「行政刷新会議」なるものによる「事業仕分け」なるものには、よく解らないことが多すぎる。
 一 まず、「行政刷新会議」とはいかなる行政機関なのか?
 憲法上、「予算を作成して国会に提出すること」は内閣の職務とされている(73条五号)。その内閣の職務を内閣総理大臣が代表?して行い、その手伝いをしているのが、従来は主として財務省(財務大臣)だったところ、現政権においては「行政刷新会議」なのだろう。
 それはそれでよいとして、では、「行政刷新会議」なるものの設置根拠はどこにあるのか?
 国家行政組織法によると、国の「行政機関」である「省、委員会及び庁」の設立には法律の定めが必要だが(3条)、この「会議」にはそのような法的根拠はないと見られる。
 国の組織・機構に関して国のHPを見てみても、「行政刷新会議」は正確には位置づけられていない。官邸HPのトップに突如として「行政刷新会議」なるものが現れる。そしてどうやら、つぎの<閣議決定>に設置根拠はあるようだ。
 「行政刷新会議の設置について 平成21年9月18日閣議決定
 1 国民的な観点から、国の予算、制度その他国の行政全般の在り方を刷新するとともに、国、地方公共団体及び民間の役割の在り方の見直しを行うため、内閣府に行政刷新会議(以下「会議」という。)を設置する。
 2 会議の構成員は、以下のとおりとする。ただし、議長は、必要があると認めるときは、構成員を追加し、又は関係者に出席を求めることができる。
 議長   内閣総理大臣
 副議長  内閣府特命担当大臣(行政刷新)
 構成員  内閣総理大臣が指名する者及び有識者
 3 関係府省は、会議に対し、関係資料の提出等必要な協力を行うものとする。
 4 会議の事務は、内閣府設置法第4条第2項の規定に基づき、内閣府が行うこととし、内閣府に事務局を設置する。
 5 会議は、必要に応じ、分科会を置くことができる。
 6 前各項に定めるもののほか、会議の運営に関する事項その他必要な事項は、議長が定める。」
 閣議決定は法律でも政令でもない(省令でもない)。「国民の皆さま」を代表する議員によって構成される国会によって承認されてはおらず、行政権かぎりでの事実上の決定にすぎない。これによる機関・「会議」の設置が違法とまでは言えないだろうが、そのような機関・「会議」がそのような位置づけにふさわしい仕事だけをしているかが問題になりうる。
 だが、担当大臣(仙石某)まで置かれ、事実上であれ、予算案編成作業に関して重要な役割を果たしているようだ。むろん法的には、そこでの作業は内閣総理大臣や内閣を法的に拘束しない、たんなる<たたき台>にすぎない、と説明されるのだろう。
 だが、たかがそんな組織にしては、(とくにその<仕分け作業>に)マスコミは注目しすぎているのではないか。また、民主党や政府の側も、たかが一つの準備作業を<オープン>にすることによって<ショー>・<パフォーマンス>化して、政治的には自らに有利な方向に利用しようしているのではないか。それに引っ掛かっているマスメディアも見識が不足しているというべきだ。
 二 ますます不思議なのは、<仕分け人>の位置づけだ。
 上の設置要綱(閣議決定)によると、「議長〔内閣総理大臣〕は、必要があると認めるときは、構成員を追加」することができ、また、「構成員」は「内閣総理大臣が指名する者及び有識者」とされている。
 気になるのは、第一に、国会議員、すなわち枝野某や蓮某らが、<仕分け人>として仕事をしており、どうやら少なくとも「分科会」の構成員であることだ。
 内閣によって提出された予算案を議決して正式の予算とするのは国会の仕事だ。
 ということは、彼ら国会議員は(上の二人に限らない)、予算案の作成の準備作業に参画し、かつ最終的には国会議員として、予算に関する議決にも関与することになる。この後者の権限・任務は当然だが、そのような権限・任務・職責を持つ者が、そもそも同時に前者、つまり事前の作成作業にまでかかわってよいのか??
 たとえば、事前の段階で<仕分け人>として持って(<仕分け>会議で)公にした見解(特定の事業補助費等の予算配分への賛否等々)と矛盾する案が最終的には内閣によって決定され、国会に提出された場合、彼らはどういう態度をとるべきか?、という問題が生じうる、と考えられる。
 むろん、見解・意見は変わりうるものだとして、かつては反対した予算配分を含む予算案全体に賛成することは法的に禁じられるわけでもあるまい。
 だが、そもそも、このような問題を生じさせるようなことをすること、つまり副大臣でも政務官でもない国会議員を、「行政刷新会議」(の分科会?)の構成員とすること自体が適切とはいえないのではないか??
 屋山太郎は、これまた政治家による行政官僚統制だとして肯定的・好意的に評価するのかもしれないが、ここで生じているのは、立法府(法律制定者・予算決定者)の一員と、行政府(予算案作成・「行政刷新会議」)の一員との兼職であり、国会と行政権との間の混淆あるいは区分の崩壊であるように思われる。
 これは議会制民主主義の範疇を超えている、というのが私の直感的感想だ。
 第二に、<仕分け人>の中には、民間人も入っている。「有識者」とされているのだろう。この民間人の「参加」はどのように考えられるべきものだろうか。
 審議会類に民間人が学識経験者として入ることはよくあることだが、その場合、非常勤の「公務員」として扱われる。そして、「行政刷新会議」の<仕分け人>もそのように位置づけられるのだろう。
 だが、マスコミによって大きくとり挙げられるわりには、いかなる基準・資格認定によって、一定の民間人が<仕分け人>として採用されているのかは、さっぱり分からない。議長=内閣総理大臣(鳩山)も副議長(担当大臣=仙石)も、この点を何ら明らかにしていないように見える。
 こんな曖昧な選任方法によって仕分け人とされた者に、華々しく話題にされるような仕事をさせてよいのか?
 あるいは、これは予算編成作業の過程への<市民参加>なのだろうか。だが、予算編成作業編成過程の透明化や何らかの「国民」参加がかりに必要であり、少なくとも違法ではないとしても、現在行われている専門家?民間人の「参加」が、そのための十分に必要な条件を満たしているとは思えない。
 何ゆえに、いかなる理由でもって、特定の民間人(専門家?)が仕分け人に選任されているのか、その基準がさっぱり分からず、公にされていない、と思われるからだ。
 第三に、ますます訳が分からないことがあることがある。仕分け人の中には碧眼の欧米人も入っている。きちんと確認していないが、その人物は日本人、すなわち日本国籍をもつ者なのか??
 かりに外国籍の者だとするとそのような者に、日本国の予算案作成(編成)過程に関与させてよいのか?? これに関与して意見を言う資格(・権利)は国政参加権にもとづく一票(投票権)の行使よりも大きいというべきだ。
 この疑問はすこぶる大きい。いかに「友愛」だとて、「地球市民」感覚だとて、外国人には日本の予算案策定事務に「参加」する<資格>も<権利>もなく、これらを与えてはならないだろう。
 三 以上のような種々の疑問をもつが、大(?)新聞である産経新聞を含めたマスメディアがこのような問題について説明したり解説したりしているのを読んだり見たりしたことはない。
 野党・自民党もまた、このような観点からの批判はまるでしていないようだ。ただ<ショー的>だ、と指摘しているだけで、重要な政治的・法的問題がある、という問題意識はないように見える。
 重要な政治的・法的問題がある可能性がある、という問題意識が全く希薄であるようなのは、大(?)新聞である産経新聞を含めたマスメディアも同じ。評論家たちの意見はよく知らない。
 国会(立法府)と行政権(府)の議会制民主主義における適切な協働と緊張関係を超えた融合は、むしろ危険視すへきだ。
 国会(議会)・行政権の一体化と、それらを背後で実質的に制御する政党(共産党)、というのが、今もかつても、<社会主義>国の実態だった。
 そこまで大げさな話にしなくてもよいが、<行政刷新会議>とそこでの<事業仕分け>なるものには、何やら怪しさ・奇妙さと覚束なさがつきまとう。
 大マスコミも、多数いるはずの政治・行政評論家も(憲法研究者を含む学者はもちろん)、以上のような疑問に答えてくれていないようであることこそ、まさに異常なことではないか。成りゆき、ムードに任せてはいけない。