秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

保守

1471/平川祐弘・天皇譲位問題-「観念保守」批判、つづき④。

 ○ 小川榮太郎「平川祐弘氏に反論する-譲位の制度化がなぜ必要なのか」月刊Hanada5月号p.303-による、おそらく同誌4月号の平川祐弘「誰が論点をすり替えたか-天皇陛下『譲位』問題の核心」p.30-に対する批判は、平川批判として優れている。
 書いていることに即しての譲位問題に関する平川祐弘批判は秋月もする予定だったが、小川の言述の紹介でもってほぼ代替させることができるかもしれない。
 もっとも、櫻井よしこらと親交があるらしい編集長・花田凱紀の意向だと思われるが、平川論考のタイトルは4月号の表紙の右側に最も大きく掲載されているのに対して、小川榮太郎の上記については表紙の中になく、目次の中でも目立ってはいない。
 月刊正論、月刊WiLL、月刊Hanadaは、同人誌的サークルが別の名前で、似たような人が似たようなことを順番に書く雑誌に堕してしまっている観がある。ときにはこの小川榮太郎論考のようなものや、西尾幹二や中西輝政のものを載せて、ゴマカしているけれども。
 ○ 小川榮太郎に同意できない部分はあるが、そこはさておき、以下は平川批判。
 ・最後の、「…日本の保守は実に危うい」。p.315。平川を読んでの結論的感想のようだ。そのとおりだ。とくに「観念保守」の精神的頽廃は著しい。もっとも、「…」の「…させねば」の部分には同意できない。
 ・まん中あたりの、「そもそも平川氏-および保守系論客の多数-が、そんなに摂政に固執することが私には寧ろ理解できません」。p.311。そのとおり。かりに本当に「保守系論客の多数」だとすれば、日本の保守はすでに死んでいる。つぎの根拠づけも適切だ。
 「皇太子による摂政の制は、明治の典範で初めて定められたものに過ぎず、本来の天皇伝統ではない」。p.311。
 ・平川祐弘は、今上の「お言葉」は<天皇の役割を拡大する「個人的解釈」・「拡大解釈」>だと理解して、「我が儘を言っておられるだけ」だとし、「祀り主として存在することに最大の意義がある」と言うが、「そもそもが陛下のお言葉への反論になっていない」。p.305。
 ・存在するだけでよいとは、観念的詭弁(秋月の言葉)。「極論すれば」、「植物人間状態で全く『機能』していなくとも、『存在』が継承されれば天皇伝統は続いたか」。p.306。
 ・平川は譲位の問題を縷々述べるが「体系的網羅的懸念」でない。制度又は慣習化で防止できる。p.310。また、例えば以下。
 ①上皇と新天皇の各周辺の「人間関係がうまくいく保証はない」というが、同様のことが「摂政と天皇の間にも」「起こるに違いない」。p.310。
 ②エドワード八世の退位後のヒトラー接近というのは、「失礼極まる」「拡大解釈」だ。p.310。
 ・平川は源氏物語を持ち出して「高齢化」への配慮は不要だとする。しかし、現在の「高齢化」社会の出現は突然のもので、「世襲の制度にとって、この突然の平均寿命の倍増は、根底的な制度設計の変更を要求するものだと考えるのは、寧ろ当然ではないでしょうか」。p.311。
 以下は秋月瑛二による追記。源氏物語がかりに50-100年間の天皇の実態を反映して(物語だが史実に即して)書かれていたとしても、たかだか50-100年間の天皇の歴史にすぎない。なぜこれが、現在の議論の根拠になるのか。源氏物語が描いていない、平安期以前、平安期の残り、鎌倉以降の武家・幕府時代等についての根拠になるはずはない。平川祐弘の言及の仕方は、思いつくままの(限られた個人的な知識にのみ頼った)恣意的なものにすぎない。「バカ(アホ)」なのだ。
 ・小川の論述はさらに進む。「終身在位に固執する弊のほうが、遙かに実際的な危機ではないでしょうか」。p.312。
 (明治皇室典範の摂政位継承順位の定めに関する小川の理解p.311-312は、適切だろう。つまり、摂関時代のように、皇太子等の皇族以外が摂政になることを禁止し、天皇家・摂政家(これにつながる皇族)の対立、後者による「明治新政府を転覆する可能性」を摘み取ったのだ。ちなみに、1989年・明治皇室典範は、1877年・西南戦争のわずか12年後、1968年・新政府樹立の21年あと。)
 皇太子が摂政につくとすると、「事実上、六十代以降に即位した老齢天皇が、八十代で摂政を立てるというのが基本的な天皇のあり方になってしまいます」。p.312。
 ・「宮中祭祀七つに関しては摂政は代行できません」。p.312。
 これについて調べる必要があると感じていたところ、珍しくこの問題に論及している<保守>の人の文章を見た。現在の皇室典範によれば、摂政は天皇の「国事行為」のみを代行できる。また、国事行為委任法(略称)も、名前のとおり、「国事行為」のみを委任できる。八木秀次もいるはずなのに、これについての言及がなかったのは不思議だった。
 いわゆる<公的(象徴的)行為>や祭祀を含む<私的行為>について、どこまで摂政が代替できるかは、本来はきわめて重要な論点だったはずなのだ。
 ・平川祐弘ら「保守派」はただ宮中でお祈りしていただければよいとの議論が多いが、「天皇の祈り」は「そんな気楽なもの」ではない。p.312-3。
 以上にとどめる。小川の批判は、平川祐弘に対してのみならず、、渡部昇一、櫻井よしこ、八木秀次にも、そしてその他の、月刊Hanada、月刊WiLL、月刊正論の関係者やこれらの愛読者に対しても、相当程度にあてはまるだろう。
 昨年の文藝春秋スペシャルの天皇特集号でも、そこにあった八木秀次よりも遙かに柔軟でかつ制度もよく理解していた文章を、小川榮太郎は書いていた。
 ○ 八木秀次を除けば、渡部昇一、平川祐弘、櫻井よしこはすべて<文学部>出身者。「アホ」になるのはどちらかというと文学部系に多い、というのが秋月の見立てだ。
 しかし、小川榮太郎は格段に優れている。話がかなり通じそうな気がする。
 もっとも、先に記載のとおり、小川が天皇について一般論として記していることについては、かなり違和感をもつ部分もある。だが、それは今回のテーマではない。

1465/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」つづき②のD。

○ 櫻井よしこ・週刊新潮2/16号の見出しは、「4代前の孝明天皇、闘いの武器は譲位」だ。
 そして櫻井は、光格天皇の「社会的遺産」を継承した「孫帝の孝明天皇」との言い方もし、強い意思の天皇だった旨も書いている。
 しかし、光格天皇のようには称えず、福地重孝・孝明天皇(秋田書店)によりつつ、孝明天皇が「天皇の幕府に対する最大最後の抵抗である」「退位」を示唆したとし、「このような歴史もまた、振りかえらざるを得ないのではないだろうか」、とまとめている。
 櫻井よしこは、これでいったい何を言いたいのだろうか。のんびりと、歴史を振り返る必要を指摘することくらいは、誰でもできる。。
 あるいは、天皇の「譲位」・退位の意思表示は世の中を混乱させる大変なことだ、と示唆したいのだろうか。
 ○ 櫻井よしこの記述の仕方には、奇妙なあるいは面白い側面がある。つまり、自分の強い意思をもち、能動的に行動するだけでは、天皇を肯定的には評価しないのだ。
 孝明天皇については、「開国反対の余り、天皇は幕府の考えに一切、耳を貸そうとしなかった」と断定し、「開国こそ生きる道だと説く堀田の主張は正論」だと、(後から見ての)価値評価を下している。そして、たんに<譲位は最後の抵抗手段>だという、この稿のまとめへと進んでいる。
 このような歴史理解は、櫻井よしこらしく、単純すぎる。つまり、孝明天皇は最後まで<開国反対=攘夷>に執着していたのではない。
 また、<開国>が進歩的で、<攘夷>は遅れていたという、のちの<薩長史観>に嵌まったままであることも、櫻井は吐露している。
 孝明天皇にはのちには、すでに記したα・攘夷とβ・開国という政策判断よりもむしろ、C・幕府中心体制でもA・天皇中心体制でもなく、両者が意思疎通しながらB・天皇・幕府協力体制を築いていくことを志向していた、と思われる。軍事力の差が歴然となってからは、開国せざるをえないという判断に至ったものと思われる(長州派も、いつのまにか?、開国派へと変身している)。
 それが長州・薩摩派や「過激」公家たちの路線と違ったのはなぜか。
 それは、彼らは、のちに王政復古維新をした明治新政府から旧幕府側人材(当面は)、とりわけ徳川家を除外する、という強い意思をもっていたからだ(ex.倒幕の密勅、対幕府戦争)。
 この点にこそ、のちの新政府側と孝明天皇側の、決定的な違いがあった。幕府排除・解体しての天皇中心体制か、「公武合体」体制か。孝明天皇がもっと存命であれば、歴史の展開は相当に変わっていただろうことは、しばしば指摘されている。
 以上は簡単な叙述で意を尽くした十分なものではないが、少なくとも、<開国・正、開国反対・邪>、孝明天皇は後者という、櫻井よしこのより単純な理解よりは、より適確だと思われる(櫻井よしこはもっと関係文献を読む必要がある)。
 ○ 櫻井よしこは、後から見ての特定の<勝利者史観>にもとづいて、孝明天皇を高くは評価できないと考えていることが明らかだろう。
 では、櫻井が中心に置いている<闘いの最後の武器は譲位>というのは、孝徳天皇について語るときに、適切な取り上げ方なのだろうか。いや、違う。
 レーニンは、反対者が自分に賛成してくれない場合に賛成を余儀なくさせる最後の手段として、しばしば<オレは辞めるぞ>と言ったと、R・パイプスは書いていた。
 相手を屈服させる、あるいは自分に不本意ながらも同意させるために、そんなことを言うならば、俺は辞めるぞ、それでよいのか、というのは、時代や国を問わずして、今日の日本でも十分にありうる。櫻井よしこは、人間の心理・感情・精神状態というものに知悉した人物なのだろうか。
 櫻井が用いてるのと同じ筆者の書物、藤田覚・江戸時代の天皇(天皇の歴史06、講談社、2011)には、ずばり、つぎの文章がある。1858年、井伊直弼大老就任のあと、「安政の大獄」の直前のことだ。通商条約調印強行の「報告」だけ受けての、孝明天皇。
 6月28日、朝廷公家に対して<退位とのちの明治天皇への譲位>の意思表示をした。幕府の措置に怒り「抗議のために譲位」表明するのは後水尾天皇(1600年代前半在位、幕府による禁中・公家諸法度制定などがあった)以来のこと。
 「天皇は、難局から判断不能に陥り、天皇位を投げ出したともとれるが、譲位の意思表示によって決意のほどを示そうとしたのだろう。/
 ここで重要なことは、孝明天皇は、逆鱗したとはいえ、あくまでも幕府への政務委任と朝幕融和(公武合体)という原則、江戸時代の朝廷の幕府の枠組みを大事にしていることである」。p.315。
 どういう研究者かの詳細を知らない藤田覚の言述をすべて信頼しているわけでは全くない。しかし、櫻井よしこのように単純に歴史や歴史的人物を理解して評価してはいけないこと、<譲位表明は最後の武器>という認識自体が誤っていること、を示しているだろう。
 ○ このような、何かに<取り憑かれた>ような、歴史については中学生少女レベルの人物が、日本や天皇の歴史について何を書いても、言っても、信用することはできない。その天皇譲位問題についての見解の基礎にある歴史観もまた、単純で、「観念論」的な、誤ったものである可能性がすこぶる高いわけだ。

1462/西尾幹二は「国体」を冷静に論じる-「観念保守」批判。

 ○ 櫻井よしこが書いていることは1937年・文部省編纂『國體の本義』とよく似ており、部分的には酷似している、と最近に書いた。そして、そのような一面的・観念的な「史観」による歴史叙述を簡単にしてはいけない、とも書いた。
 日本書記・古事記の記述は全部ウソだという人に対しては、いやいや、かなりの程度は少なくとも事実を反映している、何らかの民族的記憶を背景にしている、と言いたくなる。一方で、日本書記・古事記の世界をそのまま日本の歴史として(たんなる「お話」と事実と合致する歴史叙述を区別しないで)「信じる」人に対しては、いやいや、そう思いたくとも事実ではないところが多い、と言いたくなる。
 全か無か、正か邪か、善か悪か、真か偽か、物事をこのように二項対立的に単純に理解してはいけない。
 ○ 産経新聞社の、かつて月刊正論・編集代表者だった桑原聡は、退任するにあたって、同誌2013年11月号でつぎのように書いた。この欄の2013年11月14日付=№1235も参照。 
 「自信をもって」、「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたいという気持ちにブレはない」と言える、と。
 ここには、「何よりも尊い」、「天皇陛下を戴くわが国の在りよう」を護持しようとするのが<保守>だという、強い観念、強い思い込みがあるようだ。
 <保守>の意味もさまざまだから、そのように考えている<保守>の主張を一概に否定するつもりはない。
 しかし、秋月は、「天皇陛下を戴く」ことが日本と日本人にとっての最高の価値、最大限に追求すべき価値だとは思っていない。
 むしろ、天皇・皇室制度が「左翼」、とりわけ共産主義者によって利用されることを怖れている。例えば、日本人に親天皇・親皇室感情が強いと知っている共産中国は、かりに将来に日本を何らかのかたちで侵攻して日本の政権を事実上であれ従属させた場合、少なくとも当面は<天皇制度をともに戴く>ことを躊躇しないのではないだろうか。
 共産主義者は、目的達成のためならば、何でもする、何とでも言う、と想定しておかなければならない。日本共産党も同じ。
 なお、かつて雅子皇太子妃に対する批判が<保守>論壇でも有力になされたときに、いわゆる「東宮」側に立ったコメントをこの欄に書いたのは、何が何でも雅子妃を含む皇室を守るという気持ちからではなく、主としては、そのような(私が知らない何らかの情報があったのかもしれないが)批判をするのはもはや遅い、無意味だ、という反発からだった。
 率直にいって、美智子皇后に<ベアーテ・シロタは女性の人権拡張に貢献した>という発言があるという噂・風聞の方が怖ろしい。
 ○ 西尾幹二・GHQ焚書開封4-「国体」論と現代(徳間書店、2010/のち文庫化)は、サブ・タイトルどおり、「国体」論を扱う。その他の巻で扱われている書物もそうだが、GHQが「焚書」にしたからといって、それらの書物の内容が全面的に正しい、または真実だ、ということにはならない。当然ながら、西尾幹二は、そのことをふまえている。
 冒頭で言及した1937年・文部省編纂『國體の本義』に限る。西尾はつぎのように冷静に、この本を読んでいる(p.131~)。櫻井よしこに読ませたいような部分に限って、以下に部分的に引用する。
 『國體の本義』のすぐの冒頭部分を「読んで、正直ちょっとやりきれないな、と感じる人が普通で」はないか、「現代のわれわれの感覚からするとまったく浮世離れして見えるから」だ。p.134。 
 「ここからは私の批評です。ある意味では、この『國體の本義』に対する批判です」。p.154。
 日本人の心の「まこと」が「わが国の国民精神の根底だといわれると、たしかに…、それだけでよいのだろうか」。<和>に加えて<まこと> を説いて「自己完結しているところに、かえって問題を感じます。日本人にわかり易いがゆえに逆に曲者なのです」。p.159。
 「和と『まこと』」の一節を読んで、「日本は戦争に負けたのは当然だ」と思わざるを得なかった。「明き浄き直き心」だけでは「主観的すぎて、他の存在感を欠き、自閉と弱さの表明でもあることをあの大戦を通じて民族的に体験した」のだから、「戦前の『国体論』にそのまま戻ればいいという話ではまったくないということをしかと肝に銘じるべきです」。p.161。
 この書の天皇中心の歴史記述、親政天皇については詳しく(例えば後醍醐)、武士・幕府政治については冷淡だということ、に対する西尾の批判的コメントもあるが、省略する。
 ○ 小林よしのりが何かに、西尾幹二は天皇についてはあまり興味がない、と書いていた。
 たしかにそのようなところはあるが、櫻井よしこ、渡部昇一、平川祐弘らのような<天皇中心史観>のもち主よりは、はるかに冷静で、優れている。つまりは、「観念」論に嵌まってはいない。
 なお、西尾幹二は(日本共産党のように ?)『國體の本義』を全否定しているわけではないことを付記する。西尾は、部分的には、秋月が必ずしも同意できないことも述べている。
 ○ 西部邁の語源探りは読んでいて鬱陶しいのだが、その弊をふむと、R・パイプスの『ロシア革命』原著を読んでいて出くわした spritualism という語の意味は、ある辞書によると「観念論」で、「精神主義」という訳語は出てこない(後者は誤りでもないだろう)。またこれは、「心霊主義」、「降神術」という意味ももつらしい。
 櫻井よしこらの「観念保守」の者たちの「観念論」は、純化すると、すみやかに「心霊」にかかわる、特定の<宗教>に転化するに違いない。

1457/歴史叙述とは。櫻井よしこら「観念保守」の悲惨と悪害。

 ○ 歴史、歴史認識、歴史叙述とは何か、ということを考える。西尾幹二、高坂正堯、山内昌之等々のかなり多くの歴史関係文献を通じて、考えてもきた。
 歴史(学)の専門家・研究者は誰でもきっと、程度の差はあれ、これを思考したに違いない。だが、歴史叙述も人間の知的営為の一つなので、素人である秋月瑛二が人間の一人として、これについて何かを語っても許されるだろう。
 いや、自らの言葉と文章で語るのはやはりむづかしい。すでに坂本多加雄らのこの問題についての記述に言及したような気もするが、あらためて、歴史家・歴史研究者である他人の言葉・文章のいくつかを手がかりにしてみよう。
 ○ 一つはすでに紹介、言及した(昨2016年10月16日、№1408)。
 西山克典の訳書を手がかりにすると、リチャード・パイプスはこんなことを書いていた。ロシア革命に関する叙述を念頭に置いているとみられる。パイプス・ロシア革命史 = A Concice History of the Russian Revolution (試訳している書物とは別の、簡潔版のもの)による。
 「激情のさなかに生み出された出来事をどうやって、感情に動かされずに理解することができるというのであろうか」。
 「歴史的な出来事への判断を拒むことはまた、道義的な価値観にも基づいている。すなわち、生起したことは、何であれ、自然なことであり、従って正しいという暗黙の前提であり、それは、勝利を得ることになった人々の弁明に帰すことになる」。
 櫻井よしこの歴史記述は「政治的」だという批判は、厳密にはあたらない、とも言える。
 つまり、R・パイプスも言うように、歴史は「感情」をもってこそ叙述できるとも言える。何らかの「思い込み」があってのみ歴史叙述は可能であるのかもしれない。おそらく究極的には、そうだろう。
 だが一方で、「生起したこと」は「正しい」という前提で歴史叙述をするのは、「勝利を得ることになった人々の弁明に帰す」る、というのも鋭い指摘だろう。
 つまり、「明治天皇を中心とし」た明治時代はよかった、という前提で歴史叙述をするのは、勝利者である「西南雄藩」、とくに「薩長」両藩のために<弁明>しているのであり、典型的な<勝利者史観>に嵌まっているのだ。
 「観念保守」の<隠されたイデオロギー>はここにある、ということに(ようやく ?)最近は気づいてきた。
 もちろん一方で、日本共産党ら共産主義者の歴史認識と歴史叙述が、<公然たるイデアロギー>にもとづく、きわめて政治的で、思い込みの激しい、観念的なものであることは、すでに明らかになている、ごく常識的なことだ。
 ○S・A・スミス(Smith)というイギリスの若い学者による、The Russian Revolution: A Very Short Introduction (2002)は簡単な紹介のような本だが、内容的には面白いものがあった。
 スターリンだけを貶めレーニンは救う、という日本共産党的なロシア革命史観に立たず、スターリンをレーニンの後にきちんとつなげているのは、ごく普通だ。、
 一方で、マルクス又はマルクス主義にソ連社会主義崩壊の根源を見つつ、いったいマルクス主義の又はマルクスの諸原理の具体的にはどこに、欠陥又は「誤り」があったのかと問う姿勢が興味深く、その部分だけでも邦訳しようかとも思った。
 だが、これを読んだ時点では、この人にロシア革命に関する本格的な書物はなかった。他のテーマが専門の研究者かとも思った。
 そのS・A・スミスが、S. A. Smith, RUSSIA in Revolution, -An Empire in Crisis- 1890-1928 (2017) という書物を刊行する(した)ようで、すでに Kindle を通じて読める。
 その序文(まえがき)に、じつに興味深い記述がある。フランスのF・フュレの名も出てくる。以下のとおり。
 「フュレは正しく、特有の熱情(passion)をよび起こす歴史的事件や歴史的人物がたしかにある。そのような場合には、歴史の記述(writing)は、独特に政治的な企て(enterprise)だ、と述べる。」
 これも、上のパイプスの言葉に似ている。そのあとにスミスは続ける。
 「ロシア革命は、100年経っても、なおそのような事件だ。/
 そのゆえにこそ、私はこの本でできるかぎり感情を抑えて(=非熱情的に)、皇帝専制体制の危機、1917年の議会制民主主義の失敗、ボルシェヴィキの権力への上昇に関して書くようにした。/
 私は、教訓を引き出すこと(道徳化すること=moralizing)を避けること、嫌悪や反駁を感じる者たちについて共感をもって記述すること、積極的に好感をもつ者たちに対して批判的に記述すること、をしようとした」。
 これに続く文章も、ある意味で刺激的なので、分けて引用する。以下のとおり。
 「しかし、私に最初にレッテルを貼りたい読者に対しては-読者にはたしかに著者の立場を知る権利がある-、その読者は、結論を出してから始めている、と言おう」。
 他にも興味深い文章はあるが、長くなるので、このくらいにする。
 ○ 秋月瑛二についても、どのような、どのグループの「保守」かと、あるいは櫻井よしこ・八木秀次らを批判するとは「左翼」ではないかとすぐに分類や「レッテル貼り」をしようとし、それが判ったつもりになれば簡単に立ち去っていく人々もいるかもしれない。(なお、このような発想法は容易に、「真正保守」は何で誰か、安倍内閣の味方か敵かといった関心、分類思考・二項対立思考につながるだろう。)
 いや、問題は「観念保守」の人々の歴史叙述の方法または<歴史観>だ。
 究極的には「政治的企て」なのかもしれないが(それは<実践>の一つだということでもある)、上のようなパイプスやスミスのような歴史記述についての思索あるいは煩悩 ?をきちんと経たうえで、つまりできるだけ非熱情的に、冷静に歴史を見たうえで、最後のところでギリギリの価値判断を結果として行う、という作業を彼らはしているのかどうか。
 最初から特定の価値観・特定の歴史評価にもとづいているとすれば、その歴史記述は信用できないし、悲惨なものになるだろう。
 もちろん、マルクス主義者、あるいは日本共産党の歴史叙述も、最初から特定の価値観・政治観・特定の歴史評価にもとづいているので、悲惨なものだ。
 <自虐史観>に反対し、これを批判するのはよいが、その<裏返し>の歴史記述をするのは、「左翼」のそれと同じ「観念」論による歴史叙述だ、ということを知らなければならない。

1454/櫻井よしこ・天皇譲位問題-「観念保守」のつづき②のC。

 ○ 司馬遼太郎は、もともとは観念的思考、イデオロギーといったものを忌避するタイプの人物だっただろう。産経新聞社で最初に赴任した京都で、担当範囲にあった当時の大学の「左翼」的雰囲気に<染まる>ことがなかったのは、そういう<気質>があったからだと思われる。
 彼は、のちにたしか「純度の高い」概念・観念という言い方をしていた。ともあれ、抽象化又は単純化の程度の高い思考にはついていけない旨も書いていた。
 三島由紀夫の自裁に際して、司馬がかなり冷静な又は冷淡な感想を寄せたのは、そのような<気質>によるものだっただろう。司馬は、「狂信」というものが好みではなかった。
 三島は一方、明らかに「観念」で生きていた、あるいは、ついには「観念」に生命を捧げてしまった。守るべきは日本だ、というとき、当然に「天皇」も含んでいたに違いないが、その「天皇」は日本国憲法下での「象徴天皇」ではなく、彼が思い描き、観念した「天皇」だっただろう。
 しかし一方で、三島が憲法・法制に関するきちんとした知識をもっていたことも間違いない。「継受法」という概念も知っていた。また、その見識によってもいるのだろうが、彼の日本の現状認識、将来予測は、じつに鋭く、適確なものだった。この点には、この欄でいく度か触れた。
 元に戻ると司馬遼太郎は、京都での担当範囲の中に寺社廻りもあったために関心を持ち始めたのか、『空海の風景』(1975)では抽象的な仏教思想・仏教教義にも踏み込み、晩年とものちには言える時期には、土地の価格の高騰の時代を背景にして、かなり観念的で単純な世相批判も行っていた(土地問題について)。また、彼の日本軍国主義批判は、皮膚感覚的体験にも由来する一面的でかつ観念的なものだった可能性もある。
 とりとめなく書いていて、三島や司馬について何らかの結論的示唆を述べようとするものではない。
 「右」の全体主義は、伝統を「純化」しようとする、とか仲正昌樹は述べていたが、「純化」の程度が高いということは、「純度が高い」ということだ。
 「純度が高い」思考者を一概に非難することはできない。三島由紀夫もまた、その思考・「観念」が現実の世界では採用されないことを知った上で、つまりその「観念」あるいは「理念」・「理想」が<現実化>することはないという確実なまたは決定的な見通しをもって、1970年11月の行動に出たのだろう。そのような残酷な予測と自らの生命はいずれ不可避的に消滅せざるをえないという個体としての人間の限界の意識、この二つが、狂気ともされた行動への衝動になったかと思われる。
 そして、そのような三島をとくに批判しようとは思わない。いろいろな人間がある。仲間の数人以外には三島は誰も殺さなかった。三島由紀夫は、テロリストではない。そして、「美しい観念」を抱いて、それに殉じることができた。なかなか幸福な人物だった、とすら思える。
 ○ このような三島の「観念」世界に比べると、最近の日本の「観念保守」には、日本を貫き通すような強度や凄みはなさそうだ。
 櫻井よしこの、昨年11月の「専門家」ヒアリングでの発言内容を、遅まきながら、読んだ。
 やはり、この人は(も)、アホだ。というよりも、日本の「保守」というものの、きわめて深刻な精神的頽廃を感じる。
 この点にさっそく入っていきたいが、予定どおり、週刊新潮誌上の、櫻井記述に、あらためて以下に、言及する。
 櫻井よしこ・週刊新潮2/9号を見てみると、つぎの一文が印象的だ。書いていないことに注目すべきとか前回に書いたが、はっきりと書いていることにも明らかな誤り・問題点がある。
 光格天皇の具体的な言動を肯定的に紹介するのはよいとしても、以下のような櫻井よしこのまとめには、反対せざるをえない。
 「光格天皇の強烈な君主意識と皇統意識が皇室の権威を蘇らせ、高めた。その権威の下で初めて日本は団結し、明治維新の危機を乗り越え、列強の植民地にならずに済んだ。」
 第一に、明治維新等に関する叙述を、こんな二文ほどで終えてしまっていることに唖然とする。以下で指摘することも含めてだが、櫻井よしこは、日本の中学生レベルの日本史知識・明治維新に関する知識しかない、と思われる。
 くり返すが、本当に唖然とする。このレベルの人が、「保守」論壇のリーダー ?、情けなくて、涙が出そうだ。
 第二に、天皇の権威のもとで団結して「明治維新の危機を乗り越え」、「列強の植民地」化を防げた、というのは、それが天皇・皇室の権威-明治維新-植民地化阻止、という趣旨であるなら、それは前回にも述べた<明治維新よかった>史観だ、あるいは<薩長・勝利者史観>だ。あるいはそこに天皇・皇室の権威を媒介させているので、明治維新の源に「光格天皇の強烈な君主意識と皇統意識」があったと明言しているように、<天皇のおかげ史観>だ。櫻井が明治天皇を高く評価するのも分かる。
 家近良樹・江戸幕府崩壊-孝明天皇と「一会桑」(講談社学術文庫、2014、原著2002)は、最初の方(第2章の冒頭あたり)で、櫻井よしこのような史観を、同じ趣旨で、「王政復古史観」、「西南諸藩倒幕派史観」、「天皇制維新史観」と呼んでいる。
 また、戦前におけるこの史観の誕生と国民的確定 ?には、明治政府が「王政復古(戊辰戦争)の意義を確定」すべく1889年に刊行した、<復古記>という書物・全15冊や、戦前昭和の政府が1939-41年に「官製維新史の集大成」として刊行した<維新史>があった、としている。
 子細には立ち入らない。櫻井よしこの明治維新史イメージは、この、明治期や戦前期に当時の、「西南雄藩倒幕派」(とくに薩長両藩)やその後裔者たちが中心の政府によって作られたものと同じだ、とほぼ断定できるだろう。
 ○ 学者・研究者になれ、とは言わない。しかし、素人の秋月ですら、櫻井よしこが抱く明治維新、そして当時の天皇に関するイメージには疑問をもつ。少なくとも、そんなに簡単には言えない、と批判することができる。
 素人の見方を、少し提示してみよう。
 認識・理解そして議論の対象は、大きく、体制・政治の基本的仕組みと、政策目標とに分けることができる。
 前者には、大きく、A・天皇(・皇室)中心体制、B・天皇/幕府協力体制、C・幕府(・将軍)中心体制の三つがある。
 後者には、大きく、α・攘夷=鎖国と、β・開国(・開港)とがある。
 江戸時代は長らく、Cかつαだった。
 光格天皇の力もあったのだろうか、孝明天皇の時代に、幕府は対米通商条約について「勅許」を求める(1856年、前回に天皇側が主張したとしたのは正確でない)。幕府はβへと政策変更し、かつ部分的にはBに近づいた。天皇の力=権威 ?を借りて政策変更を諸大名にも認めさせようとした。条約の法的実施が天皇の判断に依存しているとすると、この時点で、天皇は「権力」の一部をもつに至った。画期的なことだ。
 しかし、孝明天皇は1857年2月の時点で、「勅許」を出さない。許可・認可の申請を拒否したか、又は「お預かり」にしたようなものだ。天皇・朝廷の一存で、条約の現実化ができない事態となる。この時点で、天皇・皇室はれっきとした「権力」機構の一部になっている。たんなる「権威」ではない。
 以上は、A~Cやα・βの区別はむろん私の思いつきだが、櫻井よしこも引用していたのと同じ著者の、藤田覚・江戸時代の天皇(天皇の歴史06、講談社、2011)を見ながら書いた。
 とりあえずここで区切る。大切なのは、この時点で、あるいは1866年、1867年の途中までですら、旧幕府を除外した新政権、つまりAの天皇中心体制ができるとは、ほとんど誰も予想していなかったことだ。いくつかの時点で、この当時、さまざまな歴史の選択がありえた。B(いわば公武合体路線)による、緩やかな開国と変革(と「富国強兵」 ?)および植民地化阻止もありえた、と考えている。
 薩長両藩等が新天皇(明治天皇)を中心にしてまとまり勝利した、明治維新がなされた、頑迷・旧態依然たる幕府時代と訣別して新しくよき明治時代になったという、後から見ての評価を、櫻井よしこのように簡単に下してはならない。
 ○ 櫻井よしこのような、<明治はよかった>史観は、明治時代である1889年の旧皇室典範の内容、終身在位制は素晴らしかった、という単純な理解と主張につながっている可能性がすこぶる高い。だからこそ、孝明天皇、明治維新、明治国家等の検討を私なりに試みている。

1445/天皇譲位問題-「観念保守」派の誤り・無知、つづき①。

 天皇生前譲位問題について。
 一 基本的論点の一つは、日本の天皇(の歴史)をどう見るかだろう。
 <摂政活用>派または生前譲位否定論は、これを根拠にしているからだ。
 しかし、前回も触れたように、この論を<歴史>でもって正当化することはできない。
 また、「観念保守」派の多くが-たぶん産経新聞社の菅原慎太郎も桑原聡も-抱いてるようにみえる、つぎのような<権力・権威>論も日本の歴史の事実に即していない、と考えられる。
 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号。
 「鎌倉幕府も徳川幕府も、時の権力者といえども、皇室の権威には服せざるをえませんでした。俗世の権力は常に皇室の権威の下にあり、……は実権を握りながらも、究極の権威は彼らの手にはありませんでした。一方、皇室には権威はあっても権力はなかったのです」。p.86。
 よくぞこんなに簡単に言えるものだ。しかも「常に」と断定しているのは、相当にアホだと言える。
 ここにあるのは、<思い込み>であり、<観念>だ。
 勝手に思い込むのはよいが、歴史の事実であるかのような書き方をしてはいけない。あるいは、<こうであってほしい>という願望や<こうであったはずだ>というはず・べき論と歴史的事実を混同してはいけない。少なくとも、自らの言明の「真実」性・事実性を疑ってみる謙虚さが必要だ。
 すでに前回に本郷和人著に言及した。
 既読だが、本郷和人「天皇を知れば日本史がわかる」文藝春秋スペシャル2017冬・皇室と日本人の運命(2017)もある。なお、本郷は、黒田俊雄のような<マルクス主義史観>のもち主ではない。
 ○「権門体制論」は形式はともかく実態を示さず、後鳥羽の承久の変以降「次の天皇を誰にするか」を朝廷の一存で決められず「鎌倉幕府の承認」が要った。
 ○四条天皇後、朝廷の意向とは違った後継者を鎌倉幕府は立てた(後嵯峨天皇)。
 ○鎌倉幕府は後鳥羽本流の皇子の即位を「認めなかった」。
 ○天皇・朝廷は「鎌倉幕府を利用するどころか、それに依存して」いた。
 ○元寇の際に戦ったのは幕府で、「何もしてい」ない朝廷が「国家権力を担っていると言える」のか。
 なお厳密な議論を要するのだろうが(<権門体制論>等について)、世俗権力と天皇の関係は、櫻井よしこが単純に描く上のようなものではないことを、示しているだろう。
 鎌倉時代の<例外>ということはできない。前回した紹介でも上でも本郷は江戸時代にも触れている。
 問題はそもそもは「権力」・「権威」という概念の意味なのだが、櫻井よしこは、これを明らかにした上で、少なくとも、平安時代および鎌倉時代以降幕末までの、上の理解の適正さを歴史的に論証・実証すべきだ。
 また、明治憲法下の天皇・政府関係についても、<権力と権威>如何・これの関係をどう理解すべきかの問題はある。櫻井よしこはこれに厳密に論及はしていない。例えば、戦前の昭和天皇に「権力」は(全く)なかったのか。例えば、<ご聖断>とは何なのか。
 二 つぎに、引用を省略するが、アホ4人組の多くは、生前譲位を認めると、新天皇と前天皇の二つの<権威>の並立・衝突が生じるので、避けるべきだ、と主張して、根拠づけている。
 しかし、こんなバカバカしい、いやアホらしい議論・論拠はない。
 すなわち、では<摂政>を置けば、これを回避できるのか。
 天皇在位のままでいる現天皇と「摂政」就任者との間で、二つの<権威>の並立・衝突もまた生じうる。
 いや、現皇室典範上の摂政就位の要件ならばまだよいが、<摂政制度活用派>はこの要件を緩和することを明示的に主張・提案しているので、(現皇室典範が想定していると解される)ほとんど意思表明能力を失った天皇ではなく、まだなお(意思表明はもちろん)ある程度の行為・活動の能力のある現天皇と新設置される摂政との間に、現実的な<権威>の並立・衝突がより発生する可能性がある。
 また、「上皇」=前天皇の存在を認めると、制度的・財政的手当ての問題が生じるなどと立論する者もいるが、同じ問題は、摂政を置いた場合でも全く同じように生じる。
 現憲法・現皇室典範のもとでは摂政設置の例はなく、そのための具体的な制度的・財政的しくみは、きちんと詰められては全くいないのだ。 
 アホな<脅迫>は、しない方がよい。
 三 あまりつきあいたくないが、明らかに書き残しがあるので、回を改める。

1430/西尾幹二全集第15巻(国書刊行会、2016)。

 西尾幹二全集第15巻(2016)の内容のほとんどは「わたしの昭和史」で(全集では「少年記」)、二冊の新潮選書(1998)で読んだことがある。
 いつか忘れたが読んだあとは、こんな記憶力とそれを呼び覚ます資料は自分にはない、したがって自分には書けない、という思いと同時に、1935年生まれの、私のいう<特殊な世代>、あるいは国民学校・小国民世代の人物が、よくぞ「左翼(的)」にならなかったものだ、という感想が生じた。
 もしあらためて読めば何かのヒントがあったのかもしれず、著者がこの問題に触れているのかもしれないが、読み返す余裕はたぶんない。
 1960年の時点、著者がちょうど25歳の頃に「左翼」でなかったことは上記単行本のp.505でも記述されている。
 すなわち、同年に樺美智子が死亡したのちの東京大学での演説会で日本社会党国会議員が「虐殺」うんぬんを述べていたとき、「私〔西尾幹二〕があれは虐殺ではない、圧死だと口走った」とある。
 このあと「口走ったとたん、巨漢の柏原〔柏原兵三、のち芥川賞作家-秋月〕の大きな掌が私の口をふさいだ」、彼は「私が殺されるのを恐れたからだった」、と続いて、生々しい。
 ともあれ、「虐殺抗議」のプラカートを先頭に掲げたデモの写真を見たこともあり、当時の各大学での(樺美智子もその一員だったが)「左翼」的雰囲気を想像することもできる。だが、西尾は明らかに「左翼」ではなかったようだ(なお、同じ文学部の同期入学生に、大江健三郎がいたはずだ)。
 そして、それはなぜ ?、いかにして<保守>論客に ?という感想が生じるが、それは全集をよくよく読み込めば判るのかもしれない。
 ところで、上の柏原某も出てくる文章はこの全集版で初めて読んだのではない。だが、示されている月刊正論1995年2月号で読んだのでもないとも記憶していて、やや不思議だ。
 この上の文章は<少年記>とは別の「付録/もう一つの青春」の一部で、私は上の部分のみを憶えていたかに見えるが、今回に(といっても昨2016年の刊行直後に)読んで印象に残ったのは、一つに、大学院学生の西尾は、当然ではあるのだろうが、研究の対象等の自らの将来に思い悩んでいた、ということだ。
 「私は相変わらず何を書くべきなのか、あるいは何が書けるのかも分らず、学校と自宅の間を往復し、文学と思想の広大な海を漂流していた」。(余計だが、「美しい」文章だ。p.504)
 もう一つは、大学院に進学したのちの「指導教官」を、当時にすでに故人ではあるものの、氏名を明示して、「私はその思想、研究業績を軽蔑していた」と明記していることだ。この「指導教官」は「日本の典型的な『進歩派』文学者」だったらしい。
 それで西尾は「ニーチェを師として選んだ」ようだ。
 さて、個々の人間の人生にはいろいろな偶然的な出逢いがあるものだ。西尾幹二にとっても、若き学生時代のいくつかの偶然はのちのちの西尾幹二が生まれる原因の一つだったことには違いなく、「指定された」という「指導教官」もまた、その一つだっただろう。
 さらに発展させれば、西尾は拒否したようだが、「指導教官」が日本共産党の党員学者だったり、明確な親共産党の者だったりすれば(そんなことは大学院の学生レベルでは通常はあらかじめ判っているものではないだろう)、西尾のように実質的に離れれば別として、その「指導」を受ける学生は、どのような学者・研究者に育っていくのだろうか、と想像して、暗然とする。
 そういう特定の教師・学生の特殊な「身分関係」は-それは学生にとって「就職」という生活・生存にかかわる-、今日まで、容共・「左翼」的な人文社会系学者・研究者たち(大学教授たち)の誕生に、大きく寄与してきたのではないか、と推測される。
 -と、かなり西尾の全集それ自体からは離れたことまで書いてしまった。

1426/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧③。

 一 月刊正論編集部のマップ(月刊正論3月号p.59)の基礎的問題点の一つは親米・反米に拘泥していることであり、これはアメリカを対象化・客観化して認識し議論することをきわめて困難にすることになる。
 すなわち、アメリカ自体が変容・変化する可能性があるが、<親米か反米か>という見方によれば、アメリカの変化によって親米の内容も反米の内容も変わってしまう、ということが看過される危険性がある。日本(人)の見方が、大きくアメリカの思想や政策に依存してしまうことになる。
 また、日本のほかに欧米も視野に入れた思考をできにくくする。例えば、アメリカの二大政党は私のいうB内部の対立なのか、BとCの対立に相当するのか(反共のブレジンスキーによれば前者のようだが、今の民主党は<容共>のようでもあり、私には判断しかねる)、既述のようにトランプ大統領はBからAに向かうのか、といった関心を封じることとなる。
 秋月瑛二の図表もイスラム・アフリカや共産主義諸国内部では不適切だろうが、それでも月刊正論編集部のそれよりは、広い視野を持つものだと思われる。
 二 西部邁・佐伯啓思らの表現者グループについて、その「保守」性を疑問視したり、<左翼との通底 ?>と書いたこともある。中島岳志を「飼って」いたり、佐伯啓思が橋下徹について<ロベスピエールの再来の危険>とか書いたこと等をきっかけとしてだった。
 しかしいちおう自己申告?に従って、「保守」だと見なすことにしよう。西部邁も含めて、その反米主張や「自由・民主主義」に対する疑問は日本の「左翼」に利用されかねないし、類似性もなくはないと思うが、<反共産主義>者たちだとは思われる。
 そうすると、菅原慎太郎らの月刊正論編集部は、他の保守との区別がつかなくなるではないかと、秋月瑛二の分類の仕方を非難するかもしれない。
 そのとおり、<保守・リベラル>=おおよそ読売新聞社系「保守」以外の保守は、私のいうA保守(反共)・ナショナルに含まれ、そのかぎりで、表現者グループと同じだ。
 想定しているのは、西尾幹二、中西輝政、櫻井よしこら。小林よしのりも。中川八洋については、かなり迷う。中川は<反共>意識旺盛だが、<親英米>の、私のいうBグループではないか、と。
 中西輝政も含めて、なお論評したいことは多いが、今回は避ける。
 櫻井よしこについては、渡部昇一に対するのと同様にこの欄で批判し続けてきているが、それは、こんなことを書いて<本当に保守派なのか>という疑問提示と叱咤激励のつもりだった(だが、昨年以降は、「観念保守」としてさらに距離を置いて批判する必要があると感じている)。
 ともあれ、A保守(反共)・ナショナルの内部にこそ、月刊正論編集部が注目している区別があるようであり、かつ、その区別を強調して過度に肥大化させる必要はない、と思っている。月刊正論編集部はいわば広い<身内>にのみ関心を寄せていて、視野が狭いようだ。
 すなわち、八木秀次に依頼したかにみえる論考タイトルは「保守とは何か-エセ、ニセの見分け方」で(但し、八木はこの「見分け方」を明示していない)、編集部のマップの中にも「保守・自称保守」と並べた言葉があるが、このような発想方法は、「真正保守」は何か、誰々か、を探ろうとするもので、ヒマな人々は勝手にすればよろしいが、ほとんど建設的・生産的な意味がない、と思われる。
(但し、「観念保守」という概念の設定はこれに反しているかもしれない。この概念の発見?は、なぜA保守ナショナルは多数派になっていないのか、その理由を考えたりしているうちに生じた。)
 「真正」か否かではなく、具体的に、あるいは個別テーマに即して、どのような主張・政策が<保守>派として最適なのか、を論じなければならない。2015年戦後70年安倍談話をいかに評価すべきかは基本的論点だが、他にも、憲法改正で急ぐべき条項はいずれか、原発問題は ?、皇位継承問題は ?、いっぱいある。
 もとより、一般的・抽象的な議論として<保守とは何か>を議論できるし、する必要があるのかもしれないが、国によって、また日本でも論者によって内容は様々で、「正しい」解答などは存在しないのではないか。
 「真正」・「自称」・「エセ・ニセ」といった形容句の玩弄はやめた方がよい。それはすぐさま、回避すべき<観念>的議論につながる可能性が高い。
 三 「保守とは何か」、これを論じるつもりはない、と前々回に書いた。しかし、私には、答えは簡単なのだった。
 反共産主義こそ、「保守」だ。そのかぎりで、<保守には、いろいろ(諸種・諸派が)あってよい>。

 なお、4分類、4象限化という思考・作業は当然に類型化・抽象化を伴っていて、「観念」化そのものだ、ともいえる。本来は相対的でありうる区別を絶対化して不要な分類作業をしてはいけないことは、自認・自戒している。

1425/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧②。

 月刊正論編集部作成の四分けマップと新聞社等の位置づけは、自己中心的なものだ。
 かりにこれによる二つの大きな基準によってすら、産経そして月刊正論は、前回でも触れたように、「歴史認識」問題では決して<自尊>派ではなく、大きく<自虐>派へと移行している。それは、2015年8月安倍談話以降、ぴたりと<歴史戦>と呼号( ?)しなくなったことでも分かるし、月刊正論の背表紙の文字のこの時点前後を比べれば一目瞭然だ。月刊正論編集部・菅原慎太郎らは、ごまかさない方がよい。
 また、自民党はこのマップではやはりどちらかというと「自尊派」に傾斜して位置づけられているが、実態は、少なくとも上の談話以降、読売新聞と同様の<リベラル保守>、月刊正論編集部による<自虐(保守)>派であることを明らかにしている。稲田朋美も下村博文も、おそらく誰も、自民党内では戦後70年談話に異議を挿まなかった。
 ほかにも難点はある。例えば、朝日新聞・毎日新聞が<対米不信>派に分類されているが、アメリカのメディアや同民主党政権の意向・考え方を利用して、いわば対米追随的に、日本の<自尊>派、または私のいう<保守・ナショナル>派を批判してきたことは周知のことだ。日本共産党と朝日新聞らをごっちゃにする月刊正論編集部の見方は、そもそも<対米協調>か<対米不信>かを大きな基準にすること自体が適切ではないことを示している。
 また、月刊正論編集部によれば、第4象限の<対米不信・自尊>派にはほとんど何も分類されなくなる。政党では辛うじて「日本のこころ」がこれに近いことが示されているにとどまる。
 だが、「保守」論壇人を見ると、「自由と民主主義はもうやめる」と書いた佐伯啓思や西部邁らの<表現者>グループは、月刊正論編集部のいう<対米不信・自尊>派だろう。
 そして、広義での「保守」が1・2・4の三象限を占めてしまい。いわゆる「左翼」は第3象限にしか位置づけられなくなる。
 現実は、保守対「左翼」が3対1ということはない。
 秋月瑛二の分類では、西部邁・佐伯啓思・西田昌司らの<表現者>グループは、<保守・ナショナル>派(第一象限)に位置づけられる。
 <自尊・自虐>という情緒的なものを大きな基準として採用していることのほか、<対米協調>か<対米不信>かを大きな基準として採用していることに、月刊正論編集部マップの致命的な欠陥がある。
 よほど月刊正論編集部と産経新聞は<対米協調>派であることを強調したいのだろう。
 月刊正論編集部の4つの分け方によれば、上が「対米協調」で下が「対米不信」。右が「自尊」で左は「自虐」。これで反時計回りに、象限に位置づければ、つぎのとおり。
 B/自虐・対米協調派 A/自尊・対米協調派
 C/自虐・対米不信派 D/自尊・対米不信派
 秋月瑛二の分類(前回のA~D)はたんに右から左へと並べたものではなく、上のような4象限化をすることも可能だし、そのように意図している。反時計回りに、第1~4象限。以下のとおり。もちろん、反共か容共かは大きな基準とされなければならない。
 B/リベラル・保守 A/ナショナル・保守
 C/リベラル・容共 D/共産主義(=ナショナル・容共)
 上半分はいわゆる保守、下半分はいわゆる「左翼」。
 左半分は<(欧米淵源の)自由・民主主義>派、右半分は、リベラル・デモクラシーをそのままは支持せず日本の特殊性を強調する、またはそれを(日本共産党のように)乗り越えようとする立場だ。
 D/共産主義に日本共産党だけが入るのではない。反日本共産党の日本の「共産主義」者たちがいることを知っている。但し、日本共産党に少なくとも限れば、この党は「アメリカ帝国主義」を大きな「敵」と見なす<民族=ナショナル>派的性格をもっていること、「民主主義」社会を超えた「社会主義・共産主義」社会を展望していること(単純なリベラル派ではないこと)を忘れてはいけない。

1424/「保守」とは何か-月刊正論編集部の愚昧①。

 一 「愚昧」とは挑発的だが、直接には、月刊正論3月号のp.58の、「保守」にかかわる論壇・政党のチャート(マップ)図表に異を唱えたい。
 また、<保守とは何か> も惹句であり、これを以下で正面から論じるつもりはない。
 月刊正論「編集部作成」という上記のマップは、一つは対アメリカ観に着目して「対米協調」と「対米不信」に分け、もう一つは「自尊」と「自虐」に分け、併せて四つの象限を描いている。
 月刊正論編集部の頭の中を覗きみる観がある。しかし、この二つの対立軸を合成して思想・論壇・政治家等を見るのでは、適切に現在の思想・政治状況を把握できないと思われる。
 まず、対アメリカの見方を重視すること自体、月刊正論編集部が「アメリカ」に拘泥していることを示している。例えばなぜ、「対中国」であってはダメなのか ?(対中国を基軸にせよとの趣旨ではない。)
 つぎに、「自尊」・「自虐」という基準は、適切な基準にはならず、正確には、これを基準とすべきではない、と思われる。
 同編集部によれば、産経新聞は第一象限の<対米協調・自尊>に属するらしい(朝日新聞は<対米不信・自虐>)。同編集部もまた、この立場をとりたいのだろう。
 とすると、「自尊」は疑いもなく肯定的評価が与えられ、「自虐」には疑いもなく消極的評価が与えられると<信じて>いるかに見える。しかし、そのように断定することはできない、と考える。
 長くなるので結論だけ書くが、「自尊」も程度による。いくつかの民族・文明を劣ったものと罵倒して、日本民族(日本人)の<優秀性、すばらしさ>だけを言い募ってはいけない。
 合理的・理性的なものならばよいが、実証性の欠く叙述・主張をして、自己満足をしてはいけない。<日本の歴史・伝統>を語ることは私も好きだが、できるだけ事実に即した冷静さも必要だ。
 産経新聞社の安本寿久らは、本当に日本書記の「神代」の記述、神武天皇の聖跡・東遷のルート上の言い伝えをほとんどそのまま「真実」だと思っているのだろうか。左はついでに。今年は皇紀2600+年だと「信じ」ないと<保守>派ではないのだろうか。左もついで。
 二 上のマップに興味をもったのは、秋月自身が、思想・思潮(とくに政治・論壇における)の4分類というものを思い描いており、この欄に提示して遺しておきたく考えていたからだ。
 それによると、共産主義に対する考え方、<自由と民主主義>に対する考え方の二つを基準として、現代日本の思想・思潮は以下のように分類できる。
<自由と民主主義>とは<欧州近代>思想と言ってもよく、liberal and democratic 又は Liberal Democracy を意味する。表向きは、日本国憲法の思想又は理念でもある。以下では、たんに「リベラル」と略記する。中島岳志のいう<保守リベラル>等と、以下の類似の言葉は同じではない。中島は<保守>界の紛れ込もうとした<容共・リベラル>だろう。
 説明・コメントは、のちにも行う。
 A/保守・ナショナル (産経新聞 →B ?)
 B/保守・リベラル  読売新聞
 C/容共・リベラル  朝日新聞・毎日新聞
 D/共産主義     「赤旗」
 ・人文・社会系の学界・大学の教授たちは、ほとんどがCかDに属する。憲法学界は、95パーセント程度か。
 ・自民党はAからBに広く及ぶが、Bの方が多そうだ。かつて(今も ?)、Cに属する議員もいた可能性がある。
 ・<保守>イコール<反共産主義>だと、秋月は考えてきた。D/共産主義の重視しすぎだとの感想を与えるかもしれないが、きちんと残しておくべきだ。このD/共産主義が(日本には)まだあるがゆえにこそ、Cも存在しうる。
 ・産経新聞は、もともとは<保守・ナショナル(愛国・反反日)>の新聞だったようだ。しかし、安倍戦後70年談話を支持して以降は、先の<戦争>の理解については、読売新聞と基本的には同じになっていると見える。昭和の戦争にかかわる<歴史認識>では産経も読売も変わらなくなったのではないか。上のマップでは産経新聞は<自尊>派とされているが、何が<自尊>だ。笑わせる。また、<対米協調>とは、<歴史認識>では<対米屈服>・<対米追従>なのではないか。笑わせる。
 ・欧米と日本を比べると、AとDを殊更に挙げておく必要があるのが日本で、欧米の圧倒的大勢は「近代市民革命」の肯定と<自由と民主主義>支持で覆われているようだ。民族問題はその基本的理念・理想のもとでの対立だと考えられているように見える。具体的には、日本におけるような<靖国問題>も、大きな対立がある<改憲問題>も、欧米には存在しないように見える。アメリカ・トランプ大統領はBからAへの離脱までしようとしているかは、まだはっきりしない。かりにそうだとすれば、欧米的<自由と民主主義>理念の放棄まで目指しているとすれば、根本的に新しい時代に入っている、と思われる(但し、これまでの<リベラル・保守>の範囲内のものである可能性も高い)。
 ・A/ナショナル保守も、さらに分岐する。親米か反米かという基準は、あまり役に立たないと考えるべきだ。むしろ、「観念保守/ナショナル」と「合理的保守/ナショナル」を重要なものと考えるべきだ、と最近は思っている。また、反共産主義という場合の「反共」の程度で、この内部を分けることができると思われる。
 ・月刊正論上記号の櫻井よしこ論考は、「観念保守/ナショナル」丸出し。櫻井よしこが保守論壇の(オピニオン・)リーダーだとされることがあるのは、恥ずかしく、情けない。かつまた、恐ろしい。
 月刊正論編集部もまた、俺たちこそが<真正保守>派だとの思いは(あるとすれば)、捨て去るがよいだろう。「真正保守」の認定権がこの編集部にあるわけがない。
 さらに続ける。

1396/思いつくまま-日本の「保守」と「左翼」。

 日本の「保守」とか「左翼」とか書いているが、保守・左翼という概念にはしっくりきていない。保守・革新(進歩)も右翼・左翼も同じ。
門田隆将が昨年2015年春頃に月刊WiLLで書いていた「R・現実」派・「D・夢想」派も面白いとは思うが、最近では「正視派」・「幻想派」が気に入ってきた。「左翼」とは、少なくともソ連型の社会主義の失敗(過ち)という「事実」を「正視」することができない者、すなわちいまだに「幻想」をもつ者という印象が強いからだ。また、諸歴史認識問題についても、「事実」を「正視」する姿勢を続ければ、いずれ「現実」だったか「幻想」(・捏造)だったかは明らかになるはずだ、という思いもある。
 ちなみに、<自称保守派>にだって「幻想派」・「夢想派」はある。
 もっとも、日本の又はどの国にもいそうな「左翼」は自らを「幻想」派だとは自認せず、右派あるいは「保守」派こそが「幻想」をもっていると思い込んでいそうでもあるので、この用語法の採用は結局は水掛け論になってしまうかもしれない。
問題はまた、保守・革新(進歩)とか右翼・左翼という「二項対立」または「二元論」の思考方法にあると思われる。
 これらは、すぐに「保守中道」とか(保守リベラルとか)、右でも左でもない「中間・中庸」派という観念を生んでしまい、多くの人は(少なくとも半数くらいの日本人は ?)えてして、(極端ではない)「中道」・「中庸」の立場に自らはいると思いたがっているようにも見える。
 この欄で「保守」とか「左翼」とか使っているが、一種のイメージとして、特定の考え方・主張や特定の事実理解について語っている。人間・人格または全知識・全感覚がいずれか二つに画然と分けられるわけではないことは当然のこととして了解しており、個別の問題・論点によって評価が分かれることはありうる。また、特定の個別問題・論点についても各立場にグラディエーション的な差違はありうるだろう。
 もっとも、基本的または重要な問題・論点があるのも確かで、これに対する考え方・立場によって(何らかの概念を使って)大きく二分することはできる。<基本・重要>性の判断もまた人によって異なるのだろうが、この欄では秋月瑛二なりの選択と判断によるほかはない。
 「保守」(又は保守主義)とは何かについては、諸文献を参照にしてこの欄でもたびたび触れてきた。保守とは「反共」だ、と書いたこともあるし、「保守」とは「イズム」・イデオロギーではなく姿勢・ものの見方だという説明に納得感を覚えたこともある。
 自分が「左翼」ではないとするときっと「保守」なのだろうが、実態としては、「正視」派と言いたいところだ。
 もっとも、世界中に(正確には欧米世界には)conservative(conservativ) とかleft(link) とかの概念・観念は確固として又は広く用いられているようなので、しっくりこないが、用いざるをえないのかもしれない。
 いずれまた、秋月瑛二の「保守」としての考え方・理解を整理してまとめておく必要がある、と考えている。
 とこんなことを書きたくなったのも、とりわけ、小林よしのり・ゴーマニズム戦歴(ベスト新書、2016)と、仲正昌樹・精神論ぬきの保守主義(新潮選書、2014)という、珍しいとりあわせの ?(秋月瑛二はできるだけ特定範囲の文献だけを読むことをしないつもりなのだ)二著をたぶんこの一ヶ月の間に少しは読んだからだ。

1382/共産主義の脅威と言論人。

 一 共産主義の脅威について、言論人の多くは触れたがらない。
 むしろ多少左翼的な姿勢を-それも過度ではなく-とることが、いまの世をわたる一番安全なみちであって、これはちょうど戦争前の昭和10年ころに、多少右翼的な姿勢を示すことが安全な処世術だったのと、似ているであろう。
 そういう態度を保っているかぎり、ジャーナリズムは衛生無害とみなしてくれる。
 しかし衛生無害の処世家で世の中が充満するとき、国はほろびるのである。
 流れに抗して、だれかがあえて憎まれ役を買って出なければならない。
 二 以上の5文は引用で、賀屋興宣・このままでは必ず起る日本共産革命(浪漫、1973)の冒頭にある序言の一つ、村松剛「共産主義はメシア宗教の一つ-序にかえて」の一部だ。
 2016年から見て40年以上前の文章だが、日本における「共産主義」と「言論人」の状況はほとんど変わっていないのではないか。
 1970年初頭の日本共産党の「民主連合政府」構想とその未遂、1990年代初めのソ連崩壊等にもかかわらず、日本共産党は延命しつづけており、「日本共産革命」(民主主義革命と社会主義革命という二段階の革命)の構想を党綱領を維持したまま、有権者から600万票(2016年参院選・比例区)を獲得している。
 三 保守派と言われる、または自称する言論人・論壇人の中ですら、「反共産主義」を鮮明にしている者はごくわずかにすぎない、という惨憺たる状況が現実にはある。
 いくら中国を、あるいは中国共産党の現在を批判しても、それはなぜか、日本共産党に対する批判にはつながっていない。意識的に日本共産党を名指しすることを避けているごとくですらある。
 いくら朝日新聞を、あるいは朝日新聞の「歴史」報道を批判しても、それはなぜか、日本共産党とその「歴史認識」に対する批判にはつながっていない。朝日新聞は日本共産党の「歴史認識」を知らずして、「歴史」に関する報道・主張をしているとでも思っているのだろうか。
 朝日新聞と日本共産党との関係に関心をもつ者は少なく、多くに見られる朝日新聞批判にもかかわらず、意識的に日本共産党を名指しすることを避けているごとくですらある。
 日本共産党に対する批判に向かうべき回路から別の回路へと、それ自体は必ずしも誤っているわけではない議論・主張であっても、それらを逸らす、大がかりな仕掛けができあがっているようだ。
 秋月の見るところ、産経新聞の主流派も、多数派の「保守」論壇人も、その大がかりな仕掛けに嵌まっており、かつそのことを意識していない。
 四 当然のごとく、自由民主党という政党の圧倒的多数派も、大きな仕掛けの中に入ったままだ。
 共産主義者は、権力維持のために、または権力掌握のために、要するに目的達成のためならば、何とでも言うし、何でもする。
 上のことは、維持したい「権力」を持った政治家にも多少ともあてはまるように思われる。
 権力の維持のために、権力維持期間を長くするために、元来は有していた「歴史認識」を言葉の上では-言葉・観念だけの過去に関する問題だと思って-捨ててしまう政治家が出てきても不思議ではない。
 もちろん、そのような政治家に「おべっか」して寄り添う出版社や論壇人もいる。阿諛追従。
 惨憺たる状況だ。
 五 賀屋興宣(1989~1977)は、1937年近衛文麿内閣の大蔵大臣、1941年東条英機内閣の大蔵大臣、いわゆるA級戦犯の一人で、終身刑判決により10年間収監されたのち、1955年に事実上の釈放、1958年総選挙で当選して衆議院議員、1963-64年池田勇人内閣法務大臣、1972年「自由日本を守る会」を組織。

1322/日本共産党こそ主敵-<悪魔の100年史>刊行を。

 月刊WiLL(ワック)は5月号で、日本共産党批判の特集を組んでいた。
 その他、雑誌Japanism等でも特集がある。
 しかし、一瞥のかぎりだが、私は不十分だと感じている。それについては近いうちに言及する。
 さて、月刊正論6月号(産経新聞社)の藤岡信勝論考の最後にこうある。正確には「若者」に対してだが。
 「日本共産党の歴史を、戦前は立花隆、戦後は兵本達吉の本を読んで知ってもらいたい」(p.135)。
 この二つを当然ながら秋月は読んでいるが、考えさせられることがある。
 それは、そう言えば、日本共産党の歴史(と現在)に関する詳細で学問的でもある(かつ分かりやすい)文献はなさそうであることだ。上の二つは、人文社会系の学者・研究者によるものではない。
 共産主義一般に関する(日本人による)批判的文献はないではない。また、ソ連や中国(・北朝鮮)の実態等に関する書物は多いとは言えないかもしれないが、まだある。
 しかし、日本の共産主義者たち、または肝心の日本共産党についての(むろんその歴史を含む)体系的・包括的な文献はひょっとすればまったく存在しないのではないか。
 研究者あるいは評論家と言われる人たちの中に、まともな(体系的・理論的も含む)日本共産党批判書を刊行している人はいるのだろうか。これは、日本の保守派=反共産主義派の大きな怠慢ではないか。
 人文社会系の学者たち、あるいはいわゆるアカデミズムが大きくコミュニズムに汚染されていて、現に日本にあったし、ある日本共産党の客観的分析、とりわけ批判的分析ができないだろうことは理解できる。だが、そのような実態こそ、いったい保守派は、とくに保守派とされる学者・研究者たちはいったい何をしてきたのかを疑問視させるものでもある。
 日本共産党自体の「社会科学的」研究こそが望まれる。処世・世渡りのために日本共産党自体の研究と公表をおろそかにしているとすれば(自民党についてはいくつかあるはずだ。55年体制とか「吉田ドクトリン」等々について)、本来は「社会科学」の精神・学問の自由の理念から離れている。
 日本共産党は2022年、6年後に創立100年になる。現在の状況では、大々的に<日本共産党の100年>とかの書物を「党史」として刊行する可能性が高いだろう。
 まだ6年ある。共同作業でもよいから、日本共産党自身が宣伝するような歴史と実態を同党はもつものではないことを、詳しく包括的に(かつできるだけ分かりやすく) 叙述する書物を保守派=反共産主義の学者あるいは論壇人たちは出版してほしいものだ。

1280/倉山満は「憲法改正」を「恥の上塗り」等と批判する。

 〇 渡部昇一が日本国憲法無効論者であることはすでに触れてきたし、彼が依拠している書物のいくつかにもすでにこの欄で言及して批判してきた。
 あらためて、渡部の主張を、渡部・「戦後」混迷の時代に-日本の歴史7・戦後篇(ワック、2010)から引用して、確認しておこう。
 ・「…帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」との昭和天皇の上諭は、連合国軍総司令部長官に「嘘を言わされた」ものだ(p.118)。
 ・日本政府は独立時に「日本国憲法を失効とし、普通の憲法の制定か、明治憲法に復帰を宣言し、それと同時に、その手続に基づき明治憲法の改正をしなければならなかった」。
 ・「…日本国憲法をずるずると崇め、またそれを改正していくということをすべきではないのである」。
 ・新憲法の中身は日本国憲法と同じでもいいが、「今の憲法は一度失効させなければならない」(以上、p.119)。
 ・日本国憲法96条の「改正条項だけで日本をあげて何年も議論している」のは「滑稽極まりない」(p.119-120)。
  <失効>させる方法(手続)・権限機関への言及は上にはない。ともあれ、渡部昇一が憲法「改正」反対論者であることは間違いない。彼が、美しい日本の憲法をつくる国民の会の「代表発起人」等の役員になっていないのは、上のような見解・主張からして当然のことだろう。
 〇 最近に名前を知った倉山満は、いかなる見解のもち主なのか。先月に、田久保忠衛が起草委員会委員長だった産経新聞社案「国民の憲法」に対するコメントをする中で、日本国憲法無効論の影響をうけているのではないかという疑問を記し、倉山満の考え方をつぎのように紹介した。勝谷誠彦=倉山満・がんばれ!瀕死の朝日新聞(アスペクト、2014)の中で語られている。
 「日本国憲法の廃止」を「本当にできるなら」それが一番よい。そして、それをするのは「天皇陛下」のみだ。議会には廃止権限はない。憲法を廃止するとすれば「一度天皇陛下に大政奉還するしかない」、「本来はそれが筋」。日本国憲法改正手続によって「帝国憲法を復活」することは「論理的には可能」だ。
 「論理的には」とか「本来は」とかの条件又は限定が付いていたし、その他の倉山の著を読んでいなかったので最終的なコメントは省略していたのだが、彼の見解をほぼ知ることができたと思うので、以下に紹介しつつ批判しておく。
 まず、上ですでに語られている「天皇陛下」による日本国憲法の「廃止」は、「政府」あるいは「国会」による<無効>・<失効>・<廃止>決議・宣言を主張する考え方に比べて目新しいし、少しはましなようにも思われる。しかし、残念ながら論理的にも現実的にも成立せず、かつ現実的にも可能であるとは言えない。
 倉山が「天皇陛下」という場合の天皇とは、日本国憲法を「公布せしめ」た、日本国憲法制定時(・明治憲法「改正」時)の昭和天皇であられるはずだ。自らの名において御璽とともに現憲法を「裁可」されたのは昭和天皇に他ならない。そして、その当時の「天皇陛下」である昭和天皇が、渡部昇一の言うように「嘘を言わされた」ものでご本意ではなかったとして、主権回復時に<無効>・<失効>・<廃止>の旨を宣言されることは論理的にはありえないわけではなかったと思われる。しかし、昭和天皇は薨去され、今上陛下が天皇位に就いておられる。今上陛下が(血統のゆえに?)昭和天皇とまったく同じ権能・立場を有しておられるかについては議論が必要だろう。また、今上天皇は天皇就位の際、明らかに「日本国憲法にのっとり」と明言されている(「日本国憲法に基づき」だったかもしれないが、意味は同じだ)。天皇位はたんに憲法上のものではない、憲法や法律とは無関係の歴史的・伝統的なものだという議論は十分に理解できる。しかし、今上天皇に、現憲法を<無効・失効・廃止>と宣言されるご意向はまったくない、と拝察される。渡部昇一は、あるいは倉山満も、今上天皇も<騙された>ままなのだ、と主張するのだろうか。
 さて、日本国憲法<無効>論者によると、現憲法に対する姿勢は、<無効>と見なすか、<有効>であることを前提とするかによって、まず大きく二分される。こちらの方が大きな対立だと見なされる。ついで、<有効>論の中に「改正」=改憲論と「改正反対」=護憲論の二つがあることになる。後者の二つは<有効>論の中での<内部対立>にすぎないことになる。倉山満は、どの立場なのか?
 倉山満・間違いだらけの憲法改正論議(イースト新書、2013.10)は、以下のように述べている。
 ・安倍晋三内閣の政治を支持するが、「憲法論だけは絶対に反対」だ。自民党の改憲案は「しょせんは日本国憲法の焼き直しにすぎない」のだから「戦後レジームそのもの」だ(p.239)。
 ・日本国憲法「無効」論は、「法理論的には、間違いなく…正しい」。これによると、日本国憲法を「唯々諾々と押し戴いていることが恥なら、その条文を改正することは恥の上塗り」だ(p.244)。
 ・講和条約発効時に「無効宣言をしておけば、なんの問題もなかった」のだが、:現在の国会議員や裁判官は現憲法のもとで選出されているので、(これらが)「いまさら無効を宣言しようにも自己否定になるだけ」だ(p.244-5)。
 ・「天皇陛下が王政復古の大号令を起こす」か、「国民が暴力革命」を起こして現憲法を「否定するしかなくなる」が、いずれも「現実的」ではない(p.245)。
 このように「法理論」と「現実」の狭間で揺れつつ?、倉山はつぎのように問題設定する。
 「本来なら無効の当用憲法〔日本国憲法〕を合法的に改正するにはどのような手続きが妥当なのか」。
 論の運びからするとしごくもっともな問題をこのように設定したのち、倉山は「本書での回答は、もう少しあと」で述べる、としている(p.245)。
 だが、「どのような手続きが妥当なのか」という問題に答えている部分は、いくら探しても見つからない。
 むしろ、「憲法改正」は現実には不可能だ旨の、つぎの叙述が目を惹く。
 ・護憲勢力が一定以上存在するので、「憲法改正は戦争や革命でも起こらないかぎり、不可能」だ。いまの状況で「憲法の条文だけ変えても、余計に悪くなるだけでしょう」。「死ぬまでに…憲法改正を見たい」と「実現不可能な夢を見ても労力のムダ」だ(p.259)。
 そして、つぎの三点を「憲法典の条文を変える」ために不可欠の重要なこと、憲法の条文より大事なこと、として指摘してこの書を終えている(p.260-2)。これらは「手続」というよりも、憲法についての<ものの見方>あるいは<重要論点>だ。すなわち、「憲法観の合意」、「憲法附属法」(の内容の整備-「憲法典の条文だけ変えても無意味」だ)、「憲法習律」(運用・憲法慣行)。
 上の三つは、第一のものを除けば憲法改正に直接の関係はない。むしろ、憲法改正をしないでよりマシな法状態を形成するための論点の提示にとどまると思われる。
 つぎに、倉山満・保守の心得(扶桑社新書、2014.03)は上の書よりも新しいもので、倉山が日本国憲法の「改正」を批判し、それを揶揄する立場にあることを明確に述べている。以下のとおりだ。
 ・「自民党案も産経新聞案も、戦後の敗戦体制をよしとするならばよくできた案」だが、「戦後七十年間の歴史・文化・伝統しか見ていない」という問題点をもつ(p.179)。
 ・「日本の歴史・文化・伝統に正しく則っているのは、日本国憲法ではなく大日本帝国憲法」だ。
 ・「私の立場」は、「改憲するならば、日本国憲法ではなく帝国憲法をベースにすべきだ」にある。
 ・「少なくとも、…〔日本国憲法という〕ゲテモノの手直しなど、何の意味があるのでしょうか」。「恥の上塗り」だ(以上、p.180)。
 上掲の2013年の書では「無効」論に立てば現憲法改正は「恥の上塗り」だとしていたが、ここでは明確に自らの見解として同旨のことを述べている。
 上のあと、「実際に生きた憲法を作る」ために必要なものと表現を変えて、先の著でも触れていた「憲法観の合意」・「憲法習律」・「憲法附属法」の三つを挙げて、前著よりは詳しく説明している。
 憲法改正との関係では、「憲法観の合意」のところで次のように主張しているのが注目される。
 ・「まず、日本国憲法を改正するという発想を捨てる」。「もう一度、帝国憲法がいかに成立したかを問い直す」。「これが出発点」だ。
 ・「強硬派は日本国憲法を破棄せよとか、無効宣言をしろという論者もいますが、実現不可能にして自己満足の言論」だ。
 ・護憲派が衆参両院のいずれかにつねに1/3以上いたが、「今後、それを変えられる可能性がどれくらいあるの」か。「マッカーサーの落書きを手直ししたようなものを作ったところで、何かいいことがあるの」か。
 ・「日本という国を考えて」制定されたのは「帝国憲法」だ。「なぜ国益を損なう日本国憲法をご丁寧に改正する必要があるの」か(以上、p.182-6)。
 以上で、倉山満という人物の考え方はほぼ明らかだろう。とはいえ、先に示した分類でいうと、この人の立場はいったいどこにあるのかという疑問が当然に生じる。
 上記の紹介・引用のとおり、単純な日本国憲法「無効」論ではない。では憲法改正を主張しているかと言うとそうではなく、「恥の上塗り」等として批判し、(客観的には)<揶揄・罵倒>している。そして、憲法改正は現実には不可能だとの諦念すら示す。かといって、現憲法護持派に立っているわけでもない。
 じつに奇妙な<ヌエ>的な見解だ。
 「強硬な」<無効・破棄>論は「実現不可能にして自己満足の言論」だと倉山は言っているが、では倉山のいう「憲法観の合意」は容易に達成できるのだろうか。日本国憲法の改正ではなく明治憲法の改正という発想から出発すべきだという主張は、それこそ「実現不可能にして自己満足」の議論ではないか。
 また、憲法改正は現実には不可能だと想定しているのは、憲法改正運動に水をかける<敗北主義>に陥っていると言わざるをえない。この人物は、この点でも、地道な「憲法改正」の努力をしたくないのであり、現在の最も重要だとも考えられる戦線から、最初から逃亡しているのだ。
 倉山満とは、護憲派が「左翼」から憲法改正運動に抵抗しているのに対して、「右翼」からそれを妨害しようとしている人物だ、といって過言ではない。
 読んでいないが、倉山は産経新聞の「正論」欄にも登場したことがあるらしい。そこで、上に紹介したような見解・主張を明確にはしていないとすれば、原稿依頼者の意向に添うことを意識した<二枚舌>のもち主だろう。
 むろん、倉山満の<気分>を理解できる部分は多々ある。しかし、その主張の現実的な役割・機能を考えると等閑視するわけにはいかない。<保守派>らしい、ということだけで、警戒を怠ることがあってはならない、と断言しておく。

1225/月刊正論(産経)の編集長が交代-桑原聡は退任。

 〇桑原聡が月刊正論(産経)の編集長になったのは、2010年12月号からだった。それから3年、古本で求めた月刊正論の11月号の末尾を見て、思わず心中で快哉を叫んだ。編集長執筆欄によると、桑原は「この号をもって編集長を退任」する。後任が川瀬弘至でなければ、安心して月刊正論の新刊本を毎月初めに購入できそうだ。

 この交代は桑原の何らかの「責任」が社内で問われたのではなく、定期の人事異動のようなものと思われる。だが、この3年間で、同じ保守派月刊雑誌・月刊WiLL(ワック)との比較において、月刊正論が販売部数=読者数で完全に負けるに至った。完全に、決定的に引き離されてしまった。正確な時期の記憶はないが、以下に紹介しておくようなコメントを書く前にすでに月刊正論の内容が何となく(違和感を感じる方向へと)変わったと感じたことがあった。その印象と桑原聡の「編集方針」は無関係ではないのではないか。

 〇桑原聡は同欄で、「保守のみなさん、…、内ゲバのような貶し合いは左翼にまかせ、おおらかに共闘していきましょうよ」、と書いている。

 この文章には甚だしい違和感を持つ。よくぞ言えたものだ、自分こそが「おおらかに共闘しよう」という姿勢でもって編集してきたのかどうかを、厳しく総括し、反省すべきだ、と感じる。
 この点の詳細は別の機会にもう一度書くだろう。きちんとした再確認を必要としない以下のことだけを、とりあえず書いておく。

 第一。私によれば、「反共」は「保守」であるための不可欠・重要な要素だ。八木秀次は橋下徹を「素朴な保守主義者」と評し、「保守」派であることをほとんど誰も疑わないだろう(但し天皇観を疑問視する者もいる)石原慎太郎は橋下徹とともに同じ政党の共同代表になっている。私の見るところでも、橋下徹は明白な「反共」主義者であり、明確に反日本共産党の立場でいる。だからこそ、二年前の大阪市長選において、日本共産党(大阪府委員会)は自党の候補を降ろしてまで、民主党・自民党(大阪市議団)等が推した当時の現役市長・平松某を支持し、その幹部は<反ファシズム統一戦線>だ、とまで言ったのだった。

 しかるに、桑原聡編集長の月刊正論は適菜収に「橋下徹は保守ではない」との巻頭論文を書かせ、自らは橋下徹を「きわめて危険な政治家」だと思うと明言し、「日本を解体しよう」としているとまで明記した。かりに適菜収も桑原も「保守」だとして、このような編集方針および編集長自身の考え方自体が橋下徹との間での<保守の中での内ゲバ>そのものであり、あるいは少なくともそれを誘発したものであることは明らかだろう。何が「保守のみなさん、おおらかに共闘しましょうよ」だと言いたい。大笑いだ。

 しかも、適菜収は別の雑誌上で、安倍晋三を「バカ」呼ばわりしたうえで(橋下徹憎さのあまり?)自民党が日本維新の会と共闘するくらいなら憲法改正に反対すると明記したのだから、少なくとも憲法改正問題に関するかぎり、適菜収は日本共産党や朝日新聞と同じく「左翼」だ。桑原聡は自らは「保守」だと意識しているようだが、そのような適菜収を重用し続けたかぎりにおいて「左翼」に加担したことになるのではないか。

 桑原聡は「自信をもって」「天皇陛下を戴くわが国の在りようを何よりも尊いと感じ、これを守り続けていきたいという気持ちにブレはない」と言える、とも同欄で書いている。瑣末な揚げ足取りのようだが、<天皇のもとでの共産制>を夢想し、構想した者は戦前にもいた。

 第二。正確な確認をしないまま記憶に頼って書き続けるが、桑原聡編集長時代の月刊正論は、「保守」であると考えてよいと思われる田中卓に対して罵詈雑言を浴びせる(と評してよい)論文を掲載している。そしてそれ以来、田中卓の弟子筋だとされている所功に対しても冷たく、所功を末尾近くの「読者欄」または「投稿欄」の書き手として(素っ気なく?)遇したことがあるが、所功の論文を掲載したことはないはずだ。
 所功は「左翼」だと位置づけているのならば理解できなくはない。だが、所功を「左翼」と評することはおそらく間違いなくできない。そうだとすれば、桑原聡編集長時代の月刊正論は、「保守」の中の対立の一方に立ち、まさしく<保守の中での内ゲバ>を展開したのではないか。

 編集部員の川瀬弘至は自らを「真正保守」と考えているようだが、読者への回答欄で「日本と日本人を間違った方向に導くと判断した時には、我々は異見を潰しにかかります」と書いたことがあった。かかる姿勢は傲慢であるとともに、<保守のおおらかな共闘>の精神とは真逆のものだと思われる。すなわち、いかに「保守」派の者の意見でも一定の場合には「潰しにかかる」という意味を含む意気込みを示しており、<保守のおおらかな共闘>などは考えていない書きぶりだ、と感じる。そして、桑原聡編集長はこの川瀬の文章を何ら修正することなく掲載させたと見られる。

 何が「保守のみなさん、おおらかに共闘しましょうよ」だ。自らの編集方針・編集意図を冷静に振り返っていただきたい。

 〇「保守」の「おおらかな共闘」は私も強く望むところだ。しかし、桑原聡編集長時代の月刊正論こそが、これに反する編集方針・記事の構成をしていたことは、以上の二点の他にもあったと感じている。再確認のうえで、別に機会をもちたい。

1204/適菜収が「大阪のアレ」と書くのを許す月刊正論(産経新聞社)。

 〇適菜収をいつぞや「C層哲学者」と書いた。それは、適菜がよく使う「B層」よりも下、低劣という趣旨だったのだが、週刊新潮8/15・22号(新潮社)の適菜の文章によると、「B層」とは近代的価値に肯定的(構造改革に肯定的)・IQは低い、「C層」とは近代的価値に否定的(構造改革に否定的)でIQは高い、のだそうだ。そして、「C層」とは簡単には「真っ当な保守」である。という(p.47)。
 こういう意味であるとすれば、適菜収を「C層」哲学者と称するわけにはいかない。

 ところで適菜は、自らは上の意味での「C層」と自認している様子なのだが、「最近の保守系論壇誌は面白くない」と強調し、また、参院選自民党勝利を「保守」の勝利と称することを疑問視している。

 何が「真っ当な保守」なのか、むろん適菜は詳細に論じているわけではないし、そもそも適菜の理解が正しい保障はまったくない。

 はっきりしているのは、上の週刊新潮によるかぎり、現在の日本で<保守>といわれている論壇や人々とは適菜は距離を置いている、ということだ。

 〇だが、しかし、定期購読していないので真面目に読んでいないのだが、月刊正論(産経新聞社)の今年4月号あたりから、適菜収は、「正論壁新聞」という比較的に冒頭の欄で、田母神俊雄らとともに常連の執筆者になっている。

 適菜の議論の基調はだいたい決まっている。<大衆はバカだ>、<大衆迎合の政治家は危険だ>、…。

 最近の月刊正論10月号では適菜は「生理的に受け付けない」、「紋切り型」の文章やその書き手を批判する退屈な文章を書いているが、某評論家(おそらく屋山太郎)や「紋切り型ライター」を批判したあと、最後に次のように書く。

 「大阪のアレに倣って言えば、一度彼らを『グレートリセット』をしたらどうか?」(p.53)。

 「大阪のアレ」とは橋下徹のことだとは容易に分かる。
 〇さて、日本の代表的な、とは言わなくとも、<保守>系論壇誌としては著名な産経新聞社発行の月刊正論が、「大阪市長」または「日本維新の会代表」という名前を冠することもなく、それらがなくとも橋下徹という固有名詞を明示することもなく、「大阪のアレ」という表現で橋下徹を意味させる文章を掲載するのは、橋下に対してきわめて失礼であり、また読者に対しても品性を欠く印象を与えるものではないか。

 字数の制限によって「大阪のアレ」とせざるをえなかったわけではない(橋下徹の三文字の方が短い)。
 月刊正論の編集部の誰かはこの適菜の文章を事前に見たはずだが、「大阪のアレ」という言葉遣いに違和感を感じず、修正を求めることはしなかったと見える。
 雑誌原稿の文章ははむろん依頼した執筆者の言葉遣いが優先はされるだろうが、問題があると考える場合には編集者(編集部)として「要望」くらいのことはできるはずだ。

 もともと適菜収の文章は「生理的に受け付けない」ところがあり、<気味が悪い>のだが、上のような月刊正論編集部の対応も「気味が悪い」。<~のアレ>で済ますような言葉遣いを含む文章を、新聞でも週刊誌でもその他の雑誌でも見たことがない。

 〇もともと、月刊正論が適菜収をまるで自らの雑誌に親近的な論者として使っていること自体が異様だ(田母神俊雄らに失礼でもあろう)。だが、昨年に同誌・桑原聡編集長が適菜に「橋下徹は保守ではない」と大きく宣伝したタイトルの文章を書かせ、橋下徹は「きわめて危険な政治家」と編集長自体が編集後記の中で明記した。そのような考え方を、桑原聡と同誌編集部(産経新聞社員)は現在でも維持している、ということだろう

 最近に産経新聞内にあるように見られる、橋下徹に対するアレルギー・嫌悪感にこの欄で触れたが、その潜在的な背景の一つは、昨年の<橋下徹は保守ではない>という表紙上および雑誌の新聞広告の大きな見出しにあるのではないか

 このような効果を適菜論考がもたらしたとすれば、犯罪的にも、日本維新の会を妨害し、そして憲法改正を妨害している。

 〇適菜についていえば、彼は上記週刊誌上で「毎号同じような見出しが並び、同じような論者が同じようなテーマについて執筆」、「基本的には、中国や韓国、北朝鮮、朝日新聞はケシカランみたいな話」等と「最近の保守系論壇誌」を批判しているが、これによくあてはまるのは、月刊正論そのものだろう。

 月刊正論の特徴の一つは、<憲法改正>に関する特集をしないこと、少なくとも表紙の見出しを見るかぎりは、憲法改正を重視してはいないことだ。
 月刊正論編集部または桑原聡に尋ねたいものだ。
橋下徹を批判することと、憲法改正に向けて世論を活性化することと、いったいどちらが重要なのか。

 適菜収が週刊新潮に書いていることを全面的に支持するわけではむろんないが、月刊正論という雑誌は、少なくとも<保守>派の国民ならば誰でも読みたいと感じる「保守系論壇誌」になっているだろうか。

 金美齢が産経新聞について言った「深刻な『質の低下』」は月刊正論にも、そして同誌編集部にも言えそうに見える。

1183/<保守>論者は「左翼」民主党政権成立を許したことをどう反省し、自己批判しているのか。

 〇元首相・鳩山由紀夫が中国で妄言を吐いている。「棚上げ」で一致していたとかも言っているようだが、万が一そうだったとしても、尖閣諸島を「中核的利益」と正規に位置づけ、同諸島を自国領土とする法律を制定して、さらには「公船」をときどき侵入させたりして、そもそも「棚上げ」していないのは、中国(政府・共産党)自身ではないか。日本政府や日本のマスコミはなぜ、この点を指摘または強調しないのだろう。
 〇ずっと書きたくて書かなかったことだが、2009年8月末総選挙による翌月の民主党政権の成立を許し、鳩山首相を誕生させたことについての、<保守>論壇の側の深刻な反省と総括が必要だと思っている。安倍・自民党中心内閣が昨年末に誕生したからよいではないか、ということにはならない。
 いずれ繰り返すかもしれないが、この欄に当時に書いたように、例えば屋山太郎は明確に民主党政権誕生を歓迎し、外交・安保問題も心配することはないだろう旨を明確に発言していた。この屋山に影響を受けたか、櫻井よしこは、民主党内閣に<期待と不安が相半ば>する、と明言していた。選挙前において、櫻井よしこは、決して民主党に勝利させてはならないとは一言も主張していなかった。
 過去のことにのみ関係するわけではない。上はわずかの例だが、<保守>論者の現在および将来の主張が決して適切なものであるとは限らないことを、2009年総選挙前後の<保守>論壇の状況は示している。

 〇月刊WiLL7月号(ワック)で、渡部昇一はこんなことを(相変わらず)発言している。-「筋としては理想的な憲法を創り、国民に示して、天皇陛下に明治憲法への復帰(一分間でよい)と新しい憲法の発布をしていただく。…憲法の継承問題が起こらないから…」(p.55)。

 渡部昇一ら一部論者の現憲法無効・破棄論の「気分」は理解できないわけではない。但し、この欄で何度も書いたように、この議論はもはや貫徹できない。
 上の渡部発言にしても、誰が、いかなる機関が、いかなる手続によって「理想的な憲法を創り」出すのか、何ら論及していない。こんな議論がやすやすと通用するはずがない。またそもそも(確かめるのを厭うが)、渡部の主張は「国会」が無効・破棄宣言をする、というものではなかったか。
 天皇陛下に「お出ましいただく」とする点に新味があるのかもしれないが、現天皇に「新しい憲法発布の宣言」をしていただくという場合の「新しい憲法」を誰がどうやって創るかという問題に言及していないことは上記のとおりだし、現憲法は昭和天皇の名において「裁可し、公布せしめ」られたこと、今上天皇は皇位継承・即位に際して「日本国憲法にのっとり」と明確に述べられたこと、等との関係をどう整理しているのか、という基本的な疑問がある。

 <保守>論壇の中の大物らしく扱われている渡部昇一ですらこの程度なのだから、現在の日本の<保守>論壇のレベルは相当に低い(あえて言えば、論理の緻密さが足りず、某々のような「精神」論で済ませている者もいる)と感じざるをえない。

 そして再び上記のことに戻れば、「左翼」民主党政権成立をかつて許したことについて、各<保守>論者はどのように反省し、自己批判しているのかを厳しく問いたいところだ。

1141/月刊正論(産経、桑原聡編集長)の編集方針は適切なのか③。

 月刊正論9月号(産経)の「編集者から」(p.327)の文章で驚いたのはつぎの言葉だ。
 一読者が「いたずらに異見を責めるのではなくて、国民の落着点を求め」る姿勢が大切ではないかと(前回に紹介にしたことを書いて)「編集者へ」述べたことに答えて、それが「必要な場合もあるでしょうが…」と述べているのは一般論としては誤っていないだろうが、問題は、それに続くつぎの文章だ。
 「それ〔異なる意見〕が日本と日本人を間違った方向に導くと判断した時には、我々は異見を潰しにかかります」。
 月刊正論編集部は「日本と日本人を間違った方向に導くと判断し時には」「潰しにかかる」、そういう編集方針を明らかにしたわけだ。
 善意に解釈して、その気分ないし意気込み?は理解できなくもないが、ただちに、次のような疑問が生じる。
 第一。「日本と日本人を間違った方向に導く」意見かどうかを判断するのは、明らかに月刊正論編集部(「我々」)だとされている。
 しかして、そもそも月刊正論編集部に、諸意見・考え方等々のいずれが「日本と日本人を間違った方向に導く」か否かを適切に判断する資格または能力があるのだろうか。
 主観的に、そのような気概?を持って何らかの「判断」をするのは結構だし、妨げることもできないだろうが、そもそもその「判断」が正しいまたは適切か否かの客観性は何ら保障されていない。
 奥付?によると月刊正論「編集部」には、「編集人」の桑原聡のほかに「小島新一・永井優子・川瀬弘至・上島嘉郎」の4名しかいない。政治・社会系の研究者・学者としても、政治・社会系評論家としても何らその地位を確立しているとは思えない、長の桑原を含めてこれら5名に、「日本と日本人を間違った方向に導く」か否かの判断を、読者は委ねることができるだろうか。一般論として、とても不可能だ、と考えられる。
 「我々」が「日本と日本人を間違った方向に導くと判断した時には」、という書き方は、まるで「我々」がその判断を客観的ないし的確に行うことができるということを前提にしているごとくで、誤っている可能性がきわめて高く、ひどく<傲慢>だ。
 読者は、「日本と日本人を間違った方向に導く」意見・考え方か否かの判断を、上の5名が客観的にかつ適切になしうるとは考えていないし、期待もしていないだろう。
 そもそも月間
発行部数2万程度の雑誌の、たった5名の「編集者」にそのようなことができるわけがない、と考える方が常識的だ。
 百歩譲って、編集者としての気分・気概を宣明しただけだ、と理解するとしても、そのような気分・気概は、ある意味では、すべての政治・社会系雑誌の編集者が持っていても不思議ではないもので、わざわざ文章にし、活字にしておくような類のものではない。
 あえて上のようなことを活字にしていること自体が、やはりどこかおかしい、と感じざるをえない。
 第二。「日本と日本人を間違った方向に導く」意見・考え方を「我々」は「潰しにかか」る、という。
 その前提的判断の客観性・適切性に疑問がありうることは上に記したが、そのような前提的判断に立っての、上のような「異見」は「潰しにかかります」、という表現は尋常ではない。
 具体的には、そのような「異見」は掲載せず(執筆を依頼せず)、それを批判・攻撃する論考のみを掲載していく、という編集方針を宣言していることになるのだろう。
 一般論として、何らかの編集方針を持つことはありえ、それに基づいて具体的な雑誌編集を行うことはむろんあるだろう。どの雑誌もそうしている、とも言える。
 だが、上のような「異見」は「潰しにかかります」、という表現は、穏やかではない。
 客観的にまたは結果的にそのような機能を持つことがあっても、あるいは持つことを意図していたとしても、ふつうは、上のように「潰しにかかります」とまでは、文章化しない、活字にはしない、のではないか。
 この点でも、現在の月刊正論編集部は、やはり、どこかおかしい。
 それにまず、自分(たち)の気にくわない意見は「潰しにかかる」という姿勢・態度を明らかにすることは、多分に気味が悪いものだ。月刊正論編集部は、政治・社会問題にかんする諸意見についての<思想警察>のつもりなのだろうか。そういう立場に立つつもりなのだろうか。右向きか左向きか知らないが、どこか<ファシスト>的匂いを感じる表現であることに、実際の書き手は注意した方がよいと思われる。
 つぎに、そもそも、月刊正論という雑誌の力で、「日本と日本人を間違った方向に導く」意見を同誌編集部が「潰しにかかる」ことができると本当に考えているのだろうか。
 そうだとすれば、尋常ではないし、やはりひどく<傲慢>だ。
 月間発行部数2万程度の雑誌に、朝日新聞の数分の1しか読者のない産経新聞のさらに100分の1程度の読者数の雑誌に、その雑誌編集部の「判断」と異なる意見を<潰す>ことができるとはとても思えない。<潰せる>と考えているとすれば、その自信過剰さは、尋常な感覚ではないだろう。
 実際問題として、月刊正論(編集部)が「日本と日本人を間違った方向に導く」意見だと判断するかもしれない諸意見は種々の、別の雑誌に溢れているし、今日ではブログやツイッター等の表現手段もある。
 月間発行部数2万程度の雑誌の「編集者」が、気にくわない「異見」を「潰しにかかります」などと、かりに内部でそう考えていたとしても、正規に、雑誌上に文章とし、活字にするようなことはしない方がよいだろう。
 ごく常識的な感想を書いたつもりだ。内容的にも疑問があり、「潰しにかかる」という言葉には<思想警察>的な気味悪さを感じる。と同時に、そのような文章を平気で活字にし、正規に残しておく、という姿勢・態度・感覚に、尋常ではない、戦慄すべき<怖ろしさ>を感じる。
 余計ながら、ひょっとして具体的には皇位継承問題(女系天皇の是非)を念頭に置いて「編集者」の上の文章は書かれたのかもしれない。しかし、そのような特定・限定はなく、一般的な宣明のかたちで、上の文章は書かれている。
 さらに余計ながら、「日本と日本人を間違った方向に導く」、日本国内のマルクス主義者・親マルクス主義者あるいは「左翼」の諸意見・考え方を「潰しにかかる」という編集方針を、月刊正論編集部は採っているのだろうか?、かりに採っているとしても、それは十分なものだろうか?、という疑問がある。
 「保守」派内の「内ゲバ」に主要な関心を向けたり、その一方に加担することに熱心な月刊雑誌は、少なくとも「保守」派一般の、またはその代表的な雑誌になることすらできないだろう。ましてや、憲法改正に必要な国民・有権者の過半数に支持される、あるいは関心をもたれる雑誌に成長することは決してないだろうと思われる。
 月刊正論の親会社の発行する産経新聞8/14加地伸行と竹内洋の対談中に、こんな部分があった。
 「加地 今の保守系は論壇というよりも、悪口を言うことで終わってしまっている。……
  竹内 それと内ゲバ。左翼…が、保守論壇も。仲間内でやるのが一番見苦しい」。
 この秋月の文章も一種の「内ゲバ」かもしれないが、秋月瑛二のブログにそのようなものの一方当事者となる資格(・読者数)はないものと自覚している。

1138/月刊正論(産経、桑原聡編集長)の編集方針は適切なのか?①

 〇「Weekly 雑誌ニュース」というサイトによると、各雑誌の月間発行部数は、文藝春秋約60万、潮約40万、WEDGE-約16万、サピオ約12万、月刊WiLL-11万、エコノミスト8万、月刊ボイス-約3万、らしい。
 月刊正論、新潮45、世界等については「調査中」とある。
 但し、この欄で既述のように、雑誌・撃論3号(2011.11)の編集部による文章によると、<月刊WiLLの販売部数は月平均約10万部、産経新聞社の月刊正論は実売2万部以下>らしい。
 月刊WiLLについての上の両者の数字が11万・10万とほぼ同数であることからすると、月刊正論についての数字も、信頼してよさそうに見える。
 歴史があり、新聞社に支えられている(はずの)月刊正論(産経)よりも、後発の、同じく一般には
<保守>派とされていると思われる月刊WiLL(ワック)や月刊ボイス(PHP)の方が、よく売れているわけだ。
 とくに、月刊正論は月刊WiLLの5ないし6分の1程度しか読まれていない(売れていない)、ということは興味深い。
 以上のことは、以下に述べることと直接の関係はない。但し、現在の編集方針だと(つまりは現在の編集長・編集部員だと)、販売部数は増えそうにない、という気はする。
 〇月刊正論やその個々の論考については言及したいことは多い。さしあたり、月刊正論全体ないしその編集方針について、まず、いくつかをごく簡単にコメントする。
 ①「近いうち」の衆議院解散・総選挙という時期なので、あるいはずっと前から今年(2012年中)の解散・総選挙の可能性は高いと言われてきたので、政治・社会系総合雑誌がすべきことは、私見では、<(2009年誕生の)民主党政権とは何であったか・民主党政権はいったい何をしてきたか>という総括だろう。
 これが月刊正論にはほとんど見られないようだ。少なくとも「特集」は組まれていない。
 この点では、月刊文藝春秋8月号が「政権交代は何をもたらしたのか―民主解体『失敗の本質』」という特集を組んでいることの方が(p.116-)が、決して「保守派」雑誌でないにせよ、時代的・時期的センスが(月刊正論編集部よりも)優っている。

 また、月刊WiLL9月号は「総力大特集/醜悪なり民主政権」と銘打つ特集を組んで、4本以上の論考を載せている。山際澄夫「朝日新聞は土下座して読者に詫びよ」(p.84-)などは、反民主党、反朝日新聞の読者を少しは痛快な気分にさせるだろう。
 ②朝日新聞や岩波・雑誌「世界」らは、2009年の民主党政権樹立へとムード・空気を煽ってきた。2009年の投票日に並んでいた月刊世界の表紙のタイトルは「政権選択選挙へ」だったと記憶する。さすがに「政権交代選挙へ」とは打てなかったのだろう。だが、総選挙とはつねに「政権選択選挙」たる性格をもつことからすると、月刊世界のタイトルの含意は明瞭だった。
 政権交代を朝日新聞等は「歴史的」と表現して歓迎した。自分たちの世論誘導は見事に効を奏したのだった。
 従って成立した民主党政権を罵倒するはずはないのだが、残念ながら民主党内閣の「失点」は相次ぎ、叱咤激励はするものの、政権交代の現実的なプラスの成果を、朝日新聞らは提示できなかった、と思われる。
 だが、朝日新聞らが意図したことは、<民主党政権は批判されるべきだが、自民党政権に戻してもダメだ>という世論形成だった。民主党がダメだとしても、自民党が良いわけではない、というのが彼らの<矜持>あるいは<面子>からする主張だった、と思われる。そして、これまた、そのような世論形成は、相当に成功したように見える。
 「保守派」のはずの月刊正論(産経)も、そのような雰囲気に対抗することはせず、むしろ、その編集長は、2011年4月号に、次のように書いていた。あの3.11の起こった時点の、編集長・桑原聡の文章だ。 
 「…民主党内閣が、憲政史上最低最悪の内閣であることは多くの国民が感じているところだろうが、かりに解散総選挙が行われ、自民党が政権を奪回したとしても、賞味期限の過ぎたこの政党にも、わが国を元気にする知恵も力もないように思える」(p.326)。
 解散・総選挙の現実的可能性が高まった現在でも、桑原聡はこう考えているのだろうか。このような見解は、<民主党はもちろん、自民党にも投票するな>と言っているに等しい。
 どちらがよりマシか、どちらがより「保守的」か、どちらが現憲法改正草案を持っているか(九条2項削除を明確な方針としているか)、どちらに靖国神社参拝をする議員が多いか、などを考えれば、編集長・桑原聡の上の文章は、ほとんど、朝日新聞らの「左翼」と同じだ。
 自民党よりも「保守的」な有力政党の結成・誕生を見ていない現在では、多少は異なる見解に至っていることを期待したい。だが、月刊正論の(2012年)8月号は、<自民党批判>の特集を組んでいる。解散・総選挙が近づいていることは客観的に明瞭だった時期に、月刊正論は、<民主党政権の総括的批判>ではなく<自民党批判>の特集を打ったのだ。
 この雑誌は、あるいはこの雑誌の編集長、その編集方針は、やはりどこかおかしい。とても<保守派>の雑誌とは思えない。
 ③今年2012年は、日本共産党創立90周年の年だ。産経新聞でもまともにこれを採り上げた記事は少なかった(あっても大きな紙面を用いたものではなかった)が、きちんと日本の「共産主義」政党の過去と現在を分析し、批判的に総括しておくことは、新聞ではなくむしろ「保守派」雑誌の役割だっただろう。
 しかるに、月刊正論は、これを怠っている、と見られる。月刊正論(編集部)は、いったい何と闘っているのか? いったい日本をどうしたいのか?
 編集長・桑原聡が早々に(今年初めの時点で)、橋下徹を「きわめて危険な政治家」、日本「解体」を意図している、と論定してしまったように、まるで政治的センスに乏しく、<いったい日本をどうしたいのか>について多少とも錯乱しているのではないだろうか?
 憲法改正は重要なテーマだが、この問題についての(大きな論点ごとでもよいが)特集は組まれていない。
 従来の、「固い」読者層を掴んでいれば大丈夫だという感覚なのだろうか。そのような感覚では、国民・有権者の過半数の支持が必要な憲法改正のために情報発信するメディアの中の中心に位置することはとてもできないだろう。
 以上のほか、9月号をごく最近に見ていて、月刊正論の「編集方針」に、あるいは編集部自身の文章に、<戦慄すべき>怖ろしさを感じた。
 長くなったので、次回に譲る。 
 

1129/月刊正論編集部の「異常」-監督・コーチではなく「選手」としても登場する等。

 月刊正論(産経)は、発売日(毎月1日)から二週間経てば、送料を含めても150-200円安く、一ヵ月も過ぎれば約半額で購入することができることが分かった。
 そのようにして入手した月刊正論6月号(産経)を見て、驚き、あるいは唖然とした点がいくつかある。とりわけ「編集者へ/編集者から」という読者・編集部間のやりとりは、注目に値する。
 月刊正論5月号の適菜収論考には読者からの疑問・反論も多かったようで、そのうちの一つを紹介し(p.324-5)、「編集者」が簡単に答えて(コメントして?)いる。適菜は自らの考える「保守の理想形」を提示していないという疑問(の一つ)に関して、「編集者」は以下のように書いている(p.325)。
 「おそらく適菜さんは、人間の理性には限界があり、その暴走を食い止めるために伝統を拠り所としようという態度こそが保守であると考えているのだと思います。その立場から見ると、橋下氏には理性暴走の傾向が感じられませんか。」
 これには驚き、かつ唖然とした。
 第一。「…が感じられませんか」という質問形・反問形での文章にしているのもイヤらしい。それはさておくとしても、この読者はもっと多くの疑問・批判を適菜収論考に対して投げかけている。
 それらを無視して、ただ一点についてだけ答える(コメントする)というのは、紙面の限界等もあるのかもしれないが、到底誠実な「編集者」の態度だとは言えないように思われる。紙面の関係で一点だけに限らせていただく、といった断わりも何もないのだ。
 第二。月刊正論編集部は橋下徹に「理性の暴走の傾向」を感じているようだが、その根拠・理由は全く示されていない。編集長・桑原聡の前月号の末尾の文章と同じく、理由・根拠をいっさい述べないままの、結論のみの提示だ。こんな回答(コメント)でまともで誠実な対応になると思っているのだろうか。
 なるほど適菜収論考の中に、橋下徹には「理性暴走の傾向」がある旨が書かれていたのかもしれない。そのように解釈できる部分が(あらためて見てみたが)ないではない。
 だが、「伝統を拠り所」にするか「理性の暴走」かという対置を適菜は採っていない。従って、上の短い文章は「編集者」自身が新たに作ったもので、適菜論考の簡潔な要約ではない。
 あらためて適菜「橋下徹は『保守』ではない!」の橋下徹に対する罵倒ぶりを見てみたが、適菜は橋下徹を「文明社会の敵」、「アナーキスト」、「国家解体」論者、「天性のデマゴーグ」等と断じている。
 明らかな敵意・害意を感じるほどに異常な文章であり、「決めつけ」だ。何段階かの推論(・憶測)を積み重ねて初めて導き出せるような結論を、適菜はいとも簡単に述べてしまっている。
 ともあれ、「伝統を拠り所」にするか「理性の暴走」か、という対立軸を立てて、適菜は書いているのではない。とりわけ、「伝統を拠り所」に、という部分は適菜の文章の中にはない。
 第三。読者の(省略するが)これらの疑問に対しては、本来、適菜本人が答えるか、別の新しい論考の中で実質的に回答するのが、正常なあり方だと思われる。
 しかるに、これが最も唖然としたことなのだが、月刊正論「編集者」は、「おそらく」という副詞を使いつつ、適菜収に代わって、適菜の「保守」観を述べ、読者に回答(コメント)しているのだ。適菜論考から容易に出てくる文章ではないことは上の第二で述べた。
 雑誌、とくに月刊正論のような論壇誌の編集部というのは、「監督」または「コーチ」であって、自らが「プレイヤー(選手)」も兼ねてはいけないのではないだろうか。にもかかわらず、月刊正論「編集者」はプレイヤー(執筆者)に代わって、自らブレイヤーとして登場として、自らの見解を述べてしまっている。
 雑誌編集者のありようについての詳細な知見はないが、これは編集者としては<異様>な行動ではないだろうか。しかも、「執筆者」の考え方を代弁して自ら回答(コメント)するという形をとりながら、上に述べたように、結論らしきものを語っているだけで、いっさいの理由づけ、論拠の提示を割愛させてしまっているのだ。
 「編集者」・「編集長」に用意された短い文章の中で、特集を組んでいるような重要なテーマについての編集者・編集長自らの(特定の)「結論」を、執筆者に代わって、理由づけをすることもなく明らかにしてよいのか??
 雑誌出版・編集関係者のご意見を伺いたいところだ。
 第四。適菜は(おそらく)「伝統を拠り所」にする態度を「保守」と考えており、橋下徹にはこれとは異なる「理性の暴走の傾向」があるのではないか、というのが月刊正論(産経)「編集者」の見解のようだ。
 このような対置が「保守」と「左翼」の間にはある、という議論・説明があることは承知している。
 だが、少しでも立ち入って思考すれば容易に分かるだろう。いっさいの<変化>やいっさいの<理性>を否定しようとしないかぎり、維持すべき「伝統」とそうでない「伝統」、必要な「理性」と危険視すべき「理性の暴走」の区別こそが重要であり、かつ困難で微妙な問題でもあるのだ。
 もちろん、月刊正論「編集者」の文章(p.325)はこの点に触れていない。全ての<変化>・<理性>を否定しないで、かつ「伝統を拠り所」とする態度と「理性暴走の傾向」とを明確に区別するメルクマール・基準・素材等々を、何らかの機会に、月刊正論編集部(編集長・桑原聡)は明らかにしていただきたい。
 第五。月刊正論「編集者」の文章に乗っかるとして、そもそも橋下徹に「理性暴走の傾向」はあるのだろうか。
 むろん「理性暴走」の正確な意味、それと断じる基準等が問題なのだが、それはさておくとしても、例えば橋下徹における次の二例は、「理性暴走」というよりもむしろ日本の「伝統」を重視している(少なくとも軽視していない)ことの証左ではないか、と考えられる。
 ①橋下徹は5/08に、公務員が国歌(・君が代)を斉唱するのは「当たり前」のこと、「ふつうの感覚」、「理屈じゃない」と発言している。
 ②橋下徹は大阪府知事時代の最後の時期、昨年秋の、大阪護国神社秋季例大祭の日に(知事として)同神社に参拝している。
 推測にはなるが、上の②は、大阪府出身の、「国家のために」死んだ(そして同神社の祭祀の対象になっている)人々を「慰霊する」(とさしあたり表現しておく)のは大阪府知事としての仕事・「責務」でもあると橋下は考えたのではないかと思われる。
 これらのどこに「理性暴走の傾向」が
あるのだろうか。月刊正論編集部(編集長・桑原聡)は、何らかの機会に回答してほしいものだ。
 なお、この欄で既述のとおり、産経新聞や月刊正論でもお馴染みの八木秀次は、隔週刊サピオ5/09・16号の中で、橋下徹は「間違いなく素朴な保守主義者、健全なナショナリスト」だ等と述べている(p.16)。
 八木秀次のあらゆる議論を支持するのではないが、上の指摘は、適菜収や月刊正論編集部とはまるで異なり、素直で的確な感覚を示していると思われる。
 第六。そもそも、「保守」か否かの基準として、「伝統」重視か「理性」重視(「理性暴走」)かをまず提示する、という(適菜ではなく)月刊正論「編集者」の考え方自体が正しくはない、と考えられる。
 上でも少し触れたように、この基準は明確で具体的なものになりえない。
 「保守主義の父」とか言われるE・バークもこうした旨を説いたようだが、私の理解では、上のような<態度>・<姿勢>という一種の<思考方法>ではなく、バークは、その結果としての<価値>に着目している。つまり、フランス革命によって生じた「価値」(の変化)の中身にバークは嫌悪感を持ったのであり、たんに「ラディカルさ」・「急激な変化」を批判したのではない、と言うべきだと思っている。
 「保守」か否かは、第一義的には、「伝統」か「理性」かといった<思考方法>のレベルでの対立ではないだろう、と思われる。
 E・バークの時代には、まだ「共産主義」思想は確立していなかった(マルクスらの「共産党宣言」は1848年)。従って、余計ながら、いくらバークを「勉強」しても、今日における「保守」主義の意味・存在意義を十分には明らかにすることはできないだろう。
 この問題は、「保守」という概念の理解にかかわる。月刊正論編集部がいかなる「保守主義」観をもっているのかきわめて疑わしいと感じているのだが、この問題には、何度でも今後言及するだろう。
 なお、関連して触れておくが、月刊正論編集部が「保守」の論客だと間違いなく認定していると思われる中西輝政は、月刊文藝春秋6月号(文藝春秋)の中の橋下への「公開質問状」特集の中で、「私は橋下徹氏の率いる『大阪維新の会』が唱える政策の殆どに賛成である」と明記し、橋下の「中国観」についてのみ質問する文章を書いている(p.106-7)。
 どう読んでも中西輝政が橋下徹を「保守ではない」と見なしているとは思えないのだが、中西の橋下徹観が誤っており、橋下は「保守ではない!」「きわめて危険な政治家」だと言うのならば、月刊正論編集長・桑原聡は、末尾の編集長コラム頁に書くなりして、中西輝政を「たしなめる」ことをしてみたらどうか。 
 いずれにせよ、上に六つ並べたように、月刊正論編集部はどこか<異常>なのではないか。今回言及した以外にもある。月刊正論6月号の上記冒頭の欄についてはもう一度言及する。

1103/「B層」エセ哲学者・適菜収と重用する月刊正論(産経)。

 〇月刊正論5月号の巻頭、適菜収「橋下徹は『保守』ではない!」は「保守ではない」と言っているだけで橋下徹を全面的に消極的に評価しているわけではないとの印象を持つ人や、そのように釈明する者もいるかもしれない。しかし、この論考は「橋下徹大阪市長は文明社会の敵です。そして橋下流の政治…の根底には国家解体のイデオロギーがある」という文章から始まっているいるように、全面的な、人格面も含む、橋下徹攻撃・非難の論考に他ならない。したがって、問題はたんに「保守」の意味・内容にとどまるものではない。
 月刊正論編集長・桑原聡が明言している、橋下徹は「きわめて危険な政治家」、「橋下氏の目的は日本そのものの解体することにあるように感じられる」、というのと全く似たようなことを、より長く書いているのが適菜収だ。
 編集部員の川瀬弘至もまた、イザ!内のブログで、適菜論考を「とってもいい論文」と評価し、川瀬が「保守」性を疑っている石破茂に読むことを勧めている(4/04エントリー)。
 ちなみに、川瀬弘至は自ら「保守主義者」と称し、さらに「小生、今後は『真正保守』を名乗らせていただきます」とまで明言している。
 そのような「真正保守」の方にはご教示を乞いたいこともあるので、別の回に質問させていただくことにしよう。
 〇さて、適菜収は月刊正論5月号で「B層」という概念を使い、橋下徹を「理念なきB層政治家」(タイトル副題)と称したりして「B層」を何度か用いているが、その意味をきちんと説明しているわけではない。
 ほぼ同じ時期に公表された、雑誌・撃論+(オークラ出版、2012.05)上の適菜収「B層政治家の見抜き方」(p.142~)の方が「B層」なるものについては詳しいだろう。
 これによると、「B層」とは「マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち」を意味する(p.142)。より簡単には「知能指数の低い者たち」、だ。
 こんな言葉がキーワードとして用いられる論文(?)に、まともなものはない、と思われる。また、自らは「B層」には含まれないことを当然の前提にしているようだが、「知能指数の高い」者ならば、そのこと自体をまずは疑ってみる方がよいように思われる。
 ところで、適菜の「B層」論という<じつに差別的な>議論を気持ち悪く感じながら読んで思いだしたのは、丸山真男の<ファシズムの担い手>論だった。
 この欄でかつて紹介したことがあるが、丸山真男は「日本ファシズム」も「中間層が社会的担い手」だったとし、以下の「層」が(日本ファシズムの)「社会的基盤」だったと断じた。丸山真男はこれを「疑似」又は「亜」インテリと称する。
 「たとえば、小工業者、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校職員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官
 これに対して、丸山真男によると、以下の「本来のインテリ」は、「ファシズムの社会的基盤」でなかったとする(つまり<免責>する)。
 「都市におけるサラリーマン、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、その他自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層」。
 ここで丸山真男が「学生層」として念頭に置いているのは、彼が「皆さんのような」と呼んだこともある、東京帝国大学の学生(その他、広げても旧制大学の後身大学の大学生)だ。
 丸山真男と適菜収が同一のことを言っているのではなく、適菜の方がはるかに粗くて単純なのだが、丸山真男の上の区別も、何やら<知能指数の程度>による<職業差別>意識を背景にしているように見える。
 丸山真男のこの部分を読んで、アホらしい、まともな学問の結果ではないと思ったものだが、適菜収が書いていることについても、そのまま、あるいはそれ以上にあてはまる。
 適菜は要するに、<バカ>が多いから<バカ政治家>が生まれ、勝利する(=民主主義)、バカは政治家等の甘言にダマされやすい、したがってうまくバカを騙せる政治家等が勝利し、バカの「民意」を背景にして「独裁者」も生まれる、というようなことを、ときどきは外国人や歴史に言及したりしながら、言っているだけのことなのだ。
 じつは、行きがかり上、仕方なくこれを書いているようなところがあって、適菜の文章をまともに取り上げようとすることすら、本当はアホらしい時間潰しだと感じている。
 「大衆民主主義」時代における「大衆」を、私もまた基本的なところでは信頼してはいない。この点では、大衆=有権者は結局のところは適切な判断をするものだ、とかときどき書いている産経新聞の論説委員・コラムニスト等とは少し異なる。
 しかし、騙されやすい「大衆」を「『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち」と定義して、思考し叙述する気はまったくない。
 騙しているマスメディア(や政治家)の責任の方がはるかに大きい。また、結果的には読者を騙そうとしている、月刊雑誌等の「論壇」の執筆者=評論家・大学教授たち(・「哲学者」?)の責任も大きいだろう。
 適菜収は、「かつて『B層を騙す側』にいたB層政治家がB層そのものになりつつある」と書いているが(撃論+p.143)、「かつて『B層を騙す側』にいたB層哲学者がB層そのものになりつつある」のではなかろうか。
 適菜収というまだ三〇歳代の自称「哲学者」は、大学・研究機関に所属しているわけでもなく、また、学術研究者(・哲学者)または「評論家」としてのまともな業績は全くかほとんどないようだ。
 こんな人物の「トンデモ」論考を巻頭に持って来て大々的に広告を打つ編集長がおり、また「とってもいい論文」だと評価する編集部員もいる月刊正論という雑誌は、まともな雑誌なのだろうか。
 このような疑問は、当然に産経新聞(社)自体にも向けられうる。

 産経新聞本紙はともあれ、月刊正論には常連の「保守派」の執筆者もいるとは思うが、こんな編集長・編集部員の依頼を受け、唯々諾々と従って文章を提供して金銭をもらって、編集長・編集部員の<考え方>・<質>については何の関心もないのだろうか?? 

1099/月刊正論(産経)編集長・桑原聡が橋下徹を「きわめて危険な政治家」と明言1。

 一 月刊正論(産経)の現在の編集長・桑原聡が、「個人の見解だが、橋下氏はきわめて危険な政治家だと思う」と同5月号の末尾に書いている。740円という価格と情報量のCBA分析をして?やはり購入し、いくつかの論考等を読んだあとで見たのだが、喫驚した。
 少なくとも桑原聡が編集長でいる間は、月刊正論を新刊雑誌としては購買しないことにする。この欄の閲覧者にも、そのように呼びかけたい。
 「編集者個人の見解」としてはいるが、一頁分の編集後記にあたるものを一人で書いている、れっきとした編集長の文章であり、上のような、橋下徹を「きわめて危険な政治家」視する意識が、月刊正論の編集に反映されないはずはない。
 5月号の巻頭が先だって広告を見て言及したように、適菜収「橋下徹は『保守』ではない!」であり、表紙にも最大の文字で銘打たれているのも、桑原聡のかかる意識の現われだろう、と得心する。
 個人的にはそれこそどのように考えていてもいいとしても、このように明言するとは大胆で、珍しいと思われる。
 この月刊正論を発行している産経新聞社自体に問い糾したいものだ。
 第一。見解が分かれている中で、貴社の発行している雑誌の編集長が、上のような特定の「政治的」立場・見解を明らかにしてしまってよいのか
 第二。橋下徹を「きわめて危険な政治家」だと明言する人物を、貴社の発行する雑誌の編集長にとどめているのは何故か
 産経新聞も、月刊正論も、岩波の「世界」や朝日新聞とは異なる、むしろそれらの対極にある「保守」派の、または「保守」的な新聞であり、雑誌であるという印象をもたれてきている、と言ってよいだろう。そして、その点に共感して購読・購入している国民も少なくないはずだと思われる。そしてまた、産経新聞における橋下徹に関係する記事は、したがって彼への注目度は、他紙に比較して多く、大きいような印象もある。
 しかるに、同じ会社が発行する月刊雑誌の編集長が上のように明言してしまうのは、そしてそのような考え方のもとで雑誌が編集されるのは、むろん雑誌編集の裁量がかなり認められているのではあろうが、貴社自身のマスメディアの一つとしての姿勢と整合しているのか
 二 桑原聡自身はなぜ橋下徹を「きわめて危険な政治家」だと思うかの根拠・理由をほとんど書いていない(根拠にもならないような文章については後で触れる)。
 その代わりに、自分自身の考え方に近い適菜収の(低劣な)論考を巻頭にもってきて、自らの「個人的」な姿勢を反映させた、ということなのだろう。
 ということは、かりに橋下徹を肯定的に評価している編集長であったならば、山田宏「平成の『龍馬伝』がはじまった」から採って、「橋下徹は平成の龍馬だ!」というタイトルで大きく広告され、表紙も作成されていたのかもしれない。
 桑原聡はこの山田宏の論考も加えるなどして、編集の公平さを装っているようだ。そして「特集を読み判断していただきたい」と読者に判断を委ねるかっこうをつけている。
 それはそれで一見公平らしくも見えるのだが、しかし、上の一文は「橋下氏の目的は日本そのものを解体することにあるように感じるのだ。なぜ解体するのか? 日本のため? それともたんに面白いから? 特集を読み判断していただきたい」という文章の一部だ。念押し的に、橋下徹は<日本解体(論)者だ>との桑原聡の考え方を書いた上での言葉なのだ。
 一見読者の判断に委ねつつ、自己の見解の方向へと誘導しようとしている、情報操作・意識操作をしようとしていることは疑いえない。
 それにしても、上の文章の、上野千鶴子ら「左翼」にも似た、気味の悪さはどうだろう。「日本解体」が目的だろうとする論拠を示していないこともあまりにも不誠実で唐突だが、その後の?の連続部分からは、感覚・判断能力の<異常さ>をすら感じてしまう。
 産経新聞社にあらためて問うておこう。こんな内容の文章を唐突に書いてしまう人物は貴社発行の月刊雑誌編集者としてふさわしいのか、と。
 三 桑原聡の情報操作・意識操作の意図(・意識)にもかかわらず、橋下徹関係の四つの論考のうち、最も空虚、最も観念的で低劣なのは適菜収のそれであり、あとは大きな抵抗感なく読めるもので、橋下徹が「きわめて危険な政治家」だとの印象は(桑原の意図に反して?私は)まるで受けない。
 適菜収のものは別に扱いたいが(出発点の「B層」大衆論など、それこそファシスト紛いの気持ち悪いものだ)、山田宏は的確にポイントを衝いている。橋下徹は簡単に前言を翻すとか最近に書いたが、山田宏によると、橋下徹は「実際に会ってみると、じつに謙虚で人の話をよく聴く…。しかも、自説の間違いに気付くと素直に認めて撤回する」と、上手に説明されている(p.61)。

 佐藤孝弘「日本よ、『保守する』ことを学べ」は橋下を肯定的に評価してはいないが、消極的・否定的に論評してもおらず、性急な判断を避けている(あと一つは、内田透「かくて職員組合は落城せり」で、橋下徹を貶すような内容ではなく、むしろ逆かもしれない)。
 四 桑原聡は同じ文章の中でこうも書いている。
 「保守を自任ママ〕する人々まで、印籠を掲げて労働組合を組み伏せようとする橋下氏に喝采を浴びせるが、その矛先がいつか自分たちに向けられると考えたことはないのだろうか」。
 これも産経新聞社発行の月刊正論の現在の編集長の文章だ。
 先に紹介した部分と併せて見ても、どうやら、桑原聡にとっては<反橋下>は<情念>にまで高められているようだ。
 それに、上の文章には反論することが十分に可能だ。橋下徹が攻撃しようとしているのは「戦後体制」・戦後の既得権者たち(官公労働組合も当然に含む)であって、<戦後レジーム>の終焉、日本の「再生」を望む人々にとっては、喝采こそすれ何ら怖いものではなく、橋下徹を怖れているのは、現状に(そこそこ?)満足している、<戦後レジーム>に基本的な疑問を持たない、(そこそこに)利益を得てきている者たちではないか、と。
 桑原聡はどうやら、「左翼」と同様に橋下徹の矛先が自分に向けられることを怖れているようだが、それは、月刊雑誌の編集長にまで登りつめ?、さらに販売部数を伸ばして会社内で「いい気分」を味わいたいと思っている、その現状を「保守」したいからではないのか。
 桑原聡にとっては、現状はそこそこに安住できるもので、その現状・地位を橋下徹によって攪乱されたくない、というのが本音ではあるまいか。
 こういう意識は、昨年秋の大阪市長選で、橋下徹に対立した現職市長を民主党とともに支持した自民党市議団の意識とほとんど等しいと思われる。
 あらためて言っておこう。「右」からという粧いをとってはいるようだが、「右」からか「左」からかは不明なままに、日本共産党・民主党、両党支持の労働組合、そして上野千鶴子、香山リカ、山口二郎、佐高信等々の「左翼」論者と同様に、産経新聞社発行の月刊正論の編集長が、橋下徹は「きわめて危険な政治家」だと明言した。
 山田宏も指摘しているように、<保守>派の最大の課題と言ってもよい憲法改正(をシンボルとする「敗戦後体制」の破棄)の方向で、産経新聞や月刊正論の記事・論考の多くの字数よりもはるかに大きな影響力を、橋下徹の今後のひとこと・ふたことが持つだろう(p.58参照)。そのような人物を「危険」視するとは、とりわけ月刊正論の編集長としては、桑原聡の感覚は<異常>なのではないか。
 五 産経の月刊正論が「橋下市長に日本再生のリセットボタンを押させまいと、イメージ悪化を狙ったさまざまな妨害活動を仕掛けてくる」(山田宏、p.59)ようなことのないように、切に望みたい。
 桑原聡では危ない。月刊正論(産経新聞社)は、編集長が替わるまで、新刊本としては購入するのは避けた方がよい。買うとしても、桑原聡編集長による月刊正論の販売部数が一部でも増えないように、発行後しばらくして、アマゾンあたりのお世話になることにしよう。

1095/水島総、適菜収、橋下徹、野田内閣。 

 〇水島総が、「撃論+(プラス)」という雑誌(oak-mook。2012.04)で、「今、最も問題なのは、反日メディアや反日政治家、反日財界なのではない『戦後保守』と言われる言論人の一種の頽廃というべき姿である」と書いている(p.171)。
 現在の「保守」派がかなり混乱していることは確かだと思われ、「頽廃」という形容が的確かは悩むが、私とも問題関心に共通するところはあるだろう。
 このようなブログだから「保守」派のあれこれに対して批判的な言辞も吐いてきた。100%信頼できる人物はいないと(残念ながら)感じているので、テーマ、論点に応じて、櫻井よしこ、西尾幹二、佐伯啓思等々を批判したこともある。だが、<このようなプログだから>影響力は微々たるものだとの自覚があるからなのであり、保守派内部の対立・軋轢を拡大する意図はない。
 産経新聞社も(以前から)意図しているようである憲法改正にしても、現憲法を前提にすれば(なお、石原慎太郎の「破棄」論は精神論としてはともかく、現実的には無謀だ)国会内に2/3以上の改憲勢力を作らなければならず、有権者国民の過半数の支持を受けなければならない。
 産経新聞3/31に論説委員・皿木喜久が書いているように(この人にはまともな文章が多い)、かりに憲法を軸にした「保守合同」を展望するとしても、それは命がけ」で取り組まれなければならない課題だ。
 そうした状況において、「保守」派内部において、「自称保守」とか「エセ保守」とか言い合っている余裕は本来は十分にはないはずだ。あるいは個々の論点について対立してもよいが、憲法改正、正確にはとくに現憲法九条2項の削除と「国防軍」の設置(「自衛軍」という語よりもよいと思う)、についてはしっかりと<団結>しておく必要があろう。

 憲法・国防といった国家の基本問題に比べれば、橋下徹・現大阪市長をどのように評価するかなどという問題は「ちんまい」テーマだ。
 にもかかわらず、産経新聞社の月刊正論5月号は、3/31の大きな広告欄によると、「橋下徹は『保守』ではない!」という一論考のタイトルを最大の文字の惹句にしている。
 「国民の憲法」起草委員会を作ったのだったら憲法改正大特集でも不思議ではないが、上の文字を最大の謳い文句にする感覚は(私には)尋常とは思えない。
 上の論考の執筆者らしい適菜収は冒頭掲記の「撃論+」にもたぶん似たようなことを書いているので、―今回は立ち入らないが―主張内容はおおよその推察ができる。「評論家」の佐伯啓思にもむつかしい問題に「哲学者」が適切に対応できるとはとても思えないが、この、よく知らない適菜収という「哲学者」にとっては、またとない「売名」の機会になったことだろう。あるいはまた、橋下徹をテーマにすれば(とくに批判すれば)<売れる>という月刊正論編集部の<経営的>判断に乗っかかっているだけなのかもしれない。
 ついでだから立ち入るが、「撃論+」の中の小川裕夫「検証/橋下改革は本当か?」(p.150-)の方が、橋下徹について冷静にかつ客観的に判断しようとしており、性急な結論づけをしていない。
 このような性急に単純な結論・予測を述べない姿勢の方が好感をもてる。「撃論+」よりも数倍の(十倍以上の?)読者をもつだろう月刊正論の編集部が、<橋下徹は保守ではない!>と訴えたいらしいのはいったいどうしてなのだろうか。まだ民主党政権のゆくえや解散・総選挙問題を直接のテーマにする方が時宜にかなっているように思われる。
 〇水島総の文章に戻ると、しかし、水島がいう「戦後保守」の「頽廃」の意味、したがってまた水島の考えている「(真の)保守」の意味は必ずしも明確ではない。水島は次のように書く。
 ・保守を標榜しつつも「TPP参加や増税、女性宮家創設等で分かるように、GHQ日本国憲法内閣と言ってもいいほど」なのが野田民主党内閣の本質であり、「日本の国体そのものの解体を目ざしている」にもかかわらず、「戦後日本意識」を脱し切れず、有効に批判できていない。「戦後保守と呼ばれる言論人は、野田内閣の『改革路線』を批判出来ず、野田内閣に一定の支持を与えたり、政権権力にすり寄る、まことに見苦しい迷走を続けている」(p.171)。
 ここで批判されている「戦後保守」言論人とはいったい誰々なのだろうか。
 「TPP参加」を批判されるべき野田内閣の政策の一つとして挙げているところを見ると、櫻井よしこ、竹中平蔵あたりなのだろうか(きちんと確認しないが、岡崎久彦もこれに反対ではなかったようだ)。政権権力に「すり寄る」とは厳しいが、櫻井よしこは野田内閣への期待を明確に(産経新聞紙上で)述べたことがある。
 だが、「TPP参加」に反対するのが「(真の)保守」とは私は考えないし、「保守」か否かで簡単に判断できるものでもないように思っている。
 月刊正論に連載欄を持っている水島総の「保守」派性を(その内容から見て)微塵も疑いはしないが、具体的問題となると、私とまったく同じように考えているわけでもなさそうだ。
 急いで書かれただろう文章にあまり拘泥するのもどうかとは思うが、いま一つ、水島の論述には分かりにくいところがある。
 水島は、「アメリカ拝跪から中国拝跪へ」という時代の変化を語りつつ、いずれも「主権国家意識の欠如した戦後意識」に由来する点で共通する、と批判的に指摘している。
 この点はまだ分かるのだが、次の文章との関係はどうなるのだろう。
 ・「親米反中だから、保守内閣であるとの誤解は、冷戦構造が世界的に終焉した現在にあっては全く通用しない」(p.171)。
 後半の冷戦構造の終焉うんぬんは、そのままでは支持できないことは何度もこの欄で書いた。よく分からないのは、野田内閣を「親米反中」内閣と性格づけていることだ(なお、「保守」内閣だなどと私は「誤解」したことはない)。
 まず、「中国拝跪」意識を水島が批判しているところからすると、野田内閣の「反中」性を批判し難いのではないだろうか。
 つぎに、野田・民主党内閣は本当に「反中」内閣なのだろうか。なるほど、鳩山由紀夫、菅直人と比べると<中国拝跪>性は弱いようにも思えるが、「反中」とまで言いきれるのかどうか。具体的に<南京大虐殺>の存在を肯定しているわけでもない村山談話を継承すると(河村たかし名古屋市長発言問題に関連して)官房長官が答えるような内閣は「反中」なのだろうか。
 〇「保守」派を攪乱する意図はないし、そのような力もないが、いろいろと考え方あるいは表現の仕方が異なるのはやむを得ない。ひょっとすれば、水島総における「反米」性(TPP参加反対はこちらだろう)と「反中」性との関係がよく分からない、ということかもしれない。
 だが、早晩憲法改正の具体的展望が出て来たときには、水島総が、その先頭に立つ運動家の一人だろうことは疑いえないだろう。この点では「思想家」佐伯啓思らよりもはるかに信頼が措けそうだ。余計ながら、西部邁と中島岳志はまるであてになりそうもない、という印象を抱いている。中島岳志は、憲法改正、正規の軍隊保持などという「ラディカル」な変化の追及は、「保守主義」と適合しない、などと言い始めるのではないか(??!)。
 〇西部邁・佐伯啓思グループの隔月刊・表現者(ジョルダン)は、橋下徹批判特集の最新号からは購読しないこととした。駄文につき合っているヒマはない。前の「発言者」時代の古書を購入したことすらもあったのに、ある意味では寂しく、ある意味では爽快でもある。
 このグループの橋下徹批判よりもレベルが落ちていると疑われる適菜収論考が<売り>の論文として宣伝されている月刊正論5月号(産経)も購入したくないが、はて、どうしたものだろう。

1076/中島岳志の幼稚な「エセの(?)」「設計主義」批判。

福田恆存19121994)は、1990年に、ある文章の中で以下のようなことを述べている。
 ・「進歩主義」に対するものとしての「漸進主義」において、「進歩」は「求めて得られぬ理想ではなく、単に在るがままの現実に過ぎない…。つまり、そのまま放っておいても放っておかれないのが、人間の自然であり歴史というものなのである」。
 ・G・ワトソンが、某は「マルクスより若かったが、リフォーム(改革・改良)は変化をもたらし、リヴォルーション(革命)は屡々物事を現状のまま放置するという事実を能く見抜いていた」、と書いている。「私〔福田恆存〕と能く似た事を言うと思った」。

 以上、福田恆存「老いの繰り言」福田恆存全集別巻(麗澤大学出版会、2011p.217-8
 〇これを読んで連想したのは中島岳志による「設計主義」批判、橋下徹批判だった。
 この欄に既に書いたことの一部反復になるかもしれないが、中島岳志は「保守」系隔月刊誌・表現者39号(ジョルダン、西部邁事務所編集)で、次のように橋下徹を批判していた。
 ・橋下徹の考え方は「急進的な設計主義」と「伝統的な価値観の否定」に直結する。「保守思想」は「人間の理性や知性に対する奢りが潜んでいる」「ラディカリズム」を拒絶し、「ラディカルな合理主義」を懐疑する。橋下徹の「改革熱は、反保守的な態度としか言いようがない」。
 ・「大阪市を解体し、国家まで解体しようとする」「自称改革派」を「保守」は支持できない。橋下徹において「伝統や道徳は、既得権益を温存させる悪しき価値」で、「歴史的に構成された価値観や経験知は日教組、左派メディア……と同様に旧体制の象徴として解体されるべき」なのだ。かかる「地方で起きている破壊的ポピュリズムを阻止することこそが保守派の役割」だ(以上、p.118-120)。 
 なお、中島岳志は表現者40号(2012.01)でも、「大東亜戦争」を支えたのは「設計主義」だとし、「左翼的な思想が介在」したものとして批判している。「大東亜戦争」や特定の「思想家」の評価に関連するので、今回はこれ以上は立ち入らない(但し、かくも簡単に「大東亜戦争」を支えた「思想」を概括してしまっていることに驚いたことだけは記しておく)。
 このような中島岳志の論述(?)を読んでもつ第一の基本的な疑問は、厭うべき「進歩主義」・「革命」・「ラディカリズム」・「設計主義」と望ましいまたは自然な「漸進主義」・「改良」とはどのようにして区別されるのか、ということだ。
 「保守」主義はいかなる「変化」をも拒絶するものではないと考えられる。「保守」と「漸進主義」・「改良(改革)」は、一般論として、決して矛盾しない。これを矛盾すると理解するとすれば、それは「退嬰」主義であり「現状凍結」主義だ(あるいは「敗北主義」だ)。
 福田恆存いわく、「そのまま放っておいても放っておかれないのが、人間の自然であり歴史というものなのである」。
 中島岳志は、上のような基本的な問題に何ら言及していない。
 「保守」主義が<反・設計主義>で、理性万能・合理性重視の「設計(・構築)主義」を批判しているくらいは、私も百も承知だ。
 かかる前提に立つとしても、問題は、どこから先が「設計主義」に陥る、悪しき合理主義=「左翼」思想なのかにある。
 <戦後体制(戦後民主主義体制)からの脱却>は現状の日本の基本的な「変化」を追求するものであり、そのための「運動」が必要であり、ある程度はそれなりの「戦略」・「戦術」も必要と思われるが、中島岳志の論じ方に従えば、これまた「ラディカリズム」・「設計主義」になりかねない。憲法改正(とくに九条2項の削除)についても、同じことがいえる。
 中島岳志は、それなりの地位・自由と名誉が保護された現状(「戦後体制」・「自由と民主主義」)に保護されることを望み、それらを「保守」したいだけではないか、という皮肉または嫌味も投げかけたくなる。
 第二に、中島岳志のいう「保守」思想からする橋下徹批判は、ほとんど説得力がない。
 なぜなら、例えば、①橋下徹の考え方が「急進的な設計主義」と「伝統的な価値観の否定」に直結するとする、実証的・説得的な根拠は何ら提示されていない。②橋下徹は「大阪市を解体し」ようとしているかもしれないが、「国家まで解体」とは明言していないし、その意図もないと思われる。「国家」が「国家」それ自体ではなく<国のしくみ>のようなものだとすれば、その中には「改良」・「変革」・「解体」されてしかるべきものもある。例えば、日本国憲法それ自体に問題がある。③橋下徹は「伝統や道徳」や「歴史的に構成された価値観や経験知」を否定・無視・軽視すると論難しているが、そのための実証的かつ説得的な根拠は示されていない。むしろ逆に、橋下の考え方は(「西欧」思想に馴染んだ中島岳志以上に?)これらを尊重する人間なのではないか(参照、国歌・君が代や「護国神社」への態度)。
 こうして見ると、中島岳志という人物がますますいかがわしく見えてくる。これで大学教員(北海道大学)なのか、学者・研究者なのか。「本格的な思想格闘を行う必要がある」(表現者40号p.153)などと肩肘を張る、あるいはムキになることはない。そもそも自らにそのような資格・能力があるのかどうかを、謙虚に自省してみたらどうか。

1071/岡崎久彦・真の保守とは何か(PHP新書、2010)の一部。

 「保守とは何か」に関する文章・議論を昨今にもいくつか目にした。以下もこれに関係する。
 岡崎久彦・真の保守とは何か(PHP新書、2010.09)は岡崎の2007~2010年のほぼ三年余の間の論考をまとめたもので、最後から二つめの「真の保守とは何か」(初出2010.05.18、新潮45)を読んでいただいても「本書を発刊した目的の半ばは達成された」と思っている、とされる(p.4-5)。
 書名にも採用されたこの論考で、まず注目を惹いた文章は、あえて引用すれば、つぎの二つだ。
 ①「どの程度政府の統制が望ましいか、民営化と政府の統制のどちらがいいかなどということは、どちらが民主主義の正統路線か、あるいは保守の本流であるかというような大きな問題ではない」(p.213-4)。
 ②「真の保守主義は、経済問題ではなく、外交、安保、教育などの面でその真価が発揮されるべきものである」(p.215)。
 これらは適切であるように思われる。基幹産業の全面的国有化を別にすれば、経済政策、あるいは「経済」への国家(政府)関与の程度・形態は、<保守か左翼か>という対立軸で決定されるものではないだろう。「保守」(主義)から見て、郵政民営化の是非が決定されるわけではないし、「規制緩和」の是非も同様だ。

 昨今問題にされているTPP参加問題にしても同様だろう。また、原発政策(推進・維持か廃止・脱か)についても言えるように思われる。現に、これらについて(自称)「保守」論者の中でも対立がある。そしてそれは当然であって、「保守」か否かによって、あるいはいずれが「真の保守」かによって決定される政策問題ではない、と言うべきだろう。
 岡崎の文章の中には、自民党の綱領や主張にも関係する、以下のようなものもある。
 ・小泉・竹中改革には「規制廃止、自由競争原理〔の重視〕」こそ「真の民主主義、保守政党」という主張があるようだが、「特に、郵政民営化」を考えると、日本の従来型制度をバークが批判した「人間の理性、あるいは浅知恵で急速に」変えようとし「すぎたきらい」はなかったか(p.213)。
 ・「経済の自由化」を謳うから「真に保守的」で、「規制を強化」すればただちに「社会主義的」とするのは日本政治では「ほとんど意味がない」(p.215)。
 「しすぎたきらいはなかったか」という郵政民営化に関する抑制的なコメントも含めて、基本的に同感だ。
 全面的な国家計画経済さえ選択しなければ、広義の「自由主義〔市場主義)」の範囲内で経済に対する規制強化も規制緩和もありうる。どの程度が具体的に妥当かどうかは国家によって、時代によって、あるいは経済(産業)分野ごとに異なるもので、一概にに断定できるものではない。そして、これらの問題についての解答選択は、何が「真の保守か」とは関係がない。無理やり、「思想」または「主義」の問題に還元させるのは、無意味な思考作業だろう。
 その他、以下のような岡崎久彦の文章も、読むに値するものだ。
 ・「岸、佐藤、福田の安保優先政策、親韓、親台湾政策に対抗する、経済優先、親中政策」が「保守本流」だとするのは、「高度経済成長の功を全部池田内閣に帰」そうとする、「フィクション」だ。

 ・「自称の保守本流」は「安全保障重視のタカ派保守」に対して自分たちは「経済優先のハト派保守だ」と言いたいのだろうが、もともと「安全保障と経済は対立概念ではない」。これを対立概念のごとく扱ったことから「一九七〇代以降の日本の政治思想の頽廃が起きた」(p.219-220)。
 <経済優先のハト派>が「保守本流」だとの意識・議論が(自民党内に)あったとは十分には知らなかったが(むしろ逆ではないか)、趣旨はよく分かる(つもりだ)。
 では、岡崎にとって「真の保守」とは何か。引用は少なくするが、以下のごとくだ。
 ・「国家、民族と家族を守るのが保守主義である」(p.224)。自民党は、明確な国家意識と家族尊重の姿勢を示し、「外交政策、安保政策、教育政策」をはっきり表明することが、「再生の王道」だ(p.225)。
 ・かかる「真の保守に立ち戻る」のでは「国民の広い支持を得られないという危惧」はあるが、「中間層はいずれにしても大きく揺れる」のであり、「固定層からの確固たる支持票を得ている政党」は強い(p.225)。

 ・「志半ばで病に倒れた安倍政権」の「戦後レジームからの脱却」こそが「保守主義」だ(p.229)。
 岡崎久彦のこの本は菅直人政権発足後、かつ3・11以前に刊行されている。そして、人柄なのかどうか、民主党、あるいは菅政権に対する見方が「甘い」と感じられるところや日本の将来をなおも?楽観視しすぎていると感じられる部分もある。
 だが、基本的には賛同できる内容が多い。
 この欄に書いてきたように、基本的には、「保守」主義とは「反共(反容共)」主義だと思っている。後者は「保守主義」概念のコアではないとの議論がありかつ有力なのだとすれば、「保守」という言葉にこだわるつもりはない。
 この点はともあれ、「保守」=「反共」という理解の仕方と、岡崎久彦の文章は矛盾しているわけではないと考えてよいだろう。

1064/渡部昇一の日本史年表には北朝鮮「拉致」がない。

 〇11/15は横田めぐみさんが北朝鮮当局に「拉致」された日だった。
 政府が認定しているかぎりでも、北朝鮮による「拉致」は1977年と1978年あたりに集中している。
 これらの「拉致」は、とりわけ最初のそれや重要なそれは、昭和史年表とか戦後史年表とかに、重要な歴史的事実として、きちんと記載されるべきだろう。
 渡部昇一は「保守」派らしく、かつあえて中川八洋によらずとも、<民族系保守>派のはずだ。
 しかし、書店で手にしてめくってみたかぎりでは、渡部昇一・読む年表/日本の歴史(ワック)には、北朝鮮による「拉致」実行の年月についてはいかなる記載もない。これが(かりに民族系でなくとも)<保守派>を自認しているはずの者の編む日本史年表なのだろうか。失望するし、やはり渡部昇一は信頼できないと感じる。
 信頼度が低いと思っているために、渡部昇一の日本歴史の全集もの(ワック)は一冊も、古書でも、購入していない。

 渡部昇一は月刊WiLL誌上に(立花隆ではなく)<渡部昇一はこんなものを読んできた>ふうの連載をしている(「書物ある人生」)。西尾幹二の少年時代の自叙伝ふうの本とは違い、<こんな本を読んでエラくなりました>という感じの、「保守」思想とはまるで関係のなさそうな内容なので、これまたまともに読む気にはなれない。

 〇信頼度の高い人の文章は、納得・同意するところが多いために、却って、この欄ではとり上げないこともある。
 遠藤浩一稲田朋美はそれらのうちに入り、この一年以内の産経新聞上での、衆議院解散要求や(民主党との)大連立反対などの文章は、その通りだと思って読み終えた。
 ジャパニズム第4号(青林堂、2011.10)の、稲田朋美=城内実(対談)「『詐術と裏切り』亡国の野田内閣」も、とくに大きな違和感なく読めてしまう。
 城内実の本はたぶん読んだことはないが、どのような人物かは経歴も含めて知っている。
 「頭」だけでっかちの、書くこと(語ること)だけは一人前の?<保守>派評論家・大学教授等よりは、石原慎太郎もそうだが、現実に「政治(・行政)」に直接関与している者の言葉の方に聞くに値するものが多いかもしれない。遠藤浩一はいちおう「評論家・大学教授」の肩書のようだが、経歴によるとふつうの「アカデミズム」の世界のみから生まれた人物ではなさそうだ。 

1053/雑誌・表現者(ジョルダン)や中島岳志は「保守」派か??

 一 隔月刊・表現者39号(ジョルダン、2011.11)には西部邁や佐伯啓思らが参加する「保守思想から見た原発問題」との座談会があり、何カ所かに「保守放談」と題するコラム(小文)があったりもするので、紛うことなき<保守>派の雑誌らしい。少なくとも発行者や執筆者たちはそのように自己規定しているようだ。
 しかし、客観的に<保守>派かどうかは別途論じられてよい。
 西部邁もまた「自称保守」や「保守を自称する人々」を批判するところがあり(p.18-)、「保守」との自称がその「保守」派性を証明するわけではないことを当然の前提にしている。
 「反左翼」=「保守」だとかりにすれば、西部邁は「反左翼」を批判している部分もあり(p.26など)、彼が「保守」または「反左翼」の少なくとも一部に対して懐疑的であることも分かる。
 同じ思考は、西部邁らの(西部邁と佐伯啓思を「顧問」とする)表現者という雑誌についても向けられてよいだろう。この雑誌に執筆している者たちは「保守」なのか?、「自称保守」にすぎないのではないか?、という疑問をもっても、その思考方法自体については、西部邁も反対できないだろう。
 この雑誌・上掲号の冒頭近くの三浦小太郎の「保守人権派宣言」と題する連載ものらしい二頁の文章の最後は、ソルジェニーツィンが「資本主義も共産主義も同根の…危険性を持っていたことを見抜いていた」ことを肯定的に評価しているようで、ソルジェニーツィンの地点まで「思想的に深め」られれば、「現代日本への根源的な批判となりうるはずだ」という(p.15)。
 趣旨は分からなくはないが、しかし、「資本主義も共産主義も」という両者の同列視・同質視ははたして「保守」派の思想なのか、という疑問も生じる。反共産主義・反コミュニズムこそが(コミュニズム誕生以降の)<保守>思想の中核だと私は理解しているからだ。

 むろん<保守>はいろいろに定義または理解できるのだが、この西部邁グループのいう「保守」がいかなる意味で使われているのかは、参加者において一致しているとは思えないし、雑誌自体がきちんとした定義をしているとも思えない。「保守」、「保守」とこの概念を多用する前に、この雑誌は一度、現在の日本における「保守」派ないし「保守」思想とは何かについての詳細な座談会を組んでみたらどうか。

 なお、今年6月にこの欄に、「西部邁・中島岳志ら『表現者』グループは『保守』か?」と題する文章を私は書いている。

 二 すでに感じていた疑問または関心からも興味を惹くのは、とくに、中島岳志の「橋下徹大阪府知事こそ保守派の敵である」と題する文章だ(p.114-120)。

 中島岳志はこの文章では自らを「保守派」と明確に位置づけている(p.114)。ここですでに、中島は別のところでは(朝日新聞では)自らを(じつに奇妙な形容の)「保守リベラルの立場」と書いたのではないか、「保守派」と「保守リベラル」は同じなのか、と突っ込みたくなる。
 上はさておき、この文章はタイトル通り、橋下徹に対する「保守」派(自称)からの批判であり、「保守派」は橋下徹を支持してはならない、という警告?になっている。
 しかし、賛同することはできない。いくつかの論理の飛躍、都合のよいように(批判しやすいように)対象を歪曲しての批判、が見られる。
 詳しくは述べない(長くなりすぎる)。だが、橋下は「保守的どころか、反保守的と言わざるを得ない側面がほとんどである」という結論(p.114)には十分な説得力がない。
 中島によると、橋下は伝統・慣習よりも「法というルール」を「絶対視する傾向」がある(p.15)、橋下にとっては道徳・倫理ではなく「明文化されたルール」等に価値がある(p.117)。
 また、中島は、「大阪市の解体」を「一気に進める」べきとの橋下の主張は「ラディカリズム」あるいは「急進的な設計主義と伝統的価値観の否定」だとする。橋下の「ラディカルな改革熱」とともに、かかる「ラディカルな合理主義」に対して、「保守思想」は「懐疑的立場」をとるのだそうだ(p.118)。したがってまた、中島は「中央政治をぶっ壊す」との橋下のブレインとされる上山信一の文章にも噛みついている(p.119-)。
 中島のような断定的結論を導くには、中島が例として挙げる橋下徹の文章・発言は少なすぎる。それらは中島岳志のようには解釈できない可能性は残る。また。中島は自己が想定する「保守」思想とは矛盾するまたは対立する「反保守」の思想をあらかじめ想定して、その中に橋下の文章・発言を(慎重さの必要に配慮することなく)位置づけている可能性が高い。
 また、橋下の文章・発言等はむろん何らかの事案・問題との関係性を持っているので、単純に、中島の言うような、<伝統・慣習>か<法的ルール>か、(漸進的な改革ではない)<ラディカルな(急進的な)改革>の是非、といった一般論でその是非を判断することはできないように思われる。

 橋下が言っているわけではないが、<今こそ憲法改正を>とか<今こそ日本も核武装を>という主張は「急進的な変化」を追求するもので、「保守」思想から外れるものなのだろうか(かかる主張自体の現実的当否をここで述べているのではない)。
 あるいはまた、<戦後体制・戦後民主主義>からの脱却にはかなり思い切った覚悟と勇気が必要であって、ある意味ではラディカルな=急進的な主張や実践的運動にならざるをえないところがあるように思えるが、中島はそのような「ラディカルさ」をいっさいの場合について非難するつもりなのだろうか。
 中島は<大阪市の一気な解体>という主張のラディカルさを批判しているが、問題はそこにあるのではなく、「大阪市の解体」という主張の当否にあるはずだ。しかも、そもそもが、現行法制上(中島は「法」がお嫌いのようだが)、大阪市を簡単に(一気に)解体することなど不可能なのだ。横浜市、名古屋市らとまったく無関係に、大阪市だけの解体などがありうるはずがない。
 中島は最後の方であらためて、橋下徹を「大阪市を解体し、国家まで解体しようとする」「自称改革派」と性格づけ、「保守が支持してよいのでしょうか」と警告?している。
 「大阪市の解体」については上でも言及したが、中島は、その議論に対する詳しい反論(大阪市存続論)を叙述しているわけでもない。
 「国家まで解体しようとする」となるとますます怪しい。
 この部分に対応するのは、上山信一の「中央政府をぶっ壊す」との表現だろうと思われる。だが、後者の「ぶっ壊す」は「廃棄」=<消滅させること>ではなく現状を大きく変える程度の意味だろう。また、そもそも、「中央政府」と「国家」は同じ意味ではない。
 しかるに、中島岳志の頭の中では、上の表現が<国家の解体>を意味するものと読み替えられているのだ。
 これはフェアな批判ではなく、自己の主張に都合のよいように対象を変化させたうえでの<卑劣な>方法による批判にすぎない。そして、中島岳志という人物の頭の<幼稚さ>を示してもいるだろう。
 ところで、注目されてよいのは、橋下徹が大阪府知事を辞任して大阪市長選挙に立候補するという時期に、中島岳志は上の文章を公にしている、ということだ。
 前回に書いたように、この中島岳志という人物は、香山リカらととともに、大阪で<反ハシズム>集会に参加して喋っている。
 ひょっとすれば、この集会は、大阪府の(橋下らの会派が提案した)職員・教育に関する条例を批判するための集会だった(橋下徹を一般に批判したわけではない)と釈明?するかもしれないが、10月下旬という時期に橋下徹を批判することが、対立候補となることが想定された(そして現実にもそうなった)民主党・平松某を助けることとなる政治的機能を果たすことは容易に考えられえたはずだった。
 そして、今回とり挙げている雑誌・表現者において、たんに特定の条例に対する批判ではなく、一般的な橋下徹批判を中島は展開しているわけだ。
 従って、たんなる反橋下集会への参加・発言を捉えてではなく、一般的に、以下のように言うことができる。
 中島は橋下徹を「反保守」として批判・罵倒するが、では民主党・平松某をいったいどのように評価しているのか??
 選挙・投票を前にした時期に一方だけを批判することは、そうではない片方を支持・擁護し、その片方の当選・勝利へと導こうとする意図を持っているとしか考えられない。
 なぜ、中島岳志の文章には、「民主党」もその擁立する「対立候補(平松某)」もひとことも出てこないのか。
 結局のところ、橋下徹を批判することによって、少なくとも客観的な機能としては、民主党・平松某を支持していることにしかならないと思われる。しかして、現時点において、相対的には民主党・平松を擁護することになる文章を公にするような人物はまっとうな「保守派」なのか??
 橋下徹を批判することが結果として(少なくとも大阪の、そしてひいては国政上の)民主党を「持ち上げる」関係になることは明らかだ。
 中島岳志は実質的には、大阪の選挙における民主党支持を表明していることは明らかだ。少なくとも大阪市長選挙においては、民主党・平松某と橋下徹(大阪維新の会)が対抗しているのであり、橋下徹よりも「保守」的な候補はいない。
 もう一度言っておこう。かかる構図の中で、民主党の候補を支持することとなる文章を書く者は「保守」なのか??
 三 中島岳志という人物を「飼っている」表現者グループないし西部邁グループの「いかがわしさ」は、表現者39号でも明らかになった、と思われる。
 寺脇研もこのグループの一人らしく、かつ大阪で橋下徹の教育・教員政策を批判していること、中島岳志は「ラディカル」な改革とともに、野田佳彦首相が唱えているらしき「中庸」もまた批判していること(p.148-)との関係の曖昧さ・不思議さ、についても気にかかるが、さしあたり省略する。

1048/「保守」派の言論活動の意味?

 〇中西輝政は、<教育・マスコミ・論壇>という「日本左派」の「鉄の三角地帯」について語っている(同・強い日本をめざす道p.173(PHP、2011))。
 この教育・マスコミ・論壇という<三角地帯>のいずれにおいても、「左翼」が強固であり、「保守」は敗北している旨を語っている。
 おそらくそのとおりで、「保守」派を自認する者は、まずは上の事実のしっかりとした自覚をする必要があるだろう。中西の表現によると、「日本の保守は、自分たちが敗者であることを『徹底的に』認め…」なければならない(同上p.173-4)。
 「左翼」の中にもいるが、「保守」の中にも、(保守の場合は保守的な)マスコミ・論壇の中である程度の位置を占め、ある程度の「名声?」を獲得し、あるいは「そこそこに」経済的利益を得て、それでとりあえず満足してしまっている者も少なくないのではあるまいか。
 現状をいかほどに深刻に憂えて言論活動を行っているのだろうか。高年齢の人もいるのだが、晩年の「名前?」の維持、小遣い稼ぎの程度の感覚で文章を執筆している者もいるのではないか(ちなみに、産経新聞の「正論」欄は、執筆者の平均年齢が高すぎる)。
 「保守」派とされる産経新聞だが、そしてそれだけで朝日新聞や毎日新聞よりはマシなのだが、しかし、産経新聞社も企業体として利潤を得る必要がある。そこから、「そこそこに」利益を上げればいい、勝利・敗北などは直接の関係がない、世の中がどうなろうが「そこそこに」売れて、儲かればよい、という感覚が、論説委員・編集者や記者たちに生じてはいないだろうか。
 〇中西輝政は、「正直いって個人的には耐え難いほどの無力感を感じている」と書いてもいる(同上p.4)。これは正直で率直な感覚だと思う。
 一方で中西は、「個人的な感慨を乗り越えて、人々の奮起を促すことも、…大切な責務だと自らに言い聞かせている」とも書く(同)。
 この後者は考えさせるところがある。つまり、<政治的>要素を含む言論活動とは、いったいいかなる種類・性格の営為なのか、ということを考えさせる。
 中西輝政は「個人的な感慨を乗り越えて」と書くが、後者の意味するところは、個人的には感じる客観的な想定・予測よりも、読者の「奮起を促す」ための(客観性がより乏しい)「煽動」文書を書く必要もある、ということではないか。是非・善悪を問題にしているのではなく、むしろそのような言論活動も当然にありうるものと承知したい。
 いろいろな論者があれこれの言論を行っているが、いったいそれはいかなる種類・性格のものなのか。
 「客観的」事実を叙述して、積極的または消極的に、あるいは期待的または警告的にコメントするなどして、自らの(実践的な)立場・見解を述べる、というのが相場だろう。こうした作業は重要ではあるが、しかし、論点によっては、あるいは媒体メディア(雑誌を含む)によっては、また言っている、という「保守」派の世界では当然視される、つまりは批判を受けずに安心しておられる、安全な作業である場合もあるだろう。
 「客観的」で詳細な事実の叙述が長くて、そのこと自体が重要な価値を持つこともあれば、執筆者の主張・見解がいま一つはっきりしない、という論考もときにはある。
 唐突にやや離れるが、「保守」派とも言われる(但し、中川八洋は厳しく論難している)福田和也の毎週または毎月の多数の連載は、いったい何を目的にしているのだろう、何を主張したいのだろう、と感じさせるところがある(一冊の本にまとめられて初めてそれが分かるのかもしれないが)。
 〇すでにいつか言及したはずだが、西尾幹二が、何かの彼の本の中で<言論の無力さ>を痛感する旨を書いていた。中西輝政の上記の本の中にも同旨は見られる。西尾幹二や中西輝政ですらそうなのだから、秋月瑛二が無力感を感じても当然だ。一銭にもならない、所詮は自己満足の作業なのだが、無償でもときに無性に(?)何か書きたくなることはあるので、この欄を閉じてしまうのはやめておこう。

1039/櫻井よしこの政治感覚は研ぎ澄まされているだろうか。

 一 月刊正論9月号(産経新聞社)の巻頭、櫻井よしこ「国家は誰のものか」(談)は主として菅直人批判に費しつつ、谷垣自民党批判と一定の議員グループへの期待をも語っている。
 7/15の民主党議員グループの行動に流れの変化を感じるとしつつ、櫻井は続ける。-「一方、不甲斐ないのは自民党現執行部」で、菅直人が延命できるのは「現在の自民党執行部の責任でも」ある。谷垣禎一を次期首相にとの世論が少ない「理由は明らか」で、「相も変わらず、元々の自民党の理念を掲げていないから」だ。「憲法改正、教育改革、国家の自立など」の点について、「民主党の菅、鳩山政権と大差のない政策しか提示し得ていない…」(p.60-61)。
 このような叙述には、首を傾げざるをえない。
 自民党(谷垣自民党でもよい)の「憲法改正、教育改革、国家の自立など」の「政策」は「民主党の菅、鳩山政権と大差のない」、という認識または評価は、いったいどこから、どのような実証的根拠をもって、出てくるのだろうか。谷垣「リベラル」自民党との距離感をずっと以前にも示していた櫻井よしこだが、櫻井もまた「相も変わらず」何らかの固定観念にとらわれてしまっているのではないか。
 自民党のしていることを無条件に擁護するわけではないが、親中・「左翼」の「菅、鳩山政権と大差のない」などと論評されたのでは(しかも上記のような基本的論点について)、さすがの自民党「現執行部」も文句の一つでも櫻井に言いたくなるだろう。
 この冷たい?自民党に対する態度は、2009年総選挙の前後にも櫻井よしこに見られたところだった。
 櫻井よしこが上の部分の後に書いているところによれば、彼女が期待するのは「谷垣自民党」ではなく、6/07に初会合があった憲法96条改正議員連盟に賛同しているような、「既成政党の枠を超えた」議員グループのようだ。
 櫻井よしこは、この議員連盟こそが「真に日本再生に向けた地殻変動の起爆剤になる」ことを期待し、「彼らの議論から党を超えた連帯意識が生まれ、真の意味で政界再編の機運が高まる」ことを願っている。その際、「民主党、自民党、そのほかどの政党に身を置」いていようと関係がない(p.61)。
 櫻井よしこが現自民党に対して<冷たい>のはこういう代替的選択肢を自らのうちに用意しているからだろう。
 しかし、思うのだが、かかる期待や願望を全面的に批判する気はないが、櫻井は見方が少し甘いのではないだろうか。
 2009年の時点でも、明言はなかったようでもあるが、自民党よりも<真の保守>に近いと感じていたのだろう、櫻井よしこには自民党ではなく「たちあがれ日本」や「創新党」に期待するような口吻があった。しかして、その結果はいったいどうだったのか?。
 反復にもなるが、当時に自民党への積極的な支持を明言しなかった保守論客は、客観的・結果的には、民主党への「政権交代」に手を貸している。現時点ではより鮮明になっただろう、民主党政権の誕生を断固として阻止すべきだったのだ。保守派は2009年に敗北したのだ。この二年前の教訓は、今年中にでも衆議院解散・総選挙がなされる可能性のある現時点で、生かされなければならないだろう。
 党派を超えた動き、それによる「真の政界再編」を夢見るのは結構だが、それらは次期総選挙までに間に合うのか??
 櫻井よしこは、とりあえずにでも現執行部の自民党を中心とした政権が成立するのがお好きではないようだ。そんな態度をとり続けていると、民主党「たらい回し」政権があと二年間も延々と(!)続いてしまうのではないか。
 二 櫻井よしこの週刊新潮8/25号の叙述の一部にも気になるところがある。
 民主党あるいは鳩山・菅政権の「政治主導」が失敗し、むしろ消極的で悪い効果をもたらしたことは、多言しないが、明らかだ、と思われる。政治主導あるいは官僚排除の姿勢によって、政治・行政運営に「行政官僚」をうまく活用することができなかったのだ。
 ところが、そういうより広い観点からではなく、櫻井よしこは「政治主導の確立と官僚主導の排除」を「公務員制度改革」の問題に矮小化し、「以前と比較にならない官僚の勝手を許す結果に陥った」と菅政権を総括している(p.139)。
 行政官僚をうまく使いこなせなかったことではなく、櫻井によると、<以前よりも官僚が強くなった(以前よりも「勝手を許」した)>のが問題だ、というのだ。
 このような事態の認識は、全体を見失っている。そして、このような認識と評価は、政官関係について「相も変わらず」屋山太郎から情報と意見を入手していることに原因があるようだ。
 「天下り禁止」の有名無実化を批判するのはとりあえず結構だが(なお、古賀利明の本にいつか言及する)、この問題に焦点を当てているようでは、議論の対象が「ちんまい」。問題把握のレベルが小さすぎ、視野狭窄があり、優先順位の序列化の誤りもある。
 すぐれた政治感覚と政治・行政実務に関するしっかりした知識をもった、信頼できる<保守>論客はいないものだろうか。憂うこと頻りだ。    

1016/西部邁・中島岳志ら「表現者」グループは「保守」か?

 ・「西部邁事務所」を「編集」者とする隔月刊・表現者(ジョルダン)の37号(2011.07)の座談会の中で、代表格かもしれない西部邁はこんなことを発言する。
 大震災数日後に日本の「自称『保守派』の中心的な機関紙」の産経新聞がトップで、米国の「トモダチ作戦」が機能し始めて「実に有り難い」と「吠えまくった」。左翼も右翼も「国家」を「丸ごと他者にあずけてしまう」(p.47)。
 調子に乗って?、あるいは追随して?富岡幸一郎は次のように語る。
 戦後憲法を作ったアメリカが「非常事態を執行する」という「第二GHQ作戦」を米軍は福島で想定していた。産経新聞の礼賛の意図は不明だが、「国家主権なき、国家意識なき、国家理性なき戦後の正体が露出した事態だ」(p.47)。
 むろん厳密に正確に全文を引用してはいないが、上のような発言からは、反米(・自立?)の気分と親米保守?の産経新聞に対する嫌悪感が明らかだ。
 そもそもが、かかる感覚は「保守」のものか。「保守」の意味に当然に関係するが、米軍の東北地域での活躍をもってその存在の重要性を認知させるための意図的な計略だ旨を強調したらしい沖縄の「左翼」マスコミと、いったいどこが違うのだろうか。
 反米・自立が「保守」の要素たりえないとは考えない。だが、優先順位というものがあるだろう。少なくとも私の理解からすれば、「保守」とは何よりも先ず<反共>でなければならない。
 佐伯啓思もそうなのだが、西部邁ら「表現者」グループには、反共産主義(反コミュニズム)・反中国(・反中国共産党)の意識、あるいはそれにもとづく発言や論考が少ないのではないか。反共よりも反米を優先させたのでは、とても「保守」とはいえないと考えられる。
 ・思い出して確認すれば実例を別の機会に示すが、「左翼」の文章の中には、本題とは離れて、末尾か「むすび」あたりで、唐突に「保守」派を批判するまたは皮肉る文章を挿入しているものがある。その場合に、石原慎太郎を右派・保守の「代表」と見なしてか、石原慎太郎の発言等をとり上げていることがある。
 似たような例が、上の表現者37号の同じ座談会の中にもある。中島岳志は、次のように発言する。
 石原慎太郎は『NOと言える日本』の中で、「日本はアメリカに対してテクノロジーにおいてはもう追い付いた、だから自信を持て」と言っている。ここに「はからずも見えて」いるのは「戦後日本の『保守派』のナショナリズム」の問題性の一つだ。「日本のナショナリズムの根拠」を「テクノロジーの優秀さ」に求めるという「トンチンカンさ」がある。一般に、「保守派」の「ナショナリズムの内実こそが問われている」(p.34)。
 「保守」にとってのナショナリズムの意味・内実を問い直すのはよいが、上の石原批判は的確なのかどうか。石原に対する親米(「アメリカニズムを疑ってなんかいない」)保守派というレッテル貼りを前提として、揚げ足取りをしているのだけではないか。
 もともと日本人の「テクノロジーの優秀さ」が日本人が古来から形成してきた知的能力の高さや精神・技術の繊細さ・適応能力等の柔軟さに由来するとすれば、それは堂々と誇りに感じればよく、それが自然だろう。中島岳志が「日本のナショナリズムの根拠」の一つを「テクノロジーの優秀さ」に求めることに違和感をもっているとすれば、この人物は日本人ではなく、日本の「保守」派でもないのではないか。
 ついでに書けば、中島岳志は、原発は「アメリカ依存の賜物」だ、そういうアメリカ依存の「戦後なるもの」を考え直す必要がある、「僕たちが本気で『近代の超克』という座談会をやってみせないといけないような思想的な環境におかれているのではないか」、とも発言する(p.48)。
 中島はいったいなぜこんなに気負っているのだろう。こんな大口を叩ける資格があると考えているとすれば、傲慢で、面白いほどに噴飯ものだ。また、ここでいう「僕たち」とは誰々のことなのだろう(この座談会出席者は他に、西部邁・佐伯啓思・原洋之介・富岡幸一郎・柴山桂太)。
 そもそも、中島岳志は自らを「保守」と位置づけているようだが、週刊金曜日という「左翼」小週刊誌の編集委員でもあり、「保守リベラル」などと称して朝日新聞にも登場している。
 また、西部邁とともに、専門的な法学者またはケルゼン研究者から見れば嗤ってしまえるようなバール判事意見書(東京裁判)に関するつまらない書物を刊行してもいる。
 中島岳志とは、客観的には、日本の「保守」陣営を攪乱させるために、「左翼」から送り込まれた人間なのではないか、という疑いを捨てきれない。こんな人物を「飼って」いる西部邁もどうかしていると思うし、何とも感じていないようでもある佐伯啓思も、どうかしているのではなかろうか。
 ・この「表現者」グループも、自主憲法の制定(現憲法九条2項の削除等)には賛成するのだろう。その意味では大切にしておくべき、せっかくの集団だが、―産経新聞を全面的に信頼しているのでは全くないものの―奇妙な、首を傾げる文章・発言も目立つ。他にもあるので、別の機会に触れる。

0994/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋・民主党大不況へのコメント2。

 中川八洋は刺激的な書物を多数刊行しているが、さすがに、全面的または基本的に支持する、とも言い難い。

 細かな紹介は省くが、中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)の、例えばp.287の安倍晋三、大前研一、江口克彦、平山郁夫、山内昌之、川勝平太、中西輝政に対する罵倒または特定の党派性の決めつけは、詳しく具体的な根拠が示されているならばともかく、私がこれらの人々を基本的に信頼しているわけでは全くないにしても、にわかには信じ難い。

 つづくp.288には、安倍晋三が「マルキスト中西輝政をブレーンにしたのは、安部の思想軸に、(無意識にであれ)マルクス主義が根強く浸透しているから」だとの叙述もあるが、これに同感できるのはきわめて少数の者に限られるのではないか。もっとも、例えば、戦後<左翼>的「個人主義」・「自由主義」等々が(渡部昇一を含む)いわゆる<保守派>の面々に「無意識にであれ」浸透していないかどうかは、つねに自省・自己批判的克服が必要かと思われるが。

 より基本的な疑問は、中川の「保守主義」観にある。中川の、反共主義(・反極左・反フェミニズム等)、共産主義と闘争することこそ「保守」だとする議論には全面的と言っていいほど賛同する。そして、この点で曖昧さや弱さが日本の現在の<保守>にあるという指摘にも共感を覚えるところがある。この点は、のちにも具体的に論及していきたい。

 しかし、中川八洋の「保守主義」は、マルクス主義が外国産の思想(・イデオロギー)であるように、「英米」のバークやハミルトン等々を範とするやはり外国産のそれをモデルとしている。それを基準として日本の「保守」を論じるまたは批判するのは、自由ではあるものの、唯一の正しいまたは適切な立脚点だとはなおも思えない。

 日本には日本的な「保守主義」があってもよいのではないか。

 中川八洋によると、「保守主義の四哲人」はコーク→ハミルトン・バーク・ハイエクだ(p.310の図)。そして、レーガンはハミルトンとバークの、サッチャーはバークとハイエクの系譜上にある(同)。また、「八名の偉大な哲人や政治家」についても語り、コーク、バーク、ハミルトン、マンネルハイム、チャーチル、昭和天皇、レーガン、サッチャーの八人を挙げる(p.351)。

 昭和天皇は別として、中川の思考・思想の淵源が外国(英米)にあることは明らかであり、なぜ<英米の保守主義>を基礎または基準にしなければならないのかはじつは(私には)よく分からない。学ぶ必要はあるのは確かだろう。だが、中川のいう<英米の保守主義>をモデルにして日本で議論すべきことの不可避性は絶対的なものなのだろうか。

 外国人の名前を挙げてそれらに依拠することなく、中川八洋自身の独自の思想・考え方を展開することで十分ではないのか。その意味では明治期以来の<西洋かぶれ>の弊は中川にもあるように感じられる。

 また、以上と無関係でないだろうが、中川八洋が「保守」はつねに(必ず)「親米」で、「反米」は「(極左・)左翼」の特性だ、と断じる(p.361-2)のも、釈然としない。「親米」の意味の理解にもよるのかもしれないが、<保守>としても(論者によっては<保守>だからこそ?)「反米」的主張をせざるをえないこともあるのではあるまいか。

 このあたりは小泉構造改革の評価にも関連して、じつは現在のいわゆる<保守派>でも曖昧なところがある。また、「反米」よりも<反共>をこそ優先させるべきことは、中川八洋の主張のとおりだが。

 以上のような疑問はあるが、しかし、日本の<保守派>とされる論客、<保守派>とされる新聞や雑誌等は、中川八洋の議論・指摘をもう少しきちんととり上げて、批判を含む議論の俎上に乗せるべきだろう。さもないと、似たようなことをステレオタイプ的に言う、あるいはこう言っておけば(閉鎖的な日本の)<保守>論壇では安心だ、との風潮が、いっそう蔓延しそうに見える(かかる雰囲気があると私には感じられる)。

 中川八洋の主張・指摘の中には貴重な「玉」も多く含まれていて、「石」ばかりではないと思われる。<保守>派だと自認する者たちは、中川八洋とも真摯に向かい合うべきだろう。

0993/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋と渡部昇一。

 敗戦・占領に伴うGHQによる日本国憲法の実質的な「押しつけ」とその憲法が今日まで一文も改正されることなく効力をもち続けていることは、日本国家と日本国民にとって屈辱的なことで、改正または実質的には新憲法の(当然に自主的な)制定は国家と国民のの基本課題とすら言えるだろう。

 だが、物事の見方は多様で、上のような見方よりもはるかに巨視的に判断している者もいる。

 中川八洋・山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像(弓立社、2008)の「まえがき/昭和天皇のご無念」がそれだ。

 中川によると、今日の日本<滅亡>の危機の元凶は昭和前期の「狂気」にあり、「GHQ七年間」の占領に原因があるのではない。それどころか、「マクロに考察すれば、GHQ占領こそ、天皇制度の温存にしろ、自由経済にしろ、政党政治の回帰にしろ、日本の国家蘇生に裨益した」。「憲法第九条など有害なものも多いが」、それは「ミクロに観察」した場合のこととされる(上掲書p.5)。

 これには驚いた。だが、なるほど中川八洋は戦争の継続と被害の増大・日本の焦土化のあとに「共産革命」がありえたと判断している、つまり「共産主義者」たちは日本の徹底的な破壊のあとの「革命」=<社会主義日本>の樹立を狙っていたと理解しているので、それに比べれば、昭和天皇の「御聖断」による終戦と「自由主義」国・米国による実質的な単独占領は、そのような「共産革命」を防いだ、<よりまし>なことだった、と捉えられることになる。

 こういう見方は、決して荒唐無稽ではない、と思われる。たしかに種々の大きな課題・禍根をGHQ「占領」は残したが、ソ連の影響力のもとでの日本全体または日本の半分の「社会主義」国化、ソ連の「傀儡」国家化は、東欧や北朝鮮に実際に生じたように、まったくありえなかったわけではない、と考えられる。もしも、戦争がさらに継続され、ソ連が先に、あるいは米国とソ連がほぼ同時に日本国土に上陸していたならば…、戦慄する事態になっていただろう(国内にはそれに迎合し、ソ連を歓迎する「共産主義」勢力が存在した)。

 だが、中川八洋とて、「日本国憲法」が現在のままでよいとは考えていないだろう。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)の基本的なコメントの第二のマクラのつもりで書き始めたが、すでに長くなった。

 方向を転換して、上掲書にさらに言及しよう。

 中川八洋は、次のようにも書いている。日独伊三国同盟締結という「大罪」を犯した松岡洋右らまで、「軍人でもなく戦死したわけでもないのに祀る」という「前代未聞の暴挙」を靖国神社は1978年に行った(p.6)。すでに言及したが、中川八洋によれば、大東亜戦争とは日本国内の「共産主義者」たちがコミンテルンらと結びついて、日本を大崩壊させ、のちに「共産」日本を樹立するための陰謀で、「国家反逆性」(p.6)をもつ。

 いつか述べたように、道徳的な「悪」とは言えない戦争と敗戦を出発点として考えたく、あの戦争にかかる開戦・敗戦の原因等々の詳細に立ち入って<復習>しようという関心はほとんどない。

 中川八洋の主張についても、論評する資格はない。ただ、ありうる、成り立ちうる議論で、そのうち触れるだろうように、中川のいう「民族派」の中にも、戦争の過程での「共産主義」勢力の関与・策略をきちんと指摘する論者も少なくない、とは感じている。

 だが、大東亜戦争=「(日本)国家反逆」という性格づけには、上の松岡ら靖国合祀批判も含めて、「民族派」あるいは<ナショナリスト保守>の多くの論者はおそらく納得できないだろう。

 しかしながら、奇異なことに、上掲書(中川八洋・山本五十六の大罪―亡国の帝国海軍と太平洋戦争の真像)のオビ(の表紙側)には、こんな言葉が印刷されている。

 「渡部昇一、大絶賛!! 大東亜戦争の真実が、帝国海軍についての初めての解剖的研究で、これほど迫真的に暴かれたことはかつてなかった。中川八洋氏のこの衝撃の新著は、現代史の超重要文献だ!」

 何と、渡部昇一は2008年刊の上掲書にこのような称賛・推薦の言葉を寄せている。個々の論点のすべてについて賛同するという趣旨ではなくとも基本的にまたは全体としては共感するからこそ、かかる称賛・推薦の言葉を書いた(または原文・素案を承認した)ものと思われる。のちに明確に「保守」ではない「民族派」と位置づける渡部昇一の称賛・推薦を受けた中川八洋もどうかと思うが、自分の名前がいろいろな所に出ればよいとでも考えたのか、渡部昇一の感覚もまた、異様に感じられる。

 渡部昇一の近年の日本歴史の何冊かの本は読む気はないが(購入の予定もない)、日支戦争・太平洋戦争(大東亜戦争)に対する見方・歴史観は、中川八洋と渡部昇一とは、まるで違う、むしろ真逆なのではないか。前回に書いたことと併せてみても、渡部昇一というのは、どうも信頼が置けない。そもそもきちんとゲラ刷りを概読でもしてから「大絶賛!!」の文章を書いたのか?。そうではない、いいかげんな人物だと思われる。こんな「保守」派論客が代表者の一人とされているようである<日本の保守>とは、いったい何か。「生き延びられる」未来はあるのだろうか。

0988/日本の「保守」は生き延びられるか-中川八洋・民主党大不況へのコメント1。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)、中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)はいずれも読んでいる。とりわけフランス革命やルソーについては、これらの本の影響を受けているかもしれない。

 これらの本についても感じることは、中川八洋は学術的な研究論文にして詳論すればそれぞれ数十本は書けるだろう、そしてその方が読者にはより説得的によく理解できるような内容を、きわめて簡潔に一冊の本にまとめてしまっている、ということだ。この人は、海外・国内のいずれの文献についても、(外国人の著についてはおそらくは英語のまたは英訳された原書で)すさまじいスピードで読み、理解できる能力をもつ人だと思われる。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)についても、ほぼ同様のことはいえるだろう。中川八洋のすべての本を読んできているならば少しは別かもしれないが、そうでないと、簡潔に言い切られている多数のことが、ふつうの?読者には容易には理解できないように思われる。それは、むろん、すでに紹介したように、「民族派(系)」の江藤淳・渡部昇一・西尾幹二等々は「保守」ではない、控えめに言っても「真正保守」ではない、という、中川ら(?)以外の者にとっては一般的ではない、独特の?見解・立場に立っていることにもよる。

 中川の上の著は「ハイパー・インフレと大増税」という副題をもち、「大不況」というメイン・タイトルをもつことから民主党の経済・財政政策批判の本との印象も生じるが、まるで異なる。「大不況」には「カタストロフィ」というフリガナがついていることからすると、<民主党による日本大崩壊(大破綻)>というのが基本的趣旨で、同時にそのような民主党政権誕生を許した自民党や<民族系>論者を批判することを目的としているように感じられる。その意味では<「民族派」(保守)大批判>というタイトルでも決して内容と大きく矛盾していないと思われる。

 にもかかわらず、実際のタイトルになっているのは、<「民族派」(保守)大批判>では売れない、<民主党批判>本なら売れる、という出版社・編集者の判断に従っているかにも見える。

 上のことはこの本の感想の第一ではまったくないが、中川八洋とて、<出版>そして<売文>業界という世俗と完全に無縁ではいられない、ということを示してもいるだろう。

 さて、中川八洋・民主党大不況(2010)への簡単なコメントはむつかしい。ここで触れられていることは、この欄であれこれと書いてきた多くのことに、あるいはマスメディアや多数の論者が議論してきた多くのことに関係している。

 とりあえずは二点だけ述べる。

 秋月瑛二の私見あるいはこの欄の基本的立場は昨年の7月に「あらためて基本的なこと」と題して書いたとおりだ。
 以下は一部のそのままの引用。 

 ・左右の対立あるいは<左翼>と<保守>の違いは、<容共>か<反共>かにある。<容共>とは、コミュニズムを信奉するか、あるいはそれを容認して、それと闘う気概を持たないことを意味する。<容共>と対立するのがもちろん<反共>で、<保守>とは<反共主義>に立つものでなければならない。コミュニズムを容認または放置してしまうのではなく、積極的に闘う気概をもつ立場こそが<保守>だ。
 ・米国との関係で、自立を説くことは誤ってはいない。<自主>憲法の制定も急がれる。その意味では<反米>ではある。だが、現在の最大の<溝>・<矛盾>は、コミュニズム(共産主義・社会主義)と<自由主義>(・資本主義)との間にある。<反共>をきちんと前提とするあるいは優先した<反米>でなければならない。<反共>を優先すべきであり、そのためには、米国や欧州諸国のほか韓国等の<反共>(・自由主義)諸国とも<手を組む>必要がある。以上のかぎりでは、つまり<反共>の立場を貫くためには、<親米>でもなければならない。
 ・日本と日本人は<反共>のかぎりで<親米>でありつつ、欧米とは異なる日本の独自性も意識しての<反米>(反欧米、反欧米近代)でもなければならない。そのような二重の基本的課題に直面していると現代日本は理解すべきものだ。

 こうした考え方からする中川八洋著に対する第一の感想は、<反共>主義の立場であること、<保守=反共>と完璧に理解すること、が鮮明で、他の多くの<保守>派とふつうは言われている人々の論調に比べて、共感するところ大だ、ということだ。

 述べたことがあるように、佐伯啓思の本は刺激的で思考誘発的で、かつ<西欧近代>への懐疑の必要性について教えられることが多い。だが、佐伯はコミュニズム(・共産主義)との対立は終わった、<社会主義対資本主義>という議論の立て方はもはや古い、というニュアンスが強く、結果として、現実の中国・北朝鮮に対する見方が甘くなっているのではないかという疑問も生じる。上記のような<親米>でも<反米>でもあるという立場は佐伯啓思の論じ方にも影響を受けているが、<反共>と<反米>のどちらをより優先させるべきか、と二者択一を迫られた場合、やはり<反共>(現実には反中国・反北朝鮮等)を選択すべきで、そのためには米国をも利用する(その限りでは<親米>になる)必要があると考えられる。そういう根本的な発想のレベルでは、佐伯啓思にはやや物足りなさも感じている。昨秋の尖閣問題の発生以降の佐伯の産経新聞紙上の論調は何となく元気がないと感じるのは、気のせいだろうか。

 櫻井よしこ渡部昇一がとの程度マルクス(・レーニン)主義を理解しているのかはかなり疑わしい。櫻井よしこはしきりと<反中国>の主張を書いていて、そのかぎりで<反共>だと言えると反論されそうだが、しかし、そのとおりではあるとしても、桜井の文章の中には、見事に、「共産主義」や「社会主義」という言葉が欠落している。

 櫻井よしこに限らず、中国について<中華思想>の国(・地域)だとか、日本と違う<王朝交代>の国(・地域)だとか、その<民族>性自体に対する批判は多く、桜井も含めて中国の帝国主義的(?)、覇権主義的(?)、領土拡張主義的(?)軍事力増大に対する懸念・批判は多く語られてきている。だが、中国の元紙幣には現在でも毛沢東の顔が印刷されているように、中国は毛沢東が初代の指導者であった中国共産党が支配する国家であり続けている。

 そして毛沢東・中国共産党はまぎれもなく、マルクス・レーニン(・スターリン)の思想的系譜をもっていること、中国は<現存する社会主義>国家であることを決して忘れてはいけない。その領土拡張主義的政策に大昔からの<中華思想>等をもって説明するのは本質を却って没却させるおそれなきにしもあらずだ。<中国的>な発展または変容を遂げていることを否定しないが、現在の中国は基本的にはなおもマルクス・レーニン(・スターリン)主義に依拠している国家だからこそ、日本にとっても害悪となる種々の問題を生じさせているのではないか。

 このマルクス主義(・共産主義・社会主義)自体の危険性への洞察・認識が櫻井よしこらにどの程度あるのかは疑わしいと感じている。田久保忠衛についても同じ。

 述べきれないが、以上のようなかぎりで、中川八洋の<民族系>批判は当たっている、と感じられるところがある。

 くり返すが、<ナショナリズム>を、あるいは<よき日本への回帰>を主張し称揚することだけでは<保守>とはいえないだろう。ナショナリスムに対する国際主義(グローバリズム、ボーダーレスの主張)に反対するだけでは<保守>とは言えないだろう。「グローバリズム」、朝日新聞の若宮啓文の好きな「ボーダー・レス」の主張の中に、ひっそりとかつ執拗に「共産主義」思想は生きていることをこそ、しっかりと見抜く必要がある。

 <万国の労働者団結せよ!>とのマルクスらの共産党宣言の末尾は、国家・国境・国籍を超えて<万国>のプロレタリアートは団結せよ、という主張であり、脱国家・ボーダーレスの主張をマルクス主義はもともと内包している。外国人参政権付与論も、上面は美しいかもしれない<多文化(・民族)共生>論もマルクス主義の延長線上にある。

 やや離れかけたが、<反共産主義>の鮮明さ、この点に中川八洋の特徴があり、この点は多くの論者が(ミクロな論点に過度にかかわることなく)共有すべきものだ、と考える。

 といって、中川八洋の主張を全面的に納得して読んだわけでもない。別の機会に書く。

0986/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」を読む③。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋-その3、p.359~p.365-。
 ・「民族系」論者には「自由社会の存立」に必要な「反共」・「反社会主義」の知識が全く欠落している。「民族系」は南京事件・沖縄集団自決・従軍慰安婦強制連行・百人斬りなど、「左翼」の歴史捏造問題には反撃論陣を張る。これは正しいが、石井731部隊人体実験・シナでの毒ガス作戦などの他の歴史捏造には口を噤む。
 ・「民族系」には歴史の「真実」への関心がない。彼らは観客相手の「売文業者」で、観客のいない問題には関心がなく、知識もない。「観客」とは「旧軍の将兵(退役軍人)たち」だ。「民族系」論者の東京裁判批判は「意味不明な論旨」で、東京裁判史観の拡大宣伝をする日本共産党系学者の「狂説」を目に入れていない。「観客」=退役軍人たちは南京事件・従軍慰安婦等の問題は体験からすぐ分かるので、これらの捏造を糾弾すればすぐに反応がある。「民族系」論者は「花代」欲しさに、捏造歴史問題を一部に限定して声を大にしている。①ソ連軍の蛮行(満州でのレイプ・殺人・財産奪取)、②シベリア拉致日本人の悲惨さ、③南方作戦(餓死から奇跡的な一部が生還)には「何一つ語ろうとはしない」。その理由は、これらの被害はあまりに悲惨で「観客」が思い出したくない、つまり「民族系」の「金にならない」からだ。

 ・「民族系」は「保守主義者」ではなく「保守」か否かも疑問だ。「真正保守」ならば、反「極左イデオロギー」闘争を優先し、「国家の永続」を最重視する。「保守」は昭和天皇や吉田茂のように必ず「親米」だ。「反米」は「左翼」・「極左」の特性で、「日の丸」・「天皇」を戴くだけで彼らを「保守」と見なすのは不正確で「危険」だ。「真正保守」の再建には、彼等を「再教育」して「一部を選別するほかない」。

 ・「民族系」は過去20年間、「第二共産党」・民主党の政権奪取に貢献してきた。彼らは日本の国を挙げての「左傾化」を阻止しようとはせず、助長した。「民族系」は、「ソ連の脅威の一時的な凍結」を好機として、「反米→大東亜戦争美化論→東京裁判批判→A級戦犯靖国合祀の無謬」を「絶叫する狂愚」に酔い痴れてきた。「大東亜戦争美化論」は日本廃絶論・日本「亡国」待望論で、林房雄、保田與重郎・福田和也の系譜だ。
 ・民主党は「国家解体」に直結する「地方分権」、民族消滅に直結する「日本女性の売春婦化である性道徳の破壊」など、「日本滅亡の革命を嫡流的に後継する政党」だ。だが、「民族系」は、民主党が支持される「土壌づくり」に協力した。
 ・「民族系」が「正気に目覚める」のは「外国人参政権」と「夫婦別姓」の二つに限られ、これ以外では無知で無気力だ。「深刻な出生率低下をさらに低下させる法制度や日本の経済発展を阻む諸制度」に反対せず、関心もない。「財政破綻状態にも、日本人の能力の深刻な劣化問題にも」憂慮しない。「民族系」論客・団体の「知的水準」は低く、民主党批判を展開する「学的教養を完全に欠如」する。
 ・だが、「あきらめるのは、まだ早い」。「十八世紀のバークやハミルトン、二十世紀のレプケやハイエクなど、多くの碩学から」学んで、「日本国の永続」方策を探り、「悠久の日本」のための「国民の義務」に生きる道を「歩み続けるしかない」。

 以上で、終わり。

 若干のコメントは次に回したい。

0982/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」を読む②。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋-その2-。
 ・日本には「保守主義の知識人」が「ほとんど存在しない」。明治期には井上毅がおり、武士階級の子弟が「家」制度の存在とともに結果として日本を「保守主義」で導いたが、1910年以降、①「ルソー系の平等思想」と②「マルクス主義」が台頭し、1917年以降、「マルクス・レーニン主義」が燃えさかった。この火は大東亜戦争を生み、戦後日本を決定づけ、いまは日本全体に浸透し日本人を「洗脳」している。
 ・「保守」は戦後の新語で、社会党・共産党ら「革新」に対する「親米/日米同盟支持」勢力を指し、もともと「思想やイデオロギーが弱く、ほとんど無い」。英米の、バーク、ワシントン、ハミルトンらの「保守主義」は「全体主義とアナーキズムの極左思想」の排撃を目的とする「人類史に燦然と輝く最高級の知で武装された戦闘的イデオロギー」だ。

 ・「ないよりまし」だった「日本の保守」すら、1991年末のソ連崩壊によって「壊滅的に瀕死」の状態になった。「革新」に対する「保守」はもはや不要だと、自ら棄てる、「愚昧な選択」をした。私(中川八洋)はソ連崩壊により「国防の軽視ばかりか、コミュニズムが日本の隅々まで浸透し支配する」と予見したが、それは「完全な正確さで」的中した。
 ・予見した日本の「新型コミュニズム革命」は、想像をはるかに超えて大掛かりとなり、翌1992年に本格化した。「政治改革」キャンペーンは「新型共産主義革命」のための「新体制」づくりだった。「民族系論者」にも<反「政治改革」>を協力要請したが、「だれ一人として」相手にしてくれなかった。彼らは、翌年の1993年政変=細川政権誕生の意味を理解できず、「極左イデオロギー」は「変幻自在に衣装を変え色を変え信仰され続」いて「永遠に死滅しない」ことも知らない。(以上、p.351-355)

 ・1994年1月の選挙区制の改悪と同時に「極左イデオロギー一色の新型共産革命」が列島全体を覆った。1990年代半ばの「夫婦別姓」運動の盛り上がりはその一つ。1999年には、男女共同参画基本法という「伝統と慣習を破壊するマルクス・レーニン主義」そのものの「日本共産革命法」が制定された。その他、①ブルセラ/援助交際の奨励による道徳破壊、②フェミニズムやジェンダー・フリーによる日本男性の「夢遊病患者」化と日本女性の「動物」化という「人格改造革命」、③ポスト・コロニアリズムによる国家解体、等々の「大規模で組織的な」革命が日本を襲っていることを自覚する知識人は「ほとんどいなかった」。「正しい保守」は「日本から完全に消えた」。自民党の民族系国会議員は「新型共産革命」を傍観するばかりか「積極的に協力した」。日本の「民族系政治家の無教養ぶり」は「教育不可能な絶望のレベル」だ(p.356)。

 ・1960代までの日本の「保守」には吉田茂などの「保守主義」の匂いが残存した。バークやハミルトンが検閲されて「焚書」状態の中で、ベルジャーエフとクリストファ・ドウソンが「真正保守」を代用していた。
 ・「日本の保守」=「反共」人士は、1970年代に入ってから「激減」した。偶然にか、この劣化・消滅は核武装支持者の大衰退の傾向と合致する。核拡散防止条約加盟・批准(1970.02、1976.06)を境に、日本の核武装支持者は急激に下向した。上の加盟と批准の間に、1972.09の日中国交回復があった。これこそは、日本から「反共」を撲滅する「劇薬的な除染液」となった。「反・中共」路線が、「保守」であるべき自民党政権によって行われたことは、ブーメラン的に日本の「反共=真正保守」を撃破した。
 ・「反共」の文藝春秋社社長・池島信平が月刊誌・諸君!を創刊したのが「保守」衰退開始の1969年だったのは皮肉だ。諸君!は21世紀に入ると、「保守つぶし」の一翼を担った。諸君!は1990年代には「反米(隠れ親ソ)・アジア主義」の「民族系論客」や「反米一辺倒(極左)アナーキスト」を主執筆者に据えたため、「保守=民族系」との「大錯覚」が読者「保守」層に蔓延し、「保守偽装の極左=保守」という狂気の「逆立ち錯誤」すら90年代後半以降広く蔓延した。

 ・「民族系」は「反米(隠れ親ソ)・アジア主義」という「左翼思想」を基盤とするもので、「反共」の「真正保守」とは根源的に対立する。彼らは、日本国内でのコミュニズムの浸透・偽装・変身を見抜けない。たまには「左翼批判ごっこ」はするが、「左翼イデオロギー」に関する知識欠如のために「左翼運動や左翼言説」に「致命傷」を与えず、「必ず不毛に終わる」。(以上、p.357-359)
 まだ中途。余裕があれば、なお続ける。

0979/「透明な共産主義」の蔓延-中川八洋・民主党大不況(2010)による②。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)は1週間ほど前に全読了。
 第八章の自民党批判(または批判的分析)の中の同党や同党幹部の「極左」扱いにはさすがに首を傾げる。櫻井よしこの「谷垣自民党」と民主党の「同根同類」論または<同質性が高い>論をはるかに超えて、自民党を「リベラル」以上に「左翼」政党視している。だが、同質論を強調しているわけではなく、中川によると、民主党はすっぽり全体が<極左>そのものなのだろう。

 中川八洋によると、「保守主義」とは「全体主義とアナーキズムの極左思想を祖国から排除すべく、剣を抜く戦闘的イデオロギー」だ(p.308)。あるいはまた、具体的には「反マルクス・レーニン主義」・「反ルーマン(社会学)」・「反フェミニズム」・「反ポスト・モダン主義」・「反ポスト・コロニアリズム」だ(p.311)。

 中川の論調にはついて行けないところがあるとはいえ、かかる反共主義・反コミュニズムという立場の鮮明さが、中国やアメリカとの関係での<ナショナリズム>の強調をむしろ主眼としているように読めなくはない<保守派>論者たちと比較しての中川の特長だ。その点は、「共産革命の脅威は、ソ連崩壊とともに日本から消えた」(p.304)と錯覚して、その旨を主張し、誤った幻想をふり撒いているかにも見える論者たちよりも明確に支持されるべきだ。

 中川が言うように、「日本の共産革命勢力」は、ソ連崩壊の頃(1991年末)より、「言葉を変え、まとう衣装を変え、従来のマクロな革命手法を、ミクロ的作戦を多く乱立させる戦術に変えた」のだろうと思われる。中川はこれを「透明な共産主義」と称している(p.304)

 日本共産党の国会獲得議席はたしかに減少し続けている(ついでに社民党もそうだ)。しかし、そのことをもって、「左翼」は弱体化していると見るのは大間違いだ。コミュニズム、マルクス主義あるいは「左翼」は、民主党等に影響を与え、あるいは浸透しているのであり(自民党もその影響の例外ではない)、戦後日本の主流的思潮の<平和と民主主義・合理主義・進歩主義>の中で、執拗かつ強靱にコミュニズム、マルクス主義(共産主義・社会主義)イデオロギーが根を張っている、ということを知っておく必要がある。その点でも、やや大げさに感じなくはなくとも、中川八洋の指摘・主張は基本的には正当と思われ、耳を傾けるべきだ。

 中川は、1992年以降の「共産革命の戦術」を大きく四つに分け、それぞれの具体的政策も挙げている。以下のとおり(p.304-6)。これらは「日本共産党」系のものとされ、他に大きくは二つあるが、今回は省略。

 A・マルクス/エンゲルス/レーニンの家族解体を実践する革命>①夫婦別姓→民法改悪・②子育て支援→少子化対策基本法・次世代育成支援対策推進法・子ども手当の支給・保育園の聖性化など。
 B・子どもの人格を「共産主義的な人間」に改造する革命>①ジェンダー・フリー教育・②性教育。

 C・共産革命にとって最大の障害である日本の伝統と慣習を全面的に破壊する革命>①男女共同参画社会基本法・②女系天皇への皇室典範の改悪。

 D・自由社会の生命で根幹たる「法の支配」を破壊する革命>①裁判員法〔ここは①のみ〕。

 また、中川八洋は、「主要な極左イデオロギー」に次の七つがあるとし、すべてに対して思想闘争をするのが「保守主義」だとする。心ある<保守派>は、けっして次の①のみではないことをしっかりと意識しておく必要がある、と考えられる。なお、→は分化または派生関係を示している。

 ①マルクス・レーニン主義→②ラディカル・フェミニズム、①→③性差破壊のフェミニズム、①→④フランクフルト学派社会学+知識社会学+ルーマン、①→⑤ポスト・モダン思想、⑤→⑥生殖放棄のセックス・サイボーグ化フェミニズム、⑤→⑦ポスト・コロニアリズム
 別の機会に、あらためて、このあたりについては紹介・言及する。
 不思議に思うのは、中川八洋が自らを「たった一人の(日本人)保守主義者」と理解している(p.351~)ことの当否は別としても、産経新聞や月刊正論、月刊WiLL等々の書評欄または新刊書紹介欄等で、中川八洋の本はほとんど無視されているように思われることだ。かりに中川八洋に論考執筆を求めることはしなくとも、この人の本(他にもある)を紹介し、書評くらいしたらどうなのか。

 なるほど、産経新聞やワックの基本的な論調とは異なるところはあるのだろう。しかし、産経新聞的(?)保守、あるいは中川のいう「民族系」論者に対する中川の批判を無視することなく、疑問だと思えばきちんと反論したらどうなのだろうか。

 中川の本からは、間接的に<保守>論壇の奇妙なところも感じさせられる。<保守>論壇が、そこそこの収益をもたらす、自己満足の<売文業界>に堕してはならないだろう。

0967/<偏っている>と言う一般新聞・一般テレビだけを見聞きしている<バカ>。

 一般新聞(全国紙)とテレビの報道(ワイドショーも含む)だけでを見聞きして世の中が解ると(ほぼ正しく認識できると)勘違いしている日本人は多すぎるのではないか。全国紙ではなく、各県紙といわれる新聞を含めてもよい。その読んでいる新聞が朝日新聞だったり、特定の「傾向」を持った地方紙であれば、「ほぼ正しく」どころか、<歪んで>日本と世界の動向を「理解」してしまうだろう(以下、とりあえず現在に限るが、<歴史認識>についてもまったく同じ)。

 上のことはもはや常識的で、何らかの雑誌・専門誌紙やネット情報を加味しないと、もはや「世の中を解る」ことはできなくなっている。一般新聞(全国紙)とテレビの報道(ワイドショーも含む)だけでも誤った「理解」をもってしまう(一定の認識へと誘導される)可能性が大なので、そのかぎりですでにマイナスだが、読んでいるのが朝日新聞だったり、ましてや日本共産党・社民党の機関紙・新聞や両党系の雑誌・冊子類だったら絶望的で、決定的で大きなマイナスになる。
 かかる大きなマイナスを受けるよりは、きちんと一般新聞を読まずほとんどテレビの報道を観ない日本人の方が、むしろ素朴でかつ本能的に適切な感覚を、日本の政治・社会の動向について抱くのではないか。

 さて、一般新聞(全国紙または地方紙)とワイドショーも含むテレビの報道だけを見聞きして世の中を理解したつもりになっている者が、この欄で書いているような内容を見聞きすると、<偏っている>と感じるらしい。

 今日の日本の一般新聞(全国紙または地方紙)とテレビの報道(ワイドショーも含む)の影響力は怖ろしいほどだ。ほとんど努力することなく一般新聞・テレビからだけ情報を入手し、専門書も論壇誌等々も読まない人々は、何となく<身につけさせられた>意識・認識が日本の中正または中庸あたりの理解・認識だと勘違いしてしまうから、じつは少なからず存在するが一般新聞のほとんどやテレビのほとんどでは表に出てきていない意見・理解・認識を示されると、違和感をもち、<偏っている>と感じてしまうのだ。

 率直にいって、一般新聞(全国紙または地方紙)とワイドショーも含むテレビの報道からしか日本・世界の情報を入手しない者は<バカ>になっているのだが、その人たちはそのことに気づいていない。<バカ>ならまだよいのかもしれないが、NHKの一部番組も朝日新聞等々も特定の傾向をもつから、<アブナい>人間になってしまっている可能性もある。

 そうなるよりは、上記のように、一般新聞(全国紙または地方紙)やワイドショーも含むテレビの報道をろくに見聴きしない方がまだましだ。

 この欄の閲覧者の大部分にとっては、全く余計なことを書いたかもしれない。

 但し、例えば<保守>論壇の中にいて、身近に<保守>的な人々ばかりがいて、日常的に<保守>的会話を交わしているような人々は、<保守>は決して多数派ではないこと、日本人の多くは一般新聞(全国紙または地方紙)やワイドショーも含むテレビの報道だけを見聞きして、一昨年8月末には多くが民主党に投票したり、昨年参院選の東京選挙区では唖然とするような票数を民主党・蓮舫に投じたりするのであることを、しかと認識しておく必要があるだろう。

 仲間うちだけの議論で満足してはいけない。「左翼」政権のもとにあること、自分たちは<少数派>であることを、本当は悲痛な思いでつねに自覚しておくべきだ。

0959/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章を読む③。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」-メモ③

 ・保守の精神とは何か。「保守の思想」は、英国の歴史や思想風土と「深く結びついて」いる。エドマンド・バークが抽出した英国の「国民性に根付いた歴史的精神もしくは暗黙の合意」を表現したもの。もともとはバークによるフランス革命への強い警戒心から発し、「保守」はまず「進歩主義」批判を意図する。「近代」社会は「進歩」を掲げるが、「近代主義とはほとんど進歩主義と同義」だ。とすると、「保守」は時代の「先を読む」・「潮流に乗る」等の甘言に飛びついてはならず、「徹底して反時代的」である必要がある(p.184-5)。
 ・「進歩主義(近代主義)の精神」として次の4つは無視できない。①合理主義・科学主義・技術主義の精神、②抽象的・普遍的理念の愛好、③自由・平等な個人の無条件の想定、④「急激な社会変化への期待」。

 ・「保守の精神」は、上との対比でこうなる。①「理性万能主義への強い懐疑」と「歴史的知恵」の重視、②「具体的で歴史的に生成したものへの愛好」、③「個人」よりも「個人を結び付ける多様なレベルの社会的共同体の重視」、④「急激な社会変化を避け、漸進的改革をよわしとする精神」と「大衆的なもの」への懐疑。「大衆的なもの」とは「無責任で情緒的な行動」で「ムードによって相互に同調的で画一的」になり「自らを主役であると見なす自己中心主義的な心情」。この「大衆的なもの」による「急激な社会変革」を「保守」は「ことさら警戒する」(p.185-7)。

 ・四つの各特質の第一点について。親社会主義=「革新」、親「アメリカ的」「自由民主主義・市場経済」=「保守」とされた。これは、アメリカに比べてソ連社会主義は「左」だったので「冷戦時代」には「一定の政治的有効性」があった。しかし、「冷戦以降」は異なる。

 ・「いくつかの例外を除いて、基本的に社会主義は崩壊したし、もはやイデオロギー的力はもっていない」。今日の最も「進歩主義的国家」はアメリカだ。「保守の精神」からは、アメリカ流「進歩主義」こそが最も警戒すべきものだ(p.187-8)。

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 このあたりから佐伯啓思らしさが出てくるともいえるが、コメント・感想を挟む。上の部分のうち、前半には賛同できない。
 「いくつかの例外」として何を意味させているのかは正確には分からないが、まだ<冷戦>は終わっておらず、「基本的に社会主義は崩壊したし、もはやイデオロギー的力はもっていない」と論定することはできない、と考える。

 中国(シナ)や北朝鮮を日本にとっての「例外」などと評価することはできない。そしてまた、中国・北朝鮮等という「社会主義」国家が近隣に現存するとともに、「社会主義」イデオロギーは日本国内においてすらなお強く現存している。
 現菅直人政権のかなりの閣僚は、「社会主義」イデオロギーの影響を受けていると想定される。少なくとも「社会主義幻想」を持ったことのある者たちがいる。だからこそ、民主党政権を「左翼・売国政権」(鳩山)とか「本格的左翼政権」(菅)と称してきた。

 他にも、日本共産党はもちろん社会民主党も、れっきとした、「社会主義」の「イデオロギー的力」の影響を受けている政党だ。

 さらにいえば、岩波書店、朝日新聞等、出版社やマスメディアの中には、「社会主義」の「イデオロギー的力」の影響の強い、「左翼」または親「社会主義」的と称してよい有力な部分が巣くっている。

 この論考だけではないが、佐伯啓思はなぜ、「左翼」または親「社会主義」勢力の現存・残存についての認識が<甘い>のだろう。職場・同僚・学界に、「左翼」(例えば親日本共産党学者と評せる者)はいないのだろうか。信じ難いことだ。

 脇道にそれたが、再び佐伯論考に戻ってつづける。

--------  ・「保守の精神」が「冷戦以降」の今日の「もっとも警戒すべき」は「アメリカ流」「進歩主義」だが、「強くて自由な個人、民主主義、個人の能力主義と競争原理などの価値」という「アメリカ建国の精神」へと「復帰する」ことはアメリカでは「保守主義」だ。だが、これは「イギリス流の保守主義」とはかなり異なる。アメリカ独立・建国はイギリスからの分離独立・イギリスに対しての「自由な革新的運動」だったので、建国の精神に立ち戻るという「アメリカ流保守主義」は「いささか倒錯的なことに」すでに「進歩主義」で刻印されている。この「倒錯」は、「ネオコン」=「新保守主義」が、「自由」・「平等」を普遍的価値とみなして「イラク戦争や対テロ戦争」を立案したとされることに、典型的に示されている(p.188-9)。
 ・「戦後日本」はアメリカ的価値観の圧倒的影響下にあったため、「アメリカ流保守主義」を「保守」と見なした。しかも冷戦下でアメリカ側につくことが「保守」の役割とされた。イギリス的「保守」とアメリカ的それとの区別が、決定的に重要なのに、看過された(p.189)。
 ・「日本とは何か」を問題にする際、「日本の保守」を「アメリカ流保守主義」と「自己同一化」してはならない。日本の「国体」はアメリカのそれと大きく異なり、むしろイギリスの方に近い。いずれにせよ、日本の「保守」にとって、「日本の歴史的伝統を踏まえた価値とは何か」という問いが決定的に重要だ(p.190)。
 ・いっとき勝利したかに見えた「保守」は今や退潮している。「この二〇年」で「保守」は「失敗した」。その原因は、日本の「保守派」が「保守」を「アメリカ流保守主義」によって理解していたからだ。日本は、①「経済構造改革」路線の選択、②外交・軍事上の「日米同盟」という、「二重の意味で、かつてなくアメリカと緊密な関係に立つという判断をした」(p.190-1)。
 ・かかる政策の当否を論じはしない。「保守」の立場からは何を意味するのかを明らかにしたい。ここでは以下、「日米同盟」につき論じる(p.191)。

 以上で、13/26頁。

0958/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章を読む②。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」-メモ②

 ・「保守」の立場の困難さの第二は、日本の「近代化」が一方で伝統的日本(と見られるもの)への回帰、他方では「西欧列強の制度や価値」の導入、によって遂行されたことだ。近代化は「外発的」で、「憧憬することで近代化を遂げた」。この事情は戦後はさらに「緊張感を欠いた漫然たる」ものになり、ほとんど「無自覚、無反省」のままで「アメリカ的なもの」への「傾斜、追従」がなされた(p.181)。

 ・決してアメリカ化などしていないとの反論はありうるが、「戦後日本人が、ほとんど無意識のうちにではあれ、『アメリカ的なもの』、すなわち、個人的自由、民主主義、物的豊かさと経済成長、人権思想、市場経済、合理的で科学的・技術的な思考、市民社会などに寄りかかった」のは間違いない。他方で、これらと対立するとされた「日本的なもの」、たとえば「家族的紐帯、地域共同体、社会を構成する権威、そして、日本的自然観、美意識、仏教的・儒教的・神道的なものを背景にした宗教意識」は、すべて否定的に理解された。ここに「戦後日本における大きな精神的空洞が出来した」(p.182)。

 ・「保守」が「その国の歴史的分脈や文化的価値をとりわけ重視する」ものだとすれば、上の事態は「由々しき」ものだ。「倒錯した価値をしごく当然のごとく受け入れてきた戦後日本という空間には、公式的にいえば、『保守』の居場所はない」。「日のあたる場所」は「アメリカ的」「戦後思想」が占拠したのだから。したがって、「保守」は、「戦後日本が公式的に重要な価値とみなしているものをまず疑うところから始めなければならない」(p.182)。

 ・「軍事力」のない「戦前に戻ればよい」という単純な話ではなく「日本の近代化」自体が孕む問題だが、「戦後」に限っても、「戦後日本の…ありように、根源的な違和感をもつ」、この前提がないと「『保守』という精神的態度は成立しえない」。したがって、「少なくとも戦後憲法の精神は保持したままで『保守の原点に戻る』などと言っても意味はない」。「戻るべき原点」とは何かも問題だ。

 ・しかし、「戦後」への「大きな違和感」をもつと同時に、「どうあがき悶えても」、「戦後日本」に生きてきているのであり、戦後憲法と下位法体系のもとで「生活を守られ、言論活動をしている」のも事実で、「今日、われわれは決して『戦後日本』の外へ出ることはできない」(p.182-3)。
 ・典型的「進歩主義」に覆われた「戦後日本の公式的価値空間」で「保守」を唱えること自体が「矛盾をはらんでいるのではないか」との疑問すら生じる。「実際その通り」なのだ。「保守」自体の矛盾に自称「保守主義者」たちは「どこまで自覚的」なのだろうか。まずは、「自らの置かれた立場についての引き裂かれた自覚」があるべきだ。この自覚がないと、戦後日本の「大方の」「保守主義者」のように、「社会主義に反対して日米同盟を守ることが保守の役割」だといった「倒錯した保守の論理」が出現する(p.183-4)。

 ・「戦後体制」、つまり「平和憲法と日米安保体制」という構造の中で生き、身を守られているとすれば、「日米同盟」を破棄できない。この状況自体が、「日本を日本でなくする危険に満ちている」。そのこともまた「今受け入れるほか」はない。とすれば、「この種の苦渋に満ちた矛盾と亀裂の只中にいるという自覚」だけが「保守」に「道を開く」のであり、この点に無頓着な「保守」は、「親米であれ、反米であれ、『真の保守』たりえない」と思われる(p.184)。

 以上で2回め、終わり。まだ7/26頁。

0957/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」。

 一 佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版、2010.08)の第9章「今、保守は何を考えるべきなのか」は、月刊正論2010年6月号(産経新聞社)の「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」に「多少の加筆修正」をしたもの。

 月刊正論の原論考ついては、この欄の5/07、5/17、5/18の三回ですでに紹介・言及している。不十分なコメントしかできていないが、単行本の一部となって読み直しても、<保守派>志向の者にとって、無視できない、重要な論点・問題を提起しているようだ。

 日本の「国民精神」は「西欧的なもの」と「日本的なもの」の間の、「もはや深刻なディレンマとして受け止めることができなくなってしまった」ディレンマとして表象されてきた。この「葛藤を引きうけること」によるしか「精神の活力もバランスもえることはできない」ので、「保守の立場とは、まずはこのディレンマを自覚的に引き受けるということから始めるほかない」(p.202-3)。

 日本の保守派(志向者)ははたして、「このディレンマを自覚的に引き受けるということから始める」ことをしているのだろうか? そしてまた、なぜ、この佐伯啓思論考を手がかりにしたような議論や論争が<保守論壇>で起きないのか?

 二 あらためて、この論考を最初から、メモをしながら読み直す。なお、今年2010年の4月頃に初出論文は執筆されたと見られることは留意されてよいかもしれない(まだ鳩山由紀夫首相で、まだ2010参院選民主党敗北も明らかでなかった。むろん尖閣問題も起きていない)。

 ・鳩山政権の支持率は下がっているが、自民党への期待が高まってもいない。その理由は「この政党の依って立つ軸のありかが全くもって不明な点」にある。但し、民主党も「同じ」で、「経済政策や外交政策の基本的な立場が見えない」(p.178)。

 ・民主党=リベラル、自民党=保守との図式ぱありうるが、「リベラル」・「保守」の意味自体が明快ではない。福祉重視=リベラル、市場競争重視=保守という「何とも大ざっぱで、しかも誤った通念」が流通した。これによると、「構造改革」をした自民党は保守、民主党は「その反動でリベラル」ということになる。だが、「構造改革」という「急進的改革」者を保守と称するのは奇妙で、それに「抑制をかける」ものこそを「保守」というべきだ。また、「過度にならない福祉」は「保守」の理念に含まれているはずだ(p.179-180)。

 ・下野した自民党の一部で「保守の原点」、「保守の再定義」、「真正の保守」等が語られているのは結構なことだ。では、「保守の原点に立ち戻る」とはどういうことなのか?(p.180)

 ・「保守」の立場の困難さの一つは、「改革」・「チェインジ」の風潮と現実のもとにあることだ。だが、現在の「変化が望ましい方向のものだという理由はどこにもない」。「変化」の意味を見極め、「変転著しい」「変化」に「振り回されない軸を設定する」ことこそが今日の政治の課題=「保守」という立場、だ(p.180-1)。

 とりあえず、以上(つづく)。

0944/「戦後」とは何か⑤-佐伯啓思・日本という「価値」(2010)より。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010.08、NTT出版)という「論文集」(p.309)は三部で構成されているが、あえて言えば第一部は経済、第二部は政治、第三部は思想をテーマとするものを収載している。タイトルに示された「日本という『価値』」は価値を失い、または価値追求を失った日本人に何がしかの(日本としての、日本に特有の)「価値」発見・追求を求める趣旨なのだろうが、基本的趣旨は理解できるとしても、その「価値」の具体的内容は、残念ながら明瞭ではない。
 重要と思われる論考の一つは第8章「保守政治の崩壊から再生へ」。これは、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(2010、ジョルダン)の中の独立の論考で2010年3月初出。自民党と民主党に言及しつつ、「戦後日本的なもの」を論じている。以下の頁数は冒頭に掲記の単独著。

 佐伯啓思によると、自民党とは何だったかを問うことは「戦後日本」を振り返ることでもあり、「戦後日本的なもの」は、「顕教としての普遍的価値」と「密教としての日本的習慣」の結合または「二重構造」だった(p.164)。じつに(?)大胆な主張または仮説だ。

 「顕教としての普遍的価値」とは、「誤った」戦前から「正しい」日本を再生させるとされた諸理念で、以下のものがとくに列記される-「個人の自由、民主主義、合理主義、科学や技術の尊重、平和主義、人権尊重、国際主義(国連中心主義)」。これらを「普遍的正義」としての<近代国家>の実現が戦後の「公式的価値」となった、戦後憲法は「この理想を表明」するものだった。

 「密教としての日本的習慣」とは、かの戦争にかかる「一方的な日本断罪(たとえば東京裁判)への不満、日本的な宗教精神(儒教的・仏教的・神道的・古代的自然観など)を基盤にした日本的価値観への愛好、社会の中に根付いた習慣や習俗、地域に残る共同体的なもの、家族や親子、あるいは教師と学生、上司と部下などの人間関係についての『日本的』観念」といったものを指す。

 上の後者は合理的・科学的では必ずしもないために「戦後的価値」(公式的価値)とは「表面上は齟齬」をきたし、顕教の「近代主義」から見れば「前近代的」で、ときに「封建的」とされる。しかし、「人間関係を差配」する「非合理的な慣行」・ルールという「目に見えない文化」を捨て去ることはできず、「声高に公式的に」表現されなくとも「非公式の価値」となってきた(p.164-5)。

 この「二重性」が戦後日本を特徴づけた。かつ、両者は「容易に調停」しがたく、差異を意識すれば「亀裂」は大きくなる。「日本人の自己像は分裂してゆく」。

 そこで、戦後日本人は「あえて思考停止を選んだ」。表面的には「近代主義的」「普遍的価値」を称揚し、表面下では「日本的慣行」に従って行動した。言説空間では「近代主義者」として、具体的生活空間では「前近代的」日本人として振る舞った。

 かかる「戦後日本の二重性を見事に表現した政治政党」、「この二重性を利用しつつ巧みに覆い隠した」政党が、自民党だった。日本人自身が「二重構造がもたらす自己分裂もしくは自己喪失を直視したくなかった」のであり、自民党は、「面倒なことから目をそらしたい」という「戦後日本人の心理に巧みに寄り添った」(p.166)。

 <戦後>とは何だったかを考えるためにも、きわめて興味深い叙述ではないか。上のいわばテーゼ的なものは、自民党のみならず、「吉田ドクトリン」や民主党政権の誕生にも関連させられる。次回に続ける。

0929/産経11/03社説(主張)の「能天気」ぶり。

 産経新聞11/03の社説(「主張」)「憲法公布64年/国家の不備を正す時だ/尖閣を守る領域警備規定を」は、おわりの直前まではまともな指摘・叙述をしているようだ。

 しかし、最後の段落の「審査会の早期始動を」の部分は、寝言に等しい。

 憲法改正の必要性を前提としてだろう、「参院の民主、自民両党幹部の協議で、委員数など審査会の運営ルールとなる『規程』の制定に民主党が応じる考えを示した」ことをもって「注目すべき動き」と捉え、両院での議論の活性化につなげるべきだとし、「日本の守りの不備をどう是正するかなどを、審査会で論議すべきだ。……/民主党は党の憲法調査会ポストを空席にしたままだ。政権与党として、憲法改正への主体的な取り組みを求めたい」と結んでいる。

 なるほど民主党が憲法改正手続法により設置されたはずの憲法審査会の動きを前進させるようであるらしい(参院の審査会「規程」の制定に「応じる」らしい)ことは、好ましい変化なのかもしれない。

 だが、現在の国会の議席状況から見て、かりに万が一両院で憲法審査会での「議論」が始まったとしても、まともな憲法改正の方向に結実しないことは、ほぼ明らかではないのだろうか。

 民主党に「政権与党として、憲法改正への主体的な取り組みを求めたい」と産経社説は書くが、厳密にいえば、ともかくもいかなる内容であれ憲法が改正されればよい、というものではないことは自明のことだろう。かりに万が一、政権与党が憲法改正に積極的になったとして、民主党と同様の見解の政党とともに出した結論が、現9条2項の削除ではなく、第一章・天皇条項の削除であったとしたら、社説子は歓迎するのか?

 現在の民主党政権のもとで、あるいは現在の議席配分状況からして、「戦後の絶対平和主義」から脱した、自主・自立の国家を成り立たせるための憲法改正(の発議)が不可能なことは、常識的にみてほぼ明らかではないか。

 産経新聞社説子がとりわけ現9条2項の削除・正規の「自衛軍」(防衛軍・国軍)の設置の明記を望んでいるならば、現与党による「憲法改正への主体的な取り組み」を求めても無駄だ。

 こんなことを理解していないとすれば、<能天気>であり、本当に思考力は<寝た>ままではなかろうか。

 自民党自体にいかほどに憲法改正(・現9条2項削除等)を目指す「意思」と「力」があるかは問題だ。しかし、民主党よりは「まだまし」だろう。

 喫緊の課題は、現与党・民主党に憲法改正への何らかの「期待」を寄せることではなく、民主党政権自体を「よりましな」内閣に変えることだ。それを抜きにして、望ましい方向での憲法審査会の「議論」がなされるとはとても思えない。
 産経社説は、寝惚けたことを書く前に、現内閣<打倒>をこそ正面から訴えるべきだ。

 <打倒>という表現でなくともむろんよい。<あらためて政権選択を!>とか、<政権選択のやり直しを!>とかくらいは主張したらどうか。

 と考えているところに、民主党には「政権与党として、憲法改正への主体的な取り組みを求めたい」などと主張されたのでは、ガックリくる。

 近いことは、同じ11/03の田久保忠衛の「正論」についても言える。「憲法改正の狼煙上げる秋がきた」(タイトル)と叫ぶ?のはいいのだが、どのようにして憲法改正を実現するか、という道筋には全く言及していない。「狼煙」を上げて、そのあとどうするのか? 「憲法第9条を片手に平和を説いても日本を守れないことは護憲派にも分かっただろう」くらいのことは、誰にでも(?)書ける。
 問題は、いかにして、望ましい憲法改正を実現できる勢力をまずは国会内に作るかだ。産経新聞社説子もそうだが、そもそも両院の2/3以上の賛成がないと国民への憲法改正「発議」ができないことくらい、知っているだろう。

 いかにして2/3以上の<改憲>勢力を作るか。この問題に触れないで、ただ憲法改正を!とだけ訴えても、空しいだけだ。
 国会に2/3以上の<改憲>勢力を作るためには、まずは衆議院の民主党の圧倒的多数の現況を変えること、つまりは総選挙を早急に実施して<改憲>派議員を増やすべきではないのか?

 <保守>派の議論・主張の中には、<正しいことは言いました・書きました、しかし、残念ながら現実化しませんでした>になりそうなものも少なくないような気がする。いつかも書いたように、それでは、日本共産党が各選挙後にいつも言っていることと何ら違いはないのではないか。

0926/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)を全読了。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010.08、NTT出版)を11/02夜に全読了。全311頁。

 最初から順に読み通したのだから(但し、佐伯の発表論考をまとめたもの)、感想は当然にある。
 既に初出論文について書いたかもしれない、<保守>にとって重たいまたは刺激的な論述もあるし、その他、佐伯らしい鋭い指摘・分析もある。全体として挑発的・論争誘発的(ポレーミッシュ、polemisch)な本なのに、この著をめぐって論争・議論が発展・展開したようでもないのは、<保守>論壇の貧困さの表れでもないだろうか。

 佐伯啓思に全面的に賛同しているわけではない。この9-11月という時期に読んでいると、<中国>への言及が、アメリカや<欧州近代>等に比べてはるかに少ないことに、驚きすら覚える。また、「マルクス主義」は「一九九〇年代には、さすがに腐臭をはなち、どう廃棄処分にするかが関心事であった」(p.45、2008年)とか、1930年代とは異なり「もはやファシズムも社会主義もありえない」(p.99、2009年)とかいう認識は、佐伯の頭の中や佐伯の<仲間たち>や純経済理論にとってはそうなのかもしれないが、「マルクス主義」や「社会主義」(の危険性・脅威)に対して<甘すぎる>、と感じる。

 具体的な紹介等をしていない遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(上下、2010.04、麗澤大学出版会)への言及とともに、より詳しい感想等は、他日を期したい。

0904/「共産党ではないが左翼」の社会・人文系学者たちの多さ-月刊正論11月号・竹内洋を読む。

 月刊正論(産経新聞社)連載の竹内洋「革新幻想の戦後史」は月刊諸君!(文藝春秋)から「続」となって月刊正論に移ってしばらくはもたもたしている感もあったが、先月号あたりから再び(私には)面白くなった。
 1.月刊正論11月号の竹内洋・同上は丸山真男批判(の一部。竹内には丸山真男に関する新書一冊がすでにある)。その基本的趣旨自体も興味深く、1970年代以降の丸山真男の「衰え」を再確認させる。
 丸山真男については著書・全集の一部をじかに読んだことがあり、この欄でも言及した。
 このブログサイトでの「丸山真男」を検索してみると、なんと最初から13個までが「秋月瑛二」によるこの欄がヒットした!。もう忘れたが、丸山真男を主題としたものを20回は書いただろう。

 そして、丸山真男を積極的・好意的に評価する本が今日でも新たになお出ていることも思い出して、あらゆる戦線(?)での<左翼の執拗さ>をあらためて感じる。
 2.さて、p.282-3のデータ(資料)はきわめて興味深いもので、私の推測ともほとんど合致している。
 p.282の表は、ごく大まかに一言でいうと、1973年時点の支持政党調査では、「日本人平均」では自民党が一位で二位・社会党の1.5倍ほどの支持率があるのに対して、「大学教師」の支持政党の一位は社会党、二位は民社党、三位は自民党で(「特になし」を除く)、社会党支持が自民党支持の二倍以上ある、ということだ。
 竹内の関心に即して言うと、「大学」の世界では、(1980年代前半の丸山真男による叙述とは異なり)「進歩的文化人」は「多数派」だった、ということが明瞭に判る。

 これは1973年の数字だが、現在でも、「大学」教員の世界では(「進歩的文化人」という語は今日的用語としてはあまり使われなくなっていると見られるが)、「左翼」または「何となく左翼」が(とくに社会・人文系では)<圧倒的多数派>を形成しているのではないか。
 p.283の表が示す数字の方がさらに興味深い。
 1983年時点での「保守・中間・革新」意識の調査結果によると(出典の再引用は上ととともに省略)、「中間」を割愛して「保守」対「革新」の数字だけ示せば、「一般国民」が34対24、「財界」が74対10、「官僚」が56対23であるのに対して、「マスコミ」(人)は34対46、「学者・文化人」は31対51、ついでに「市民運動」(家)は14対81、「学生」は42対46だった、という。
 27年前の数字だが、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」における「革新」または<左翼>性向が明瞭に数字化されている。
 そしてまた、今日でも、その傾向は変わらないものと思われる。

 70年代(とくに前半または初頭までの)「革新」ムードは全体としては80年代には消滅または弱体化していたはずだが、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」においては異なることが上の資料からは明らかだ。そしてまた、ソ連が解体し北朝鮮や中国の実態がより明らかになってきている現在でもまた、「マスコミ」(人)や「学者・文化人」の<政治意識>=<左翼・なんとなく左翼>性は(驚くべきことに、また執拗にも)大して変化していないのではなかろうか。
 ここでの「左翼」とは、いつかも書いたように、<容共>志向、換言すると、<反共>の立場に立たない(立てない)政治的意識・主張・見解のことを意味させている。
 3.そういう「左翼」的雰囲気の「学者・文化人」や「マスコミ」(人)の世界において、日本共産党支持またはコミュニズム支持を少なくとも明確に示しはせず、むしろそれとは距離を置きつつも、「保守(・反動)」、ましてや「右翼」と評されないことが最も<安全で・安心な>態度=処世術なのだろう。
 p.283に引用されている、2009年の某雑誌での伊藤隆(東京大学名誉教授)の次の言葉は、十分に納得がいく。
 竹内洋が使った「共産党員ではないけど、いつも共産党員に気兼ねをしている学者」という表現につなげて、伊藤隆は言う。
 「気兼ね学者は大学の人事を握っていて、リベラルということで良心が満たされる気分になると同時に利益もある…。(一文略-秋月) 学者にとって一番理想なのは、東大教授で、共産党ではないが左翼である。そして、ジャーナリズムにどんどん登場するということでしょう」。

 日本共産党を支持はしないが決して「保守(・反動)」、ましてや「右翼」と呼ばれたくはない、という気分の多数の(とくに社会・人文系)「学者・文化人」さまには、上のような言葉も傾聴していただきたいものだ。
 また、「共産党ではないが左翼」で、「ジャーナリズムにどんどん登場」して(世間的)知名度も獲得したいという「東大教授」は、現に多数存在するのではないか(それを現実化している「東大教授」の名を具体的に何人かは挙げることができる)。
 くり返せば、「共産党ではないが左翼」で、学界内部でも、共産党そのものに<染まっている>わけではないが決して<反共>の立場に立たない(少なくともそれを明言しない=日本共産党に「気兼ね」する)大学教員たち、そして東京大学教授たちは、世間一般の相場に比べれば著しく多い、と想定される。現在の日本の<異常さ>はこんなところにもある。あるいは、こんなところにも起因している。 

0901/櫻井よしこは論理的に緻密か-外国人地方参政権問題。

 産経新聞に報道されていたかどうかは知らないが、週刊新潮7/29号(新潮社)の櫻井よしこの連載コラム(p.148-149)によると、外国人地方参政権問題につき、6/04の政府答弁書は(鳩山内閣時代のものではある)、最高裁1995(平成7年).02.28判決の<本論>のみを引用し、「政府も同様に考えている」と述べているらしい(質問者は山谷えり子)。
 鳩山由紀夫が昨年に上掲最高裁判決の<傍論>部分を援用して<(付与しても)違憲ではないと考えている>と答弁していたのを(ナマか録画のニュースでかは忘れたが)記憶しているので、櫻井よしこの紹介のとおりならば、大きな、重要な変化ではある。
 そして、この政府答弁書とは明確に矛盾した言動を閣僚等がしているとすれば、問題視する必要がある。
 だが、気になったのは、次の点だ。
 上掲最高裁判決の本論は<憲法は積極的には外国人地方政権を保障していない>旨を述べているのだが、櫻井よしこは、これを引用した答弁書を<「外国人参政権は禁止」と読める答弁書>と理解している。すなわち、<積極的に保障はしていない>=<禁止>、というふうに理解している。
 百地章も同様なのだろう。だが、論理的に見て、外国人地方参政権を<積極的に保障はしていない>=~の付与を<禁止している>、ということに単純になるのかどうか。単純にはならないという前提のもとで(裁判官全員一致で)いわゆる<傍論>も書かれたのだ。
 とくに強調してあげつらうつもりはないが、この問題に限らず、訴訟・判決にかかわっても歴史認識等にかかわっても、<保守>論者には概念・論理の明晰さが要求される。
 主題から離れて一般化すれば、具体的論点について、<保守>論者は、概念・論理の明晰さ・一貫性について<左翼>に負けてはいけない。<保守的>気分・情緒だけの表出では、<インテリ>たちを多数とり込んでいる<左翼>に敵わないのではないか。

0900/あららためて基本的なことー共産主義。

 一 20世紀の重要な事件は二つの世界大戦だったという歴史理解も多いのだろう。
 だが、ロシア革命の勃発(・成功)(と後続する社会主義諸国の成立)とソビエト連邦の解体(ロシア中心地域での「社会主義」の<実験>の失敗の明瞭化)こそが、20世紀の最大の事件・できごとだった、というべきだ。
 そして、この中には、コミュニズム(マルクス主義)によるほぼ一億人の生命の抹殺(「粛清」等のほか政策失敗による餓死等も含む)も含まれる。この数字は、二つの世界大戦による死者数よりも大きい。
 二 左右の対立あるいは<左翼>と<保守>の違いは、私にとっては、単純に、<容共>か<反共>かにある。前者の中核にもちろん(日本では)日本共産党があり、その党員たちや強いシンパ(同調者)たちがいる(学者・研究者、評論家、文筆家も含む)。朝日新聞もまた<容共>だ。
 <容共>とは、コミュニズムを信奉するか、あるいはそれを容認して、それと闘う気概を持たないことを意味する。<容共>と対立するのがもちろん<反共>で、<保守>とは<反共主義>に立つものでなければならない。コミュニズムを容認または放置してしまうのではなく、積極的に闘う気概をもつ立場こそが<保守>だ。
 三 <冷戦後>とか<冷戦終結後>とかいう表現が保守的論壇等も含めてかなり使われているが、かかる時代認識は(日本と日本人にとっては)誤っており、下手をするとコミュニズムのいっそうの浸透を許す(またはそれを阻止できない)原因になりうる。
 なるほど欧州諸国と同諸国民にとっては、ソ連の崩壊によってかつての<冷戦>は過去のものとなったと受け止めてられてもよいのかもしれない。
 しかし、東アジアには北朝鮮はもちろん中国・ベトナム等の<社会主義>国がなおも残存し、中国は盛大化の傾向を見せるなど、東アジアにとっては、<冷戦は終わっておらず、継続したまま>だ。<冷戦>どころか、<ホットな戦争>になる火種すら、あちこちに存在している。
 中国等がかつてのマルクス・レーニン主義あるいはコミュニズムに依拠しているかについては議論の余地があるだろうが、どの現存「社会主義」国家も共産党(またはそれに実質的に該当する)政党・政治組織の独裁体制下にあることは疑いなく、彼ら自身が自分たちをマルクスやレーニンの思想的系譜のうちにあることを自覚しているはずだ(いつか言及したように中国共産党幹部は日本共産党・不破哲三と世界の「社会主義」運動の現在と将来を話題にしており、自分たちが「社会主義」運動の主体の一つであることを前提としていることは明瞭だ)。
 四 日本と日本人は、まずは、中国・北朝鮮・ベトナム等の<社会主義>勢力と断固として闘う必要がある。<間接侵略>も許してはならない。
 だが、領土的にはまだ微小だが、精神的にはかなりの程度、中国による<間接省略>をすでに許してしまっているのが実態だろう。<親中>の朝日新聞、<親中>の若宮啓文や大江健三郎等の人士等々の助けも借りて、それは執拗になされてきている。
 五 米国との関係で、自立を説くことは誤ってはいない。<自主>憲法の制定も急がれる。その意味では<反米>ではある。
 だが、現在の最大の<溝>・<矛盾>はやはり従来と同じく、コミュニズム(共産主義・社会主義)と<自由主義>(・資本主義)との間にあることを没却してはいけない。
 <反共>をきちんと前提とするあるいは優先した<反米>でなければならない。<反共>を優先すべきであり、そのためには、米国や欧州諸国のほか韓国・インド等の<反共>(・自由主義)諸国とも<手を組む>必要がある。そのかぎりで、かつて言われた<価値観外交>は正しく、<日米中正三角形(等距離)外交>などは誤った、中国を利する、<親中>政策の一つだ。
 以上のかぎりでは、つまり<反共>の立場を貫くためには、<親米>でもなければならない。
 日本と日本人は<反共>のかぎりで<親米>でありつつ、欧米とは異なる日本の独自性も意識しての<反米>(反欧米、反欧米近代)でもなければならない。
 そのような二重の基本的課題に直面していると現代日本は理解すべきものだ。
 冷戦は終わったとのたまい、中国に対する警戒心を何らまたは十分には表明することなく<反米>または<欧米的個人主義・自由主義>への懐疑のみを表明するような議論は、下手をすると(<反米>のかぎりで)中国等を利する可能性があり、日本の<左翼>とも共闘?してしまうことになりかねないことに注意すべきだ。
 六 上のような基本的論点に比べれば、経済政策または市場への国家の関与の仕方・程度に関する論点は、まだ些細な問題だ。
 <自由>に傾くか<平等>に傾くか、<競争>か<保護(的介入)>かは、資本主義または自由主義の範囲内で、大いに論ずればよい。<反共>・<反社会主義>をきちんと前提としてあるいは優先して、いわゆる社会民主主義的な政策が、<日本と日本人>の意識と歴史に即した形で導入されることも完全には否定すべきではないと考えられる。
 但し、その「社会民主主義的な政策」が「社会主義」につながっていくような、親社会主義意識を増大させるようなものであれば、排斥される必要がある(自民党は民主党の政策を「社会主義的」と論定していたようだが、そこまでには至っていないのではないか。本当の「社会主義」とはもっと強烈で苛酷なものだと思い知っておくべきだ)。
 七 反復になるが、<親米>かつ<反米>である必要があり、これらは矛盾しない。当然に、<保守>的議論・人士を上面だけで<親米>か<反米>かに分類することは馬鹿げている。

0890/資料・史料ー自民党2010年綱領。

 <自由民主党HPより>
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 ● 平成22年(2010年)綱領
 平成22年1月24日
現状認識
 我が党は、「反共産・社会主義、反独裁・統制的統治」と「日本らしい日本の確立」―の2つを目的とし、「政治は国民のもの」との原点に立ち立党された。平成元年のベルリンの壁の崩壊、平成3年のソ連邦の解体は、この目的の1つが達成されたという意味で、我が党の勝利でもあった。そこに至るまでの間、共産主義・社会主義政党の批判のための批判に耐え、我が党は現実を直視し、日米安全保障条約を基本とする外交政策により永く平和を護り、世界第2の経済大国へと日本を国民とともに発展させた。
 日本の存在感が増すにつれ、国際化のなかで我々は多くのものを得た反面、独自の伝統・文化を失いつつある。長寿国という誇るべき成果の反面、経済成長の鈍化と財政悪化からくる財政諸機能の不全に現在も我々は苦しんでいる。少子化による人口減少は国の生産力を低下させると言われる。我が国は、これ等の現実を明るく希望ある未来に変えるため、少子化対策とともに、教育の充実と科学技術開発に国民資源を注力することにより生産性を向上させ、長寿人口の活用と国民資質の向上、国際化への良き対応により、経済成長が達成でき、国民生活の充実が可能なことを世界に示さねばならない。
 我々は、日本国及び国民統合の象徴である天皇陛下のもと、今日の平和な日本を築きあげてきた。我々は元来、勤勉を美徳とし、他人に頼らず自立を誇りとする国民である。努力する機会や能力に恵まれぬ人たちを温かく包み込む家族や地域社会の絆を持った国民である。家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、公への貢献と義務を誇りを持って果たす国民でもある。これ等の伝統的な国民性、生きざま即ち日本の文化を築きあげた風土、人々の営み、現在・未来を含む3世代の基をなす祖先への尊敬の念を持つ生き方の再評価こそが、もう1つの立党目的、即ち「日本らしい日本の確立」である。
 我が党は平成21年総選挙の敗北の反省のうえに、立党以来護り続けてきた自由と民主の旗の下に時代に適さぬもののみを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求め、国際的責務を果たす日本らしい日本の保守主義を政治理念として再出発したいと思う。我々が護り続けてきた自由(リベラリズム)とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。ましてや利己主義を放任する文化でもない。自立した個人の義務と創意工夫、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由であることを再確認したい。従って、我々は、全国民の努力により生み出された国民総生産を、与党のみの独善的判断で国民生活に再配分し、結果として国民の自立心を損なう社会主義的政策は採らない。これと併せて、政治主導という言葉で意に反する意見を無視し、与党のみの判断を他に独裁的に押し付ける国家社会主義的統治とも断固対峙しなければならない。また、日本の主権を危うくし、「日本らしい日本」を損なう政策に対し闘わねばならない。我が党は過去、現在、未来の真面目に努力した、また努力する自立した納税者の立場に立ち、「新しい日本」を目指して、新しい自民党として、国民とともに安心感のある政治を通じ、現在と未来を安心できるものとしたい。


1.我が党は常に進歩を目指す保守政党である

(1) 正しい自由主義と民主制の下に、時代に適さぬものを改め、維持すべきものを護り、秩序のなかに進歩を求める
(2) 勇気を持って自由闊達(かったつ)に真実を語り、協議し、決断する
(3) 多様な組織と対話・調整し、国会を公正に運営し、政府を謙虚に機能させる

2.我が党の政策の基本的考えは次による

(1) 日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定を目指す
(2) 日本の主権は自らの努力により護る。国際社会の現実に即した責務を果たすとともに、一国平和主義的観念論を排す
(3) 自助自立する個人を尊重し、その条件を整えるとともに、共助・公助する仕組を充実する
(4) 自律と秩序ある市場経済を確立する
(5) 地域社会と家族の絆・温かさを再生する
(6) 政府は全ての人に公正な政策や条件づくりに努める
 (イ) 法的秩序の維持
 (ロ) 外交・安全保障
 (ハ) 成長戦略と雇用対策
 (ニ) 教育と科学技術・研究開発
 (ホ) 環境保全
 (へ) 社会保障等のセーフティネット
(7) 将来の納税者の汗の結晶の使用選択権を奪わぬよう、財政の効率化と税制改正により財政を再建する

3.我が党は誇りと活力ある日本像を目指す

(1) 家族、地域社会、国への帰属意識を持ち、自立し、共助する国民
(2) 美しい自然、温かい人間関係、「和と絆」の暮し
(3) 合意形成を怠らぬ民主制で意思決定される国と自治体
(4) 努力するものが報われ、努力する機会と能力に恵まれぬものを皆で支える社会。その条件整備に力を注ぐ政府
(5) 全ての人に公正な政策を実行する政府。次世代の意思決定を損なわぬよう、国債残高の減額に努める
(6) 世界平和への義務を果たし、人類共通の価値に貢献する有徳の日本
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 <下線は秋月>

0889/隔月刊誌・表現者(ジョルダン)連載執筆者かつ週刊金曜日編集委員・中島岳志。

 パール判決を問い直す(講談社現代新書)の共著者である中島岳志と西部邁は親しいようで、西部邁と佐伯啓思の二人が「顧問」をしている隔月刊雑誌・表現者(ジョルダン)の29号・30号に、中島岳志は「私の保守思想①・②」を連載している。
 30号で中島は「私が保守思想に傾斜していく大きなかっかけとなったのは…」などと述べて(p.138)、「保守思想に傾斜して」いるとの自己認識を示し、また、先人から学ぶべきことは「デモクラシーが健全に機能するためには、人間の交際の基盤となる『中間団体』が重要であり、歴史的な『伝統』、そして神や仏といった『絶対者』の存在が前提となる」ということではないか、などと、なるほど<保守的>と感じられる叙述もしている(「神や仏」は「絶対者」なのか、いかなる意味においてかは分からないが、さて措く)。
 いずれにせよ、錚々たる(?)<保守>派執筆者たちに混じって、さほどの違和感を感じさせずにいる。隔月刊雑誌・表現者を<保守的>または<保守派の>雑誌と表現して差し支えないだろうことは、顧問二人(西部邁・佐伯啓思)と西田昌司の三名の共著(半分以上は座談会)・保守誕生(ジョルダン、2010.03)のオビに「真正保守主義が救い出す」という語があることにも示されているだろう。
 興味深いことに、あるいは奇妙なことに、同じ人物・中島岳志は<左翼>週刊誌・週刊金曜日の編集委員を<あの>本多勝一や石坂啓らとともに務めている。この週刊誌の発行人は<あの>佐高信。
 この週刊誌が<左翼的>であることは歴然としてしていて、たとえば、その4/30号(797号)は<反天皇制>の立場を前提として「暮らしにひそむ天皇制」という特集を組んでいる。編集長の北村肇は同号の「編集長後記」で、天皇制はただちに廃止すべきとか昭和天皇の戦争責任を許さないとだけ主張するにとどまる限りは「廃止への道は遠い」と書いて、<天皇制廃止>を目標としていることを明らかにしている。
 思い出せば、2006年11月に教育基本法「改悪」等に反対する集会を主催し、天皇陛下や悠仁親王を「パロディーとしたコント」を演じさせたのは、週刊金曜日だった(本多勝一・佐高信らも出席。のちに、佐高信と北村肇の連名でそっけない、本当に反省しているとは思えない「謝罪」文を発表した)。
 また、「左翼」的運動の集会等の案内で埋め尽くされている頁もあり(p.64-65)、「女性国際戦犯法廷から10年目を迎えて」と題する文章の一部を関係団体の機関紙から転載したりもしている(p.54)。
 こんな週刊誌にも中島岳志は本多勝一らとともに執筆していて、「風速計」とのコラムで「『みんなの党』のデタラメ」と題して、「新自由主義を露骨に振りかざすみんなの党」を批判し、「構造改革ーのNOを突き付けた国民」は「みんなの党のデタラメを見抜かなければならない」と結んでいる(p.9)。
 まったく新種の人間が生まれ、育っているのか、中島岳志は、一方で<西部邁と佐伯啓思>を顧問とする<保守的>隔月刊雑誌・表現者(ジョルダン)に「私の保守思想」を書き、一方では、<本多勝一・佐高信>らとともに<左翼的>週刊誌の編集委員になって自ら執筆してもいる。<西部邁・佐伯啓思>と<本多勝一・佐高信>との間を渡り歩いて行けるという感覚あるいは神経は、私にはほとんど理解できない。
 週刊金曜日のウェブサイト内で中島岳志は「保守リベラルの視点から『週刊金曜日』に新しい風を吹き込みたい」とか語っている。
 「保守リベラル」とはいったいいかなる立場だ!? こんな言葉があるのは初めて知った。そして、上の「みんなの党」批判は社民党的な「左から」の批判なのだろうか、富岡幸一郎や東谷暁らが集うような「右から」の批判なのだろうか(月刊正論6月号には宇田川啓介「みんなの党の正体は”第二民主党”だ」も掲載されていた)、と思ったりする。
 そんな<左・右>などに拘泥しないのが自らの立場だと中島は言うのかもしれないが、そう言って簡単に逃げられるものではないだろう。中島岳志には、一度(いや何度でもよいが)、<天皇(制)・皇室>に関する態度表明をしてもらいたい。そして、<反天皇制>主張が明確で、<天皇制廃止>を明確に意図している編集長のもとでの編集委員として、どのような「新しい風を吹き込」むつもりなのか、知りたいものだ。

0883/佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号)のメモ。

 佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号、産経)のメモ。
 ・財政再建か景気拡張か、日米関係をどうするか、構造改革を促進するのか否か、消費税をどうするか。自民党は具体的な方向を指示しておらず、民主党も同じ。「その時々の情緒やムードに敏感に反応」する「世論」が「政治を翻弄」していて、真の「二大政党政治からはほど遠い」。  ・自民党=保守、民主党=リベラルと簡単に図式化できない。「福祉重視」派=リベラル、「市場競争」派=「保守」というのは大雑把で「誤った通念」。「構造改革」なる「急進的改革」の推進者が「保守」というのは「いかにも奇妙」で、それに「抑制をかけるものをこそ保守というべき」。また、「過度にならない福祉は保守の理念に含まれる」。自民党は以前は「一種の福祉政策」も行っていた。(以上、p.80-81)  ・「保守」とは、「保守の原点に立ち戻る」とは、いかなる意味なのか。「保守」の困難さの第一は、圧倒的に<改革・変革・チェンジ>ムードの影響下にあること。アメリカの時代→中国の時代、IT革命→環境・エコ革命、テロとの戦い→「核廃絶に向けて」、「自由に能力が発揮できる社会」→「格差を是正する社会」。凄まじい変化だが、現在の「変化が望ましい方向のものだという理由はどこにもない」。  ・「『変化』に振り回されない軸を設定すること」が、「保守」の立場の「政治的課題」だ。  ・第二は、「戦後日本という特殊な空間」の形成にかかわる。「日本の近代化」は①「王政復古」等の「伝統的日本への回帰」と②「西欧列強の制度や価値の模倣もしくは導入」により遂行された。「外発的」近代化、「憧憬」することによる近代化だった。この事情は「戦後」に「さらに著しくも緊張感を欠いた漫然たる」ものとなり、無自覚・無反省な「アメリカ的なものへの傾斜、追従」になった。  ・上に異論はあろうが、「戦後日本人」は「ほとんど無意識のうち」にであれ、「アメリカ的なもの」=「個人的自由、民主主義、物的な豊かさと経済成長、人権思想、市場経済、合理的で科学的・技術的な思考、市民社会など」に「寄りかかった」。これらに対立する「日本的なもの」=「家族的紐帯、地域共同体、社会を構成する権威」、「日本的自然観、美意識、仏教的・儒教的・神道的なものを背景とした宗教意識」などは「ことごとく否定的に理解された」。ここに「戦後日本」の「大きな精神的空洞」がある。(以上、p.82-83)  ・「日本的なもの」を否定的に理解して「アメリカ的なもの」を受け容れる、つまりは「倒錯した価値をしごく当然のごとく受け入れてきた戦後日本」には、「公式的」には「保守」の「居場所はない」。アメリカ的「戦後思想」が「日のあたる場所」を占拠したので、「保守」は戦後日本の「公式」の「重要な価値」の疑問視から始める必要があった。
 ・「軍事力」抜きの「戦前」に戻ればよいということにはならない。「日本の近代化そのもののはらむ問題」だ。「戦後日本」への「根源的な違和感」を前提にしてこそ「保守」という「精神態度」は成立する。ゆえに「戦後憲法の精神は保持したまま」で「保守の原点に戻る」というのは無意味
 ・だが、ここで「困難はいっそう倍加する」。「戦後」を懐疑しても「現憲法や下位の法体系」の下で言論等をしており、「戦後日本」の「外」には出れない。「戦後日本の公式的価値空間」での=「アメリカ的価値観の受容」をしての、「保守」提唱自体が「矛盾をはらんでいるのではないか」。
 ・上の事実に自称「保守主義者」たちは「どこまで自覚的」なのか。立脚点についての「引き裂かれた自覚」がまずは必要。
 ・反「社会主義」の「日米同盟」の強化は、下手をすると日本をますますアメリカの「保護領」にする。だが、誰もが「戦後体制」=「平和憲法と日米安保体制」の下で守られて生きていて、「日米同盟」破棄はできない。「状況そのもの」が「日本を日本でなくする危険に満ちている」。このことを今は「受け入れるほか」はない。この「苦渋に満ちた矛盾と亀裂の只中にいるという自覚」だけが、今日の「保守」に道を開く。このことに無頓着な者は、「親米であれ反米であれ」、真の「保守」たりえない。(以上、p.83-84) 

0876/佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」(月刊正論6月号)読了。

 〇4月某日、表現者第29号(ジョルダン、2010.03)の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「市場論-資本主義による国民精神の砂漠化」を読了。
 4月某日、同上の中の、西田昌司=佐伯啓思=柴山桂太=黒宮一太=西部邁「議会論-『チルドレン』による『討論の絶滅』」を読了。
 いずれも座談会記録だが、ふつうの論文的文章に比べて、却って読みにくく、理解がし難い面がある。ほとんど未読の、西田昌司=佐伯啓思=西部邁・保守誕生(ジョルダン、2010.03)もきっとそうだろう。
 〇5月某日、佐伯啓思「『保守』が『戦後』を超克するすべはあるのか」月刊正論6月号(産経、2010.05)を読了。月刊正論のこの号では最初に読んだ。計16頁で長い。
 簡単にまとめられるわけがないが、佐伯啓思の主張・見解のほとんどはよく理解できる。こういう言い方が不遜ならば、とても参考になる。
 「親米」でも「反米」でもあるし、どちらでもない、という表現も(p.94~)、よく分かる。かつて八木秀次は<保守>論者を「親米」と「反米」とに分けた図表を作っていたが(この欄で言及したことがある)、そのように簡単にはグループ化できないだろう(八木は「親米」派のつもりで自分を西尾幹二と区別したかったのかもしれない)。議論は<多層的、複層的>なのだ。「幾層かにわけて論じられねばならない」(p.93)。
 だが第一に、佐伯啓思に限られないが(西部邁も似たことを言っているが)、<冷戦は終わった>という前提で議論されていることには、きわめて大きな疑問をもつ(p.88には「一応の冷戦終結」との表現が一箇所あるが、他の部分では「一応の」という限定はない)。佐伯啓思に関係して、同旨のことは既に書いたことがある。
 なるほど欧州では対ソ連との間の<冷戦>は終わったのかもしれない(それでも拡大されたNATOがあることの意味を日本国民はよく理解すべきだ)。しかし、中国・北朝鮮との間での日本の<冷戦>はまだ続いているし、その真っ只中にある、と考えるべきだ。まだ日本(とアメリカ)は勝利していない。敗北する可能性すらある。
 したがって、佐伯啓思には、アメリカに問題点、批判されるべき(追従すべきではない)点があるのは分かるが、中国(共産党)・北朝鮮(労働党)の現状をもっと批判してほしい。
 第二に、思想家・佐伯啓思に期待しても無理なのだろうが、「まずこのディレンマを自覚すること」との結論(p.95)だけでは、実際には一種の精神論だけで、ほとんど役に立たない可能性もある。
 佐伯啓思の複層的な思考と叙述は魅力的だが、例えば、7月参院選に関してどう行動すべきかは、佐伯啓思の文章をいくら読んでも分からないだろう。
 行動あるいは政治的戦略の前にまずは「保守」の意味・立場・考え方を明確にしておくべきとの前提的主張は、そのとおりではあるのだが、具体的な成果がすぐには出にくいことはたしかだろう。
 それに、私はよく理解できたと書いてしまったが、佐伯啓思の議論に従いていける<知的大衆>はどれほどいるだろうか、という懸念もなくはない。いわゆる<保守>派にも(「左翼」と同様に)狂信的・狂熱的な者たちがいそうだ。そういう人たちは佐伯啓思の本・文章を読もうとしないか、または読んでも(失礼ながら)ほとんど理解できないのではないか。
 2008年2月の佐伯啓思・日本の愛国心-序論的考察(NTT出版)を刊行直後に読んで、何かの賞に値するように思ったが、論壇で大きな話題になることなく終わってしまったようだ。そういう意味では佐伯啓思は不当に扱われており(不遇であり)、もっと多くの人にその著書等は読まれてよいと感じている。それを阻んでいるのが、佐伯啓思の本等を書評欄等で絶対に取り上げたりはしない、朝日新聞等の「左翼」マスメディアであるのだが。

ギャラリー
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