秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

仏教

1510/日本の保守-宗教・神道と櫻井よしこの無知④02。

 ○ 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号(産経)p.84-89。
 この櫻井よしこの論考は、月刊正論3月号の<ポスト安倍・論壇は誰か ?>を主題とする、<保守>に関する特集の中にある。そして、この月刊正論3月号は、10人以上の論者に「保守」を語らせながら(その中にこの欄で紹介した小川榮太郎のものもあった)、前に八木秀次「保守とは何か」、最後に櫻井よしこ「これからの保守…」をもってきてそれらを挟むという編集スタイルをとっている。
 このように八木秀次と櫻井よしこを<保守>論者として重視するという編集姿勢そのものにすでに、産経新聞的または月刊正論的、または月刊正論編集部・菅原慎太郎的な<保守>の現況の悲惨さ、惨憺さが現れているだろう。
 上の櫻井論考は6頁あるが、神道・古事記等々は出てきても、「仏教」という語は一回も出てこない。
 櫻井よしこは「保守の特徴」の第一は「日本文明の価値観を基本とする地平に軸足を置」くことだとしている(そして「世界に広く心を開き続ける」ことだとする)。
 この程度のことは誰でも語ることができるし、場合によってはナショナル左翼もまた、この文章自体に反対することはないかもしれないレベルのものだ。
 問題はもちろん、「日本文明の価値観」として何を想定するかにさしあたりはなる。
 櫻井よしこが一切「仏教」に触れていないことは既に記した。櫻井が頻繁に言及しているのは、「十七条の憲法」と「五箇条のご誓文」で、後者は「ご誓文」だけの場合も含めて、(6頁に)7箇所も出てくる。
 「日本文明の価値観」を示したものとして櫻井が最初に挙げるのが「十七条の憲法」で、これと「五箇条のご誓文」は重なるとか似ているとかしきりに言っている。
 そして、聖徳太子・十七条の憲法-天武天皇・古事記-神道-天皇・皇室という流れの中で、「神道」を位置づける。
 明記はないが、「五箇条のご誓文」は(神道・)天皇・皇室中心の<明治>国家の最初の宣言文書という扱いだと理解して、まず間違いないだろう。
 ○ 「十七条の憲法」といえば聖徳太子だが、この人物名の問題は別として、聖徳太子は、仏教を日本で容認してよいかどうかの蘇我氏と物部氏の間の紛議・対立に際して前者を支持して仏教容認派勝利を決定的にした。これは、中学生の教科書にもあるだろう。
 櫻井は上の論考でも最近の別の文章でも聖徳太子を高く評価しているが、「仏教」とのかかわりはどう見ているのだろうか。週刊新潮2017年3/09号にこうある。
 「神道の神々のおられるわが国に、異教の仏教を受け入れるか否かで半世紀も続いた争いに決着をつけ、受け入れを決定したのが聖徳太子である。キリスト教やイスラム教などの一神教の国ではおよそあり得ない寛容な決定である」。
 この部分以外に「仏教」は出てこない。
 しかも、「異教」のそれを受容したことに日本文明または神道の「寛容」性を見る、という文脈の中で位置づけている。
 この頃からおよそ1400年経った。しかも150年ほど前にすぎない1800年代の後半までは、<神仏混淆>・<神仏習合>と言われる時代が長く続いた。かりに600年~1850年として、1250年も続いた。
 この歴史を、櫻井よしこは無視、または少なくとも軽視しているのではないか。
 天皇譲位問題に関するこの人の主張の基礎と同じく、ほとんど明治期以降にしか目を向けていないのではないか。あるいは、<明治日本>を最良・最高の日本だったと観念しているのではないか。
 別の観点から批判的にいえば、日本文明は「異教の仏教」を受け容れたが、基本的にいえば、キリスト教やイスラム教を受容しなかった。
 キリスト教・イスラム教と仏教は、日本人と日本国家にとって、明らかに違うだろう。
 しかし、櫻井よしこの文章には、そこに立ち入っていく姿勢・雰囲気はまるでない。
 聖徳太子以前の時代にだけ「日本文明」を限れば別だが、今や、あるいは飛鳥・奈良・平安等々という時代を通じてずっと、ある程度は日本化した、また日本で新登場した(新解釈された)と見てよい「仏教」を無視または軽視して、日本の伝統的な「文明」も「文化」も語ることはできない、と考えられる。
 櫻井よしこの視野は、偏狭だ。
 ○ 西尾幹二は「仏教に篤い心を持つ天皇も歴史上少なくありませんでした」と述べた(前回参照)。
 そのとおりだ。諸天皇・皇族は、<信教>のことなどを考える物質的・精神的余裕がなかった時代は別だが、おおむね神仏をともに崇敬していて、中には「仏教」により強く傾斜した天皇も少なくなかった、と思われる(逆に神道の方を重んじた時代・天皇もあったかもしれない)。
 キリがないだろうが、例えば西国三十三カ所巡拝(観音菩薩信仰)は平安時代の花山天皇に由来するともされる。
 また例えば、京都市には今でも無数に(正確には数多く)「門跡」寺院というのが残っていて、これは天皇・皇族が出家して法主等を務めた「仏教」寺院を意味する。
 北白川の曼殊院には秋篠宮殿下家族がご訪問の際の写真が掲示されている。有名寺院の中でも、他に、青蓮院、聖護院、三千院、仁和寺、大覚寺等々、数多く「門跡」である仏教寺院はある。
 櫻井よしこの蒙を啓くためにも、天皇・皇族の<墓陵/陵墓>について、以下に述べる。
 なお、秋月瑛二はこの問題についても<専門家>ではない。そうでなくとも、櫻井よしこがきっと知らないことを知っているし、櫻井よしこが関心を持たないことにも興味をもつのだ。
 ○ 櫻井よしこは、光格天皇を、天皇・皇室の<皇威>を高めた天皇として高く評価していたようだ。
 しかし、光格天皇は、櫻井よしこが本当は反対だったはずの<生前退位>を行なった天皇(最後の)であり、「院政」を敷いたかはこの概念の理解にもよるだろうが、現在のところ最後の<上皇>だった。
 天皇・皇室問題に関連して櫻井よしこがこの天皇に触れたとき(週刊新潮で取り上げたとき)、上のことはどの程度意識されていたのだろう。
 かつまた、光格天皇の死後どのように天皇の「墓陵」は造営されて管理された(管理されている)のか。
 いつぞや「美しい日本」との連載ものの中で下り参道の珍しい例として泉涌寺(京都)を挙げ、ほんの少し「御寺(みてら)」と呼ばれて天皇陵も周辺にあることを記した。
 明治天皇の曾祖父にあたる光格天皇の墓陵は「後月輪陵」といって、泉涌寺の周辺にある。以下、地図も付いて分かりやすいので、つぎの書物を参照する。
 藤井利章・天皇と御陵を知る辞典(日本文芸社、1990年)。
 祖父の仁孝天皇も同じ「後月輪陵」、父親の孝明天皇はその東の「後月輪東山陵」で、-現地で確認したことはないが-泉涌寺の近くでいわば寄り添っている。
 さらに、17世紀最初の皇位継承者だった後水尾天皇から、明生、後光明、後西、霊元、東山、中御門、桜町、桃園、後桜町、そして1770年即位の後桃園天皇まで、200年近くの各天皇の墓陵・御陵は全て「月輪陵」であり、泉涌寺の周辺に集中している。
 何となく「御寺(みてら)」という語を印象的に記憶していたが、こうして見ると、泉涌寺と天皇(家)の関係は、少なくとも日本近世ではきわめて密接だった。
 いや、場所的に近いだけで、寺院と墓陵は別だろう、という人が必ず出てくるので、さらに立ちいる。とりあえずは、上掲書の後水尾天皇の項にこうあるとだけ紹介する。
 「…崩御され、…泉涌寺において陵地を決定し、…夜入棺して、泉涌寺の僧徒がこれを手伝った」。p.243。
 つづける。

1508/日本の保守-「宗教観念」・櫻井よしこ批判④。

 ○ 西尾幹二・維新の源流としての水戸学/GHQ焚書図書開封第11巻(徳間書店、2015)に、つぎの旨の叙述がある。p.41-70、p.78-、p.95-101、p.167など。(以下、必ずしも厳密でない再述がありうる。但し、大きくは誤っていない)
 水戸光圀・大日本史の編纂にあたって論争点になった三つの「難問」があった。
 ①南朝(後醍醐)は正統か-楠木正成は逆賊でないのか、のほか、
 ②大友皇子(天智の子)は天皇としてよいか、②神功皇后を皇統の一代に数えるべきか。
 これらは、明治維新後の新政府の「歴史」理解の問題ともなり、「水戸学」・大日本史と同じ結論が維持された。
 ①南北朝のうち南朝が正統、②大友皇子は天皇に即位していた(弘文天皇と追号)、③神功皇后(=応神天皇の母)は天皇と同様には扱わない(天皇のように一代とは数えない)。
 以下は、内容も秋月の文になる。
 日本書紀は天武天皇とそれ以降の天武系の天皇のもとで編纂されたので、天智の子・大友皇子(母は伊賀采女)を天皇扱いにしているはずがない(当然だと思うので、確認しない)。大友が天皇に即位していたことを認めてしまえば、<壬申の乱>で天武は天皇を弑逆したことになるからだ。天皇から皇位を奪い取ったことになるからだ。
 大友が即位していなければ、辛うじて、天智天皇の死のあとの弟と子(天武からいうと甥)の間の<皇位継承の争い>という説明ができる。
 明治になって公式に大友皇子=弘文天皇とされたので、当然だが、その一代だけとっても(天智より後は)、日本書紀と今日の理解での各天皇の代数は、少なくとも一つずつ異なる
 <保守>の人々はときに、例えば櫻井よしこも、平気で<~代までつづく>と今日までの代数を示すが、これは明治期以降に「確定」 ?したものだ。
 ○ 同じく、西尾幹二・維新の源流としての水戸学/GHQ焚書図書開封第11巻(徳間書店、2015)は、西尾自身の言葉として、つぎのことを主張している。同旨は多々あるようだが、つぎの一箇所に限る。p.40。
 明治新政府の「廃仏毀釈というのは善い意味でも悪い意味でも非常に影響の大きい運動」でした。「『国家神道』が唱道され、仏教を廃し神道を重んじる」ことになった。「それが天皇家の復活に寄与したという一面がある」。
 「しかし長い目で見ると、仏教を否定したのは精神史上マイナスであったといわざるをえません。仏教に篤い心を持つ天皇も歴史上少なくありませんでした」。
 神道の重視は「天皇家の復活には役立った」。「しかし、その結果、日本人の宗教を痩せ衰えさせてしまったという面があるのです」。
 秋月瑛二も、この辺りの理解に賛同したい。私は、神社も寺院もたいていは好きで(レーニンやロシア革命にだけ関心があるのではない)、全国のかなり各地を回っているが、神社・神道と寺院・仏教の違いや類似性、日本化した(おそらく神道の影響を受けた、強いて今日的に分類すれば)仏教・寺院の存在を、肌感覚で感知することがある。
 ○ 櫻井よしこの、以下の論考は、その<保守(主義)宣言>と理解して、今後も複数回とり挙げる。
 櫻井よしこ「これからの保守に求められること」月刊正論2017年3月号(産経)p.84-。
 この中に、つぎの一節がある。
 「古事記は」、「日本が独特の文明を有することや、日本の宗教である神道の特徴を明確に示して」いる。
 「神道は紛れもなく日本人の宗教です」。p.85。
 このあと段落すら変えないで(改行することなく)、櫻井は古事記の話に入り、「自然が神々であり、それらはやがて人間になり、天皇と皇室が生まれたわけです」と、段落を結ぶ。p.85-86。 
 先に最後の部分に触れると、櫻井よしこは竹田恒泰の著を参照文献のごとく括弧内で挙げている。しかし、竹田恒泰もさすがに自然・神々・人間・天皇の関係を(永遠の自然史の流れとしてはともあれ)「事実」として主張しているのではなく、あくまで古事記に記述された<物語>の内容を説明しているだけだと思われる。
 しかるに、この櫻井よしこの書き方では、まるで天皇とは「現人神」だ。
 そのように「観念」するのはまだよいが、「神」と「天皇」・人間を同一視するかの叙述を「事実」のごとく叙述すべきではないだろう。
 そもそもはこのあたりにすでに、<観念・意識・精神>と<現実・事実>の境界の不分明な櫻井よしこの叙述の特徴が出ている。
 ○ 本来言及したいのは、上の点ではない。
 神道は日本の宗教である、というとき、二つの基本的な論点がある。
 一つは、そもそも「宗教」とは何かだ。明治期には、むしろ特定の<宗教>もどきのものとは神道は扱われなかったという逆説的な理解も可能だ。
 つまり、日本の神道は「宗教」ではなく、「伝統的習俗」類であって、例えば現在の憲法がいう「宗教」とは異なる、という理解も不可能ではないのだ。
 二つは、では、「仏教」は、日本の宗教ではないのか、という問題だ。
 上の引用部分では明らかではないが、櫻井よしこは明らかに、仏教よりも神道を重視している。一つだけとすれば、間違いなく、躊躇することなく、神道を挙げるに違いない。
 一つだけ取り上げる、又は最重視する「宗教」を敢えて名指しする、という考え方は、日本の<保守>あるいは日本国家や日本人にとって、望ましいことなのだろうか。
 ここで再び、冒頭近くに紹介した西尾幹二の主張・叙述に、目を向けるべきではないだろうか。
 櫻井よしこの「頭」は、観念的・単純で、偏狭なのだ。もともと関心があるテーマなので、つづける。

0848/<仏・共連合>の成立?②(終わり)。

 二 (つづき)
 ②別の某県某市のこれまたこの地域では有名な寺院の一つを訪れてみると、残念ながら写真を撮っておらず、文書・パンフをきちんと残していないことに今気づいたのだが、本堂近くに、まるで「九条の会」が主張しているような内容のビラか冊子のようなものが置かれてあった。
 先の①の寺院(・大会)よりも露骨に、「護憲」(と「反戦」)を呼びかけるものだった。
 仏教徒にも「政治的」活動の自由はある、とは一応は言えるのだろう。また、当該寺院の責任者たちは自らの信仰と「九条の会」の主張とは矛盾してない、むしろ合致している、と考えているかもしれない。
 だが、政治的には日本共産党系の運動といってよいのが常識的だと思われる「九条の会」の主張と似たようなことを書いた文書を参拝者の目に付きやすい場所に置くとは、あまりにも「政治的」に<幼稚な>感覚というものだろう。
 その寺院にもいろいろな檀家の人々がいると思われる(訪問者・参拝者の中には、私のような者もいる)。そのような直近の人々の(檀家総会の?)同意を得て、そのような文書を作成しているのだろうか。奇妙に感じながら、その寺院の境内を後にしたものだ。
 ③つぎは、全国的にも有名と見られる、日本の大寺院10に含める人もいるかもしれないほどの大寺院でのこと。
 その寺院の某建物の廊下に、10名の人物の顔写真を掲載した大きなポスターが貼ってあった。
 その10名のうち当該寺院の宗派「管長」以外の9名は、タテ長のポスターの右上から左下への順番で書くと、益川敏英(現京都産業大学理学部教授、ノーベル賞受賞者)、秋葉忠利(広島市長、元日本社会党国会議員)、湯川れい子(音楽評論家)、坪井直(被爆者)、麻生久美子(女優)、張本勲(元プロ野球選手)、田上富久(長崎市長)、小山内美江子(脚本家)、井上ひさし(作家)。
 これだけ並べると推測がつこうが、ポスターの中心には「核兵器のない世界を・あなたの未来のために国際署名にご協力を!」と書かれている。下部には、横書きで「私たちは、/核保有国をはじめとするすべての国の政府がすみやかに核兵器禁止・廃絶の交渉を開始し、締結することに合意するようよびかけます」との一文が記載されている。
 そのまた下に小さく書かれているこのポスターの製作者名は、次のとおり。
 「〇『核兵器のない世界を』国際署名キャンペーン事務局 〇113-8464東京都文京区湯島2-4-4平和と労働センター6階 原水爆禁止日本協議会気付 〔TEL、URL省略〕」
 井上ひさし小山内美江子ですでに「左翼」色は明確なのだが(よく知らないが、益川敏英もたんに名声?を「利用」されているのではない、<確信的な>活動家的信条の持ち主だと書いていた人もいる)、上記事務局の「気付」先とされる「原水爆禁止日本協議会」とはいわゆる(日本)原水協で、日本共産党系(直属の?)団体そのものではないか。

 <核兵器禁止・廃絶>を謳えば、(日本人ならば?)誰でも支持してくれる(はずの)運動であり、またそのためのポスターだと、この有名大寺院の責任者は考えているのだろうか。
 怖ろしいことだ。この寺院は、(日本共産党系・)日本原水協系の活動・運動の、この地域での拠点になっている可能性すらある。あまりも堂々と、建物内に入った者は誰でも通る廊下の壁にポスターは貼られていた。
 こんな例を見ると、①で紹介した文章は、たんなる<観念的理想家>の僧侶・仏教者が書いたのではなく、僧侶・仏教者の中にも日本共産党員は存在していて、そのような者が共産党色は出さないように用心しながら配慮して書いたのではないかとすら思えてくる。
 三 以上の三つの例の寺院はいずれも、直接にコミュニズム(または日本共産党)を支持することを明言したものではない。だが、現在の日本共産党の主張・路線と決して矛盾はしないものだ。<左翼的>(あるいは少なくとも社民党的)であることはほとんど明らかで、共産党員または親共産党の者が書いた、または責任者として貼った、という可能性も否定できない。
 <仏・共連合>という見慣れないだろう言葉を使ったのは、上のことによる。
 仏教徒が現在(とくに日本で)何をすべきかと真摯に思考することを排除するつもりはない。だが、そのような誠実で真摯かもしれない思考と活動の中に<容共(親コミュニズム)>精神が結果としてであれ浸透してきているようで、これまた<戦後>思潮の結果・成りゆきの一つとして、私は怖ろしく感じるし、強い憂慮も覚える。

0847/<仏・共連合>の成立?①

 一 かつて日本共産党と創価学会が「創共協定」なのものを結んだことがあるくらいだから、コミュニスト(共産党員を含む共産主義者、広くは親共産主義者・共産党シンパ)と仏教徒が協力関係に立っても、あるいは(少なくともとりあえずは)同一の目標を目指しても何ら不思議ではないのだろう。
 知識・勉強不足で、新興仏教(の信者たち)は別として、従来からの仏教界(やそのような仏教の信者たち)は総じて<保守>的・<伝統的>で、反「左翼」ではないかと思ってきた。
 だが、「総じて」とは決して言えないようだ。よくよく思い出して見ると、従来的な仏教寺院と仏教関係者が日本で最も多いと推測される京都府で、社・共(社会党・共産党)連合による蜷川虎三「革新」府政がしばらくの間継続したのだった(確認しないが、京都市長も社・共推薦候補が担ったことがあったはずだ)。
 二 ①2000年~2009年の間の半ばに、某県某市で「全日本仏教徒会議」の大会が開かれた。その会場となった某寺は大きな古い寺院で(少なくともその県の代表的な寺院の一つで)、本堂には皇室の菊の紋章が何カ所にも付けられていたりする。
 その大会は「出会い 緑を生き、伝えるわれら」を「開催趣旨の大会テーマ」とした。「開催趣旨」はより正確には次のようなものだった(全文。/は改行)。
 「地球は青い水の星。生命にとって欠かすことのできない水はいのちのみなもとです。/生命の誕生、そして進化を繰り返し、文明の火を灯し進歩してきました。あらゆる生命が共存する地球は、人類の歴史と共に大いなる環境の変化をもたらしています。/また、世界各地で起こる争い、環境破壊、温暖化現象など人間の欲望が加害者となり、限りあるこの地球というすばらしい星を苦しめています。/みほとけの慈悲と共生のこころを21世紀から地球と子孫に伝え、さらに未来に向けてひとりひとりが真剣に考えるつどいとなるよう…〔略〕から発信していきましょう。」
 採択された「大会宣言」は次のようなものだった(全文。/は改行)。
 「地球は青い水の星。生命にとって欠かすことのできない水は、いのちのみなもとです。/生命の誕生、そして進化を繰り返し、文明の火を灯し、進歩してきました。あらゆる生命が共存する地球は、人類の歴史とともに大いなる環境の変化をもたらしています。/人類を中心とする生き方は、地球環境を破壊することとなり、温暖化現象を来していると言わざるを得ません。清らかな水と空気が濁りつつある今日、異常現象や自然の災害は人類の生命をおびやかしています。/21世紀に入り早くも…年が経ちました。心の時代と言われながら、しかも前回の仏教徒会議で『日本仏教者からの平和の願い』を私たちが提言したにもかかわらず、今において人間が人間の生命を奪い取るという悲しいニュースの報道は、心痛の極みであります。/このような時にあたり仏教徒として、私たちは、みほとけの慈悲と共生のこころを現代に生きる人達に伝えていきます。さらに、私たちは明日という未来に向けて、ひとりひとりが真剣に、かつ、信念に満ちた活動を実践していくことを宣言いたします。」
 以上。これらの文章は読みやすい字で書かれて木製の柱の上の掲示板に記載され、その掲示柱はその寺院の山門のすぐ傍らに立てられている。また、すぐ隣に、「出会い、緑を生き、伝えるわれら」という言葉や「全日本仏教会々長」と当該寺院の「貫首」の氏名(個人名)等を刻んだ立派な石碑がある。
 人には諸活動の自由があり、仏教徒にもあるだろう。「清らかな水と空気」の大切さを説くことに反対する気はむろんない。
 だが、大きな違和感も覚えた。たとえば、1.「進化」と「進歩」を肯定するかの如きいわば<進歩主義>は、仏教の教義と合致しているのだろうか。2.「みほとけの慈悲と共生のこころ」と言うが、実質的意味は別としても、「共生」という言葉は何かの教典に明示されているものなのか。3.仏教徒が、「人類を中心とする生き方は、地球環境を破壊することとなり、温暖化現象を来していると言わざるを得ません」と断定してしまってよいのか。
 この文章は、「左翼」的環境保護運動の活動家の書いた少しはマイルドなアジ(アジテーション)・ビラの如くでもある。民主党の「左派」(旧社会党系)や社民党が強調していることと似てはいないだろうか。<地球は人類だけのものではない>との旨の部分は、<日本列島は日本人だけのものではない>と言ったらしい鳩山由紀夫を彷彿しさえする。
 「全日本仏教徒会」なる組織・団体が日本の仏教徒・寺院のうちのどの程度を組織しているのかは知らない。だが、この寺院やこうした文章が示す考え方が仏教界において決して稀少ではないようであることは、次の②・③の例でもわかる。
 (つづく)

0846/佐伯啓思「幸福追求という強迫観念」と日本国憲法13条。

 一 産経新聞3/15の佐伯啓思「幸福追求という強迫観念」を読んで、深い感慨に耽らざるをえなかった。
 二 鳩山由紀夫が「幸福度指数」なるものを持ち出していることに刺激を受けてだろう、佐伯は次のように言う。
 A<アメリカ独立宣言は「幸福追求の権利」等を「普遍的価値」と謳ったが、「自由」とともに「幸福追求の権利」はイギリスに対する「抵抗」の思想だったにもかかわらず、それが忘れられ、「誰もが幸福でなければならない、という一種の強迫観念」を生んだ。これに浸かってしまい、「他人が幸福であれば自分も幸福でなければ面白くない。不幸だと感じた途端、自分の人生は失敗だった」と感じてしまう。この強迫観念に捉えられれば「人は決して幸福になれない。それどころか…人をますます不幸にする」。>
 B<日本にはもともとは「かくも利己的で強迫的な幸福追求の理念」はなかっただろう。①「仏教的な無常観」、②「武士的な義務感」、③「儒教的な『分』の思想」、④「神道的な晴明心」、のいずれを持ち出し、いずれに依拠するにせよ、これらはすべて「個人的な幸福追求に背馳する境地をよし」とするものだ。ここに「日本人の死生観や自然観や美意識」が生まれた。「病と死と別離から逃れえないかぎり、人の生は、本質的に不幸」だ。「幸福」の指標などと言う前に「日本人の背負ってきた死生観や自然観を学び直す」必要がある。>
 このような佐伯啓思の見解・主張を私はほとんど違和感なく受け容れることができる。「病と死と別離から逃れえないかぎり、人の生は、本質的に不幸」だ、との部分も、論争的であるとしても(議論の対象になりうるとしても)、結論的にはそういう他はない、と感じている。
 三 佐伯の一文を読んで深い感慨を覚えた、というのは、佐伯啓思の見解・主張を私個人は十分に納得できるものの、しかし、現在の日本人の多数はむしろ理解できず、あるいは反発するのではないか、という、うんざりとするような気分も同時に湧いたからだ。
 なぜなら、佐伯も言及するアメリカ独立宣言が謳う「自由」や「幸福追求の権利」は現日本国憲法において、まさしく実定法化され(=明文で憲法典にまで書かれており)、少なくとも成文法としては日本国憲法は「最高法規」とされ、それにもとづいて行われた戦後の公教育のための、疑いをもつことが許されないほどの<理念>としてすらされてきた。
 あらためて、現日本国憲法13条を引用しよう。
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
 第一文でいう「個人の尊厳」(の保障)が樋口陽一をはじめとする<左翼>(かつおそらくは圧倒的に多数の)憲法学者において、現憲法の最重要の基本理念とされていることは、すでにニュアンスを変えつつ、この欄でも何度も言及した。
 この<個人の尊厳(の保障)>=「個人の尊重」とともに「(自由および)幸福追求に対する権利は…国政上最大の尊重を必要とする」と現憲法は謳っているのであり、かかる憲法規定を知り、学んだほとんどの(かつての、も含む)少年・青年たちには、とりわけ、狭く言えば大学の法学部で憲法を勉強した者たちには、さらには司法試験に合格し専門法曹になったような者たちには、<個人が尊重され>、個人がそれぞれ<幸福を追求する権利をもつ>ことは、疑問を微塵も生じさせないだろうような、しごく常識的で、当然のことになってしまっている、と思われるのだ。
 この13条の淵源はアメリカに、ひいては西欧(欧米)の法(人権・)思想にある。そして、佐伯啓思も指摘するように、必ずしも日本人本来の「人間」観・「人生」観とは合致していない、と思われる。
 だが、そのような問題があることを全くかほとんど意識することなく、<個人の尊厳>と<幸福追求権>の保障が存在することを、現在の日本人の多くは当然視しているのではないか。
 佐伯啓思の一文の内容を諒解しつつ、怖ろしいと感じるのは、上のことにある。
 佐伯啓思の考えていることと、日本国憲法に明示されていることにもよる、多数日本人の意識の間の、この大きな乖離。ここに怖ろしく感じる原因はある。
 それぞれの個人が(自由に)<幸福を追求>することができる、ということ自体は当然のようにも思えるが、佐伯も指摘又は示唆するように、個人は<平等に>「自由」・<幸福追求権>をもつと考えられていることから、他人との間の比較意識、<格差>を嫌う、<そねみ・ねたみ>の意識は容易に生じる。もともと日本人にとっての「自由」とは(他人に害悪を及ぼさない限度での)<気まま>・<放恣>・<何でもアリ>の気分に転化してしまっていること(これはほとんど<多様な個性の尊重>という通念に等しいこと)は、あえて長々と書かなくてよいだろう。
 こうした「自由」・<幸福追求権>を支えるかのごとき<個人の尊重(「個人の尊厳」保障)>の理念も元来は欧米に由来するものであることは、代表的な憲法学者だったらしい樋口陽一が、フランス革命期の<ジャコバン型個人主義>を日本人も(もっと?)体験すべき、と主張していることからも明らかだ。そして簡潔に書くが、丸山真男・樋口陽一(・辻村みよ子)らの日本の「左翼」知識人たちは、日本人は(欧米人のように?)自己を確立した<強い個人になれ>と戦後ほぼ一貫して(戦前から?)主張してきたのだ(そこでは自分は欧米的な「個人」として自立しているが日本の
「大衆」はまだ<遅れている>という暗黙の前提があった)。
 このような欧米的思想を継受した日本国憲法のもとで培養された現代日本「国民」の意識は必ずしも佐伯啓思のそれと同じではないと思われる。佐伯を批判しているのではなく、はがゆい思いで、事実の認識として書いている。
 そして、ここにもまた、日本「国民」の間の<国論の分裂>の根っこを感じ取らざるをえない。
 (「家族」に関する規定のない)日本国憲法も描く<自立した強い個人>の<自由(勝手)>な<幸福追求>活動の保障というイメージは、佐伯啓思の指摘するとおり、やはり日本と日本人の本来の意識とは合致しない、合致するはずがないのではないか。
 「日本人の背負ってきた死生観や自然観」に依拠して日本国憲法をも含めて見直すのか、それともかかる「日本人」意識あるいは<ナショナルなもの>は捨てて<普遍的な>「国際人」(地球市民?)になることを目指すのか、人についても国家についても、基本的なところで<国論の分裂>があり、あちこちで火花を散らしている。
 以上、内容としてはじつに幼稚な、新味のない文章になった。 

0498/産経新聞5/08櫻井よしこ論考と佐伯啓思。

 産経新聞5/08櫻井よしこ「福田首相に申す」は、中国共産党のチベット人・ウイグル人弾圧・「文化の虐殺」が進行中だとしたあと、「近い将来、台湾制覇のため南進すると思われる」と書き、さらにつづけて「そうなれば、日本にとっても深刻な危機が到来する」とする。
 <異形の国家>・共産党独裁の中国は、まずは尖閣諸島を皮切りに沖縄諸島から始めて、日本列島全域を支配することを狙っているものと思われる。太平洋(の軍事管理)を米国と中国で東西に二分しようと中国要人が米国人に発言したとかの報道(氏名・役職等の詳細を確認しないままで記憶で書いている)も、上のことが全くの杞憂でないことを裏付ける。
 となると、日本は中華人民共和国日本州となり日本人は日本「人」ではなく日本(大和?、倭?)「族」と称されるのだろう。中国の一部とされなくとも旧ソ連と旧東欧との関係の如く、中国の<傀儡>政権(日本共産党が存続していれば参加?)のある実質的な<属国>になる可能性もある。
 そうなれば、―最近、伊勢神宮等の神社・神道のことについて書く機会が増えたが―伊勢の神宮を含めた、神社という「日本的な」ものは、―チベットの仏教施設がそうなっていると報道されているように―すべて又は殆ど破壊され、解体されてしまう可能性もある。日本全国から、根こそぎ、「神社」(お宮さん)が破壊され、なくなってしまった日本という地域は、もはや「日本」ではないだろう。同様のことは日本仏教・寺院についても言える。
 上のことが全く杞憂とは言えないのは、1945年の占領開始の頃に、主だったいくつかの神社を除く多数の神社はすべて潰される(物理的にも破壊される、又は自ら破壊しなければならない)のではないかとの危惧と<覚悟>を神社関係者はもった、ということを最近何かで読んだことでも分かる。幸い、GHQは、神社・神道があったからこそ戦争が開始された、とは理解しなかったので<助かった>ようなのだが。
 ところで、櫻井よしこは、福田首相が「念頭に置くべき」なのは、「異民族も含めた中国の人々、そして国際社会に向かって、いかなる普遍的価値観に基づいた言葉を発することができるか」という点だ、とも主張している。
 ここでの「普遍的価値観」とは生命を含む<人権>の尊重、信教の「自由」の保障を含んでいるだろう(民族の自決権は?)。
 かかる「普遍的価値観」はアメリカのそれであり、<左翼>価値観だとして日本の保守派がそれを主張するのは<奇妙な光景だ>と言ったのが佐伯啓思だった。前回言及した、佐伯啓思・学問の力(NTT出版)でも同旨のことが述べられているようだ(p.164~)。だが、アメリカの独立と統一(連邦化)を支えた思想がフランス革命の際の「左翼的革命思想に近い」(p.164)と言えるのかなお吟味が必要だと感じるし、それよりも、戦略的に(本当に「普遍的」かは厳密には怪しいだろうことは認めるが)「普遍的価値観」なるものに基づき中国(・胡錦涛)に対して発言することは当然でありかつすべきことで、少なくとも批判・揶揄されることではあるまい、と考えるが、いかがなものだろう。
ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。