秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

中央公論新社

1511/下斗米伸夫「『政治の終焉』から政治学の再生へ」1998年日本政治学会報告など。

 下斗米伸夫「『政治の終焉』から政治学の再生へ-ポスト・ソ連の政治学-」年報政治学1999(岩波、1999)。
 これは、日本政治学会の1998年での学会総会での報告のようだ。
 ロシア・ソ連の1917年から1990年代までの政治史が概観されていることで役立つ。
 詳しい歴史叙述は10月「クー」、スターリン、米ソ冷戦期、解体過程等々について多いが、学会報告の16頁でまとめてくれているから(但し、小さい字の二段組み)、把握しやすい。
 そもそも「ソ連になぜ政治学がなかったのか」という問い自体、20世紀ならどの国でも「政治学」くらいはあるだろうと多くの人が思い込んでいるはずなので、驚きではある。
 しかし、ロシア「革命」等の経緯をある程度知ると、ロシアでは1917年以降に積極的な方向で役立った政治学も行政学も存在しなかっただろうことが分かる。それ以上に、経済学、経営学、会計学、企業論、財政学等々の国家経済を管理・運営していくに必要な学問研究の素地もほとんどなかったことが分かる。
 レーニンらにとって、マルクス(・エンゲルス)の経済学・政治学・哲学、要するにマルクス主義の政治・国家・社会論しかなかったのだから、それでよく「権力」を奪って、国家を運営していこうと、国家を運営できると、思えたものだと、その無邪気さ、またはとんでもない「勇気」に、ある意味では、茫然とするほどに感心する。
 下斗米は、上の問いに対して、①帝制以来の権威主義による未発達、②マルクス主義の陥穽-「政治」従属論・国家の死滅論等によって「政治」固有性を認識させない、③ソ連とくにスターリン体制による政治学を含む社会科学への抑圧、という説明をする(p.20)。
 学問研究を「政治」の支配もとにおけば、後者を対象とする「政治学」など存立できるはずがない。
 日本共産党に関するまともな<社会科学的研究>(政治学・社会学・思想史等々)が生まれるのは、いつになるだろうか。
 また、日本共産党という「共産主義」政党が学界に対する影響力をもっている間は、現在の中国についてもそうだが、かつてのロシア・ソ連についてのまともな学問的研究はおそらくなかったのだろう。ソ連政府による公式資料のみを扱い、決してこの体制を批判しない、日本共産党の党員研究者か又は親社会主義(・共産主義)の学者による研究論文しかなかったのではあるまいか(例えば渓内謙、和田春樹
 アーチー・ブラウン(下斗米伸夫監訳)・共産主義の興亡(中央公論新社、2012)、という大部の邦訳書がある(約800頁)。最後の三つの章名はつぎのとおり。
 第28章・なぜ共産主義はあれほど長く続いたのか。
 第29章・何が共産主義の崩壊を引き起こしたのか。
 第30章・共産主義は何を残したのか。
 下斗米伸夫(1948-)は、「監訳者あとがき」の中で、つぎのようなことを書いている(p.713-4)。
 1980年代前半の「当時の日本では、少なくとも知的世界の中では、現代ソ連論は学問の対象というよりも、まだ政治的立場の表明のような扱いしか受けておらず、戦後や同時代のソ連について議論をするのはやや勇気の要ることでもあった」。
 自分も「1970年代末にある論壇誌でチェコ介入についてのソ連外交論を書いたが、学界の重鎮から、それとなくお叱りを受けた」。
 フルシチョフ秘密報告、ハンガリー動乱、チェコ1968年の「春」等々は、ろくに「研究」されてはいなかったのだ。ソ連に<批判的>な研究発表は、国家ではなく、日本の学界自体によって抑圧されていたかに見える。
 「政治的立場の表明のような」学問研究・研究論文の発表は、じつは現在でも頻繁になされている、というのが日本の人文社会系の分野の「学問」の実態だろう、とは、この欄でしばしば記してきたことだ。
 下斗米・ソ連=党が所有した国家1917-1991(講談社選書メチエ、2002)を全面改定・増補し、タイトルも変えた、下斗米伸夫・ソビエト連邦史1917-1991(講談社学術文庫、2017)は、モロトフを主人公にすえた通史。ロシア「革命」100年がしっかりと振り返られるきっかけになればよいと思う。
 なにしろ、以下のことから書き始める、広瀬隆・ロシア革命史入門(集英社、2017)という本までが、学問研究の自由 ?と出版の自由のもとでバラ撒かれているのだから。
 広瀬隆の「まえがき」いわく-ロシア革命史を調べて「戦争反対運動を最大の目標としていた」ことに気づいた、「無慈悲な戦争を終わらせ、貧しい庶民に充分なパンを与えるために起こったのがロシア革命であった」。p.7。
 こんなことから出発する<どしろうと>のロシア「革命」史本が100周年で出るのだから、(ソ連解体があったからこそ)ソ連・共産主義の総括のためにも、「専門家」のきちんとした研究書がたくさん必要だ。

1308/中西輝政の憲法<改正>論。

 中西輝政・中国外交の大失敗 (PHP新書、2014.12) の最終の第八章のタイトルは「憲法改正が日中に真の安定をもたらす」であり、その最終節の見出しは「九条改正にはもはや一刻の猶予もならない」だ。そして、「九条改正という大事の前では、集団的自衛権の容認など、取るに足らない小事」で憲法九条を改正すれば「集団的自衛権の是非などそもそも問題にはなりえない」等ののち、「日本人はいまこそ一つの覚悟を固めて」、「日本国憲法の改正、とりわけ第九条の改正」にむけて「立ち上がらなければならない」等と述べて締めくくられている。
 このように中西輝政は憲法「改正」論者であり、<改正というべきではない、廃棄だ>とか<明治憲法に立ち戻ってその改正を>とか主張している<保守原理主義>者あるいは<保守観念主義(観念的保守主義)>者ではない。
 ではどのような憲法改正、とくに九条改正を、中西は構想または展望しているのだろうか。中西輝政編・憲法改正(中央公論新社、2000)の中の中西輝政「『自己決定』の回復」の中に、ある程度具体的な内容が示されている。
 すなわち、「九条の二項を削除し代わりに、自衛のための軍隊の保有と交戦権の明示、シビリアン・コントロールの原則と国際秩序への積極的関与に、それぞれ一項を立てる、というのが私の提案である。そして慎ましい『私の夢』である」(p.98)。
 そして、このような「九条二項の逐条改正を『最小限目標』とすべきである」ともされている(p.96)。
 この中西の案はいわば九条1項存置型で、同2項削除後の追加条項も含めて、基本的には、自民党改正案(第二次)や読売新聞社案とまったくか又はほとんど同じもののようだ。
 注目されてよいのはまた、「一括改憲」か「逐条改憲」かという問題にも言及があることで、「戦略」的な「現実の改憲」の容易性(入りやすさ)が意識されている。
 中西によれば、私学助成、環境権、プライバシー権など(の追加による逐条改憲)は「入りやすく」とも「『自己決定』の回復」とは到底いえず、一方、一括改憲は「改憲陣営の分裂を生じさせる」可能性があり、「何よりも時間がかかる」(p.96)。
 昨年末に田久保忠衛の論考(月刊正論(産経)所収)を読んで、ただ憲法改正を叫ぶだけではダメで、どの条項から、どういう具体的内容へと改正するのかを論じる必要がある、<保守派の怠惰>だと書いたのだった。しかし、中西輝政はさすがによく考えていると言うべきで、上のような議論を知ると、中西輝政を含めた<保守派>全体にあてはまる指摘ではなかったようだ(この中西編の著も読んだ形跡があるのだが、少なくともこの欄で取り上げたことはなく、-よくあることだが-中西論考の内容も忘れていた)。
 なお、上の2000年の中西論考は、中西輝政・いま本当の危機が始まった(集英社、2001)p.214以下、およびその文庫版(文春文庫、2004)p.196以下にも収載されている。
 とくに中西輝政と西尾幹二の諸文献、諸論文を、読む又はあらためて読み直すことをするように努めている。この稿はその過程でしたためることになった。

1288/「進歩的文化人」は死滅したかー福田恆存、竹内洋らによる。

 福田恒存に、「進歩的文化人」と題する小稿がある。50年前の1965年に読売新聞に連載していた随筆ものの一つだ。そこに、こうある。
 「私がいつも疑問に思うことは、他国の事はいざ知らず、日本が共産主義体制になることを好まない人でも、結果としてはそうなる事に、少なくともそうなる可能性を助長する様なことに手を貸している事である。そういう人を『進歩的文化人』と呼ぶと定義しても良いくらいだ。その事を当人は意識しているのかどうか」(新字体等に改めている。福田恒存評論集第十八巻p.123(2010、麗澤大学出版会))。
 これによると、「進歩的文化人」とは、当人が「意識しているのかどうか」は別として、また「日本が共産主義体制になることを好まな」くとも、「結果としては」「日本が共産主義体制になる」「可能性を助長する様なことに手を貸している」人、ということになるだろう。
 福田恒存はこのあともいくつかの文章を挿んでいるが、-むろん「進歩的文化人」なるものに批判的なのだが-分量が少ないこともあって、正確な趣旨は必ずしも掴みがたい。ともあれ、「筋金入りの共産主義者は別」として、「進歩的文化人」の中の「その大部分の良識派」はつねに建前としての真実・正義(偽善?)を語っていて、読者もそれを好み、かくして「洗脳」は無意識に行われる、というようなことを書いている(p.124)。
 この福田恒存の文章は独自に発見したのではなく、竹内洋・革新幻想の戦後史(2011、中央公論新社)の中で言及されていたので原文を探してみたのだった。しかし、よくあることだが、この竹内著のどの箇所で言及されていたのかが今度は分からなくなってしまった。その代わりに、「進歩的文化人」にかかわるあれこれの面白い叙述や文章引用を見つけた。
 竹内の生年からすると1960年代初めだろう、<福田恒存はいいぞ>とか言ったら「この人右翼よ」と言われたとかの実体験(?)の記載があるなど、上記の竹内著は-学問的労作と随筆文の中間あたりの-、戦後史を知る上でも興味深い書物で、この欄でも何度かすでに触れたかもしれない(仔細を逐一確認しないままで、以下書く)。
 「進歩的文化人」の定義としては、古く1954年の雑誌上のものだが、高橋義孝のそれが詳しい(竹内の引用による。p.316)。
 それをさらに少し簡潔にすると、①「大学の教師をして」いる、②「共産党乃至は社会党左派の同調者」、③「新聞雑誌によくものを書」く、④「よく講演旅行」をする、⑤「本当の政党的政治活動をしているような口吻」をときに漏らすが実際は一度か二度「選挙の応援弁士」になった程度、⑥とくに若い人たちの「自分の人気を気にかけ」、いつも「寵をえていたい」と思っている。
 部分的には似たようなことを、「非常に左翼的なことを言って」いながら「党員」になったり「組織に足をいれ」ることなく、生活態度は「ブルジョア的で非現実的な人々が多い」、と言う論者もある(あった)らしい(p.319-320)。
 また、上の高橋義孝の定義の別の一部について、臼井吉見は1955年に、こう述べたらしい。
 「将来の世界は社会主義の方向に進むに違いないとの情勢判断に基づいて、すべての基準を、つねに将来の方向におき、そこから逆に現実を規定し、判断するという、一種独特の思考方式にすがって怪しまぬ」(p.317)。
 また、竹内は「進歩的文化人」と共産党との関係にも論及していて、「共産党神話の崩壊」によって「進歩的文化人」批判は勢いを増したが、一方で<非共産党的(進歩的)文化人>の存在感も大きくした、あるいは共産党「同伴」知識人だったものが、共産主義・共産党という中心のない「市民派」知識人が独自に出てきた(代表は丸山真男)、というようなことも書いている(p.317-320あたり)。
 そして、竹内によると、「進歩的文化人に引導を渡したのは」、保守派ではなく「ノンセクト・ラジカル」だった、ということになるらしい(p.323)。
 面白いが、しかし、「共産党神話の崩壊」とは1955年の共産党六全協での極左冒険主義批判、1956年のソ連でのスターリン批判によるものを意味するのだから、かなり古い。2015年の今日、「共産党神話」は完全になくなっているだろうか。
 また、「ノンセクト・ラジカル」とは1970年代初頭の「全共闘」またはその一部を指しているので、これまたかなり古い。「進歩的文化人」に対する<引導の渡し>は終わっているのだろうか。
 たしかに、「進歩的文化人」という言葉はもはや死滅していると言ってよいのかもしれない。清水幾太郎や丸山真男らが活躍(?)していた頃とは、時代がまったく異なる、と言える。但し、竹内も「悪いやつには怒り可哀想な人には同情する」テレビのキャスター・コメンテイターのうちに「進歩的文化人」の後裔または現代版を見ることを完全には否定していないようだ(p.306-310)。
 テレビのキャスター・コメンテイターにまで広げなくとも、上のように定義され、特徴をもつ「進歩的文化人」は、言葉はほぼ消失していても、今日でもなお存在し続けていると思われる。
 そこでの要素は、①大学の教師でなくてもよいが、一定の「知識人」層と俗世間的には見られているような人、②社会主義・共産主義を嫌悪せず、無意識的であれ<許容・容認>している人、これとほぼ同義だが歴史は一定の「進歩的」方向に進んでいると考える、又はそう進ませなければならないと考える人、③何らかの「声明」に加わることも含めて、見解・主張の発表媒体を持っている人、ということになろうかと思われる。
 最近にこの欄で取り上げた人々を例にとれば、集団的自衛権行使容認閣議決定に対する反対声明を出している憲法学者たち、特定秘密保護法に反対する声明を出していた憲法学者・刑事法学者等たちは、ずばりこれに該当するようだ。
 その場合に日本共産党との関係に興味がもたれてよい。かつては「左翼」には社会党系、共産党系、それ以外の<純粋「市民」派>とがあったと言えるだろうが、日本社会党の消滅とそれに代わる社民党の力不足もあって、相対的には日本共産党系の力が強くなっているように見える。旧社会党系の一部を吸収した非・反共産党の<民主党左派>系「左翼」もあるのだろうが、しかしかつての社会党系が日本共産党に対する独自性をまだ発揮できていたのと比べれば、今日では日本共産党との<共闘>に傾いているように見える。
 そして、上記の憲法学者・刑事法学者たち等は、日本共産党系「左翼」であり、<共産党系進歩的文化人>だと言ってよいだろう。
 日本共産党機関紙・前衛の巻頭あたりにしばしば登場している森英樹も含まれているし、逐一確認しないが、かつて紹介したことのある、日本共産党系法学者たちの集まりである「民主主義科学者協会(民科)法律部会」の会員である者が相当数を占めているものと思われる。ひょっとすれば、ほとんど全員がそうであるかもしれない。もっとも、樋口陽一のように、元来は非共産党的「左翼」知識人・学者ではないかと思われる者も声明に加わっているように、ゆるやかであれ<容共>=「左翼」の者が賛同者ではある。かつては、日本共産党又は同党系と協調・共闘することを潔しとはしない「左翼」も存在したと思うが、叙上のように、その割合は今日では相当に落ちているようだ。
 「九条を考える会」もまた、大江健三郎に見られるように、元来は日本共産党系とは言えない運動の団体だったかもしれないのだが、日本共産党の<積極的に中に入っていく>方針に添って、今日では実質的には日本共産党系の団体・運動になっていると言ってよいだろう。旧社会党系であれ「市民」派であれ、共産党との共闘を厭わなくなってきているのだと思われる(これはかつてと比べれば大きな違いかと思われる。それだけ、「左翼」全体の量が減っているのかもしれない)。
 というわけで、共産主義・社会主義「幻想」と「進歩」幻想を基本的には身につけたままの「進歩的文化人」はまだ死滅しておらず、この人たちとの「闘い」をまだ続けなければならない。
 むろんこのように言うことは、上に挙げたような人々が日本共産党員ではない「進歩的文化人」にとどまっている、ということを言っているのではない。「進歩的文化人」の中核にはしっかりと、かつ量的にも多く、「筋金入りの共産主義者」である日本共産党員が相当数座っている。本当に闘わなければならない対象は、この者たちだ。
 そして、「日本が共産主義体制になることを好まない」人で、かつ客観的には「そうなる可能性を助長する様なことに手を貸している事」に気づいていない「進歩的文化人」がいるとすれば(単純に、<戦争反対・民主主義>のためだと考えている人も中にはいるだろう)、その人たちには、できるだけ早くこのことに「気づいて」いただく必要がある。このあたりは、<民主主義・自由主義・平和主義>と<社会主義(・共産主義)>との関係にかかわってもっと論述する必要があるのだが、すでに何度も触れてきていることでもあり、とりあえず、このくらいにせざるをえない。

 

1255/元朝日新聞幹部の山田厚史・早野透に見る「朝日新聞的なるもの」。

 朝日新聞の記事の一部の同新聞による否定や社長謝罪会見(第一次的には福島原発・吉田「調書」問題)等に合わせて、朝日新聞社記者OBの発言もいくつか見られるが、興味深いのは、最近問題とされた又は朝日新聞か認めたミスをいちおうは批判しつつも、なおも「朝日新聞」的意識・心情を吐露していることだ。二つ例を挙げておく。
 宝島11月号(宝島社)における、元編集委員・山田厚史
 山田厚史は、<朝日は反日>は「陳腐な非難」とか、朝日の上層部には他新聞と同じく「政権とプイプ」があるとか発言しつつ、つぎのように何気なく発言する。
 「野党が弱体化しているいま、政治の暴走を食い止める防波堤は世論です」(上掲p.8)。
 これはいったい何だろう。正確には「政治の暴走」とはいったい何のことだろ。おそらく、特定秘密保護法(12/10施行の旨の政令が2日ほど前に決定)の成立や集団的自衛権行使合憲との内閣解釈決定等を指すのだろうが、これらを「政治の暴走」と感じるのはまさに朝日新聞的な見方によるものであり、決して一般的なものではないとの自覚すらないように見える。
 また、次のようにも言う。①政権には世論が壁になりうるので「リベラルと言われる朝日新聞の信用が失墜すれば政権は楽になるということはある 」、「だからといって政権が朝日に何かしているということではないですよ」、②この20年「中国、韓国に対し、日本が劣後してきた、…ことに対する苛立ちが日本人の中にある。そうした時代状況のなかで傷ついた自尊心がナショナリズムを煽り、朝日新聞が逆風を受けている状況はあると想います」(p.8-9)。
 安倍政権による謀略的朝日新聞攻撃だったらよいのに、とも理解できなくはない①は無視して、②はなかなか面白い。第一に、「中国、韓国に対し、日本が劣後してきた」という時代認識は正しいだろうか。たしかにかつてと比べれば中国や韓国は大きな経済力をもつに至った。しかし、一人あたりGNPも含めて、日本が中国・韓国よりも劣るに至ったというのは、元朝日新聞・山田の願望かもしれないが、事実ではないだろう。こんなふうに何げなく、簡単に表現してしまえる感覚というのは怖ろしい。
 第二に、「苛立ち」を肯定的に評価していない、同じことだが、中国や韓国に対する(何についてかは省略するが)反発を正当なものとは見ていない。まさに朝日新聞的だ。
 第三に、「ナショナリズム」を、偏狭なとも排他的とも限定しないまま、<悪>と見なしている。かつてこの欄で問題にした、山田よりも先輩の若宮敬文の文章と同じだ。<ナショナリズムを煽る>=悪、というのは、まさに朝日新聞の感覚に他ならない。
 第四、そのようなナショナリズムの増大によって、「朝日新聞が逆風を受けている」という認識、あるいは状況把握では、適切な朝日新聞への助言などできるはずはないだろう。近時の朝日新聞批判は日本の<右傾化>を背景・原因とする、という、他にも読んだことがある朝日新聞擁護・弁明論を、山田もまた述べているわけだ。
 つぎに、中央公論11月号(中央公論社)における早野透。 
 単独の論考の中で早野は、詐話師(とはここで秋月が使っているのだが)・吉田清治の証言を訂正するのは1997年が限度だった等とも書きつつ、つぎのように述べる。
 ①「朝日新聞は戦後民主主義とリベラルを自らの信念としてきた」、「右派ジャーナリズムは、…戦後日本の基本的価値観に疑問を呈し、朝日新聞こそその攻撃だった」。かかる「右派ジャーナリズムの隆盛は、ナショナリズムの復活の流れにある」(上掲p.52)。
 まさに朝日新聞の「心情」がかつての編集委員・コラム執筆者によって堂々と披瀝されており、愉快なほどだ。
 やはりナショナリズム=悪であることにはもう言及しないが、「朝日新聞は戦後民主主義とリベラルを自らの信念としてきた」とは、元朝日文筆人・幹部自自身が語っていて、説得力?がある。たしか丸山真男は「戦後民主主義の虚妄に賭ける」とか書いたのだったが、早野透は、「戦後民主主義」をより厳密にはいったいどう理解しているのだろうか、そしてそれとGHQの日本占領方針等との関係はどう理解しているのだろうか。
 なお、「右派ジャーナリズム」=「あっち」=敵、朝日新聞=「こっち」という、日本共産党にも共通する対立・矛盾の認識がうかがわれるのも面白い。この点は、他の朝日新聞関係者の文章で明らかなので、別の機会に-余裕があり、文献を探し出せれば-触れる。
 ②「反日」「売国」「国賊」といった言葉が飛び交うのは「知性の劣化」。「朝日新聞が反日のはずがない。日本の悪かった部分を直視し、反省していくことはむしろ『愛国』だろう」(p.52)。
 こうした叙述からは反論・開き直りの姿勢がうかがえ、朝日新聞(のOB)が反省を何もしていないことがうかがえる。②「反日」「売国」「国賊」といった批判はある程度は効いているのかもしれない。そして、朝日新聞の捏造を含む記事によって日本と日本人の名誉・誇りが世界的に傷つけられたのは客観的に明らかなことだから、朝日新聞をウソ記事を書く「反日」、「売国」の新聞、「国賊」たる新聞と評するのはまったく正しいことだ。
 上の最後の一文は、なぜ次のような文章を含まないのだろうか。-「日本の良かった部分をきちんと指摘し、誇りをもち続けることは、『愛国』だろう」。
 朝日新聞は、あえて「日本の悪かった部分を直視し、反省していく」というスタンス、姿勢を基本に据えて、その基本にそうように<ファクト>を歪曲したり、捏造したりしたのではないか。自国を批判するのも愛国だ、などという、それ自体は一見誤りではないような言辞を吐いて、朝日新聞の本質をごまかすな、逃げるな、と強く言いたい。
 ところで、この早野透は、現在、桜美林大学教授らしい。いかなる著書・論文でもって教授に任用されたのだろう。きっと、桜美林大学とは、いいかげんな大学だ。

1107/橋下徹は佐々淳行・「正論」にツイッターで答えていた。

 一 佐々淳行産経新聞2/24の「正論」欄で橋下徹・「維新八策」に論及していることはすでに触れた。
 月刊ボイス5月号(PHP)の中に佐々淳行「日米安保条約改定を『八策』に加えよ」があることを知り、「正論」欄と似たようなことを書いているのかと思ったら、何と、上の佐々淳行「正論」に対して、同じ2/24に橋下徹はトゥイッターでコメントしたらしい。
 佐々淳行の文章によると、産経新聞2/24で「国政を担うには外交、安全保障分野への認識が著しく欠けている、と厳しい論調で批判したのだ。そのうえで、『天皇制の護持』や『憲法九条改正』などが必要だと指摘した。/すると同日午後一時過ぎに、橋下氏はツイッターで私に対するコメントを発表した」。
 1カ月以上前のことであり、また、橋下徹ツイッターのフォロヤーには無意味かもしれないが、以下、橋下徹の対佐々淳行コメントの全文をそのまま掲載(転載)しておく。
 二 「佐々さんのご意見も厳しいご意見ではあるが、役立たずの学者意見とは全く異なり、国家の安全を取り仕切ってこられた実務者の視点で迫力あるご意見です。」(posted at 13:09:54、以下省略)

 「佐々さんのご主張はまさに正論。内容自体に反論はありません。ただし、今の日本が動くようにするためにはどうすべきかの観点から、僕は次のように考えています。まだ維新の案として確定したものではありません。佐々さんの言われるように、日本は国家安全保障が弱い。これは全てに響いてきています。」
 「世界では自らの命を落としてでも難題に立ち向かわなければならない事態が多数ある。しかし、日本では、震災直後にあれだけ「頑張ろう日本」「頑張ろう東北」「絆」と叫ばれていたのに、がれき処理になったら一斉に拒絶。全ては憲法9条が原因だと思っています。」
 「この憲法9条について、国民的議論をして結着を付けない限り、国家安全保障についての政策議論をしても何も決まりません。国家の大きな方針が固まっていないのですから。しかし憲法9条議論や国家安全保障議論をしても結局憲法改正は非現実ということで何も動かない。学者議論に終始。」

 「だから僕は仕組みを考えます。決定でき、責任を負う民主主義の観点から。憲法96条の改正はしっかりとやり、憲法9条については国民投票を考えています。2年間の議論期間を設けて国民投票。この2年の間に徹底した国民議論をやる。」
 「これまでの議論は決定が前提となっていないから、役立たず学者議論で終わってしまう。その議論でかれこれ何十年経つのか。決定できる民主主義の議論は決定が前提の議論。そして期限も切る。2年の期間で、最後は国民投票。この仕組みを作って、そして国民的に議論をする。」

 「朝日新聞、毎日新聞、弁護士会や反維新の会の役立たず自称インテリは9条を守る大キャンペーンを張れば良い。産経新聞、読売新聞は9条改正大キャンペーンを張れば良い。2年後の国民投票に向かって。そして国民投票で結果が出れば、国民はその方向で進む。」

 「自分の意見と異なる結果が出ても、それでも国民投票の結果に従う。これが決定できる民主主義だと思う。9条問題はいくら議論しても国民全員で一致はあり得ない。だから国民投票で国のあり方を国民が決める。そのために2年間は徹底して議論をし尽くす。意見のある者は徹底して政治活動をする。」
 「その上で国民投票の結果が出たら、国民はそれに従う。そんな流れを僕は考えているのです。佐々さん、そう言うことで、今維新の八策にあえて安全保障については入れていません。憲法9条についての国民の意思が固まっていない以上、ここで安全保障政策について論じても画餅に帰するかなと。」

 「憲法9条について国民意思が確定していない日本において、それを確定するというのが僕の考えです。あくまでもシステム論です。まずはその決定できる仕組みを作る。仕組みができれば、次に実体論に入る。実体論から先に入ると、その賛否によって決定できる仕組みすら作ることができません。」

 「まずは憲法9条について国民意思を固める仕組み作りが先決だと思います。佐々さん、またご意見下さい。」
 翌日の2/25にもある。

 「政治は学者や論説委員の議論と違う。決定しなければならない。実行しなければならない。自民党が憲法改正案を出すらしいが、本当にこのようなやり方で憲法問題が結着すると考えているのであろうか?憲法改正案を選挙の公約に掲げて、仮に自民党が勝ったとしても、選挙が全てでないと言われる。」(posted at 09:35:36、以下、省略)

 「自民党に投票したけど、憲法問題は違うと必ず言われる。政策等であれば、選挙結果に従って欲しいと言えるだろうが、憲法の本質的価値に触れるところまでそれを言えるだろうか?首相公選、参議院の廃止は、分かりやすいので選挙になじむ。しかし憲法9条はどうだろう?これは選挙になじまないと思う。」 
 「政治には自分の価値観を前面に出すことと、国民の価値を束ねることの2つの側面があると思う。これは領域、状況によって使い分けるものであり、その使い分けもまた政治と言える。自称インテリは後者ばかりを言う。それでは現実の課題は解決しない。議論ばかり。」

 「しかし憲法9条問題こそは、国民の価値を束ねて行くことが政治の役割だと思う。自らの価値を前面に出すのではなく、国民に潜在化している価値を顕在化していく作業。単なる議論で終わるのではなく一定の結論を出す。そういう意味では、憲法9条問題は選挙で決するのではなく、国民投票にかけるべきだ。」

 「選挙の争点には、憲法9条の中身・実体面・改正案を掲げるのではなく、憲法9条問題に結着を付けるプロセス、仕組み、手法、手続きを掲げるべきだと思う。この点は、今後維新の会で議論していきます。」

 「簡単に言えば、憲法9条は色々な政治公約の一つとして選挙で決めるのではなく、憲法9条だけを取り上げる国民投票で決めましょうということです。この問題はある種の白紙委任で政治家に委ねるわけにはいかないと思う。」 

 「一定期間を定めて国民的大議論。そして国民投票の結果には皆で従う。反対の結果が出た国民も国民投票の結果に従う。だからこそ自分の主義主張がある人は一定期間内に徹底して国民に訴えかける。その上で結果が出たなら潔くその結果に従う。これが決定できる民主主義だと思う。」

 「憲法9条については国民的大議論を巻き起こす裏方役が政治家の役割だ。政治家が憲法9条について自分の価値観を前面に出せば出すほど、憲法9条問題は決着しない。政治家は学者と違う。自分の考えを控えることが決定のための必要条件なら自分の考えを押し殺す。決定こそ政治だ。」

 「佐々さん、幕末の世は民主主義ではありませんでした。ですから坂本竜馬は船中八策で国家安全保障のことを一人で決しました。しかし、今の世は国民主権です。国家安全保障を決するのも国民です。憲法9条問題は、国民全員が坂本竜馬です。その裏方を引き受けるのが政治だと思います。」

 以上。
 三 ・内容は、憲法9条改正問題が中心になっている。この問題についての橋下徹の考えについて、私はこの欄で「世論の趨勢を測りかねていて、個人的見解を明確にする時期ではまだないと判断しているように…推察している」と書いたことがある(4/11エントリー)が、少し異なるようだ。別の機会にコメントしたい。
 ・佐々淳行は、この橋下徹コメントを読んだうえで、「私は彼を『百年に一度の政治家』とみている。強い正義感と信念をもち、現代においてこれほど政策提言に命を懸ける人物はいないと思うからである」(ボイス5月号p.76)、「この戦闘機」=橋下氏の「敵・味方識別装置」は「有効に機能している」(p.82)等と、高く評価している。
 橋下徹は憲法9条改正に賛成と明言しているわけではなく、厳密には憲法9条改正問題について国民投票で決着をつけたいと考えている、と読めるが、この点も含めて、別にコメントする。
 ・しかしともあれ、一日平均11通(?)というツイッターで発信された橋下徹の文章を眺めていて、大阪市長という公職や維新の会代表を務めながら、よくもこれだけ書けるものだと本当に(それだけでも)、橋下徹に感心する。若い、まだ頭脳明晰、文章作成能力旺盛、むろん政策・行政に対する熱意十分、の証左だ。
 ・ボイス5月号の橋下徹特集(大阪府知事・松井一郎のものを除いて計4本、1つが佐々淳行のもの)のほか、中央公論5月号(中央公論新社)の橋下徹特集(計5本)も、すべて今日(4/16)読んだ。必要に応じて、別の機会に言及したい。
 四 PHP研究所と中央公論新社の上の二つと比べて、産経新聞社の月刊正論5月号の橋下徹特集の「貧弱さ」が目立つ
 上の二特集の計9本の論考(座談も含む)はいずれも面白く読める。観念的で現実感覚に欠けた論考がないからだ(中央公論5月号の北岡伸一論考には少し感じるが)。これらと比べて、月刊正論5月号の適菜収論考は「最低」・「最悪」だ、と言ってよい。すでに言及した、別の雑誌での中島岳志藤井聡の<反橋下>論考と優るとも劣らない「劣悪」さだ。
 中島岳志や藤井聡の論考は各雑誌のメインと位置づけられてはいなかったが、月刊正論5月号は適菜収論考のタイトルを表紙最右翼に大きく印字し、巻頭にもってくる、「売り」の論考と位置づけていたのだから、機能的には最もヒドく、「最悪」だ。
 あまつさえ、月刊正論の編集長自体が、自分自身は何ら詳論することもなく、橋下徹を「きわめて危険な政治家」、「目的は日本そのものを解体することにある」と明記したのだから、始末に負えない。バランスを取るために山田宏の(インタビュー)記事を載せたのだろうが、橋下徹を「デマゴーグ」等と断じる適菜収論考をメインにする編集・広告方針のうえでのものであり、かつまた編集長個人が山田宏とは異なる見解を明示するとは、山田宏に対して非礼でもあろう。
 上記の月刊ボイスや中央公論には、編集長(個人)の特定の考え方などはどこにも書かれていない。産経新聞社の月刊正論が、最も異様なのだ。産経新聞社の人々は、恥ずかしい、あるいは情けないと思わないのだろうか。

1091/西部邁・佐伯啓思グループとは何者たちか?

 前回に、<西部邁・佐伯啓思グループ>または<(隔月刊)表現者グループ>について、「民族的左翼」、もしくは「合理主義的(近代主義的)保守」とでもいうような(同人誌的)カッコつき「思想家集団」であって…という疑念を捨て切れない、と書いた。
 分かりにくい、矛盾もしていそうな形容表現だが、示唆を得た叙述は、西部邁や佐伯啓思らを念頭に置いたものでは全くないものの、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011)の中にあった。一度は雑誌連載で読んでいたはずのものを、単行本で先月末あたりに読み終えていたのだ。
 竹内洋はおおむね1970年代(ないし1960年代半ば)以降の思想潮流に論及して、「左翼」側の<構造改革>論(江田三郎ら)、「保守」側の「モダニズム保守」または「ニューライト」の登場を語る。そして、後者に関して「マルクス主義と切断された進歩の思想である近代化論」の台頭が背景にあるとする。
 面白く感じたのは、上のことに触れつつ、「保守と革新の変容」と題する<図>(チャート)を示している、その内容だ(p.502)。
 それによると、思想潮流は「左派」対「右派」というかたちで(ヨコ軸で)示される対立のほかに、「近代主義」対「伝統主義」というタテ軸で示される対立もある。二つの軸によって四つの象限ができるが、竹内は左上の「左派・近代主義」を<構造改革派>にあて、右下の「右派・伝統主義」を「オールドライト」と総称する。さらに、以下が興味深いのだが、左下の「左派・伝統主義」を「土着主義左翼」とし、右上の「右派・近代主義」に<ニューライト>をあてている。
 西部邁・佐伯啓思グループとはいったいいかなる性格の、あるいはいかに位置づけられるべきグループなのかという関心をもっていたときに上の図・表を見たために、はたして西部邁・佐伯啓思らはどこに位置するのだろうと考えてしまった。
 反復するが、竹内洋は戦後「進歩的文化人」や近年の「幻想としての大衆」について語ることを主眼としていて、西部邁らに言及しているのではまったくない。
 だが、西部邁や佐伯啓思らは<強いていうと>、竹内のいう後二者の「土着主義左翼」か「ニューライト」に該当するのではないかと感じたのだった。
 「左派」と「右派」はそれぞれ、伝統的にいう「革新」または「左翼」と「保守」または「右翼」に相応するものと理解してよいだろう。この対立に加えて、竹内は<近代主義X伝統主義>という対立軸を加味して理解しようしているのだ。
 さて、西部邁・佐伯啓思グループは、反米を強調し、そのかぎりで「日本的なもの」または「民族性」を強調することになっている点では竹内のいう「伝統主義」の側に立っている、とも言える。
 佐伯啓思は「日本の愛国心」や「日本という価値」を論じており、かつ欧米流「近代」主義をかなり厳しく批判(または批判的に分析)してもいるのだ。竹内は「土着主義左翼」と称しているが、これを少し表現し直したのが、前回に使った、私の「民族的左翼」という言葉だった。<反米>は「保守」のようでもあるが、「左翼」でもありうる。
 日本共産党ら「左翼」も、ある意味では、むろん<反米>だ。
 それに、西部邁らの論考や発言には「左翼」臭を感じることがある。二つだけ、例を挙げておこう。
 ①西部邁=佐伯啓思=富岡幸一郎編・「文明」の宿命(NTT出版、2012)の富岡の「はじめに」が、共産主義・コミュニズム批判を見事に欠落させて「現代文明」を語っていることはすでにこの欄で触れた。
 それとともに、中島岳志や藤井聡も執筆しているこの本では、「現代文明の全般的危機」が一つのキーワードになっていて、西部邁の論考はこれを一節のタイトル(見出し)にまでしている(p.25)。しかして、「…の全般的危機」とは、どこかで聞いたことがあるような、「左翼」またはマルクス主義用語なのだ。
 詳細は知らないが、マルクスらは「資本主義の全般的危機」という用語または概念を使ってきた。現在の日本共産党はこれをそのままでは採用していないようだが、ともあれ「資本主義の全般的危機」とは<左翼>用語だ(った)。
 西部邁らが好んで?用いている「現代文明の全般的危機」とはマルクス主義的な「資本主義の全般的危機」概念・論の影響を受けたものであり、かつ少なくとも部分的には、マルクス主義によるこれに関する議論を参照し、または取り込んだものではないだろうか。
 ②西部邁=佐伯啓思編・危機の思想(NTT出版、2011)の中の西部邁の序論には、「反左翼メディア」あるいは「反左翼人士たち」を批判または揶揄する部分がある(例、p.27、p.36)。その内容には立ち入らないが、「反左翼」を批判・揶揄するということは、常識的または通常の理解からすれば、自らは「反左翼」の立場にいることを表明または示唆しているとも理解できる。
 むろん、西部邁は「私どもの保守思想」とも言っていて(はじめにp.4)、上の意味するところは、その他大勢のエセ「反左翼」=「保守」とは違って、自分たちこそが「真の(本来の)保守」だ、ということなのではあろう。
 だが、その他大勢の?多数派的「保守」とは自分たちは違うのだ、と自分たちを位置づけていることはほとんど間違いはない。
 このことは、多数派的?「保守」からすれば、西部邁らを自分たちとは異なる「左翼」(の少なくとも一派)だと論定しても一概に批判されることではないと、第三者的読み手からすれば、なるだろう。
 要するに、「保守」だとかりにしても、じつに奇妙な、不思議な「保守」であるのだ。
 とりあえず二点挙げただけだが、この西部邁・佐伯啓思グループが、反共・反中国・反北朝鮮の主張を全くかほとんどしていない、コミュニズムや中国等に対して「甘い」、ということは、これまでに何度か指摘してきた。
 さらに叙述し続け、「ニューライト」または私の使った「合理主義的(近代主義的)保守」とも位置づけられるのではないか、という点に及ぶつもりだったが、長くなったので、ここで切る。後者は、「理性主義的=反情緒的保守」、と称してもよいかもしれない。西部邁・佐伯啓思グループには、こうした面もあるようだ。別の回に述べる。

1085/橋下徹を単純かつ性急に批判する愚②―佐伯啓思ら。

 〇いよいよ「御大」の西部邁も橋下徹批判の立場を明確にするようで、隔月刊・表現者(ジョルダン)の41号(2012.03)は、ほぼ橋下徹批判一色のようだ(未入手、未読。産経2/20の広告による)。これで<西部邁・佐伯啓思グループ>は一体として橋下徹批判陣営に与することを明らかにしたことになる。
 それにしても不思議で、奇妙なものだ。相も変わらずの言い方になるが、他の「保守」論者を「自称保守」とか呼び、産経新聞も批判したりしている少なくとも<自称>保守主義者たちがそろって、その勝利を深刻な打撃と受けとめている上野千鶴子とともに、民主党のブレインと目されかつ厳しく批判していた山口二郎とともに、そして日本共産党、民主党や両党系公務員労働組合とともに、橋下徹たち(大阪維新の会)を攻撃しているのだ。
 明瞭な「左翼」による橋下徹警戒論・橋下徹批判といったいどこが違うのだろう。違いがあるとすれば、分かりやすく説明してほしいものだ。やや戯れ言を言えば、「左・右両翼」から批判される橋下徹らは大したもので、<中道>のまっとうな路線を歩もうとしているのではないか??
 〇ふと思い出したのだが、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011)は、戦後の「進歩的知識人」について「知識人の支配欲望」という言葉を使っている(p.104)。
 竹内洋の叙述から離れて言うと、毎日新聞に連載コラム欄をもち、(あの!)佐高信と対談本を出しもしている西部邁は、言論によって現実(世俗)を変えることをほとんど意図しておらず、それよりも関心をもっているのは、あれこれの機会や媒体を使って発言し続けることで、自分の存在が少しでも認められ、自分が少しでも「有名」になることではなかろうか。
 失礼な言い方かもしれないし、誰でも「名誉」願望はあるだろう。だが、知識人あるいは言論人なるものは、現実(世俗)との緊張関係のもとで、現実(世俗)をいささかなりとも「よりよく」したいという意識に支えられつつ発言しつつけなければならないのではなかろうか。
 現時点における橋下徹批判はいったいいかなる機能を現実的には持つのだろうか。
 自称「保守」ならば常識的には、<西部邁・佐伯啓思グループ>は反日本共産党・反民主党だろう。だが、このグループの人たちは自民党支持を明確にしているわけではなく、佐伯啓思がつい最近も産経新聞に書いているように「小泉改革」・「構造改革」等には批判的だ。それでは「立ちあがれ日本」あたりに軸足があるかというとそうでもなさそうで、「立ち日」立党を応援していた石原慎太郎が支援している橋下徹を攻撃している。まさか「反小泉」で国民新党を支持しているわけでもあるまい。
 <西部邁・佐伯啓思グループ>の知識人??たちも、書斎や研究会を離れれば一国民であり、一有権者であるはずなのだが、彼らはいったいどの政党を支持しているのだろうか。支持政党はなく、「政治(政党)ニヒリズム」に陥って参政権は行使していないのだろうか。それはそれでスジが通っているかもしれないが、そのようなグループに一般国民に対して「政治」を論じる資格はないだろう。
 好きなおしゃべりをし、活字に残し、「思想家」らしく振る舞っていたければそれでよいとも言えるのだが、佐伯啓思・反・幸福論(新潮新書、2011)の最後の章は、民主党政権樹立を煽った「知識人」たちの責任をかなり厳しく批判している。
 佐伯啓思ら自身にも「知識人」としての対社会的<責任>があるはずだ。橋下徹という40歳すぎの、まだ未完成の、発展途上の政治家をせめて<暖かく見守る>くらいの度量を示せないのだろうか。
 将来のいずれかの時点で、2012年初頭に橋下徹を攻撃していたことの「自称保守」
知識人・評論家としての<責任>が問題にされるにちがいない。
 〇佐伯啓思の最近の二つの文章については、さらに回を改める。

1060/猪木武徳・戦後世界経済史(中公新書)を一部読む。

 猪木武徳・戦後世界経済史―自由と平等の観点から(中公新書、2009)p.372以下の要約的紹介。
 ・近代化の一側面は「平等化」で、万人の「法の前の平等」は、「近代社会」の「偉大な成果」だった。しかし、そこに「奇妙な論理のすり替え」が起こる可能性を看過すべきではない。人は法の前で「平等であるべき」なのであり、「事実として人間の有様が同じ」なのではない。しかし、「『真』の理想に燃える『社会哲学』」は、人は「平等であってしかるべきだという考えを押し広め」た。
 「平等」への情熱は「自由」のそれよりも「はるかに強い」もので、既得の「自由の価値」は容易には理解されないが、「平等の利益」は簡単に感得される。「自由の擁護」と異なり、「平等の利益の享受」には努力は不要だ。「平等を味わう」には「ただ生きていさえすればよい」(トクヴィル)。
 ・だが、「平等は自由の犠牲において」実現することが多い。すべての人が「自由かつ平等な社会」は「夢想でありフィクション」にすぎない。平等をめざして自由が失われ、自由に溢れた社会では平等保障がないことは「過去二〇〇年の世界の歴史」が明らかにした。
 ・「デモクラシーの社会」には多様で複雑な課題があり、新しい価値選択を迫られるが、それには「高度の専門性」が必要であるにもかかわらず、一般国民、そして政治家に十分な知識があるというのは「フィクションに近い」。このフィクションを「メディアや一部の啓蒙家」が補正するのは限界がある。したがって、「問題に対する理解」が不十分ならば、「最終的判断のベース自体があやしい」ものになる。
 民主国家に重要な、国民による「倫理的に善い選択」には「十分な知識と情報が必要」だ。難問を処理する「倫理」を確かなものにするには「知性と情報が不可欠」なのだ。
 ・トクヴィルのアポリア(難問)=「平等化の進展は自由の浸蝕を生む」は「人的資本の低い国に起こる可能性が大きい」。この「人的資本」の重要な構成要素は「市民道徳を中心とした『知徳』」だ。かかる意味で、「人的資本の蓄積の不十分な」=「知徳の水準が不十分な」国でのデモクラシーは「全体による全体の支配」を生み出しやすい。
 これは経済的後進国のみを指しているのではなく、「日本のような経済の先進国でも、市民文化や国民の教育内容が劣化してゆけば、経済のパフォーマンス自体も瞬く間に貧弱になる危険性を示唆して」いる。
 以上。なかなか示唆に富む。
 最後の部分を表現し直すと、「人的資本」、すなわち市民道徳・倫理(「知徳」)の水準が低下していくと、民主主義国も「全体による全体の支配」を生み出す傾向があり、日本についても例外ではない、ということでもあろう。
 そうであるとして、日本においてそのような<全体主義>へと近づく「人的資本」の劣化をもたらしているのは、いったい何なのか?
 教育であり家庭であり…、ということになろうが、「一億総白痴化」を実際にもたらした<テレビ>を含む、大衆に媚びる、「知徳」の欠乏した、戦後の<マスコミ>も重要な一つに違いない。
 石原慎太郎・新堕落論(新潮新書、2011)も読み終えているが、日本人の「堕落」の原因をしっかりと剔抉する必要がある。
 なお、石原慎太郎によれば、例えば、戦後の日本人の心性の基軸は「あてがい扶持の平和に培われた平和の毒、物欲、金銭欲」で、日本人が追求し政治も迎合している「価値、目的」とは国民各自の「我欲」で、我欲とは「金銭欲、物欲、性欲」だ(p.40-41)。
 こうした「我欲」に満ちた、「市民道徳」を失いつつある日本国民に、<全体主義>化を抑止するだけの「知徳」をもつことを期待できるだろうか。「テレビ局」をはじめとする大手マスコミは、逆に、日本人の「我欲」追求を助長している大犯罪者なのではないか。

1057/竹内洋・革新幻想の戦後史(2011)と「進歩的大衆」。

 〇二つの雑誌での連載をまとめた(大幅に加筆・補筆した-p.513)、竹内洋・革新幻想の戦後史(中央公論新社、2011.10)が刊行されている。
 その「はじめに」の中に以下。
 ・「『進歩的文化人』という用語は死語になったが、『進歩的大衆人』は増えているのではないか。や昔日の進歩的文化人はコメンテイターやニュースキャスターの姿で跋扈している」。
 「戦後」は終わったなどという妄言を吐いている東京大学の現役教授もいるようだが、<革新幻想の戦後史>は、現在もまだ続いている。著者・竹内もそのように理解していると思われる。
 親社会主義・<進歩>主義・<合理>主義を「知的」で「良心的」と感じる体制的雰囲気あるいは「空気」は、月刊WiLL(ワック)や月刊正論(産経)等の存在と奮闘?にもかかわらず、ましてや隔月刊・表現者(ジョルダン)という雑誌上でのおしゃべりにもかかわらず、決して弱くなっていないだろう。
 竹内洋の上掲書の終章の最後の文章は以下。
 ・「繁栄の極みにあった国が衰退し没落する例」をローマ帝国に見たが、「その再現がいま極東の涯のこの地で起こりかけていまいか。……『幻想としての大衆』に引きずられ劣化する大衆社会によって…。」(p.512)

 いかに問題があっても「日本」がなくなるわけがない、「日本」国家とその文化が消滅するわけがないと多くの人は無意識にでも感じているのだろう。しかし、歴史的には、消滅した国家、消滅した民族、消滅した文化というのはいくらでもある。緩慢にでも、そのような方向に紛れもなく向かっている、というのが筆者の決して明瞭で決定的な根拠があるわけでもない、近年の感覚だ。
 竹内によると、そのような「衰退と没落」は増大している<幻想としての・進歩的大衆>によって引き起こされる。
 〇最近、知人から、「在日」韓国・朝鮮人問題や日本のかつての歴史に関することを話題にしている、ある程度閉じられているらしい投稿サイトの関係部分のコピーを送ってもらった。
 元いわゆる「在日」で今は日本でも韓国でもない外国で仕事をしているらしき人物は、かつて(「併合」時代の)日本政府は「当時韓国でハングルの使用(読み書き話す)を禁止した」、という<歴史認識>を有している。
 この点もいつか問題にしてみたいが、とりあえず今回は省略する。
 興味深いのは、かつての朝鮮半島「併合」やかつての日本を当事者とする(大陸での)戦争に関するやりとりの中で、第三者にあたる人物が、つぎのように記していることだ。
 元「在日」の人物に対する純粋の?日本人をAをしておこう。女性らしき、「seko」または「せこ」をハンドル・ネームにしている人物は、次のように書いている。
 「A君の歴史的認識には納得できません。…。いろいろなブログで勉強しているそうですが、なんでも鵜呑みにしないで事実確認をして書き込んでほしいです。日本の歌は現在では韓国でも歌われていますし、韓国人のファンも多い…。日本で韓国の歌手が売れているのは、歌も上手だし踊りも素晴らしいアーティストが多いからで、日本でどんどんいい歌を聞かせてほしい…。友人は韓国が大好きで年に7,8回行っていますが、反日どころか親日の人が多くて親切だと言っています。私はまだ韓国には行ったことがありませんが、韓国ドラマは…好きでよく見ます。…親や目上の人に対して服従で尊敬し、家族の繋がりが深くて強くて、感心しながら見ています。最近、韓国ドラマが日本でもたくさん放映されていますので、A君もよかったら見てください。特に歴史ドラマは男性にはお薦めです。」 

 「私たちが生まれる前の出来事でしたが、日本が韓国や中国に侵略し、地元の人を苦しめたことは消すことができない事実です。反日感情が大きいのも納得できますし、私たちが謝ってすむ問題でもありません。でも謝りたいです。大好きな韓国と仲良くしたいから・・・申し訳ありません。」
 こんな内容の書き込みは、私は全くといってよいほど閲覧してしていないが、このイザ!のサイトにもいくらでもあるのだろう。
 ただ、より<大衆レベル>のサイトで、今日の日本の多数派を占めるようにも思われる<大衆>の意識が示されているようで、興味をもち、引用してしまった。
 この女性は(紹介・引用をしていないが)Aの「歴史的認識」は誤っている旨を断言し、ほぼ同じことだが、「日本が韓国や中国に侵略し、地元の人を苦しめたことは消すことができない事実」だと断言している。
 このような断定的叙述はいったいどこから生じているのか?
 村山談話(1995)、菅談話(2010)、NHKの戦争「歴史」番組等々からすると、これこそが体制的・公式的な、そして時代の「空気」を表現している見解・「歴史認識」なのだろう。
 そして、上に見られるように、生まれる前のことだが「謝りたい」とも明言している。
 これこそ、「左翼的」・「進歩的」な歴史認識そのものであり、そして過去の日本の「責任」を詫びて「謝る」のが「進歩的」で「良心的」な日本人だ(そして自分もその一人だ)、という言明がなされているわけである。いわゆる「贖罪」意識と「贖罪」史観が示されている、とも言える。
 そしてまたこれこそが、「進歩的文化人」はなくなったとしても増え続けている、竹内洋のいう「進歩的大衆人」の言葉に他ならない、と思われる。
 このような意識・認識・見解を持っている「進歩的大衆」は、どのようにすれば歴史に関する異なる見方へと<覚醒し>、<目覚める>ことができるのだろうか。
 上の人物が専門書や諸雑誌をしっかりと読んで、上のような「歴史的認識」と「謝り」の表明に至ったわけではないだろう。上で少しは触れたように、時代の「空気」、体制的な「雰囲気」なのだ。
 この人物とて、新聞広告や書店で、自らの「感覚」とは異なる見解・考え方をもつ者の本等もあることくらいは知っているだろう。
 しかし、<思い込んで>いる者は、<歴史に謙虚に向かい合わない>「右翼」がまだいる、日本人はもっともっと<反省>し、過去の「歴史」を繰り返してはならない、などと思って、そのような本や雑誌を手にしようとする気持ちを抱く可能性はまるでないのではあるまいか。
 月刊WiLL、月刊正論等々、あるいは産経新聞がいくら頑張っても届かない、<進歩的大衆人>が広汎に存在している。
 <保守>論壇や<保守>的マスコミの中にいて、仔細にわたると対立がないわけではないにしても、<閉鎖的>な世界の中であれこれと言論活動をしている人々は、<井の中の蛙>の中にならないようにしなければならない。自分たちは「進歩的大衆人」に囲まれた<少数派>であることをしかと認識しておく必要があるだろう。むろん、櫻井よしこに対しても、このことは言える。
 なお、上の女性(らしき、「seko」という人物)は「日本の歌は現在では韓国でも歌われていますし、韓国人のファンも多い…。日本で韓国の歌手が売れているのは、歌も上手だし踊りも素晴らしいアーティストが多いからで、日本でどんどんいい歌を聞かせてほしい…。友人は韓国が大好きで…反日どころか親日の人が多くて親切だと言っています。私はまだ韓国には行ったことがありませんが、韓国ドラマは…好きでよく見ます。…親や目上の人に対して服従で尊敬し、家族の繋がりが深くて強くて、感心しながら見てい」る、と書いて、自らの「歴史的認識」の妥当性を補強しているようでもある。
 だが、むろん、現在の韓国が、あるいは現在の日韓関係がどうであるかということの認識・見解と、かつての日本の行動の「歴史的」評価とはまるで関係がない。多少とも関連させているとすれば、「お笑い」だ。

0920/久しぶりに月刊WiLL(ワック)を見る-遠藤浩一・山際澄夫・屋山太郎。

 〇 前回に言及した遠藤浩一の2001年の著書には、遠藤自身が、月刊WiLL8月号(2010、ワック)「『菅直人総理』という亡霊―第三の道か破壊主義か」(p.44-)で論及し、部分的には2001年の本よりも詳しい批判的分析も加えている。この今年の遠藤論考を読んだ者にはあまり意味がなかったかもしれないが、これが言及していない部分も記載しておいたので(私のエントリーは)資料的価値くらいはあるだろう。

 私は最後に簡単にコメントしただけだったが、月刊WiLLの上の論考で、遠藤は私と似たようなことを(も)書いている。

 遠藤によると、2001年時点で、①菅直人の「国家観、否、脱国家観」が「ほの見えて」きた、②歴史的「日本」国家への帰属は「宿命」なのに、「自立した市民」により国家を「作る」というのは「左翼革命思想」に他ならない(月刊WiLL8月号p.52)。また、遠藤は、③「日本人に対する不信感」との小見出しのもとで、菅直人は「日本人に対する根本的な不信感」を表明し、「日本人を変えたい」と考えている、とも書いている(同p.51、p.52)。
 「自立した市民が共生する社会」なるものについては、私も再び触れるだろう。

 〇敬意を表して、月刊WiLL12月号(ワック)。

 山際澄夫「日本のメディアは中国の御用機関か」(p.201-)が、テレビメディア等の現在の日本の(主流的または大勢的な)マスコミ・マスメディアの<異様さ>をとみに感じている者にとっては、まず目を惹いた。

 10/02の東京・渋谷での対中国抗議デモを産経新聞を除いていっさい無視した日本のメディアは、10/16の同旨の(規模は上回る)デモについては報道した、という。「これは、もうお笑いというしかない」。山際によると、その後に頻発している中国での「反日」デモが日本での対中国抗議運動に対抗する狙いをもつため、日本のメディアも、中国でのデモを報道する際に日本での二回のデモに触れざるをえなくなった、という(p.203)。

 但し、山際によれば、「大半は中国デモのついでに触れただけ」(p.204)。日本のデモについては、読売の10/17付1面は8行だけ、2面では「ささやかな」記事のみ、同日付朝日新聞は1面の最後に約100文字(これは私が大まかに計算。月刊WiLLでは3段組のほぼ7行)だけ。

 NHKは酷くて、午後7時のニュースで中国のデモはトップで報道しつつ日本でのデモは「完全に無視」。その後のニュースで日本人のデモの映像を流したが「右翼デモ」と印象づけるかのように中国サイトの「日本右翼」との文字を長い間「どアップ」。深夜のニュースでは「日本右翼」との文字はそのままにしてデモの映像は映さず、田母神俊雄らによる中国大使館への抗議姿を報じた。さらに、TBSは同日夜のニュースで中国の「反日」デモを長々と映したが、日本のデモは「完全にスルー」(無視)(以上、p.204-5)。

 山際もさすがに全メディアの報道振りを確認してはいないだろうが、上によると、<酷い>・<異様な(・狂った)>順に、TBS、NHK、朝日新聞、読売、ということになるだろうか。

 中国の「反日」デモを大きくとり揚げるのは、<そんなに日本に抵抗感があるのか。日本人はやはり、もっと(過去を)反省し、謝罪しなければならないな>とでも感じる日本人が増えることを意図してだろうか。

 ともあれ、今さらながら、尖閣中国船舶<突撃>事件以来の経緯からする日本の数千人のデモを無視または軽視し、その背景・理由を分析することもない日本のメディアは一部を除いて異様きわまりない。山際によると、中国以外の外国のメディアの方がきちんと報道・分析していた、というから尚更だ(p.205)。

 いま一つ。今さらながらだが、山際も言うように、中国に<世論>があるはずがない。中国(政府または共産党)が<世論>に押されて、とか、<世論>の動向に注視しながら、とかして行動することはありえない。

 外国政府または外国資本法人の所有物(その他財産権の対象物)を破壊することは中国でも<犯罪>のはずだろう。なぜ、中国の警察は中国人デモ隊の乱暴・狼藉を<放置>しているのか? 中国政府・共産党の意向が働いており、中国の種々の「デモ」とやらも(その沈静化も)ほぼ政府・共産党のコントロール下にある、と認識しておくのがまっとうなものの見方であることは言うまでもない。

 〇やはり、屋山太郎はおかしい。屋山の月刊WiLL12月号の巻頭コラムは「民主党が踏み出した政権党の第一歩」というタイトルをもち、「国家戦略室」の設置に「踏み切った」ことなど(?)をもって、「実に際どい一年間だったが、民主党はようやく政権党の一歩を踏み出したように見える」と評している(p.22)。

 昨年総選挙での民主党勝利につき<大衆は賢明な選択をした>と明記したのは、屋山太郎だった。民主党に対する批判的なことも述べつつも、なおも、この政党、そして民主党政権に<期待>をつないでいるらしい。

 アホらしくて、批判する気もおきない。櫻井よしこに問いたいものだ。屋山太郎のような人物を理事とする国家基本問題研究所とはいったいいかなる団体なのか?、と。

 ついでに、些細なことと思って書いてこなかったが、<行政>や<公務員(制度)>に関する専門家らしく(少なくともこれらに詳しい評論家のごとく)振る舞っているようである屋山太郎だが、それはきちんとした学識にもとづくものではなく、<やっつけ勉強>と審議会委員等の<経験>に頼っているものでしかないように見える。

 一例は、今は(どの雑誌のどの欄だったかか)確認しないが、「内閣の規則」などという言葉を使っていたことでも明らかだ。内閣が定めるのは、法律に準じた<政令>と、法令と同一視はできない<閣議決定>・<閣議了解>等に限られ、「内閣の規則」なるものは存在しない。それとも、屋山は、<内閣府令>と混同していたのだろうか? だが、内閣府令は内閣が定めるものではない。(内閣ではなく)内閣府の長としての内閣総理大臣が定める。

 要するに、公務員制度を含めて行政一般についても論じる屋山太郎を信頼してはいけない。

 第一に、なおもって民主党に一抹の(?)希望を寄せ、あるいは期待していること、第二に、「行政」に関する学識・経験は大したものではないと見られること、これらだけでも月刊WiLLという雑誌の巻頭を飾る(?)一文を寄せる資格はないように思われる。この点に関する質問は、櫻井よしこではなく花田紀凱に対して向けておこう。

0919/菅直人の政治「心情」はいかに-遠藤浩一の2001年著に見る。

 遠藤浩一・消費される権力者-小沢一郎から小泉純一郞へ(中央公論新社、2001)は、「かくいう筆者自身も…『無党派』の一人である」(p.149、p.150)と述べつつ、刊行の2001年頃の時点での、菅直人(現首相)の発言・考え方を紹介している。

 原則的に、紹介にとどめる。以下は原則として、菅直人の言葉。

 ①(当時の)野党により国会が空転すると金融システム自体の崩壊の危険があるがよいのか?→「それでもかまわない。日本は焼け野原になって、再び”八月十五日”からやり直せばいい」(p.155-6)。

 ②あなたは織田信長のような独裁者になるのでは?→「民主主義というのは、交代可能な独裁なんです。選挙で政治家や政党を選んだ以上、任期いっぱい、その政治家や政党の判断に任せるべきだ」(p.156)。
 ③「…官僚中心の政治、行政を変えたい。…自民党政治も含めて、官僚中心のシステムはもはや機能しなくなった。だからそれを憲法に書いてある国民主権国家の内閣に変えていこうということ」だ(p.170)。

 ④日米関係という「基軸は基本的に維持していく。と同時に、日本がアジアの一員であることを重視していかなければならない。五十年かかってもクリアしていない問題があるので、それをクリアして日中関係、日韓関係を構築していく」(p.171)。

 ⑤中国から「政治的にある種の圧迫感を受けるということはあるだろうけど、日米、日中、米中のトライアングル関係がきちんと構築されれば、軍事的脅威は心配ないと思う。確かに尖閣列島の問題もあるけれども、リアルに見れば純軍事的な脅威はそれほどでもない」(p.171)。

 ⑥戦後という時代を「丸呑み」は、「うーん、できない」。「どこまでの深い覚悟があって非武装中立なんて言ったのか、大いに疑問」。「戦後の日本人は覚悟を忘れてしまった」(p.172)。

 ⑦覚悟なき日本人を法的に支えたのは日本国憲法では?→「日本人は、この百三十年というもの、一度だって自分の力で憲法を変えていない。…きわめて政治的に未熟だよね。…日本人は、憲法を変えることについて自分を信用できないという思いがある。だから、多少解釈を変えてお茶を濁している」(p.173)。
 ⑧日本人を信じるか?→「基本的には信じる」が「リスクがあるだろうな。…日本というのは結局水戸黄門型の国ですよ。お上とか偉い人とか、何かに依存している。その裏返しとして反対のための反対をする。だから自立した市民が共生する社会を作りたいと私は考えている」(p.173)。

 ⑨なぜ「市民」なのか?→「市民」とは「職業的価値から独立した普遍的価値を重要視するタイプの人間」だ。医者・農民・労組といった「所属的価値を超えた人々」という意味。「国民というのは人間の思考タイプを示す言葉ではありませんね」。「市民」と「国民」は「全然、対立はナシ」(p.173-4)。

 ⑩「自立した市民」とは「公への責任感の回復」だとすると「国民」という語を使うべきでは?→「日本人ほど日本に対する所属意識が強い人間はいない…。日本人は日本人の中に閉じこもっています。だから愛国心がないというのも大嘘…。日本人は意識の深い部分で、しっかり国家に帰属している…。むしろ足らないのは市民意識」だ(p.174)。

 ⑪では日本人を信じている?→「逆だよ。そういう無意識的な所属意識しかないというのは問題だと思っている。国家というものがアプリオリにあって、そこに国民がいて、それで国家を大事にするという発想が、僕の中ではちょっと違和感があるんだ」(p.174)。

 ⑫「天皇制」は「歴史的なものとしてまさに尊重すべき」で、「僕のイメージの中の国家とはまったく別だ」。「国家というのはアプリオリにあるものではなく、自立した市民によって作られるべきものなんだ。そのとき国家に対する潜在的な帰属意識は、むしろそれを妨げる働きをする」(p.175)。

 ⑬「国家という形での価値」には「抵抗」がある。「必ずしも戦後革新的な抵抗感」ではなく「何か薄っぺらな感じ」。「もちろん国家という枠組みは厳然としてある」。それは非常に重要だが、「主体者」は「結局人間なんだ」。「主体である人間が当事者意識をもって存在していなければ、極端に言えば、何のために国を守るのかという話に」なる(p.175)。

 とりあえず、以上。
 菅直人自身による著書中での記述または発言ではないことに留意しておくべきだが、簡単には、菅直人の<反「国家(・国民)」心情>、戦後憲法教育の影響大と思われる<個人主義(「自立した市民」の強調)>という立脚点は明らかだ、と感じられる。また、<親中・親韓感情>も示されており、一種の<大衆=「日本人」蔑視(自分は「自立した個人」だとの距離感)>も感じられる。この程度にしておく。

 すでに遠藤浩一もコメントしているのだが、とくに、<自立した市民が共生する社会というキー概念については、十分に検討し議論する余地があるだろう。「国家」は「自立した市民によって作られるべき」とのテーゼについても同様で、すでに日本「国家」はある以上、これは<革命>が必要とする<思想(・イデオロギー)>だと思われる。 

0817/月刊中央公論10月号(中央公論新社)の一部を読む。

 一 読売系とされている月刊中央公論10月号(中央公論新社)の編集後記は衆院選の結果をふまえて書かれている。
 編集長・間宮淳はこう書く。
 <自民党組織を「政党と呼ぶべきかは…疑問」だった。「一旦、五五年体制の終焉にまで漕ぎ着け」たが、「今回の選挙まで政権与党として生き残ってしまいます。/そのお陰で日本は、経済が限りなく破滅に近い状態に陥り、グローバル化にもポスト冷戦にも乗り遅れ、明らかな没落の中に。/事ここに至って、ようやく日本人は自民党を見限りました。…」>
 間宮淳は、2009年まで自民党が政権与党だった「そのお陰で」経済が破滅に近くなり、「グローバル化」や「ポスト冷戦」に「乗り遅れ」た、と言っている。
 「ポスト冷戦」と簡単に書くあたりにも、まだ「冷戦」は終わっていない東アジアに関する状況認識の薄さを感じることもできる。
 また、選挙結果を<大>歓迎していることについても、むろん異論はある。
 だが、もっと怖ろしいのは、自民党政権が原因となって「経済…破滅」があり、「グローバル化」や「ポスト冷戦」に「乗り遅れ」た、といとも簡単に原因・結果を叙述していることだ。
 字数に限界があるなどという言い訳は成立しない。「経済が限りなく破滅に近い状態に陥り、グローバル化にもポスト冷戦にも乗り遅れ、明らかな没落の中に」、ということの意味はより詳細にはどういうことなのか? それらの原因は1993年以降も自民党が「政権与党」だったことにある、とする根拠は一体どこにあるのか?。
 この人によると、リーマン・ショックも昨秋以降の経済不況も自民党政権に原因があるのだろう。この人はまともな常識・感覚・経験をもっているのか?
 こんな人が著名な?月刊雑誌の編集長である、ということにこそ、日本の「明らかな没落」の証左がある、と思われる。
 二 同誌同号の巻頭、北岡伸一=御厨貴(対談)「政権交代で始まる不可逆的な地殻変動」もひどいものだ。
 二人とも、東京大学の現役の「政治学」の教授。
 すでに指摘されてはいるが(月刊正論11月号、東谷暁「寸鉄一閃」p.160)、とくに御厨貴のひどさは、著しい。
 細かい、具体的なことを捨象して感じるのは、この二人、とくに御厨貴の視野の<狭さ>だ。
 第一に、「政治学」者ならば、個別の専門ではなくとも、政治「思想(史)」の観点からの分析・総括もあってよいと思うが、何もない。表象的な日本政治・日本人の政治意識に関する言葉だけだ。
 第二に、アメリカには若干の言及はあるが、中国・北朝鮮には何の言及もなく、民主党と<東アジア共同体>構想に関する言及もない。
 御厨貴の民主党に対するヨイショぶりは、「学者」の域を超えている。
 怖ろしいのは、こんな人物が、現役の東京大学教授だということだ。行政官僚にしろ裁判官・弁護士等の専門法曹にしろ、少なくとも教養としての「政治」を、こういう人に教えられて育っていっているのだから、日本のいわば<エスタブリッシュメント>的なものが、戦後<平和と民主主義>思考に浸されるのは当然だ、という気がする。
 三 さらに言うと、国際法の横田喜三郎、憲法の宮沢俊義、政治学(広義)の丸山真男らのDNAを継承していないと、あるいはこれらの戦後の先達たちを直接にせよ間接にせよ<批判する>ような研究を決してしない、そういう論文等を決して書かない人物ではないと、東京大学教員には残れない、又は他大学から東京大学に戻れない(招聘されない)という、牢固とした<慣習>のようなものが、東京大学(とくに)法学部にはあるのではなかろうか。
 上はたんに憶測にすぎない。憲法学者にせよ政治学者にせよ、明瞭に<戦後を疑う>、<戦後民主主義を疑う>者は(社会・人文系の)東京大学教員にはなっていないのではないか。
 東京大学(社会・人文系)がアンシャン・レジームとしての<戦後>(1947年憲法体制ともいえる)の擁護者、司祭者たちの集まりでないとよいのだが…。
 樋口陽一、上野千鶴子……。なぜ、東京大学卒業でもないこの人たちは、、東京大学教授になれたのか…?。研究「業績」以外の何かがあるような気がしてならない。

0774/ルソーとフランス革命と「全体主義」。

 1.ルソーは将来の「フランス革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない。マルクスも、将来の「ロシア革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない(それをしたのはレーニンだ)。
 だが、ルソーが「フランス革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を、マルクスが「ロシア革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を提供したからこそ、ルソーとマルクスは後世にまで名を知られ、影響を与えたのだろう。言うまでもなく、「フランス革命」と「ロシア革命」は現実に(とりあえずは)<成功した>革命だったからだ。「フランス革命」と「ロシア革命」が現実に生起していなければ、ルソーもマルクスも、現実に持ったような「思想」的影響力を持たなかったように思われる。
 2.ルソーのいう「社会契約」等が内容的・思想的にフランス革命に影響を与えただろうことは推測がつく。また、『人間不平等起原論』が人間の「本来的平等」論につながるだろうことも判る。だが、ルソーとフランス革命の関係、前者の後者への具体的影響関係は必ずしも(私には)よく分からないところがある。
 前回言及の小林善彦ら訳の本(中公クラシックス)のルソーの年譜に、1778年に死去してパリの「エルムノンヴィル邸」(城館)に面する池の中の「ポプラの島」の埋葬されたが、1794年10月11日に遺骸が「ポプラの島」から「パンテオン」に移されて葬られた、とある。中心部の南又は東南にある「パンテオン」はフランス又はパリの<偉人>たちの墓でもあるらしいので、ロベスピエールの失脚(斬首)のあとの、1794年10月段階の穏健「革命」政府によって積極的に評価された一人だったことは確かだ。
 詳細な人物伝ではないが、中里良二・ルソー(人と思想)(清水書院、1969)という本があり、次のような文章を載せる。
 ・「ルソーの『社会契約論』は、その存命中にはあまり広くは読まれなかったが、かれの死後、革命家たちの福音書になり、デモクラシーの精神を発達させるのに役立った。そして、一七九三年には、ロベスピエールとサン=ジュストは、『社会契約論』を典拠として国民公会憲法をつくったという」(p.24)。この「国民公会憲法」は1793年制定だとすると、これは<プープル(人民)主権>を謳った、しかし施行されなかった、辻村みよ子お気に入りのフランス1793年憲法のことだ。
 ・「ルソーがフランス革命において、ただ一人の先駆者」ではないが、「その一人であるということはできよう」。「一七九一年一二月二九日、デュマールは国民議会でルソーの像を建てることを提案する演説の中で、『諸君はジャン=ジャック=ルソーの中に、この大革命の先駆者をみるだろう』といっている」。
 ・「マラは一七八八年に公共の広場で『社会契約論』を読んでそれを注解し、それを熱心に読んだ聴衆が拍手喝采したという」。
 ・「一七九一年には、モンモランシーに建てられたルソー像には『われわれの憲法の基礎をつくった』と刻まれている」(以上、p.25)。
 このあと、中里良二はこうまとめる。
 「このような例だけによってみても、ルソーのフランス革命への影響がいかに大きかったかがうかがい知られる…」。
 ロベスピエールを<ルソーの子>又はこれと類似に表現する文献を読んだような気がする(中川八洋の本だったかもしれないが、確認の手間を省く)。
 ともあれ、ルソーのとくに『社会契約論』は(他に所謂<啓蒙思想>等もあるが)「フランス革命」の現実の生起に<思想的>影響を与えたことは間違いないようだ。
 なお、松浦義弘「ロベスピエール現象とは何か」世界歴史17・環大西洋革命(岩波講座、1997)p.200によると、ロベスピエールは「ルソーの霊への献辞」と題する文章の中で、「同胞たちの幸福」を求めたという自らの意識が「有徳の士にあたえられる報酬」だ、と書いたらしい。
 3.もっとも、以上は、松浦義弘(1952~)のものを除いて、フランス革命を<進歩的>な<良い>現象と捉えたうえで、ルソーにも当然に肯定的な評価を与えるものなので、その点は割り引いて読む必要がある。
 中里良二(1933~)の本の「はしがき」は次の文章から始まる。
 「ルソーは、今日にもっとも影響を及ぼした一八世紀の思想家の一人である」。
 その「影響」が人類にとって「よい」ものだったか否かはまだ結論を出してはいけないのではなかろうか。
 しかし、小林善彦(1927~)はこうも書いている。
 『社会契約論』は理解困難だった歴史をもつ。「二〇世紀の後半になると、ルソーこそは全体主義の源流だと見なす研究者さえ出てきている。時代背景も著者の生涯も無視して、たんにテクストだけを切り離して読むならば、そう読めないこともないとはいえるが、それならばルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか。やはり素直に読めば、主権者たる市民による民主主義の主張の書として読むのが正しいのではないかと思う」(中公クラシックス・ルソーp.18)。
 ここでは、①「たんにテクストだけを切り離して読むならば」、「ルソーこそは全体主義の源流だ」と「読めないこともないとはいえる」、と認めていることが興味深い。そして、フランス革命時の革命家たちは「テクストだけを切り離して」読んでいたのではないか、と想像できなくもないので、彼らは実質的には<全体主義>者になったと言うことも不可能ではない、ということになりそうなことも興味深い。
 ②疑いなく、「主権者たる市民による民主主義」を、肯定的に理解している。全世界に、少なくとも日本とっても<普遍的に正しい>思想だと理解している。かかる、小林善彦が当然視しているドグマこそ疑ってかかる必要があるのではないか、と特段の理由づけを示すことなく、言えるだろう。佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)という本もあった。
 もっとも、日本の中学や高校の社会系教科書では、圧倒的に、ルソーは小林善彦らの(従来の)通説に従って評価され、叙述されてはいるのだが。
 ③「ルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか」との指摘は<全体主義の源流>論に対する、何の反論にもならない。<二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした「悪い」影響>の可能性を否定できない。ルソー(・フランス革命)はマルクスに影響を与え、従って「ロシア革命」にも影響を与えた。共産主義(コミュニズム)による一億人以上の殺戮に、ルソーは全く無関係なのかどうか。

0773/ルソー・人間不平等起原論(1755)を邦訳(中公クラシックス)で読了。

 先週7/16(木)夜、ルソー・人間不平等起原論(1755)を、中公クラシックスのルソー・人間不平等起原論/社会契約論〔小林善彦・井上幸治訳〕(中央公論新社、2005)を読み終える。前者・人間不平等起原論の訳者は小林善彦。
 1 引用してのコメントはしない。社会契約論とともにルソーの二大著作とされることもあるが、平等「狂」、あるいは少なくとも「平等教」教組の戯言(たわごと)という印象を拭えない。
 現在の時点に立っての論評は不適切で、18世紀の文献として評価すべきだとしても、人間の「不平等」の「起原」についての論考・思考として、あまりにも説得力がなさすぎ、ほとんど「空想」・「妄想」だ。
 ルソーは今でいうと、「文学評論家」的又は「文学者」的「思想家」のようで、文章自体はおそらく、レトリックを多用した、美文又は(平均人は書けない)複雑な構成の文章なのだろう(邦訳なので、感じるだけだが)。そしてまた、倒置、仮定、二重否定、反語等々によって、意味の理解が困難な箇所も多い。
 2 すでに忘れかけているが、コメントをほとんど省略して、印象に残る(決して肯定・同意の趣旨ではない)文章をピック・アップしておこう。
 序文・「人間は一般に認められているように、本来お互いに平等である」(p.23)。
 ・「人間の魂の最初の、そして最も単純な働き」には「理性」に先立つつぎの「二つの原理」がある。①「われわれの安楽と自己保存」に関心を与えるもの、②「感性的存在、主としてほれほれの同胞が、滅び、または苦しむのを見ることに対して、自然の嫌悪を…起こさせるもの」(p.28)。②はのちにいう「同情心」(pitie)だろう。
 本論・人類に「二種類の不平等」がある。①「自然的または肉体的不平等」、②「道徳的または政治的不平等」。前者の源泉は問えない。これら二種の不平等との間の「本質的な関係」を求めることも不可能(p.33-34)。
 ・この論文では、「事物の進歩のなかで、暴力のあとに権利がおこり、自然が法に屈服させられた時を指摘」する等をする(p.34)。
 ・ここでの「探求は、歴史的な真理ではなくて、単に仮説的で条件的な推理」だ(p.36)。
 第一部・「未開人の身体」は彼の唯一の道具で、「生活技術」(<「文明」)は未開人の「力と敏捷さ」を奪う。
 ・ホッブズは「人間は本来大胆で、攻撃し、戦うことしか求めない」と言ったが、誤っている(p.41-42)。
 ・人間が身を守る手段がないのは「生まれながらの病弱と幼少と老衰とあらゆる種類の病気」だ。「はじめの二つ」は「すべての動物」に関係し、「最後のもの」は「主として社会生活をする人間に属する」(p.43)。未開人は「怪我と老衰のほかにほとんど病気を知らない」。未開人には「薬」は不要で、「医者」はなおさら(p.45)。
 ・「われわれの不幸の大部分はわれわれ自身で作ったもの」で、「自然によって命じられた簡素で一様で孤独な生活様式」を守れば避け得た。「思索」は「自然に反し」、「瞑想する人間は堕落」している(p.45)。
 ・「社交的になり、奴隷になると、人間は弱く臆病で卑屈になる」。「女性化した生活様式は、…力と勇気とをすっかり無力」にする(p.47)。
 ・「裸」のままでおらず「衣服と住居」を作ったことは「あまり必要ではない」ことだった(p.47)。
 とっくに、この<狂人>の「仮説的で条件的な推理」には付(従)いていけないのだが、つづけてみよう。
 

0728/ルソーの「人生」を小林善彦は適切に叙述しているか。

 <有名な>思想家、フランスのルソー(1712~1778)について、「思想」どころか、その「人生」についても、叙述又は見方が異なる。
 渡部昇一=谷沢永一・こんな「歴史」に誰がした(文春文庫、2000)の谷沢によると、ルソーは、①「生まれてすぐに母に死なれ、10歳のときに父に棄てられた」、②「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、③「子どもが五人いた」が、「全員を棄ててしまった」(p.218)。
 中央公論新社の中公クラシックスの中のルソー・人間不平等起源論/社会契約論(2005)の訳者の一人・小林善彦は、この著のはじめに「テクストを読む前に」と題する文章を書いて、ルソーの「人生」をたどっている。
 小林は、上の①のうち母の死亡については、「生まれて十日後にシュザンヌ〔母親〕が死ぬと…」と言及する(p.3)。触れてはいるが、父親の行動に関する一文に付随させているだけで、成育のための「家庭」環境とは結びつけていない。この文章の最初の見出しは「成育環境」だが、まず小林が語っているのは、両親ともに「市民の階級の人」であり、これが「ルソーの思想形成にひじょうに大きな影響を及ぼしたと思われる」、ということだ(p.2)。少なくとも、生後10日後に死去した「市民の階級の」母親がルソーの「思想」に直接に影響を与えることはできなかったことは明らかなのだが。
 上の①のうち「一〇歳のときに父に棄てられた」については、明確な言及はない。もっとも、巻末の「年譜」には、1722年に父親が(ルソーの生地)ジュネーヴを「出奔」し、ルソーが伯父、次いで「新教の牧師」に「預けられた」、とあるので(p.413-4)、父親と生別していることは分かる。
 小林善彦は、父親は仕事(時計職人)に熱心ではなかったが、「ジュネーヴの時計職人」は特権的職業で比較的に余暇もあり「しばしば教養があって」市政等に関心をもち、蔵書も多かった、という。これは「ジュネーヴの時計職人」の話のはずだが、小林は「というわけで、幼い…ルソーは父親から本を読むことを習った」と書く(p.4-5)。これが事実であるとしても、明記はされていないが、父親が「出奔」するルソー10歳のときまでのことと理解されなければならない。
 上の②の「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、というのは事実だろうと考えられる。しかし、小林善彦はこれを明記はしておらず、上記のように「教養ある」「市民」の一人に「本を読むことを習った」という叙述の仕方をしている。さらに、「われわれにはおどろきであるが、小説を全部読んでしまうと、ルソー父子は堅い内容の本にとりかかった。それは…新教の牧師の蔵書」だった、とも書いている(p.5)。だが、上記のとおり、これもあくまでルソー10歳のときまでのことと理解されなければならない。教育熱心の父親が、10歳の男児と離れて(-を残して)別の都市へ「出奔」するだろうか、とも思うが。10歳のときまでに「新教の牧師の蔵書」を一部にせよ読んでいたのが事実だとすると、たしかに「われわれにはおどろき」かもしれない。
 上の③の<子棄て>および彼らの母親である妻又は愛人を<棄てた>ことについては、これらを別の何かで読んだことはあるが、小林善彦は一切触れていない
 小林善彦はルソーの人間不平等起源論・社会契約論について肯定的・積極的に評価することも書いている。そして、そしてルソーの「人生」についても、あえて<悪い>(少なくともその印象を与える)事柄は知っていても、書かなかったのではないか。
 小林も(表現の仕方は別として)事実としては否定しないだろうと思われる、「生まれてすぐに母に死なれ、一〇歳のときに父に棄てられた」、「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、ということは、谷沢永一も指摘するように、ルソーのその後の「思想」と無関係ではないのではないか。
 小林善彦は1927年生、東京大学文学部仏文科卒、東京大学教養学部教授等歴任。ルソーに関する<権威>の一人とされているかもしれない。そして、こういう人に、同じ学界の者またはルソー研究者が、ここで書いたような程度の<皮肉>を加えることすら困難なのかもしれない。
 アカデミズム(大学世界)が<真実>・<正義>を追求しているいうのは、少なくとも社会系・人文系については、真っ赤なウソだ。あるいは、彼らに独特の(彼らにのみ通用する)<正義>の追求はしているかもしれないが。

0635/佐伯啓思・国家についての考察(2001)を読む-朝日新聞批判・その4。

 一 11月の半ば以降だったのだろうか、佐伯啓思・国家についての考察(2001、飛鳥新社)を再び読み出して、計320頁のうち、300頁を読み了えた。もう少しだ。
 先週金曜日あたりからの数日間で、竹内洋・学問の下流化(中央公論新社、2008.10)をほぼ2/3のp.196まで読んでしまった。小論を集めてまとめたもので読みやすいが、読後感の<軽さ>は、この人の他の本にも見られるわかりやすい文章のためだろうか。それとも、この人の思考・思想自体の<軽さ>によるのだろうか。けっこう面白い本であることは確かだが。
 二 さて、佐伯啓思の上掲書のメモのつづき。全体についての紹介的覚書を記すつもりはないが、佐伯が<朝日新聞>という名を明示して所謂<進歩派>を批判又は分析するのは珍しいと思われるので、もう少し続ける。
 朝日新聞らの<反ナショナリズム>の分析は前回までにも紹介した。佐伯は「『国益』とは何か」と節名を変えて、朝日新聞らの<反ナショナリズム>または<ナショナリズム批判>を、「他国への配慮」という点に着目して次のように批判する。
 6 ①<反ナショナリズム>に「裏返され、萎縮し、隠されたナショナリズムを見る思いがする」。
 国際関係は基本的には「国益」をめぐる対立の場だ。この対立は常に「力」のそれや「紛争」になりはしないが、1.「他国への配慮」は「国益の追求」のためにも不可欠で、前者は後者の「手段の一つ」となる、2.諸国家の利害調整のために国際ルール・国際機関が形成され、かかる「制約条件」のもとで「相互に国益を追求する複数国家のシステム」こそが「国際秩序」というものだ(p.71-72)。
 ②「国益」とは次の「二つの側面の適切な結合」だ。1.「国民生活の豊かさの追求や安定の確保という…物質的側面」、2.「比較的長期に」「歴史性に根ざし」て「共有している文化的価値を実現してゆくという…精神的次元にかかわる側面」。「国民の統合」を前提とする「近代国家」は何らかの「価値の共有」を必要とし、その「価値を実現」する「条件を作り出す」ことが「長期的な『国益』」になる。
 「国益」は「共有する価値の裏づけとその実現」という「理念的・精神的支え」を必要とする。しかもその価値は「歴史性」と「普遍性」をもつ必要がある。「国益」とは「少々おおげさ」には「その国の『正義』」、「他国に対する自国の正当な言い分」だ。「正義」なき「利益」追求は他国に正当化されないし、「利益」と結合しない「正義」は「宙に浮いた」もので国民に支持されない。要するに、「国益とは、国民の幸福や生活の向上という功利的な『利益』と、国際的に主張しうる自国の立場や価値という『正義』の結合」に他ならない(p.72-73)。
 ③従って、「国益」を議論するにはその国の「価値」・「正義」の議論が必要で、これは「広い意味でのナショナル・アイデンティティ」に関する議論となる。しかし、この議論が「今日の日本」では「きわめて困難」だ。その理由は、この議論が「戦後を疑う」ことから
出発せざるをえないことにある。「戦後を疑う」のは「否定する」と同義ではないにしても、「戦後の価値観の中で否定され隠されたものを再び明るみに出し、…日本にとっての『正義』とは何かを改めて問い直す作業」だ。これは「『戦後的なもの』の中でタブー視された価値をいったんはすべて解放する」という「困難な作業」を伴う(p.73-74)。
 ④「ナショナル・アイデンティティ」は「作り出された」ものだとしても、かかる「フィクション」を想定できないと「国益」観念は定義できず、国際社会での「確かな立場」は取れない。そうなれば、憲法前文にいう「国際社会で名誉ある地位を占める」ことも、そもそも「他国への配慮」とか「国際的に友好的」という観念さえも無意味になる(p.74)。
 ⑤「戦後的なもの」の擁護者は「自由主義、民主主義、平和主義、人権主義など」を「正義」とし、この点に「議論の余地はない」と考えるが、本当にそれが「国民の正義」で実際に「共有された価値」ならば「ナショナリズムの復興」を怖れる必要はない。
 「ナショナリズム」とは「国民の共有された価値の実現を図ろうとする運動」だ。「国民の共有された価値」が「自由主義、民主主義、平和主義、人権主義など」ならば、これらの実現を図る「国民運動」になる。
 にもかかわらず、「朝日新聞」社説等の「戦後的なもの」の擁護者は、「明らかにナショナリズムの高揚に恐怖し、それを復古主義だと唱える」。それは、「戦後的なもの」が「国民の正義」、「共有された価値」になっていないからだ。「彼ら自身がそれを認めている」。
 「ナショナル・アイデンティティ」、「正義」、「価値」に関する議論の余地は存在している。それは「戦後的なもの」という「枠を解除した」議論である必要がある(p.74-75)。
 ⑥「戦後的なもの」の擁護者-「戦後進歩主義者」-は「ナショナル・アイデンティティ」・「日本の国益」といった観念は「政治的に構成されたフィクションにすぎない」と言うかもしれない。「その通り」だが、「民主主義や人権主義という観念」も、「平和主義」も、同じく「政治的に構成されたフィクション」だろう(p.75)。<次の節へとつづく>

0600/伊藤謙介による山折哲雄・信ずる宗教、感じる宗教(中央公論新社)の書評(産経新聞)。

 産経新聞10/04の「書評倶楽部」で、伊藤謙介(京セラ相談役)が山折哲雄・信ずる宗教、感じる宗教(中央公論新社)を紹介・論評している。
 この本の引用又は要約的紹介なのか評者自身の言葉なのかを自信をもって区別できないが、おそらくは前者の中に、印象的な叙述がある(それ自体はほとんどは評者の文章だ)。
 山折哲雄のこの本によると、次のように整理されるらしい。
 ①A「信じる宗教」は<一神教>で、B「感じる宗教」は<多神教>。
 ②A一神教は「砂漠」の産で、B多神教は「緑なす山野」のもの。
 ③A「信じる宗教」は「天上の絶対的存在」を信じることで、「自立する声高に主張する『個』がキーワード」。
 一方、B「感じる宗教」は「地上の豊かな自然の中に神や仏の気配を感じること」で、「寂寥のなかで静かに耳を澄ます『ひとり』がキーワード」。
 私が挿入するが、日本の神道・仏教が(とくに神道が)Bであることは明らかだ。日本人の殆どは無宗教ではなく、本来は、「信じる」<一神教>ではない、「緑なす山野」の、「感じる」<多神教>の宗徒ではないか。
 山折哲雄はさらに次のように主張・警告しているらしい。
 <現代は「信じる宗教」にのみ「憧れと脅威の眼差しを注ぐ」「個の突出した時代」なのだが、「人間を越えた存在の気配を感じ取ることこそが必要」だ。それが「個、自己中心主義の抑圧に繋がるから」。
 以下は私の文による書き換えだが、欧米の一神教を背景とする「個の突出した時代」が現在日本の中心・本流にあるようだが、「個、自己中心主義の抑圧」のために、「感じる」<多神教>をもとに、「人間を越えた存在の気配を感じ取る」ことが必要だ、と主張しているようだ。
 多分の共感をもって読んだ。「信じる」<一神教>を背景とする、欧米的「個」は、本来、日本人にはふさわしくないのではないか。そして「自立する声高に主張する『個』」、「個の突出」、「個、自己中心主義」こそが、戦後の日本と日本人をおかしくしてしまったのではないか。
 樋口陽一を引き合いに出して語ってきたこともある欧米的「個人主義」批判と通底する部分が、山折の本にはありそうだ(まだ入手していないのだが)。
 以下は、評者・伊藤謙介の文章だと思われる。なかなかに<美しい>。
 「私たちは今、個が我が物顔に振る舞う、喧騒と饒舌の時代を走り続けている。/だからこそ、ときにたち止まり、星月夜を眺めつつ、悠久の時の流れに身を投じ、生きることと死ぬことに思いをはせたい」。

0494/日本にとって伊勢神宮とは何か。三種の神器が私(宗教)法人に在ってよいのか。

 幡掛正浩・日本国家にとって「神宮」とは何か(伊勢神宮崇敬会、1995.08/7版2003.11)という計80頁の小さな本がある。「はしがき」実質3頁、「日本国家にとって『神宮』とは何か」実質5頁、「神宮制度是正問題」実質63頁、「あとがき」実質3頁。
 最も長い「神宮制度是正問題」を未読だが、その前の書名と同名の章の中に、私にはすでに刺激的な文章がある。
 第一。そもそも「式年遷宮」について、日本国民の何%が知っているだろうか。若い世代ほど知らないに違いない。かく言う私もいつ知ったのかを書くことが憚られる。
 上の本p.6-7は前回・1993年の「式年遷宮」のうち内宮の遷御について書く。-「実況をするのは三重テレビだけで、NHKほか民放はニュースですませ、実況を映すのは、…消灯した十一時台だという。/…これでは国民的関心といふ点からは『無視』に近い――と言えば言ひ過ぎだろうか」。
 (伊勢)神宮の「式年遷宮」は一宗教法人(一私人)の行為で長時間の生中継などすれば<政教分離原則>に反して公平でないし、また神道以外の宗教関係者や「左翼」的立場から天皇制度(と伊勢神宮の関係)に批判的な者たちからのクレームが多数寄せられそうだ、というようなマスコミ(・テレビ)関係者の<思考>・<思惑>を推測することができる。
 だが、伊勢神宮の「式年遷宮」は一宗教法人の「私的」行為なのか? いつぞやも書いたように正確には天皇(・皇室)の祭祀行為の一つと考えられ、少なくとも天皇(・皇室)と密接不可分の行事(祭事)であることは明らかだ。そして、現憲法上も、天皇は「日本国」と「日本国民統合」の<象徴>ではないのか。とすると、一宗教法人の「私的」行為の如き扱いをするのは決定的に間違っているのではないのか、という問題関心が再び強く蘇ってくる。
 第二。既述のことだが、三種の神器のうち「鏡」(宝鏡・神鏡)の本体(本物)は伊勢神宮に存置されている(「剣」は熱田神宮)。そして、これも園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社)に主として即して既に記したが、皇室経済法により、「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」の代表的又は最も貴重な?物として、三種の神器は天皇(家)の「私物」=「私有財産」とされている。
 これらを前提として、上の本p.8-9は以下の旨を書く。-そのような貴重な天皇(家)の財産の一つを、伊勢神宮という一宗教法人に<預けて>よいのか? より正確に引用すると-「…超国宝の神鏡を一私法人である『神宮』にもうやってしまったのか…。宗教法人というものは、規則の定める役員の同意で、解散も合併も自由だが、神宮をそんな危なげな法性格に放置したまま、政府は知らぬ顔をきめこんでいてよいのか」。
 たしかにこれはもっともな感想・疑問・主張だ。基本的な問題の出発点は、<天皇制度>と密接不可分の神道が他の宗教と同レベルの<宗教>と見なされつつ、一方で憲法上も<天皇制度>は厳としてなお存続している、ということにある。
 なお、上の問いを伊勢神宮・式年遷宮奉賛会・神社本庁の三者名義で宮内庁に正式に発しようとしたところ、宮内庁は「こんな質問をされては頗る迷惑―といふ渋い態度をとった」という(p.9)。この本は初版が1995年だが、現在の2008年でも、問題は何ら解決・改善されておらず、宮内庁の態度も上のようなものではないかと推察される。
 このような状態でよいのか。憲法学者の殆どが、現在の自衛隊の装備・「戦力」や東アジアの軍事情勢を知らないままで憲法九条を論じているように、憲法学者の殆どは、天皇(・皇室)と伊勢神宮(等)との間の密接不可分さの歴史・現況の詳細を知らないままで、憲法20条・政教分離を論じているのではないか。
 次回の式年遷宮は2013年であと5年後。鎮地祭(一般の地鎮祭にあたるもの)が行われた、という小さな記事が載っているのを、産経新聞では見た。

0480/天皇・神道・政教分離-つづき4。園部逸夫・皇室制度(2007)。

 皇室・神道・政教分離の関係の問題(・現況)のいくつかにつき、以下、園部逸夫・皇室制度を考える(中央公論新社、2007)による。園部逸夫(1929~)は元大学(法学部)教授・下級裁判所裁判官・大学教授・最高裁裁判官・大学教授といった経歴で、女系天皇容認の旨の<皇室典範有識者会議>の重要メンバーだったことで評判を悪くした面はあるが、皇室にかかわる現行(法)制度の説明や関係議論・学説の整理という点では少なくとも信頼できると考えられる。
 〇皇室の「財産」 敗戦前又は新憲法以前には天皇(・皇族)は皇居も含めて広く<私有財産>を有していたようだが、GHQの方針や新憲法施行の結果、天皇(・皇室)の①「公的活動」にかかわる財産や②「生活」にかかわる財産、③「皇室とともに伝えられてきた」財産はほとんど国有財産とされる。より正確には、国有財産は「行政財産」と「普通財産」に二分されるが、前者「行政財産」の一種としての「皇室用財産」として、天皇・皇室の利用に供されている(国有財産法による。「行政財産」には他に「公共用財産」・「公用財産」等の種別がある)。
 園部によると、①・②として皇居・御所・御用邸・御用地があり、「宮殿」は①に、「京都御所、桂離宮・修学院離宮、正倉院、陵墓」等は③に位置づけられる。天皇・皇室の利用の仕方に制限がない、という訳ではもちろん、ない。
 一方、天皇又は皇族の「純然たる私産」がなおある。①「ご由緒物」と②「お身の廻り品」だ(他に③現金もある)。前者の①に、「三種の神器、壺切りの御剣、宮中三殿、東山御文庫、皇后陛下のの宝冠類、…ご肖像画、屏風類」等がある。処分(とくに①についてだろう)には憲法8条による法的制約がある(以上、園部p.277-281、p.274)。
 ここでコメントを挿む。「三種の神器」と「宮中三殿」、とくに後者が天皇(等?)の<私有財産>とされていることは重要なポイントだ。「宮中三殿」の三殿の再述はしないが、いずれも<ご神体>が存置された<祭祀>の場所だ。そしてこれが国有財産(>皇室用財産)とされていないのは、その<宗教的>性格によるものと推察される(園部による明記はない)。政教分離原則により、神道(という<宗教>)関係施設を直接に国有にはできない、ということなのだろう。
 だが、仔細は知らないが、皇居の中に、そして「宮殿」の内部又は直近に「宮中三殿」はある筈だ(だからこそ「宮中…」と称するのだろう)。だとすれば、国有財産に囲まれて、それに保護されるように天皇(等?)の<私有財産>があることになる。
 さらに厳密に考えると「宮中三殿」の敷地(土地)は国有財産なのか「私産」なのか不明なのだが、敷地(土地)も<私有財産>だとすると、そのような<宗教用>の土地が戦後に天皇(・皇室)に無償で払い下げられたことになるが、それは特定の<宗教>を優遇したことにならないのか?
 また、「宮中三殿」の敷地(土地)は国有財産で建造物(上物)だけが<私有財産>なのだとすると、天皇(・皇室)は何らかの権原がなければその敷地(土地)を利用できない筈で、国有財産たる土地を無償で利用できる権利(無償の借地権(賃借権又は地上権))??、それとも国有財産の「占用(又は使用)許可」??)が国から付与されていることになる。その利用が<宗教>儀礼(=祭祀)だとすると、そのような優遇は、やはり特定の<宗教>を優遇していることになり、政教分離原則に反しないのか?
 <大ウソ>が基本にあると<細かなウソ>に分解されていくもので、「宮中三殿」(かりに建造物だけでも)は天皇(・皇室)の私有財産だと割り切ることによって、政教分離原則との抵触をすっきりと回避できるとは、とても考えられない。やはり、現憲法では国家・国民統合の象徴とされる天皇(・皇室)が歴史的・伝統的に10数世紀を超えて長らく行ってきた祭祀のための施設だ、という点を考慮し、強調しないかぎりは、圧倒的に広い国有財産たる区域の中に私有財産の存在を認める根拠を、あるいは(土地も国有財産の場合は)国有財産たる土地を「特権」的に利用して、その上に建つ<宗教>施設で祭祀を行えることの根拠を、説明できないのではないか。
 どこかにウソ(あるいは「無理」)がある。現行の制度・考え方はどこか奇妙だ、と感じるのだが…。なおも、別の回に続ける。<4/28に一部加筆・修正した。>

0344/新書二つ等と上杉隆・政権崩壊(新潮社)。

 昨日入手した新書本二つ。従来もこんな記録を残したことはないし、今後の慣例にするつもりもないが。
 ①奥武則・論壇の戦後史(平凡社新書、2007)。補章・あとがき・序章・第一章の順で、これらだけ読了。専門書の重厚さを期待はできず、「切り取り方」(p.252)も単純もしくは表面的又は大勢順応的なような気がしないでもないが、戦後思想史を概観するうえで、参考にはなりそうだ。
 ②飯尾潤・日本の統治構造(中公新書)。何とか賞受賞というだけで購入してみた。「はじめに」を読んだだけ。1962年生という著者の若さに驚いた。<政治とマスコミ>、<選挙とマスコミ>、<大衆民主主義下の政治・選挙・官僚とマスコミ>といったテーマのきちんとした文献を読みたいし、探しているのだが、この本でもこうした論点にはたぶんほとんど言及がないだろう。
 以上、いずれも推薦?図書として記したわけではない。まだ読了していない。
 上杉隆・政権崩壊-安倍政権迷走の一年(新潮社、2007)はひと月以上前に入手して読了しているが、安倍政権に対するマスコミ、とくに朝日新聞の姿勢に関する言及が全くないという点が私には印象に残った点の一つだった。
 上杉隆は文筆業者、政治ノンフィクションライターとして、マスコミを含む出版業界で生きていくために、広い意味では同業者といえる朝日新聞等への批判的言及・批判的言辞を、いや批判的であろうとなかろうと、朝日新聞等の動向に関する多少とも詳細で具体的な叙述を、意識的に避けたのではなかろうか。文筆業者、文章販売業者として生きていくための処世術かもしれないが、せっかくの「内幕」の叙述も、上の点でかなり減点になると、私は、奇妙な読み方かもしれないが、感じた。書いていないことも重要なのだ。

0342/武田徹を使う産経新聞の将来を憂う。

 低レベルの、質の悪い文章を読んでしまった。
 産経新聞10/31夕刊に掲載された、武田徹(1958~)の、随筆もどきの、(小)論文とはとてもいえない、<複眼鏡>欄、「「市民」という言葉―安易な使用・自らの不遇招く」だ。
 「「市民」という言葉」は彼の記した原題で、あとは編集部で加えたのだろうか。おかげで、表向きは<立派そうな>コラムらしく見えてはいるが…。
 一 そもそも論旨・結論(主張したいこと)はいったい何か。自然人(市民)と国民、あるいは理想主義と現実主義の使い分けを日本国憲法草案はどう考え、戦後日本はどう受け入れたののかを「改めて検討してみる価値があるのではないか」、ということのようだ。
 せっかくの狭くはない紙面を使って、…との問題を「改めて検討してみる価値があるのではないか」、で終わらせることで原稿料を貰える(稼げる)とは、ラクな商売だ(いくら稼いだのかは知らないが)。
 そんな課題設定、問題提起をするヒマがあるくらいなら、自分の考えを正面から試論でもいいから述べ、主張したらどうか。こんな問題もあると思うよ、とだけ書いて「ジャーナリスト」と名乗れるのだろうか
 二 上記の問題設定(「改めて検討してみる価値があるのではないか」)に至る論述も論理関係が曖昧なところがあり、そもそもの事実認識または評価にも奇妙なところがある。アト・ランダムに書いておこう。
 1 ベアーテ・シロタの講演への言及で始めて、再び言及して原稿を終えている。いちいち典拠を確認しないが、ベアーテ・シロタは法学部出身でもないタイピスト(?)だが日本語能力のおかげでGHQ草案作りに<愛用>された、かつ親コミュニズムでソ連憲法の条文の字面だけを見て、その「家族」または「男女対等」に関する条項に憧れ、日本国憲法草案(の原案)の一部を書いた人物だ(現二四条等につながった)。
 武田はいう。彼女は「日本女性の地位確立の道を切り開いた」、と。どう評価しようと自由だが、日本国憲法の制定過程に詳しく、かつその内容に批判的な人々にとっては、ベアーテ・シロタとはマルクス主義的・「左翼的」人物で戦後日本に悪影響を与えたとの評価を受けている人物なのだ。
 武田徹は、上のことを知っていて、敢えて書いているのだろうか。だとすれば、そのようなフェミニストと同様の評価を「産経」に書くとは勇気があるし、そのようなことを書かせる産経の編集部の無知加減か又は「勇気」に驚く。
 武田が上のことを知らないとすれば、あまりに無知で、勉強不足だ。
 2 日本国憲法に「国民」を権利享有主体とする条項と「何ぴと」にも権利(人権)を認める条項があるのは、ほとんど自明の、常識的なことだ。
 だからどうだと武田はいいたいのだろうか。<使い分け>を問題にしつつ、具体的に自らの見解・主張を述べている論点はない。外国人の雇用問題について何やら述べているが、結局は、<ある程度の痛み分けをしつつ相互に納得できる解決策を…>と書くにとどまる。こんな程度なら誰でも(私でも)書ける。
 そもそもが、外国人の問題を、憲法一四条・平等原則レベルの問題として論じようとする感覚自体がおかしいと言うべきだろう。
 確認しないし、詳細な知識はないが、いったいどこの国の憲法が、自国民と自国籍を有しない者(外国人)をすべての点について<平等に>取扱うなどと宣言して(規定して)いるだろうか。そんな馬鹿な<国家>はないはずだ。
 武田はいったんまるで平等保障の対象に外国人を含める方が<進歩的>であるかのごとき書き方をしているが、その「いったん」の出発点自体に奇妙さがある。この人は、朝日新聞的<地球市民>感覚に染まっているのだろうか。
 かりに万が一上のような憲法条項があったとしても<合理的な区別>まで平等原則は禁止するものではないから、やはり外国人の権利の有無の問題は残り(選挙権問題も当然に含む)、よくても法律レベル、「立法政策」の問題になるのだ(「よくても」と書いたのは、外国人の選挙権付与は違憲で、法律レベルでも付与できない、との主張もありうるし、現にあるからだ)。
 3 武田は「市民」という言葉の問題性に言及しているが、そんなことはあえて書くまでもない。読まされるまでもない。この人は、佐伯啓思・「市民」とは誰か-戦後民主主義を問いなおす(PHP新書、1997)という本を、-専門書ではなく容易に入手できるものだが-読んだことがあるのだろうか。
 「「市民」という言葉」を問題にしようとして、上の佐伯著を知らない、読んでいないとすれば、あまりに無知で、勉強不足だろう。武田が書いていることくらいのことは、すでに多数の人が指摘している。また、武田は言及していないが、<左翼>団体(運動)が「市民」団体(運動)と朝日新聞等によって称されてきている、という奇妙さもすでに周知のことなのではないか。
 4 それにしても、<市民・自然人-国民>の対置と<理想主義-現実主義>の対置をまるで対応しているかのごとく(つまり市民・自然人→理想主義、国民→現実主義)書いているのは、いつたいどういう感覚のゆえだろうか。こうした対応関係がなぜ成り立つのか。<思い込み>で物事を叙述してほしくないものだ。
 5 武田はまた書く。「…抽象的なシンボルを多用した安倍政権」後の「福田政権は、今度こそ生活の実質に根を下ろした政策を打ち出して欲しいと願う」、とも。
 こんな程度のことしか書けない人物が「ジャーナリスト」と名乗って、産経新聞に登場しているのだ。いよいよ世も末かと思いたくなる。
 まさかと思うが、「毎月最終水曜日」掲載の「複眼鏡」の執筆者は当面、武田徹ってことはないだろうなぁ。読売と産経のどちらの定期購読を「切ろう」かと考えているところだが、10/31のような文章の武田の文を毎月見るのはご遠慮したいものだ。産経新聞編集局(文化部?)は武田徹のごときを使うべきではない。 
 三 石井政之編・文筆生活の現場(中公新書ラクレ、2004)に武田は登場しているが、武田は2003年に東京大学某センターの「特任教授」となり「ジャーナリスト養成講座」を担当しているらしい(p.46)。この程度の内容の文章しか書けない人物が「ジャーナリスト」を「養成」しているのだから、昨今の「ジャーナリスト」のレベルの高さ?が分かるような気がする。
 ついでに。上の中公新書ラクレで編者の石井政之は、「武田さんは、哲学者ミシェル・フーコーの言説を引用しており、私は無学を恥じた」と書いている(p.45)。石井は相変わらずの舶来・洋物思想(というだけで「優れて」いると思う)崇拝者なのだろうか。
 「ミシェル・フーコーの言説を引用」できなくて、何故、「無学を恥じ」る必要があるのか。同じことを、吉田松陰、福沢諭吉、徳富蘇峰等々の日本人についても、石井は語るのだろうか。
 なお、中川八洋・保守主義の思想(PHP、2004)によると、フーコーはサルトルやマルクーゼ等とともに「日本を害する人間憎悪・伝統否定・自由破壊の思想家たち」の一人とされている(同書p.385)。

0292/坂本多加雄の一文-例えば「平等」。

 故坂本多加雄氏(1950-2002)の文章は、安心して読めて、風格や論理性も高い。
 中公クラシックス・福沢諭吉(中央公論新社、2002)の緒言「「文明」と「瘠我慢」のあいだ」にも印象的な文章がある。
 1.「私たちは…平等を「結果の平等」と捉えがち」だが、「小学校の競走競技で、参加者全員に一等賞を与える」といった「結果の平等」めざす傾向は、「個人の努力の意味を希薄させたり、各人のさまざまな能力上の差異という厳然たる事実に正面から向き合わないといった弊害も生むであろう」(p.4)。
 とくに後半はいい文章だし、内容も的確かつ重要だ。あえてさらに要約すれば、「結果の平等」目的→1.「個人の努力の意味」の「希薄」化、2.「各人のさまざまな能力上の差異という厳然たる事実」の無視、ということになる。
 2.関連して、平等主義というよりも<人間の見方>又は世界-国家(日本)-国民(個人)の関係に関連して語られているが、上と類似性もあるこんな文章もある。
 「人間は、それぞれ具体的な地域の社会的な諸条件・諸環境のなかに生まれ落ち、それが課すさまざまな負荷を帯びて成長する」。かかる負荷を全て捨象して「人間をひとしなみに「人類」の一員と同定することはどこまで妥当かという問題がある」(p.28)。
 「人が自分が置かれてきた環境や自らが担っている具体的な属性や条件を無視して、ひとえに「人類の一員」や「純粋な個人」として振る舞うことは果たして、どこまで正しいのか」(p.29)。
 こうした文章は、日本を<地球貢献国家に>とか主張しているらしい朝日新聞の記者や自分を日本国民よりも前に<地球市民>だなどと考えている者たちに読ませてやりたい。
 若いときはさほど感じなかったが、私も含めて人は両親(および両親につながる祖先たち)を選んで生まれてきたわけではなく、「生まれ落ち」る時代を自分で決定したわけでもない。
 そしてまた、「生まれ落ち」る郷土・<国家>も自分で判断して選択したわけでもない。たしかにわれわれはヒトの一種で人類の一員だろうが、現在の時代環境からすると、地球(世界)市民として生まれた、というよりも、やはり日本国民として生まれたのだ。そして、日本の社会であるいはその教育制度の下で大人になってきたのだ。このことに無自覚のようにみえる日本人が多すぎはしないか?
 あるいはまた、生まれつき(男女の区別はもちろん)身体的・精神的(知的)条件・能力においてある程度は<制約されている>こと、そしてその<制約>の内容・程度がどの他の個人とも同一ではではないことは、自明のことであり、厳然たる事実だ。
 生まれつきの<制約>の違いから生じる<不合理かもしれない>点、<不平等>性について、国家や社会の<責任>を追及できるのか? 殆どは、<運命>・<宿命>として受容しなければならないのではないか。むろん、出生後の環境や本人の<努力>(および偶然又は「運」)の影響を否定するものではないが。
 やや余計なことに私が筆を進めれば、朝日新聞や<左翼>の方々が好きかもしれない、個人を日本国民としてではなくまずは「人類の一員」や「純粋な個人」として捉えようとするのは、ルソー的な<平等なアトム的個人>という人間観だろう。財産等々の不公平(・格差)を否定しようとする平等主義は、資本主義(経済)に対する<怨嗟>・<憎悪>の念にもとづく社会主義・共産主義ーの第一歩となるだろう。
 3.戦後日本の歴史観への批判の文章もある。
 「戦後かなり長い間、明治国家の体制を「明治絶対主義」と規定するソヴィエトのコミンテルンの歴史観が圧倒的な影響力を保ち、マルクス主義が想定するような歴史の歩みに逆行するとされた明治政府にいかに対立したか、いかに抵抗したかで、明治期の政治家や言論人の思想や人物を評価したり批判したりするタイプの研究が幅をきかせてきた(…その粗雑な例としては、とくに中学校の歴史教科書の多くに見受けられる)」(p.11)。
 明治国家を「絶対主義」国家と規定したのは、言うまでもなくコミンテルンの影響(というより支配)を受けた、戦前の日本共産党系の「講座派」マルクス主義で、その考え方は現在の日本共産党(および「講座派」的マルクス主義者)にも継承されている。
 4.内容には立ち入らないが、坂本多加雄は世界(「文明」)-国家(日本)-国民(個人)の関係について福沢諭吉の議論を絡めながら説明し又は議論している。国民国家がまだまだ思考の基礎におかれるべきと考えられるところ(当然のことを書くが、日本国憲法や日本の法律は日本という国家にのみ・原則としては日本国民にのみ適用があるのであり、「国家」を単位としてこそ世界・地球は成り立っているのだ)、同旨を再述するが、日本を<地球貢献国家に>とか主張しているらしい朝日新聞の記者や自分を日本国民よりも前に<地球市民>だなどと考えている者たちは、福沢諭吉の「瘠我慢の説」等々による<精神的苦闘>を先ずは学習していただく必要があるように思う。

0287/大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書)を少し読む-その3・小沢一郎。

 小沢一郎とは、かつて、いかなる人物だったのか。大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書、1999)p.57以下の叙述を読む。
 小沢は竹下内閣(1988~89)の副官房長官、海部内閣(1989~91)の際の自民党幹事長として日米経済摩擦・湾岸戦争をふまえた現実的危機意識を持ったが、財政的危機は遠のき福祉政策にもまだ猶予がもてた(要するに、日本経済は底力をもつと判断されていた)時期に、それを前提として「日本がより積極的な国際的役割を果たすことが不可欠との認識」を確たるものとした。彼は、「選挙制度改革」を通じての「改革」を追求し、自民党と新保守的新党の「二大保守党制」が望ましいと考えた。その著・日本改造計画は「新保守」の立場を鮮明にしたものだった(p.58)。
 小沢の改革実現のための戦略は、次のようなものだった。第一に、日本「社会党に、小選挙区制度によって壊滅的打撃を与える」、第二に、新選挙制度による地元利益・職業利益によらない「大政治」により「党中心の集票」を可能にする。これは「党を中央集権的に党首を指導の下に置く」ことを意味する。第三に、「農村を過大に代表している議員定数の大幅な変更」により、上の第二点を補強する。つまりは選挙制度改革を通じて地元利益・職業利益を個別に代表するシステムを根絶し、「ネオ・リベラリズム」とそれに反対する「大きい政府」との政党対立に再編し直すことだった(p.59)。
 小沢と違い多くの識者は第二党として社会党を中心とする社民(社会民主主義)勢力を想定していたが、93年の総選挙(宮沢内閣)での社会党大敗北・日本新党大躍進により小沢の想定シナリオに近くなった(→1993.08非自民・細川連立内閣)。
 しかし、選挙制度改革後の選挙で、「小沢の率いる新進党は、「政治改革」に動員した支持を、ネオ・リベラル的な「改革」支持に転換し、政党として定着させることには完全に失敗した」。新進党(1994.12-)は「既成政党の寄せ集めという実態」がそのままイメージになった。旧新生党・旧公明党・旧民社党等の統一イメージはなく、旧新生党議員自体に「新保守主義」を訴えて闘う力がなかった。
 かりに新進党が「新保守」路線を明確に示していたとしても、旧新生党支持者においてすら「ネオ・リベラル」な争点に関する同党の主張は正しく理解されなかっただろう(1996.10総選挙で自民239、新進156、民主52、社民15、さきがけ2)。
 さきがけ・社会党は小沢の国際貢献論を<軍事大国>路線と批判しはじめ、両党はこれを「ハト派の代表たる河野洋平をリーダーに戴いた自民党との連立」のために利用した(→1994.06村山内閣)。<新保守>は<旧保守>と同一視されたのだ(p.65)。
 小沢はどの時期でも、「新保守主義的な彼の主張を有権者に直接アピールして、安定的な政党支持を形成することには、それほど熱心ではなかった」、むしろ「既存の政党を分裂させ、新たに離合集散させるという…政治家たちを再編することに腐心していた」。「彼の手法は、…集権的な党の指導体制を作り上げることで、有権者から一種の白紙委任を受け取れるようなシステムを作ることにあったと思われる。…「大政治」への有権者の政策関心をを動員することに、ほとんど無頓着であった」(p.66)。
 さて、大嶽の分析を全面的に支持する姿勢で読んでいるわけでは全くないが、90年代の半ば頃の数年間を中心とする活躍時期、その後の目立たない時期(自由党党首→鳩山・菅の民主党に吸収される)それそれにおいて、小沢一郎とはいった何者だったのか。
 1942年生れの小沢は90年代の半ば頃は50歳代前半でまだ<健康>だったのだろう。それもあって、自民党幹事長等の要職経験から傲慢=自信過剰になっていたかもしれない。
 問題意識としては<ネオ・リベラル>・<新保守主義>主張に親近感を覚え、勝谷誠彦がテレビでいつか明確に言っていたように安保・外交面では<安倍さんよりも右です>という面もあった。
 そういう意味でなかなか面白い、重要な政治家の一人だったと思うが、やったことと言えば、政党の離合集散を促進し、政界を混乱させ、政治家がじっくりと冷戦後の体制、21世紀の新体制を論じる余裕を与えなかったことだった、と思う。
 せっかくの細川連立政権を成立させながら社会党を敵に回すというような戦略的稚拙さをもち(社会党抜きの羽田内閣の成立)、海部俊樹元首相をかついでも、自・社・さ連合に敗北したのだった。新進党成立の頃が絶頂で、その後はもはや<過去の>政治家になった、と思われる。
 その彼が今や衆院第二党・民主党の代表となって<政権交代への一歩を>とか言っている。自民党と民主党でどのような<対立軸>の政党間対立になると、彼は説明できるのだろうか。今の民主党とは、彼がかつて夢見た(大嶽によるとだが)、<ネオ・リベラル>・<新保守主義>の政党なのだろうか。大嶽によると、かかる政党に自民党という<大きな政府>党が対峙することを小沢一郎は想定していたようだが、橋本・小泉・安倍内閣という自民党与党内閣こそがむしろ、<ネオ・リベラル>・<新保守主義>的な「改革」を主張し、ある程度は実施・実現させているのではないか。また、防衛・外交面での小沢一郎の「右」ぶりは、安倍首相によってもかなりは代替されているのではないか。
 私には、小沢一郎は、自分の想定の如く政界と政治を動かすことをとっくに諦めているように思われる。民主党が負ければ次期衆院選には立候補しないとの(言う必要もない)発言は、私には彼のもう<政治家>を辞めたいとの想いの吐露としか感じられない。
 前原前代表がコケた後で思わずめぐってきた民主党党首という<晴れの舞台>にいるのが、現在の彼なのだ。居候の如く民主党に入れてもらって温和しくしていたところ、<昔の名前>でもいいから登壇してほしいと頼まれて<昔の名前で出ている>わけだ。
 そういう彼だから、彼のかつての政策との整合性あるいは民主党自体の政策との整合性すらどうでもよくなっている。彼の頭にあるのは、いつかも書いたが、<選挙に勝つ>ことだけ、に違いない。政策・理念など彼にはもはや全くないだろう。日本をどういう国にしたいかのビジョンを彼は語れないだろう。語れるのはただ、<政権交代(への一歩)を>ということだけだ。
 そして<政権交代>すれば、又はそれに近づけば具体的にどういう価値・理念が実現され、現在・将来の国民の利益になるかも、彼は全く語ることができない。むしろ、彼が<仕組んだ>かつての<政権交代>の実例をふり返ってみれば、小沢のいう<政権交代>なるものが、日本の国家とその政治をただ混乱に巻き込むだけだ、ということが分かる。
 彼の功績は、日本社会党を消滅させたことだ。にもかかわらず、民主党内では他グループよりも旧社会党グループ(横路ら)と親近的であるとも聞く。不思議で、奇妙な人物だ。
 こんな人が率いる政党が、参院選で<勝利>してよいのか。2月にすでに明瞭になっていた社会保険庁の<問題>を5月になってマスコミに取り上げさせて、参院選の<争点化>を図る策謀をした、とも言われる。
 上の大嶽の指摘によれば、小沢一郎とは、「党を中央集権的に党首を指導の下に置く」こと、「集権的な党の指導体制を作り上げる」こと、「有権者から一種の白紙委任を受け取れるようなシステムを作る」こと目指した人物だった。元「居候」の立場では民主党内部でさほどの強引さは示していないかもしれないが(但し、対自民党対決姿勢・容共産党姿勢は小沢色だとも言われる)、元来この人には、<集権的>又は<強権的>イメージがある。安倍首相を<強権的>と批判する向きもあるようだが、小沢一郎がかりに衆院300議席を擁する政党のオーソドクスな総裁だったら、安倍首相と比較にならないくらい<集権的>・<強権的>・<独裁的>手法をとるだろうような人物にみえる。
 また、成功した細川連立や失敗した海部擁立等で<黒子>として働いたように(その前には「ミコシは馬鹿な方がよい」との発言もあった)、<策略>・<陰謀>に巧い政治家という臭いもする人物だ。むろん、田中・金丸直系の<金権体質>のあることは安倍首相と比較にすらならない。
 再度いうが、こんな人物が率いる政党に、参院選で<勝利>させてよいのか

0284/大嶽秀夫・日本政治の対立軸(1999)を少し読む-その2。

 大嶽秀夫・日本政治の対立軸-93年以降の政界再編の中で(中公新書、1999)のp.36は、93年以前についてだが、「マスメディアは、党派的中立性を装いながらも、自民党一党支配が続くことは非民主的で、政権交代が望ましいとの主張は一貫してとりつづけた」と書く。
 宮沢喜一内閣不信任決議後の93年総選挙時に、たしかテレビ朝日の某氏が、野党に有利に(自民党に不利に)番組を作ったとのちにマスコミ関係の会合で発言して物議を醸したことを思い出す。
 現在のマスメディアは上の記述ほどには単純ではないと思うが、細川内閣誕生、さらには村山内閣誕生という<政権交代>をすでに経験し、それらの経験が国民・社会にとって決してプラスだったと少なくとも断じることができないことは明らかなのに、今なお、<とにかく政権交代を>と主張している人・考えている人がいるのには呆れてしまう(月刊WiLL誌でアリバイ的に?反安倍コラムを連載している岡留安則(元噂の真相編集長らしい)はその一人だ。私はこの人の政治的センスを疑っている)。
 さて、大嶽の本に戻ると、p.45-56あたりではこんなことが書かれている。
 1.70年代末以降「政策エリート内部」では「新保守主義」の主張が有力化し、経済政策において、「社会民主主義合意(ケインズ型福祉国家)」に対する「ネオ・リベラル」防衛・外交政策において、70年代のソ連の軍拡に対応した西側防衛への貢献論、冷戦後の積極的な国際貢献論への傾斜による自民党内のハト派や社会党の平和主義者」への対抗を内容とした(p.46-47)。
 2.新自由クラブの経済政策は「ネオ・リベラル」の先取り的面もあった。80年代の中曽根内閣の戦略も同様だ。後者は、防衛・外交政策上の「新保守主義」の登場だった(p.47)。
 3.新自由クラブ内で、河野代表-「従来の社会党寄りの保守内ハト派・中道」と西岡幹事長-「萌芽的ネオ・リベラリズムによる「保守刷新」」の対立は、同クラプの分裂・解党につながった。
 のち西岡武夫は小沢一郎の盟友として新進党幹事長となる。河野・西岡の対立はのちの自民党・新進党の保守対決を予言したかのようだ(p.49)。
 ここで私が口を挟めば、上の叙述からすると、西岡・河野の対立は<新保守的>・<親社会民主主義>という、あえていえば、西岡・右、河野・左の対決だった筈だ。しかして、現在の二人を見ると、河野洋平は自民党総裁を経て衆院議長、西岡武夫は旧日本社会党議員もおり日本共産党とも同じ候補を推薦することもある民主党の一議員として今回の参院選挙に立候補する。この分かれに小沢一郎が影響を与えたことは明らかなのだが、政治家の<政党渡り>の結果の奇妙さ・面白さを感じる。
 大嶽の本に戻る。4.中曽根首相の<新保守主義>による「政党再編」を中曽根は「左にウィングを伸ばす」と表現したが、三つの側面があった。第一にソ連圏に対する国際的「自由主義」により日本の防衛力整備を正当化する、第二に、官公労を既得権益擁護者と批判し、そのことで官公労を組織基盤とした平和運動・勢力に打撃を与える、第三に、小店主・農民への自民党の依存を小さくし、都市新中間層等に支持を広げる(p.50-51)。
 5.中曽根首相の戦略は1988年選挙での自民党圧勝等、日本社会党の重大な後退を生じさせたが、短期的で長期的政界再編はなかった(p.51)。
 6.中曽根首相の<新保守主義>による政策群は「日本の一般の有権者にとっては、理解が「難しい争点(hard issue)」だった(p.52)。その理由は第一に、外交・防衛上の「国際貢献」に関する議論は従来の保革の対立軸を覆す効果をもたず、第二に、「経済政策についてのネオ・リベラル的な処方箋は、日本政治に登場して間もなく、国民に馴染みの少ない」もので、第三に、「旧中間層を手放して、新中間層に支持基盤をシフトさせる用意」は、中曽根首相にも自民党にもなかった。
 というわけで、<社会民主主義的合意>があり、<新保守主義>又は<ネオ・リベラル>による政策が「難しい争点」だったとすると、日本国民はいったい何を<基準>にして投票行動してきたのだろうか
 たまたまのスキャンダルめいたものの多寡によって政党の議席獲得数が左右されてきたのでは、少し(いや大いに?)情けないのではなかろうか。さらに読みつづける。

0280/大嶽秀夫・日本政治の対立軸(中公新書、1999)を少し読む-その1。

 全て読了したわけではないが、大嶽秀夫・日本政治の対立軸-93年以降の政界再編の中で(中公新書、1999)を読むと、1999年時点での執筆だが、いろいろと興味深いことが書かれている。立花隆の駄文よりは遙かに大きな知的刺激も受ける。
 内容の私自身の文による紹介・要約はしない。大嶽氏は次のようなことを指摘、主張している。
 1.1993年まで、即ち所謂「55年体制」下では、経済政策・国家の経済への介入・福祉問題は、「保革」(「保守」と「革新」、「右」と「左」)を分ける政策の対立軸になっていなかった。両者を分けるのは、安保・防衛・憲法改正(+天皇)の問題だった(p.4-5)。「政党間対立に経済政策をめぐる争点が直接結びつくことにはならなかった」(p.17)。
 2.同じ時期において、平和主義=高学歴=若年=ホワイトカラー層=近代的、再軍備支持=低学歴=高年齢=自営業者(農業を含む)=伝統的、という社会的亀裂があり、革新・保守いずれも「この亀裂を集票に動員した」(p.9)。
 3.戦後の米国では「大きい政府」対「小さな政府」や社会道徳的争点が対立軸としてあったが、「日本の特殊性は、価値の対立が防衛問題にからみ、さらには…体制選択の問題に絡んだことによって、生まれた」(p.10)。
 4.1970年代半ばに登場した新自由クラブ、社会民主連合は一時的にある程度の支持を獲得したが右寄り中道・左寄り中道のライン上に結局は埋没した。
 5.「革新自治体」の広がりに危機感を覚えた自民党は環境・福祉問題の解決を自らの課題とし、政権交代によることなく1970年代には環境問題の大幅な改善・福祉制度の大幅な拡充が行われた。1970年代半ばには「社会民主主義」的合意が有権者に成立し、この(社会民主主義的政策に関する)争点は防衛問題に代わる「政党間の対立軸」にはならなかった(p.20-21)。
 6.自民党が農業・建設関係自営業の「地元利益」・「業界利益」を代表し社会党が官公労働者の「職業利益」を代表し、政党対立は政策によるそれではなく「分け前をめぐっての対立」に変質した。両党議員の役割は「既得権益」を守ることで、これらに対する、消費者・納税者等の利益のために政治改革を求める層との対立が潜在的には生じていた(p.21-23)。新自由クラブの躍進・社会党のマドンナブーム・93年の日本新党の躍進等は具体的な顕われだった(p.23)。
 以上をいちおうの一区切りとしておくが、別の観点からの次のような指摘は私には新鮮なところがある。
 1.既成政党・政党政治や官僚・政府等の「政治・行政のプロ」に対する「拒否反応」が上の6の前半叙述部分に対して起こった。新自由クラブ・日本新党はその象徴だった(p.27)。一種のアマチュアリズム、「政治のプロに厳しい姿勢をとり、アマチュアたる市民の立場を代表」することが好感を持たれ、また、マスコミも積極的にこれを支持したからこそ躍進できた(p.35)。但し、<新鮮さ>を失うと、新党は急速に衰退した(p.36)。
 2.既成の政治エリートへの反発という「反政治性」は「非政治性」を根本に持っており、<まじめな反対>よりも「政治を「あそび」の一つとみなす、ある意味で無責任な態度」を特徴としている。日本では50年代末からすでに新中間層も労働者も「革新から離れて保守化し」、「大都市の若者も都市の新中間層は、むしろ、私生活に関心を集中するという…私事化・私化に傾斜」したが、この「私生活中心化、私事化の延長上」に、「あそび志向への変化」がある。1995年の青島幸男東京都知事・横山ノック大阪府知事の当選は非既成政党との面に「あそび」としての投票という面が結びついた結果だ。細川護煕の一時的人気も、「いつでもやめる姿勢にみられる、無責任ともいえる」彼の「あそび感覚への共感」によるところが大きい(p.32)。
 ここでまた区切るが、上の二点の指摘は面白い。アマチュアリズムと「あそび」感覚への支持、そしてこれらを客観的には支持し煽ったマスコミの存在。外国ではどうなのかは分からないが、なるほど日本ではこういう側面もあったかと思わせる。
 但し、真面目に考えれば、そうしたアマチュアリズムや「あそび」感覚の投票が許容されたのも既成政党・官僚等の政治・行政のプロがきちんとまだ存在していたがゆえの余裕でもあったようにも思われる。
 アマチュアの政治・「あそび」感覚の投票を許容するほどに、日本の現在のエスタブリッシュメントは堅固だろうか。私はかなり危ういと感じている。上級官僚も、社会保険庁問題に見られる一般官僚もそうだ。政治家の質が従来よりも高まっているとはどうも思えない。どんなに無茶なことをして<遊んでも>日本の国家は大丈夫、などという余裕はとっくにないだろう。
 上の二点以外では、第一に、最初の番号の中の5、自民党が「社会民主主義」的政策を実施したという点が、私の記憶又は理解とも合致していて、興味深い。日本社会党は1/3程度の支持は獲得していたが政権奪取(第一党化)しそうにはなかった。それは、同党の安全保障政策に決定的な問題があったからだが、政権をとれない日本社会党に代わって自民党が、欧州ならば社会民主主義政党が主張するような政策を立案し実施したのだ。
 それは「革新自治体」のそれと同様に<バラマキ福祉>だった可能性もある。しかし、まだ1970年代は(オイルショックもあったが、それを乗り越えた)日本の経済力がまだ十分に大きく、財政的余裕があったのだ(但し、いずれ勉強・調査したいが、国債の-少なくとも大量の-発行=借金はこの時代に始まったと思われ、田中角栄・三木武夫両内閣等には日本の国家財政に対する歴史的責任があるのではないかという感覚を持っている)。
 第二に、最初の番号の中の2も興味深く、大嶽氏が「55年体制」下において見られたという、平和主義=高学歴(インテリ)=若年=モダン(進歩的)、再軍備支持=低学歴=高年齢=伝統的(復古的)、という、とっくに古びた、時代遅れのイメージになおすがりついている「自称インテリ」がまだまだ多いような気がする(とくにマスコミ界にはかかる「自称インテリ」がコゴロゴロしているのではないか。「自称インテリ」は朝日新聞の読者が多く、自民党でも共産党でもなく民主党に投票してしまう傾向にあると推測している)。こうした「思い込み」=「刷り込み」からは早く離脱しなければならない。 
 今回はこれくらいにして、大嶽秀夫の上の本のうち、小沢一郎が登場するあたりは別の機会に言及する。

0198/ルソーの一般意思・社会契約論はまともな議論か-阪本昌成著を読む。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-フランス革命の神話(有信堂、2000)の第Ⅰ部・第三章のルソーに関する叙述をまとめる。
 <人間の本性は自己の利害の最重視>という出発点ではルソーはヒュームと同じだったが、ルソーは人間の活動の放置→私利私欲・奢侈・道徳の忘去、と見た。そうならないよう、<市民社会>と<国家>の一致を追求し、「自然状態…に侵害を加えることなく…社会状態の一形態」を見出そうとした。そして辿り着いたのが、<個々人の意思が「一般意思」となり、諸個人が一般意思のもとで生活するこそが真の「自由」だ、という命題だ(p.38-39)。
 ルソーのいう「自然状態」とは心理学領域の状態で、「自然状態」の個々人の欲望又は「幸福は…食物と異性と休息だけ」とされる。彼においてホッブズ的戦争状態はなく、個人は「他の個人と交わることのない」アトム的存在だ。
 個人が他の個人と交わることとなり「自然状態」の均衡が破られ「不平等の起源」になった。「自然状態」には「自然的不平等」と「自己愛」のみがあったのだが、「社会状態」では「政治的不平等」と「自尊心・利己心」が跋扈する。ルソーは「自然状態」をロックの如く「文明開化社会」と対照したのではなく、「文明病状態」と対比した。
 従って、ルソーにおいて人間が「社会」を形成する契機は人間の本性(「自然状態」)の外に求めざるをえないが、それが「人びとの意思」・「人為」だ。つまり<自由意思による国家の樹立>ということになる。
 だが、自然と社会の対立を前提とするルソーにおいて、「たんなる同意」だけでは弱い。そこで、「自由意思」とは「公民としての個々人」の「合理的意思」とされた。「徳」が心の中にある公民の意思だ。かくして、神学によらない「合理主義哲学」による(自然状態から)社会状態への昇華がなされる(p.42)。
 ルソーの社会契約論は、「徹底した合理主義者」にとっては「不合理」な「市民社会」批判で、彼は「市民社会」により毒された人間が解毒のために「人為的に国家を樹立し、あるべき人間になること」を説いた。その際の「転轍点が、公民としての政治的徳」で、かくして、「自由と権力は両立する」。「公民としての政治的徳」は「一般意思」に結実し、その「一般意思」に従うことは「自由」と矛盾せず、むしろ「自由」の実現だからだ。
 こうして「一般意思」は「道徳的自我として実体化され」、個人主義というより、「ルソー理論が全体主義理論に繋がっていくおそれをもっている」ことを意味する。かくして社会契約論はロック等とは異なる「大陸的な別種を産んだ」(p.43)。
 ルソーは「私的所有という欲望に毒された市民社会の構造を変える」ため、「人間精神の構造を人為的に変える」ことが必要と考えた。彼の「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鉄鎖につながれている」との有名な命題は、市民社会は自然に反するということを意味する。そしてたんに<自然に帰れ>ではなく、人間の「道徳的能力」獲得→公民化→公民の個別的意思の集合→「一般意思」成立、と構想した。
 ルソーによれぱ一般意思への服従義務は「各人の自発的約束」に根拠をもつ。この義務は高レベルの「自由の自己肯定」なので、社会契約とは、「服従と自由の一致」・「利益と正義の見事な一致」になる。「自由は必然性としての一般意思としての人為に融合され」、社会契約により「自然的自由」は「社会的自由」に転化する。この社会契約は「道徳上および法律上の平等をもたらすルート」でもあるので、かくしてルソー理論は、不合理による抑圧からの個人の「解放の理論」でもある(p.45)。
 一般意思とは人びとの社会契約による「道徳集団の意思、道徳的自我」でその中に「個別意思」が含まれるかぎり両者に矛盾はなく「一般意思のもとでの統治が万人に自由をもたらす」、人間は一般意思により「強制されるときに自由になる」とルソーは考えた。この自由は、<外的強制のない自然的自由>ではない「市民的自由」とされる(p.47)。
 「市民的自由」を実現する国家は「道徳的共同体」である必要があると彼は考えたが、そこには<服従>・<強制>が不可欠となる。ルソー自身の文章はこうだ。
 「社会契約を空虚な公式としない」ために「一般意思への服従を拒む者は…、団体全体によって服従を強制される」との「約束を暗黙のうちに含んで」おり、このことは「彼が自由であるように強制される、ということを意味しているにすぎない」。
 ルソーのイメージする立法者は「神のような知性を持った人間だ」。<社会契約→憲法上の社会契約→憲法上の立法機関→立法>と理論展開すべきところ、彼はかかる段階を無視して、<社会契約→一般意思→その記録としての立法>と考える(p.48)。
 そしてルソーは言う。「一般意思はつねに正しいが、それを導く判断はつねに啓蒙され」てはいないので「個々人については、彼らの意思を理性に一致するよう強制しなければならないし、公衆については、彼らが欲しているものを教えてやらなければならない。…こういうわけで立法者が必要になってくる」。
 阪本昌成氏はここで挿入する。まるで「大衆とそれを指導する前衛党」だ。これでは主権者による自らの統治という「自己統治」であるはずがない。<社会契約→一般意思→その記録としての立法>と構想するまではさほど悩まなかったかもしれないが、<誰が立法するか>の問題になるとルソーに自信はなかったのでないか。「彼の描く立法者像は、ありようもない人間」だった。ルソー自身が「立法者は…国家のなかの異常な人間」だ、「彼はその天才によって異常でなければならない」と書いている。
 以上の如き「人民の「自己決定」を標榜するように見せながら神のごとき立法者による統治を説く奇怪な理論」は失敗している。「なおもルソー理論を信じ込む人」は「ナイーヴな知性の持ち主」だ(p.49-50)。
 阪本は続ける。「人びとは自由になるべく、強制されている」というのはレトリックではなくトリックだ。この<自由の強制>は「私利私欲に満ちて堕した人間を作り替えるための道徳の理論だ」。ルソー理論は国制(憲法)制度論ではなく「公民としての徳目論」だった。
 だからこそ、ルソーの社会契約論の最終部分は「公民宗教」を語る。「宗教が制度の道具として役立っている」、「人間に法を与えるには神々が必要」だろう、と。ここで彼の社会契約論は隘路に陥っており、ルソーはそのことを明確に意識した筈だ。
 徐々に阪本の総括的な叙述に移っていく。
 ルソーの社会契約論は「天上界での模範」を描く「夢想する作品」で、この理想論による「人民主権」は「魔術性」をもち、「その魔術性が、後世、取り返しのつかない災いを人類に与え」た。<自由の強制>をロベスピエールの「自由の専制」のもとで現実のものにしたばかりか、その後の全体主義のための教説となった」。
 人民が権力を握るほど人は自由になるとの信念のもとで「人民」が「実体化」されると「実在するはずもない人民が意思の主体」となり、「人民(実は、少数の指導者、なかでも、前衛党)が統治の絶対者」となる(p.52)。
 この点だけでなく、ルソー理論は「負の遺産を後世に残し」た。第一に「市民社会を反倫理的」とする思考を助長した。ヘーゲルを通したマルクスにより絶頂に達した。ルソーは<市民社会>における「富の不平等が自由の実現にとって障碍」と見ていた。第二に、ルソーの<権力参加→一般意思→主権確立→自由>という屈折なき流れが前面に出たため、「法や自由」による国家権力への抵抗という対立点が曖昧になった。第三に、「「法=法律」、「議会=法制定の独占機関」との理解を強化」した。
 この第三点に反論がありうるが、ルソーが「直接民主主義者」だというのは「歴史的な誤読」だ。ルソー自身がこう書いた。「真の民主制はかつて存在したこともないし、これからも決して存在しないだろう。…民主制もしくは人民政体ほど、内乱、内紛の起こりやすい政府はない。…神々からなる…人民は民主政治を以て統治するだろう。これほど完璧な政体は人間には適しない」。「ルソーは「人民が主権者になる」ことを信用していなかった」のであり、彼の社会契約論は「想像以上に空疎」だ。
 ルソー思想に従えば、「単純多数派が…少数集団に対し、自己の専制的意思を押し付けるという新しい形の独裁」になる。「天上界」のモデル論から「現実の統治構造」論に下降するにつれ、ルソーの論調は悲観的になっていく。彼の社会契約論は「国制に関する堅実な理論ではなく、理想国を夢想する散文の書だ」(p.55-56)。
 以上、長々と、それこそ私自身のためのメモ書きをした。
 中川八洋の如く「狂人」・「妄想」・「嫉妬」等の言葉は用いていないが、結局は阪本昌成もルソーにほぼ同様の評価を与えていると思える。
 上記は要約であり、もともと要旨を辿った本文を正確に反映しているわけではないが、それでも、一般意思概念の空虚さ(と怖さ)「全体主義」思想の明瞭な萌芽をルソーが持っていたこと、は分かる。<強制されて自由になる>との論理もどこか倒錯している。
 また不平等のある「市民社会」を憎み、「道徳」的な人民(公民)=実質的には少数独裁者・前衛党による「国家」統治の<夢想>などは(阪本氏の叙述に影響されているかもしれないが)、ブルジョア社会を否定して社会主義国家を構築しようとするマルクス主義と殆ど変わりはないではないか。
 ルソーの「市民社会」敵視は別の本によると、彼の生育環境によるともされる。ルソーは「生まれてすぐ母に死なれ、10歳のときに父親に棄てられた」ので「家庭」を知らず「正規の学校教育など全く受けていない」。ついでに記すと、彼はジュネーヴからパリへと流浪したのだが、「子どもが五人いた…が、全員を棄ててしまった。…一種の異常人格としか言いよう」がない。
 ルソーの平等観も「市民社会」敵視と関係があり、別の本によると阪本よりも明確に、ルソーの願う「平等社会とは野獣の世界だった」、平等主義は「富を憎む」のであり、「社会主義はその典型」ということになる(以上の別の本の記述は、ルソー研究書では全くないが、谷沢永一「発言」・同=渡部昇一・こんな歴史に誰がした(文春文庫、2000)p.216-9による)。
 現実の社会(格差のある市民社会)よりも自然の中で「平等に」生きる動物の世界に理想を見出すとは、やはり「天上界」の「空想」の世界のこととはいえ、少し狂人っぽい。
 ともあれ、現実の国家・社会の制度設計論としてはルソー思想が殆ど通用しないことは、いや通用しないどころか危険なものであることは、阪本昌成の結論のとおり、明らかなようだ。
 しかし、わが日本の社会系の学者の中にはまだまだルソー信徒はいるだろう。マルクス主義と大きくは矛盾しないこと(だからこそルソー→フランス革命→空想的社会主義者→マルクスという流れを描ける)もそうした人々の存在を支えてもいると思われる。
 中公クラシックでルソー人間不平等起源論社会契約論(中央公論新社、2005)を翻訳している小林善彦・井上幸治各氏の両氏かいずれかだと思うが、この本に封入の「名著のことば」との小さなパンフレットで、ルソーは人間不平等起源論で「鉱毒の害に言及しているが、おそらく環境破壊を指摘した最初の一人であろう」などと解説している。この解説者はきっとエラい大学の先生なのだろうが、本当はバカに違いない。どうせ書くなら「自然」の中での<スローライフの勧め>をすでに18世紀に行なっていた先駆者とでも書いたらどうだろう。
 また、上にも引用した、「神々からなる…人民は民主政治を以て統治するだろう。これほど完璧な政体は人間には適しない」という部分について、上の「名著のことば」は、「いうまでもなくルソーは民主政がもっともすぐれた形態と考えていた。ただ…民主政を実現するためには、いかに多くの困難があるかを考えた。…いま、われわれは民主主義を維持するのは決して容易でないことを実感している」と解説している。この読み方が阪本昌成氏と異なることは明らかだ。そしてこんなにもルソーを、現在にまで無理やり引きつけて「美化」しなければならないのは何故か、と感じざるをえない。思想・哲学界にも惰性・慢性・思考停滞という状況はあるのではなかろうか。
 思想・哲学界の全体を見渡す余裕はないので、日本の憲法学者のルソー観・ルソーに関する叙述(すでに阪本昌成のものを読んだのだが)だけは今後フォローしてみよう。

0070/安倍晋三は2005年に朝日新聞を明瞭にかつ厳しく批判した。

 自民党中心内閣あるいは安倍内閣というよりも安倍晋三首相を私が強く支持しているのは、彼の明瞭な反朝日新聞姿勢、朝日新聞に対する確固たる対決的態度によるところが大きい。
 安倍は中公ラクレ編集部編『メディアの迷走-朝日・NHK論争』(中央公論新社、2005.05)p.180・p.181・p.186-187で、朝日新聞社と同社記者・本田雅和および元朝日の筑紫哲也の名前を明示して、批判をしている。引用すると、次のとおりだ。
 「時代の風潮に巧みに乗って迎合することと、過去の過ちをまるでなかったように頬被りする体質。…戦前の軍部といい、戦後まもなくのGHQといい、その後の『社会主義幻想』といい、朝日がしたたかに迎合してきたのは、まさに時代の主流を形成した風潮だったのです。『社会主義幻想』に迎合するように、朝日は、共産主義や社会主義体制が抱える深刻な問題点を隠蔽さえしてきました」。
 「従軍慰安婦問題を騒ぎにした、吉田清治」なる「『詐話師』への朝日の入れ込み方は、キャンペーンのさなかは、尋常ではないほどでした。にもかかわらず、朝日はこの点についての検証記事を一度も載せていません。それどころか、経済的貧困に追い込まれて慰安婦に応募した事情それ自体が『強制』であるという、見事なまでの論理のすり替えをしてきました」。
 「キャスターを務める元朝日の筑紫哲也氏は、私がNHKの関係者を呼び出したかどうかという決定的なポイントについて、『細かいところ』と言ってのけました。私は、朝日はこんな人でも記者が務まっていた新聞なのかと、ハッキリ言ってあきれました。…今回の朝日の記事には、やはり別の意図があったとしか思えないのです。私や中川氏を陥れようとする意図です。そのために捏造までしてきたわけです」。
 「今回の朝日報道の場合、朝日側の唯一の証言者は本田雅和という記者だけです。本田氏は『言った』としているが、…中川さんも、…松尾さんも私も、みな『そうは言っていない』と言っているのです。これほどのデタラメをやっていながら、訂正もせず捏造記事をそのままにしておくというのは、私には信じがたいことです」。
 こうした対朝日批判には、活字として明々白々な記録として残るだけに、かなりの勇気が必要だと思われる。やわな政治家(や職業的物書き又はジャーナリスト類)の中には、公然とかつ厳しく朝日や筑紫哲也を批判できず、多少は迎合的または抑制的言い方になる者もいるに違いない。
 むろん、一昨年のNHK・朝日問題の本質又は背景が、朝日新聞社による隠然とした安倍晋三・中川昭一攻撃あるいは両人の「追い落とし」を狙った<策謀>と見られるだけに、安倍も「政治生命」を賭けて強く抗議し、批判せざるをえなかったのだろう。

-0033/左翼・平和教信者は「九条の会」に陸続と集結しつつある!

 中央公論新社の<日本の近代>は通史の8巻まで既に揃った。坂本多加雄氏による2巻は冒頭だけでも価値がある。講談社の<日本の歴史>の明治以降の通史5巻ほども。三省堂・戦後史大事典1945~2004も毎日新聞社の昭和史全記録1926~1989もある。個別テーマ関する文献も安い新書・文庫を中心にかなり買ったので、自分史叙述と憲法改正論の検討に役立てよう。
 朝日新聞(本田雅和記者等)は昨年に安倍氏の政治生命にかかわる虚報をしかつ一言の訂正・謝罪もしないで(教科書書換え、従軍慰安婦問題でも同じ)、よくも平然と安倍いじめを続けられるものだ。安倍氏はいつか内閣総理大臣として多数のテレビカメラの前で朝日を名指しにした厳しい批判をしてほしい(朝日はきっと虚報を含む何かの失態をするだろうから)。
 憲法改正の可否がいずれ日本の国論を二分し、日本の運命を決めるだろう。すでに9条改正反対で動いている「九条の会」の呼びかけ人は井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の9名(2004.06)。「昔の名前で…」という人もいて、平均年齢はたぶん70歳を超す。
 同会のサイトには「賛同者」名簿と「講師団」名簿も公表されている。共産党員とそのシンパ、社民党員とそのシンパがほとんどと見られ、結局は両党組織が動くのだろう。
 「映画人九条の会」も大澤豊、小山内美江子、黒木和雄、神山征二郎、高畑勲、高村倉太郎、羽田澄子、降旗康男、掘北昌子、山内久、山田和夫、山田洋次の12名を呼びかけ人に設立され、「マスコミ九条の会」の呼びかけ人は秋山ちえ子、新崎盛暉、飯部紀昭、石川文洋、石坂啓、池辺晋一郎、井出孫六、猪田昇、岩井善昭、内橋克人、梅田正己、大岡信、大谷昭宏、大橋巨泉、岡本厚、小沢昭一、恩地日出夫、桂敬一、鎌田慧、川崎泰資、北村肇、小中陽太郎、斎藤貴男、佐藤博文、佐野洋、ジェ-ムス三木、柴田鉄治、須藤春夫、隅井孝雄、関千枝子、せんぼんよしこ、高嶺朝一、谷口源太郎、田沼武能、俵義文、仲築間卓蔵、茶本繁正、塚本三夫、辻井喬、坪井主税、栃久保程二、鳥越俊太郎、中村梧郎、橋本進、ばばこういち、原壽雄、平岡敬、広河隆一、前泊博盛、増田れい子、箕輪登、宮崎絢子、三善晃、守屋龍一、門奈直樹、山田和夫、湯川れい子、吉田ルイ子、吉永春子、若杉光夫。
 次回は若干の人物コメント、「九条の会」アピ-ルの論評・感想の予定だ。

-0012/日本の憲法「アカデミズム」はいったいどこにいる。

 8月14日付日記言及の朝日社説に或る「怖さ」を感じたというのは、近衛文麿は自殺させずに殺す=処刑すべきだったとのニュアンスを感じたからだったと思う。昨日の靖国関係の朝日記事でも、どこか外国のことに触れているような冷たさ、一般戦没者はもちろん戦争指導者たちも同じ日本人、先輩同胞だったという感覚の希薄さ、を感じたのだが、気のせいだろうか。
 12付日記の最後は憲法20条でいう「宗教」に神道もキリスト教・天理教も小規模新興「宗教」もすべて同列に含めてよいのかとの疑問だ。歴史的・伝統的に見て、神道が他とは区別されるわが国固有の土俗的なものにすら結びついていることは常識的だろう。
 靖国参拝問題と関連させれば、叙上の如く「神道」を特別視又は例外視できないとすれば、そもそも同行為は憲法20条3項が禁じる「宗教的活動」ではない、「活動」といえるほどの行為でない、として合憲視できるのでないか。伊勢神宮に正月に首相等が又はそれ以外の時でも新被選出首相等が参拝して朝日も(たぶん)問題視してきていないのは、昨日の小泉発言のとおり。このような解釈が無理なら、日本の宗教事情に無知なアメリカ人の発想によるものとして政教分離の憲法規定=条文自体が再考され、改正されるべきだ。
 こうした憲法問題について肝心のわが国の憲法学界=憲法アカデミズムの人たちは何を考えているのか。昨日も憲法学者の名が全く又はほとんど紙面に出てこないのは何故なのか。大学で憲法を講じている者は数百人はいるはずなのに。
 靖国問題に限らず国論分裂そのものが現憲法の見方の差違に由来しているとすらいえる。主権喪失(少なくとも制限)の占領期になぜ憲法という基本法を改正できたのか、不思議だ。本来は主権回復後に同じ内容でもいいから現憲法を国民投票にでもかけておくべだったと思う。
 GHQが占領末期に憲法改正可能を示唆したが吉田茂等が採用しなかったので「押しつけ」でないとの論(古関彰一・新憲法の誕生(中公文庫)等)は、「押しつけ」の意味にもより、詳論しないが「詭弁」だ。
 また、新総選挙により構成された衆議院で審議・承認され、その後「国民によって歓迎され、受け入れられている」から「押しつけ」でないとの論(中村睦男・はじめての憲法学p.18(三省堂)は、上以上の詭弁・ヘリクツだ。
 中西輝政編・憲法改正(中央公論新社)を入手したので、その中の長谷川三千子論文から読んでみる。

-0009/規律正しい生活で長生きして、将来の日本を見たい。

 中公ラクレ編集部編・メディアの迷走-朝日・NHK論争(中央公論新社、2005.05)p.180・p.181・p.186-187で、安倍晋三は次のように活字で記している(抜粋)。
 「時代の風潮に巧みに乗って迎合することと、過去の過ちをまるでなかったように頬被りする体質。…戦前の軍部といい、戦後まもなくのGHQといい、その後の『社会主義幻想』といい、朝日がしたたかに迎合してきたのは、まさに時代の主流を形成した風潮だったのです。『社会主義幻想』に迎合するように、朝日は、共産主義や社会主義体制が抱える深刻な問題点を隠蔽さえしてきました」。
 「従軍慰安婦問題を騒ぎにした、吉田清治」なる「『詐話師』への朝日の入れ込み方は、キャンペーンのさなかは、尋常ではないほどでした。にもかかわらず、朝日はこの点についての検証記事を一度も載せていません。それどころか、経済的貧困に追い込まれて慰安婦に応募した事情それ自体が『強制』であるという、見事なまでの論理のすり替えをしてきました」。
 「キャスターを務める元朝日の筑紫哲也氏は、私がNHKの関係者を呼び出したかどうかという決定的なポイントについて、『細かいところ』と言ってのけました。私は、朝日はこんな人でも記者が務まっていた新聞なのかと、ハッキリ言ってあきれました。…今回の朝日の記事には、やはり別の意図があったとしか思えないのです。私や中川氏を陥れようとする意図です。そのために捏造までしてきたわけです」。
 「今回の朝日報道の場合、朝日側の唯一の証言者は本田雅和という記者だけです。本田氏は『言った』としているが、…中川さんも、…松尾さんも私も、みな『そうは言っていない』と言っているのです。これほどのデタラメをやっていながら、訂正もせず捏造記事をそのままにしておくというのは、私には信じがたいことです」。
 朝日批判サイト・欄は、10を優に超えるものと思われる。
 昨夜9時からのテレビ朝日に日本共産党の穀田とかが出ていたが、「宗教は阿片」として「科学的社会主義」を信奉すれば、神道という宗教の施設自体の存在を否定すべきで、靖国神社にかかわる具体的なアレコレを言う資格はないのでないか。「民主主義革命」までの「当面」の主張というなら予めその旨を。
ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
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  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
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  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
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  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。