秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ヴォルテール

2483/Turner によるニーチェ ⑦。

 Frank M. Turner, European Intellectual History -From Rousseau to Nietzsche (2014).
 第15章の試訳のつづき。下線は試訳者。
 ——
 第7節。
 (01)  言うまでもなく、ワーグナーは〈悲劇の誕生〉に喜んだ。
 ある意味ではそれは、ワーグナー自身の1850年代の理論的著作を遡ってたどったものだった。
 当時の標準からすると、ワーグナーとニーチェのいずれも、非正統派であり、アカデミズムの標準を軽侮していた。
 ニーチェは、脚注をいっさい付けなかった。
 ワーグナーが把握できなかったのは、かくも立派に執筆することのできる者が、家族用のクリスマスの買い物をする子分または追従者にとどまることに満足していなかっただろう、ということだった。
 実際に、ワーグナーとの破局の理由の一部は、青年がその知的成熟期に入ったということでもあった。
 〈悲劇の誕生〉の後でさらに、もう一冊の書物をワーグナーに捧げなかったという理由でワーグナーから批判を受けるようなことになるとは、ほとんど誰も予見できなかった。
 (02)  しかしながら、ワーグナーとの決裂には、もっと根本的な別の理由があった。
 第一は、ワーグナーは、新しいドイツの中産階層エリートたちにもてはやされるにつれて彼自身の芸術的かつ文化的目標を裏切った、ということだった。
 ニーチェはまた、バイロイトでの〈The Ring of Niebelung(ニーベルングの指輪)〉の初演に深く動揺した。なぜなら、彼が期待したのはドイツ・ナショナリズムの賞賛にほとんど似たもの以上に、ヨーロッパでの悲劇の再生の瞬間だったからだ。
 その上演の年の1876年、彼は〈Richard Wagner at Bayreuth〉を出版していた。
 これは、親ワーグナーの最後の著作になった。//
 (03) 第二はワーグナーとの決裂の主な理由で、ニーチェがワーグナーの音楽や芸術の理論の多くを拒否するようになった、ということだ。
 拒絶する理由の核心にあったのは、病的なキリスト教や公然たる人種主義を伴ってのパルツィバル(Parsifal,アーサー王伝説)の登場だった。
 このときまでに彼は、初期のショーペンハウアー支持者からヴォルテール(Voltaire)や啓蒙思想の価値の支持者へと変わった。
 彼はまた、音楽の好みを変え始めて、ビゼー(Bizet)の〈カルメン〉が好きになった。その掻き立てる旋律の音楽はワーグナーに代わる救済になる、と感じた。
 1888年に彼は、最も激しいワーグナー批判書を出版した。その年にワーグナー自身は死んだが、その寡婦はワーグナー崇拝者たち(cult)を作っていた。
 〈ワーグナーへの論告〉でニーチェは、こう論述した。//
 「ワーグナーの芸術は、病んでいる。
 彼が舞台へと持ち込む問題は—全くのヒステリー患者の問題だが—、彼の感情の発作的痙攣、強すぎる感受性、より刺激的な香味を求める嗜好、原理として装っているが、英雄やヒロインを彼が選んでいるという不安定さ、だ。彼は英雄やヒロインを生理学的類型として見ている(病理学の回廊だ!)。
 まとめるならば、これらは、疑う余地のない病気の状態だ。
 〈Wagner est une névrose. 〉(ワーグナーは神経症患者だ。)」(注14)//
 ——
 第8節へとつづく。

1011/佐伯啓思のリスボン大地震・カント・「近代」への言及を受けて。

 佐伯啓思が1775年にリスボンで大地震があり、カントが影響を受けて著書まで書いた〔『美と崇高の感情の観察』→『判断力批判』)、ということを初めて記したのはおそらく新潮45(新潮社)5月号だ(p.231-)。最近の表現者37号(ジョルダン、2011.07)の座談会「文明内部の危機」でも、同旨のことが語られている(p.39-)。
 佐伯によると、ヴォルテールはアウグスティヌスやライプニッツの<神の創造した世界は最善>とかの「神学的」世界観を疑う契機とした。また、カントは、壮大な自然現象の恐怖・脅威を人間は理性と構想力で克服しようとし、そのような人間は「人格性」をもち、かつ「崇高」だ、と論じた。これは「近代的な理性中心の発想」に連なるもので、「ちょっと極端にいえば」、「リスボン大地震を一つのきっかけ」にして「自然を人間がコントロールできる」、そこに人間の「素晴らしさ、崇高さがある、という近代的なヒューマニズムのようなものが力を得てくる」。要するに、リスボン大地震はそういう(「近代」に向けての)「大きな価値観の転換をもたらした」。そして、佐伯啓思によると、今回の日本の大震災は、かかる「近代的な考え方」が限界を迎えたことを意味する、という(表現者37号p.40)。また、新潮45の5月号では、カントのような欧州近代(またはそれを用意した欧州啓蒙主義)の自然観とは異なるものとして、宮沢賢治の詩に見られる(日本の)自然観・死生観に言及している(p.234-)。
 なかなか興味深いし、別のどこかで誰かが、ルソーの人間不平等起源論の「自然に帰れ」との反文明観の吐露もリスボン大地震の影響があったと書いていたこともついでに思い出す。
 だがむろん、完全に釈然としているわけではない。ヴォルテールとカントだけを持ち出して、「欧州近代」へのリスボン大地震の影響は論証できるのだろうか、という疑問がある。「一つのきっかけ」程度で、リスボン大地震の影響を過大評価してはいけないとの議論もできそうだ。
 また、自然災害を前にして自然と闘おうとする欧米(西洋)「近代」思想と、自然と「共生」しようとする日本的自然観・死生観との対比も上の佐伯啓思の論調には見られるようだが、そもそも「自然」環境そのものが、欧州と日本では異なる、ということが出発点なのではないか、という気もする。すなわち、自然観・死生観が異なるから大地震等々の「自然」現象への対処・対応が異なるのではなく、逆に「自然」環境が異質だからこそ、欧州と日本では自然観・死生観も異なるに至ったのではないだろうか。
 1775年といえば明治維新から100年近く前の江戸時代・安永年間。その頃以降も日本ではいくたびも大地震・津波を経験したのだが、欧州については1775年の大地震まで遡らなければならないということ自体に、自然<大災害>の多寡が示されているようにも見える。
 地域によって違うだろうが、土地の肥沃度では日本の方が総じて豊かなような気もする。しかし、地震、津波、台風といった自然現象による災禍は、古代からして欧州よりも日本の方がはるかに多く、そこから、日本(・日本人)には欧州とは異なる独自の自然観・死生観が育まれてきたのではないだろうか。
 というようなことを考えていると、なかなかに面白い。

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