秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ミルトン・フリードマン

0739/佐伯啓思・大転換(NTT出版、2009)におけるハイエク。

 すでに多少は触れたが、佐伯啓思・大転換(NTT出版)における、日本の「構造改革」とハイエクとの関係等についての叙述。
 ・「ハイエクの基本的考え方と、シカゴ学派のアメリカ経済学の間には、実は大きな開きがある」。
 ・たしかに「ハイエクは市場競争の重要性を説いた」。その理由は「市場は資源配分上効率的」、「消費者の満足を高める」、ではない。
 ・理由の第一は、「市場制度は…自然発生的に生成し、自生的に成長していく…。だからそれを政府が無理にコントロールしたり、造り替えたりすることはできない」ということ。市場は「自生的に成長する」ために「耐久力をもち、安全性を備えている」。この点で「市場は優れている」というのがハイエクの一つの論点だった。
 ・市場はただ人々の自己利益追求の交換場所ではなく「法や慣習といったルールに守られた制度」で、「人々が信頼できるだけの安定性」をもつ。「公正価格」・「適正価格」という「社会的・慣行的」なものも「制度」に含まれる。従って政府が市場を「意のままにコントロール」したり「急激に改変」しようとすれば背後の「制度や慣行」にまで手をつけざるをえない。それは「市場経済を不安定化」する。政府は市場への「無理な介入」をすべきではない。
 ・要するにハイエクの「市場経済擁護論」は「市場経済は長持ちのする信頼に足る制度」だとの主張で、それを「自生的秩序」と呼んだ。ハイエクのいう「市場」とは「市場競争システム」ではなく「市場秩序」だった。
 ・第二の理由は、「市場秩序」は「社会全体についての情報を必要としない」ことだ。人々は本質的に限られた情報しか持てず「社会全体や経済全体」の情報を持たないし関心もない。従っていかに「合理的」に行動しても「合理性」の程度には限界がある。
 ・市場は「自分にしか」関心がない者が集まっても「何とかうまくゆくようにできている」。「ルールや制度も含めて」「慣性的な安定性」をもち、特定の人間・グループが「市場を大きく動かす」ことはない。
 ・人々は「自分にかかわる」知識・情報をもち「非合理的に行動」してよい。「システム全体についての合理的な知識」は不要で、「多少誤ってもよい」「局所的知識」で十分だ。
 ・要するに、市場は「いささか非合理的で誤りうる人間」が活動しても「決してゆらぎはしない」。それは、「人々の情報や知識が限定」され「間違うかもしれない」との前提に立つ。これも「市場秩序」が優れている理由だ。
 ・以上がハイエクの「市場擁護論」で、フリードマンらの論と「かなり違っている」。
 ・経済学者は通常、「資源配分上、効率的」、「消費者の効用を最大限」化する、その場合人々は「合理的に行動し」「システム全体についての合理的な知識」すら持つに至る、と「市場を擁護する」。ハイエクはそうは言わない。彼にとって「市場秩序が優れている」のは信頼できる「自生的秩序」として「安定している」からだ。「自生的秩序」としての市場は、人々の誤りや非合理性からの「ゆらぎ」を「うまく吸収」してしまう「安定性」を持つ、とするのだ。
 ・だからハイエクは、「自然に歴史的に生成してきた秩序」を破壊し「新たにシステムを設計」できるとの「設計主義」(constructivism)を「痛烈に批判する」。その際にハイエクは「社会主義のような計画経済」を想定したが、「構造改革」も、ハイエクからすれば「一種の設計主義」だろう。
 ・「経済的利益追求」の背後には「広い意味でのルールの体系、…制度や法や慣行」があり、人々はじつはそれを「頼りに行動」している。これこそがハイエクにとっての「重要な点」だ。従って、既成の「制度や慣行をいきなり変更する」ことは「自生的秩序」を破壊することで、システムの合理的設計という「設計主義」と同じだ。それは「市場秩序への人々の信頼感を損なう」と、かかる「理性万能主義」をハイエクは攻撃した。
 ・とすると、「ある国の経済制度や慣行を一気に破壊して、合理的な経済システムに変更」すべきとの「構造改革」は「ハイエクの精神」と対立している。かかる「合理的な設計的態度こそ」ハイエクが嫌悪したものだ。
 ・シカゴ学派経済学とハイエクは「基本的なところでまったく違っている」。「フリードマンとハイエクを同列に置くことはできない」。
 以上、p.185-8。
 「意のままにコントロール」、「急激に改変」、「いきなり変更」、「一気に破壊」という場合の「意のままに」、「急激に」、「いきなり」又は「一気に」か否かは容易に判別できるのか、という疑問も生じるが、とりあえず、趣旨は理解できる。

0736/ハイエク・隷属への道(春秋社、原著1944)へのミルトン・フリードマンの「序文」2

 ハイエク・隷属への道(春秋社、全集Ⅰ別巻。原著1944)へのミルトン・フリードマンの「序文」のつづき。
 2(1994年版)・独語版(1971)への序文の一部はもはや完全には正しくない。「マルクス主義型の集産主義に対する擁護者は、西欧諸国の諸大学に集中的に存在する小さく頑迷な集団」へと後退した。今日では「社会主義は失敗」し「資本主義が成功」したという点に「広範な意見の一致」がある。
 しかし、「インテリの共同体」のハイエク的見解への「転向」は「見かけの上」のことで、「実体を伴ってはいない」。
 「インテリの共同体の大半」は、「個人」の「大型の悪質な諸企業」からの保護、「貧困者」の救済、「環境保護」、「平等化」の推進等のためと宣伝される「政府の権力の拡大」にほとんど自動的に賛成してしまう。
 初版時(1944)、「知的風潮」は本書をはるかに「敵視」していたが、「実践の面」でははるかにハイエク説に「順応」していた。しかし、今や逆になっている。
 レーガン時代を経ても、米国の対国民所得政府部門支出は1950年の25%から1993年には45%近くになった。サッチャー首相の英国は「企業の国営化と運営の規模」を削減させたが、対国民所得政府部門支出は50%を超え、「民間部門」への「政府の介入」は1950年時よりもはるかに増えている。
 ・アメリカとイギリスは「個人主義と資本主義」を唱えながら、「実行」面では「社会主義を実践している」と言っても「必ずしも言い過ぎではない」。「ゆえに今こそが、『隷属への道』を読むのに、ふさわしい時」だ。
 以上、終わり。
 1944年、1971年、1994年。現在と同じような問題がとっくに存在していた。19世紀末から20世紀初頭でもそうだったのかもしれない。

0735/ハイエク・隷属への道(1944)の1971年独語版へのM・フリードマンの「序文」。

 フリートリヒ・A・ハイエク・隷属への道〔西山千明・訳〕(春秋社、2008.12新版、全集I別巻。原著は1944年刊)の最初にある、ミルトン・フリードマンの「序文」の中には、興味深い文章がある。これは同書1994年版(英文)への序文で、その中に1971年版(独文)への序文も含めている。以下、適当に抜粋。なお、近年の経済政策に関する「新自由主義」うんぬんの議論とは直接には無関係に関心を持ったので、とり上げる。
 ハイエクと同様に「集産主義」(collectivism)という語を用いているが、これは、社会主義(・共産主義)とナチズム(ファシズム)の他に、自由主義(資本主義)の枠内での<計画経済>志向主義も含むもののようだ。
 1(1971年版)・「個人主義」者に対して「集産主義」からどうして離脱したかを訊ねてきたが、ハイエク著・隷属への道のおかげだ、としばしば答えられた。
 ・ハイエクは「集産主義」者の特有な用語を進んで用いたが、それらは読者が慣れ親しんだものだったので、親近感を与えた。
 ・「集産主義」者の誤った主張は今日でもなされ、増加しさえしているが、直接的争点はかつてと異なり、特殊な用語の意味も異なってきている。
 例えば、「中央集権的計画」・「使用のための生産」・「意図的な管理」はほとんど耳にしない。代わっての論争点は、「都市の危機」、「環境の危機」、「消費者の危機」、「福祉ないし貧困の危機」だ。
 ・かつてと同じく、「個人主義」的諸価値も公言され、これと結びついて「集産主義」の推進が主張されている。「既存の権力組織に対する広範な異議申立て」がなされ、「参加的民主主義」のため、「各個人の個人的ライフスタイル」に沿って「各個人が思い通りする」自由への「広範な要求」が社会に出現している。「集産主義」は後退し、「個人主義」の波が再び高まっていると誤解しそうだ。
 ・しかし、ハイエクが説明したように、「個人主義的な諸価値が樹立されるためには、個人主義的な社会をまずもって築かなければならない」。この社会は「自由主義的秩序」のもとでのみ建設可能だ。そこでは、「政府の活動は…、自由に活動して良い枠組みを限定することに主として限られる」。なぜなら、「自由市場」こそが真に「参加的民主主義」を達成するための「唯一のメカニズム」だから。
 ・「個人主義的な諸目的」の大半を支持する多くの者たちが、「集産主義的手段」によることを支持しているのは、「大きな誤解」だ。「善良な人々」が権力を行使すれば全てうまくいくと信じるのは「心をそそる考え方」だが、「邪悪を生み出すのは権力の座にある『善い』人々」だ。これを理解するためには感情を理性的機能力に従属させねばならない。そうすれば、「集産主義がその実際の歴史において暴政と貧困しか生みだしてこなかった」にもかかわらず「個人主義よりも優れている」と広く考えられている「謎」も解き明かされる。「集産主義のためのどんな議論も、虚偽をこねまわした主義でなければ、きわめて単純な主張でしかない。…それは直接に感情に対して訴えるだけの議論でしかない」。
 ・「個人主義」と「集産主義」の闘いのうち、<現実の>世界では、「集産主義の徴候」は「ほんの少しばかり」だった。英・仏・米では「国による活動拡大の動き」はさほど伸びなかった。
 その要因は第一に、「中央集権的計画に対する個人主義による闘争」(ハイエクのテーマ)が明白になったこと、第二に、「集産主義」が「官僚主義的混乱とその非効率性という泥沼」にはまり込んだこと、だった。
 ・しかるに、「政府のさらなる拡大」は阻止されず、「異なった経路へと向けて転換」され、促進された。「直接に生産活動を管理運営する」のではない、「民間の諸企業に対して間接的な規制をする」ことや「所得移転という政策」に変化したのだ。「平等と貧困の根絶」のためとの名目の「社会福祉政策」は原理原則を欠き、諸補助金を「各種の特殊利益グループ」に与えているにすぎず、その結果、「政府部門によって消費される国民所得の割合は、巨大化していくばかり」だ。
 ・「個人主義」と「集産主義」の闘いのうち、<思想の世界>では、「個人主義」者にとって「幾分か劣った」にすぎず、この事態は驚くべきことだ。
 1944年以降の25年間の「現実」はハイエクの「中心的洞察を強く確証してきた」。①人々の諸活動を「中央集権的命令によって相互に整合させながら統合する道」は「隷属への道」・「貧困への道」へ、②「人々自身の自発的な協同によって、相互に調整し総合的に発展させる道」は「豊かさへの道」へと導いた。
 しかし、欧米の「知的風潮」は「自由に関する諸価値が再生する徴候」を短期に示したものの、「自由な企業体制や市場における競争や個人の財産権や限定された政府体制」に「強く敵対する」方向へと再び動き始めた。従って、ハイエクによる知識人の描写は「時代遅れ」ではなく、ハイエク理論は10年程前から「改めて世相に適切な根拠を与える
ものとして鳴り響いている。
 ・「どうして世界のいたるところで、知的階層はほとんど自動的に集産主義の側に味方するのだろうか」。「集産主義」に賛同する際に「個人主義」的スローガンを用いているのに、「どうして、資本主義を罵り、これに対する罵詈雑言をあびせかけているのだろうか」。「どうして、マス・メディアはほとんどすべての国」で、かかる見解に「支配」されているのだろうか。
 ・「集産主義に対する知的支持が増大」という事実はハイエクのこの著が「今日においても、実にふさわしい書」であることを示す。
 ・「自由のための闘いは、いくどでも勝利を重ねなければならない」。「各国の社会主義者たちは、この書によって説得されるか敗北させられなければならない」。さもなければ、われわれは「自由な人間になることができない」。
 <以上で1(1971年版)は終わり。続きは別の回に。>

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