秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

五箇条の御誓文

1849/池田信夫のブログ、例えば9/21から。

 池田信夫のブログは、その日のうちにたいてい読んでいる。
 圧倒する印象は、頻度、投稿の回数の多さだ。
 そのうち、第一に、原子力、経済政策、放送・通信あたりの議論は、こちらに専門知識がないか乏しくて、お説拝聴という場合が多い(原発再稼働問題は除く)。
 第二に、ときに、間違い、簡単すぎる、と感じることもある。
 典型は、もう古くなったが、自然災害-水害対策としての土地利用規制計画の見直し、<危険地帯に住まない>方向への誘導を説いていた、7/23だ。
 土地利用規制計画の見直しは一般論としてはそのとおりだが、特定の地域への居住を禁止して転居?に補助金を、とかの政策の実施は、おそらく「私的財産権」の利用制限(または剥奪)とそれに対する補償の必要の関係で、実現不可能であるか、相当の立ち入った計算・見込みがないとほとんど無理だろう。
 その中には、災害発生の「確率」(リスクあるいはハザード)の問題、日本における「私的財産権」絶対意識の強さも視野に入れなければならない。
 第三に、最も多いのは、適度に想念や思考を刺激してくれるものだ。
 池田が何らかの文献・書物を紹介しながら書いている文章は、アマゾンとの関係でいくらの収益をもたらしているのか知らないが、そして池田自身の言葉かそれとも当該書物の内容に沿ってたんに紹介しているのかが不分明であるときがあるのがタマにキズ?だが、思考を適度に刺激してくれる。
 とりわけ、広く歴史や「学問」にかかわるものだ。
 トルーマンによる日本への原爆投下に関する、8/15、9/17もそうだ。
 いちいち書き出すとキリがない。
 ***
 江戸時代から戦前日本までの欧米との対比は池田の関心でもあるようで、9/21の「実学」関係も、「科学・学問」にもかかわって興味を惹く。
歴史上ほとんどの学問は既存の価値体系にもとづいて新しい事実を解釈する技術であり、大事なのは体系の整合性だけなので、それを脅かす異端を排除すれば、学問の権威は守れる」。
 この文章は含蓄、含意が多い。これをすっと書いたのだとすると、相当のものだ。
 「天動説は…『反証』されたが、それによって否定されなかった」。
 「キリスト教とアリストテレスを組み合わせた神学大系」でたいていは説明できたが、「植民地支配」の結果として、「実証主義」等の新しい<理論>が必要となり、生まれた。
 以上は、池田からの引用か、その要旨。
 キリスト教的ヨーロッパによる<異文化>との接触こそが新しい<理論>動向を生んだ。
 マクロにはそうなのかもしれない。その大きな潮流の中に、マルクスもおり、マルクス主義もあったに違いない。
 福沢諭吉はかつての観念大系=「実学」そのもの、「身分制度」正当化、の儒学を捨てて「洋学」に向かった、と池田は記す。
 儒教・儒学・朱子学あたりは「明治維新」を生んだイデオロギーだとされもするので、このあたりはなかなか複雑だ。「天皇」と明治維新。
 池田によると、丸山真男に依拠しているのか、福沢が「下級」武士出身だったからこそ、上のようにできた。
 もっとも、そこで「明治維新の元勲と同じく、」と書かれてしまうと、「明治維新の元勲」たちのもった「イデオロギー」は何だったかに関して、疑問が出なくもない。
 五箇条の御誓文の最終案をまとめたのは木戸孝允(桂小五郎)だとされ、この人物も「明治の元勲」の一人だろう、たぶん。
 しかし、木戸は決して「下級」武士ではなかったと思われる。
 萩(山口県)に木戸の旧宅も残っているが、藩医(典医)だった父親のその邸宅はとても「下級」武士のものだったとは感じられない。
 もっとも、木戸孝允は、明治6年政変(「征韓論政変」)頃にはすでに、精彩を欠いている。
 木戸(桂)の当初の「夢」に対して、維新の「現実」はどうだったたのだろうか、という関心も持つのだが、池田信夫を契機とする今回の駄文はここまで。

1554/北一輝における「明治維新」等と櫻井よしこらの悲惨。

 「櫻井よしこと北一輝は、どこが違うのか」、などと、前回最後の方で恥ずかしい問いかけをしてしまった。
 1906年、明治39年、この年に北一輝は23歳。夏目漱石(1867-1916)は39歳。正岡子規は同年生まれだが、死んでいた(1867-1902)。
 北一輝・国体論及び純正社会主義は、1906年5月に、北一輝が満23歳になつた翌月に自費出版された。
 北一輝著作集第一巻(みすず書房、1959)に収載されている上掲書からただちに引用しよう。
 我々が今日にいう明治維新のことを、この本は「維新革命」と言っている。旧漢字は現在のものに改める。
 「日本今日の政体が民主的政体なることは後の歴史解釈に於て維新革命の本義が平等主義の発展なるを論じたる所を見よ」。p.233。
 「維新革命は…貴族階級のみに独占せられたる政権を否認し、政権に対する覚醒を更に大多数に拡張せしめため者にして、『万機公論に由る』と云う民主主義に到達し、茲に第三期の進化に入れるなり」。p.245。
 冒頭に北一輝と櫻井よしこを比較しようとしたのは間違いだったと書いたが、両者は比較できるレベルにないという趣旨であって、前回に北一輝について(手元に文献を置かずして)走り書きしてしまったことの内容に誤りはない。
 『万機公論に由る』とは、五箇条の御誓文の言葉だろう。そして、櫻井よしこが述べたことがあるように、北一輝もまた(!)「維新革命」に、そしてこの文書のこの部分に「民主主義」を見ている(この文書のこの部分だけ、というわけでもない)。
 上の二つめの文章を<現代語>化し、さらにその続きの部分も掲載してみよう(現代語化の責任はこの欄の執筆者にある)。
 「維新革命は、無数の百姓一揆と下級武士のいわゆる順逆論によって、貴族階級のみに独占された政権を否認し、政権に対する覚醒をさらに大多数に拡張させたものであって、『万機公論に由る』という民主主義に到達し、ここに第三期の進化に入ったのである。/
 しかして、国家対国家の競争によって覚醒する国家の人格が、攘夷論の野蛮な形式のもとでの長い間の統治の客体たる地位を脱して、『大日本帝国』と云い、『国家の為めに』として国家に目的が存在することを掲げ、国家が利益の帰属すべき権利の主体であることを表白するに至ったのである。/
 この国家を主権体とする公民国家の国体と民主的政体とは維新後23年までの間を国民の法律的信念と天皇の政治道徳とにおいて維持し、その後、帝国憲法において明白に成文法として書かれるに至って、ここに維新革命は一段落を画し、もって現今の国体と今日の政体とが法律上の認識を得たのである」。
 秋月私注/①「貴族階級」は徳川幕府・徳川家を含む。②第三期とは、古代、中世の後の「維新革命」以降のこと。③天皇「等」(!)が国家を所有した時代は終わり、天皇も国民も国家の一員になった(そのかぎりで上記にいう「平等主義」)、国家の一機関・一制度として天皇はある、というのが北一輝の考え方。
 先に今回の結論めいたことを書くと、北一輝には、国家・「国体」・天皇論等がきちんとある。
 一方、天皇の最優先の仕事は「祭祀」、ご存在だけで有り難いという櫻井よしこらには、きちんとした国家論・天皇論はない。この人たちにはいったい何があるのか。単純な観念と情緒だけか。
 僅か23歳の若者が110年余も前に自費出版して世に問うた考え・議論・論理の方が、例えば櫻井よしこが大手新聞会社が発行する月刊雑誌(月刊正論・今年3月号)にあたかも「保守」を代表するかのごとく書いた文章におけるそれらよりも、はるかに興味深いし、はるかに示唆に富む。そういった意味で、はるかに優れている。
 悲惨だ。
 上のつづきのやや離れた部分以降を、さらに紹介しておこう。//はもともとの改行。原書には/に改行はない。
 「以上の概括は、つぎのとおりである。/
 今日の国体は国家が君主の所有物としてその利益のためにあった時代の国体ではなく、国家がその実在の人格を法律上の人格として認識された公民国家という国体である。/
 天皇は、土地人民の二要素を国家として所有した時代の天皇ではなく、美濃部博士が広義の国民の中に包含するように国家の一分子として他の分子たる国民と等しく国家の機関であることにおいて大なる特権を有するという意味においての天皇である。/
 臣民とは天皇の所有権のもとに『大御宝〔おおみたから〕』として存在した経済物ではなく、国家の分子として国家に対する権利義務を有するという意味での国家の臣民である。/
 政体は特権ある一国民の政治という意味の君主政体ではなく、また平等の国民を統治者とする純然たる共和政体ではない。/
 すなわち、最高機関は特権ある国家の一分子と平等の分子とによって組織される世俗のいわゆる君民共治の政体である。/
 ゆえに、君主のみが統治者ではなく、国民のみが統治者ではなく、統治者として国家の利益のために国家の統治権を運用する者は最高機関である。/
 これは法律が示す現今の国体でありまた現今の政体である。/
 すなわち、国家に主権ありと云うをもって社会主義であり、国民(広義の)に政権ありと云うをもって民主主義である。//
 以上によって観るに、社会主義は革命主義であると云うをもって国体に抵触するという非難は理由がない。/
 その革命主義と名乗る所以は、経済的方面における家長君主国〔北のいう第二期〕を根底より打破して、国家生命の源泉である経済的資料を、国家の生存進化の目的のために、国家の権利において、国家に帰属すべき利益とするためである」。p.247。<後略>
 北一輝のいう「社会主義」、当時および二・二六事件頃までのマルクス主義文献の影響、<「右」と「左」の判別し難さ>などについて、また言及する機会があるだろう。
 タイトルに「櫻井よしこら」としたのは、櫻井よしこだけではなく、月刊正論編集部(菅原慎太郎)や月刊WiLL・月刊Hanadaの編集長を含む<取り巻き>を含める趣旨だ。
ギャラリー
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