秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

保守自由主義

2058/江崎道朗2017年8月著の悲惨と無惨23。

 江崎道朗・コミンテルンの謀略と日本の敗戦(PHP新書、2017)。
 編集担当者はPHP研究所・川上達史。「助けて」いるのは、自分の<研究所>の一員らしい山内智恵子
 江崎道朗本人はもちろんだが、PHP研究所、川上達史、山内智恵子は、恥ずかしく感じなければならない。学者・研究者としての良心があるならば、京都大学「名誉教授」・中西輝政も、同じく京都大学「名誉教授」・竹内洋も。
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 江崎は、上の著は最終文の直前の文でこう書いている。
 p.414(おわりに)-「われわれはいまこそ、五箇条の御誓文に連なる『保守自由主義』の系譜を再発見すべきなのである」。
 また、最終章の末尾には、こうある。
 p.406(第6章)-「われわれは、憲法改正によって取り戻すべきは『保守自由主義』であって『右翼全体主義』でも『左翼全体主義』でもないと明確に答えることができるようなっておくべきなのだ」。
 さらに、第5章の末尾には、こうある。
 p.354(第5章)-「われわれは、……小田村寅次郎ら『保守自由主義』の系譜を受け継ごうとするものだ」。
 これらでの「われわれ」とは誰なのか明記されていないが、江崎を含む仲間たち、要するに<現在の日本の「保守」派>であり、その仲間たちに呼びかけているのだろう。
 「われわれ」の意味・範囲は瑣末なことだ。
 上のようにこの著にとって重要な基礎概念である<保守自由主義>とは何かが、当然に問題にされなければならない。そして、これが曖昧なままだと、この書物の目的は達成されていないに、ほとんど等しいだろう。
 そして、多少立ち入れば、つぎのことが読み取れる。
 第一、<保守自由主義>とは、聖徳太子・十七条憲法と関係があり、そこに示されるとされる「日本の長い政治的伝統」だとされている。
 例えば、以下のとおり。
 p.13(はじめに)-日本のエリートたちは大正時代以降3つのグループに分かれたが、「第三は、聖徳太子以来の政治的伝統的を独学で学ぶ中で、…皇室のもとで秩序ある自由を守ろうとした『保守自由主義』のグループだ」。
 p.279(5章第4節)-小田村寅次郎らの一高昭信会のリーダーは「聖徳太子の十七条憲法や……を学ぶことを通じて、日本型の保守主義についての勉強を行っていた」。
 p.344(5章第27節)-見出し「聖徳太子以来の日本の伝統的政治思想に学ぶ」。
 同(5章第27節)-小田村らが「聖徳太子の十七条憲法歴代天皇の政治思想を学ぶことを通じて日本型の保守主義についての勉強や活動を行ってきたことはこの章の最初に、すでに述べた」。<なお、立ち入らないが、「歴代天皇の政治思想」を学んだとは章の最初に書かれておらず、「歴代天皇の政治思想」が出てくるのはここだけだ。>
 p.348(5章第28節)-見出し「保守自由主義の立脚点は聖徳太子、五箇条の御誓文、帝国憲法」。
 そして、聖徳太子(・十七条憲法)に関するやや立ち入った言及があった後のつぎの結論的叙述は、最も長い文章であるかもしれない。
 p.350(5章28節)-「日本の『保守主義者』が『保守』すべきものとは、聖徳太子が…で示した人生観であり、明治天皇が『五箇条の御誓文』で示した自由主義的な政治思想なのである。/
 小田村たち、「すなわち『若き保守自由主義者たち』の脚点は、まさに、聖徳太子から五箇条の御誓文、そして帝国憲法へと至る、日本の真の伝統であった」。 
 同様の趣旨は、この後にも現れる。
 p.352(5章29節)-「右翼全体主義者」は「聖徳太子以来の五箇条の御誓文、帝国憲法へと至る『本来の日本』などまったく顧慮せず、……帝国憲法体制を破壊すべく邁進していったのだ」。
 p.404(第6章15節)-彼らは「聖徳太子の十七条憲法以来のわが国の政治のあり方も、大日本帝国憲法に込められた叡慮も、…もきちんと学ばずに、…レーニンの帝国主義論など、最新の学問潮流に幻惑されていった」。
 この程度にするが、このように、何度も「聖徳太子」・「十七条憲法」や「五箇条の御誓文」を登場させている。
 しかしながら、決定的に不十分なのは、<これらがなぜ「保守自由主義」を示すものなのか>だ。
 江崎道朗は、これに全く言及していないわけではない。
 だが、おそるべきほどの杜撰さで、これらを叙述し、理解しようとしている。
 そこには決定的に不備・誤りがあるだろうが、上に引用した中では、聖徳太子以来の「政治的伝統」であるはずなのに、「聖徳太子が…で示した人生観」(p.350)なるものに遡ろうとする叙述にも<破綻>の一端が見られる。
 そして、江崎道朗は、十七条憲法にせよ、五箇条の御誓文にせよ(大日本帝国憲法は別に措くとして)、<保守自由主義>だということを示す何ら詳細で具体的な「研究」ないし「論証」も展開していない。
 皮を剥いていくと何もなかった、というのにほぼ等しい。言葉としては、聖徳太子・十七条憲法等が出てくる。しかし、これらに多少とも立ち入った叙述はない。そのような観のある叙述部分も、江崎自身の見解ではなく、他者の見解を紹介・引用することで済ませている。
 何と無惨だろうか。こんな叙述で、読者は納得するとでも考えていたのだろうか。
 怖ろしいことだ。こんな書物が日本では堂々と出版されている。<惨憺たる>出版物だ。
 次回には、聖徳太子の十七条憲法のどの部分が、江崎のいう<保守自由主義>なのか、という、奇妙な叙述を紹介し、論評する。

1729/戦後の「現実」と江崎道朗・コミンテルン…(2017)④。

 2018年は「明治150年」とされ、これは明治改元の1868年から丁度150年経つことを意味するようだ。明治への改元は1868年の途中で溯ってなされたもので、実質的な変革・維新の時期を月次元で把握しようとした場合に正確なものではない。改元はかなり形式的なものだ。「明治維新」といっても、その意味や始期・終期については諸説あるはずだ。
 実質的に「明治」、「明治新政権」あるいは「明治国家」がいつの何を区切りとして始まったのかは、一つの興味の湧く問題でもある。
 1967年末の「大政奉還」ではないはずだ。奉還した「大政」が徳川慶喜を含む(旧)幕府人材を含む新しい(江戸幕府を実質的にはかなり継承するような)政権に再び「委任」されることは十分にありえた。それを恐れての、同日の「倒幕の密勅」発布だったとの説も有力で、この密勅自体がニセだったとの説もある。
 では、神・先祖に明治天皇が誓ったという五箇条の御誓文奏上の日が始期なのか。
 このあたりは、微妙だ。
 また立ち入ることにして、いずれにせよ、「明治150年」だ。
 この数字から連想して、各時期の年数を単純な引き算で計算してみると、つぎのようになる。
 A①明治(改元・五箇条の御誓文)から終戦まで、77年。
  ②明治(改元・五箇条の御誓文)から対米戦争開始まで、73年。
  ③明治(改元・五箇条の御誓文)から南太平洋からの日本軍撤退まで、75年。
 B④大日本帝国憲法発布から終戦まで、56年。<あと4年または2年減らすと上の②・③に対応>
 C⑤終戦から2018年まで、73年。
  ⑥対米戦争開始から2018年まで、77年。
  ⑦南太平洋からの日本軍撤退から2018年まで、75年。
 D⑧日本国憲法施行から2018年まで、71年。
 以上の今年2018年を昨年の1917年に変えて、1年ずつ下加減すると、上の①~⑧の数字も簡単に分かる。
 上のAとCを比べて容易に判明するのは、明治-終戦の年月と、終戦-現在の年数は、数年の違いはあるがほとんど同じ、ということだ。
 つまり、明治国家は長く存在したように感じている日本国民は多いのかもしれないが、じつは戦後は、つまり戦後昭和と平成を合わせた年数は、「明治国家」(かりに大正と戦前昭和も加える)と同じほどにすでに達している、ということだ。
 また、Bの明治憲法のもとでの日本よりもはるかに長い、「日本国憲法」下での日本が経緯しようとしている。
 江崎道朗・コミンテルンの陰謀と日本の敗戦((PHP新書、2017)。 
 再び言及する。p.410。
 「日本の政治的伝統、つまり聖徳太子から五箇条の御誓文、大日本帝国憲法に至る『保守自由主義』」。
 本文でもっく詳しく叙述しているのだろうが、この部分は誤りだと江崎道朗が主張するはずはないものと思われる。
 江崎道朗に尋ねたいものだ。
 戦後73-74年(これは五箇条の御誓文から対米戦争開始までとほぼ同じ)の日本の「政治的伝統」はどうだったのか、どうなったのか。
 戦後を含まないそれ以前の「政治的伝統」だけを見て、日本の「政治的伝統」を理解できるのか。
 頭の中では、戦後の長き「現実」は吹っ飛んでしまっているのではないか。
 江崎道朗のいささか単純な<保守自由主義>と<左右>全体主義の対比というものが1917年・ロシア革命、1918年・ボルシェヴィキの「ロシア共産党」への改称、1919年・コミンテルン(共産主義者インターンショナルも第三インターナショナル)以降の敗戦までの日本の歴史叙述に万が一役立つとして、そのような図式・対比は、いったい戦後、そして今日ではどうなっているのか?
 「戦後」に日本は新しい「政治的伝統」を作ったのか? それとも江崎のいう「保守自由主義」は再びよみがえったのか?
 歴史から現代への教訓を得ようとすれば、とくにアカデミズムの世界にはいない評論家としての江崎道朗としては、現実の日本、今日の日本の政治状況を、そのいう「日本の政治的伝統」に関する見方からも論及しないと完結しないだろう。
 誰も江崎道朗を専門的な歴史学者などとは考えていない。゜
 聖徳太子の第十七条の憲法や五箇条の御誓文への高い評価は櫻井よしこや伊藤哲夫らと同じだが、江崎道朗はいったい「日本会議」という政治運動団体のことをどう評価しているのか、知りたいものだ。
 しかし、少なくとも広い意味では「産経文化人」の一人の江崎道朗には、「日本会議」を論じてほしいと言っても、所詮は無理な願望になるかもしれない。
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 平成30年。昭和も、遠くなりにけり。
 ・昭和枯れすすき-1974年=昭和49年/作詞・山田孝雄、歌唱・さくらと一郎
 「貧しさに負けた いえ、世間に負けた
  この街を追われた いっそ きれいに 死のうか
  力の限り生きたから 未練などないわ
  花さえも咲かぬ 二人は枯れすすき」
 ・昭和ブルース-1969年=昭和44年/歌詞・山上路夫、歌唱・ブルーベルシンガーズ
   「生まれたときが悪いのか それとも俺が悪いのか
  何もしないで生きていくなら それはたやすいことだけど
  この世に生んだお母さん あなたの愛に包まれて
  何も知らずに生きていくなら それはやさしいことだけど
  見えない鎖が重いけど 行かねばならぬ俺なのさ
  誰も探しにいかないものを 俺は求めて一人行く」
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