秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

伊澤高志

1728/邦訳書がない方が多い-総500頁以上の欧米文献。

 T・ジャットはL・コワコフスキ『マルクス主義の主要潮流』について、「コワコフスキのテーゼは1200ページにわたって示されているが、率直であり曖昧なところはない」とも書いている。
 トニー・ジャット・河野真太郎ほか訳・失われた二〇世紀/上(NTT出版、2011)p.182〔担当訳者・伊澤高志〕。
 この記述によって総頁数にあらためて関心をもった。T・ジャットが論及する三巻合冊本の「New Epilogue」の最後の頁数は1214、その後の索引・Index まで含めると、1283という数字が印刷されている。これらの頁数には本文(本来の「序文」を含む)の前にある目次や諸新聞等書評欄の「賛辞」文の一部の紹介等は含まれていないので、それらを含むと、確実に1300頁を超える、文字通りの「大著」だ。
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 ロシア革命・レーニン・ソ連等々に関係する外国語文献(といっても「洋書」で欧米のもの)を一昨年秋あたりから収集していて、入手するたびに発行年の順に所持本のリストを作っていた。いずれ、全てをこの欄に発表して残しておくつもりだった。しかし、昨年前半のいつ頃からだったかその習慣を失ったので、今から全てを公表するのは、ほとんど不可能だ。
 そこで、所持している洋書(といっても数冊の仏語ものを除くと英米語と独語のみ)のうち総頁数が500頁以上のもののみのリストを、やや手間を要したが、作ってみた。
 頁数は本の大きさ・判型や文字の細かさ等々によって変わるので、総頁数によって単純に範囲の「長さ」を比較することはできないが、実質的には…とか考え出すと一律な基準は出てこない。従って、もっと小型の本で活字も大きければ500頁を確実に超えているだろうと推測できても、除外するしかない。
 また、このような形式的基準によると450-499頁のものもある。490頁台のものもあって「惜しい」が、例外を認めると下限が少しずつ変わってくるので、容赦なく機械的に区切るしかない。
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 以下にリスト化し、総頁数も記す。長ければ「質」も高いという論理関係はもちろんないが、所持しているものの中では、レシェク・コワコフスキの上記の本が、群を抜いて一番総頁数が大きい。次は Alan Bullock のものだろうか(1089頁。但し、これは中判でコワコフスキのものは大判 )。
 また、邦訳書(日本語訳書)がある場合はそれも記す。その場合の頁数も。但し、邦訳書のほとんどは「索引」(や「後注」)の頁は通し数字を使っていない。その部分を数える手間は省いて、通し頁数の記載のある最終頁の数字を見て記している。
 邦訳書がないものの方が多いことは、以下でも明らかだ。この点には別にさらに言及する必要があるが、欧米文献(とくに英米語のもの)が広く読まれていると考えられる<欧米>と日本では、ロシア革命・レーニン等についても、「知的環境」あるいは「情報環境」自体がかなり異なっている、ということを意識しておく必要があるだろう。
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 *発行年(原則として、初出・初版による)の順。同年の場合は、著者(の姓)のアルファベット順。タイトル名等の直後に総頁数を記し、そのあとに秋月によるタイトルの「仮訳」を示している。所持するものに限る(+印を除く)。
 いちいちコメントはしないが、最初に出てくる Bertram D. Wolfe(バートラム・ウルフ、ベルトラム・ヴォルフ)は、アメリカ共産党創設者の一人、いずれかの時期まで同党員、共産主義活動家でのち離脱、共産主義・ソ連等の研究者となった。 
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・1948年
 Bertram D. Wolfe, Three Who made a Revolution -A Biographical History, Lenin, Trotsky and Stalin (1964, Cooper Paperback, 1984, 2001).計659頁。〔革命を作った三人・伝記-レーニン、トロツキーとスターリン〕
 =菅原崇光訳・レーニン トロツキー スターリン/20世紀の大政治家1(紀伊國屋書店、1969年)。計685頁/索引含めて計716頁。
・1951年 Hannah Arendt, The Origins of Totalitarianism.計527頁。〔全体主義の起源〕
 =Hannah Arendt, Element und Urspruenge totaler Herrscaft (独、Taschenbuch, 1.Aufl. 1986, 18.Aufl. 2015). 計1015頁。〔全体的支配の要素と根源〕
 =大島通義・大島かおり訳・第2巻/帝国主義(みすず書房, 新装版1981)。
 =大久保和郎・大島かおり訳・第3巻/全体主義(みすず書房, 新装版1981)。
・1960年
 Leonard Schapiro, The Communist Party of the Soviet Union. 計631頁。〔ソ連共産党〕
・1963年
 Ernste Nolte, Der Faschismus in seiner Epoche (Piper, 1966. Tsaschenbuch, 1984. 6. Aufl. 2008). 計633頁。〔ファシズムとその時代〕
・1965年
 Adam B. Ulam, The Bolsheviks -The Intellectual and Political History of the Triumph of Communism in Russia (Harvard, paperback, 1998). 計598頁。〔ボルシェヴィキ-ロシアにおける共産主義の勝利の知的および政治的な歴史〕
・1972年
 Branko Lazitch = Milorad M. Drachkovitch, Lenin and the Commintern -Volume 1 (Hoover Institute Press). 計683頁。〔レーニンとコミンテルン/第一巻〕
・1973年
 Stephen F. Cohen, Bukharin and the Bolshevik Revolution - A Political Biography, 1888-1938. 計560頁。ブハーリンとボルシェビキ革命ー政治的伝記・1888-1938年。
=塩川伸明訳・ブハーリンとボリシェヴィキ革命ー政治的伝記:1888-1936(未来社、1979。第二刷,1988)。計505頁。
・1976年
 Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism (Paris, 1976. London, 1978. USA- Norton, 2008 ). 計1283頁。
 -Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism, Volume II - The Golden Age (Oxford, 1978. Paperback, 1981, 1988). 計542頁。
 -Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism, Volume III - The Breakdown (Oxford, 1978). 計548頁。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism, Volume III - The Breakdown (Oxford, 1981). 計548頁。
<The Breakdown (Oxford, 1987). 計548頁。
・1981年
 Bertram Wolfe, A Life in Two Centuries (Stein and Day /USA). 計728頁。〔二世紀にわたる人生〕
・1982年
 Michel Heller & Aleksandr Nekrich, Utopia in Power -A History of the USSR from 1917 to the Present (Paris, 1982. Hutchinson, 1986). 計877頁。〔権力にあるユートピア-ソヴィエト連邦の1917年から現在の歴史〕
・1984年
 Harvey Klehr, The Heyday of American Communism - The Depression Decade. 計511頁。〔アメリカ共産主義の全盛時-不況期の10年〕
・1985年
 Ernst Nolte, Deutschland und der Kalte Krieg (Piper, 2. Aufl., Klett-Cotta, 1985). 計748頁。〔ドイツと冷戦〕
・1988年
 François Furet, Revolutionary France 1770-1880 (英訳- Blackwell, 1992). 計630頁。〔革命的フランス-1770年~1880年〕
・1990年
 Richard Pipes, The Russian Revolution. 計944頁。〔ロシア革命〕
 =Richard Pipes, The Russian Revolution 1899-1919 (paperback,1997). 計944頁。
・1991年
 Christopher Andrew = Oleg Golodievski, KGB -The Insde Story. 計776頁。〔KGB-その内幕〕
 =福島正光訳・KGBの内幕/上・下(文藝春秋、1993)-上巻計524頁・下巻計398頁。
 Alan Bullock, Hitler and Stalin - Parallel Lives. 計1089頁。〔ヒトラーとスターリン-生涯の対比〕
 =鈴木主税訳・対比列伝/ヒトラーとスターリン-第1~第3巻(草思社、2003)-第1巻計573頁、第2巻計575頁、第3巻計554頁。
・1993年
 David Remnick, Lenins' Tomb : The Last Days of the Soviet Empire. 計588頁。〔レーニンの墓-ソヴィエト帝国の最後の日々〕
 =三浦元博訳・レーニンの墓-ソ連帝国最期の日々(白水社、2011).
 Heinrich August Winkler, Weimar 1918-1933 - Die Geschichte der ersten deutschen Demokratie (Beck) . 計709頁。ワイマール1918-1933ー最初のドイツ民主制の歴史。
・1994年
 Erick Hobsbawm, The Age of Extremes -A History of the World, 1914-1991 (Vintage, 1996).計627頁。〔極端な時代-1914-1991年の世界の歴史〕
 =河合秀和訳・20世紀の歴史-極端な時代/上・下(三省堂, 1996).-上巻計454頁、下巻計426頁)。
 Richard Pipes, Russia under the Bolshevik Regime. 計587頁。〔ボルシェヴィキ体制下でのロシア〕
 Dmitri Volkogonow, Lenin - Life and Legady (Paperback 1995). 計529頁。〔レーニン-生涯と遺産〕
 =Dmitri Volkogonow, Lenin - Utopie und Terror (独語、Berug, 2017). 計521頁。〔レーニン-ユートピアとテロル〕
・1995年
 François Furet, Le Passe d'une illsion (Paris).+
 =Das Ende der Illusion -Der Kommunismus im 20. Jahrhundert (1996).計724頁。〔幻想の終わり-20世紀の共産主義〕
 =The Passing of an Illusion -The Idea of Communism in the Twentieth Century (Chicago, 1999).計596頁。〔幻想の終わり-20世紀の共産主義思想〕
 =楠瀬正浩訳・幻想の過去-20世紀の全体主義 (バジリコ, 2007.09). 計721頁。
 Martin Malia, Soviet Tragedy - A History of Socialism in Russia 1917-1991. 計592頁。ソヴィエトの悲劇ーロシアにおける社会主義の歴史・1917年-1991年。
 =白須英子訳・ソヴィエトの悲劇ーロシアにおける社会主義の歴史 1917-1991/上・下(草思社、1997)。上巻計450頁・下巻計395頁。
 Stanley G. Payne, A History of Fascism 1914-1945(Wisconsin Uni.). 計613頁。〔ファシズムの歴史-1914年~1945年〕
 Andrzej Walick, Marxism and the Leap to the Kingdom of Freedom -The Rise and Fall of the Communist Utopia. 計641頁。〔マルクス主義と自由の王国への跳躍ー共産主義ユートピアの成立と崩壊〕
・1996年
 Orland Figes, A People's tragedy - The Russian Revolution 1891-1924(Penguin, 1998).計923頁。民衆の悲劇ーロシア革命1891-1924年。
 =Orland Figes, -(100th Anniversary Edition, 2017. New Introduction 付き). 計923頁。
 Donald Sassoon, One Hundred Years of Socialism -The West European Left in the Twentieth Century (paperback, 2014). 計965頁。社会主義の百年ー20世紀の西欧左翼。
・1997年
 Sam Tannenhaus, Wittaker Chambers - A Biography. 計638頁。ウィテカー・チェインバーズー伝記。
・1998年
 Helene Carrere d'Encausse, Lenin.<仏語>計527頁。〔レーニン〕
 =Helene Carrere d'Encausse, Lenin (New York, London, 2001).計371頁。〔レーニン〕
 =石崎晴己・東松秀雄訳・レーニンとは何だったか(藤原書店, 2006).計686頁。
 Dmitri Volkogonov, Autopsy for an Empire - The Seven Leaders who built the Soveit Regime. 計572頁。〔帝国についての批判的分析-ソヴィエト体制を造った七人の指導者たち〕
 Dmitri Volkogonov, The Rise and Fall of the Soviet Empire (Harper paerback, 1999).計572頁。ソビエト帝国の成立と崩壊。
 *参考:生田真司訳・七人の首領-レーニンからゴルバチョフまで/上・下(朝日新聞社、1997。原ロシア語、1995)
・1999年
 Martin Malia, Russia under Western Eye - From the Bronze Horseman to the Lenin Mausoleum. 計514頁。〔西欧から見るロシア-青銅馬上像の男からレーニンの霊廟まで〕
・2000年
 Arno J. Mayer, The Furies - Violence and Terror in the French ans Russian Revolutions. 計716頁。〔激情-フランス革命とロシア革命における暴力とテロル〕
・2002年
 Gerd Koenen, Das Rote Jahrzent -Unsere Kleine Deutche Kulturrevolution 1967-1977 (独,5.aufl., 2011).計554頁。〔赤い十年-我々の小さなドイツ文化革命 1967-1977年〕
・2003年
 Anne Applebaum, Gulag -A History (Penguin).計610頁。〔グラク〔強制収容所〕-歴史〕
 =川上洸訳・グラーグ-ソ連強制収容所の歴史(白水社、2006)。計651頁。
・2005年
 Tony Judt, Postwar -A History of Europe since 1945. 計933頁。〔戦後-1945年以降のヨーロッパ史〕
・2007年
 M. Stanton Evans, Blacklisted by History - The Untold History of Senator Joe McCarthy and His Fight against America's Enemies. 計663頁。〔歴史による告発-ジョウ・マッカーシー上院議員の語られざる歴史と彼のアメリカの敵たちとの闘い〕
 Orlando Figes, The Whisperers - Private Life in Stalin's Russia. 計740頁〔囁く者たち-スターリン・ロシアの私的生活〕
 =染谷徹訳・囁きと密告/上・下(白水社、2011)-上巻・計506頁、下巻・計540頁(ともに索引等は別)。
 Robert Service, Comrades - Communism: A World History. 計571頁。〔同志たち-共産主義・一つの世界史〕
・2008年
 Robert Gellately, Lenin, Stalin and Hitler -Age of Social Catastrophe.計696頁。〔レーニン、スターリンとヒトラー-社会的惨害の時代〕
・2009年
 Archie Brown, The Rise and Fall of Communism.計720頁。〔共産主義の勃興と崩壊〕
 =Aufstieg und Fall des Kommunismus (Ullstein独, 2009 ).計938頁。
 =下斗米伸夫監訳・共産主義の興亡(中央公論新社, 2012).計797頁。
 Michael Geyer and Sheila Patrick (ed.), Beyond Totalitarianism - Stalinism and Nazism Compared (Cambridge). 計536頁。〔全体主義を超えて-スターリニズムとナチズムの比較〕
 John Earl Hayns, Harvey Klehr and Alexander Vassiliev, Spies -The Rise and Fall of the KGB in America (Yale). 計650頁。〔スパイたち-アメリカにおけるKGBの成立と崩壊〕
 David Priestland, The Red Flag -A History of Communism (Penguin, 2010). 計676頁。〔赤旗-共産主義の歴史〕
 =David Priestland, Welt-Geschchte des Kommunismus -Von der Franzaesischen Revolution bis Heute <独語訳>.〔共産主義の世界史-フランス革命から今日まで〕
・2010年
 Timothy Snyder, Bloodlands -Europa zwischen Hitler und Stalin (Vintage, and独語版, 2011). 計523頁。〔血塗られた国々-ヒトラーとスターリンの間のヨーロッパ〕
 =布施由紀子訳・ブラッドランド-ヒトラーとスターリン・大虐殺の真実(筑摩書房、2015)/上・下。-上巻計346頁、下巻計297頁(+4頁+95頁)。
・2011年
 Herbert Hoover, Freedom Betrayed - Herbert Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath. 計957頁。〔裏切られた自由ーハーバート・フーバーの第二次大戦とその余波に関する秘密の歴史〕
 =渡辺惣樹訳・裏切られた自由-フーバー大統領が語る第二次大戦の隠された歴史とその後遺症/上・下(草思社、2017)-上巻702頁・下巻591頁。
・2015年
 Thomas Krausz, Reconstructing Lenin - An Intellectual Biography. 計552頁。〔レーニンを再構成する-知的伝記〕
 Herfried Muenkler, Der Grosse Krieg -Die Welt 1914-1918. 計923頁。〔大戦-1914-1918年の世界〕
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 1981年の項に、B.Wolfe の一冊を追記した(邦訳書はない)。/2018.03.27

1724/T・ジャット(2008)によるL・コワコフスキ⑥。

 トニー・ジャット・失われた二〇世紀/上(NTT出版、2011。河野真太郎ほか訳)、第8章・さらば古きものよ?-レシェク・コワコフスキとマルクス主義の遺産(訳分担・伊澤高志)の紹介=基本的には書き写しのつづき。
 今回も原注の邦訳の一部をすべて省略する。
 紹介の➃に追記することを忘れてこの欄のその次の回に「この機会に追記しよう」として書いてしまった一部は全く不要だった。
 L・コワコフスキの原書・原論考の最後の skull に関して、シェイクスピア・ハムレットうんぬん等と記したのだったが、原邦訳書のp.195の末尾に、T・ジャットの原書がこのコワコフスキの最後の文章を引用しており、邦訳者がきちんと当該部分を邦訳し、skull を「髑髏」と適確に訳し、かつおそらく邦訳者自身が「ハムレット・第五幕第一場のパロディ」とまで挿入してくれている。
 むろん一度はこのT・ジャットの文章を全部読んだはずだったが、記憶忘れ、つぎに紹介する部分の見忘れが甚だしく、いやになる。
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 さて、前回に紹介した部分以降は、コワコフスキの名も出てくるが、ほとんどがトニー・ジャット自身の<マルクス主義論>だ。
 あらためて概括し、私なりに論評することはしない。簡単な言及のみ。
 T・ジャットによって用いられている「リベラル・リベラリズム」という語・概念が日本での用法とかなり異なることには、注意されてよいと思われる。そしてまた、T・ジャットはこれを擁護する論者・支持者のごとくであり、かつ、<左と右の>両翼の反民主主義または「全体主義」に反対する論者のようだ(後者の語は明確には出てこないが、「包括的な支配」という語は使っている)。
 最後にコワコフスキの名を挙げつつ、この人を読んで「マルクス主義」と闘うべき、と主張するのではなく、「時宜を得た幻想」の力強さを指摘して、冷静に?締めくくっているのも、興味深いかもしれない。
 トニー・ジャットは、この文章からも明確なように、明確な<反マルクス主義>者だ。そしてまた、この人がいう「システム」または体制としての「コミュニズム(共産主義)」に対しても、断固として厳しい立場に立っている(と読める)。
 彼は、L・コワコフスキの三巻本(1978年刊行)を若いうちに読み、今世紀に入ってからのアメリカ・ノートン社による三巻合冊本の新発行(内容は同じ。コワコフスキの「新しい」緒言・後記だけがコワコフスキの新しい執筆)を「歓迎」して,この文章を書評誌に掲載した。
 L・コワコフスキ等々のマルクス主義(・コミュニズム)に関する書物もよく読んでいて、それを基礎にして、T・ジャット自身の<マルクス主義観・論>を執筆しておきたかったのかもしれない。
 むろん、T・ジャットは単純で幼稚な、原理主義的な<反共産主義者>ではない。彼はアメリカのイラク戦争に反対した知識人の一人だったようだが、この文章にも見られるように、「右」側にも警戒的で、ソ連解体後の<資本主義・市場主義勝利の喝采者たち>も揶揄している。
 トニー・ジャットはL・コワコフスキの本を読んでおり、かつ「生き続けている」ものとして、このマルクス主義にかかわる文章を書いた。
 日本と日本人にも、もちろん、示唆的だ。「日本会議」の趣意書のごとく、「マルクス主義の過ちは余すところなく明らかになった」などと暢気に語っていたのでは(1997年)、戦いをとっくに放棄していることになる。これに属している学者たちは、その他有象無象の櫻井よしこらも含めて、信頼できない。
 L・コワコフスキの<マルクス主義の主要潮流>を読んだ日本人がいかほどいるのか。
 このT・ジャットのような文章を書ける日本の「知識人」は、一人でもいるのか。
 そう思うと、身震いがする。怖ろしい。日本の論壇・学界・「知識人」界は、(今回に紹介する部分で)T・ジャットの言う、<国際的な「辺境」や〔世界の〕学問の周縁でのみ>生きている人たちで成り立っているのだろう。
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 ラディカルな政治の未来がコミュニズムの先達の罪と失敗に心動かされることのない(ひょっとしたらそれらに無自覚な)新しい世代のマルクス主義者たちのものなのかどうか、それは分からない。
 私はそうならないことを望むが、そうならないと賭けることもしない。
 かつてミッテランの政治顧問を務めたジャック・アタリは、カール・マルクスについて大部の急いで書いたらしい著作を、昨年出版した。
 そこで彼は、ソ連の崩壊はマルクスをその相続者から解放し、また特に制限なき競争によって生じた世界的な不平等という現代のジレンマを予見した資本主義についての明察に満ちた予言者をマルクスの中に見出すことを可能にした、と述べた。
 アタリの著は、よく売れている。
 彼のテーゼは、広く議論されている。
 フランスでも、イギリスでもだ(イギリスでは、2005年のBBCによる投票で、視聴者はカール・マルクスを「史上最も偉大な哲学者」に選んでいる(注20))。//
 アタリはトンプソンと同じように、コミュニズムの優れた理念は、それが実際にとった都合の悪い形態から切り離して救うことができるという主張をしているわけだが、これに対しては、コワコフスキがトムソンに示した反応に倣って応答することもできるだろう。
 「何年にもわたって、コミュニストの理念を改善し、刷新し、悪い部分を取り除き、あるいは修正するという試みには、何も期待などしてこなかった。
 ああ、哀れな思想よ。
 この髑髏は、二度と微笑むことなどないのだな」〔『ハムレット』五幕第一場のパロディ〕といったふうに。
 しかし、ジャック・アタリは、エドワード・トムソンや近年再び表舞台に登場してきたアントニオ・ネグリとは違って、時局の変化にきちんと波長を合わせた鋭い政治的アンテナをもつ人物だ。
 もしもアタリがその髑髏が再び微笑むと考え、左翼によるシステム構築を志向する瀕死の説明が復活すべきものだと考えるとしても、そうなっても、現代の右翼の自由主義市場者たちの癪にさわる説明が自信過剰を引き立たせるだけであっても、彼は完全に見当違いをしている、というわけではあるまい。
 彼に同調する者がいることは、確かなのだ。//
 このように、この新しい世紀の最初の年月に私たちは、二つの対立する、しかし奇妙に似通った幻想に直面していることに気づく。
 一つめの幻想は、アメリカ人に最も馴染みがあるが、しかし全ての先進国で大いに売り出されているものだ。
 それは、今日合意されている政策は、はっきりした代替案を欠いている以上、あらゆる近代民主主義を適正に管理するための条件で、いつまでも続くものだという、注解者や政治家、専門家たちの、自惚れの強い協調主義的な主張だ。
 同時に、それに反対する者は誤解をしているか、または悪意があるのかのいずれかで、いずれの場合であれ、見当違いであることがはっきりするだろう、という主張だ。
 二つめの幻想は、マルクス主義には知的・政治的未来がある、という信念だ。
 それは、コミュニズムの崩壊にもかかわらずというだけでなく、それゆえに、というものだ。
 今までのところ国際的な「辺境」や学問の周縁でのみ見られるものだが、このマルクス主義、つまり政治的予言としてではないとしても、少なくとも分析ツールとしてのマルクス主義に対する新しい信念は、主として競争相手がいないという理由で、今や再び、国際的な抵抗運動の共通手段となっている。//
 もちろん、この二つの幻想は、過去から学ぶことをともに失敗している点が、類似している。
 そして、相互依存的である点も、類似している。
 というのは、前者の近視眼こそが、後者の主張に見せかけの信頼性を与えているからだ。
 市場の勝利と国家の後退に喝采を送る者たち、今日の「平板化した」世界で経済が何の規制も受けずに主導権を握るという見通しを私たちに歓迎させたいと思う者たちは、私たちがかつてこの同じ道を辿ったときに何が起こったのかを、忘れている。
 同じことが起こったとき、彼らは激しいショックを受けることになるだろう(たとえ過去が信頼できる案内者だとしても、その場合おそらく、ほかの誰かを犠牲にーしたうえだろうが)。
 デジタル・リマスタリングされ、コミュニズムの耳障りな雑音を除去したマルクス主義のテープを再上映することを夢見る者は、すぐにでも問いかけるのがいいだろう。
 包括的な思考の「システム」のいったいどの部分が、包括的な支配の「システム」に不可避的につながることになるのか、と。
 すでに見たように、これについては、レシェク・コワコフスキを読むことで得るものが多いだろう。
 しかし、歴史が記録しているのは、時宜を得た幻想ほど強力なものはない、ということだ。//
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 以上、終わり。邦訳書のp.197まで。
 この紹介の前回部分で注記なくT・ジャットが名を挙げて言及している「マルクス主義に対して厳しい批判をする者の一人であるポーランドの歴史家」のアンジェイ・ヴァリツキ(ワリツキ)の大著については、この欄の№1549=1917年5/18で論及している。これの日本語訳書は、(もちろん?)ない。
 内容構成(目次)だけを、以下に再掲する。
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 アンジェイ・ワリッキ・マルクス主義と自由の王国への跳躍-共産主義ユートピアの成立と崩壊〔Marxism and the Leap to the Kingdom of Freedom -The Rise and Fall of the Communist Utopia, 1995)。
 第1章・自由に関する哲学者としてのマルクス。
  第1節・緒言。
  第2節・公民的および政治的自由-自由主義との対立。
  第3節・自己啓発の疎外という物語-概述。
  第4節・パリ<草稿>-喪失し又は獲得した人間の本質。
  第5節・<ドイツ・イデオロギー>-労働の分離と人間の自己同一性の神話。
  第6節・<綱要>-疎外された普遍主義としての世界市場。
  第7節・<資本論>での自己啓発の疎外と幼き楽観主義の放棄。
  第8節・将来の見通し-過渡期と最後の理想。
  第9節・ポスト・マルクス主義社会学伝統における資本主義と自由-マルクス対ジンメルの場合。
 第2章・エンゲルスと『科学的社会主義』。
  第1節・『エンゲルス的マルクス主義』の問題。
  第2節・汎神論から共産主義へ。
  第3節・政治経済学と共産主義ユートピア。
  第4節・諸国民の世界での『歴史的必然性』。
  第5節・『理解される必然性』としての自由。
  第6節・喪失した自由から獲得した ?自由へ。
  第7節・二つの遺産。
 第3章・『必然性』マルクス主義の諸変形。
  第1節・カール・カウツキー-共産主義の『歴史的必然性』から民主政の『歴史的必然性』へ。
  第2節・ゲオルギー・プレハーノフ-夢想家の理想としての『歴史的必然性』。
  第3節・ローザ・ルクセンブルクまたは革命的な運命愛(Amor Fati)。
 第4章・レーニン主義-『科学的社会主義』から全体主義的共産主義へ。
  第1節・レーニンの意思と運命の悲劇。
  第2節・『ブルジョア自由主義』へのレーニンの批判とロシア民衆主義の遺産。
  第3節・労働者の運動と党。
  第4節・『単一政』の破壊と暴力の正当化。
  第5節・文学と哲学におけるパルチザン原理。
  第6節・プロレタリアート独裁と国家。
  第7節・プロレタリアート独裁と法。
  第8節・プロレタリアート独裁と経済的ユートピア。
 第5章・全体主義的共産主義から共産主義的全体主義へ。
  第1節・レーニン主義とスターリン主義-継承性に関する論争。
  第2節・世界の全体観念としてのスターリン主義的マルクス主義。
  第3節・『二元意識』と全体主義の『イデオロギー支配制』。
 第6章・スターリン主義の解体-脱スターリン主義化と脱共産主義化。
  第1節・緒言。
  第2節・マルクス主義的『自由』と共産主義的全体主義。
  第3節・脱スターリン主義化と脱共産主義化の諸段階と諸要素。
  第4節・ゴルバチョフのペレストロイカと共産主義的自由の最終的な拒絶。
 --- 以上。

1720/T・ジャッド(2008)によるL・コワコフスキ④。

 レシェク・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流は1976年に原語・ポーランド語版がパリで刊行され、1978年に英語訳版が刊行されている(第三巻がフランスでは出版されていない、というのは、正確には、<フランス語版>は未公刊との意味だ。-未公刊の旨自体はジャットによる発見ではなく、L・コワコフスキ自身が新しい合冊版の緒言かあとがきで明記している)。したがって、第三巻が「潮流」の「崩壊」(Breakdown, Zerfall)と題していても、1989-1992年にかけてのソ連・「東欧社会主義」諸国の「崩壊」を意味しているのでは、勿論ない。
 日本の1970年代後半といえば、「革新自治体」がなお存続し、日本共産党が「民主連合政府を」とまだ主張していた時期だ。
 1980年代前半にはこのコワコフスキ著の存在を一部の日本人研究者等は知ったはずだが、なぜ邦訳されなかったのか。2018年を迎えても、つまりほぼ40年間も経っても、なぜ邦訳書が刊行されていないのか。
 考えられる回答は、すでに記している。
 トニー・ジャット・失われた二〇世紀/上(NTT出版、2011。河野真太郎ほか訳)、第8章・さらば古きものよ?-レシェク・コワコフスキとマルクス主義の遺産(訳分担・伊澤高志)の紹介のつづき。
 前回と比べても一貫しないが、今回は原注の邦訳の一部を紹介する。原注の執筆者は、むろんトニー・ジャット(Tony Judt)。本文にも出てくる Maurice Merleu-Ponty (メルロ=ポンティ)とRaymond Aron (アロン)に関する注記が(注14)と(注15)だが、フランス語文献が出てくるこの二つはすべて割愛し、その他の後注の内容も、一部または半分ほどは省略する。
 なお、トニー・ジャットは20世紀の欧州史に関する大著があるアメリカの歴史学者で、最も詳しいのは「フランス左翼」の動向・歴史だったようだ(コワコフスキと同じく、すでに物故)。上の二人のフランス人への言及がとくにあるのも、そうした背景があると思われる。
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 『マルクス主義の主要潮流』は、マルクス主義に関する第一級の解説として唯一のものというわけではないが、これまでのところ最も野心的なものではある(注10)。
 この書を類書と分かつのは、コワコフスキのポーランド人としての視点だ。
 その点が、彼がマルクス主義を一つの終末論として重視していることの説明となりうるだろう。
 それは、「ヨーロッパの歴史に連綿と流れてきた黙示録的な期待の、現代における一変奏だ<*an eschatology-"a modern varient of apocalyptic expectations --">」。
 そしてそのことによって、20世紀の歴史に対する非妥協的なほど道徳的で宗教的とさえ言えるような読解が、許される。
 「悪魔<*the Devil>は、私たちの経験の一部だ。
 そのメッセージをきわめて真面目に受け入れるに十分なほど、私たちの世代は、それを見てきた。
 断言するが、悪<*evil>とは、偶然のものではなく、空白でも、歪みでも、価値の転覆でもない(あるいは、その反対のものと私たちが考える、他の何ものでもない)。
 そうではなく、悪魔とは、断固としてそこにあって取り返しのつかない、事実なのだ」(注11)。 
 西欧のマルクス主義注解者は誰も、どれだけ批判的であっても、このような書き方をしたことはなかった。//
 しかしその一方で、コワコフスキは、マルクス主義の内部だけではなくコミュニズムの下でも生きてきた者として、書いている。
 彼は、マルクス主義の知的原理から政治的生活様式への変遷の、目撃者だったのだ。
 そのように内部から観察され経験されると、マルクス主義はコミュニズムと区別することが難しくなる。
 コミュニズムは結局のところ、マルクス主義の実践的帰結として最も重要なものというだけでなく、その唯一のものだったのだから。
 マルクス主義の様々な概念が、自由の抑圧という卑俗な、権力を握ったコミュニストたちにとっての主要な目的のために日々用いられたことによって、時とともに、その原理自体の魅力がすり減ってしまったのだ。//
 弁証法が精神の歪曲と身体の破壊へと適用されたという皮肉な事態を、西欧のマルクス主義研究者が真剣にとりあうことは、なかった。
 彼らは、過去の理想か未来への展望に没頭し、ソ連の状況についての不都合なニュースには、犠牲者や目撃者たちから伝えられた際にさえも、平然としていた(注12)。
 コワコフスキが多くの「西欧」マルクス主義とその進歩的従者に対して強烈な嫌悪感をいだいた理由は、そのような人々と出会ったことであるのは確かだ。
 「教育のある人々の間でマルクス主義が人気を得ていることの原因の一つは、マルクス主義が形式的に単純なため、わかりやすいという事実だ。
 マルクス主義たちが怠惰であることや……〔マルクス主義が〕歴史と経済の全てを実際には学ぶ必要もなく支配することを可能にする道具であることに、サルトルでさえも、気づいていたのだ」(注13)。//
 このような出会いこそが、コワコフスキの最近出版された論集の冷笑的な表題エッセイを書かせることになった。*注(後注と区別されている本文全体の直後に追記されている文ー秋月)
 *<始まり> このエッセイ<秋月注-このジャッド自身の文章のことで、コワコフスキの上記エッセイとは別>は最初、コワコフスキの『マルクス主義の主要潮流』を一巻本で再刊しようとするノートン社の称賛に値する決定に際して、2006年9月の『ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス』誌に掲載された。
 私がE・P・トムソンに少し触れたことで、エドワード・カントリーマン氏からの猛烈な反論を引き起こした。
 彼の手紙と私の返答は、『ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス』誌2007年2月、54巻2号に掲載された。*<終わり> (*の内容は、原邦訳書p.197)
 英国の歴史家E・P・トムソン<*Thompson>は、1973年、『ソーシャリスト・レジスター』誌に「レシェク・コワコフスキへの公開書簡」を掲載し、このかつてのマルクス主義者を、若き頃の修正主義的コミュニズムを放棄したことで西欧の彼の崇拝者たちを落胆させた、と咎めた。
 「公開書簡」は、堅苦しい小英国主義者としてのトムソンの最悪の面を、よく表すものだった。
 それは冗長で(印刷された紙面で100頁にも及ぶ)、いばった調子で、殊勝ぶったものだった。
 勿体ぶった、扇動的な調子で、彼を信奉する進歩的読者に対しては意識しつつ、トムソンは、流浪の身のコワコフスキに対してレトリックをもって警告を与えようとし、彼の変節を咎める。
 「私たちはともに、1956年のコミュニズム的修正主義を代表する声だった。
 ……私たちはともに、スターリニズムに対する正面切った批判から、マルクス主義的修正主義の立場へと移った。
 ……貴方と、貴方の依って立った大義とが、私たちの最も内側の思考のなかに存在したときもあった」。
 トムソンがイングランド中部の葉の茂った止まり木から見下ろして言うのは、よくもお前は、コミュニズム下でのポーランドでの不都合な経験によって、われわれ共通のマルクス主義の理想という見解を妨害することで、われわれを裏切ってくれたな、ということだ。//
 コワコフスキの応答である「あらゆる事柄に関する私の正確な見解<*My Correct Views on Everything>」は、政治的議論の歴史で最も完璧になされた、一人の知識人の解体作業であるかもしれない。
 これを読んだ者は、二度とE・P・トムソンの言うことを真面目に受け取ることがなくなるだろう。
 このエッセイが分析する(そして徴候的に例証する)のは、コミュニズムの歴史と経験によって「東欧」と「西欧」の知識人たちの間に穿たれ、今日もなお残されている大きな精神的な隔たりだ。
 コワコフスキが容赦なく批判するのは、トムソンの熱心で利己主義的な努力、マルクス主義の欠陥から社会主義を救おうという努力、コミュニズムの失敗からマルクス主義を救おうとする努力、そしてコミュニズムをそれ自身の罪から救おうとする努力だ。
 トムソンはそれら全てを、「唯物論的」現実に表面上は根差した理想の名のもとに行っている。
 しかし、現実世界の経験や人間の欠陥によって汚されないままにされることによって、その理想は保たれていたのだ。
 コワコフスキは、トムソンにこう書いている。
 「貴方は、『システム』の観点から考えることが素晴らしい結果をもたらす、と言っている。
 私も、そのとおりだと思う。
 素晴らしいどころではなく、奇跡的な結果をもたらす、と。
 それは、人類の問題すべてを、一挙に簡単に解決してくれるのだろう」。//
 人類の問題を、一挙に解決する。
 現在を説明し、同時に未来を保障してくれるような包括的理論を見つけ出す。
 現実の経験の腹立たしい複雑さと矛盾とをうまく解消するために、知的または歴史的「システム」という杖に頼る。
 観念や理想の「純粋」な種子を、腐った果実から守る。
 このような近道は、いつでも魅惑的で、もちろんマルクス主義者(あるいは左翼)の専売特許というわけではない。
 しかし、そのような人間的愚行のマルクス主義的変種はせめて忘れ去ってしまおう、というのが魅惑的なことなのは、理解できる。
 コワコフスキのようなかつてのコミュニストが備える醒めた明察と、トムソンのような「西欧」マルクス主義者の独善的な偏狭さとの間に、歴史それ自体による評決が下されてしまったことは言うまでもなく、この論争の主題は、すでに自壊してしまったように見えるだろう。//
 たぶん、そうだったのだ。
 しかし、マルクス主義の盛衰の奇妙な物語を、急速に遠のいていき、もはや今日的な重要性のない過去へと委ねてしまう前に、マルクス主義が20世紀の想像力に及ぼした際立って強い支配力を思い出すべきだろう。
 カール・マルクスは失敗した予言者だったかもしれないし、彼の弟子のうち最も成功した者たちでさえ、徒党を組んだ独裁者たちだったかもしれないが、マルクス主義の思想と社会主義のプロジェクトは、20世紀の最良の精神の持ち主たちに、比類なき影響力を及ぼした。
 コミュニズムの支配の犠牲となったような国々でも、その時代の思想史と文化史は、マルクス主義の諸理念とその革命の約束がもつ、強い魅力から切り離すことはできない。
 20世紀の最も興味深い思想家たち<*thinkers>の多くが、モーリス・メルロ=ポンティによる称賛を認めただろう。
 「マルクス主義は、歴史哲学の一つというわけではない。
 それこそが歴史哲学であり、それを放棄することは、歴史に理性の墓穴を掘ることだ。
 その後には、夢や冒険が残るだけだ」(注14)。//
 マルクス主義はかくのごとく、現代世界の思想史と密接に絡み合っている。
 それを無視したり忘れてしまったりするのは、近い過去を故意に誤解することに他ならない。
 元コミュニストやかつてのマルクス主義者--フランソワ・フュレ、シドニー・フック、アーサー・ケストラー、レシェク・コワコフスキ、ヴォルフガング・レオンハルト、ホルヘ・センプルン、ヴィクトル・セルジュ、イニャツィオ・シローネ、ボリス・スヴァーリン、マネス・シュペルバー、アレグザンダー・ワット、そのほか多くの者たち--は、20世紀の知的・政治的生活について最良の記録を書き残している。
 レーモン・アロンのように生涯にわたって反コミュニストだった人物でさえ、マルクス主義という「世俗の宗教」に対する拭いがたい興味を認めることを恥じはしなかった(マルクス主義と戦うことへのオブセッションが、つまるところ、所を変えた一種の反聖職者主義だと認めるほどだ)。
 そのことは、アロンのようなリベラル派<*a liberal>が、自称「マルクス主義者」の同時代人の多くよりもマルクスとマルクス主義にはるかによく通じていることに、特別な自負を抱いていた、ということを示している(注15)。
 あくまでマルクス主義との距離を保った存在だった<the fiercely independent>アロンの例が示すように、マルクス主義の魅力は、馴染みのある物語、つまり古代ローマから現代のワシントンにまで見られるような、三文文士やおべっかい使い<*scribblers & flatters>が独裁者にすり寄るという物語、それをはるかに越えたものだ。
 三つの理由によって、マルクス主義はこれほど長持ちし、最良で最も明晰な知性の持ち主たちをこれほど惹きつけた。
 第一に、マルクス主義は非常に大きな思想だからだ。
 そのまったくの認識論的図々しさ<*sheer epistemological cheek>、つまりあらゆる物事を理解し説明しようというきわめて独特な約束は、様々な思想を扱う者たちに訴えかけたが、まさにその理由によって、マルクス自身にも訴えかけた。
 さらに、ひとたびプロレタリア-トの代わりにその名で思考することを約束する政党をおけば、革命的階級を代弁するだけでなく、古い支配階級にとって代わることも志向する集合的な(グラムシの造語の意味での)有機的知識人<*a collective organic intellectual>を創造したことになるのだ。
 そのような世界では、諸観念は、ただの道具ではなくなる。
 それらは、一種の制度的支配を行う。
 それらは、是認された路線に従って、現実を書き直すという目的のために利用される。
 コワコフスキの言葉を使えば、諸観念はコミュニズムの「呼吸器官」なのだ(ついでに言えば、それはファシズムに発する他の独裁制と区別するものだ。それらはコミュニズムとは違って、知的な響きのある教条的なフィクションを必要としない)。
 そのような状況では、知識人たち--コミュニストの知識人たち--は、もはや権力に対して真実を語るだけの存在ではない。
 彼らは、権力を持っているのだ。
 あるいは、少なくとも、この過程についてのあるハンガリー人の説明によれば、彼らは、権力への途上にある。
 これは、人を夢中にさせる考えだ(注16)。//
 マルクス主義の魅力の二つ目の源泉は、--<以下、つづく>
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 (注10) 見事にまとまっていて、それでいて人と思想とともに政治学と社会史をも含む、マルクス主義に関する一巻本の研究として今でも最良のものは、1961年にロンドンで最初に刊行された、ジョージ・リヒトハイム<*George Lichtheim>の Marxism: An Historical and Critical Study だ。
 マルクス自身については、デイヴィッド・マクレラン(<中略>、1974)と Jerrold Seigel (<中略>、2004)による70年代以来の全く異なった二種類の伝記が最良の現代的記述となっているが、1939年に出たアイザイア・バーリンの卓越した論考、Karl Marx: His Life and Enviroment によって補完されるべきだろう。
 (注11)"Devil in History", in My Current Views, p.133。<以下、省略>
 (注12)そのような証言が信頼できないという点が、長い間スターリニズムに対して繰り返された西側諸国からの弁明のテーマだった。それと全く同じように、かつてのアメリカのソヴィエト研究者たちは、ソヴィエト圏の亡命者や移民たちからもたらされる証拠や証言を、割り引いて考えていた-あまりに個人的な経験は、その人の視野を歪め、客観的分析を妨げるのだ、と広く考えられていた。
 (注13)コワコフスキの抱く西欧進歩主義者に対する軽蔑は、彼の同朋のポーランド人やほかの「東欧人」たちにも共有されている。
 1976年に詩人アントニン・スロニムスキーは、その20年前にジャン=ポール・サルトルがソヴィエト圏の作家たちに対して、社会主義を放棄しないように、それによってアメリカ人と向き合う「社会主義陣営」が弱まってしまうことのないように、鼓舞したことを想起している。<以下、省略>
 (注14)・(注15)<省略>
 (注16) Georgy Konrad and Ivan Szelenyi, The Intellectuals on the Road to Class Power (New York: Harcourt, Brace, Jovanovich, 1979)〔G・コンラッド=I・セレニー『知識人と権力-社会主義における新たな階級の台頭』船橋晴敏ほか訳、新曜社、1986年〕。<以下、省略>
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 以上、原邦訳書の本文p.185の半ばから、p.190途中まで。後注は、同p.242-3。
 上の(注10)に邦訳者の(注16)のような日本語版紹介はないが、G・リヒトハイムの本には、以下の邦訳書がある。
 G・リヒトハイム//奥山次良=田村一郎=八木橋貢訳・マルクス主義-歴史的・批判的研究(みすず書房、1974年)。

1719/T・ジャット(2008)によるL・コワコフスキ③。

 トニー・ジャット・失われた二〇世紀/上(NTT出版、2011。河野真太郎ほか訳)、第8章・さらば古きものよ?-レシェク・コワコフスキとマルクス主義の遺産(訳分担・伊澤高志)の紹介のつづき。
 前回と比べて一貫しないが、今回は原注の邦訳も紹介する。原注の執筆者は、もちろん トニー・ジャット(Tony Judt)。
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 『主要潮流』の第三巻は、多くの読者が「マルクス主義」と考えるだろうもの、つまり1917年以降のソヴィエト共産主義と西欧マルクス主義思想の歴史を扱った部分だが、それはぶっきらぼうに「崩壊<The Breakdown>」と題されている。
 スターリンからトロツキーに至るソヴィエト・マルクス主義にはこのセクションの半分しか当てられておらず、残りはほかの国々の20世紀の思想家に割り当てられている。
 そのうちいく人か、とくにアントニオ・グラムシジェルジ・ルカーチは、20世紀思想を学ぶ者にとっては興味の対象であり続けている。
 また、ほかの者たち、例えばエルンスト・ブロッホカール・コルシュ(ルカーチの同時代のドイツ人)は、もっと好古趣味的な関心の対象だ。
 さらにほかの者たち、とりわけリュシアン・ゴルドマンハーバート・マルクーゼは、コワコフスキが彼らをほんの数ページで片付けてしまった70年代中葉よりも、現在ではさらに、興味深い存在ではなくなっている。//
 この本の最後は、「スターリンの死以後のマルクス主義の展開」で、そこでは、コワコフスキはまず彼自身の「修正主義者としての」過去を簡単に振り返り、ついでほとんど間断ない侮蔑的な調子で、その時代のつかのまの流行を記録し始める。
 それは、サルトルの『弁証法的理性批判』と、そのはなはだしく愚かしい「不必要な新造語」から、毛沢東の「田舎農民のマルクス主義」と、その西洋の無責任な崇拝者たちに至るものだ。
 このセクションを読む者は、この著作の第三巻にもともと付されていた序文で、あらかじめ警告を与えられている。
 そこで著者は、この最終章で扱われる題材に関しては「敷衍してもう一巻書くこともできた」ということを認めつつ、「この主題はそれほど長大にして扱うほどの本質的価値のあるものとは思えなかった」と結論づけている。
 おそらくここで記しておくべきは、『主要潮流』の最初の二巻はフランスで出版されているが、このコワコフスキの代表作の第三巻にして最終巻は、いまだにフランスでは出版されていない、ということだ。//
 コワコフスキによるマルクス主義の学説に関する歴史記述の驚くべき幅の広さを、短い書評で示すことは、まったく不可能だ。
 それがほかの著作にとって代わられることも、ないだろう。
 いったい誰が、これほど詳細に、これほど洗練された分析によって、この領域に再び足を踏み入れるだけの知識を得ることが、あるいはそれを望むことが、あるだろうか。
 『マルクス主義の主要潮流』は、社会主義の歴史ではない。
 著者は、政治的文脈や社会組織については、わずかに触れるにすぎない。
 この本は、正面切って思想を語るもので、かつて有力だった理論と理論家の一族の盛衰を語る教養小説で、その最後の生き残りの子供のひとりが、懐疑的で、かつての迷いが解けた老年時代に語った物語なのだ。//
 コワコフスキのテーゼは1200頁にわたって示されているが、率直で、曖昧なところはない<*straightfoward & unanbiguous>。
 彼の見解ではマルクス主義は真剣に考えられるべきものだが、それは、階級闘争に関するその主張のためではない(それらはときには正しいものだったが、決して目新しいものではなかった)。
 また、資本主義の不可避の崩壊や、プロレタリア-ト主導の社会主義への移行を約束したからでもない(それは予測としては完全に外れた)。
 そうではなく、マルクス主義が独創的なロマン主義的幻想と断固とした歴史的決定論(*historical determinism>の、他にはない、そして真にオリジナルな混合物<*blend>を提示したからだ。//
 このように理解されたマルクス主義の魅力は、明白なものだ。
 マルクス主義は、世界がどのように動いているかを説明してくれた。
 つまり、資本主義と社会的階級関係に関する経済学的分析だ。
 それはまた、世界がどのように動くべきかを示してくれた。
 つまり、人間の諸関係の倫理学で、マルクスの若く理想主義的な思索によって示された(また、ジェルジ・ルカーチによるマルクス解釈によって示されていて、コワコフスキはルカーチ自身の妥協的キャリアを軽蔑しているにもかかわらず、その解釈にほぼ同意している(注06))。
 さらにマルクス主義は、マルクス(とエンゲルス)の著作からロシアでの後継者たちが引き出した歴史的因果関係に関する一連の主張によって、物事は将来的にはそのように動くだろうと信じるに足る、議論の余地のない根拠を与えてくれた。
 経済に関する記述、道徳に関する規範、政治に関する予言、これらの組み合わせは、強烈に魅惑的なもので、また便利なものでもあった。
 コワコフスキが述べているように、マルクスは今でも読む価値がある。
 ただし、ほかの者たちが自ら生じせしめた政治システムを正当化するためにマルクスを引き合いに出すときに、彼の理論がかくも変幻自在であるのはなぜか、ということを、私たちが理解する助けになる、そのかぎりで、読む価値がある(注07)。//
 マルクス主義とコミュニズムの関係とは、マルクスがスターリン(とレーニン)の手にかかって歪曲されてしまうことから「守る<*save>」ために、三世代にわたる西欧マルクス主義者たちが果敢にも最小限に抑えようとしてきたものだが、それについて、コワコフスキは歯に衣を着せぬものがある<*explicit>。
 なるほどマルクスは、ヴィクトリア王朝期のロンドンで生きた、ドイツ人著述家だった(注08)。
 彼はいかなる理解可能な意味でも20世紀のロシアや中国の歴史に関して責任などあるなどとは考えられないし、それゆえ数十年の長きにわたってマルクス主義純粋主義者たち<*Marxist purists>が、その創始者の真の意図を確証しようとしたり、マルクスとエンゲルスが自分たちの名のもとに将来なされる罪について何を考えていたかを確かめようとしたり努めてきたことは、無駄だし、余計なことだ。
 とはいえ、神聖なるテキストの真実に立ち返ることを繰り返し強調することは、コワコフスキがとくに注意を払っている、マルクス主義のセクト的側面を示すものではある。//
 それにもかかわらず、教義<*doctrine>としてのマルクス主義は、それが生み出した政治的運動とシステムの歴史から切り離せるものではない。
 事実、マルクスとエンゲルスの論法には、決定論という核がある。
 それは、以下のような主張だ。
 「つまるところ」、人間には決定的な支配などできぬ理由によって、物事はそうあるべき姿になるのだ、と。
 このような断言は、古いヘーゲルを「逆さま」にすることや、歴史の核心に物質的原因(階級闘争、資本主義の発展の法則)を議論の余地のないかたちで挿入すること、それらに対するマルクスの欲望<*desire>から生じたものだ。
 このような都合のよい認識論的背景に、プレハーノフやレーニン、その追随者たちは、歴史的「因果関係」の理論体系と、それを実践するための政治機構を、もたせかけようとした。//
 そのうえ、若きマルクスのもう一つの直観、すなわちプロレタリア-トは自分たちの解放が全人類の解放を告げるものとなる、被搾取階級という特別な役割のために、歴史の最終目的に対して特権的な洞察力を有している、という直観は、最終的にコミュニストがもたらした結果と深く結びつくもので、それは、プロレタリア-トの利害がそれを体現すると主張する独裁的政党に従属することによるものだった。
 マルクス主義による分析とコミュニズムの独裁とを結ぶこのような論理的連関の強固さは、レーニンがフィンランド駅〔1917年7月、弾圧から逃れたレーニンが降り立ったペテログラード(現サンクトペテルブルク)の駅〕近くのどこかに逃れるずっと以前から、コミュニズムのもたらす帰結を予測しそれに警告を発していた、ミハイル・バクーニンからローザ・ルクセンブルクにいたる多くの観察者や批判者の存在から、判断できるだろう。
 もちろん、マルクス主義は、違う方向へ進んだかもしれない。
 あるいは、どこへも向かわずに消え去ったかもしれない。
 しかし、「レーニンのマルクス主義は、唯一の可能性ではなかっただろうが、きわめてもっともらしく響くものだった」(注09)。//
 なるほど、マルクスもその後継者も、産業プロレタリア-トによる資本主義の打倒を説く教義が大部分が農村の立ち遅れた社会で力を得るなどとは、意図も予想もしていなかっただろう。
 しかし、コワコフスキにとっては、このようなパラドクスは信念の体系としてのマルクス主義の力を強調するものにすぎない。
 もしもレーニンとその信奉者たちが自分たちの成功を不可避的な必然だ<*ineluctable necessity>と主張しなければ(そして遡及的に理論上の正当化を行わなければ)、その主意主義的<*voluntaristic>努力は、決して成功しなかっただろう。
 また、何百万もの外部の崇拝者たちにとって、あれほど説得力のある模範にもならなかっただろう。
 ドイツ政府が秘密車両でレーニンをロシアに送り届けたことで可能になったご都合主義的な政変<*opportunistic coup>を「不可避の」革命に転じるためには、戦術的な才能だけでなく、イデオロギー的信念の広範囲にわたる実践が、必要だった。
 コワコフスキは、まったく正しい。
 政治的マルクス主義は、なににも増して、世俗化した宗教<*secular religion>だったのだ。//
 (原邦訳書・原著、一行空白)
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 (注06)他の場所でコワコフスキは、ルカーチ--彼はベーラ・クンによる1919年のハンガリー・ソヴィエト共和国の文化委員を短期間務めており、スターリンの命令により、彼がそれまでに記した興味深い言葉の全てを捨て去った--について、「暴君のために知性を用いた」偉大な才能だと記した。結論として、「彼の著作が思考を刺激することはなく、彼の故国ハンガリーにおいてさえ、『過去の産物』とみなされている」。
 "Communism as a Cultural Formation", Survey 29, no.2 (Summer 1985); reprinted in My Own Correct Views on Everything as "Communism as a Cultural Force", p.81参照。
 (注07)"What Is Left of Socialism", first published as "Po co nam projecie sprawieldliworci spolecznej ?" in Gazeta Wyborcza, May 6-8, 1995; republished in My Own Correct Views on Everything.
 (注08)『主要潮流』で、マルクスは彼の精神的風景を支配しているドイツ哲学の世界に、確固たる地位を与えられている。社会理論家としてのマルクスは、ほとんど顧みられない。マルクスの経済学への貢献--労働価値説であれ、先進資本主義下での利益率低下の予言であれ--は、そっけなく片付けられている。マルクス自身が経済に関する彼の研究成果に満足していなかったことを考慮すれば(それが『資本論』が完成しなかった理由の一つだ)、これはありがたいことと考えるべきだろう。
 というのも、マルクス主義経済学の予言的な力は、少なくともジョゼフ・A・シュムペーターの Capitalism, Socialism, and Democracy (New York, London: Harper and Brothers, 1942)〔『資本主義・社会主義・民主主義(新装版)』中山伊知郎・東畑精一訳、東洋経済新報社、1996年〕以来、左翼にとってすら長いあいだ顧慮されてこなかった。
 それから20年後、ポール・サミュエルソンが恩着せがましくも、カール・マルクスはせいぜいで「マイナーなポスト・リカード主義者」だと認めたのだ。
 彼の弟子のいく人かにとってさえ、マルクス主義経済学は最初に登場してからの数年の歴史によって、実際的価値のないものとなってしまった。
 エンゲルスの友人でもあったエドゥアルト・ベルンシュタインは、Evolutionary Socialism (first published in 1899)で、資本主義的競争のはらむ矛盾が労働者の置かれた状態の悪化と革命によってしか解決できない危機を必ずもたらすことになるという予言を、決定的に解体した。
 この主題に関する英語での議論でいまだに最良のものは、Carl E. Schorske, German Social Democracy, 1905-1917: The Development of the Great Schism (Cambridge, MA: Harvard University Press, 1955 )だ。
 (注09)Kolakowski, "The Devil in History", Encounter, January 1981; reprinted in My Own Correct Views on Everything.          
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 以上、原邦訳書の本文p.185の途中まで。原注の訳は、同p. 243-4。
 コワコフスキの英訳書の各巻の表題(副題)は順番にThe Founders(創始者たち)、The Golden Age(黄金時代)、The Breakdown(崩壊)だと言及されている。ついでに記しておくと、ドイツ語訳書の各巻の表題(副題)は、順番に、Entstehung(生成・成立)、Entwickelung(発展・展開)、Zerfall(崩壊)で、前二者は必ずしも英語訳とは合致していない(コワコフスキの原書はポーランド語だとされている)。

1718/T・ジャット(2008)によるL・コワコフスキ②。

  Tony Judt, Reappraisals - Reflections on the Fogotten Twentieth Century (New York, 2008).
   Chapter VIII, Goodbye to All That ? Leszek Kolakowski and the Marxist Legacy.
 邦訳書/トニー・ジャット・失われた二〇世紀/上(NTT出版、2011)。
   第8章・さらば古きものよ?-レシェク・コワコフスキとマルクス主義の遺産。
 上の原文を、その下の邦訳書(河野真太郎ほか訳)による訳(分担・伊澤高志/177頁~197頁)に添って紹介する。
 そのままの転記では能がないだろう。基本的にそのまま写すが、多少は日本語表記だけを、短くする方向で、改める。
 例えば、「したのである」→「した」、または「したのだ」。
 また、ひらがな部分の一部を漢字に変える。句読点も変えることがある。
 翻訳関係権利を侵害していないかと怖れもするが、上記のとおり代表訳者と分担訳者の氏名、邦訳書名は明らかにしており、かつ訳出内容・意味を変更するものではないので、違法性はないと考える。このような機会を持ち得たことについて、とくに伊澤高志には、謝意を表する。
 原邦訳書とは異なり、(リチャード・パイプス、L・コワコフスキの各著(や後者の論考)についてこの欄でしてきたように)一文ごとに改行し、本来の改行箇所には、//を付す。一部を太字にしているのも、秋月による。
 以下の<*->は原邦訳書にはない、Tony Judt の原著での元の英米語で、秋月が原著を見て挿入した。
 邦訳書でも訳出されている原注は箇所だけを示し、それらの内容は、以下では、さしあたりは、省略させていただく。
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 レシェク・コワコフスキは、ポーランド出身の哲学者だ。
 しかし、彼をこのように定義づけることは、正しくは-または十分では-ない。
 チェスワフ・ミウォシュや彼以前の多くの者たちと同じように、コワコフスキも彼の知的・政治的キャリアを、伝統的なポーランド文化に根づいた様々な特徴、つまり聖職者主義<*clericalism>、排外主義、反ユダヤ主義に対立するかたちで形成した。
 生まれた土地を1968年に追われ、コワコフスキは故国に戻ることもそこで著作を出版することもできなかった。
 1968年から1981年の間、彼の名前はポーランドの発禁作家の一覧に載せられていたし、彼をこんにち有名にしている著作の多くが国外で書かれ、出版された。//
 亡命中<*in exile>のコワコフスキはその大部分をイギリスで過ごし、1970年以来、オクスフォード大学オール・ソウルズ・カレッジ<*All Souls College>の特別研究員となっている。
 しかし、昨年〔2005年-秋月注、原訳書のまま。以下同じ〕のインタビューで彼が説明したように、イギリスは島で、オクスフォードはそのイギリスの中の島で、オール・ソウルズ(学生を受け入れていないカレッジ)はオクスフォードの中の島で、さらにレシェク・コワコフスキ博士はオール・ソウルズ内部の島、「四重の島」なのだ (注1)。
 かつては実際に、ロシアや中欧からの亡命知識人のための場所が、イギリスの文化的生活には、あった。
 ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン〔オーストリア出身〕、アーサー・ケストラー〔ハンガリー出身〕、アイザイア・バーリン〔ラトヴィア出身〕のことを考えてほしい。
 しかし、ポーランド出身の元マルクス主義者でカトリックの哲学者はもっと珍しい存在で、国際的な名声にもかかわらず、レシェク・コワコフスキは彼の永住の地では無名で、奇妙なほどに、正当な評価を受けていなかった。//
 しかしながら、イギリス以外の場所では、彼は有名<*famous>だ。
 同世代の中欧出身の学者たちと同じく、コワコフスキも、ポーランド語やのちに身につけた英語に加え、ロシア語、フランス語、ドイツ語に堪能な多言語使用者で、多くの栄誉と賞を、とくにイタリア、ドイツ、フランスで手にしている。
 アメリカでは長らくシカゴ大学の社会思想委員会で教鞭をとったが、そこでも彼の業績は広く認められ、2003年に米国議会図書館から第1回クルーゲ賞--ノーベル賞のない研究分野(とくに人文学<*the humanities>)での長年にわたる業績に対して与えられる賞--を与えられた。
 しかし、コワコフスキは、パリにいるときが一番落ち着くと何度か述べていることから分かるように、イギリス人でもなければアメリカ人でもない。
 おそらく彼のことは、20世紀版「文学界」の最後の傑出した市民<*the last illustrious citizen of the 20 th-Century Republic of Letters>と考えるのがふさわしいだろう。//
 彼が住んだ国々のほとんどで、レシェク・コワコフスキの著作で最もよく知られているのは(そしていくつかの国では唯一知られているのは)、三巻本の歴史書『マルクス主義の主要潮流』だ。
 1976年にポーランド語で(パリで)出版され、その二年後にイギリスでオクスフォード大学出版局によって出版、そして現在、ここアメリカで、一巻本としてノートン社から再刊された(注2)。
 この出版は、間違いなく、歓迎すべき事態だ。
 なぜなら、『主要潮流』は、現代人文学の金字塔<a monument of modern humanistic scholarship>だからだ。
 しかし、コワコフスキの著作の中でこれだけが突出していることには、あるアイロニーが見られるが、それは、この著者が「マルクス主義者」といったものでは決してないからだ。
 彼は、哲学者で、哲学史家で、カトリック思想家だ。
 彼は、初期のキリスト教セクトや異端の研究に多くの時間を費やし、また、過去四半世紀の間、ヨーロッパの宗教と哲学の歴史と、哲学的神学的思索とでも呼ぶべきものとに専心してきた(注3)。//
 コワコフスキの「マルクス主義者」時代は、戦後ポーランドの彼の世代の中で、最も洗練されたマルクス主義哲学者として傑出した存在だった初期の頃から、1968年に彼がポーランドを離れるまで続き、それは、きわめて短期間だった。
 そして、その時期の大部分で、彼はすでに、マルクス主義の教義に異を唱えていた<*dissident>。
 1954年という早い時期に、24歳の彼はすでに、「マルクス=レーニン主義イデオロギーからの逸脱<*straying>」によって非難を受けていた。
 1966年には「ポーランドの10月」の10周年を記念して、ワルシャワ大学でマルクス主義批判で有名な講演を行い、党指導者であるヴワディスワフ・ゴムウカによって「いわゆる修正主義<*revisionist>運動の主要なイデオローグ」だとして公式に弾劾された。
 当然にコワコフスキは大学の教授職を追われたが<expelled>、それは、「国の公式見解と相容れない意見を若者たちのうちに形成させた」ことによるものだった。
 西欧にやって来るまでに、彼はすでに、マルクス主義者ではなくなっていたのだ(後述のように、これは彼の崇拝者たちにとっては混乱の種だ)。
 その数年後、この半世紀で最も重要なマルクス主義に関する著作を書き上げてから、コワコフスキは、あるポーランド人研究者が丁重に述べたように、「この主題については関心を失っていった」(注4)。//
 このような彼の足跡は、『マルクス主義の主要潮流』の特質を説明するのに役立つものだ。
 第一巻「創始者たち<*The Founders>」は、思想史の慣習にのっとるかたちでまとめられている。
 弁証法や完全な救済というプロジェクトのキリスト教的起源から、ドイツ・ロマン派の哲学とその若きマルクスへの影響、そしてマルクスとその盟友フリードリッヒ・エンゲルスの円熟期の著作へと、流れが記述される。
 第二巻は、意味深長にも(皮肉な意味ではないと思うのだが)、「黄金時代<*The Golden Age>」と題されている。
 そこで述べられているのは、1889年に設立された第二インターナショナルから1917年のロシア革命までだ。
 ここでもコワコフスキは、とりわけ、注目すべき世代のヨーロッパの急進的思想家たちによって洗練された水準でなされた、様々な思想と論争とに関心を寄せている。//
 その時代の主導的なマルクス主義者であるカール・カウツキー、ローザ・ルクセンブルク、エドゥアルト・ベルンシュタイン、ジャン・ジョレス、そしてV・I・レーニンは、みなしかるべき扱いを受け、それぞれに章が割り当てられ、つねに効率よく明晰に、マルクス主義の物語でのその位置づけと、主要な主張とが、まとめられている。
 しかし、通常はこのような概説では目立つことはない人物に関する、いくつかの興味深い章がある。
 イタリアの哲学者アントニオ・ラブリオーラ、ポーランド人のルドヴィコ・クルジウィキ、カジミエシュ・ケレス=クラウス、スタニスワフ・ブジョゾフスキ、そしてマックス・アドラー、オットー・バウアー、ルドルフ・ヒルファーディングら「オーストリア・マルクス主義者」についての章だ。
 コワコフスキによるマルクス主義の記述でポーランド人の割合が相対的に高いことは、部分的にはポーランド出身者としての視点のためと、それらの人物が過去に軽視されてきたことに対して埋め合わせをするためであるのは、間違いない。
 しかし、オーストリア・マルクス主義者(本書全体で最も長い章の一つを与えられている)と同様に、彼らポーランド人マルクス主義者たちは、長らくドイツ人とロシア人によって支配されていた物語から忘れられ、そして消し去られてしまった中欧の、世紀末での知的豊穣さを、たゆまず思い出させてくれるものだ(注5)。//
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 これで邦訳書のp.180の末まで、全体のほぼ5分の1が終わり。

1717/トニー・ジャットにおけるレシェク・コワコフスキ①。

 一 伊澤高志(1978~)は、思いもかけず、重要な訳出の仕事をして、貴重な貢献をしたことになるだろう。
 トニー・ジャット・失われた二〇世紀(上・下)(NTT出版、2011)という邦訳書は五人が分担して訳して、河野真太郎(1974~)が「訳文の統一」を行ったとされる(下巻・あとがき、368頁)。
 上巻の177頁以下、第八章「さらば古きものよ?-レシェク・コワコフスキとマルクス主義の遺産」の邦訳を担当したのは、伊澤高志だ(下巻・あとがき、同上)。
 レシェク・コワコフスキは日本ではほとんど無名ではないかと思われ、とくにその『マルクス主義の主要潮流』は、欧米研究者の中にはコワコフスキといえば「マルクス主義の理論的研究」の第一人者として挙げる者もいるにもかかわらず、日本では邦訳書がない。昨秋に池田信夫がメール・マガジンでこの本をマルクス主義研究の「古典」として紹介していたようだが(全文を読んでいない)、「古典」とされるわりには、日本で翻訳されていない。考えられるその理由・背景は、すでに記している。
 そういう中で-すでに昨年に言及はしているのだが-、上の邦訳書は、L・コワコフスキの、神学者でも東欧お伽話作家でもない、社会・政治思想に論及するもので、十分に意味がある。
 むろん、もともとはトニー・ジャットの本だからこそ邦訳出版されたと見られ、トニー・ジャットの考え方の重要な一端も分かる。
 なお、トニー・ジャット(Tony Judt)をトニー・ジャッドとこの欄で記したことがあるのは間違い。また、コワコフスキ(Kolakowski)はコラコフスキ-と記載されていたこともあるが、英米語のlに該当しないポーランド語の独特のl(元来は斜め二本の線がつく)を英米語ふうに読んだ誤りのようだ。
 二 トニー・ジャットの上の本の上巻にあるⅡ部では「知識人の関与-その政治学」というタイトルのもとで、6人の「知識人」の書物を対象にして論評がなされている(たぶん全てが<書評誌または書評新聞>にいったん掲載されたものだ)。
 そのような論評・コメント類だから各著書・著者に対して「義理にでも」肯定的な評価を下しているのでは全くないのが、日本の新聞や雑誌の「書評」 欄と比べて新鮮なことだ。
 トニー・ジャットがほとんど手放しで賞賛していると言ってよいのはレシェク・コワコフスキの『マルクス主義の主要潮流』の三巻合冊本(の刊行予定)だけで、他のとくにつぎの3人の書物については、相当に厳しいまたは皮肉たっぷりの文章を載せている。
 表題だけ、記しておこう。いずれも、欧米<左翼>の者たちの本だ。
 ・「空虚な伽藍-アルセルチュールの『マルクス主義』」(6章)。
 ・「エリック・ホブズボームと共産主義というロマンス」(7章)。
 ・「エドワード・サイード-根なし草のコスモポリタン」(10章)。
 三 こうして書き始めたのも、トニー・ジャットのコワコフスキに関する上の記述と、 コワコフスキの死の直後の哀惜の情溢れる(しかしなお学問的な)文章-これにはたぶん邦訳がない-を紹介してみたくなったからだ。
 前者については、上記のようにすでに邦訳が出ている。だが、改めて紹介しておく意味はあるだろう。それに、すでにいったん訳されているので、邦訳にほとんど苦労は要らない、という利点もある。
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