秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

保守主義

2167/折口信夫「宮廷生活の幻想」(1947年)。

 折口信夫全集第20巻-神道宗教篇(中公文庫、1976)より。
 p.41~。折口信夫「宮廷生活の幻想」(1947年)
 一文ごとに改行する。旧字体を原則として改める。青太字化は秋月。
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 ・「神話という語は、数年来非常に、用語例をゆるやかに使われて来ている。
 戦争中はもとより、戦争前からで、すでに広漠とした、延長することの出来るだけ、広い意味に使われていた。
 それは、ナチス・ドイツの用語をそのまま直訳したものであろうが、-<中略>-この神話という語も、そうした象徴風な受けとり方がせられている。」
 ・「私ども、民俗学を研究する者の側から考えると、神話という語はすこぶる範囲を限って使うべき語となる。
 普通に使われているより、さらに狭い意義なのだから、それとはよほど違うのである。
 神話は神学の基礎である。
 雑然と統一のない神の物語が、系統づけられて、そこに神話があり、それを基礎として、神学ができる。
 神学のために、神話はあるのである。
 従って神学のない所に、神話はない訳である。
 言わば神学的神話が、学問上にいう神話なのである。」
 ・「神代の神話とか神話時代とか、普通称されているが、学問上から言う神話は、まだ我が国にはないと言うてよい。
 日本には、ただ神々の物語があるまでである。
 何故かと言えば、日本には神学がないからである。
 日本には、過去の素朴な宗教精神を組織立てて系統づけた神学がなく、さらに、神学を要求する日本的な宗教もない。
 それですなわち、神話もない訳である。
 統一のない、単なる神々の物語は、学問的には、神話とは言わないこととするのがよいのである。
 従って日本の過去の物語の中からは、神話の材料を見出すことは出来ても、神話そのものは存在しない訳である。」
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 折口信夫について、以下の著に接した。
 植村和秀・折口信夫-日本の保守主義者(中公新書、2017)。
 斎藤英喜・折口信夫-神性を拡張する復活の喜び (ミネルヴァ書房、2019)。


2040/L・コワコフスキ著第三巻第11章第1節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 第三巻の試訳のつづき。<第11章・マルクーゼ>へと進んでいる。分冊版、p.399-p.402。
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 第11章・ハーバート・マルクーゼ-新左翼の全体主義的ユートピアとしてのマルクス主義。
 第1節・ヘーゲルとマルクス対実証主義②。
 (5)実証主義というものは、哲学一般はもとより批判的弁証法哲学をさほど否定するものではないのだが(真の意味での哲学はつねに反実証主義的なのだから)、経験による事実を受容すること、そうして現実に生起する全ての状況の有効性を肯定すること、を基礎にしている。
 実証主義の観点からすると、どんな客体であれ、それを合理的に指し示す(designate)のは不可能だ。すなわち、客体は、恣意的な決定の結果であり、理性に基礎があるのではない。
 しかし、真実を探求するのが任務である哲学は、ユートピアを怖れない。なぜならば、真実は、現存する社会秩序では実現することができないかぎり、ユートピアであるのだから。
 批判的哲学は、未来へと訴えなければならない。ゆえに、事実にもとづくのではなく、理性の要求のみを基礎にしなければならない。批判的哲学は、人間の経験的状態ではなくて、人間がそうなることができるもの、人間の本質的な存在にこそ、関係しているのだ。
 実証主義は、対照的に、現存する秩序とのあらゆる妥協を是認し、社会的諸条件を判断する権利を投げ棄てる。//
 (6)実証主義の精神は、社会学によく例証されている。-特定の学派ではなくて、コントの規準に則る知識の一部門としての社会学それ自体だ。
 この種の社会学は、意識的に対象を何も限定せず、社会現象を描写する。そして、共同的生活の法則を考察するまでに進んだとすれば、現実に作動している法則を超えてさらに進むのを拒否する。
 このことから、社会学は、受動的な適応の道具だ。その一方で、批判的合理主義は、理性自体にその力の淵源をもつのであり、その力でもって、世界が理性に従うことを要求する。//
 (7)さらに、実証主義は順応主義と同じであるばかりか、全体主義的教理や社会運動の全てとの同盟者だ。その主要な原理は秩序の原理であり、権威主義的システムが提供する秩序のために自由を犠牲にする用意が、いつでもある。//
 (8)マルクーゼの主張全体が、我々は経験的データとは無関係に合理性がもつ先験的の要求を認識することができる、という信念に依拠していることは明らかだ。その合理性の要求に従って、世界は判断されなければならない。
 そしてまた、人間性の本質を我々は認識している、あるいは、「真の」人間存在は経験的なそれとは真反対のものだろう、という信念にも。
 マルクーゼの哲学は、理性の超越性にもとづいてのみ、理解することができる。但し、理性は歴史的過程のうちでのみ「明らかになる」。 
 しかしながら、この教理は、歴史的誤謬と論理的誤謬の、いずれにももとづいている。//
 (9)ヘーゲルに関するマルクーゼの解釈は、ほとんど正確に、マルクスが攻撃した青年ヘーゲル主義者たちと同じだ。
 ヘーゲルはたんに、事実をそれ自体の規準で評価する、超歴史的理性の主張者だとして提示されている。
 我々は、この点に関するヘーゲルの思考の曖昧さを、一度ならず叙述してきた。
 しかし、反ユートピア的特質を完全に無視して、ヘーゲルの教理を人間に「至福」(happiness)を達成する方途を語る超越的理性への信念へと還元してしまうのは、ヘーゲル思想のパロディだ。
 付け加えるに、マルクスをヘーゲル主義論理の範疇を政治の領域へと変換する哲学者だと叙述するのは、誤導的(misleading)どころではない。
 マルクーゼの議論は、マルクスのヘーゲル、そしてヘーゲル左派に対する批判の本質的特徴の全てを無視している。
 全ての種の権威主義的体制に対する自由の擁護者だとヘーゲルを描こうとマルクーゼは熱中して、マルクスによる、ヘーゲルの主体と叙述されたものの反転(reversal)に対する批判には全く言及していない。その反転によって、個人の生活の諸価値は、普遍的な理性の要件に依存するようになるのだ。
 だがなお、正しい解釈にどの程度に依拠しているかに関係なく、この批判は、マルクスのユートピアにとっての出発地点だった。そして、ヘーゲルからマルクスへの調和的移行を叙述するためにこの点を無視するのは、歴史を侮辱している。
 マルクーゼによる描写は、青年ヘーゲル主義やヘーゲルについての彼らのフィヒテ解釈に対するマルクスの批判を軽視することで、さらに歪んでいる。
 自分自身の哲学上の位置に関するマルクスの説明は、まず第一には、超歴史的理性の至高性への青年ヘーゲルの信念から解放されていることにもとづいていた。-これはまさに、マルクーゼがマルクスに帰そうとしている信念だ。//
 (10)このような歪曲にもとづいて、マルクーゼは、現代の全体主義的教理はヘーゲル的伝統とは何の関係もない、実証主義を具現化したものだ、と主張することができる。
 しかしながら、実証主義にいったい何があるのか?
 マルクーゼは、「事実崇拝」というラベルに同意し、その主要な構成者として、Comte、Friedrich Stahl、Lorenz von Stein、を、そしてSchelling すらも、挙げる。
 しかしながら、これは、恣意的で非歴史的な陳述を行うための、諸思想の混乱だ。
 Schelling の「実証主義哲学」は、「歴史的実証主義」と一致する名前以外には何もない。
 Stahl とvon Stein は実際に保守主義者で、ある意味ではComte だった。
 しかし、マルクーゼは所与の秩序の支持者の全てを「実証主義者」だと叙述し始める。そして、明白な事実に逆らって、全ての経験論者は、つまり理論を事実で吟味させようと望む全ての者は、自動的に保守論者だと、主張し始める。
 歴史的意味での実証主義は-Schelling とHume をほとんど区別することができないという意味とは反対に-、とりわけ、知識の認識上の価値はその経験的な背景に依存するという原理を具現化するものだ。したがって、科学はプラトンやヘーゲルのやり方で本質的なものと現象的なものの区別をすることができず、事物の所与の経験的状態はそれら事物の真の観念とは一致していないなどと我々は語ることもできない、ということになる。
 実証主義は「真の」人間存在または「真の」社会の規範を決定する方法を我々に提示してくれない、というのは本当のことだ。
 しかし、経験論は決して、現存する「事実」または社会的諸制度はたんにそれらが存在するという理由だけで支持されなければならない、と我々が結論づけることを強いはしない。それとは反対に、叙述的判断から規範的判断を帰結させるのを我々に禁止するのと同じ根拠でもって、そのような結論づけを論理的に馬鹿げたものだと見なして、明瞭に拒否するのだ。//
 (11)マルクーゼは実証主義と全体主義的制度との間の論理的連結関係を主張する点で間違っているのみならず、歴史的連環に関する彼の主張も、事実に全く反している。
 中世後半以降にイギリスで発展して人気を博した実証主義の思想は、それなくしては我々は現代科学、民主主義的法制あるいは人間の権利に関する考えを持ち得なかったもので、最初から、消極的自由や民主主義的諸制度の観念と分かち難く連結していた。
 経験主義の原理にもとづいて人間の平等という教理を設定して伝搬させたのは、また、法のもとでの個人の自由の価値という教理についてもそうしたのは、ヘーゲルではなく、ロック(Locke)やその継承者たちだった。
 20世紀の実証主義と経験論は、とくに分析学派といわゆる論理経験主義者は、ファシストという動向とは何の関係もないばかりか、例外はあるものの、全く明瞭な用語でもってその動向に反対している。
 かくして、実証主義と全体主義的政治の間には、いかなる論理的連結関係も歴史的連結関係もない。-マルクーゼの若干の言及が示唆するように、「全体主義的」という語が「実証主義」という語のもつ通常の意味とは離れた意味で理解されているのでないかぎりは。
 (12)他方で、論理的および歴史的論拠のいずれも、ヘーゲル主義と全体主義思想との間の積極的関係を、有力に示している。
 もちろん、ヘーゲルの教理は現代の全体主義国家を推奨することになる、と言うのは馬鹿げているだろう。しかし、同じことを実証主義について言うのと比べると、馬鹿さ加減は少ないだろう。
 このような推論は、ヘーゲル主義から多数の重要な特質を剥ぎ取ってこそ行うことができる。しかし、実証主義からは、このような推論を全く行うことができない。
 マルクーゼが行うように証拠を何ら示すことなく主張することができるのは、実証主義とは事実崇拝だ、ゆえにそれは保守的だ、ゆえにそれは全体主義的だ、ということなのだ。
 ヘーゲル主義の伝統が非共産主義的全体主義の哲学上の根拠としては何ら重要な役割を果たさなかった、というのは本当だ(マルクーゼは、この論脈では共産主義の多様さについては何も語らない)。
 しかし、マルクーゼがGiovanni Gentile 〔イタリア哲学者〕の事例に至るとき、彼は単直に、Gentile はヘーゲルの名前を用いたけれども、実際にはヘーゲルと一致するところは何もなく、実証主義者にきわめて近かった、と宣告している。
 ここで我々は、「正当性に関する疑問」と「事実に関する疑問」について混乱する。なぜならば、マルクーゼは、ヘーゲル主義は事実の問題としてファシズムを正当化するものとして利用された、というあり得る異論に対して反駁しようとしているのだから。
 ヘーゲル主義は不適切に利用されたと語るのは、この異論に対する回答になっていない。//
 (13)簡潔に言えば、実証主義に対するマルクーゼの批判全体は、そしてヘーゲルとマルクスに関する彼の解釈のほとんどは、論理的にも歴史的にも、恣意的な言明の寄せ集め(farrago)だ。
 さらに加えて、これらの言明は、人類の地球的解放に関するマルクーゼの明確な見解や至福、自由および革命に関する彼の思想と統合して、結び合わされている。
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 第1節は終わり。第2節の表題は、<現代文明批判>。

0980/自民党は「民族系・容共ナショナリズム」-中川八洋・民主党大不況(2010)から③。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.300以下の適宜の紹介。逐一のコメントは省く。

 ・細川・村山「左翼」政権は二年半にすぎず、自民党が「保守への回帰」をしておけば「自由社会・日本」の正常路線に戻ることは可能だった。だが、自民党は村山「左翼」路線を継承し、「日本の左傾化・左翼化」は不可逆点を超えた。2009年8月の自民党転落(民主党政権誕生)は、自民党が主導した「日本国民の左傾化」による、同党を支える「保守基盤」の溶解による。「マスメディアの煽動や情報操作も大きい」が、橋本以降の自民党政権自体こそが決定的だった(p.300-1)
 ・自民党内の「真・保守政策研究会」(2007.12設立)には①~⑦〔前回のこの欄に紹介〕の知識がない。①の「マルクス・レーニン主義」すら「非マルクス用語に転換」しているので、知識がなければ見抜けず、民主党が「革命イデオロギーの革命政党」であることの認識すらない(p.312)。
 ・彼ら(同上)が理解できるのは、①外国人参政権、②人権保護法、③夫婦別姓がやっとで、1.①「男女共同参画社会」、②「少子化社会対策」、③「次世代育成」、④「子育て支援」が共産主義(「共産党」)用語であることを知らない。2.「貧困」・「派遣村」キャンペーンの自民党つぶしの「革命」運動性を理解できず、3.過剰なCO2削減規制が、日本の大企業つぶし・その「国有化」狙いであることも理解できず、4.「地方分権」が「日本解体・日本廃絶の革命運動」であることも理解できない(p.312-3)。

 ・彼ら、「民族系自民党議員」は正確には「容共ナショナリスト」で、チャーチル、レーガンらの「反共愛国者」・「保守主義者」とは「一五〇度ほど相違」する。自民党が英国のサッチャー保守党のごとき「真正の保守政党になる日は決してこない」。それは自民党ではなく「日本の悲劇」だ(p.313)。

 今回は以上。西部邁の言葉を借りれば、日本について「ほとんど絶望的になる」。

 中川八洋によれば、安倍晋三の「極左係数」は「98%」で(p.295)、明言はないが、平沼赳夫も「真正保守」ではなく「民族系」に分類されるはずだ。安倍晋三についての評価は厳しすぎるように感じるが、平沼赳夫の-そして「たちあがれ日本」の-主張・見解がけっこう<リベラル>で、<反共>が鮮明でないことを、最近に若干の文献を読んで感じてもいる。

 ナショナリズム(あるいは「ナショナル」なものの強調)だけでは「保守」とは言えない。反共産主義(=反コミュニズム)こそが「保守」主義の神髄であり、第一の基軸だ、という点では中川八洋に共感する。
 さらに、機会をみて、中川八洋の本の紹介等は、続ける。

0959/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章を読む③。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」-メモ③

 ・保守の精神とは何か。「保守の思想」は、英国の歴史や思想風土と「深く結びついて」いる。エドマンド・バークが抽出した英国の「国民性に根付いた歴史的精神もしくは暗黙の合意」を表現したもの。もともとはバークによるフランス革命への強い警戒心から発し、「保守」はまず「進歩主義」批判を意図する。「近代」社会は「進歩」を掲げるが、「近代主義とはほとんど進歩主義と同義」だ。とすると、「保守」は時代の「先を読む」・「潮流に乗る」等の甘言に飛びついてはならず、「徹底して反時代的」である必要がある(p.184-5)。
 ・「進歩主義(近代主義)の精神」として次の4つは無視できない。①合理主義・科学主義・技術主義の精神、②抽象的・普遍的理念の愛好、③自由・平等な個人の無条件の想定、④「急激な社会変化への期待」。

 ・「保守の精神」は、上との対比でこうなる。①「理性万能主義への強い懐疑」と「歴史的知恵」の重視、②「具体的で歴史的に生成したものへの愛好」、③「個人」よりも「個人を結び付ける多様なレベルの社会的共同体の重視」、④「急激な社会変化を避け、漸進的改革をよわしとする精神」と「大衆的なもの」への懐疑。「大衆的なもの」とは「無責任で情緒的な行動」で「ムードによって相互に同調的で画一的」になり「自らを主役であると見なす自己中心主義的な心情」。この「大衆的なもの」による「急激な社会変革」を「保守」は「ことさら警戒する」(p.185-7)。

 ・四つの各特質の第一点について。親社会主義=「革新」、親「アメリカ的」「自由民主主義・市場経済」=「保守」とされた。これは、アメリカに比べてソ連社会主義は「左」だったので「冷戦時代」には「一定の政治的有効性」があった。しかし、「冷戦以降」は異なる。

 ・「いくつかの例外を除いて、基本的に社会主義は崩壊したし、もはやイデオロギー的力はもっていない」。今日の最も「進歩主義的国家」はアメリカだ。「保守の精神」からは、アメリカ流「進歩主義」こそが最も警戒すべきものだ(p.187-8)。

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 このあたりから佐伯啓思らしさが出てくるともいえるが、コメント・感想を挟む。上の部分のうち、前半には賛同できない。
 「いくつかの例外」として何を意味させているのかは正確には分からないが、まだ<冷戦>は終わっておらず、「基本的に社会主義は崩壊したし、もはやイデオロギー的力はもっていない」と論定することはできない、と考える。

 中国(シナ)や北朝鮮を日本にとっての「例外」などと評価することはできない。そしてまた、中国・北朝鮮等という「社会主義」国家が近隣に現存するとともに、「社会主義」イデオロギーは日本国内においてすらなお強く現存している。
 現菅直人政権のかなりの閣僚は、「社会主義」イデオロギーの影響を受けていると想定される。少なくとも「社会主義幻想」を持ったことのある者たちがいる。だからこそ、民主党政権を「左翼・売国政権」(鳩山)とか「本格的左翼政権」(菅)と称してきた。

 他にも、日本共産党はもちろん社会民主党も、れっきとした、「社会主義」の「イデオロギー的力」の影響を受けている政党だ。

 さらにいえば、岩波書店、朝日新聞等、出版社やマスメディアの中には、「社会主義」の「イデオロギー的力」の影響の強い、「左翼」または親「社会主義」的と称してよい有力な部分が巣くっている。

 この論考だけではないが、佐伯啓思はなぜ、「左翼」または親「社会主義」勢力の現存・残存についての認識が<甘い>のだろう。職場・同僚・学界に、「左翼」(例えば親日本共産党学者と評せる者)はいないのだろうか。信じ難いことだ。

 脇道にそれたが、再び佐伯論考に戻ってつづける。

--------  ・「保守の精神」が「冷戦以降」の今日の「もっとも警戒すべき」は「アメリカ流」「進歩主義」だが、「強くて自由な個人、民主主義、個人の能力主義と競争原理などの価値」という「アメリカ建国の精神」へと「復帰する」ことはアメリカでは「保守主義」だ。だが、これは「イギリス流の保守主義」とはかなり異なる。アメリカ独立・建国はイギリスからの分離独立・イギリスに対しての「自由な革新的運動」だったので、建国の精神に立ち戻るという「アメリカ流保守主義」は「いささか倒錯的なことに」すでに「進歩主義」で刻印されている。この「倒錯」は、「ネオコン」=「新保守主義」が、「自由」・「平等」を普遍的価値とみなして「イラク戦争や対テロ戦争」を立案したとされることに、典型的に示されている(p.188-9)。
 ・「戦後日本」はアメリカ的価値観の圧倒的影響下にあったため、「アメリカ流保守主義」を「保守」と見なした。しかも冷戦下でアメリカ側につくことが「保守」の役割とされた。イギリス的「保守」とアメリカ的それとの区別が、決定的に重要なのに、看過された(p.189)。
 ・「日本とは何か」を問題にする際、「日本の保守」を「アメリカ流保守主義」と「自己同一化」してはならない。日本の「国体」はアメリカのそれと大きく異なり、むしろイギリスの方に近い。いずれにせよ、日本の「保守」にとって、「日本の歴史的伝統を踏まえた価値とは何か」という問いが決定的に重要だ(p.190)。
 ・いっとき勝利したかに見えた「保守」は今や退潮している。「この二〇年」で「保守」は「失敗した」。その原因は、日本の「保守派」が「保守」を「アメリカ流保守主義」によって理解していたからだ。日本は、①「経済構造改革」路線の選択、②外交・軍事上の「日米同盟」という、「二重の意味で、かつてなくアメリカと緊密な関係に立つという判断をした」(p.190-1)。
 ・かかる政策の当否を論じはしない。「保守」の立場からは何を意味するのかを明らかにしたい。ここでは以下、「日米同盟」につき論じる(p.191)。

 以上で、13/26頁。

0958/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章を読む②。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」-メモ②

 ・「保守」の立場の困難さの第二は、日本の「近代化」が一方で伝統的日本(と見られるもの)への回帰、他方では「西欧列強の制度や価値」の導入、によって遂行されたことだ。近代化は「外発的」で、「憧憬することで近代化を遂げた」。この事情は戦後はさらに「緊張感を欠いた漫然たる」ものになり、ほとんど「無自覚、無反省」のままで「アメリカ的なもの」への「傾斜、追従」がなされた(p.181)。

 ・決してアメリカ化などしていないとの反論はありうるが、「戦後日本人が、ほとんど無意識のうちにではあれ、『アメリカ的なもの』、すなわち、個人的自由、民主主義、物的豊かさと経済成長、人権思想、市場経済、合理的で科学的・技術的な思考、市民社会などに寄りかかった」のは間違いない。他方で、これらと対立するとされた「日本的なもの」、たとえば「家族的紐帯、地域共同体、社会を構成する権威、そして、日本的自然観、美意識、仏教的・儒教的・神道的なものを背景にした宗教意識」は、すべて否定的に理解された。ここに「戦後日本における大きな精神的空洞が出来した」(p.182)。

 ・「保守」が「その国の歴史的分脈や文化的価値をとりわけ重視する」ものだとすれば、上の事態は「由々しき」ものだ。「倒錯した価値をしごく当然のごとく受け入れてきた戦後日本という空間には、公式的にいえば、『保守』の居場所はない」。「日のあたる場所」は「アメリカ的」「戦後思想」が占拠したのだから。したがって、「保守」は、「戦後日本が公式的に重要な価値とみなしているものをまず疑うところから始めなければならない」(p.182)。

 ・「軍事力」のない「戦前に戻ればよい」という単純な話ではなく「日本の近代化」自体が孕む問題だが、「戦後」に限っても、「戦後日本の…ありように、根源的な違和感をもつ」、この前提がないと「『保守』という精神的態度は成立しえない」。したがって、「少なくとも戦後憲法の精神は保持したままで『保守の原点に戻る』などと言っても意味はない」。「戻るべき原点」とは何かも問題だ。

 ・しかし、「戦後」への「大きな違和感」をもつと同時に、「どうあがき悶えても」、「戦後日本」に生きてきているのであり、戦後憲法と下位法体系のもとで「生活を守られ、言論活動をしている」のも事実で、「今日、われわれは決して『戦後日本』の外へ出ることはできない」(p.182-3)。
 ・典型的「進歩主義」に覆われた「戦後日本の公式的価値空間」で「保守」を唱えること自体が「矛盾をはらんでいるのではないか」との疑問すら生じる。「実際その通り」なのだ。「保守」自体の矛盾に自称「保守主義者」たちは「どこまで自覚的」なのだろうか。まずは、「自らの置かれた立場についての引き裂かれた自覚」があるべきだ。この自覚がないと、戦後日本の「大方の」「保守主義者」のように、「社会主義に反対して日米同盟を守ることが保守の役割」だといった「倒錯した保守の論理」が出現する(p.183-4)。

 ・「戦後体制」、つまり「平和憲法と日米安保体制」という構造の中で生き、身を守られているとすれば、「日米同盟」を破棄できない。この状況自体が、「日本を日本でなくする危険に満ちている」。そのこともまた「今受け入れるほか」はない。とすれば、「この種の苦渋に満ちた矛盾と亀裂の只中にいるという自覚」だけが「保守」に「道を開く」のであり、この点に無頓着な「保守」は、「親米であれ、反米であれ、『真の保守』たりえない」と思われる(p.184)。

 以上で2回め、終わり。まだ7/26頁。

0679/福田恆存「私の保守主義観」(1959)を読む。

 福田恆存評論集第五巻(麗澤大学出版会、2008.11)の中に収載されている「私の保守主義観」、初出は「読書人」1959年6月19日号、はたった5頁だが(p.126-)、興味深い。以下、要約又は引用。
 ・私は「保守的」だが「保守主義者」とは考えていない。「保守派」は「保守主義」を「奉じるべきではない」。
 ・「保守派」は眼前の「改革主義」という「敵」を見て自らが「保守派」であることに気づく。「保守主義」はイデオロギーとしては「最初から遅れをとっている」。それは、「本来、消極的、反動的であるべき」ものだ。
 ・「保守派がつねに現状に満足し、現状の維持を欲している」とは、「革新派」の誤解。「保守党」が自分たち支配階級の利害しか考えず、「進歩や改革を欲しない」との「革新派の宣伝」は、日本では「古すぎるし、効果もない」。
 ・「保守派」と「革新派」の差異は、「進歩や改革」を前者はただ「希望する」だけなのに対して、後者は「義務」と心得ることにある。前者における「私的な欲望」は後者において「公的な正義になる」。「進歩」は前者において自然な「現実」・人間活動の「部分」・「手段」だが、後者においては最高の「価値」、生存の「全体」・「目的」になる。
 ・「保守派が合理的でないのは当然」。「進歩や改革」を嫌うのはその「影響や結果に自信がもてないから」。一部の改革が全体の総計に与える不便に関する見通しがつかないから。
 ・「保守派」は「態度によって人を納得させるべきで」、「イデオロギーによって承服させるべきではない」。「保守派が保守主義をふりかざし、それを大義名分としたとき、それは反動になる」。「大義名分」は「改革主義」のもの。
 ・「保守派は無智といわれようと、頑迷といわれようと、まづ素直で正直であればよい。…。常識に随い、素手で行って、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか」。
 以上。今や死語になったかの「革新(派)」という語が出てくるなど、時代を感じさせる。だが、「まづ素直で正直で」、「常識に随い」…とは、<左右>を問わない、人の生き方そのものだと思える。無理をする必要はない。イデオロギー闘いを挑み、「左翼」を論難するのも本来は「保守派」ではないかもしれない。
 中西輝政=八木秀次・保守はいま何をなすべきか(PHP)というような問いかけも、少しは肩肘が張りすぎているのかもしれない、と思ったりする。「常識に随い、素手で行って、それで倒れたなら、そのときは万事を革新派にゆづればよいではないか」。このくらいの神経を持っていないと、今の時代を精神の安定を保って生きるのはむつかしいのかもしれない。
 ところで、保守又は「保守主義」を論じるとき、イギリスのE・バークはフランス革命に際して…と始める論者も多いように見えるが、福田恆存はその「保守派」の考え方をどのようにして形成したのだろう。バークを読んだから、ではないことは確かなのだが。 

0661/佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎、2008)を半分読む。

 一 昨年11月末に発刊されていたらしいが、迂闊にも気づかないでいた。2月以降で半分強のp.120まで読み終えた。
 佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008。760円+税)。
 第一章 保守に託された最後の希望
 第二章 自由は普遍の価値ではない
 第三章 成熟の果てのニヒリズム(~p.120)
 第四章 漂流する日本的価値
 第五章 日本を愛して生きるということ
 「…正論大賞受賞を記念して、産経新聞社主催で行われた講演会の記録をもとに」執筆されたもの(p.230)。
 二 先だって(1/29付)、自由や民主主義(・個人主義・平等)は「価値」・「中身」を伴わない観念だとかを独り言として書いた。佐伯啓思の影響をたぶんすでに受けていたのではあろう、この本でも佐伯は同旨のことを強調している。例えば、p.72。
 その他、全体として、容易に理解できるし、同感できるところがほとんどだ。
 戦後日本は(佐伯のいう)<進歩主義>が「公式的な価値観」となってきた(p.71)。<保守>の側が「変化」を求めて「戦後レジームからの脱却」(安倍晋三)を主張しなければならない、という<ねじれ>がある。以下は私の言葉だが、<進歩主義>(だが現状維持派)が自民党の政治家の過半を覆うほどに「体制化」していることは、昨年の田母神俊雄論文問題でも明らかになった。
 自由が大切なのではなく自由を活用して何をするかが大事、民主主義自体が大切なのではなく、国民の中の「文化や価値の重要なものが政治の場で表現される」ことが大事だ(p.72)。「文化」や「価値観」を抜きにして「自由も民主主義もうまく」機能しない(p.73)。
 日本的「精神」・日本的「価値」、これを佐伯は戦前の「京都学派」の議論を参考にして、「道義」、「道と義」とも言う(p.112-3)。さらに東洋的な「無」・「空」の思想についても触れる(p.114-5)。
 西洋的価値観に対する「日本的な価値観」とは何かを問題にし、これを追求する以外に進む途はない、という主張を佐伯はしている。そして、かかる問題設定すら、戦後の思想の領域では「丸山真男の影響力があまりに強くて」できなかった、のだという(p.118)。
 自由・民主主義(・個人主義)の行き着く果ての「ニヒリズム」、という考え方又は理解の仕方がこの本ではかなり強調されているようだ。すでに欧州ではニーチェらによって、19世紀末には<警告>されていた。現在の日本社会は、「社会の規範が崩壊し、確かな価値が見失われる」「ニヒリズム」のそれだ(p.28)との指摘もよく分かる。
 この「ニヒリズム」との闘いこそが<保守>の役割だとされる。「価値規範の喪失、放縦ばかりの自由、窮屈なまでの人権主義や平等主義、飽くことなき物質的富の追求、そして刹那的な快楽の追求」、このような「現代文明の崩壊」に「無頓着」でかつ「手を貸している」のが、「左翼進歩主義」なのだ(p.30)。
 再び日本的「精神」・「日本的な価値観」に戻ると、日本は敗戦によって「国土だけでなく、日本的価値も日本的精神も、すべて焼きつくされた感がある」。これれらが「何であるか、戦後の日本人にはわからなくなって」しまった(p.71)。
 そして、佐伯啓思は東洋的「無」との関係の箇所でのみ「天皇」に言及している(p.115)-「天皇という存在も日本文化の中心にある『無』を表している」。
 日本の伝統・歴史・文化という場合、「天皇」制度のほか、密接不可分の<神道>や<(日本化された)仏教>を無視することは絶対にできないだろう。それらは、戦前の「京都学派」(西田幾太郎ら)の思想よりも重要な筈だ。この「学派」が、天皇・神道・仏教を全く無視していたとは思わないが。
 アメリカと欧州の違いの指摘も、相当に納得がいく。「親米保守」は概念矛盾、アメリカは「左翼急進主義」者、といった指摘は、「親米保守」論者にとっては厳しいものだ。
 三 既に同旨を述べたことがあるが、佐伯啓思の叙述でいま一つ納得がいかないのは、中国・北朝鮮への言及やそれらへの警戒の文章が(アメリカ批判に比べて)全くかほとんどないことだ。
 佐伯によると、「冷戦」とは、アメリカ的解釈によると、「ソ連という全体主義国家に対して、西側が自由と民主主義を掲げた戦争」だとされる。そして、ほぼ自分の言葉として、「冷戦が終わり、自由・民主主義・市場経済の敵が消え去った」とも述べている(p.93~p.94)。
 しかし、繰り返しになるが、東アジアでは<冷戦>はまだ続いているのではないか。アメリカとの関係で自立・自存の方向へ向かうべきことも明らかだと思われる(自主憲法制定、自国「軍」の認知はその方向への重要な目標だろう)。日本的「価値」を探る議論もきわめて重要だ。だが、アメリカ的「自由・民主主義」を戦略的にでも利用して、中国(共産党)や北朝鮮と対峙する必要は、中国が軍事力を強化し、北朝鮮がミサイル(テポドン)発射の準備を進めているという状況下では、なおも必要なのではないか。
 もっとも、佐伯啓思は、(かつての?)麻生太郎らの「価値観外交」の中には「自由や民主主義」だけではなく「日本的価値観を織り交ぜる必要がある」(p.118)という書き方もしていて、「外交」上の「自由や民主主義」の標榜を全くは否定していないようだ。とすると、大して変わらないことになるのかもしれない。

0622/宮沢俊義・元東京大学憲法教授とオークショット・佐伯啓思-「平等」と進歩・保守。

 一 宮沢俊義・新版補訂憲法入門(勁草、1993、初版1950)における<ごった煮「民主主義」観>についてはすでに書いた。
 宮沢俊義・憲法と天皇-憲法二十年・上-(東京大学出版会、1969)にはこんな一文もある-「平等主義は、いうまでもなく、民主主義のコロラリイである」(p.40)。
 宮沢において「民主主義」とは、肯定的に評価されるべきすべての価値・主義が何でも飛び出してくる玉手箱のようだ。上のような文を書いて、恥ずかしくなかったのだろうか。
 最も気の毒なのは、こんな概念・論理関係の曖昧な人物を師と仰ぎ、<尊敬>しなければならなかった東京大学の憲法学の後裔たちかもしれない。
 二 平等といえば、宮沢俊義・憲法講話(岩波新書、1967)は、ルソー・人間不平等起源論の基本的内容を紹介したのち、こんなことを書いている(以下、p.73)。
 自然状態での人間の平等という主張は大昔には実際にそうだったという意味ではない。「この社会に現に存する不平等は、自然のものではなく、すべて人が作ったものであるから、必要があれば、人が変えることのできるものだ」、との意味だ。
 ルソーに好意的な点も含めて、マルクス主義者ではなくともさすがに昭和戦後の<進歩的>知識人の一員らしい文章だろうか。
 だが、ルソーの原意の詮索はさておき、「この社会に現に存する不平等は、自然のものではなく、すべて人が作ったものである」との上の前提的叙述は正しくはないのではないか。
 体力・知力・種々の能力、さらには容貌等も含めて(容貌はもちろん他の要素も客観的な優劣を決めがたいとしても)、「不平等」は「すべて人が作ったものである」という認識は決定的に誤っているだろう。個々の人間は体力・知力・種々の能力、容貌等について、<生まれながらに>平等であるはずがなく、これらの「すべて」について、後天的に人為的な差違を作られた、などと言える筈がない。

 これらの「すべて」が<生まれながらに>平等な人間ばかりの社会は奇妙で、気持ちが悪いに違いない。オーウェルの描いた1984年の社会管理者にとっては好都合かもしれないが。
 ひょっとして宮沢は
、「この社会に現に存する不平等」という語で<社会的>不平等を意味させているのかもしれない。だが、その場合であっても、体力・知力・種々の能力、容貌等についての<生まれながらの>不平等に起因するとしか考えられない<社会的>不平等=異なる社会的取り扱いもあるわけで、「すべて」の<社会的>不平等の解消が望ましく、かつそれは可能だ旨の叙述は、あまりに単純素朴すぎると思われる。
 東京大学教授が、「この社会に現に存する不平等」=<社会的>不平等は「すべて人が作ったものである」ので「必要があれば、人が変えることのできる」と単純(ほとんど=幼稚)に書いてよかったのだろうか。
 いつか触れたように、平等と「自由」の間には、今日的でもある困難な問題がある。単純素朴に<平等化>を説けたのは戦後の一時期か、純粋な平等主義者、すなわち観念上の存在としての共産主義者に限られるだろう。
 東京大学出身で現京都大学教授の佐伯啓思が引用すると些かの反発も生じないとは言えないだろうが、佐伯啓思・国家についての考察(飛鳥新社、2001)p.23は、オークショットの保守主義論に言及して、オークショットの「保守的であるとは」のあとの文を、次のように紹介している。
 「自己のめぐりあわせに対して淡々としていること、自己の身に相応しく生きて行くことであり、自分自身にも自分の環境にも存在しない一層高度な完璧さを追求しようとしないことである」。
 むろん一概に「自己のめぐりあわせに対して淡々と」すべきだとは思えない(理不尽な差別的取扱いや不当な批判・非難もありうる)。怒り、闘うべき場合もあるだろう。だが、第一次的又は基本的な考え様として、「自分自身にも自分の環境にも存在しない一層高度な完璧さを追求しようとしないこと」は大切であり、宮沢と比べて、リアルな認識を背景としているように思える。
 戦後の<平等化>思想、そして<平等>教育は、「自己の身に相応しく生き」ようとしない、あるいは「自分自身にも自分の環境にも存在しない一層高度な完璧さを追求しよう」とする大量の人々を生んだ、と考えられる。
 その結果は何だったのだろう。横並びを善とし、<より上>の人々を妬み、誹る心理の蔓延ではなかったか。政治家・上級官僚は当然にその対象になる。朝日新聞、TBSをはじめとするマスメディアもまた、そのような嫉妬の感情を煽り、記者自身がそのような感情にもとづいて記事を書き、キャスターやコメンテイターがテレビで喋る。
 あるいはまた、具体的な他の誰の<責任>でもなく、場合によっては本人の<責任>かもしれない状況について、<生まれながらの、平等に生きる権利>がある筈ではないのか!、それが保障されていないのは国家・政治・社会が悪い!、と思いこみ、鬱屈した生活を送ったり、鬱憤を晴らすために他人を殺傷したりする者が少なからず出現するに至っている。
 「誰でもよかった」などと言って一般国民・市井の人に刃を向ける者が現れたりしているのは、究極的には悪しき<平等主義>・<平等教育>に原因があるのではないか(つい最近の厚生省元事務次官事件ではなくもっと前の秋葉原事件等を想定して書いている)。
 平等、平等、競争しなくてもみな同じ、という学校教育からこそ、あるいはそれを含む<戦後民主主義>の風潮の中からこそ、現実の社会には生じる、あるいは存在する<不平等>=<格差>に対する、不相応の又は過度の又は方向違いの<不平・不満>が結果として多く生まれ出ているのではないか。一億総嫉妬社会(妬み=ねたみ、嫉み=そねみ)
の出現だ。

0452/佐伯啓思=大澤真幸・テロの社会学(新書館、2005)のごく一部・「保守反動」。

 佐伯啓思=大澤真幸・テロの社会学(新書館、2005)を入手して、「語り下ろし」の第三章・ポストモダンの行方(p.126-)を何となく見ていたら、冒頭で佐伯啓思が次のように発言する。
 「あえて一言でレッテルをはれば、大澤さんはポストモダン派左翼、ぼくは保守反動ということになっています」。
 大澤某のことは全く知らないが、佐伯が自らを「保守反動ということになっています」と(本気かどうかは別として)語っているのを読んで、微苦笑をした。そのあとで、心の中でハッハッハと笑ってしまった。今のところ私は佐伯啓思の愛読者なので、私も「保守反動」なのだ、きっと(ワッハッハ)。
 以上だけだと短かすぎるので、その後の大澤真幸発言だけ要約しておく。
 <保守主義・リベラリズムの対立において、佐伯さんは、「リベラリズムがヘゲモニーを握っているという状況認識」を前提にし、「真の保守主義」が必要とし、「伝統であるとか保守の重要性に気づいている論者のほうから抜けていこう」とする。私は、現代日本の論壇では明確な「保守主義」でなくとも「保守的論調」がアピールしていると見ており、「保守が論壇でヘゲモニーを握ろうとしている」今こそ、「いままでのリペラルとは違うほんとうのリベラルが必要」と考え、「ポストモダンに批判的ではあるけれども、その方向性をもっと突き詰めたときに出口がある」と思っている。対立を「別のように眺め、別の方向を目指している」。「右から抜けるか左から抜けるかというシンメトリーがある」。(p.128~p.130)
 「真の保守主義」か「ほんとうのリベラル」か!?
 <ポストモダン>思想なるものに疎いこともあって論評しにくいが(<新奇だが、何となくいかがわしく珍奇だ>との予断をもっている)、上のまとめ方(二分)でいうと佐伯啓思の状況認識の方に私は親近的だ。もっとも、<保守主義>・<リベラリズム(リベラル)>の両概念の意味が(上の部分だけでは)正確には分からないので、これについて両人に一致があるのかも含めて、きちんと読まなければならないだろう。
 今日、明日から読み始める気はないが。

0415/「保守主義」と「進歩主義」の対比-佐伯啓思・現代日本のイデオロギー。

 「保守主義」なるものについてはこれまでも触れたことがある。
 全読了した佐伯啓思・現代日本のイデオロギー(講談社、1998)の最後から二つめの項目(「保守主義にとってなぜ国家なのか」)の基本的主題は「国家」だが、その中で、「保守主義」と「進歩主義」の差違が対比されて述べられている。要約的になるが、以下のごとし(p.263-266)。「保守主義」を<保守>、「進歩主義」を<進歩>と略記する。
 なお、これら二概念を「政治的」に「通俗化」しないで理解すべき、と佐伯は念を押している。
 1.<進歩>とは「歴史を、人間および人間社会の進歩として見ることができるとする発想」。歴史・文明の「進歩の観念」を生み出したヨーロッパ「啓蒙主義」に由来するので、この主義者の多くは「西欧の近代」を参照し、「範型を求める」。
 <保守>とは、「進歩する歴史の観念を拒否」する、あるいは「人間の理性に対してそれほど強固な信頼をおかない」。そり代わりに「歴史」=「人間の経験の堆積」の中の「比較的変わらないもの、絶えず維持されるもの、繰り返し現れるもの」に学び、「信をおこう」とする。
 2.<進歩>は「未来を構想する」。<保守>は「過去に思いをよせる」。前者は「未来にユートピアを想定し」、後者は「過去に、あらかじめ失われたユートピアを設定」する、と言えるかも。
 3.カントに対してヘルダーやヴィーコーが、フランス革命に対してバークが異議を唱えたように、<保守>は<進歩>に対する批判として、とくに「啓蒙主義」(>「普遍主義」・「理性主義」)批判として出現した。
 <保守>にとって重要なのは、第一に、「普遍史」ではなく「各国史」・「各国の国民性ないし国民精神のありか」。第二に、古代→封建→近代という「発展」と「歴史」を捉えない。<進歩>においては「進歩する歴史」ならば、<保守>においては「重層する歴史」。「歴史」の底には「微動だにしない層」や「比較的変化のない層」があるとともに「表層」では「さまざまな変化」が生じている、という「歴史観」だ。
 4.両者の対立は、「普遍主義」と「個別主義」、「理性主義」と「経験主義」の各対立とも言える。
 以上は、反復するが、佐伯の論じたい主題そのものではない。しかし、なかなか参考になる整理・分析の仕方ではないか。
 若いとき、私は明らかに「進歩主義」者、そして「合理(理性)主義」者だったと回想できる。しかし、今では、上のように説明される二主義のうち、「保守主義」に強く傾いている。
 加齢のせいもある。加齢とは、つまりある程度長く「生きてきた」ということとは、世の中は「建前」・「理念」や「綺麗事」だけで動いていない、社会に関しても人間に関しても(ついでに医学にかかわる「人体」の諸現象についても)「人知」の及ばない(その意味で「偶然的」な)、あるいは「人知」(=理性)ではどうしようもできない、どう説明もできない(その意味で「宿命的」・「運命的」な)事柄がある、ということが(若いときに比べて)より理解できるようになった、ということを(も)意味しているだろう。かかる理解は、<近代的「個人」>の「理性」というよりも、過去からの「歴史」の堆積の中にある「慣行」・「伝統」にもとづいて社会や人間は動く場合が少なくない(そしてその方が「理性」による「変革」にもとづくよりも首尾良いことが少なくない)、ということを認めることにつながるだろう。このような認識は、佐伯啓思が意味させる「保守主義」に親近的だと思われる。
 付記する。佐伯は「進歩主義」は政治的な「左翼」と同義ではないと強調しつつ、別の箇所では日本について次のようなことも言っている(p.269-p.270)。
 1.「社会主義の崩壊」により「左翼進歩的陣営」も崩壊したと見るのは「まちがっている」。<歴史の進歩主義>はなお根強く、「これほどまでに、進歩主義が社会の全面を覆った時代はめずらしい」。
 2.<歴史の進歩主義>の中には、①「薄められた『サヨク』としての進歩主義」の他に②「いわば旧保守派の進歩主義という奇妙なもの」もある。これらはA「グローバルなリベラル・デモクラシー」とB「グローバルなキャピタリズム」の勝利を全面的に認める、という「進歩主義」だ。一方の極にはa「市民主義や朝日新聞」が在り、他極にはb「経団連や日経新聞」が在る。aは「人権+デモクラシー」で、bは「経済的自由主義+デモクラシー」だ。そしてともに「ヨーロッパの啓蒙主義」が生んだ、これの「ある種の後継者」だ。
 そして言う-3.「いまや圧倒的に苦境に立たされているのは保守主義なのである」。
 上の2.には具体的には異論があるかもしれない。但し、読売新聞が決して「保守的」ではなく、朝日・日経とANY連合を組んだことも(かなり飛躍するようでもあるが)理解できそうな気がする。
 あとの一般的な1.と3.はこの指摘のとおりではなかろうか(10年前の本の指摘だが現在でも)。「進歩主義」による皮相な諸現象についての言及も佐伯の本には多いのだが、いちいち紹介する時間的余裕がない。
 ようやく一つの区切りがついた。再びこの本に言及し、又は引用する機会がきっとあるだろう。

0359/佐伯啓思、正論大賞受賞。

 佐伯啓思、正論大賞受賞。以下、産経12/18による、彼の言葉。
 「保守思想」とは「その国の精神的伝統を救い出し、ニヒリズムに浸される現代社会と戦うための精神の態度」。
 「保守」を名乗ること自体がアカデミズムの異端者となることであり、無視されるか批判されるかを覚悟することでした。しかし、社会主義の崩壊…の中で真に求められるのは、その国のありように即した「保守思想」しかない、ということは明白になって」きた。
 異論はない。政治的<ニヒリズム>あるいは一種のアナーキー的雰囲気が日本に漂っていることは私も感じる。ただ、日本の「精神的伝統」、あるいは日本という「国のありよう」とは、具体的には何か、という問題は――これを佐伯が意識していないとは無論考えていないが―残る。日本の歴史的伝統・文化というものも漠然とは理解できるが(「天皇」制度も関係する)、はたして、多くの「保守」思想・主義への賛同者に一致があるのかどうか。
 繰り返すが、<「保守」を名乗ること自体がアカデミズムの異端者となることであり、無視されるか批判されるかを覚悟することでした>。
 こういう事態・学問的風土が戦後ずっと存在し、形成されてきた、というのは怖ろしい、戦慄すべきことだ。
 少なくとも政治学、歴史学、教育学、法学(とくに憲法学)といった学問分野は今でも、かかる異様な状態にあるのだろう。そのような<恐怖体制>を敷いてきた、戦後の学者たち(中心はマルクス主義者=コミュニストだったことは疑いえない)を、各分野について、個々の個人名を明示しつつ、総括的に糾弾する時期が早晩くることを強く期待している。
 佐伯はまた書く。「私は、ほとんど学者や研究者とのつきあいはありませんが…」。
 <群れる>ことが好きな学者連中も多いと思われるのに、珍しいタイプだ。たしかに、佐伯は、他の<保守>論壇の人に比べて、何らかの会・団体、あるいは何らかの「運動」に参加又は関与することは少ないか全くない、という印象はある。
 これも善し悪しは一概に言えず、あるいは個性によることで、積極的に参加又は関与することを批判することもできない。
 いずれにせよ、佐伯が、個性的な、独特の論理・視覚・思考型をもった優れた論客の一人であることに、私も反対しない。1949年生まれのこの方の、今後の一層の活躍を期待する。
 ところで、産経正論大賞受賞者となると、「正論」欄執筆者でもすでにそうなのだろうが、「産経文化人」とのレッテルを貼られそうだ。どのようにレッテルづけされようと本人たちは気にしなくてよいし、気にもしていないだろうが、このブログサイト上で「産経文化人」を<右から>批判するグループ又は人々がいることに初めて気づいた。
 後者の人々は、憲法学者の中の異端的<右派>の八木秀次、百地章らも<さらに右からの>攻撃の対象としているようだ。
 そのような「産経文化人」攻撃、「保守的」憲法学者攻撃をして生きて「楽しいですか?」と、いつかもっと詳しく書いてみたい。
 以上、佐伯受賞に関しての若干の感想程度。
 (一時期以降、すべて「氏」等の敬称を省略することとした。「氏」と付けたい(付けるべき)人、付けたくない人、両方が存在し、かつどちらにしようか迷ったりすることもあったので、簡明さ・単純さを優先することにした。他意はない。)

0319/泥棒の巣-社会保険庁。

 社保庁職員による着服あるいは横領は、たまたま公務員としての不適格者が多かった、では済ませられない。また、「たまたま」でもないだろう。
 「犯罪者」のすべてが少なくともかつて、上部団体を自治労とする組合員だったとは言わないが、組合員もいたに違いなく、かつ組合の幹部がおそるべき実態をいっさい知らなかったとは考え難い。
 反(資本主義的)権力・反「保守」権力者たちにとっては、政治と行政が円滑に効率よく、国民のために機能してもらっては困る。年金制度が問題なく、あるいは問題ができるだけ少ないままで運営されては困る。自由主義・「保守」主義の政治・行政を混乱させ、麻痺させ、自由主義・「保守」主義では困るとの印象を国民大衆に与える必要があるのだ。そうした<社会主義>幻想の尻尾を残した反権力・反資本主義国家「主義」のためならば、総計数億円が国庫から消えたところで、何の痛痒も感じない。そうした確信犯的「犯罪者」や知らぬ振りをした組合幹部がいたはずだ。
 国家組織内に巣くう「白蟻」。当然にすみやかに駆除し、かつ刑罰という制裁を課す必要がある。金額が微少だとかの理由で告発もされずまだ公務員の身分を持っている者がいるだろうと思うが、将来の日本年金機構に採用されてはならないのは当然のことだ。  --------  メモ-サピオ8/22・9/05合併号の共産党特集を読んだ。

0279/阪本昌成の「社会権」観とリベラリズム。

 中川八洋はその著・保守主義の哲学等で、ハイエクにも依りつつ、「社会的正義」という観念を非難し、「社会的正義」の大義名分の下での「所得の再分配」」は「異なった人びとにたいするある種の差別と不平等なあつかいとを必要とするもので、自由社会とは両立しない。…福祉国家の目的の一部は、自由を害する方法によってのみ達成しうる」などと主張する。
 そこで5/13には<中川八洋は一切の「福祉」施策を非難するのだろうか。>とのタイトルのブログを書いたのだった。
 自称「ハイエキアン」・「ラディカル・リベラリスト」の阪本昌成もまた「福祉国家」・「社会国家」・「積極国家」というステージの措定には消極的なので、中川八洋に対するのと同様の疑問が生じる。
 その答えらしきものが、棟居快行ほか編・いま、憲法を問う(日本評論社、2001)の中に見られる。「人権と公共の福祉」というテーマでの市川正人との対談の中で、阪本昌成は次のように発言している。
 1.私(阪本)は「自由」を根底にするものを「人権」と捉え、「社会権」のように国家が制度や機関を整備して初めて出てくる「基本的人権」は「人権」と呼ばない(p.207)。
 2.「生存権」によって保障されているのは「最低限の所得保障に限る」。その他の要求を憲法25条に取り込む多数憲法学者の解釈は「国民負担を大とし」、「現代立憲主義の病理」を導いている。「大きな政府」に歯止めを打つ必要があるp.208)。
 3.「社会権」の重視は「社会的正義の表れ」というのだろうが、そのために「経済的自由、なかでも、所有権保障は相対化されてきた」(同)。
 4.日本には「自由な市場がない」。ここに「いまの日本の病理がある」。これは一般的な「自由経済体制の病理ではない」(p.212)。
 5.経済的自由は「政策的」公共の福祉によって制約できるというだけでは、また、精神的自由との間の「二重の基準論」のもとでの「明白性の原則」という枠だけでは立法政策を統制できない(p.217-8)。
 私は阪本昌成の考え方に「理論」として親近感を覚えるので、主張の趣旨はかなり理解できる。
 もっとも、現実的には日本国家と日本社会は、日本こそが<社会主義国>だ、と半ばはたぶん冗談で言われることがあったように、経済社会への国家介入と国家による国民の「福祉」の充実を当然視してきた。
 現在の参院選においても、おそらくどの政党も「福祉」の充実、「年金」制度の整備・安定化等を主張しているだろう。従って、阪本「理論」と現実には相当の乖離がある。また、「理論」上の問題としても、国民の権利の対象となるのは「最低限の所得保障」であって、それ以上は厳密な国民の権利が対応するわけではないとしても、例えば高速道路や幹線鉄道の整備、国民生活に不可避のエネルギーの供給等に国家が一切かかわらないということはありえず、一定限度の国家の<責務>又は<関与の容認>は語りうるように思われる。 
 かつて7/01に日本は英国や米国とは違って「自由主義への回帰が決定的に遅れた」と書いた。
 宮沢喜一内閣→細川護煕内閣→村山富市内閣→という<失われた10年>を意味させたつもりだった。だが日本の実際は「自由主義への回帰」はそもそもまだ全くなされていないというのが正しい見方かもしれない。
 「理論的」には阪本は基本的に正しい、というのが私の直感だ。国家の財政は無尽蔵ではない。活発な経済活動があってはじめて主として税収から成る国庫も豊かになる。そうであって初めて「福祉」諸施策も講じることができるのだが、「平等化」の行き過ぎ、どんな人でも同様の経済的保障を例えば老後に期待できるのであれば、大元の自由で「活発な経済活動」自体を萎縮させ、「福祉」のための財源も(よほどの高率の消費税等によらないかぎり)枯渇させてしまう。
 経済・財政の専門家には当たり前の、あるいは当たり前以下の幼稚なことを書いているのだろうと思うが、本当は、経済政策、国家の経済への介入の程度こそが大きな政治的争点になるべきだ、と考えられる。
 だが、焦る必要はないし、焦ってもしようがない。じっくりと、「自由主義」部分を拡大し、<小さな国家>に向かわせないと、日本国家は財政的に破綻するおそれがある。まだ時間的余裕がないわけではないだろう。
 なお、上の本で市川正人は「たまたま親が大金持ちであったために裕福な人と、親が貧しかったために教育もまともに受けられなかった人とがフェアな競争をしているとは到底できないでしょう」と発言し、阪本は「誰も妨害しないのであれば、それは公正なレースと言わざるをえない…。個々人の違いは無数にあって、全てに等しい条件を設定するということは国家にはできません」と回答している。
 このあたりに、分かりやすい、しかし深刻な<思想>対立があるのかもしれない。私は阪本を支持する。市川の議論はもっともなようなのだが、しかし例えば<たまたま生まれつき賢かった、一方たまたま生まれつきさほどに賢くなかった>という「個々人の違い」によって生じる可能性・蓋然性を否定し難い<所得の格差>は、国家としてはいかんともし難いのではないか。
 同じくいちおうは健康な者の中でも<たまたま頻繁に風邪をひき学校・職場を休むことが相対的に多い者とたまたま頑強で病欠などは一度もしない者>とで経済的報酬に差がつくことが考えられるが、このような、本人の<責任>を追及できず生まれつき(・たまたま)の現象の結果と言わざるをえないような「個々人の違い」まで国家は配慮しなければならないのだろうか。
 二者択一ならば、こう答えるべきだろう。平等よりも自由を平等の選択は究極的には国家財政を破綻させるか、<平等に貧乏>(+一部の特権階層にのみのための「福祉」施策)という社会主義社会を現出させるだろう。

0220/参院選と中西輝政「潮流を見誤るな!世界は保守化している」。

 6/10の15:30のエントリーの中で、読売新聞上の某書評者が「戦後教育の欠陥は「行き過ぎた自由」などではない。集団主義による「個人の尊厳」の抑圧こそが問題だった」と書いていたのに対して、私は、「戦後教育の欠陥」は「行き過ぎた自由」というよりも「行き過ぎた個人主義」ではなかったか、と思っている。ということは、「個人の尊厳」が尊重され過ぎた、ということでもあり、書評者の理解とは正反対になる」と書いた。
 6/09にも言及した櫻井よしこ月刊正論7月号(産経)誌上の論稿を改めて見てみると、こんな文があった(順序を少し変えている)。
 現憲法三章が示すのは「自分だけよければそれでいいという考え方」、「権利と自由を強調し、責任も義務も放棄したに等しい価値観だ」。これは「戦後日本の、自分さえ良ければよいという価値観」でもある。「自分が傷つかなければよい。自分が非難の的にならなければよい。…個人の安寧が至上の価値である。個人の豊かさを求め、自分さえ問題に直面しなければいい」。
 櫻井はむろん、上のことを批判的に指摘している。
 現憲法13条のいう「個人として」の「尊重が行き過ぎた、というのが私の理解だ。この行き過ぎは、「自分さえ良ければよい」、「個人の安寧が至上の価値である。個人の豊かさを求め、自分さえ問題に直面しなければいい
」との考え方を生み出したのであり、私の感覚は櫻井とほぼ一致している。
 同じようなことを反復すれば、自分さえよければ、自分と恋人さえよければ、自分と家族さえよければ、自分と自分が勤める会社さえよければ…というのが、戦後を覆っていた価値観だったと思える。そこには、日本社会全体も日本国家もなかった。
 こうした<ミーイズム>が戦後の精神的雰囲気の特徴だったことを、寺島実郎・われら戦後世代の「坂の上の雲」(PHP新書、2006)も指摘していた。
 さて、もともと言及したかったのは、月刊正論7月号の中西輝政「潮流を見誤るな!世界は保守化している」だった。
 松岡農水相自殺・年金記録不備問題が生じる前の文章だが、中西は7月の参院選挙を「「日本の再生」「戦後レジームからの脱却」が、さらに進むか否か、今後数十年にわたる日本の進路にかかわる非常に大きな意味をもった選挙」と捉えている。
 そして、<歴史の岐路>を思わせるのは日本だけではなく、今年から来年にかけての韓国、台湾、ロシア、アメリカの大統領(総統)選挙もそうだとする。また、<さらなる保守化>が世界を覆っている潮流だとし、今年のフランス、一昨年のドイツ、保守党人気向上のイギリスなどを挙げる。
 アメリカはイラク戦争問題という特殊要因はあるが民主党が次期大統領選挙で勝つとは限らず、また民主党自体が従来よりも「保守化」している、という。
 そのうえで改めて日本の参院選を「戦後レジームから脱却」し「世界に一歩、大きく踏み出す選挙」にする必要があると説く。
 このあたりから、中西の「保守」観が出てくるので、私には興味深い。中西氏は言う。
 「自らの文明的特質に依拠して、啓蒙主義的な近代思想を相対化しうる視座こそ保守の本領」、「自民党は反共ではあったが、保守ではなかった」、「冷戦終焉後…古いリベラル気運にさえ惑わされていたこともあった」、その後も「まだ「原始的な保守」に過ぎず」、「日本の保守は世界から見れば「二周遅れ」、「だから、安倍首相は、「理念の保守」と「戦略の保守」の二本足を目指すしかなかった」、等々。
 阪本昌成の本を読んでいるおかげで「
啓蒙主義的な近代思想」なるものの意味はほぼ解り、「それを相対化しうる視座こそ保守の本領」という表現もほぼ理解できる。但し、理念の保守」と「戦略の保守
」の二本足、ということの意味はよく判らない。
 それにしても、「保守化」している世界的風潮の中で、「日本の保守は…二周遅れ」とは厳しいが、きっとそうなのだろう。日本には日本の社民党や日本共産党という<夾雑物>がまだ残っており、保守対リベラル、あるいは自由主義対(現実的)社会民主主義という、多くの先進国が至っている政治の対決構図には全くなっていないのだ。
 かりに自民党が「保守(自由)」だとしても、そもそもわが国の民主党とは何なのだろう。いくら何でもこの党全体を「リベラル」とか「左派リベラル」とは言えないだろう。日本共産党と同質の如き議員も存在する一方で、自民党議員であっておかしくない(河野洋平加藤紘一に比べてより「保守的」な)議員もいる。
 そういう政党が仕掛けてくる自民党批判・自民党攻撃は、そもそもいかなる積極的な意味があるのだろう。
 <ともかく政権交代、そのための一歩を>という主張には眉に唾した方がよい。1993年に政権交代が現実に起こったのだったが、まさに現民主党代表の小沢一郎が中心的役割を果たしたあの政権交代(細川連立政権誕生)は日本の政治史上、いかほどの肯定的評価を受け得るのか。
 しかし、自民党が敗北し(議席数を減少させ)民主党等の野党が勝つ(議席数を増やす)方が日本のためになると「何となく」考えている人も多いのだろう。そういう人には尋ねてみたいものだ、民主党等の野党が勝利又は躍進することがなぜ日本のためになり、日本の発展・進歩に寄与するのか?、と。
 ともかくも安倍首相が嫌い、というだけでは、何と志が低いことだろう。反自民=進歩的・良心的という「思い込み」によるのだとしたら、これまた戦後に「進歩的知識人・文化人」によって<刷り込まれた>単純・幼稚な発想だ。

0110/保守すべき日本の<歴史や文化や習慣>とは具体的には何か。

 産経5/1のコラム欄で河村直哉が「保守」について、「保ち守るべきものは歴史や文化や習慣に根ざした日本という国のたたずまいだと、まずは確認したい」と述べている。
 こうした理解に反対する気はない。だが-このコラムの主題ではないのだが-、問題なのは、<歴史や文化や習慣に根ざした日本という国のたたずまい>とは具体的に一体いかなるものを意味するのか、だと思うのだ。
 あるいは常識的には、戦前にあり戦後に失われてしまった、又は失われつつある日本的な<精神>又は<道徳規範>といったものを含むのかもしれない。
 しかし、戦後すでに60年以上経過した。前回使った語をここでも用いれば、戦後の<平等・民主主義・平和・無国籍>教育のもとで培われてきた平等観・民主主義観・平和(戦争)観・国家観等は、すでに多くの日本人にとっての「歴史や文化や習慣」として根付いてきている、あるいは「歴史や文化や習慣」の重要な部分そのものになってきている、と言えないだろうか。
 そういう現象を肯定しているのではない。むしろそういう現象に伴う日本国家の「溶解」を強く危惧している。ただ、60年も経過すれば、すでに既成事実として、新しい「歴史」等が発生してしまっているのではないか、と言いたいのだ。
 結局のところ、「保守」主義という考え方において「保守」すべきものは具体的には一体何か、という問題に立ち戻る必要がある。
 冒頭に言及したコラムにおける「保守」の反米と親米の区別(あるいはその相対化)の関係でいえば、抽象的だが、何らかの日本的価値の「保守」(そのためには国家としての「自立」が相当程度の前提になる)と現在のスーパーパワー・米国との関係を(その中にはまず軍事問題が含まれ、その次が経済問題かと思える)どう折り合わせるかという問題だと思われる。そして、二項対立的な議論によって決せられるものではなく、様々のバリエーションの中から、そのときどきの条件・事情のもとでいずれかの「中間」的な選択がなされるのだろう。

0083/カール・ポパーの本の扉裏-「コミュニストの犠牲になった、無数の男女に捧ぐ」。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(1996)の次の読書のベースは、同・保守主義の哲学(PHP、2004)だ。すでに1月末に100頁以上読んでいたが、96年の上掲書を入手したので、年代的に古いその方に途中から切り替えて、前者は過日読み終えた。
 後者の保守主義の哲学は読了しておらず、全読了してから何かを書こうと思っていたのだが、引用・紹介したい部分が出てきた。
 カール・ポパーという人の名を、またこの人が反共産主義・保守主義の(中川によれば「バークとハイエクに次ぐ、偉大な功績を遺した」)思想家であることを、いかほどの日本人が知っているだろうか。
 科学方法論の分野でむしろ著名らしいが、中川によると1.(ヘーゲルの)弁証法批判、2.歴史(法則)主義批判、3.「全体主義」批判>共産主義批判の3点こそが、中核だ、という。
 ポパーはヘーゲル、コント、ミルそしてマルクスの思惟方法をhistoricism(「歴史(法則)主義」)と呼んで、『歴史(法則)主義の貧困』という本を1944年に刊行した。この本は翌1945年の『開かれた社会とその敵』および1958年の講演録「西洋は何を信じるか」とともに、代表作とされる。
 なぜか不思議にも卒然と引用・紹介したくなったのは、この本の次の「献詞」だ。
 「歴史的命運という峻厳な法則を信じたファシストやコミュニストの犠牲になった、あらゆる信条、国籍、民族に属する無数の男女への追憶に献ぐ。」(中川著p.236。「献ぐ」は「捧げる」と同じ意味だろう。)
 「犠牲になった」とは意図的にであれ結果的にであれ「殺戮」されたということを意味するのだろう。そうした「無数の男女」を想って、彼らのためにこの本を書いた、というのだ。
 1944年であれば、毛沢東の中国共産党の「犠牲」者はまだ少なかっただろう。それよりも、レーニン・スターリンのソ連「社会主義」への幻想がまだ強く存在していただろう。そういう時期に反ファシズムとともに反共産主義の立場を明確にしていたわけだ。
 そのことの偉大さもあるが、引用したくなったのは、「
コミュニストの犠牲になった、あらゆる信条、国籍、民族に属する無数の男女に想いを馳せたからに違いない
 
コミュニズム(共産主義、マルクス主義)のために、いったいなぜ多数の人々が生命を奪われなければならなかったのか。現在も某国や某国では続いているのだが、なぜこんな「悪魔の思想」のために貴重な生命が無為に奪われなければならないのか。
 死に至らなくとも、そして主観的には「幸福」で、主観的には「敵(=資本家階級・独占資本・帝国主義・反動勢力等)と闘った(闘っている)」と思っている人々も、客観的に見れば、無駄な、無為なエネルギーを、彼らのいう「闘い」や「運動」に注ぎ込んでいることは間違いない。一度しかない人生を、宗教の如き「ホラの大系」、宗教の如き「夢想的予言」を信じて送らなくてもよいではないか。
 本当は、日本共産党員をはじめとする共産主義「信奉」者全員に、早く今の「闘い」や「運動」から離れて、「組織」からも離れて、まっとうな、いや「ふつうの」生活をし人生を全うしてほしい、と呼びかけたい。ここでこんなこと書いても殆ど役に立たないことは解っているのだが…。
 繰り返せば、たった一度しかない、それも数十年間しかない人生を、「悪魔の思想」に取り憑かれて過ごしている人々は(日本にはまだまだたくさんいる)、残酷な言い方だろうが、本当に気の毒だ。やや感傷的にすらなってしまう。

0049/阿比留瑠比の最近のブログ・エントリーの中で目を惹いたこと。

 阿比留瑠比氏のブログ・エントリーは熟読ではないにせよ、目は通しているつもりだ。近日のもののうちから、いくつか目を惹いたものを取り出して、何がしかの感想を記しておく。
 1 2007/03/26-「国会議員会館内で開かれた反日慰安婦問題集会」/2005年2月1日に、衆院第2議員会館で「女性国際戦犯法廷に対する冒涜と誹謗中傷を許さない日朝女性の緊急集会」という集会があった。その内容の紹介だが、当時すでに社民党委員長だったはずの次の福島瑞穂の発言が目を惹いた。
 「福島氏 (前略)この女性戦犯国際法廷につきましては、もともと私自身も、いわゆる従軍慰安婦とされた人たちの裁判を担当する弁護士で、この女性国際法廷にも、傍聴人として一般の市民として、あそこの会館のところに出席しておりました。今回、ものすごい危機感を持っております。ファシズムというのは、こういう形で起きていくのだということを痛感しております。(中略)/今回のケースは、もちろんNHKもしっかりしてほしいとか一杯思いもあります。ただ、政治権力によるメディアへの介入の問題である、政治家によるパワハラだと思っております。こういう形で恫喝をし、メディアの問題を私物化していくこと、安倍晋三さんがこれで何も問題はなかったと居直ることを許してはいけないと。(後略)
 上の発言のうち最もスゴいのは、「ファシズムというのは、こういう形で起きていくのだということを痛感…」だろう。仰々しいが、日本はファシズム・軍国主義へと向かっていっている、という時代認識が、この人やこの党(社民党)にはあるのだろう。「ファシズム」をどう定義しているかのかと突っ込みたくもなるが。
 次に、「
こういう形で恫喝をし、メディアの問題を私物化していくこと、安倍晋三さんがこれで何も問題はなかったと居直ることを許してはいけない…」。完全に朝日新聞と同じ認識ですなぁ。こういう認識から出発して、安倍氏や同内閣への見方が「真っ当な」ものになる筈がない。
 2 2007/03/31-「河野衆院議長のふざけた新「河野談話」と教科書検定」
 これは長くてとてもまともなしっかりした文章で、河野洋平という人物がますますいやになる。それはともかく、本来の主題ではないが、彼の次の文章が目を惹いた。
 「私も長年取材していますが、文部科学省は日教組などと馴れ合い、左派からの攻撃を恐れる一方で、保守派が大人しいのをいいことに、甘く見ているように感じます。
 これは見過ごせない情報だ。自社さ連立政権のおかげで文部省と日教組が仲良くなった旨の指摘も別の日にあったが、それよりも「保守派が大人しい」と見られていることも大問題だ。何が「保守派」かは難しいが、日本の「保守派」なるものが必ずしも強くはないこと、たしかに国民は自民党等を与党とする政権に政治を委ねているが、自民党に投票する国民の全員が「保守派」と意識しているかは疑わしいし、自民党の国会議員すら、全員が自らを「保守派」と自覚しているとは思えない。別言すれば、自民党の国会議員すら、全員が明確な「保守」理論=「保守」思想に支えられているとは思えないのだ(ただ政権与党だから、選挙区国民のために仕事がしやすい党だから程度の理由で自民党員である国会議員もいるのではないか)。
 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間、1998)p.55のグラフは、「思想」の分布・割合につき(私の目分量だが)、英米では保守(真性自由主義)が4:リベラル(左翼的自由主義)が5:社会主義(全体主義)が3なのに対して、日本では、保守(真性自由主義)が1:リベラル(左翼的自由主義)が4:社会主義(全体主義)が5だということを示している。
 ソ連等社会主義国崩壊後もかかる分析又は印象がなおある(そして私も相当程度現実でもあると感じている)ことについては別に論じる必要があるが、ともかく、日本にはきちんとした「保守主義」が強くは育っていないのではないか。これはむろん、「きっこ」?氏が出てくるような、戦後「平和・民主主義」教育と無関係ではない。阿比留氏の何気ない一文に、色々なことを考えさせられる。
 3 2007/04/07-「民主党の立派な「慰安婦議連」と岡田克也元代表」
 民主党は雑多な人たちの政党で、改憲が現実的争点になってくるときっと分裂する、と私は想定している。
 それはともかく、このブログ中では、「慰安婦問題で謝罪と反省を表明した平成5年の河野官房長官談話の見直しを求める動き」が民主党内にも出たという3/10の記事が引用されていて、その議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」の呼びかけ人メンバー全員の名が記載されているのが目を惹いた。次の16人だ(前原誠司の名はない)。
 衆議院-「石関貴史、市村浩一郎、河村たかし、北神圭朗、小宮山泰子、神風英男、鈴木克昌、田名部匡代、田村謙治、長島昭久、牧義夫、松原仁、三谷光男、吉田泉、笠浩史、鷲尾英一郎、渡辺周
 参議院-「大江康弘、芝博一、松下新平」。
 松原仁と河村たかし(+西村真悟)くらいしか名を憶えていなかった。自民党の某、某、等々よりもむしろ、こうした特定の民主党議員は、選挙でも当選させるべきではないか。
 岡崎トミ子、平岡秀夫らは落選させなければならない。

0033/掛谷英紀・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)を全読了。

 先日、掛谷英紀・学者のバカ(ソフトバンク新書)に肯定的に言及した。著者に興味をもったので、続いて同・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)という計79頁の、冊子のような本を29-30日の一晩で読み終えた。
 「リベラル」とは何か。大きなテーマだが、掛谷氏は「リベラル」を1.人権尊重+法の下の平等、2.他者の権利を侵害しないかぎりでの個人の諸選択の自由の尊重、3.これらの保障のため相応の責任分担、を要素とするものと捉える(私の簡略化あり)。
 また、a個人的(・政治的)問題とb経済的問題のうち、「リベラル」は、aへの国家介入をゼロに近づけること、bへの国家介入が100%へ接近することを容認するもので、逆にaへの国家介入を期待しbへの国家介入を最小にしたいのが「保守」と位置づける。さらに、aとbともに100%に近い国家介入を認めるのが「権威主義」(リベラルに振れれば「社会主義」、保守に振れれば「ファシズム」、一方、その対極にあってaとbともに国家介入を最小又はゼロにしたいのが「リバタリアン(無政府主義)」と位置づけている。
 もともと欧州と米国とで「リベラル」の意味は違うのだが、掛谷の概念用法は米国的だろうと思われる。それはともかく、かなり参考になる一つの分類の仕方で、「社会主義」と「ファシズム」の近似性の指摘も納得がいく。もう一つ、c軍事・平和軸(憲法九条や日米安保同盟の評価)を加えれば、(「思想」は大袈裟だとすれば)「基本的な考え方」の分岐が整理できるのではないか。また、リベラルと社会民主主義(社民主義)の違いも、この本を読んでに限らず、従来から気になっているところだ。(私は自らの立つ位置をなおも模索しているところがある。つまり、経済的自由への国家介入・政策的介入については基本的には「自由」優先だが、介入の程度、介入の態様、介入する場面・論点等の問題は、永遠の課題で、他の点はともかく、簡単には答えられないように感じているのだ…。)
 具体的には、仔細には立ち入らないが、介護・保育制度、薬害エイズ報道、夫婦別姓論等について、「リベラル」派と自己認識していると思われる知識人やマスコミ等がじつは上のような意味での正しい「リベラル」的主張をしておらず、むしろ「(選択の)自由」を制限する矛盾を冒しているとして、(「合理的」かつ「客観的」なリベラリズムを目指すというのが主観的意向のようだが)批判している。ここでのリベラル派マスコミの中には朝日新聞も入ると思われ、とすると、朝日新聞批判の著でもありうることになる。
 頭の体操的にも、前に読んだ著と同様に面白い。公的資金を投入した保育サービスの提供は自分で育児をしたい母親に不利に働き、子どもを保育所に預けて外で働くという選択肢を強要する傾向を持たざるをえず、選択の自由というリベラルの理念に反する、とか、ほぼ同じ意味だが、自分で育児したいとの女性(母親)の「自由」を抑圧・制限する方向に働く制度設計は誤りだなど、本格的なフェミニズム批判又は男女共同参画的施策批判につながりそうな指摘もある。
 新風舎刊ということは原稿持ち込みの半分自費出版的なものだろうか。掛谷英紀氏、32歳になる年の書物である。
ギャラリー
  • 2679/神仏混淆の残存—岡山県真庭市・木山寺。
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  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
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  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
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  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
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  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
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