秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

下斗米伸夫

1535/「左翼」の君へ⑤-L・コワコフスキの手紙(1974年)。

 L・コワコフスキの名をタイトルに使うドイツ語版の書物に、とりあえずだが、以下の二つがある。
 ①Ossip K. Flechtheim, Von Marx bis Kolakowski -Sozialismus oder Untergang in der Barbarei ? (1978). <マルクスからコワコフスキまで-社会主義かそれとも野蛮な没落か ?>
 ②Bogdan Piwowarczyk, Leszek Kolakowski -Zeuge der Gegenwart (2000). <レシェク・コワコフスキ-現代の証人>
 後者の②によると(p.192)、L・コワコフスキは1978年に、当時の西ドイツの雑誌か新聞だと思われるが(Zeit-Gespraeche)、「マルクス主義は民衆のアヘン(das Opnium des Volkes )だ」と題する論考かインタビュー記事を載せている。これはマルクスの著名な、「宗教はアヘンだ(科学的な社会主義とは違う)」との言明を意識したものに違いない。
 この欄の4/21付・№1511に紹介した下斗米伸夫の言葉はこうだった。再掲。
 1980年代前半の「当時の日本では、少なくとも知的世界の中では、現代ソ連論は学問の対象というよりも、まだ政治的立場の表明のような扱いしか受けておらず、戦後や同時代のソ連について議論をするのはやや勇気の要ることでもあった」。/自分も「1970年代末にある論壇誌でチェコ介入についてのソ連外交論を書いたが、学界の重鎮から、それとなくお叱りを受けた」。
 L・コワコフスキの『マルクス主義の主要な潮流』の刊行は1970年代の後半(1976、1978年)。なお、ドイツ語版は1977-79年に三巻に分けて刊行されているようだ。
 L・コワコフスキの1978年頃の言葉や書物と、その当時の日本の政治学界や私も実感していたはずの日本の「雰囲気」との間の、この懸隔の大きさを、2010年代、ロシア革命から100年後に日本で過ごしている秋月は、どう理解すればよいのだろうか。
 マルクス-レーニン-スターリン(-フランクフルト学派・毛沢東等)をきちんと「マルクス主義」の範疇で系統立てる、L・コワコフスキの『マルクス主義の主要な潮流』には、まだ日本語へ翻訳書すら存在していない。
 とりわけ、「レーニンとスターリン」を硬く結びつけていること、レーニンに何らかの「幻想」を全く示していないことが、日本の学者・研究者ないし学界や出版業者・諸メディアには<きわめて危険>なのだろうと推測される。
 試訳・前回のつづき。
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 では労働者については ? 二つの対立する見方がある。
 ある(偽のマルクーゼ派の)者は、こいつらはブルジョアジーから賄賂を受け取っていて、もう何も期待できない、と言う。
 今や学生が最も抑圧されていて、社会の最も革命的な階級だ。
 別の(レーニン主義者の)者は、労働者は虚偽の意識をもち、資本家が与える間違った新聞を読んでいるので彼らの疎外を理解できない、と言う。
 我々革命家たちだけが、頭に正しいプロレタリアートの意識を蓄え込んでいる。
 我々は労働者が考えるべきものを知っており、実際に、知らないままでも考えている。
 したがって、我々は権力を奪取する資格がある。
 (しかしこれは、科学的に証明されているように、まさに人民を欺くためにある馬鹿げた選挙遊びを通じてではない)。//
 革命的な笑談だと、不満を言っているだろう。
 そのとおり、革命的笑談だ。しかし、こう言うだけでは十分じゃない。
 これは社会を転覆できる笑談ではないが、大学を壊すことはできる。
 これは心配するに値する上演劇だ(いくつかのドイツの大学は、すでに政党の学校のように見える)。//
 私信でずっと前に議論した一般論的問題に戻ろう。
 まさしく私が『…だが、ベトナム戦争はあった』と書いて叙述した運動を、君は擁護する。
 じつに、そのとおりで、上品に行っている。だが、疑いなく、多くの違うこともある。
 伝統あるドイツの大学には、いくつかの我慢ならない特徴がある。
 イタリアやフランスの大学には、それらに固有の別の特徴がある。
 どの社会にも、どの大学にも、異議申し立てを正当化できるたくさんの物事がある。
 そして、これが私の言いたい重要な点だ。まともで十分に正当化できる不満が全くない世界には、いかなる政治運動も存在しない。
 権力を目指して相互に非難し合っている政党を見れば、彼らの主張や攻撃には十分に選ばれたかつ根拠のあるものがあることに、君はいつも気づくだろう、だがそれらの全てを理由あるものと受け取りはしない。
 誰も、すっかり間違ってはいない。共産党に加入する者はすっかり間違っている(wrong)のではない、と君が言うのは、もちろん正当(right)だ。
 ワイマール共和国でのナチの宣伝物をもう一度見れば、きわめて多数、十分に正当化できるものがあることに君は気づくだろう。
 ナチの宣伝はこう主張した。ベルサイユ条約は恥だ、そうだった。
 民主主義は腐敗している、そうだった。
 ナチは特権階級を、金権政治を、銀行家の政治を、付随的には、人々の現実の必要には関係がなく、汚いユダヤ人の新聞に役立つとして、偽りの自由を攻撃した。
 しかし、このことは、『よろしい、彼らはとても上品に振る舞ってはおらず、考えのいくつかは愚劣にすぎないけれど、彼らは多くの点で間違ってはいない。だから、条件つきで支持しよう』と言う、十分な根拠にはならない。
 少なくとも、多くの人がそう言うのを拒んだ。
 実際、ナチが既存の体制を攻撃したことに多くの長所がなかったなら、彼らは勝利しなかっただろうし、広げた旗を突撃隊(SA)の上に掲げて行進する<赤い戦線(Rotfront)>の党員たちのごとき現象は存在しなかっただろう。
 このことこそが、つぎのようにはできなかったことの理由だ。
 新左翼の運動は同じ行動様式を真似ており、同じ(例えば、全ての『形式的な』自由や全ての民主主義諸制度にかかわる点や寛容および学問上の価値に関する)イデオロギーの一部を真似ていると、私は思った。そう思ったときに、『だが、ベトナム戦争はあった』と観察することでは強く感銘をうけることはできなかった。//
 我々は彼らが見えるように蒙を啓くのを助けるべきだ、と君は言う。
 この助言を、僅かの限定をつけて、受け入れる。
 全能で全方向を見渡していると思っている人々について君が語る際に、これを適用するのはむつかしい。
 議論をする用意がある人との議論を拒んだことは、私にはない。
 困惑してしまうのは、議論する用意のない人が中にいることで、その理由は全く精確に、私には欠けている、彼らの全能性(omniscience)にあるのだった。
 本当に、私は20歳のときにほとんど完全に知識をもっていたが(omniscient)(まだ完全にではなかった)、君が知るように、みんな年を取るにつれて馬鹿になるものだ。
 28歳のときにはもっと全能ではなかったし、今やますますそうでない。
 完全な確実性や、世界の全ての厄災や惨害に対する即時の全地球的な解決方法を探している、そのような人々に満足してもらうことはできない。
 またさらに、その他の人々に接近して、カルバン派ではなくイェズス会派の体系にできる限りは従うべきだ、と私は考える。
 すなわち、誰も完全にはかつまた絶望的には堕落していない、誰もが、歪んでいようと乏しかろうと、いくつかは長所をもっていていくつかは善良な態度を示している、ということを我々は予め想定しておくべきだ。
 これはまたよく言われる、言うは行うよりも易しということだが、我々二人とも、このソクラテス的弁証法の完璧な理解者だとは私は思っていない。//
 <〔原文、初めての一行の空白〕>
 君の…との提案は…。
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 ⑥につづく。

1511/下斗米伸夫「『政治の終焉』から政治学の再生へ」1998年日本政治学会報告など。

 下斗米伸夫「『政治の終焉』から政治学の再生へ-ポスト・ソ連の政治学-」年報政治学1999(岩波、1999)。
 これは、日本政治学会の1998年での学会総会での報告のようだ。
 ロシア・ソ連の1917年から1990年代までの政治史が概観されていることで役立つ。
 詳しい歴史叙述は10月「クー」、スターリン、米ソ冷戦期、解体過程等々について多いが、学会報告の16頁でまとめてくれているから(但し、小さい字の二段組み)、把握しやすい。
 そもそも「ソ連になぜ政治学がなかったのか」という問い自体、20世紀ならどの国でも「政治学」くらいはあるだろうと多くの人が思い込んでいるはずなので、驚きではある。
 しかし、ロシア「革命」等の経緯をある程度知ると、ロシアでは1917年以降に積極的な方向で役立った政治学も行政学も存在しなかっただろうことが分かる。それ以上に、経済学、経営学、会計学、企業論、財政学等々の国家経済を管理・運営していくに必要な学問研究の素地もほとんどなかったことが分かる。
 レーニンらにとって、マルクス(・エンゲルス)の経済学・政治学・哲学、要するにマルクス主義の政治・国家・社会論しかなかったのだから、それでよく「権力」を奪って、国家を運営していこうと、国家を運営できると、思えたものだと、その無邪気さ、またはとんでもない「勇気」に、ある意味では、茫然とするほどに感心する。
 下斗米は、上の問いに対して、①帝制以来の権威主義による未発達、②マルクス主義の陥穽-「政治」従属論・国家の死滅論等によって「政治」固有性を認識させない、③ソ連とくにスターリン体制による政治学を含む社会科学への抑圧、という説明をする(p.20)。
 学問研究を「政治」の支配もとにおけば、後者を対象とする「政治学」など存立できるはずがない。
 日本共産党に関するまともな<社会科学的研究>(政治学・社会学・思想史等々)が生まれるのは、いつになるだろうか。
 また、日本共産党という「共産主義」政党が学界に対する影響力をもっている間は、現在の中国についてもそうだが、かつてのロシア・ソ連についてのまともな学問的研究はおそらくなかったのだろう。ソ連政府による公式資料のみを扱い、決してこの体制を批判しない、日本共産党の党員研究者か又は親社会主義(・共産主義)の学者による研究論文しかなかったのではあるまいか(例えば渓内謙、和田春樹
 アーチー・ブラウン(下斗米伸夫監訳)・共産主義の興亡(中央公論新社、2012)、という大部の邦訳書がある(約800頁)。最後の三つの章名はつぎのとおり。
 第28章・なぜ共産主義はあれほど長く続いたのか。
 第29章・何が共産主義の崩壊を引き起こしたのか。
 第30章・共産主義は何を残したのか。
 下斗米伸夫(1948-)は、「監訳者あとがき」の中で、つぎのようなことを書いている(p.713-4)。
 1980年代前半の「当時の日本では、少なくとも知的世界の中では、現代ソ連論は学問の対象というよりも、まだ政治的立場の表明のような扱いしか受けておらず、戦後や同時代のソ連について議論をするのはやや勇気の要ることでもあった」。
 自分も「1970年代末にある論壇誌でチェコ介入についてのソ連外交論を書いたが、学界の重鎮から、それとなくお叱りを受けた」。
 フルシチョフ秘密報告、ハンガリー動乱、チェコ1968年の「春」等々は、ろくに「研究」されてはいなかったのだ。ソ連に<批判的>な研究発表は、国家ではなく、日本の学界自体によって抑圧されていたかに見える。
 「政治的立場の表明のような」学問研究・研究論文の発表は、じつは現在でも頻繁になされている、というのが日本の人文社会系の分野の「学問」の実態だろう、とは、この欄でしばしば記してきたことだ。
 下斗米・ソ連=党が所有した国家1917-1991(講談社選書メチエ、2002)を全面改定・増補し、タイトルも変えた、下斗米伸夫・ソビエト連邦史1917-1991(講談社学術文庫、2017)は、モロトフを主人公にすえた通史。ロシア「革命」100年がしっかりと振り返られるきっかけになればよいと思う。
 なにしろ、以下のことから書き始める、広瀬隆・ロシア革命史入門(集英社、2017)という本までが、学問研究の自由 ?と出版の自由のもとでバラ撒かれているのだから。
 広瀬隆の「まえがき」いわく-ロシア革命史を調べて「戦争反対運動を最大の目標としていた」ことに気づいた、「無慈悲な戦争を終わらせ、貧しい庶民に充分なパンを与えるために起こったのがロシア革命であった」。p.7。
 こんなことから出発する<どしろうと>のロシア「革命」史本が100周年で出るのだから、(ソ連解体があったからこそ)ソ連・共産主義の総括のためにも、「専門家」のきちんとした研究書がたくさん必要だ。
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