秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ルソー

2542/Turner によるNietzsche ⑪。

 Frank M. Turner, European Intellectual History -From Rousseau to Nietzsche (2014).
 〈第15章・ニーチェ〉第10節の試訳のつづきで、最終回。
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 第10節③。
 (03) 生を肯定する道徳を受容することのできる生物は、〈Übermensch〉、超人(Overman)だった。
 この言葉は、今世紀の初めには「Superman」と呼ばれるようになった。
 この語はもともとは〈ツァラトゥストラはこう語った〉に出ており、明瞭な意味をほとんど持っていなかった。 
 〈Übermensch〉は生を肯定する。
 愉快で、無邪気で、本能的で、自分の本能による衝動を持っている。
 将来に存在する生物のように見える。というのは、ニーチェはある箇所で、人類を野獣と〈超人〉の間を架橋するものとして描いているからだ。
 この生物は、人類がキリスト教や近代自由主義の禁欲的理想からつき離されたときにどのようなものになるかの、ニーチェの理想の類型のように思われるだろう。//
 (04) 近年の論評者はこの概念を相当に中立化している。しかし、種々のことが語られていても、全てがおそらくは間違った接近方法をとっている。
 疑いなく、ニーチェはその言う〈超人〉としてヒトラーのような人物を想定していなかった。そして〈超人〉は、彼の心の裡でははるかにGoethe のような人物だった。
 それにもかかわらず、〈超人〉は明らかにリベラルな諸価値とは相容れないように見える。そして、ニーチェ哲学の多くとともにこの概念を擁護しようとする近年の試みは、19世紀のさらに別の大きな危機と融合しようとするブルジョア文化の試みにすぎないと、私には思える。//
 (05) この時代のヨーロッパの知的世界の考察を、本書はRousseau から始めた。
 ニーチェでもって終えるのは、偶然ではない。
 彼は、Rousseau 的見方に対する最も厳しい批判者の一人だ。
 貴族制とブルジョア社会の両方を非難したのは、Rousseau だった。だが、彼の解決策は急進的に平等主義的なものだった。
 古代世界で彼が好んだのは、古代の市民的美德であり、この美德は急進的に平等主義ではない社会に宿っていた。 
 Rousseau が将来に投影したのは、平等主義の展望だった。
 彼は、聖書が失墜した世俗的見方から帰結するものとして社会を描いた。
 そして、あけすけの意欲の力でもって、道徳的にも経済的にも他の人間に優越する地位を築いた者たちを非難した。
 彼の見方では、このような状況が近代社会の虚偽(falseness)につながった。 
 Rousseau は、急進的な平等主義にもとづいてこれを批判したかった。
 また、人間がそのために生命を捧げるべき力として一般意思と市民宗教(Civil Religion)を樹立したかった。//
 (06) ニーチェは、このような見方に関する全てを憎悪した。
 彼は、優越者たる地位を築いた古代の人物たちを尊敬した。 
 Rousseau が書いたもの全てに、プラトンとユダヤ・キリスト教の伝統の両方の香りを嗅ぎ取った。
 彼はその急進主義にもかかわらず、本当の知的勇気を持たない、とニーチェは考えた。 
 Rousseau は、確定的ではない生物という自然状態から生まれ来たるものだと、人間を描いた。そのような生物は、自分たちの基本的な性格を作り上げていく必要があるのだ。だが彼は、自分自身の見方の根本的なニヒリズムから離れていた。
 ニーチェが提示し、次の世紀のヨーロッパの知的世界の中心に持ち込んだのが、ニヒリズムだった。
 人間の本性は、彼にとって、本当に確定的ではない。
 人間は、それを確定しなければならない。そして、ニーチェは、彼の世代の者たちが主張する全てのイデオロギーはその任務を果たすには不適切だ、と考えた。//
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 第10節、終わり。〈第15章・ニーチェ〉も、終わり。

2181/J・グレイ・わらの犬(2002)⑪-第4章02。

 J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 =John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。=<わらの犬-人間とその他の動物に関する考察>。
 邦訳書からの要約・抜粋または一部引用のつづき。邦訳書p.127-p.133。
 第4章・救われざる者(The Unsaved)。
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 第2節・大審問官とトビウオ(The Grand Inquisitor and the Flyingfish)。
 ・ドストエフスキー・<カラマーゾフの兄弟>で、大審問官はキリストに言う。
 「人間はあまりにもひ弱で、自由の恵みには耐えられない。
 人間は自由を必要とせず、求めるのはパン、それも<中略>当たり前のこの世のパンである」。
 D. H. ローレンスによると、大審問官の発言は「決定的なキリスト教批判」で「痛烈な寸言」だ。キリスト教による「幻想」に「現実」を突きつける。
 ローレンスは正しい。科学技術は「窮乏、貧困」を絶滅し人類を「不死」として、「かつてのキリスト教と同様」、科学信仰は「奇跡の希望」を伸ばす。しかし、「科学が人類を変えると思うのは魔術を信じるに等しい」。科学は「暴政の強化と戦争拡大」に利用されるはずだ。
 ・ドストエフスキーの真意は、「人類が自由を求めた例はかつてなく、この先も考えられない」ということだ。
 現代の世俗信仰は人間は自由を望み束縛を嫌うというが、「隷属と引き替えの安逸以上に自由を尊重」するのは稀だ。
 J. J. ルソーは「元々自由に生まれたはずの人間が至るところで鎖に繋がれている」と言う。しかし、「時として自由を求める少数がいるからといって、人間がみな同じだと思うのは、トビウオを見て空を飛ぶのは魚類の習性であると断じるに等しい」。
 ・「自由社会」がいずれ出現するだろうが、「めったにないことで、それも無政府状態か、専制君主制の変形が定石」だろう。独裁者は混乱に乗じて権力を手にするが、つねに庶民に「沈滞や閉塞を打破すると暗黙の約束を掲げる」。
 ・大審問官の偽りは自分を「悲劇の主人公」視していることだ。彼がどんなに気を揉んでも人類を救えないし、人類もそれを当てにしていない。彼の「自己満足」だ。
 宗教裁判官は「気高くも悪魔じみた信念」をもつと考えるのは誤りで、「腹のうちは、恐怖、怨恨、それに弱い者いじめの快感である」。
 ・「科学は人類の知識を増進するが、真理を尊重することは教えない。
 かつてのキリスト教と同じで、科学は権力の網に搦め捕られている。
 生存競争と業績(survival and success)の達成に汲々としている科学者の世界観は、旧弊な思考の貼り混ぜである。」
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 第3節・多神教礼賛。
 第4節・キリスト教が行き着く果ての無神論。
 <この両節は全体として省略。後者に明記はないが、R・ドーキンス的「無神論」の批判・揶揄を含むだろう。>
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第5節以降へ。

2029/L・コワコフスキ著第三巻第10章第6節②。

 L・コワコフスキ・マルクス主義の主要潮流(1976、英訳1978、三巻合冊2008)。
 =Leszek Kolakowski, Main Currents of Marxism.
 <フランクフルト学派>に関する章の試訳のつづき。分冊版、p.383-p.387。
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 第10章・フランクフルト学派と「批判理論」。
 第6節・エーリヒ・フロム(Erich Fromm)②。
 (8)この数百年の間にヨーロッパで発展した資本主義社会は、人間存在にある巨大な創造的可能性を解き放った。しかし、強力な破壊的要素も生み出した。
 人間は、個人の威厳と責任を自覚するようになった。しかし、普遍的な競争と利害対立が支配する状況の中に置かれていることも知った。
 個人的な主導性は、生活上の決定的な要因になった。しかし、攻撃や利己的活用がますます重要になった。
 孤独と孤立の総量は、測り知れないものになった。他方で、社会的諸条件によって人々は、お互いを人間としてではなく事物だと見なすようになった。
 孤立しないようにする幻惑的で危険な対処法の一つは、ファシズムのような、非理性的で権威的なシステムに保護を求めることだった。//
 (9)フロムの見解では、彼のフロイト主義からの激しい離反には、マルクス主義の様相があった。なぜなら、人間関係を防衛的機構や本能的衝動ではなく歴史の用語で説明し、また、マルクスの思想と調和する価値判断を基礎にしているからだ。
 フロムによれば、〔マルクスの〕1844年草稿はマルクスの教理を基礎的に表示するものだった、
 彼は、その著作と<資本論>との間には本質的差違はない、と強く主張する(この点で、Daniel Bell と論争した)。しかし、のちの諸作では初期の文章の<精神(élan)>がいくぶんか失われた、と考える。
 フロムは強く主張する。主要な問題は疎外であって、それは人間の束縛、孤立、不幸および不運の全てを示している、と。
 全体主義的教理と共産主義体制は、彼によれば、マルクスの人間主義的見方と何の関係もない。マルクスの見方の主要な価値は、自発的な連帯、人間の創造力の拡張、束縛と非理性的権威からの自由、にある。//
 (10)マルクスの思想は、男女が人間性を喪失して商品に転化する、そのような条件に対する対抗だ。また、人間がかつてそうだったものに再び戻る能力、貧困からの自由だけではなくて創造力をも発展させる自由を獲得する能力、をもつことを強く信じていることを楽観的に表明したものだ。
 マルクスの歴史的唯物論を人間はつねに物質的利益によって行動することを意味すると解釈するのは、馬鹿げている。
 反対に、マルクスが考えたのは、たんにそのような利益を好むように環境が人間に強いるときには、人間はその本性を喪失する、ということだった。
 マルクスにとっての主要な問題は、どのようにして、依存という拘束から個々人を自由にし、もう一度友好的に一緒に生きていくのを可能にさせるか、だった。
 マルクスは、人間は永遠にその支配の及ばない非理性的諸力の玩弄物でなければならないとは考えなかった。
 反対に、自分の運命の主人になることができる、と主張した。
 かりに実際に人間の労働の疎外された産物が反人間的力に転化するとすれば、かりに人間が虚偽の意識と虚偽の必要性の虜になるならば、かりに(フロイトとマルクスは同じように考えたのだが)人間が自分自身の真の動機(motives)を理解しないならば、これらは全て、自然が永遠にそのように支配しているからでは全くない。
 反対に、競争、孤立、搾取および害意が支配する社会は、人間の本性とは矛盾している。人間の本性は-ヘーゲルやゲーテ(Goethe)と同じようにマルクスも考えたのだが-攻撃や受動的な適応にではなく、創造的な仕事と友愛のうちに真の満足を見出すのだ。
 マルクスは、人間が自然とのかつ人間相互間の統合を回復し、そうして主体と客体との懸隔を埋めることを望んだ。
 フロムはこの主題を1844年草稿からとくに強調し、マルクスはこの点で、ドイツの人間主義の全伝統や禅仏教と一致している、と観察する。
 マルクスはもちろん、貧困がなくなることを望んだ。しかし、消費が際限なく増大することを望みはしなかった。
 彼は人間の尊厳と自由に関心があったのだ。
 彼の社会主義は、人間が物質的要求を満足させるという問題ではなく、自分たちの個性が実現されて自然や相互間の調和が達成される、そのような諸条件を生み出す、という事柄だった。
 マルクスの主題は労働の疎外、労働過程での意味の喪失、人間存在の商品への変形だった。
 彼の見方では、資本主義の根本的な悪は、物品の不公正な配分ではなく、人類の頽廃、人間性の「本質」の破壊にあった。
 この退廃は労働者だけではなくて誰にも影響を与えており、従って、マルクスの人間解放の主張は普遍的なものであって、プロレタリアートだけに適用されるのではない。
 マルクスは、人間は自分たち自身の本性を理性的に理解することができ、そうすることでその本性と対立する虚偽の要求から自由になることができる、と考えた。
 人間は、歴史過程の範囲内で、超歴史的な淵源からの助力なくして、そのことを自分たちで行うことができる、と。
 マルクスは、こう主張して、ルネサンスや啓蒙主義のユートピア的思想家たちばかりではなく、千年王国的(chiliastic)宗派、ヘブライの予言者と、そしてトーマス〔・アキナス〕主義者とすらも、一致していた、とフロムは考える。//
 (11)フロムの見解によれば、人間解放の全ての問題は、「愛」という言葉で要約される。「愛」という語は、他者を手段ではなく目的だと見なすことを意味する。
 それはまた、個々人はそれ自身の創造性を放棄したり、他者の個性のうちに自分自身を喪失したりするということはないということも、意味する。
 攻撃性と受動性は、同じ退廃現象の両側面だ。そして、いずれも、順応意識のない仲間感情と攻撃性のない創造性にもとづく関係のシステムに置き代えられなければならない。//
 (12)この要約が示すように、フロムがマルクスを称賛するのは、マルクスの人間主義的見方に関する真の解釈に依拠している。しかし、にもかかわらず、それはきわめて選択的だ。
 フロムは、疎外の積極的な機能あるいは歴史上の悪の役割を考察しない。彼にとって、フォイエルバハにとってと同じく、疎外は単純に悪いものなのだ。
 さらに加えて、フロムがマルクスから採用するのは、「人間存在の全体」という基本的な思想、自然との再統合というユートピア、および個人の創造性によって助けられて妨げられることのない、人類間の完璧な連帯だ。
 彼はこのユートピアを称賛するが、それを生み出す方法を我々に教えるマルクスの教理の全ての部分を無視する。-つまり、国家、プロレタリアートおよび革命に関するマルクスの理論を。
 そうすることでフロムは、マルクス主義のうちの最も受容しやすくて最も対立が少ない諸点を選択した。なぜならば、誰もが全て、人間が良好な条件のもとで生きるべきでお互いの喉を切り裂き合ってはならないということ、そして窒息して抑圧されるよりも自由で創造的であることを好むということ、に合意するだろうからだ。
 要するに、フロムにとってのマルクス主義は、ありふれた一連の願望とほとんど変わらなかった。
 彼の分析からは、どのようにして人間は悪と疎外に支配されるに至ったのかが明瞭でなく、また、健全な傾向が結局は破壊的なそれを覆ってしまうという希望のどこに根拠があるのかも、明瞭ではない。
 フロムに見られる曖昧さは、ユートピア思想一般に典型的なものだ。
 他方で彼は、現にある人間の本性から彼の理想を導き出すことを宣明する。しかし、その本性は現在のところは実現されていない。-換言すると、他者と調和しながら生きて自分の個性を発展させることこそが人間の本当の運命なのだ。
 しかし他方で、「人間の本性」は規範的な観念であることにも彼は気づいている。
 明らかに、疎外(または人間の非人間化)という観念や虚偽の意識と本当の必要との間の区別は、かりにそれがたんなる恣意的な規範として表現されているのだとすれば、我々がたとえ「発展途上の」国家であっても経験から知る人間の本性に関する何らかの理論にもとづいていなければならない。
 しかし、フロムは、我々はどのようにして人間の本性が必要としているものを、例えばより多い連帯意識やより少ない攻撃性を、知るのか、について説明しはしない。
 人々が実際に連帯、愛、友情および自己犠牲の能力をもつというのは、正しい。しかし、そのことから、これらの諸性質を提示する者が対立者よりも「人間的」だという帰結が導かれるわけではない。
 人間の本性に関するフロムの説明は、かくして、記述的(descriptive)な観念と規範的(normative)な観念を曖昧に混合したものであることを示している。このことは、マルクスとその多数の支持者たちに同様に特徴的なものだ。//
 (13)フロムは、人間主義者としてのマルクスの思想を民衆に広げるべく多くのことを行った。そして、疑いなく正しく、人間の動機の「唯物論」理論と僭政主義への短絡という粗雑で原始的な解釈をマルクス主義について行うことに対抗した。
 しかし、彼は、マルクス主義と現代共産主義の関係について議論しなかった。たんに、共産主義的全体主義は1844年草稿と一致していない、と語っただけだった。
 かくして、フロムの描くマルクスの像はほとんど一面的で、彼が批判するマルクス主義をスターリニズムの青写真だとする見方と同様に単純だった。
 マルクス主義と禅仏教の間の先に定立されていた調和に関しては、自然との統合への回帰に関する草稿上の数少ない文章にのみもとづいていた。
 それは疑いなく、初期のマルクスの、全てのものの他の全てのものとの間の全体的かつ絶対的な調和とい黙示録的(apocalyptic)思想と合致していた。しかし、それをマルクス主義の諸教理の核心部分だと考えてしまうのは、行き過ぎだ。
 フロムが実際に保持するのは、彼がルソー(Rousseau)と共通していると考えるマルクスの教理の一部にすぎない。//
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 第7節の表題は、<批判理論(つづき)。ユルゲン・ハーバマス。>

1836/2018年8月-秋月瑛二の想念②。

 一 「知識」や「思考」の作業やそれを発表する作業もまた、<食って生きて>いくことと無関係ではありえない。綺麗事や理念のために「知的」営為が行われてきたとは全く限らない。
 こう前回に書いた。ではこのブログ欄はどうなのかが問題になる。やはり昨年に何度かつぎのように書いていた。
 大海の深底に棲息する小さな貝の一呼吸が生じさせる海水の微少な揺れのようなものだ。
 全ての個人・組織(・団体)から「自由」であり、「自由」とは孤立している、孤独だ、いうことでもある。
 というわけで、かりに「知的」営為だとしても(少なくとも、単にうまい、きれい、かっこいいとだけ何かに反応しているのではない)、私の場合は<食って生きて>いくことと何の関係もない。生業・職業ではないし、何らかの経済的利益を生む副業でもない。誰かに命じられて書き込んで「小遣い銭」をもらっているわけでもない。
 しばしば何のためにこの欄を、と思ってきて、途中で止めようと思って放置したこともあった。せいぜい読書メモとしてでも残していこうかと思って1800回以上の投稿になったのだが、このブログ・サイトというのは自分が感じまたは考えたことを時期とともに記録し、検索可能なほどにうまく整理してくれる便利なトゥールだと徐々に明確に意識したからだろう。
 このような<自分のための>という生物の個体固有のエゴイズム以外に、この「知的」営為の根源はないだろう。
 ときに閲覧者数が数ヶ月にわたってゼロであれば(数字だけはおおよそ分かるが、かなり早くから-日本国憲法「無効」論者から「どアホ!」と貼り付けられてから-、コメント・トラックバックを遮断している)止めようかと思ったりする。それでもしかし、つまり読者ゼロでも、上の便利な機能は生きているので、やはり残して、気がむけば何かを表現しようとし思っている。
 最近はこういう秋月瑛二のような発信者も多いかもしれない。
 しかし、新聞・雑誌に活字になる文章やテレビ等で発言される言葉には「知的」作業そのものだったり、その結果だったりするものの方が多いだろう(政治・社会に直接の関係がなくとも)。
 二 そのような「知識」や「思考」の作業あるいは「知的」営為は、いかなる<情念>あるいは<衝動・駆動>にもとづいてなされているのだろうか。近年は従前よりも、こうしたことに関心を持つ。
 だいぶ前にJ・J・ルソーの<人間不平等起源論>を邦訳書で読み終えて、この人には、自分を評価しない(=冷遇した)ジュネーブ知識人界(・社交界?)への意趣返し、それへの反発・鬱憤があるのではないか、とふと感じたことがあった。
 ついでに思い出すと(この欄で既述)、読んだ邦訳書の訳者か解説者だった「東京大学名誉教授」は、その本の末尾に、「自然に帰れ!」と書いたらしいルソーに着目して、ルソーは自然保護・環境保護運動の始祖かもしれない旨を記していた。「アホ」が極まる(たぶんフランス文学者)。
 戻ると、「知的」文章書き等のエネルギーの多くは、①金か②名誉だろう。
 別の分類をすると、A・自分が帰属する組織(新聞社等)の仕事としてか、またはB・フリーの執筆者として(対価を得て)、「知的」文章書き等をしているのだろう。
 後者には、いわゆる評論家類、「~名誉教授」肩書者、現役大学教授や大手研究所主任等だが本来の仕事とは別に新聞や雑誌等に寄稿している者も含む。
 これらA・Bのいずれの場合でも、①金の出所にはなる(義務的仕事の一部か又は原稿料としてか)。
 また、Aの場合でも、自分が帰属する(何らかの傾向のある)組織の中で目立って社会的にはかりに別としても組織内で「出世」することは、つまるところは金または自分の生活条件を快適にする(良くする)ことにつながるだろう。組織・会社の一員としての文章であっても、<名誉・顕名→金>なのだ。
 Bの場合には、<名誉・顕名→金>という関係にあることは明確だろう。
 そして名誉又は顕名、要するに<名前を売って目立つ>ためには同業他者と比べて自分を<差別化>しなければならない。あるいは<角をつける>必要がある。
 そのような観点から、敢えて人によれば奇矯な、あるいは珍しい主張を文章化する者もいるかもしれない。
 但し、この場合、a文筆が完全に「職業・生業」であるフリーの人と、b別に大学・研究所等に所属していて決まった報酬等を得ているが、随時に新聞・雑誌等に「知的」作業またはその結果を発表している人とでは、分けて考える必要がおそらくあるだろう。
 食って生きる-そのための財貨を得る、ということのために、a文筆が完全に「職業・生業」の人にとっては、原稿等発表の場を得るか、それがどう評価されるかは直接に「生活」にかかわる。なお、おそらく節税対策だろう、この中に含まれる人であっても「-研究所」とかの自分を代表とする法人を作っている場合もある。
 櫻井よしこ、江崎道朗。武田徹、中島岳志の名前が浮かんできた。
 四人ともに、それぞれに、上に書いたことに沿って論じることもできる。
 それぞれについて、書きたいことは異なる。しかし、書き始めると数回はかかるだろう。

1566/『自由と反共産主義』者の三つの闘い⑥-共産主義とリベラル民主主義。。

 「池よりも、湖よりも海よりも、深い涙を知るために。/
  月よりも、太陽よりも星よりも、遠くはるかな旅をして。」
 小椋佳・ほんの二つで死んでゆく(1973)より。作詞・小椋佳。
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 1) 「民主主義対ファシズム」という虚偽宣伝(デマ)
 2) 反「共産主義(communism)」-強いていえば、「自由主義」
 3) 反Liberal Democracy-強いていえば「日本主義」または「日本的自由主義」。
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 すみやかに正しておこうか。
 前回に 1) 2) は勝利できる可能性はあるが(つまりは極端にいえば<全面対決>の問題だが( -1)はデマとの闘い)、3) はこれと違って、どう<切り分ける>かの問題だというようなことを書いた。
 次元の違いを意識したつもりだったが、どうも考え不足だ。
 つまり、Liberal Democracy の中に、「共産主義(communism)」は含まれるのか、という問題だ。
 言葉ないし概念の問題として、含まれているとすれば、Communism をまずはLiberal Democracy から除去する闘いを先にして勝利したうえで、Liberal Democracy のうちから「日本」と矛盾しない、又は積極的に採用すべきものを<切り分けて>取り出すことになる。
 含まれていないとすれば、それはそれで、前回のとおりの説明でよい。
 しかし、欧米的 Liberal Democracy は、Communism と異質なものだろうか。
 これは言葉・概念の問題として処理してもよいが、歴史的・思想史的な考察も必要だ。
 既存の知識によれば、二つの理解がありうる。
 一つは、ズビグニュー・ブレジンスキーが語っていたことで、欧米的なフランス革命以降の「自由・民主主義」は「共産主義」とは無縁で、後者は前者の正常な進行から「逸脱」したものだとする。
 一方で、読んできたものの中では、フランス革命-ロシア革命を一つの線上に、つまり前者の不可避的な(あくまで一つだが)結果と考えるものが多いようだ。
 ルソー/フランス革命-マルクス・レーニン/ロシア革命、という系譜になる。
 フランソワ・フュレもその一人で、この人は、フランス人だからだろうか、マルクスの諸叙述の中のルソーやフランス革命への言及の仕方を追跡しようとすらしている。下記。
 マルクスとフランス革命=今村仁司他訳(法政大出版局、2008)。
 ルソー・「市民革命」にマルクス主義やロシア革命の淵源の確かな一つを見る。
 また、マルクスも、<ブルジョア民主主義革命>の担い手たちへの敬意を隠さなかったし、一度だいぶ前に、レーニン『国家と革命』に関する平野義太郎の分析・注釈書を通じて、レーニンもまたフランス革命を大いに参照していたことを記したこともある。
 前回に書いたときの感覚とは違って、やはり、欧米的 Liberal Democracy とCommunism は無関係ではない。そもそも、後者は、日本とは無縁に、ヨーロッパで(ドイツ人により)生まれた異質な思想であるとともに、欧米的 Liberal Democracy がなくしては、誕生していないだろう。
 「奇胎」・「鬼子」かそうでないかは、一種の価値判断を含む。
 「奇胎」・「鬼子」か正嫡子かのどちらかであれ、あるいは「逸脱」か「発展(の一つ)」のいずれであれ、欧米的 Liberal Democracy の基礎のうえに「共産主義」もある、という理解がおそらく適切だろう。
 そうだとすると、2) の闘いは、当然に、3) の中にも持ち込まれ、やはり結局のところ、三つの闘いは相互に分かち難く、相互に関連しあっていることになる。
 しかし、どうもこの 3) の論点が最終の基本的課題にはなりそうだ。ずるずると他の論点を引き摺りながら、この論点を意識した論争もまた必要であることになる。
 あえて文献を提示しないのだが(それをすると途方もない時間がかかる)、中川八洋には、2) に関するきわめて旺盛な問題意識がある。彼の目からすると、反共産主義の姿勢が明確でない者は、全て<日本共産党員>であると-ここでは極端に概括しているかもしれないが-見なされる可能性がある。西尾幹二も、櫻井よしこも変わりはない。
 しかし、中川八洋の問題性は(反共産主義の点で全く問題がないとは思わないが、それはさて措き)、3) の問題意識がないか希薄なことだろう。
 一方、佐伯啓思には、3) に関する問題意識が強くある。しかし、佐伯啓思には、2) の問題関心がないかきわめて乏しい。「日本会議」宣言書のご託宣のごとく、「マルクス主義」との闘いはもう必要がないがごとくだ。
 また、せっかく反 Liberal Democracy の趣旨を詳しく説きながら、佐伯啓思における「日本」は曖昧なままだ。西田幾多郎等々に少し遡っただけでは、たどり着けないのではないだろうか。
 「日本」とか「愛国心」とかを語りつつ、佐伯啓思における日本の将来像はクリアではない。
 誰も完璧ではないし、誰かに完璧さを期待してもいない。
 それぞれに限界はあるものだと、思わざるをえない。
 佐伯啓思は「日本会議」派に比べるとはるかに理性的・合理的だが、しかし、例えば日本の現実政治についての「感覚」は、どこかおかしい。橋下徹について<ロベスピエールの再来の危険>などを指摘し始めてから、私は佐伯から離れてしまった。たかが大阪府知事・大阪市長にこのような大仰なことを言うのは、<ファシスト(ハシスト)>扱いと、どこが違うのだろうか。
 もとより、日本に関する中川八洋の個々の政治的「感覚」が適切である保障もない。
 個々の政治的選択・判断を問題にしようとは考えていない。
 日本の論者は、月刊誌や週刊誌に書きすぎる。書きすぎるから、本来の得意分野以外にまで手を出して、つい<識者>らしきことを書いてしまう。
 これは、産経新聞社を含む日本のメディア、出版業界の問題でもある。多くの「評論家」・大学教授類の一部は、出版業に雇われる「使い走り」・「文章作成係」になっている。
 きちんとした評論書・時代分析書・将来展望書は、2年くらいの期間をかけないときちんとは執筆できないのではないか。
 月刊誌(または櫻井よしこのごとく週刊誌)に書いたものをあとでまとめて、ハイ一冊、という本の作り方では、いかほどに真摯な思考が、体系的にまとめられているかは疑問だ(もちろん、人によるが)。櫻井よしこは、自分は毎年少なくとも二冊を刊行している大?「評論家」・「ジャーナリスト」などと妄想しない方がよいだろう。既述のとおり、自分の言葉は10%以下、他人・第三者からの紹介・引用が半分程度、あとは公開事実の<要領のよいまとめ>だ。また、この人には、平気で<剽窃>のできる、希有の才能がある。
 じっと深く思考することが必要だが、その際に重要なのは、基本的な<論争点についての位置の自覚>だ。
 いったい何のための、いったいどういう次元の、いったい誰を相手(「敵」)にした議論をしているのか?
 日本の<保守>派の混迷は、基本的に、これに無自覚なところにあると思われる。
 櫻井よしこ又は「日本会議」派は、いったい何を追求しているのか?
 訳が分からなくなって、精神的頽廃に落ち込んでいる者もいる。ただ毎日を忙しく過ごして、自分の「名誉」又は「顕名欲」さえ守れればよいと思っている人もいる。
 西尾幹二にも、中西輝政にも、十分な満足は感じていない。相対的にまだマシだと思っているだけだ。
 誰も完璧ではないし、誰かに完璧さを求めるつもりはない。
 上のように並べても、西尾幹二と中西輝政が同じであるはずはない。
 こんなことを書いていても、<大海の底の小さな貝の一呼吸>が生むほんの小さな水の揺るぎにすぎないだろう。
 それでよい。つまらないことを書きなぐって、後世に恥をさらす櫻井よしこよりは、まだ生きている価値がある。
 それにしても、櫻井よしこの<悲しいほどに痛々しい>ことの理由、背景は、いずれにあるのか。

1279/<左翼>愛好の「国家のゆらぎ」論を萱野稔人が批判。

 Think global, Act local というスローガンかモットーのようなものを読んだことがある。<グローバルに考え、ローカルに行動せよ(しよう)>ということだ。
 この二つにあえて反対する必要はないようにも見えるが、当然ながら、重大なことに気づく。
 グローバル・「世界」・「国際」・「地球」とローカル・「地域」との間の、<国家>がすっぱりと抜け落ちているのだ。
 上記は、ナショナルに考え、行動することは絶対にしたくないという、<左翼>の標語なのだろう。
 「国家」、そして「ナショナルなもの」をできるだけ無視したい、想起しないようにしたいというのは、遠い将来の<国家の死滅>を予言し最終目標とするコミュニズム・「共産主義」に親近的な者たちの考え方でもある。
 エンゲルスの著-家族・私有財産および国家の起源-は、コミュニストたちが廃棄したい三つのものを明確に記していた(この著の前にルソーは「家族」について実践していたが)。
 そういう人々は近年、<国家のゆらぎ>ということを語りたがる。それは一つは、単一の近代国家が統合へと向かう兆しによって生じており、EU(欧州連合)はその好例だとされる。日本近辺については、<東アジア共同体>なるものを目指すことを肯定的に語る者もいる。
 いま一つは、単一の国家内部で、「国家」と社会または民間の境が曖昧になりつつある現象として表れているとされる。国家の事務の範囲・役割が不明確になっていることを前提とする、公共事務の<民営化>も、そうした傾向の重要な一つだとされる。
 だが、<国家のゆらぎ>を積極的・肯定的に語りたがる者は、「国家」・「ナショナルなもの」をできるだけ無視したい、想起しないようにしたい、<左翼>の学者や評論家たちだと思われる。
 萱野稔人は<保守派>だとは見なされていないようだが、「日本のリベラル派の言論人は国家のゆらぎということをすぐに論じたがるが…」という一文を含む文章を朝日新聞の2015.01.18朝刊に書いていて、その内容は納得できるものだ。
 萱野稔人は、「国家のゆらぎ? ゆらいでいるのは米の覇権」と題し、昨年のクリミヤ半島ロシア編入、「イスラム国」、スコットランド独立住民投票に言及したあと、「これまでの国家の枠組みをゆるがすようなできごとが相次いだ」が、「これらの動きを主権国家そのものの衰退ととらえることには無理がある」と断じる。そして、ウクライナ・イスラム世界での出来事は「国家そのもののゆらぎではなくて、米国の覇権のゆらぎである」とする。
 そのあと、さらに次のように述べる。
 「国家のゆらぎについてはこれまでも、グローバリゼーションによって国境の壁は低くなり、国家は衰退していくのではないか、ということがとりわけ日本では盛んにいわれた」。しかし、サッセンの近著はそうした見方を「表面的で稚拙な見方だと批判」し、「グローバリゼーションによって国家の主権は消滅するのではなく、新たな役割を担うだけだ」としており、ドゥルーズ=ガタリの近著も「資本主義と国家の関係を理論的に考察」しつつ「(資本が国家を)超えるとは、国家なしですませるという意味では決してない」ととしている。
 最後に、つぎの一文でまとめられる。
 「日本のリベラル派の言論人は国家のゆらぎということをすぐに論じたがるが、国家を正面から考えるためには、そもそもそういった発想自体が問い直されなくてはならない」。
 <国家のゆらぎ>を語りたがる日本の<左翼>学者等は、「表面的で稚拙な見方」を改め、その「発想自体」を問い直す必要がある。
 ところで、「日本のリベラル派の言論人」の言説を多数掲載してきたのは朝日新聞で、そのような者の書物を多く刊行しているのも朝日新聞出版だ。上の萱野の文章における批判的指摘は、朝日新聞に対しても向けられていると見るべきだろう。だが、朝日新聞は<事前検閲>をして掲載中止を求めることはしなかった(又はできなかった)。この寄稿の担当者は、どういう気分で読んだのだろうか。

1131/阪本昌成・憲法理論Ⅰ(成文堂)を少し読む。

 〇「ハイエキアン」と自称し、「マルクス主義憲法学者」は反省すべきだ、と指摘したことのある稀有の(現役の)憲法学者が、阪本昌成(1945-)だ。
 政治的・現実的な運動に関与することに積極的ではない人物なのだろうが、このような人を取り込み、論者の一人のできないところに、現在のわが国の<保守>論壇の非力・限界を見る思いがする。
 阪本の憲法理論Ⅰ・Ⅱ(前者の第二版は1997、後者は1993が各第一刷)は、多くの憲法学概説書と異なっているので司法試験受験者は読まないのだろうが、憲法学・法学を超えて、広く読まれてよい文献だろう。
 Ⅰ(第一版)の「序」で阪本昌成は次のようにも書く-「なかでも、H・ハートの法体系理論、F・ハイエクの自由と法の見方、L・ウィトゲンシュタインのルールの見方は、わたしに決定的な知的影響を与えた。本書の知的基盤となっているのは、彼らの思考である」。
 Ⅱの「序」では、こうも書いている-「F・ハイエクは、人びとの嫉妬心を『社会的正義』の名のもとで正当化し、かきたてる学問を嫌ったという。本書の執筆にあたっての基本姿勢は、ハイエクに学んだつもりである」。
 阪本昌成・憲法理論Ⅰ〔第二版〕(成文堂、1997)の特徴の一つは、ふつうの憲法学者・研究者がどのように考え、説明しているのかが明瞭ではないと思われる「国家」そのものへの言及が見られることだ。
 この書の第一部は「国家と憲法の基礎理論」で、その第一章は「国家とその法的把握」、第二章は「国家と法の理論」だ。こういう部分は、ほとんどの憲法学者による書物において見られないものだと思われる。
 〇上の第一章のうち、「第四節・国家の正当化論(なにゆえ各人が国家を承認し、国家に服従するのか)」(p.21-)から、さらに、「国家の正当化を問う理論」に関する部分のみを、要約的に紹介しておく(p.23-26)。
 歴史上、「国家正当化論」として、以下の諸説があった。  ①「宗教的・神学的基礎づけ」 (典型的には王権神授説)。  ②「実力説」。近くは国家を「本質的に被抑圧階級、被搾取階級を抑圧するための機関」と見るマルクスやエンゲルスの論に典型が見られ、G・イェリネックは、この説の実際的帰結は国家の基礎づけではなく、国家の破壊だと批判的に言及した。  ③「家父長説」。G・ヘーゲルが理想とした「人倫国家」論はこれにあたるが、絶対君主制を正当化する特殊な目的をもつものだった。
 ④「契約説」。国家形成への各人の「合意」のゆえに「その国家は正当」だとする「意思中心の理論」。ブラトンにも見られ、ホッブズははじめて「原子論的個人」を「国家」と対峙させた。これ以降の契約論は、「個々人の自由意思による合理的国家の成立」を説明すべく登場した。
 J・ロックは「意思の一致」→契約は遵守されるべき(規範)→「正当な服従義務」という公式を援用したが、曖昧さがあった。
 J・ルソーの「社会契約論」は、「政治的統一体の一般意思に各人の意思が含まれるがゆえに正当であり、各人は自己を強制するだけ」、「一般意思を脅威と感じる必要もない」、とする「楽観論」でもあり、「集団意思中心主義の理論」でもある。
 ルソーの議論は「正当な国家の成立」・「自由保障の必然性」を見事に説いたかのごとくだが、この「社会契約」は「服従契約」でもあった、すなわち市民(個人)は、「契約によって、共同体意思に参加するものの、同時に、臣民として共同体意思に服従する」。ルソーはこれをディレンマとは考えなかった。現実の統治は「一般意思」にではなく「多数」者によって決せられるが、彼は、個々の個人のそれと異なる見解の勝利につき、「わたしが一般意思と思っていたものが、実はそうではなかった、ということを、証明しているにすぎない」と答えるだけ(p.25)。実体のない「集団的意思」・「集団精神」の類の概念の使用は避けるべきなのだ。
 以上の諸説のうち今日まで影響力を持つのは「社会契約論」。この論は「合理的な国家のあり方」を説いた。  しかし、「一度の同意でなぜ人々を恒久的に拘束できるのか、という決定的な疑問が残されている」。  といった欠陥・疑問はあるが、「契約の主体が、主体であることをやめないで、さらに自らを客体となる、と説く」一見、見事な論理で、法思想史上の大きな貢献をした。「契約説は、新しい国民主権論と密接に結合することによって、国家存在の正当化理由、統治権限の淵源、その統治権限を制約する自然権等を、一つの仮説体系のなかで明らかにした」(p.26)。  これはノージックやロールズにも深い影響を与えている。「社会契約論」的思考は、「方法的個人主義」に依りつつ「個々人の意思を超えるルールや秩序」の生成淵源を解明しようとする。
 但し、これまでの「国家正当化論」は「抽象的形而上学的思索の産物」で、これによってしては「現実に存在する、または歴史的に存在してきた国家を全面的に正当化することは不可能である」。現実の国家が果たす「目的」によってのみ国家の存在は正当化される。かくして、「国家目的論」へと考察対象は移行する(p.26)。
 以下の叙述には機会があれば言及する。ともあれ、ルソー(らの)「社会契約論」によって(のみでは)「国家」成立・形成・存在を正当化しようとしていないことは間違いない。
 〇翻って考えるに、日本「国家」は、何ゆえに、何を根拠として、そもそもいつの時点で、形成されたのか?
 かりに大戦後に新しい日本「国家」が形成されたとして(いわゆる「非連続説」に立つとして)、そこにいかなる「社会契約」があったのか? この問題に1947年日本国憲法はどう関係してくるのか?
 外国(とくに欧米)産の種々の「理論」のみを参照して、日本に固有の問題の解決または説明を行うことはできないだろう、という至極当然と思われる感慨に再びたどり着く。

1002/大地震・大津波後2週間余-風土と思想、朝日新聞と岩波。

 〇レマン湖畔生まれのJ・J・ルソーは地中海や大西洋を見たことがあるだろうか。あったとしても、津波を知らず、大地震を経験したこともなかっただろう。

 マルクス、エンゲルスも同様。彼らに限らず、スコットランドのアダム・スミスもエドマンド・バークも(コウクも)、ドイツのヘーゲルやカントも、オーストリア(出身)のケルゼンもハイエクも、大地震や津波を経験することなく、これらによって不意に多数の人々が生命を喪うことがあることを知らないままで「思考」しただろう。

 農耕民族と狩猟民族という対比のほかに、相対的には日本の方が温暖で、欧州は(イタリア南部等を除いて)日本人な感覚では寒冷地だということも日本と欧州の差異として指摘しうるだろう。この後者は、日本の自然の方が恵まれている、という趣旨でも指摘されてきた。四季があり、美しい山と平地と海とを一箇所からでも望見できることは、日本の誇りでもある(あった)だろう。

 だが、地震と津波をおそらく全く(またはほとんど?)経験することのない欧州人と、何十年かに一度はそうした自然の「襲撃」を受けてきた日本人とでは、寒冷地と温暖地という差異も含めて、自然観、死生観、人間観、そして宗教や「思想」が異なって当たり前だと思える。

 いかに魅力的な?「欧州近代」の思想も理念も、そのままでは絶対に日本に根付くことはないと思われる。「日本化」されて吸収されてこそ、あるいは吸収されたのちに「日本」的な変容をうけてはじめて、日本と日本人のものになる、というべきだろう。
 「風土」は<思想>(や<宗教>)と無関係ではない。それぞれの「風土」ごとに<思想>や<宗教>は成り立つ、というべきだろう。
 というような、当たり前のことかもしれないことを昨今、感じている。欧州産の「思想」を理解した気分になって<偉そうに>日本(・日本人)への適用を説くエセ知識人、日本人ではなくなっている(とくに人文・社会系の)学者・研究者たちを、軽蔑しなければならない。(かつてはマルクスが…、ルソーが…、)ルーマンが…、ハーバーマスが…、レヴィ=ストロースが…などとさかんに言っているような人々は、「日本」と「日本人」をいかほど理解しているのだろうか。日本国憲法もまた「欧州近代」の思想・理念を継受して(によって作られていて)いるが、その憲法を欧米の思想・理念・原理によってのみ理解する日本の憲法学者は、はたして「日本人」だろうか。

 〇大震災・原発問題を表紙とする雑誌・週刊誌類に混じって、「日本破壊計画」と銘打った週刊朝日増刊・朝日ジャーナル2011.03.09号(朝日新聞出版)が書店に並んでいるのを見て、朝日新聞が進めている「日本破壊計画」がまさに実現しているようで、ゾッとする。この時点で、「日本破壊計画」を特集する週刊朝日増刊を出版するとは…。

 むろん偶然ではあろう。「左翼」政治活動家・編集長の山口一臣は巻頭言は、今の日本にある「アンシャン・レジーム」を解体・破壊せよとの旨を書いているが、じつに興味深い倒錯が(やはり)見られる。戦後「平和と民主主義」のもとで日本国憲法を戴きつつ「アンシャン・レジーム」を形成・維持してきた中心にあったのは、朝日新聞(社)そのものではないか。また、「アンシャン・レジーム」というフランス革命時代に愛用された語を使っていることも、山口一臣の「革命」願望を示しているに違いない。

 これまた偶然だろうが、月刊世界の別冊-2011年819号(岩波)も並んでいて、「新冷戦ではなく、共存共生の東アジアを」という大きな見出しを表紙に掲げている。掲載されているシンポジウムのテーマは「2050年のアジア―国家主義を超えて」(日本側の基調報告者は東京大学名誉教授・坂本義和。また東京大学だ)。
 尖閣問題のあとでなお「共存共生の東アジアを」と叫びつづけるとは、さすがに朝日新聞とともに「左翼(・反日)」の軸にある岩波書店、というべきだ。「国家主義」が(厳密にどう定義・理解されているのか読んでいないが)<悪>として描かれているのも、相変わらずの<反ナショナリズム>(「ナショナル」なものの否定)を明瞭にしていてうんざりする。
 大手メディアはきちんとは報道していないようだが、自衛隊とともに在日米軍は被災地で奮闘してくれてくれているようだ。
 一方、「東アジア」の中国が日本に派遣したのは東南アジアの小?国と同程度の15人らしい。これで反米・非米の「共存共生の東アジアを」と叫んでいるのだから、異様な感覚だ。今さら指摘するまでもないのだが。
 〇月刊WiLL5月号(ワック)に掲載の諸氏の「東北関東大震災/私はこう考えた」の文章のうち、(全部読んだわけではないが)最も印象に残ったのは、つぎの西部邁の文章だ(なお、西部邁を<保守>派の第一位と位置づけているわけではない)。
 「この大震災は日本国家の沈没を告げる合図だ、と感じないほうが不思議といってよい」(p.50)。
 そのような「合図」に少なくとも結果としてはなったと、後世の「日本」史学者あるいは世界の歴史家が叙述しない、という保障はまっくないだろう。西部邁はこう続けている-「そのことについての率直な感想が、どのTVのどの番組においても、ただの一言もなかったのである」。
 西尾幹二らも、また別に山際澄夫「国難を延命に利用/菅総理の卑しい魂胆」(p.233-)も縷々指摘していることだが、「戦後」のなれの果ての、「左翼」民主党政権下で大震災を被ってしまったことは、なんという悲痛なことだろう。

0998/民主党・長妻昭の「無能」さと中川八洋による「子ども手当」批判。

 〇桝添要一は半年ほど前のテレビ番組で、長妻昭(民主党・前厚労大臣)を「無能です」と一口で切って捨てていた。

 長妻昭が大臣時代に、年金切替忘れの専業主婦を「救済」する方針が決定され、課長「通達(通知)」でもって今年から実施された。

 近日において、民主党内閣(細川厚労大臣)はこれを「違法」ではないが「不適切」だったとし、当該課長を官房付に「更迭」したと伝えられる。

 長妻昭は課長「通達」で済ますことの問題性を何ら認識していなかったようだ。ほとんど誰もその点を問題にしなかった旨を他人事のように述べていた。当該課長が「更迭」されるという<行政>的責任をとったとすれば、大臣だった長妻はどう<政治的>責任をとるつもりか?

 日本経済新聞の政治・行政担当の記者の経験もあるらしい長妻昭は、やはり「無能」なのではないか。かつて政治・行政担当の新聞記者であっても、法律によるべきかかそれとも「通達」によってもよいか、という問題意識すらなかったようなのだから、行政担当の政治家としては「無能」と断言してよい。長妻に期待を寄せていた者もいるのだろうが、そのような人々も「無能」なのだろう。かつての新聞記者というのはこの程度だ(という者も多い)、ということもよく分かる。
 「違法」か「不適切」かはじつは重大な違いがある。特定範囲の在日外国人に対しても日本国民(国籍保持者)と同様の生活保護措置が執られることは、関係公務員(自治体も当然に含む)なら誰でも知っているだろうが、自民党内閣時代からの、古い、<生活保護法を……に準用する>旨の一片の「通達(通知)」にもとづいているにすぎない。このような例も含めて、国会では、法律によるべきかかそれとも「通達」によってもよいかを論議してほしいものだ。

 〇上の「救済」策は、忘却した直接の当事者に対しては、一種の「バラまき」にあたる。

 民主党は少子化対策とか景気浮揚の経済政策とか言っているようだが、<子ども手当>施策には「バラまき」との批判も強い。

 だが、「バラまき」福祉という批判だけではこの施策の本質を見抜いていない、という重要な指摘を中川八洋はしている(中川に限らないだろうが、ここでは中川の文章をとり挙げる)。中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)によると、以下のとおり。

 ・「子ども手当」等の「子育て」支援はマルクス=エンゲルス『共産党宣言』(1848)を教典とするカルト信仰からの思いつきで、「日本人から家族をとりあげ『家族のない社会』に改造する」ためのステップだ。共産党宣言にはこうある-「家族の廃止!……我々は両親の小児に対する搾取を廃止しようとする。〔親による教育の禁止は〕……〔子どもの〕教育を支配階級の影響からひき離すにすぎない」(p.14)。

 ・「子育て支援」とは<国家こそが子育ての主体>、<親は産んだ瞬間に役割を終える>等の狂気のイデオロギーによる共産党の造語だ。かかる施策が立法・行政に闖入したのは「自由社会では日本のたった一カ国」。類似の政策は①レーニンによる家族解体の狂策(但し1936年頃廃止)、②金日成・北朝鮮の「子供の国家管理」の制度化(p.16)。

 ・「子育て支援」施策の異様さは「扶養控除」の廃止と連結していることで分かる。「扶養控除」は<親が子供を育てる>を大前提として、親に対して国家が減税により若干の協力をしようとするもの。一方の「子育て支援」思想は「家族=孤児院」とするイデオロギーだ。子供=孤児、親=孤児院の経営者に見立てている(p.17)。

 ・「子育て支援」の狂気は、ルソー(重度精神分裂症者・孤児)の『人間不平等起源論』・『エミール』を教典とし、それを盗作的に要約したマルクスら『共産党宣言』にもとづき、レーニンが実行したおぞましい歴史を21世紀の日本で再現しようとするもの。民主党のマニフェストの「子ども手当」の背後思想は日本共産党により大量出版された「子育て支援」文献を援用しており、民主党は「共産党のクローン」になっている(p.17-18)。

 まだまだ続くが、ここで止めておく。

 民主党の元来の「子ども手当」の思想は<所得制限>といったものに馴染まない(だからこそ結果としては一貫して所得制限は導入されていない)。両親の収入の多寡に応じた「社会福祉」という国家の<援助>とは異なる。「国家」こそが「子育て」の主体(子どもを家族・両親から早期に切り離す)というイデオロギーに支えられたワン・ステップ(一里塚)と位置づけられている、と考えられる。中川八洋の指摘は決して大げさなものとは思えない。

0855/山内昌之・歴史学の名著30におけるレーニン・トロツキーとジャコバン・ルソー・ヘーゲル。

 一 山内昌之・歴史学の名著30(ちくま新書、2007)は、「作品の歴史性そのもの」、「存在感や意義」を考えて、ロシア革命についてはトロツキーを選び、E・H・カーを捨てた、という。
 トロツキー・ロシア革命史(1931)を私は(もちろん)読んでいない。トロツキストの嫌いな日本共産党とその党員にとってはトロツキーの本というだけで<禁書>なのだろうが、そういう理由によるのではない。
 山内の内容紹介にいちいち言及しない。目に止まったのは、次の部分だ。
 山内はトロツキーによる評価・総括を(少なくとも全面的には)支持しておらず、トロツキーが「革命が国の文化の衰退を招いた」との言説に反発するのは賛成できない、とする。いささか理解しにくい文章だが、結局山内は「革命が国の文化の衰退を招いた」という見方を支持していることになろう。推測を混ぜれば、トロツキーはかつての(革命前の)ロシアの文化など大したものではなかった、と考えていたのだろう。
 そのあとに、山内の次の一文が続く。
 革命によって打倒された「文化が、西欧の高度の模範を皮相に模倣した『貴族文化』にすぎないとすれば、ヘーゲルやルソーなど、トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたちが多くを負う思想を含めた西欧文化は行き場所がなくなってしまう」(p.206)。
 これも分かり易い文章ではないが(文章が下手だと批判しているのではない)、一つは、革命前のロシアも「西欧文化」を引き継いでいたこと、二つは、その「西欧文化」の中には「ヘーゲルやルソーなど、トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたちが多くを負う思想」が含まれていること、を少なくとも述べているだろう。
 興味深いのは上の第二点で、山内は、「トロツキーやレーニンらロシアのジャコバンたち」は「ヘーゲルやルソーなど」に負っている(を依拠している、継承している)として、まずは、「トロツキーやレーニンら」を「ジャコバンたち」、つまりフランス革命のジャコバン独裁期のロベスピエールらと同一視または類似視している。
 そして、つぎに、そのような「トロツキーやレーニンら」の源泉・淵源あるいは先輩には「ヘーゲルやルソーなど」がいる、ということを前提として記している。ルソーがいてこそマルクス(そしてレーニン)もあるのだ。
 短い文章の中のものだが、上の二点ともに、私の理解してきたことと同じで、山内昌之という人は、イスラム関係が専門で、ロシア革命やフランス革命、あるいはこれらを含む欧州史・西欧思想の専門家ではないにもかかわらず、よく勉強している、博学の、かつ鋭い人物に違いない、と感じている。
 山内は1947年生まれ。「団塊」世代だ。岩波書店からも書物を刊行しているが、コミュニスト、親コミュニズムの「左翼」学者ではない、と思われる。そして他大学から東京大学に招聘されたようで、東京大学も全体として<左翼>に染まっているわけではないらしい。
 但し、東京大学の文学部(文学研究科)でも法学部(法学研究科)でもなく、大学院「総合文化研究科」の教授。さすがに東京大学は、「歴史学」の<牙城>であるはずの文学研究科の「史学(歴史学)」の講座または科目はこの人に用意しなかったようだ。

0774/ルソーとフランス革命と「全体主義」。

 1.ルソーは将来の「フランス革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない。マルクスも、将来の「ロシア革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない(それをしたのはレーニンだ)。
 だが、ルソーが「フランス革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を、マルクスが「ロシア革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を提供したからこそ、ルソーとマルクスは後世にまで名を知られ、影響を与えたのだろう。言うまでもなく、「フランス革命」と「ロシア革命」は現実に(とりあえずは)<成功した>革命だったからだ。「フランス革命」と「ロシア革命」が現実に生起していなければ、ルソーもマルクスも、現実に持ったような「思想」的影響力を持たなかったように思われる。
 2.ルソーのいう「社会契約」等が内容的・思想的にフランス革命に影響を与えただろうことは推測がつく。また、『人間不平等起原論』が人間の「本来的平等」論につながるだろうことも判る。だが、ルソーとフランス革命の関係、前者の後者への具体的影響関係は必ずしも(私には)よく分からないところがある。
 前回言及の小林善彦ら訳の本(中公クラシックス)のルソーの年譜に、1778年に死去してパリの「エルムノンヴィル邸」(城館)に面する池の中の「ポプラの島」の埋葬されたが、1794年10月11日に遺骸が「ポプラの島」から「パンテオン」に移されて葬られた、とある。中心部の南又は東南にある「パンテオン」はフランス又はパリの<偉人>たちの墓でもあるらしいので、ロベスピエールの失脚(斬首)のあとの、1794年10月段階の穏健「革命」政府によって積極的に評価された一人だったことは確かだ。
 詳細な人物伝ではないが、中里良二・ルソー(人と思想)(清水書院、1969)という本があり、次のような文章を載せる。
 ・「ルソーの『社会契約論』は、その存命中にはあまり広くは読まれなかったが、かれの死後、革命家たちの福音書になり、デモクラシーの精神を発達させるのに役立った。そして、一七九三年には、ロベスピエールとサン=ジュストは、『社会契約論』を典拠として国民公会憲法をつくったという」(p.24)。この「国民公会憲法」は1793年制定だとすると、これは<プープル(人民)主権>を謳った、しかし施行されなかった、辻村みよ子お気に入りのフランス1793年憲法のことだ。
 ・「ルソーがフランス革命において、ただ一人の先駆者」ではないが、「その一人であるということはできよう」。「一七九一年一二月二九日、デュマールは国民議会でルソーの像を建てることを提案する演説の中で、『諸君はジャン=ジャック=ルソーの中に、この大革命の先駆者をみるだろう』といっている」。
 ・「マラは一七八八年に公共の広場で『社会契約論』を読んでそれを注解し、それを熱心に読んだ聴衆が拍手喝采したという」。
 ・「一七九一年には、モンモランシーに建てられたルソー像には『われわれの憲法の基礎をつくった』と刻まれている」(以上、p.25)。
 このあと、中里良二はこうまとめる。
 「このような例だけによってみても、ルソーのフランス革命への影響がいかに大きかったかがうかがい知られる…」。
 ロベスピエールを<ルソーの子>又はこれと類似に表現する文献を読んだような気がする(中川八洋の本だったかもしれないが、確認の手間を省く)。
 ともあれ、ルソーのとくに『社会契約論』は(他に所謂<啓蒙思想>等もあるが)「フランス革命」の現実の生起に<思想的>影響を与えたことは間違いないようだ。
 なお、松浦義弘「ロベスピエール現象とは何か」世界歴史17・環大西洋革命(岩波講座、1997)p.200によると、ロベスピエールは「ルソーの霊への献辞」と題する文章の中で、「同胞たちの幸福」を求めたという自らの意識が「有徳の士にあたえられる報酬」だ、と書いたらしい。
 3.もっとも、以上は、松浦義弘(1952~)のものを除いて、フランス革命を<進歩的>な<良い>現象と捉えたうえで、ルソーにも当然に肯定的な評価を与えるものなので、その点は割り引いて読む必要がある。
 中里良二(1933~)の本の「はしがき」は次の文章から始まる。
 「ルソーは、今日にもっとも影響を及ぼした一八世紀の思想家の一人である」。
 その「影響」が人類にとって「よい」ものだったか否かはまだ結論を出してはいけないのではなかろうか。
 しかし、小林善彦(1927~)はこうも書いている。
 『社会契約論』は理解困難だった歴史をもつ。「二〇世紀の後半になると、ルソーこそは全体主義の源流だと見なす研究者さえ出てきている。時代背景も著者の生涯も無視して、たんにテクストだけを切り離して読むならば、そう読めないこともないとはいえるが、それならばルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか。やはり素直に読めば、主権者たる市民による民主主義の主張の書として読むのが正しいのではないかと思う」(中公クラシックス・ルソーp.18)。
 ここでは、①「たんにテクストだけを切り離して読むならば」、「ルソーこそは全体主義の源流だ」と「読めないこともないとはいえる」、と認めていることが興味深い。そして、フランス革命時の革命家たちは「テクストだけを切り離して」読んでいたのではないか、と想像できなくもないので、彼らは実質的には<全体主義>者になったと言うことも不可能ではない、ということになりそうなことも興味深い。
 ②疑いなく、「主権者たる市民による民主主義」を、肯定的に理解している。全世界に、少なくとも日本とっても<普遍的に正しい>思想だと理解している。かかる、小林善彦が当然視しているドグマこそ疑ってかかる必要があるのではないか、と特段の理由づけを示すことなく、言えるだろう。佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)という本もあった。
 もっとも、日本の中学や高校の社会系教科書では、圧倒的に、ルソーは小林善彦らの(従来の)通説に従って評価され、叙述されてはいるのだが。
 ③「ルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか」との指摘は<全体主義の源流>論に対する、何の反論にもならない。<二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした「悪い」影響>の可能性を否定できない。ルソー(・フランス革命)はマルクスに影響を与え、従って「ロシア革命」にも影響を与えた。共産主義(コミュニズム)による一億人以上の殺戮に、ルソーは全く無関係なのかどうか。

0773/ルソー・人間不平等起原論(1755)を邦訳(中公クラシックス)で読了。

 先週7/16(木)夜、ルソー・人間不平等起原論(1755)を、中公クラシックスのルソー・人間不平等起原論/社会契約論〔小林善彦・井上幸治訳〕(中央公論新社、2005)を読み終える。前者・人間不平等起原論の訳者は小林善彦。
 1 引用してのコメントはしない。社会契約論とともにルソーの二大著作とされることもあるが、平等「狂」、あるいは少なくとも「平等教」教組の戯言(たわごと)という印象を拭えない。
 現在の時点に立っての論評は不適切で、18世紀の文献として評価すべきだとしても、人間の「不平等」の「起原」についての論考・思考として、あまりにも説得力がなさすぎ、ほとんど「空想」・「妄想」だ。
 ルソーは今でいうと、「文学評論家」的又は「文学者」的「思想家」のようで、文章自体はおそらく、レトリックを多用した、美文又は(平均人は書けない)複雑な構成の文章なのだろう(邦訳なので、感じるだけだが)。そしてまた、倒置、仮定、二重否定、反語等々によって、意味の理解が困難な箇所も多い。
 2 すでに忘れかけているが、コメントをほとんど省略して、印象に残る(決して肯定・同意の趣旨ではない)文章をピック・アップしておこう。
 序文・「人間は一般に認められているように、本来お互いに平等である」(p.23)。
 ・「人間の魂の最初の、そして最も単純な働き」には「理性」に先立つつぎの「二つの原理」がある。①「われわれの安楽と自己保存」に関心を与えるもの、②「感性的存在、主としてほれほれの同胞が、滅び、または苦しむのを見ることに対して、自然の嫌悪を…起こさせるもの」(p.28)。②はのちにいう「同情心」(pitie)だろう。
 本論・人類に「二種類の不平等」がある。①「自然的または肉体的不平等」、②「道徳的または政治的不平等」。前者の源泉は問えない。これら二種の不平等との間の「本質的な関係」を求めることも不可能(p.33-34)。
 ・この論文では、「事物の進歩のなかで、暴力のあとに権利がおこり、自然が法に屈服させられた時を指摘」する等をする(p.34)。
 ・ここでの「探求は、歴史的な真理ではなくて、単に仮説的で条件的な推理」だ(p.36)。
 第一部・「未開人の身体」は彼の唯一の道具で、「生活技術」(<「文明」)は未開人の「力と敏捷さ」を奪う。
 ・ホッブズは「人間は本来大胆で、攻撃し、戦うことしか求めない」と言ったが、誤っている(p.41-42)。
 ・人間が身を守る手段がないのは「生まれながらの病弱と幼少と老衰とあらゆる種類の病気」だ。「はじめの二つ」は「すべての動物」に関係し、「最後のもの」は「主として社会生活をする人間に属する」(p.43)。未開人は「怪我と老衰のほかにほとんど病気を知らない」。未開人には「薬」は不要で、「医者」はなおさら(p.45)。
 ・「われわれの不幸の大部分はわれわれ自身で作ったもの」で、「自然によって命じられた簡素で一様で孤独な生活様式」を守れば避け得た。「思索」は「自然に反し」、「瞑想する人間は堕落」している(p.45)。
 ・「社交的になり、奴隷になると、人間は弱く臆病で卑屈になる」。「女性化した生活様式は、…力と勇気とをすっかり無力」にする(p.47)。
 ・「裸」のままでおらず「衣服と住居」を作ったことは「あまり必要ではない」ことだった(p.47)。
 とっくに、この<狂人>の「仮説的で条件的な推理」には付(従)いていけないのだが、つづけてみよう。
 

0745/「社会契約説」等、なぜ外来思想が必要なのか、等。

 一 宮本憲一・山口定・加茂利男・浦部法穂・菊本義治・成瀬龍夫・杉本昭七七名が表紙に明記されている「執筆・編修」者(全て大学教授又は名誉教授)である実教出版による高校/政治・経済〔新訂版〕(2009.01。2007.03検定済み)p.8以下は、「民主政治」のもとになる理念は「社会契約説」で、その代表的な思想家はホッブズ、ロック、ルソーだとし、「とくに市民革命による民主政治の誕生」に影響を与えたのはロックとルソーだとする。
 この「民主政治」(又は「近代民主主義」)の考え方は日本国憲法に採用され、日本にも基本的に妥当する、と考えられていると思われる。
 だが、かねて感じてきたのだが、「近代」国家にせよ、国家一般にせよ、その成り立ちを「社会契約説」によって説明するのは、日本には馴染まないのではないか。
 言語の異なる多「種族」又は「民族」がいてかつ地続きだった欧州諸国を風土的前提とする「社会契約説」は、ほぼ単一民族で方言はあってもほぼ同じ言語をもつ人々が集団で生きていた島国・日本の「国家」の成り立ちにはあてはまらないのではないか。
 さらにいうと、「社会契約説」などを説かなくとも、日本「国家」は(天皇とともに)古くから存在しており、人々にとって、「国家」の存在は、論じるまでもない所与の前提だったのではないか。
 マルクス主義も含めて、「国家」を外国・外来の<思想>で語る必要はないのではないか。

 二 高坂節三・経済人からみた日本国憲法(PHP新書、2008)には、全部を読んでいないが、興味深い指摘がある。
 1.孫引きになるが、法哲学者・長尾龍一は、日本国憲法につき、「上半身は啓蒙期自然法論、下半身は功利主義」だと表現した。<啓蒙期自然法論>の中にルソーらの社会契約論も入ってくる。
 著者・高坂節三(正顕の子、正嶤の弟)は「現在の国民感情は、上半身がぴったり収まらず、下半身が異常に発達した結果」ではないか、とする(p.224)。
 少なくとも<啓蒙期自然法論>のみで説明するのは無理がある。それを試みるのは、一種の<大嘘>か<偽善>だと思われる。
 2.孫引きになるが、岡崎久彦は某著の中で、クロムウェル時代の英蘭戦争の前の時期の<オランダは「平和主義の国」で、グロティウスを生み、画家たちも「戦争を呪い、戦争の悲惨さを訴える絵画」を描いた。「問題はオランダが、その国是ともいうべき平和主義のために戦争の危険に直面しようとせず、迫る危険に眼をつぶっていたことである」>と書いた(p.219)。
 社民党の福島瑞穂、「戦争の悲惨さを訴える」番組作りに熱心なNHKの関係者等々に読んでもらいたい。

0730/吉川元忠=関岡英之・国富消尽(PHP、2006)の中の関岡発言は正確か。

 〇吉川元忠=関岡英之・国富消尽-対米隷従の果てに(PHP、2006)はp.174まで進んでいる。
 佐伯啓思・大転換(NTT出版、2009)もまた、日本の(小泉・竹中)「構造改革の失敗」について語る。その事例として、「所得格差」・「労働の不安定さ」・「金融市場の不安定化」・「食料・資源価格の不安定化」・「IT革命という虚妄」といった「今日の事態」を挙げている(p.195)。
 たが、その「失敗」又は「誤り」の原因を基本的に<対米隷従>に求めることは適切か、という問題がある。吉川元忠=関岡英之の上掲書よりも、佐伯啓思の上掲書の方が、より複合的・総合的に考察しているように見える。
 上掲書の中で、関岡英之は次のように言う(p.123)。
 <民にできることは民で・官から民へ>は「歴史的必然」でも「唯一絶対の真理」でもない、むしろ「極めて偏向した、ひとつのイデオロギー」にすぎない。「それはアダム・スミスを源流とし、ハイエクやフリードマンが復活させ、レーガンやサッチャーが国是としたアンクグロ・サクソン流のいわゆる市場原理主義」だ。
 「いわゆる市場原理主義」と称するのは仮によいとしても、「極めて偏向した、ひとつのイデオロギー」の先頭にアダム・スミスを持ってくるのはいかがなものか。また、アダム・スミスからレーガン・サッチャーまでを一括りにして「極めて偏向した、ひとつのイデオロギー」と見るのは適切なのか。
 小泉・竹中(近年の自民党)「構造改革」路線を批判する「左翼」ならばともかく、あるいは「市場原理主義」に「社会主義」を対置させる社会主義者(・共産主義者)ならばともかく、上のように簡単には言うべきではないのではないか。
 関岡はまた、「いわゆる市場原理主義」をこう説明する。
 「『小さな政府』とマーケット・メカニズムの絶対視、政府の役割を否定して、民間企業の経済活動を自由放任し、市場の見えざる手に委ねるべきだというドグマ」。これは「米国の民間企業の利益、ひいては米国の国益を極大化する戦略にも直結している」。
 「米国の国益を極大化する戦略」に賛成するつもりはない。だが、「いわゆる市場原理主義」なるものに関する上の説明が正しいとすると「市場原理主義」自体をやはり問題視しなければならないことになるだろう。
 またそもそも日本政府(小泉・竹中「構造改革」路線)はかかる「主義」を採用して「政策」化・現実化してきたかというと、きわめて疑問だ。
 <規制緩和>の方向にあったことは間違いないように思われる。だが、日本政府はかつて、「政府の役割を否定」したことがあっただろうか。「小さな政府」とマーケット・メカニズムを「絶対視」しただろうか。「民間企業の経済活動を自由放任」しただろうか。
 例えば、現実には諸銀行に対して税金が投入された。合併への<誘導>もなされた。郵政「民営化」と言ってもまだ政府が全資本をもち社長の人事権(認可権)を総務大臣がもっていることは周知のとおり。「民間企業の経済活動」の規制にかかわる金融庁・証券取引委員会等の新しい行政機関もでき、かつ「経済活動」を「自由放任」にはしていない関係法律はいくらでもある。
 一種のレトリックだと釈明・反論されるかもしれないが、物事は単純にではなく、もう少し厳密に語るべきだと思われる。現象あるいは問題は、つまるところは、<公・私>・<官・民>・<国家と市場>の役割分担の<程度>・<あり方>であり、かつそれらは、<部門・分野ごとに>別々に論じられなければならないと思われる。

 関岡は「アダム・スミスを源流とし、ハイエクやフリードマンが復活させ…」というが、上記のとおり、アダム・スミスまで批判すると、「国家(計画)経済主義」(=社会主義)に対する市場経済主義(=資本主義)自体を批判することになりかねない。
 また、佐伯啓思によると、「構造改革」論者はミルトン・フリードマンとともにその師・フリートリッヒ・ハイエクの名を挙げることが多いが、たしかにハイエクの「思想」は「新自由主義」(注・佐伯が使っている語。「市場原理主義」でも「市場万能主義」でもない)の「教義」の「もと」になり、そしてアメリカ経済学の中心・シカゴ学派もハイエクの大きな影響を受けてはいる。しかし、「ハイエクの基本的考え方と、シカゴ学派のアメリカ経済学の間には、実は大きな開きがある」。ともに「市場競争を擁護」したが、「基本的な論理は、ある意味では、まったく違っている」。
 (このあとのより詳しい説明は省略。p.185-188とけっこう長い。)
 長い研究歴のある経済(・社会)思想の<専門家>と法学部出身の関岡とでは、前者の佐伯啓思を信頼しておいた方が無難だろう。<ハイエク→(アメリカ)→日本政府の政策>という二つの右矢印が適切かどうかも-少なくとも100%の影響力を示すとすれば-きわめて疑問なのだが、左端に「ハイエク」がくるかどうか自体も疑問なのだ。

 〇ルソー(・フランス革命)・辻村みよ子について中途休憩?している間に、阪本昌成・新・近代立憲主義を読み直す(成文堂、2008)の中に、ルソーについてかなりの(批判的な)叙述があるのに気づいた。最初と最後(「はしがき」と「あとがき」)はいずれもルソー・人間不平等起源論の引用から始まっている。
 いずれこの本にも言及したいが、この本は「新」版で(かなり書き直したようだが)、旧版はすでに読了しており、2年前にこの欄で少なくとも5回は言及していた(以下を参照)。あらためて似たようなことをルソーについて指摘するかもしれない。

0728/ルソーの「人生」を小林善彦は適切に叙述しているか。

 <有名な>思想家、フランスのルソー(1712~1778)について、「思想」どころか、その「人生」についても、叙述又は見方が異なる。
 渡部昇一=谷沢永一・こんな「歴史」に誰がした(文春文庫、2000)の谷沢によると、ルソーは、①「生まれてすぐに母に死なれ、10歳のときに父に棄てられた」、②「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、③「子どもが五人いた」が、「全員を棄ててしまった」(p.218)。
 中央公論新社の中公クラシックスの中のルソー・人間不平等起源論/社会契約論(2005)の訳者の一人・小林善彦は、この著のはじめに「テクストを読む前に」と題する文章を書いて、ルソーの「人生」をたどっている。
 小林は、上の①のうち母の死亡については、「生まれて十日後にシュザンヌ〔母親〕が死ぬと…」と言及する(p.3)。触れてはいるが、父親の行動に関する一文に付随させているだけで、成育のための「家庭」環境とは結びつけていない。この文章の最初の見出しは「成育環境」だが、まず小林が語っているのは、両親ともに「市民の階級の人」であり、これが「ルソーの思想形成にひじょうに大きな影響を及ぼしたと思われる」、ということだ(p.2)。少なくとも、生後10日後に死去した「市民の階級の」母親がルソーの「思想」に直接に影響を与えることはできなかったことは明らかなのだが。
 上の①のうち「一〇歳のときに父に棄てられた」については、明確な言及はない。もっとも、巻末の「年譜」には、1722年に父親が(ルソーの生地)ジュネーヴを「出奔」し、ルソーが伯父、次いで「新教の牧師」に「預けられた」、とあるので(p.413-4)、父親と生別していることは分かる。
 小林善彦は、父親は仕事(時計職人)に熱心ではなかったが、「ジュネーヴの時計職人」は特権的職業で比較的に余暇もあり「しばしば教養があって」市政等に関心をもち、蔵書も多かった、という。これは「ジュネーヴの時計職人」の話のはずだが、小林は「というわけで、幼い…ルソーは父親から本を読むことを習った」と書く(p.4-5)。これが事実であるとしても、明記はされていないが、父親が「出奔」するルソー10歳のときまでのことと理解されなければならない。
 上の②の「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、というのは事実だろうと考えられる。しかし、小林善彦はこれを明記はしておらず、上記のように「教養ある」「市民」の一人に「本を読むことを習った」という叙述の仕方をしている。さらに、「われわれにはおどろきであるが、小説を全部読んでしまうと、ルソー父子は堅い内容の本にとりかかった。それは…新教の牧師の蔵書」だった、とも書いている(p.5)。だが、上記のとおり、これもあくまでルソー10歳のときまでのことと理解されなければならない。教育熱心の父親が、10歳の男児と離れて(-を残して)別の都市へ「出奔」するだろうか、とも思うが。10歳のときまでに「新教の牧師の蔵書」を一部にせよ読んでいたのが事実だとすると、たしかに「われわれにはおどろき」かもしれない。
 上の③の<子棄て>および彼らの母親である妻又は愛人を<棄てた>ことについては、これらを別の何かで読んだことはあるが、小林善彦は一切触れていない
 小林善彦はルソーの人間不平等起源論・社会契約論について肯定的・積極的に評価することも書いている。そして、そしてルソーの「人生」についても、あえて<悪い>(少なくともその印象を与える)事柄は知っていても、書かなかったのではないか。
 小林も(表現の仕方は別として)事実としては否定しないだろうと思われる、「生まれてすぐに母に死なれ、一〇歳のときに父に棄てられた」、「家庭」を知らず、「正規の学校教育」を受けなかった、ということは、谷沢永一も指摘するように、ルソーのその後の「思想」と無関係ではないのではないか。
 小林善彦は1927年生、東京大学文学部仏文科卒、東京大学教養学部教授等歴任。ルソーに関する<権威>の一人とされているかもしれない。そして、こういう人に、同じ学界の者またはルソー研究者が、ここで書いたような程度の<皮肉>を加えることすら困難なのかもしれない。
 アカデミズム(大学世界)が<真実>・<正義>を追求しているいうのは、少なくとも社会系・人文系については、真っ赤なウソだ。あるいは、彼らに独特の(彼らにのみ通用する)<正義>の追求はしているかもしれないが。

0727/安藤昌益、佐藤信淵、そしてルソー(さしあたり辻村みよ子における)。

 一 渡部昇一=谷沢永一・こんな「歴史」に誰がした(文春文庫、2000。単行本初版1997)の第六章によると、日本の中学歴史教科書に江戸時代の安藤昌益が取り上げられるのは、E・H・ノーマンの忘れられた思想家(岩波新書、1950)の影響が大きいらしい。ノーマンはマルクス主義者で、米国でのマッカーシーイズム高揚時に米国から逃亡したが、エジプトで自殺した。
 安藤昌益は、谷沢によると、人間は平等に全員が「直耕」、すなわち農作に従事していれば「徳」を持った「上」(独裁権力者・超絶対権力者)が現れて社会をうまく治めてくれる、と説いたらしい。平等主義と独裁権力者(超絶対権力者)への期待が安藤「思想」のポイントのようだ。他に、農業のみを論じて商業・金融・流通等の<経済>は無視した(考慮外とした)こと。
 同様に、江戸時代の佐藤信淵が取り上げられるのは、マルクス主義歴史学者による羽仁五郎・佐藤信淵に関する基礎的研究(1929)の影響によるところらしい。谷沢によると、この佐藤も「絶対権力者崇拝」。かつ、佐藤信淵という人物と仕事(著作物)には不明瞭なことが多く、森銑三・佐藤信淵―疑惑の人物(1942)は「彼の業績を示すものは何もない」ことを明らかにした、という。
 にもかかわらず、岩波の日本思想体系のうち一巻は安藤昌益と佐藤信淵の二人の「思想」にあてられ、佐藤に関する森銑三の研究業績はほとんど無視されている、という。
 これらが適切な叙述であるとすると怖ろしいことで、戦後「左翼」教育の一端を示していることにもなるし、それに対するマルクス主義者(共産主義者・親共産主義者)の強い影響力も見てとれるし、さらに、世俗的には<偉い>「思想家」(の一人)と見られているような人物であっても、じつは荒唐無稽の、「狂人」のような考え方の持ち主でありうる、ということも示している。
 この二人への言及ののち、渡部昇一は「この教科書〔教育出版、1997年時点のもの〕は『平等大好き、絶対的権力者大好き』という考えの持ち主」で、とつなげていくが、「自分の嫉妬心を理屈で捏ね上げたのが、平等論」(渡部)、「平等主義とは要するに、一番下のレベルに揃えようという発想」(谷沢)と各々述べたのち、「嫉妬心を平等心と言い換えるという悪魔的な知恵」を捻り出した人間を二人の対談の俎上に載せる。<J・J・ルソー>だ。
 二 辻村みよ子・憲法(第三版)(日本評論社、2008)は、索引を手がかりにすると、以下のように六箇所で、J・J・ルソーに言及している。
 ①社会契約論(1762)の著者で「フランス革命にも多大な影響を与えた」。「人民の主権行使を徹底させて民主的な立法(一般意思形成)手続を確立することにより、人民主権の理論を導いた」(p.9)。
 ②フランスの「人民(プープル)主権」論は「代表制を否定し直接制の可能性を追求したルソー等」の理論に依拠している(p.70)。
 ③ロックやルソー等は「自然状態における人間の平等を前提にして、人間は生まれながらに自由であり平等であるという考えを理論化」した。これに従い、1776アメリカ独立宣言、1789フランス人権宣言は「平等」を謳った(p.180)。
 ④1.人権保障のあり方、2.国民主権・統治のあり方、の二点につき、「西欧の憲法伝統」は大まかには「英米流」と「フランス的」の二つに分かれる。2.の「統治の民主的手続のあり方」についても、英米とフランスの区別を「ロックとルソーの対抗」として理解する向きがあり、また、「トクヴィル・アメリカ型」(多元主義モデル)と「ルソー・ジャコバン型」(中央集権型「一般意思モデル)を対置させる見方もある(これが辻村も明記するように、この欄でも紹介したことのある樋口陽一の捉え方だ)(p.356)。
 ⑤ルソーはイギリスの「近代議会における代表制」を批判した。「自由なのは、…選挙する間だけ」だと。かかる古典的代表制はフランスでは1791年憲法の「国民(ナシオン)主権」と結びついた。これに対抗する「人民(プープル)主権」論というもう一つの系列も存在した(p.363)。
 ⑥違憲立法審査制は、「法律を主権者の一般意思の表明とみなすルソー的な議会中心主義が確立していた第三共和制期には、明確に…否定されていた」(p.474)。
 三 辻村みよ子は「人民(プープル)主権」説を少なくともベースにして日本国憲法の解釈やあるべき運用を論じているので、当然のごとく、J・J・ルソーに<親近的>だ(と言い切ってよいだろう)。「平等」主義の(重要な)淵源をルソーに求めてもいる。
 一方、渡部昇一=谷沢永一の上掲書が言及するように(p.216)、そしてこの欄でも紹介したことがあるように、ルソーの「思想」を「異端の思想」・「悪魔の思想」と断じる中川八洋のような者もいる。渡部昇一と谷沢永一も反ルソーだ。
 同じ人物の考え方(「思想」)について、どうしてこう正反対の評価・論評が出てくるのだろう。いま少し、J・J・ルソーの「思想」に立ち入る。

0706/ルソー・人間不平等起源論(中公クラシックス他)は「亡国の書」・「狂気の哲学」。

 谷沢永一=中川八洋・「名著」の解読-興国の著・亡国の著-(徳間書店、1998)という本がある。
 和洋5冊ずつ計10冊の著書が採り上げられている。もともとは「名著」だけのつもりだったようだが、結果としては副題のように「興国の著」のほかに「亡国の著」が和洋1冊ずつ計2冊、対象とされている。
 「亡国の著」(悪書)は、丸山真男・現代政治の思想と行動(未来社)と、ルソー・人間不平等起源論(中公クラシックスほか)。
 ついでに「興国の著」(良書)とされているあと8冊(和洋四冊ずつ)を紹介しておくと、日本-①林達夫・共産主義的人間、②福田恆存・平和論に対する疑問、③新渡戸稲造・武士道、④三島由紀夫・文化防衛論。外国-①マンドヴィル・蜂の寓話、②ハイエク・隷従への道、③B・フランクリン・自伝、④バーク・フランス革命の省察
 それぞれについて面白い対談がなされているが、丸山真男とルソーの著は、それこそ<ボロクソ>に非難・揶揄されている。ルソーは文字通り<狂人>扱い。
 思想家・哲学者なるものの全てがそれぞれそれなりに<偉く>もなんでもないことは、年を重ねるにつれ、確信にまでなっている。
 異常で<狂気>をもつ<変人>だからこそ、奇矯な(あるいは良くいえばユニークな)、そして読者に「解釈」を求める、つまりは理解し難い著書を数多く執筆し、刊行できた、ということは十分にありうる。
 長い、何やらむつかしそうな文章で詰まった本の著者というだけで<偉い>わけではない。そうした本の中には、明らかに、人間・人類に対して<悪い影響>を与えたものがある。
 人間というのはたまたま言葉と論理を知ったがゆえに、過度に、<新奇(珍奇)な>言説・論理に惑わされ、誘導されてきたのではないだろうか。
 人の本性・自然と自生的「秩序」から離れた<知的空間>には、危険な「思想」がいつの時代でも蔓延してきたし、国家・社会の<主流>になっていることすらある。ルソー「的」・マルクス「的」な「思想」は、日本が戦後、もともとは西欧「思想」の影響下にあったアメリカの影響を受けたために、そして(欧米的)「民主主義」=善、(日本的)「軍国主義」=悪という<刷り込み>をされてしまったために、<主流派>西欧思想がなおも日本人の意識の中では、正確には大学を含む学校教育やマスコミ等の<公的>空間に表れている意識の中では、<主流派>のままだと考えられる(土着的な又は深層レベルでの意識においてはなお「日本」的なそれは残存している筈だが)。
 <主流派>西欧思想としてホッブズ、ロック、ルソーらが挙げられようが、決してこれらは(佐伯啓思の言葉を借用すれば)西欧においてすら<普遍的>ではなかった。
 日本の社会系・人文系学問・学者の世界はおそらく<主流派>西欧思想(戦後はアメリカのそれを含む)が支配している。
 日本国憲法自体が<主流派>西欧思想の系譜に属すると見られるのだから、この拘束・制約は相当に重く、解け難いものと見ておかねばなるまい。
 憲法学者のほとんどが「左翼」(←<主流派>西欧思想)であるのも不思議では全くない。そして、辻村みよ子もまた、その憲法教科書で、当然のごとく、ルソーの「思想」に、善あるいは<進歩的>なものとして少なからず言及している。
 上の本での中川らの評価と辻村みよ子の本によるルソーの参照の仕方を、対比させてみたいものだ。

0693/フランス1793年憲法・ロベスピエール独裁と辻村みよ子-3。

 一 辻村みよ子・憲法/第3版(日本評論社、2008)がフランス1793年憲法に触れる箇所のつづき。
 ④ 日本国憲法14条にかかわり、平等「原則」と平等「権」との関係等の冒頭で以下のように述べる。
 ・アメリカ独立宣言以来、平等原則は自由と一体のものとして「確立」されてき、フランスでも1789年人権宣言が保障し、「『自由の第4年、平等元年』として民衆による実質的平等の要求が強まった1793年には、平等自体が権利であると主張されるようになり、1793年憲法冒頭の人権宣言では、平等は自然権の筆頭に掲げられた」(p.183)。
 このように、平等「権」保障の重要な画期として1793年憲法を位置づけている。
 ⑤ 統治機構に関する叙述の初めに、統治機構・権力分立と「主権」論の関係についてこう述べる。
 ・フランス1791年憲法では狭義の「国民(ナシオン)主権」のもとで権力分立原則が採用されたが、1793年憲法は「人民(プープル)主権」を標榜し、権力分立よりも「立法権を中心とする権力集中が原則」とされ、そのうえで「権限の分散と人民拒否等の『半直接制』の手続が採用された」。このように、「主権原理」と「権力分立」は「理論的な関係」があり、「立法権を重視する『人民(プープル)主権』原理では三権を均等に捉える権力分立原則とは背反する構造をもつといえる」(p.355)。
 「人民(プープル)主権」原理が所謂<三権分立>と背反する「立法権」への「権力集中」原則と親近的であることを肯定している(そして問題視はしていない)ことに留意しておいてよい。
 ⑥ 「人民主権」→「市民主権」論を再論する中で、再び外国人参政権問題に次のように触れている。
 ・欧州の最近の議論でも「フランス革命期の1793年憲法が『人民(プープル)主権』の立場を前提に外国人を主権者としての市民(選挙権者)として認めていたのと同様の論法を用いて外国人参政権を承認しようとする立論が強まっている」。「近代国民国家を前提とする国民主権原理を採用した憲法下でも外国人の主権行使を認める理論的枠組みが示され、国民国家とデモクラシーのジレンマを克服する道が開かれたことは、…日本の議論にきわめて有効な糧を与えるものといえよう」。
 このあと、まずは「永住資格をもつ外国人」についての「地方参政権」を認める法律の整備が必要だ旨を明言している(p.369)。「欧州連合」のある欧州諸国での議論がそのようなものを構想すらし難い日本にどのように「糧」となるのかは大きな疑問だが、立ち入らないでおこう。
 以上が、「事項索引」を手がかりにした6カ所。
 さしあたり、すべて好意的・肯定的に言及していること、この憲法制定後の「独裁」や数十万を殺戮したとされる「テルール(テロ)」・<恐怖政治>には一切言及がないことを確認しておきたい。
 以上の6カ所以外にも、重要な「国民主権」の箇所でフランス1793年憲法に(つまりは「プープル主権」に)言及している。また、ルソーやロベスピエールに触れる箇所もある。なおも、辻村みよ子・憲法(日本評論社)を一瞥してみよう。
 二 ところで、中川八洋によれば、マルクス主義もルソーの思想も「悪魔の思想」。フランス革命(当然に1793年「憲法」を含む)も(アメリカ独立・建国と異なり)消極的に評価される。憲法に関連させて、中川八洋・悠仁天皇と皇室典範(清流出版、2007)はこう書く。
 ・フランス「革命勃発から1791年9月までの二年間は、人権宣言はあるが、憲法はなかった。”憲法の空位”がフランス革命の出発であった。/1792年8月に(1791年9月生まれの)最初の憲法を暴力で『殺害』した後、1795年のフランス第二憲法までの、丸三年間も、憲法はふたたび不在であった。フランス革命こそは、憲法破壊と憲法不在の九十年間をつくりあげた、その元凶であった」(p.166)。
 上の文章では、未施行の1793年憲法などは、「憲法」の一種とすらされていない。
 上の中川の本にはこんな文章もある。
 ・「ルソー原理主義(もしくはフランス革命原理主義)の共産主義」は「表面的には」、「マルクス・レーニン主義の共産主義」ではない。このことから「過激な暴力革命」ではないとして「危険視されることが少ない」。「ルソー原理主義系の憲法学が、日本の戦後に絶大な影響を与えることになった理由の一つである」。
 なるほど。
 辻村みよ子が「ルソー原理主義」者もしくは「フランス革命原理主義」者であることは疑いえないと思われる。そしておそらく、「マルクス・レーニン主義の共産主義」者としても、資本主義→社会主義という<歴史的発展法則>を信じた(ことがある)のだろうと推察される。次回以降に、この点には触れることがある。
 なお、先だって中川八洋・悠仁天皇と皇室典範に言及したあとで、この本は全読了。確認してみると、皇室問題三部作の二冊目の、中川・女性天皇は皇室断絶(徳間書店、2006)も「ほぼ」読了していた。

0524/樋口陽一は<ジャコバン独裁>の意義を「痛みとともに追体験」せよ、と主張した。

 一 樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)は、「ジャコバン主義」には次の二つの異なる含意がある、とする。①「一七九三年」を「一七八九年を否定する」、「『市民=ブルジョア革命』からの逸脱」と捉える、②「一七八九年を完成させた一七九三年」と捉える。そして、樋口は後者②の意味で「ルソー=ジャコバン主義」を理解する旨を明記している(p.122)。これは、前回言及したフランスの一七八九年と一七九三年の関係の「理解」に関する第二の説に他ならない。そして、「ルソー=ジャコバン主義」とは彼において、「フランスの近代国家のあり方の象徴」たる表現なのだ(p.122)。
 ところで、樋口は上の二つの含意に触れる直前に、「『ギロチンと恐怖政治』というひとつのステロタイプ化された『ジャコバン主義』像はここで問題にしなくてよい」と書いている(p.122)。本当に「問題にしなくてよい」のだろうか。そして「問題にしなくてよい」のはいったい何故なのだろうか。「ステロタイプ化され」ているか否かが争点ではないだろう。だとすると、おそらく樋口は、「ギロチンと恐怖政治」は革命過程のやむを得ない必要な一環だったと理解しているか、「ギロチンと恐怖政治」の実態を知らない(又は知ろうとしていない)かのいずれかなのだろう。そのどちらにせよ、それでよいのか?
 二 前回に紹介してもよかったことだが、柴田三千雄・フランス史10講(岩波新書、2006)は、フランス革命は「ブルジョワ革命の典型」だったとする従来一般的だったかに見える理解は「今日」では「成り立ちにくい」と明言する。その理由として挙げられているのは、①封建制→資本主義→社会主義という「発展段階理論」自体がソ連の解体によって崩壊した、②「一九六〇年代から、貴族とブルジョアジーは必然的に対立するものではなく、またフランス革命はブルジョアジーが資本主義の支配を目的にしたものではない、とする『修正主義』が有力となった」、ということ。
 さて、この柴田の本は、学問分野や関心の違いからして当然かもしれないが、「ジャコバン主義」を、又はそれにかかわる歴史的経緯を、樋口陽一とは異なってつぎのように説明している(理解しやすい、定義的な文章はない)。
 1792年9月発足の国民公会で「ジャコバン派(=山岳(モンテーニュ)派)」に同調する議員が増え、1793年6月に対立する「ジロンド派首脳」を国民公会から「排除」した。その後同公会は1793年憲法を採択したが、10月に「憲法の施行を停止して公会に全権力を集中する『革命政府』体制をとることを宣言」し、とくに「公会内の公安委員会の権限」を大きくした。これが「恐怖政治」(テルール)体制と呼ばれるもので、その理念は「ジャコバン主義」とも言われた。代表するのはロベスピエール。
 ロベスピエールにおいて、民衆への所有権の配分と「習俗の全面的刷新」による(民衆たちの?)「新しい人間」創出が重要だった。「テルール」とは「『徳と恐怖』を原理にもつ戦時非常体制」のことで、「徳」=「公共の善への献身」、「恐怖」=「それに反する者への懲罰」だ。
 「革命政府」は「反革命勢力にたいする仮借のない戦い」とともに「独走する民衆運動のコントロール」も重視した。「ジャコバン派(=山岳派)」は鉄の団結をもつ派ではなく、1794年春にロベスピエールは、ジャコバン派内の右派「ダントン派首脳」と民衆運動へり影響力をもつ左派「エベール派」を「粛清」した(以上、p.127-9)。
 その後ロベスピエールは「独善的な精神主義」に傾斜していくとされる(p.129。元来からそうだったのだろう)。以上に簡単に触れられているロベスピエールの思想又は「理念」は、なるほど、この欄でも何度か言及した(「狂人」とすら呼ぶ人すらいる)ルソーのそれと同じか、近い。
 三 柴田三千雄・フランス革命(岩波現代文庫、2007。初出1989、2004)は、「ジャコバン主義」につき、ジロンド派の殆どを排除した議会(国民公会)の「革命路線」は、「九三年から九四年にかけてのジャコバン・クラブが、この路線をとる革命家たちの中核的機関だった」ために、一般に「ジャコバン主義」と言われる、と説明している(p.169)。そして、「もっとも指導的な立場」にあったのはロベスピエールだったとしつつ、上の岩波新書よりも、歴史的・時間的経緯等を詳細に叙述している。
 反復と詳細な紹介を避けて、三点だけメモしておく。
 ①1792年に「九月の虐殺事件」が起きた。パリの牢獄内で反革命陰謀ありとの噂が立ち、「群衆」が複数の牢獄に侵入して「即決裁判」にかけ、2800人の囚人のうち1100~1400人が「殺され」た。囚人のうち政治(思想)犯だった者は約1/4(以上、p.157-8)。これは「革命政府」成立前のことだが、柴田によると「のちのジャコバン独裁は、この九月の虐殺の経験と関連がある」。すなわち、「反革命に対する民衆の危惧を盲目的に暴発させてはならず、…コントロールする必要がある」ために、「内部に妥協分子を含む二重権力ではなく、民衆の正当な要求を先取りしてゆく強力な革命的集中権力の樹立が前提条件になる」、これが「のちの恐怖政治の論理」だ(p.159)。
 ②「恐怖政治」(テルール)には「反革命の容疑者を捕えてどんどんギロチンにかける」という狭義の「司法的」一面の他に、「自由経済に対する統制」という「経済統制の面」もある(前者の「一面」を否定していないことが、確認的にではあれ関心を惹いた)。
 ③「革命政府」とは当時使われた言葉で、「憲法に基づかない」政府という意味だ。1993年憲法は国民公会の10月10日の宣言により施行が停止され、12月4日の法令により「全権力」が国民公会に集中された。とくに国民公会内の公安委員会と治安委員会に権力が集中し、行政府(大臣等)は「公安委員会に従属」した(p.176-7)。
 四 <ジャコバン独裁>期の殺戮等の実態については、さらに関係文献を渉猟し参照して紹介する。また、フランス的又はルソー=ジャコバン的<個人>観についても触れたいことはある。
 上の二テーマについては、ある程度の用意はある。だが、後回しにして、今回は、最後に、樋口陽一・自由と国家(1989)の中の次の文章を紹介しておきたい。
 日本(の一部)では「西洋近代立憲主義社会の基本的な約束ごと(ホッブズからロックを経てルソーまで)」が見事に否定されている。「そうだとしたら、一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」(p.170)。
 これは、樋口陽一のきわめて<歴史的>な発言で、<歴史>に永く記憶されるべきだ、と考える。
 「中間団体」の問題には立ち入らない(まだ言及していないから)。また、「西洋近代立憲主義社会の基本的な約束ごと(ホッブズからロックを経てルソーまで)」を日本と日本人が何故守り、実現しなければならないのか?という基本的に重要な論点・問題もある。  だが、それよりも重要なのは、樋口が、日本人に対して、「ルソー=ジャコバン型個人主義の意義」を「追体験」せよ、と主張していること、しかも、「そのもたらす痛みとともに」追体験せよ、と主張していることだ。
 端的にいえば、これは、<ジャコバン独裁>期の(思想の違いを理由とする)<殺戮・虐殺>を伴うような<革命>を経験せよ、<殺戮・虐殺>も「追体験」して、(それに耐えられるような?)「中間団体」に守られない<強い>「個人」になれ、という主張だ、と考えられる。少なくとも、かかる解釈を許すことを否定できないものだ。この人は、1989年に、何と怖ろしい主張をしていたものだ。こういう主張・考え方は<左翼・全体主義>と形容することもできる。<共産主義>の萌芽をそのまま承認している、と言ってもよい。
 大雑把に書くが、国家の「一般意思」に全面的に服従する(献身する=犠牲になる)ことによって人民は「自由」になる、というルソー的考え方、個人(人民)の「自由」意思=人民の(直接民主主義的)代理人(の集合体たる議会)の意思=「一般意思」というルソー的観念結合は、実際には容易に一部の者の「独裁」、あるいは「全体主義」を導くものであり、上に引用にしたロベスピエールの考え方の一端にも垣間見えるように、思想の違いを理由とする(「一般意思」に違反するとの合理化による)<粛清>を正当化するものだ。
 樋口陽一は、この著名らしい元東京大学の憲法学者は、まさに上のような考え方を持っていたのだ、と判断できる。そういう人が(むろん「左翼」で「親マルクス主義」者で、そして憲法九条護持論者だが)多数の本を出しており、社会的影響力もおそらく持っている。日本は怖ろしい社会になってしまった、と思わざるをえない。まだ、紙の上、言葉だけにとどまっているのが幸いではあるが、むろん人々の種々の政治行動(投票活動等)に影響を与え、現実化していく可能性はある(すでにある程度は現実化している?)。
 あらためていう。樋口陽一の上の文章は<怖ろしい>内容をもつ。
 付記-大原康男・天皇-その論の変遷と皇室制度(展転社、1988)は、数日前に全読了した。

0437/佐伯啓思・<現代文明論・上>のメモのつづき。

 佐伯啓思・<現代文明論・上>(PHP新書、2003)からの要約的引用のつづき。
 ・フランス革命の同時代の英国人、「保守主義の生みの親」とされるエドマンド・バークは1790年の著で、国家権力・「政府」は「社会契約などという合理主義でつくり出すことはできない」と述べ、フランス国王・王妃殺害の前、むろん「ジャコバン独裁」とその崩壊の前に、フランス革命は「大混乱に陥るだろうと予測した」。(p.162-3)
 ・バークによれば、フランス革命の「誤り」は「抽象的で普遍的な」「人間の権利」を掲げた点にある。「人間が生まれながらに自然に普遍的にもっている」人権などは「存在しない」、存在するのは抽象的な「人間の権利」ではなく、「イギリス人の権利」や「フランス人の権利」であり、これらは英国やフランスの「歴史伝統と切り離すことはできない」として、まさにフランス「人権宣言が出された直後に『人権』観念を批判した」。(p.166)
 ・バークによれば、「緩やかな特権の中にこそ、統治の知恵や社会の秩序をつくる秘訣がある」。彼は、「特権、伝統、偏見」、これらの「合理的でないもの」には「先人の経験が蓄積されている」ので、「合理的でない」という理由で「破壊、排除すべきではない」。それを敢行したフランス革命は「大混乱と残虐に陥るだろう」と述べた。(p.167-8)
 今回は以上。
 「合理的でないもの」として、世襲を当然視する日本の「天皇」制度がある。これを「破壊、排除すべきではない」、と援用したくなった。
 それよりも、<ヨーロッパ近代>といっても決して唯一の大きなかつ「普遍的な」思想潮流があったわけではない、ということを、あらためて想起する。
 しかるに、日本国憲法はこう書いていることに注意しておいてよい。
 前文「……<前略>。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」
 第97条「……基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、…、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」
 もちろん、客観的に「普遍の原理」にもとづいているのではなく(正確には、そんなものはなかったと思われる)、<制定者が「普遍的」だと主観的には理解した>原理が採用されている、と理解しなければならない。「生まれながらの」(生来の)とか「自然的な」自由・権利という表現の仕方も、一種のイデオロギーだろう。
 話題を変える。月刊WiLL5月号の山際澄夫論稿(前回に触れた)の中に、「(朝日新聞にそういうことを求めるのは)八百屋で魚を求める類であろうか」との表現がある(p.213)。
 上掲誌上の潮匡人「小沢民主党の暴走が止まらない!」を読んでいたら、(民主党のガセネタ騒動の後に生じたことは)「木の葉が沈み、石が浮くような話ではないか」との表現があった。
 さすがに文筆家は(全員ではないにせよ)巧い表現、修辞方法を知っている、と妙な点に(も)感心した。潮匡人は兵頭二十八よりも信頼できるが、本来の内容には立ち入らない。民主党や現在の政治状況について書いているとキリがないし、虚しくなりそうだから。

0431/佐伯啓思・<現代文明論・上>のメモ。

 佐伯啓思・<現代文明論・上>(PHP新書、2003)からの要約的引用のつづき。
 ・フランスにはアメリカと違い「きわめて貧しい」「市民階級」があり、「貧民市民層」の支配層(王・宮廷貴族・官僚・僧侶)への「恨み」・「怒り」=「ルサンチマンに彩られた自己意識、…被害者意識」がフランス革命を導いた「人々の心理」だった。革命は「権力の創出」(アメリカ)ではなく、「権力の破壊」に向けられた。(p.156-7)
 ・フランスでの「人民主権、…民主主義は、まずは反権力闘争として提示された」。フランス革命が生んだ「近代民主主義」は古典古代の如き「有徳の市民による政治参加」ではなく、「恨みと怒りに突き動かされた無産階級の、財産階級への闘争だった」。この意味で、「近代民主主義は、本質的に反権力的で、つねに権力を破壊しようとの衝動を伴っている」。(p.157)
 ・ロベスピエールはルソーを通して古代「共和主義」に共鳴して「徳の共和国」を作ろうとしたが、その「徳」は「貧者への同情に変形され」、その結果、フランス革命の「徳の共和国」は「徳のテロル」に変わった。(p.160)
 ・「ルソーの民主主義論」の二側面のうち「古典古代的な共和主義」・「市民的美徳」の再構成は「アメリカに受け継がれた」。また、アメリカ独立革命の指導者たちは「ルソー的な直接民主主義を完全に放棄」し、「連邦制という新たなシステム」を創出した。(p.161)
 ・もう一つの側面=「社会契約論を徹底した根源的な人民主権」は、「フランス革命に受け継がれた」。「古典的な共和主義や古典的市民の観念を失った近代民主主義は、フランス革命において凄惨な帰結をもたら」した。(p.162)
 以上。

0430/佐伯啓思「現代文明論・下」を読む。「現代文明論・上」メモ。

 佐伯啓思・20世紀とは何だったのか-「西欧近代」の帰結-<現代文明論・下>(PHP新書、2004)の第二章まで、p.74まで、を3/22の夜に読んだ。
 佐伯啓思に社会主義ないしマルクス主義に関する叙述は少ないと思っているが、佐伯啓思・「欲望」と資本主義-終りなき拡張の論理(講談社現代新書、1993)の第一章(計25頁)が「社会主義はなぜ崩壊したのか」で、読んだ形跡があった(一昨年か昨年)。但し、主として社会主義「経済」を問題にしており、マルクス主義全体を対象にしているのではないようだ(なお、この本はこの第一章しか目を通していないと見られる)。
 既述のとおり、佐伯・<現代文明論・>(PHP新書、2003)には、引用して書き残しておきたい文章が多い。以下は、その一部。断片的に。要約も適宜行う。
 ・ルソー主義者は現実の政治の場でも「主権」=「一般意思」は貫徹されるべきで、「統治者」は「主権者」そのものの必要があると読んだ。「その帰結はというと、全体主義へと陥った」。(p.136)
 ・ルソーの「市民」とは、「私心」を捨てて「公共的なもの」を考える、「市民的美徳」をもつ「徳の高い公共心に富んだ」、「古典古代」的「市民」で、「共和主義」ともおおよそ重なる(p.140-2)。しかし、「近代民主主義」はルソーが復活を意図した「共和主義が、実際には大きな変質を受けて誕生した」。ルソーにおいて「古典的な市民による共和主義が、人民主権の民主主義を支えていたはず」だったが、実際には、「近代民主主義」における「市民」とは、「単なる個人の集まりで、自分の利益、権利にもっぱら関心をもつような個人」だった。そして、かかる「近代的市民」が「近代民主主義」の主役になった。(p.146-7)
 ・「民主主義を徹底して…人民主権を実現しようとすると、無理にでも民衆の一致した意思をつくり出す」必要があり、そのために「一般意思」という「フィクションを民主主義は必要とする」。「このフィクションが…『国民主権』や『国民の意思』という概念」だ。かかる「国民の意思」を「仮構せざるをえないところに近代民主主義の逆説がある」。(p.147-8)
 ・上の「考え方を徹底すると」、自分が「国民の意思」を表現しているとする「究極の代表者」=「独裁者」が現れる。「一種の全体主義の登場」だ。もっとも、「全体主義」は「目に見えない」「国民の意思」によって動かされることもある。「世論万能の政治」は「変形された全体主義」だ。「ルソーの考えたような民主主義を徹底すれば、ほぼ間違いなく全体主義へと行き着いてしまう」。(p.148)
 ・民主主義のなかには、あらかじめ何か全体主義的なものが含まれてしまっている」。「ルソーが示したものは、よくいわれるように、近代的民主主義の理論的な基礎」のみでなく、「同時に…全体主義的なものに変形されてしまう危険性でもあった」。(p.149)
 ・「われわれ」〔現代の日本人〕の考える「自由」は「公的なものと対立するもので、もっぱら『私』のみにかかわる」。一方、「アメリカの独立の指導者」たちにとって、「自由」とは、「もっと積極的に、人々との共同作業を行い、共同で何かをつくり出してゆく活動」にこそあった。「そのなかで、自己の能力を発揮し、他者から敬意を得る、こうした意味での自己実現こそが自由だということ」だった。(p.155-6)
 つづき、又は別の箇所への言及は別の機会に。 

0424/大月隆寛、辻村みよ子、保阪正康。

 1.産経新聞3/19の「断」というコラムで、大月隆寛が、福田康夫首相も用いた「生活者」という言葉に(「オルタナティブ」や「自立」と同様に)警戒する必要がある旨を書いている。<生活者(市民)の目線で>などと言っている政治家は信用できない旨をこの欄で書いたことがあり、大月には全く同感だ(大月の文章は愉快でもある)。
 大月は「プロ市民系のお札みたい」な言葉の筈なのに福田首相までが何故?、という叙述をしていたので、「市民」という言葉自体が「プロ市民系」の用語であることがあることを思い出した。いわく<市民運動>・<市民参加>・……。
 2.ここでさらに連想したのだが、憲法学者・辻村みよ子(現在、東北大学)は2002年に『市民主権の可能性-21世紀の憲法・デモクラシー・ジェンダー』という著書を刊行している(有信堂高文社)。「デモクラシー・ジェンダー」という概念の並び、すでにマルクス主義(但し、非共産党系と見られる)憲法学者としてその本の一部に言及した杉原泰雄(元一橋大)が指導教授だったらしいこと、と併せて推測すると、この「市民主権の可能性」というタイトル自体が、「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」(大月の上のコラム内の言葉)の概念である可能性があるだろう。
 安い古本が出れば、この辻村の本を読んでみたい。なお、
辻村みよ子には(これまた所持しておらず安い古本待ちだが)『人権の普遍性と歴史性―フランス人権宣言と現代憲法 』(1992)という本もある。ルソー・フランス革命・「人権宣言」に親近的な者であることにたぶん間違いない(かりに「賛美者」とは言えなくとも)。
 ついでにさらにいうと、辻村みよ子は小森陽一と岩波ブックレット・有事法制と憲法(2002)を書いてもいる。「プロ市民系」、「民主党社民党共産党界隈」の精神世界に居住する(と見られる)れっきとした憲法学者が国立大学(法人)に現にいらっしゃることを忘れてはならない。
 3.言葉、ということでさらに連想したのだが、かつては「左翼」又は進歩的文化人・知識人に馴染みだった筈の言葉に、<ファシズム>がある。この言葉自体はよいとしても(つまりドイツやイタリアについては使えるとしても)、少なくともかつては、日本も戦前(・戦中)は「ファシズム」国家だったという認識が、意識的に又は暗黙裡に表明されていたと思われる。何といっても、先の大戦は、<民主主義対ファシズム>の戦争で、道義的・倫理的にも優る前者が勝利した、と(GHQ史観の影響も受けて)語られてきたのだ。
 しかるに、丸山真男が典型だったが、戦前日本をファシズムと規定するかかる用語法は近年はあまり用いられなくなった、と思われる。
 ところが、この語を2006年の夏に平然と用いていた者に、評論家・保阪正康がいる。以下の記事にはこれまでも別の角度から言及したことがあるが、保阪正康は2006年8月の朝日新聞紙上で、次のように明記した。
 「…昭和10年代の日本は極端にバランスを欠いたファシズム体制だった…」、「無機質なファシズム体制」が2006年08.15に宿っていたとは言われたくない(「ひたすらそう叫びたい」)。
 さて、保阪正康は具体的には又は正確には「ファシズム(体制)」をどのようなものと理解し又は定義したうえで、日本はかつてその「体制」にあり、その再来を憂える、と主張しているのか。歴史家又は歴史評論家(とくに昭和日本に関する)を自認するのなら、この点を揺るがせにすることはできない筈だ。どこか別の本か何かに書いているのかもしれないが、かりに平然と又は安易に戦前日本=ファシズムというかつての(左翼に主流の)図式に現在ものっかっているだけならば、昭和日本に関する歴史家又は歴史評論家と自称するのはやめた方がよい。かりに「作家」の資格で文章を書いているとしても、かつての「プロ市民系」、<社会党共産党界隈>の概念を、その意味を曖昧にしたままで安易に用いるべきではなかろう。

0423/佐伯啓思・人間は進歩してきたのか(PHP新書)を半分以上読んだ。

 先週のいつ頃からだったか、二夜ほどで、佐伯啓思・人間は進歩してきたのか-「西欧近代」再考<現代文明論・上>(PHP新書、2003)の最初からp.168までを一気に読んだ。
 広いスパンだけに、むつかしくはない。だが、これは大学の全学共通科目(私の時代では「教養」科目)の講義を元にしてできた本のようで、当該科目を受講できた学生たちが羨ましい。自分も20歳前後にこんな内容の講義を(まじめに)聴いていれば、人生が変わったかも、と思ったりする。
 とりあえず、二点が印象に残る。
 第一に、何をもって、またいつ頃からを「近代」というかは問題だが、佐伯によると、中世=封建時代からただちに近代=自由・民主主義の時代に<発展>したわけではなく(ルネッサンス・「絶対王政」の時期が挟まる)、些か安易に一文だけ抜き出せば、「宗教改革という名のキリスト教の原理主義的回帰から、宗教から自立した近代的国家が成立し、世俗の領域が確立した」(p.81)。あえてさらに短縮すれば、宗教(神)から自立した世俗的国家・社会の成立こそが「近代」なのだ。
 これはむろん<ヨーロッパ(西欧)近代>のことで、かつ西欧でもフランス、イギリス、ドイツで異なる歴史的展開があったのだとすれば、<(ヨーロッパ)近代>の萌芽・成立・その後の「変化」を日本に当てはめるのは、キリスト教という宗教と<世俗>世界の対立・抗争に類似のものを日本は持たないことだけでも、もともと(よほどひどく単純化・抽象化しないかぎりは)不可能なことだろう。<進んでいる・遅れている>を論じても、-欧州「進歩」思想に全面的に同調しないかぎりは-無意味なのではないか。
 第二は、前回書いたことにかかわり、前回にすでに意識はしていたことなのだが、ルソーについてだ。
 ルソーについては前回も触れたが、中川八洋や阪本昌成の著書を参照しつつ、何度かその思想の中身に言及してきた。
 かつて自分がこの欄に書き記したことをほぼ失念しているが、佐伯啓思もほぼ同旨のことを(も)述べているように思う。以下、適当に要約的に引用する。
 ①万人が争う「自然状態」をなくして「自己の保存」(個人の生命・財産の安全確保)のために<契約>して「国家」ができるとするホッブズの矛盾・弱点-個人・市民と主権者・国家が乖離し後者が前者を抑圧するという可能性-を「論理的に解決」する考え方を示したのがルソーだ(p.115-6、p.119)。
 ②「近代」社会の合理性・理性主義を肯定し、「自由や平等に向けた社会改革」を支持するのが「啓蒙思想」だとすると、ルソーは(啓蒙主義者・啓蒙思想家としばしば称されるが)「啓蒙主義に対する敵対者」だった(p.119)。
 ③ルソーを啓蒙主義者の代表者にしたのは彼の著書『社会契約論』だが、この本の理解は容易でない。
 1.ホッブズと同様、「生命・財産の安全を確保するための契約」を結ぶ。但し、ホッブズの「契約」だと市民は国家・主権者に「結局、…服従」してしまうので、人間が「本来自然状態でもっていた基本的な自由」を失わず、「自分が何者かに決して従属しない」契約にする必要がある(とルソーは説く)。
 2.どうすればよいのか。「唯一の答えは、すべての人が主権者になるような契約」を行うことだ。これは、換言すると、「すべての者が従属者」でもある、ということ。この部分のルソーの叙述はわかりにくい。
 3.このわかりにくさの解消のために持ち出した「非常に重要な概念」が「一般意思」(p.121-3)。
 ④1.「一般意思」とは「すべての人が共通にもっているような意思(あるいは利害・関心)」。かかる「意思」を軸にして全ての人が結合でき、一つの「共同社会」ができる。この共同体は「すべての人が共通にもっている利害や関心を実現し、またそれを焦点にすることで形成される」。
 2.とすると、「共同体の意思」と「一人ひとりの人間」の「意思」は「同じはず」。「一般意思」による「共同体」形成により「個人の意思、利益、関心と社会の意思、利益、関心とは完全に一致する」。
 3.人はたしかに「共同体にすべて委ねてしまう」が、共同体に「従属」しはせず、むしろ「委ねる」ことにより自分の意思・利益を「いっそう有効に実現」できる。
 くり返せば、人がその生命・身体・全ての力を「共同体に委ね」、身体・全ての力を「共同のものとして、一般意思の最高の指導のもとに置く」。「自分自身を共同体に委ねてしまうことによって、逆に共同体の全体の力を、自分自身のものとして受け取ることができる」(p.123-4)。
 以上が、人は「自らが主権者であり、また服従者だ」ということの意味。 
 ⑤1.「一般意思」とは、個人の個々の関心の調整で生じるのではない、「もっと崇高」で「もっと根源的なもの」。
 もっとも基本的なものは「共同防衛」、「共同で自分たちの生命・財産を防衛すること」。
 2.共同防衛が「一般意思」ならば、人は「一度、全面的に一般意思に服」する必要がある。ルソーいわく、「共同体の構成員は…自己を共同体に与える。…彼自身と…彼のすべての力を、現にあるがままの状態で与える」。
 3.(佐伯は言う)「これはたいへんな話です」。「一般意思の実現のためには共同体に命を預けなければならない」。
 ルソーいわく、<統治者が国家のために死ねと言えば、市民は死ななければならない>。
 4.(佐伯は言う)上の2.3.のような面は「従来の政治思想史のなかでは…故意に触れられずにき」た。だが、かかる重要な点を欠いては、ルソーの社会契約論、つまり、「人々が契約によって社会状態に入り、なおかつ主権を維持するという論理は生まれえない」(p.125-8)。
 (以下にこそ本当は引用したかった部分が続くのだが、長くなりそうなので(すでに長いので)、結論的な叙述のみ引用しておく。)
 ⑥1.「一般意思」は事実上「人民(又は国民)の意思」に置換される。「『人民の意思』を名乗った者はすべてが許されます。彼に反対する者は『人民の敵』となるわけで、『人民の敵』という名のもとに反対者はすべて抹殺されてしまう」。「代表者に敵対する者は一般意思に対する裏切り者」で「共同社会に対する裏切り者」となる。「これは、独裁政治であり全体主義です」。
 2.「つまり、ルソーの論理を具体的なかたちで突き詰め現実化すると、まず間違いなく独裁政治、全体主義へと行き着かざるをえない。根源的民主主義は、それを現実化しようとすると、全体主義へと帰着してしまう」。
 3.「現にそれをやったのがフランス革命でした。フランス革命は。…ルソーの考え方をモデルにして行われた…。ルソーの最大の賛美者であり、徹底したロベスピエールは、まさに、自らが『人民の意思』を代表すると考え、人民の敵…といわれる者をすべて抹殺していく。いわゆるジャコバン独裁、恐怖政治に陥る」(p.134-5)。
 とりあえず以上。ルソーはフランス革命そして「近代」や「民主主義」の父などというよりも、ファシズムや社会主義(・共産主義)を用意した理論・思想を自らのうちに胚胎させていたのではなかろうか。
 ルソーがいなければマルクスも(そしてマルクスがいなければレーニンも)いなかった。中川八洋も同旨のことを繰り返し述べていたように記憶する。
 このように見ると、フランス革命を「学んだ」ポル・ポトらが「社会主義」の名のもとで自国民の大量虐殺を行ったのも何ら不思議ではない。と述べて、前回からのつなぎの意味も込めておく。

0422/吉田司の日経3/16書評におけるポル・ポトとフランス革命。

 日経新聞3/16の書評欄の一つを読んで、驚いた。というか、やはり、なるほど、との思いも半分以上はした。
 吉田司フィリップ・ショート著・ポル・ポト(白水社、山形浩生訳)を紹介・論評しているのだが、まず、「私たちは」1970年代後半にポル・ポトの「赤色革命を”社会主義の実験”として高く評価した」という最初の文自体が奇妙だ。
 「私たち」とは誰々なのか知らないが、ポル・ポト支配のカンボジアを「高く評価した」のは、社会主義幻想をまだ持っていた一部の者たちに他ならないだろう。吉田司もその奇矯な人々の中に含まれるのかもしれない。
 (奇矯な者のうち著名なのは、朝日新聞記者で、一時はテレビ朝日の夜のニュース番組で久米宏の隣に座っていた和田俊という人物だった。彼は、朝日新聞1975年4/19でこう書いた-「カンボジア解放勢力」は「敵を遇するうえで、極めてアジア的な優しさにあふれているように見える。解放勢力指導者のこうした態度とカンボジア人が天性持っている楽天性を考えると、新生カンボジアは、いわば『明るい社会主義国』として、人々の期待に応えるかもしれない」。「民族運動戦線(赤いクメール)を中心とする指導者たちは、徐々に社会主義の道を歩むであろう。しかし、カンボジア人の融通自在の行動様式から見て、革命の後につきものの陰険な粛清は起こらないのではあるまいか」。)

 驚き、かつ納得もしたというのは、上のことではなく-原本ではなくあくまで吉田司の文章によるのだが-パリへの国費留学生だったポル・ポトたちはマルクス主義文献を読解できないほど無能で、「結局、ポル・ポトが社会主義革命を理解したお手本は無政府主義のクロポトキンが書いた『フランス大革命』だったという」との部分だ。吉田の文を続ければ、フランス革命とは「…血みどろな生首が飛ぶあのジャコバン党の恐怖政治=ギロチン革命のことである」、ポル・ポトたちは「十八世紀フランスを夢見ていた」。
 フランス革命とマルクス・レーニン主義→ロシア革命の関係にはすでに何度か触れたことがあり、フランス革命がなければロシア革命も(そして総計一億人以上の「大虐殺」も)なかった、との旨を記したことがある。さらにはフランス革命を準備したルソーらの「啓蒙思想家」(遡ればデカルトらの「理性主義者」)を「近代」を切り拓いた<大偉人(大思想家)>の如く理解すべきではない(むしろ<狂人>の一種だ)旨を記したこともあった。
 そのような指摘が誤りではないことを、ポル・ポトに関するフィリップ・ショートの本は確認させてくれるようだ。
 フランス革命がなければ、クメール・ルージュの<大量虐殺>もなかった。フランス人は、あるいは一八世紀の「変革」を導いた<進歩的な>思想をばら撒いた一部の者たちは、後世に対して何と罪作りなことをしたものだろう。
 あらためてフランス革命やロシア革命後の、さらには北朝鮮や中国で<自国政権によって虐殺された人々>を哀悼したくなる。また、「近代」への画期としてフランス革命を理解・賛美し、そのような「イデオロギー」に染まって一般国民又は一般大衆を<指導>してきた日本の<進歩的知識人>たちの責任を問いたくなる(桑原武夫を含む。樋口陽一もその後裔ではないか)。
 ところで、フランス革命→ロシア革命という繋がりが見えてしまうと、ポル・ポトらがフランス革命を「社会主義革命」の「お手本」(吉田)にしたのは不思議でも何ではなく、吉田司が「なんという時代錯誤のファンタジー、革命のファルス(笑劇)だ!」と大仰に書くほどのことではないだろう。書評文の「70年代に仏革命めざした悲劇」という見出し自体がミス・リーディングの可能性すらある。通説的・通俗的なフランス革命観を持っている、吉田の蒙昧さを垣間見る思いもするのだが…。

0364/久しぶりにフランス革命について。

 フランス革命という「市民(ブルジョア)革命」やルソーについてはこれまでも、関心を持ってきた。
 そして、フランス革命がなければマルクス主義もロシア革命もなく、「社会主義」国内での1億人以上の(?)の自国民の大量殺戮もなかった、あるいは、ルソー(ルソー主義)がいなければマルクス(マルクス主義)も生まれず、(マルクス=レーニン主義による)レーニンの「革命」もなかった、という結論めいたことを示してもきた。
 その際、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)にかなり依拠したし、<化石>のごとき杉原泰雄の本、<化石部分をまだ残している>ごとき辻村みよ子の論述にも触れた。
 10回以上に及んでいると思うが、例えば、2007.07.04、2007.06.27、2007.03.20。
 伊藤哲夫・憲法かく論ずべし-国のかたち・憲法の思想(日本政策研究センター・高木書房発売、2000)の第三章「市民革命神話を疑う」(p.124~p.157)は、フランス革命について書いている。
 研究書でないため詳細でもないし、ルソーらとの関係についても詳細な叙述はない。しかし、フランス革命の経緯の実際-その<残虐な実態>-については、初めて知るところが多かった。
 逐一の引用・紹介はしない。実態ではない理論・思想問題についての叙述の引用・紹介も省略するが、三箇所だけ、例外としておこう。
 ①「革命の過程で生まれる『人民主権』といった観念こそが、実は『全体主義の母胎』なのであり、例えば民主主義の父・ルソーは、いわば『一般意思』と『人民主権』の概念を提唱したことによってかかる全体主義の父ともなった、と彼は告発しもする」(p.138)。
 ここでの「彼」とは、サイモン・シャーマ(栩木泰・訳)・フランス革命の主役たちの著者だ。
 ②「今日なおこの大革命『聖化』の大合唱に余念がないのが、わが国の知識人たちであり憲法学者たちだといえる」(p.140)。なお、冒頭には、樋口陽一、杉原泰雄という二人の憲法学者の名と叙述が紹介されている。
 ③フランス革命が「わが社会の目指すべきモデルだと、永らく説き続けてきたのがわが国の知識人でもあった。/…国民は、こうしたマインド・コントロールされた<痴呆状況>から解放されるべき」だ(p.157)。
 さらにフランス革命について知りたいという関心が湧いてくる。サイモン・シャーマの上記の本の他、フランソワ・フュレフランス革命を考えるや、二〇世紀を問う、という本などを、伊藤は使っているようだ。
 残念ながら詳細な参考文献リストはない。これらの本が容易にかつ低廉に入手できればよいのだが。

0292/坂本多加雄の一文-例えば「平等」。

 故坂本多加雄氏(1950-2002)の文章は、安心して読めて、風格や論理性も高い。
 中公クラシックス・福沢諭吉(中央公論新社、2002)の緒言「「文明」と「瘠我慢」のあいだ」にも印象的な文章がある。
 1.「私たちは…平等を「結果の平等」と捉えがち」だが、「小学校の競走競技で、参加者全員に一等賞を与える」といった「結果の平等」めざす傾向は、「個人の努力の意味を希薄させたり、各人のさまざまな能力上の差異という厳然たる事実に正面から向き合わないといった弊害も生むであろう」(p.4)。
 とくに後半はいい文章だし、内容も的確かつ重要だ。あえてさらに要約すれば、「結果の平等」目的→1.「個人の努力の意味」の「希薄」化、2.「各人のさまざまな能力上の差異という厳然たる事実」の無視、ということになる。
 2.関連して、平等主義というよりも<人間の見方>又は世界-国家(日本)-国民(個人)の関係に関連して語られているが、上と類似性もあるこんな文章もある。
 「人間は、それぞれ具体的な地域の社会的な諸条件・諸環境のなかに生まれ落ち、それが課すさまざまな負荷を帯びて成長する」。かかる負荷を全て捨象して「人間をひとしなみに「人類」の一員と同定することはどこまで妥当かという問題がある」(p.28)。
 「人が自分が置かれてきた環境や自らが担っている具体的な属性や条件を無視して、ひとえに「人類の一員」や「純粋な個人」として振る舞うことは果たして、どこまで正しいのか」(p.29)。
 こうした文章は、日本を<地球貢献国家に>とか主張しているらしい朝日新聞の記者や自分を日本国民よりも前に<地球市民>だなどと考えている者たちに読ませてやりたい。
 若いときはさほど感じなかったが、私も含めて人は両親(および両親につながる祖先たち)を選んで生まれてきたわけではなく、「生まれ落ち」る時代を自分で決定したわけでもない。
 そしてまた、「生まれ落ち」る郷土・<国家>も自分で判断して選択したわけでもない。たしかにわれわれはヒトの一種で人類の一員だろうが、現在の時代環境からすると、地球(世界)市民として生まれた、というよりも、やはり日本国民として生まれたのだ。そして、日本の社会であるいはその教育制度の下で大人になってきたのだ。このことに無自覚のようにみえる日本人が多すぎはしないか?
 あるいはまた、生まれつき(男女の区別はもちろん)身体的・精神的(知的)条件・能力においてある程度は<制約されている>こと、そしてその<制約>の内容・程度がどの他の個人とも同一ではではないことは、自明のことであり、厳然たる事実だ。
 生まれつきの<制約>の違いから生じる<不合理かもしれない>点、<不平等>性について、国家や社会の<責任>を追及できるのか? 殆どは、<運命>・<宿命>として受容しなければならないのではないか。むろん、出生後の環境や本人の<努力>(および偶然又は「運」)の影響を否定するものではないが。
 やや余計なことに私が筆を進めれば、朝日新聞や<左翼>の方々が好きかもしれない、個人を日本国民としてではなくまずは「人類の一員」や「純粋な個人」として捉えようとするのは、ルソー的な<平等なアトム的個人>という人間観だろう。財産等々の不公平(・格差)を否定しようとする平等主義は、資本主義(経済)に対する<怨嗟>・<憎悪>の念にもとづく社会主義・共産主義ーの第一歩となるだろう。
 3.戦後日本の歴史観への批判の文章もある。
 「戦後かなり長い間、明治国家の体制を「明治絶対主義」と規定するソヴィエトのコミンテルンの歴史観が圧倒的な影響力を保ち、マルクス主義が想定するような歴史の歩みに逆行するとされた明治政府にいかに対立したか、いかに抵抗したかで、明治期の政治家や言論人の思想や人物を評価したり批判したりするタイプの研究が幅をきかせてきた(…その粗雑な例としては、とくに中学校の歴史教科書の多くに見受けられる)」(p.11)。
 明治国家を「絶対主義」国家と規定したのは、言うまでもなくコミンテルンの影響(というより支配)を受けた、戦前の日本共産党系の「講座派」マルクス主義で、その考え方は現在の日本共産党(および「講座派」的マルクス主義者)にも継承されている。
 4.内容には立ち入らないが、坂本多加雄は世界(「文明」)-国家(日本)-国民(個人)の関係について福沢諭吉の議論を絡めながら説明し又は議論している。国民国家がまだまだ思考の基礎におかれるべきと考えられるところ(当然のことを書くが、日本国憲法や日本の法律は日本という国家にのみ・原則としては日本国民にのみ適用があるのであり、「国家」を単位としてこそ世界・地球は成り立っているのだ)、同旨を再述するが、日本を<地球貢献国家に>とか主張しているらしい朝日新聞の記者や自分を日本国民よりも前に<地球市民>だなどと考えている者たちは、福沢諭吉の「瘠我慢の説」等々による<精神的苦闘>を先ずは学習していただく必要があるように思う。

0243/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す(2000)のフランス革命論。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)は副題に「フランス革命」が付いているし、第Ⅱ部のタイトルは「立憲主義の転回―フランス革命とG・ヘーゲル―」なので、全篇がフランス革命に関係していると言える。そのうち、第Ⅱ部第6章「立憲主義のモデル」からフランス革命に直接関係がある叙述を、私が阪本昌成氏になったつもりで、抜粋的・要約的に以下にまとめてみる。
 フランス人権宣言16条が「憲法」の要素(要件)として「権利の保障」と「権力分立」の二つを挙げるていることは誤った思考に陥りやすく、要警戒だ。同宣言はいくつかの「権利」を明記しているが、それらのうちの「自由」・「平等」・「財産権」はフランスと米国ではニュアンスが異なる。とくに、「自由」の捉え方が根本的に違う。
 いま一つの「権力分立」は、フランス革命期には権力分立の亜種すらなく、ルソー主義の影響で、立法独占議会・「一般意思」表明議会の下での司法・行政だった。建国期アメリカの権力分立論は、人間に対する不信・権力への懐疑・民主制の危険等々<保守>の人びとの構想だった。
 今日では民主主義の統治体制を統制する思想体系が必要だ。
 フランス革命の意図は、1.王権神授説→理性自然法の実定化、2.民主主義と中間団体の排除、3.君主の意思が源泉との見方の克服、4.人間の自律的存在の条件保障、にあったが、1978年の封建制廃止・人権宣言による国民主権原理樹立後数十年間も変動したので、「近代の典型でもなければ、近代立憲主義の典型でも」ない
 フランス革命が安定をもたらさなかったのは、それが政治現象(=下部経済構造の変化に還元不可、=宗教対立でもない)で、<法と政治を通じて、優れた道徳的人間となるための人間改造運動>、<18世紀版の文化大革命>だったから。
 プープル(peuple)とは政治的には人民の敵を排除し、道徳的には公民たりえない人々を排除するための語だった。
 だが、人間改造はできなかった。「人間の私利私欲を消滅させようとする革命は失敗せざるをえ」ない。「偉大な痙攣」に終わった。
 フランス革命は均質の国民からなる一元的国民国家、差別なき平等・均質社会の樹立を目指したが、諸理想は「革命的プロパガンダ」に終わり、「結局、中央集権国家をもたらしただけで失敗」した。
 ブルジョア革命との高橋幸八郎ら歴史学者の定説やフランスでの「ジャコバン主義的革命解釈」はあるが、一貫性のないフランス人権宣言との思弁的文書、その後の一貫性のない多数の成文憲法、ジャコバン独裁、サン・キュロット、テルミドール反乱、ナポレオン、王制復古という流れには「構造的展開」はない。<フランス革命は民主主義革命でもなければ、下部構造の変化に対応する社会法則を体現したものでもない>。
 フランス革命の後世への教示は、自由・平等、自由主義・民主主義を同時に達成しようとする「政治体制の過酷さ」だった。ヘーゲルはこれを見抜いていて、「市民社会」の上に「国家」を聳え立たせようとした。これはマルクスによってさらに先鋭化された。
 フランス革命時の「憲法制定権力」との基礎概念は「革命期における独裁=過酷な政治体制を正当化するための論拠」で、「人民(プープル)主権論」こそが「代議制民主主義を創設」しなかったために「全体主義の母胎」になった。
 辻村みよ子は「近代市民社会」と「人権」との基礎概念を生み出した1789年の重要性にはすでにコンセンサスがあると反論するだろうが、1.1789年以降の諸憲法は「どれほどの自由を人びとにもたらした」のか、2.フランス人権宣言は政治的PR文書だ、3.91年憲法も93年憲法も「人為的作文(…法学者が頭の中で考えたデッサン)」で、ナシオン主権→間接民主制、プープル主権→直接民主主義原則というロジックは、「タームの中に結論を誘導する仕掛けを用意しているからこそ成立」する。
 91年憲法か93年憲法かとの論争は、ある憲法が<実際、どれだけの自由保障に貢献したか>で評価する必要がある。マルクス主義的階級・経済概念を用いてフランス革命を分析すべきでない。<人民主権原理が徹底するほど民主的で望ましい>とか<自由よりも本質的平等を謳う人権宣言が進歩的>などと断定すべきでない。
 ヘーゲルはフランス革命に「市民社会」作出を見たが、ヘーゲルの「市民」とフランスの「公共善を目的として活動する活動するシトワイアン」とは同じではない。
 後世の歴史家はフランス革命を二項対立図式で捉えて旧体制との「非連続性」を強調するが、トクヴィルルフェーブルは「連続性」を指摘した。
 「市民社会」=「ブルジョア社会」とし人間の労働が「プロレタリア階級」を不可避的に生むと論じたのがマルクスだ(ヘーゲルにおける「ブルジョア」概念はこうではなかった)。
 フランス革命による「第三階級」の解放に続く「第四階級=プロレタリア階級」の解放、フランス革命のやり遺しの実現を展望する者もいたが、フランス革命中の「恐怖政治」を「過渡的現象として不可避なこと」と見る脳天気な者は「歴史に対して鈍感すぎる」か「政治的に極端なバイアス」をもっている
 「均質化された大衆の権力ほど、自由にとって危険なものはない」。「実体のない国民が人民として実体化され、ひとつの声をもつかのように論じられるとき、全体主義が産まれ出ます」。フランス革命中の「一般意思」、「人民主権」、「人権思想」は「合理主義的啓蒙思想の産み落とした鬼子だ」。
 教科書でロックとルソー、フランス革命とアメリカ革命が同列に論じられるのは「私からすれば論外」だ。
 マルクス主義の強い日本では、イギリスが資本主義誕生国だったので、イギリスを乗り越えようとしたフランスを「モデル」にしたのでないか。
 以上、阪本昌成のフランス革命の見方・評価は明確だ。近代の典型でもなければ、近代立憲主義の典型でも」ないと言い、ルソーの人民主権論」こそが「全体主義の母胎」になったとも明言している。また、すでに言及した、杉原泰雄が前提としている歴史の「構造的展開」を否定し、
ナシオン主権→間接民主制、プープル主権→直接民主主義原則という単純化も否定している。「民主主義」を無条件に受容してはならない旨も繰り返されている。
 ヘーゲルの意図と違うとはいえ、フランス革命(「市民社会」作出)がマルクス主義につにながったことも明記している。総じていうと、わが国のマルクス主義的フランス革命理解を公然と批判している、と言ってよい。
 ルソーやフランス革命を肯定的に理解するかどうかが親共産主義(<全体主義)と親自由主義を分ける、といつか書いたことがある。また、マルクス主義自体は公然とは語られなくともルソーの平等主義によってそれは容易に復活する旨の中川八洋の言葉を紹介したこともある。
 桑原武夫をはじめとして、戦後の「進歩的」文化人・知識人はフランス革命を賛美し、民主主義革命の欠如した・又は不十分な日本を批判し、「革命」へと煽るような発言をし論文を書いてきた。
 今やフランスでもフランス革命の「修正主義」的理解が有力になりつつあるとも言う。
 フランス革命がなければマルクス主義もロシア革命もなく、1億人以上の?の自国民の大量殺戮もなかった(ソ連、中国、北朝鮮、カンボジア等々)。一般の日本人もフランス革命のイメージを変えるべきだろう、と思う。

0240/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す(成文堂、2000)のわが国主流派憲法学論。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)の第Ⅱ部のうち、わが国の憲法学に関する部分を、私が阪本になったつもりで、抜粋的に述べて、読了後のメモ書きにしておこう。
 1 戦後憲法学の基礎が弱々しかったのは、戦後憲法学が「自然状態」、「自然法」、「自然権」、「市民」、「市民社会」、「政治社会」、「国民国家」、「家族」、「個人」等の基本概念を曖昧に使用したからで、これらの根本的再検討が必要。<国民国家/市民社会>につき深く考えないままで<国家/個人>の対立をいきなり考えたのではないか(p.89)。
 1999年2月26日の経済戦略会議答申は<古典的リベラリズム・ルネッサンス>(人によっては「ネオ・リベラリズム」)の象徴だ。この答申は「公平な社会」よりも<公正な社会>の、<結果の平等>よりも<参入機会平等>の実現を重視している。「自由」と「平等」の関係、「自由・自律」→自己責任?等の課題が出てくる(p.93)。
 2 わが憲法学の特徴は、フランス革命とフランス人権宣言の「美しいイデオロギー」に、自由・平等の対立や自由主義・民主主義の対立に言及しないまま、大きく依拠したことだ。その結果、立憲主義(法の支配)の真の価値を見失った。
 フランス公法学の影響と言いたいのではなく、フランス人権宣言の「人の譲渡不能かつ神聖な自然権」を守るための「社会契約の理論」や「全ての主権原理は本質的に国民に存する」との民主主義理論を問題にしたいのだ。「フランス流の思考は立憲主義のコアからずれている」(p.113-4)。
 フランス憲法史を学んだドイツ公法学者、そしてドイツ・フランス公法学から学んだ日本の学徒は、民主制と人権保障の同時実現が立憲主義の課題かの如く考え、両立し難い筈の<主権/人権>は、「立憲民主主義」・「リベラル・デモクラシー」との矛盾に満ちた言葉で隠蔽された。
 一方、英米憲法史から立憲主義のコアを学んだ学徒は「法の支配の実現こそそのコアだ」と了解した。英米の立憲主義は、「権力欲という人間の悪しき性、民主主義のもつ権力集中的統治への誘因力」等に警戒的で、立憲主義が「民主制、そのなかでも直接民主制と鋭く対立する」ことを知っていた(p.114)。
 <大陸的憲法学/英米的憲法学>の溝の中で、わが戦後憲法学は「双方のいいとこ取りをしてきた」。
 わが主流派憲法学は、人の「理性」・「本性」、「自然権、自由と平等、社会契約、国民主権」という「美しいイデオロギーに嵌ってきた」と思えてならない。これらにわが国では「平和」が加わる
 この理由の一つは、公法学者の多くがルソーとマルクスは読んでも、アダム・スミス、ヒューム、ハイエクを読まないためだ。又は、ルソーから、ヘーゲル軽視して、いきなりマルクスへと飛んだからだ。
 こうしたわが公法学者たちが黙殺した思想家たちに共通する姿勢は、「経済的自由の規制に関してであても、国家の役割を限定しようとする思考」、「自由と平等がときには対立する」との考え方、「自由にとってデモクラシーは警戒」される必要があるとの思考だ。「経済市場は健全に機能する大部分と、機能しない残余部分がある」との洞察を加えてもよい(p.115)。
 自由と平等の対立は、経済的には<富の実現と平等の達成は両立困難>と換言できるが、公法学者の多くは、<自由は平等の中に>、<自由主義は民主主義の中に>と考えた。主流派憲法学は、「自由と平等の実現」、「富の実現と平等の達成」を「立憲民主制の目標」の如く考え、過去と現在を<自由主義が人の政治的な解放に成功したが経済的なそれには失敗したのは「経済市場が民主的でない」ことに理由があるので、「議会という民主的機構」により「国家/市民社会」の二元主義の克服が必要だ>と評価した。そうした憲法学者にとってドイツの「社会的法治国」は「まばゆいほど輝いてみえた」だろう(p.115-6)。
 憲法学の教科書は<民主主義とは自由と平等を保障する体制>、<経済的市場の自由は貧富の差を拡大する>、<私的自治を基礎にする市民法原理は社会法原理に道を譲るべき>等としばしば書き、市場が発生させた不平等の是正が「社会的正義」で、この正義実現が国家の正当で本来的な役割だ、「経済的自由は政策的な「公共の福祉」によって制約されてよい」等と述べる。<二重の基準>、<積極国家>がこれらを正当化する(p.116-7)。
 主流派憲法学が1.自由・平等の対立、「法の支配」と「弱者保護」の対立を真剣に思考せず、2.人間の共通の特性を強調して「個性が自由の根源を支えている」との視点を欠き、3.「少数者・弱者保護の必要性」を強調しすぎたこと、等はわが国の「過剰な公的規制」の遠因になった。
 また、1.自由主義・民主主義の対立局面を真剣に考えず、2.国会の民主的存在を強調しすぎて立法権を統制する理論が欠け、3.「法の支配」と「権力分立」の定見にも欠けた。「近代の合理主義的啓蒙思想に依拠しつつ、人間の人格的な側面を強調しすぎた」ために「人間の利己心」問題(ホッブズ問題)を簡単に処理しすぎたのだ(p.117)。
 3 憲法学が人間は「合理的」、つまり「人格的で理性的な道徳的特性をもつ」と言うだけでは、「ヘーゲル以前の近代の啓蒙思想」から一歩も抜け出ていない。人間は「主体」だ、と言う場合も同様だ。すなわち、「ロックやカントのように、人間の人格的存在規定から人権を基礎づけることは、<美しいイデオロギーにすぎない>」。「<国家はその人権を守るために人びとの合意によってつくられた>と説明することは<格別に美しいイデオロギーにすぎない>(p.118-9)。
 経済学・政治学は人間の「行為の動機が自己利益の最大化にある」ことに留意してその「社会的効用」を分析してきたが、かかる人間観と法学のそれとは異なる
 
17世紀の自然法学は規範の淵源を人間の道徳・精神に求めて従来の神の意思に依拠した法思想よりも進歩したが、自然法学の想定した人間は「アトミズム的人間」で、これを歴史と伝統を重んじる」ヒュームやモンテスキューは嫌った。モンテスキューの「法」は「人間の本性から演繹的に把握」されるものではなく、「諸社会の相互関係のなかに経験的・機能的に発見」されるものだった。「自然法」という概念の意味は多様で注意が必要(p.120-2)。
 私の関心の大きな一つは、(一般国民レベルの意識と大きく異なり)日本の憲法学者の大部分は何故「左翼」なのか、大部分は何故九条二項改正に反対しているのか、にある。少なくとも遠因らしきものは分かる。<近代合理的啓蒙思想>の影響下にあって、<人間観>(そして「国家」観)が、一般国民のそれとはかなりズレているのではないか。<美しいイデオロギー>に酔ったまま、醒めていないのではないか。
 この本は、<過剰な公的規制>から<規制緩和>へという現実の政治社会の流れとの関係でも示唆に富むところがあるが、現実の政治・行政の動向を直接に論評するものではない。阪本昌成には、おそらく、日本の国家・社会よりもまずは日本の憲法学こそ変わらなければならないとの想いの方が強いのだろう。

0237/マルクス主義憲法学、杉原泰雄・国民主権の研究(岩波、1971)を少し読む。

 杉原泰雄・国民主権の研究(岩波書店、1971)という専門書らしき本がある。函なしの古書で入手している(1976の第5刷)。
 杉原泰雄氏は1930年生まれ、1961~94年は一橋大学法学部の講師・助教授・教授だったようだ。上の本はこの人41歳(教授になる直前)のときの著。
 なぜこの本に言及するかというと、見事に<マルクス主義的>だからだ。
 それを証明?できる箇所はいくらでもあるが、典型的には、次のような叙述はどうだろう。
 杉原はルソーにおける<人民主権とその経済的基礎の関係>には不明点がいくつかあるとしつつも、「彼の人民主権論は…解放の原理としての役割を失うことがない。とりわけ、…『プロレタリア主権』論として、私有財産制の否定と結合させられながら存続していることは注目されるべき…。国民主権と対置して、それを批判・克服するためにの無産階級解放の原理として機能していることである。<ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制>という一つの歴史の潮流、…二〇世紀…普通選挙制度・諸々の形態の直接民主主義の採用などに示される人民主権への傾斜現象さらには人民主権憲法への転化現象は、このことを明示するものである」(p.181-2)と高く評価している。
 上のうち「人民主権憲法への転化」とはどうやら社会主義(「人民民主主義」)憲法のことと推察されるのだが、それはともかく、<ルソー→一七九三年憲法→パリ・コミューン→社会主義の政治体制>という「歴史の潮流
」を堂々と憲法学者が語れたとは、まだ1971年だったからだろう。なお、一七九三年憲法とは直接民主主義条項を含むジャコバン憲法のことだ。
 また、杉原は、1.「人民主権の基礎にどのような経済関係を措定していたのか」、2.人民主権と「私有の肯定」とは両立し難いが、説明不十分(「私有の肯定」→「経済的不平等は原則として人民主権と両立し難いはず」)、3.「政治と経済の関係が原理的に解明されていない」、「政治自体がその基礎に持っている経済的諸条件によって大きく規定されているという観点は、…体系化されていない」などとコメントをしている(p.180-1)。だが、これらは<上部構造(政治等)は下部構造(経済)に規定される>とのマルクス主義の公式を当てはめ、ルソーに対して無いものねだり的な要求をしているようだ。
 そして、杉原においては、どうやら国民主権論=ブルジョアジーのための理論、人民主権論=「民衆」解放の理論という仮説又はテーゼがあるようで、一七八九年人権宣言・一七九三年憲法はブルジョアジーが「民衆」と共闘せざるをえなかった時期のもの、人民主権原理を否定する法律の制定やジャコバン憲法の施行延期等々の「国民主権」に立つ動向はブルジョアジー独自のもの、という叙述もしている(p.74-)。
 上のような分析をする際に「ブルジョアジー」又は「ブルジョア的」との概念が使われるのは勿論だが、「民衆」として意味させるのは「資本主義の発展に伴って解体しつつあった農村共同体の…離農した無産者、資本主義的分解の淵に立たされていた都市の…職人と徒弟等、一般的にいって、農村と都市の働く庶民」(p.167)である。
 こうして見ると、杉原によれば、ルソーとは、ブルジョアジーではなく「民衆」の解放を意図した思想家だ。杉原自身がこう書く-「ルソーは民衆の解放を意図していたために、ブルジョアジーのための主権原理(「国民主権」)を本来構想しえなかった」(p.92)。
 ということは、「民衆」=労働者・プロレタリアートと理解するならば、ルソーとは<早すぎたマルクス>だったわけだ。時代的に早すぎたために彼の理論は現実には部分的にしか採用されなかったのだ、ということになろう。  杉原のこんな文もある-ルソーは「不平等の根源に私有財産制を見出していたので、それを神聖視することを基本課題とする…自然法学説を支持することができなかったのだと思われる」。 
 そして、マルクス主義者にとってルソーが輝かしい思想家として讃えられることも納得がいく。
 もっとも、<主権論>にここで立ち入るつもりも能力もないが、「国民主権」(自由な代表者肯定・投票者は国民全員ではない)と「人民主権」(代議制=間接民主主義の原理的否定・人民全員が投票者)という考え方の違いが、そもそも「ブルジョアジー」と「民衆」の違いに対応するという仮説又はテーゼはいかにして論証されているのか、はなはだ疑問ではある。また、「ブルジョアジー」・「民衆」概念についても議論し始めればキリがなさそうでもある。
 しかして、「民衆」解放のための人民主権論というのは、今日的には直接民主主義的とも説明されるが、そもそもいかなるものだったのか。杉原はルソー・社会契約論の原書に依りつつ紹介・分析しているが(p.142~)、そもそも「体系的理論・思想」とまで評価できるものではない、要するに相当にイイカゲンなものなのではなかろうか。
 6/05に阪本昌成の本のルソーに関する部分の一部を紹介した。動物の生きる自然状態とは違って私的所有を認めたことが起源となった「不平等」状態をなくし平等になるために、「公民としての政治的徳」のある「個々人」の「合理的意思」により全契約参加者が「平等」な共同体=国家を樹立すること、個々人の意思の集合としての「一般意思」を想定しそれに服従すること等を説いたのだが、杉原の本が訳しているように、社会契約は「誰であっても一般意思への服従を拒むものは、団体全体によってそれに服従することを強制されるという約束を暗黙のうちに含んでいる」、かかる強制は「自由であるように強制されるということ以外のいかなることをも意味しない」とされる(p.146)。
 このような「自由」概念の用い方は私にでも奇妙又は倒錯しているように感じられる。また、いったん成立した無制約の「一般意思」への絶対的服従の説示は、「専制政治」、「絶対政治」、「民主主義」という名前・形式又は手続だけは通しての<全体主義>、そして<社会主義・共産主義>思想の萌芽だとの指摘はすでに(教科書に書かれるほど一般化していないが)すでにかなり指摘されている(中川八洋も然り)。
 とするならば、杉原は上記のようにルソー思想に「民衆」解放理論・「無産階級解放の原理」を、そして<
社会主義の政治体制>への歴史的潮流の出発点を認めたのかもしれないが、30年以上経過した今となっては、すべてが<夢想>であり<幻想>であったのではないか。
 40歳台初めだった、1971年の杉原は、おそらく日本もいずれ<
社会主義の政治体制>になると予想していたと思われる。その上で憲法学の「社会科学」化を意図し、「市民憲法原理を樹立した」「市民革命がいかなる階級構造をもち、いかなる階級関係――所有関係、支配関係――を否定しかつ樹立するために、いかなる階級の指導によって行われたか」を分析する必要がある、等と「はしがき」に勇ましく?書いたのだろう。
 1971年から35年以上経った。かかる杉原氏の研究書はいかなる意義を現在や今後に持ちうるのだろう。基本的な出発点が「間違って」いたとすれば<壮大な学問的ムダ>ではなかっただろうか。ソ連等の「社会主義」国が崩壊し、フランスも日本も<
社会主義の政治体制>にはなりそうもない現実を、杉原泰雄は現在、どう受けとめておられるだろうか。
 なお、辻村みよ子(一橋大学出身・東北大学教授、1949?-)の指導教授はこの杉原泰雄のようだ。

0235/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す(成文堂、2000)を全読了。

 たぶん6/15(金)の夜だろう、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)を全読了した。
 中川八洋の著(保守主義の哲学ほか)と比べると、登場させる思想家・哲学者は少ないが、ヒュームアダム・スミスについてはより詳しい。
 また、中川が<悪しき>思想家の中に分類しているヘーゲルについても詳しく、むしろ親近的に分析・紹介している。
 阪本昌成はルソーやカントらの国制設計上の曖昧さを批判的に克服しようとして苦労したのがヘーゲルだったと見ているようだ。
 阪本によれば、「わが国の憲法学におけるヘーゲル研究は、マルクス主義憲法学においてネガティブな形で継承されたこと以外、華々しくない」が、それは「マルクスによるヘーゲル批判を鵜呑みにした」からで、例えば、「ヘーゲルこそ合理主義的啓蒙思想〔秋月注-ルソー、ロックら〕に果敢に挑戦した人物だった」(p.106-107)。ヘーゲルは「ホッブズ以来の自然権・社会契約理論が社会的原子論であるばかりではなく、徹底したフィクションだ>と批判しつづけた」(p.126)。あるいは、「ヘーゲルによる市民社会の分析は、マルクスよりもはるかに適切」で、「国家と市民社会の相対的分離を見抜いていた」が、「マルクスは国家が市民社会の階級構造を反映しているとみたために、”階級対立がなくなれば国家が消滅する”などという致命的な誤りに陥ってしまった」(p.132)、等々。
 このような中川との違いが出ている背景又は理由の少なくとも一つは、中川が広く政治思想(社会思想)の専門で、かつマルクス主義に(批判的にでも継承されて)つながるか否かによって思想の<正・邪>が判別されているように見られるのに対して、阪本はマルクス主義はもはや<論敵>ではないとしてマルクス主義との関係に焦点を当ててはおらず、かつ専門の憲法学の観点から(国家・人権等の基本概念に主な関心を寄せて)諸文献を読んでいるからだ、と考えられる。
 それにしても阪本昌成が日本の憲法学者にしては?思想史への広汎な関心を持っていること、現に相当量を読んでいること自体に感心する。別の機会に、<わが国嫡流憲法学の特徴>(第二部第3章)と<フランス革命>に関する叙述(とくに第二部第6章)に限って掻い摘んで紹介して、メモ書きとしておこう。

0198/ルソーの一般意思・社会契約論はまともな議論か-阪本昌成著を読む。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-フランス革命の神話(有信堂、2000)の第Ⅰ部・第三章のルソーに関する叙述をまとめる。
 <人間の本性は自己の利害の最重視>という出発点ではルソーはヒュームと同じだったが、ルソーは人間の活動の放置→私利私欲・奢侈・道徳の忘去、と見た。そうならないよう、<市民社会>と<国家>の一致を追求し、「自然状態…に侵害を加えることなく…社会状態の一形態」を見出そうとした。そして辿り着いたのが、<個々人の意思が「一般意思」となり、諸個人が一般意思のもとで生活するこそが真の「自由」だ、という命題だ(p.38-39)。
 ルソーのいう「自然状態」とは心理学領域の状態で、「自然状態」の個々人の欲望又は「幸福は…食物と異性と休息だけ」とされる。彼においてホッブズ的戦争状態はなく、個人は「他の個人と交わることのない」アトム的存在だ。
 個人が他の個人と交わることとなり「自然状態」の均衡が破られ「不平等の起源」になった。「自然状態」には「自然的不平等」と「自己愛」のみがあったのだが、「社会状態」では「政治的不平等」と「自尊心・利己心」が跋扈する。ルソーは「自然状態」をロックの如く「文明開化社会」と対照したのではなく、「文明病状態」と対比した。
 従って、ルソーにおいて人間が「社会」を形成する契機は人間の本性(「自然状態」)の外に求めざるをえないが、それが「人びとの意思」・「人為」だ。つまり<自由意思による国家の樹立>ということになる。
 だが、自然と社会の対立を前提とするルソーにおいて、「たんなる同意」だけでは弱い。そこで、「自由意思」とは「公民としての個々人」の「合理的意思」とされた。「徳」が心の中にある公民の意思だ。かくして、神学によらない「合理主義哲学」による(自然状態から)社会状態への昇華がなされる(p.42)。
 ルソーの社会契約論は、「徹底した合理主義者」にとっては「不合理」な「市民社会」批判で、彼は「市民社会」により毒された人間が解毒のために「人為的に国家を樹立し、あるべき人間になること」を説いた。その際の「転轍点が、公民としての政治的徳」で、かくして、「自由と権力は両立する」。「公民としての政治的徳」は「一般意思」に結実し、その「一般意思」に従うことは「自由」と矛盾せず、むしろ「自由」の実現だからだ。
 こうして「一般意思」は「道徳的自我として実体化され」、個人主義というより、「ルソー理論が全体主義理論に繋がっていくおそれをもっている」ことを意味する。かくして社会契約論はロック等とは異なる「大陸的な別種を産んだ」(p.43)。
 ルソーは「私的所有という欲望に毒された市民社会の構造を変える」ため、「人間精神の構造を人為的に変える」ことが必要と考えた。彼の「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鉄鎖につながれている」との有名な命題は、市民社会は自然に反するということを意味する。そしてたんに<自然に帰れ>ではなく、人間の「道徳的能力」獲得→公民化→公民の個別的意思の集合→「一般意思」成立、と構想した。
 ルソーによれぱ一般意思への服従義務は「各人の自発的約束」に根拠をもつ。この義務は高レベルの「自由の自己肯定」なので、社会契約とは、「服従と自由の一致」・「利益と正義の見事な一致」になる。「自由は必然性としての一般意思としての人為に融合され」、社会契約により「自然的自由」は「社会的自由」に転化する。この社会契約は「道徳上および法律上の平等をもたらすルート」でもあるので、かくしてルソー理論は、不合理による抑圧からの個人の「解放の理論」でもある(p.45)。
 一般意思とは人びとの社会契約による「道徳集団の意思、道徳的自我」でその中に「個別意思」が含まれるかぎり両者に矛盾はなく「一般意思のもとでの統治が万人に自由をもたらす」、人間は一般意思により「強制されるときに自由になる」とルソーは考えた。この自由は、<外的強制のない自然的自由>ではない「市民的自由」とされる(p.47)。
 「市民的自由」を実現する国家は「道徳的共同体」である必要があると彼は考えたが、そこには<服従>・<強制>が不可欠となる。ルソー自身の文章はこうだ。
 「社会契約を空虚な公式としない」ために「一般意思への服従を拒む者は…、団体全体によって服従を強制される」との「約束を暗黙のうちに含んで」おり、このことは「彼が自由であるように強制される、ということを意味しているにすぎない」。
 ルソーのイメージする立法者は「神のような知性を持った人間だ」。<社会契約→憲法上の社会契約→憲法上の立法機関→立法>と理論展開すべきところ、彼はかかる段階を無視して、<社会契約→一般意思→その記録としての立法>と考える(p.48)。
 そしてルソーは言う。「一般意思はつねに正しいが、それを導く判断はつねに啓蒙され」てはいないので「個々人については、彼らの意思を理性に一致するよう強制しなければならないし、公衆については、彼らが欲しているものを教えてやらなければならない。…こういうわけで立法者が必要になってくる」。
 阪本昌成氏はここで挿入する。まるで「大衆とそれを指導する前衛党」だ。これでは主権者による自らの統治という「自己統治」であるはずがない。<社会契約→一般意思→その記録としての立法>と構想するまではさほど悩まなかったかもしれないが、<誰が立法するか>の問題になるとルソーに自信はなかったのでないか。「彼の描く立法者像は、ありようもない人間」だった。ルソー自身が「立法者は…国家のなかの異常な人間」だ、「彼はその天才によって異常でなければならない」と書いている。
 以上の如き「人民の「自己決定」を標榜するように見せながら神のごとき立法者による統治を説く奇怪な理論」は失敗している。「なおもルソー理論を信じ込む人」は「ナイーヴな知性の持ち主」だ(p.49-50)。
 阪本は続ける。「人びとは自由になるべく、強制されている」というのはレトリックではなくトリックだ。この<自由の強制>は「私利私欲に満ちて堕した人間を作り替えるための道徳の理論だ」。ルソー理論は国制(憲法)制度論ではなく「公民としての徳目論」だった。
 だからこそ、ルソーの社会契約論の最終部分は「公民宗教」を語る。「宗教が制度の道具として役立っている」、「人間に法を与えるには神々が必要」だろう、と。ここで彼の社会契約論は隘路に陥っており、ルソーはそのことを明確に意識した筈だ。
 徐々に阪本の総括的な叙述に移っていく。
 ルソーの社会契約論は「天上界での模範」を描く「夢想する作品」で、この理想論による「人民主権」は「魔術性」をもち、「その魔術性が、後世、取り返しのつかない災いを人類に与え」た。<自由の強制>をロベスピエールの「自由の専制」のもとで現実のものにしたばかりか、その後の全体主義のための教説となった」。
 人民が権力を握るほど人は自由になるとの信念のもとで「人民」が「実体化」されると「実在するはずもない人民が意思の主体」となり、「人民(実は、少数の指導者、なかでも、前衛党)が統治の絶対者」となる(p.52)。
 この点だけでなく、ルソー理論は「負の遺産を後世に残し」た。第一に「市民社会を反倫理的」とする思考を助長した。ヘーゲルを通したマルクスにより絶頂に達した。ルソーは<市民社会>における「富の不平等が自由の実現にとって障碍」と見ていた。第二に、ルソーの<権力参加→一般意思→主権確立→自由>という屈折なき流れが前面に出たため、「法や自由」による国家権力への抵抗という対立点が曖昧になった。第三に、「「法=法律」、「議会=法制定の独占機関」との理解を強化」した。
 この第三点に反論がありうるが、ルソーが「直接民主主義者」だというのは「歴史的な誤読」だ。ルソー自身がこう書いた。「真の民主制はかつて存在したこともないし、これからも決して存在しないだろう。…民主制もしくは人民政体ほど、内乱、内紛の起こりやすい政府はない。…神々からなる…人民は民主政治を以て統治するだろう。これほど完璧な政体は人間には適しない」。「ルソーは「人民が主権者になる」ことを信用していなかった」のであり、彼の社会契約論は「想像以上に空疎」だ。
 ルソー思想に従えば、「単純多数派が…少数集団に対し、自己の専制的意思を押し付けるという新しい形の独裁」になる。「天上界」のモデル論から「現実の統治構造」論に下降するにつれ、ルソーの論調は悲観的になっていく。彼の社会契約論は「国制に関する堅実な理論ではなく、理想国を夢想する散文の書だ」(p.55-56)。
 以上、長々と、それこそ私自身のためのメモ書きをした。
 中川八洋の如く「狂人」・「妄想」・「嫉妬」等の言葉は用いていないが、結局は阪本昌成もルソーにほぼ同様の評価を与えていると思える。
 上記は要約であり、もともと要旨を辿った本文を正確に反映しているわけではないが、それでも、一般意思概念の空虚さ(と怖さ)「全体主義」思想の明瞭な萌芽をルソーが持っていたこと、は分かる。<強制されて自由になる>との論理もどこか倒錯している。
 また不平等のある「市民社会」を憎み、「道徳」的な人民(公民)=実質的には少数独裁者・前衛党による「国家」統治の<夢想>などは(阪本氏の叙述に影響されているかもしれないが)、ブルジョア社会を否定して社会主義国家を構築しようとするマルクス主義と殆ど変わりはないではないか。
 ルソーの「市民社会」敵視は別の本によると、彼の生育環境によるともされる。ルソーは「生まれてすぐ母に死なれ、10歳のときに父親に棄てられた」ので「家庭」を知らず「正規の学校教育など全く受けていない」。ついでに記すと、彼はジュネーヴからパリへと流浪したのだが、「子どもが五人いた…が、全員を棄ててしまった。…一種の異常人格としか言いよう」がない。
 ルソーの平等観も「市民社会」敵視と関係があり、別の本によると阪本よりも明確に、ルソーの願う「平等社会とは野獣の世界だった」、平等主義は「富を憎む」のであり、「社会主義はその典型」ということになる(以上の別の本の記述は、ルソー研究書では全くないが、谷沢永一「発言」・同=渡部昇一・こんな歴史に誰がした(文春文庫、2000)p.216-9による)。
 現実の社会(格差のある市民社会)よりも自然の中で「平等に」生きる動物の世界に理想を見出すとは、やはり「天上界」の「空想」の世界のこととはいえ、少し狂人っぽい。
 ともあれ、現実の国家・社会の制度設計論としてはルソー思想が殆ど通用しないことは、いや通用しないどころか危険なものであることは、阪本昌成の結論のとおり、明らかなようだ。
 しかし、わが日本の社会系の学者の中にはまだまだルソー信徒はいるだろう。マルクス主義と大きくは矛盾しないこと(だからこそルソー→フランス革命→空想的社会主義者→マルクスという流れを描ける)もそうした人々の存在を支えてもいると思われる。
 中公クラシックでルソー人間不平等起源論社会契約論(中央公論新社、2005)を翻訳している小林善彦・井上幸治各氏の両氏かいずれかだと思うが、この本に封入の「名著のことば」との小さなパンフレットで、ルソーは人間不平等起源論で「鉱毒の害に言及しているが、おそらく環境破壊を指摘した最初の一人であろう」などと解説している。この解説者はきっとエラい大学の先生なのだろうが、本当はバカに違いない。どうせ書くなら「自然」の中での<スローライフの勧め>をすでに18世紀に行なっていた先駆者とでも書いたらどうだろう。
 また、上にも引用した、「神々からなる…人民は民主政治を以て統治するだろう。これほど完璧な政体は人間には適しない」という部分について、上の「名著のことば」は、「いうまでもなくルソーは民主政がもっともすぐれた形態と考えていた。ただ…民主政を実現するためには、いかに多くの困難があるかを考えた。…いま、われわれは民主主義を維持するのは決して容易でないことを実感している」と解説している。この読み方が阪本昌成氏と異なることは明らかだ。そしてこんなにもルソーを、現在にまで無理やり引きつけて「美化」しなければならないのは何故か、と感じざるをえない。思想・哲学界にも惰性・慢性・思考停滞という状況はあるのではなかろうか。
 思想・哲学界の全体を見渡す余裕はないので、日本の憲法学者のルソー観・ルソーに関する叙述(すでに阪本昌成のものを読んだのだが)だけは今後フォローしてみよう。

0177/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-フランス革命の神話(2000)を読む。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)には、5/22に朝日新聞社説氏の教養の深さを疑う中で一部すでに言及した。
 読書のベース(時間配分の重点というよりも全部を最後まで読み切るべき本)として阪本昌成・りリベラリズム/デモクラシー(有信堂)を考え、実際にある程度は読んだのだが、これは後回しにして、上記の本をベースにすることにした。その理由は、リベラリズム/デモクラシーの初版と第二版の中間の時期に刊行され、同初版よりも新しいのだが、副題に見られるように、フランス革命を問題にしているからだ。
 中川八洋の二つの本を読んですでに、ごく簡潔に言って、フランス革命を好意的・肯定的に評価するか否が、親<社会主義>と親<自由主義>を分ける、という感触を得ている(中川は「日本を害する思想」と「日本を益する思想」とも対比させていた)。
 この点を阪本昌成はどう論じて(又は説明している)かに興味をもつ。
 なお、この本は私が古書で初めて、当初の定価以上の金額を払って買い求めたものだ(しかも2倍以上)。
 さて、阪本・「近代」立憲主義を読み直す「はしがき」にはすでに一部言及したが、日本の憲法学が国民にとって<裸の王様>になっていると見られるのは何故かについて、すでに引用した日本の「憲法学は、「自由」、「民主」、「平等」…こうしたキーワードにさほどの明確な輪郭をもたせないまま、望ましいことをすべて語ろうとして、これらのタームを乱発してきた」ことの他に、日本の「憲法学は望ましい結論を引き出すために、西洋思想のいいとこ取りをしてきた」ことも、推論としてだが挙げている。
 「はしがき」のその後は、すでに結論の提示又は示唆だ。次のようなことが語られる。
 1.<ルソーは間違っていて、ヒュームが正しかったのでないか>。ヒュームの視点に立てば、・中世と近代の截然とした区別は不可能、・人間の「本性」を「近代」の色で描く革命は無謀、・「歴史の変化は見事な因果関係で解明」は不可能、が分かる。
 2.「自然法」とはキーワードでトータルな解答だが、外延は伸びすぎ、内包は実に希薄だ。
 3.「人権」とは人が人であることによる無条件的利益だという、「人であること」からの演繹の空虚さを「市井の人びとは、直観的に見抜いてきた」のでないか。
 4.<人→その本性→自然権>と<人の自由意思→社会契約→国家>の二つを「自然権保全のための国家」という命題により連結するのが、「合理主義」だ。一方、ヒュームらの「反合理主義」は人が簡単に統御できないことを知っており、合理さと不合理さの統合を考える。
 「合理的」に説明する前者が勝っていそうだが、<理解されやすい学説はたいてい間違い>で、「合理主義の魔術に打ち勝ちたい」。だからこそ、<ルソーは間違っていて、ヒュームが正しかったのでないか>と先に書いた。
 本文は「第Ⅰ部・近代立憲主義のふたつの流れ」「第Ⅱ部・立憲主義の転回-フランス革命とヘーゲル」に分けられる。今のところ、前者を読み終えた。
 「第一部」にも「はじめに」がある。要約は避けて、印象的な文章部分のみを以下に10点、引用しておく。
 1.日本の「憲法学界にも、…「マルクス主義憲法学か非(反)マルクス主義憲法学か」、「自然法思想か法実証主義か」、「護憲か改憲か」をめぐっての緊張関係がみられたこと」もあったが、その論争も「大陸での合理主義的近代哲学という土俵」の上で展開されたにすぎず、「最適規範となるような倫理的秩序を、現実の”市民社会”の上に置くか、…論者自らは…隔絶された高みから現実を観察しながらの、…「宣教師的憲法学」だったよう」だ。
 2.<人権は人の本性にもとづく普遍的な価値>だから現在・将来の日本人は守るへきとの言い方の背後には、「「護憲の思想」が透いて見えて」いる。「この種の論調の憲法学を「嫡流憲法学」と呼ぶことにしている。
 3.日本の嫡流憲法学は…近代の主流啓蒙思想の説いてきた人間の道徳的能力に依拠し続け」た、「実に無垢な善意にあふれた語り」だが、それでは「改憲派に対しても、マルクス主義に対しても、対抗力をもった理論体系を呈示できない
」。(p.6)
 4.「ナイーブな善意の花を飾り立てるがごとき言説を繰り返してきた憲法学の(護憲派の)思想は、予想以上に弱々しいものだ」。
 5.「戦後の憲法学は、人権の普遍性とか平和主義を誇張して」きたが、「それらの普遍性は、国民国家や市民社会を否定的にみるマルクス主義と不思議にも調和」した。「現在でも公法学界で相当の勢力をもっているマルクス主義憲法学は、主観的には正しく善意でありながら、客観的には誤った教説でした(もっとも、彼らは、死ぬまで「客観的に誤っていた」とは認めようとはしないでしようが)」。(p.7)
 6.従来の憲法学は、「国民国家」や「市民社会」の意義を真剣に分析しておらず、それらを「一挙に飛び越えて登場するのが、「世界市民」とか「世界平和」といった装飾性に満ちた偽善的な言葉」だ。(p.8)
 7.「戦後の憲法学は、…「閉じられた世界」で、西洋思想のいいとこ取りをしながら、善意に満ちた(偽善的な)教説を孤高の正しさとして繰り返してきた」が、その「いいとこ取りをしてきたさいに、その選び方を間違ってきた」のではないか。「間違ってきた」というのが不遜なら<西洋思想のキーワードを曖昧なまま放置してきたのではないか>。「その曖昧さは「民主的」という一語でカヴァされてきた」かにも見える。
 8.「戦後の「民主的」憲法学は、自然権・自然法・社会契約の思想に強く影響されて」きた。これらを歴史的展開の解明の概念として援用するのはよいが、日本国憲法の個別論点の解釈に「大仕掛けの論法」として使うべきではない。「自然状態、自然権、自然法、社会契約、市民、市民社会という憲法学の基本概念は、これを論じた思想家によって大いに異なっているのだ。(p.9-10)
 9.本書の最大のねらいは、<自然状態から市民社会を人為的に作りあげようとする思想の流れとは別に、もうひとつの啓蒙の思想がある>、すなわち「スコットランドの啓蒙思想」がある、ということだ。(p.10)
 10.「第Ⅰ部での私の主張は、政治思想史・法哲学においては、既に旧聞に属する、いわば常識的知識にすぎない」が、「残念なことに…憲法学界においてはもさほど浸透していない
」。(p.12)
 やや寄り道をした感があるが、第Ⅰ部の第一章は「啓蒙思想のふたつの流れ」で、上でも触れた<ルソーではなくヒュームが正しかった>ということ、日本での主流思想とヒュームらの
スコットランド啓蒙思想
」の差違が簡単に整理されている。
 両者は次のよう種々の対概念で説明される。すなわち、<近代主義/保守主義>、<近代合理主義/伝統主義(批判的合理主義)>、主唱者の出身地から<大陸啓蒙派/スコットランド啓蒙派>だ(p.13-14)。また、第Ⅰ部の「まとめ」では<意思主義/非意思主義>、<理性主義/非理性主義>とも称される。
 前者に属するのがデカルト、ルソーで、後者に属するのがヒューム、アダム・スミス。
 私の知識を加味して多少は単純化して言えば、出身地による区別は無意味になるが、前者はデカルト→ルソー→<フランス革命>→マルクス→レーニン→<ロシア革命>→スターリン→毛沢東・金日成とつながる思想系列で、後者はコウク→バーク→ヒューム→アダム・スミス→ハイエクとつながる。
 とりあえずデカルト、ルソーとヒューム、アダム・スミスを対比させるとして、両者の「思想」はどう違うか。長い引用になるのは避けるが、1.前者は<社会・国家は人間の理性によって意図的・合目的に制御されるべきで、また制御できる>と考え、「人格的・理性的・道徳的存在」としての人間の「自由な意思の連鎖大系」が「市民社会」だとする。
 後者は、<制度、言語、法そして国家までもが、累積的成長の過程を経て展開され出てきた>と考え、伝統・慣習等「個人の意思に還元できないもの」を重視する。「人間の不完全さを直視し」、「理性に対しては情念、合理性に対しては非合理性に積極的な価値を認め」る。
 2.大陸啓蒙派の形成に影響を与えたのはイングランド的啓蒙派で、ホッブズロックが代表者。彼らは「人の本性」=「アトムとしての個人が当然に持っている性質」を「自然」という。
 スコットランド啓蒙派は、「社会生活の過程を通して経験的に徐々に習得される」、「人が人との交わりのなかで習得」する、「感情・情念」を「人間の理性より…重視」した。
 阪本昌成は、<人は理性に従って生きているだろうか?>とし、「人間は本来道徳的で理性的だ、という人間の見方は、多くの人びとの直観に反する」のでないか、とする。スコットランド啓蒙派の方により共感を覚えているわけだ。
 私の直観も阪本氏と同様に感じる。若いときだと人間の「理性」による人間と社会の「合理的」改造の主張に魅力を感じたかもしれないが、今の年齢となると、人間はそんなに合理的でも強くもない、また、人知を超える不分明の領域・問題がある、という理解の方が、人間・社会のより正確で客観的な見方だろう、と考える。
 このあと阪本著はモンテスキューは大陸出身だがスコットランド派に近く、ベンサムは英国人だが大陸派に近いと簡単に述べたあと、第2章でホッブズ、第3章でロックを扱うのだが、省略して、次の機会には「第4章・啓蒙思想の転回点-J・ルソー理論」をまとめる。ルソー理論がなければフランス革命はもちろんマルクス主義もロシア革命もなかったとされる、中川八洋の表現によれば「狂人」だ。
 さて、中川八洋の本と比べて阪本昌成の本は扱っている思想家の数が少なくその思想内容がより正確に(と言っても限界があるが)分かるとともに、憲法学の観点から諸政治・社会思想(哲学)を見ている、という違いもあり、中川の罵倒ぶりに比べればルソーらに対する阪本の批判はまだ<優しい>。
 この本でも阪本昌成はマルクス主義憲法学に言及し、それへの批判的姿勢を鮮明にしているが、具体的にだれが日本のマルクス主義憲法学者なのかは、推測も含めてたぶん多数の氏名を知っているだろうが、この本にも明示はしていない。とくに現存する人物については氏名を明示して批判することを避ける、というル-ルがあるとは思えないが、マルクス主義者かどうかというのはデリケートな問題なのだろう。
 なお、宮地健一のHPによると、長谷川正安(1923-)・元名古屋大学法学部教授(憲法)は日本共産党「学者党員」と断定されている。この人を指導教授としたのが、これまでも名前を出したことがある森英樹・名古屋大学法学部教授だ。→ 
http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/saiban7.htm

0160/ジュリスト1334号巻頭座談会を読む-蟻川恒正に学者の資格はない。

 5/18の午前中に自分で予告したことに拘束される謂われはないのだが、面倒と思いつつも、ジュリスト1334号・特集日本国憲法60年(有斐閣)の冒頭の、佐藤幸治・高橋和之・棟居快行・蟻川恒正の座談会記事を読み終えた。
 「憲法60年」を実質的に1990年代以降に限っても結構だが、「憲法」の「現状と課題」ではなく、(1990年代以降の)「憲法学」の「現状と課題」を話題にしてほしかったものだ。その観点からは、きわめて物足りない。
 また、私自身がよく分からず退屈を感じるところもあるのだが、「憲法」の「現状と課題」というテーマであるとしても、まとまりが悪い。
 せっかく佐藤や高橋が<批判のみならず構築も>という話をしているのに、蟻川が佐藤の説に関連して刑事・裁判員制度への疑問というスジ違いと思われる発言をしたり、高橋和之の主張らしい「国民内閣制」の議論への疑問をやはり蟻川が述べたりして論点を拡散させており、前半のまとまりの悪さは主として蟻川恒正の責任だろう。
 また、佐藤幸治(元京都大学)は橋本内閣の行政改革会議や小泉内閣の司法制度改革審議会の委員の経験があるのに対して他の3名はもっぱら書斎派?のようで、「迫力」又は「格」で見劣りがする(但し、佐藤も自らの経験を語りすぎているきらいがある)。
 そして、<構築>も大切とする高橋和之の「国民内閣制」論はたんなる批判ではないと自負されており、他の者もそれを否定していないようだが、もともとその議論の内容を私が知らないためか、いかほどに現実に影響を与えたかはさっぱり解らない(結局は学者が何か言っただけ、に終わっているのではないか)。
 高橋和之はなおかつ、最後にこうも言う。-「批判が出発点だと思います。批判という問題意識がなければ何もない…」。(p.36)
 私はこの発言をやや奇異に感じた。批判の対象は実際の「憲法状況」(憲法現実)なのだろう。そして、憲法学者・研究者が「憲法現実」との間に緊張関係を持っているべきだ、との程度なら理解できなくはない。しかし、社会系の学者・研究者の姿勢は一般に現実への<批判が出発点>なのかどうか。<批判が出発点>という考え方自体がすでに一つの<政治的>立場なのではないか。つまり、むろん個々の憲法状況・憲法現実によって異なりうるのだが、「現実」の動向を<支持し又は促進>しようとするのも、すでにそれも一つの<政治的>立場あるとしても、一般論としてはとってよい学者・研究者の姿勢なのではないか。
 何げなく語られる、この前東京大学教授の言葉に、影響力が強い筈のこの人を含む憲法学界の雰囲気の一端を感じた。
 この高橋は芦部信喜・憲法(岩波書店)の補訂者として名を出しているので、故芦部信喜が指導教授だったものと思われる。芦部信喜のこの概説書の憲法制定過程や九条に関する叙述を見ると、少なくとも体制側・政府側・権力者側には「批判的」だ。これらの側が作りだした(作りだしている)「憲法現実」に対して、高橋が「批判が出発点だと思います。批判という問題意識がなければ何もない…」と言うのも、芦部「門下生」ならば当然だと納得しはする(賛成はしない)。
 もっとも、芦部や高橋が旧ソ連等の社会主義体制の「憲法現実」(そしてマルクス主義)に「批判」的だったかどうかは分からないが。
 すでに、樋口陽一を指導教授とする蟻川恒正が「護憲」派で親フェミニストらしいことは記したが、この推測(とくに前者)が当たっていることを、蟻川の次の発言は明瞭に示している。
 「安保と9条を共存させ続けていく」のは「すっきりしない態度」に見えるが、「すっきりしない曖昧さをどちらかに振り切ってしまうのではなく、すっきりしないけれども複雑なものを抱えて、時にはその曖昧さに耐えなければならないのが、専門家としての法律家ではないか」。「曖昧さに耐えることができる者としての法律家が、今の時代、ますます必要なのではないか」。
 東京大学の長谷部恭男の説との類似性を感じさせるこの発言の背景には、憲法九条は「軍隊その他の戦力」の保持を禁止しているが軍隊もどきの自衛隊が現実にはあり、れっきとした軍隊(外国の)が日本国内に駐留しているという現実を容認したまま、かつ憲法九条の改正にも反対するという<苦衷>があるようにも見える。
 かりにそうならば、同情に値するが?、しかし、「時にはその曖昧さに耐えなければならないのが、専門家としての法律家」だとはよく言ったものだ。同じことだが、「曖昧さに耐えることができる者としての法律家」
がますます必要とは、よく言ったものだ。
 私に言わせれば、この蟻川恒正は法律家「失格」だ。一般的に言っても複雑な事案から「曖昧さ」を抜き取り、法的に「すっきり
」させるのが、専門家としての法律家の仕事ではないのか。あるいは、複雑な込み入った種々の議論を論文等によって整理・分析して「曖昧さ」をなくして論点・争点を(場合によっては結論も)「すっきり」させるのが、法律に関する学者・研究者の仕事ではないのか。この人は何と<寝呆けた>ことを言っているのだろう。これで現役の東京大学教授とは、驚き、呆れる(先日の事件で東京大学法学部又は法学研究科がどういう処置をしたかは知らない)。
 この座談会は今年2/06に行われたようで、東京都国家伴奏拒否音楽教師事件の最高裁判決(2/27)の前なのだが、蟻川恒正は、日教組等の主張と同様に、通達・職務命令による学校教師に対する国歌の起立斉唱の「強制」(反対教師の処分)にも反対する発言もしている(引用しない。p.26-27)。
 その際に、「命令し制裁する権力から、調査し評価する権力へ、という形で、権力の在り方の変質を指摘できるのではないか」と、ひょっとして自分自身はシャレたことを言ったつもりかもしれないことを、述べている。
 こんな変質論は当たっていない。一般論として見ても、「権力」はとっくに、「命令し制裁」しもするし、「調査し評価」もしてきている。あるいはどちらの「権力」の契機又は要素もとっくに見出すことができる。この人は、1990年代以降の「教育」行政に関してのみしか知識がないのだろうか。
 というわけで、全体として面白く有意義な座談会では全くない。4名の責任だけでもないだろうが、日本の憲法学界の貧困さを改めて感じる。
 但し、4名のうち、棟居快行の発言はなかなか面白い。90年代以降の時代の変化の「認識」は、この人が最も鋭いと思われる。佐藤・高橋の「時代認識」はよく聞く、かなりありきたりのもので、蟻川となると、年齢が若いためか「時代認識」すらないようだ。
 それに、棟居快行は、私の問題関心に応えるような、次の発言もしている。
 「どうも近代立憲主義の憲法学の武器庫はかなり空になりつつある。あるいは残りをこの10年で使い切ってしまっている可能性もある」。
 これは重要な指摘で、よく分からないが、憲法学界全体が「危機感」を持つ必要があるのではないか。
 また、じつは私にはさっぱり意味が判らないのだが、棟居(むねすえ)にはこんな発言もある。
 議会重視・強化論は既に破綻した構想でないかとの高橋和之発言を受けて<一度もしていないので破綻もしていないのでないか>旨述べたあとで、こう言う。
 「むしろルソー的なものに対する憲法学全体のアレルギーがあるわけで、ルソー的なるものをシュミット的なものにすぐにつなげてしまって、それに対して我々の一種の恐怖心のようなものがあって封印している。そのぐらいなら護送船団的、調整的、多元的なケルゼン的というのか、そちらの方が安全牌だということでしょう」。
 ???で憲法学界は本当に「ルソー的なもの」への「アレルギー」があるのだろうか、カール・シュミットやケルゼンについての上のような言及の仕方は適切なのだろうかと思うのだが、しかし、阪本昌成と同様に(どう「同様」かは分からないが)憲法に関連する基本的「思想」・「主義」に関心をもち、知識もある憲法研究者がここにもいる、と知って喜ばしく思った。棟居快行(1955-)はネット情報によると、東京大学出身、神戸大学→成城大学→北海道大学→現在は大阪大学と、神戸大学時代にすでに「教授」であった後、渡り歩いて?いる。
 蟻川恒正の<素性>を確認できたことのほか、この棟居を発見?したのが、今回の読書の成果だった、と言っておこう。

0149/「大衆」の忘恩と小児性-「民主主義」は機能するか。

 すでに読み終えた中川八洋・保守主義の哲学だが、刺激的な言葉が随所にある。例えば、
 「日本列島は無政府状態の色を濃くしているし、レーニン/ヒットラーの全体主義を再現するかのような不気味な土壌をつくりつつある」(p.297)。
 「日本の学界・教育界は、大正デモクラシーの大波をかぶってそのままデカルト/ルソー/マルクスの住む島に流れつきそこにとじこもることすでに八十年、理性万能の狂妄から目を覚ますことがない」(p.325)。
 ところで、読みながら、失礼ながら何故か、「きっこのブログ」や「きっこの日記」のきっこ?を想起してしまったのは、第六章「平等という自由の敵」の第四節「大衆という暴君」の中の、次のような、紹介されている等の、いくつかの言葉だった(p.298-9)。
 オルテガ-「大衆人」は「生の中心がほかでもなく、いかなるモラルにも束縛されずに生きたいという願望にある」。
 中川-「道徳」とは…のことだが、「これを欠くか、ない方がよいと願う「大衆人」とは、その本性において、社会主義者・共産主義者のシンパとなりやすい特性をもっている」。
 オルテガ-「大衆人」は「倫理・道徳性の欠如」を示し、「忘恩の徒」となる。「忘恩」とは「甘やかされた子供の心理」でもあり、「今日の大衆人の心理図表に…線を引くことができる。…安楽な生存を可能にしてくれたいっさいのものに対する徹底した忘恩の線を…」。
 ホイジンガ-「ピュアリリズム(小児病)」とは「子供を大人に引き上げようとせず、逆に子供の行動にあわせてふるまう社会、このような社会の精神態度」のことだ。
 ホイジンガ-「ピュアリリズム(小児病)」の特質は「…他人の思想に寛容でないこと、褒めたり、非難するとき、途方もなく誇大化すること、自己愛や集団意識に媚びるイリュージョンに取り憑かれやすいこと」だ。
 ル=ボン-「衝動的で、昂奮しやすく、推理する力のないこと、判断力あよび批判精神を欠いていること、感情の誇張的であることなど…こういう群衆のいくつかの特徴は、野蛮人や小児のような進化程度の低い人間にもまた同様に観察される」。
 自戒の意味も込める必要があるが、きっこ?氏に限らず、日本という国家への「忘恩」、上に種々書かれている「小児」性は日本国民のかなりの部分に蔓延しているのではないだろうか。上では「大衆」という言葉が使われ、中川八洋には「大衆蔑視」的ニュアンスが全くなくはないと感じるのは気になるところだが、ほぼ「(一般)国民」と置き換えて読むべきだろう。そして、国民の「忘恩」と「小児」性は、「民主主義」は適切に機能するか、の基本的な問題でもある、とも考えるのだ。

0136/中川八洋は華族・士族・平民の復活を主張するのだろうか。

 中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)の殆どは、少なくとも「なるほど」又は「ふーん」で読んでいけるのだが、ときに、とくに現実の日本に言及する部分には首を傾げたくなるところもある。
 例えば、こんな文がある。
 「日本の現実を見れば、エリートの生産に最小限不可欠な「家」制度が、…極左民法学者の暗躍のもと、旧民法の改悪によって一九四七年に廃止された。”階級”は西洋かぶれで西洋を知らない明治維新の「志士」によって一八六八年に完全に壊された。明治新政府の「四民平等」は、四十年後の日本からエリートを消したように、エリート破壊の刃となった」(p.306)。
 この文は、ルソー等の「平等という、自由の敵」(第六章題)によって「大衆という暴君」(同章第四節題)が登場して「エリートを排除する現代の「大衆人の支配する社会」の強固なメカニズム」のおかげでエリート=「貴族的な生の少数者」=「自然的貴族」が解体することを中川自身が嘆き、明治維新時の「逸材はことごとく武士階級の出身者であったように、階級と伝統ある家族がエリート輩出の源泉である」等として「世襲的家族制度と階級の重要性を強調」した英国籍の詩人・エリオットの「説は正しい」(p.304-6)、と述べたあとで出てくる。
 戦後の家族制度・家族法制(民法)の変化については多少の議論の余地はあるかもしれないし、天皇制度の護持のために「皇続」の範囲を広げようとする議論も理解できるところがある。しかし、中川氏は、戦前の華族・士族・平民という「身分」制度、さらには、明治新政府の「四民平等」政策による士農工商という「階級」区別の解消も、今日まで遺すべきだった、と主張しているのだろうか(そのように読める)。
 新田次郎・藤原正彦父子の祖先は信濃・諏訪藩の藩士(武士)だったようで、藤原が書いている父・新田次郎の子・藤原への接し方や藤原の「武士道」精神への親近感の背景に、旧「士族」の<血>を感じることができる。また、「士族」なら持っていたのかもしれない倫理観・道徳観を現在の日本人は少なからず失った、とも感じる。
 しかし、華族・士族制度の復活、ましてや士農工商という「階級」区別の復活は、もはやあまりにも非現実的だ。中川は日本の解体・衰亡傾向の客観的原因の一つとしてのみ叙述しているのかもしれないのだが。

0125/中川八洋・保守の哲学(PHP、2004)を全読了。

 一昨日6日の夜に、中川八洋・保守主義の哲学(PHP、2004)をやっと全読了した。
 紹介又は引用したい箇所は多すぎる。全体の論調から日本の現在に即していえば、日本の「保守」言論界や自民党の中にも(中川からみれば)「危険」な思想に毒されていながらそれに気づいていない者が多くいることになるだろう。それだけ、中川の危機意識は強く、現状批判は厳しい。
 「あとがき」の冒頭はこうだ。-「日本は自由主義であるが、教育界・学界・出版界ではいまだに『マルクスとフロイトに代表される迷信の時代』(ハイエク)が続いており、日本は今も『思想における北朝鮮』の観を呈している。日本人の頭が左翼イデオロギーの思想に汚染された、奇怪な状況を見るにつけ、二十一世紀日本とは自由社会ではなく、一九九一年に滅んだ”二〇世紀のソ連”が再来していると思わざるをえない」。
 私も日本の「思想」状況はおかしい、とりわけ社会系・人文系の大学教授たちやマスコミで働く者たちの多くはかなりヒドい、とは思ってはいるが、上のようにまでは書けない(それほどとは思っていない)。
 例えば上の点にも現れているだろうが、中川の議論には従えないと思える点もあり、うーんこの点は私も中川の批判対象になるな、と感じた点もあった。
 いずれ具体的には、明日以降で話題にする。
 今夜は、中川が本文で言及しつつ、「日本を害する人間憎悪・伝統否定・自由破壊の思想家たち」として表でまとめている計30名をそのまま紹介しておく。中川・正統の哲学/異端の思想(徳間、1996)では「正統の哲学」者27人がリストアップされていたが、この保守の哲学(2004)による修正版は次回以降に記そう。
 ワースト6(没年順)-デカルトルソーヘーゲルマルクスレーニンフロイト
 その他24(没年順)-ホッブス、コンドルセ、ペイン、サン=シモン、ベンサム、シェイエス、フーリエ、コント、プルードン、フォイエルバッハ、ミル、バクーニン、エンゲルス、ニーチェ、クロポトキン、ケインズ、マンハイム、デューイ、ケルゼン、ハイデガー、マルクーゼ、サルトル、フーコー、カール・シュミット、ハーバーマス。(以上、p.385)
 かつて中学・高校時代に習ったかなりの世界的「思想」家が含まれている。マルクーゼやサルトルが入るのは当然だろうと思いつつ、ハイデガー、カール・シュミット、ハーバーマスが入っているのはかなり印象的だ。現在でもハーバーマス(の理論)を参考にしようとする人は結構いるのではないか。
 また、中川によればケインズも「日本を害する」。-「道徳破壊のマルクス経済学と、道徳否定のケインズ経済学とは”反道徳”において双生児である」(p.345)。
 ケインジアンはかつての首相の中にもいたし、財務省官僚の中に今でもいくらでもいそうな気がするが、このあたりになると私には殆ど分からない。ハイエクと対比されるのは解るが、一挙にマルクスらと同列にされてしまうとは…。


0037/朝日新聞はルソー的「平等」教の信徒で、皇族に敬称をつけない。

 昨日読み終えた中川氏の本は、デカルトからレーニンまでの、人類を厄災に陥れた種々の「悪魔の思想」に触れていて、その中には、多少表現を変えれば、日本共産党や朝日新聞批判にもなるような叙述がゴロゴロしている。
 直接に朝日新聞に触れている部分もある。知らなかったが、p.339以下によると、朝日は93年6/06社説以降、敬語・敬称はできるだけ減らす、<皇室は敬語>という「条件反射的な思考を改める」との方針なのだそうだ。従って、皇太子「殿下」でなく皇太子「さま」になっている、という。当然に中川氏は批判的で、これも知らなかったが、皇室典範(という法律)は天皇・皇后・皇太后・太皇太后には「陛下」、それ以外の皇族には「殿下」という敬称を定めているのに、朝日新聞はこの法律の定めを無視し国民にも公然と法律違反を呼びかけている、とする。また、「平等」主義の行き着く所の一つは皇室軽視(→解体)だとして、「皇室への敬語を廃して平等の理念の現実〔化?-秋月〕だと狂信するこのマルクス主義の信徒」は、英国人・バークを引用して次のような人間だという。すなわち、フランス革命による王族・貴族の軽視・廃止を見ての言葉だと思うが、「水平に均してしまおうと欲する徒輩は、精神を高貴にする動機を自らの心中に感受しない人間」、「長年にわたって華麗に、しかも名誉の裡に繁栄して来たものの謂われ無き没落を見て喜ぶのは、…悪意に満ちた、嫉妬深い性質の人間」。
 近年の「格差」批判も近代(合理)思想の一つとされる「平等」主義の一つの表れだろうが、言うまでもなく、「平等」主義を完全に貫けば、一部の権力者(又は共産党員)を除いて「格差」がなく平等な(そして平等に貧困で平等に自由がない)社会主義国になってしまうことは歴然としている。とくに朝日新聞等のマスコミや民主党・社民党といった政党は、どこまで以上が許されない「格差」なのかを具体的に明らかにしたうえで、批判するなら現政権の政策を批判すべきだろう。「格差」批判=みんな平等、といった単純なイメージだけでは政策とは言えず、人気取りフレーズにすぎない。
 平等と自由の兼ね合いはむつかしい問題だ。むろん、「平等」主義を完全に貫けないし、そもそもが人間は平等には生まれていないのだが(「法の下」の平等は別として)、その生まれながらの(生まれてくる人間の責任に帰すことのできない)不平等に起因する「格差」があるとすれば、是正する、「平等」化する政策がとられてもよいように思われる。但し、その場合でも、子どもの責任に帰すことのできない生まれながらの不平等とは具体的には何か、という困難な問題がある。
 なお、親の資産・身分等による子どもの不平等を中川氏は当然視しているようで、中川説に完全には賛同できない。具体的には中川説は相続税の全面的否認説と読めるが、問題は相続税政策の具体的内容なのではなかろうか。現在の相続税制が相続者の負担が大きいものとして批判の対象にかりになるとしても、相続人にとっての「不労所得」としてどの程度国庫に吸収するかという問題が全くなくなるとは思えないのだが。

0035/中川八洋:正統の哲学・異端の思想-「人権」・「平等」・「民主」の禍毒(徳間、1996)を全読了。

 2月12日又は13日に読み始めたとみられる中川八洋・正統の哲学・異端の思想-「人権」「平等」「民主」の禍毒(徳間書店、1996)全358頁を4/01の午後9時頃に、45日ほど要して漸く全読了した。むろん毎日少しずつ読んでいたわけではなく、他の本や雑誌等に集中したりしたこともあって遅れた。
 刺激的だが重たい本で、各章が一冊の大きい本になりそうな程の内容を凝縮して箇条書きになっているような所もあり、又ややごつごつした文章で読み易いとはいえない。だが、まさしく、この本p.351に引用されているショーペンハウエルの言葉どおり、「良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである。人生は短く、時間とかには限りがあるからである」。中川も「近代政治哲学(政治思想史)」の「ガイドライン」のつもりでも書いた旨記しているが、全部を鵜呑みにするつもりはないにせよ、短い人生のための今後の読書の有益な指針を提供してくれているように感じる。
 内容を仔細に紹介しないが、究極的にはマルクス主義という「異端の思想」の批判書ではあるが、マルクス主義そのものよりも、「正統の哲学」の言辞も引用しながら、それを生んだ哲学的・思想的系譜を示して批判すること、同時に、「進歩」主義、「平等主義」、「人権」思想、「民主主義」又は「人民主権」論等々を批判することに重点がある。私には「狂人」ルソー思想批判とフランス革命批判が強く印象に残った。
 デカルト→ルソー・ヴォルテールら→フランス革命→サン=シモンら空想的社会主義→マルクス・エンゲルス→レーニン→ロシア革命という大きな流れに、デカルトとフランス革命→ヘーゲル・フォイエルバッハ→マルクス・エンゲルスという流れを追加して、ほぼマルクス(及びロシア革命)の思想的淵源が解る。中川によれば、「理性主義」信仰のデカルト、平等・「人民主権」論等のルソー、サン=シモン、ヘーゲル、フォイエルバッハの五人はマルクス・レーニン主義という「悪魔の思想」の「五大共犯者」とされる。
 一方で「正統の哲学」の思想家等を27人挙げているが、著名な人物は「悪魔の思想」関係者よりも少なく、かつ日本で邦訳本が出版されている割合が少なく、かつ岩波書店からは一冊も出版されていない。戦後日本の「知識人」たちの好みに影響を受けたこともあっただろうが、岩波は公平・中立に万遍なく世界の思想家等の本を出版しているわけでは全くないのだ。この点は注意しておいてよい。
 その「正統の哲学」の27人は、-のちの中川・保守の哲学(2004)の表で修正されているが-マンデヴィル、ヒューム、アダム・スミス、エドマンド・バーク、ハミルトン、コンスタン、トクヴィル、ショーペンハウアー、バジョット、ブルクハルト、アクトン、ル・ボン、チェスタトン、ホイジンガ、ベルジャーエフ、ウィトゲンシュタイン、オルテガ、エリオット、ミーゼス、チャーチル、ドーソン、ハンナ・アレント、アロン、オークショット、ハイエク、カール・ポパー、サッチャーだ。
 「進歩」、「平等」、「人権」、「民主主義」等々について、この本も参照しながら考え、このブログでも「つぶやく」ことにしたい。

0008/マルクス主義・社会主義国は何故簡単に大量殺戮するのか。

 20世紀は二つの大戦を経験して「戦争の世紀」とも言われる。しかし、第一次・第二次を合わせた大戦による死亡者(戦闘員・一般国民ともに含む)よりも多数の死亡者を出したものがある。共産主義であり、「社会主義国家」だ。中川八洋・正統の哲学…(徳間、1996)p.284は、根拠資料を示すことなく「総計で約二億人の殺害」と記す。その中にはカンボジアでのポル・ボトによる自国民の殺戮も当然含まれ、中川著p.237は「スターリンだけでも四千万~七千万の大量殺戮」とも書く。
 とすると、二〇世紀は「戦争の世紀」よりも、社会主義による殺戮の世紀と言った方がより適切ではなかろうか。ロシア革命により「社会主義国」が生れ、社会主義国の国家権力によって少なくとも1億人の国民が殺戮され(処刑・暗殺の他、収容所送り又は政策失敗が原因の飢餓によるものも含む)、社会主義国の大部分が1990年以降に崩壊した、というのが、20世紀の歴史の最も重要な流れ・基本線と見るべきではないか。従って、研究対象としては、ドイツ・ファシズムや日本軍国主義よりも共産主義と社会主義家こそが重要だ。
 なぜ共産主義が生れ、一時期は成功し、ほとんどの国で失敗に終わったのか、また何よりも、なぜに社会主義国において自国の政府によって少なくとも1億人の人々が殺戮されなければならなかったのか。
 スターリン、毛沢東、ポル・ポト等々の「人柄」・「性格」によるのではないことは間違いない。そして、依拠した思想、すなわちマルクス(・レーニン)主義が原因であることは明確だ。だが、なぜマルクス主義はかくも人命を軽視する(した)のか、というのはなかなか難しい問題だ。「全体主義」だから(この概念も使い方がかなり難しい)、国家・公共を個人よりも優先するから、というだけでは解り難い。中川・上掲書p.280-1は、簡単にコントを使って説明している。彼によると、「コントとヘーゲルを読めば誰でも「マルクス」になる」らしいのだが(p.279)、コントは、人の知性の発展により社会が「進歩」するのは「哲学的な大法則」に従うもので、かつ「社会的進化が主として死(=世代交替)を基礎」とする、と理解した。そして、人類全体の進歩又は社会の進歩には「世代交替を一定のスピードで」行う必要があり、人類全体・社会の進歩が絶対的価値をもつために「個々人の人間的配慮はなく個々人はこの価値実現の単なる手段に堕されている」。かかるコント哲学を継承したがゆえにマルクス主義は「個々人の生命について一顧だにしない、大量殺戮をためらわない非人間性」をもつ、という。
 なおも不分明さは残るが、ルソーの「自由」が「立法者」・「一般意思」への全面的帰依、死(=じつは「自由」の全剥奪)をも躊躇しない自己犠牲、を意味することも思い出すと、「狂気」の思想が少しは解った気になる。

0003/フランス革命-1951年のソブール本と1987年のセディヨ本。

 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間書店、1996)は刺激的な本で、第一部第一章第一節は「ロシア革命とは「第二フランス革命」」という見出しになっており、フランス革命の残虐性・狂気性およびマルクス主義・ロシア革命の重要な淵源性を指摘し、ルソー・ロベスピエールらを厳しく批判するとともに、より穏健なイギリス名誉革命を讃え、フランス革命時のイギリスの「保守」思想家バークらを肯定的に評価する。この本はフランス革命を肯定的・好意的に描く本は日本で多く翻訳され、消極的・批判的な本は翻訳されない傾向がある、という。また、肯定的・礼賛的なものの主要な四つのうち中央公論社の世界の名著中のミシュレのものの他はいずれも岩波書店から出版されている。そのうち、ソブール・フランス革命(上・下)(岩波新書、1989年各々42刷、39刷。初版、各1953年)を古書で入手した。
 1952年の時点での著者からの「日本の読者へ」の初め2行まで読んで(見て、に殆ど等しい)、たちまちぶったまげた。曰く-「20世紀、いいかえればプロレタリア革命―われわれはそれに終局的な人間解放の希望をかけているのだが―の世紀のちょうど中葉にあたって、日本の読者に…」。いかにスターリン批判がまだの時期とはいえ、のっけから、20世紀はプロレタリア革命の世紀で、それに終局的な人間解放の希望をかけている、とは…。岩波書店がこのパリ(ソルボンヌ)大学フランス革命史講座教授の1951年の本をさっそく新書化したのも分かる。岩波書店の<思想>にぴったりの内容だからだ。
 ソブールは上の言葉で始め、イギリスやアメリカの「革命」の妥協性や特異な限界を指摘してフランス革命は「人類の歴史の中で第一級の地位」を占めると自慢し、フランス革命は自由の革命、平等の革命、統一の革命、友愛の革命だった、とする。さらにこう続けているのが興味深い。-だが、経済的自由の宣言・農奴制廃止・土地解放によって「資本主義に道をひらき、人間による人間の新しい搾取制度の創設を助けた」。だがしかし、と彼は続ける。-フランス革命は「未来の芽生え」も見せていた、即ち「バブーフは経済問題を解決し、…平等と社会主義を完全に実現する唯一の可能な方法として、生産手段の私有廃止と不可分の社会主義的デモクラシーの樹立を提案した」。
 中川八洋の著を読んで抱いた印象以上に、フランス革命賛美者はマルクス主義者であること、フランス革命→社会主義革命という連続的な歴史的発展論に立っていることが解る。岩波書店はこの新書をもう絶版にしているようだが、1991年のソ連・東欧「社会主義」諸国の崩壊の後では、さすがに恥ずかしくなったのだろうか。
 一方、1987年のルネ・セディヨの本を訳した同・フランス革命の代償(山崎耕一訳。草思社、1991)は、フランスでは「修正派」と言うらしいが、筆者まえがきで、大革命は伝説を一掃すれば実態が明らかになる、全否定はできなくとも全てを無謬ともできない、偉大な部分・崇高な面もあるが、うしろめたい部分・有害な面もあると結論を示唆し、訳者あとがきは、この書によるとフランス革命は資本主義の発展に有利に作用せず、封建制を廃棄せず、土地問題を解決していない、等々と要約している。どちらか一方のみが適切でないにせよ、後者の方がより歴史の真実に近そうだ。
 いずれにせよ、フランス、アメリカ、イギリスの諸「革命」を同質の「市民革命」(ブルジョワ民主主義革命)と理解することは誤りだ。また、日本が(かつて又は現在でもよく説かれているように)フランス革命のような典型的な「革命」を経ないで「近代」化したことについて、劣等感をもつ必要は全くない。

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