秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

保阪正康

0790/小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)を一部読んで。

 〇たぶん7月中に、水島総(作画・前田俊夫)・1937南京の真実(飛鳥新社、2008.12)を読了。
 〇1.小林よしのり・世論という悪夢(小学館101新書、2009.08)は一件を除いて最近三年間の『わしズム』の巻頭コラムをまとめたもので、既読のため、あらためてじっくりと読み直す気はない。
 
 但し、第六章「天皇論」とまとめられた三論考は昨日に書いたこととの関係でも気になる。また、①「天皇を政治利用するサヨクとホシュ」(初出2006秋)、②「皇太子が天皇になる日」(初出2009冬)につづく③「天皇論の作法」は、この本が初出(書き下ろし)だ。
 2.上の②は月刊文藝春秋2009年2月号のとくに保阪正康の文章を批判したもの。保阪正康をまともに論評する価値があるとは考えなくなっているが、あえて少し引用すると、「戦前の日本を悪とする蛸壺史観の保阪正康」、「馬鹿じゃないか! そんな妄想ゴシップは女性誌で書け!」、「天皇とは何かが全くわかっていない輩の戯れ言」、「…人格評価に至っては、自分の戦前否定史観に合わせて天皇を選ぶつもりかと、怒りを覚える」。とこんな調子だ。
 この論考の主眼は、「徳があるか否かが皇位継承の条件にはならない」、ということだろう(p.209)。
 さらには、「今上陛下が特に祭祀に熱心であるのは有名だが、皇太子殿下もその際には立派に陪席されているという。〔妃殿下への言及を省略するが-秋月〕そうなると皇太子夫妻共に何も問題はないのである」。
 これらに異論はない。次の文章もある。
 「70歳も過ぎた老知識人が、天皇について何ら思想した形跡もなく、大人が読むのであろう雑誌にゴシップ記事を書いていたり、祭祀は創られた伝統だとか、天皇の戦争責任を追及したげな岩波新書がやたら評価を得ていたり、低レベルな天皇観が横行している…」。
 前者は保阪正康、「祭祀は創られた伝統だとか、天皇の戦争責任を追及したげな」岩波新書の著者は原武史だろう。
 3.上を書いたのち小林よしのり・天皇論(ゴーマニズム宣言スペシャル、小学館、2009.06)が刊行された。これもすでに既読(この欄に記したかどうか?)。
 上の③「天皇論の作法」は上の本のあとの文章ということになる。そして、以下の<保守派知識人>批判が印象に残る。
 「日頃『歴史』と『伝統』を保守すべしと主張している保守派の知識人」は(少なくとも一部は)「自分は一般参賀に混じるような低レベルの庶民ではないと思っている。自分のような知的な人間は、天皇を論じるが、敬愛はしないといかにも冷淡である。敬宮殿下(愛子内親王)や悠仁親王殿下のご誕生の時も率直に寿ぐ様子がない。自分は庶民より上の存在だと思っている。庶民を馬鹿にしている」。
 「保守を自称する知識人たちとて、しょせんは戦後民主主義のうす甘い蜜を吸いすぎて頽落したカタカナ・サヨクに過ぎない」。皇太子妃・皇太子両殿下をバッシングして「秋篠宮の方がいい」と「言い出すのは、現行憲法の『国民主権』が骨がらみになっていることの証左である。戦後民主主義者=国民主権論者は、世論を誘導して皇位継承順位まで変えられると思っている」(以上、p.215-6)。
 なかなかに聞くべき言葉だと思われる。
 <保守派知識人>の中に「天皇論の作法」をわきまえず、天皇陛下や皇太子殿下(・同妃殿下)を<畏れ多く>感じることのないままに、<対等に>あるいは<民主主義・個人主義>的に論じる又は叙述する者がいることは間違いない。それは、彼らが忌避しているはずの<戦後民主主義>・<国民主権>・<平等原理>が彼らの中にもある程度は浸透してしまっているためだ、と小林とともに言うことは、ある程度はできそうに見える。
 小林よしのりは特定の氏名を記してはいないが、想定されているのは、まず、この本の途中でも批判の対象としている西部邁ではないか。ついで、西尾幹二ではないか(直接に西尾の皇室論を批判する小林の文章を読んだ記憶は今はないのだが)。
 この二人は博識だが、とくに西部はやたら外国の思想(・外国語・原語)に言及する傾向があり、その天皇・皇室観ははっきりしない。西尾幹二は現皇太子殿下等に対して、<上から目線>で説教をしているような印象の文章を書いており、(内容もそうだがこの点でも)違和感をもつ。私を含む<庶民>の多くもそうではないか。
 この二人は自らを<庶民>とは考えていないだろう。あるいは<庶民>の中の<特別の>存在とでも思っているだろう。
 他に、小林よしのりが想定しているかは不明だが、実質的には、昨年の月刊諸君!7月号における中西輝政や八木秀次も挙げることができる。
 中西自身が「畏れ多きことながら」旨を書いたような、現皇太子妃の皇后適格性を疑問視する言葉を中西輝政は明記した。
 八木秀次は、皇太子妃の「現状」?を理由として現皇太子が天皇に就位すれば宮中祭祀をしなくなると決めつけて(又は推測して)、天皇就位適格性を疑問視し、その方向での現皇室典範の解釈をも示した。
 上の二人の部分は、昨年に書いたことのほとんど繰り返し。
 何度も書いているのは、この二人の発言は必ずや「歴史」に残すべきだと思われるからだ。
 この中西輝政・八木秀次の二人にすら、<戦後民主主義・平等・個人主義>教育の影響が全くないとは言えないだろう。
 なお、前回言及した橋本明は<保守派知識人>とはいえず、共同通信の記者・幹部という経歴からすると、むしろ「左翼」心情性が疑われる。

0682/小林よしのりのサピオ3/25号・わしズム2009冬号(小学館)。

 一 サピオ3/25号(小学館)の小林よしのり「天皇論・第四章」計10頁は、月刊文藝春秋2月号の保阪正康「秋篠宮が天皇になる日」の全面批判だ。少しは単純化されているのだろうが、読んでいない保阪の文章の趣旨がよくわかった。小林によると、保阪正康は「『個性』を至上とする戦後民主主義的価値観を無条件に信じ、『ゆとり教育』的な馬鹿げた価値判断で人格評価」をしている。そして、その「人格評価」からすると秋篠宮殿下の方が現皇太子殿下よりも天皇に相応しいと保阪は示唆しているようだ。
 保阪正康は相も変わらず馬鹿なことを書いていると見られる。皇太子とその弟殿下で、皇室・歴史等々に関する発言の内容が異なるのは当たり前ではないか。平板に比較しているようでは、文言実証主義?には即していても、まともな<皇室論>にはならない。
 月刊文藝春秋の最新号でも同誌編集部は「秋篠宮が天皇になる日を書いたわけ」とかを保阪正康に書かせて、原稿料を支払っている(未購入・未読)。(株)文藝春秋はやはりおかしいのではないか。
 月刊諸君!4月号(文藝春秋)の秦郁彦・西尾幹二の対談「『田母神俊雄=真贋論争』を決着する」には「捨て身の問題提起か、ただの目立ちたがりか」という惹句が付いていた(表紙・目次・p.76)。
  こうした謳い文句自体、読者大衆の<下世話な興味>を煽るがごときであるし、(株)文藝春秋は田母神俊雄論文は「捨て身の問題提起」か「ただの目立ちたがり」かのいずれの立場にも(公平にも?)立っていない、ということを姑息にもこっそりと表明しているかのごときでもある。
 二 小林よしのりは、同責任編集・わしズム2009冬号(最終号)(小学館)に、「田母神論文を補強、擁護する!」も書いている(p.121~、計13頁。漫画部分はなし)。そこで批判されている人物は、順番に、秦郁彦、保阪正康、ジョン・ダワー、櫻田淳、森本敏、八木秀次、杉山隆男、石破茂、五百旗頭真、麻生太郎、浜田靖一
 ジョン・ダワーは別として、多くは日本の保守・中道派だと見られるが、「左翼」も含まれ、かつ保守・中道派であるような印象を与えている、客観的には「左翼」もいそうだ。少なくとも広義での<保守>は、田母神俊雄論文をめぐって、二つに分裂した。<戦後民主主義>を基本的なところでは疑わない「保守」もいるわけだ。麻生首相・浜田防衛相も、この問題では「左翼」と同じ立場に回った。「左翼」の<体制化>(左翼ファシズムの成立?)を意味し、何度も書くが、怖ろしい。  

0680/中西輝政「歴史は誰のものか」(月刊WiLL別冊・歴史通№1、2009)から・その1。

 一 月刊WiLL別冊・歴史通№1(ワック、2009春)を3月初めに買って、その翌日までにとりあえず、中西輝政「歴史は誰のものか」、櫻井よしこ「民族の物語としての歴史」、宮脇淳子「韓国人の歴史観は『絵空事史観』」、井沢元彦「歴史を『所有』しようとするのは誰か」、井尻千男・佐伯啓思の書評を読んだ。
 中西輝政「歴史は誰のものか」(p.48-)は平易に歴史は戦勝国、日本政府、マスコミ・出版界、歴史研究者・歴史家、同時代人のものではないことを書いている。部分的には<すさまじい>指摘もある。途中から要約的に紹介する。
 二 ・1982年の中曽根内閣誕生後、「おしんブーム」の1983年は戦後を含む近現代が「過去」になった年だったが、「本当の歴史がやっと見え始めた時」、それはもうすでに「昭和史」として「確立されてしまっていた」(p.56-57)。
 ・松田武・戦後日本におけるアメリカのソフト・パワー(岩波)はアメリカの「左の方」の立場かもしれないが、アメリカが占領後も「いかに日本人の価値観や歴史観に細心の注意を払っていたか」、日本の再独立への時期からすでに「日本の知的エリートを系統的・組織的に”アメリカナイズ”し」、「いかにしてあの戦争の意味を忘れさせるか、または日本人の歴史観をアメリカの視点から見て許容範囲に納まるよう、日本の保守系の知識人や歴史家にいろんな働きかけをし、必死で『東京裁判史観』的な見方や価値観を日本社会に根付かせようという工作を行っていた」かが明らかにされている(p.57-58)。
 ・アメリカは種々の日米交流目的の財団を作り、諸学会に財政的支援もし、「フルブライト」等の奨学金制度も設け、「1950~60年代を通じ保守ないし中間的立場の親米派知識人をいかに養成するかという大戦略」を、占領終結から数十年「一貫して」行ってきた(p.58)。
 ここで自然と想起したのが、五百旗頭眞(1943-)だ。「フルブライト」奨学金によるのかどうかは分からないが、この人は1977~、と2002~の二度、ハーバード大学の客員研究員で、前者は30代半ばの数年間。別の機会に言及してもよいが、五百旗頭眞・日米戦争と戦後日本(講談社学術文庫、2005)の最初の方には、<アメリカに占領されてよかった>(だからこそ日本の経済的な成功もありえた)、日米戦争「ルーズベルト陰謀説」は荒唐無稽(論証抜き)、という旨が書かれてある。
 また、小泉首相の靖国参拝を批判したこと、昨秋は防衛大学校長としての立場で田母神俊雄論文を素っ気なく批判したことはよく知られている。島田洋一のブログによると、「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね。こっちは、はるかに多くの人間を強制連行しているのに」と(5、6年前に)五百旗頭は彼に語ったらしい。
 五百旗頭はコミュニスト又は親コミュニストではなく<保守ないし中間的立場>だとかりにしても、「左翼」に近い<親米リベラル派>ではなかろうか。そして、彼のような学者の誕生は、アメリカの大きな戦略の産物なのではないか、とも見られる。
 三 ・日本の「マスコミ・出版界」、「大手の出版社」は歴史については「一定の歴史観に沿った」ものしか出さない。「一定の歴史観」とは「東京裁判史観」、岩波新書・昭和史にはじまる「告発史観」で、吉川弘文館、山川出版、筑摩、平凡社、小学館、中央公論新社等々のものも「まだまだ圧倒的に」「東京裁判史観」だ。こうした状況はドイツと比べても異様で、「余りに一方に偏しすぎていて、公正でないだけでなく、はなはだ危険」だ(p.59-60)。
 四 ・「歴史家利権」というものがある。特定の解釈に立つ研究書等を出すと、新史料の発見等があっても無視して可能な限り変更を避けたいと考える人がいる。田母神俊雄論文が問題になったとき、「自らの権威を失いたくない」という姿勢が「はっきり見え」た「一部の昭和史研究家」もいた。
 ここで想起されたのは、秦郁彦。秦郁彦は月刊諸君4月号(文藝春秋)で田母神論文をめぐって西尾幹二と対談している。
 秦は最初の方で田母神論文の「全体的趣旨や提言については、私もさしたる違和感はありません」と語り、細部の理由付け・論拠のみを批判しているのかとも感じたが、全体を読み終えると「さしたる違和感はありません」とは一種のリップサービスの如きだ。そして、西尾幹二と異なり自分は「昭和史」の「専門家」だという自尊心をもっていることを感じさせる。
 秦郁彦は「職業的レーゾン・デートル」との言葉を用い、「現在、定説になっているのは専門家による第一次的な論証がなされたものであって、いまさら素人による議論では動かしがたい史実ばかりなのですから」とも発言する(上掲誌p.89)。
 秦郁彦がいかなる「専門家」教育・訓練を受けたのか調べてみたいところだが、それはともかく、秦は、「東京裁判」は「ほどほどのところに落ち着いた、比較的、寛大な裁判だった」との「感想」を語り(p.84)、再独立(主権回復)後の日本には憲法改正(九条破棄)の機会もあったのに、それをしなかったのは「東京裁判のせいでも、GHQのせいでもない。日本人自身に責任があるというべき」と語ってもいる(p.85)。
 上の後者は「左翼」がよく使う改憲論批判だ。「受容」したからこそ、形式・手続又は「正当性」に疑問があっても(機会はあったのに)改正しなかったのだ、という言い分になる。これは疑問で、また、憲法改正を主権回復後に「日本人」がしなかった背景には「東京裁判」史観というGHQが批判を許さず宣伝し、学校等で教育させた史観によって日本人に形成された「意識」もあるのであり、「東京裁判のせいでも、GHQのせいでもない」と断じることはできない(「日本人」に全く責任がないというつもりはない。例えば、GHQに迎合し「東京裁判史観」を広めた<進歩的知識人>が多数いたのだから)。
 やや離れたが、もう一人は「左翼」・保阪正康
 あらためて確かめはしないが、2006年夏に、保阪正康は、小泉首相の靖国参拝を、その「歴史観」・「歴史認識」の不十分さ・欠陥を理由として批判していた。自分は正確で詳細な戦前に関する「知識」や「歴史認識」をもっているのに、小泉首相にはない、というような、傲慢さが読み取れる批判の仕方だった。
 五 今回の最初の方で、中西輝政論考には部分的には<すさまじい>指摘もある、と書いたが、その<すさまじい>指摘にはまだ言及していない。別の回に譲る。
 それにしても、「歴史通」とは何と工夫のないタイトルだろう。「歴史通り(どおり)」と理解する人は少ないのかもしれないが、「歴史通」という言葉はやや分かりにくく、表紙の左上にやや大きく乗っていてもインパクトが足らない。他のタイトルを考えられなくはないが、創刊した以上、簡単には変えられないのが惜しまれる、とあえて記しておく。

0672/諸君!(文藝春秋)が廃刊。6月号(5月初旬発売)で終わり。

 (株)文藝春秋の月刊諸君!が6月号(5月初旬発売)で廃刊になることが決まったようだ。
 前回・前々回に言及した櫻田淳論考は諸君!4月号のもの。
 2月号を買って竹内洋の連載ものにあらためて興味をもち、数号を古書で買い求めた(従って文藝春秋の利益になっていない)のは諸君!だった。それ以前の諸君!は昨年初めくらいまではほぼ毎号新規購入して読んでいたが、昨年途中からどうもおかしいと思い始めた。
 記憶するかぎりでは、①「左翼」・保阪正康の連載を延々と続けさせている、②皇室問題につき<興味>を優先させる(対立を煽り立てるような)編集をしていると感じた、③文藝春秋本誌(月刊文藝春秋)もそうだが、田母神俊雄論文問題につき、完全に<傍観者>の位置に立った
 文藝春秋本誌では「左翼」・保阪正康の「秋篠宮が天皇になる日」とやらの論考が最大の売りであるかの如き編集・宣伝をしていた(そんなこともあって昨年末以降、文藝春秋本誌も購入していない)。
 諸君!は最近部数が落ちていたらしい。昨年平均は6万数千部に落ちた、という。これが多いか少ないかは判断がつきかねるが、自分自身が昨年途中から定期的購入者でなくなったのだから、同様の人が少なからずいても不思議ではない。
 西尾幹二は何かの雑誌上で、左傾化(・朝日新聞化?)する「文藝春秋」を批判・分析する文章を書いていた。
 廃刊の理由は様々あるだろうし、(株)文藝春秋の経営的判断・分析の正確な内容は分からない。
 ただ、他の「保守」系月刊誌(論壇誌)とは異なり、上記の如く、<左にもウィングを拡げようとした>ように感じられることが本来の読者層をある程度は失ったのは確かだと思われる。
 田母神俊雄論文をバッシングするか擁護するか、この雑誌と(株)文藝春秋は、明確な立場を表明できなかったのだ。また、諸君!に限っての記憶によると、「左翼」・保阪正康の論考(連載ものでなかったかもしれない)が大変よかった旨の読者投稿をあえて掲載したこともあった。そうした編集方針が部数減につながったのだとすると(その可能性は十分にある-講談社・月刊現代の廃刊の原因の一つも(こちらの場合はより明瞭な)「左傾化」だと思う)、「編集人」・内田博人の責任は少なくないだろう。「左傾化」又は「大衆迎合」化に舵を切りつつ、中西輝政、西尾幹二(あるいは4月号では長谷川三千子)あたりで巻頭を飾ってもらえば「保守」層は離れないだろうと判断していたとすれば(仮定形をとらざるをえないが)、読者を馬鹿にしていたとしか言いようがないものと思われる。
 40年続いた雑誌が休刊という名前の廃刊。保阪正康の名を見る機会が減るのは嬉しいが、竹内洋らの優れた、連載ものの論考・文章はどうなるのだろう。6月号で無理にでも終焉させるのだろうが、その点は残念なことだ。

0665/遅れて月刊諸君!2月号(文藝春秋)の一部。

 諸君!2月号(文藝春秋)を遅れて入手。
 一 田母神俊雄論文に関する編集の仕方は、さすがに(株)文藝春秋らしい(褒めているのではない)。
 二 竹内洋「革新幻想の戦後史15/『進歩的文化人』と『保守反動』」p.272以下を併せて読むと要するに、福田恆存「平和論の進め方についての疑問」(中央公論1954.12号)は清水幾太郎の剽窃(的)だと大熊信行は論評したが、事実は逆で、清水が福田の真似をした、ということのようだ。
 京都市立旭丘中学校事件のことをほとんど知らないので、興味深い。また遡って、未購入の1月号を入手しようか。
 同事件に関連して懲戒処分を受けた「左翼」教員側は、寺島洋之助、山本正行、北小路昴(北小路敏の父)ら。最高裁判決1974.12.10で懲戒免職処分は適法視された。これら教員側を応援した「進歩的」文化人・学者は、太田嶤(東京大学)、末川博(立命館)。市教委を支持して「左翼」側を批判したのは、臼井吉見(評論家)、坂田期雄(京都大学)。
 このあと、竹内洋はじつに興味深いことを書いている。
 坂田期雄が「進歩的」京都文化人等と対立したのは「かなり勇気のいる」ことだった。そして、この事件以来、坂田は「保守反動のレッテル」を貼られ、その「禍はその弟子」に及び、「有名国立大学」に転出する話が出ていた弟子(助手)の人事が「流れて」しまい、その弟子は結局は京都の某私立大学に就職した。坂田は、自分がレッテル貼りされたことは甘受するとしても、「弟子の就職の邪魔をした」ことになり慚愧に堪えないと語っていたとか(p.269-270)。
 政治学の分野で、<保守反動>の指導教授は大学院生たちを早く又はより有利に就職させられない状況にあったことを、中西輝政がたぶんほぼ2年前のやはり諸君!の座談会で語っていた(指導教授は高坂正嶤)。坂田期雄は当時京都大学人文研究所所属で専攻は日本史だが、広く思想史や政治学の「弟子」もいたようだ。
 中西輝政や竹内洋の証言?にかかる時代はだいぶ前だが、歴史学、教育学、政治学、法学、経済学等々の社会・人文系分野では、似たようなことが現在でも程度の差はあれあるのではないか。「左翼」的=学界<体制派>でないと、就職がむつかしいか、<よい>大学等には就職できないのではないか。逆に、平均的な業績があれば、例えば日本共産党員であるということは就職や転任にとって決定的に有利な要因になるような学問分野、科目、大学や特定の学部もあるのではないか。<大学の自治>、<学問の自由>の名のもとで、世間相場よりも多くの<左翼>たちが、そして日本共産党員を含む多くの左翼<組織員>たちが、大学には(社会系・人文系学部では)今なお棲息しているのではないかと思われる。そういう者たちの圧倒的な影響のもとで、学生たちは公務員(官僚)やマスコミ社員等となるべく卒業してきたことに、あらためて瞠目しておくべきだろう。
 三 中西輝政「日本自立元年」は巻頭の計13頁ぶん。ふつうならこの中西論考を読むだけでも購入するに値しただろうが、田母神俊雄論文に関する唯一の企画である対談の一人が保阪正康だと知って買わなかったのだった。
 2007年秋には中西はすでに「政界再編」への期待を語っていたと記憶する。この論考でも、最後の部分はこうだ。
 「日本生存のためには、どうしても劇的な政界再編を経て、真の保守勢力が結集されなければならない」。次の総選挙は「その第一歩となるはず」で、「そうならなければ、日本の明日はない」(p.36)。
 「真の保守勢力」の意味や核となるべき政治家集団が必ずしも明確になってはいないと思うが、かかる主張に反対するつもりはない。
 ただ、その現実的可能性を楽観視はできないと感じる。また、「そうならなければ」という条件つきの「日本の明日はない」との表現は、そうならないことがあれば文字通り「日本の明日はない」との意味で、じつはかなり悲壮な訴えかけなのではないか。

0626/田母神俊雄を「精神の変調を引きずる人」と罵倒した防衛大学校長・五百旗頭真、そして秦郁彦。

 田母神論文の内容公表後の政治的・社会的反応は、日本が奇妙な国家へと堕していることを明らかにするもので、爽快とは真逆の気分になった。
 政府・防衛大臣の「すばやい」対応は当面の問題先送りという<逃げ>の姿勢だったとしか思えない。村山談話の再検討というまともな声が内閣構成員や与党幹部から出てこないのは、きわめて不思議だ。
 驚いたのは、毎日新聞11/09朝刊の第二面右上に載っていた防衛大学校長・五百旗頭真の文章だ。
 五百旗頭が「軍人が自らの信念や思い込みに基づいて独自に行動することは…きわめて危険」だと書くのは一般論としてはまだよい。但し、田母神は<文民統制>を離れて独自に具体的な<防衛行動>をしたり部下に命令したりしたのではないので、今回の事件については的を射ていないコメントだろう。
 何よりも喫驚したのは、五百旗頭が末尾におそらくは田母神を念頭において、あの戦争の時代について「今なお誤りを誤りと認めることができずに精神の変調を引きずる人」と書いたことだ。「精神の変調を引きずる」とは、同じ省内の同僚とも言える人物に対する、ひどい中傷であり、罵倒だ。
 五百旗頭真こそが、GHQ史観・東京裁判史観によってずっと「精神の変調を引きず」っている人物なのではないか。
 こんなことを全国紙に平気で載せる人が現防衛大学校長なのだから、日本の現在の政治状況はヒドい。朝日新聞・毎日新聞は<防衛大学校長ですら…>と書けるわけで、情けないことかぎりない。
 防衛大学校長すらが<左翼ファシズム>の中に取り込まれている。怖ろしい世の中だ。
 なお、濱口和久「防衛大を蝕む五百旗頭イズムの大罪」月刊正論1月号(産経)p.94以下参照。
 五百旗頭はマルクス主義者ではないとしても、これまでの(校長就任前を含む)諸発言は「左翼活動家と同じ」らしい(上記濱口p.95-)。
 もう一つ憂鬱にさせたのは、秦郁彦が週刊新潮等で具体的な事実認識と評価について田母神論文をほとんど全面的に批判していたことだった。
 秦郁彦は保阪正康や
半藤一利
とは違ってマシな昭和史家かと思っていたが、どうもそれほどに評価できる人でもなさそうだ。歴史のシロウトが勝手なことを言うな、といった気分でも<専門家>と自意識する秦郁彦らにはあるのだろうか。
 専門性は認めるとしても、しかし、あの戦争についての、そして日本軍・日本国家についての評価はまだ確定できず、まだ確定してはいけないものと考えられる。
 旧ソ連やアメリカの当時の文書が今後発掘されたり公にされたりすることもあるだろう。中国では都合の悪い史料はとっくに廃棄されているだろうが、中国(共産党、国民党等)側にだって現在まで知られていない諸種の文書・史料があったはずだ。そのような史料によって、戦争全体の基本的イメージ自体が大幅に変わる可能性はまだある。まだ性急すぎる。少なくとも、重要な問題提起として田母神論文は受けとめる必要がある(私には<日本は侵略国家ではなかった>旨はほとんど<常識>ではあるのだが。なお、東京裁判「受諾」は歴史認識・歴史観の内容とは無関係)。
 朝日新聞・毎日新聞や立花隆・田原総一朗あたりが書いたり言ったりしているならば特段の驚きはないともいえる(感情的な反応に唖然とはしても)。
 だが、五百旗頭真や秦郁彦までが朝日新聞の側に立っているとあっては、気分を憂鬱にする。<左翼ファシズム>はこういう人まで取り込んでいるのか、と。

0619/文藝春秋本誌は「左」に立とうとして保阪正康・半藤一利・立花隆らを愛用し続ける-西尾幹二。

 一 最近の11/08に、西尾幹二が月刊諸君!(文藝春秋)12月号p.27に、文藝春秋はかつての中央公論と似てきており、朝日・論座、講談社・現代を欠く中で、文藝春秋と中央公論(=読売)は「皮肉なことに最左翼の座を占め、右側の攻勢から朝日的左側を守る防波堤になりつつある」と書いていることに触れた。
 西村幸祐責任編集・撃論ムック/猟奇的な韓国(オークラ出版2008.10)を捲っていたら、p.140で西尾幹二が上の旨をもう少し詳しく語っている。以下のごとし。
 文藝春秋(月刊)は「いよいよ怪しくなりだして」いる。この「本誌」は、「諸君!」とは別だとして距離を保とうとし、「ほんの少し左に」立とうとしている。そのため、「保阪正康、半藤一利、福田和也、立花隆といった面々を長々使い続けている」。今や明らかに「中央公論」の方へ寄っており、「知らないうちに朝日新聞の側に堕ちようとしている」。「『諸君!』とは違うんだ」と言っているうちに「朝日の側にどんどん傾いてしまっている」。
+  上で明記されている固有名詞のうち、保阪正康・半藤一利・立花隆の三人が紛れもなく「左翼」であることは私も確認している。例えば、半藤は「九条の会」賛同者、保阪は首相の靖国参拝糾弾者等々で、立花隆については論を俟たない。福田和也については、中川八洋が厳しい批判の本を出版しているようだが(所持はしていても)読んでいないこともあり(それ以上に福田の書いたものをほとんど読んでいないために)、私自身の判断・評価は留保する他はない。
 それでも、保阪正康・半藤一利に対して批判的であることは、西尾と私の間に違いはない。もっとも、文藝春秋(本誌)が叙上のようにヒドくなっているか否かは俄かには賛成しかねるが。
 「ほんの少し右」かもしれないが、月刊諸君!だって、保阪正康の文章を長々と連載している(12月号で38回め!)。月刊諸君!もまた、産経新聞以上に、「<保守>派としての<純度>」はとっくに薄れていると思われる。<保守>派論壇の力量自体が低下しているのかもしれないが。
 なお、月刊諸君!の連載のうち秀逸なのは、竹内洋「革新幻想の戦後史」だろう。完結と単行本化を期待して待ちたい。
 二 保阪正康・半藤一利に対して批判的であるのは小林よしのりも同じで、意を強くした記憶がある。
 古いサピオ(小学館)を見てみると(といってもまだ今年)、既述の可能性もあるが、小林よしのりは①3/12号で「中島岳志や保阪正康ら」を「薄らサヨク」と呼び(p.62)、②4/09号で、「保阪正康や半藤一利あたりの連中」も日本に戦争責任ありとの思い込みから逃れられない「被占領民」だとし(p.60)、③10/08号では「保阪の歴史観の異常さ」をかなり長く言及し(描写し)ている(p.55-59、この「31章」のほとんど全て)。
 これら以外に、保阪正康・半藤一利の二人は戦前の個々の軍人・政治家や個々の政策決定・戦術等の評価にかまけて<大局的>判断をしていない旨の指摘も読んだ(見た)記憶があるが、今は確認できなかった。
 保阪正康・半藤一利の二人は、戦時中のコミンテルンや中国共産党について、あるいはルーズベルト政権と「コミュニズム」との関連について、いかほどの知識と関心があるのだろうか。<敗戦>の責任者は誰かとその責任の度合いを日本国内の軍人・政治家について検討し論じているようでは、いかに個々の人物・事件や戦局の推移に詳しくとも、全体的なまともな歴史を語り得ないだろう。
 そのような保阪正康・半藤一利を(も)<愛用>しているのが文藝春秋(本誌も諸君!も)だ、と言って今回の当初の話題と結びつけておこう。

0471/天皇(制度)と佐藤優・原武史・西尾幹二。

 月刊・文藝春秋4月号(文藝春秋)の<総力特集>は<天皇家に何かが起きている>で、6名による座談会もある。
 保阪正康の発言をできるだけ読まないようにして通読したが、なるほど、先日に八木秀次による批判に言及した原武史は、「たとえば祭祀をすべてやめるような抜本的な改革をしなくてはうまくいかないのではないか」(p.111)などと、たしかに発言している。
 同号には偶然なのかどうか、佐藤優による原武史・昭和天皇(岩波新書)の書評も掲載されている。
 佐藤は正面からこの本を批判はせず、日本国家の将来を考えるための「知的刺激に富んだ材料を提供」しているなどと末尾の方で書いている。だが、基本的スタンスが原武史とは異なることは、佐藤優が自分の考え方を示す次のような文章でわかる。
 ・「評者は、天皇がこのような超越性に対する感覚をもっていることが日本人が生き残る上で大きな役割を果たしていると考える」。(「このような」とは簡単には、昭和天皇がアマテラス・伊勢神宮への祈願・祭祀と戦勝・敗戦を結びつけていたことを指す。)
 ・「恐らく筆者〔原武史〕が本書で述べたい結論とは反するだろう」が、「評者は、祭り主としての天皇に対する意識をわれわれが回復することによってのみ、日本国家と日本人が二十一世紀に生き残ることが可能になると思う」。
 ・この本の材料を咀嚼して「二十一世紀の日本がもつべき神話についてよく考えてみる必要がある」。
 これらは原武史の見解とは異なるのだろう。21世紀・将来の日本(国・人)にとっての<天皇制度>の具体的なありように関する佐藤優の考え方と私のそれが一致しているとは限らないし、佐藤優がその多くの著書で書いていることの中には私には理解が困難な所もあるが、<「祭祀を伴う天皇」制度>の継承・維持という点では、私は原武史よりもはるかに佐藤優に近い意見・立場だ。
 雅子皇太子妃に関する問題に立ち入る気は全くない。が、上のようなことを書いていると、月刊WiLL5月号(ワック)で西尾幹二が、「何をしてもいいし何をしなくてもいい」皇室になった「暁には」、「天皇制度の廃止に賛成するかもしれない」(p.43)と書いているのを読んで驚いたことを思い出さずにはおれない。
 八木秀次も同旨を指摘していたことだが、(神道的)祭祀を伴わない<天皇(・皇室)制度>は概念矛盾で、<天皇(・皇室)制度>とはそもそも(日本の歴史的・伝統的な考え方・方法によって)国・祖先のための祭祀を行う、という意味が付着しているものだろう。天皇(・皇室)にかかわる歴史・伝統について<明治期以降のもの>だとしてその歴史的伝統性を否定し揶揄しようとする歴史学者もおり、たしかに明治以降にのみ生じたこともあると思われる。だが、<国・祖先のための祭祀を行う>ということは天皇制度の成立以降の(おそらくはさらに「卑弥呼」の時代にまで遡る)長い、連綿とした伝統だろう。そして、そのような伝統の付着したものとして日本国憲法は「天皇」制度を存置した、という憲法解釈も十分に成立する筈だ。
 そのような<天皇(・皇室)制度>を維持するのかどうか、どのようにして維持するのか、が今日、あるいは近い将来に日本人の全てに問われる(問われている)、ということだろう。本来は、こうした「問い」が発せられること自体が避けられている方が望ましいと思うが。

0440/サピオ4/09号(小学館)の一部を読む。

 サピオ4/09号(小学館)。小林よしのりは依然として東京裁判・パール意見書に関して吠えている。知らなかったが、彼によると、太平洋戦争研究会編・東京裁判「パル判決書」の真実(PHP、2006.12)はとんでもない本で、編者と区別されている執筆者・森山康平(1942-)は南京大虐殺30万人説、「三光作戦」実在説を採る別の本を出している「まるでシーラカンス」(p.57)の人物のようだ。PHP研究所の出版物の中に、なぜそんな「左翼」又は「自虐」丸出しの者の書いたものが混じるのだろう。
 小林はいろいろとよく読んでいる。というのは、「中島〔岳志〕のような保守オタクも、森山〔康平〕のようなシーラカンスも、保阪正康や半藤一利あたりの連中も、みんな同じ穴の狢である」と書いている(p.60)。半藤一利は昭和史の専門家の如く振る舞っているが、その著の昭和史・戦後篇は骨格のないつまらない本だし、九条の会への賛同者の一人で九条護持論者だ。保阪正康と半藤一利を並べて位置づけてくれるとは、小林と私は(そのかぎりでは)同じ感覚で、親しみ?を覚える。
 あまり言及したことはないが、井沢元彦の多数の著書の愛読者でもある。
 井沢もサピオにしばしば登場するが、上掲号には「いまからでも遅くはない/北京五輪をボイコットせよ」を書いている。
 その中で、井沢は中国は「帝国主義思想にとらわれた『19世紀の国家』なのである」と断言する(p.95)。当然の見方だと思うが(その説明もある)、こう明瞭に書かれると却って新鮮だ。そして、「中国というのは巨大な泥舟」で、「どんなに大きなエンジンを積もうが、いずれ沈むことは間違いない」と締め括る(p.97)。
 一部に「市場経済」を取り込んでいても、社会主義・共産主義を標榜する、共産党=国家権力の国が永続せず、いずれソ連や東欧諸国のように<崩壊>するのは、マルクス主義者の言葉を借用すれば、<歴史の必然>だろう(北朝鮮も同様)。
 日本共産党もいずれ「沈む(=消滅する)ことは間違いない」。同党は1970年前半に「70年代の遅くない時期」に<民主連合政府(の樹立)を>とか言っていたが、現在では「21世紀の遅くない時期に」へと変えているようだ。「21世紀の遅くない時期に」とは、2050年までなのか、それとも-残り1/3が「遅い時期」だと考えて-2065年くらいまでなのか。そのどちらにせよ、日本共産党自体が「21世紀の遅くない時期に」存在しなくなっている(消滅・解体している)と予想される。その瞬間を何とか生きて体験したいものだが、はたして。

0426/小林よしのりはサピオ(小学館)等で中島岳志らアカデミズムを批判する。

 ほとんど登場させていないが、小林よしのりからは、ある意味、ある程度、影響を受けている。ヴィジュアルな手法での主張内容の<明快さ>によることも大きいだろう。
 その小林よしのりが、おそらく月刊正論2007年11月号(産経新聞社)以来、同誌2008年2月号とともに、雑誌・サピオ(小学館)の2007年11/28号あたりから同誌上で毎号継続して、<パール判事「意見書」>の理解をめぐって、主として中島岳志・パール判事-東京裁判批判と絶対平和主義(白水社、2007年)を批判している。なお、牛村圭も、雑誌・諸君!(文藝春秋)の2008年1月号に「中島岳志著『パール判事』には看過できない矛盾がある」(p.198~)を書いている。
 パール判事「意見書」そのもの(邦訳でも)、中島岳志の上掲書、牛村圭・「戦争責任」論の真実-戦後日本の知的怠慢を断ず(PHP、2006)を読んでいないため、<論争>に参加する資格はそもそもないが、小林の書いたものを読んでいると、<小林・中島論争>のかぎりでは、小林が自信満々で書いているように-それが理由ではないが-小林よしのりの理解・中島に対する主張の方が適切だろうと思える。
 議論又は戦線は広がって小林は西部邁のパール理解(月刊正論1月号p.150-、「パール判事は保守派の友たりえない」)も批判しているが、その西部邁自体が、(小林・中島の)「応酬については、小林の言い分のほうに圧倒的に歩がある。そう評するのが公正というものであろう」と言い切っているのだ(上掲p.150冒頭。但し、二人の間の「応酬」の具体的または正確な内容を私が詳細に知っているわけではない)。
 かりに小林はもちろん西部や牛村の中島著に対する指摘が正当なものだとすれば、中島岳志の上掲書に肯定的評価を与えた書評者・論者・新聞等のマスコミは、過ちを冒したことになる筈だ。
 小林よしのりはサピオ3/12号で、中島著を種々の表現で「絶賛」した「学者」として、御厨貴(東京大学)、加藤陽子(東京大学)、赤井敏夫(神戸学院大学)、原武史(明治学院大学)、長崎暢子(龍谷大学)の5名を明示している(p.59。なお、中島岳志北海道大学)。
 「絶賛」という表現は正確ではなく、「肯定」した(「肯定的評価」を述べた)、又は問題点・欠点に言及しなかった、と表現した方がよい可能性もある。だが、一般雑誌上で明示的に名指しで批判され、パール意見書(「判決書」は正確ではない)を「読んでいないか、読んでいるとしたら、…小学入試不合格の国語力しかない者たち…。バカデミズムである」とまで書かれているのだから、弁明・釈明または反論をきちんと公にすべきだろう。学歴だけみると高校卒業の(筈の)小林にこうまで指弾されて沈黙しておれるのだとすれば、大学を卒業し大学の先生・「学者」になった方々は、なんと<無神経な>あるいは<傲慢な>ことだろう。
 ついでに、小林はサピオの上記号に「中島岳志や保阪正康ら『薄らサヨク』…」と記している(p.62)。最近この欄で保阪正康に批判的な書き込みをしたばかりなので、保阪正康を「サヨク」と明瞭に評する者がいる、と感じて、些細なことだが自分の感想・評価は大きくは誤っていないだろうと心強く感じた。
 もっとも、小林よしのりの論じ方をすべて肯定的に見ているわけではない。
 瑣末なことかもしれないが、基本的に重要な点だとも思える。すなわち、サピオ3/26号(小学館)p.55~も含めて、東京裁判を「認める(認めない)」とか、同裁判を「肯定する(肯定しない=否定する)」ということの意味をもう少し厳密に示した上で叙述・議論する必要があるのではないか(同じく「東京裁判」との概念にもその設定・手続・管轄なのか「判決」内容(多数意見)なのかという問題もあるだろう)。このことはむろん、小林よしのり以外の東京裁判を論じる全ての者についても言える。

0424/大月隆寛、辻村みよ子、保阪正康。

 1.産経新聞3/19の「断」というコラムで、大月隆寛が、福田康夫首相も用いた「生活者」という言葉に(「オルタナティブ」や「自立」と同様に)警戒する必要がある旨を書いている。<生活者(市民)の目線で>などと言っている政治家は信用できない旨をこの欄で書いたことがあり、大月には全く同感だ(大月の文章は愉快でもある)。
 大月は「プロ市民系のお札みたい」な言葉の筈なのに福田首相までが何故?、という叙述をしていたので、「市民」という言葉自体が「プロ市民系」の用語であることがあることを思い出した。いわく<市民運動>・<市民参加>・……。
 2.ここでさらに連想したのだが、憲法学者・辻村みよ子(現在、東北大学)は2002年に『市民主権の可能性-21世紀の憲法・デモクラシー・ジェンダー』という著書を刊行している(有信堂高文社)。「デモクラシー・ジェンダー」という概念の並び、すでにマルクス主義(但し、非共産党系と見られる)憲法学者としてその本の一部に言及した杉原泰雄(元一橋大)が指導教授だったらしいこと、と併せて推測すると、この「市民主権の可能性」というタイトル自体が、「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」(大月の上のコラム内の言葉)の概念である可能性があるだろう。
 安い古本が出れば、この辻村の本を読んでみたい。なお、
辻村みよ子には(これまた所持しておらず安い古本待ちだが)『人権の普遍性と歴史性―フランス人権宣言と現代憲法 』(1992)という本もある。ルソー・フランス革命・「人権宣言」に親近的な者であることにたぶん間違いない(かりに「賛美者」とは言えなくとも)。
 ついでにさらにいうと、辻村みよ子は小森陽一と岩波ブックレット・有事法制と憲法(2002)を書いてもいる。「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」の精神世界に居住する(と見られる)れっきとした憲法学者が国立大学(法人)に現にいらっしゃることを忘れてはならない。
 3.言葉、ということでさらに連想したのだが、かつては「左翼」又は進歩的文化人・知識人に馴染みだった筈の言葉に、<ファシズム>がある。この言葉自体はよいとしても(つまりドイツやイタリアについては使えるとしても)、少なくともかつては、日本も戦前(・戦中)は「ファシズム」国家だったという認識が、意識的に又は暗黙裡に表明されていたと思われる。何といっても、先の大戦は、<民主主義対ファシズム>の戦争で、道義的・倫理的にも優る前者が勝利した、と(GHQ史観の影響も受けて)語られてきたのだ。
 しかるに、丸山真男が典型だったが、戦前日本をファシズムと規定するかかる用語法は近年はあまり用いられなくなった、と思われる。
 ところが、この語を2006年の夏に平然と用いていた者に、評論家・保阪正康がいる。以下の記事にはこれまでも別の角度から言及したことがあるが、保阪正康は2006年8月の朝日新聞紙上で、次のように明記した。
 「…昭和10年代の日本は極端にバランスを欠いたファシズム体制だった…」、「無機質なファシズム体制」が2006年08.15に宿っていたとは言われたくない(「ひたすらそう叫びたい」)。
 さて、保阪正康は具体的には又は正確には「ファシズム(体制)」をどのようなものと理解し又は定義したうえで、日本はかつてその「体制」にあり、その再来を憂える、と主張しているのか。歴史家又は歴史評論家(とくに昭和日本に関する)を自認するのなら、この点を揺るがせにすることはできない筈だ。どこか別の本か何かに書いているのかもしれないが、かりに平然と又は安易に戦前日本=ファシズムというかつての(左翼に主流の)図式に現在ものっかっているだけならば、昭和日本に関する歴史家又は歴史評論家と自称するのはやめた方がよい。かりに「作家」の資格で文章を書いているとしても、かつての「プロ市民系」、<社会党共産党界隈>の概念を、その意味を曖昧にしたままで安易に用いるべきではなかろう。

0369/保阪正康は何故、諸君!に書けるのだろう。

 過去に書いたことの繰り返しがほとんどになるが、保阪正康について。
 保阪は首相の靖国参拝反対論者だ。朝日新聞の昨年8/26に登場してその旨を述べ、<靖国神社には「旧体制の歴史観」、超国家主義思想が温存され露出しているので参拝は「こうした歴史観を追認することになる」>と理由づけた。そして、この朝日上の一文を<「無機質なファシズム体制」が今年〔今から見ると昨年〕8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」>との(趣旨不明の)情緒的表現で終えていた。
 また、保阪は文藝春秋の昨年9月号にも原稿を書いて、<講和条約までは戦闘中でそのさ中の東京裁判による処刑者は戦場の戦死者と同じ、と自らが紹介している松平永芳靖国神社宮司の見方を、占領軍の車にはねられて死んでも靖国に祀られるのか、「かなり倒錯した歴史観」だ>、と「かなり エキセントリックな」言葉遣いで批判していた。
 10/02に書いたように、今年の諸君!11月号(10月初旬発売)の一文はひどいものだった。呆れてほとんど引用しなかったのだが、いま少しは詳しく紹介してみよう。
 まずタイトルが「『安倍政権の歴史観』ここが間違っていた」で、「安倍政権の歴史観」なるものを俎上に上げて批判しようとする。そして、逐一の長い引用は避けるが、例えばつぎのような文章・表現で安倍内閣または安倍首相を批判していた。
 ①「丁寧に論じれば論じるほど、安倍首相が社会的現実や歴史的事実の一面しか見ていないことを世間に知らしめてしまったのだ。/とくに歴史観や歴史認識で、それが露骨にあらわれていた。」(p.58)
 ②「このような言葉の軽さは、安倍首相が社会的現実や歴史的事実を俯瞰する目をもっていないことを示している。そうした歴史を語るときの言葉の軽さが、国民に信頼されないという結果につながったのだ。」(p.59)
 ③「『政治とカネ』や『年金問題』、さらに『都市と地方の格差』といった生活に直結する問題だけで敗れたというより、安倍首相のもっている歴史認識、それにもとづいての言語感覚そのものが国民の信頼を勝ち〔ママ〕得なかったと分析する論の方が説得力を持っている。」(p.60)
 ④「つまり、安倍首相の言説はきわめてご都合主義の論であり、歴史的事実の側面だけをつぎはぎしただけの、あまりにも軽い歴史認識ということになってしまう。」(p.61)
 ⑤「安倍首相の片面しか見ない、いわば都合の悪い事実には目をつぶる、あるいは自らが酔う言語を口にし、それを他者に押しつけるという性格は、…」(p.61)
 ⑥「安倍首相は、現代社会の首相としての資質に欠けていただけでなく、その歴史認識そのものが歪みを伴っていたのである。にもかかわらず首相になれたところに、現代日本社会が内包しているブラックホールがある」(p.61~62)
 ⑦「だが安倍首相のように、常にある一面だけしか見つめず、そこからしか論を引き出せないとするなら、せめて…などといった大仰なスローガンを口走るべきではない。」(p.62)。
 ⑧「安倍首相には非礼な言い方」だが、「独裁者的な独りよがりの体質、そして反時代な言語感覚が世間にには受け容れられないことを証拠だてたという意味で、日本社会はある健全さを示したというのが、私の実感」だ。(p.62)
 上の⑧は最末尾の文章で、7月参院選の自民党敗北を喜んでいることを示している。
 さて、第一に、上の③は7月参院選・自民党敗北の原因分析だが、こんな分析をしていた新聞・論壇・評論家はいた(あった)のだろうか。そもそも「安倍首相の歴史認識(>それにもとづく言語感覚)」は、どの程度、選挙の争点になっていた、というのか。
 保阪は、自分が得意とする<歴史認識>・<歴史的事実>の分野で議論をしたいという目的のためにのみ、不得意な社保庁・年金問題、経済的「格差」問題等を避けて、上の③のようなことを言っているにすぎないのではないか。
 この人にかかると、「歴史」を語る又は「歴史」に関連する行動をするおそらくすべての首相が、小泉もそうだったように、<歴史認識>不十分・不正確とかの理由で批判されるのだろう。そんな自信をもてるほど、自分は<現実・将来を見据えての歴史的知識・歴史認識をもっている>と、保阪は鼻高々に言えるのだろうか。
 第二に、上以外に保阪が言っているアレコレも全然説得力がないのは何故だろうか。
 「社会的現実や歴史的事実の一面しか見ていない」、「社会的現実や歴史的事実を俯瞰する目をもっていない」、「きわめてご都合主義の論」・「歴史的事実の側面だけをつぎはぎしただけの、あまりにも軽い歴史認識」、「片面しか見ない、いわば都合の悪い事実には目をつぶる、あるいは自らが酔う言語を口にし、それを他者に押しつける」、「歴史認識そのものが歪みを伴っていた」、「常にある一面だけしか見つめず、そこからしか論を引き出せない」、「独裁者的な独りよがりの体質、そして反時代な言語感覚」。これらは当時の現役首相に向けられたものだが、言葉だけが浮いている感じがあり、少なくとも私の腑には全く落ちない。
 何故だろうと考えるに、要するに説明が足りない、あるいは、具体的・実証的な根拠・理由を説得的に示すことができていないからだ。
 例えば、詳細に論じるのは阿呆らしいので簡潔にするが、④の前には「戦後レジームからの脱却」という語を問題にする部分がある。だが、この言葉・概念の意味について<保守派>に一致がないだろうことは認めるとしても、保阪は特定の意味に理解して、自分が批判しやすいように対象を措定しておいてから「ご都合主義」等と批判する、という論理を採用している。
 これ以外の部分にはまるで又はほとんど、理由・根拠の提示が欠けている。少なくとも私には、いかなる理由・根拠が示されているとも読めない。
 この人は一定の結論を予めもって、歴史家又は歴史評論家らしくもなく、実証的・具体的・詳細な事実の提示を省略したまま、<政治評論家>ぶった文章を書いている。
 ついでながら、批判対象が安倍首相(当時)でなかったら、つまり、歴史・政治等に関する学者・研究者・評論家個人を批判する原稿であれば、保阪はこんな一面的で、実証性を欠く、杜撰な文章を書いただろうか。安倍が反論などしてこないだろうことに甘えて、適当に、感情混じりで、字数を埋めたとしか思えない。
 この保阪正康は諸君!に毎号昭和史に関する連載をしているようなのだが、新聞広告によると、現在発売中の諸君!では、それとは別の原稿をまた書いているらしい(「昭和天皇、秘められし『言語空間』」)。
 佐藤優、竹内洋、秦郁彦ら、読みたい人々の文章が多々あるようだ。しかし、保阪正康の文を掲載しているという一点で、諸君!2月号(文藝春秋、発行人・内田博人)を購入することを逡巡している(タダなら喜んで頂くが)。
 追記-アクセス数は12/27の木曜日に累計19万を超えた。14日間で10000余増えたことになる。

0351/諸君!はどこへ。サピオの新聞特集の方がマシ。

 やや古いが、諸君!12月号(文藝春秋)は<「朝日崩れ」が止まらない>を特集の一つにしている。
 だが、その先頭又は中核のはずの上杉隆の論稿は「朝日崩れ」を叙述したものでも論じたものでもない。朝日のあくまで一端・一側面に言及があるだけだし、最後の文に見られるように、朝日新聞に限らない新聞(社)一般を問題にしているところも多い。他の企画?も含めて、上の<「朝日崩れ」が止まらない>というタイトルは羊頭狗肉だ。
 サピオ11/14号(小学館)の特集<大新聞の「余命」>の方がはるかによい。
 上の中のp.18~19で塩澤和宏はこう書いている。
 今年4月に、新聞への「信頼度」調査で朝日が読売・日経に次ぐ第三位との「実態が明らかに」なって朝日の「一部役員・幹部に衝撃が走った」。「60代や70代以上など、朝日が勝っている世代もあるが、働き盛り世代では『惨敗状態』」。/朝日新聞社の「出版本部はこの9年間で営業収入が半減。07年度は10億円を超える赤字が見込まれる。/…秋山耿太郎社長は7月…『06年度の営業収入は13年ぶりに4000億円を割った。3年後には新聞事業が赤字になってしまう』などと危機を訴えた。
 出版本部には朝日新書も含まれるのだろうか。同新書の人気のなさ、精彩のなさ(と私は感じている)を見ると、上のような状態の一端は分かる。そして、塩澤は、こう締め括る。
 「前政権への『安倍叩き』でも常軌を逸していた朝日新聞。その『劣化』は、止まる気配がない」。
 こちらの方には、諸君!の中によりもまともな指摘がある。
 いつぞや諸君!11月号保阪正康論稿を「ひどい」とこの欄で書き、同誌編集人の名も記したが、諸君!12月号は「読者諸君」という読者の声欄に、11月号の保阪論稿の「多角的な分析は断然光っていて、ご意見は実に的を射ている」等と述べる一意見又は感想文をとくに掲載している。
 諸君!中の韓国・北朝鮮・中国に関する記事や座談会はのちに文春新書としてまとめられて発売されたりして、文藝春秋に利益をもたらしている筈だが、そうした記事や座談会の論調と<戦後民主主義>者の範疇に入ると私は評価している保阪正康の議論とは基調が異なっている。
 保阪正康が安倍前総理を罵倒する論文を載せ、それを支持する<投書>もとくに載せるとは、諸君!(編集人・内田博人)のスタンスはいったい奈辺にあるのだろうか。文藝春秋の「オピニオン」は分裂し、漂流しているのではないか(やや<左・リベラル>辺りの月刊現代(講談社)に近くなるのだろうか)。
 というわけで、近年諸君!は毎号購入し目を通してきたのだが、しばらくは見合わせることにしている。

0331/保阪正康よ、「戦後レジーム」はそんなに良かったのか。

 雑誌・諸君!11月号に載っていたからこそ読んだのだが、保阪正康「『安倍政権の歴史観』ここが間違っていた」はヒドい。内容は、週刊金曜日に掲載されても不思議でないものだ。
 7月参院選の結果につき、安倍の「歴史認識、それにもとづいての言語感覚そのもの」が否定されたと「分析する論の方が説得力をもっている」、と保阪は「分析」する。こういう議論は初めて読んだ。
 きっと保阪は、個人的には詳細かつ真っ当と思っている立派な「歴史認識」をお持ちなのだろう。朝日新聞から文藝春秋まで舞台を広く活躍しておられるようである、この日本史(とくに昭和時代)関係<文筆芸者>は(本当の「芸者」さんには失礼になった。詫びる)、今後の政界のことには一言も触れず、この論稿では安倍前首相を悪しざまに罵っている。表現は一見穏やかでも、罵詈雑言に近い。「独裁的な独りよがりの体質」、「反時代的な言語感覚」-この2つは最後の4行の中に出てくる。
 言論は自由だが、文藝春秋・諸君!編集部(編集人・内田博人)は、なぜこんな人のこんな文を載せるのか?
 同号の八木秀次「艱難辛苦の福田時代が、日本の保守を本物にする」は、なるほどといく度か肯んじつつ、読み終えた。
 同号の中西輝政よりは先に言及した彼の月刊WiLLの方が面白く、優れていると感じた。もとより、福田康夫や多くの自民党議員に対する批判・皮肉・疑問はそのとおりで、反対するつもりは全くないが。
 

0239/森達也の憲法九条理解は誤っている。

 森達也という人の本は、たぶん少なくともまともには読んだことがない。この人が週刊文春6/28号で保阪正康監修・解説の50年前の憲法大論争(講談社現代新書、2007)の書評をしている。
 字数の半分弱が対象書の紹介・論評で残りは憲法(改正)に関する自論の展開というのも大いに気にかかる。さらには、不正確なことを平気で?書いているのでますます気になる。こう書く。
 「改憲派は自衛権を否定するのかと九条二項の撤廃を主張する。ここがまずは勘違い。自衛権は自然権でもある。…つまり九条二項は自衛権を否定するものではなく、自衛権の行使としての武力を否定する理念なのだ」(p.146)。
 森達也が「高揚した危機管理意識と被害者意識が突出するばかりのこの状況で、…憲法を絶対に安易にいじるべきではない」と主張する<護憲>派だから、指摘しておくのではない。上の短い文章(5つの文)には二つの大きな誤りがある。
 第一に、「改憲派は自衛権を否定するのかと九条二項の撤廃を主張」している、という認識は誤っている。「ここがまずは勘違い」と返しておく。
 
第二に、「
九条二項は自衛権を否定するものではなく、自衛権の行使としての武力を否定するものだとの認識は、概念用法が正確ではなく、結果として誤っている。
 まず、改憲派は自衛権が国家にありつつもその自衛権を「陸海空軍その他の戦力」によって行使することを認めていない九条二項の削除を主張している。
 したがって、「九条二項は自衛権を否定するものではなく、自衛権の行使としての戦力(の保持)を否定するものだと説明するならば正しいが、「戦力」に代えて「武力」という概念を用いるのは適切ではない。
 なぜならば、現実に存在する自衛隊は、政府・内閣法制局の言葉遣いによれば、九条二項がいう「陸海空軍その他の戦力」ではない、「武力」又は「実力」なのだ。九条二項にいう「戦力」ではないからこそ自衛隊の存在は合憲だと政府・内閣法制局は説明してきているのだ。
 九条二項の理念が「自衛権の行使としての武力を否定する」ことと述べる森達也が現実に存在する「武力」装置としての自衛隊をどう評価しているのかは不明だが、ともあれ、上のような、一見正しそうできちんと読むと誤っている憲法九条に関する言説を撒き散らす評論家・著述業者等々が-今回発見した森達也も含めて-少なくないので、ああやれやれという気がする。
 今後も、中途半端な九条理解にもとづく、一知半解の議論も多くなされるだろう。警戒が要。
 それにしても、書評欄の半分を対象著書とは無関係の自分の見解で埋め、かつ上のような基本的な誤りを含む文章を書き、さらについでに書けば最後の字数埋めのためか「今の政治家の質が悪くなっていると僕は書いた。これはすなわち、彼らを選ぶこの国の民意が、この半世紀で激しく劣化していることと同義なのだ」と、じつに陳腐な、まことに平凡な内容の文章で終えて、おそらくは結構高い原稿料を出版社(文藝春秋)から貰えるとは、週刊誌文筆商売というのは、何とイイカゲンでかつ何とオイシイものだろう。

0232/潮匡人・司馬史観と太平洋戦争(PHP新書、2007)をほんの少し読む。

 潮匡人・司馬史観と太平洋戦争(PHP新書、2007.07)を一昨日に買って第二章「「昭和」に通底する司馬史観の陰影」の最初の方だけをとりあえず読んだ。
 <司馬史観>を問題にする前に半藤一利らの<歴史観>を批判している。叙述の順序どおりに辿るとこうだ。
 1.2005年7/18テレビ東京の戦後60年特別企画番組(企画協力・半藤一利)には新鮮さはなく、「陸軍悪玉・海軍善玉という通俗的歴史観に彩られ」、「反戦平和教」の健在を示す「一般人の声」の紹介もあった。
 2.昨2006年8/15民放各局は早朝からヘリを飛ばして小泉首相の靖国神社参拝を報道した。しかし、何故、正午からの政府主催・全国戦没者追悼式、すなわち「両陛下も頭を垂れた厳粛な黙祷の模様」は中継しなかったのか。「戦没者の冥福を祈る」姿勢のないテレビ人が首相靖国参拝を批判するとは「不公正を通り越して不潔」だ。
 3.昨2006年8/07NHK「硫黄島玉砕戦」は「戦争の惨たらしさ」だけを強調。
 4.昨2006年8/12NHK週刊こどもニュースは戦争の原因についての質問に「資源の乏しい日本…が、資源のある中国に攻め込み、そして戦争に」なった、と「古びた帝国主義戦争史観」による「史実からも遠い」回答をした。
 5.昨2006年8/13NHK「日中戦争」は南京事件に触れたが「便衣兵自体が国際法違反」で「ハーグ条約の保護を受ける資格がない」ことを述べず、取材協力者リストには笠原十九司吉田裕各氏などの<大虐殺派>と秦郁彦氏らの<中間派>しか名前がなかった。
 6.篠田正浩監督の映画「スパイ・ゾルゲ」を観たが、篠田の「希望」とは「この世に国家なんか存在しない」状態で、「二〇世紀が生んだ夢と理想」とはゾルゲの最後の言葉「国際共産主義万歳!」にある「国際共産主義」を指すようだ。佐藤忠男執筆の映画パンフ中の文には、ゾルゲは「ドイツのナチズムと日本の軍国主義の打倒のために行動」した、とある。この作品の「バランス感覚には疑問を禁じ得ない」。
 7.加藤周一は「欲しがりません勝つまでは」や「撃ちてし止まん」の戦時中の標語を日本政府が作ったと書いているが、これらは朝日新聞等による「国民決意の標語」募集の入選作だ。
 8.中央公論2005年9・10・11月号は「戦争責任」という視点による連続特集企画だが、この視点自体が「一定の立場に偏して」はいないか。
 9.文藝春秋2005年11月号も大座談会「日本敗れたり-あの戦争になぜ負けたのか」で対抗した。発言者は半藤一利・保阪正康・中西輝政・加藤陽子・福田和也・戸高一成の6名(のち文春新書化)だが、この座談会も陸軍悪玉史観
で、また、軍事学的知識が不十分。
 福田和也は「海軍の草鹿任一」を揶揄している。また、「どこか別の国の戦争を語るかのような彼らの姿勢」に違和感を覚えた

 10.半藤一利・昭和史(平凡社)は、ア.「広田内閣がやったことは全部とんでもないことばかり」等と広田弘毅内閣を断罪するが、昭和20年までの「昭和史」で広田内閣のみを批判するのは妥当でなく、「公正さを欠いている」。仮に一人挙げるなら、近衛文麿だろう。
 イ.南京事件につき30万という「大虐殺説」は否定するが、「南京で日本軍による大量の「虐殺」と各種の非行事件の起きたことは動かせない事実であり、私は日本人のひとりとして、中国国民に心からお詫びしたい」、「三万人強ということになりましょうか」・「だんだん自己嫌悪に陥ります」と書く。だが根拠とする陸軍関係者の文献は「不当」な行為だったと認めてはいないし、上の後半は「文字通り、自虐史観」だ。
 ウ.ミッドウェー海戦に関する「運命の五分間」は定説なのに勝手に否定し、さらに、草鹿龍之介元海軍中将を誹謗・罵倒している。半藤の理解が正しいならば、文藝春秋発行の別の昭和史に関する本の中の叙述と矛盾し、後者も訂正すべきだ。
 エ.「何とアホな戦争をしたものか」との締め括りには、「どこか別の国の歴史を振り返っているかのようだ。同胞の歩みを想う姿勢は微塵も感じられない」。
 このあと、潮氏は憲法九条に関する岩波冊子上の半藤氏の文章を批判しているが、別に扱う。
 11.保阪正康・あの戦争は何だったのか(新潮新書)も半藤の本と同じ認識が多いし、「通信傍受や暗号」に関する「基礎知識」もない。「原爆を落とされ、負けた。…アメリカに占領されてよかったという見方もできる」と書く、この本がなぜベストセラーになるのか。大東亜戦争肯定論者に「戦後、日本で安穏と暮らしながら、臆面もなくよく言うよ」と書いているが、保阪自身もまた「日本で安穏と暮らし」てきたのでないか。
 このあと「司馬史観」に論及していっているが、別に扱うことにしよう。
 わずか30頁分の紹介に長文を費やしたが、
NHKを含むマスコミのいいかげんさを批判したくなるのも分かる。
 また、昭和史(戦前)の細かなことや議論は知らないが、私は半藤一利と保阪正康を信用していないので、どちらの本も読んでいないが、潮の批判的指摘を快く感じる。また、おそらくは当たっているのではないかと思われる(なお、草鹿任一、草鹿龍之介
両氏は従兄弟の関係で、いずれも著者・潮氏の母方の親戚らしい)。
 なぜか半藤一利に関連する書き込みが続いた。

0176/1956年3月衆議院内閣委員会での神川彦松公述人と石橋政嗣委員の質疑。

 50年前の憲法大論争(講談社現代新書)に1956年3月の衆議院内閣委員会での公述人・神川彦松と委員(議員)石橋政嗣(日本社会党、のち書記長・委員長)のやりとりが掲載されていて、興味を惹く。
 神川彦松は他の二人の公述人(中村哲・戒能通孝)と違って「日本国憲法」を占領下憲法・マッカーサー憲法とか称して、制定過程・日本人の民主憲法ではないことを問題にする「公述」をした。
 これに対して、石橋政嗣は、「民主主義と平和主義と基本的人権尊重主義の三つの偉大なる原則」をもつことを「自民党諸君」も不可とはしていない、「現行憲法の三大原則-これが生命であります。これを是認しておる」ということは、「どのような成立の経過を経ようとも、りっぱなものではないか」、とまず言う(p.89-90)。
 ここで、1956時点でとっくに、1.「民主主義と平和主義と基本的人権尊重主義」という「三大原則」が語られていること、2.内容がよければ「どのような成立の経過を経ようとも」よいではないかとの考え方が示されている、ということが興味深い。
 以上のあと、石橋は神川に対して、内容は立派でも「制定の由来」からして「無効」と考えているのか、と問うている。そして、1.占領下だったからというなら独立と同時に「無効宣言」してもいいのに「自民党の諸君」がそれをする勇気がないのはおかしい、2.明治憲法の改正手続によっているので「無効」というなら了解もできる、とまで付け加えている。
 神川彦松の答えはこうだ。1.国際法上は占領終了と同時に「日本国憲法」は「失効」している。2.しかし、国内法上は「失効させるだけの手続」が必要だ。いくつか方法はあるが、「ひとつの方法は…、国会において…国際法上無効であるから失効すると宣言をしてよろしい」。
 国際法と国内法の関係は単純にそうなのか(国際法上無効→憲法も国内法上無効?)はよく解らないが、この1.2.はいちおうは理解の範囲内に収めることができる。だが、次の3.4.がややこしい。そのままの引用では相当に意味不明なのではなかろうか。
 3.「マッカーサー…ですらあれだけ驚くべきことを断行」しながら「明治憲法の七十三条」を利用したのだから、「われわれもマッカーサーの故知にならいまして…憲法九十六条の手続に従ってやったほうが穏当」。
 4.だが、「法理」的には「日本の憲法制定権を代表している日本の国会が無効の宣言をし、…続いて国民投票についていちおう念のためにやってみて、…大多数が大賛成と言えば…私はよろしい、こう思う」(p.100-1)。
 この神川の発言に対して、石橋政嗣は、最初に「理論の矛盾をみずから露呈」したと指摘し、「帝国憲法の七十三条の手続きを踏んでいるんだから無効を宣することはできないということは、…実質的に現憲法をお認めになっている」、これは「理論が一貫しておらない」と述べている(p.102)。
 以上は神川・石橋<論争>のごく一部にすぎないが、私には、噛み合っていないと思える。
 すなわち、解説者・保阪某は何ら言及していないのだが、石橋は神川意見を<明治憲法の改正手続によっているので無効宣言できない>旨理解しているが、その理解は正しくはないのでないか。
 神川は上の2.4.で明らかに国会による無効確認又は無効宣言が可能である旨を述べている。問題は3.だが、その趣旨は、マッカーサーは国民主権原理の憲法を明治欽定憲法の改正手続で<作らせた>くらいだから、「日本国憲法」の改正条項(96条)を利用して実質的には「改正」ではない(「日本国憲法」の無効を前提とする)新憲法を制定するくらいの<巧緻>さがあってもよい、ということではないか、と思われる。上の限定された部分だけをとっても、国会が無効宣言をできないとは一言も言っていないのだ。
 細かなことだが、こんなふうに論旨が噛み合っていない、相手の趣旨を正確に理解しないままでの議論のやりとりが明瞭に見られるのは、個人的には、又は<頭の体操>的には、相当に<面白い>。
 そんなことよりも、つぎの点の方が、憲法改正に関する議論にとっては重要かもしれない。
 第一に、神川は上の4.で「国会が国民の憲法制定権を代表」していると言っているが、「日本国憲法」の無効宣言はできるがそれまでは有効なので憲法制定権は「日本国憲法」により国民に移ったと理解しているようだ。実質的・本質的に「無効」ならば明治憲法の効力がなお残る余地がありそうで、その点は少なくとも議論の対象にはなりそうだが、こんなに簡単に、自らが国際法は「無効」で国内法的にも「無効宣言」できるとする「日本国憲法」の新原理を承認してしまっていいのだろうか。
 一方、「国民投票」は「念のために」するもので不可欠のものではないようだが、「国民の憲法制定権」を語るなら、1947年憲法に即して、「国民投票」は法的に必要なのではないか。むしろここに<論理一貫性>のなさを私は感じる。
 なお、既述のことだが、以下でも言及する現在の日本国憲法「無効」論者・小山常実の本は、「無効確認」に国会が関与することを法的に必要なものとは見ていない。
 第二に、上で<巧緻>という言葉を用いたのは私だが、神川が3.で「法理」的には厳密でなくとも、、「日本国憲法」の改正条項(96条)を利用して実質的には「改正」ではない(「日本国憲法」の無効を前提とする)「新」憲法を制定してもよい、と主張した(と思われる)のは興味深い。「法理」的にはともかく、その方が「穏便」だとの旨も述べている。
 この点は、現在の日本国憲法「無効」論者の方々に注目していただきたいものだ。
 大目的が<占領憲法>(日本国憲法)を廃止して<自主憲法>を制定することにあるならば、日本国憲法「無効確認」・明治憲法復原確認→明治憲法の殆どの効力停止→「日本国憲法」の殆どの条項を内容とする臨時措置法(法律)による自衛軍の創設→明治憲法の改正条項の改正等々という複雑な手続(小山常実・憲法無効論とは何かp.139以下による)をとることを要求することなく、(むろん相応しい内容に関する議論は必要だが)端的に現憲法96条を「利用」して実質的には「新しい」自主憲法を制定すればいいのではないか(かりに万が一、現憲法が「無効確認」できるような性格のものだったとしても、そのような純粋な「法理」を貫くことは決して<最高の価値>ではないのではないか。専門的法律家はあまり言わないだろうが、「法理」よりも大切なものはある)。
 これと同様のことをかつて、神川彦松は、少なくとも示唆していた、と理解できるのだ。神川の発言の中では、むしろこの点に着目したい。

0175/50年前の憲法大論争(講談社現代新書、2007)に寄せて。

 昨年8/26の朝日新聞に小泉前首相靖国参拝をうけて<「無機質なファシズム体制」が今年〔今から見ると昨年〕8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」>と訳のわからないことを書いていた保阪正康の本を買う気はもはや全くないのだが、同氏の監修・解説にすぎず資料的価値があると判断して、50年前の憲法大論争(講談社現代新書、2007.04)を購入した。
 憲法調査会法案(のちに成立して1956.06.11施行)の審議中の衆議院内閣委員会公聴会の記録がこの本の中身の殆どで、今読んでも(全部はまだ読んでいないが)興味深く、資料的価値は高い。
 この時代を振り返っての基本的な感想又は感慨は次のとおりだ。
 上の法案は1955年6月に国会に提出された。当時の首相は鳩山一郎で、彼は「自主憲法」制定を目指していた。鳩山は民主党で、同党と自由党(緒方竹虎総裁)が合同して自民党(自由民主党)となったのは、1955年11月だった(衆議院299・参議院118の議員数)。
 上の本の解説等をきちんと読んではいないが、憲法調査会法案が近い将来の憲法改正(自主憲法制定)を視野に入れてのものだつたことは疑いえない(収載されている清瀬一郎等の提案理由からも分かる)。
 法案提出前の総選挙(1955年2月)での獲得議席数は、民主185、自由112、左派社会党89、右派社会党67、労農4、共産2で、じつは民主と自由を合わせても2/3以上ではなかった。
 従って、改憲(自主憲法制定)を実現するためには、憲法調査会法にもとづく調査等を経て改正の発議をしようとする時点で改憲(自主憲法制定)派が2/3以上を占めておく必要があった。
 しかし、1956年7月の参院選では、自民61、社会49、緑風5、共産2、その他10で、自民は2/3以上(のたぶん85)を獲得できず、1958年の総選挙(衆議院)でも、自民287、社会166、共産1、その他13で自民は2/3(のたぶん312)以上を獲得できなかった(社会党は戦後の最高水準)。
 ようやく基本的な感想・感慨を書くに至ったが、これらの選挙で改憲(自主憲法制定)派が2/3以上の多数を占め、防衛軍又は国軍を保持することを明記していれば(1954年に法律により自衛隊は発足していた)、現在問題になっていることの多くは議論しなくても済んだ
 また、1952年の主権回復・再独立からすぐにではないにせよ10年以内に(現在までの憲法に対する)外国人の関与がない、日本人のみによる新憲法が制定されていたことになるので、現在までの憲法を「無効」とする議論が現在まで残ることはありえなかった。
 なぜ1950年代後半に改憲(自主憲法制定)できなかったのか。自民党の責任もむろんあるのだが、第二党の社会党(1955年10月に左右合同)が反対し続けたからだ。同党は1947年施行憲法(現憲法)「押しつけ」論や「無効」論に強硬に反駁しており、かつ(今の共産党等と同様に)米国の戦争に巻き込まれる、日本軍も戦争をすることになる、戦前の過ちを繰り返すな、という論陣を張り、1/3を上回る議席数を獲得し続けたのだ。
 短い石橋湛山内閣のあとを継いだ岸信介首相も改憲(自主憲法制定)をしたかった、と思われる。だが、発議のための議席数がないとなればいかんともし難く、池田首相以降、自民党は改憲(自主憲法制定)を現実の政治的課題とはしなくなる(これを改めたのが小泉前首相・安倍首相だ)。
 再びいえば、当時の日本社会党(+若干の「革新」政党)の態度こそが、重要な問題を未解決にしたまま約60年が経過したこと、自衛隊が「軍隊その他戦力」ではないとの大ウソが政府・自民党によっても語られ続けた(かつ野党もまたそれで満足していた)こと等の原因なのだ。
 すぐのちの所謂60年安保闘争についてもそうだが(さらに解党するまでずっと継続したとも言えるが)、日本社会党(1961年以降は加えて日本共産党)に理論的・イデオロギー的根拠を与え(客観的にはソ連等の「社会主義」への幻想を前提とするものだった)、指導し、応援し、支持した、大学教員だった者を含む「進歩的」・「革新的」文化人・知識人の責任は(いつかも書いたが)頗る大きい、と言わなければならない、と思う。彼らを、氏名を列挙して、歴史的に「断罪」すべきだ、と考えている。
 そのような一人が、上記の衆議院内閣委員会公聴会の3人の「公述人」の一人だった中村哲だ(1912-2003。政治学者、法政大学教授・のち総長)。
 彼は憲法調査会法案に反対して、「憲法改正のための調査会を作るとすれば、末代までその恥を残すことになると思います」と述べている(p.69)。末代までその恥を残す」ことになった一人は、日本社会党の支援者だった中村哲氏その人ではないか、と私は思っている。
 もともとはこの本に即してもっと細かいことを書こうと思っていたのだが、当初の想定というのは外れやすいものだ。

0119/保阪正康氏とはいかなる「主義」のもち主か。

 保阪正康とはどういう主義・主張の人物なのか、よく分からない。
 昭和史関係の本を数多く書き、雑誌や新聞に登場しているの周知のとおりだ。昭和天皇「靖国発言メモ」が明らかになった後の文藝春秋の昨年9月号にも、秦郁彦、半藤一利との三人の座談会に出ている。
 保阪はまた、扶桑社から「日本解体」という文庫(扶桑社文庫、2004)を出し、朝日新聞社から「昭和戦後史の死角」という文庫(朝日文庫、2005)を出している。後者の中には、雑誌「世界」初出論稿も雑誌「諸君!」初出論稿も含まれている。扶桑社から朝日新聞社まで、あるいは岩波書店から文藝春秋まで、幅広い?活躍ぶりだ。
 だからと言って、「信頼」できるのかどうか。私にはそうは思えない。
 上の文藝春秋昨年9月号で、保阪は、講和条約までは戦闘中でそのさ中の東京裁判による処刑者は戦場の戦死者と同じ、と自らが紹介している松平永芳靖国神社宮司の見方を、占領軍の車にはねられて死んでも靖国に祀られるのか、「かなり倒錯した歴史観」だ、と批判している。これは、妙な例示も含めて、「かなり エキセントリックな」言葉遣いによる批判だ。
 だが、秦郁彦も発言しているように、「そういう〔松平靖国神社宮司のような〕考え方もある」。占領自体が広くは「戦争」政策の継続で、東京裁判もその一環だった、という見方が完全な誤りとは思えない。
 保阪は読売新聞8/16でも、松平永芳靖国神社宮司について、A級戦犯合祀の根拠を「特異な歴史認識」と批判している。しかし、上に書きかけたように、東京裁判も「戦闘状態」の中でのものという理解は、講和条約発効まで米国等は日本を「敵国」視していることになるので十分に成り立ちうる。東京裁判の検察側証人は利敵行為をしていたことになるとか、吉田内閣は占領軍の傀儡だったことになるとかの批判は、批判の仕方として適切ではないだろう。
 つまるところ、a物理的な戦闘終了=降伏文書交付まで、b「占領」期、c独立(といっても日米安保条約付きだったが)以降、の三期があるわけで、bを前後のどちらに近いものと見るかの問題なのだ。
 そして、bはcよりはaに近いとの見方は十分に成立しうると思われ、「特異な」とかの批判はややエキセントリックだ。保阪はA級戦犯合祀に反対で、その「理論的」根拠を否定したいのだろうが、 A級戦犯等を国内法的には「犯罪者」扱いしなくなったこととの関係はどう説明するのだろうか。
 さらに繰り返せば、1952年4/28発効のサンフランシスコ講和条約の1条aは「日本国と各連合国との間の戦争状態は、…この条約が…効力を生ずる日に終了する」と定めている。同条約は1952年04月28日までは「戦争状態」と明記しているのだ。とすると、東京裁判等(中国での「戦犯」裁判を含む)はまさに「戦争状態」のさ中でなされた「裁判」に他ならず、刑死者は「戦死者」と言っても誤りではない(少なくともそのような見方は十分に成り立つ)。にもかかわらず、昭和史に関する知識が占領・再独立期も含めて豊富な筈の保阪氏は、何故執拗に靖国神社宮司を批判するのだろうか。
 保阪氏はかつて、自衛隊のイラク派遣に反対した。その見解自体の適否をここでは問題にしないが、その理由として、1.小泉首相(当時)が「昭和史」を知らない・学んでいない、2.日本はまだ軍事行動をする体制等をもたないことを挙げていた(同・昭和戦後史の死角p.306-)のは説得的でないと思われる。
 保阪氏はよほど自らの「昭和史」に関する知識に矜持がおありのようだが、上の1.は<結論はいいが理由付け・背景知識が不十分だとして反対する愚論>とどう違うのかと問われかねないだろう。2.についても、日本が軍事行動をする体制等をもてばよいのか、保阪氏は軍事行動をする体制等の整備のために積極的に発言しているのか、との横ヤリ的疑問を誘発しうる。
 朝日新聞の昨年8/26に保阪は登場して、昨年8月15日の靖国参拝者は増えたようだが物見遊山派も少なくないと参拝者増の意義を薄めたのち?、小泉首相靖国参拝に「反対である」と明言し、その理由として靖国神社には「旧体制の歴史観」、超国家主義思想が温存され露出しているので参拝は「こうした歴史観を追認することになる」と言う。
 初めて同氏の見解を知った感じがした。しかし、この理由づけはいけない。
 すなわち、かりに靖国神社に関する説明が正確だとしても(この点も検証が必要だが)、参拝がなぜ「こうした歴史観を追認することになる」のか、の説明が欠落している。
 また、靖国神社が「旧体制の歴史観」を温存していなければ反対しないのか、温存していないと認めるための要件・条件は何なのかには言及がない。
 あるいは、神社は明治以降に軍国主義のために設立されたものだからすでに反対なのか、国家神道の大元だったから反対なのか、神道の宗教施設で憲法違反だから反対なのか、要するにどのような条件・要素がなくなれば「反対しない」のかよくわからない(この紙面のかぎりだと A級戦犯合祀問題とは無関係の理由づけのようだ)。
 また、この朝日上の一文を、保阪は、「無機質なファシズム体制」が今年〔今から見ると昨年〕8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」との情緒的表現で終えている。だが、「無機質なファシズム体制」という一般的ではない語句の説明はまるでない。朝日の編集者はこの部分を用いて「無機質なファシズム体制を憂う」との見出しにしている。解らない読者は放っておけというつもりか。執筆者・編集者ともに、良くない方向に日本は向かっている(私たちは懸命に警告しているのに)旨をサブリミナル効果的に伝えたいのか、と邪推?すらしてしまう。
 よく分からないが、保阪正康とは、昭和に関する豊富な知識を売り物にしつつ、自衛隊のイラク派遣に反対し、靖国神社への「A級戦犯」合祀に反対し、首相の靖国参拝に反対し、朝日紙上で首相参拝が「無機質なファシズム体制」の端緒にならないように願う、という人物なのだ。
 幅広く?多様な出版社の本・雑誌に登場しており、注文主の意向に沿った原稿を書くのに長けた文筆<芸者>的部分のある人かとも思ったが、それは失礼で、上のようにかなり一貫した<反権力・親朝日>あるいは立花隆と同様に<戦後的価値>を全面肯定している人物のように見える。
 というわけで、今年になってからも彼は、文春新書も含めて多数の本を出しているが、一冊も購入していない(安い古書があれば考えよう)。

-0023/上野千鶴子にとって日本社会は居心地がいいはず。

 26日付朝日の続き。保阪正康は「無機質なファシズム体制」が今年8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」との情緒的表現で終えているが、「無機質なファシズム体制」の説明はまるでない。解らない読者は放っておけというつもりか。編集者もこの部分を「…を憂う」と見出しに使っている。執筆者・編集者ともに、良くない方向に日本は向かってる(私たちは懸命に警告しているのに)旨をサブリミナル効果的に伝えたいのか? 訳のわからぬ概念を使うな。使うなら少しくらい説明したまえ。
 今年のいつか、喫茶店で朝日新聞をめくりながら今日は何もないなと思っていたら、後半にちゃんと?大江健三郎登場の記事があったことがあった。26日付も期待に背かない。別冊e5面の「虫食い川柳」なるクイズの一つは、「産んだ子に〇紙来ないならば産む」(〇を答えさせる)。
 月刊WiLL10月号で勝谷誠彦が朝日新聞の投書欄に言及し、同様の傾向は一般の歌壇にもあるらしいが、「築地をどり」の所作は周到にクイズにも目配りしているのだ。
 小浜逸郎・ニッポン思想の首領たち(1994、宝島社)の上野千鶴子の部分を読了。小浜の別の複数の本も含めて、関心の乏しかったフェミニズムに関する知見が増えた。
 詳しく感想を述べないが、一つは上野の唯一?の、小浜が酷評する理論書(1990)でマルクスが使われていることが印象的だ。マルクス主義(この欄ではコミュニズムとも言っている)やその概念等の悪弊が上野そしてたぶんフェミニズム全般に及んでいる。今日ではマルクス主義は学問的にもほぼ無効に近いことを悟るべきだ。
 1990年本の執筆時点ではまだソ連もチェコスロバキアもあったのかもしれないが。
 二つは戦後のいわば男女平等教育の影響だ。小浜は触れていないが、男らしさ・女らしさや男女の違いに触れない公教育の結果として、社会に出る段階で(又は大学院で)「女だから差別されている」と初めて感じる優秀な女子学生が生じることはよく分かる。
 フェミニズムなるものも「戦後民主主義」教育の不可避の所産でないか。一般人の支持は少ないだろうが、現実政治・行政への影響は残存していそうなので注意要。フェミニストたちには尋ねてみたい。「搾取」・「抑圧」をなくし人間を「解放」しようとしているはずの中国・ベトナムで(又は旧ソ連等で)女性は「解放」へ近づいている(いた)のか、と。

-0022/あまり楽しくない話題を旅先の朝日新聞で読んでみた。

 26日朝、ホテルで朝日新聞を買ってみると、25面に「私の8月15日」という続き物らしき保阪正康の執筆文章。
 8/15の靖国参拝者は増えたようだが物見遊山派少なくないと参拝者増の意義を薄めたのち?、小泉首相靖国参拝に「反対である」と明言し、その理由として靖国神社には「旧体制の歴史観」、超国家主義思想が温存され露出しているので参拝は「こうした歴史観を追認することになる」と言う。
 初めて保阪正康の見解を知った感じだが、この理由づけはいけない。かりに靖国神社に関する説明が正確だとしても(この点も検証が必要だが)、参拝がなぜ「こうした歴史観を追認することになる」のかの説明が欠落している。また、靖国神社が「旧体制の歴史観」を温存していなければ反対しないのか、温存していないと認めるための要件・条件は何なのかには言及がない。あるいは、神社は明治以降に軍国主義のために設立されたものだからすでに反対なのか、国家神道の大元だったから反対なのか、神道の宗教施設で憲法違反だから反対なのか、要するにどのような条件・要素がなくなれば「反対しない」のかよくわからない(この紙面かぎりだとA級戦犯合祀問題とは無関係の理由づけのようだ)。
 Web上での情報によると保阪正康は雑誌「世界」でも靖国の宮司の「特異な歴史観」を批判しているらしい。「特異」とは一概にいえないことはこの欄で既述。
 首相靖国参拝を中国政府・共産党はA級戦犯合祀後数年経ってから批判し始め、江沢民は永遠に日本政府に言い続けろ旨を同文選に書いているらしい。彼国は靖国参拝問題を国際政治・外交上の一問題化しており、かつその彼国は共産党独裁「社会主義国」だ。
 この問題はすでに国際政治・外交上の「闘い」なのであり、彼国に結果として従えば別の要求・批判が続出することは目にみえている。問題は靖国神社のもつ「歴史観」の評価よりも中国の政治的言論に屈するか否かだ。この優先順位の見方が保阪と私とでは異なる。コミュニストたちが問題に絡んでいるのであり、現実には国内の「歴史観」論争では片付けられない側面が発生しているのだ。
 結果として保阪の論は朝日と中国政府・共産党を喜ばせ、彼らに武器を与える。保阪は(ひょっとして以前からなのかもしれないが)好中派・媚中派として彼国情報部にリスト・アップされたのではないか。ついでに、読売に登場していたときは「反対」の明示はなかったのだが…。

-0014/再び(三たび?)保阪正康を話題にしてみよう。

 数度触れた、保阪正康の松平某元靖国宮司への「倒錯した」あるいは「特異な」歴史観という批判は、やはり適切でないのではないか。19520428発効サンフランシスコ講和条約の1条aは「日本国と各連合国との間の戦争状態は、…この条約が…効力を生ずる日に終了する」と定めていることを確認した。同条約は1952年04月28日までは「戦争状態」と明記しているのだ。
 とすると、東京裁判等(中国での「戦犯」裁判を含む)はまさに「戦争状態」のさ中でなされた「裁判」に他ならず、刑死者は「戦死者」と言っても誤りではない(積極的に主張しているのではない。そういう言い方も十分に成り立つという意味)。保阪は昭和史に関する知識豊富で尊敬に値するが、松平某元宮司への批判がややエキセントリックなのはなぜか。
 保阪はかつて自衛隊イラク派遣に反対していたが、それはいいとしても、その理由として小泉首相が「昭和史」を知らない・学んでいない、日本はまだ軍事行動をする体制等をもたないことを挙げていた(同・昭和戦後史の死角p.306-)のは必ずしも説得的でない。かりに自らの「昭和史」に関する知識の自信が前者につながっているだけだとすると、結論はいいが理由付け・背景知識が問題だとして反対する愚論とどう違うのかと問われかねないのでないか。
 後者の理由については、では保阪は軍事行動をする体制等の整備のために積極的に発言しているのか、との横ヤリ的疑問も可能だ。この段落の文がやや強引なのは認めるが、いずれにせよ保阪氏のスタンス・正確な主張内容は素人の私には解りにくい。
 司馬遼太郎が亡くなって6年半。偉大といってよい人だったと思うが、とりわけ死後は司馬批判を中心とする本も出てきた。第一グループは延吉実・司馬遼太郎とその時代/戦中篇同・-戦後篇(青弓社、2002、2003)で、司馬のプライバシーに関する暴露内容に驚くとともに、なぜそんなことくらいを生前の司馬は断固として隠したのだろうとも感じた。第二グループは福井雄三・「坂の上の雲」に隠された歴史の真実同・-と東京裁判(主婦の友社、2004、2006)で、「坂の上」の日露戦争勝利までと異なる<昭和戦前は暗黒>史観=司馬史観は妥当かという基本的問題提起をし、乃木希典やノモンハン事件の評価も異なる。司馬の軍隊経験がその後の昭和の日本軍への評価に影響を与えている(客観的とはかぎらない)のは確かだろう。

-0011/ロシアとどうなる?、買った本は全部読めるのか?

 ターミナルに出て10冊以上古書を買う。他に計10冊以上、配達された。
 読売社説。「ところが、…対中外交をどのように構築していくべきかについて首相は説明」せず-尖閣・油田・潜水艦等々外交上の問題は彼国が生み出しているのであり、社説子は小泉にいったい何をせよというのか。A級戦犯につき首相は「戦争犯罪人であるという認識…と国会で答弁」-この答弁は不用意で、取消し又は撤回されるべき、あるいは<東京裁判上の>との限定を施すべきで、この答弁は将来の議論の前提とされてはならない。
 同紙13面の保阪正康の文章-ここでも松平永芳宮司につきA級戦犯合祀の根拠を「特異な歴史認識」と批判している。が、東京裁判も「戦闘状態」の中でのものという理解は、講和条約発効まで米国等は日本を「敵国」視していることになるので十分に成り立ちうる。東京裁判の検察側証人は利敵行為をしていたことにとか、吉田内閣は占領軍の傀儡だったことにとかの批判は、批判の仕方として適切ではない。
 a物理的な戦闘終了=降伏文書交付まで、b「占領」期、c独立(といっても日米安保条約付きだったが)以降、の三期があるわけで、bを前後のどちらに近いものと見るかの問題である。そして、bはcよりはaに近いとの見方は十分に成立しうると思われ、「特異な」とかの批判はややエキセントリックに感じる。保阪はA級戦犯合祀に反対で、その「理論的」根拠を否定したいのだろうが、A級戦犯等を国内法的には「犯罪者」扱いしなくなったこととの関係はどう説明するのか。
 喫茶店で朝日を読んだ。靖国参拝問題のスペース多し。ついでに、加藤紘一自宅火災記事は1面中下。朝日に問うてみたいのは、戦争指導者としてのA級戦犯の合祀さえなくなれば問題はないのか?だ。B、C級戦犯には、映画「私は貝になりたい」にも見られるように一般人・庶民出身も多数含まれる。しかし、(B、C級戦犯も対象とした)東京裁判の全尊重という社是からすると、B、C級戦犯の合祀と彼らの靖国での慰霊・追悼も怪しからんということになるはずだ(中国の言い分も同じ。なお、B、C級戦犯の中には南京100人斬り競争したとの虚報による2軍人も含まれる)。どこか奇妙だとは思わないのだろうか。
 まあ、いい。朝日新聞には、重要な問題については朝日の主張と反対の主張を採択すべきとの歴史的教訓を生かせるべく、今後も健闘してもらわなければ困る。

-0008/朝日新聞の一社説について書くのはきっと珍しい。

 午前2時。古書を数冊持って(買いすぎて残りは宅配回し)バス停が間に一つあってもおかしくない長い一街区以上を歩き、タクシーでワンメーター分乗って帰ってきた。
 かつては新聞の「社説」は重々しく権威あるように見えたものだが、とくに朝日のそれは、Web上で読んでいるせいか、軽くかつ駄文に感じてしようがない。
 8/13(日)の朝日の社説は結局何を言いたいのだろう。戦争について親子で考えようというだけか、それともその際の素材を少しは提示しているつもりなのか。それにしても、他のテーマでもある程度は同様と思うが、「侵略」と「責任」なる問題をよくまぁこれだけ簡単に書いて済ませられるものだ。社説子は、かつての戦争についてどの程度「研究」しどの程度豊富な「知識」があり、そして何らかの発言をする自信と資格がどの程度あると自己認識しているのだろう。
 「政治家では、軍人以外でただ一人死刑になった広田弘毅元首相よりも、日中戦争を始めた時の近衛文麿首相の方が、責任が重いのではないか」。これは何だろう。社説で歴史的評価を下すつもりか。政治家ではなぜ近衛文麿についてのみこんな指摘をするのか。軍人については「石原莞爾元参謀ら」とだけしか書いていないのはなぜなのか。
 日本人が裁判していれば「もっとずっと多くの死刑判決が出たでしょう」との半藤一利の言葉を肯定的に使い「それほど戦争に対する悲惨な思いや憎悪が大きかった」とつなげているが、ひょっとしてもっと多数の軍人・政治家が刑死すべきだったと社説子が考えているのだとすると、ある意味では「怖い」。
 「新聞も戦争をあおった責任を忘れてはいけない」と言うが、その「責任」は日本人による裁判の対象になりえなかったのだろうか、朝日社主は死刑・懲役・禁固、どのあたりの刑罰が適当と考えているのだろう。白々しく、マスコミに「法的責任」はない、というつもりか。また、戦後に入って、朝日は中国・韓国と日本の対立を「あおった責任」は全くない、不十分な記事をきっかけにして外交「問題」をあえて作り出したことは全くない、と自信をもって言えるのか。
 半藤一利の他に保阪正康の本の一部も引用している。半藤は憲法9条擁護論者で朝日と共通の基礎的考え方をお持ちのようだが、過日示唆したように、保阪のスタンスはわかりにくい。「天下の」朝日社説で紹介され、名誉なことと感じておられるのかどうか。

-0005/「靖国問題」は存在しない方が望ましいのだが。

 仕事が後半も終了し、帰宅して夕食後に数時間寝てしまう。本格的な就寝時刻が心配だ。今日は久しぶりにないと思っていたら、覚醒後に2+2で計4冊が届いていた。
 昨日に続いて保阪正康にこだわって?みるが、文藝春秋9月号p.120の、講和条約までは戦闘中でそのさ中の東京裁判による処刑者は戦場の戦死者と同じ、と自ら紹介する松平某靖国神社宮司の見方への、占領軍の車にはねられて死んでも靖国に祀られるのか、「かなり倒錯した歴史観」だ、との批判は、妙な例示も含めて、「かなりエキセントリックな」言葉遣いによる批判だ。秦の言うとおり、「そういう考え方もある」。占領自体が広くは「戦争」政策の継続で、東京裁判もその一環だった、という見方が完全な誤りとは思えない。
 「処刑された人々」以外に松岡洋右等の病死者も祀っているのが問題になりそうだが、いわゆるA級戦犯として被告人とされたこと自体が戦いの被害者だと見ることによって、理由づけできなくはない(私見を述べているのではない)。保阪の大仰な現?宮司批判に首を傾げた。
 朝日新聞社が社説も含めて「首相靖国参拝」に反対している理由は(一貫しているとは限らない新聞社なので現在のそれとしか言いようがないが)、東京裁判を受諾するとした講和条約による主権回復こそが戦後日本の出発点だった、その東京裁判にもとづき処刑された「戦犯」たちを「祀る」神社に参拝するのは、東京裁判受諾という原点を揺るがすものだ、ということにあるようだ(0804社説等)。
 この「理屈」に関係させていうと、東京裁判受諾の意味が問題とされ、「裁判」でなく「諸判決」という読み方もあるが、私見によれば裁判があってこその判決、裁判の一環としての判決なので「裁判」と「判決」を厳格には区別できない。だが、「受諾」の対象に諸判決の「理由」の中に書かれてあるすべて事項・考え方を含ませるのは間違いで、指摘あるように(上雑誌p.325-6)、宣告された諸判決のうちとくに禁固刑判決を講和後もきちんと執行することを約束した(そしてその他の部分にもはや国としては異議申立てしないことも約した)だけのことで(それも関係国の了解を得て緩和できた。だから、賀屋大臣もその後誕生した)、具体的な事実関係の認定、正邪・善悪の判断まで永久に東京裁判判決に拘束されるいわれはない、と理解している。朝日新聞は東京裁判に対する自由な言論を自ら封殺しているのだ。

-0004/朝日新聞の読者には「インテリ」が多いって本当か。

 昨晩は、もう今日の未明になってはいたが、深夜の住宅地内を「散歩」した。
 いつのまにかほぼ定期購読になっているが、文藝春秋9月号を買う。昭和天皇「靖国発言メモ」について半藤、秦、保阪の三氏が対談している。「昭和史」関係となると、このあたりの人々しか登場人物はないのかとも思ってしまう。戦争経験がないと、「昭和史」は適切には、あるいは実感をもっては?語りえないのか。経験と言っても個人的な狭い範囲のもので、それだけで全体を見渡せるものではあるまい。中身はともかく(まだ読んでいない)、これらの名前にはやや食傷気味なのだ。
 保阪正康は扶桑社から「日本解体」という文庫(扶桑社文庫、2004)を出し、朝日新聞社から「昭和戦後史の死角」という文庫(朝日文庫、2005)を出している。後者の中には、雑誌「世界」初出論稿も雑誌「諸君!」初出論稿も含まれている。扶桑社から朝日新聞社まで、あるいは岩波書店から文藝春秋まで、幅広い?活躍ぶりだ。
 文藝春秋9月号には安倍晋三の論稿というよりインタビュー記事的なものが載っているが(マスコミ戦略としての文春とこの人との関係の詳しいところに興味は湧く)、彼が昨年のある新書(中公新書ラクレ)の中で、朝日新聞社と同社記者・本田雅和および元朝日の筑紫哲也の名前を明示して、批判をしているのは、活字として明々白々な記録として残るだけに、勇気があると感じた。やわな政治家(や職業的物書き又はジャーナリスト類)なら、公然とかつ厳しく朝日や筑紫哲也を批判できず、多少は迎合的または抑制的言い方になっても不思議ではないからだ。むろん、昨年のNHK問題の本質又は背景が、朝日新聞社による隠然とした安倍晋三・中川昭一攻撃あるいは両人の「追い落とし」を狙った<策謀>と見られるだけに、安倍も「政治生命」を賭けて強く抗議し、批判せざるをえなかったのだろう。
 それにしても(と続けるのが多くなりそうだが)、安倍内閣総理大臣の実現を怖れ、福田等にハッパをかけて非・反安倍勢力に期待していたことが(隠そうとしても)明らかだった朝日新聞社のお歴々は、安倍当確の情勢に困っているだろう。「インテリ」加藤紘一がどこかの講演会で「事実上の敗北宣言」をしたらしいが、この人は自らの現在の力量・国民からの被信頼度を少し勘違いしているのではないか。新聞社や政治家についてなら、今回程度の批判と皮肉も許されるだろう。
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