秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ロシア

1844/L・コワコフスキ・2004年全巻合冊版の「新しいエピローグ」。

 レシェク・コワコフスキ(Leszek Kolakowski)は、2004年、77歳の年に、英語版初版は1978年だった『マルクス主義の主要潮流』に、つぎの「新しいエピローグ」を追加した。以下は、その試訳。一文ごとに改行。段落の冒頭に、原文にはない番号を付した。合冊版の1213-14頁。
 2004年合冊版では、「新しい緒言」と、この「新しいエピローグ」だけが、新たに書き加えられている。
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 L・コワコフスキ・2004年全巻合冊版の「新しいエピローグ」。
 New Epilogue(新しいエピローグ・あとがき)。
 (1) エピローグおよび新しい緒言(New Preface)の若干の文章に、このエピローグで付け加えることはほとんどない。
 この数十年間に多数のことが生起したが、(予見できる何かがかりにあるとして)マルクス主義、相互に関連させて理解することのできないその多様な化身のありうる変化を、あるいは共産主義イデオロギーとその制度的組織体-死骸というのがより上手い言葉かもしれないけれども-の将来の運命を、我々は予見することはできない。
 しかしながら、忘れないようにしよう。地球で最も人口の多い国、中国は今や、けばけばしく幻惑させて市場を拡大し、いくつかの重要な点では、その不健康なマルクス主義の過去-スターリニズム後のソヴィエト同盟とは違って公式には一度も否認していない過去-を維持し続けている、ということを。
 毛沢東主義のイデオロギーは中国で死んでいるかもしれないが、国家と党は、人民の思考方法に対する厳格な統制をなおも行っている。
 自立した宗教生活は、政治的反対については勿論そうであるように、迫害され、窒息させられている。
 多数の非政府団体が存在するにもかかわらず、法は、自立した機能をもつものとしては存在していない(適正な意味での法は、市民が国家機関に対して法的措置を執ることができ、勝訴する可能性のある場合にのみ存在する、と言うことができる)。
 中国には、市民的自由はなく、意見表明の自由もない。
 その代わりにあるのは、大規模の奴隷的労働と(奴隷的労働が行われる)強制収容所および少数民族の残虐な弾圧だ。これに関して、ティベット文化の野蛮な破壊は最もよく知られているが、決して唯一の例ではない)。
 これは、いかなる理解可能な意味でも、共産主義国家ではない。しかし、共産主義のシステムから成長した専制体制だ。
 多数の研究者と知識人は、それが最も残虐で、破壊的で、かつ最も愚かなときに、共産主義システムの栄光を称揚した。
 そのような流行は終わったように見える。
 この中国はそもそも西側文明の規範を採用するのだろうか、は不確実だ。
 市場(the market)はこの方向への発展に賛成するだろうが、決して保障することはできない。
 (2) ソヴィエト体制の解体後、ロシア帝国主義は復活するだろうか?
 これは想定し難い。-我々は、失われた帝国への郷愁がある程度にあることを観察することができるけれども-。しかし、かりに復活するならば、その再生に対してマルクス主義は何も寄与しないだろう。
 (3) 資本主義の適正な定義がどのようなものであれ、法の支配や市民的自由と結びついた市場は、耐え得る程度に物質的な福祉と安全を確保するには明らかに優越しているように見える。
 だがなお、この社会的、経済的な利益にもかかわらず、「資本主義」は全ゆる方向から絶えず攻撃されている。
 この攻撃は、首尾一貫したイデオロギー内容をもたない。
 それらはしばしば革命的スローガンを使う。誰もその論脈での革命がいったい何を意味すると想定しているのかを説明することができない。
 この曖昧なイデオロギーと共産主義の伝統の間には何らかの遠い関係がある。しかし、マルクス主義の痕跡を反資本主義の言辞のうちに見出すことができるとすれば、それはグロテスクにマルクス主義を歪曲したものだ。すなわち、マルクスは技術の進歩を擁護しており、彼の姿勢は、発展途上国の諸問題への関心が欠けていることも含めて、ヨーロッパ中心的だった。
 我々が今日に耳にする反資本主義スローカンは、明瞭には語られない、急速に成長する技術に対する怖れを含んでいる。それがもち得る不吉な副作用についての恐怖だ。
 技術発展を原因とする生態的、人口動態的、そして精神的な危険を我々の文明が見通すことができるか否か、あるいは我々の文明はその毒牙にかかって大厄災に至るのか否か、誰も確実なことは言うことができない。
 そうして、現在の「反資本主義」、「反グローバリズム」および関連する反啓蒙主義の運動と観念は静かに消失し、いずれは19世紀初頭の伝説的な反合理主義者(Luddites)のように哀れを誘うものに見えるようになるのか否か、あるいはそれらはその強さを維持して、その塹壕を要塞化するのか否か、我々は答えることができない。 
 (4) しかし、マルクス自身は彼が既にそうである以上にますます大きな人物になるだろうと、我々は安全に予見してよい。すなわち、観念の歴史に関する教科書のある章での、もはやいかなる感情も刺激しない人物、19世紀の「偉大な書物」-ほとんどの者がわざわざ読みはしないがそのタイトルだけは教育を受けた公衆には知られている書物-の一つのたんなる著者として、だ。
 この哲学とその後の分岐した支流を要約し、評価しようと試みた、新たに合冊された私の三巻の書物(マルクス主義者と左翼主義者の憤慨を刺激することが容易に予測できたが、その広がりは私が想定していたよりは少なかった)に関して言えば、この対象になお関心をもつ、次第に数が少なくなっている人々とって、これらの書物はおそらく有益だろう。
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 以上。
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 第一巻(ドイツ語版ハードカバー、1977年)のカバーのL・コワコフスキ。
 Kolakowski

 その下の著者紹介(1977年)も、以下に試訳しておく。
 Leszek Kolakowski、1927年10月23日、ラドム(ポーランド)生まれ。
 戦後、哲学を研究。1953年、ワルシャワ大学講師。
 修正主義思想を理由として公式に批判されたが、西側の大学での在外研究助成金を受ける(オランダとパリ)。
 1958年、ワルシャワ大学哲学史の講座職。
 1966年、見解表明の自由の制限に対する批判を公表したとして、党を除名される。
 1968年、講座職を失い、カナダへ出国。
 1969年、Montreal のMcGill CollegeとBerkely (カリフォルニア)で教育活動。
 1970年以降、Oxford のAll Souls College。
 1975年、Yale の客員教授。
 1977年、ドイツ出版協会(Deutsches Buchhandel)の平和賞。
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1220/資料・史料-2013.09.10「慰安婦の真実」国民へのアピール。

資料・史料-「慰安婦の真実」国民へのアピール

 2013年09月10日

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  「慰安婦の真実」に関する国民へのアピール

 いわゆる「従軍慰安婦」問題をめぐって、日本バッシングの風潮が世界的に広がっています。日本の慰安婦は代価を払わない「性奴隷」であったとか、「20世紀最大の人身売買事件」だったとか、ナチスのユダヤ人虐殺に匹敵するホロコーストだったとか、事実無根の途方もない言説がばらまかれています。アメリカの公共施設に朝鮮人慰安婦の像や碑が建てられ、地方議会の非難決議も行われています。韓国、中国、アメリカにロシアまで加わって日本批判を展開しています。

 アメリカでの慰安婦問題は1990年代初頭から在米中国、韓国人のロビー活動で始まり、2007年にはアメリカ議会下院での日本非難決議がなされ、引き続いてオーストラリア、オランダ、カナダ、フランス、EU、フィリピン、台湾と続き、今や日本はこの問題で、四面楚歌ともいうべき深刻な状況に置かれています。

 このような事態がもたらされた最大の原因は、日本政府が、何一つ証拠がなかったにもかかわらず、慰安婦の「強制連行」を認めたかのように読める「河野談話」を平成5年(1993年)に発表したことにあります。「河野談話」は、慰安婦の強制連行さえ認めれば事は収まるという韓国側の誘いに乗って、事実を曲げて政治的妥協をはかって作成された文書です。しかし、その結果は全く逆に、「河野談話」こそが強制連行の最大の証拠とされ、各国の日本非難決議の根拠となり、韓国人の妄言に見せかけの信憑性を与えることになったのです。

 あるアメリカの有識者は、「古今東西、軍隊と売春婦はつきものであり、それについて謝罪したのは有史以来日本政府だけである」と指摘しました。そして「そのような当たり前の事に謝罪したのは、本当はもっと悪いことをしていて、それを隠すためではないかとさえ勘ぐられている」と言います。日本を貶めようとする外国の謀略に乗せられ、国益を無視して安易に発した「河野談話」が、慰安婦問題で日本を苦境の縁に立たせた元凶なのです。

 日本国民がこのいわれのない侮辱に対して怒らないとしたら、それは日本国家の精神の死を意味します。私たちはどんなことがあってもこの汚名を私たちの子々孫々に負わせることはできません。

 今年7月、この問題を憂慮する個人・団体が集まり、私たちは<「慰安婦の真実」国民運動>を結成しました。今後は日本国内外の多くの同志と広く連携をとり「河野談話」の撤回運動を初めとする、日本の汚名をそそぐための様々な運動を展開していきます。

 国民の皆様には、我々の救国運動に深いご理解をいただき、深甚なるご支援を賜りますよう、心よりお願いいたします。

  平成25年9月10日

  「慰安婦の真実」国民運動   代表 加瀬英明

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1050/岩波書店・丸谷才一とNHK・坂の上の雲。

 〇<三角地帯>のうち論壇とマスコミに深く関係し、ひいては教育にも影響を与えている「左翼」の司令塔・参謀(戦略)塔の重要な一つは、朝日新聞とともに、岩波「書店」という組織だ。
 その岩波が出している宣伝用小冊子(但し、いちおう定価は付いている)に、『図書』というのがある。その『図書』の2011年10月号で、丸谷才一は次のようなことを書いている(連載の一部らしい)。
 ・「明治政府が、東アジアに領土を拡張しようとする方針」からして天皇の神格化・軍事の重視をしたとき、「軟弱な平安時代」よりも「飛鳥時代と奈良時代」に規範を求めた。これが、正岡子規による「万葉集」の礼賛(文学)、岡倉天心による飛鳥・奈良美術の「発見」(美術)へと作用した。
 ・「もともと、病身なのに従軍記者になって戦地におもむくような子規の軍国主義好きが、親友夏目漱石の徴兵忌避と好対照をなす……」(以上、p.32)。
 最終的には正岡子規による(当時までの日本の)歌・和歌の評価は適切ではない、ということを書きたいようだ。この点と上の前段全体の明治政府の文化政策と子規等との関係については、知識もないので、さておく。
 気になるのは、第一に明治政府は「東アジアに領土を拡張しようとする方針」を持っていたとだけサラリと書いて、そのように断定してしまっていることだ。西洋列強・ロシアとの関係や当時の東アジア諸国の状況などはこの人物の頭の中にないのかもしれない。
 第二に、「もともと、病身なのに従軍記者になって戦地におもむくような子規の軍国主義好き」という、正岡子規についての形容だ。
 日清・日露戦争の時代、「軍国主義」とか「軍国主義好き」などという概念は成立していたのだろうか。また、言葉・概念には厳密であってしかるべき文芸評論家が、こんなふうに簡単に子規の人物評価をしてしまってよいのだろうか。さらに、日清・日露戦争の日本の勝利(少なくとも敗戦回避)を、丸谷は「悪」だったと理解しているように読めるが(「軍国主義好き」という言葉の使い方)、それは、講座派マルクス主義または日本共産党の歴史観そのものではないか。
 ちょうどNHKで「坂の上の雲」の第三回め(三年め)の放映も近づいているようで、丸谷才一は、この時期に正岡子規にケチを付けておきたかったのかもしれない。
 正岡子規自体の正確な評価・論評に関心があるのではない。「…子規の軍国主義好き」という丸谷才一の表現に、単純な「軍国主義嫌い」を感じて、素朴な(かつ骨身に染みこんでいるのだろう)「左翼」情緒の吐露を読んだ気がしたのだ。
 丸谷才一について詳しくは知らない(評論家だが小説を書いたらしく、一度店頭で読みかけたが、読み続ける気にならなかった)。だが、
パージまたは(人物・論考等の内容の)事前チェックの厳しい「左翼」司令塔・参謀塔の岩波の冊子に連載しているのだから、歴然たる「左翼」評論家なのだろう。たまたまだろうが、『図書』の上掲号には大江健三郎の文章も載っている。
 数十頁の冊子においてすら、岩波は「左翼」活動をしているのだ。
 ついでに。夏目漱石の「徴兵忌避」を好意的に書いているが、従軍記者どころか軍人そのものだった森鴎外の小説・文学作品は、丸谷才一によると、「軍国主義」的そのものなのだろう。丸谷による子規についての論述の仕方からすると、そのような「文学」評価になるはずだ。そうではないか?
 〇司馬遼太郎や「坂の上の雲」は商売になりやすい(売れる)らしく、朝日新聞社もよくこれらを扱うが、文藝春秋も再び文藝春秋12月臨時増刊号『「坂の上の雲」・日本人の勇気』を出している(2011.10)。
 個々の論考・記事にいちいち言及しない(カラーページに櫻井よしこが姿を登場させ一文を載せている)。以下の叙述を読んで驚いた。
 ロシアの「外交」の学者か学生(博士課程)らしいS・フルツカヤの一文(タイトル省略)の中にこうある。
 「NHKはこのドラマに込めた主要なメッセージをプレスリリースで発表している。『我々は広大無限な人間ドラマを描き、…日本人の特性の本質を表そうとした。しかし同時に私たちは戦争には否定的である点を決して忘れず強調している。反『軍国主義』こそ、このドラマの主要な思想である』」(p.89)。
 NHKのプレスリリースなるものをネット上で現在確認できるのかどうかは知らず、上を事実として以下を述べる。
 このNHKの上掲作品・ドラマ造りの意図は、少なくとも原作者・司馬遼太郎のそれとは合致していない。司馬は左・右双方から批判されているが、「坂の上の雲」を「反・軍国主義」を「主要な思想」として書いたのではないことは明らかだろう。全体として、軍国主義・反軍国主義などという「イデオロギー」(?)とは別の、より高い次元でこの作品は書かれていると思われる。
 NHKは「右」からの批判に対しては無視するか軽視するが、「軍国主義的だ」、「軍国主義称揚だ」などの「左」からの批判には神経質で、気にしているのだろう(なぜか。NHK自体が「左翼」陣営に属している、あるいは「左傾」化しているからだ)。
 司馬遼太郎は「坂の上の雲」のドラマ化・映画化を「軍国主義(肯定)的」と理解されるのを嫌って、それを許さなかったとも言われる。
 しかし、それはむろん、司馬遼太郎が「反・軍国主義」思想をもってこの作品を書いたことの証左になるわけではない。
 NHKは、あるいはNHKのこのドラマ制作者たちは、原作者の意図から離れた、原著作とは異なる「思想」を持ち込もうとしている、としか思えない。
 これまでのドラマを丁寧に見ていないので再述できないが、月刊正論か月刊WiLLあたりで、原作にはない場面を「捏造」した、「反(・非)戦」思想を肯定するような場面があるという指摘を読んだことがある。
 何と「左」に弱いNHKだろうか。「反(・非)戦」的な部分をあえて挿入して「左翼」陣営からの批判を弱めたいのだろうと推察される。むろん、NHK自体の体質が「左傾化」しており、ドラマ制作者もまたその体質の中にいる(同じ体質をもっている)からに他ならないだろう。
 「マスコミ」に対する「左翼」の支配は、単純で見やすい形ではなく、巧妙な方法・過程をとって、わが「公共」放送局にまで及んでいる。
 なお、「反軍国主義」なるものが当然に正しいまたは善であるかのごとき考え方が蔓延しており、NHKの上の文章もその一つかもしれない。しかし、一般的にこのように言ってしまってはいけない。
 <防衛(自衛)戦争>は「悪」・「邪」なのか?? 「反・軍国主義」を是とし、「反戦」、「反戦がどうして悪い」と簡単に言う者は、上の??にまずきちんと答えなければならない。 

0575/樋口陽一のデマ4-「社会主義」は「必要不可欠の貢献」をした(1989.11)。

 樋口陽一が自らマルクス主義者又は親マルクス主義者であることを明らかにしていなくとも、実質的・客観的にみて少なくとも親マルクス主義者・「容共」主義者であることはすでに言及したことがある。今後も、その例証は少なくないので、紹介していく。今回もその一つだ。
 1989年11月という微妙な時期に刊行されている樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)は、ルソー=ジャコバン型個人主義モデル(=「一七九三年」)(例えば、中間団体の保護なしに国家と裸で=直接に対峙できる「強い」個人)を経由する必要性を強調し、マルクス主義的概念を使ってフランス革命期の社会を説明し、またマルクスの文献の一部を肯定的に言及していた。
 この本の中に、看過できない叙述があることに気づいた。執筆時点ではソ連はまだ解体していないが、東欧諸国の<民主化>は進み、変化の予兆が明確に現れてきていたと思われる。樋口陽一は次のように「社会主義」について書いている(以下、p.191)。
 西欧の資本主義は「社会主義という根本的な異議申立ての思想と運動を自分のなかに抱えることによって、結果として自分自身を強いものにしてきた。/『社会主義とは、資本主義から資本主義に至る、長い道のり…』との警句がある。この言葉は…〔こう言った人の意図を超えた-秋月〕意味をもつだろう。西側の国々で、社会主義は、かつての『資本主義』が、もう一つの『資本主義』に変わってくるのに、必要不可欠な貢献をしたのだから」。
 あまりに明瞭な「社会主義」親近感の吐露に唖然とするばかりだ。樋口陽一において、社会主義とは、西欧資本主義を「強いもの」にするのに役立ち、新しい(もう一つの)資本主義に変化するのに「必要不可欠の貢献」をしたものとして把握されている。
 ソ連の解体、ロシアの資本主義国として再出発のあとではひょっとして異なる書き方になったとも思われるが、それにしても1989年11月の時点で、「社会主義」に対する批判的・消極的な評価が樋口陽一においては何もないのだ。しかもこの本は、ソ連の解体、ロシアの資本主義国として再出発、東西ドイツの統合(資本主義・西ドイツによる社会主義・東ドイツの吸収)のあとでも(つまり欧州での<冷戦>終了後でも)、出版され続けた(私が所持しているのは、14刷、1996年)。
 恥ずかしいとは感じないのだろうか。ソ連圏の人びとに対する1917年から70年以上の間の<人権抑圧>、場合によっては政府による<反体制分子>とのレッテル貼りによる<生命剥奪>は、人類の歴史にとって「必要不可欠」だった、と書いているのと殆ど同じだ(なお、アジアも含めると、既述のとおり、<共産主義>の犠牲者=被殺戮者は1億人程度になる)。
 こういう人が憲法学界の代表者の一人だったことをあらためて確認しておく必要があり、かつまた<怖ろしく>感じる必要がある。

0122/日清戦争又は日ロ戦争に日本が敗北していたらどうなったか。

 歴史のイフを語ってはいけないとの言辞を読んだことがあるが、織田信長が本能寺で死んでいなかったらとか、坂本龍馬が明治維新期に生きていたらとかは、興味あるテーマだ。
 日清戦争に日本が負けていたらどうなっていただろう。日本が勝利したからこそ、(李氏)朝鮮国は中国の服属国ではなく、中国(清)と対等の国家になった。ソウルには今でもこれを記念した「独立門」というのがあるらしい。そして、(李氏)朝鮮国は名も改め、大韓帝国になった筈だ。
 とすると、日本が負けていれば、(李氏)朝鮮国に対する中国(清)の影響力はますます大きくなり、服属の度は強まり、「独立」などはできなかったことになる。そして、当時の清はすでに弱体化していたので、遅かれ早かれ、清とロシアの間で朝鮮半島をめぐる争いが生じていたように思われる。
 次に、日清戦争には日本が勝利したが日露戦争には敗北していたらどうなっていただろう
 手元で確認できないが、司馬遼太郎は「坂の上の雲」に関連して、小説自体の中にではなく別の文章の中で、<朝鮮半島はロシアのものになっていた>と明記していた筈だ。もともとが朝鮮半島をめぐっての戦争だったのだから、朝鮮半島全体がロシアの一部になること、又はロシアの傀儡といってよい政権がロシアの介入のもとで成立したことは十分に考えられる。
 当時は朝鮮半島をめぐって、日本、中国(清)、ロシアが対立していたのであり、日本が二つの戦争に勝利せず、大韓帝国を併合さえしなければ、朝鮮(あるいは大韓帝国)は自主的・自立的に発展を遂げることができた、というのは、とんでもない<妄想>だろう。ましてや、世界一の経済大国になっていただろうなどとの想像は噴飯ものだ(izanamiとかいう人は迂闊にも先日見た際にこう想像していた。他の全てがそうかもしれないが、真面目に書いているとすれば本当に気の毒な人だ。虚偽だと解っていてツッパッて書いているとすれば、これまた本当に気の毒な人だ。ご同情申し上げる)。
 以上のような問いに、原田敬一の日清戦争・日露戦争(岩波新書)が答えてくれている筈はない。この本はそうした問いを発してすらいない。
 だが、当時の東アジアの状況を見れば、日本だけを「悪玉」視して済む筈がない。日本がロシアに負けていれば、日本は朝鮮半島に続くロシアの実質的一部化(社会主義化!)の恐怖に怯えなければならなかった筈だ。
 最後に、言及されているのを読んだことがないテーマがある。すなわち、日露戦争の勝利は、ロシア帝国の弱体化を早め、ロシア革命=社会主義国ロシア→ソ連の成立に寄与したのではないか
 日露戦争にロシアが勝利していてもロシア革命は起こった可能性は無論あるが、その時機を少しは早めたのではないだろうか。日露戦争は祖国防衛戦争だったと司馬と同じように私は理解しているが、それがレーニンらを客観的には助けたのだとかりにすると、身体がむず痒い感触も伴う。

ギャラリー
  • 2013/L・コワコフスキ著第三巻第10章第3節①。
  • 1982/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05⑤。
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  • 1980/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05④。
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  • 1978/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史05②。
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  • 1920/L・コワコフスキ著第三巻第四章第5節。
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  • 1916/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑳完。
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  • 1906/NYタイムズ2009.07.20の訃報-L・コワコフスキ。
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  • 1901/Leszek Kolakowski-初代クルーゲ賞受賞者。
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  • 1900/Leszek Kolakowski の写真。
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  • 1811/リチャード・パイプス逝去。
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  • 1809/S・フィツパトリク・ロシア革命(2017)⑧。
  • 1777/スターリン・初期から権力へ-L・コワコフスキ著3巻1章3節。
  • 1767/三全体主義の共通性⑥-R・パイプス別著5章5節。
  • 1734/独裁とトロツキー②-L・コワコフスキ著18章7節。
  • 1723/2017年秋-兵庫県西脇市/大島みち子の故郷。
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