秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

中央公論社

1264/産経新聞社案「国民の憲法」について。

 田久保忠衛の名も出しつつ、<憲法を改正しよう>と主張するだけでは意味がない、と前回に書いた。
 これに対して、田久保忠衛は、改正の優先順位も政治的な戦略・戦術にも触れていないが、産経新聞社の「国民の憲法」起草委員会の委員長として、改正の具体的内容は検討・議論して、公表している、と反論するかもしれない。
 そのとおりで、産経新聞は「国民の憲法」(憲法改正要綱)を公表している。そして、産経新聞社・国民の憲法(2013.07、産経新聞社)の中には、自民党改正草案との違いを(わずか3頁だが)叙述している部分もある(p.138-140)。従って、かりにその部分を田久保が執筆しているか、または了解しているのだとすると、田久保が産経新聞社案と自民党案との違いをまったく説明していないというわけではない。
 以上のかぎりで田久保に対する批判的コメントは一部取消させていただく。もっとも、上記書物は「国民の憲法」の個々の条項に即して自民党案を採用しなかった理由を述べてはいない。上の3頁の中で触れられているのは、のちに触れる基本的スタンスの他は、天皇条項・現九条・前文のみだ。
 それに、あらためて上記書物を手がかりに産経新聞「国民の憲法」要綱を見てみると、基本的なよく分からない点があり、また奇妙に感じる点もある。
 まず第一に、この産経新聞「国民の憲法」案の発表主体はいったい誰なのか。どうやら、上記委員会ではなく、産経新聞社という会社法人(新聞会社)そのもののようだ。上記書物の「はじめに」の執筆者(署名)は「産経新聞社」になっている。そして、この書物は「起草委員会の議論をもとに…編集」したものだとされているが、「国民の憲法」案を最終的に完結的に作成したのは田久保を委員長とする起草委員会なのか、それとも起草委員会の議論の過程に産経新聞社の社員・記者たちがすでに関与したのか、も分かりにくい。起草委員会なるものの性格・位置づけにかかわるが、おそらくは上の後者で、起草委員会の「事務局」としての社員・記者たちがすでにかなり関与したように推測される。そして、その産経新聞の社員・記者たちの固有名詞・人名が「産経新聞社」の名の中に隠されていることも特徴の一つだろう。
 このような曖昧さは、読売新聞社の<読売試案2004年>の作成過程とはかなり異なっている。
 読売新聞社編・憲法改正-読売試案2004(2004.08、中央公論社)によると、この試案が読売新聞社の名によるものであることが明らかだが、この書物の「はじめに」は同社の「調査研究本部長」が執筆し、「おわりに」は同社「調査研究本部」員が執筆して、それぞれ固有名詞(個人名)まで明らかにしている。また、読売試案の作成には(社外の専門家の助言等を得たかもしれないが)「起草委員会」なるものがかかわっているわけではない。
 つぎに第二に、時期的に私が産経新聞を定期購読しなくなって以降のことだったことに原因がある勉強不足のためかもしれないが(もっともネット上で改正案作成の動きや結論の公表があったことは知っていた)、あらためて産経新聞「国民の憲法」案を見て、大きな違和感を抱いたことがある。
 それは、自民党案との違いとして記述されていることでもあるが、「現行憲法をゼロベースで見直して」いて、自民党案や、さらに読売試案とも違って、現憲法の条項との関係がはなはだ分かりにくいことだ。現憲法の△条を改めて「…」とする、という書き方をしておらず、現憲法の「構成」や各条項とは無関係に、一体として、「新」憲法案が提示されていることだ。
 この点について、上記書物p.138は、自民党案は現憲法を「下敷き」にしているので「現行憲法の抱えるさまざまな欠陥をそのまま引き継い」でいる、と述べている。論理的に見て、「下敷き」にしていれば必ず「欠陥を引き継ぐ」ことにはならないとは思うが、それは別としても、現実の憲法改正(の発議と国民投票)のためには、産経新聞「国民の憲法」案ははなはだ使いづらい。
 なぜならば、憲法改正とは、現憲法の全体を一挙に廃棄・廃止して、新しい憲法を一括して創出する、というものではないからだ。
 ここで、憶測にはなるが、ひょっとすれば産経新聞「国民の憲法」案は、渡部昇一らの現憲法「無効」論や石原慎太郎の現憲法「破棄」論の影響も受けて、現憲法の全体に新しい「自主」憲法がとって代わる、というイメージで作成されたのではないか、という疑問が生じなくはない。
 総選挙における<次世代の党>の衰退とも関連させて、現憲法「無効」論・現憲法「破棄」論についてはあらためて触れる予定だ。ともあれ、現憲法と「新」憲法案のどちらがよいと思うか、というかたちで一括して憲法改正の発議と国民投票が行われるはずがない。確認しないが、憲法改正手続法もまた、そのようなことを想定していないはずだ。
 より具体的に、あるいは個々の条項に即して、例えば(自民党案によれば)現九条2項を削除して九条の二(国防軍の設置)を新設することに賛成か反対かで、あるいは(読売試案2004年によれば)①現九条1項を一部修正する、②現九条2項を削除して、別内容の条文に代える、③新たに別の条を追加して「自衛のための軍隊」保持可能等を明記する、のそれぞれについて、またはこれらだけを一括して賛成か反対かで、国民投票は行われるはずだ。
 産経新聞「国民の憲法」案の個々の条項を見て、かつ優先順位さえ決定すれば、上のような技術的?問題は解消できる、というのが産経新聞社案の意図なのかもしれない。しかし、現憲法との比較対照表を作れない(作っていない)案は、かなり分かりにくいし、上記のような(革命的?な一挙の)一括的「改正」をイメージしているのではないか、との疑問が生じなくはない(そうした気分がまったく理解できないわけではないが、非現実的で、却って「改正」を遅らせる)。
 さらに第三に、ここで書いてしまっておけば、産経新聞社の上記書物における現憲法九条1項の理解はいぜんとして奇妙だ。すなわち、p.140は、現九条1項は「主権の行使に制限を課している」、「不徹底で不完全」なものだ、と記している。
 しかし、自民党改正案も読売試案2004年も、基本的には現在の現九条1項の条文をそのまま残すこととしている。
 歴史的由来のある「国権の発動たる戦争」等の意味が理解しやすいものではなく、大きな誤解も招くことになっているのは確かで、<侵略戦争>の否定の趣旨を書き直すことは考えられてもよい(そうした趣旨の規定に対する、<侵略戦争>否定は「主権の行使に制限を課す」不適切なものだ、との批判はあたらないだろう)。
 しかし、産経新聞「国民の憲法」案よりもより長い時間と議論を経て作成されたとみられる自民党の最新改正案や読売試案2004年が現九条1項を基本的にはそのまま維持しているのと比較すると、同じく<保守派>の中では異質な案になっていることを、田久保忠衛や産経新聞関係者は意識・自覚しておいてよいと思われる。
 なお、産経新聞社の上記書物は、自民党案は「戦争放棄の規定(9条)をほぼ踏襲している」と書いて疑問視している(p.139)。しかし、(侵略)戦争放棄の規定は「9条」ではなく、同条1項だ。法学者ではない北岡伸一でもしているような理解を、どうやら産経新聞関係者および上記起草委員会は採用していないようだ。不思議で仕方がない。
 とりあえず、憲法改正の仕方・内容に関して若干のことを述べた。最優先されるべきは、現九条2項の廃止(削除)と実質的に自衛隊を正規の「軍」と認めることとなる条項の新設だ(法律改正により名称等々の変更が必要だが)、と考えている。「自衛軍」でも「国軍」でもよいが、「国防軍」で差し支えないのではないか。
 憲法の専門家ではない者が書いていることだが、憲法改正にむけての議論に小さな渦でも生じさせることがあれば、幸い。

0915/「物語」としての歴史、そして「憲法」?

 歴史は「私たちの社会や国家についての物語的な問題解決や課題達成の願望を引きうけ、それを一つの『筋』のなかに表現する物語となって示される」と書き、歴史の「物語」性を書物の冒頭で宣明したのは、坂本多加雄だった。
 そして坂本は、「マルクス主義の歴史観」を批判し、マルクス主義、とりわけ日本の講座派のそれは世界最初に「社会主義革命」を実現したソ連の「世界革命本部であるコミンテルン」の見解に依っていたのでかつては「知的権威」を持ったが、「資本主義社会から社会主義社会へという歴史発展の展望は……もはや現実性を持たないものとなった」と述べつつ、「過去についてのある特定の物語を絶対化して、それをもとに、特定の未来像に拘束されるといった隘路に陥る」べきではない、等とする。

 以上、坂本多加雄・日本の近代2-明治国家の建設(1999、中央公論社)の「プロローグ」p.9-15。

 同旨のことは西尾幹二・国民の歴史(1999、産経新聞社)でも語られていたと思うが、再確認はしない。

 このような主張にもかかわらず、日本の歴史学界(=アカデミズムの世界)、とりわけ近現代史のそれは、なお圧倒的にマルクス主義、親講座派(日本共産党系)の学者たちに支配されているように見える。なおもマルクス主義史観を<「社会科学」としての歴史(学)>と妄信している気の毒な人たちが多そうだ。

 その点はともかく、「憲法の<物語>性」を語る憲法学者もいるようで、興味深い。

 佐藤幸治(1937~、前京都大学教授)は上に挙げた二著よりも早い1990年(初出)に、次のように書く。

 われわれが要求されているのは、「憲法と日常の具体的生活との深いかかわり合いを自覚せしめる”物語”(Narrative)を構築し、”善き社会”の形成に向けて努力するための筋道を提供する基盤とすることではないか」、「と痛切に思う」。「戦後改革」としての新憲法は「ある種の役割を果たし終えた」かもしれない、「しかし、日本国憲法は、新たな”物語”性の上に再生しなければならない」(下記p.63)。

 以上は、佐藤幸治・憲法とその”物語”性(2003、有斐閣)による。
 「新たな”物語”性」の具体的意味・内容は明瞭ではない。だが、教条的な<左翼>憲法学者の議論とは異なるようなので、機会を見つけて、再び上の佐藤著に言及しよう。

0721/名越健郎・クレムリン機密文書は語る-闇の日ソ関係史(中公新書)第二章・つづき。

 名越健郎・クレムリン機密文書は語る-闇の日ソ関係史(中公新書、1994)の第二章「日本共産党のソ連資金疑惑」のつづき。
 1.途中までを読み直して前回の記入になったが、同じ問題はのちにも触れられている(p.114-)。
 ソ連崩壊後、日本共産党・不破哲三委員長はソ連共産党からの「資金」は「野坂、袴田らソ連との内通者」に渡ったもので、かつ「党への干渉、破壊活動」のために用いられた旨、<赤旗>紙上で書いた、という(p.114)。。
 1960年代の前半にすでに、「野坂、袴田ら」は<反党>活動をしていて、そのためにソ連「資金」は使われた、というわけだ。
 こんな詭弁が信じられるはずがない。
 「実際はソ連共産党国際部と日本共産党のパイプ役」だったとみられるイズヴェスチヤ紙東京特派員・ペトロフは、名越によると、1962年3月にモスクワの党中央に以下の秘密公電を送った(p.115-。一部抜粋)。
 1962.3.1に袴田里見とその妻が来訪し18時から21時まで話し合った。袴田は、ナウカ書店社屋建設費問題につき、融資が1200万円だが「5000万円という必要額に対して少ないうえに、野坂と宮本も賛成したこの要請に対し、モスクワがまたしても日本共産党中央委幹部会の正式決定の形で確認することを主張してきたことは理解できない」と不満を述べた。「野坂と宮本が賛成していて、…どうして正式決定を出すことができないのか」と問うと、袴田は「この種の問題はあまり広い範囲の人に知られるとまずいので、幹部会の審議に上げることは不適当だ」と何度も強調した。
 以上は直接の党活動への援助ではなく「ナウカ書店」への援助・融資に関する話だが、①「野坂と宮本」と袴田は、この件を知っていること、②少なくとも袴田は中央委「幹部会」の議題にする(そのメンバーには公にする)ことを避けたいと考えていたこと(野坂・宮本も同様だっただろう)、を明らかにしている(のちにモスクワで発見され公開された文書の一部だ)。
 上は一例にすぎないが、ソ連からの「援助」資金が、「野坂、袴田ら」「内通者」による<反党>活動に使われたとの不破哲三の主張は真っ赤なウソだろう。
 こうして公然とウソをついて自己および宮本顕治を中心とする日本共産党(主流派)を正当化しなければならなかったのだ。日本共産党中央や幹部は、あるいは個々の一般党員も、平然とウソをつくことがある。党のためならばそのことを恥じることのない、<非人間>的集団が日本共産党であり、現在も今後も変わらないだろう。
 名越のこの章の最後の一文は次のとおり。
 「『ソ連が最も恐れた自主独立の日本共産党』というスローガンはやや荷が重いようである」(p.125)。
 2.<野坂スパイ説>などに言及している部分にも関心はもつが、上の「資金」援助問題とともに大きな興味を持ったのは、日本の天皇制度に関する戦後のソ連共産党の態度だ。
 もともとの1927年・1932年のコミンテルンの「日本テーゼ」は「①天皇廃位、②地主の土地解放、③…」を内容としていて、日本共産党(コミンテルン日本支部)の綱領中に「天皇制打倒」も掲げられた。日本の敗戦をスターリン等のソ連共産党指導部が「革命・民主化闘争の好機」とみなしたことは当然だ。しかるに、ソ連(共産党)は日本の天皇制度廃止を積極的には主張しなかったようだ。以下、名越による(p.99-)。
 ソ連にとっての日本進出の手がかりは日本共産党だったが、党中央は存在せず(敗戦当時、徳田・志賀・宮本顕治らは獄中)、野坂参三に注目した。
 1945年10月初め、野坂と三人の日本人はソ連側のクズネツォフ、ポノマリョフらとモスクワで「秘密会談」をした。その内容はマレンコフ、ベリヤというスターリン直近に報告された。この報告文書も含めて、この会談に関する約100頁の文書が残されている。
 野坂は戦後日本での政治戦略を提示したが「社民路線」に近かった。野坂は10.31の会談で「天皇は政治、軍事的役割のみならず、神的な威信を備えた宗教的機能を果たしている」と述べて「天皇制存続を容認」した。より詳しくは-「大衆の天皇崇拝はまだ消えていない。…天皇制打倒のスローガンを掲げるなら、国民から遊離し、大衆の支持は得られないだろう」、戦前の打倒の要求は無力で不評だった、「戦略的には打倒を目指しても、戦術的には天皇に触れないのが適当だ。当面は…絶対主義体制の廃止、民主体制確立というより一般的なスローガンを掲げながら、天皇制存続の問題は国民の意思に沿って決定すると宣言した方が適当だろう」、「天皇の宗教的機能を残すことは可能だ。皇太子を即位させ、一切の政治的機能を持たない宗教的存在にとどめることもできる」(p.101-2)。
 クズネツォフはモロトフあて報告文書の中で「天皇制の問題に関する野坂の見解は賛同し得る」として同調した。ポノマリョフも1945.11.13付報告書で、「日本共産党」は「天皇ヒロヒトの戦争責任を提起し、息子の地位継承ないし摂政評議会の設立を要求する」のが望ましい、「基本的に日本の天皇は政治的、軍事的権力を削除し、宗教的機能だけにとどめるべきだ」と書いた。
 名越が「かもしれない」
と書くように、ソ連共産党指導部のかかる見解は、東京裁判で昭和天皇を訴追しないとしたアメリカおよびGHQの判断に影響を与えただろう。東京裁判に臨むソ連代表団が提出した「戦犯リスト」に(昭和)天皇の名はなかった(p.104)。
 さらにのちのエリツィン大統領時代に、大統領顧問・歴史家ボルコゴノフは、戦後「スターリンが天皇制存続を望み、昭和天皇を戦争犯罪人にする動きに反対を唱えた」ことを明らかにした。彼によると、スターリンはモロトフ外相に対して、昭和天皇に戦争責任を負わせる意見に反対すると文書通達し、モロトフは駐ソ米国大使に口頭で伝達した。
 ボルコゴノフはスターリンの上記見解の理由として、①日本の「米国型政治体制」移行・米国の傘下入りの防止、②各国の君主へのスターリンの敬意、③アメリカの訴追しない方針に異を唱えて衝突するのは好ましくないとの判断、等を挙げた(p.104)。
 野坂の柔軟な<平和革命>路線はコミンフォルムから1950年に批判をうけた。また、野坂は1992年に、天皇に対する自分の考えは「祖国を遠く、…長く離れて孤立した環境」にあったことも反映して「今日の時点からみれば妥協的にすぎたきらいがある」と自己批判した、という(p.102)。
 だが、野坂の1945.10のソ連共産党幹部に示した見解は、天皇不訴追、天皇制度護持、さらには憲法上の天皇条項の制定に、いくばくかの影響を与えた可能性は高いだろう。ソ連共産党がこれと異なる見解を持っていたとすれば東京裁判や新憲法がどうなっていたかは、歴史のイフではある。
 上述のことで興味を惹いたのは、上の経緯よりも、その中で野坂もソ連共産党幹部も、天皇には「(神的な威信を備えた)宗教的機能」があることを認め、この「宗教的機能」にとどめるべきだ、との見解であったようであることだ。
 しかるに、新憲法上の天皇関係規定はどうなったか。「軍事」的権能はなくなったが、形式的・手続的であれ「政治」的権能はなおも保持している。そして、重要なのは、憲法上は「宗教的機能」に関する明記はなく、むしろ政教分離原則(憲法20条)との関係で、かりに天皇(・皇族)が「宗教」的行為をすることがあってもそれは「国事行為」でも(象徴たる地位に由来する)「公的行為」でもなく、個人的・「私的」行為にとどまる、と通説的には解釈されているということだ。
 上のかぎりで、ソ連共産党幹部の一人が1945年秋に述べたという、「基本的に日本の天皇は政治的、軍事的権力を削除し、宗教的機能だけにとどめるべきだ」との考え方は、とくに「宗教的機能」については、現憲法上は実現されていない、と言い得る。
 ソ連共産党ですら(少なくとも当時は)、天皇の「宗教的機能」を容認し、肯定していたのだ。
 しかるに、何故それが公的には否定されることになったのか。GHQの<神道指令>、日本国憲法上の宗教関係規定の制定等の歴史に遡らなければならない問題だ。むろんここで立ち入る余裕はない。
 なお、野坂参三が1945年秋にモスクワで述べたという、「戦略的には打倒を目指しても、戦術的には天皇に触れない」、当面は「民主体制確立というより一般的なスローガンを掲げながら、天皇制存続の問題は国民の意思に沿って決定すると宣言した方が適当」という主張・路線は、現在の日本共産党の主張・路線と全く同じだ、と思われる。「戦略的には打倒を目指して」いる政党であることを忘れてはいけない。

0720/名越健郎・クレムリン機密文書は語る(中公新書)の第二章-日本共産党が受けた「援助」。

 〇佐伯啓思・大転換-脱成長社会へ(NTT出版、2009.03)の第一章「出口のない危機」、第二章「ミクロとマクロの合理性」を読了したことは、その直近の日にこの欄で記した。
 その後、第三章「経済が『モデル』を失うとき」、第四章「グローバリズムとは何か」、第五章「ニヒリズムに陥るアメリカ」を読了し、ここまでが基礎的叙述かとも思った。さらに、第六章「構造改革とは何だったのか」という最も関心を惹くタイトルの章も読了し、現在は第七章「誤解されたケインズ主義」の途中(p.225あたり)。
 佐伯啓思の近年の本の中では経済学に最も傾斜しているかもしれないが、この程度なら私でも理解できるし、興味を持って読み進められる。
 佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版、2008)や同・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)もそうだったが、今日の日本を考える上で重要かつ刺激的な見方・主張が多分に含まれていると思われるのに、なぜか、佐伯啓思の本は新聞も含めた書評欄等で話題になることが少ない。佐伯啓思の著の内容をめぐって活発な議論がなされている様子でもない。論壇が崩壊しているのか、それとも、何らかの<言論統制>が敷かれているのか。
 朝日新聞にとって都合のよい、親朝日新聞的論調の本であれば、杜撰な内容・論の本でも朝日新聞は大きくとり上げるような気がする(そして、何かの「賞」すら与えるかもしれない)。だが、佐伯啓思の近年の上掲のものを含むいくつかの本を、朝日新聞は完全に無視しているのだろう。新聞や週刊誌の書評欄などいいかげんなものだ(基本的には産経新聞や同社発行雑誌も同様かもしれない)。
 〇名越健郎・クレムリン機密文書は語る-闇の日ソ関係史(中公新書、1994)の第二章「日本共産党のソ連資金疑惑」のみを今年に入ってから読了(いつ頃だったか失念)。
 同書によると、コミンテルン後継機関として1947年に設立されたコミンフォルム(1956解散)の方針により、「各国の共産主義運動支援の名目」で「ルーマニア労組評議会付属左翼労働組織支援国際労組基金」という「秘密基金」がルーマニア・ブカレストに創設された。
 この基金とは別枠でソ連から直接に日本共産党に対して1951年に10万ドルが供与された(p.83-84)。上の基金からは日本共産党に1955年に25万ドル、1958年に5万ドル、1959年に5万ドル、1961年に10万ドル、1962年に15万ドル、1963年に15万ドル、が「援助」された(p.84、p.91)。これら以外に、日本共産党を除名された志賀義雄グループに1963年に5000ドル(対神山茂夫を含む)、1973年に5万ドル、が「援助」された(p.84、p.92)
 内訳は明確ではないが、この基金からの各国共産党(共産主義者)への「援助」はなんとゴルバチョフ時代の1990年まで続いた、という(p.84)。
 日本共産党の<所感派>(徳田球一・野坂参三ら)と<国際派>(宮本顕治ら)への分裂自体がコミンフォルムの1950年の日本共産党の当時の方針批判を原因としていた。日本共産党が、コミンフォルム=ほとんどソ連共産党、その解散後も上記基金運営の主導権を握っていたソ連共産党に財政的にも相当程度に依存していたことは明らかだ。
 志賀グループに対する以外の1951~1963年の日本共産党に対する「援助額」は累計85万ドルになり、これは30年後(1990年代前半)の貨幣価値では「10億円以上」になる、という(p.91)。
 1962年の「援助」に関する「ソ連共産党中央委国際部議定書」(1961.12.11)なる文書の存在も明らかになったというから興味深い。
 その文書を面倒だがそのまま書き写すと、次のとおり。
 「一、一九六二年に日本共産党に対し、一五万米ドルの資金援助を提供することを適切な決定と認める。
 一、セミチャストヌイ同志(KGB議長)は日本共産党への上記援助資金の引き渡しに責任を持つものとする。引き渡しに際し、『左翼労働組織支援国際労組基金』からの援助であることを周知させるよう通達する。

 日本共産党は<武装闘争>路線を放棄する1955年の所謂「六全協」によって統一回復を始め、1958年の第七回党大会で統一・規約決定、1961年の第八回党大会で新綱領を採択して、所謂<宮本顕治体制>が確立される。
 興味深いのは1950年代は勿論、日ソ両共産党が対立し始めるまでは1960年代に入っても、実質的にはソ連共産党からの財政的援助が日本共産党に対してあった、ということだ。
 日本共産党は1958年には<自主独立路線>を打ち出した。もともとコミンテルン(国際共産党)日本支部と同義だった日本共産党(1922年設立)がようやくソ連共産党から自由になったとも思わせるが、上の資料は、<自主独立>性を疑わせる。
 名越の本によると、日本共産党は上の資料が告げる事実を否定し、「援助はあくまで一部の内通者が要請したもので、党中央は一切関与していない」との立場で一貫しているらしい(p.93にはその旨の日本共産党・志位和夫書記長談話も掲載されている)。
 上のような援助のあること(あったこと)は、一般国民はもちろん一般党員にも知らされず、少なくとも正式には中央委員会はもちろん少数の常任中央委や幹部会でも報告されなかったのだろう。そして、上にいう「内通者」が要請し受領していたことは、宮本顕治ら数名のみが知っていた可能性が高い。
 上の志位談話は「ひそかに特別の関係を持」っていた「内通者」は「野坂参三袴田里見ら」だと述べている。
 語るに落ちたとはこのことだろう。「野坂参三や袴田里見」はのちに除名されたが、1950年代の有力党員であり、1958年~1963年の期間の日本共産党の正式な幹部そのものではないか。のちに除名したからといって、その事実が消えることはない。
 かりに「野坂参三や袴田里見」が「内通者」だったとしても、宮本顕治は、その「内通者」による資金援助要請と受領の事実を知っており、かつ(おそらくは積極的に)容認していたと思われる。
 名越はいう。「分裂時代の五一、五五年はともかく、五八~六三年については、秘密基金が日本共産党本部に流れた疑いは払拭しきれない」(p.95-96)。
 「党中央」と個々の幹部党員(「内通者」)とを区別する日本共産党・志位和夫の論理は実質的には破綻している。
 かりに万が一本当に「内通者」と称することが適切な者が存在したとしても、それが「野坂参三や袴田里見」という当時の幹部党員だったということを、志位和夫は(そして現在の日本共産党幹部および党員全員は)<恥ずかしく>感じるべきだ。それがまともな感覚というべきだろう(<自主独立>を謳うかぎりは)。
 1960年代半ば以降は、ソ連共産党は日本共産党と縁を切って日本社会党との「関係」を深めたと見られる。また、アメリカのいずれかの機関から、初期の自由民主党又はその前身諸政党への「援助」があった可能性を、今回の叙述は否定するものではない。
 なお、法律条文を確認しないが、名越によると、日本の政治資金規正法は「外国からの政治資金導入を禁止」しており、外国からの「資金受け入れは違法行為」で、「禁固三年以下ないし罰金刑」が定められている(この刑罰の対象は政党・政治団体ではなく、その代表者又は個々の国会議員等なのだろう)。

0228/鶴見俊輔とは何者か-九条の会呼びかけ人。

 かつて司馬遼太郎の幕末・維新の時期の小説を読むようにしてフランス革命の経過を楽しみながら知ることはできないかと思って、マリー・アントワネットに関する小説を買ったりしたが、読むに至らず、結局は世界の歴史21・アメリカとフランスの革命(中央公論社、1998)の後半(フランス革命の部分=福井憲彦執筆)を読もうと思い立った。
 その本には月報の小パンフが入っていて、2名の著者と鶴見俊輔の三名の座談会が載っている。そこでの鶴見俊輔の発言内容がまずは印象に残った。
 鶴見俊輔(1922-)の本など読んだことなく、小田実や日高六郎に近いような、非政党の「市民派的左翼」というイメージしかない。
 ひょっとしたらと思って今確認したら、何と九条の会の呼びかけ人9人の一人だった(そんなに大物なのかね?)。九条の会のサイトには、彼自身の文かどうかは分からないが、「日常性に依拠した柔軟な思想を展開」と紹介してある。
 さて、フランス革命後のナポレオンが世界で初めて国民皆兵制(徴兵制)を導入したらしい。
 たぶんこのことにも関連して、上の座談会中で鶴見は次のように言う。ナポレオンは偉大な個人だったが、「ここで国民国家ができる…。この国民国家の枷がいまもある…。この枷は、ファシズムのときにものすごい力を発揮した。国民国家が打って一丸とするかたちで、均質に兵役を強制してしまう」等。
 ここまでなら何気なく読み飛ばしていたかもしれないが、つづく次の文章には目が止まった。
 「ここに現在の日本の問題がある…・偶然、アメリカの力によって憲法に不戦条項をもっているけれど、これが「普通の国家」になるなんてことになったら、「普通の国家」とは国民国家だから、個人としてこの戦争はまちがっているなどという場所はなくなる」等。
 1998年の座談会だが、こんなふうに「国民国家」概念が使われるのだとは知らなかった。正しい用法かどうかは分からない。
 それはともかく、この鶴見の発言によると、現在の日本は「憲法に不戦条項をもっている」がゆえに、「普通の国家」=「国民国家」ではないのだ。しかも、鶴見の発言には、「国民国家」の(少なくとも重要な側面・要素)を毛嫌う気持ちがこもっている。さらに言うと、けっこう重要だと考えられる問題を、よくも簡単に片付けるものだ、という感想も湧く。
 推測になるが、この人は、近代諸国で成立したとされる「国民国家」に批判的で、それに同質化されたくないという心性のもち主のようだ。
 また、ひょっとすると<国民国家>の国民ではなく<地球市民>でいたいのではないか。九条の会の呼びかけ人の一人に名乗りを上げている心情も、理解できそうな気がする。

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  • 2564/O.ファイジズ・NEP/新経済政策④。
  • 2546/A.アプルボーム著(2017)-ウクライナのHolodomor③。
  • 2488/R・パイプスの自伝(2003年)④。
  • 2422/F.フュレ、うそ・熱情・幻想(英訳2014)④。
  • 2400/L·コワコフスキ・Modernity—第一章④。
  • 2385/L・コワコフスキ「退屈について」(1999)②。
  • 2354/音・音楽・音響⑤—ロシアの歌「つる(Zhuravli)」。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2333/Orlando Figes·人民の悲劇(1996)・第16章第1節③。
  • 2320/レフとスヴェトラーナ27—第7章③。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2317/J. Brahms, Hungarian Dances,No.4。
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2309/Itzhak Perlman plays ‘A Jewish Mother’.
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2305/レフとスヴェトラーナ24—第6章④。
  • 2302/加地伸行・妄言録−月刊WiLL2016年6月号(再掲)。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2293/レフとスヴェトラーナ18—第5章①。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2286/辻井伸行・EXILE ATSUSHI 「それでも、生きてゆく」。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2283/レフとスヴェトラーナ・序言(Orlando Figes 著)。
  • 2277/「わたし」とは何か(10)。
  • 2230/L・コワコフスキ著第一巻第6章②・第2節①。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2222/L・Engelstein, Russia in Flames(2018)第6部第2章第1節。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2203/レフとスヴェトラーナ12-第3章④。
  • 2179/R・パイプス・ロシア革命第12章第1節。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2152/新谷尚紀・神様に秘められた日本史の謎(2015)と櫻井よしこ。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2151/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史15①。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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