秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

五味川純平

0393/映画「母べぇ」の製作意図は?

 山田洋次監督・吉永小百合主演の映画「母べぇ」というのが上映されている(らしい)。
 読売新聞1/24の全面広告欄で、原作者・野上照代はこう語る(一部)。
 <今も世界には「暴力による支配」に苦しむ多数の人々がいる。日本で「も」、「戦争の怖さ、悲惨さ、残酷さを語り継ぐ体験者」が減り、「戦争を知らない世代がほとんど」。戦争の時代は「すっかり過去の遺物」となりつつある。「しかし、…ああいう時代がいつまた来るかわかりません」。「暴力」は「本当に恐ろしく、私の父のように戦争反対を唱える人はまれで、…。だから、ひたひたと恐ろしい時代が忍び寄っていたとしても気付かず悲惨な歴史がまた繰り返されるのではないかという不安があるのです」。>
 かかる発言は一体何だろう。どこかで何回も聞いたことがある、<二度と繰り返すな、警戒しないとまたあの時代が>という<狼少年>的な教条「迷い言」そのままではないか。
 「ああいう時代がいつまた来るかわかりません」などと言っているが、「ああいう時代」は絶対に二度とやって来ない、と私は考えている。まるで現在が「ひたひたと恐ろしい時代が忍び寄っていたとしても気付かず…」という時代であるかの如き発言もしているが、じつに幼稚な、日教組等がかつてよく言っていたような、情緒的な<戦後左翼>の言葉そっくりではないか。
 吉永小百合も「ひとりの日本人として『母べぇ』の時代のことは忘れてはならないとの思いを胸に、心を込めて」演じた、と語る。
 山田洋次もいわく、「軍国主義の時代…」、「表現の自由が認められない、辛く厳しく、重苦しい時代でした…」、「こうした時代の記憶…作品として次世代に残していくのが使命…」等々。
 戦時中に「思想犯」として投獄されていた者の家族(吉永小百合ら)をその妻(子の母)を中心に描く、表向きは、またたぶんかなりの程度は<ヒューマニズム溢れた>映画なのだろうが、しかし、上の言葉等からすると、<戦争反対>の「思想犯」を英雄視し、又は英雄とまではいかなくとも真っ当な立派な人物として描き、日本「軍国主義」を批判する<反戦>映画であることは間違いないだろう。
 逮捕・投獄されるほどの当時の「思想犯」とは、コミュニスト(マルクス主義者)あるいは親コミュニズム者(親マルクス主義者)である可能性も高い。少なくとも、日本の戦勝を喜びはしなかったと思われる「国民」で、戦後初期、例えば占領中の人物評価基準と同じ価値基準を今日でも用いるのは適切ではないだろう。
 また、言うまでもなく、山田洋次も吉永小百合も「九条の会」(現憲法九条の改正に反対するグループ)の有力な賛同者であって、たんなる監督・女優あるいは文化人ではない。
 <ヒューマニズム溢れた>映画に反対するつもりはないが、しかし、野上照代が「暴力による支配に苦しめられている人々がたくさんいます」などと言うのならば、山田洋次監督・吉永小百合主演で、例えば、北朝鮮、中国、チベット、かつてのカンボジア、ソ連等々の「表現の自由」のない人々と関係のある日本人を主人公とする映画を作ってほしいものだ。北朝鮮については、その「暴力」のれっきとした被害者が現に日本にいるではないか。
 なぜ山田洋次は、<めぐみさん>又はその両親を描く映画を作ろうとしないのか?
 現・旧の<社会主義国>の「暴力」や「弾圧」には目が向かず、日本「軍国主義」を結局は(間接的にせよ)糾弾する映画作りには熱心になるという山田洋次は、そして吉永小百合も、やはり、私に言わせれば、<ふつうじゃない>。
 なお、産経新聞1/30は、広告記事ではなく一般のインタビュー記事として野上照代に語らせている。この映画の上映収益の増大に一役買っていることになる。読売の広告欄のような言葉を野上は(あからさまには)述べていないが、これが野上の<自粛>なのか、記者の判断による取捨選択の結果なのかは分からない。
 ともあれ、映画もまた、<時代の空気>のようなものを作っていく。1970年代には、「容共的」作家・五味川純平原作の、日本の財界人を「悪徳」者視し、中国共産党員をヒロイックに描いていた、山本薩夫監督の『戦争と人間』全三部という大作映画もあった(吉永小百合も山本学・圭らとともに出演)。「母べぇ」を観る気はないが、<政治>的匂いのある映画には(良かれ悪しかれ)関心を向けておくべきだろう。

0108/<平和の語り部>吉永小百合はいかなる「政治的」役割を果たすか。

 憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の提言(岩波、2005.08)という小冊子の中の吉永小百合様の一文については、すでに3/30午前0:00で批判させていただき、また、潮匡人・憲法九条が諸悪の根源(PHP)による同じ一文に対する批判も、3/30の19時台のエントリーで紹介した。
 ネットを散策していると、静岡新聞の2005年1月のコラムに、吉永小百合に言及するこんなのがあった。
 「人物像をたどると、この時代の風俗の変遷がよく分かります。戦後の荒廃から東洋の奇跡といわれる繁栄の道を歩んだ日本と、ほぼ同時代を生きた団塊の世代あたりには、懐かしい顔ぶれのはずです。女優像の中でも特に印象深いのは、さしづめ吉永小百合でしょう。戦後還暦と称される05年に、彼女がやはり還暦を迎える。こじつけでなく、エポックメーキングに思えるに違いない。/彼女が演じる純愛のヒロインに胸ときめかせた階層にとって、社会派作品で質量感の凝縮した美しさ、演技者として重厚さを増してゆく 『昭和の少女』は、同時代感を抱かせる存在ではなかったでしょうか。『サユリスト』たちにとって、一種の信仰の対象となったのでした。少女は円熟の域へと成長しています。いま彼女は、『平和の語り部』として各地を巡り、日本人の言葉を紡いでいます。それが自らに課した使命であるかのようです。
 ここで「平和の語り部」というのは、<反原爆>の詩を朗読する活動を意味することは、吉永小百合評論家を自称したい私には(半分冗談だが)、すぐわかる。
 記憶にのみよるが、小百合様は2002年頃の日経新聞のインタビュー記事に登場し、原爆に関心を持ったきっかけは「夢千代日記」の他に、(時期的にはその前に) 映画「愛と死の記録」に出演したことにある旨を述べていた。いずれも主な登場人物の一人が原爆病(白血病?)で死亡する<物語>だ。
 吉永小百合様は毎日新聞2006.06.26付にも登場している。
 「原爆」を意識したのは21歳のときの映画「愛と死の記録」によると述べたあと、「戦争と平和」については、山本薩夫監督の映画「戦争と人間」(の第2部と第3部、1971年6月と1973年8月)に出たことで「自然に平和学習をさせてもらった」と語っている。
 上の後者は、少なくとも日本共産党シンパだったと思える五味川純平(1916-95)の小説が原作の、日本共産党員だった可能性すらある監督によるもので、同じく日本共産党員だった可能性がある山本学・山本圭も出演していた(滝沢修もだが)。そして、私の記憶では、上映当時は日本共産党・民青同盟またはそれらの系列の団体が割引券を「一般」学生・市民に売っていた、つまりは観るように運動していた。そうした映画の影響があることを、今日においても語っているわけだ。もともと映画会社・日活の労組は強かったという話を読んだことがあるので、すでに彼女が(多数の映画に夢中で出演していた)10歳代の頃から「左翼」的風潮の影響を受けていたのではないか、とも想像する。
 また、憲法9条を「守る」ことについて、「世界中が9条みたいな憲法を持ったら、結局は戦争はなくなるわけですから。」とヌケヌケ?と根拠づけている。このあたりの非現実的な甘さは某朝日新聞にも似て変わり得ないのかもしれないが、3/30に記したように、単身で中国・北朝鮮に乗り込んで、両国の主席・将軍様に「9条みたいな憲法」を作ってくださいと「美しいコトバ」で「説得」してほしいものだ。
 さらに、「過去に何があったかというのを見つめようとしない国民性というか、そのあたりが問題だと思う」と(たぶん自分は「見つめ」ているつもりで)おっしゃる。
 このような言い方は他の「サヨク」本でも読んだように思うが、吉永小百合様はここの「過去」の中に、南京「大虐殺」、「百人斬り競争」、沖縄「集団自決命令」等々まで含めているのかどうか。
 「過去に何があったか」を知ることが重要なのはそのとおりだが、「過去になかった」ことまで<事実>だと認識する必要はないのも当然なことだ。
 吉永小百合様が「過去に何があったかというのを見つめ」るべきと言うときの「過去」とは存外に、70年代頃の映画「戦争と人間」が代表していたような、日本は悪いこと・ヒドいことをしたという、漠然とした(どちらかといえば古い)<風潮的>・<印象的>認識・知識にすぎないのではなかろうか。
 <平和の語り部>としてのサユリ様の活動を一般に批判するつもりはない。ただ、特定の政治的勢力・団体に彼女の名が「利用」されないことを再び望むところだ。

ギャラリー
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