秋月瑛二の「自由」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

マルクス主義法学

1880/森下敏男「わが国におけるマルクス主義法学の終焉」(神戸法学雑誌)。

 アゴラなどで篠田英朗が長谷部恭男や木村草太らを批判しているらしいのは、あるいは篠田が「戦後憲法学」を批判しているらしいのは別の専門分野(国際法学)からする的はずれのもので、結局は同じグループ内の仲間うちの喧嘩のような印象を持ってきた(この欄でこの論争を取りあげたことがないのは興味を惹かなかったからだ)。
 篠田が批判し攻撃しているのが典型的に長谷部恭男だとすれば、長谷部は日本共産党員学者ではなく、自衛隊自体の合憲性まで否定してはいない。木村草太もまた日本共産党員学者ではない。
 闘うべきは、日本共産党員の、少し緩めれば日本共産党系の法学であり法学者だ。篠田は真の敵を知らなければならない。
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 ほんの最近に知って、一部は読んだ。以下に、注目が向けられてよい。
 森下敏夫「わが国におけるマルクス主義法学の終焉-そして民主主義法学の敗北-」。
 ネット上では、5部ほどに分けて、pdfファイル化されている。
 ①森下敏夫「…マルクス主義法学の終焉/上」(神戸法学雑誌64巻2号、2014.09)。
 www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81000695.pdf
 ②森下敏夫「…マルクス主義法学の終焉/中」(神戸法学雑誌65巻1号、2015.06)。
 www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81009060.pdf
 ③森下敏夫「…マルクス主義法学の終焉/下Ⅰ」(神戸法学雑誌65巻2号、2015.09)。
 www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81009203.pdf
 ④森下敏夫「…マルクス主義法学の終焉/下Ⅱ」(神戸法学雑誌65巻4号、2016.03)。
 www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81009465.pdf
 ⑤森下敏夫「…マルクス主義法学の終焉/下Ⅲ完」(神戸法学雑誌66巻1号、2016.06)。
 www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81009556.pdf
 森下敏男、元神戸大学大学院法学研究科教授。
 私、秋月よりも、日本の「マルクス主義法学」について詳しそうだ。日本のこれが「民科法律部会」の会員たち(とくにその幹部たち)によって担われてきていること、かつまた日本共産党系の「マルクス主義」であることも、あっけらかんと前提として批判的分析がなされており、かつまた、マルクスの用語・議論を利用しての自説も展開されている。
 日本で<マルクス主義法学の終焉>がすでにあったのかどうかはまだ怪しいが、副題にいう「民主主義法学の敗北」だけは間違いないだろう。
 存在を知って原文を読みたいと感じていたが、ネット上で読めることを知った。
 これの内容を紹介するだけでも、多少の意味はある。今日までの日本の「マルクス主義」法学者=ほぼ日本共産党員=ほぼ「民主主義法学」を謳う者<民科法律部会の会員、の氏名だけでも、相当の数が言及されているようだ。

1858/笹倉秀夫・法思想史講義(下)(2007)①。

 マルクス主義法学講座(日本評論社、全8巻、1976-1980)の編者5名のうちの一人、講座・革命と法(日本評論社、全3巻、1989-1994)の編者3名のうちの一人で、それぞれに文章を複数回掲載していた者に、渡辺洋三(1921-2006)という人物がいた。元東京大学社会科学研究所教授。
 その渡辺洋三は1996年に、つぎの岩波新書を刊行していた。
 渡辺洋三・日本をどう変えていくのか(岩波書店/岩波新書、1996)。
 自社さ連立政権の頃で、この年に首相は村山富市から橋本龍太郎に替わった。
すでにこの欄で多少は触れたことだが(№0041)、この書物の最後で当時の「政局」との関連で憲法問題を論じ、小沢一郎批判から始めて、自民党・新進党・(新)社会民主党に対して批判的に言及し、その中で公明党や「さきがけ」にも触れている。
 ところが何と、日本共産党には何ら言及せず、「日本共産党」または「共産党」という言葉をいっさい出していない(p.234~p.240)。
 その直後に渡辺は「日本社会の改革目標」を平和大国・生活大国・人権大国・民主主義大国とまとめるのだが(p.241-2)、上のことからして、こうした主張は日本共産党員である自らの主張であり、かつまた同党の主張・路線と一致していることを「問わず語り」に暴露している、と言えよう。
 真偽は定かではないが、渡辺洋三のことを日本共産党の「大学関係」責任者だと述べていた人もいた。
 さて、笹倉秀夫・法思想史講義(下)(東京大学出版会、2007)。
 この書物にも、たぶん一度触れた(№1408)。
 あらためてこの本を捲ってみると、目次(構成内容)からしてじつに興味深い。
 最終の「部」である「近代の変容・現代」のうち、14(章)以降の構成・叙述内容を「目次」から紹介してみよう。以下、省略部分はあるが、それ以外は忠実な再現だ。
 「14」の表題は<「近代の疎外」との対峙>、「15」のそれは<社会主義>、「16」のそれは<近時の主な法思想>(17はここでは略す)。
 14-1/マルクス 14-1-1 マルクスの思想形成、14-1-2 史的唯物論の素描
 14-2/自由主義と民主主義の再結合へ (1) ミル、(2) ラスキ
 14-3/ヴェーバー
 14-4/フロム 14-4-1 学説史的位置、14-4-2 現代社会論
 14-5/フーコと「紀律化」 14-5-1 フーコの議論、14-5-2 私見
 15-1/社会主義思想の形成
 15-2/スターリニズム 15-2-1 スターリニズムの問題点、15-2-2 スターリニズムの要因、15-2-3 スターリニズム批判とその後
 15-3/まとめ
 16-1/価値相対主義、16-2/「実践哲学の復興」、16-3/ポストモダニズム  
 以上
 ここですでに明らかなのは、マルクスに論及があり、かつスターリニズムについての詳細らしき叙述はあるが、「レーニン」という語が全く出てこないことだ。
 これはこの人物の<政治的立場>をすでに「問わず語りに」示唆しているのではないだろうか。
 もっとも、さらに下の項を見ると、「15-2-2 スターリニズムの要因」の中の(3) として「マルクス・レーニンらの問題点」が叙述されている。
 そこではマルクス(・エンゲルス)とレーニンに関しては構成上は「一括して」叙述されており、「レーニン」という小見出し(黒ゴチ)がある部分は、15-2-2-3-2-2のところに位置する(正確な又は的確な言葉を知らないが、「ディレクトリ」の階層的に示すと「レーニン」はここに位置する)。
 内容には別途立ち入るとして、このように「マルクス・レーニン」と「スターリン(スターリニズム)」を明瞭に区分していること、レーニンをマルクス(・エンゲルス)と「一括して」、正確にはおそらく「引きつけて」理解して同様にレーニンとスターリンとを切り離していること、これらは、この人のこの書物の時点での、少なくとも過去の一定の時点での<政治的立場(・心情)>を示唆しているように感じられる。
 全集・世界の大思想(河出書房)の一つの巻を「レーニン」が占めていた(1965年)。「法思想」と「思想」は同じではないのだが、この笹倉秀夫は、レーニンを大々的には、あるいは正面からは論述の対象にはしたくないのではなかろうか。

1131/阪本昌成・憲法理論Ⅰ(成文堂)を少し読む。

 〇「ハイエキアン」と自称し、「マルクス主義憲法学者」は反省すべきだ、と指摘したことのある稀有の(現役の)憲法学者が、阪本昌成(1945-)だ。
 政治的・現実的な運動に関与することに積極的ではない人物なのだろうが、このような人を取り込み、論者の一人のできないところに、現在のわが国の<保守>論壇の非力・限界を見る思いがする。
 阪本の憲法理論Ⅰ・Ⅱ(前者の第二版は1997、後者は1993が各第一刷)は、多くの憲法学概説書と異なっているので司法試験受験者は読まないのだろうが、憲法学・法学を超えて、広く読まれてよい文献だろう。
 Ⅰ(第一版)の「序」で阪本昌成は次のようにも書く-「なかでも、H・ハートの法体系理論、F・ハイエクの自由と法の見方、L・ウィトゲンシュタインのルールの見方は、わたしに決定的な知的影響を与えた。本書の知的基盤となっているのは、彼らの思考である」。
 Ⅱの「序」では、こうも書いている-「F・ハイエクは、人びとの嫉妬心を『社会的正義』の名のもとで正当化し、かきたてる学問を嫌ったという。本書の執筆にあたっての基本姿勢は、ハイエクに学んだつもりである」。
 阪本昌成・憲法理論Ⅰ〔第二版〕(成文堂、1997)の特徴の一つは、ふつうの憲法学者・研究者がどのように考え、説明しているのかが明瞭ではないと思われる「国家」そのものへの言及が見られることだ。
 この書の第一部は「国家と憲法の基礎理論」で、その第一章は「国家とその法的把握」、第二章は「国家と法の理論」だ。こういう部分は、ほとんどの憲法学者による書物において見られないものだと思われる。
 〇上の第一章のうち、「第四節・国家の正当化論(なにゆえ各人が国家を承認し、国家に服従するのか)」(p.21-)から、さらに、「国家の正当化を問う理論」に関する部分のみを、要約的に紹介しておく(p.23-26)。
 歴史上、「国家正当化論」として、以下の諸説があった。  ①「宗教的・神学的基礎づけ」 (典型的には王権神授説)。  ②「実力説」。近くは国家を「本質的に被抑圧階級、被搾取階級を抑圧するための機関」と見るマルクスやエンゲルスの論に典型が見られ、G・イェリネックは、この説の実際的帰結は国家の基礎づけではなく、国家の破壊だと批判的に言及した。  ③「家父長説」。G・ヘーゲルが理想とした「人倫国家」論はこれにあたるが、絶対君主制を正当化する特殊な目的をもつものだった。
 ④「契約説」。国家形成への各人の「合意」のゆえに「その国家は正当」だとする「意思中心の理論」。ブラトンにも見られ、ホッブズははじめて「原子論的個人」を「国家」と対峙させた。これ以降の契約論は、「個々人の自由意思による合理的国家の成立」を説明すべく登場した。
 J・ロックは「意思の一致」→契約は遵守されるべき(規範)→「正当な服従義務」という公式を援用したが、曖昧さがあった。
 J・ルソーの「社会契約論」は、「政治的統一体の一般意思に各人の意思が含まれるがゆえに正当であり、各人は自己を強制するだけ」、「一般意思を脅威と感じる必要もない」、とする「楽観論」でもあり、「集団意思中心主義の理論」でもある。
 ルソーの議論は「正当な国家の成立」・「自由保障の必然性」を見事に説いたかのごとくだが、この「社会契約」は「服従契約」でもあった、すなわち市民(個人)は、「契約によって、共同体意思に参加するものの、同時に、臣民として共同体意思に服従する」。ルソーはこれをディレンマとは考えなかった。現実の統治は「一般意思」にではなく「多数」者によって決せられるが、彼は、個々の個人のそれと異なる見解の勝利につき、「わたしが一般意思と思っていたものが、実はそうではなかった、ということを、証明しているにすぎない」と答えるだけ(p.25)。実体のない「集団的意思」・「集団精神」の類の概念の使用は避けるべきなのだ。
 以上の諸説のうち今日まで影響力を持つのは「社会契約論」。この論は「合理的な国家のあり方」を説いた。  しかし、「一度の同意でなぜ人々を恒久的に拘束できるのか、という決定的な疑問が残されている」。  といった欠陥・疑問はあるが、「契約の主体が、主体であることをやめないで、さらに自らを客体となる、と説く」一見、見事な論理で、法思想史上の大きな貢献をした。「契約説は、新しい国民主権論と密接に結合することによって、国家存在の正当化理由、統治権限の淵源、その統治権限を制約する自然権等を、一つの仮説体系のなかで明らかにした」(p.26)。  これはノージックやロールズにも深い影響を与えている。「社会契約論」的思考は、「方法的個人主義」に依りつつ「個々人の意思を超えるルールや秩序」の生成淵源を解明しようとする。
 但し、これまでの「国家正当化論」は「抽象的形而上学的思索の産物」で、これによってしては「現実に存在する、または歴史的に存在してきた国家を全面的に正当化することは不可能である」。現実の国家が果たす「目的」によってのみ国家の存在は正当化される。かくして、「国家目的論」へと考察対象は移行する(p.26)。
 以下の叙述には機会があれば言及する。ともあれ、ルソー(らの)「社会契約論」によって(のみでは)「国家」成立・形成・存在を正当化しようとしていないことは間違いない。
 〇翻って考えるに、日本「国家」は、何ゆえに、何を根拠として、そもそもいつの時点で、形成されたのか?
 かりに大戦後に新しい日本「国家」が形成されたとして(いわゆる「非連続説」に立つとして)、そこにいかなる「社会契約」があったのか? この問題に1947年日本国憲法はどう関係してくるのか?
 外国(とくに欧米)産の種々の「理論」のみを参照して、日本に固有の問題の解決または説明を行うことはできないだろう、という至極当然と思われる感慨に再びたどり着く。

1009/国民主権=ナシオン主権と人民主権=プープル主権、高橋彦博著。

 高橋彦博・左翼知識人の理論責任(窓社、1993)の著者自身は<左翼>のようだ。だが、左翼内部での批判(とくに対日本共産党?)を含んでいるようで、興味がわく。
 この本のp.151以下の「『国民主権(人民主権)』論」によると、日本共産党の見解と見てよい新日本出版社刊行の『社会科学辞典』の中の「国民主権」の説明はつぎのように変化した、という。
 ①1967年版-「主権は資本家階級や大地主、独占資本家をふくむ国民全体にあるとされるが、事実上の権力は特権的支配層によってにぎられている」。
 ②1978年版-日本国憲法の国民主権規定は「不徹底な面をのこしている」が、「人民が主権を直接に行使するという意味の人民主権の実現の可能性を排除していない」。
 ③1989年版-「主権は国民にあるとされるが、国家権力は支配層によってにぎられている」。
 その後、④1992年版では、国民主権概念に対する「批判的視点が払拭」された、という。そして、人民主権は国民主権と同義とされ、日本共産党は「国民主権の戦前からの担い手」だったと主張されるに至っている、とされる。
 このような変化を、高橋は批判的に見ている。そして次のように書く。
 「国民主権をナシオン主権とし、人民主権をプープル主権として、両者の違いを強調する」のが「従来のマルクス主義憲法学の力点」で、この両者の峻別こ「戦術的護憲」論の「立脚点」があったはずではないか(p.155)。
 上の指摘自体もじつに興味深いのだが、国民主権=ナシオン主権と人民主権=プープル主権といえば、憲法学者・辻村みよ子(東北大学)がフランス憲法(思想)史に依拠しつつ日本国憲法における両者の採用の仕方に着目した研究をしていたことを思い出す。樋口陽一(前東京大学)や杉原泰雄(前一橋大学)もこの議論に加わっていたはずだ。

 ブルジョア民主主義憲法は「国民主権」で、「プロレタリアート独裁権力の樹立を目指す」(高橋上掲書p.153)のが「人民主権」論だとの基本的なところでは合致しつつ、日本国憲法がどの程度において(どの条項に)「人民主権=プープル主権」的要素を包含しているのかが、おそらく論争点だったのだろう(過去ではなく現在でも少しは議論されているのかもしれない)。
 辻村みよ子は七〇年代に上の区別に着目して研究を開始し、八〇年代末に著書としてまとめて刊行したが、それはソ連崩壊の直前だった。日本共産党との組織的関係は不明だが、せっかくの峻別も、上の高橋によると、政治党派(政治運動)レベルでは厳密には生かされていないようだ。

 それとともに感じるのは、辻村みよ子、樋口陽一、杉原泰雄のいずれも、現憲法解釈論には違いがあったかもしれないが、<人民主権=プープル主権>の方向に向かうべきだ、との実践的意欲をもっていたにもかかわらず、それを隠してきた、ということだ。高橋は「従来のマルクス主義憲法学」という表現を簡単に使っているが、辻村みよ子らは自分たちが「マルクス主義」に立つ「マルクス主義憲法学」者であることを、決して公言はしなかっただろう。
 ソ連崩壊=有力または最大の「社会主義」国家の解体の後に、辻村みよ子は「人民主権」ではなく(むろん「国民主権」ではない)「市民主権」ということを言い始め、男女共同参画やジェンダー・フリー(憲法学)へと表向きの関心を変えているようだ。

 こうした一人の(少なくとも従来の)マルクス主義者または「左翼」(学者・知識人)の動向は、中西輝政・強い日本をめざす道―世界の一極として立て(PHP、2011)p.150以下の、「粧いを新たにした」左翼の「見えない逆襲」に関する叙述に、完全に符合している。
 中西輝政のこの本には別の機会に言及する。なぜ、マルクス主義者を中核とする<左翼>は生き延び、日本の多数派を形成してしまっているのか?

0616/杉原泰雄の日本国憲法=「外見的市民革命」論。

 一 岩波からシリーズ・法律学への第一歩というのが出版されていた。全5巻で、二つ目が、杉原泰雄・憲法-立憲主義の創造のために-(1990)。
 第一巻が渡辺洋三・法律学への旅立ち(1990年時点で既刊)で、この人は日本共産党党員だったと確実に推測できる人(故人)。
 その他の執筆者は、第三巻の民法は田山輝明、第四巻の刑法は村井敏邦、第五巻の外国法(イギリス・ドイツ)は戒能通厚・広渡清吾。
 戒能通厚(前名古屋大学)の名はマルクス主義法学講座にもあったと思うが、このシリーズの執筆者たちは、杉原泰雄も含めて、日本共産党員か親日本共産党の者か、少なくとも反日本共産党ではない者であることは確実だろう。マルクス主義者・親マルクス主義であることは勿論。さすがに岩波書店だ。
 二 第二巻の上の杉原泰雄の本には教条的な日本共産党の主張・理解とは同じではない<歴史理解>もある。
 とりあえず気がついたのは、明治憲法から現憲法への「転換」を「日本の市民革命ともいうべきものであった」と述べつつ、しかし「革命としての実体を欠いていた」と叙述していることだろう(p.21)。
 戦後への「転換」につきかかる「市民革命」概念を日本共産党は用いない。
 だが、日本の「反立憲主義的政治の原因論」をふまえれば「日米安保体制が、軍事的に、経済財政的に国民生活にどのような危険性をもっているか、…を解明し、認識すること」ず重要だ旨の指摘(p.23-24)などは、<憲法体制と安保体制の矛盾・対立>という、長谷川正安(元名古屋大学法学部)がしばしば書いていたような日本共産党的な基本的法状況の認識の枠内にある。
 三 「市民革命」関係の上の叙述は、杉原泰雄・平和憲法(岩波新書、1987)でより明瞭に、かつ詳しく語られている。
 ・「明治憲法から日本国憲法への転換は、日本の市民革命ともいうべきものであった。しかし、外見上はそうではあっても、それは市民革命としての実体を欠いていた」(p.134)。
 ・「近代市民革命」の場合、「民衆」の他に「ブルジョアジー」が参加して、彼らも「新しい憲法原理」に敵対的ではなく、「新しい憲法原理」は「権力担当者と民衆」のいずれの「意識にも根」をおろす。だが、「日本国憲法は、その市民革命的類似の外形にもかかわらず」、このような「市民革命としての『実体』をもつことができなかった。その意味で、それは外見的市民革命ともいうべきものであった」(p.141-2)。
 ・「日本国憲法の制定は、徹底した意識変革の過程としての市民革命の内実を、支配層においても、一般国民の段階においても、伴っていなかった」(p.172)。
 上のための例証的叙述は省略する。「外見的市民革命」とは、ほとんど一般化していないが、面白い概念ではある。
 なお、杉原において、日本の<特殊性>も意識されてはいる。p.141の小活字部分にはこうある。
 「市民革命」は「もともと、資本主義の草創期における現象」だが、日本の戦後改革は「一応発達した資本主義社会における二〇世紀中葉の変革として、資本主義的生産関係の変革をも」視野に収めうるものだった。だが、占領軍の性格や日本の権力担当者の「巧みな対応」によって、その可能性は「憲法問題としては、現実化されなかった」。
 ここで視野に入り得たとされ、かつ現実化しなかったとされる「資本主義的生産関係の変革」とは、<社会主義化>又は<社会主義革命>に他ならないだろう。
 四 上の小活字部分についての「留保」は必要だが、杉原泰雄において刮目されるのは、第一に、どの国も、日本も、「市民革命」を経る必要がある、「市民革命」を経るはずだ、という強い、<宗教じみた>思い込みがあることだ。
 第二に、日本は<真の>「市民革命」ではなく「外見的市民革命」を経たにすぎない、という<歴史理解>は、<真の>「市民革命」を将来に経る必要がある(その筈だ)との理解につながっているはずだ。
 これを前提にすると、日本は「戦後改革」後も(現在も!)、フランスにおける<真の>「市民革命」以前の状態にあると理解されていることになる。日本の1945年頃は(そして現在も!)、フランスにおける1789年以前の状態なのだ-少なくとも「(真の)市民革命」の欠落のかぎりでは。
 また、小活字部分も併せて読むと、「市民(ブルジョア民主主義)革命」と「社会主義革命」とがすみやかに連続して起こる必要がある、起こるだろう、と考え、想定しているものと思われる。
 ここまで分析?すると、この杉原泰雄の考え方は日本共産党的・<講座派>マルクス主義のそれだ。
 以上をふまえて思うのだが、マルクス主義的歴史発展段階論、つまり封建制→絶対主義(絶対王制)→<市民革命>→資本主義→<社会主義革命>→社会主義、というシェーマに杉原がどっぷりと浸っていることは明らかだ。日本の状況を、なぜ外国産の理論でもって、かつなぜフランスの「市民革命」を範型として把握する必要があるのか。
 上に言及の二つの杉原の本はソビエト連邦・東欧社会主義諸国の崩壊・解体の前に書かれている。<市民革命>→資本主義→<社会主義革命>→社会主義、というシェーマ(図式)自体が狂人の戯言のごとく受けとめられるようになっている今日でも、杉原はなお、日本の「外見的市民革命」を語るのだろうか。「資本主義的生産関係の変革」などという言葉を使うのだろうか。ある意味では、憐憫の情も湧く。

0516/日本共産党系学者による、講座・革命と法(日本評論社、1989-)。

 日本共産党がその勢力・「大衆的人気」のピークを迎えた頃、1976年から1980年まで、日本評論社から天野和夫=片岡曻=長谷川正安=藤田勇=渡辺洋三編・マルクス主義法学講座全八巻が刊行されたことはすでに触れた。編者は全員が日本共産党員だと見られることは既に述べたと思うし、所持している巻のかぎりでは、非又は反・日本共産党派の法学者は(かりにいたとしても)執筆者に加えられていない。また、現社長の林克行が編集担当だったようであることは、最終刊の第五巻に触れたときに記した。
 第一巻・第三巻・第五巻・第六巻については、目次・執筆者程度のそれらの内容を、すでに紹介した。
 その後の日本共産党の退潮あるいはひょっとすれば法学界内部での日本共産党系マルクス主義者の減少によって、類似の企画はなかったかと思っていたが、どっこいそうではなく、上記の編者のうち三人、すなわち長谷川正安・渡辺洋三・藤田勇を編者として、1989年から講座・革命と法というのが、やはり日本評論社から出版されていることを知った。
 各巻のタイトルは、第一巻・市民革命と法、第二巻はフランス人権宣言と法、第三巻は市民革命と日本法。第一巻は、1989年の7月に、第二巻は1989年の11月に出版されている。「人権宣言200年記念」と謳われているとおり、1789年のフランス革命から200周年を記念としての企画だったと思われる。だが、その年にベルリンの壁が崩壊し、翌々年には「社会主義」ソ連邦も解体してしまうとは、企画者・編集者・執筆者はきっと想像もしていなかっただろう。
 さて、第一巻の目次前の「刊行の言葉」(第二巻でも共通)で、編者たちは三名連名で例えば次のように書く。-「ここでは、『革命』という…概念を、なによりもまず『ある階級の手から他の階級の手への国家権力の移行』(レーニン)として理解する」。「マルクス『経済学批判』序言にいう『社会革命』の問題が想起される。ここでは、土台と上部構造の全体、すなわち、社会構成体の構造的転換が『社会革命』としてとらえられている」。
 また、第二巻の序説を担当して藤田勇は例えば次のように書く。-「ロシア革命はフランス革命とその『伝記』を世界史的に蘇らせた」。「ブルジョア革命をのり超えたものとしての社会主義革命を称揚するという文脈」でだけではなく、「社会主義革命の遙かな水源を開いたという理論的意味づけ、世界史の運動における『革命』…の意味づけにかかわってのフランス革命の蘇り」だった。「じつはフランス革命は、近代ブルジョア社会の批判思想としての社会主義(共産主義)思想の起点をなしている」。「フランス革命二〇〇年は、近代社会主義史をその不可分の構成部分とする」。
 藤田勇は「社会主義」ソ連邦が解体したあとも「社会主義(共産主義)」や「ロシア革命」についてこう書いたのだろうか。のちの日本共産党の公式見解―ソ連は「社会主義」国家ではなかった―とは違って藤田はロシア革命を「社会主義」革命と理解しているようであることも興味深いが、のちにはロシア革命=「社会主義」革命は間違いなく正しいが、この道を誤らせた(「社会主義」でなくした)のはスターリンだった、とでも書くのだろうか。
 それにしても、化石のような、というか黴が生えたような、マルクス主義「教条的」な文章を久しぶりに読んだ。
 なお、上の藤田の文に見られるように、フランス革命はロシア革命の「水源を開いた」ものと理解されていることに注意が向けられてよい。かつて、あるいは現在もなお、フランス革命を「賛美」し積極的に肯定的評価を下した(している)者の多くは、少なくとも気分としては、ブルジョア資本主義社会→労働者中心の「社会主義」社会という<進歩的>・<発展段階的>歴史観を抱いていたことは隠れもない、と思われる。
 以下、上の講座の第一巻と第二巻の章・節等と執筆者名を記録しておく。マルクス主義法学講座の執筆者は自ら「マルクス主義」者であることを自認していたと思われるが、こちらの方の執筆者は全員がそうではない、と思われる。しかし、<親>マルクス主義(かつ親・日本共産党、少なくとも<反・反日本共産党>)の者であることは疑い難いものと思われる。所属は発刊当時。加藤哲郎は法学者ではなさそうだ。
 第一巻 第一章「イングランド革命と法」-戒能通厚(名古屋大学)
 第二章「アメリカ革命と法」-望月礼二郎(東京大学)
 第三章「フランス革命と法」
  第1節「フランス革命と近代憲法」-樋口陽一(東京大学)
  第2節「フランス革命と近代私法秩序」-稲本洋之助(東京大学)
  第3節「フランス人権宣言と刑事立法改革」-新倉修(國學院大学)
 第四章「ドイツ革命と法」
  第1節「フランス革命期の人権(基本権)思想」-石部雅亮(大阪市立大学)
  第2節「『法による社会変革』と法律実証主義」-広渡清吾(東京大学)
 第二巻・序説・第一章「フランス人権思想と社会主義思想」のうち「はじめに」・第3節以下-藤田勇(東京大学)
 第一章の第1節・第2節-鮎京正訓(岡山大学)
 第二章「ロシア革命思想における法の観念」-大江泰一郎(静岡大学)
 第三章「東欧革命における民主主義の問題」
  第1節・第2節-早川弘道(早稲田大学)
  第3節-竹森正孝(東京都立短期大学)
 第四章「社会主義と『政治的多元主義』」-小森田秋夫(東京大学)
 第五章「フランス人権宣言と第三世界」-鮎京正訓(岡山大学)
 第六章「フランス人権宣言と現代の『民主主義革命』」-加藤哲郎(一橋大学)
 以上。これらのうち若干のものについては、論及する機会を別にもちたい。何度か言及した、憲法学者・樋口陽一も上記のとおり、執筆者の一人だ。

0365/日本評論社・マルクス主義法学講座第6巻。

 日本評論社という出版社からマルクス主義法学講座なる全8巻の書物が刊行されたのは、1976~80年だった。
(同社は現在でも、法律時報・法学セミナー等の法学系雑誌や法学系書物を出版している。)
 この時期は、1967年に東京都(美濃部亮吉)、71年に大阪府(黒田了一)、75年に神奈川県(長州一二)で社共連合の候補が知事に当選していた頃、そして日本共産党が衆院で38(1972年)、39(1979年)、参院で20(1974年)という議席を獲得し、同党が<70年代の遅くない時期に民主連合政府を!>というスローガンを掲げていた頃にほぼ符合する。
 編者は天野和夫(立命館大/法哲学、1923-2000)、片岡曻(京都大/労働法)、長谷川正安(名古屋大/憲法、1923-)、藤田勇(東京大/ソビエト法、1925?-)、渡辺洋三(東京大/民法・法社会学、1921-2006)<所属大学名は当時>の5名で、全員が日本共産党員であるか同党の強いシンパと見られること(当然に「マルクス主義法学」者だとの自己宣明を躊躇していない者たちであること)は既に述べ、この講座の第一巻、第五巻、第三巻(紹介順)の執筆者(「マルクス主義法学」者たち)および簡単な内容の紹介をすでに行った。
 第一巻→ 2007.06.10
 第五巻→ 2007.07.05
 第三巻→ 2007.07.12
 以下では、第六巻・現代日本法分析(1976年10月刊)について紹介し、記録にとどめておく。目次的内容と執筆者は次のとおり。
 第一章・総論-憲法体系と安保法体系(長谷川正安/名古屋大)
 第二章・現代日本法と国際関係(松井芳郎/名古屋大)
 第三章・現代日本の立法機関とその作用(森英樹/名古屋大)
 第四章・現代日本の行政機関とその作用(室井力/名古屋大)
 第五章・現代日本の司法機関とその作用(庭山英雄/中京大)
 第六章・現代日本の地方自治(永良系二/龍谷大)
 第七章・現代日本の基本的人権(長谷川正安/名古屋大)
 第八章・現代日本における政策と法
  第一節・概説(片岡曻/京都大)
  第二節・防衛政策と法(吉岡幹夫/静岡大)
  第三節・経済政策と法(宮坂富之助/早稲田大)
  第四節・土地政策と法(安武敏夫/静岡大)
  補論・農業政策と法(渡辺洋三/東京大学)
  第五節・労働政策と法(前田達男/金沢大学)
  第六節・社会保障政策と法(小川政亮/日本社会事業大)
  第七節・公害・環境問題と法(甲斐道太郎/大阪市立大)
  第八節・教育政策と法(永井憲一/立正大+小島喜孝/総合労働研)
  第九節・治安政策と法(前野育三/関西学院大)
 以上。
 日本共産党員法学者のうちの、各法分野の最有力者・第一人者が執筆しているようだ(厳密には「全員が日本共産党員であるか同党の強いシンパと見られる」としか語れないのだが、上記の人々、<マルクス主義法学講座>に<公然と>執筆している人々、は日本共産党員だろうと私は推測している)。
 ところで、すでに触れた第五巻の「あとがき」を何げなく見ていて気づいたのだが、第五巻の刊行(1980.08)で全八巻の刊行は終了しており、編者たちが、「小林社長や担当の林克行、山本雄をはじめとする日本評論社のみなさん」に謝辞を記している(p.359)。
 このうち、林克行は現在、日本評論社の社長になっている。同社のHPのトップページには、同社刊の「憲法が変わっても戦争にならないと思っている人ための本」のためだけのアイコン文字? が堂々と存在する。
 (なお、ネット情報によると、今年5月3日の森田実著『アメリカに使い捨てられる日本』(日本文芸社刊)出版記念会に彼は、《『アメリカに使い捨てられる日本』のご出版おめでとうございます。マスコミがこの国の形、行方について必ずしも真実を伝えない時代、本書の救国、愛国の志に感銘を受けました。本書の普及と今後のご健筆を心より祈念申し上げます。》とのメッセージを寄せている。日本評論社は森田実の本も多数出版しているようだ。)
 さて、林克行は1970年代にむろん社の仕事として関与したのだろうが、編集者または出版関係人として、<マルクス主義法学講座>なるものの当時および現在の存在意義、それを出版したことの意味をどう理解し、どう回顧しているのだろう。少しは恥ずかしい思いを抱かないかと、あるいは時代・歴史の進展を見誤っていたとは思わないかと、一度、直接に訊ねてみたいものだ。

 

0278/マルクス主義法学講座第3巻(日本評論社)と日本共産党。

 長谷川正安=渡辺洋三ほか編集・マルクス主義法学講座第三巻・法の一般理論(日本評論社)は1979年3月に刊行されている。古書で入手できた。
 執筆者とテーマは次のとおり。
 藤田勇・第一章「社会構成体と法的上部構造」

 長谷川正安・第二章「法の現象形態」
 片岡曻・第三章「法の解釈・適用」
 渡辺洋三・第四章「階級闘争と法」
 以上のごとく、すでに見た1巻・5巻と比べて、しごく簡単な構成だ。そしてこの巻でも、長谷川正安・渡辺洋三両氏が重要な?テーマを執筆していることに気づく。
 第四章の最後の節を渡辺洋三はこう書き始めている。-「現代日本の階級闘争の当面の目標は、全体制の民主的変革である」。またこうも書く-「現代日本法を、安保体制下の国家独占資本主義法の全面的展開としてとらえ…」(p.332)。
 そして、渡辺は、「民主的変革のための法律学の課題」として「少なくとも」つぎの5つを挙げる。1.「安保法体系を廃棄する」ことによる「現行憲法の一元的支配を回復する」こと、2.「安保体制を支えている現代日本国家独占資本主義下の国民経済を、民主的に改造、変革」すること、3.「統治構造を、日本国憲法の民主主義的諸原則に合うようにつくり変え」ること、4.「民主的主体の変革」(5.は省略)。
 「民主的」・「民主主義的」のオン・パレードであり、これが当面の革命の目標は民主主義革命だとする日本共産党の綱領・方針に添ったものであることは言うまでもない。そして、「民主的」に、とは日本共産党(員)が主導権をもっての意であり、「民主化」とは日本共産党(員)が主導権を握ることの意味だったわけだ。
 そうした「民主的」とか「国家独占資本主義」との語を抜いて読むと、高尚で難解な理論が展開されていると思いきや、とんでもない駄文であり、意味不明の文であることに気づく。
 なお、第一に、上の1.の「安保体制」と「憲法体制」の矛盾解消の指摘は、当然に日米安保条約の廃棄の主張を含んでおり、現在では日本共産党はあまり強調しなくなったが、<安保廃棄>はこの党の重要な主張だった。
 そして、近日に言及した立花隆の「護憲論」が日米安保条約には何ら論及していなかったことを思い出すし、立花隆の自衛隊合法論は少なくとも1970年代の日本共産党や日本社会党の主張とは異なることが明らかだ。
 第二に、当面は「民主主義」を唱えつつ、それだけでは終わるつもりはないことは日本共産党の綱領を読んでも明らかだ。
 同党綱領の「五、社会主義・共産主義の社会をめざして」の最初だけ引用する。
 「 (一五)日本の社会発展の次の段階では、資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる社会主義的変革が、課題となる。これまでの世界では、資本主義時代の高度な経済的・社会的な達成を踏まえて、社会主義的変革に本格的に取り組んだ経験はなかった。発達した資本主義の国での社会主義・共産主義への前進をめざす取り組みは、二一世紀の新しい世界史的な課題である。/社会主義的変革の中心は、主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手に移す生産手段の社会化である。」
 日本共産党の「自由と民主主義の宣言」も現在主張されている「民主的」な政策も「資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の社会への前進をはかる
ための手段・戦術に他ならないことを銘記しておかなければならない。

0263/マルクス主義法学講座第5巻(1980)で全巻配本。

 日本評論社刊のマルクス主義法学講座第五巻を古書で入手したが、この巻はたまたま最終配本号で発行は1980年8月だ。
 6/10に書いたように第一回配本の第一巻刊行は1976年6月だった。4年余りを経て、全8巻が刊行されたことになる。
 この講座ものが日本共産党員学者を中心に執筆されていると見られることはすでに記した。
 1976年頃は同党は<70年代の遅くない時期に民主連合政府を>というスローガンを掲げていて、衆院に限ると1967年・5→1969年・14→1972年・38と三倍近くの増を二回繰り返していたから、かりに二倍ずつの増加としても、あと二回の総選挙で→76→152になることになり、日本社会党との連立政権(両党で過半数制覇)も夢ではない雰囲気がいっときはあった。だが、衆院議席数は1976年に16と下がり、1979年に39と盛り返したものの、100にはとても届かず、民主連合政府の<夢>も幻となった。
 参院も1971年・10→1974年・20と倍増していたが、その勢いは続かず、1977年には16と後退した。
 余計なことを書いているが、このマルクス主義講座が刊行された1976年には日本共産党系マルクス主義者には現実的<夢>がまだあった。近いうちに自らが党員である又は強く支持する日本共産党が参加する政権生まれるという希望をもっていただろう。しかし、全巻が揃った1980年には客観的にはその<夢>が現実化するのはきわめて困難なことが明らかになっていたはずだ。
 それでも、ともあれ、マルクス主義法学講座なる大系ものが出版されたというだけでも、現在とは異なる1970年代後半の<雰囲気>の一端は感じ取るべきだろう。どのような想いで、執筆者たちは講座完結の日を迎えたのだろう(その後、この種の「マルクス主義法学」講座ものは出ていない。この語を題に使った本も極めて稀だろう)。
 編集委員一同は末尾の「講座の完結にあたって」で、「この講座を出発点とし、あるいはこれをふみ台として、若い優秀なマルクス主義法学研究者が多数育ってくれれば、これに過ぐる幸いはない」と書いているが、はたして、80年代以降に全く新しいマルクス主義法学研究者たちの養成・成長があったのかどうか。むろんよくは知らないが、現在(表向きは隠していても)マルクス主義的な法学研究者である者は、ほとんどが70年代末までにはマルクス主義の<洗礼>を受けていたようにも思える。
 但し、マルクス主義法学研究者の指導を受けた者の多くは積極的なマルクス主義者にならずともマルクス主義を異端視あるいは嫌悪しない<容共的>研究者になっただろうことは想像に難くない。
 上の末尾の言葉の中には、出版社としての日本評論社への謝辞もあり、社長の小林昭一、「担当」の林克行(現在、社長)、山本雄の三名の名を挙げている。かかる講座を企画・出版することは、それなりの<思い入れ>がないとできないだろう。この三名の名も記憶にとどめたい。
 さて、第五巻は<ブルジョア法の基礎理論>が全体テーマで、執筆者・担当部分は次のとおりだ。()は所属。6/10に既に記した者については省略した。
 <渡辺洋三(東京大)-「はしがき」・「第一章・総論」・「第二章・財産制度―その理論史的検討」・「第四章第二節・家族/現代家族法理論の課題三」
 本間重紀(静岡大)-「第三章・現代財産権論」
 江守五夫(千葉大)-「第四章第一節・家族/近代市民婚姻法の構造」
 黒木三郎(早稲田大)-「第四章第二節・家族/現代家族法理論の課題一・二・四」
 長谷川正安(名古屋大)-「第五章-基本的人権」・「第六章第一節・議会主義と権力分立/近代憲法の組織原理」
 森正(名古屋市立女子短大)-「第六章第二節・議会主義と権力分立/議会主義」
 今井証三(日本福祉大)-「第六章第三節・議会主義と権力分立/権力分立」
 下山瑛二(東京都立大)-「第七章・行政権」>
 以上で目につくのは、編集委員でもある渡辺洋三(東京大学社会科学研究所)と長谷川正安(名古屋大学法学部)が、重要な部分をかつ分量的にも長く執筆していることだ。
 それぞれ岩波新書を複数書いているこの二人が、この当時および1980年代くらいまでの、日本共産党系マルクス主義法学者のリーダー格だったと推測できなくもない。

0213/日本評論社刊・日本共産党員執筆のマルクス主義法学講座(1976-)。

 日本共産党の1961年以降1970年代末までの衆議院議員選挙獲得議席数の変化は次のとおりだ。
 5(63)→5(67)→14(69)→38(72)→17(76)→39(79)。この1979年の39というのがこの政党の現在までの最多議席だ(現在は9で1968年以前の状態に逆戻り)。
 参議院については次のとおり。
 4(62)→4(65)→7(68)→10(71)→20(74)→16(77)。1974年の20が現在までの(3年ごとの)最多獲得議席だ(現在は5+4で1968年以前の状態に逆戻り)。
 得票率等には立ち入らないが、こうして見ると、日本共産党は1960年代後半から「勢力」を大きくし始め、1970年代の半ばから後半にピークを迎えたことが分かる(これまた詳細は省略するが、波があるとはいえ、1980年代以降はおおむね<漸減>の傾向にある。そして、日本共産党にもはや未来はないだろう)。
 こうした増加とピークの時期はおおむね<大学紛争(学園紛争)>と言われた時期とその余韻がまだあった時期に相応している。
 とすると、一般国民(正確には有権者)についてすらそうだったのだから、歴史学、政治学、法学といった社会系の研究者・大学教員の中で日本共産党員やそのシンパが占める割合は、(現在でも一般国民の中でと比べて相当に高いと思うが)現在以上にかなり大きかったものと想定される。
 日本評論社という出版社(今でもある)から、マルクス主義法学講座全8巻というシリーズもの(講座もの)の刊行が始まったのは1976年で、まさに日本共産党の国会での「勢力」がピークに達しようとする直前だった。
 再びこの時期について触れると、日本共産党は1970年頃に<70年代の遅くない時期に民主連合政府を>というスローガンを掲げていた。地方自治体レベルでは戦後早くからの京都府に続いて、1967年に東京都(美濃部亮吉)、71年に大阪府(黒田了一)、75年に神奈川県(長州一二)で社共連合の候補が知事に当選していて、国政レベルでも社共連合政権(共産党のいう「民主連合」政府)ができる可能性が全くないとは言えないとある程度の人びとは感じていた。
 そうした時期に、今では殆ど考えられないが、マルクス主義法学講座なる書物が刊行されたのだ。
 古書で入手した第一巻(1976.06)の「刊行のことば」を読むと、この講座の執筆者の全員が日本共産党の党員か少なくとも強いシンパだろうということが明らかだ。
 こんな文章がある。1.「安保体制のもとで、アメリカ帝国主義と日本の独占資本により二重に抑圧をうけている国民大衆の権利擁護に役立つ法学の建設が私たちの目標である」。
 「アメリカ帝国主義と日本の独占資本」という言い方はこれらを「二つの敵」と位置づけていた日本共産党と全く同じだ(同党は「日本帝国主義」という性格づけをしなかった)。
 2.「この講座の刊行によって、日本の法学界に一つのセクトが生まれることをけっして望まない。…民主主義法学者の統一の重要性をよく知っているからである。しかし、そのことは、…マルクス主義法学の追究を否定したり、この立場からの他の法学諸傾向に対する学問的批判の必要性を否定したりすることにはならないであろう」。
 この文は「マルクス主義法学」を「民主主義法学」の一部と位置づけていること、「セクト」批判を懸念するほどに「マルクス主義法学」を表面に出せる自信があり、またそれが許されるような(上に述べたような)時代状況にあったこと、を示しているように思われる。
 さて、第一巻に限っても、内容を逐一紹介するつもりはない。この講座全体の編集委員5名と第一巻の執筆者全員の氏名を記録にとどめておきたいと思う。
 再述するが、ほぼ全員が日本共産党々員だと思われる。あえて氏名を記述しておくのは、この人たち又はこの人たちの指導を受けた者たちが、当時から現在までの「法学界」に(分野によって同一ではないだろうが)ある程度の影響を与え続けていると考えられるからだ。本自体には所属大学しか記されていないので、適宜、関連情報を私自身が知り得た範囲で付記する。
 編集委員は次の5名だった。所属大学は当時。
 天野和夫立命館大学法学部教授/法哲学、1923-2000)、片岡曻京都大学法学部教授/労働法)、長谷川正安名古屋大学法学部教授/憲法、1923-)、藤田勇東京大学社会科学研究所教授/ソビエト法、1925?-)、渡辺洋三東京大学社会科学研究所教授/民法・法社会学、1921-2006)。
 これらのうち、それぞれ複数の岩波新書を書いている渡辺洋三、長谷川正安については、このブログですでにほぼ断定的に日本共産党員学者として名を出したことがある。
 ところで、情報収集のためにWikipediaも参照したが、渡辺洋三について「専門の民法等のほか、…に関しても、いわゆるリベラル派の立場から積極的に発言を続けてきた」と記されている。「リベラル派」どころか、マルクス主義者であり、かつれっきとした日本共産党員ではないか。また、長谷川正安についてもWikipediaには「マルクス主義(憲法学)」の「マ」の字もない。これらはWikipediaの<無知>なのか、それとも<意図的な隠蔽>なのか
 次に、第一巻の執筆者と執筆テーマは次のとおり。上記の編集委員の場合は、所属等の反復を省略した。
 長谷川正安「第一章・マルクス主義法学序説」・「第四章第一節・民主主義法学とマルクス主義法学」・「第五章第一節・戦後憲法学とマルクス主義」。
 森英樹「第二章・日本マルクス主義法学の前提」・「第三章第一節・平野義太郎における法学と社会科学」・「同第四節・法哲学とマルクス主義」(名古屋大学法学部助教授→教授を経て龍谷大学教授/憲法、1942-)。
 吉川経夫「第三章第二節・刑法学とマルクス主義」(法政大学法学部教授/刑法、1924-2006)。
 影山日出弥「第三章第三節・憲法学とマルクス主義」(名古屋大学法学部助教授/憲法)。 

 稲子恒夫「第三章第五節・ソビエト法研究」(名古屋大学法学部教授/ソビエト法、1927-)
 森正「第三章第六節・法的実践とマルクス主義法学」(名古屋市立女子短大助教授→名古屋市大教授/憲法)
 渡辺洋三「第四章第二節・占領と法学」。
 松井芳郎「第五章第二節・サンフランシスコ体制とマルクス主義法学」(名古屋大学法学部助教授→教授を経て立命館大学教授/国際法、1941-)。
 渡辺久丸「第五章第三節・戦後日本の立法過程」(立命館大学助教授/憲法)。
 中田直人「第五章第四節・戦後日本の裁判闘争」(弁護士)
 沼田稲次郎「第六章・日本の変革と法・法学」(東京都立大学教授→学長/労働法、1914-97)。
 最後の沼田は上掲論文の「追記」にこんなことを書いている。-「…ロッキード事件が起こった…。この事件に対する日本共産党の追及は、同党の迫力を示すものといってよい。/…日本共産党が先の綱領からプロレタリア執権(=独裁)を削除する可能性が語られている…。この問題の…影響はロッキード事件の比ではあるまい」。思わず自らの<党派性>を明瞭にした、ということだろうか。執筆者であること自体ですでに明瞭ではあったのだが。
 第一巻以外も入手できれば、情報記録をしておくことにしたい。
 なお、最後になったが、この講座を刊行したのは、岩波書店ではなく、日本共産党系とも言い難い?日本評論社だった。この出版社はいろいろな傾向の本を出版しているようだが、少なくとも法学系の出版物(雑誌を含む)については、その<傾向>は明らかだ。

0150/阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(第二版)「まえがき」。

 4/30午前0時台のエントリーで紹介したように、阪本昌成・リベラリズム/デモクラシー(第二版/有信堂、2004)は「マルクス主義憲法学」批判を鮮明にしている。そのときに紹介しなかったマルクス主義批判の文に、次のようなものもある。
 「正義は、人間の知性によって積極的に作り上げうるものではなく、また、人間の情念を度外視して語れるものではない。二〇世紀最大の人類的規模の実験が失敗に終わった理由は、ここにある」(p.23)。
 デカルト以降の「理性」信仰(私流に言えば、人は、人間や社会を「合理的」に認識・説明でき、改革できる筈だとの、人知の及ばない領域があることを無視した「近代」の傲慢さ)への批判が上の文にも含められているだろう。
 5/13のやはり午前0時台のエントリーで述べたように、中川著の後の読書のベースは阪本昌成の上の本で、50頁くらいまでは進んだ。基礎概念の意味と論旨展開は重要なので、メモ書き代わりにここに記していこう。
 阪本にとってマルクス主義はもはや「論敵」ではないとされ(p.22)、既述程度の文章しかないのだが、マルクス主義批判の文のあとには「福祉国家」が「警戒すべき実験」として語られる(p.23)。
 先走ったが、阪本も自称ハイエキアンであり、ハイエクを(きわめて)肯定的・積極的に評価する中川八洋と同様の論調である所があるだろうことは容易に想像がつく。
 さて、最初から出発しよう。「まえがき」によれば、「リベラリスト」とは「統治の正当性・限界を、人びとの合意に求めることを避けて、すべての人に保護領域が与えられるべきことに求めようとする立場の人」だ(「保護領域」とはさしあたり「自由に行動できる生活空間」で十分)。
 一方、「デモクラット」とは「統治の正当性・限界、すなわち立憲主義の源泉は人びとの合意にある、と強調する人」だ(p.1)。
 書名でも明らかなのだが、リベラリズムとデモクラシーは矛盾しあう・対立しあうということが著者の議論の前提だ。あえて日本語を使えば、自由主義と民主主義自由と民主の差違・関係が阪本の関心事であり、かつこの問題が(マルクス主義うんぬんよりも)今日的・現実的な意味をもつ、と考えられているものと思われる。
 そして、阪本は自分は「ラディカル・リベララリスト」だと既に結論的に宣言している(p.2)。となると、未読の部分の方が多いが、デモクラシー(民主主義・民主政治)への批判が多いだろうと想像できる。
 つぎに言う。「リベラル」や「リベラリスト」は米国では「社会民主主義(者)」を指すため、「真のリベラリズム」のために「リバターリアニズム(リバターリアン)」という言葉が作られ、後者は、ア.個人主義徹底、イ.国家の強制力は反道徳的、ウ.国家・公共の利益に懐疑的、という態度だ。だが、阪本は「リバターリアニズム」と共通性があるかもしれないとしつつ、リベラル/リバターリアルの区別の論議に入らず、「リベラリズム」を次の共通性をもつものの意味で用いるとする。
 1.「自由を消極的に捉えること」(秋月注-「消極的」とは「否定的」の意ではない)、
 2.「ルールの源泉を人間の意思に求めないこと」、
 3.「ルールは社会のなかで自己増殖的にできあがり、そのルールは一定の属性をもつに至ると承認すること」等。
 但し、「リベラリズム」は社会民主主義を含む曖昧さを持つので、上の意味でのリベラリズムを「古典的リベラリズム」、「社会民主主義的な自由観」を「修正的リベラリズム」と称することもある、という(p.2)。
 その後、若干の主張が(結論示唆的に?)なされる。
 「法学でいう自由」とは「個人の人格的規律や意思の不可侵性」といった「個人の内面領域」ではなく「政治・統治の領域」での概念で、リベラリストは、「私たちの日常的な利害対立の調整または解決を政治過程にできるだけのせないことが望ましい」と考える。
 リベラリストはこう考える傾向にある。1.「個人の内心の自由」は「政治的自由」の「根源的な位置」にあるものではなく、「歴史的にみて最初のものでもない」。
 2.個人の「内面的自由は「政治的自由」を否定された人びとが「内面への退却」をしたときに気づかれたもので、「内面的自由は人間の尊厳にとって固有の領域」だとの「誇張された主張」は、自由の問題を「人格的自律や意思の不可侵性」を問う議論へと「再び誘導する」だろう。しかし、この筋道を避けて、「人と人との交わりのなかで世俗的な利害の調整のあり方に賢慮を」めぐらすべきだ。
 3.「「法の支配」を真剣に受けとめる」。「法の支配」とは「私たちの消極的自由を保障するための思想であり、制度だ」。一冊の本が必要なところを「あえて簡単にいえば」、「国家が法律を制定するにあたって、私たちを匿名の存在として扱うルールに従うこと」だ。(p.3-p.4)
 「まえがき」の僅か4頁のためにこれだけ費やしたとは先が思いやられる。
 だが、何らかの共通了解があって語られているようにも見える「自由」も「民主」も(そして「立憲主義」も「法の支配」も)じつは簡単に語りえない複雑な側面をもち、両者は単純な関係には立たない(ようだ)。
 若い頃から近年までの勉強不足、思考不足を嘆きつつ、読み終えてみよう(計230頁程度)。
 ところで、中川八洋の本を読んでおいたことはよかった。阪本著で外国人の名とその「思想」が出てきても殆ど全く、驚きはしないからだ。

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  • 2136/京都の神社-所功・京都の三大祭(1996)。
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  • 2118/宝篋印塔・浅井氏三代の墓。
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  • 2102/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史11①。
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  • 2101/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史10。
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  • 2098/日本会議・「右翼」と日本・天皇の歴史08。
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