ると、戦後早くから、「左翼」又は「革新」であっても、反共産主義・反コミュニズムを明確にした、かつ自国の軍備を当然視する<健全な>野党が存在したのだ。だからこそ、そうした諸国では「疑似」ではない「政権交代」もあったのだ(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツを念頭に置いている)。
 山田慎二の上記の文章はこの点をまるで判っていないようだ。
 第二に、上記の鼎談本での発言から<国民への大政奉還>が必要との旨を最後に述べている。
 「一票」を投じることは「大政」の「奉還」を意味せず、有権者(「主権者」とも厳密には異なる)国民の選挙権行使にすぎない。それに何より、「国民」という概念のこのナイーブな使い方は、「国民目線」とか「国民が主人公」とかのアホらしい(無内容の、又は国民大衆に「迎合」した)言葉・語句と同列のものだろう。
 産経新聞にこんな文章が載るのだから、他は推して知るべし、と言うべきか。
 山田慎二なる者が産経新聞の(論説委員等の)記者だったら、こんな内容のつまらない文章を書かないでほしい。
 山田慎二なる者が武田徹山崎行太郎のような頼まれ原稿執筆者なのだとしたら、産経新聞はこんな者に原稿を依頼しないでほしい(武田徹山崎行太郎については言うまでもない。既述)。
 
せっかくの講読代がもったいない。
 イヤなら読むなと言うかもしれないが、読んでみないとわからない文章・記事もあるのだ(今回取り上げて山田慎二なる氏名をたぶん記憶したので、次回からは読まないように用心しよう)。
 なお、八木秀次批判のつづきを止めてしまったわけではない。

0592/八木秀次は不誠実、というより卑劣だ-その1。隠蔽と二枚舌と。

 一 あらためて引用しておくが、諸君!2008年7月号(文藝春秋)p.262で、八木秀次はつぎのように書いた。
 「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである。皇室典範には『皇嗣に、……又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、……皇位継承順序を変えることができる」(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは『重大な事故』に当たるだろう」。
 中西輝政の「同妃〔現皇太子妃-秋月〕の皇后位継承は再考の対象とされなければならぬ」との一文(上掲誌p.239-240)とともに、100年後も200年後も活字として残るはずの、<歴史的な>文章だ。
 上の文章は「遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」蓋然性又は現実的可能性に言及して、皇室典範上の「皇位継承順序を変えることができる」要件の解釈を示している。字数の制約のためもあるかもしれないが、論理・意味ともに不可解又は曖昧なところもある。しかし、既述のことだが、間違いないのは、上において、八木秀次は、現皇太子妃殿下の現況を理由として(あるいは援用、これに論及、言及して)現皇太子の皇位(天皇たる地位)継承資格を(明確に否定はしていなくとも)疑問視している、ということだ。そうでないと、皇室典範三条に言及し、その一部の文言に関する解釈をとくに示しておくことの意味はないだろう。
 上の文章を含む雑誌は6月初めに出版されているので、執筆は4月末から5月半ばあたりだったのだろうと推察される(雑誌の出版実務に詳しくはない)。
 二 先月・8月に竹田恒泰=八木秀次・皇統保守(PHP、2008)という対談本が出ている(竹田恒泰の月刊WiLL上の西尾幹二批判論文も転載されている)。八木の「あとがき」の期日は7月15日になっている。
 その中で二人で西尾幹二を批判している部分があるが、八木秀次の諸発言を読んで、唖然とせざるをえなかった。
 まず基本的なことをいえば、この本が内容とする対談は上記の諸君!(文藝春秋)の発売やそのための八木の執筆の時期よりも後である筈であるにもかかわらず、自らが上のように近い過去に明言した、ということ、をその内容も含めて、この本の中でいっさい述べていない(!)ということだ。
 まるで竹田恒泰に相当に同調しているような発言の仕方をしている(完全に同じだとは言わない)。八木秀次という人は、適当に(自分の本意を隠して)対談相手に合わせることができる人なのだろう(すでに言及した中西輝政との対談本(PHP)でもそれを感じることがあった)。
 結論的なところを推測するに、私は詳しくない「つくる会」分裂・変容の過程で生じた(原因か結果かは知らないしそれがここで述べていることと直接の関係はない)反西尾幹二感情を基礎にして、皇太子妃殿下問題を中心とする<皇室>問題では反西尾幹二で<共闘>できる竹田恒泰を対談相手として選んだのだろう。
 後述するが、新田均も月刊正論10月号(産経新聞社)で明示的に認めるように、竹田恒泰と八木秀次では皇太子妃殿下(→皇太子・皇位継承)問題に関する考え方は同じではない。というより、むしろ明確に対立する立場にあるとすら言える。そうした二人が連名で本を出すのだから、その共通性は<反西尾幹二>意識にある、としか考えられない。
 三 <反西尾幹二>意識が八木自身のこれまでの発言等とも照らして正当なものであれば、批判することはできない。
 だが、八木の西尾幹二に対する批判は、公平に見て、その<仕方>も内容も、適切ではないところがある。<反西尾幹二>感情の過多が原因ではないか。
 一円の収入にもならない文章を懸命に書いてもほとんど無意味だと感じてきているので、一気に書いてしまわないで次回に委ねる。

0590/西尾幹二・国家と謝罪(徳間書店、2007.07)を読む-つづき。

 一 西尾幹二・国家と謝罪-対日戦争の跫音が聞こえる(徳間書店、2007.07)は「つくる会」問題でのみ八木秀次を批判しているわけではなく、安倍内閣の「教育再生会議」に対応した民間版応援団体?「教育再生機構」の理事長に八木秀次が就いたことについても、政治(家)と民間人(ブレイン)の関係等に注意を促し、「八木氏は知識人や言論人であるには余りに矜持がなさすぎ、独自性がなさすぎ、羞恥心がなさすぎる」(p.150)などと批判したりしている。
 そういえば、福田内閣になり<教育>が大きな政治的争点でなくなった後、この「日本教育再生機構」はいったい何をしているのだろう。
 月刊正論9月号(産経新聞社)によると、「日本教育再生機構」は某シンポの主催団体「教科書改善の会」の「事務局」を担当しているらしい(p.272の八木発言)。「教科書改善の会」という団体の「事務局」が「日本教育再生機構」という団体だというのは、わかりにくい。組織関係はどのように<透明>になっているのだろうか(ついでに、このシンポは、あの竹田恒泰とあの中西輝政・八木秀次が同席して「日本文明のこころとかたち」を仲よく?語っているのでそれだけでも興味深い)。
 二 西尾幹二対八木秀次等という問題よりも本質的で重要なのは、西尾が「あとがき」の副題としている「保守論壇は二つに割れた」ということだろう。
 何を争点・対立軸にして「割れた」かというと、小泉内閣が進めて安倍内閣も継承した<構造改革>の評価にあるようだ。これはむろん、アメリカの世界(経済)戦略をどう評価し、日本の経済政策をどう舵とるべきか、という問題と同じだ。この点で、小泉内閣等に対して厳しく、アメリカに批判的だったのが西尾幹二で、小泉内閣・安倍内閣、とくに後者にくっつき?、そのかぎりで<より親米的>でもあったのが八木秀次等だ、ということになる。
 西尾幹二と八木秀次はどうやら、西尾が小泉純一郎についての『「狂気の首相」で日本は大丈夫か』を出版した頃から折り合いが悪くなったようだ(上掲書p.82-83)。
 西尾によると八木秀次は「権力筋に近いことをなにかと匂わせることの好きなタイプの知識人」で、八木は、安倍晋三が後継者として有力になっていた時期での小泉批判を気に食わなかった(戦略的に拙いと思った?)らしく思われる。
 個人的な対立はともあれ、上記の問題に関する議論は重要だ。「保守論壇は二つに割れ」て、<保守>派支持の一般国民が迷い、方向性を失いかけるのも当然だろう。
 八木秀次は<より親米>の筈なのだが、中西輝政との対談本では中西輝政の<反米>論に適当に相槌を打っている。もともと、佐伯啓思が論じてきたような<アメリカニズム>あるいは<グローバリズム>についての問題意識自体が、おそらくはきわめて乏しかった、と思われる(法学者とはそんなものだ)。
 今日の混迷、見通しの悪さも上記の問題について「保守論壇」に一致がないことを一因としている。はたして「保守」とは何か。あるいは<より適切な保守>とは、現実の政策判断(とくに経済・社会政策)について、<アメリカ>とどう向き合うべきなのか? 日本の<自主性・国益(ナショナリズム)>と対米同盟(友好)関係の維持(反中国・反北朝鮮というナショナリズムのためにも必要)はどのように調整されるべきなのか。

0589/西尾幹二の2007年の本による八木秀次批判。ついでに新田均。

 一 憲法学者・樋口陽一はしばしば元ドイツ大統領のワ(ヴァ)イツゼッカーの<有名な>演説に言及している。ドイツはきちんと謝罪している、それに比べて日本は、という文脈で語られることが多い。これもまた<デマ>であることを確認的にいつかメモしておこうと思うが、西尾幹二・国家と謝罪-対日戦争の跫音が聞こえる(徳間書店、2007.07)を手にしたのも、題名からして<謝罪>問題をテーマとする本だろうと思ったからだった。
 実際に見てみると、全く無関係ではないが、発刊日近く(「あとがき」は2007年6月下旬)以前の西尾幹二の雑誌掲載諸論稿をまとめたものだった。
 二 新しい教科書をつくる会の組織問題については西尾のプログで何か読んだ記憶はあったが、安倍晋三内閣をめぐる動きの方に関心が強く、また同問題は自分とほとんど(あるいは全く)関係がないと思っていた。
 現在でもほとんど(あるいは全く)関係がないのだが、西尾幹二による、上掲本の中の八木秀次批判はスゴい。p.73~p.165は「つくる会」問題で八木秀次批判が中心になっている(他の箇所にも八木秀次(ら)批判の文章はある)。
 混乱を大きくする意図はないが(いや、一般論として、かりに意図はあったとしてもこんなブログメモにそんな実際の力はない)、若干の引用メモを残しておこう。
 ・(2005年)11月半ばからの八木秀次の「会長としての職務放棄、指導力不足は意識的なサボタージュで、彼によってすでに会は…分裂していた」。
 ・八木は自分で2副会長(工藤美代子、福田逸)を指名した。この二人と遠藤浩一(つまり5人中、西尾幹二と藤岡信勝以外)に「背中を向け、電話もしな」かった。5人の副会長の中で「孤立した」のではなく、「自らの意志で離れて」別のグループに擦り寄った。だが、何の説明もなかったので3副会長(遠藤、工藤、福田)は「怒って辞表を出した」。
 ・それでも八木は「蛙の面に水」。「都合が悪くなると情報を閉ざし、口を緘するのが彼の常」だ。
 ・「彼は黙っている。語りかける率直さと気魄がない」。
 ・「自分がしっかりしていないことを棚に上げて、誰かを抑圧者にするのはひ弱な人間のものの言い方の常である」。
 ・要するに八木は「思想的にはどっちつかずで、孤立を恐れずに断固自分を主張する強いものがそもそもない人」だ。(以上、p.79-p.80)
 ・八木秀次は某の日本共産党在籍歴というガセ情報を流して「反藤岡多数派工作と産経記者籠絡」に利用した。また、八木の周辺者(又は八木本人)から奇怪なファクスが送られてきた。
 ・八木の「藤岡排除」の「執念には驚くべきものがあった」。(以上、p.81-82、p.84)
 ・「他人に対しまだ平生の挨拶がきちんと出来ない幼さ、カッコ良がっているだけで真の意味の『言論力の不在』、表現力は一見してあるように見えるが、心眼が欠けている。/…言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」。
 ・「そういう人だから簡単に怪文書、怪メールに手を出す。今度の件で保守言論運動を薄汚くした彼〔八木秀次〕の罪はきわめて大きい」。
 ・そうした八木をかついで「日本教育再生機構」を立ち上げる人々がいるらしいが、「世の人々の度量の宏さには、ただ感嘆措く能わざるものがある」。(以上、p.89-90)
 とりあえず今回はこの程度にしておく。八木秀次はこうした西尾による批判に対して反論又は釈明をきちんとしたのだろうか。こうまで書かれるとはタダゴトではない(と常識的には感じる)。
 西尾幹二をこの問題で全面的に支持するつもりはないし(判断材料が私にはたぶん欠けている)、西尾「思想」の全面的賛同者でもないのだが、西尾による八木秀次評、すなわち、「言葉を超えて、そこにいるその人間がしかと何かを伝えている確かな存在感、この人にはそれがまるでない」という文章には同感するところが大きい。
 八木秀次の本も文章もいくつかは読んでいるし、月刊正論中のコラムも読んでいるが、「確かな存在感」はない。また、ハッとするような論理の鋭さも、広くかつ深い思想的造詣も感じることはできない。
 すでに書いたことだが、その八木秀次が中西輝政との対談本『保守はいま何をなすべきか』(PHP、2008)で<保守の戦略>を語ろうとしたり、<保守思想の体系化>をしたい旨を語っているのを読んで、とてもこの人の力量でできることではないと思った(そして、内心では嗤ってしまった)。また、八木秀次の問題性にはこのブログで何回かつづけて触れた(「言挙げしたくはないが-八木秀次とは何者か」というタイトルだったと思う)。
 そのような意味との関係でも、上の西尾幹二の八木秀次に関する文章も興味深く読んだ。
 三 ところで、最近の月刊正論9月号(産経新聞社)誌上の論稿に言及した新田均に対しても、西尾幹二は上掲の本で批判している(p.89)。そして、「つくる会」問題にかかわっても、新田均はどうやら八木秀次を支持する、そして西尾幹二に反対する立場にあったようだ(p.86)。ということは、今回の皇室・皇太子妃問題よりも以前から、西尾幹二と新田均は対立していたようだ。 
 それはそれでもよいのだが、だとすると、新田均は、皇室・皇太子妃問題にかかわって西尾幹二のみを批判するのは公平ではない。大仰に言えば<党派>的だ。何回か言及したように、八木秀次も(中西輝政も)「君臣の分限」をわきまえないような、西尾幹二と類似の主張をしているのだから。

0587/天皇制度・皇室をめぐる<保守派>の分裂―新田均・月刊正論9月号の西尾幹二批判。

 月刊正論8月号(産経新聞社)には斎藤吉久「皇室伝統を蔑ろにする宮内官僚を糾す」(p.150~)というのが載っていて、特定の皇族個人を問題にするよりも、戦後教育と戦後政治の影響を受けている国家公務員・宮内庁官僚をこそ、より問題視し、批判する必要があるのではないか、と感じたことだった。
 月刊正論9月号(同)では、神社神道系と思われる<保守派>の新田均による「皇太子さま『御忠言』の前に考える・君と臣の分限について-それは本当に皇室と日本の弥栄を願ってのものだろうか」(p.120~)が、田中卓や葦津珍彦の論を援用しながら、西尾幹二を実質的には相当に厳しく批判している。
 田中卓が月刊日本7月号に書いたところによれば(私は未読)、西尾幹二は皇室の中に彼にとって不適当と思う人物がいれば放逐させ、天皇制度自体の「廃棄」も辞さない、「天皇抜きのナショナリズム」論者らしい。
 私は西尾幹二を八木秀次などに比べてはるかに尊敬できる<思想家>だと思っているが(「保守」と冠するかどうかは自信がなくなってきた)、これまた孫引きになるが、新田均によると、西尾幹二はかつて次のように書いたことがあるらしい。
 ・自分(西尾)は天皇については「怨恨もなければ、なんら愛情もないという無関心な感情」で、「天皇制に対する感情は希薄」だ(論争ジャーナル、1967年12月号)。
 ・「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」(撃論ムック217(号?))。
 これにはいささか驚いた。
 後者は西村幸祐責任編集・撃論ムック217号・中国の日本解体シナリオp.139-141(オークラ出版、2008.07)で、より長く引用しておくと、次のとおり。
 「私〔西尾〕は…天皇問題に関心の強いほうでは」ない。「日ごろ無関心なのが、むしろ保守の証しだと言っておきたい」。「現実に私は天皇と聞いて感涙にむせぶ種類の人間」でも「政治的反発を覚える者」でもない。「個人生活の上で天皇の存在を必要としていませんし、自分を天皇陛下の臣下だと特別に意識したこともありません」。だが、「…天皇制度はつねにわたしたちの歴史意識に触れてくる重大な問題の一つ」で、「突如として人に薦められて」、「皇太子ご夫妻の問題について危機を感じていた」こともあって「皇室問題について論じることになった」。日本では西洋や中国とは異なり「王権が権力を一切もたない代わりに、静かなる宗教、神としての信仰の対象にもなっている」。この点について「比較王権論という視点から」「一つの仮説」を出したのが「最大の目的」だった。
 新田均の紹介するほど単純ではないが、しかしやはり…、というところだろうか。
 西尾幹二は月刊WiLL9月でも「もう一度だけ(これで最後)」の発言をしている。当初の厳しい、そしていくぶん奇矯な、皇太子妃殿下批判からすれば、天皇制度・皇族一般の話へと変わってきており、皇太子殿下はどうかご留意を、というニュアンスが強くなっていると感じている。だが、上のような意識が基底にあるのだとすると、年齢上は年下になる皇太子ご夫妻に対する、西尾の<対等な>又は<教え諭すような>物言いの仕方も不思議ではないと思えてくる。そして、西尾幹二に対してすら、戦後の<合理的>教育にもとづく思考方法、<天皇制度>に関する教育や社会風潮の影響が及んでいる、と深く慨嘆せざるをえない。
 近年の皇室問題、率直に言って<皇太子妃殿下問題>については、西尾幹二と八木秀次・中西輝政は、月刊諸君!7月号(文藝春秋)上の記述では、<共闘>又は<統一戦線>を組んでいるようでもある。
 だが、二年ほど前の(一年半前?)新しい教科書をつくる会問題では、西尾幹二と八木秀次・中西輝政はそれぞれ対立するグループに属するようだ。何をやっているのだろうねぇ。<保守派>のおエライさんたちは?!。イヤ、八木秀次は<保守派>のおエライさんたちの一人とは決して考えてはいない(そして、いけない)。
 元に戻ると、西尾幹二に数回(4回?)も皇室問題に関して執筆させ、福田和也が皇太子・皇太子妃両殿下の将来を楽観視しているのを産経新聞紙上のコラム(週刊誌ウォッチング)で疑問視していた月刊WiLLの編集長・花田紀凱もまた、まさしく戦後の教育と社会風潮のもとで、「畏敬心」を微塵も感じない、ジャーナリスティックな<天皇(制度)>観又は<皇室>観をはぐくんできた一人に間違いないように思える。この人による月刊WiLL(ワック)よりも(西尾幹二も八木秀次も登場するが西尾批判をする新田均も出ている)月刊正論の方がまだマシで、多面的で多様だ。
 西尾幹二は上掲の撃論ムックの中で、「突如として人に薦められて」とか「雑誌WiLLの話に乗り」とか書いている。昨今の皇室・皇太子ご夫妻問題にかかわる<騒ぎ>に、この花田紀凱が棹さしているのは確かなようだ。
 日本も、日本の<保守>派も、崩壊しかかっている、溶解しはじめている、という恐怖(・懸念)をもつ者は私一人ではないのではないか。

0580/八木秀次は客観的には刑法第230条又は第231条に違反する「犯罪者」ではないか。

 戦前の不敬罪や現憲法下でも存立の余地があるとの議論がある象徴(天皇)侮辱罪や皇族(皇室)侮辱罪にいつぞや触れた。
 現法制のもとで法的に又は法論理的にある可能性は、一般国民について適用のありうる<名誉毀損罪>又は<侮辱罪>を皇族個人に対する<名誉毀損>・<侮辱>について適用することだ。
 (現行)刑法第230条と第230条の2は次のように定める。
 「第230条(名誉毀損)
 1
 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀 [き]損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。
 2 死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。」
 第230条の2(公共の利害に関する場合の特例)
 
 前条第一項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
 2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
 3 前条第一項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。」
 これらによると、天皇・皇族関係発言や記事のほとんどは「公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める」場合に該当するとされるだろうから、「真実であることの証明があったとき」にのみ加罰性がない、ということになる。
 侮辱罪に関する規定はもっと簡単だ。 

 「第231条(侮辱) 
事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。」
 これら名誉毀損罪・侮辱罪によって保護される利益の主体の中に少なくとも「天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣」が含まれることは、次の条文によっても明らかだ。
 「第232条 (親告罪)
 1 この章の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
 2 告訴をすることができる者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣であるときは内閣総理大臣が、外国の君主又は大統領であるときはその国の代表者がそれぞれ代わって告訴を行う。」
 <天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣>以外の皇族の場合は当該皇族(皇太子妃を含む)個人が「告訴」することが可能だと解される。上の規定は内閣総理大臣等による代理告訴に関する規定であり、上記特定の皇族以外の皇族の個人的・人格的利益が保護されようとはしていない(=名誉毀損や侮辱の対象にはならない)、とは解されない。
 もちろん(代理を含む)告訴には事前の警察・検察との調整が必要だろうし、内閣総理大臣の<政治的>判断も必要なので、戦後ずっとそうだったと思われるが、<天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣>を含む皇族に対する「名誉毀損」や「侮辱」について告訴がなされることは今後もないだろう。皇室関係の文章を書いている文筆家(売文業者を含む)や関係雑誌・書物を出版する出版社は、そのような知識くらいはもって、執筆し出版しているのだと考えられる。
 だが、現実に告訴される可能性がないからといって、皇室について何を書いてもよいというわけではないことは、すでに示唆したとおりだ。良心・良識感覚による自律が必要になってくる。
 上のようなことをふまえて再度話題にするが、諸君!7月号(文藝春秋)誌上での次の八木秀次の文章はどう評価されるべきなのだろうか(p.262)。
 「遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上しているのである。皇室典範には『皇嗣に、……又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、……皇位継承順序を変えることができる」(第三条)との規定がある。祭祀をしないというのは『重大な事故』に当たるだろう」。
 「皇位継承順序を変える」ということは文脈上明らかに現皇太子から(その「皇嗣」性を否定して)別の方に「皇位継承順序」を移すことを意味する。これは、現皇太子は皇位継承適格性を欠いていると言っているに等しい。将来の「天皇」適格性を否定している(遠慮して書いても、疑問視している)、と言っても同じだ。
 しかして、その根拠は? 
八木秀次は刑法第230条の2の第一項又は第三項にいう、「真実であることの証明」をすることができるのか。
 便宜的に八木秀次に限っておくが、同誌上の中西輝政の文章も現皇太子妃殿下に対する「名誉毀損」又は「侮辱」に客観的には当たる可能性が高い。
 勝手な推測だが、西尾幹二の現皇太子・現皇太子妃両殿下に対する月刊WiLL(ワック)誌上での論調が後になればなるほど、厳しくなくなっている(いちおうはすべて一読している)のは、基礎的な事実の認定が不十分な中で(いかに皇室の将来を憂慮しての心情からであっても)特定の皇族個人を非難するのは「名誉毀損」又は「侮辱」に客観的に当たる可能性があり、皇室・宮内庁等が<法的>問題化する可能性が100%ないわけではない、ということを誰かにアドバイスされたからではないだろうか。
 別のことをついでに書いておくが、<世すぎのための保守>派、<稼ぐための保守>派、<生活のための保守>派(「派」には文章書き等の個人も編集者・出版社も含む)、には嘔吐が出る。<左翼>についてと同様に。
 いかなる「政治的」組織・団体とも無関係の私にはいかなる義務も責任もない。当然に、一円の収入にもならないこのブログへの記入も含めて。

0565/佐藤優における皇室に関する「設計主義」、「構築主義」、「合理主義」とは?

 佐藤優は、月刊・正論7月号(文藝春秋)に、―②の最後の「南朝精神」を取り戻せ旨の主張は私には理解不能だが(反対との趣旨ではない)―こんなことを書いている(p.214)。
 ①「女帝論という形で皇統を内側から壊す危険性がある人権思想、近代的範疇である遺伝子理論によって万世一系を解釈する試みなどの背景には、人間の理性に対する全面的信頼を基礎として、皇室を『設計』し、『構築』しようとする思想が存在する。このような設計主義、構築主義が日本国家を内側から蝕んでいる」。
 ②「皇室を人知によって改革するなどという 合理主義に冒された発想を捨て」、「南朝精神を有識者がとりもどすことが喫緊の課題」だ。
 ①の中にある、「近代的範疇である遺伝子理論によって万世一系を解釈する試み」とは八木秀次のそれを指しているだろう(なお、神武天皇や2代~8代天皇実在説に立っても、神武天皇から今上天皇まで「万世一系」かどうかは、安本美典の関心の外にあるテーマだが、別の議論が必要だ)。
 他に、園部逸夫らが委員として関与した、皇室の将来に関する有識者懇談会の報告書(正式名称を確認していない)を批判しているだろうことは、たぶん間違いない。
 皇太子妃問題(?)に関する最近の一部の有識者の発言も、「設計主義」、「構築主義」、「合理主義」として批判の対象としているのか(又はそうなるのか)否かを、訊ねてみたいものだ。
 なお、佐藤優が引用する南朝側の北畠親房の文章の一部は次のとおり。
 「人はとかく過去を忘れがち」だが、「天は決して正理をふみはずしていないことに気づくだろう」。何故天は現実を「正しい姿」にしないのかとの疑問を持つ者もいようが、「人の幸・不幸はその人自身の果報に左右され、世の乱れは一時の災難ともいうべきものである」。「天も神も」いかんともし難いことはあるが、「悪人は短時日のうちに滅び、乱世もいつしか正しき姿にかえる」。これは「昔も今も変わることなき真理」だ(「神皇正統記」日本の名著9(中央公論社、1971)p.445)。

0564/保守とは-御厨貴・「保守」の終わり(毎日新聞社)の中の「『保守』の終わり」。

 御厨貴・「保守」の終わり(毎日新聞社、2004)の中に「『保守』の終わり」という計8頁の小論がある(p.72~、初出2004.07)。
 これによると、<保守>(自民党)-「改憲、安保賛成、占領改革是正」と<革新>(社会党)-「護憲、安保反対、占領改革受容」という対立が55年体制の形成過程で明瞭になり、佐藤栄作政権終焉までは続いた。その後<保守>の側に革新・変革を唱える内閣も出現し、1993・94年の細川護煕内閣・羽田孜内閣は反自民「改革」を掲げ、つづく村山富市社会党(=<保革>連立)政権と日本社会党の崩壊によって「革新」イメージは喪失する。「革新」という対抗相手を失った<保守>も内実が曖昧になる。小泉純一郎内閣以降、「改革」対「抵抗」との枠組みができたかに見えるが、与野党において「改革」・「抵抗」の双方が顕在化して実態は<保革>対立よりも複雑だ。
 「改革」に対抗する「保守」のシンボル化はもはや困難で、その意味での「保守」は終わった。
 「改革」万能の状況下で、これに対抗する議論が語られている。第一は、「改革」の基準を「グローバル・スタンダード」ではなく「新たなジャパン・スタンダード」に求めること、第二は、「改革」への怨念をナショナリズムの地平に拡げること。この二つが出逢って<新たな保守>が誕生する可能性がある。
 その場合も二つの可能性がある。一つは、感情論ではない「明快な論理」をもつイデオロギーとして<保守>が構築される。二つは、感情論に包まれた、「破壊衝動を秘めたイデオロギー」として<保守>が蘇生する。
 以上が簡単な要約だ。
 思うに、かつての「安保賛成」対「安保反対」等の<保守>・<革新>の対立軸は、親自由主義(資本主義=市場経済主義)と親社会主義の対立でもあった。また、「改憲、占領改革是正」対「護憲、占領改革受容」で示されていたのは、基本的にはアメリカとの同盟を維持しつつも対米自立性の確保(対米従属からの脱却)を目指すかどうか、という対立でもあった。
 これらが、現在でも重要かつ有力な対抗理念であることは疑いえないと思われる。第一に、共産主義に厳しいか甘いか、第二に、アメリカへの従属性を現状でよいとするかどうかは、簡単に何という概念・シンボルで表現しようとも、対立理念であり続けている、と考えられる。ついで、第三以降が、経済政策における自由主義傾斜(「自由」志向)か社会民主主義傾斜(「平等」志向)か、ではないだろうか。
 さらにまた、御厨貴は何ら触れていないが、神道や日本的仏教に対する親しみの程度、天皇・皇室に対する態度もまた、日本に独特の大きな対立軸として存在している、と思う。
 計8頁の小論に多くを期待しても無理だが、<保守>とは何かについて、議論のタネは尽きないはずだ。八木秀次のいう<保守>思想の「理論化」・「体系化」など、たかが一人でできる筈がない。

0559/八木秀次とは何者か・5-現皇太子皇位継承不適格論の主張者。

 一 八木秀次は、月刊・諸君!7月号(文藝春秋)で、「問題は深刻である。遠からぬ将来に祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生するという、皇室の本質に関わる問題が浮上している」と書き、続けて、皇室典範3条の「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる」という定めのうちの「重大な事故があるとき」に、「祭祀をしないこと」は該当する、という法解釈を示した。
 この八木の指摘については、すでに何回か言及した。
 ここでは、あらためてその論理の杜撰さを、より詳しく述べる。
 二 1 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)で、八木はまず、こう言っている。
 皇太子「妃殿下のご病気の原因が宮中祭祀への違和感にあるという説にはそれなりに信憑性があるのは事実です…」(p.205)。
 皇太子妃殿下が数年にわたって宮中祭祀に<陪席>しておられないのは、皇太子殿下のご発言等から見て事実のようだ。また、妃殿下の心身または体調にすぐれないところがあることも事実のようだ。
 だが、上の如く、八木もまた、「妃殿下のご病気の原因が宮中祭祀への違和感にある」とは断定的には認定していない。あくまで、「それなりに信憑性がある」とだけ自ら述べている。「それなりに信憑性がある」とは、厳密には<たぶん>・<おそらく>の類の推測・憶測であり、その程度が高い方に属する(と判断されている)場合に使われる表現だと思われる。
 2 ところが、「遠からぬ将来に……祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」という「皇室の本質に関わる問題が浮上…」と八木が書くとき、「それなりに信憑性がある」ということが、断定的事実へといつのまにか発展・転換している。「祭祀に違和感をもつ皇后が誕生する」との表現は、現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられるということを疑い得ない事実として前提にしている。
 ここに、八木の論理の杜撰さ・いい加減さ、あるいは論理の<飛躍>の第一点がある。
 三 以上のことは、現皇太子妃殿下に関する事柄で、皇太子殿下ご自身に関する事柄ではない。にもかかわらず、八木は、将来における「祭祀に違和感をもつ皇后」の誕生と「祭祀をしない天皇」の誕生とを何故か同一視しているようだ。
 「祭祀をしない天皇、いや少なくとも祭祀に違和感をもつ皇后が誕生…」というふうに使い分けている、同一視していないとの反論がありうるが、これは当たっていない。
 何故なら、八木はその直後に、皇太子妃ではなく皇太子にのみ関係する、「皇位継承の順序を変えることができる」要件の解釈について語っているからだ。
 現在、皇太子殿下が皇位継承の第一順位者であることは言うまでもない。八木は現皇室典範に従って論じようとしているので―現皇室典範の有効性や合理性を疑う論者もありうるので、その場合は別の議論の仕方をする必要があるが―、現皇室典範の関係規定を引用しておく。
 皇室典範第2条第1項「皇位は、左の順序により、皇族に、これを伝える。一 皇長子 二 皇長孫 …<略>」
 皇室典範第8条「皇嗣たる皇子を皇太子という。…」
 1 つまり、八木はいつのまにか、皇太子妃殿下の「祭祀」への「違和感」問題を皇太子の<皇位継承適格性>問題へとを発展させている。ここには見逃すことのできない、大きくは第二の、論理の杜撰さがあり、論理の<飛躍>がある。
 「祭祀をしない」ことが、「皇位継承の順序を変えることができる」要件に該当するかを論じるためには、そもそも現皇太子が「祭祀をしない」天皇になるのかどうかを認定していなければならない筈だが、このキー・ポイントを八木は脱落させている。
 八木の頭の中を想像すると、現皇太子妃殿下は「祭祀に違和感をも」っており、「祭祀に違和感をもつ」皇后が「誕生する」という問題があり、そのことは同時に、皇太子妃殿下=将来の皇后を<守る>(<護ろうとされる>)皇太子=将来の天皇が「祭祀をしない」こと、つまり「祭祀をしない天皇」の誕生につながる、というのだろう。
 だが、どう考えても、上の論理には無理がある。かりに現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられることが100%の事実だとしてすら、なぜそのことが、「祭祀をしない天皇」の誕生の根拠になりうるのか?
 皇太子妃ではなく皇太子殿下については、宮中祭祀に長期間列席されていないとの情報はない、と思われる。
 現皇太子が「祭祀に違和感をも」ち、「祭祀をしない天皇」が誕生することがほぼ絶対的に確実であって初めて、皇室典範3条が定める「皇位継承の順序を変える」可能性の要件該当性を論じることができる筈だ。
 しかるに八木は、「祭祀をしない天皇」が誕生することがほぼ絶対的に確実だとする根拠を何も示していない。皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられる、という100%事実だと認定されてもいないことを(自ら「それなりに信憑性がある」とだけしか述べていないことを)、根拠らしきものとして挙げているだけだ。
 ここにはきわめて重大な論理の<飛躍>がある。むろん、きわめて杜撰な思考回路が示されてもいる。
 再び書くが、かりに現皇太子妃殿下が「祭祀に違和感をも」っておられることが100%の事実だとしてすら、なぜそのことが、「祭祀をしない天皇」の誕生の根拠になりうるのか?
 ことは皇位継承適格にもかかわるきわめて重大な問題だ。天皇家を、あるいは皇位というものを、大切に考えている筈の八木秀次は、なぜこんな無茶苦茶なことを言い出しているのか。現皇太子、皇位継承第一順位者、将来天皇になられる(皇位を継承される)蓋然性がきわめて高い御方に対して、きわめて失礼・非礼なのではないか。
 2 さらに厳密に考えると、宮中祭祀の少なくとも重要部分の主宰者は天皇ご自身であり、皇太子でも皇后でもない、ましてや皇太子妃でもない、とすれば、現皇太子が天皇として「祭祀をしない」か否かは、現皇太子が皇位を継承されて天皇におなりになって初めて判明することだと思われる。
 そもそも皇太子でいらっしゃる段階で「祭祀をしない天皇」になると断定することはできないし、その蓋然性・可能性を想定することも厳密にはできない。消極的な予想してもよいのかもしれないが、しかし、現皇太子は天皇になられて、宮中祭祀を立派に行われるだろう、と私は想像・推定している。現皇太子が「祭祀をしない天皇」になると、少なくともその可能性が高いと、何故、いかなる理由をもって八木は主張するのか。
 三 上のような諸点がクリアされないかぎりは、そもそも、「祭祀をしないこと」は皇室典範3条が定める「皇位継承の順序を変えることができる」要件の一つとしての「皇嗣に…重大な事故があるとき」に該当するかどうかを論じようとしても、全く無意味なことだ。
 にもかかわらず、八木はこの問題にもさらに踏み込んで、<該当する>と結論的判断を示してしまっている。ここに、論理の杜撰さ、<飛躍>の大きな第三点がある。
 相当にヒドい論理の<飛躍>だ。
 上記のように、①宮中祭祀にとって天皇こそが本質的・不可欠で、皇太子といえども<付き添い>者・<陪席>者であるにとどまるとすれば-但し、たぶん失礼な言葉になるが、実質的には将来に備えての<勉強>・<見習い>という要素が皇太子についてはあるものと思われる-「皇嗣」(皇室典範3条)の段階ではまだ「祭祀をしない」天皇になられるか否かは分からないのだ。
 ②「祭祀をしない」天皇になられるだろうとの予測をかりに関係者(とくに皇室会議構成員)ほぼ全員がもつようになってはじめて、ギリギリ皇室典範3条の問題になりそうに見えるが、現状はそのような状況にはない。皇太子殿下は、現況において、宮中祭祀を<欠席>されていることは基本的にはないはずだ。
 ③反復になるが、皇太子妃(将来の皇后予定者)が「祭祀に違和感をもつ」か否かは、皇太子=皇嗣の宮中祭祀への対応の問題とは別の問題だ。この二つを八木は何とか、レトリック又は<雰囲気>で結びつけようとしている(そこで論理の杜撰さが露わになり、論理の<飛躍>を必要とするに至っている)。
 宮中祭祀が基本的には天皇ご一身の行為であるかぎり、現皇太子=将来の天皇の祭祀行為への積極的対応と、皇太子が現皇太子妃=将来の皇后を<守る>(<護ろうとされる>)こととは、何ら矛盾しない。
 竹田恒泰いわく-皇太子妃殿下が皇后になられたときにまだご病気であれば、「無理に宮中祭祀にお出ましいただく必要はない。またそれによって天皇の本質が変化することもない」。
 西尾幹二、中西輝政とともに八木秀次は、<取り返しのつかない、一生の蹉跌>をしてしまったのではないか。
 皇室に入ってきた<獅子身中の虫>=<左翼>を排除するため、という正義感に燃えて、八木は今回冒頭に引用のことを書いたのかもしれない。しかし、主観的善意が適切な具体的主張につながる保障はむろん全くない。
 八木秀次が、皇太子妃の現状を批判的に問題にし、それを飛躍・発展させて現皇太子の皇位継承適格性を否定することまで明言したことは、皇室に関する混乱が発生し拡大することを喜ぶ<天皇制度解体論者>をほくそ笑ましただろう。そのかぎりで、八木は<保守的「左翼」>とも、<底の浅い保守>とも評されうる。そのくらいのインパクトのある文章を月刊・諸君!7月号に書いてしまった、という自覚・反省の気持ちが八木にあるのかどうか。

0558/<言挙げ>したくはない、しかし。-八木秀次とは何者か・4。

 一 1 渡部昇一月刊Will7月号(ワック)の日下公人との対談(「『恋愛結婚制』と皇室伝統」)の中で、同誌上の「西尾論文を読んで非常によいと思ったのは、今の皇太子殿下が皇位を継承しなくてもよいという主旨のことが書かれていた」ことだ、と述べている(p.45)。次回に扱うが、<現皇太子皇位継承不可論>とでも称すべき<怖ろしい>主張を、八木秀次とともに明らかにしていることになる。
 上の点は、では誰が皇位を継承するのか、現皇太子殿下の皇太子たる地位はどのようにして否定(「廃太子」?)するのか、新しい皇太子はどのような根拠と手続でもって定めるのか、等の複雑な問題を生じさせるのだが、渡部昇一はそういった点には立ち入らず、いわば<思いつき>で発言しているようなところがある。
 2 そのような<思いつき>発言は、皇室典範にかかわって述べられる、次にも見られる、と思う。
 「あの〔占領〕時代に作られた法律はすべてご破算にして、一度、明治憲法に戻るべきです。その上で、日本国憲法のよい部分を入れ込めばよい」(上掲誌p.47)。
 上のことの厳密な意味、そしてそのために採るべき手続について、渡部昇一はきちんと考えているのだろうか。
 こんなことを書くのも、1年余り前に触れたことがあるが、渡部昇一は<日本国憲法無効論>の影響を受けていると見られるからだ。上では現憲法無効論のみならず、いわば<占領期制定法律無効論>も述べているようだ。  <日本国憲法無効論>は、①その正確な内容を理解するかぎりでは、「無効」概念の使い方を誤っている、②現国会による<無効決議(宣言)>を必要とする点で、将来の新憲法制定(現憲法改正)を却って遅らせる機能を果たす(また、現憲法を「無効」と考えている国会議員は現在一人もいないと思われる)、という大きな欠点をもつもので、とても採用できるものではない。
 なお、これを支持していると見られる者に、兵頭二十八(軍事評論家)、畠奈津子(漫画家)がいる。
 二 1 八木秀次・日本国憲法とは何か(PHP新書、2003)を全部は読んでいないが、八木秀次は<日本国憲法無効論>には立っておらず、問題点・限界を指摘しつつ「改憲すべきはどこか」(p.206-)等を論じていると見られる(p.180に<日本国憲法無効論>への言及があり、好意的ニュアンスもある。しかし、p.181には大日本帝国憲法「改正無限界論」に立てば現憲法は「有効に」成立している、「改正限界論」の帰結が<日本国憲法無効論>と所謂<八月革命説>だ、との叙述もある。何より、国会による<無効決議(宣言)>の必要性などには全く触れるところがない)。
 また、<日本国憲法無効論>の立場の者のブログの中で、八木秀次や百地章等は現憲法を有効視する(その上で改正を目指す)論者として厳しい批判(・攻撃)の俎上に乗せられていた記憶もある。
 2 そういう八木秀次ならば、渡部昇一が<日本国憲法無効論>者か、少なくともそれに影響を受けている者だくらいのことは知っているだろう。あるいは、むしろ、知っておくべきだろう。現実問題としては<日本国憲法無効論>の力は小さく、無視又は軽視をして、<小異を捨てて大同につく>のでよいのかもしれない。しかし、八木秀次は憲法学者(の筈)なのだ。渡部昇一について、<日本国憲法無効論>の少なくとも影響を受けている者だとの認識とそれにもとづく対応があっても何ら不思議ではないと思われる。
 3 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)には、渡部が現憲法無効を主張するような部分はなかったように思われる。だが、稲田朋美は「渡部先生が説明されたことへの反論ではないのですが」と述べつつ、講和条約11条についての渡部昇一とは異なる解釈を堂々と述べたりしている(p.139-140)のに対して、八木が渡部昇一の所説・議論に異を唱えている部分は全くなさそうだ(この点は、中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008)での中西輝政に対する態度と同じ。なお、中西は<日本国憲法無効論>者ではない)。
 また、「鼎談を終えて」に見られる八木秀次の渡部昇一の評価はきわめて高いものがある。八木は次のように書く。
 「渡部先生はいつもながらの大旦那の風格で、泰然として」話に応じて「下さった」、「私は最近、渡部先生の若い頃の著作を読むことが多いが、その該博な知識と見識には敬服するばかりである」(p.266)。
 渡部昇一が「該博な知識」の持ち主であることを否定しないが、八木秀次は、渡部が<日本国憲法無効論>の少なくとも影響を受けている者だとの認識をもって、「見識には敬服するばかりである」などと書いたのだろうか。憲法学者にとっては、現憲法の有効・無効はその出発点的論点の筈だ。腑に落ちない。上のような認識がなかったのか、それとも、認識していながら、年輩の渡部に(儀礼的・表面的にのみ?)賛辞を送ったのか。
 ともあれ、八木秀次の書いている(語っている)ことに奇妙さ・不思議さを感じる点が、ここにもある。

0557/<言挙げ>したくはない、しかし。-八木秀次とは何者か・3。

 一 今年の2/04にすでに言及したが、小林よしのり責任編集長・わしズム25号(2008冬号)は「デマと冷笑の『テレビ』」を特集テーマとしていて、八木秀次は、「テレビキャスター&コメンテーター『思想チェック』大マトリックス」という論稿を寄せている(p.56-p.61)。
 そこではテレビのキャスター・コメンテイターを、ヨコ軸をリベラル←→保守、タテ軸を自立←→国際協調に置いて、「思想」によって大きく四グループに分けて図示している(「程度」の数値化を含む。p.58-59)。
 上の2/04ではさほど強くは指摘しなかったが、「表を見ていてスッキリしないところが残るのは、『国際協調』の意味の曖昧さ」で、<保守>についてはこれの強いのが<親米・日米同盟堅持>であるのに対し、<リベラル>についてはこれの強いのが<アジア外交重視>とされている。同じ「国際協調」と言っても全く異質なものを、同じであるかの如く捉えて「マトリックス」を作っているのだから、率直に言ってデキはあまりよくない(余計ながら、「保守思想」の理論化・体系化をしようとする者がこんな<遊び>仕事をしていてよいのだろうか)。
 また、録画して見ているのかも知れないが、このように表にできるまで、多くの番組のキャスター・コメンテイターの諸発言をチェックする「ヒマ」があったものだと妙な点に関心しもする。
 二 さて、今回述べたいのは、上の「大マトリックス」に関する細かなことではない。まず、四つのうち、あるいは八木は<保守>の筈だから<保守+反米・自主防衛>(第一群)と<保守+親米・日米同盟堅持>(第四群)の二つのうち、八木自身はいずれのグループに属すると自分を位置づけていたか、ということだ。
 このように<保守>を単純に二分すること自体に問題がある可能性はある。しかし、八木自身が行っている分類なので、さしあたりこれによる。
 結論的に言って、八木秀次は<保守+親米・日米同盟堅持>グループに自らを位置づけているようだ(以下、たんに<親米保守>)。その根拠は次のとおり(以下、すべてp.61)。
 ①この<親米保守>を「現実的な保守の立場」と説明する。
 ②この<親米保守>グループに入れている辛坊治郎(日本テレビ系)につき、「その発言は常に共感をもって聞くことができる」、辛坊は「朝日新聞を批判し、…産経新聞を好意的に取り上げる」、と明記して支持・同調の姿勢を露わにしている。
 ③同じく<親米保守>とする橋本五郎(読売新聞)の発言を肯定的に引用する。
 ④櫻井よしこを<保守+反米・自主防衛>(第一群)の中の<親米保守>に近い所に位置づけ、「『闘う保守言論人』の第一人者だが、近年は自立を志向する感もある」とコメントする。「…だが、…自立…感もある」という書き方は、やや距離を置いている印象を与える。
 三 これに対して、中西輝政=八木秀次・保守はいま何をすべきか(PHP、2008)では、八木は巧妙に(?)<親米・日米同盟堅持>の立場を強く表明することを避けている。八木自身の考え方が変わったか(微調整をしているか)、対談相手の中西輝政に(そのときだけ?)<合わせている>か、のいずれかではないだろうか。
 興味深いのは、上の対談本のp.142-151だ。この10頁の間、喋っているのは殆どか中西輝政で、かつ中西は<反米>的または<侮米>心情を述べている。そして、八木秀次はとくに反論しようとはしていない。
 これ自体興味あるテーマだが、中西輝政は、西部邁や佐伯啓思が何故アメリカを徹底的に問題視してアメリカに対抗する議論をするのかよくわからなかったが、「ようやくわかってきた」、問題視するのは「間違っていない」と理解するようになった、と発言している(p.146。かかる疑問は私も佐伯啓思についてもったことがある)。
 そして、中西は、「価値観では『侮米』、戦略的には『親米』」だと明言する(p.147)。「価値観」次元の問題と「戦略」とを区別しているのだ。そしてそもそも中西が「戦略的」という言葉を使ったのは、八木の「現実政治の国際政治を見た場合、とりあえず日米同盟が有効であるという……〔原文ママ〕」との発言に対して「まったく戦略的なものですね」と反応したことに始まる(p.144)。
 以降の八木はほとんど聞き役で、西部邁は「価値観でも反米、戦略的な発想でも反米」だ旨の、中西に迎合するような(?)西部邁批判を挿んでいるのが目につく程度だ(p.147)。
 やや反復になるが、八木秀次が上のわしズム25号に見られるように<親米・日米同盟堅持>を「現実的な保守の立場」と考えているのなら、中西輝政に少しは抵抗してでも積極的にその旨を述べるべきではなかったのだろうか。あるいは、わしズム25号で、「価値観」(「思想」)次元の問題と「戦略」とを区別しないで、<保守>を<反米・自主防衛>と<親米・日米同盟堅持>に単純に分けてしまったことを反省的に自覚して<沈黙>していたのだろうか。
 ともあれ、八木秀次の対米姿勢は、<保守>派の中でも曖昧なのではないか、と思う。また、八木の「経済の問題も、日本の保守としては、経済学者に任せておけばすむ話では、どうもなくなってきていますね」(p.154)との発言は、<規制緩和>・<構造改革>の問題を「経済学者に任せて」、<保守>としての自分は問題関心をもって考察・検討してこなかったことの告白に他ならない、と思われる。
 私自身がどうなのかは、ここでは問題ではない。八木秀次に、「保守思想」の理論化・体系化をする資格・能力があるのか、八木は将来の<保守>のリーダーの一人になれるほどの人物なのか、<保守>の立場から適切に「教育再生」を議論できる能力・知見がある人物なのか、私は相当に疑問に思っている。

0555/<言挙げ>したくはない、しかし。-八木秀次とは何者か・2の追加。

 1 八木秀次は、「日本の神話を読んで『神武天皇は実在したのか』…と言っても意味がない」と述べた(中西輝政=同・保守はいま何をすべきか(PHP、2008)p.231)。
 その直前に八木は、アメリカの建国神話は「嘘っぱちだらけ」です、と述べている。このことの関係でも、昨日に書いたように、上の発言は、日本神話上の「神武天皇」は本当は実在していない、しかし「神話」なのだからそれを「ウソ」だと指摘しても「意味がない」、という趣旨だと思われる。八木はほぼ間違いなく「神武天皇」非実在説に立っている。
 しかし、安本美典、安本を支持する立花隆のように、「神武天皇」実在説に立ち、神武天皇に関する「神話」上の伝承の中に史実(事実)の存在を認めようとする人々もいる。
 竹田恒泰は孝明天皇研究家ということなので古代史研究の専門家とは言えないだろうが、竹田恒泰・旧華族が語る天皇の日本史(PHP新書、2008)も「神武天皇」実在説を主張している。
 上の書は「神武天皇は実在した」との節名をもち(第二章内)、戦後さかんに唱えられた「非実在説」が「広く浸透しているのが現状」だとしつつ、「東征伝説は真実と考えよ」等と主張している(p.65-69)。
 竹田恒泰は戦前の皇国史観のように(?)日本書記等の「神代」の記述を丸ごと真実と信じよ、と主張しているわけでは全くない。いずれかの時期に「初代」の天皇が実在していたことに間違いない、非科学的・非合理的と感じられる記述の中にも「一定の真実」が「含まれている場合がある」(p.67)という立場から、上のような主張をし、「非実在説」に決定的な根拠があるわけでもない等と述べているのだ。
 竹田の上の本の「主要参考文献」には、安本美典の著書はなく、安本の雑誌論文が一つだけしか挙げられていないことからして、竹田はとくに安本美典説の影響を受けたわけではないと見られる。
 なお、初代~九代の天皇の各在位年数をすべて「十数年と見なすと…」と、安本と同様の発想をして神武天皇の活躍時期に論及しているのが興味深いが(p.70)、安本は天照大神~21代(雄略)までの平均在位年数を「9.56年」としているようだ(天照大神=卑弥呼を神武天皇の5代前とする。安本美典・大和朝廷の起源(勉誠出版、2005)p.277)。
 2 八木秀次は、「最近の研究によれば」、として「天武天皇・持統天皇の時代、七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まったと見るようです」と述べた(一部前回と重複。同ほか・日本を弑する人々(PHP、2008)p.247)。
 昨日は、「最近の研究」とは誰々のどのような研究かは気になったものの、「国」とか「国のかたち」あるいはそれの「固まり」の意味の理解の仕方は多様でありうると考えて読み飛ばし、(上記の「神武天皇」うんぬん以外は)「天武天皇・持統天皇の時代」や「継体天皇」の時代以前の諸天皇(+神功皇后)に一切言及がないことを奇妙に思っただけだった。
 しかし、再び安本美典が引用している別の学者の叙述を読んで、上の八木秀次の叙述の内容も、いささか勉強不足であり、戦後「左翼」の古代史(・天皇制度史)学の影響を受けている、と感じた。
 私なりに言えば
、①「天武天皇・持統天皇の時代」になされた重要なことは(隋(589-618)・)唐(618-907)に倣った<律令体制の整備>であり、国家(行政)機構の整備・強化等に関して重要な意味があっただろうことを否定しないとしても、中国(隋・唐)の影響を受けて(又はそれを積極的に継受して)七世紀末又は同後半に「『国のかたち』がようやく固まった」と理解するのは、いささか主体性を欠く日本「国家」の歴史の(自虐的ですらある)捉え方ではないか、②「天武天皇・持統天皇の時代」以前には、日本には「国のかたち」は全く又は殆どなかったのか、<大王(オホキミ)>や<大和朝廷>という概念自体がある程度の国家(行政)機構・仕組みの整備を前提にしている筈だが、八木はこれを否定するのか、という感想又は疑問を抱く。
 安本美典・大和朝廷の起源(勉誠出版、2005)の「はじめに」のp.6-7に、次のような長山泰孝(大阪大学名誉教授)の文章(2003年のもの)が引用されている。一部を省略又は要約して再引用する。
 「今の古代史は非常識」だ、つまり、「律令国家によって初めて国家というものが成立したというのはこれは常識と合わない」。「隋と正式に国交を交わし」た「それ以前の推古朝」は何なのだ、「国家ではないのか」ということになってくる。/「ずいぶん国家の成立が押し下げられてきている」。「自分の国の歴史の発展をできるだけ遅く考えたいというのが、戦後の歴史学の出発点だったところがあった。そこからつくられた情念だったわけ」だ。/「最近、考古学の方」がいうには「三世紀の少なくとも中頃には国家は成立している」。「文献史学」では空白のままきて「不思議なことに六世紀のわずか一〇〇年の間に全部出そろう」。/「まったく記紀を無視する戦後の歴史学が今問題であって…」。
 いろいろな歴史理解はありうるだろう。だが、この長山泰孝だと、八木秀次のように(「最近の研究によれば」としてであっても)「七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まった」らしいとは発言しないのではないか。
 3 近現代史に限らず、すべての日本史の時期について、戦後にマルクス主義歴史学者が活躍したことは周知のことだ。古代史(学)については、石母田正(いしもだ・ただし)という、日本共産党員ではないかと思われる学者の影響力が大きかった。言及したことのある直木孝次郎も、親マルクス主義の「左翼」だ。
 従って、天皇制度や「国」の成り立ちに関する古代史学なるものは疑ってかかっておいた方がよい。上で長山泰孝も指摘又は示唆しているように、現にある<天皇制度>の権威を高めることのないように、その歴史は実際よりも短くされるか又は軽視されている(あるいは神話=ウソとして完全否定されている)可能性がある。また、日本「国家」の権威・特性・歴史的な古さ(長さ)を強調することにならないように、その成立・「確立」の時期は「押し下げられてきている」(長山)可能性がある。
 さて、「最近の研究によれば」、「七世紀の終わりあたりに日本の『国のかたち』がようやく固まったとみるようです」と発言する八木秀次は、長山が「非常識」とする<左翼>古代史学の影響を受けてはいないだろうか
 古代史についてもマルクス主義者とそうでない者の<闘い>というものは客観的には存在している。まさかとは思うが、日本の近現代史(学)はともかく古代史(学)についてはそのような対立はなく、中立的・客観的に学問が展開している、とでも八木秀次は考えているのではないかとすら憂慮してしまう。
 ともあれ、歴史認識問題は、近現代史についてのみあるわけではない。不用意にでも<左翼>日本史学(>古代史学)の影響を八木秀次が受けているのだとすれば、その八木が<保守思想の理論化・体系化>をしたい旨を語っているのだから(中西輝政=同・保守はいま何をすべきかp.131)、また、この人は<保守系>の(筈の)「日本教育再生機構」とやらの要職を務めているらしいのだから、<ことはまことに重大で、由々しき問題だ>と思われる。

0553/「言挙げ」したくはない、しかし。-八木秀次とは何者か・2。

 一 渡部昇一=稲田朋美=八木秀次・日本を弑する人々(PHP、2008)の中で、八木は、改正教育基本法が「我が国と郷土を愛する…態度を養う」ことを理念の一つと定めたにもかかわらず、今年(2008年)3月の学習指導要領改訂には法律改正の趣旨が反映されていないと批判的に指摘している(p.245-)。産経新聞の3/19「正論」欄でも、「わが国の伝統と文化を語る上で重要な天皇も、…中学校では社会科公民で『…〔略〕について理解させる』と記述するにとどまり、改善点はなく、天皇への敬愛の念についての言及もない」などと批判している。
 「日本教育再生機構」の理事長でもあるという八木は、きっと、日本という「国」の成り立ちや天皇(制度)の歴史-<古代史>ということになろう-についても該博な知識とそれらの「教育」に関する適切な見解をもっていそうだ、と言えそうだ。
 二 しかし、中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP、2008)の中で、私には奇妙と思えることを述べている。
 「日本の神話を読んで『神武天皇は実在したのか』『百二十五歳まで生きるわけがない』と言っても意味がない」。「建国神話とは、建国の精神に立ち帰ることで国民がまとまればいいわけですから」(p.231)。この二つめの「」は度外視しよう。
 上の一つめの「」の、①「神武天皇は実在したのか」、②「百二十五歳まで生きるわけがない」、と言っても「意味がない」とは、いったいいかなる意味なのだろうか。ここで彼は、何を主張したいのだろうか。
 常識的には、日本(建国)神話の<真実性>を論じても(あるいはその<虚偽性>を指摘しても)「意味がない」、という意味であるように読める。「神話」は「神話」として<理解>すればよい(又は<物語>として「信じ」ておくべきだ)、というような意味だと思われる。
 八木は、①「神武天皇」の実在性と②初期の諸天皇の<生存年数>を論じても「意味がない」と発言している。そして、明言はないが、どうやら、①「神武天皇」は実在しない(つまりこの点の神話はウソだ)、②生存年数「百二十五歳」の天皇は存在しない(つまりこの点の神話はウソだ)と八木は理解しているものと推察される。少なくとも、このように解釈されてもやむをえない発言の仕方をしている。
 そうだとすると、重大な疑問が生じる。すなわち、①の「神武天皇」の実在性の問題と、②同天皇を含む初期の諸天皇の<生存年数>(又は<在位年数>)の問題とを、こうして同次元の問題として論じるべきではない、と思われるからだ。一括して議論している八木は誤っている。つまり、古代史に関する知識が十分ではない。
 ここで述べようとしていることについて、安本美典・日本神話120の謎-三種の神器が語る古代世界(勉誠出版、2006)の「はじめに」には、なかなか興味深いことが書かれている。あの、「左翼」の立花隆が、2005年に、安本美典の別の本、安本・大和朝廷の起源-邪馬台国の東遷と神武東征伝承(勉誠出版、2005)を読んでの感想を、次のように某週刊誌に書いた、というのだ。以下、上の第一の著のp.8-9の引用からさらに一部引用する。
 「この本〔上の第二の2005年の著-秋月〕を読むまでは、私も通説に従って、神武天皇などというものは、神話伝説上の人物にすぎず、リアルな存在では全くないと思っていた。/しかし、この本を読んだ後はちがう。神武天皇伝説の背景には、骨格において伝説に近い史実があったにちがいないと思っている。/…私はこの本によって、古代史にまつわる多くの謎のモヤモヤがきれいに整理され、取りのぞかれた思いがして、大筋これで結構と思っている」。
 八木秀次の古代史・日本神話・初期天皇に関する知識は、この2005年時点の立花隆以前の状態にあるのではないか。私が安本美典の諸説を知ったのはたぶんん20年程度以前のことだが(なお、安本美典・神武東遷(中公新書)は1968年刊)、神武天皇にあたる人物は実在しただろう、大和盆地への「東遷」伝承は相当に史実を反映しているだろう、と(安本美典の説得力ある議論の影響をうけて)思っている。
 従って、第一に、「神武天皇は実在したのか」と言っても「意味がない」ということは全くなく、<実在した>と断固として主張してよいのだ(もっとも、安本説ではないが「崇神天皇」等との同一人物説等もある。だが、この説も「神武天皇」にあたる人物の実在を否定することにならない)。
 一方、初期の天皇の「生存年数」(=寿命)が記紀において異様に長く書かれていることはよく知られている。神武天皇は日本書記によると127年(古事記によると137年)、その他、開化天皇115(63)、崇神天皇120(168)、垂仁天皇140(153)等々。
 なぜこのように(神武天皇の即位が紀元前660年となるように)長くしたのかには辛酉革命説等の諸説あるが、これらの常識的に見て長すぎる寿命(生年・没年)の記載は<信じられない>・<ウソだ>と言って何ら差し支えない、と考えられる。
 従って第二に、「百二十五歳まで生きるわけがない」と言っても「意味がない」ということは全くなく、むしろ「意味がある」。
 八木はこの生存年数について、ひょっとして「神話」として<理解>すればよい、又は<物語>として「信じ」てよい、と言うのかもしれないが、そのような<公教育>をしても、小学校も高学年くらいの生徒になれば<理解>も<信じる>こともできず、「建国神話」によって「国民がまとま」ることをむしろ妨げることになるものと思われる。
 以上のとおり、八木秀次の古代史・天皇の歴史に関する知識と見解は怪しいものだ、というのが私の感想だ。
 三 中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP)に再び戻ると、もう一点、やや奇妙に感じたことがある。すなわち、中西輝政は日本史を学ぶ「最終目標」は「神話が体得できる」ことだと言っているが(p.228)、八木はこの指摘を「学ぶ」優先順序のごとく理解しているのではないだろうか、ということだ。
 もう少し詳しく紹介すると、八木は、「国のかたちがはっきり現れる時代」(「継体天皇から聖徳太子を経て天武天皇に行き着く流れ」)から「歴史を見て」、「学んでいった後で」、「最後は神話に行き着く」と述べている。渡部昇一・稲田朋美との上掲共著p.247では、日本の「国のかたち」が「ようやく固まった」「天武天皇・持統天皇」の時代の「建国の精神」の内容を述べており、この時期をまずは「学ぶ」ことが重要だと考えているようだ。
 「学ぶ」順序などは些細な問題かもしれないが、関心を惹くのは、「天武天皇・持統天皇」の時代又はそこまでに至った「継体天皇」の時代以前について、八木は何も語ろうとしていない、ということだ。「応神天皇」やその母とされている「神功(じんぐ)皇后」にも一切の言及がない。
 日本の「建国の精神」でもよいし、日本人の「精神」・「心持ち」でもよいが、それらを知るために、「継体天皇」の時代以前に関する記紀等の叙述をこのように軽視してよいのだろうか。仏教が伝来するまで日本(人)に特有の<心情・信条の体系>だったと思われる<神ながらの道>=<神道>に立ち入らないかぎり、日本人の「精神」・「心持ち」、そして「建国の精神」も理解できないのではないか。
 安本美典は反マルクス主義者であり、「津田左右吉流の文献批判学」の批判者であり、(私の造語だが)「反アカデミズム」者でもある。その安本・日本神話120の謎(上掲)p.21の表現によると、戦前に迫害された「津田の諸説は、第二次大戦後の、懐疑的風潮の中で、はなばなしくよみがえ」り、「わが国の史学界において、圧倒的な勢力をしめ」、そして「戦時中の、神話の全面肯定から、全面否定へと、はげしいうつりかわり」を見せた。
 八木秀次の精神世界は、今も戦後の神話「全面否定」論の影響を受けつづけているのではなかろうか。安本がいう、ギリシャ神話・旧約聖書物語よりも「日本神話へのなじみがすくない世代」(上掲書p.21)に属したままなのではないだろうか。
 ふつうの日本人、とくに若い世代であれば、上のことは珍しくもなく、批判するのは酷かもしれない。だが、「保守はいま何をすべきか」と大上段に振りかざし、「国…を愛する」態度や天皇に関する<教育>について発言している八木が、今回記した程度の「日本の神話」に関する知識と関心しか持っていないとすれば、ほとんど<詐欺>に等しいのではないか。
 なお、八木の、天皇の宮中祭祀に関する知識が不十分である(又は誤っている)と見られることについては、すでに述べた。

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