秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

中村政則

0961/仙石由人は自殺するか? ノーマン―ビッソン-「ヴェノナ」文書。

 一 ヘインズ=クレア〔中西輝政監訳〕・ヴェノナ(PHP研究所、2010.02)の序章の冒頭の文章によると、「ヴェノナ(Venona)」または「ヴェノナ文書」とは、かつてアメリカ合衆国政府が「ヴェノナ作戦」と名付けた暗号解読作戦によって「傍受解読」された、暗号通信の記録文書の総称だ。ここで暗号解読作戦とは、第二次大戦前後の時期に「米国内のソ連スパイたちがモスクワの諜報本部との間でやり取りした約三〇〇〇通に上る秘密通信」を秘密裡に「傍受し解読」することをいう。そして、この「ヴェノナ(文書)」の具体的内容は「最高機密」とされ「ほぼ半世紀近くにわたって秘匿」されて一般の知るところではなかったが、1995年に「公開」された。上の本は大まかにいって、その原資料によって当時のコミンテルン(ソ連・モスクワ)のスパイ等の活動内容を、人名の特定もしつつ明らかにしたもの。

 20世紀米国史への見方を根本的に変える可能性があるらしいが、そうだとすると、米国(または米国人や米国滞在者)と関係するかぎりで、第二次大戦前後や占領期の日本史をも大きく「書き換える」可能性があるだろう。

 全体の量(資料等を除いても500頁超)からするとほぼ1頁しか費やされていなくて少ないが、トーマス・A・ビッソンについての言及もある。

 上掲書p.257によると、GRU(ソ連軍諜報機関・「参謀本部情報総局」)のエージェントの一人だったジョセフ・バーンシュタインが、GRUニューヨーク支局主任に対して「T・A・ビッソンと友人になったと伝えてきた」ことを記す文書がある、という。以下は、上掲書の著者たちによる文章(の一部)。

 ・ビッソンはのちに「アーサー」とのカバーネームを与えられた。
 ・彼は「中国共産党の熱烈な擁護者」で二つの雑誌の創刊メンバー。そして、毛沢東下の中国共産党員は「真のマルクス・レーニン主義者ではない」、中国は「民主主義的な中国」と表現されるのが正しい、毛沢東支配地域の体制は「ブルジョワ民主主義が核」などと一般には(対外的には)主張した。

 ・かつて務めていた米国「経済戦争委員会」の「秘密の報告書」をバーンシュタインに提供し、GRU(ニューヨーク支局)はそれを「ソ連の外交文書でモスクワに送った」。この報告書は独ソ戦の分析・中国の米兵・中国滞在の日本人の商取引等々に関する報告を含んでいた。
 トーマス・A・ビッソンはソ連・GRUのエージェント(情報源)だったというわけだ。中西輝政らの訳者が作成した「参考人名録」によると、ビッソンは1943年に米国下院「非米活動特別委員会」で「(アメリカ)共産党」との関係を詰問されたが「否定」。1946年にGHQ民政局に入り、GHQ起草の日本国憲法草案の日本語訳等に携わり、1947年に帰国。

 二 日本国憲法の制定過程における米国・GHQ側の重要人物の一人であったからでもあろう、その制定過程にもかなり言及している、ビッソン日本滞在中の妻あての手紙を収載した書物は邦訳されて出版されている。

 ビッソン・日本占領回想記(三省堂、1983。原書1977)だ。この原書や訳書の刊行時点で、ビッソンとソ連・GRUとの関係はまだ明瞭にはなっていない。
 上の本の訳者は講座派マルクス主義歴史学者で日本共産党員の可能性もある中村政則ら(中村政則と三浦陽一)。

 中村政則は上の本の「解説」の中で、妻あて手紙の中にビッソンは日本滞在中の「オーエン=ラティモア、E・H・ノーマン、…都留重人らとの交友の記録が随所に書き留められており、彼をとりまく知的サークルの雰囲気が彷彿と伝わってくる」と書いている(p.329)。

 中村政則は知らないままで書いているのだろうが、「ヴェノナ文書」の公開もあって、オーエン=ラティモアとE・H・ノーマンの二人のソ連・モスクワとの関係、彼らの「エージェント」性(または「共産主義者」性)はほとんど明らかになっているものと思われる(上掲書・ヴェノナでの確認はしていない)。

 マルクス主義者・中村政則は、「マッカーシズムの狂気は、一九五七年、ノーマンを自殺に追いやった」と書くが(p.340)、この、日本における近代国家の成立(岩波)の著者として知られるカナダ人に対するマッカーシーの疑いは、「狂気」ではなく、正当なものだったように推察される(なお、ビッソンも疑われたが、その直後を除いていちおうは「ふつうに」人生を終えたようだ)。
 なお、ノーマン、ラティモア、都留重人についてはいずれさらに何かこの欄で書く。

 三 「戦後日本」は、何とコミュニスト(共産主義者)または親共産主義者(・親社会主義者)に寛容なことだろう。

 戦後ずっと今日まで、ソ連・中国等々と<親分>は変わっても、少なくとも実質的・客観的には、<社会主義国のための情報源または代理人>として仕事をし生活をしている日本人の何と多いことだろう

 かりにその点を指摘され追及されたとしても、彼らはE・H・ノーマンのように「自殺」しはしないだろう。追及はそれほどに苛酷になることはありえないし、それほどに心理的に追い込まれることもないだろうからだ。むしろ、偏狭で排他的なナショナリズムをもって「日本のために」生きるのは<古い>思想・発想で、とりわけ東アジア諸国に優しい、過去の日本の歴史と誠実に向かい合う、「地球市民」として仕事をし、生活しているのだ、と開き直るのだろう。

 刑事事件にするつもりがないくせに裁判資料だとの理屈で尖閣諸島・中国船衝突のビデオの公開を拒んだ者(仙石由人ら)は居座り続け、あえて当該ビデオを「流出」させた海上保安庁職員(保安官)が1年もの懲戒停職処分を受け、おそらくは辞職を余儀なくされるとは、日本は依然として、あるいはますます、<狂った>ままでないか。

 ①逮捕・勾留していた中国人の「釈放」は検察の判断ではなく仙石由人らの実質的「指示」(かたちの上では「示唆」にでも何でもできる)によるのだったとすれば、②中国政府との間で仙石由人(ら)は<尖閣ビデオは公開しない>と「約束」していた(その代わりに北京で拘束された日本人は解放された)のだとすれば、仙石由人は、国会で、国民に対して、<真っ赤なウソ>を公然とついていたことになる。

 近い将来、2010年秋の上の二つに関する仙石由人発言が全くの<虚偽>だったことが明らかになれば、「赤い官房長官」・仙石由人は<自殺>するか?

0909/資料・史料-「韓国併合」100年日韓知識人共同声明/日本側署名者。

 史料-2010.05.10「韓国併合」100年日韓知識人共同声明/日本側署名者

 

 日本側署名者 ※は発起人

 荒井献(東京大学名誉教授・聖書学)、荒井信一※ (茨城大学名誉教授・日本の戦争責任資料センター共同代表)、井口和起※(京都府立大学名誉教授・日本史)、石坂浩一※ (立教大学准教授・韓国社会論)、石田雄(東京大学名誉教授・政治学)、石山久男(歴史教育者協議会会員)、李順愛(早稲田大学講師・女性学)、出水薫(九州大学教授・韓国政治)、李成市※(早稲田大学教授・朝鮮史)、李鍾元※(立教大学教授・国際政治)、板垣雄(東京大学名誉教授・イスラム学)、井筒和幸(映画監督)、井出孫六(作家)、伊藤成彦(中央大学名誉教授・社会思想)、井上勝生※(北海道大学名誉教授・日本史)、今津弘(元朝日新聞論説副主幹)、上杉聡(大阪市立大学教授)、上田正昭(京都大学名誉教授・日本史)、内田雅敏(弁護士)、内海愛子※(早稲田大学大学院客員教授・日本―アジア関係史)、大江健三郎(作家)、太田修※(同志社大学教授・朝鮮史)、岡本厚※( 雑誌『世界』編集長)、沖浦和光(桃山学院大学名誉教授)、小田川興※(元朝日新聞編集委員)、糟谷憲一※(一橋大学教授・朝鮮史)、鹿野政直※(早稲田大学名誉教授・日本史)、加納実紀代(敬和学園大学教授・女性史)、川村湊(文芸評論家・法政大学教授)、姜尚中(東京大学教授・政治学)、姜徳相(滋賀県立大学名誉教授・朝鮮史)、木田献一(山梨英和学院大学院長・キリスト教学)、木畑洋一(成城大学教授・国際関係史)、君島和彦(ソウル大学教授・日本史)、金石範(作家)、金文子(歴史家)、小谷汪之(首都大学・東京教授・インド史)、小林知子(福岡教育大学准教授・在日朝鮮人史)、小森陽一※(東京大学教授・日本文学)、坂本義和※(東京大学名誉教授・国際政治)、笹川紀勝(明治大学教授・国際法)、佐高信(雑誌『週刊金曜日』発行人)、沢地久枝(ノンフィクション作家)、重藤都(東京日朝女性の集い世話人)、清水澄子(日朝国交正常化連絡会代表委員・元参議院議員)、東海林勤※(日本キリスト教団牧師)、進藤栄一(筑波大学名誉教授・東アジア共同体学会会長)、末本雛子(日朝友好促進京都婦人会議代表)、鈴木道彦(独協大学名誉教授・フランス文学)、鈴木伶子(平和を実現するキリスト者ネット代表)、関田寛雄(青山学院大学名誉教授・日本キリスト教団牧師)、徐京植(作家・東京経済大学教授)、高木健一(弁護士)、高崎宗司※(津田塾大学教授・日本史)、高橋哲哉(東京大学教授・哲学)、田中宏(一橋大学名誉教授・戦後補償問題)、俵義文(子どもと教科書全国ネット21事務局長)、趙景達※(千葉大学教授・朝鮮史)、鶴見俊輔(哲学者)、外村大(東京大学准教授・朝鮮史)、仲尾宏(京都造形芸術大学客員教授)、中塚明※(奈良女子大名誉教授・日朝関係史)、中野聡(一橋大学教授・歴史学研究会事務局長)、中村政則※(一橋大学名誉教授・日本史)、中山弘正(明治学院大学名誉教授・経済学)、永久睦子( I女性会議・大阪会員)、成田龍一(日本女子大学教授・日本史)、朴一(大阪市立大学教授・経済学)、林雄介(明星大学教授・朝鮮史)、原寿雄(ジャーナリスト)、針生一郎(美術評論家)、樋口雄一(高麗博物館館長)、飛田雄一(神戸学生青年センター館長)、平川均(名古屋大学教授・経済学)、深水正勝(カトリック司祭)、藤沢房俊(東京経済大学教授・イタリア近代史)、藤永壮(大阪産業大学教授・朝鮮史)、福山真劫(フォーラム平和・人権・環境代表)、古田武(高麗野遊会実行委員会代表)、布袋敏博(早稲田大学教授・朝鮮文学)、前田憲二(映画監督・NPO法人ハヌルハウス代表理事)、松尾尊兊※(京都大学名誉教授・日本史)、水野直樹※(京都大学人文科学研究所教授・朝鮮史)、三谷太一郎(政治学者)、南塚信吾(法政大学教授・世界史研究所所長)、宮崎勇(経済学者・元経済企画庁長官)、宮嶋博史※(成均館大学教授・朝鮮史)、宮田毬栄(文筆家)、宮地正人(東京大学名誉教授・日本史)、宮田節子※(歴史学者・元朝鮮史研究会会長)、文京洙(立命館大学教授・政治学)、百瀬宏(津田塾大学名誉教授・国際関係学)、山口啓二(歴史研究者・元日朝協会会長)、山崎朋子(女性史研究家)、山田昭次※(立教大学名誉教授・日本史)、山室英男※(元NHK解説委員長)、梁石日(作家)、油井大三郎(東京女子大学教授・アメリカ史)、吉岡達也(ピースボート共同代表)、吉沢文寿(新潟国際情報大学准教授・朝鮮史)、吉野誠(東海大学教授・朝鮮史)、吉松繁 (王子北教会牧師)、吉見義明(中央大学教授・日本史)、李進煕(和光大学名誉教授・朝鮮史)、和田春樹※(東京大学名誉教授)/ 総 105人

0907/遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫1945-1970(麗澤大学)①。

 遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫/1945-1970(麗澤大学出版会、2010)、上・下巻、計650頁余を、10月上旬に、全読了。
 まとまった、ある程度長い書物を読了して何がしかの「感動」を受けたのは、おそらく2008年の佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版)以来で、かつ、佐伯啓思のものよりも大いに感心した。

 いわゆる旧かな遣いは慣れていない者にはいささか読みにくいが、何と言っても、カタカナ名の人名が(おそらく)まったく出てこず、福田恆存と三島由紀夫を中心とする日本人の文章のみが紹介・引用ないし分析されていることが―本当は奇妙な感心の仕方なのだが―新鮮だ。
 また、著者によると、「『戦後』という時代を俯瞰的に眺めて」みることが「基本的なモティーフ」だとされるが(下巻p.292)、書名からする印象以上に、(ほぼ1970年くらいまでだが)「戦後史」の本になっている。
 この欄で触れたように、半藤一利・昭和史/戦後篇(文藝春秋)は、売れているらしいが、とても歴史書とは言えない、訳の分からない紛い物。林直道・強奪の資本主義-戦後日本資本主義の軌跡(新日本出版社)はマルクス主義の立場からする、日本共産党的な(教条的な)戦後日本「資本主義」史の叙述。

 中村政則・戦後史(岩波新書)は、多少は工夫しているが、マルクス主義(史的唯物論・発展段階史観)を基礎にしては、まともに歴史を描きえないことの証左のような作品。

 これら三冊についてそれぞれ、既にコメントした。

 これらに比べて、遠藤著は、1970年頃までの「昭和戦後史」と謳っているわけではないものの、随所に出てくる各時代・時期の認識・評価等は本格的で、ほとんどまっとうなものだ、と感じる。三島由紀夫と福田恆存に特段の関心はなくとも、両者を絡めての正当な戦後25年史(1945-1970)に関する書物としても読めるだろう。細部の個々の論点に関する理解・認識について議論の余地はあるとしても。

 <左翼>は、この本のような時代叙述に反発し批判するのだろうが、私にはほとんど常識的なことをきちんと文章にしている、と感じられた。まっとうで常識的なことを書くことはむつかしい時代が現在でもあるので、このような本の存在意義は大きいだろう。

 さらに、著者によると、書名にある二人の仕事を再読するのは「過去を振り返るためではなく、現在について考えるためである」(下巻p.292)。ここにも示されているが、叙述の対象は1970年頃でほぼ終わってはいるものの、日本の現在と、なぜそのような現在に至ったのか、ということにも認識・分析が言及されていて、それらを読者に考えさせる本にもなっている。

 やや褒めすぎかもしれないが、率直な感想だ。遠藤浩一は、並々ならぬ文章力・表現力と、じつにまともな(素直で常識的な)歴史を観る力をもっていると感じざるをえない。後者には、戦後「政治」史を観る力も当然に含まれている。

 福田恆存と三島由紀夫が論じ、考えていたことについてもあらためて教えられるところが多い。

 今回はこれくらいにして、別の機会にこの本(上下、二冊)により具体的に言及してみる。

0696/ヒドい「左翼」教条、荒川章二・豊かさへの渇望/日本の歴史16(小学館)。

 一 荒川章二・豊かさへの渇望/日本の歴史16・一九五五年から現在(小学館、2009.03)。最近は珍しくなった日本史通史の全集ものの最後の巻で、現在までを扱う。
 少し読んで、反吐が出そうになる。民主党内の旧社会党派、社民党、共産党、あるいはこれらの政党を支持する政治団体又は労働団体の<政治宣伝ビラ>を集めて並べたような本だ。
 「おわりに」によると、「私たちは歴史の主体として戦後社会をどのようにつくりあげてきたのか」が「本巻の問題設定」だったらしく、その結論は、「戦後日本の民衆的経験は、ある時は行政や企業に真っ向から対抗し、しだいに現実的な提案能力を高め、拒否と批判による政治への影響だけではなく、提案と創造による社会の改革・変革の能力をも蓄積してきた」(p.362-3)、ということらしい。
 この荒川章二という人は、狂っているのではないか。
 二 「おわりに」の文章は次のように続く。「現代の私たち」が「新しい時代」に選択する「選択肢」を考える「素材」として「本巻」では、「家族・労働と、そのなかにひそむ性や民族的出自による差別、諸地域・諸産業を切り分ける極端に不均衡な政策、そして沖縄に代表される戦後国家の巨大な『軍事空間』に注目して」、戦後史像を描いた、と(p.363)。この明記に見られるように、この本は要するに、①「差別」と②「不均衡」な政策、③「軍事」に着目して「戦後史」を書いた、というわけだ。
 これらが歴史叙述の重要な要素たりうることを否定はしないが、これらに(のみ)「注目」したと特記しているのだから、その偏向ぶりのヒドさを予想させる。
 「おわりに」では、さらに次のように述べる。上の①の「家族・労働にひそむ差別」に関して、「近年の新自由主義的市場原理が、…貧困・格差問題を浮かび上がらせたように、…雇用と生活の破壊はさらに進行する可能性さえあるだろう」。
 上の②に関して、「経済成長…過程で傷めつづけてきた国土」の再生が課題で、「分権と自治」が前提になるが、「ひたすらな自治体合併、統合政策の推進は、…市民的活力を削ぐことが危惧される」。
 上の③に関して、「…日米軍事同盟の行方という点に帰着」し、「東アジアにおける日本の位置」の定めという外交課題に直結する…(p.363-5)。
 三 1.日本の戦後史を考える又は叙述する場合でも、米ソ対立あるいは冷戦の成立と終焉(欧州での)という国際環境の変化を無視することはできないはずだ。
 上の荒川章二の本は、欧州での冷戦終結・「社会主義」ソ連の崩壊について、竹下~宮沢内閣の、「その間に、…冷戦崩壊・東西ドイツの統一で世界的な軍縮が急激に進み、九一年末、ソ連邦も解体した」 (p.219)としか書いていないと見られる。
 この本が扱っている米軍・自衛隊「基地反対闘争」も60年「安保反対」運動も、米ソ対立や「社会主義」国・ソ連の存在があればこそ発生し、ある人々にとってはそれが少なくとも精神的・理念的な「支え」にもなったのではないか? にもかかわらず、ソ連解体の叙述が上の程度であるのは何故か? 歴史学者らしい荒川章二は、まともに物事を見聞きし、理解する力があるのだろうか。
 2.北朝鮮への「祖国帰還」運動、北朝鮮当局による1970年代の日本人拉致については、当該時代の叙述の中には欠けている(いっさい触れていない)と見られる。その代わり、次のような<異様な>叙述が、小泉内閣時代の中に出ている。
 2002年10月に拉致被害者「五人の帰国が実現した。彼らは当初一時帰国とされたが、日本にとどめたまま家族の帰国を要求したことから北朝鮮側が硬化し、事態は膠着し、国交回復交渉も暗礁に乗り上げた。この後日本国内では…同情と真相究明の世論…北朝鮮への反発が高まった。同じころ、アメリカ…は北朝鮮を悪の枢軸の一国と名指しし、国際社会に対決を訴えた。北朝鮮は対抗的に核開発を再開し、日本政府は対米関係に配慮して、…日朝関係は一挙に暗転した。…日本政府は拉致問題の解決を働きかけるが、膠着した外交関係に制約され、…その後は事態打開への扉は開けないままである」(p.323-4)。
 上の文章によると、「北朝鮮側が硬化」して「事態」が「膠着」した原因は日本政府(・被害者家族)が「日本にとどめたまま家族の帰国を要求したこと」にあり、米政府と同一姿勢に立ったことにもよるこの「膠着した外交関係」によって、「事態打開」がなされていない、つまりは責任は全て北朝鮮ではなく日本(+「悪の枢軸の一国と名指しし」た米国)にある、とされている。北朝鮮の「核開発」の責任は米国にあるらしい。
 この荒川章二という人の頭は(他にも和田春樹とかがいたが)<ふつうではない>のではないか。
 他にも沖縄問題、教科書問題等々について、見事に「左翼教条」言説が並んでいる。ヒマがあれば別に紹介する。
 四 ブログの記述やそれこそ政党ビラならばここで取り上げようとも思わないが、日本史通史の<全集>ものの一巻というのだから、メモしておかざるをえない。日本の近現代史(学)はまだまだマルクス主義又は「左翼」が支配していると誰かがどこかで書いていたが、見事な例証を知った思いがする。
 荒川章二(1952-)は一橋大学社会学研究科出身で「専攻」は「日本近現代史」だという。青木書店から単著(『軍隊と地域』)を刊行しているので、日本共産党員か日本共産党の強いシンパである可能性が髙い。
 一橋大学にはかつて、藤原彰、中村政則、永原慶二等のマルクス主義歴史学者が巣くっていた(現在も?)。荒川章二は、これら先輩たちの薫陶よろしきを得たに違いない。そして20歳代、30歳代の若手の研究者へと強く継承されていっているのだろうから、恐ろしい。
 小学館も奇妙な書物を刊行したものだ。だが、直接の責任は小学館の編集部にではなく、この全集の編集委員、すなわち、平川南、五味文彦、倉地克直らにあると思われる。こんな本の内容が、1955年~現代の歴史叙述の日本史学界の「通説」的・「代表」的なものと理解されてよいのか。編集委員も少しは恥ずかしく思ってもらいたい。

0153/やはり「哀れ」を誘う、中村政則・戦後史(岩波新書)。

 戦後史に関する概説書はいくつか読んだ。中村政則・戦後史(岩波新書、2005)もその一つだ。
 この本は、1.「戦争」に着目した「貫戦史」との方法をとるというが、それにしては朝鮮戦争、アフガン戦争の扱いは小さく、ベトナム戦争、湾岸戦争の扱いは大きい。
 2.何よりも、周辺事態法制=有事法制を「まさに戦争目的のための」ものと躊躇なく断言し(p.260)、「いま」日本は「戦争の道」か「平和の道」かという対立・選択を迫られている、「戦後最大の岐路に立っている」と締めくくりにかかるに至っては(p.289)、ヤレヤレ40年前の本かと思ってしまう。
 さすがに岩波が起用した執筆者だ。日本人はいったい何度「戦争の道」ではなく「平和の道」を選ぶように「煽られて」きたことだろう。
 3.戦後史を語る以上、ソ連・東欧「社会主義」体制の崩壊への言及は避けられないが、十分に詳細ではなく(p.185-等)、かつ日本の戦後史の見方そのものを変更させる可能性を多分にもつ、インパクトの大きさを感じ取ることはできない。
 思うに、執筆時点で70歳くらいだったこの元一橋大学教授は、コミュニズム、マルクス主義の敗北の影響を(p.233あたりに触れられてはいるが)、大きいものとは見ていない、又はそう見たくはない、あるいは少なくとも自らの歴史学の見方・方法を変えなければならないほどのものとは見ていないのだろう。にもかかわらず、ソ連解体等に触れないわけにはいかず、筆者の筆致には率直な感想として何やら痛々しさすら感じてしまう
 「戦争の道」と「平和の道」という対立は、かつてはアメリカ等の資本主義又は「帝国主義」国とソ連等の「社会主義」国の対立を意味したはずだった。後者がほぼ消滅した現時点で、この二つの道の「選択」・「岐路」を強調する筆者は、いったいいかなる対立を想定しているのだろうか。熱意を感じさせるが如き文章がじつは空疎に感じる原因も、このあたりにあると思われる。
 悪しき日本と気の毒な「アジア」という対立図式なのか? むしろ「戦争の道」を進んでいるのは北朝鮮等と見るのが素直と思えるが、北朝鮮や中国の異常さ・危険性にほとんど言及しない中村政則老人はそうは考えておらず、日本国内にいるらしい「戦争」勢力への警戒を強調したいのだろう。
 なお、4.ソ連崩壊の90年前後で「戦後は終わった」と書きつつ(p.283)、その後も2000年までを「戦後」と位置づけているのは、子細に読めば矛盾していないかもしれないが、やや解りにくい。
 それにしても2005年にこんな本がまだ刊行されるとは。著者は表現・学問の自由を、岩波書店は出版の自由を享受すればいいが、こうした本の影響で誤った歴史観・歴史の見通しをもってしまう「純朴な」人々への責任は誰がきちんと負うのか。

ギャラリー
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
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  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
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  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
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  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
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  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
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  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
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  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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