秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

五百旗頭真

0749/毎日新聞5/02の岩見隆夫の勇気、6/22の戦後論壇史の無謀。

 〇毎日新聞、7週間以上前だが、5/02付朝刊。OBの岩見隆夫の連載「近聞遠見」は「改めて『マッカーサー憲法』」という見出し。そして、現憲法制定過程を素描して最後にこう書く。
 「現憲法は完全にマ元帥ペースで作られた。評価はともかく、占領中の<押しつけ>であることははっきりしている」。
 毎日新聞紙上にしては(?)率直な断定で、文句はない。
 <押しつけ>との指摘に護憲論者、とくに憲法九条二項護持論者は敏感なようで、①日本国憲法は鈴木安蔵ら日本人の民間研究会の案を参考にしたとか、②九条は幣原喜重郎が提案したとか、言っている。このような主張・詮索にほとんど意味はないことを知るべきだ。上の②
とおらく将来も断定できない。①は日本人の諸種の、例えばA~Hの案の中にGHQの案と類似のものが偶々あったというだけのこと。さらには、GHQの示唆によって鈴木安蔵らが行動したらしいとの事実も明らかにされている。
 もともと、かりに<押しつけ>でなくとも、憲法に不備・状況不適合な条項があれば改正するのは当たり前のことだ。
 〇毎日新聞6/22付朝刊。
 何を思ったか、今頃になって、1面で諸君!(文藝春秋)廃刊の理由につき、「保守系雑誌に扇情的な言葉が広がり」、<基本は保守だが「反論も含め幅のある議論を」>という姿勢が風潮に抗しきれなかったのも「遠因」とされる、と推測している。
 「保守」論壇側に問題があると指摘し、「保守」が自らの首を絞めたという「逆説」を語りたいようだ。
 いったい毎日新聞の社説・論説委員の「思想」は何なのか? 記者内部の噂話・雑談程度のことを活字にしないでほしい。
 14-15面で、なんと戦後論壇の概観! 図表等を入れると、2面分活字で埋まっているわけでもない。よくぞまぁ、新聞記者というのは、大胆なことができるものだ。多少の勉強や聞きかじりで、対米関係を軸にした「戦後論壇史」を書けると考えた記者がいるのだから、驚きだ。
 その中央の図表?によると、左から「共産党、新左翼」、「進歩派(リベラル)」、「現実主義」、「保守派」、「歴史見直し派」と並んでいる。
 研究論文、専門書だとそれぞれの<定義・意味>を明記しないと無意味・無謀のはずだが、そんな期待を新聞記事に期待してはいけないのだろう。
 「現実主義」という<思潮>があるとはほとんど知らなかった。その意味も問題だが、あったとして、5つうちの一つに位置づけられるのか? そこに含まれている人々を「現実主義」で一括するのはかなり無理がありそうだ。
 東京大学法学部の現役憲法学教授・長谷部恭男は、この「現実主義」の最左端あたりに位置づけられている。はて? 五百旗頭真もこの仲間?の右の方にいるからまぁいいか。
 しかし、高坂正堯あたりから始まり、岡崎久彦、田久保忠衛も、寺島実郎佐々木毅も、坂元一哉福田和也も「現実主義」派なのだから、ほとんど無意味なグループ分けではないか、との強い印象を覚える。
 さて、では毎日新聞の社説・論説委員の「思潮」はいずれに属するのか? 朝日新聞と同じだと、図表では幅狭くなってきている「進歩派(リベラル)」に違いない。

0731/田母神俊雄に関連する朝日新聞5/04記事の「バカ」くささ。

 遅いコメントだが、朝日新聞5/04付朝刊の「虚の時代4/『タモちゃん現象』を利用」と題する記事は、朝日新聞らしく、気味が悪い。
 田母神俊雄はまだ単著や対談本等を発刊し続けている。田母神を「支持する」意向をごく微小ながらも示したくもあり、できるだけ購入するようにしている。
 上の記事は、田母神俊雄本が売れ、同・講演会が盛況らしいこと(「タモちゃん現象」)に幾分かの恐怖を覚え、揶揄してやろうとの魂胆のもののようだ。
 事実だとしても田母神俊雄支持者のすべてではなくごく一部の者に違いないが、上の記事は、防衛大学校長・五百旗頭真の講演会を中止するよう「圧力」をかけた人物がいた、と書く。そして続けて、(この記事の論旨展開はかなりいい加減なのだが、)秦郁彦の田母神俊雄論文の一部を批判する発言を載せる。その後にすぐにつなげて、中島岳志(パール判事論争の当事者で、小林よしのり等の批判を受けている者)の、「タモちゃん現象」を揶揄する発言-「権威」を「抵抗勢力」に仕立て、「笑いと断言口調」で批判する、そういう「テレビ」の「司会者やタレント」と「似通っている」-を紹介する。
 上のあとすぐにつなげて最後に書く-「言論の自由は言論の中身を吟味するためにある」。「それを怠り、威勢のいい言葉に熱狂すれば、つけは市民に回ってくる」。
 このバカ記事は何を言いたいのか。田母神俊雄は、「笑いと断言口調」で人気をとるテレビ「司会者やタレント」と似ており、またその「威勢のいい言葉」に熱狂などしているとダメですよ、と「市民」に説いているのだろう。
 このように言う(新聞記事を書く)「表現の自由」はあるだろう。だが、この記事を執筆した朝日新聞記者は、この自分の文章もまた「表現の自由」によって「言論の中身を吟味」される、ということを理解しているだろうか。
 「言論の中身を吟味する」ことを「怠り、威勢のいい言葉に熱狂すれば、つけは市民に回ってくる」とヌケヌケと書いているが、この記事も朝日新聞の社説等も「中身を吟味」される(そうしないと日本国家と日本社会はますます奇妙になる、との見解もある)、ということを理解しているだろうか。
 また、朝日新聞はそもそも、「威勢のいい言葉」を使い、読者の「熱狂」を煽る、ということをしたことがないのだろうか。あるいは朝日新聞は、見出しの表現などを意図的に工夫すること等によって読者の印象・心理や意見・見解を巧妙に一定の方向に誘導することをしなかっただろうか。後者の場合も、広義には、「威勢のいい言葉」によって読者の「熱狂」を煽る、ということの中に含めうる。
 この記事が田母神俊雄について書いていることは、朝日新聞自体やこの記事の執筆者にもはねかえってくるものだ。このことを何ら自覚していないようにも見えるが、そうだとすれば、自分や朝日新聞と田母神俊雄は全く別者(別物)だという前提に立っていることになり、傲慢さも甚だしい。

0715/月刊正論6月号(産経)を読む-浜崎憲一ら制作の4/05NHKスペシャル等。

 一 NHK4/05のスペシャル「日本デビュー・第一回」については、産経新聞4/30付で湯浅博「くにのあとさき/歴史を歪曲する方法」、同5/03付の無署名「検証・NHKスペシャル/台湾統治めぐり『一面的』」も批判的に書いている。
 この欄でこのNHKスペシャル関連番組に最初に言及したとき「一面的」とコメントしたのだったが、それはともかく、産経以外の他紙が全く記事にしていないので、NHKが<偏向した>又は<問題ある>番組を放映したらしいとの知識を持っている人は、多くて、販売部数の3~4倍、600~800万人程度、つまり多くて全有権者の10%程度にすぎないのではないか。産経新聞が報道しないよりは勿論マシだが、こうして書いていても、多少は徒労感をもつ。
 二 月刊正論となると発行部数はもっと少なくて、産経新聞5/04によると平成20年10-12月平均で66,575部らしい。朝日新聞は月刊・論座を廃刊させて朝日ジャーナルを復刊させたようだ。月刊誌ではたぶんないので単純に比較できないが、月刊・論座よりも、憲法改正阻止等のためには、<左翼>にとっての有力な媒体=ビラまき・煽動用紙になるのではないか。
 さて、月刊正論6月号(産経)。NHKスペシャル関係の、河添恵子「『NHKに騙された!』-”反日台湾”を捏造した許されざる取材方法」をまず読む(p.118-)。背景事情や具体的問題点がますます詳細に明らかになる。
 河添によると、「柯さんが電話を『待っていた』番組責任者H氏から連絡があったのは、オンエアーから四日後」、弁解し始めたので柯氏が「君は上司の意向を受けて編集したのか?」と訊ねると「H氏」は「否定」。その後「二度ほど連絡を取ろうとした」が、「H氏は電話口に出ず、コールバックもない」、という。
 問題の番組の<ディレクター>は、浜崎憲一、島田雄介、<制作統括>は、田辺雅泰、河野伸洋、だった。河添が明記していない「H氏」とは、ほぼ間違いなく、浜崎憲一(濱崎憲一)だと思われる。
 あんな番組を制作し放映させておいて、浜崎憲一は恥ずかしくはないのだろうか。濱崎憲一よ、君は「人間」か??
 中村粲の連載「NHKウォッチング」でも当然のごとく、小見出し「嘘だらけの<NHKスペシャル>」から始めて批判している。
 予期していなかったが、潮匡人の連載コラム(p.48-49)でも「日本『反日』協会の暴走」と題して取り上げていた。NHK=日本「反日」協会、か。なるほど。
 このあと、八木秀次連載コラムとの先後は忘れたが、杉原誠四郎「『研究者としての五百旗頭真氏に問う」(p.250-)を読む。
 これによると、五百旗頭真は、杉原誠四郎の研究業績を無視して剽窃まがいの記者会見をしたりするなど、「研究者」としてはあるまじき行動をしているようだ。だからこそ五百旗頭は神戸大学を(たしか)定年前に辞めて=「研究者」を廃業して防衛大学校長になったのだろうか(皮肉のつもりだ)。
 なお、杉原誠四郎によると、秦郁彦が日米開戦・真珠湾攻撃ルーズベルト予知説を「陰謀史観」として一蹴したことも、「歴史家としてその資格の根幹を揺るがす問題」だという(p.255)。

 三 このあと、「『村山談話』をいかに克服するか」と題する屋山太郎・大原康男・長谷川三千子ら7名の報告・座談会を読み、安倍晋三の文章(p.52-)を概読した。
 前者では、安倍晋三による「村山談話」踏襲に関する1994年まで外務官僚の村田良平の報告・発言(後者はp.243-4)が関心を惹く。「今の私の思い」は結構だし、のちの(安倍首相当時の)外務官僚から「安倍総理は誇張された説明を受けられたとしか思われない」と感想を述べる(p.233)のも結構だが、外務省官僚時代に事務次官にまでなった村田良平には、現役時代の仕事について、全く恥じるところはないのだろうか。
 なお、北村稔も上の中で「『NHKスペシャル史観』の傲慢」と題して報告している。
 四 今のところ最後に、西尾幹二「日本の分水嶺-危機に立つ保守」を読む(p.96-)。
 是非はともかく刺激的で、論議の的とされそうな部分を含む。別途、論及することにする。

0686/佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)を読む-その5。

 佐伯啓思・現代日本のリベラリズム(講談社、1996)の前々回の続きを読む。「憲法の正当性とは何か」という節の最終部分。p.162-4。高校までの社会科教科書の引き写しのような防衛大学校長・五百旗頭真の叙述と相当に異なる、という以上の感想・コメント等は記さない。
 ・日本人は「戦後、…結局、革命を経験しなかった」。「敗戦による自失」のゆえであったにせよ、ともあれ、フランス型の「革命による正当性」をもつ「国家体制をつくる道を選ばなかった」。とすれば「国家体制の正当性」は「イギリス型の歴史の連続性」によるしかない。そして「ともかくも戦後憲法は、この連続性を辛うじて保持しようとした」。それが幸か不幸かは不分明だが、「幸い」だったとすれば、それは「天皇制度を維持し、何とか普遍的人権という言葉を回避した」こと、「連続性を最低限度確保した」ことだ。「不幸」だったとすれば、「事実上、普遍的な権利の思想を持ち込み、普遍的な『人』と、歴史的な『国民の断想』を、憲法の中にほとんど無自覚に持ち込んだ」ことだ。それにより、「歴史的な連続性」は「ただ見かけだけ」になり、「憲法の正当性の実質的根拠が失われかねない、という深刻な問題が持ち込まれた」。
 ・「天皇制度の存続と国民主権の間には、ロジカルな矛盾がある」。日本側は両者の「二本立て」を日本の「国家体制」と考えたようだが、「ロジカルに調和」はしない。共産党の野坂参三はこの「両立不可能」性を執拗に指摘して「これは憲法ではなく小説だ」と述べた。
 ・「天皇主権か国民主権か」を決せよと主張しているのではなく、「現行憲法の歴史的条件」について「改めて注意を喚起したい」だけ。「この憲法に内在する困難こそが、わが国の近代史そのもの」なのだ。
 ・アメリカやフランスも、「戦後独立」して憲法を初めて制定した国家も、「愛国心(国民意識)」を基礎にして「人」の「普遍的権利」と「国民」の主権を謳うことができた。「日本の歴史」は「そのどちらとも違う」。憲法を自ら創出する「愛国心」も、革命により「共和制」を樹立する「市民」も、「あの時期にもちえなかった」。「天皇制度と人民主権の間の対立は、完全に解消されることはありえない」。この「アンビバレンツは、近代以降のわれわれの国家体制の根底をなして」おり、逃れることは「残念ながら不可能」だろう。
 ・大江健三郎は近代日本の「あいまいさ(アンビギュイティ)」は日本が「前近代的、封建的要素を温存して来た」ことに由来する、と講演した。これは間違っている。
 ・「憲法に即して言えば、その正当性の基礎として、…革命的な断絶も、また歴史的な連続もどちらも完全には採用しきれていない」。換言すると、「どちらも必要とした」。「封建的なものが残存」というのではなく、「前近代的な」ものを残すことによって「辛うじて」「正当性を確保」しているのだ。これは憲法だけの問題ではなく「近代日本社会の宿命」のようなものだ。この宿命のあるかぎり、「アンビバレンツ」は「アンビギュイティ」として残る。「この宿命から容易に逃れることはできないのだとしたら、われわれは『アンビギュイティ』を手なずけ、飼い馴らす方策を学ぶ以外にないだろう」。
 以上。上の文章をもって「Ⅰ・近代への懐疑」は終わり、「Ⅱ・戦後日本の再検討」へと移っていく。

0685/五百旗頭真・日米戦争と戦後日本(講談社、2005)の一部(現憲法論)を読む。

 一政治学者・大学教授の理解としても興味深いが、現在の防衛大学校長のそれでもあるとなると、重要度は増すだろう。
 
五百旗頭真(1943-、元神戸大学教授)・日米戦争と戦後日本(講談社学術文庫、2005)は、日本国憲法の制定経過・内容的評価等について、以下のように叙述している(要約・抜粋する)。
 ・ポツダム宣言第10項(「民主主義的傾向」への「障碍」の「除去」)は日本政府に「憲法改正の責務を負わせた」と「考えられた」(p.218)。
 さっそく挿むが、「考え」た主体は誰なのか? またそもそもポ宣言による新憲法制定(明治憲法改正)の「責務」化という認識・解釈は正しいのだろうか。少なくとも日本側から積極的に憲法改正を言い出したのではない。1945年秋に有力な日本の憲法学者は<憲法改正不要>論だったことはすでに書いた。
 ・マッカーサーも上の考えに沿って「日本政府に改正作業を命じた」。日本政府による<自主的>対応という外見が日本国民の将来の支持のために必要との考えもあった。しかし、マッカーサーはソ連等を含む極東委員会の介入を嫌い、また幣原内閣下での松本烝治委員会案も意に添わなかったため、1946.02.03に「マッカーサー三原則」を示して民政局に憲法草案の作成を命じ、同局は「合宿状態の突貫作業」で02.13に草案を「完成」した。この草案をマッカーサーは日本政府に示し、「戦争放棄」を含む草案受諾は「天皇制」存続に効果的だ旨を述べた(p.219-220)。
 ・幣原首相・吉田茂外相等は「抵抗を試みた」が02.22に「結局受け入れ」、03.06に「憲法改正草案要綱」を発表、04.17に「口語体・ひらがな書き」の「憲法改正草案正文」を発表した。
 ここで以下を挿む。これ以降、議会での審議が始まったわけだが、衆議院を構成するこの当時の衆議院議員の選挙は1946.04.10に行われている(五百旗頭p.213)。従って、この総選挙(戦後第一回)の時点で有権者や立候補者が知っていた(又は知り得た)のは条文の形をとっていない「改正草案要綱」にすぎなかった。また、岡崎久彦・吉田茂とその時代(PHP、2002)は、憲法改正案の是否はこの総選挙の主要な争点ではなかった旨を叙述している(すでにこの欄に記したことがある)。
 ・「この日本国憲法案が発表されると、国民は熱く歓迎した」(p.221)。「事実関係から言えば押しつけ」だが、「日本政府は〔明治憲法が定める〕正規の手続によってこの案を検討・修正のうえ、決定した」。「さらに、この憲法を国民の圧倒的多数が、内容的に歓迎したのである」(p.222)。
 上に挿んだように、日本国民は「日本国憲法案」なるものは「草案要綱」しか知り得ていないし、岡崎久彦によれば04.10総選挙での主要な争点にもならなかった。にもかかわらず、五百旗頭真は、いかなる実証的根拠をもって、「日本国憲法案」の発表を「国民は熱く歓迎した」とか、「この憲法を国民の圧倒的多数が、内容的に歓迎したのである」とかと、自信をもって?書けるのだろうか。
 五百旗頭真の頭の中での<物語>の創出にすぎないのではないか、との疑問が湧く。
 ・「壮大なフィクションとしての『大東亜共栄圏』や『八紘一宇』などに狂奔した」のは「どんなに空しかったか」。「貧しくても、平和で公平な社会を再建したい-という気持ちが、戦後の日本国民には非常に強かった。少なくとも、もう一度武器をとることだけはごめんだ、というのが国民の広範な願いだった。それだけに…日本国憲法に対しては、これこそわれわれが望んでいたものだった、という反応が強かった」(p.222)。
 この文章は、<歴史>の叙述なのだろうか。<歴史>が究極的には<物語>たらざるをえないとしても、あまりにも五百旗頭の<主観>に合わせて作られた<物語>にすぎるのではないか。日本国憲法施行時に3~4歳にすぎなかった五百旗頭は、何をもって、「戦後の日本国民」の気持ち・「国民の広範な願い」・「望んでいたもの」を、上のように自信をもって?書けるのだろうか。不思議でしようがない。現憲法を「正当」視するために、後から考えた(<後づけ>的な)一種の<こじつけ>に近いのではなかろうか。
 ・「国民は日本国憲法を歓迎した。その意味で『押しつけ憲法論』は一面的であり、経緯はともかく、内容的には国民の意に反するものでなかったことを忘れてはならない」(p.223)。
 国民による「歓迎」(<受容)を理由として「押しつけ」論は「一面的」だと批判し、「経緯はともかく、内容的には」国民の意思に反していなかった、と述べる。かかる論理づけは、日本国憲法の制定過程とその(とくに内容の)評価について、<左翼>憲法学者たちが述べていることと全く同じだ。この五百旗頭という人物は、紛れもなく、現憲法=「戦後民主主義」まるごと擁護の立場に立つ、その意味で<進歩的な=左翼的な>、現在までの<体制派>のど真ん中にいる人だ。この人が現在の防衛大学校長?! 悪い冗談を聞くか、悪夢を見ている気がする。
 ・「日本国憲法は成立のいきさつが押しつけであるから我慢できぬ、民族の誇りが許さぬという『押しつけ憲法』論に対して、その…憲法下で自然に育った世代は、どこがいけないのかと考える」。参議院の弊害等の「具体的弊害」を言うならよいが、「そもそも憲法をご破算にしなければならないなどという議論は、いいかげんに大人になって卒業したらどうか、と諫〔いまし〕めたくなる性質のものである」(p.223-4)。
 この文章はかなりひどい。冷静な「大人」の文章ではない。
 「憲法をご破算にしなければならないなどという議論」とは何を意味させているのだろう。改憲論(現憲法改正論)一般を意味させているとすれば、五百旗頭の主張が成り立つ筈がない。100年後も200年後も、現憲法を「護持」していなければならない筈がない。
 現憲法「無効」論を意味させているとすれば、現在の改憲論(現憲法改正論)の大勢は、現憲法を「無効」と考えてはいないのだから、間違った、的外れの批判をしていることになる。
 肝心の「ご破算(にする)」の意味が不明なのだから、困った文章だ。参議院制度等の「具体的」 問題を論じるのはよいようだが、五百旗頭において、「具体的弊害」の問題と<基礎的・一般的>弊害の問題とはどのように区別されているのだろう。例えば、現憲法九条(とくにその第二項)の削除の可否は、いったいどちらの問題なのか??
 今では60歳代の半ばになる五百旗頭真は、単純素朴な日本国憲法観から、少しは「大人になって卒業したらどうか、と諫めたくなる」。こうした五百旗頭真の叙述・議論に比べて、佐伯啓思の日本国憲法論の方がはるかに奥深いし、自主的で冷静な思索の存在を感じさせる。五百旗頭は、つまるところ、アメリカ(GHQを含む)が行ったこと、関与したことを非難できない、批判しない、そういう心性が堅く形成されてしまっている人物なのではないか、というのが一つの仮説だ。 

0626/田母神俊雄を「精神の変調を引きずる人」と罵倒した防衛大学校長・五百旗頭真、そして秦郁彦。

 田母神論文の内容公表後の政治的・社会的反応は、日本が奇妙な国家へと堕していることを明らかにするもので、爽快とは真逆の気分になった。
 政府・防衛大臣の「すばやい」対応は当面の問題先送りという<逃げ>の姿勢だったとしか思えない。村山談話の再検討というまともな声が内閣構成員や与党幹部から出てこないのは、きわめて不思議だ。
 驚いたのは、毎日新聞11/09朝刊の第二面右上に載っていた防衛大学校長・五百旗頭真の文章だ。
 五百旗頭が「軍人が自らの信念や思い込みに基づいて独自に行動することは…きわめて危険」だと書くのは一般論としてはまだよい。但し、田母神は<文民統制>を離れて独自に具体的な<防衛行動>をしたり部下に命令したりしたのではないので、今回の事件については的を射ていないコメントだろう。
 何よりも喫驚したのは、五百旗頭が末尾におそらくは田母神を念頭において、あの戦争の時代について「今なお誤りを誤りと認めることができずに精神の変調を引きずる人」と書いたことだ。「精神の変調を引きずる」とは、同じ省内の同僚とも言える人物に対する、ひどい中傷であり、罵倒だ。
 五百旗頭真こそが、GHQ史観・東京裁判史観によってずっと「精神の変調を引きず」っている人物なのではないか。
 こんなことを全国紙に平気で載せる人が現防衛大学校長なのだから、日本の現在の政治状況はヒドい。朝日新聞・毎日新聞は<防衛大学校長ですら…>と書けるわけで、情けないことかぎりない。
 防衛大学校長すらが<左翼ファシズム>の中に取り込まれている。怖ろしい世の中だ。
 なお、濱口和久「防衛大を蝕む五百旗頭イズムの大罪」月刊正論1月号(産経)p.94以下参照。
 五百旗頭はマルクス主義者ではないとしても、これまでの(校長就任前を含む)諸発言は「左翼活動家と同じ」らしい(上記濱口p.95-)。
 もう一つ憂鬱にさせたのは、秦郁彦が週刊新潮等で具体的な事実認識と評価について田母神論文をほとんど全面的に批判していたことだった。
 秦郁彦は保阪正康や
半藤一利
とは違ってマシな昭和史家かと思っていたが、どうもそれほどに評価できる人でもなさそうだ。歴史のシロウトが勝手なことを言うな、といった気分でも<専門家>と自意識する秦郁彦らにはあるのだろうか。
 専門性は認めるとしても、しかし、あの戦争についての、そして日本軍・日本国家についての評価はまだ確定できず、まだ確定してはいけないものと考えられる。
 旧ソ連やアメリカの当時の文書が今後発掘されたり公にされたりすることもあるだろう。中国では都合の悪い史料はとっくに廃棄されているだろうが、中国(共産党、国民党等)側にだって現在まで知られていない諸種の文書・史料があったはずだ。そのような史料によって、戦争全体の基本的イメージ自体が大幅に変わる可能性はまだある。まだ性急すぎる。少なくとも、重要な問題提起として田母神論文は受けとめる必要がある(私には<日本は侵略国家ではなかった>旨はほとんど<常識>ではあるのだが。なお、東京裁判「受諾」は歴史認識・歴史観の内容とは無関係)。
 朝日新聞・毎日新聞や立花隆・田原総一朗あたりが書いたり言ったりしているならば特段の驚きはないともいえる(感情的な反応に唖然とはしても)。
 だが、五百旗頭真や秦郁彦までが朝日新聞の側に立っているとあっては、気分を憂鬱にする。<左翼ファシズム>はこういう人まで取り込んでいるのか、と。

0200/岡崎久彦著等による現憲法制定過程と説得力なき古関彰一・九条護持論。

 主として岡崎久彦・吉田茂とその時代に依りつつ、他の文献にも言及しながら、憲法制定過程への論及を続ける。
 岡崎著p.151は1946年2月頃の幣原喜重郎について言う-「大筋として、今後必ず平和主義憲法をつくり、そしてそれは占領軍の強制ではなく、日本側の発意だったとすることを約束する以外になかったのである」。
 前回言及の古関彰一の冊子p.19以下は同年3/06の閣議後の新憲法案要綱発表に際しての天皇「勅語」にはGHQ作成の原文があった旨を示す点で新味があるが、幣原又は吉田茂は現九条の内容を発案してはいないとする点では岡崎等の研究と同じだ。
 孫引きだが、憲法学者・元北海道大学教授の深瀬忠一は「戦争放棄の発想の起源は幣原首相」だ、「幣原提言なくして、第九条が生まれたか疑問」としていた(古関・前掲書p.8参照)。九条は「押しつけられた」又は「与えられた」のではなく日本人の発案だと主張したいのだろう。
 古関も引用し、私も購入している元東京大学教授・芦部信喜(高橋和之補訂)・憲法第三版(岩波、2002)p.55は幣原首相の発案らしき事実を信頼して九条は「日米の合作とも言われる」等と書く。憲法学界ではかかる理解が有力であるかに見える。
 だが、再び孫引きをするが、五百旗頭真によれば、のちにマッカーサーが書いたように「幣原首相のほうから憲法に戦争放棄と戦力不保持の規定を入れることを提案したと信ずる研究者は皆無に等しい」(岡崎・前掲書p.136)。
 少なくとも古関の冊子は別のようだが、「皆無に等しい」はずの研究者が憲法学界には多数いるようであるのは、日本の憲法学界の「異様さ」を、先走って言えば「政治性」を示してはいないか。
 今回の冒頭に紹介した岡崎の文と類似のことを古関p.27-p.28もGHQと昭和天皇について言う-GHQの米政府宛報告書が天皇は「幣原に、最も徹底的な改革を…全面的に支持すると勧告された」と記したのは、「昭和天皇は、明治天皇下の昭和天皇とはまったく異なり、…平和と人権の擁護者として、日本国憲法の制定に積極的にかかわったことを米国はじめ連合国に示す必要があった」からだ。
 こうして見ると岡崎と古関は九条制定史につき同様の理解に立つといえる。しかし、古関が「岩波」の冊子に書いているように、彼は不思議なことに?九条改正反対論者だ。その論理を辿ってみると、結局は九条は日本国民に支持された、受け入れられた、ということを根拠にしているに過ぎず、かつ―立ち入らないが―相当に杜撰な論理展開だ。また、「九条は、単に日本が戦争をしないというだけではなく、…二度と戦争をしないということを連合国、あるいはアジアの戦争被害国にたいして誓った誓約書でもある」等としめ括るが(p.47)、九条はGHQ又はマッカーサーの「戦略」の所産だったという前半での叙述と整合しているのか、不思議極まりない
 古関・岩波冊子の九条改正反対論の根拠は何か。これを直接の主題にしていないため解りにくいが、結局はほぽ、日本国民に支持されたということを述べるにとどまる。世論調査を援用して1954年頃には護憲論が改憲論を上回り97年頃まで続いたとする(p.43-45)。世論調査結果をどの程度議論に援用できるかは慎重な考慮が必要と思うが、それは別としても、事実上改憲の是非が争点になったという1956年の総選挙で護憲政党が議席の1/3以上を獲得して改憲が阻止されたことを世論上護憲論が優勢だったとの流れの中に位置づけるのは(p.44)殆ど詭弁だろう。
 たしかに1/3以上の改憲反対勢力が国会を占有し続けたことは重要なことだが、あくまで1/3~1/2であり、旧社会党等の「革新」勢力が多数派を形勢したことは一度もない(90年代半ば以降の複雑な展開は捨象する)。1/3以上と過半数とを混同してはいけない。過半数で改正発議可能との憲法条項であったなら、自民党も改憲を諦念せず、既に「自主」憲法に変わっていた可能性の方が高い。
 国民世論を根拠にするならば、古関自身がいう97年以降は改憲やむなしという結論になるのが自然だが、その論法を彼は採らない。ということは、世論調査結果を援用したのも所謂「ご都合主義」、有利な材料は何でも使えの類の議論であり、九条は維持すべきとの彼自身の根拠が別にあることになる。
 その根拠を探ってみると、1.前回引用した九条は世界への「戦争しないとの誓約書」との理解、2.「刀狩り」以降の武力による紛争解決を好まない日本人の心性、3.「軍備を持ち、戦争のできる国になったら高枕で寝ていられる」のか、「むしろ、近隣諸国を刺激することによって、軍備競争を加速化する…」、をさしあたり挙げうる。
 これらのうち3.となると、もはや議論は噛み合わない。この古関某という人は九条さえあれば「戦争」に巻き込まれないと本当に考えているのだろうか。九条があっても「戦争」(他国からの他国領土内への武力攻撃と理解しておく)を仕掛けられれば、現状でも自衛隊等による自衛権の発動をせざるをえないのではないか(米軍の行動も加わるがとりあえず省略)。
 すでにいつか書いたが九条があれば戦争は起きない、九条がなくなれば戦争をする国になる、というのは大変なデマだ。九条と無関係に「戦争」は起こりうるし、九条のもとでも日本には自衛隊という九条二項の「戦力」ではないとされる「武力」はある。九条を変えて日本を「戦争のできる」国にしようとしているという護憲論者の主張(p.41も参照)は大ウソだ。
 丁寧な歴史分析の能力をある程度もつかに見える人でも現実問題となると「九条教」・「九条言霊主義」に陥るのは、日本にあるいくつかの不思議の最たるものの一つだろう。
ギャラリー
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
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  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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