秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

中川昭一

1235/「左翼」メディアと特定秘密保護法-月刊WiLL2月号。

 〇別冊正論Exttra20(2013.12、産経新聞社)が「NHKよ、そんなに日本が憎いのか」と題する一冊丸ごとNHK批判の雑誌を出し、月刊WiLL2月号(ワック)も櫻井よしこと高池勝彦の対談「NHK偏向報道判決と秘密保護法」などを掲載している。
 上の対談の中で櫻井は、「NHKや朝日新聞」ととくに名指ししたうえで、秘密保護法反対の煽り方は「もはや報道機関ではなく運動体であり、新聞はプロパガンダ・ペーパーと化している」と述べ、高池は「秘密保護法反対派は『言論の自由』や『知る権利』が制限されると言いますが、では報道機関は本当に国民の権利に応えてきたのか」と、正当な疑問を示している。
 〇NHK固有の問題は別にまた触れるとして、秘密保護法とNHKを含むメディアとの問題については、月刊WiLL2月号の表表紙には記載されていない、つぎの二つの小稿が興味深かった。
 西村幸祐の連載コラムの今回の「加速する報道テロの防止策」は、「鳩山政権で九回、菅政権で八回、野田政権で四回の強行採決があった」し、2010年の公務員国籍条項削除の国家公務員法改正案の強行採決の際には「三宅雪子の転倒演技に」報道を集中させ、法案の危険性や強行採決の問題性もが当時のメディアは問題にしなかった、しかるに……、と説く。朝日新聞等の「左翼」メディアが民主党政権時と自民党等の安倍政権時ではまるで異なる報道姿勢をとっていることを気づかせてくれる。<審議が十分でない。なぜ急ぐのか>というキャンペーンはある程度は効を奏したようで、これを肯定する世論調査結果もあったと思われる。しかし、上の民主党政権時の「強行採決」の回数は知らなかった。朝日新聞等のメディアは、その当時、強行採決を「多数の暴挙」等々と厳しく批判したのか。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の、朝日新聞を中心とする「左翼」メディア。「プロパガンダ」団体であり、政治団体であることはますます明確になってきている。
 上の一文と同じことをまた書かなければならないが、門田隆将の連載コラムの今回の「『秘密保護法』と『人権擁護法』どちらが怖い」は、(国会に上程までされたかは確認していないが)2012年9月に野田内閣が人権擁護法案(人権委員会設置案)を閣議決定したとき、強大な権限をもつ「人権委員会」が「人権擁護」の名のもとに「裁判所の令状なしでジャーナリストたちに『出頭命令』や『家宅捜索』、『押収』等をできることにメディアは反対しなかった、しかるに……、と書く。
 鳥越俊太郎、金平茂紀らは昨年に人権擁護法案に反対する運動をし、記者会見等をしたのか。現役の放送会社員・TBSの金平茂紀も含めて<政治活動家>であることははっきりしているから、もはや驚きはしないのだが。
 <ご都合主義>、<ダブル・スタンダード>の意識の一片もなく、真面目に(安倍内閣提出の)特定秘密保護法案には反対したのだとすれば、これらのメディアの人々の「神経」を疑うし、そのような人々が平然とテレビ画面に出てくる現実に恐怖を覚える。
 なお、上の西村幸祐のものを読んで、前回に記した「朝日新聞」の<犯罪>の中に、2005年1-2月の、安倍晋三・中川昭一の政治的生命を奪おうとする、<女性戦犯法廷放映政治家圧力>事件も加えておくべきだった、と思い出した。朝日新聞の本田雅和らNHKの長井暁らが「共犯」の事件だった。

1094/朝日新聞を応援する「産経抄」と産経・憲法改正起草委員会。

 一 産経新聞3/20の「産経抄」が、朝日新聞にエールを送っている。
 例の巨人軍契約金問題に触れ、巨人軍の「有望選手を獲得するための、なりふりかまわぬやり口は、野球ファンには常識だ」と断定したあと、「報道のメスは高校野球にも及ぶのか。夏の甲子園大会を主催する、朝日ならではの追及に期待したい」、と締めくくっている。
 読売巨人軍を擁護する気はないし、問題もあるかもしれないが、上のような書き方は、あまりにも一方に偏った、不公正なものだろう。
 朝日新聞が、巨人軍の親会社がライバル社である読売新聞社であるがゆえにこそ、この問題を大きく取り上げたのは、ほとんど明瞭なことなのではないか?
 それに、朝日新聞が執拗な「政治団体」でもあって、例えば2005年には安倍晋三・中川昭一という二人の政治家に打撃を与えるために<NHKへの圧力>という捏造報道を―NHK内の「極左」活動家ディレクターの告発をきっかけとして(ひょっとすればそれを誘導して)し続けた―関係記者・本田雅和は解雇されなかったし、NHKもそのディレクター・長井暁を馘首しなかった―、等々の<デマ>を撒き散らしてきたのは、少なくとも産経新聞の読者には「常識だ」ろう。

 産経抄子は朝日・読売の対決という、どう見ても少なくとも五分五分の言い分はそれぞれにありそうな問題について、何と、あっけらかんと、朝日新聞の側に立つことを明らかにしたのだ。
 呆れる。
 二 上の小記事が原因ではないが、3月末で産経新聞の購読を止めた。
 「よりましな」新聞であることは分かっているが、重要な文章はネット上で無料でコピーできることが大きい。他の新聞に比べて、数年前までの、例えば「正論」や「昭和正論座」その他の論説委員執筆コラム等々がネット上で追いかけられるのは有り難い。
 朝日新聞などは、若宮啓文の重要なコラムを読み逃しても、遅れればネットで(無料では)読めないし、そもそもネット上に掲載していない可能性もある。
 というわけで、3月末と決めていたのだが、産経新聞が<憲法改正起草委員会>を組織したとの報道があって、ややぐらついた。毎日の紙面で、その動向を知っておく必要があるのではないか、と。
 話題を憲法改正案起草に変えれば、「委員」5人の顔ぶれを見て、感じることもある。
 法学者・法学部出身者が多い(全員?)のはよいのだが、79歳、77歳、71歳、69歳、65歳では、あまりにも「年寄り」しすぎではないか?
 しかし、これは現在の法学界、とくに憲法学界の反映かもしれない。50歳代であれば十分に、しっかりした憲法改正論を語れる者がいても不思議ではないのだが、そのような適材がいないのだろう。少なくとも、産経新聞社の求めに応じて「委員」になるような適当な学者がいないのだろう。
 憲法改正に賛成することが、あるいは憲法改正を語ることすら、はばかられるような学界の雰囲気があるに違いない、と思われる。
 産経新聞紙上にもかつての改憲案の作成機関等が紹介されていたが、「憲法学界(学会)」こそがそのような検討をしていたとしても不思議ではないにもかかわらず、そのようなテーマで議論したことは一度もないのだろう。ついでに言うと、日本弁護士連合会(日弁連)もまた<よりよい憲法>を目指した案を作成してもまったく不思議ではない団体だが、日弁連が憲法改正を(それに反対はしても)議論したという話は聞いたことがない。
 (憲法等の)法学界も専門法曹・弁護士会も、憲法改正を一種のタブーにしてきた、という、まことに見苦しく情けない現状がある。それを話題にすること自体が、憲法九条を改正したがっている<保守・反動派>を助けることになる、という意識が、論壇やマスコミ界以上に強いものと思われる。「黒い羊」と断定されれば、就職もできず、あるいはまともな?法学部には就職(・転職)できない、という<経済・生活>にかかわる、サンクションも機能していると思われる(これは「左翼ファシズム」がほとんど成立してしまっている、ということでもある)。
 そのような怖ろしい「部分」・業界?もある中で産経新聞社が憲法改正へと棹さすのは結構なことだ、ととりあえず言っておこう。
 前回に触れたように現九条1項にはそれなりの由来・歴史が伴っているのだが、<侵略戦争はしない>ことはもはや当然のこととして、せいぜい前文で抽象的かつ簡単に触れるくらいにして、現九条1項のような(たしかに紛らわしくはある)条項は残存させないのも、一つの案かもしれない。
 なお、橋下徹・大阪維新の会は憲法改正を「タブー」視していないことは明らかだ。自民党等の中にいるだろう「保守」派は、差異・不明部分のみを強調するのではなく、共通している部分にも目を向けておく必要があるだろう。
 元に戻れば、やはり産経新聞の購読は止めている。したがって、「産経抄」の文章に言及したのは、今回が最初で最後になる可能性が高い。

0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。

 中川昭一の死の報に接して書きたいことがあったが、気が重く、書き込めなかった。
 中川は1983~2009年の間、国会(衆議院)議員だった。25年以上も議員として務めてきて、内閣や党内での要職を占めたこともあったのだから、2009年8月衆議院選挙での落選はショックであったに違いない。
 そして、落選していなければ、つまり当選(比例復活であっても)していれば、まだ存命だったのではないか。
 中川は自分は有権者(選挙区民)に必要とされなった(否定された)、との感慨・コメント
を述べたと伝えられる。その結果としての落選の衝撃と失意は、9月に入って議員でない生活を続けている間に、じわじわと精神的にも肉体的にも彼を苦しめただろう。そしてまた、昨年冬の所謂<もうろう会見>が自民党の敗北の原因の一端にはなっただろうと意識もしただろうから、<責任>を感じてもいたに違いない。
 精神・神経の疲労(大雑把にいってストレス)が心筋梗塞等々につながって肉体的な死の原因の一つになることはよく知られていることだ。
 中川昭一は落選したからこそ死んでしまった、と考えている。
 なぜ落選したのか。北海道11区の有権者が対立候補よりも彼に相対的多数票を与えなかったことにある。そしてまた、そのような有権者の投票行動の大きな背景が<反自民・政権交代>ムードを徹底的に盛り上げた朝日新聞や朝日新聞的なテレビ等のマスメディアにあることも間違いない。
 北海道11区・十勝の有権者が、ひいてはマスメディアが、中川昭一を死に至らしめたのだ。むろん刑法上の罪は問えないが、有権者と朝日新聞等が彼を<殺した>のだ。そう思っている。
 朝日系かTBS系か忘れたが(日テレ・フジ系ではなかったと思う)、中川昭一の死を報道するに際して、再びあの<もうろう会見>の映像を流し(泥酔が原因ではなかったともされる)、<死者にムチ打つようですが、あれはやっぱりみっともなかったですね>と(たしか女性の)キャスターに言わせたテレビ局があった。
 このようなマスディアの(特定の政治家に対する)意図的・政治的な冷酷さこそが、中川を苦しめ、死に至らしめたのだ(他にも自殺等々の原因がマスメディアにあると考えられる場合があるが、こでは触れない)。
 加えて、鈴木宗男の名も挙げておく必要があるだろう。鈴木はかつての師の子息である中川昭一の属する党・自民党ではなく民主党と共闘し、北海道でも中川の対立候補を応援した。比例復活ならずの原因も含めて、中川の落選(そして死)の原因の一つは鈴木宗男の判断・行動にもある。
 北海道11区・十勝の有権者は思い知るべきだ。むろんまだ有罪と確定したわけではないが、1月15日に逮捕されたのは、北海道11区で中川昭一に勝って当選した民主党の石川知裕(小沢一郎の元秘書)だ。
 なぜ中川を当選させなかったのか。ぎりぎりでも当選していて国会議員であり続けていけば、おそらく彼はまだ生きている(それだけ落選の精神的衝撃は深刻だったと言うべきだ)。
 悔やんでも仕方がないことではある。マスメディアを批判してもここでの一文は何の意味もないだろう。だが、せめて、北海道11区・十勝の有権者には、(マスコミの造りだしたムードに乗っかって)中川を落選させてよかったのか、石川知裕を当選させてよかったのか、と少しは疑問をもってほしいものだ。
 相当に遅れた記述になる。痛憤の思いは書き尽くせない。よりにもよって中川昭一を殺さなくてもよいではないか…、<神・運命>が存在するとすれば、いったい何のつもりか…。
 

0791/資料・史料-2007.05.20朝日新聞社説「安倍内閣批判」。

 資料・史料-2007.05.20「安倍内閣批判」朝日新聞社説
 平成19年5月20日

 //朝日新聞社説
 価値観議連―「安倍応援団」の危うさ
 安倍首相を支持する自民党の中堅・若手議員ら43人が「価値観外交を推進する議員の会」を発足させた。
 会長には拉致議連などの活動を通じて首相と親しい古屋圭司氏、顧問には先輩格の中川昭一党政調会長が就いた。
 メンバーには、いわゆる従軍慰安婦問題への旧日本軍の関与について、強制連行はなかったと主張する「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の顔ぶれがずらりと並ぶ。
 97年にこの会が発足した当時は、中川氏が会長、古屋氏は副幹事長、首相は事務局長だった。新たに設立された価値観議連は、そうした首相の仲間たちが結集した「安倍応援団」である。
 議員の有志が集って政策を練り、行動すること自体に異論はないが、この議連と首相との関係には首をかしげざるを得ない。
 「価値観外交」とは耳慣れないが、趣意書によると、自由・民主・人権・法の支配という普遍的価値を高く掲げ、これを共有する国々や人々と連携していくのが目的だという。そもそもこれは首相の持論であり、それを後押ししようということだろう。
 では、価値観を共有しない国はどこか。古屋氏は初会合でこう述べた。「首相の日中首脳会談には大きな成果があった。しかし一方では、軍事費増大など覇権拡張の疑念は払拭(ふっ・しょく)できない。中国は共通の価値観を持つ国ではない」
 同じ会合で講演した中川政調会長もこう述べた。「中国は我々に一番近くて脅威の国だ。我々が中国の一つの省になることは絶対に避けないといけない」。
 日中外交がようやく軌道に乗り始めているときに、何とも刺激的な中国警戒論ではないか。
 古屋氏は「人権擁護法案、皇室典範、靖国参拝、国民投票法、民法772条(嫡出の推定)の問題はいずれも思想信条に直結する。同じ方向をめざす同志を糾合し、速やかに行動できるグループとして機能を果たしたい」とも述べた。
 言い換えると、列挙したのは女系女帝の反対論など、とりわけ右派の熱心なテーマばかりだ。これがめざす「真の保守主義」なのだというが、「自由・民主・人権」というより、復古的な価値観に近いのではないか。
 政権についた安倍氏が、靖国参拝や慰安婦問題での主張の修正を迫られたことに、右派は不満を募らせている。ならば「建前」しか語れない安倍氏に代わって、議連が「本音」を語り、右派の理念のエンジン役になろうということか。
 議連には、首相の側近である下村博文官房副長官、山谷えり子首相補佐官が名を連ねた。彼らがわざわざ創設に加わったところに、首相と議連との距離の近さが表れている。
 ことは外交である。あたかも首相に二つの口があるかのような印象を与えていては、世界の信用は得られまい。//

 *ふたことコメント-2007年7月参院選前の朝日新聞による安倍内閣への集中批判・攻撃・皮肉の一つ。①中川昭一の「我々が中国の一つの省になることは絶対に避けないといけない」との発言にこの朝日新聞社説は「何とも刺激的な中国警戒論ではないか」と反応している。②人権擁護法案反対、皇室典範改正(女系女帝容認)反対、靖国参拝、改憲国民投票法、民法772条改正(嫡出の推定)反対を「右派の熱心なテーマ」と断じ、「復古的な価値観に近いのではないか」として、自らの「左派」性とその「価値観」の一端を暴露している。

0701/週刊新潮4/23号におけるNHK4/05番組批判と「お詫び」。

 〇4/05のNHK番組「JAPANデビュー・第1回」につき、「少なくとも<一面的>」と前回に評した。週刊新潮4/23号(新潮社)によると、やはりその程度では済まないようだ。
 上の番組を「歴史歪曲と『台湾人』も激怒したNHK『超偏向』番組」と評する同号の巻頭記事によると、「人間動物園」との表現、台湾での「改姓名」、「宗教弾圧」につき、誤り又は歪曲等がある、という。また、番組に登場した台湾人・某氏はNHKの取材に対して日本の台湾統治は「プラスが50%、マイナスが50%」というスタンスで答えたが、放送を観たら「悪口ばかり使われているので、大変驚きました」との感想を述べた、という。以下は省くが、これらによると、「一面的」は柔らかすぎる表現で、むしろ<捏造>に近いのではないか。
 上の某氏はNHKのこの番組の背後には「日台の関係を引き裂こうとする中共の意向があるのではないか」とも「邪推」しているというが、「邪推」ではないかもしれない。
 NHKは<戦時性犯罪国際女性法廷>とやらの番組で少しはコリたかと思っていたが、確信犯的な「左翼」制作者グループがまだ残っているようだ。
 なお、同誌同号の高山正之連載コラムも結果としては全体を、上のNHK番組批判にあてており、番組制作者として、「田辺雅泰」の名前のみを出している(p.142)。
 〇週刊新潮上掲号には、朝日新聞阪神支局事件に関する同誌掲載手記が「誤報であったことを率直に認め、お詫びする…」編集長名の長い文章も載っている(p.130-)。
 これに関係して不思議に思うことがある。すなわち、2005年1月頃以降に話題になった、上でも言及した<戦時性犯罪国際女性法廷>とやらの番組放送に対する政治家(自民党)の圧力問題に関していうと、今回の週刊新潮記事(編集部)にあたるのが朝日新聞・本田雅和ら二人の記者であり、今回の件の島村征憲にあたるのが、自分自身が直接に接触をした(を受けた)わけでもないのに上司・幹部が<安倍晋三・中川昭一から「圧力」を受けた>ために改編を迫られた旨を記者会見して(涙ながらに)述べた長井暁(チーフディレクター)なのではないのだろうか。長井暁は(少なくとも中核部分では)「嘘」を述べたにもかかわらず、それを信じて取材を十分にしないまま記事にしてしまったのが朝日新聞・本田雅和らではないのだろうか。
 そうだとすると、朝日新聞は誤りを認め謝罪するべきだったと思われるが、<取材不十分>を外部委員会に指摘させただけで、訂正も「詫び」もしていない。この<開き直り>と比べれば、新潮社の方がまだマシだ。
 亡くなられた朝日新聞記者にはやや気の毒かもしれないが、彼に関する事件と自民党による<政治圧力>問題は、少なくとも同等の又は後者の方がより大きな重要度をもっていたと思われる。やや別言すれば、今回の週刊新潮には特段の<政治的>意図はなかったと見られるのに対して、朝日新聞・本田雅和には、特定の(反朝日スタンスの)政治家を貶める方向へと世論を誘導しようとする明確な<政治的>意図があったと思われる。朝日新聞はなぜ、<取材が不十分でした>程度で済ますことができたのだろう(まともな・ふつうの新聞社ではないからだ)。
 最近、某芸能人・タレントがラジオで「不適切」発言をして番組が終了し、出演停止措置が執られたとか報道されている。
 このタレントは経済的な制裁も結果として受けるわけだが、朝日新聞のとくに本田雅和、NHKの長井暁はいずれも「不適切」な仕事をした(記事を書き、あるいは「異常な」番組作成しかつ虚偽の記者会見をした)にもかかわらず、それぞれ朝日新聞とNHKを辞める又は辞めさせられることもなくのうのうと給料を貰いつづけた。これはどう考えても、不衡平・不均衡ではないか。新潮社は週刊新潮編集長を交代させるようだが、朝日新聞とNHKはそれぞれ、本田雅和と長井暁に対して、「不適切」な仕事との関係が明確に判る形でのいかなる人事的措置を行ったのか。
 朝日新聞やNHKについては、どうも腑に落ちないことが多すぎる。

0694/関岡英之・目覚める日本-泰平の世は終わった(PHP、2009.02)全読了。

 関岡英之・目覚める日本-泰平の世は終わった(PHP、2009.02)を、4/05に全読了。この人の本は所持していても読むのは初めて。すこぶる面白く、lehrreich だった。
 いちいちの紹介はしない。関岡によると、「日本の保守政治」はつぎの「三つの極」に収斂しようとしている。p.97-98(初出、Voice/2008.07号)。
 一つは、小泉純一郞、小池百合子、前原誠司など、「アメリカ的な市場原理を信奉する新自由主義派」。塩崎恭久渡辺喜美も「イデオロギー的に近い」。「アメリカの軍事力と資本力に頼ろうとする」傾向があり、この点で次の第二のグループとは「違いがない」。関岡は、渡辺喜美には「日本の国益より外国の利益を優先する姿勢」がある(p.46)、などとして厳しい。
 二つは、加藤紘一、山崎拓、仙谷由人など。「親中リベラル」という点で、古賀誠、二階俊博、公明党も「近い」。「中国、韓国・北朝鮮との結びつきやそのマンパワーに頼ろう」とする傾向が感じられる。第一とイデオロギー的には「反対」だが、「日本の自立を志向する」のではなく「外国頼み」という点では「違いがない」。
 三つは、「日本の主権と伝統を重んじる」、平沼赳夫、麻生太郎、中川昭一、安倍晋三
 関岡は第三の極を「日本を再生してくれる真の保守政治家として」支持しているようだ。

0549/相変わらず<異様な>朝日新聞6/13社説-バウネット期待権・最高裁判決。

 被取材者の「期待権」の有無等を争点とする最高裁判決が6/12に出て、当該権利の侵害を主張してNHKに損害賠償を請求していた団体側が敗訴した(確定)。
 産経新聞6/13社説は言う-「この問題では、訴訟とは別に、朝日新聞とNHKの報道のあり方が問われた。/問題の番組は平成13年1月30日にNHK教育テレビで放送され、昭和天皇を『強姦と性奴隷制』の責任で弁護人なしに裁いた民間法廷を取り上げた内容だった。〔二段落省略〕/朝日は記事の真実性を立証できず、「取材不足」を認めたが、訂正・謝罪をしていない。/NHKも、番組の内容が公共放送の教育番組として適切だったか否かの検証を行っていない。/朝日とNHKは最高裁判決を機に、もう一度、自らの記事・番組を謙虚に振り返るべきだ」。
 しごく当然の指摘で、朝日新聞をもっと批判してもよいし、北朝鮮の組織員が検事役を務めていた等の「民間法廷」の実態をもっと記述してもよかっただろう。配分された紙幅・字数に余裕がなかったのだろうが。
 一方の朝日新聞の6/13社説。相変わらずヒドい、かつ<卑劣な>ものだ。
 第一に、原告のことを「取材に協力した市民団体」とだけしか記していない。正確には「『戦争と女性への暴力』日本ネットワ-ク」で、略称「バウネット」。第一審提訴時点での代表は松井やより(耶依)で、元朝日新聞記者(故人)。この団体主催の集会に関する番組を放送したNHKに対して安倍晋三と中川昭一が<圧力>をかけたとして、4年も経ってから政治家批判記事を朝日新聞に書いた二人のうち一人は本田雅和で、この松井やよりを尊敬していたらしく、松井の個人的なことも紙面に載せたりしていた。「訴訟とは別に」問われた朝日新聞の「報道のあり方」の重要な一つは、この記者と取材対象(団体代表者)の間の<距離>の異常な近さだった。
 第二に、原告ら主催の集会の内容について、朝日新聞は直接には説明しておらず、「旧日本軍の慰安婦問題を取り上げたNHK教育テレビの番組」と、番組内容に触れる中で間接的に触れるにすぎない。昭和天皇を「性奴隷」の犯罪者として裁こうとする(そして「有罪」とした)異常な(むしろ「狂った」)集会だったのだ。
 上の二点のように、朝日新聞は自分に都合が悪くなりそうな部分を意識的に省略している。
 第三に、「勝訴したからといって、NHKは手放しで喜ぶわけにはいくまい」と書いて、広くはない紙面の中で異様に長くかつての高裁判決に言及して(「安倍晋三」の名も出している)、「政治家」の影響に注意せよとの旨を述べている。
 「勝訴したからといって、NHKは手放しで喜ぶわけにはいくまい」というのはそのとおりだと思うが、NHKが反省すべきなのは、北朝鮮も関与した<左翼>団体による<昭和天皇有罪・女性国際法廷>の集会の内容をほとんどそのまま放映するような番組製作とそれを促進したディレクターを放映直前まで放置してしまったことだ。朝日新聞社説は全く見当違いのことを主張している。
 第四。朝日社説は最後にNHKについてこう書いた。-「NHKは予算案の承認権を国会に握られており、政治家から圧力を受けやすい。そうであるからこそ、NHKは常に政治から距離を置き、圧力をはねかえす覚悟が求められている。/裁判が決着したのを機に、NHKは政治との距離の取り方について検証し、視聴者に示してはどうか。/『どのような放送をするかは放送局の自律的判断』という最高裁判決はNHKに重い宿題を負わせたといえる」。
 よくぞまぁ他人事のようにヌケヌケと語れるものだ。自社について、次のように書いてもらいたい。
 <朝日新聞(社)は幹部・論説委員等を<旧マルクス主義者又は左翼>に握られており、<左翼>から圧力を受けやすく、また自らが<左翼>団体そのものになる可能性がつねにある。そうであるからこそ、朝日新聞(社)は常に<左翼>的「市民団体」から距離を置き、圧力をはねかえす覚悟が求められている。/裁判が決着したのを機に、朝日新聞(社)は<左翼>的「市民団体」を含む<左翼>との距離の取り方について検証し、読者に示してはどうか。/『どのような報道をするかは報道機関の自律的判断』という旨の最高裁判決は朝日新聞(社)に重い宿題を負わせたといえる。
 以上、とくに珍しくもない、相変わらず<異様な>朝日新聞社説について。

0291/古森義久「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」に寄せて。

 産経古森義久が氏のブログで7/11に、「朝日新聞の倒閣キャンペーンの異様さ」というタイトルで、その題のとおりのことを批判的に指摘している。
 朝日新聞の記事を全て読んでいないが、古森の感想・考えが正しいだろうことは容易に想像がつく。
 安倍内閣を支持している読売又は産経自体はどうなのかと問題をずらしている、又は公平に論じろとの旨の意見もあるようだが(読売は安倍内閣支持で明確なのか私には分からない)、それは、安倍晋三と朝日新聞の長い<敵対>関係を知らない無邪気な人だからこそ言えることだ。
 朝日新聞は、安倍が中川昭一等とともに若手の「保守派」の会である日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会の要職・事務局長を務めて以来(中川昭一が代表)、警戒すべき政治家だと注意を向け、事あらば批判し、政治的に打撃を与え、うまくいけば失墜させてやろう(政治生命を奪ってやろう)と考えてきた「左翼政治団体」だ。
 2005年になって4~5年前のできごとについて<政治家がNHKに圧力>という本田雅和ら執筆の虚報(捏造記事)を放ったのも、そうした<戦略>の一環だった。この件につき、安倍、中川およびNHK幹部にも毅然と反論されて窮地に陥ったのは、朝日新聞だった。
 その後この件について朝日新聞は訂正も謝罪もせずに勝手に<幕を引いて>いるが、朝日新聞の<挑戦>を堂々と受けて立ち、活字によっても朝日新聞を名指しで批判した安倍晋三は、朝日新聞の<私怨>の対象とすらなったのだ。 
 思い出すがよい。一年前、朝日新聞は安倍以外の者、例えば、福田康夫が自民党総裁→内閣総理大臣になるように必死の紙面づくりをし、福田の氏名を挙げて<さぁ、立て>とまでけしかけたのだった。今でもそうだが、当時も、加藤紘一のコメントを「愛用」したのは朝日新聞だった。(それにしても、加藤紘一は自分が属する政党の党首を「危ない」とか等々々々よくもまぁマスコミ上で批判できるものだ。いつも呆れている。日本共産党なら、即刻除名)。 
 その安倍は、今や内閣総理大臣になった。彼が朝日新聞発行の週刊誌(週刊朝日)の記事にでも敏感に反応するのは当然のことだ。一方、現在の朝日新聞が何とか<安倍退陣>まで持っていこうとの<戦略>を立て、個々の<戦術>を繰り出しているのも分かる。安倍関係になるととりわけ、朝日新聞は報道機関ではなく<政治団体>に姿を変える。
 朝日新聞には2000万人の読者がいるから影響は大きいだろう。また、もともと今回の選挙は自民党が議席を減少させることが容易に想定された選挙だった(6年前が勝ち過ぎだった)。だが、安倍首相が退陣を余儀なくさせられるほどに自民党を大敗させてはならない。朝日新聞の本田雅和、若宮啓文、元朝日の本多勝一、さらには週刊金曜日の佐高信、石坂啓らに<勝利の哄笑>をさせてはなせらない
 朝日新聞の紙面に問題があるなら(そうだと思うが)、産経新聞はその旨を紙面で堂々と批判すべきだ。一般常識のほか新聞倫理綱領等々に朝日新聞も拘束されているはずで、同業だから批判できないというのでは情けない。古森のブログのみでお茶を濁すような情けないことを産経新聞はするな、とむしろ言いたい。


0171/山崎行太郎は自分の安倍晋三批判を赤面することなく読めるか。

 産経5/23によると、韓国の盧武鉉大統領が政府内等の記者クラブ数の縮小を発表してマスコミの反発を買っているらしいが、その記事の中にこんな文章がある。
 「盧政権は、大手紙などの反政府的報道に対してはそのつど誤報訂正要求や告訴、取材拒否で対応してきた…」。
 坂真・韓国が世界に誇るノ・ムヒョン大統領の狂乱発言録(飛鳥新社、2007.01)p.63以下によると、盧武鉉は2005年の5月、ソウルでの世界新聞協会総会の祝賀演説でこう言ったそうだ。
 「権力と言ってもいい。言論権力の乱用を防ぐ制度的装置と言論人の倫理的姿勢、および節制がきわめて重要だ」。
 同書によるとまた、韓国では、最大発行部数の新聞は市場占有率が30%を超えてはならず、上位3紙も合計60%までと制限し、中小新聞には支援を行う「新聞法」(新聞等の自由と機能の保障に関する法律)が2005年07.28に施行されている。
 坂真氏は「文字通りの「権力による言論への介入」と言わざるをえない」とまとめている。
 いちおうの自由主義国・韓国ですらこうなのだから、中国や北朝鮮では果たして「言論の自由」が存在するのかどうか自体が疑わしいだろう。政府又は言論警察機関が許容した範囲内でのみの「言論」行使ができるらしいことは、逐一関係資料を確認しないがこれまでの日本の中国等に関する報道によっても明らかだと思われる(これらの国の「憲法」がどうなっているのかは知らないが、少なくとも現実には、憲法で保障された人権としての表現の自由という意識・観念が恐らく存在しない)。
 ところで「山崎行太郎」という人は、自ら書くところによると、「文藝評論家(or哲学者)。 慶応大大学院(哲学専攻)修了。東工大講師を経て、現在埼玉大学講師、日大芸術学部講師、朝日cc「小説講座」講師」らしい。
 もともと小説又は文学作品を書かない文評論家とか、小説を書かないで(又は売れた小説を書いたこともなく)「小説の書き方」とかを講じている人は何となく胡散臭く感じてきたし、自ら「or哲学者」などと名乗る人にロクな人はいないだろうとも思うのだが、この山崎行太郎という人も、失礼乍ら、やはり<胡散臭い>人で、<ロクな人>ではないように見える。
 この人は言論統制・言論弾圧に関心を持っている(研究対象としている?)らしいのだが、過日すでに一部紹介したように、安倍首相について、5/18にこんなふうにブログ上で公言している。
 「安倍が総理就任以前から言論統制や言論弾圧にこだわっていることは明らかだが、総理総裁に就任後も、相変わらずマスメディアの情報に敏感に反応し、新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している」→「誠に情けないというか、なんというか、馬鹿丸出しの体質がミエミエで哀れ」。
 「安倍シンゾーは、どうした風の吹き回しか知らないが、総理総裁に就任する以前から言論弾圧に異常に固執している政治家である。女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝したのもこの人だ。「ボクは言論弾圧なんかやってないよ…」と言うが、「やった」に決まっている。」→「言論弾圧や言論統制を武器にして政権維持を画策するような、こんな低レベルのチンピラ政治家を総理総裁として持たざるをえない日本国民の一人として、かなり恥ずかしいと思うだけだ。
 「安倍は、これまでもNHKや朝日新聞の記事に難癖をつけまくって、政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきた」→「そのことの喜劇性と非常識をまったく自覚できていないという時点で、政治家失格というより、人間失格である。これぞまさしく「キチガイに刃物」である。
 山崎行太郎なる人物は、1.安倍晋三氏による総理就任以前からの「言論統制や言論弾圧
とは具体的にどのような行為で、かつなぜそれが「言論統制や言論弾圧に該当するのかを明らかにしていただきたい。
 2.安倍氏が総理就任後も「新聞記事や放送内容を細かくチェックして、脅迫と恫喝を繰り返している」とは具体的にどういう行為で、かつなぜそれが「
脅迫と恫喝」に該当するのかを明らかにしていただきたい。
 3.安倍氏が「
女性戦犯法廷番組で、NHK幹部を官邸に呼びつけ、その某番組の内容の修正を、間接的に(笑)…、無言の圧力を加えつつ迫ったのもこの人であり、その官邸による放送弾圧、言論弾圧という事実を暴露した朝日新聞記者を恫喝した
ということのうち、とくに下線部分を、朝日新聞の記事や同社記者・本田雅和らおよびNHKの長井暁の発言以外の資料又は記録文書を使って、きちんと通常人ならばなるほどそうだっただろうと納得できるように十分に説明していただきたい。
 関連してついでに、言論弾圧を「
「やった」に決まっている。
」とは断定的文章ではなく強く推測しているとの趣旨だと思われるが、そう「強く推測」する根拠を示していただきたい。
 4.なお、安倍氏が「NHKや朝日新聞の記事に難癖をつけまくって、政治権力をバックに、脅迫と恫喝を繰り返してきた
という部分については、上の2.の質問によって代える。
 以上の問いに具体的に回答できないとすれば、山崎行太郎なる人物は、確たる根拠もなく、いわば「思いこみ」に近い心理にもとづいて、安倍晋三を、「
誠に情けない」・「馬鹿丸出し」・「低レベルのチンピラ政治家」・「政治家失格というより、人間失格」、キチガイ(に刃物
)」と罵倒していることになる。文芸評論家(+哲学者)だから許される又は甘く見てもらえる、ということはなく、むしろ逆であることは当然のことだ。
 再度簡単に繰り返しておくが、安倍晋三のどの行為が「言論統制や言論弾圧」で、どの行為が「脅迫と恫喝
」なのか。
 加えていえば、この山崎某なる人物は、次のような奇妙なことも書いている。
 1.「政治家や権力者にとってマスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒は、不可避である。有名税というようなレベルの問題でもない。マスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒を許容できるかどうかが、政治家としての資質の有無を判別する基準である。安倍シンゾーにマスメディアや一般大衆からの様々な批判や罵倒を許容できるだけの人間的包容力がないことは明らかだ」。
 この人は何を言っているのか。「
マスメディアや一般大衆」からの批判をいわば「有名税」として甘受又は無視する必要がある場合もむろんあるだろうが、この文章は、何を書かれても、どんなひどいことを書かれても「人間的包容力」をもって「許容」しろ、それが「政治家としての資質
」だ、旨を言っている。
 そんな馬鹿なことはない。常識と「理性」を持った「マスメディア
」の批判等だけならよいが、十分な根拠を持たないままの、政治的影響力減少・政治家失墜を狙った、表向きだけは報道機関らしきものの記事もありうるし、秘書等が殺人犯の所属する団体の関係者だと書かれてしまうこともありうる。それらに<十分な根拠>があれば別だが、そうでない限り、「人間的包容力」をもって「許容」
できない場合もあるのは当然ではないか。
 上の方で紹介した韓国・盧武鉉大統領の対マスコミ言動に比べれば、安倍首相の対応は、遙かに穏便だ(穏便すぎるかもしれない)。
 こんなまともと思われる議論も、自称「文藝評論家(or哲学者)」の方には通用しないのかもしれない。国際女性戦犯法廷NHK問題につき、「山岡俊介」という人のブログの次の文章をそのまま引用している。山崎某自身のそのままの理解でなくとも、肯定していると思われる。
 「疑惑の中川昭一代議士と違い、安倍氏の場合、放送直前にNHK幹部に会い、「公正な報道を」と番組に関する発言を行っていることを自ら認めているのだから、完全に真っ黒と言わざるを得ない。/例え、恫喝しなくても、また、NHK側から出向いたのが本当だとしても、そんなことは本質論からいえば些末なこと。番組の件で、放送直前に会ったこと自体が大問題なのだ。
 これまた、馬鹿ではないか。こんなふうに批判されるのであれば、NHK等の放送局、さらにはいかなるマスメディアの人物とも「会う」ことができなくなる。
 放送局であれ、新聞社であれ、それらの関係者と「会う」ことは、全てが、何らかの番組放送又は記事の公表(新聞配送)の「直前」になってしまうのだ。お解りかな?
 そして何らかの番組放送・記事公表の「直前」に「会った」ということだけで、<政治家の圧力>があったと言われてしまうのであれば、たまったものではなかろう。
 具体的にNHK問題について言えば、既に何度もいろいろとネット上でも話題にされた筈なので、詳しく繰り返さないが、当時において安倍の耳にも入っていた<国際女性戦犯法廷>に関する番組内容からして、放送上の規定に即した一般的な発言をするのはむしろ当然のことだ。上坂冬子等もどこかで書いていたが、あの<国際女性戦犯法廷>に関する番組内容からして、何も言わない方がむしろおかしく、その方が政治家としての良識・見識が疑われる。
 山崎某あるいは上の山岡某は、見事に、朝日新聞と全く同じく、<国際女性戦犯法廷>に関する番組がどういう内容のものだったかには全く触れていない
 そして、山崎某はNHKの松尾に対する安倍の発言を、大袈裟にも、あるいは倒錯した悪意を持って、「
言論統制や言論弾圧」あるいは「脅迫と恫喝」と評価しているのだ。
 あるいはまた、<政治家が圧力>との旨の記事を書いた本田雅和等や朝日新聞社に抗議し批判したことを、同じく大袈裟にも、あるいは倒錯した悪意を持って、「
言論統制や言論弾圧」あるいは「脅迫と恫喝」と評価しているのだ(「脅迫」とは刑法犯罪になる行為を示す言葉でもある)。
 これで「文芸評論家(+哲学者)」か? いや、だからこそ、上に紹介してきているような粗雑な文章を書けるのかもしれない。
 つまり、基本的には大江健三郎と類似しているとも思うが、この人にとって<真実>・<事実>がまず第一に重要なのではない(社会系の学者・評論家とは違うところがあるようだ)。そうではなく、自分の描いているこの世のイメージに現実を合わせる(そして満足する)ことの方が大切なのだ、と思われる。
 そして、山崎行太郎は、上に紹介したようなことを公然と書いて公表したままにしておける、日本の「言論の自由」の保護の状況を直視すべきだ。そして、有り難いものと感謝すべきだ。
 私は、この人の上のような叙述は「言論の自由」の枠を超えており、<侮辱罪>の構成要件は充足していると思うが、「言論の自由」に対する恣意的な規制になるおそれを回避するために、実際には警察が動くことなどありえず、言論の一つとして、ネット上に残したままにしておける。日本は何と「自由」な国だろう。
 言論統制・言論弾圧に関心がおありならば、ソ連・東独等の旧「社会主義」国、そして中国や北朝鮮等の現存「社会主義」国の言論統制・言論弾圧の状況にも関心をもち、日本の状況と比較して欲しいものだ。産経5/22には、「露、強まる言論統制/大統領選控え/反政権派”排水の陣”」という見出しの記事もある。
 「文芸評論家(or哲学者)」という肩書きで、安倍首相を罵倒し、あるいは私は知らない某々等の人物への個人的な批判のようなことを書き連ねて生活していけるのだから、結構なことだ。
 最後に「政治ブログ」とやらに参加しているようだが(だからこそこの人のブログの存在を知ったのだが)、たしかに「政治」に関する文もあるが、<文芸>に関することの方が多そうだ。私の上の質問にきちんと答えたあとで、「政治ブログ」エントリーは止めたらいかがか。その方が、私の精神衛生にはよろしい。
 こんな、今回のような内容の文章を本来は書きたくないのだが、山崎某の、無責任な、好き勝手な言いぐさを読んでいると、何やら腹が立ってきて、<義憤>らしきものも湧いてきたのだ。山崎某に関心のない方は、許されたい。

0165/朝日新聞は「社会主義」幻想をもつマルクス主義(毛主義?)者の集団か。

 朝日新聞の5/20社説は、同紙の<中国観>を垣間見せており、その点でそれなりの意味がある。
 いわゆる「価値観議連」の古屋圭司会長は、こう述べた。「首相の日中首脳会談には大きな成果があった。しかし一方では、軍事費増大など覇権拡張の疑念は払拭できない。中国は共通の価値観を持つ国ではない」。
 また、同議連の会合で講演した中川昭一・自民党政調会長はこう述べた。「中国は我々に一番近くて脅威の国だ。我々が中国の一つの省になることは絶対に避けないといけない」。
 これらに全く問題はない、と私は思う。
 しかし、朝日社説は、上の二つの発言を紹介したのち、こう書く。「日中外交がようやく軌道に乗り始めているときに、何とも刺激的な中国警戒論ではないか。
 まず第一に、上の発言内容に問題はなく、これを「
何とも刺激的な中国警戒論」として批判し、封印しようとするのは、中国に対しては正しいことも言うな、言いたいことも言うなに等しい。こうした姿勢は、かつて中国の文革時代に朝日新聞社自身が採ったものだった。今でも当時の朝日の中国関係報道記事の歪み(媚中・屈中姿勢)を批判する声は大きい。だが、基本的な部分では朝日は依然として変わっていないのだろう。
 中国の軍事費増強に懸念を示してどこがいけないのか。従ってまた、「一番近くて脅威の国」との感じ方は決して異常ではなく、日本が
「中国の一つの省になる」のを絶対に避けるべきとの発言は至極当然のことだ。
 第二に、朝日社説には、「日中外交がようやく軌道に乗り始めているとき」
だからいけない、とのニュアンスがある。
 何を寝ぼけているのだろう。私は、「日中外交が軌道に乗る」ということは
中国が共産党支配の国であるかぎのたぶんありえないことだと考えている。「日中外交が軌道に乗る」ということの意味の問題でもあろうが、近隣国家としての儀礼的なつきあいはあるだろうし、それを続けるべきだとしても、真に友好的な「外交」が、共産党支配の中国との間で成立する筈がない。
 中国もまた本音では、私と同じように考えている筈だ。
 「社会主義」中国と真に仲良くできると朝日は考えているとすれば、まだ幼児の如く、「社会主義」国の怖さ、共産党の怖さを知らない。積極的に「社会主義」中国と真に仲良くすべきだと考えているとすれば、それは中国の言いなりになれと主張しているのと等しく、かつ、いまだに「社会主義」幻想を捨てていないマルクス主義(毛沢東主義?)者の如き発想だ、と思う。

0156/宮崎哲弥の適確な「核論議」論と朝日新聞批判。

 些か古い話題だが、宮崎哲弥の主張は適確と考えられるので、記録として残しておく。彼は、週刊プレイボーイ2006年12/04号の時評でこう書いた。
 「近頃中川自民党政調会長や麻生外務大臣が核兵器の保有の是非を議論すること自体は別に悪くないんじゃないかという趣旨の発言を繰り返し野党やマスメディアからはその責任を追及されている。…批判する勢力は一体何を守ろうとしているのか。
 しつこいようだが、核保有是非論争を再論する。何度もいうが、私には議論もいけないという立場がさっぱり理解できない。もし閣僚や与党幹部が議論を禁じるべしと主張すれば憲法上の大問題となるが、議論を容認するならば全く差し支えない。むしろ、議論の封殺を企図するがごとき野党幹部の態度の方がよほど不審である。いやしくも国会議員やマスメディアがこんなバカげた論争で政治資源を濫費している国が日本以外のどこに存在するだろうか。
 「世界の目」とは次のようなものだ。<核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった。…中東が不安定なのはイスラエルだけに核があるからで、東アジアも中国だけでは安定しない。日本も持てばいい>。
 これは、ゴリゴリのタカ派の発言ではない。朝日新聞10月30日付朝刊に掲載されたフランスの左翼リベラル派を代表する著名な知識人、エマニャエル・トッド氏のインタビュー記事の一節だ。さすがに朝日新聞の社論とは全く異なる見解なので、そのままではマズイと判断したのか、記事には「刺激的な議論になった」だの「頭の体操だと思ってお読みいただきたい」だのと、トッド氏には随分失礼な断り書きが入れられている。
 こういう蛇足を見ると、朝日新聞って本当に読者を信頼していないのだな、と痛感する。いや、もっと言えば、<世界の常識>が日本の各層に知れ渡り、市民が目覚めてしまうことを恐れているのだろう。
 朝日新聞の11月11日社説に本音がにじみ出ている。<世界の先頭に立って核不拡散条約(NPT)の重要性を訴えてきた日本が核保有へと急変すれば、国際社会での信用は地に落ちる。…米国には日米安保条約への不信の表明と受け止められる>。まず、核兵器保有論議是非論が核保有容認論にすり替わっていることに注意。ここの争点のすり替えも実に姑息だが今は措くとしよう。核保有なんぞしようするものなら<国際的に孤立するぞ><アメリカが懸念するぞ>といった他律的姿勢が露わになっている。
 
たしかに、日本が核を保有すれば北東アジアの軍事バランスは一変する。覇権国や周辺国がこれを警戒するのは当然だ。が、核保有とはそういう状況の醸成を目的として行なうものではないのだろうか。つまり、朝日新聞社説などに指摘されずとも、日本が核武装に踏み切る場合とは、そういう利害得失を勘案してもなお国益に資するという結論に至った時に決まっている。そうした議論をもう一度詰めてみようというのが中川氏や麻生氏の見解だが、それを批判する社説の中に議論の<結論>めいたものが混入しているのはいかなるわけか。典型的な<論点先取りの虚偽>ではないか。
 ちなみに日本テレビの最新の世論調査によれば、核について具体的な議論があってもよいという人の割合は実に72%に上っている。もはや市民の覚醒は止められなさそうだ
」。

 

0099/朝日の「謝罪広告」は<新聞広告の見出し>についてのみ。それでよいのか。

 新聞紙上の報道では安倍首相自身が朝日新聞社に対して「法的措置」をとることを考えているように読めたが、4/26の阿比留瑠比のブログによると、正確には、安倍首相は4/25に、こう述べたようだ。
 「私は総理ですから、基本的には慎重でなければならないと思っていますが、私の(元)秘書は、それは本人や家族の名誉がかかっていますから、当然法的な処置をするとこのように思います。
 これでは、「私の(元)秘書」が「法的な処置をする」ように理解できる。そして、首相自身による場合も積極的に反対はしないが、元秘書の方が「法的処置」をとることにもむろん反対ではない。
 かかる安倍首相側の積極的な(戦闘的な!)姿勢に、さすがの朝日も「怯んだ」のだろうか、28日に謝罪広告を出す、という。
 しかし、イザ!の報道によれば、「週刊朝日が…とする見出しの新聞広告を掲載したことについて」の「謝罪」にすぎないようだ。
 問題は<広告の見出し>にすぎないのだろうか。本誌の記事自体に問題はないのだろうか。朝日新聞側は、本体に全く問題はないが、宣伝広告の一部に問題があったので…、と誤魔化しそうな気がする。むろん、安倍首相を<何とか批判してやろう>との姿勢を反省して改めるということはありえないだろう。
 周知のことだが、安倍晋三・中川昭一両氏を「攻撃」した、本田雅和らによる二年前のいくつかの記事について、朝日は、<取材が不十分だった>ことのみを認め、<訂正>も<謝罪>も全くしていないのだ。

0070/安倍晋三は2005年に朝日新聞を明瞭にかつ厳しく批判した。

 自民党中心内閣あるいは安倍内閣というよりも安倍晋三首相を私が強く支持しているのは、彼の明瞭な反朝日新聞姿勢、朝日新聞に対する確固たる対決的態度によるところが大きい。
 安倍は中公ラクレ編集部編『メディアの迷走-朝日・NHK論争』(中央公論新社、2005.05)p.180・p.181・p.186-187で、朝日新聞社と同社記者・本田雅和および元朝日の筑紫哲也の名前を明示して、批判をしている。引用すると、次のとおりだ。
 「時代の風潮に巧みに乗って迎合することと、過去の過ちをまるでなかったように頬被りする体質。…戦前の軍部といい、戦後まもなくのGHQといい、その後の『社会主義幻想』といい、朝日がしたたかに迎合してきたのは、まさに時代の主流を形成した風潮だったのです。『社会主義幻想』に迎合するように、朝日は、共産主義や社会主義体制が抱える深刻な問題点を隠蔽さえしてきました」。
 「従軍慰安婦問題を騒ぎにした、吉田清治」なる「『詐話師』への朝日の入れ込み方は、キャンペーンのさなかは、尋常ではないほどでした。にもかかわらず、朝日はこの点についての検証記事を一度も載せていません。それどころか、経済的貧困に追い込まれて慰安婦に応募した事情それ自体が『強制』であるという、見事なまでの論理のすり替えをしてきました」。
 「キャスターを務める元朝日の筑紫哲也氏は、私がNHKの関係者を呼び出したかどうかという決定的なポイントについて、『細かいところ』と言ってのけました。私は、朝日はこんな人でも記者が務まっていた新聞なのかと、ハッキリ言ってあきれました。…今回の朝日の記事には、やはり別の意図があったとしか思えないのです。私や中川氏を陥れようとする意図です。そのために捏造までしてきたわけです」。
 「今回の朝日報道の場合、朝日側の唯一の証言者は本田雅和という記者だけです。本田氏は『言った』としているが、…中川さんも、…松尾さんも私も、みな『そうは言っていない』と言っているのです。これほどのデタラメをやっていながら、訂正もせず捏造記事をそのままにしておくというのは、私には信じがたいことです」。
 こうした対朝日批判には、活字として明々白々な記録として残るだけに、かなりの勇気が必要だと思われる。やわな政治家(や職業的物書き又はジャーナリスト類)の中には、公然とかつ厳しく朝日や筑紫哲也を批判できず、多少は迎合的または抑制的言い方になる者もいるに違いない。
 むろん、一昨年のNHK・朝日問題の本質又は背景が、朝日新聞社による隠然とした安倍晋三・中川昭一攻撃あるいは両人の「追い落とし」を狙った<策謀>と見られるだけに、安倍も「政治生命」を賭けて強く抗議し、批判せざるをえなかったのだろう。

-0057/朝日新聞は進路とは逆の方向に光を照し続けてほしい。

 朝日新聞が退潮を防ぐために「ふつうの」新聞になることを願ってはいない。新聞自体を廃刊していただくのがベストだが、そうでなければ、日本が進べき方向とは逆の方向に光を煌々と当ててくれる、逆の意味での「導きの灯火」の役割を見事に果たし続けてほしいものだ。
 ところで、有田芳生につき、この日記の09/06で今は日本共産党とは「一定の距離を保っているようだが」と書き、09/21には「当時は党員だったかと思える」と書いたが、彼自身のサイト内を見ていて正しい推測だったことが分かった。
 彼が編集者の一人となって日本共産党「除籍」の原因になった『日本共産党への手紙』(教育史料出版会、1990) の古書が今日配達されてきたのは不思議な偶然だ。
 人の良さそうな彼はしかし、コミュニズム又は共産党幻想から完全には抜けきってはおらず、「反体制」的心情を残しているかに見える。共産党員でなくなることが例えば自民党支持者に変わることを意味するわけではないのは当然のことだ。また、上の本も正面からの共産主義批判・日本共産党批判ではなく共産党員そのもの又は共産党の強いシンパの15人が日本共産党への注文等を書いたものにすぎないので、当面は読まずに積んでおこう。
 有田は核武装検討発言の中川昭一、麻生外相を「酔っぱらいのように声高に持論を主張」すればいいものではないと批判しているが、「酔っぱらいのように声高に」という副詞には必ずしも客観的でない感情が入っていると思う。
 また、彼のかかる批判は今朝の朝日社説とも同じなのだが、朝日の「なんとも危うく、不見識な発言だ。…聞き捨てならない」との冒頭の文などは<やや>ヒステリック又は感情的な印象がある。
 一方、本日の産経社説は「核武装・もう思考停止はやめよう」と題して朝日・有田と対立する。このあたりにも国論の大きな分裂がわが国にあることを感じるが、今の危機には間に合わないとしても一般論としては産経を支持したい。
 核の抑止力が第三次大戦を防ぎ、かつ軍備拡大競争に負けたことはソ連崩壊の一因となった。核保有国・中国との将来の本格的「闘い」を想定しておく必要もある…。安倍首相が言った如く、国会議員の自由な議論を封じることはできない。ましてや、マスコミ、一般国民は何でも自由に検討し議論できる。特定のテーマについてのタブー作りは、言論の自由を自ら放棄するに等しい。

-0047/田中真紀子の大醜態。小泉前首相による解任は大正解。

 前回のついでに書いておけば、現存「社会主義」国以外で「共産党」と称する政党が存在するのは日本の他、フランス、ポルトガルのみだ。かつ、実質的になおプロレタリアート独裁を標榜し組織論として民主集中制を残しているのは、某情報ソースによれば、日本共産党のみだという。まことに日本はユニークな国なのだ。
 国会論戦をニュースや録画も含めて見ていると、北朝鮮の核実験実施声明に言及したのは自民党・中川昭一のみで、民主党は何ら触れていないのでないか。この認識が正しければ、民主党は主として歴史認識を用いた「安倍いじめ」に関心があり、日本(国民を当然に含む)と東アジアの平和と安全に目を向けていないという致命的な失態を演じている。
 北朝鮮に関して拉致問題にのみ触れ核問題に具体的に言及しなかった田中真紀子の質問・発言は大醜態だった。安倍はなぜ一人ででも平壌に残って膝詰め談判の交渉を続けなかったのかとの質問には唖然とした。
 この人を菅直人の次に配した民主党のセンスを疑う。岡田克也の講和条約・「戦争犯罪人」に関する質問のあたりでは安倍の方が知識・思考が深いと感じた。岡田克也は一面的な知識・見解しか知らないために、安倍の答えに対して質問とほぼ同じことを反復するのみで有効に反撃できていない。もっとも、国会論戦の詳細と適切な評価が昨夜のテレビニュースや今日の新聞で紹介されているかは疑問だが。
 田中真紀子は自らが2003年10月に「拉致家族の子供は北朝鮮で生まれたから本来なら北朝鮮に返すべきじゃないですか」、「(拉致被害者の)家族の国籍は国際法上は北朝鮮籍。外務省も知っているはずで、日本帰国は難しいとはっきり言うべき」と発言し、家族会等から「田中氏はすぐに発言を取り消し、謝罪して政治家として完全に引退すべき」と抗議されたことを忘れてはいないだろう。安倍に対して何故もっと頑張らなかったのか旨をよく言えたものだ。
 それにこの人の発言には身内の講演会等であってはじめて許容されるような無意味な比喩的話が多すぎるし、「媚中」的言辞も気になる(民主党に接近しているのも解る)。
 小泉純一郎がこの人を外相にしていたとは今思えば信じ難い。明確な「論功行賞」的かつ失敗の人事だったが、大失態の発現の前に首を切っておいてよかった。

-0004/朝日新聞の読者には「インテリ」が多いって本当か。

 昨晩は、もう今日の未明になってはいたが、深夜の住宅地内を「散歩」した。
 いつのまにかほぼ定期購読になっているが、文藝春秋9月号を買う。昭和天皇「靖国発言メモ」について半藤、秦、保阪の三氏が対談している。「昭和史」関係となると、このあたりの人々しか登場人物はないのかとも思ってしまう。戦争経験がないと、「昭和史」は適切には、あるいは実感をもっては?語りえないのか。経験と言っても個人的な狭い範囲のもので、それだけで全体を見渡せるものではあるまい。中身はともかく(まだ読んでいない)、これらの名前にはやや食傷気味なのだ。
 保阪正康は扶桑社から「日本解体」という文庫(扶桑社文庫、2004)を出し、朝日新聞社から「昭和戦後史の死角」という文庫(朝日文庫、2005)を出している。後者の中には、雑誌「世界」初出論稿も雑誌「諸君!」初出論稿も含まれている。扶桑社から朝日新聞社まで、あるいは岩波書店から文藝春秋まで、幅広い?活躍ぶりだ。
 文藝春秋9月号には安倍晋三の論稿というよりインタビュー記事的なものが載っているが(マスコミ戦略としての文春とこの人との関係の詳しいところに興味は湧く)、彼が昨年のある新書(中公新書ラクレ)の中で、朝日新聞社と同社記者・本田雅和および元朝日の筑紫哲也の名前を明示して、批判をしているのは、活字として明々白々な記録として残るだけに、勇気があると感じた。やわな政治家(や職業的物書き又はジャーナリスト類)なら、公然とかつ厳しく朝日や筑紫哲也を批判できず、多少は迎合的または抑制的言い方になっても不思議ではないからだ。むろん、昨年のNHK問題の本質又は背景が、朝日新聞社による隠然とした安倍晋三・中川昭一攻撃あるいは両人の「追い落とし」を狙った<策謀>と見られるだけに、安倍も「政治生命」を賭けて強く抗議し、批判せざるをえなかったのだろう。
 それにしても(と続けるのが多くなりそうだが)、安倍内閣総理大臣の実現を怖れ、福田等にハッパをかけて非・反安倍勢力に期待していたことが(隠そうとしても)明らかだった朝日新聞社のお歴々は、安倍当確の情勢に困っているだろう。「インテリ」加藤紘一がどこかの講演会で「事実上の敗北宣言」をしたらしいが、この人は自らの現在の力量・国民からの被信頼度を少し勘違いしているのではないか。新聞社や政治家についてなら、今回程度の批判と皮肉も許されるだろう。
ギャラリー
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  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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