秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

個人主義

1964/池田信夫のブログ005。

  最近はあまり論及がないが一時期池田が熱心に書いていたことに関連して、生物・ヒトとしての「個体」=自己最優先の本性からして、日本国憲法上の「個人の尊重」もドイツ憲法上の「個人の尊厳」も普遍的なもののように感じていた、という旨をこの欄で記したことがあった。
 しかし、なるほど生物としての本能とこれらとを簡単に結びつけることはできないようだ。
 つまりおそらく、「近代」憲法が前提にしている<個人>はアメリカ独立期にも淵源のある、いわゆる「近代的自我」とか「近代個人主義」の成立を前提にしているもので、「近代」に特有な一種のイデオロギーのものであるかもしれないと思い至る。
 夏目漱石は、日本的な「近代的自我」の確立に苦闘したともされる。欧州留学・滞在経験があったからでもあろう。
 だがむろん、「近代」以前にもふつうの意味での「個人」はいたはずだ。
 「近代的自我」あるいは「近代個人主義」が成立していない(としてその)前の例えば日本人は、「自己」・「自分」のことをどう意識してきたのだろうか。
 身分制を前提として生来の「自分」の地位や生活をほとんど当然視し、自然現象が示し、あるいは両親・一族が語る宗教・観念・通念等々を当然のこととし、たまには僧侶や神官が語ることを知って物珍しく、あるいは別世界のことと感じ、「天子さま」の存在とやらも教えられたのだろうか。
 むろん、時代や地域、「層」によって異なる。京や大きな城下町をはじめとしする都市では物(やサービス)の<売買>が限定ながらも行われていたとすると、取引を通じて、商品等を<より美しい>、<より便利な>等々のものにしようという改善意欲は、生存と生活に直結するかぎりは、日本人の一部も早くから有していたように思われる。
 もっとも、よく分からないのは平安時代だ。
 7世紀、8世紀は政治的にもかなりの変動.動乱があった(中枢部での「乱」とか「変」とか)。
 だが9世紀以降だろうか<摂関政治>が落ち着いてくると、<院政>開始から<武士の勃興>という辺りまで、何と江戸時代よりも長い時代が続く。だが、皇室や藤原家等々に関係する事件・事象がほとんどで(いくつかの大きな「乱」はあったようだが)、公家たちの「恋愛」物語や「心象」の様相はある程度は分かっても、後の時代に比べて、どうも一般庶民の姿がよく分からない。
 この時代、どのように「国家」運営が、政治・行政が現実に行われていたのかも実感としてはよく分からない。
 日本国憲法「九条原理主義」が蔓延していたかのごとく「軍隊」がなく、幸い外国との戦乱もなかったようなのだが。
 むろん、私の知識不足、勉強不足が大きいのだろう。
  池田信夫が<集団のための遺伝>というものに言及していたが、<個体>よりも<集団>を優先する「淘汰」、そのような生物的遺伝というものには、疑問を感じていた。
 だがこれは、「集団」というものの捉え方ないし範囲によると気づく。
 つまり、「自分」よりも「一族」(~家)や「民族」(例えば日本「民族」)等を優先して自己犠牲を承認するような遺伝子の継承などあり得るのだろうかと、幼稚にあるいは素朴に感じていた。
 だが、この「集団」なるものが生物の一種としてのヒトという「種」全体を意味するのだとすると、腑に落ちる。
 つまり、そのような遺伝子は生物的に相続・継承されているような気もする。
 かつて、月等の宇宙の惑星への「旅」を人間が試みていることについて、地球では生存してゆけない危機感をもった「人類」が本能的に別の惑星を探しているのだ、ということを語った人もいた。
 むろん立証・証明は困難だろう。
 地球温暖化とか「核」兵器・電発の問題とか、どの程度に「人類」の将来に関係しているのかは、幼稚な一市民としてはよく分からないことも多い。
 だが、池田信夫のおかげで(それだけではないが)、「原発」問題はかなりイデオロギー化、政治化していて、どうも「人類」規模・次元の問題ではないだろうことは分かる。
 単純な言い分、分かり易い言い分。人間は、現在の日本人も、<できるだけ楽をして、自分で面倒なことを考えないようにしたい>という本能を一方で確実に、あるいは強く持っていると思われるので、いろいろとやむを得ない、「ヒト」の本性だから仕方がない、人間という生物の「弱さ」・「限界」だ、と感じることは多々ある。

1207/最高裁の婚外子相続「差別」違憲判決をめぐって。

 〇最高裁大法廷平成25年9月4日判決の特徴は、婚外子(非嫡出子)に対する民法上の相続「差別」を憲法違反とした理由が明確ではないことだ。
 全文を大まかに読んで見ても、そこに書かれているのは、一文だけをとり出すと、「前記イ及びウのような世界的な状況の推移の中で,我が国における嫡出子と嫡出でない子の区別に関わる法制等も変化してきた」、ということにすぎない。この問題をめぐる環境の変化に言及しているだけで、直接になぜ「平等原則」違反になるのかは述べていないのではないか。述べているらしき部分はのちに言及する。
 上の前者の世界的状況とは、国連の自由権規約委員会が「包括的に嫡出でない子に関する差別的規定の削除を勧告」したこと、加えて児童の権利委員会も日本の民法改正を促す勧告や当該規定の存在を「懸念する旨の見解」を改めて出したことをいう。

 上の後者のわが国の法制等の変化とは、「住民基本台帳事務処理要領の一部改正」、「戸籍法施行規則の一部改正」等をいう。

 この判決は一方で、日本ではまだ「法律婚を尊重する意識が幅広く浸透している」こと、婚外子の割合は増えても2%台にすぎないことを指摘しつつも、これらは合憲・違憲という「法的問題の結論に直ちに結び付くものとはいえない」とわざわざ述べていることも、興味深い

 〇この判決の結論自体については、産経新聞社説も含めて反対の論評はないようだ。
 ここでも反対意見は書かないが、最高裁裁判官中に一つの反対意見もなく、14名全員一致だというのは、ある程度は気味が悪い。最高裁判決は「正しい」または「最も合理的」なのではなく、権威をもって世俗的に通用する、というにすぎないことは確認されておくべきだ。

 最高裁判決が触れていない論点を指摘しておこう。

 第一。同じ父親から生まれた子が母親または両親の婚姻形態の違いによってその父親の資産相続につき同等に扱われないのは、たしかに、子どもの立場からすると「不平等」・「不公平」ではある。
 しかし、母親のレベルから見ると、法律上の妻と事実上の妻とが同等に扱われる結果になることは、法律上の妻との婚姻関係が基本的には正常・円滑に継続しており、事実上の妻あるいは「愛人」・「二号さん」とは同居もしておらず、事実上の夫婦関係が一時的または断続的である場合には、法律上のまともな配偶者(とその子ども)を不当に差別することになりはしないだろうか。
 むろん男女関係はさまざまで、法律婚の方がまったく形骸化し、事実婚の方が愛情に溢れたものになっている場合もあるだろうので、上のように一概にはいえない。しかし、上のような場合もあるはずなので、今回の最高裁判決および近い将来の民法改正によって、不当な取り扱いを受けることとなる法律上の妻や婚内子(嫡出子)もあるのではないかと思われる。しかるに、最高裁が裁判官全員一致で今回のような一般的な判断をしてしまってよかったのだろうか。

 むろん民法の相続関係規定は強行法規ではないので、被相続人の遺言による意思の方が優先する。もともと国連の関係委員会等の「権威」を信頼していないことにもよるのだが、個々のケースに応じた弾力的運用がまずは関係者私人の間で必要かと思われる。

 第二。本最高裁判決は、「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきている」と格調高く?述べて、実質的な理由らしきものにしている。

 しかしかかる理由でもって子どもすべてを同一・同等に扱うべきだという結論を導くことはできない、と考えられる。この点は、産経9/12「正論」欄で長谷川三千子もつぎのように、簡単に触れている。

 「自ら選択の余地のない事情によって不利益をこうむっているのは嫡出子も同様なのです。その一方だけの不利益を解消したら他方はどうなるか、そのことが全く忘れ去られています。またそれ以前に、そもそも人間を『個人』としてとらえたとき、(自らの労働によるのではない)親の財産を相続するのが、はたして当然の権利と言えるのでしょうか? その原理的矛盾にも気付いていない。」

 前半の趣旨は必ずしもよく分からない。だが、親が誰であるかによって実際にはとても「平等」ではないのが人間というものの本質だ。例えば、資産が大きく相続税を払ってもかなりの相続財産を得られる子どもと、親には資産らしきものはなく相続できるプラス財産は何もない子どももいる。これは平等原則には違反しないのか。あるいは例えば、頭が賢く、運動能力も優れた子どもがいる一方で、いずれもそうではない子どもも実際には存在する。この現象に「親」の違いは全く無関係なのだろうか。

 「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許され」ないなどと言うのは、偽善的な美辞麗句にすぎない、と断じることができる。「親」が異なれば「子」も異なるのだ。嫡出・非嫡出などよりも、こちらの方がより本質的な問題だろう。

 さらに、長谷川が上に後半で指摘していることは正しい。
 今回の最高裁判決を「個人」主義・「平等」主義大賛成の「左翼」法学者・評論家等は大いに支持するに違いない。しかし、上に少し触れたように、例えば親の資産の有無・多寡が相続を通じて子どもの経済生活に「格差」を生じさせるのは、「個人」主義・「平等」主義に反するのではないか。
 つまり、「左翼」論者が本当に「個人」主義・
「平等」主義を貫きたいのならば、<相続制度>自体に反対し、死者の財産はすべて国庫に算入する、つまり国家が没収すべし、と主張すべきだと考えられる。

 「子ども」は親とは全く別の「個人」であり、親の財産を相続することを認めるのは、子ども「個人」の努力や才覚とはまったく関係のない、たまたまの(非合理的な)「血」縁を肯定することに他ならない。「個人主義」者は、これに反対すべきではないのか。また、そのような相続を認めることが親の違いを理由とする相続財産の有無・多寡という「格差」=「平等原則」違反につながるのだとすれば、「平等」主義者はますますもって反対すべきではないのか。
 本最高裁判決を肯定的に評価しているらしき棚村政行(早稲田大学」、二宮周平(立命館大学)らは、上の論点についてもぜひ回答していただきたいものだ。

1185/「絆」と「縁」の区別、そして「血縁」ー民主党・菅直人と自民党。

 菅直人が首相の頃、自民党の記者発表の場の背景にも「絆(きずな)」という言葉が書かれてあったのでこの欄に記す気を失ったのだったが、当時、菅直人は好きな、または大切な言葉として「絆」をよく口に出していたように思う。あるいはテレビ等でも、大震災の後でもあり、人間の「絆」ということの大切さがしばしば喧伝されていたように思う。
 だが、少なくとも菅直人が使う「絆」については、次のような疑問を持っていた。すなわち、彼がいう「絆」とは主としては自らの意思で選びとった人間関係を指しており、市民団体やNPO内における人間関係や、これらと例えば被災者との間の「絆」のことを主としては意味させようとしているのではないか、と。
 そして、「絆」とは異なる別の貴重な日本語があることも意識していた。それは、「縁」だ。「縁」とはおそらく(辞典類を参照したことはないが)、個人の「意思」とは無関係に、宿命的なまたは偶然に生じた人間関係のことで、例えば、<地縁>、<血縁>などという言葉になって使われる。これらは菅直人が好みそうな「絆」とは違うものではないか。「縁」による人間関係も広義には「絆」なのかもしれないが、後者を狭く、個人の意思による選択の要素が入るものとして用いれば、「絆」と「縁」は別のものなのではないか。
 そして、かなり大胆に言えば、「左翼」はどちらかというと個人の意思の介在した「絆」を好み、血や居住地域による、非合理的な「縁」という人間関係は好まないのではないか、「保守」の人々ははむしろその逆に感じる傾向があるのではないか、と思ってきた。
 さて、被災地において「地縁」関係が重要な意味を持ったし、今後も持つだろうということは明らかだが、戦後日本で一般に「血縁」というものが戦前ほどには重要視されなくなったことは明らかだろう。
 戦前の「家族」制度に対する否定的評価は-それは「悪しき」戦前日本を生んだ温床の一つとされた-「個人の(尊厳の)尊重」と称揚と対比されるものとして幅広く浸透したし、現にしている、と思われる。
 「個人の尊重」は書くが「家族」にはいっさい言及しない日本国憲法のもとで-樋口陽一は現憲法の中で最重要なのは13条の「個人の尊重」だとしばしば書いている-、「血縁」に重要な意味・位置を戦後日本と日本人は与えてこなかったのではないか、広義での「絆」の中に含まれる基礎的なものであるにもかかわらず。
 もちろん、親(父または母)と子の間や「家族」の中の<美しい>人間関係に関する実話も物語も少なくなく紹介されたり、作られたりしている。
 だが、本来、基本的な方向性として言えば、樋口陽一ら<左翼>が最重要視する「個人の(尊厳の)尊重」と「血縁」関係の重要性を説くことは矛盾するものだ。親子・家族の<美しい>人間関係を語ることには、どこかに上の前者と整合しない要素、または<きれいごと>も含まれているのではないか。こんな関心から、さらに何がしかを追記していこう。

1073/月刊WiLL2月号の中西輝政論考・九条の呪い・総選挙。

 〇自民党幹事長・石原伸晃は1/03に「1月の通常国会の冒頭に解散すれば1カ月で政治空白は済む」と発言したらしい。今月解散説だ。今月でなくとも、今年中の解散・総選挙の主張や予測は多くなっている。
 にもかかわらず、産経新聞も含めて、「(すみやかに)解散・総選挙を」と社説で主張する新聞は(おそらく地方紙を含めても)ない。のんびりとした、何やらややこしく書いていても<あっち向いてホイ>的な社説が多い。
 朝日新聞は総選挙を経ない鳩山由紀夫退陣・民主党新政権発足(「たらし回し」)に反対していたが、近い時期に総選挙をとはいちおう社説で書いていた(2010年6月頃)。朝日新聞がお好きな「民主主義」あるいは「民意」からすると、「民意」=総選挙によって正当化されていない野田・民主党内閣も奇態の内閣のはずであり、今年冒頭の社説では<すみやかに解散・総選挙をして民意を問え>という堂々とした社説が発表されていても不思議ではないのだが、この新聞社のご都合主義または(自分が書いたことについての)健忘主義は著しく、そのような趣旨は微塵も示されていない。
 マスメディア、大手新聞もまたそこそこの<既得>の状況に安住していて、本音では(産経新聞も?)<変化>を求めていないのかもしれない。

 〇月刊WiLL2月号(ワック)の中西輝政論考の紹介の続き。
 ・日本「国家の破局」の到来が危惧される3つめの理由は、「
政党構造が融解し、国内政治がまったく機能していないこと」だ。「保守」標榜の自民党も「見るに堪えない状況」で、「大きな政界再編の流れ」は全く見られない。官僚も企業も同じ。今年に解散・総選挙がなければ、日本は今年の「世界変動」に乗り遅れるだろう。ロシア大統領、台湾総統のほか韓国大統領選挙もあるが、新北朝鮮派(野党・韓国「民主党」)が勝利すれば、38度線が対馬海峡まで下がってくるような切迫した状況になる。そして、日本は「親北」民主党政権なのだ。日本には「冷戦終局後かつてない危機が、さらに明確な形で目前にまで迫っている」(p.40-42)。
 ・だが、全くの悲観論に与しない端的な理由は、<欧州も中国ももはや一つであり続けられない>のが、2020年代の大きな流れだからだ。EUは崩壊するだろう。中国でもバブルが崩壊し「社会体制」も崩れて「国家体制」を保てなくなるだろう(p.42-43)。
 ・かかる崩壊は「民主主義と市場経済の破綻」=「アメリカ的なるもの」の終焉にも対応する。アメリカ型市場経済は臨界点を超えると「激発的な自己破壊作用」に陥る。「物質欲、金銭欲の過剰」は「市場経済のシステム自体」を壊す。「個人が強烈な物質主義によって道徳的に大きく劣化し、『腐敗した個人主義』に走り」、「自らの欲望」だけを「政治の場」にも求める結果として、「民主主義そのものがもはや機能しなくなっている(p.43-44)。

 ・①「過剰な金銭欲」と②「腐敗した個人主義」という「現代文明の自己崩壊現象」が露呈している。「アメリカ由来の市場経済も民主主義も、長くは機能しない」。「アメリカ化」している日本に、むろんこれらは妥当する。この二つが日本を壊すだろうと言い続けてきたが、不幸にも現実になった。だが、これは「アメリカ一極支配の終焉」でもある(p.44)。
 ・「グローバル」化・「ボーダーレス」・「国家の退場」・「地球市民社会」などの「未来イメージ」は結局は「幻想」だった。アメリカ一極支配後の核心テーマは、「国家の再浮上」だ。この時こそ、「一国家で一文明」の日本が立ち上がるべきで、その状況まで日本国家が持続できていれば、「日本の世紀」になる。これが「短期の悲観」の先の「長期の楽観」の根拠だ(p.45)。
 ・「固有の文明」をもつ日本は有利だ。だが、「民主主義を荒廃」させる「腐敗した個人主義」の阻止が絶対条件だ。日本文明の再活性化・国民意識の回復のためには、「国家の刷新、とりわけ憲法改正が不可欠」だ。とくに憲法九条の改正。「すべてを、この一点に集中させる時が来ている」(p.45-46)。
 ・アメリカ「従属」、歴史問題・領土問題・財政問題・教育問題などはすべて、「九条の呪い」に発している。憲法改正に「保守」は正面から立ち向かうべきだ。今の危機を乗り越えれば、「日本の時代」としての2020年代が待っている(p.46-47)。
 以上。
 アメリカ的市場経済に批判的なところもあり、ある程度は佐伯啓思に類似した論調も見られる。
 「腐敗した個人主義」という形容または表現は面白い。利用?したくなる。
 おおむね賛同できるが、「九条の呪い」という表現や叙述は、朝日新聞の若宮啓文等々の「左翼」護憲論者、樋口陽一等々の大多数の憲法学者はとても納得できない、いや、理解できないに違いない。

 最終的には条件つきの楽観視で中西輝政はまとめているが、はたしてこのように楽観視できるだろうか? そのための「絶対条件」は達成できるだろうか? はなはだ心もとない。

 中西輝政は真意を隠してでも多少は煽動的に書く必要もある旨を述べていたことがある(この欄でかつて紹介した)。従って、条件つきの楽観視も、要するに「期待」・「願望」にすぎないのだろう、とは言える。だが、微かな希望でも存在しうると指摘されると、少しは精神衛生にはよいものだ。

1019/西尾幹二による樋口陽一批判②。

 前回のつづき。西尾幹二は、「ルソー=ジャコバン型モデルの意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が重要」という部分を含む樋口陽一の文章を20行近く引用したあと次のように批判する。
 ・「まずフランスを上位に据えて、ドイツ、日本の順に上から序列づける図式的思考の典型例」が認められる。「後進国」ドイツ・日本の「劣等感」に根拠があるかのようだった「革命待望の時代にだけ有効な立論」だ。革命は社会の進歩に逆行するという実例は、ロシア・中国で繰り返されたのだ(p.73-74)。
 ・中間団体・共同体を破壊して「個人を…裸の無防備の状態」にしたのが革命の成果だと樋口陽一は考えているが、中間団体・共同体の中には教会も含まれる。そして、王制だけではなく「カトリック教会」をも敵視した「ルソー=ジャコバン型」国家は西欧での「一般的な歴史展開」ではなく、フランスに「独自の展開、一つの特殊で、例外的な現象」だ。イエ・家族を中間団体として敵視するフランス的近代立憲主義は「日本の伝統文化と…不一致」だ(p.74-75)。
 ・日本では「現に樋口陽一氏のようなフランス一辺倒の硬直した頭脳が、国の大元をなす憲法学の中心に座を占め、若い人を動かしつづけている」。「樋口氏の弟子たちが裁判官になり、法制局に入り、…などなどと考えると、…背筋が寒くなる思いがする」(p.75)。
 ・オウム真理教の出現した戦後50年めの椿事は、「『個人』だの『自由』だのに対し無警戒だった戦後文化の行き着いた到達点」で、「解放」を過激に求めつづけた「進歩的憲法学者に煽動の責任がまったくなかったとは言いきれまい」。「解放と自由」は異なる。何ものかへの「帰依」なくして「自我」は成立せず、「信従」なくして「個性」も芽生えない。「共同体」をいっさい壊せば、人間は「贋物の共同体に支配される」(p.75)。
 ・「樋口氏の著作」を読んでいると、「社会を徹底的に『個人』に分解し、アトム化し、その意志をどこまでも追求していく結果、従来の価値規範や秩序と矛盾対立の関係が生じた場合に、『個人』の意志に抑制を求めるのではなく、逆に従来の価値規範や秩序の側に変革を求めるという方向性」が明確だ。「分解され、アトムと化した『個人』の意志をどこまでも絶対視する」結果、「『個人』はさらに分解され、ばらばらのエゴの不毛な集積体と化する」(p.75-76)。
 ・「『個人』の無限の解放は一転して全体主義に変わりかねない。それが現代である。ロベスピエールは現代ではスターリンになる可能性の方が高い」。実際とは異なり「概念操作だけはフランス的で…『個人』を無理やり演出させられていく」ならば、東北アジア人としての「実際の生き方の後ろめたさが陰にこもり、実際が正しければ正しいほど矛盾が大きくなる」、というのが日本の現実のようだ(p.76)。
 以上。法学部出身者または法学者ではない<保守>論客が、特定の「進歩的」憲法学者の議論(の一部)を正面から批判した、珍しいと思われる例として、紹介した。  樋口陽一らの説く「個人主義」こそが、個々の日本人を「ばらばらのエゴの不毛な集積体」にしつつある(またはほんどそうなっている)のではないか。
 本来は、このような批判的分析・検討は、樋口陽一に対してのみならず、古くは宮沢俊義や、新しくは辻村みよ子・浦部法穂や長谷部恭男らの憲法学者の議論・主張に対して、八木秀次・西修・百地章らの憲法学者によってこそ詳細になされるべきものだ。  「国の大元をなす憲法学の中心」が<左翼>によって占められ続けているという現実を(そしてむろんその影響はたんに憲法アカデミズム内に限られはしないことを)、そして有効かつ適切な対抗が十分にはできていないことを、少数派に属する<保守>は深刻に受けとめなければならない。

1018/西尾幹二による樋口陽一批判①。

 一 フランス革命やフランス1793年憲法(・ロベスピエール)、さらにはルソーについてはすでに何度か触れた。また、フランスの「ルソー=ジャコバン主義」を称揚して「一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」(自由と国家p.170)とまで主張する樋口陽一(前東京大学・憲法学)の著書を複数読んで、2008年に、この欄で批判的にとり上げたこともある。以下は、その一部だ。
 ・「憲法学者・樋口陽一はデマゴーグ・たぶんその1」
 ・「樋口陽一のデマ2+……」

 ・「憲法デマゴーグ・樋口陽一-その3・個人主義と『家族解体』論」
 ・「樋口陽一のデマ4-『社会主義』は『必要不可欠の貢献』をした」
 ・「憲法学者・樋口陽一の究極のデマ-その6・思想としての『個人』・『個人主義』・『個人の自由』」
 二 西尾幹二全集が今秋から刊行されるらしい。たぶん全巻購入するだろう。
 西尾『皇太子さまへのご忠言』以外はできるだけ西尾の本を購入していたが、西尾幹二『自由の恐怖―宗教から全体主義へ』(文藝春秋、1995)は今年になってから入手した。
 上の本のⅠの二つ目の論考(初出、諸君!1995年10月号)の中に、ほぼ7頁にわたって、樋口陽一批判があることに気づいた(既読だったとすれば、思い出した)。西尾は樋口陽一の『自由と国家』・『憲法』・『近代国民国家の憲法構造』を明記したうえで、以下のように批判している。ほとんど全く異論のないものだ。以下、要約的引用。
 ・「善かれ悪しかれ日本は西欧化されていて、国の基本をきめる憲法は…西欧産、というより西欧のなにかの模造品」だ。法学部学生は「西欧の法学を理想として学んだ教授に学んで、…日本人の生き方の西欧に照らしての不足や欠陥を今でもしきりに教えこまれている。……西欧人に比べて日本人の『個』はまだ不十分で…たち遅れている、といった三十年前に死滅したはずの進歩派の童話を繰り返し、繰り返しリフレインのように耳に注ぎこまれている」(p.70)。
 ・「例えば憲法学者樋口陽一氏にみられる…偏光レンズが『信教の自由』の憲法解釈…などに影響を及ぼすことなしとしないと予想し、私は憂慮する」(同上)。
 ・「樋口氏の文章は難解で読みにくく…符丁や隠語を散りばめた閉鎖的世界で、いくつかの未証明の独断のうえに成り立っている。それでも私は……など〔上記3著-秋月〕、氏の著作を理解しよう」とし、「いくつかの独断の存在に気がついた」(p.71)。
 ・「『日本はまだ市民革命が済んでいない』がその一つ」だ。樋口によると、「日本では『個人』がまだ十分に析出されていない」。「近代立憲主義を確立していくうえで、日本は『個人』の成立を阻むイエとか小家族とか会社とか…があって、今日でもまだ立ち遅れの著しい第一段階にある」。一方、「フランス革命が切り拓いたジャコバン主義的観念は『個人』の成立を妨げるあらゆる中間団体・共同体を否定して、個人と国家の二極のみから成る『ルソー=ジャコバン型』国家を生み出す基礎となった」。近代立憲主義の前提にはかかる「徹底した個人主義」があり、それを革命が示した点に「近代史における『フランスの典型性』」がある。―というようなことを大筋で述べているが、「もとよりこれも未証明の独断である。というより、マルクス主義の退潮以後すっかり信憑性を失った革命観の一つだと思う」(同上)。
 ・フランス本国で「ルソー=ジャコバン型」国家なる概念をどの程度フランス人が理想としているか、「私にははなはだ疑わしい」。「ジャコバン党は敬愛されていない。ロベスピエールの子孫の一族が一族の名を隠して生きたという国だ」。ロベスピエールはスターリンの「先駆」だとする歴史学説も「あると聞く」。それに「市民革命」経ずして「個人」析出不能だとすれば、「革命」を経た数カ国以外に永遠に「個人」が析出される国は出ないだろう。「樋口氏の期待するような革命は二度と起こらないからである」。「市民革命を夢みる時代は終わったのだ」(p.71-72)。
 ・樋口陽一の専門的議論に付き合うつもりはない。だが、「どんな専門的文章にも素人が読んで直覚的に分ることがある。氏の立論は…今述べた二、三の独断のうえに成り立っていて」、その前提を信頼しないで取り払ってしまえば、「立論全体が総崩れになるような性格のもの」だ(p.72)。
 ・樋口陽一「氏を支えているのは学問ではなく、フランス革命に対する単なる信仰である」(同上)。
 まだあるが、長くなったので、別の回に続ける。  

0965/遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)における三島・福田対談。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(下)(麗澤大学出版会、2010.04)p.264~は、持丸博=佐藤松男の対談著(文藝春秋、2010.10)が「たった一度の対決」としていた福田恆存=三島由紀夫の対談「文武両道と死の哲学」にも言及している。こちらの方が、内容は濃いと思われるにもかかわらず、すんなりと読める。
 遠藤浩一著の概要をメモしておく。
 「生を充実させる」前提の「死を引きうける覚悟」、「死の衝動が充たされる国家」の再建という編集部の企図・問題意識を福田・三島は共有していると思われたが、二人は①「例えば高坂正堯や永井陽之助あたりの現実肯定主義」 、②「現行憲法」には批判的または懐疑的・否定的という点では同じだったにもかかわらず、福田が現憲法無効化を含む「現状変革」は「結局、力でどうにもなる」と「ドライかつラジカルな現実主義」を突き付けるのに対して、三島は「どういうわけか厳密な法律論」を振りかざす。

 三島は「クーデターを正当ならしめる法的規制がない」、大日本帝国憲法には「法律以上の実体」、「国体」・「社会秩序」等の「独特なもの」がひっついていたために(正当性・正統性を付与する根拠が)あった、という。福田は「法律なんてものは力でどうにでもなる」ことを「今日の新憲法成立」は示しているとするが、三島はクーデターによって「帝国憲法」に戻し、また「改訂」すると言ったって「民衆がついてくるわけない」と反論する。福田はさらに「民衆はどうにでもなるし、法律にたいしてそんな厳格な気持をもっていない」と反応する(この段落の「」引用は、遠藤も引用する座談会からの直接引用)。

 なるほど「力」を万能視するかのような福田と法的正当性を求める三島の問答は「まったく嚙み合っていない」。にもかかわらず、(遠藤浩一によると)「きわめて重要なこと」、すなわち両人の「考え方の基本――現実主義と反現実主義の核心」が示されている。
 現憲法は「力」で制定されたのだから別の「力」で元に戻せばよいとするのが福田の現実主義と反現実肯定主義だ。天皇を無視してはおらず、「法」を超越したところに天皇は在る、「憲法は変わったって、天皇は天皇じゃないか」と見る。
 一方で三島が拘泥するのは「錦の御旗」=正統性であり、正統性なきクーデターが「天皇の存立基盤を脅かす」ことを怖れる。

 福田の対「民衆」観は「現実的で、醒めている」が、三島にとっての「秩序の源泉」は「力」にではなく「天皇」にある。ここに三島の「現実主義と反現実肯定主義」があった。

 このような両者の違いを指摘し、「対決」させるだけで、はたして今日、いかほどの建設的な意味があるのか、とも感じられる。しかし、遠藤浩一は二人は「同じところに立っているようでいて、その見方は決して交わることがない」としつつ、「現実肯定主義への疑問においては完全に重なり合う」、とここでの部分をまとていることに注目しておきたい。三島が「それは全く同感だな」、「そうなんだ」とも発言している二人の若干のやりとりを直接に引用したあと、遠藤は次のように自分の文章で書く。

 福田恆存の「理想に殉じて死ぬのも人間の本能だ」との指摘は三島由紀夫の示した「死への衝動」に通じる。「理想に殉じて死ぬ」のは人間だけの本能だというまっとうな「人間観」に照らすと、「戦後の日本人がいかに非人間的な生き方をしてきたか」と愕然となる。戦後日本人は「現実肯定主義という観念を弄び、あるいはそれに弄ばれつつ、もっぱら生の衝動を満たすことに余念がない」。/「現実肯定主義は個人の生の衝動の阻害要因ともなりうる。生命至上主義に立つ戦後日本人の生というものがどこか浮き足立っていて、『公』を指向していないことはもちろんのこと、『私』も本質的なところで満足させていないのは、福田が言う『人間だけがもつ本能』を無視し、拒絶しているからである。私たちは自分のためだけに、自分の生をまっとうするためだけに生きているようでいて、その実、それさえ満足させていない、それは『私』の中に、守るべき何者も見出せていないからである」(p.269)。

 なかなか見事な文章であり、見事な指摘ではないか。樋口陽一らの代表的憲法学者が現憲法上最高の価値・原理だとして強調する「個人(主義)」、「個人の(尊厳の)尊重」に対する、立派な(かつ相当に皮肉の効いた)反論にもなっているようにも読める。

 なお、このあと「官僚」にかかわる福田・三島のやりとりとそれに関連する遠藤の叙述もあるが省略。また、歴史的かな遣いは新かな遣いに改めた。

 遠藤浩一は、上の部分を含む章を次の文章で結んでいる。

 「三島由紀夫は…『日本』に殉じて自決した。少なくとも彼だけは『死の哲学』を再建したのである」(p.275)。

 以上に言及した部分だけでも、持丸=佐藤の対談著よりは面白い。

 だが、遠藤浩一の著全体を見ると、引用・メモしたいところは多数あり、今回の上の部分などは優先順位はかなり低い。

 櫻井よしこは、どこかの雑誌・週刊誌のコラムで、遠藤浩一の上掲書を「抜群に面白い」と評しているだろうか。
 追記-「生命尊重第一主義」批判・「死への衝動」に関連する、三島由紀夫1970.11.25<檄>の一部。

 「生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか」。

0912/中西輝政・ウェッジ2010年10月号を読む①。

 WEDGE(ウェッジ)2010年10月号。佐伯啓思の連載の他に、中西輝政「保守結集で政党の宿痾と決別せよ」がある。なかなか<豪華>だ。

 中西輝政はタイトルに即しては、「自立した安全保障政策、経済成長戦略を前面に掲げた保守勢力」による「政界の大再編、保守新党の結成」に「賭ける」しか日本に残された可能性はない、と述べる(p.31)。政界再編への期待は数年前からとくに中西において目立った主張だが、その「再編」への道筋や戦略についての具体的な提言や展望は、この論稿でも示されていない、というのが残念なところだ。中西輝政が期待?しているようには、民主党も自民党も分裂する気配がない…。

 私の印象に残った中西の叙述に以下がある。-「平成日本のように、……にもかかわらず、モラル、責任感、国家意識が大きく劣化した国は、世界の歴史でも珍しい」。その大きな「背景には」、①政治家や官僚のみならず、「物質的な豊かさにのみ国民の価値観が固定されてしまったこと」、②「団塊の世代以降の、学校教育に起因するアナーキーな『民主主義』意識」がある(p.30)。

 それぞれに深い意味があり、諸問題と連関していると思われる。大意に異論はない。

 別の機会でも触れたいが、三島由紀夫が1970年に剔抉していたように、<昭和元禄>などと称して浮かれていた頃からすでに、日本は<腐って>いっていた、のだと考えている。上の表現を借りれば、むろん<大勢として>はとか<基本的には>とかの限定を付すべきだろうが、「物質的な豊かさにのみ国民の価値観が固定されてしまった」のだ。反面としての「精神的な豊かさ」を日本国民は追求しなかったし、むしろそのようなものを蔑視したのではないのではないか、とすら思われる。

 自分と自分の家族(しかも兄弟姉妹・両親とは無関係の、自分・配偶者と子どもだけ)が物質的な面で快適に生活してゆけさえすれば、日本国家(・その将来)も東アジアの軍事情勢等も<関係がない>、というのが大方の国民の意識だったのではないか。

 そこにはむろん、日本国憲法が標榜する<個人主義>(とそれに付随した男女対等主義)が伴っており、「国家」・「公共」への関心や意識はまっとうには形成されなかった。むろん直接には日本列島が「戦場」にならず、これまた日本国憲法が標榜する<平和主義>をおおまかに信じておればよかった、という事情も加わる(<平和ボケ>だ)。

 上は中西のいう①からの連想だが、②にも関連する。日本国憲法の標榜する<自由主義>のもとで、見事に<価値相対主義>が日本で花開いた、と思われる。つまり、絶対的な「価値」、あるいは相対的にでもましな「価値」を否定し、何をしようと、何を考えようと<個人の自由だ、勝手だ>という意識が蔓延した、それは現在も強いままで継続している、と思われる。ちなみに、支持はしないが安易に共産主義政党=日本共産党の存在・存続を<寛大に>認めてしまっていることもまた、<何でもアリ>の戦後の国民意識と無関係ではない。

 中西のいう<アナーキーな民主主義>とはむつかしい概念だが、佐伯啓思も近年の本で論及しているらしい、<ニヒリズム>にも近いだろう。日本人は、<信じることができる>何ものかを喪失しまっているのだ。

 憲法学者・樋口陽一が大好きな、現憲法の最大のツボ(最も重要な条項)らしい<個人の尊重>(個人の尊厳。13条)を利用して何をするか、どのように諸個人が生きるかは<個人の尊重>からは何も解らない。諸<自由>が保障されても、その<自由>を使って何をするか、どのように生きるかは<自由主義>からは何も分からない。同じく、<民主主義>も手段にすぎず、追求すべき実体的「価値」を民主主義が示している筈がないのだ。そしてまた重要なことは、<民主主義>的に決定されたことが(いかに「真の民主主義」などと呼号しようと)最も<正しい・適切な・合理的な>ものである保障は何一つないのだ。

 かくして日本国民とその<世論>は浮遊している。

 この辺りについては、今後も何度も書くだろう。

 中西輝政は言う-「日本の世論の問題点」の背景には「日本人全体に関わる問題があり」、それは「現在の政治」の「これほどの惨状」と「全く無関係ではない」(p.30)。
 このような文章を読んでも何も感じず、能天気に、<まだ1年少し経っただけだ、民主党に任せておけば、「古い」自民党とは違う「新しい」政治をしてくれるだろう>と漫然と夢想している国民がまだ過半ほどはいるのだろう。「国民を超える政治はない」(p.30)。大新聞とテレビだけでしか世の中・政治・国際環境を知らない、知ろうとしない国民が、国家を<溶解>させていっている。

0894/<日本>はその美しい自然と四季とともに残り続けるだろうか。

 1970年11月の自裁の際の三島由紀夫の檄文に書かれた日本の近未来の予測文章はよく知られている。
 西尾幹二は1996年に次のように書いたらしい(初出、サンサーラ1996年12月号)。
 「このままいけばおそらく日本は、……いぜんとしてアジアでもっと生活レベルは高く、ハイテク文明に彩られてはいるが、国家意志といったものをもったく持たない国、刹那的な個人主義だけが限りなく跋扈する虚栄の市場としての国になり果てるであろう。…―というような悪夢を心の中で抱くこと久しい。そうなっては困るのだが、しかし、そうなるのではないか、いや間違いなく相違ないという胸騒ぎのような心理を、私はここ数年、ずっと持ちつづけてきたのである」。
 「いぜんとしてアジアでもっと生活レベルは高く、ハイテク文明に彩られてはいる」のか否か、2010年の時点での将来予測としては疑問符もつくが、上のような懸念と「悪夢」はほとんど現実化してしまっているのではないか。
 西尾幹二の書くもの、それで解る西尾の考え方等を全面的に支持しはしないが、この人の時代感覚も(三島由紀夫と同様に?)鋭いと言えるかもしれない。
 私は近年、次のような「悪夢」を抱く、あるいは将来の日本列島の<惨状>を恐怖感とともに思い描くことがある。
 日本の山岳と田畑と海岸の美しい風景はまだ残っている。だが、かつてはどこでも見られたものが無くなってしまっている。
 神社のすべてが、大から小まで物理的に破壊され、消失した(神官・宮司等は当然に職を失った)。路傍の地蔵像や祠などもすべて無くなった。寺院も文化財としてのごく一部の有名(・観光)寺院の建造物を除いてすべて破壊され、消失した。京都・奈良・飛鳥のみならず、日本列島のすべての地域で、<かつての日本>的な神社仏閣は破壊された、無くなった。伊勢神宮も例外ではない。明治神宮も橿原神宮も熱田神宮等々も同じ。
 その時代には、当然に<天皇制度>は廃止され、<皇室>なるものはもはやない。日本国家・日本政府というものももはやない。某国の一州か自治領のようなものになっている。かりに日本「国家」が残っていても、某国との間に主たる仮想敵国をアメリカ合衆国とする安保条約が締結され、日本列島人も徴兵される軍隊の指揮権は当然に某国「人民軍」総司令官にある。
 その某国政府の命令または「勧告」だが実質的には強い要請にもとづいて、日本列島人は自らの手で、神社仏閣のほとんど(一部の遺跡扱いの寺院を除く)を壊したのだった。
 その時代、日本列島人は「何語」を話しているだろうか?。
 これが、立ち入らないが、平川祐弘・日本語は生き延びるか(河出ブックス、2010)の冒頭にある、戦慄を伴う問題設定だ。
 美しい列島、美しい四季は残り続けるかもしれない。だが、<鎮守の杜>が全てなくなって、路傍の祠がいっさいなくなって、さらには日本語が話されなくなるか、正規の言語ではない「方言」の一種と見なされるようになって、いったいどこに<日本>が残っているのだろうか。顔つきだけはかつての「日本人」によく似た日本列島人は残っているとしても。
 西尾幹二は冒頭引用の文章を含む論考を、「私は自分の未来を諦める気にはなれない。自分と自分の国の歴史を見捨てる気にはなれないのだ」、と結んでいる。
 1935年生まれで私よりも10歳余年上の西尾がこう書いているくらいだから「諦め」てはいけないだろう。だが、本音をいえば、西尾の上の言葉よりは私はペシミステイック(悲観的)だ。
 他国によるイデオロギー支配を伴う占領と、その時代に生み出された実質は他国産の1947年憲法がもつ「価値観」にもとづく教育、そして当該「価値観」の実質的な(<時流>としての)押しつけ(「憲法」教育を含む)の影響を拭い去ることは、もはやほとんど不可能なのではないか。
 週刊金曜日5/01号で憲法学者らしき斎藤笑美子(茨城大学)は、皇族の「市民」的平等を確保するには<天皇制廃止>か<皇族離脱の自由の承認>しかないとの自説を述べていた。
 週刊金曜日6/04号の日米安保特集には憲法学者・早稲田大学教授の水島朝穂が(相変わらず?執拗にも)「重大なのは日本が『攻める』危険性」と題する文章を載せている。
 現在書店に並んでいる週刊金曜日には、上杉某が、憲法改正手続法を利用して<天皇制廃止>のための改憲論を展開すべしとの文章を書いている筈だ。
 <天皇制廃止>のための憲法改正を<保守>派は断固阻止しなければならない。世論動向に応じて、日本共産党や社会民主党はこの問題を積極的に提起する可能性はあり、これまた世論を見極めつつ、朝日新聞は<天皇制廃止>の方向に誘導する可能性もある(もっとも、すでにそれは目立たないかたちで実施に移されていると観るのが正確だろう)。
 <ナショナルなもの>の忌避・否定は日本<国家>への反感・怨念にも由来する。日本<国家>と<天皇制度>はもともと不可分のものと考えられる。
 <天皇制度>の維持と雅子妃殿下うんぬんの議論とどちらが大切かは語るまでもない。
 日本<国家>と<天皇制度>を否定しようとし、そして<宗教>意識は自分にはないと考えているのが多数派と見られる日本人の意識を利用して<反神社(・神道)・反寺院(・日本的仏教)>の立場へも誘導しようとするだろう、「左翼」言論人等の活動家たちの策略・大きな顔をしての言動を弱体化させなければならない。
 そうしないと、上に書いたような私の「悪夢」は正夢に、つまり近い将来の現実になってしまうのではないか。
 6/04、西尾幹二・日本をここまで壊したのは誰か(草思社、2010.06)のうち、第一部の「江沢民とビル・クリントンの対日攻撃…」(上に引用はこれの一部)、「トヨタ・バッシングの教訓」、「外国人地方参政権・世界全図」、第三部の「講演/GHQの思想的犯罪」、「『経済大国』といわれなくなったことについて」を読了。
 残りのほとんどは「激論ムック」か月刊正論で既読のような気がするが、あらためて読むかもしれない。

0884/「女は母親になるべきだ」は「保守的」な考え方か。

 産経新聞5/13の社会部「風」欄(テーマ「女の生き方」の一つらしい)に、次の文章がある。署名は「(佳)」。
 「男性と女性の意見を比べると、総じて男性は『女は母親になるべきだ』という保守的な考えを持っている人が依然として多いと感じさせられた」。
 前後の脈絡にも触れるべきだろうが割愛する。
 上の文章には違和感をもった。週刊金曜日朝日新聞
あたりに書かれてあると注目もしなかったかもしれないが、諸新聞の中で「保守的」とされる産経新聞紙上だからこそおやっと思った、とも言える。
 第一。上では、「保守的(な考え)」とは、消極的あるいは悪い意味で用いられていることが明らかだ。これを書いた記者(女性?)は明らかに、戦後「進歩」教育の影響を受けて、「進歩」的=善(または新しい、積極的に評価される)、「保守」的=悪(または古くさい、消極的に評価される)という考え方および言葉の用い方を採用している。
 産経新聞もまた、<戦後体制>の中で生きていること、その中で育った<戦後教育>の体現者たる少なくない記者たちで構成されている、と感じざるをえない。
 第二。「女は母親になるべきだ」という考えは(「保守的」と表現するかどうかはともかくとしても)消極的に評価されるものなのか。私には異論がある。
 「女は母親になるべき」か否か、という問題設定自体が奇妙というべきだ。つまり、<女性は、母親となる肉体を、生まれつき用意されている>。これは「べき」か否かという問題ではなく、<自然>の叙述だ。
 むろん、先天的または後天的に受胎・妊娠・出産できない女性もいるだろうことを否定はしない。だが割合的に見て多くの女性は、受胎・妊娠・出産をして「母親」になれるはずだ。
 いったい何のために女性には排卵があり、肉体の中に子宮があるのか。自然は(あるいは「神」は?)、母親となる性として、女性を造形しているのだと思われる。
 「女は母親になるべき」か否かなどと問題設定すること自体が、<自然>に反している。理屈ではない、理屈を超えた<自然>そのものだ。
 新しい生命を孕み産み出せる肉体をもつ(=母親になれる)のは女性に限られる。その崇高な役割を、「個人主義」や男女「平等・対等」主義や「生殖に関する自己決定権(リプロダクティブ・ライツ)」論、総じて<左翼>フェミニズムは忘れさせようとし、そして<少子化>は進む。
 むろん出産・子育て等にかかわる<社会的>等の障壁がありうることを否定はしない。
 だが、再び書いておく。いったい何のために女性には排卵があり、肉体の中に子宮があるのか。自然は母親となる性として女性を造形している。「女は母親になるべき」か否かなどと問題設定すること自体が、<自然>に反している。理屈ではない、理屈を超えた<自然>そのものだ。

0815/家族間の殺人の増大-戦後日本<個人主義>の行き着くところ。

 「亀井静香金融・郵政改革担当相は5日、東京都内の講演で「日本で家族間の殺人事件が増えているのは(企業が)人間を人間として扱わなくなったためだ」と述べた。その上で日本経団連御手洗冨士夫会長と会談した際に「そのことに責任を感じないとだめだ」と言ったというエピソードを披露し、経団連を批判した」。以上、MSN産経ニュース。
 亀井の認識は誤っている。

 「日本で家族間の殺人事件が増えている」とすれば、それは第一に、日本国憲法が「家族」に関する規定を持たないことにもよる、<家族>よりも<個人>を大切にする、戦後日本的<個人主義>の蔓延によるところが大きい。
 第二に、もともと<家族>を呪い、解体を目指す<左翼>(容共)勢力が幅をきかし、現在でも根強く残っていることにある。マルクス主義者にとって、国家・私有財産とともに<家族>なるものもいずれ消滅すべきものなのだ(エンゲルス「家族、私有財産および国家の起源」参照)。
 この考え方は、(マルクス主義的)フェミニズムに強く刻印されており、そのような考え方の持ち主が閣僚になってしまっている、という怖ろしい現実も目の前にある。<個人>、とくに<女性>こそが<家族・家庭>のために差別(・「搾取」)されてきた、と彼ら(彼女ら)は考える。
 上の二つは重なり合う。要するに、<個人>が<家族・家庭>のために犠牲になってはならず、各<個人>は<家族・家庭>の中で<対等・平等>だという一種のイデオロギーが、今日の日本にかなり深く浸透している。
 このような意識状況において、親の<権威>を子どもが意識するはずもない。親は<権威>を持とうともせず、<友だち>のような、子どもを<理解してあげる>親がよい親だと勘違いしている。
 子どもが親等の<目上>の者をそのためだけで<尊敬する>わけがない。
 こんな状況においては、<家族>であっても、<個人>に辛くあたったり、自分<個人>の利益にならない者は、血縁に関係なく、容易に殺人の対象になりうる。
 以上は主として子どもによる親殺し・祖父母殺しについて書いた。逆の場合も同様なことが言える。
 <子育て>が愉しくなく、自分<個人>が犠牲になっている、と感じる女性は昔より多いはずだ。
 女性の中には、自分が産んだ子どもが、自分の睡眠時間と体力を奪ったり、自分の若さを奪っていると感じて邪魔に感じたり、あるいは他の子どもと比較して何らかの点で劣っているのではないかと感じることによって他の母親との関係での自分<個人>のプライドが傷つけられている、と感じたりする者たちもいる。
 似たようなことは父親にもあるかもしれないが、母親の方に多いだろう。
 このような親たちを生んでしまった戦後日本社会とは何だったのか。<個人の尊厳>が第一、と憲法学者さまたちが説き、それを<左翼>的教師たちが小学校・中学校・高校で教育実践している間に、<家族・家庭>(・地域・国家)よりも、いびつに肥大化した自己を大切にする<個人主義>の社会になってしまった。
 ついでに。内容につき言及したことはないが、関連文献として、林道義・母性崩壊(PHP、1999)がある。じつに衝撃的な本だ。
 亀井静香はこの本でも読んで、経団連・御手洗などにではなく、閣僚仲間の福島瑞穂や千葉景子に対してクレームをつけてみてはどうか。

0735/ハイエク・隷属への道(1944)の1971年独語版へのM・フリードマンの「序文」。

 フリートリヒ・A・ハイエク・隷属への道〔西山千明・訳〕(春秋社、2008.12新版、全集I別巻。原著は1944年刊)の最初にある、ミルトン・フリードマンの「序文」の中には、興味深い文章がある。これは同書1994年版(英文)への序文で、その中に1971年版(独文)への序文も含めている。以下、適当に抜粋。なお、近年の経済政策に関する「新自由主義」うんぬんの議論とは直接には無関係に関心を持ったので、とり上げる。
 ハイエクと同様に「集産主義」(collectivism)という語を用いているが、これは、社会主義(・共産主義)とナチズム(ファシズム)の他に、自由主義(資本主義)の枠内での<計画経済>志向主義も含むもののようだ。
 1(1971年版)・「個人主義」者に対して「集産主義」からどうして離脱したかを訊ねてきたが、ハイエク著・隷属への道のおかげだ、としばしば答えられた。
 ・ハイエクは「集産主義」者の特有な用語を進んで用いたが、それらは読者が慣れ親しんだものだったので、親近感を与えた。
 ・「集産主義」者の誤った主張は今日でもなされ、増加しさえしているが、直接的争点はかつてと異なり、特殊な用語の意味も異なってきている。
 例えば、「中央集権的計画」・「使用のための生産」・「意図的な管理」はほとんど耳にしない。代わっての論争点は、「都市の危機」、「環境の危機」、「消費者の危機」、「福祉ないし貧困の危機」だ。
 ・かつてと同じく、「個人主義」的諸価値も公言され、これと結びついて「集産主義」の推進が主張されている。「既存の権力組織に対する広範な異議申立て」がなされ、「参加的民主主義」のため、「各個人の個人的ライフスタイル」に沿って「各個人が思い通りする」自由への「広範な要求」が社会に出現している。「集産主義」は後退し、「個人主義」の波が再び高まっていると誤解しそうだ。
 ・しかし、ハイエクが説明したように、「個人主義的な諸価値が樹立されるためには、個人主義的な社会をまずもって築かなければならない」。この社会は「自由主義的秩序」のもとでのみ建設可能だ。そこでは、「政府の活動は…、自由に活動して良い枠組みを限定することに主として限られる」。なぜなら、「自由市場」こそが真に「参加的民主主義」を達成するための「唯一のメカニズム」だから。
 ・「個人主義的な諸目的」の大半を支持する多くの者たちが、「集産主義的手段」によることを支持しているのは、「大きな誤解」だ。「善良な人々」が権力を行使すれば全てうまくいくと信じるのは「心をそそる考え方」だが、「邪悪を生み出すのは権力の座にある『善い』人々」だ。これを理解するためには感情を理性的機能力に従属させねばならない。そうすれば、「集産主義がその実際の歴史において暴政と貧困しか生みだしてこなかった」にもかかわらず「個人主義よりも優れている」と広く考えられている「謎」も解き明かされる。「集産主義のためのどんな議論も、虚偽をこねまわした主義でなければ、きわめて単純な主張でしかない。…それは直接に感情に対して訴えるだけの議論でしかない」。
 ・「個人主義」と「集産主義」の闘いのうち、<現実の>世界では、「集産主義の徴候」は「ほんの少しばかり」だった。英・仏・米では「国による活動拡大の動き」はさほど伸びなかった。
 その要因は第一に、「中央集権的計画に対する個人主義による闘争」(ハイエクのテーマ)が明白になったこと、第二に、「集産主義」が「官僚主義的混乱とその非効率性という泥沼」にはまり込んだこと、だった。
 ・しかるに、「政府のさらなる拡大」は阻止されず、「異なった経路へと向けて転換」され、促進された。「直接に生産活動を管理運営する」のではない、「民間の諸企業に対して間接的な規制をする」ことや「所得移転という政策」に変化したのだ。「平等と貧困の根絶」のためとの名目の「社会福祉政策」は原理原則を欠き、諸補助金を「各種の特殊利益グループ」に与えているにすぎず、その結果、「政府部門によって消費される国民所得の割合は、巨大化していくばかり」だ。
 ・「個人主義」と「集産主義」の闘いのうち、<思想の世界>では、「個人主義」者にとって「幾分か劣った」にすぎず、この事態は驚くべきことだ。
 1944年以降の25年間の「現実」はハイエクの「中心的洞察を強く確証してきた」。①人々の諸活動を「中央集権的命令によって相互に整合させながら統合する道」は「隷属への道」・「貧困への道」へ、②「人々自身の自発的な協同によって、相互に調整し総合的に発展させる道」は「豊かさへの道」へと導いた。
 しかし、欧米の「知的風潮」は「自由に関する諸価値が再生する徴候」を短期に示したものの、「自由な企業体制や市場における競争や個人の財産権や限定された政府体制」に「強く敵対する」方向へと再び動き始めた。従って、ハイエクによる知識人の描写は「時代遅れ」ではなく、ハイエク理論は10年程前から「改めて世相に適切な根拠を与える
ものとして鳴り響いている。
 ・「どうして世界のいたるところで、知的階層はほとんど自動的に集産主義の側に味方するのだろうか」。「集産主義」に賛同する際に「個人主義」的スローガンを用いているのに、「どうして、資本主義を罵り、これに対する罵詈雑言をあびせかけているのだろうか」。「どうして、マス・メディアはほとんどすべての国」で、かかる見解に「支配」されているのだろうか。
 ・「集産主義に対する知的支持が増大」という事実はハイエクのこの著が「今日においても、実にふさわしい書」であることを示す。
 ・「自由のための闘いは、いくどでも勝利を重ねなければならない」。「各国の社会主義者たちは、この書によって説得されるか敗北させられなければならない」。さもなければ、われわれは「自由な人間になることができない」。
 <以上で1(1971年版)は終わり。続きは別の回に。>

0659/自由主義・「個人」主義-佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社)から・たぶんその1

 一 <民主主義>とは「国民」又は「人民」の意向・意思に(できるだけ)即して行うという考え方、というだけの意味で(「民主政治」・「民主政」はそのような「政治」というだけのこと)で、「国民」・「人民」の意思の内容・その価値判断を問わない。従って、「国民」・「人民」の意思にもとづいて<悪い>又は<間違った>又は<不合理な>決定が行われることはありえ、そのような「政治」もありうる。民主主義にのっとった決定が最も「正しい」とか「合理的」だとは、全く言えない。
 また、「国民」・「人民」の意思だと僭称するか(各国共産党はこれをしてきたし、しているようだ)、しなくとも実際に多数「国民」・「人民」の支持・承認を受けることによって、ドイツ・ワイマール民主主義のもとでのナチス・ヒトラー独裁のように、民主主義から<独裁>も生じうる。また、民主主義の徹底化を通じた<社会主義・共産主義>への展望も、かつては有力に語られた。
 <民主主義>に幻想を持ちすぎてはいけない。
 <自由>が国家(・および「因習」等)による拘束からの自由を意味するとして、それは重要なことかもしれないが、このような<自由>な個人・人間が目指すべき目標・価値を、あるいは採るべき行動・措置を、何ら指し示すものではない。<自由>を活用して一体何をするか、何を獲得するかは、<自由>それ自体からは何も明らかにならない。
 とくに<経済的自由主義>はコミュニズムに対抗する意味でも重要なことだろうが(むろん「自由」にも幅があるので又は内在的制約があるので、<規律ある自由>とかが近時は強調されることもある)、しかし、「自由主義」に幻想を持ちすぎてもいけない。
 <個人主義>も同様だ。人間が「個人として尊重」されるのはよいし、その個人の「生命、自由及び幸福追求に対する…権利」が尊重されるのもよいが(日本国憲法13条)、「生命、自由及び幸福追求」というだけでは、「自由な」尊重されるべき「個人」が、一体何を目指し、何を獲得すべきか、いかなる行動を執るべきか、いかなる具体的価値を大切にすべきか、等々を語るには、なおも抽象的すぎる。要するに、各個人の「自由な」又は勝手気侭な選択はできるだけ尊重されるべし、というだけのことだ。
 <平等>主義も重要だろうが、これまた具体的<価値>とは無関係だ。適法性を前提としても(法の下の平等)、平等な貧困もあるし、平等に国家的・社会的規制を受けることがあるし、平等に「弾圧・抑圧」されることもありうる。<平等>原理だけでは、特定の<価値>を守り又は獲得する手がかりには全くならない。
 二 というようなことを思いつつ、佐伯啓思のいくつかの本を見ていると、なるほどと感じさせる文章に遭遇する。
 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)の、80年代アメリカ経済学・「グローバリズム」・「新自由主義」批判は省略。
 ①「リベラリズム」(自由主義)の「基礎を組み立てている」のは「消費者」ではなく、しいて名付ければ「市民」だとしたあと(上掲書p.56)、次のように書く。
 ・「市民」はその原語(ブルジョアジー)の定義が示すように何よりも「財産主」であり、「財産主」であることを守るためには「安定した社会秩序」を必要とした。さらに「社会秩序」の維持のためには「公共の事柄に対する義務と責任」を負い、この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」・「日々の経験」・「人々との会話」・「読書」・「芸術」によって培われる。
 ・「公共の事柄に対する義務と責任」を負うために必要な「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を、人は、「いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として」身に付けることはできない。人は「近隣、家族、友人たち、教会、それに国家」、こうした「様々なレベルでの」「広義の『共同体』」と一切無関係に「価値や判断力」を獲得できない。
 ・「近代社会」による「封建的共同体からの個人の解放」は「個人主義」の成立・「近代リベラリズムの条件」だと理解されている。しかし、これは「基本的な誤解」か、「すくなくとも事態の半面を見ているにすぎない」。「一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえない」。仮にありえたとして、彼はいかにして、「社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在」を学ぶのか。
 ・「通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の権利をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」。(以上、p.57-58)。
 昨年に憲法学者・樋口陽一の「個人」の尊重・「個人主義」観をこの欄で批判的に取り上げたことがある。樋口陽一や多くの憲法学者の理解している又はイメージしている「個人」とは、佐伯啓思は「ロックなどの社会契約論が思想の端緒を開き…」と書いているが、ロック・ルソーらの(全く同じ議論でないにせよ)社会契約論が想定しているようなものであり、それは「誤り」を含む「通俗的な近代リベラリズム」のそれなのではないか。
 ②次のような文章もある。
 ・80年代に「リベラリズム批判」と称される四著がアメリカで出版され、話題になった(4名は、ニスベット、マッキンタイアー、ベラー、サンデル)。これらに共通するのは、「支配的なリベラリズム」が想定する「何物にも拘束されない自由な個人という抽象的な出発点」は「無意味な虚構だ」として排斥することだ。「抽象的に自由な個人」、サンデルのいう「何物にも負荷されない個人」という前提を斥けると「個人とは何なのか」。マッキンタイアーが明言するように、「何らかの『伝統』の文脈と不可分な」ものだ。
 ・人は「書物や頭の中で考えたこと」によって「価値」・「行動基準」を学習・入手するのではなく、「日々の経験や実践」の中で学ぶ。ここでの「実践」も抽象的なものではなく、それは「必ず歴史や社会の個別性の中で形成される」。つまり、「実践」は必ず「伝統」によって負荷されている。従って、「実践」とは先輩・先人・先祖との関係に入ることも意味する。「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、残るのは「極めて貧困な実践」であり、そこから「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ(以上、p.58-59)。
 ・まとめ的にいうと、「確かに、リベラリズムは…、かけがえのない個人という価値に固執する」。「個人的自由」はリベラリズムの「基底」にある。しかし、「『個人』は、ある具体的な社会から切り離されて自足した剥き出しの個人ではありえない」。つまり、「特定の『実践』や『伝統』から無縁ではありえない」(p.60)。
 今回の紹介は以上。
 上の一部にあった、「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、「豊かな個人を生み出す」ことを期待するのは不可能だ、ということは、わが国の戦後に実際に起こったことではないか。
 日本の戦前との断絶を強調し(八月革命説もそのような機能をもつ)、戦前までにあった日本的「伝統」・「価値」 を過剰に排斥又は否定した結果として、「伝統」・「歴史」の負荷を受けて成長すべき、戦後に教育を受けた又は戦後に社会的経験・「実践」をした者たちは(現在日本に生きている者のほとんどになるだろう)、まっとうな感覚をもつ「豊かな個人」として成長することに失敗したのではないか(私もその一人かも)。そのような「個人」が構成する社会が、そのような「個人」の総体「国民」が「主権」者である国家が、まともなものでなくなっていくのは(<溶解>していくのは)、自然の成り行きのような気もする。

0623/1961~1963年生れによる奇怪な犯罪と大谷昭宏。

 週刊新潮12/04号(新潮社)p.35によると、厚生事務次官夫妻等を殺傷した小泉某は1962年生れ。東京都多摩地域(だったと記憶する)の連続幼女誘拐殺害事件犯の宮崎某、新潟女子監禁事件犯の佐藤某も1962年生れ。
 大阪教育大附属小に乱入して児童らを殺傷した宅間某は1963年生れ。
 和歌山毒入りカレー事件被告の林某、最近の大阪・個室ビデオ店放火殺人事件の小川某は、1961年生れ。
 これだけのデータから<世代>論を語るのは無理があるだろうが、1961~1963年生れに上の6件が揃うと、少しは気になる。
 大谷昭宏は上の週刊新潮で、彼らは「高度成長期の初め」に生まれ、「厳しい風」にさらされず、「大きな苦労」もしない戦後の「最も楽な世代」で、「不幸でも貧乏でも」なかったが「自ら転落」した、という。
 また、大谷は次のようにも(正確には週刊新潮記者による要約・修正が入っているだろうが)語る-「この世代は、自分の人生の挫折や失敗を、自分のせいとは認めようとせず、他人や社会の責任に無理やり転嫁する」。
 これを読んで些か妙な気分になる。
 「自分の人生の挫折や失敗を、自分のせいとは認めようとせず、他人や社会の責任に無理やり転嫁する」ような意識を育てたのは、さらには厚生事務次官等殺傷犯が言ったという、「高級官僚は悪だ」と思い込むような意識・心理を育てたのは、<戦後民主主義>のもとでの、国家=悪を前提とする、個人主義・平等主義等の風潮・「空気」ではなかったのか。
 そして、大谷昭宏は、そうした風潮・「空気」を支持し醸成してきた、<弱者>の立場に立つらしき、れっきとした「左翼」コメンテイターではないか(週刊新潮は「ジャーナリスト」と書くが、この人の文章はたぶん読んだことがない)。
 大谷は、上のようなことだけではなく、彼自身や「団塊」世代より下の世代の意識・心理を形成してきた、<戦後民主主義>(個人主義・自由主義・平等主義等々)なるものにさらに立ち入るべきだ。戦後の学校教育や家庭・家族の変容にも掘り下げて言及すべきだ。
 上のような犯罪を生んだ要因の一つは、大谷もその中にいる(支持しかつ擁護しようとしている)「戦後民主主義」という「風潮・空気」だろうと思われる。自分とは全く無関係のごとくヌケヌケとコメントするな、表面的な世代分析を語るな、と言いたい。
 なお、神戸で起こった幼児殺害事件犯・酒鬼薔薇聖斗(自称)と今年6月に起こった秋葉原連続殺傷事件犯の加藤某は、いずれも1982年生れ。

0600/伊藤謙介による山折哲雄・信ずる宗教、感じる宗教(中央公論新社)の書評(産経新聞)。

 産経新聞10/04の「書評倶楽部」で、伊藤謙介(京セラ相談役)が山折哲雄・信ずる宗教、感じる宗教(中央公論新社)を紹介・論評している。
 この本の引用又は要約的紹介なのか評者自身の言葉なのかを自信をもって区別できないが、おそらくは前者の中に、印象的な叙述がある(それ自体はほとんどは評者の文章だ)。
 山折哲雄のこの本によると、次のように整理されるらしい。
 ①A「信じる宗教」は<一神教>で、B「感じる宗教」は<多神教>。
 ②A一神教は「砂漠」の産で、B多神教は「緑なす山野」のもの。
 ③A「信じる宗教」は「天上の絶対的存在」を信じることで、「自立する声高に主張する『個』がキーワード」。
 一方、B「感じる宗教」は「地上の豊かな自然の中に神や仏の気配を感じること」で、「寂寥のなかで静かに耳を澄ます『ひとり』がキーワード」。
 私が挿入するが、日本の神道・仏教が(とくに神道が)Bであることは明らかだ。日本人の殆どは無宗教ではなく、本来は、「信じる」<一神教>ではない、「緑なす山野」の、「感じる」<多神教>の宗徒ではないか。
 山折哲雄はさらに次のように主張・警告しているらしい。
 <現代は「信じる宗教」にのみ「憧れと脅威の眼差しを注ぐ」「個の突出した時代」なのだが、「人間を越えた存在の気配を感じ取ることこそが必要」だ。それが「個、自己中心主義の抑圧に繋がるから」。
 以下は私の文による書き換えだが、欧米の一神教を背景とする「個の突出した時代」が現在日本の中心・本流にあるようだが、「個、自己中心主義の抑圧」のために、「感じる」<多神教>をもとに、「人間を越えた存在の気配を感じ取る」ことが必要だ、と主張しているようだ。
 多分の共感をもって読んだ。「信じる」<一神教>を背景とする、欧米的「個」は、本来、日本人にはふさわしくないのではないか。そして「自立する声高に主張する『個』」、「個の突出」、「個、自己中心主義」こそが、戦後の日本と日本人をおかしくしてしまったのではないか。
 樋口陽一を引き合いに出して語ってきたこともある欧米的「個人主義」批判と通底する部分が、山折の本にはありそうだ(まだ入手していないのだが)。
 以下は、評者・伊藤謙介の文章だと思われる。なかなかに<美しい>。
 「私たちは今、個が我が物顔に振る舞う、喧騒と饒舌の時代を走り続けている。/だからこそ、ときにたち止まり、星月夜を眺めつつ、悠久の時の流れに身を投じ、生きることと死ぬことに思いをはせたい」。

0594/勢古浩爾・いやな世の中―<自分様の時代>(ベスト新書、2008)を読了。

 二夜ほどかけて一昨日(15日)に、勢古浩爾・いやな世の中―<自分様の時代>(ベスト新書、2008.04)を全読了。この人のものはたぶん初めて。
 8割程度に異論はない。あるいは、8割程度の叙述に同感する。
 <ミーイズム>と表現した者もいたが、―著者・勢古浩爾(1947年生)は明確に論じているいるわけではないものの―「戦後民主主義(個人主義)」の生み出したのは、<自分教>・<自分病>・<自分様の時代>だったと思われる。
 勢古が「権利と自由」との関係に言及しているのはおそらく次の部分だけだ。
 <「弱肉弱食」の時代になっている。「『食う』弱い者は、自分病の人間である。『食われる』弱い者はまともに暮らそうとする人間…。近代的権利と自由が、前近代的人情と和を求めるこころを食うのである。自分様はのさばり、まともな人間はうつになる…」>(p.121)。この部分は「近代」(主義)批判とも読める。
 こんな文も「あとがき」の中にある。
 「筋金入りの『自分様』たちは、信用や信頼など歯牙にもかけない。それゆえ怖いものなし…。かれらの行動原理は自分の感情の快不快とごね得と損得勘定である」(p.207)。
 かかる「自分様」たちを大量に生み出したのは、憲法学者・樋口陽一が現憲法上の最大の価値理念だとする「個人の尊重」→「個人主義」に他ならないだろう。
 繰り返しているように、樋口陽一を代表者とする戦後の「民主(主義)的」・「進歩(主義)的」憲法学者たちの<罪>はきわめて大きい。そのような憲法理念を学んだ者たちが学校教員になり児童・生徒を教育しているのだ。公務員もまた「戦後憲法学」を学んで仕事をしているのだ。マスコミ人間も同様。

 もっとも、勢古浩爾は、「自分」中心主義→「自分の家族」・「自分の会社」中心主義の「果ては『自分の国』にまで広がる」と書いているが(p.37)、最後の点は留保が必要だ。
 『自分の国』意識=ナショナリズムの希薄さこそが戦後日本の特徴だ、とも言えるからだ。
 但し、必要な国際協力をしない、<自分の国さえよければ(平和であれば)よい>という考え方の広がりも<自分病>の一種だと言えるのかもしれない。

 なお、ついでに書くと、「思い上がった」、「八ケ岳南麓」に「60m2ワンルームの生活空間」たる「仕事部屋」をもつ、単著「おひとり様の老後」で「老後の資金はまたさらに潤沢になった」、「女森永卓郎」らしき(p.78~p.83)、「自分様」上野千鶴子に対する皮肉と批判をもっと多くかつ体系的に叙述してほしかったものだ。

0586/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その4

 四 佐伯啓思・アダム・スミスの誤算-幻想のグローバル資本主義(上)(PHP新書、1999)より。
 本筋の中の枝葉的記述の中で佐伯啓思は「個人」に触れている。ヨーロッパ的と限るにせよ、ルソー的「個人」像を、ましてやルソー=ジャコバン型「個人」を理念又は典型としてであれ<ヨーロッパ近代に普遍的>なものと理解するのは危険であり、むしろ誤謬かと思われる。
 「スミスにとっては、たとえばカントが想定したような『確かな主体』としての個人というようなものは存在しない」。「確かな」というのは「自らのうちに普遍的な道徳的基準をもち、個人として自立し完結した存在としての」個人という意味だが、かかる「主体としての個人」が存在すれば「社会はただ個人の集まりにすぎなくなる」。「だが、実際にはそうではない」。「個人が決して自立した『確かな存在』ではありえないからだ」。/
 「自立した責任をもつ個人などという観念は、せいぜい近代的主体という虚構の内に蜃気楼のように浮かび上がったものにすぎないのであって、それは永遠の錯覚にしかすぎないだろう。だが、だからこそ、つまり…、個人がきわめて不確かなものだからこそ社会が意味をもってくるのだ」。/(以上、p.68)
 スミスの友人・「ヒュームが的確に述べたように、『わたし』というような確かなものは存在しない」。「わたし」は、絶えずさまざまなものを「知覚し、経験し、ある種の情念をも」つことを「繰り返している何か」にすぎない。われわれは外界から種々の「刺激をえ、それを一定の知覚にまとめる」のだが、それは「次々と継続的に起こること」で、「この知覚に前もって確かな『自我』というものがあるわけではない」。/(p.69)
 以上。樋口陽一およびその他の多くの憲法学者のもつ「個人」像、憲法が前提とし、最大の尊重の対象としていると説かれる「個人」なるものは、「近代的主体という虚構の内に蜃気楼のように浮かび上がったものにすぎない」、そして「永遠の錯覚にしかすぎない」のではないか。錯覚とは<妄想>と言い換えてもよい。
 イギリス(・スコットランド)のコーク、スミス、ヒュームらを無視して<ヨーロッパ近代に普遍的な>「個人」像を語ることができるのか、語ってよいのか、という問題もある。樋口陽一は(少なくともほとんど)無視しているからだ。

0585/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その3

  三 ふたたび、佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)から。
 「『何にも負荷されない個人』という前提をしりぞけると、個人とは何なのか。実際には、個人は…、何らかの『伝統』の文脈と不可分」だ。「人は、ただ書物や頭の中で考えたことによって価値を学び、行動の基準を手に入れるのではな」く、「日々の経験や実践の中で学んでゆく」。「『個人』と同様、…抽象的で一般的な『実践』などというものを想定」はできず、「『実践』は必ず歴史や社会の個別性の中で」形成され、「必ず『伝統』によって」負荷されている。「伝統を無視し、その権威を破壊し去れば」、「豊かな個人を生み出すなどということを期待することを不可能」だ。/(p.59)
 西洋史の中に「古典ギリシャ的伝統、中世的・キリスト教的伝統それに近代的伝統」の三者を区別する者もいるように、西洋人ですら「いくつかの伝統の折り重なりあいの中に生きている」。人間は「伝統負荷的な存在」であり、「『共同の偏見』をとりあえずは引き受けざるをえない」。「リベラリズムは、あくまで、かけがえのない個人という価値に固執する」が、しかし、「『個人』は、ある具体的な社会から切り離されて自足した剥き出しの個人ではありえないのである」。/(p.60)
 「リベラリズムは個人という価値にこだわるからこそ、…ある社会の『伝統』にもこだわらなければならない」。「伝統」とは「われわれをほとんど無意識のレベルで拘束し枠づけている思考形式、価値判断の母体」だ。この「伝統」の中には「国家」も含まれ、従って、「『国家』と『個人』の関係について…もう一度考え直さなければならない」。/(p.60-61)
 「通俗的なリベラリズム、すなわち抽象的な個人、本来何物にも拘束されない個人から出発すると、国家はもっぱら個人の自由の対立物とみなされる」。しかし、「個人が『伝統負荷的』であるということは、個人が『国家負荷的』でもあるということだ」。「有り体に言えば、日本人は、とりあえず、日本人であることの宿命を引き受けざるをえない」ということだ。「国家が解体したり衰退すれば、個人も空中分解してしまう」。このことのロジカルな帰結は、「個人は個人を保守するためにも国家を保守しなければならない」ということ。つまり、「私」は同時に「公的」な存在でもある必要がある。「『公的な』(国家的な)存在としてのわたしがあって初めて『私的な』存在としてのわたしが生ずる」のだ。/(p.61-62)
 以上。佐伯啓思は「個人」・「個人主義」を直接に論じているのではなく「リベラリズム」に関する議論の中でおそらくは不可避のこととして論及している。憲法学者・樋口陽一の「思考」・「観念」と比べて、どちらがより真実に近く、どちらがより適切だろうか。

0584/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ(6)-「個人」・「個人主義」・「個人の自由」/その2

 二 月刊正論8月号(2008、産経新聞社)の小浜逸郎「死に急ぐ二十代女性の見る『世界』」は若い女性の自殺率の高まりの原因等を分析するものだが、最後の文章は次のとおり(p.285)。
 「人間は一人では生きられない。戦後、日本人は欧米との戦争の敗北をふまえて、『欧米並みの近代的な個の確立』という課題をやかましく叫んできた。しかし、気づいてみると、そういう心構えの問題を通り越して、社会(ことに企業社会)の構造そのものが、ばらばらな個として生きることを強いるようになってしまった。若い女性の一部にそのことの無理を示す兆候が顕著になってきた」のかもしれない。/
 そうだとすれば、「私たちは、個の単なる集合として社会を捉えるのではなく、あくまでもネットワークとしてこの社会が成り立っているのだということを、もう一度根底から捉え直す必要があるのではないのだろうか」。以上。
 <欧米並みの近代的な個の確立>を説く樋口陽一において、企業・法人は国家とともに「個人」を抑圧するものとして位置づけられていた。
 しかるに小浜逸郎は「企業社会」の「構造そのものが、ばらばらな個として生きることを強いるようになってしまった」という。これを樋口陽一は当然視して歓迎しても不思議ではないのだが、樋口本人はどう理解・評価するのか。
 いずれにせよ、<欧米並みの近代的な個の確立>などという(日本の進歩的文化人・「左翼」知識人が唱えてきた)お説教が日本と日本人にとって適切なものだったかどうか自体を、小浜の指摘のとおり、「根底から捉え直す必要がある」だろう。<欧州近代>を普遍的なもの(どの国も経る必要があり、かつ経るはずの段階)と理解する必要があるか否か、という問題でもある。
 また、自信をなくしての自殺も自尊心を損なっての行きずり(無差別)殺人も、戦後日本の<個人(の自由)主義>の強調・重視と無関係ではない、と感じている(仮説で、面倒な検証と議論が必要だろうが)。
 (この項、つづく。)

0583/憲法学者・樋口陽一の究極のデマ―その6・思想としての「個人」・「個人主義」・「個人の自由」

 樋口陽一の文章をあらためていつか再引用してもよいが、樋口陽一その他大勢の憲法学者の「人権」 論の基礎にはその主体としての(自由なかつ自律した)「個人」があり、それを(又はその「尊厳」を)尊重するということが憲法の最も枢要な原理とされる。だが、そのような、個々の自然人たる(アトムとしての)「個人」が(社会)契約によって国家を構成しそれと対峙する、というイメージ自体が、一つの「思想」であり、一つのイデオロギーだろう。
 以下、何回か、<個人主義>を批判又は疑問視する文章の引用のみを続ける。
 一 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)。
 欧州の元来の定義「ブルジョアジー」がそうであるように「市民」は「まず財産主」であり、それを守るための「安定した社会秩序」を必要とし、「社会秩序の維持」のためには「公共の事柄」への義務・責任を負った。この義務・責任は「それなりの見識や判断力、知識、道徳心など」を必要とし、これらは「広義の教育」、「日々の経験」、「人々との会話」、「読書」、「芸術」が与えた。/
 「人は、こうしたものを、いかなる意味での『共同体』もなしに、すなわち剥き出しの個人として、身につけることはできない。近隣、家族、友人たち、教会、それに国家、それらを広義の『共同体』と呼んでおくと、様々なレベルでの『共同体』と一切無縁に、人は価値や判断力を身につけることはできない」。/
 近代社会は「封建的」共同体からの「個人の解放」を促し、「通俗的には、共同体からの個人の解放こそが『個人主義』の成立であり、それこそが近代リベラリズムの条件だ」と理解されている。「しかし、これは基本的な誤解であるか、あるいは少なくとも事態の半面を見ているにすぎない。事実上、一切の共同社会から孤立した個人などというものはありえないし、また仮にありえたとしても、彼は、どのようにして、社会の価値、ルール、目に見えない人間関係の処世、歴史的なものの重要性、個人を超えた価値の存在を学ぶのだろうか。通俗的な近代リベラリズムの誤りは、裸で剥き出しの抽象的個人から社会や社会のルールが生み出され、ここに一定の『権利』をもった『個人』なるものが誕生すると見なした点にある」/
 「しかし、ロジカルにいっても、何の価値や判断力も、さらには恐らく理性さえまだ学んでいない、『無』の個人からどのようにして権利をもち、社会のルールについて判断力をもった個人が生まれるというのだろうか」。
 以上、上掲書p.57-58。
 樋口陽一における<視野狭窄>性・<観念>性・<通俗>性の指摘は、ほとんど上で尽きている。
 (この項、つづく。)

0574/憲法デマゴーグ・樋口陽一-その3・個人主義と「家族解体」論。

 一 産経新聞7/05山田慎二「週末に読む」の中に、<家族>に関する次のような短い文章がある。
 「人類は、家族というものを発明した。とりわけ仲間といっしょに食事をしたり、育児を共同でするのは、人間だけである。/こうした人類だけの能力の深い意味を現代人は見失っている」。
 子どもが自立して生きていけるまで母親又は両親(つまり家族)が<育児>をする動物は「人類だけ」かとは思うが、人間の子どもの健全な成長にとって<家族>が重要であることは論を俟たないように思える(もちろんフェミニスト等による異なる議論はある)。
 今年の秋葉原通り魔連続殺害事件やかつての「酒鬼薔薇事件」の犯人は同じ年で、その両親たちも同世代であるに違いない。秋葉原事件のあとで<専門家>らしき者たちのいろいろなコメントが出ていたが、彼ら犯罪者を生んだ<家族>(や学校教育)環境にまで立ち入らないと、原因も解決策も適切には論じられないのではないか。
 二 林道義・母性崩壊(PHP研究所、1999)を一気に殆ど読んでしまったが、この本は酒鬼薔薇事件やこの事件の犯人ととくに母親の関係にも言及しており、幼児期(とくに3歳まで)の(父親ではなく―父親は2・3割程度重要だという―)母親の役割(<母性>)の重要性を強調しつつ、この犯人の母親(・両親)の手記の中に書かれてあることの中から具体的に問題点を指摘している。
 重要なテーマなので別の回に余裕があれば書きたいが、<母性崩壊>による(非婚化や晩婚化も経由しての)少子化という明瞭な現象は、林道義が指摘するような国家・社会を自壊させる<危険性>どころか、すでに国家・社会の活力を奪い、老年者福祉の財政問題等をも発生させて、日本を<自壊>させ始めている、と思える。明瞭にその過程に入っている、という感想を持たざるをえない。中国・北朝鮮による<侵略>によらずして、日本は自ら崩れていっている、ように見える。
 <母性崩壊>は、ではなぜ生じたのか。むろん簡単には論じられない。
 留意されてよい一つは、マルクス主義は<家族>を解体・消滅させようとする理論だった、ということだ。ウソのようだが、いつか引用したことがあるように、エンゲルスはその著の家族・私有財産及び国家の起源の中で、家族(家庭)内のブルジョアジーは男でプロレタリアートは女だ、と本当に書いている。いうまでもなく、「私有財産及び国家」とともに「家族」もまた、マルクス主義者(・共産主義者)の怨嗟の対象であり、将来は解体される・消滅するはずのものだった。
 もう一つは、<西欧近代>に発する<個人主義>だ。個人主義の強調は<家族>の安定的維持と矛盾・衝突しうる。<家族>の中で、親が子が、男が女がそれぞれの<個人>としての尊重などを口にし始めたら<家族>は維持できない。協力、譲り合い(ある意味では応分の負担と「犠牲」の分け合い)なくして<家族>のまとまりが継続してゆける筈がない。
 マルクス主義によるのであれ、西欧近代的<個人主義>によるのであれ、日本における<家族解体>化現象は進んでいる、と思われる。そしてそれは、一定の年齢以下の者たちによる近親者に向けられた、又は気持ち悪い犯罪の発生と無関係だとは思われない。
 (宮崎哲弥は何かの本―たぶん宮崎=藤井誠二・少年をいかに罰するか(講談社α文庫、2007)―で「少年」犯罪は統計上は増えていないと書いていたが、自分より弱者を攻撃したり、祖父母を含む肉親を攻撃したりする、若しくは殺害・傷害等の方法が<気味の悪い>犯罪に限っていえば、数量的にも増えているのではないか、と思われる。単純に何らかの犯罪者が「少年」である場合の統計だけを見ても大した意味はないだろう。)
 三 さて、憲法学者・樋口陽一の<個人主義>の問題性についてはあらためて何度でも触れたいが、彼も指摘するように、樋口の好きな<個人主義>又は<個人の尊厳>については、日本国憲法上の明文規定があるのは、13条と24条に限られる。24条2項は次のように定める。
 「……婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」。
 樋口陽一はこれを含む24条の素案を作ったベアーテ・シロタについて、同・個人と国家(集英社新書、2000)p.139で「なんと公募で選ばれた若い女性」としか書いていないが、日本語ができたことがメンバーになれた最大の理由だったと思われる、かつソ連と同憲法に憧れていた親コミュニストだった(コミンテルン又はアメリカ共産党から実質的に派遣されていた可能性もあり、何らかの資料も出てきているのかもしれないが、今回はこの程度で止める)。
 婚姻と家族に関する憲法条項の中に「個人の尊厳と両性の本質的平等」をふまえて婚姻や家族に関する法律は制定されるべし、との条文が入ったのは、「社会主義」ソ連では アメリカなどよりもはるかに又は徹底的に男女対等(平等)が実現されている(又は実現されようとしている)という、シロタの対ソ連又は対「社会主義」幻想が大いに影響したものと考えられる。
 樋口陽一のいくつかの本を見ていて印象に残った一つは、この人は日本国憲法24条の中に「家族解体の論理」が含まれている(少なくとも)可能性がある、と指摘し、かつそのことを疑問視・問題視はしていない、ということだ。
 ①樋口陽一・憲法と国家(岩波新書、1999)p.110-13条以外の個別条項では24条だけが「個人の尊厳」を謳っているのは、「家族」が近代「個人」主義が「貫徹しない飛び地」だったことへの「批判的見地」を示しているのではないか。「家族にかかわる領域で『個人』を本気でつらぬこうとする見地からすれば、憲法二四条は…家族解体の論理をも―もちろん必然的にではないが―含意したものとして、読むことができるだろう」。
 ②樋口陽一・「日本国憲法」-まっとうに議論するために(みすず書房、2006)p.70-「憲法二四条…がいちはやく『個人』を掲げたということは、…『個人』を徹底的につらぬくことによって、場合によっては家族を解体させる論理につながってゆく可能性をも、内に含んでいるのではないでしょうか」。
 ベアーテ・シロタが「家族」内に<個人主義>・<個人の尊厳>を(憲法条文上も)もち込もうとしたとき、<家族解体>論まで意識していたかどうかは(少なくとも現時点での私には)分からない。だが、コミュニズムの実際が育児(子育て)の0歳児の時点からの早期の<社会化>、幼児に対する早期の<洗脳>教育等を内容としていたことを考え合わせると、樋口の言うとおり「法の論理が含んでいる可能性」としてであれ、24条2項は客観的には、<家族解体>の方向に親近的な条項である、と言えるだろう。
 そのかぎりで、樋口陽一は、憲法制定者の意図を<正しく>把握(解釈)している、と言えなくもない。
 だが、上のような「法の論理が含んでいる可能性」を語るだけで、それに対する警戒的・批判的な(憲法政策論にも関係する)言辞が全く出てこない、というところに樋口陽一らしさがある。
 家族解体論者・フェミニストが喜びそうなこと(そのような憲法条項があること)を指摘し紹介することによって、客観的・結果的には家族解体論者・フェミニストに手を貸している。そういう意味のかぎりで、樋口陽一の<デマゴーグ>としての面目躍如たるところがある、と言えるだろう。
 なお、樋口はソ連等の欧州的「社会主義」の終焉後は明らかに、近代的「人権」論に対する批判的視覚を提起している一つがフェミニズムだと語り、それに関連する事柄に言及することが多くなっている。そして、憲法改正ではなく法律改正で済むのに夫婦別姓法案に「改憲」論者は反対している等とも述べて、この夫婦別姓法案に明確に賛成している(樋口陽一・個人と国家(上掲)p.194等)。
 あえて簡単に再言又は概括すれば、樋口陽一のいう<個人主義>は<家族>と対抗しうるものであり、<家族>を、そして<母性>を含む<子に対する親の役割>を軽んじるものだ。少なくともそのような<風潮>の形成に役立つ議論を、<左翼>樋口陽一はしてきている。
 少なくない若年者(10歳代・20歳代)の犯罪の犠牲者は、戦後日本を覆い続けた<左翼・個人主義>の被害者ではないのか。ごく簡単には、直感的にせよ、そういう想い・感慨をもつ。長々と書かないだけで、もう少しは論理的にかつ長く論旨展開できるつもりだ。そして、この感覚はたぶん基本的なところでは間違ってはいないだろう、と思っている。

0517/菅孝行ブックレットにおける丸山真男と樋口陽一。

 一 反天皇主義者らしい著者による菅孝行・9・11以後丸山真男をどう読むか(河合出版・河合ブックレット、2004)は、丸山真男を分析し部分的には批判的なコメントを付してはいるが、全体としては、丸山真男の問題関心・分析を受けとめ、<右派>の批判から丸山真男を<戦後民主主義>を標榜する代表者として<護る>というスタンスの、<政治的>プロパガンダの本だ。
 1 「多くの丸山非難言説に反対して、擁護の立場に立たなければならない」(p.70)を基本的立場とし、佐伯啓思西部邁の名をとくに出してこの二人をこう論難する。
 「国家主義的視点から丸山の進歩主義や左翼性を非難する…」、「丸山を非難したい、と決めた彼らは自分のアタマの中に、勝手放題な丸山の像を歴史的な文脈も事実関係も無視して描き出し、レッテル貼りをやってのけた…」(p.79-80)。
 佐伯啓思・西部邁の主張・論理(図書新聞と新潮45の紙・誌上のようだ)が簡単にしか紹介されていない(p.48-49)ので論評しようもないが、菅孝行のこういう反批判の仕方は、きっと同様の論法で反論されるだろう。つまり、<丸山を擁護したい、と決めた菅孝行は自分のアタマの中に、勝手放題な丸山の像を…>という具合に。
 2 菅孝行によると、「戦後丸山は、マルクス主義が生み出すであろうと当時予測されていた政治的現実への必然性と正当性を意識しつつ、認識の問題や政治倫理の問題としてはこれに抵抗して独自の立場を保持するという二面作戦をとった」(p.63)。
 これはおそらく適切な指摘だろう。「当時予測されていた政治的現実への必然性と正当性」とは<社会主義への移行>の「必然性と正当性」であり<革命」の「必然性と正当性」だった。丸山真男はこれを肯定しつつ、ファシズム(の再来)かコミュニズム(社会主義・共産主義)か>という選択を前にすれば、当然の如く後者を採った人物だと思われる(=「反・反共主義」)。一方で、組織的・運動的には岩波「世界」等に活動の場を求めることによって、政治的セクト・「党派」性の乏しいイメージの<進歩的文化人>として、日本共産党員たることを公然化していたような<進歩的文化人>よりも、より大きな影響力をもったのだと考えられる。
 二 主題である丸山真男のことよりも関心を惹いたのは、菅孝行がときどき樋口陽一に言及していることだ。しかも共感的・肯定的に。
 1 「普遍的人権論や人間中心主義」への疑念を列挙したうえで、なお樋口は「『近代』を擁護するだろう」、と書いた。樋口は「『虚構』の『近代』の『作為』を有効とみなしている」。「丸山の軌跡の延長に樋口の立場があ」る(以上、p.25-26)。
 2 樋口陽一は「日本人は一度は強者の個人主義をくぐれ、ルソー・ジャコバン型民主主義をくぐれと執拗に提唱している」(p.88)。
 聞き捨てならないのは上の2だ。続けて菅孝行自身はは次のように主張する(「喚く」)>-樋口の「提唱に意味があるのは、丸山の構想した『自由なる主体』が成立してないままに戦後五二年が経過してしまったから…。決着がついていないなら何十年でも何世代でも延長戦をやるしかないではないか」(同上)。
 上の「自由なる主体」は、1946年の丸山真男「超国家主義の論理と心理」に出てくる。-「八・一五の日は…、国体が喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民…」(丸山・新装版/現代政治の思想と行動(未来社、2006)p.28)。
 丸山真男の議論はさしあたりどうでもよい。
 丸山の「自由なる主体」とはおそらく<西欧近代>流の<自立した自由な(主体的)個人>を意味するのだろう。だが、冗論は避けるが、菅孝行は勝手に「何十年でも何世代でも延長戦」をやるがよいが、おそらく確実に、<勝てる>=<西欧近代>的な<自立した自由な(主体的)個人>に日本人がなる日、は永遠に来ないだろう(日本人が西欧人になれる筈がないではないか。別の回に書くが、「永遠の錯覚」)。
 気になるのは、菅孝行などよりも、樋口陽一だ。樋口陽一とは、私が想定していたよりも、遙かに<左翼>又は<親マルクス主義>者のようだ。回を改める。

0395/佐伯啓思・隠された思考と樋口陽一の「個人の尊重」。

 佐伯啓思・隠された思考-市場経済のメタフィジックス(筑摩書房)の序章「<演技する知識>と<解釈する知識>」、p.3~p.17を昨夜(2/15)読んだ。1985年6月刊の、佐伯が35歳か36歳のときの著。この年齢にも驚くが、序章だけでもすでに相当に(私には)刺激的だ。事実・認識・真実・科学・解釈・学問等々、すべての<知的営為>に関係している。
 佐伯の述べたい本筋では全くないが(本筋の紹介は省く)、次の文章が目に留まった。
 「明確な自己意識つまり自我の成立こそ理性であるとした近代精神は、それ自体が近代の産物であるというところまで洞察することはできなかった」(p.15)。
 思い出したのは、個人の尊重こそが日本国憲法の三原理をさらに束ねる基本的・究極的理念であると述べた(らしい)憲法学者・樋口陽一とその言葉に感銘を受けた旨述べていた井上ひさしだ。
 個人の尊重の前提には<近代的自我の確立した>自律的・自立的個人という像があると思われる。樋口陽一(そして井上ひさし)の<思考>は<近代>レベルのもので、<近代>内部にとどまっている。それはむろん、日本国憲法自体の限界なのかもしれない。
 だが、既述の反復かもしれないが、戦後当初ならばともかく近年になってもなお<個人の尊重>(「個人主義」の擁護にほぼ等しいだろう)を強調するとは、憲法学者(の少なくとも有力な傾向)の時代錯誤ぶりを示しているようだ。講座派(日本共産党系)マルクス主義のごとく、あるいはせいぜい<近代>合理主義者(近代主義者)のごとく、日本と日本人はまだ<近代>化していない、ということを主張したいのだろうか。
 佐伯のいう「近代」とは<ヨーロッパ近代>に他ならないだろう。<ヨーロッパ近代>の精神を学び・習得したつもりの、自律的・自立的個人であるつもりの樋口陽一らは、<遅れた>日本人大衆に向かって(傲慢不遜にも!)説教したいのだろうか。
 個人の(尊厳の)尊重なるものの強調によって、物事が、<現代>社会が動くはずはない。逆に、<共同体>的なもの(当然に「家族」・「地域」等を含む)の崩壊・破壊・消失に導く政治的主張になってしまうことを樋口陽一らは思い知っていただきたい。
 エンゲルス『家族、私有財産及び国家の起源』は「家族」・「私有財産」・「国家」の崩壊・消滅を想定(・<予言>)するものだった。樋口陽一らがこれを信じるマルクス主義者(コミュニスト=日本共産党的にいうと<科学的社会主義教>信者)だとすれば、もはや言うコトバはない(つける薬はない)。ルソーのいう国家=一般意思に全的に服従することで「自由」になるという<アトム的個人>を樋口陽一らが「個人」として想定しているならば、今ごろになってもまだ何と馬鹿で危険なことを、と嗤う他はない。
 佐伯啓思が多くの憲法学者の思考の及ばない範囲・レベルの思考を30歳代からしていたことは明らかなようだ。 

0387/産経2/04を見て-「ヨーロッパ近代」の背理。

 産経新聞にも、朝日新聞ならば見ることができないだろうような、<産経らしい>記事がよくある。
 産経2/04を見ていると、①「正論」欄で首都大学東京学長・西澤潤一が、南原繁・丸山真男という「人格者」の考え方が、現在の徳育の欠如・国力の低下の原因でもあったとして、「きれいごとだけをつないで、自分の哲学としているだけでは足りない」等と批判している。詳細ではないし、必ずも論旨明瞭ではないが、<わが意を得たり>というところ。
 ②「溶けゆく日本人」の「蔓延するミーイズム」の部の開始も産経らしい。「ミーイズム」(個人主義・反国家主義・反ナショナリズム)賛美の朝日新聞では出てこない企画だろう。
 ③一面の石原慎太郎「日本よ-国家への帰属感、断想」も現在の日本人の「国家への帰属感」の有無又は「質」に言及して憂慮感を示す。まじめな朝日新聞記者ならば、「白熱の国際試合」での「ニッポン、ニッポン」に対してすら眉をひそめるのではないか。無国籍新聞、朝日。
 ④曽野綾子の連載コラムは<教育は強制>等を強調している。
 結局のところ、<ヨーロッパ近代>の生み出した<自由・民主主義>等の<負>の部分が(敗戦・占領という特殊日本的要因もあって)、現代日本に集中的に顕現している、ということでもあろう。
 つい最近読んだ佐伯啓思・イデオロギー/脱イデオロギー(岩波、1995)にこんな文章があった。
 ①近代の真に重要な問題は「権力者に対する市民の戦い」ではなく、「自由が、実現されていくにつれて、むしろ生き生きとした内実を失ってゆくという逆説」にある(p.157)。
 ②「自由の達成は、人を放縦へと追いやり、価値観の拡散と相対化をもたらし、われわれは自由の中で、本当の手ごたえを失ってゆくだろう」(p.160)。
 ロシア・北米という周縁部分を含めた<ヨーロッパ近代>はロシア革命・「社会主義」の母胎ともなったのだが、「社会主義」革命にまで極端化しなくとも、もともと種々の問題を内包させている。<個人主義・自由・民主主義、万歳!>という段階にとどまっているわけには、とてもいかないのだ。
 これらの徹底(あるいは侵害の危険性)を逆に強調して<個人主義・自由・民主主義>を国家・権力に対峙させる発想を最優先に置く政党や新聞や人々は、<倒錯・時代遅れ・時代逆行>としか私には思えないのだが。

0379/親日本共産党作家・井上ひさしと「個人の尊重」。

 樋口陽一・憲法第三版(創文社、2007)は、憲法のどこにも明文では書かれていないことだが、「日本国憲法の基本的諸原理」を「国民主権の原理」、「平和主義の原理」、「人権の原理」の三つにきれいに分けて説明している(p.109~p.165)。憲法の専門書としてはむしろ珍しいと思われるくらいで、こうした「三原理」で説明する本が高校以下の教科書の執筆者(大学の憲法学者も含む)には影響を与えているのだろう(余計ながら、「象徴」としての天皇制度の存置は日本国憲法の「基本的諸原理」の一つではないのだろうか。専門家に尋ねてみたい)。
 ところで、今年1/12のこの欄でこう書いた-「私自身の記憶のみに頼れば、憲法学者の樋口陽一は日本国憲法上の「個人の尊重」規定を重視し(参照、第13条第一文「すべて国民は、個人として尊重される。」)、樋口と対談したことのある井上ひさし
は、<個人の尊重>または<個人の尊厳の保障>が最も大切または最も基本的なこととして印象に残った旨を何かの本に記していた」。
 この「何かの本」は、不破哲三=井上ひさし・新日本共産党宣言(光文社、1999)だった。
 この本のp.103-4で井上はこう書いている。
 高校同級生の樋口陽一から聞いた「忘れられない言葉」は次だ。…「日本国憲法のアイデンティテイ」は「一般的説明ではその三本柱(主権在民、人権尊重、平和主義)というのが正しい」が、「この三つを束ねる”遡った価値”」は「個人の尊重」だ。「条文でいうと、第一三条」。「国民主権という原理も一人ひとりの個人の生き方を大事にするということが原点でなければならない」。
 この内容は、未読だが、樋口=井上・日本国憲法を読む(講談社)によるらしい。
 上の「個人の尊重」の強調、それを憲法上最大・究極の理念だとすることに、一見問題はないかにも見える。しかし、はたしてそうだろうか。むろん、言葉としては、「一人ひとりの個人の生き方を大事にするということ」に反論し難いのだが、かかる主張の行き着くところをさらに見据えなければならないだろう。とくに憲法学者が強調する「個人主義」、そして<戦後民主主義>のもとで空気の如く蔓延している「個人主義」には胡散臭さを感じているからだ。
 この点は別の回で書こう。
 ところで(と二回目の「ところで」を使うが)、不破=井上ひさしの上の本は、微笑み合いながら並んで立つ二人の写真から始まっている。そして、「わたしにとってかけがえのない大切な一票を日本共産党に投じる」(p.101)井上ひさしが、一生懸命に日本共産党の主張・政策を勉強し?、関連する諸問題も日本共産党の主張・考え方に添って論じる、という、井上の勉強成果報告書の趣がある。
 井上は占領時の現憲法制定過程にも言及していて、鈴木安蔵らの憲法研究会の新憲法案のことも知っており、「民間憲法」がマッカーサー憲法を「先取り」していた等と述べて、「押しつけられた」憲法論を批判又は揶揄してもいる(p.191)。
 マルキスト(又は少なくとも親マルクス主義者)・鈴木安蔵らの憲法研究会の新憲法案およびこれに焦点をあてた小西豊治・憲法「押しつけ」論の幻(講談社現代新書)にはこのブログで以前とり上げたので、ここではもはや触れない。
 強調しておきたいのは、井上ひさしとはただの作家・小説家・戯曲家ではない、じつは日本共産党員であるかもしれないと思ってしまうほどの<左翼イデオローグ>だ、<左翼>活動家だ、ということだ。仔細をいちいち書かないが、不破哲三に迎合しつつ?あれこれと発言・主張している上の本を読むだけでもわかる(この本が当然に日本共産党を<宣伝する>本になっていることは言うまでもない)。
 しかるに井上は、作家等の肩書きを利用して、公正さを装った?文化人として発言しているようであり、司馬遼太郎の菜の花忌という追悼会のパネラーになったりしている。
 ひょっとして昭和・戦前に対する想いでは司馬と井上に共通するところがあるのかもしれないが、司馬遼太郎の基本的作風・基本的考え方の<継承者>のごとく振る舞われると、彼界の司馬遼太郎にとっても大迷惑だろう。司馬遼太郎の<遺産>をいわゆる<保守派>に占領されないために、井上は司馬遼太郎(又は同記念館)関係の行事等に<政策的に>関与しているのではないか、とも勘ぐってしまう。
 日本共産党系作家・文化人の活動には警戒要。大きな顔をしての跋扈を許してはならない。
 追記-最近は佐伯啓思・イデオロギー/脱イデオロギー(岩波、1995)と佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の未読の部分を読むことが多かった。まだ、いずれも読了していない。
 1/24の夜に、赤木智弘・若者を見殺しにする国(双風舎、2007)を入手し、一気にp.117-p.286(第三~第五章)を読んだ。面白い。これとの関係で、1/25は堀井憲一郎・若者殺しの時代(講談社現代新書、2006)の一部を読んだ。
  阪本昌成の本(法の支配(勁草))の読書は、遅れている。

0373/まだ丸山真男のように「自立した個人の確立」を強調する必要があるのか。

 昨年の4/16のエントリーの一部でこう書いた。
 「昨年に読んだ本なので言及したことはなかったが、いずれも1997年刊の佐伯啓思・現代民主主義の病理(NHKブックス)、同・「市民」とは誰か-戦後民主主義を問い直す(PHP新書)は「戦後」・「民主主義」を考えさせてくれる知的刺激に満ちた本だった」。
 これらの具体的内容は紹介していないが、佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)も、ほぼ同時期の「知的刺激に満ちた本」として挙げておく必要がある(他にもあるだろう)。
 この本のある程度詳細な内容紹介をする意図も余裕もなく、メモ程度になる。
 p.181以下が書名と同じ「現代日本のイデオロギー」との論文だが(月刊正論1997.01~06初出)、戦後日本の「進歩」主義、丸山真男・大塚久雄らの「進歩的」文化人・知識人(大江健三郎を筆頭に?その片割れ又は後裔は現今でもまだ跋扈している)の思想・思考の(「トリック」(p.198)を含む)論理構造を分析・剔抉(てっけつ)していて、面白く、有意義なものとして読める。
 もともと佐伯啓思は上掲の現代民主主義の病理の中に「丸山真男とは何だったのか」という節を設けていて(こちらの本のp.74以下)、こちらの方が詳しいかもしれない。
 講談社の本による佐伯の表現によると、「日本社会=集団主義的=無責任的=後進的」、「近代的市民社会=個人主義的=民主的先進的」という「図式」を生んだ、「『市民社会』をモデルを基準」にした「構図」自体が「あらかじめ、日本社会を批判するように構成され」たもので、かかる「思考方法こそ」が戦後日本(人)の「観念」を規定し、「いわゆる進歩的知識人という知的特権」を生み出す「構造」となった(p.197-8)。
 NHKブックスによる佐伯の叙述によれば、丸山真男らにおいて、「日本の後進性」を克服した「近代化」とは「責任ある自立した主体としての個人の確立、これらの個人によって担われたデモクラシーの確立」という意味だった(p.74-75)。
 陳腐な内容の引用になったかもしれないが、書きたいことは以下のことだ。
 私自身が確認したのではないが、この欄でも言及したことがあるように、八木秀次によれば、憲法学者の佐藤幸治は、行政改革会議答申(省庁再編に具体的にはつながった)の中で、<自立した個人の確立>の必要性を強調していた(記憶に頼っているので微細な表現の違いがあるだろうことはご容赦いただきたい。次の段も同じ)。
 また、私自身の記憶のみに頼れば、憲法学者の樋口陽一は日本国憲法上の「個人の尊重」規定を重視し参照、第13条第一文「すべて国民は、個人として尊重される。」)、樋口と対談したことのある井上ひさしは、<個人の尊重>または<個人の尊厳の保障>が最も大切または最も基本的なこととして印象に残った旨を何かの本に記していた。
 書きたいことは容易にわかるものと思われる。憲法学者の佐藤幸治も樋口陽一も、―この二人は学界でも相当に有力な二名のはずだが―丸山真男ら<進歩的>文化人・知識人の上記のような<思考枠組み>に(疑いをおそらく何ら抱くことなく)とどまっている、ということだ。
 文字どおりの意味としての<個人の尊重>・<個人の尊厳>に反対しているのではない。
 すなわち、<自立した個人の確立>がまだ不十分としてその必要性をまだ(相も変わらず)説くのは、もはや時代遅れであり、むしろ反対方向を向いた(「アッチ向いてホイ」の「アッチ」を向いた)主張・議論ではなかろうか。少なくとも、この点だけを強調する、又はこの点を最も強調するのは、はたして時代適合的かつ日本(人)に適合的だろうか。
 佐藤や樋口が明言しているわけではないが、有数の大学の教授・憲法学者となった彼らは、自分は<自立した個人>として<確立>しているとの自信があり、そういう立場から<高踏的に>一般国民・大衆に向かって、<自立した個人>になれ、と批判をこめつつ叱咤しているのだろう。
 かりにそうだとすれば、丸山真男と同様に、こうした、<西欧市民社会>の<進んだ>思想なるものを自分は身に付けていると思っているのかもしれない学者が、的はずれの、かつ傲慢な主張・指摘をしている可能性があるのではないかと思われる。
 縷々論じる能力と余裕はないが、憲法学者が戦後説いてきた<個人主義>の強調こそが、それから簡単に派生する<平等主義>・<全国民対等主義>と、あるいは個人的「自由」の強調と併せて、今日の<ふやけた>、<国家・公共欠落の・ミーイズムあるいはマイ・ホーム型思想>を生み出し、<奇妙な>(といえる面が顕著化しているように私には思える)日本社会を生み出した、少なくとも有力な一因だったのではなかろうか。
 だとすれば(仮定形を続けるが)、<日本的なもの・日本の問題>に大きな関心を向けることなく、高校以下の学校教員を通してであれ国民に一定の<イズム>を<空気>のごとく押しつけてきた戦後憲法学の専門家たち(知識人・文化人)の責任も―一部の人にとっては主観的には善意に行われたとしても、その<行きすぎ>の弊害をもたらした結果に対して―また大きいものと思われる。

0212/原武史・滝山コミューン一九七四(2007)の佐藤卓己による書評。

 6/10の読売の書評欄が採り上げているので、数日前の産経の書評欄を読んで関心をもったのだろう、原武史・滝山コミューン一九七四(講談社、2007)を既に購入している。だが、殆ど未読だ。
 読売新聞の書評は佐藤卓己(京都大学)という1960年代生れの人が書いている(原武史氏も1962年生れ)。
 それによると、1.学校(小学校・中学校だろう)生活での「班のある学級」は「ソ連の集団主義教育理論に基づき、日教組傘下の全生研(全国生活指導研究協議会)の運動から広ま」ったらしい。
 世代は違うが、私の小学生時代のたぶん3-6年のときにはクラスがいくつかの「班」に分けられ、「班長」とかもいた。中学校時代はもう「班」はなかったと(明瞭な記憶ではないが)思う。
 小学校時代の「班」単位の学級作りがソ連・日教組の影響だとは知らなかった。日教組・「左翼」が強い学校・地域では全くなかったと思うが、それでも日教組(ひいてはソ連)の影響があったのだろうか。「班」への分割を基礎にすることは必ずしも「左翼」的理論に基づくものとは限らないと思うので(大きな単位を小さく分割することは会社でも町内会でも行われている)、自分の体験の根源の「理論」がどこにあったのかはなおも釈然としない思いもある。
 2.次の文は目を惹く(対象の本ではなく書評者の文章)。「共産主義の理想が世間一般で通用したのは、一九七二年連合赤軍事件までだろう。だが、全共闘世代が大量採用された教育現場では、少し遅れて「政治の季節」が到来していた」。
 一九七二年を重要な区切りの年として注目するのは、坪内祐三・一九七二(文藝春秋、2003)にも見られる。この年(35年前だ)の7月には佐藤栄作長期政権が終わって田中角栄新内閣が発足した、という点でも大きな区切りだろう。
 だが、第一に、上のようにこの年までは「共産主義の理想が世間一般で通用した」とまで書くのは、事実認識(歴史認識)としては誤りだろう。日本社会党が健在で現在よりも「左翼」的雰囲気に溢れていたのは間違いないが、「世間一般」で「共産主義の理想
」が通用していたわけでは全くない。日本社会党(+日本共産党)支持の雰囲気の多くは<反自民党>・<反政権党>の雰囲気で、一部を除いては、「共産主義の理想」などを信じてはいなかった、と思われる(もっとも現在に比べれば、そういう「信者」が多かったことは確かだろう)。
 第二に、「連合赤軍事件」(たぶん浅間山荘事件のこと)以前の学生運動を担った世代を簡単に「全共闘世代」と称することが(この書評者に限らず)多いが、1970年前後の学生運動の少なくとも半分を支配していたのは「全共闘」派=反日共系(反代々木系)ではなく、日本共産党・民青同盟であったことを忘れてはいけない。既に記したし、今後も書くだろうが、「全共闘」派に対抗したからこそ、日本共産党・民青同盟は従前よりも、また1970年代後半以降よりも、多数の学生・青年の「支持」(>入党)を獲得できた、という因果関係があると思われるのだ。
 だが、第三に、「教育現場」では「少し遅れて「政治の季節」が到来していた」というのは、なるほどそうかも知れないと思う。
 かりに1946~1950年の5年間に生まれた者を<団塊(世代)>と称するとすると、この世代が小学4年(10歳)~高校3年(18歳)だったのは、1956~1968年で、1970年代半ば以降の「政治の季節」の中にあった教育を受けてはいない。
 とりとめもなく書いているのだが、<団塊世代>が高校までの教育を受けていた時代には、<南京大虐殺>も<従軍慰安婦>もなかった。朝日新聞の本多勝一がのちに「中国の旅」という本(1972)のもとになる中国旅行と新聞連載をしたのは1971年だった。
 中学や高校でどういう日本史を勉強したかの記憶は薄れてしまっているが、1970年代後半あるいは1980年代以降の社会科系科目の教育内容よりも、<団塊世代>が受けたそれの方がまだ<自虐的>ではなかった、つまり相対的にはまだ<真っ当>なものではなかっただろうか。滝山コミューンとの本は未読だが、簡単に紹介されているような、1960年代生まれの人が体験した「教育現場」は私の感覚では相当に<異様>だ(但し、地域差があると見られることも考慮は必要だろう)。
 3 書評者は言う。「戦後教育の欠陥は「行き過ぎた自由」などではない。集団主義による「個人の尊厳」の抑圧こそが問題だった」。
 この部分は議論が分かれるところで、簡単にはコメントしにくい。私は「戦後教育の欠陥」は「行き過ぎた自由
」というよりも「行き過ぎた個人主義」ではなかったか、と思っている。ということは、「個人の尊厳」が尊重され過ぎた、ということでもあり、書評者の理解とは正反対になる。
 
<集団主義による「個人の尊厳」の抑圧>だったとはとても思えない。とりあえず疑問だけ提出しておこう。
 書物本体ではなくそれの短い書評文にすぎないのに、何故か執筆意欲をそそるものがあった。

-0039/戦後教育の最優等生・「保守的」立花隆。

 古いが読売新聞9月5日25面-「8月末、米紙の中国人助手が懲役3年を宣告され、シンガポ-ル紙の香港駐在記者にも懲役5年の判決が下された」。
 本日読売3面-「自由主義社会の『有害』なサイトを遮断し、検索語句を制限しているほか、膨大な数のサイバ-警察が…不穏な動きを検索、追跡しているという」、「公安当局は今月6日から8日にかけて、…320以上の違法サイトとネットコラムを閉鎖、1万5000の『有害』情報を削除した」。
 いずれも中華人民共和国に関する報道だ。
 かかる中国の現在を日本の1960年~1964年あたりの時期に相応していると「直感」したのが、あの「大評論家」・立花隆だった。2~5歳に北京にいたとはいえ、荒唐無稽・抱腹絶倒等々と表現できるスゴい分析だ。
 立花は、小泉に対して、中・韓へのひざまずいての「ドイツ」式謝罪も要求する(同・滅びゆく国家p.204等、2006)。杜撰にも中・韓の区別もしていないが、戦後補償・「謝罪」に関する日独比較の基本文献をこの人は読んでいないのでないか。
 この人は、皇室問題では愛子様、女系・女性天皇を支持する(p.112~)。執筆時期から見て宥恕の余地はあるが、しかし、皇太子夫妻が第二・第三子を望まれるなら「高度生殖医療技術の利用に正々堂々と踏み切るべきだ」、「不妊治療に踏み切れば、対外受精で…妊娠することはほとんど約束されている」とほとんど知人夫妻にでも言うがごとく「助言」するに至っては、どこかおかしいと私は感じた。
 上のように活字で明記してしまう感覚は国家・国民統合の「象徴」に対する敬意の欠落の表れで、さらにおそらくは天皇・皇室という「非合理」なものを「国民の総意」で廃止したいというのが彼の本音だろうと推測される。
 立花は教育基本法の改正にも憲法の改正にも反対の旨を明言している。
 勝手に推測するに、「戦後民主主義」のもとで立花(橘隆志)は十分に「成功した」、今のままでよい、という「保守的」気分があるのでないか。現教育基本法の条文を抜き出してこれで何故いけないのかと問う姿勢からは、(中国には存在しない)表現の自由、「個人主義」、反体制的風潮の存在の容認といった「戦後」の恩恵を彼は十分に受けたと感じていることを示しているように思う。
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  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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