秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

マルクス主義

日本共産党の大ウソ27-02-不破哲三・平凡社新書02。

 不破哲三・マルクスは生きている(平凡社新書、2009)は、「ソ連とはいかなる存在だったか」という節見出しのもとで、レーニンについて、つぎのように書く。日本共産党2004年綱領のレーニン関係部分を説明していることになろう。
 この欄は<反共デマ宣伝>を意図してはいないので、これまでと同様に、客観的に、日本共産党・不破哲三らの文章も引用または紹介する。
 ・日本共産党は「ソ連の歴史を見るとき」、「レーニンが指導した初期の時代と、スターリンの指導に移って以降の時代」とを、「はっきり区別」している。
 ・「レーニンは、…革命のあと、経済的には遅れていたロシアを社会主義への道に導くために、真剣な努力を行いました」。
 ・「初期、とくにイギリス、日本など14の資本主義諸国が軍隊を送り込んだ内戦の時期には、『戦時共産主義』などの誤った模索もあ」った。
 ・だが、「戦争終結のあと、内外の諸政策の抜本的な転換をおこない、内政面では、市場経済を通じて漸進的に社会主義に進む『新経済政策=ネップ』路線を、対外面では資本主義諸国との平和共存および周辺の諸民族の独立の尊重を基本とする外交路線をうちだし、それを基本路線として社会主義の道にふみだし」た。
 ・「しかし、不幸なことに」、「確立した路線にそっての前進を開始したばかり」の1923年にレーニンは「重い病に倒れ、翌24年1月、生涯を閉じ」た。
 以上、p.198。
 ここでは、「戦時共産主義」を「誤った模索」と明記していることのほか、レーニンの積極面として、①内政における「新経済政策=ネップ」、対外面での②「資本主義諸国との平和共存」と③「周辺の諸民族の独立の尊重」を基本路線としたこと、を挙げていることを、確認しておく必要がある。また、1923年には「確立した路線にそっての前進を開始した」とされていることも、関心を惹く。
 以上のあとはスターリンの時期の叙述だが、そのはじめに、「レーニンの最後の時期に」、つぎの点について、スターリンはレーニンと「激しい論争を交わしてた」と書かれていることも確認しておく必要があろう。
 すなわち、「国内の少数民族政策と党の民主的運営の問題について」。同じく、p.198。
 この欄では大きな第二の論点として「ネップ」導入は<市場経済を通じて社会主義へ>の路線の発見・確立だったのかを取り上げるが、その他の不破が上で言及しているような問題・事項についても、余裕があれば断片的にではあれ、論及する。例えば、資本主義諸国との「平和共存」 ?、「周辺諸民族の独立尊重」 ?(「国内の少数民族政策」 ?)。
 なお、このような日本共産党・不破哲三によるソ連またはレーニン・スターリンにかかる歴史の認識について、近年または最近の-いや1994年以降の-産経新聞社発行等のいくつかの<日本共産党研究>本は、きちんと批判的にとりあげているだろうか。反共産主義または「反共・保守」派の論壇は、日本共産党の主張・議論を詳しくかつ個別に反駁しておくことをしてきたのだろうか。相当に怪しく、心もとない。

共産主義に関する討論のテーマ-R・パイプスによる。

 Richard Pipes, Communism - A History (Random House, 2003) の巻末に、共産主義に関する討論テーマ (Discussion Guide) が掲載されている。読者が大学生や高校生であることを想定してのことだろうか。
 興味深いので、16個の質問事項(討論テーマ)をそのまま訳しておきたい。
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 01 共産主義の基礎にある古代の理想は何か ?
 02 マルクスは社会主義思想にいかなる寄与をしたか ? その理論は本当に、彼が主張するように「科学的」か ? 彼の予言は実現されたか ?
 03 社会主義「修正主義」とは何か ?
 04 レーニンはマルクスの正しい後継者だったか、それとも、レーニンはマルクス理論を修正したのか、かりにそうならば、どのようにして ?
 05 1917年10月にペトログラードで起きたのは、革命か、それともクー・デタか ? なぜ、権力掌握後に共産主義体制はあれほど早く独裁的に(autocratic)になったのか ? スターリンは、レーニンの門弟だと正しく主張していたのか ?
 06 なぜ、レーニンは革命を世界に広げることを主張したのか ? 彼とその後継者たちはどの程度成功したか ? コミンテルンのプログラムはいかなるものだったか ? なぜ、そしてどのように、ドイツの共産主義者は1932年にヒトラーの政権奪取に寄与したのか ?
 07 「ノーメンクラトゥーラ」とは何か、そしてそれはどのようにして共産主義体制の安定性と最後の失敗の両方に寄与したのか ?
 08 スターリンの大テロルの原因と過程を討論しなさい。トロツキーが共産主義国家では「服従しない者は食うべからず」と書いたとき、彼は何を言いたかったのか ?
 09 とくに1930年代に西側諸国で支持者を獲得した共産主義の成功を、あなたはどう説明するか ?
 10 冷戦の原因は何だったか ? それは不可避だったか ?
 11 なぜ、ソ連は解体したか ? 少数派のナショナリズムはその解体にいかなる役割を果たしたか ? 
 12 第三世界での共産主義運動に共通しているのは何か ? なぜ、モスクワは、西側の旧植民地だった国で勝利することが重要だと考えたのか ?
 13 中国・ソヴィエトの分裂の原因は何だったか ? どのようにして、マルクス主義者は毛沢東共産主義者だったか ? 
 14 なぜ、チリのアジェンデ共産主義体制は転覆させられたのか ?
 15 カンボジアやメンギストゥ〔秋月注-エチオピア〕のような体制がマルクスやエンゲルスの理論と同一視されうるとすれば、それは、もしあるならば、いかなる意味でか ?
 16 「社会主義者は勝利するかもしれないが、社会主義は決してしない」との言明は、何を意味するのか ? なぜ、本の著者の見解によれば、共産主義はつねにかつどこでも失敗する運命にあるのか ?     
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 上のRichard Pipes の書物(ハードカバー版は2001年刊)は、 リチャード・パイプス(飯嶋貴子訳)・共産主義が見た夢(ランダムハウス講談社、2007)として邦訳されている。
 但し、訳者(1967~)の責任ではないだろうが、巻末の上記の Discussion Guide は訳されておらず、役に立つと思われる<さらなる読書のための助言>という、著者による関連諸文献の紹介と簡単な説明(p.166-9)も訳されていない。注も索引も邦訳書では割愛されている。
 また、この種の邦訳書にはよく見られる、訳者または別の専門家による<著者(リチャード・パイプス)の紹介>や<解題・解説>もまったく存在しない。
 200頁に充たないコンサイスな書物だが、あるいはそうだからこそ、<共産主義の歴史>を概観するうえで(「共産主義が見た夢」という邦題は直接的でない)、日本人にとっても-日本共産党を理解するためにも-十分に参考になると思われるのに(上の討論テーマはすべて本文で言及されているようだ)、残念なことだ。

日本共産党等の「赤色ファシスト」運動-2011年の高本茂著。

 高本茂・忘れられた革命-1917年(幻冬舎、2011)という書物がある。
 ロシア革命の詳細に関心をもっているうちに購入したのだが、著者(1947~、現か元か大学教授)はどうやら大学生時代にいわゆる反日共系・「新左翼」の学生運動をしたらしい。しかし、60歳を過ぎて、以下に紹介するような心境に達しているらしい。
運動をやめてからも「ロシア革命においてボルシェビキが果たした役割は偉大だった」という「幻想にとらわれ続けてきた」が、「ロシア革命の真相」が明らかになるにつれ、それについての自分の知見を埋もれさせたくなくなってきた、と言う(p.115)。
 その結論は、ロシア革命、さらにはマルクス主義自体に対する消極的評価だ。以下、しばらく引用する。
 「マルキシズムはその内部から必然的にボルシェヴィズムを生み出し、ボルシェヴィズムはその内部から必然的にスターリニズムを生み出すのである。その意味でマルクス・レーニン主義を旗印にした戦後日本の学生運動(日共=民青はもとより、中核派、革マル派、その他新左翼諸派)は皆赤色ファシスト運動だったのだ(〔略〕)。〔/改行〕
 では、闘争の渦中で死んでいった者たちは何のために死んでいったのか。私は彼らの一人ひとりが、ツァーリの圧政やボルシェヴィキの欺瞞に対して決起した幾千幾万の無名の民衆と同様に、純粋で心優しい心情の持ち主だったと確信する。だが、…ロシア10月革命が、当初から裏切られ変質させられていたのだとすれば、自らの生死を賭けた闘争は、…、世界全体を強制収容所や暗黒の牢獄と化し、全人類を奴隷化するための運動だったということになり、…、全くの無駄死、犬死だったということになるではないか。真夜中や夜明けにふと目を覚まし、こうした物思いにふける時、そのまま一睡も出来ぬ日が今でもよくある。こうした慚愧の想いや悲憤の念を押し潰して、時間の歯車は無慈悲に過ぎ去っていくのであろうか…。〔一文略〕」(p.117-8)
 高野悦子や奥浩平の自死もそうだが、何とも痛ましい。いや、高野や奥は<社会主義>の理想に賭けたことへの「慚愧の想いや悲憤の念」に駆られたのではなかっただろう。生きて、かつての青春の何年かであれ無為に(あるいは逆に人類には加害的に)過ごしてしまった、という感慨に浸らざるをえないことの方が、痛ましいかもしれない。
 それにしても、マルクス主義・共産主義によって、いったい何億何千万の人々が、せっかくの一度きりの人生を無駄にし、あるいは殺害されたりしていったのだろうか。歴史の現実は、苛酷だ。
 ロシア革命やレーニンについては最近この欄に記載しているところであるので、あえて立ちいらない。上の文章が、レーニンとスターリンの区別をせず「ボルシェヴィキ」で括っていることは明らかだ。ロシア革命は「当初から裏切られ変質させられていたのだとすれば、…」と書いてもいる。
 日本共産党の党員の中にも「左翼」の中にも、「純粋で心優しい心情の持ち主」はいるのだろう(すべてがそうだとは秋月には思えないが)。そのような人々を巻き込んでしまう<赤色ファシスト>運動とは怖ろしいものだ。
 「左翼ファシズム」という言葉はこの欄でも使ってきたが、「赤色ファシズム(ファシスト)」という語は、初めて見たような気がする。

1224/西尾幹二・憂国のリアリズム2-安倍内閣の歴史的使命。

 西尾幹二・憂国のリアリズム(ビジネス社、2013)の冒頭の第一章・第一節は「第二次安倍政権の世界史的使命」。

 月刊WiLL3月号初収だから今年1月半ば-2月初めころに書かれたと思われるが、7月参議院選挙の結果も前提としているので、加筆修正も行われているようだ。以下のようなことを論じる。

 ・民主党政権は「全共闘」内閣だった。マルク-ゼらの東西いずれの体制にも属さない<左翼知識人独裁>という「観念的ラディカリズム」は日本でも「新左翼」として影響をもち、浅間山荘事件を経て消滅したとも思われたが、「体制内反体制」として官僚・学者・マスメディアの世界に「秘かに潜り込んでいった」。「現実がまったく見えない…ままごと民主主義」をやった民主党政権はこれにつながる。

 ・ドイツは共産主義を精算し、大学では「歴史と哲学におけるマルクス主義者」を排除したが、日本では「共産主義やスタ-リニズムの無効」が明らかになっても、「旧左翼」は整理されず、「新左翼」も姿を替えて残った。彼らの「環境学とか女性学」は民主党政権への流れを作ったが、「NHKの深部」、「TBSや朝日新聞」にも同様に浸透した。「全共闘世代が定年」になれば少しは変わると言われたが、そうはならず、彼らの残党・残滓は「しっかりと官界、学界、マスメディアの中枢を握っている」。「日本のために働きたくない。日本を壊したいのが新左翼の本音だ」。

 ・2012総選挙の結果は新左翼のみならず「戦後左翼全体の退潮」を印象づけた。2013参院選の結果から見ても「左翼リベラルがかった勢力」は片隅に追いやられ、内閣の布陣を見れば安倍晋三は、自民党内でも石破茂が「孤立して包囲される」、「明確に左翼潰しの内閣を作り上げた」。この安倍新政権には「世界史的大目標」が必要で、「世界史的使命」がある。
 ・第一は、「中国共産党の独裁体制の打破」。ロシアや東欧は「共産主義制度をいったん精算した」が、中国には「共産主義独裁体制がいまだに盤踞している」。ここに東アジアの「すべての不幸の原因」がある。

・安倍内閣は「尖閣への公務員派遣や港の造成」をまだ急ぐ必要はないが、「『竹島の日』の政府式典や靖国参拝、世界に向けての慰安婦問題の堂々たる説明は実行すべきだ」。「このままでは、六年前の第一次安倍政権と同じことにかりかねないからである」(p.10-21)。

 ここで区切っておく。コメントすれば、第一に、「全共闘」という語の意味・用法は固まっていないと思われ、私には西尾の使い方にはやや違和感がある。旧左翼に対する明確な「新左翼」が中心にはいただろうが、明確に日本共産党に反対ではない者も一部には含まれるような、気分的な<反体制>グル-プの総称、代表名詞であるような気がする。たしかに日本社会党は中核派・革マル派等に甘く、この点で日本共産党と違っていたが、元来はやはり「旧左翼」の一部で、民主党政権の中には「全共闘」、ましてや「新左翼」には含みがたい、仙谷由人、赤松広隆らの旧社会党グル-プもいたはずだ。それらを含む「左翼」政権だったとの表現で十分だと思われ、「全共闘内閣」という規定は本質を衝いているかどうか。

 第二。安倍は「明確に左翼潰しの内閣を作り上げた」等々のあたりには全く異存はない。高市早苗の政調会長起用は党人事だが、稲田朋美の官僚起用その他、総務大臣や文部科学大臣等々の指名の仕方を見ても<安倍色>に溢れている。朝日新聞あたりは、ゾッとしたのではないか。にもかかわらず、有効な批判をできなかったのだ。

 「左翼潰し」とはもちろん「保守」のすることだ。にもかかわらず、橋下徹との関係を理由として<安倍晋三は本当に保守か?>と疑問視する「B層」か「D層」のバカ「哲学者」=適菜収が週刊誌原稿で「小銭を稼いで」いるのは大笑い・大嗤いだ。

 第三。「共産主義」という語を明確に使い、中国は「共産主義独裁」国家だと明記し、ソ連・東欧・ドイツとは違って日本には容共「左翼」がまだ残っている旨の叙述についても、まったく異存はない。かくも明確に語られているのは珍しいとすら言える。この点で、世界的に・グロ-バルに見ても、日本は<異様>なのだという意識・自覚をもつ必要がある。この点はこの欄で何度も書いた。

 第四。「『竹島の日』の政府式典や靖国参拝、世界に向けての慰安婦問題の堂々たる説明は実行すべきだ」。「このままでは、六年前の第一次安倍政権と同じことにかりかねないからである」という指摘が印象に残る。

 橋下徹のいわゆる慰安婦発言の直後に安倍晋三は国会で「私、安倍内閣、そして自民党の立場とはまったく違う」と明言してしまった。また別に、河野談話を少なくとも当面は継承すると述べたともされる。これらははたして、参院選対策のための、一時的なものにすぎなかったのか?

 安倍晋三あるいは安倍内閣には、「世界に向けての慰安婦問題の堂々たる説明」を実行する意欲・姿勢があるのだろうか。ここで、先だって紹介したような中西輝政の指摘が脳裏にうかんでくる。
 西尾幹二がしているような上のような期待・要求は「保守原理主義」であり、ともかくも憲法改正が成就するまでは賢明な「保守」はじっと我慢すべきなのだろうか。「歴史認識問題」を大きく取り上げるのは「あまりに性急すぎる」のだろうか。

 とりあえず経済政策問題が重要であることは判るし、ある程度の内閣支持率を獲得し続ける必要があるのも判る。だが、自民党が「左」または「リベラル」の方向にぶれたときにこそ、固い「保守」層は自民党から離れ、自民党が弱体化した(する)ということは、中西輝政も述べていたのではなかったろうか。

 なお、安倍新内閣の現在までの「歴史認識問題」対応を見て、<真の保守>ではない、あるいはたんに<保守でない>ということは不可能ではないだろう。しかしそれは、橋下徹と連携を図っていそうだから「保守ではない」旨の適菜収の論法とはまるで異なることは言うまでもない。

 ともあれ、適菜収とは文章力・論理構成力自体においてすでに次元の異なる有力な「保守」評論家・思想家である西尾幹二が、「靖国参拝、世界に向けての慰安婦問題の堂々たる説明は実行すべきだ」、「このままでは、六年前の第一次安倍政権と同じことにかりかねないからである」、と述べていたことは十分に記憶にとどめておきたい。

1213/戦争中・占領期当初のコミンテルン・共産主義者の暗躍-江崎道朗著。

 江崎道朗・コミンテルンとルーズヴェルトの時限爆弾(展転社、2012)のタイトルは、コミンテルンとその影響をコミンテルン(・共産主義者スパイ)から受けた米大統領によって、敗戦後の日本に対して「時限爆弾」があらかじめ仕掛けられていた、という意味だろう。
 なぜアメリカは戦前に<反日・親中>だったのか、なぜ日本には攻撃的で中国には融和的だったのか。その判断は、のちには中国共産党による大陸中国の「共産化」や南北朝鮮の分離・北朝鮮の「社会主義」化につながり、資本主義国アメリカにとっては大きなミスだったのではないか。そのような判断ミスそして政策・戦略ミスは何故生じたのか、というのはかねて持ってきた疑問だった。
 近年になって、ルーズヴェルト大統領の側近にコミンテルン(モスクワ)のエイジェントがいて、共産主義・マルクス主義に対して「甘かった」同大統領とソ連(・スターリン)とを
結びつけ、アメリカは<反日・親中>政策を採ったことが明らかになってきている。

 中西輝政監訳・ヴェノナ(PHP、2010)についてはこの欄で触れたことがある。
 江崎の冒頭掲記の著書も、主として第三章「アメリカで東京裁判史観の見直しが始まった」で、コミンテルン・同スパイ・アメリカ共産党等の運動・行動について扱っている。
 その内容を簡単にでも紹介することは避けるが、江崎の本よりも第一次資料・史料といえる文献で邦訳されているものやその他の日本語文献があるようなので、以下にリスト・アップしておく。
 第一節「外務省『機密文書』が示す戦前の在米反日宣伝の実態」より(p.126-)
 ①馬暁華・幻の新秩序とアジア太平洋(彩流社)

 ②山岡道男・「太平洋問題調査会」の研究(龍渓書房)

 ③H・クレアほか・アメリカ共産党とコミンテルン(五月書房)

 ④レーニン・文化・文学・芸術論(上)(大月書店)

 ⑤中保与作・最近支那共産党史(東亜同文会)

 第二節「ヤルタ協会を批判したブッシュ大統領と保守主義者たち」より(p.146-)

 ⑥H・フィッシュら=岡崎久彦監訳・日米・開戦の悲劇(PHP文庫)

 第三節「アメリカで追及される『ルーズヴェルトの戦争責任』」より(p.162-)

 ⑦エドワーズ=渡邉稔訳・現代アメリカ保守主義運動小史(明成社、2008)

 第四節「『ヴェノナ文書』が暴いたコミンテルンの戦争責任」より(p.178-)

 ⑧中西輝政監訳・ヴェノナ(PHP、2010)〔所持〕

 ⑨A・コールター・リベラルたちの背信-アメリカを誤らせた民主党の六十年(草思社)

 ⑩クリストファー・アンドルーほか・KGBの内幕・上(文藝春秋)

 ⑪楊国光・ゾルゲ、上海ニ潜入ス(社会評論社)

 ⑫エドワード・ミラー・日本経済を殲滅せよ(新潮社)

 第五節「コミンテルンが歪めた憲法の天皇条項」より(p.203-)

 ⑬ウォード・現行日本国憲法制定までの経緯

 ⑭ビッソン・ビッソン日本占領回想記

 以上 

1212/東京大学文学部社会学科はなぜ上野千鶴子を東京大学教授にしたのか。

 日本の大学の人事において、とくに歴史学や社会学を含む「社会系」については、その人物の「思想」・「イデオロギー」(それらによる所属団体、それらについての指導教授の「傾向」)がかなりの影響をもっているかを、この欄で何度か触れたことがある。マイナスになることもあれば、「左翼」/マルクス主義者・親マルクス主義者/日本共産党員であることがむしろプラスに働いて、これらを大学または学界における「処世の手段」として利用している者も少なくないのではないか、等をかつて記したことがある。

 2007.07.06「大学の歴史・社会系ではまだ共産主義系が多数派!?」

 2007.07.06「<処世の手段>としての『左翼』/マルクス主義者/日本共産党員」。

 2009.02.06

 2010.10.02「『共産党ではないが左翼』の社会・人文系学者たちの多さ」、など。

 長らく失念していたが、上野千鶴子の東京大学への招聘について、西尾幹二らが当時の東京大学文学部長と社会学科長に対して「公開質問状」を出していたことを思い出した。
 ネット上で、全文かどうかは不明だが見つけたので、再掲して紹介しておくことにする。なお、この質問状は西尾=八木・新・国民の油断(PHP、2005)に全文・経緯が掲載されているようだ。所持しているが、確認作業を節約させていただく。

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 「『上野千鶴子』問題については、東京大学の社会的責任を問う必要があると考えます。

 『女遊び』は、上野千鶴子氏が東京大学文学部教授会に迎え入れられる前、平安女学院短期大学教員の名で出された本で、東京大学の資格審査の際の参考文献に当然なっていたはずですから、同書と同書著者を受け入れた社会的責任が、東京大学文学部長と社会学科主任教授とにあると思います。もちろん、それに先立ち、文学部教授会全体にも社会的責任があります。

 憲法で『表現の自由』と『学問の自由』は保障されていますが、表現の『評価』は無差別ではありません。社会的影響力の大きい機関は『評価』に対し、当然、社会的責任を有しています。

 『女遊び』がどのような文献であるかは本書中で紹介したとおりで、必要なら古書でなお入手でき、再調査が可能でしょう。関係各位はご調査のうえ、判断や評価が適切であったか否かを、いまあらためてマスコミにおいて公表してほしい。

 もちろん機関としての判断決定の見直しは、いかに失敗であるとはいえ、もう時機を失しているでしょう。けれども、文学部所属の教授たち、ことに社会学科所属の関係者が上野千鶴子氏の『評価』の見直しを、己の学問的良心に照らして再度ここで行うことは可能です。私たちのこの提案に対し、開き直って彼女を礼賛するか、賛同して彼女を批判するか、いずれも自由ですが、沈黙するのは社会的無責任の表明と見なします。開き直って礼賛する人の論法は見物で、いまから楽しみにしています。

 なお、『女遊び』は学術的著作ではないので、審査対象からは外していたという見え透いた逃げ口上は慎んでいただきたい。業績の少ない若い学者の資格審査においては一般著作も参考にすべきで、それを怠ったとすれば、かえって問題です。

 まして『女遊び』は、上野氏のその後の反社会的思想と日本社会に及ぼしている悪魔的役割と切り離せない関係にあるだけに、見逃したという言い方は弁解としても成り立たないと思います。

 平成16年12月8日
  西尾幹二・八木秀次」

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 上野千鶴子は京都大学文学部・同大学院出身で上記の京都市内の女子短大や京都精華大学の教員だったが、突然に?東京大学文学部の助教授になった。
 上野の著「女遊び」とやらは読んだこともないが、上野のたった一つの学問的研究書と言えそうなのは同・家父長制と資本制-マルクス主義フェミニズムの地平-(岩波書店、1990)だろう。ここに見られるように、上野はたんなる「フェミニスト」またはフェミニズムの研究者ではない。「マルクス主義フェミニズムの地平」を目指して、ベルリンの壁崩壊・ソ連解体の頃以前に研究した文章をまとめて、1990年に、あの「岩波」から出版したのだった。<容日本共産党>の人物であることにもこの欄で言及したことがある。現在では東京大学を定年退官して優雅な「おひとりさまの老後」を過ごしているのだろうか。

 ところで、上の質問状からは不明だが、質問を受けた2004年度の東京大学文学部長ではなく、上野を採用することを決定した時点(1992年度と思われる)での東京大学文学部長は柴田翔であったと見られる。柴田翔とは、大学院学生だったとみられる1964年の芥川賞を「されどわれらが日々」で受けた人物。

 興味深いことに、西尾幹二と柴田翔(本名)はともに1935年の早生まれで(これは大江健三郎も同じ)、ともに東京大学独文学科で学んだ「学友」にあたる。そして、上野千鶴子問題を離れてさらに次のように思うのだ。

 失礼かもしれないが、西尾幹二は東京電気通信大学という理系の大学のドイツ語・ドイツ文学の教員だったのに対して、柴田翔は東京大学文学部教員として東京大学に残り、文学部長にまでなった。
 これまでの仕事・業績の全体を見ると、ドイツ関係に限ってすら、圧倒的に西尾幹二が柴田翔を凌駕しているのではないか。西尾幹二には「個人全集」すらある。柴田翔は芥川賞のおかげで世間的には著名かもしれないが、いったいいかほどのものを学界に残したのだろう。彼らの20歳代においても、東京電気通信大学と東京大学とでイメージされるような力量の差はなかったのではないかと思われる。しかるに、なぜ、柴田翔は東京大学に残り、その専任教員になれたのか。あくまで推測にはなるが、<思想傾向>がまったく無関係だったとは思われない。

 日本の大学というのは、「大学の自治」・「学問の自由」といった美名に隠れてはいるが、じつはかなり異様で奇妙な世界ではないかと感じている。

 *後記(訂正)ー西尾幹二は1935年の「早生まれ」ではなく、同年7月生まれ。なお、大江はいわゆる<一浪>をしているので、結果として西尾と同年の入学のはずだ。

1193/歴史戦争・歴史認識・歴史問題-中西輝政論考の一部。

 中西輝政のものを読んでいたら、引用して紹介したい部分が随所にある。すべてをという手間をかける暇はないので、一部のみを、資料的にでも引用しておく。

 〇阿比留瑠比との対談「米中韓『歴史リンケ-ジ』の何故?」歴史通7月号(ワック)p.36、p.41

 「いまやマルクス主義や共産主義を真面目に信じている人はいなくなりましたが、敗北した戦後左翼の人々の社会に対する怨念、破壊衝動は残っています。日本国内で長い間社会主義に憧れてきた人たちは、突然社会主義が崩壊してしまったのを見て、日本を攻撃するタ-ゲットを『侵略戦争』すなわち、歴史認識問題へと移しました」。「国際的なリアリズムを踏まえたうえで、歴史問題を考えなければいけません。全ての元凶はどこにあるのか。それは憲法九条です憲法九条さえ改正できれば、歴史問題を持ち出されても対応できるでしょう。憲法改正、歴史談話、靖国参拝の三つで賢く敵を押し返さねばなりません」。

 基本的趣旨に賛成だから引用した。以下はとるに足らないコメント-1.「マルクス主義や共産主義を真面目に信じている人はいなくな」ったのかどうか。生活のため又は惰性ではない日本共産党員もいるのでは。2.「戦後左翼」は「敗北」したと思っているだろうか。3.「突然社会主義が崩壊してしまった」のはソ連・東欧で、中国・北朝鮮はなお「社会主義」国の一つではあるまいか、他の要素・側面が混じっているとしても。4.「憲法九条」は「憲法九条2項」としてほしい。

1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。

 何度か書いてきたように、日本共産党は、マルクス主義や共産主義が誤っていたのではなく、レーニンまでは正しかったが、スターリンからおかしくなった、スターリンが誤り、ソ連は「真の社会主義」(をめざす)国ではなくなった、と主張または(党員・シンパ向けに?)宣伝している。
 スターリン時代のソ連について、当時の日本共産党自身がどう言ってきたのかを多少知るだけでも、上のような主張・理解はそれこそ<噴飯もの>だ。またそもそも、日本共産党(国際共産党日本支部)自体がスタ-リン時代のコミンテルンによって作られたものだ。
 ソ連またはソ連と同盟関係にあった東独等の東ヨーロッパ諸国の人々は、現在において(あるいは1989年以降において)、日本共産党が主張・宣伝するように理解しているのだろうか、感覚的にでもそう思っているのだろうか。
 そうではないようであることは、チェコ・プラハにある「共産主義博物館」の展示方法や、ドイツ(旧東独)・ベルリン(旧東ベルリン)にある「シュタージ博物館」の展示の仕方を見ても明らかだ。
 前者のプラハの博物館の設置・運営主体がいかなるものであるかははっきりしない。だが、その「共産主義博物館」のポスターが堂々と幹線道路添いに貼られ、まったく辺鄙ではない旧市街地地区のビルの一角にそれが存在することだけを見ても、決してプラハ市民またはチェコ国民の一部しか支持していない存在ではなさそうに見える。
 アルフォンス・ミュシャ(ムハ)美術館からほど近いところにある(但し、面している通りは異なる)「共産主義博物館」はチェコの歴史の順に展示と説明を行っているが、第二次大戦後のつかの間の独立の後のドイツ(ナチス)による支配からの「解放」のあとの時期について、レーニンとスターリンとの間の明確な区別などまるでしていない。1989年以前に実際に存在した銅像類もいくつか展示されているが、スターリンのそれよりもレーニンの方がはるかに多い。
 「共産主義」の時代あるいは実質的にソ連の「属国」であった時代の象徴といえば、プラハ市民にとっては、スターリンではなく、レーニンだ。
 日本共産党員またはそのシンパがプラハでレーニンまでは正しく、スターリンから誤ったなどと発言したら、狂人扱いされるだろう。

 チェコ国民、プラハ市民にとって、「共産主義」とはもはや過去の遺物に等しいものと思われる。しかるに日本では…、そう考えると身震いがする。
 以下に、プラハ「共産主義博物館」のレ-ニンの写真を使ったポスターと館内にある大きなレーニン像の頭部部分の写真を掲載しておく。ベルリンの「シュタージ(国家保安省)…」についても同様のことが言えるのだが、別の機会にこちらの方は扱おう。
  

1141/月刊正論(産経、桑原聡編集長)の編集方針は適切なのか③。

 月刊正論9月号(産経)の「編集者から」(p.327)の文章で驚いたのはつぎの言葉だ。
 一読者が「いたずらに異見を責めるのではなくて、国民の落着点を求め」る姿勢が大切ではないかと(前回に紹介にしたことを書いて)「編集者へ」述べたことに答えて、それが「必要な場合もあるでしょうが…」と述べているのは一般論としては誤っていないだろうが、問題は、それに続くつぎの文章だ。
 「それ〔異なる意見〕が日本と日本人を間違った方向に導くと判断した時には、我々は異見を潰しにかかります」。
 月刊正論編集部は「日本と日本人を間違った方向に導くと判断し時には」「潰しにかかる」、そういう編集方針を明らかにしたわけだ。
 善意に解釈して、その気分ないし意気込み?は理解できなくもないが、ただちに、次のような疑問が生じる。
 第一。「日本と日本人を間違った方向に導く」意見かどうかを判断するのは、明らかに月刊正論編集部(「我々」)だとされている。
 しかして、そもそも月刊正論編集部に、諸意見・考え方等々のいずれが「日本と日本人を間違った方向に導く」か否かを適切に判断する資格または能力があるのだろうか。
 主観的に、そのような気概?を持って何らかの「判断」をするのは結構だし、妨げることもできないだろうが、そもそもその「判断」が正しいまたは適切か否かの客観性は何ら保障されていない。
 奥付?によると月刊正論「編集部」には、「編集人」の桑原聡のほかに「小島新一・永井優子・川瀬弘至・上島嘉郎」の4名しかいない。政治・社会系の研究者・学者としても、政治・社会系評論家としても何らその地位を確立しているとは思えない、長の桑原を含めてこれら5名に、「日本と日本人を間違った方向に導く」か否かの判断を、読者は委ねることができるだろうか。一般論として、とても不可能だ、と考えられる。
 「我々」が「日本と日本人を間違った方向に導くと判断した時には」、という書き方は、まるで「我々」がその判断を客観的ないし的確に行うことができるということを前提にしているごとくで、誤っている可能性がきわめて高く、ひどく<傲慢>だ。
 読者は、「日本と日本人を間違った方向に導く」意見・考え方か否かの判断を、上の5名が客観的にかつ適切になしうるとは考えていないし、期待もしていないだろう。
 そもそも月間
発行部数2万程度の雑誌の、たった5名の「編集者」にそのようなことができるわけがない、と考える方が常識的だ。
 百歩譲って、編集者としての気分・気概を宣明しただけだ、と理解するとしても、そのような気分・気概は、ある意味では、すべての政治・社会系雑誌の編集者が持っていても不思議ではないもので、わざわざ文章にし、活字にしておくような類のものではない。
 あえて上のようなことを活字にしていること自体が、やはりどこかおかしい、と感じざるをえない。
 第二。「日本と日本人を間違った方向に導く」意見・考え方を「我々」は「潰しにかか」る、という。
 その前提的判断の客観性・適切性に疑問がありうることは上に記したが、そのような前提的判断に立っての、上のような「異見」は「潰しにかかります」、という表現は尋常ではない。
 具体的には、そのような「異見」は掲載せず(執筆を依頼せず)、それを批判・攻撃する論考のみを掲載していく、という編集方針を宣言していることになるのだろう。
 一般論として、何らかの編集方針を持つことはありえ、それに基づいて具体的な雑誌編集を行うことはむろんあるだろう。どの雑誌もそうしている、とも言える。
 だが、上のような「異見」は「潰しにかかります」、という表現は、穏やかではない。
 客観的にまたは結果的にそのような機能を持つことがあっても、あるいは持つことを意図していたとしても、ふつうは、上のように「潰しにかかります」とまでは、文章化しない、活字にはしない、のではないか。
 この点でも、現在の月刊正論編集部は、やはり、どこかおかしい。
 それにまず、自分(たち)の気にくわない意見は「潰しにかかる」という姿勢・態度を明らかにすることは、多分に気味が悪いものだ。月刊正論編集部は、政治・社会問題にかんする諸意見についての<思想警察>のつもりなのだろうか。そういう立場に立つつもりなのだろうか。右向きか左向きか知らないが、どこか<ファシスト>的匂いを感じる表現であることに、実際の書き手は注意した方がよいと思われる。
 つぎに、そもそも、月刊正論という雑誌の力で、「日本と日本人を間違った方向に導く」意見を同誌編集部が「潰しにかかる」ことができると本当に考えているのだろうか。
 そうだとすれば、尋常ではないし、やはりひどく<傲慢>だ。
 月間発行部数2万程度の雑誌に、朝日新聞の数分の1しか読者のない産経新聞のさらに100分の1程度の読者数の雑誌に、その雑誌編集部の「判断」と異なる意見を<潰す>ことができるとはとても思えない。<潰せる>と考えているとすれば、その自信過剰さは、尋常な感覚ではないだろう。
 実際問題として、月刊正論(編集部)が「日本と日本人を間違った方向に導く」意見だと判断するかもしれない諸意見は種々の、別の雑誌に溢れているし、今日ではブログやツイッター等の表現手段もある。
 月間発行部数2万程度の雑誌の「編集者」が、気にくわない「異見」を「潰しにかかります」などと、かりに内部でそう考えていたとしても、正規に、雑誌上に文章とし、活字にするようなことはしない方がよいだろう。
 ごく常識的な感想を書いたつもりだ。内容的にも疑問があり、「潰しにかかる」という言葉には<思想警察>的な気味悪さを感じる。と同時に、そのような文章を平気で活字にし、正規に残しておく、という姿勢・態度・感覚に、尋常ではない、戦慄すべき<怖ろしさ>を感じる。
 余計ながら、ひょっとして具体的には皇位継承問題(女系天皇の是非)を念頭に置いて「編集者」の上の文章は書かれたのかもしれない。しかし、そのような特定・限定はなく、一般的な宣明のかたちで、上の文章は書かれている。
 さらに余計ながら、「日本と日本人を間違った方向に導く」、日本国内のマルクス主義者・親マルクス主義者あるいは「左翼」の諸意見・考え方を「潰しにかかる」という編集方針を、月刊正論編集部は採っているのだろうか?、かりに採っているとしても、それは十分なものだろうか?、という疑問がある。
 「保守」派内の「内ゲバ」に主要な関心を向けたり、その一方に加担することに熱心な月刊雑誌は、少なくとも「保守」派一般の、またはその代表的な雑誌になることすらできないだろう。ましてや、憲法改正に必要な国民・有権者の過半数に支持される、あるいは関心をもたれる雑誌に成長することは決してないだろうと思われる。
 月刊正論の親会社の発行する産経新聞8/14加地伸行と竹内洋の対談中に、こんな部分があった。
 「加地 今の保守系は論壇というよりも、悪口を言うことで終わってしまっている。……
  竹内 それと内ゲバ。左翼…が、保守論壇も。仲間内でやるのが一番見苦しい」。
 この秋月の文章も一種の「内ゲバ」かもしれないが、秋月瑛二のブログにそのようなものの一方当事者となる資格(・読者数)はないものと自覚している。

1139/今谷明・天皇と戦争と歴史家(洋泉社、2012.07)から再び。

 〇先日の平泉澄とマルクス主義日本史学者・黒田俊雄への言及は、今谷明・天皇と戦争と歴史家(洋泉社、2012.07)p.125以下の「平泉澄と権門体制論」に依ったものだった。今谷著のp.40以下の「平泉澄の皇国史観とアジール論」の中でも、同旨のことが次のように、より簡潔に述べられていた。
 「戦後、黒田俊雄さんが『権門体制論』〔略〕で、平泉の説と同じことをのべています。ところが黒田さんは平泉ののことをぜんぜんいわないのです。自分が発見したように『権門体制論』を立てるわけですが。しかし…エッセンスはすでに…〔平泉の1922年の著〕のなかではっきりとのべられている…。公家・寺社・武家の鼎立、つまり『権門体制論』の萌芽をすでに平泉はいっていたわけです。/黒田さんは平泉のことを知っているはずなのに出さないのですね。論文にも著書にもまったく引用していない。ちょっとアンフェアではないかと思う。いくら平泉の思想なり人柄が気にくわんといっても、業績は業績で生きているわけだから、それを学説として紹介すべきなのにまったく無視している。平泉の業績が戦後忘却されていたことを考慮すると、ある意味で悪質な剽窃といってもいいすぎではないと思う」(p.56)。
 この今谷の論考の初出は1995年で、黒田俊雄の死後のことだ(黒田の逝去は1993年)。黒田の現役のときにまたは生前に、黒田も読めるように公にしてほしかったものだ、という感じもする。
 今谷明は1942年生まれで(今年に70歳)、実質的には中心的な活躍の時期を過ぎているだろうが、上と似たようなことは、元京都大学教授の竹内洋や、<保守派>として産経新聞によく登場している元大阪大学教授の加地伸行についても感じなくはない。
 現役の国公立大学の教授だった時代に、社会主義・マルクス主義あるいは「左翼」(・<進歩派>)の論者・学者たちを明確に(学術的に)批判してきたのだろうか、という疑問が湧くのだが、実際にどうだったかはよくは知らない。
 上の点はともあれ、「左翼」・マルクス主義学者の黒田俊雄が学説の内容よりも<人・名前>でもって引用等に「差別」を持ち込んでいたという旨の指摘は興味深いし、他の「左翼」・マルクス主義学者たちも、今日でも、かつ分野を問わず、似たような、<学問>と言われる作業をしているのだろう、ということは既に書いた。
 
〇上掲の今谷明著の最初にある樺山紘一との座談会「対話・戦後の歴史研究の潮流をふりかえる」(初出、1994年)もなかなか面白い。
 次の三点が印象に残った。
 第一。樺山が、とくにスターリン批判以降、欧米では「わりあい早くから切れて、マルクス主義に距離をおいて古典のひとつとして捉えている」にもかかわらず、「日本の場合、マルクス主義が非常に根強く残ったのはなぜなんでしょう」、「日本の場合はずっと教条として残」った、「日本だけはどうしてなんでしょう」と質問または問題提起して、今谷明が反応している。かかる疑問は、私もまたかねてより強く持ってきた。欧米では<反共>・反マルクス主義は(知識人・インテリも含めて)ほとんど<常識>であり<教養>の一つであるのに、日本だけはなぜ?、という疑問だ。
 厳密には答えになっていないようだが、今谷は次のように語っている。
 ・「経済学で講壇マルキシズムが非常に根強かった」ことと、「労働運動と連動」していて、「革命運動に影響された」ということがあった。
 ・「例えば文革の実情が明らかになるまではマルクス主義はひとつのモデルだった」。「日本の場合はスターリン批判やハンガリー事件があったにもかかわらず、日本のマルクス主義はびくともしなかった」。「日本の歴史学」は非常に不幸で、「昭和四〇年代くらいまで引きずってきた」、「ある意味では非常に遅れた」、「その間の停滞は惜しい」(p.20-21)。
 このあと、今谷は1989年のベルリンの壁の崩壊まで「気づかなかった」と述べ、樺山は「まだ気がついていないようなところもあるような気がしますけど」と反応している(p.22)。この部分は、樺山の感覚の方が当たっているのではないか。
 第二。今谷が、「アカデミズムに全共闘は残らなかったですね。民青系が大学院に残ったので、その後アカデミズムはマルキシズムが強い―特に歴史学は強い」と述べている(p.25)。
 全共闘系はすべてマルクス主義者ではなかったかのごときニュアンスの発言もあるが、全共闘系の中にはマルクス主義者もいたはずだ。従って、上の発言は、大学院に残り、その後大学教員になっていったのは、ほとんど「民青系」、つまり日本共産党系の者たちだ、というように理解できる。そして、その傾向は「特に歴史学は強い」ということになる。
 マルクス主義にも講座派・労農派、日本共産党系・社会党系等々とあったはずなのだが、日本共産党系のそれが「アカデミズム」(「特に歴史学」)を支配した、という指摘は重要だろう。
 上記の第一点、日本におけるマルクス主義の影響力の残存も、日本共産党の組織的な残存と無関係ではない、いやむしろほとんど同じことの別表現だ、と考えられるだろう。
 第三。今谷が、不思議なのは「マルクス主義歴史学がどうだったかという、マルクス主義内部での…学問的な検討・批判が歴史学で行われていない」ことだ、「歴史学の内部で例えばロシアの革命はいったいなんだったのかという再検討すらされていません」、と述べている(p.30)。
 怖ろしい実態だ。おそらく、日本共産党の歴史観を疑い、それに挑戦することは、学界、とくに日本史学界では、ほとんど<タブー>なのだろう。その点ではすでに、「学問の自由」はほとんど放棄されているわけだ。
 日本共産党はマルクス・レーニン主義のことを(正しい)「社会科学」と呼んでいるらしい。
 歴史学に限らないことだが、日本共産党の諸理論自体を対象とする<社会科学>的研究が大規模に行われるようにならないと、日本の人文・社会系の「学問」やそれを行う中心的組織らしき「大学」(の人文・社会系学部)は、それぞれの名に値しないままであり続けるのではないか。

1135/今谷明・天皇と戦争と歴史家(洋泉社、2012)に見る日本史学・「学問」。

 今谷明・天皇と戦争と歴史家(洋泉社、2012.07)p.125以下(「平泉澄と権門体制論」)の今谷による要約によると、1963年に岩波講座・日本歴史/中世2に書かれ、1975年に単著に収載されたようである、黒田俊雄(1926-1993)の、日本中世についての<権門体制>とは、例えば、次のようなものであるらしい。
 ①幕府論や武家政権論に還元された中世国家論・中世封建制論を「実体的に把握し直す」ための概念で、究極的には中世「天皇制」・「王権」の構造を究明する目的をもつ。
 ②<権門体制>論の趣旨は「人民支配の体系としての権力の構造」の究明にあり、史的唯物論にいう「上部構造」の解明を意図していて、「黒田の立論はすぐれてマルクス主義的国家論」だ。
 ③黒田の基本的認識は「公家も武家も等しく中世的な支配勢力」だということで、鎌倉幕府を「進歩的」・「革新的」と見る当時の通説(幕府論、領主制論)への疑問があり、同じくマルクス主義に立つ論者からも黒田の論は批判された(以上、p.126-128)。
 そのあと、黒田の論をめぐる石井進や佐藤進一らの議論も紹介されているが、今谷とともに、いや門外漢なので当然に、今谷以上に立ち入ることはしない。
 今谷が関心を持っているのは、黒田俊雄説の「学説史的背景」、「学説的前史」だ(p.125)。そして、この点についての叙述が、相当に興味深い。
 今谷の関心は、もう少し具体的にいうと、従来の通説は武家勢力とは異なり古代的・守旧的勢力と位置づけられる傾向にあった公家・寺社勢力を武家と同様に「中世的権門」と位置づける、という中世に関する時代・社会イメージを、黒田はいかにして獲得したのか、だ(p.133)。
 ここで平泉澄が登場してくる。今谷明は1926年の平泉の著書を読み、平泉がすでに、社寺・公家・武家の「三権門鼎立説」、国家統制(黒田のいう「人民支配」)のうえで三権門のいずれも単独では支配を貫徹できない旨を明記していたことを知る。
 そして、黒田俊雄説は「階級史観」の立場から平泉説を「換骨奪胎」し、装いを新たにして学界に公表したのではないか、という(p.137)。
 もっとも、慎重に、今谷は、黒田は平泉の著書を知らず、それに気づくことなく自ら「権門体制論」を構築したのだろうと、とりあえずは想像した。黒田俊雄は「平泉澄らのいわゆる皇国史観」、それは「国史」の「狂暴な反動的形態」などと平泉を罵倒していたからだ(p.138。黒田のこの文章は1984年)。
 しかし、さらに究明して、今谷は「平泉と黒田の言説の共通点」に「いやでも」気づいていく(p.139以下)。具体的な例がかなり詳しく紹介されているが、ここでは省く。そして、今谷が出した結論はこうだ。
 1975年の段階で黒田俊雄は平泉の1926年の著書を「熟知していたにもかかわらず、あたかも知らなかったかのように注記その他で全く平泉の名を出さなかった、ということになる」。平泉の高弟・平田俊春の論文等は随所に引用しているので、黒田は既往の研究のうち、平泉のもの「のみに関して引用を忌避した、とみてよいのではあるまいか」(p.144)。
 一般論的に、今谷は次のように述べて、この節を終えている。
 黒田批判が目的ではない。「問題は、当時の学界全体がそうした黒田の行論を看過し、黙認した、その事実」だ。「戦後歴史学界には、種々のタブーが現実に存在する。タブーの打破を標榜する歴史家にしてからが、自らタブーに手をかしているという現状は、…いささか奇妙なものに思われるが、ことは日本史学界の通弊として片付けられないものを含んでいる」。「学説を立論者個人から切り離し、学説として尊重する姿勢を拒み、立論者の存在とともに葬り去ってよしとしているならば、われわれはまだ『皇国史観』の亡霊から自由になってはいない、ということではないだろうか」(p.145)。
 以上で紹介は終えるが、最後の叙述・指摘は、学問一般、日本の学問研究風土一般にも当たっていそうで、はなはだ興味深いものがある。一つの契機にすぎなかったのかもかもしれないが、今谷がこのように述べる出発点が、マルクス主義歴史学者(とされる)黒田俊雄の著作にあったこともまた、別の意味で興味深い。
 唐突に前回紹介の<民科(法律部会)>を例に出せば、法学の世界でも、「民科」に加入している研究者の論文・著書は肯定的・好意的に紹介したり引用したりしながら、同じ内容または同程度に優れた内容の論文・著書は、論者が「民科」に入っていないことを理由として、場合によっては「民科」に敵対しているとみられることを理由として、いっさい無視する、といったことが行われていないだろうか。
 「学説を立論者個人から切り離し、学説として尊重する姿勢を拒み、立論者の存在とともに葬り去ってよしとしているならば、『日本共産党』や『マルクス主義』の亡霊から自由になってはいない、ということではないだろうか」。
 法学に限らず、教育学・社会学・政治学等々についても同様のことが言える。
 <学問>を「政治的」立場レベルでの闘いだと理解している日本共産党員は少なからず存在する、と思われる。そうでなくとも、論者の「名」によって引用等の仕方を変える程度のことは、「日本史学界の通弊」なのではなく、日本の人文・社会分野の諸学界において、<広く>行われていることではないかとも思われる。そして、そうした傾向は、学界全体が<左翼的>傾向に支配されていることが多いこともあって、<左翼的>学者が日常的に行っていることなのではあるまいか。
 それは黒田俊雄に見られるような(今谷明に従えばだが)「政治主義」・「党派主義」によることもあれば、「権威主義」というものによる場合もあるかもしれない(とりあえず、学界の権威・「大御所」に従い、例えば、引用を忘れない)。あるいは、そこにも至らないような、<趨勢寄りかかり主義>・<世すぎのための安全運転主義>といったものによるかもしれない。
 まともな「学問」は行われているのか。現在の「学問」状況はどうなっているのか。そんなことを考えさせるきっかけにもなる、今谷明の著書(の一部)だった。

1128/丸山真男の1950年論考と現在の「左翼」・「保守」。

 丸山真男は「自由主義者への手紙」の中で、興味深くかつ重要なことを書いている。これは月刊・世界(岩波)の1950年9月号に発表された。アメリカ、GHQが日本の敗戦後当初と異なり、反共(反ソ)へと政策転換をした後の時期だ。丸山真男全集第4巻(1995)所収、p.313以下。
 丸山がいう「君」とは誰か判然としないが、一定の思想・評論の潮流なのだろう。その「君」は自分=丸山真男に対して次のような不満・批判を吐露・提出している、とまず丸山は述べる。
 「君や僕のようなリベラルな知識人」は「思想を否定する暴力に対して左右いずれを問わず積極的に闘うことが必要」で、そのためには「ファッショに対してと同様、左の全体主義たる共産主義に対しても画然たる一線をひいて」自分の主体的立場を堅持する必要がある。にもかかわらず、「僕みたいな…マルクス主義者ではなく、性格的にはむしろコチコチの『個人主義者』」が「現代の典型的な全体主義たる共産主義に対してもっと決然と闘わない」のは何故か(p.316)。
 同旨の疑問・批判は、より簡単には、次のようにも書かれている。
 「左右いかなる狂熱主義にも本能的に反発する」はずの僕=丸山が、「共産党に対して不当に寛容であるのはおかしい」(p.333)。
 これに対する丸山真男の回答・釈明・反論はこうだ。
 「日本のような社会の、現在の情況において、共産党が社会党と並んで、民主化…に果す役割を認めるから、これを権力で弾圧し、弱体化する方向こそ実質的に全体主義化の危険を包蔵することを強く指摘したい」(p.333)。
 共産党の日本社会の「民主化」への役割を認め、それに<寛容>であることによって、共産党を「弱体化」することによる「全体主義化の危険」を防止したい、と言うのだ。
 同趣旨のことは、「政治的プラグマティズムの立場に立てばこそ」として、次のようにも語られている。
 ①「下からの集団的暴力の危険性」と②「支配層が偽善的自己欺瞞から似非民主主義による実質的抑圧機構を強化する危険性」、および①「大衆の民主的解放が『過剰になって氾濫する』危険性」と②「それが月足らずで流産する危険性」とをそれぞれ比較して、「前者よりも後者を重しとする判断を下す」(p.333)。
 つまり、上の①よりも②の危険性の方を重視して、②の危険性の方を抑止したい(そのためには日本共産党に対して<寛容>であることが必要だ)というわけだ。
 この論考の発表当時、日本共産党は衆議院に35議席を有するなど勢力を拡張していたが、1950年1月にコミンフォルムによるその「平和革命」論批判(のちに分裂につながる)や同年6月のGHQによる共産党員等の公職追放(レッド・パージ)があった。
 のちの主流派による武力闘争まで丸山真男が支持したかどうかは確認しないが、日本共産党勢力が拡大し、かつ抑圧?を受けつつあったときに、この丸山真男論考は書かれている。
 そういう時代的背景はふまえておく必要があるが、興味深いのは、丸山真男のような<進歩的文化人>のかかる<容共>姿勢というのは、少なくとも日本共産党が「平和」路線(「人民的議会主義」路線)を明確に採って以降の、日本の<左翼>に特徴的な考え方または気分だ、ということだ。
 丸山真男は「民主化」に「しかり西欧的意味での民主化」という注記を施しているが、それはともあれ、丸山は「民主主義」(民主化)対「全体主義」という対立軸を設定している。「共産主義」が「左の全体主義」・「現代の典型的な全体主義」であることを否定していないようであることも目を惹くが、これとは区別されたものとして、日本社会の「全体主義化の危険」・「支配層が偽善的自己欺瞞から似非民主主義による実質的抑圧機構を強化する危険性」を語っている。
 「民主主義」対「全体主義」という軸設定は今日ではそのままではあまりなされてはいないかもしれない。しかし、後者に代わって、「(日本)軍国主義」とか「戦前のような日本」ということが言われ(ときには「偏狭な(排他的な)ナショナリズム」)、戦前のような社会を復活させるな、「民主主義」を守り、拡充させよう、という論調はしばしば見られる。
 それが「左翼」の主張であり、「何となく左翼(サヨク)」の気分だ。
 このような主張・気分は、丸山真男の上の文章に明確に示されているように、共産主義・日本共産党に対する「寛容」さを内包している。 
 共産主義・日本共産党に完全に同調しないとしても、それよりも「軍国主義」勢力・「保守反動」勢力の拡大による<戦前のような日本>の復活・「戦争ができる」国家の復活の危険を重視し、そのためには日本共産党と闘うどころか「共闘」することすら容認するのが「左翼」・「何となく左翼」だ。
 「左翼」の中核に日本共産党はいる。その周辺に、自覚的・意識ではないにしても、幅広く厚い<容共>層がいるのが、日本の「左翼」陣営の特徴だ。
 かつて自民党政権時代に、『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズム』(1990)というおそらく唯一の研究書を刊行した上野千鶴子は、マルクス主義者または親マルクス主義の立場の者だから当然だろうが、日本共産党を含む野党の対自民党統一戦線の結成を主張していた。
 上野千鶴子ほど明確にではないにしても、岩波や朝日新聞系の知識人・論壇人の中には、日本共産党よりも<保守>政党(従来だと自民党)を嫌う、共産党の力を借りてでも自民党政権を倒したいと考えていた者が多かった、と思われる。
 むろん、マスコミ従事者や一般国民においても<民主主義対全体主場(=保守反動)>という何となくのイメージを持っている者が多いから(それはかつての戦争の性格を含む歴史認識・それに関する教育に深く関係するがここでは触れない)、<反自民党>気分は一気に2009年の民主党内閣の成立に結びついた。
 日本共産党を批判したこともあり、そのゆえに日本共産党から攻撃されたこともある丸山真男だが、上のように、日本共産党を「民主主義」の側に位置づけ、<全体主義・軍国主義>傾向にむしろ重要な危険性を感じるという意識・気分(論者によってはイデオロギー)は、今日でもなお強く残存している。
 丸山真男とはまさに戦後進歩的知識人の代表者であり、「戦後左翼の祖」の一人と言ってよいだろう。
 上のような対立軸をかりに設定するとしても、共産主義・日本共産党を「民主主義」の側に位置づける、という馬鹿なことをやめ(させ)なければならない。
 むしろ、共産主義・日本共産党の「反民主性」・「反自由主義性」こそを強く、いや最大の対立軸として、主張し続けなければならない。
 そのような<反共>を最大・最重要の旗印として掲げるのが、私の理解する言葉の意味での<保守>だ
 こういう意味で<保守>概念が使われないとすれば、別に言葉ごときに拘泥はせず、「平等」教・「共産」教に対する<自由>主義と表現してもよい。
 ともかく、<容共か反共か>、これが今日の最大・最重要の対立軸だ、と考えられる。この対立軸の設定は、決して時代遅れ、あるいは決着済みのものでは全くない。
 この点が明瞭ではない論者、評論家、月刊雑誌等の論壇類は、「保守」概念をめぐっても含めて、混乱するか(あるいは混乱を持ち込むか)、少なくとも現在の日本と日本国民にとって適切な方向・指針を示すことができないだろう。
 

1122/西尾幹二全集第2巻(2012.04)のごく一部。

 西尾幹二が福田恆存を追悼して書いた文章の中に以下の部分がある。
 「マルクス主義を一種の身分証明のように利用して、反米・反政府を自明のよう語りながら、しかも日本共産党の過ちをも批判するという当時のどっちつかずの知識人の姿勢は、恐らく今なおリベラルの名で語られる政治潮流とどこかでつながっている。/福田氏が闘った相手はまさにこれである」。
 「現実を動かした強靱な精神―福田恆存氏を悼む」西尾幹二全集第2巻(第三回配本)所収p.299(国書刊行会、2012.04。初出は1994.11)。
 福田恆存の初期の評論「一匹と九十九匹と」に言及して「当時」と言っている。福田のこの評論は1946年(昭和21年)11月に書かれ、翌年3月刊の雑誌に発表されている(福田恆存評論集第一巻所収p.316以下、麗澤大学出版会・2009.09)。
 いつぞや、反自民・非共産で、後者よりの「左翼」が現在の日本の学者・知識人にとってもっとも安全な立ち位置だ、という旨を書いたことがある。
 さすがに現在では「マルクス主義を一種の身分証明のように利用して…」とは言い難く、<反自民・「左翼」ぶりを身分証明のように利用して、かつ日本共産党そのものとも一体化せす(同党に批判的な眼も向けつつ)…>とかに、少しは表現を変える必要があるだろうが、「リベラルの名で語られる政治潮流」の姿は、西尾幹二が上のように書いてから20年近く経っても、さらには福田恆存の「当時」から60年以上経っても、本質的には変わっていないようだ。その点が興味深く、ここに引用する気になった。
 西尾幹二が初めて読んだ福田恆存の評論は「芸術とは何か」で1950年のもの、60年安保騒擾の際に西尾の救いとなったのは福田の「常識に環れ」らしく、これは1960年のものだ(それぞれ、福田恆存評論集第一巻、第七巻に所収)。
 他にも有名な「平和論の進め方についての疑問」(福田恆存評論集第三巻)などに、西尾は言及している。
 読んだことがあるものもある。あらためて、多くの福田恆存論考をじっくりと読みたいものだ。そう思わせる「評論」が今日では少なくなっていると思われる。西尾幹二の書くものもまた、私には一部の内容・主張に不満があるが、数少ない「評論家」であることは間違いないだろう。 

1059/雑誌・撃論3号、中川八洋と日本共産党員。

 再び撃論第3号(オークラ出版、2011.11)に触れると、先に言及した「編集部」名義の「月刊誌『WiLL』は、日本の国益に合致しているか」(p.74-)は、「民族系」という語を何度か利用していることも含めて―「中川八洋教授に寄稿をお願いした」という書き方をしているにもかかわらず―、文体が中川八洋のそれにかなり似ている。
 また、「本紙編集部」名義で書かれている原発・放射線恐怖から「正気を取り戻すための良書リスト」も(p.116-)、中川八洋は原子力問題に技術的にも詳しいこと、菅直人を「済州島出身のコリアン」と中川が別の本で書いていたと思われる表現を用いていることなどから見て、中川八洋が執筆している可能性がある。
 あくまで憶測にすぎないが、万が一でも当たっているとすれば、出版業者・雑誌編集者としては邪道であることは論を俟たないだろう。
 オークラ出版、雑誌・撃論が、興味を惹きそうなテーマを背表紙に打っての、月刊WiLLについていう「ただ『儲かればよい』一辺倒の商売至上主義」に自ら(も)陥っていないことを願う。
 さて、この雑誌上掲号には中川八洋による「脱原発」西尾幹二批判の論考もあり、中川は西尾幹二を「民族系論客」と位置づけ、「非知識人」と称し、「嘘つき評論家」、「論壇ゴロ」と罵倒し(p.91-92、p.99)、「実質的共産党員」、「北朝鮮の代言人」とも評している(p.91、p.97)。
 原発問題については分からないとしか言いようがないが、また、西尾幹二のこれまでの見解・主張の全てに同感してきたわけでもないが、このような批判・罵倒の仕方は、小林よしのりの対敵表現をも上回るかもしれないほどで、やや乱暴過ぎるだろう。
 中川八洋が「コミュニスト」・「共産党員」という断定を好んで?することは前回にも紹介したとおりで、少なくとも一部については、当たっているだろう。だが、「コミュニスト」ではなく「共産党員」という認定の正しさは、日本共産党の名簿?でも見ないと証明できないことで、厳密には推測にすぎない(そして対象人物によって確度の異なる)もののように思われる。
 そういう意味での推定にすぎないが、中川八洋が言及してはいないが、私は、たしか今年に逝去した井上ひさしは日本共産党員でなかったかと疑って(推測して)いる。
 不破哲三=井上ひさし・新共産党宣言(光文社、1999)における、不破に対する井上の「へりくだり」ぶりは尋常ではない。また、井上は、井上ひさしの子どもに伝える日本国憲法(講談社。絵は共産党国会議員だった松本善明の妻・いわさきちひろ)、二つの憲法―大日本帝国憲法と日本国憲法(岩波ブックレット)の著者でもある。政治性、マルクス主義者性を感じさせない作品等も多いのだろうが、「左翼」・憲法改正反対論者であったことは間違いなく、何よりも、大江健三郎や奥平康弘等々とともに<九条の会>の呼びかけ人だったのだ。
 井上ひさしはとくに国政選挙の際に、日本共産党を「支持(推薦)します」という学者・文化人の一人として名を出していなかっただろうか。
 「支持者」だから「党員」ではない、ということにはならない。日本共産党は学者・文化人には党の基本的な路線に矛盾しない限りでの(他の一般党員とは異なるより広い)「自由」を与え、世間・社会での名声あるいは知名度を自らのために利用してきている。
 かつて、哲学者・古在由重は日本共産党の「支持(推薦)者」の一人として日本共産党のパンフなどに名前を出していたが、この人物は最晩年まで日本共産党員そのものであったこと(党籍のあったこと)、そして原水禁運動に関する日本共産党中央との考え方の違いによって離党したか、離党させられたことが、古在由重の葬儀または「お別れの会」の世話をした川上徹の本でも、明らかにされている。

 井上ひさしも、(こちらは最後まで)日本共産党の党員だった可能性はあるものと思われる。
 世間一般の人々が想定しているよりもはるかに、日本共産党員である者は多い、と見ておく必要がある(ついでながら、今は民主党国会議員の有田芳生は元日本共産党員。父親は日本共産党国会議員だった)。
 そのような推測からすると、「国民的」映画の映画監督で、NHKが「家族」関係名画100とやらを選択させている山田洋次も、十分に怪しい。この人物は<九条を考える映画人の会>とやらの重要メンバーだが、かなり以前から、日本共産党のパンフ類に同党を「支持(推薦)」する学者・文化人の一人として名を出していたような気がする。
 そのような想いで渥美清主演映画を観ると、そうではない場合よりも違った感想も生じるのだが、今回は立ち入らない。
 少し元に戻ると、井上ひさしの葬儀の際に「弔辞」を述べたのは、先にこの欄で言及した直後に文化勲章受章者として名を出した丸谷才一だった。丸谷が共産党員だとはいわないが、「左翼」ではあるだろう。
 これに関連して続ければ、丸谷才一は素直に?受賞したが、文化勲章受章を「戦後民主主義者」であることを理由に拒否したのが、大江健三郎だった(翌年に杉村春子も拒否)。
 これは数年前に(たぶん)この欄で書いたことだが、大江健三郎は、とりわけ、自らが嫌悪する「天皇陛下」と対面して、陛下から勲章を授けられることを嫌悪し忌避したのだ、と思っている。
 再び雑誌・撃論第3号に戻ると、これには、西村真悟「沖縄戦を冒涜する大江健三郎は赤い祖国へ帰れ」も掲載されている(p.164-)。
 西村は最後のあたりで、日本に帰化した(日本人となった)ドナルド・キーンと大江健三郎を対比させ、大江に対して「あこがれの人民共和国にでも帰化し移住されたらどうか」と勧告?している。趣旨は十分によく分かる。
 日本の天皇からの叙勲を拒否し、外国の国王(やフランス政府)からの勲章は受ける、という「心性」でもって、よくもぬけぬけと日本に、日本国民として(しかもたしか世田谷区の高級?住宅地に)居住して生きていけるものだ、と感じるのは私だけではあるまい。
 雑誌・撃論から始め、最後に同じ雑誌の別の文章に触れて、この回は終わり。

1049/「教育」界の「左翼」支配。

 〇石原慎太郎だったか、岡崎久彦だったか、見知らぬ人からこのままで日本は大丈夫なのでしょうかと話しかけられることが多くなったというような旨を昨年あたりに書いていた。
 あえて主観的願望を抜きにした客観的な(と私には見える)状況判断をすると、すでに日本はダメになった、日本はダメになってしまっている、と思える。少なくとも、もはや元に戻れない限界点を超えている、と感じている。つまり、<保守>に勝利の見込みはもはやない。ゆるやかに(緩慢に)わが愛する日本は「日本」でなくなっていっており、その基本的な流れはもはや変えようがない。すでに41年前、三島由紀夫が予見したとおりになっている。
 但し、国内状況はそうだが、中国共産党による中華人民共和国の支配の終焉=社会主義中国の崩壊が辛うじてでも時間的に先にくることがあれば、少しは希望がある。これは、日本国民、日本の政治だけではもうダメだ、ということをも意味する。こんな思いをもって晩年を生きるのは、つらい。
 〇中西輝政のいう、教育・マスコミ・論壇という「三角地帯」のうちの「教育」が「左翼」に支配されていることは明らかで、むしろそれは自然のことかもしれない。
 高校以下の学校教育で教えられているのは、「個人」主義・「平等」(男女対等を含む)、「民主主義」・「平和(反軍事)」等々の基本理念だ。
 これらは日本国憲法の基本理念でもあり、大学教員以外の学校教育の担当者になるために必要な「教員」免許を取得するためには、「日本国憲法」は必修科目であり、実際にどの程度、どのような問題が出題されているのかは知らないが、当該免許を取得しようとする者の全員が「日本国憲法」を学習していることは間違いないだろう。
 しかして、「日本国憲法」の基本理念は何か。一口で言えば、上記の如き「左翼」的理念だ。

 かつまた、彼らが学習する日本国憲法に関する教科書・参考書類はいったいどのような者たちが執筆しているのか。日本共産党員を含む「左翼」的憲法学者に他ならない。日本の憲法学界は今日に至るまでずっと、圧倒的に「左翼」に支配されている、と言ってよいだろう。
 そのような「憲法教育」を受けた教師が、確信的「左翼」か、少なくとも「何となく左翼」になってしまうのは、自然の成り行きだ。そして、彼らは、自分たちが年少の頃に受けたような「左翼」的教育を、次の世代の子どもたちへと引き継いでいく。
 日教組・全教の組織率は低いなどと言って安心するのは愚かなことだ。あるいはまた<保守的>教科書の採択率が何倍増かしたといって喜ぶのもまだ愚かなことだ。その<保守的>教科書ですら、私には「自虐的」・「進歩的」と感じられる部分があるが、それは別としても、たかが5%程度の採択率になって喜んでいるようではダメで、まだ5%程度にすぎないと嘆く必要があるものと思われる。

 「日本国憲法」から離れて、教育学に目を向けても、この学問分野が「左翼」に支配されてきていることは、竹内洋が月刊諸君!(文藝春秋)や月刊正論(産経)の連載で示してきた。手元に置いて再確認はしないが、戦後当初の東京大学教育学部は「三M」とやらが支配し、日教組を指導した(研修集会等の講師陣を担当した等を含む)といったことも書かれてあった。
 かつて日本共産党系全学連委員長で民青同盟の幹部だった(かつ「新日和見主義」事件で査問を受けて党員権停止。その後かなり遅れて共産党を離脱した)川上徹は、東京大学教育学部出身だった。
 川上徹の自伝ふうの本は読んでいないが、彼が共産党の活動家になっていくことについて、彼が所属していた大学と学部の雰囲気は、容認的・促進的であったに違いない。
 大学を除く高校までの教員は圧倒的に教育学部系の学部出身で、「左翼」的教育学を学んでいる。彼らのほとんどが「左翼」あるいは少なくとも「何となく左翼」にならないわけがない。
 (高校・中学の)日本史の教師については、大学で学んだ「日本史」(国史)、とくに近現代史がどのようなものだったかが問われなければならず、そして、日本近現代史学は「左翼」、そして講座派マルクス主義の影響がきわめて強い。日本史の教師は、そのような「左翼」またはマルクス主義歴史学者のもとで勉強して教師になり、生徒たちに教えているのだ。
 <保守>派の教科書採択に現場教員たちの根強い抵抗があるらしいのもまったく不思議ではない。
 日本史を高校等での「必修」科目とすべきとする主張がある、あるいはすでにそれは一部では実現されているらしいが、いかなる内容の「日本史」教育、とくに明治以降の歴史教育、であるのかを問題にしないと、現状では、逆効果になる可能性もあると考えられる。「左翼」的、マルクス主義的教師担当の科目が「必修」になったのでは目も当てられない。
 政経・公民等の科目の教師については、主としては大学の法学部での教育内容および担当大学教員たちの性向が問題になる。憲法学については上記のとおりだが、全体としても、社会あるいは世間一般と較べれば、「左翼」、そしてマルクス主義の影響力が強いことは明らかだろう(「人権派」弁護士はなぜ生じてくるのかを思い浮かべれば、容易に理解できる)。
 
〇以上は、思いついた一端にすぎない。こうした「教育」現場の実態、「左翼」支配、を認識することなく、「保守」論壇・「保守的」団体という閉ざされた世界の中で、「そこそこに」有名になり、「そこそこに」収入を得て、いったいいかほどの価値があるのか、と問い糾したいものだ。<大河の一滴から>とか<塵も積もれば…>という意味・価値をむろん全否定するつもりはないが。
 例えば40万部売れたなどと自慢しているあるいは宣伝している「売文」家や出版社があるが、かりに倍の80万人に読まれたとしてもその全員が内容を支持したことにはならず、また、全員が支持したとしても、日本の選挙権者のわずか1%程度でしかない。
 雑誌や単行本の影響力は執筆者たち等がおそらく考えているよりはきわめて小さく、圧倒的多数の国民・有権者は日々の大手マスメディア、とくに大手テレビ局のニュースと一般新聞の「見出し」によって、現在の日本(・日本の政治)のイメージ・印象を形成している、と思われる。狭い世界の中で「自己満足」しているのは愚かしいことだ。

1045/北朝鮮による人権侵害への対処に関する法律。

 「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」という名前の法律が(生きている現行法として)ある。平成18年法律96号。
 民主党であっても松原仁はたぶん知っているだろうが、山岡某担当大臣は内容まで含めて知っているだろうか。
 多くの人は知らないと思うので、またさして長い法律ではないので、以下に、全文を紹介しておく。

 「第一条(目的)   この法律は、二千五年十二月十六日の国際連合総会において採択された北朝鮮の人権状況に関する決議を踏まえ、我が国の喫緊の国民的な課題である拉致問題の解決をはじめとする北朝鮮当局による人権侵害問題への対処が国際社会を挙げて取り組むべき課題であることにかんがみ、北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民の認識を深めるとともに、国際社会と連携しつつ北朝鮮当局による人権侵害問題の実態を解明し、及びその抑止を図ることを目的とする。 
 第二条(国の責務)   国は、北朝鮮当局による国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題(以下「拉致問題」という。)を解決するため、最大限の努力をするものとする。
   政府は、北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民の安否等について国民に対し広く情報の提供を求めるとともに自ら徹底した調査を行い、その帰国の実現に最大限の努力をするものとする。
   政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関し、国民世論の啓発を図るとともに、その実態の解明に努めるものとする。
 第三条(地方公共団体の責務)  地方公共団体は、国と連携を図りつつ、拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題に関する国民世論の啓発を図るよう努めるものとする。
 第四条(北朝鮮人権侵害問題啓発週間)  国民の間に広く拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題についての関心と認識を深めるため、北朝鮮人権侵害問題啓発週間を設ける。
 2  北朝鮮人権侵害問題啓発週間は、十二月十日から同月十六日までとする。
   国及び地方公共団体は、北朝鮮人権侵害問題啓発週間の趣旨にふさわしい事業が実施されるよう努めるものとする。
 第五条(年次報告)  政府は、毎年、国会に、拉致問題の解決その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する政府の取組についての報告を提出するとともに、これを公表しなければならない。
 第六条(国際的な連携の強化等)  政府は、北朝鮮当局によって拉致され、又は拉致されたことが疑われる日本国民、脱北者(北朝鮮を脱出した者であって、人道的見地から保護及び支援が必要であると認められるものをいう。次項において同じ。)その他北朝鮮当局による人権侵害の被害者に対する適切な施策を講ずるため、外国政府又は国際機関との情報の交換、国際捜査共助その他国際的な連携の強化に努めるとともに、これらの者に対する支援等の活動を行う国内外の民間団体との密接な連携の確保に努めるものとする。
 2  政府は、脱北者の保護及び支援に関し、施策を講ずるよう努めるものとする。
   政府は、第一項に定める民間団体に対し、必要に応じ、情報の提供、財政上の配慮その他の支援を行うよう努めるものとする。 
 第七条(施策における留意等)  政府は、その施策を行うに当たっては、拉致問題の解決その他北朝鮮当局による人権侵害状況の改善に資するものとなるよう、十分に留意するとともに、外国政府及び国際連合(国際連合の人権理事会、安全保障理事会等を含む。)、国際開発金融機関等の国際機関に対する適切な働きかけを行わなければならない。
 第八条(北朝鮮当局による人権侵害状況が改善されない場合の措置)  政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による日本国民に対する重大な人権侵害状況について改善が図られていないと認めるときは、北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する国際的動向等を総合的に勘案し、特定船舶の入港の禁止に関する特別措置法(平成十六年法律第百二十五号)第三条第一項 の規定による措置、外国為替及び外国貿易法 (昭和二十四年法律第二百二十八号)第十条第一項の規定による措置その他の北朝鮮当局による日本国民に対する人権侵害の抑止のため必要な措置を講ずるものとする。」
 以上。
 北朝鮮系の朝鮮学校への補助(学費無償化)の問題も、上の法律の趣旨と関連させて論じられてよいのではないか。
  なお、すべてとはいわないが、北朝鮮の現況の重要な起源・原因・背景がコミュニズム・共産主義・マルクス主義にあること、マルクス→レーニン→スターリン→毛沢東・金日成という系譜の果てに現在の北朝鮮があることを、とりわけ日本の「左翼」は―むろん朝日新聞を含む―しっかりと認める必要がある。

1018/西尾幹二による樋口陽一批判①。

 一 フランス革命やフランス1793年憲法(・ロベスピエール)、さらにはルソーについてはすでに何度か触れた。また、フランスの「ルソー=ジャコバン主義」を称揚して「一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験することの方が、重要なのではないだろうか」(自由と国家p.170)とまで主張する樋口陽一(前東京大学・憲法学)の著書を複数読んで、2008年に、この欄で批判的にとり上げたこともある。以下は、その一部だ。
 ・「憲法学者・樋口陽一はデマゴーグ・たぶんその1」
 ・「樋口陽一のデマ2+……」

 ・「憲法デマゴーグ・樋口陽一-その3・個人主義と『家族解体』論」
 ・「樋口陽一のデマ4-『社会主義』は『必要不可欠の貢献』をした」
 ・「憲法学者・樋口陽一の究極のデマ-その6・思想としての『個人』・『個人主義』・『個人の自由』」
 二 西尾幹二全集が今秋から刊行されるらしい。たぶん全巻購入するだろう。
 西尾『皇太子さまへのご忠言』以外はできるだけ西尾の本を購入していたが、西尾幹二『自由の恐怖―宗教から全体主義へ』(文藝春秋、1995)は今年になってから入手した。
 上の本のⅠの二つ目の論考(初出、諸君!1995年10月号)の中に、ほぼ7頁にわたって、樋口陽一批判があることに気づいた(既読だったとすれば、思い出した)。西尾は樋口陽一の『自由と国家』・『憲法』・『近代国民国家の憲法構造』を明記したうえで、以下のように批判している。ほとんど全く異論のないものだ。以下、要約的引用。
 ・「善かれ悪しかれ日本は西欧化されていて、国の基本をきめる憲法は…西欧産、というより西欧のなにかの模造品」だ。法学部学生は「西欧の法学を理想として学んだ教授に学んで、…日本人の生き方の西欧に照らしての不足や欠陥を今でもしきりに教えこまれている。……西欧人に比べて日本人の『個』はまだ不十分で…たち遅れている、といった三十年前に死滅したはずの進歩派の童話を繰り返し、繰り返しリフレインのように耳に注ぎこまれている」(p.70)。
 ・「例えば憲法学者樋口陽一氏にみられる…偏光レンズが『信教の自由』の憲法解釈…などに影響を及ぼすことなしとしないと予想し、私は憂慮する」(同上)。
 ・「樋口氏の文章は難解で読みにくく…符丁や隠語を散りばめた閉鎖的世界で、いくつかの未証明の独断のうえに成り立っている。それでも私は……など〔上記3著-秋月〕、氏の著作を理解しよう」とし、「いくつかの独断の存在に気がついた」(p.71)。
 ・「『日本はまだ市民革命が済んでいない』がその一つ」だ。樋口によると、「日本では『個人』がまだ十分に析出されていない」。「近代立憲主義を確立していくうえで、日本は『個人』の成立を阻むイエとか小家族とか会社とか…があって、今日でもまだ立ち遅れの著しい第一段階にある」。一方、「フランス革命が切り拓いたジャコバン主義的観念は『個人』の成立を妨げるあらゆる中間団体・共同体を否定して、個人と国家の二極のみから成る『ルソー=ジャコバン型』国家を生み出す基礎となった」。近代立憲主義の前提にはかかる「徹底した個人主義」があり、それを革命が示した点に「近代史における『フランスの典型性』」がある。―というようなことを大筋で述べているが、「もとよりこれも未証明の独断である。というより、マルクス主義の退潮以後すっかり信憑性を失った革命観の一つだと思う」(同上)。
 ・フランス本国で「ルソー=ジャコバン型」国家なる概念をどの程度フランス人が理想としているか、「私にははなはだ疑わしい」。「ジャコバン党は敬愛されていない。ロベスピエールの子孫の一族が一族の名を隠して生きたという国だ」。ロベスピエールはスターリンの「先駆」だとする歴史学説も「あると聞く」。それに「市民革命」経ずして「個人」析出不能だとすれば、「革命」を経た数カ国以外に永遠に「個人」が析出される国は出ないだろう。「樋口氏の期待するような革命は二度と起こらないからである」。「市民革命を夢みる時代は終わったのだ」(p.71-72)。
 ・樋口陽一の専門的議論に付き合うつもりはない。だが、「どんな専門的文章にも素人が読んで直覚的に分ることがある。氏の立論は…今述べた二、三の独断のうえに成り立っていて」、その前提を信頼しないで取り払ってしまえば、「立論全体が総崩れになるような性格のもの」だ(p.72)。
 ・樋口陽一「氏を支えているのは学問ではなく、フランス革命に対する単なる信仰である」(同上)。
 まだあるが、長くなったので、別の回に続ける。  

1009/国民主権=ナシオン主権と人民主権=プープル主権、高橋彦博著。

 高橋彦博・左翼知識人の理論責任(窓社、1993)の著者自身は<左翼>のようだ。だが、左翼内部での批判(とくに対日本共産党?)を含んでいるようで、興味がわく。
 この本のp.151以下の「『国民主権(人民主権)』論」によると、日本共産党の見解と見てよい新日本出版社刊行の『社会科学辞典』の中の「国民主権」の説明はつぎのように変化した、という。
 ①1967年版-「主権は資本家階級や大地主、独占資本家をふくむ国民全体にあるとされるが、事実上の権力は特権的支配層によってにぎられている」。
 ②1978年版-日本国憲法の国民主権規定は「不徹底な面をのこしている」が、「人民が主権を直接に行使するという意味の人民主権の実現の可能性を排除していない」。
 ③1989年版-「主権は国民にあるとされるが、国家権力は支配層によってにぎられている」。
 その後、④1992年版では、国民主権概念に対する「批判的視点が払拭」された、という。そして、人民主権は国民主権と同義とされ、日本共産党は「国民主権の戦前からの担い手」だったと主張されるに至っている、とされる。
 このような変化を、高橋は批判的に見ている。そして次のように書く。
 「国民主権をナシオン主権とし、人民主権をプープル主権として、両者の違いを強調する」のが「従来のマルクス主義憲法学の力点」で、この両者の峻別こ「戦術的護憲」論の「立脚点」があったはずではないか(p.155)。
 上の指摘自体もじつに興味深いのだが、国民主権=ナシオン主権と人民主権=プープル主権といえば、憲法学者・辻村みよ子(東北大学)がフランス憲法(思想)史に依拠しつつ日本国憲法における両者の採用の仕方に着目した研究をしていたことを思い出す。樋口陽一(前東京大学)や杉原泰雄(前一橋大学)もこの議論に加わっていたはずだ。

 ブルジョア民主主義憲法は「国民主権」で、「プロレタリアート独裁権力の樹立を目指す」(高橋上掲書p.153)のが「人民主権」論だとの基本的なところでは合致しつつ、日本国憲法がどの程度において(どの条項に)「人民主権=プープル主権」的要素を包含しているのかが、おそらく論争点だったのだろう(過去ではなく現在でも少しは議論されているのかもしれない)。
 辻村みよ子は七〇年代に上の区別に着目して研究を開始し、八〇年代末に著書としてまとめて刊行したが、それはソ連崩壊の直前だった。日本共産党との組織的関係は不明だが、せっかくの峻別も、上の高橋によると、政治党派(政治運動)レベルでは厳密には生かされていないようだ。

 それとともに感じるのは、辻村みよ子、樋口陽一、杉原泰雄のいずれも、現憲法解釈論には違いがあったかもしれないが、<人民主権=プープル主権>の方向に向かうべきだ、との実践的意欲をもっていたにもかかわらず、それを隠してきた、ということだ。高橋は「従来のマルクス主義憲法学」という表現を簡単に使っているが、辻村みよ子らは自分たちが「マルクス主義」に立つ「マルクス主義憲法学」者であることを、決して公言はしなかっただろう。
 ソ連崩壊=有力または最大の「社会主義」国家の解体の後に、辻村みよ子は「人民主権」ではなく(むろん「国民主権」ではない)「市民主権」ということを言い始め、男女共同参画やジェンダー・フリー(憲法学)へと表向きの関心を変えているようだ。

 こうした一人の(少なくとも従来の)マルクス主義者または「左翼」(学者・知識人)の動向は、中西輝政・強い日本をめざす道―世界の一極として立て(PHP、2011)p.150以下の、「粧いを新たにした」左翼の「見えない逆襲」に関する叙述に、完全に符合している。
 中西輝政のこの本には別の機会に言及する。なぜ、マルクス主義者を中核とする<左翼>は生き延び、日本の多数派を形成してしまっているのか?

0998/民主党・長妻昭の「無能」さと中川八洋による「子ども手当」批判。

 〇桝添要一は半年ほど前のテレビ番組で、長妻昭(民主党・前厚労大臣)を「無能です」と一口で切って捨てていた。

 長妻昭が大臣時代に、年金切替忘れの専業主婦を「救済」する方針が決定され、課長「通達(通知)」でもって今年から実施された。

 近日において、民主党内閣(細川厚労大臣)はこれを「違法」ではないが「不適切」だったとし、当該課長を官房付に「更迭」したと伝えられる。

 長妻昭は課長「通達」で済ますことの問題性を何ら認識していなかったようだ。ほとんど誰もその点を問題にしなかった旨を他人事のように述べていた。当該課長が「更迭」されるという<行政>的責任をとったとすれば、大臣だった長妻はどう<政治的>責任をとるつもりか?

 日本経済新聞の政治・行政担当の記者の経験もあるらしい長妻昭は、やはり「無能」なのではないか。かつて政治・行政担当の新聞記者であっても、法律によるべきかかそれとも「通達」によってもよいか、という問題意識すらなかったようなのだから、行政担当の政治家としては「無能」と断言してよい。長妻に期待を寄せていた者もいるのだろうが、そのような人々も「無能」なのだろう。かつての新聞記者というのはこの程度だ(という者も多い)、ということもよく分かる。
 「違法」か「不適切」かはじつは重大な違いがある。特定範囲の在日外国人に対しても日本国民(国籍保持者)と同様の生活保護措置が執られることは、関係公務員(自治体も当然に含む)なら誰でも知っているだろうが、自民党内閣時代からの、古い、<生活保護法を……に準用する>旨の一片の「通達(通知)」にもとづいているにすぎない。このような例も含めて、国会では、法律によるべきかかそれとも「通達」によってもよいかを論議してほしいものだ。

 〇上の「救済」策は、忘却した直接の当事者に対しては、一種の「バラまき」にあたる。

 民主党は少子化対策とか景気浮揚の経済政策とか言っているようだが、<子ども手当>施策には「バラまき」との批判も強い。

 だが、「バラまき」福祉という批判だけではこの施策の本質を見抜いていない、という重要な指摘を中川八洋はしている(中川に限らないだろうが、ここでは中川の文章をとり挙げる)。中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)によると、以下のとおり。

 ・「子ども手当」等の「子育て」支援はマルクス=エンゲルス『共産党宣言』(1848)を教典とするカルト信仰からの思いつきで、「日本人から家族をとりあげ『家族のない社会』に改造する」ためのステップだ。共産党宣言にはこうある-「家族の廃止!……我々は両親の小児に対する搾取を廃止しようとする。〔親による教育の禁止は〕……〔子どもの〕教育を支配階級の影響からひき離すにすぎない」(p.14)。

 ・「子育て支援」とは<国家こそが子育ての主体>、<親は産んだ瞬間に役割を終える>等の狂気のイデオロギーによる共産党の造語だ。かかる施策が立法・行政に闖入したのは「自由社会では日本のたった一カ国」。類似の政策は①レーニンによる家族解体の狂策(但し1936年頃廃止)、②金日成・北朝鮮の「子供の国家管理」の制度化(p.16)。

 ・「子育て支援」施策の異様さは「扶養控除」の廃止と連結していることで分かる。「扶養控除」は<親が子供を育てる>を大前提として、親に対して国家が減税により若干の協力をしようとするもの。一方の「子育て支援」思想は「家族=孤児院」とするイデオロギーだ。子供=孤児、親=孤児院の経営者に見立てている(p.17)。

 ・「子育て支援」の狂気は、ルソー(重度精神分裂症者・孤児)の『人間不平等起源論』・『エミール』を教典とし、それを盗作的に要約したマルクスら『共産党宣言』にもとづき、レーニンが実行したおぞましい歴史を21世紀の日本で再現しようとするもの。民主党のマニフェストの「子ども手当」の背後思想は日本共産党により大量出版された「子育て支援」文献を援用しており、民主党は「共産党のクローン」になっている(p.17-18)。

 まだまだ続くが、ここで止めておく。

 民主党の元来の「子ども手当」の思想は<所得制限>といったものに馴染まない(だからこそ結果としては一貫して所得制限は導入されていない)。両親の収入の多寡に応じた「社会福祉」という国家の<援助>とは異なる。「国家」こそが「子育て」の主体(子どもを家族・両親から早期に切り離す)というイデオロギーに支えられたワン・ステップ(一里塚)と位置づけられている、と考えられる。中川八洋の指摘は決して大げさなものとは思えない。

0996/池田信夫・ハイエク-知識社会の自由主義(PHP新書、2008)ほか。

 〇「はじめに」・「はしがき」類だけを読んで読み終わった気になってはいけないのだが、池田信夫・ハイエク-知識社会の自由主義(PHP新書、2008)の「はじめに」にはこうある。

 ハイエクは生涯を通じて、社会主義・新古典派経済学に共通の前提(「合理主義」と「完全な知識」)を攻撃しつづけた。それゆえにハイエクは主流派経済学から「徹底して無視」され、「進歩的知識人」から「反共」・「保守反動」の代名詞として嘲笑されてきた。しかし、死後一五年以上経って、経済学は彼を「再発見」し始めている。……
 ハイエクに関する書物はけっこうたくさん持っていて、全集の一部も所持している。日本の憲法学者のうちでおそらくただ一人「ハイエキアン」と自称する阪本昌成の本を読んだこともある。

 この池田の文章も読んで、あらためてハイエクをしっかりと読んで、その「自由」主義(リベラリズム)・「反共」主義を自らのものにもしたいような気がする。

 池田信夫は、経済学部出身で「文学畑」とは異なる。NHK15年という経歴が玉に傷だが、大学生時代にNHKの本質や現在のヒドさを認識・予想せよというというのも無理で、知識人または評論家としては(つまりは政治的戦略等々に長けた文筆家としてではなく)相対的に信頼が措けそうな気がする。
 〇先日、井沢元彦・逆説の日本史17/江戸成熟編(小学館、2011)を購入、少しは読む。このシリーズは単行本ですべて買い、読んでおり、その他の井沢元彦の本もかなり読んでいる。<隠れ井沢元彦ファン>だ。

 〇だいぶ前に、小田中聡樹・希望としての憲法(花伝社、2004)と同じ著者の裁判員制度批判の本を購入し、少しだけ読む。
 日本共産党員とほぼ見られる刑事法学者(元東北大学)で、「左翼」性のあからさまで単純・幼稚な護憲(九条護持)論と裁判員制度論についてこの欄で論及しようと思っていたが、果たしていない。

0989/「リベラル=寛容=容共」という日本独特?の用法。

 〇欧米を旅していて感じることの一つは、日本ほどに<共産主義>勢力が強くない、ということだ。そのことで、日本にいるときとは違う安堵感、少なくともその点にかぎってはよりまともな環境の中にいるという感覚を味わえる。

 米国、英国、ドイツには共産党または「共産主義者」政党はない(確認しないがカナダ等々にも)。イタリアにはあったが党名変更し、実質も変わった。フランス共産党はかつて社会党とともにミッテラン大統領を誕生させた時代のような力をもたない(当時は、かかる社共共闘を日本の目標だと感じる者もいた)。世界でレーニン型組織原理をもつ共産党で残存しているのは、現存社会主義国家の共産党(労働党等)を除けば、日本とポルトガルだけだと言われている。

 いかに当面の目標は「民主主義」革命、「民主主義」の徹底であってもその先に明確に「社会主義(・共産主義)」を目指すことを謳う政党(日本共産党)が日本にあり、選挙で数百万の票を獲得して国会にも議席を有することは、<欧米基準>からするときわめて異常、異例であることを、日本人はどれほど知っているのだろうか。漠然とした意味であれ<欧米>をモデルにしたい人々は、皮肉っぽくいえば、(日本)共産党の廃絶も目指すべき方向の一つであることを自覚すべきだろう。

 歴史通3月号(ワック)の森口朗=桜井裕子「日教組をゾンビにした真犯人」(p.87-)での森口朗の諸発言は、全面的に賛同・納得はしないが、鋭い指摘を多く含んでいる。以下のような発言だ。

 ・(自民党は「日本型リベラル」だが)民主党・社民党・共産党は「もっと左」で、「座標軸がひどく左に偏っている」。民主党より「左」は、「世界標準からするとすでに破綻したものを信奉している」(p.93)。
 ・自民党よりもっと「右」の<保守政党>があり、それとリベラルな自民党による「二大政党」ならば世界標準に近い。

 ・日本に「共産主義」幻想がまだ残るのは、支える「利権」があるからだ。「知的といわれる学界やメディアが守旧化しているからだ」。「共産主義の間違い」を研究すれば「存在すら」できなくなる(p.94)。

 ・一方、残存する「共産主義」者・容共主義者は対外的に「共産主義者」だと公言できないので「共産主義に極めて寛容なリベラリズムを標榜せざるを得ない」。「共産主義に寛容であることがリベラルだ」という「日本独特のスタンス」が生じている(p.94)。

 この程度にしておく。現在の自民党=「リベラル」論には、「リベラル」の意味も含めて同感しているわけではない。

 「リベラル」には、米国流の主に「社会民主主義」志向という(米国民主党に近い)意味と、「自由主義」志向を強調する欧州的な意味があるともいわれる。英・独だと保守党やキリスト教民主同盟(CDU)の方が労働党や社民党よりも「リベラル」だということになるらしい。

 それはともかく、日本にはアメリカ流「リベラル」概念を輸入し、かつそれに<寛容>(思想の左右にこだわらない)という意味を与える傾向が強いように思われることはたしかだ。そして、自分は「リベラル」だということに誇りを持っているアカデミカー(学者・研究者)やマスメディア人(出版人・編集者を含む)も多いはずだが、その場合の「寛容」は「共産主義」・共産党に対しても「寛容」であること、つまりは結果としては<容共>になっていることを、自覚しておくべきだ。また、周囲の者は、「リベラル」を良い意味で使いたがる人々は「共産主義」者か「容共主義」者であることをきちんと見抜く必要があるだろう。森口の「共産主義に寛容であることがリベラルだ」という「日本独特のスタンス」がある、という指摘はまさにそのとおりだと感じる。

 何度か自己確認したように、読書備忘録という基本的スタンスで、まだしばらくは続けてみよう。

 西尾幹二・西尾幹二のブログ論壇(総和社、2010)を今月に入ってかなり読んだ。渡部昇一・知的余生の方法(新潮新書、2010)は先日に夜と翌朝で全読了。いずれもコメントしたいことはあるが、ここに記入する時間的余裕がない。但し、前者にだけは、いつか言及したい。佐伯啓思、中川八洋の本についての言及が中途であることは意識している。

0986/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」を読む③。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋-その3、p.359~p.365-。
 ・「民族系」論者には「自由社会の存立」に必要な「反共」・「反社会主義」の知識が全く欠落している。「民族系」は南京事件・沖縄集団自決・従軍慰安婦強制連行・百人斬りなど、「左翼」の歴史捏造問題には反撃論陣を張る。これは正しいが、石井731部隊人体実験・シナでの毒ガス作戦などの他の歴史捏造には口を噤む。
 ・「民族系」には歴史の「真実」への関心がない。彼らは観客相手の「売文業者」で、観客のいない問題には関心がなく、知識もない。「観客」とは「旧軍の将兵(退役軍人)たち」だ。「民族系」論者の東京裁判批判は「意味不明な論旨」で、東京裁判史観の拡大宣伝をする日本共産党系学者の「狂説」を目に入れていない。「観客」=退役軍人たちは南京事件・従軍慰安婦等の問題は体験からすぐ分かるので、これらの捏造を糾弾すればすぐに反応がある。「民族系」論者は「花代」欲しさに、捏造歴史問題を一部に限定して声を大にしている。①ソ連軍の蛮行(満州でのレイプ・殺人・財産奪取)、②シベリア拉致日本人の悲惨さ、③南方作戦(餓死から奇跡的な一部が生還)には「何一つ語ろうとはしない」。その理由は、これらの被害はあまりに悲惨で「観客」が思い出したくない、つまり「民族系」の「金にならない」からだ。

 ・「民族系」は「保守主義者」ではなく「保守」か否かも疑問だ。「真正保守」ならば、反「極左イデオロギー」闘争を優先し、「国家の永続」を最重視する。「保守」は昭和天皇や吉田茂のように必ず「親米」だ。「反米」は「左翼」・「極左」の特性で、「日の丸」・「天皇」を戴くだけで彼らを「保守」と見なすのは不正確で「危険」だ。「真正保守」の再建には、彼等を「再教育」して「一部を選別するほかない」。

 ・「民族系」は過去20年間、「第二共産党」・民主党の政権奪取に貢献してきた。彼らは日本の国を挙げての「左傾化」を阻止しようとはせず、助長した。「民族系」は、「ソ連の脅威の一時的な凍結」を好機として、「反米→大東亜戦争美化論→東京裁判批判→A級戦犯靖国合祀の無謬」を「絶叫する狂愚」に酔い痴れてきた。「大東亜戦争美化論」は日本廃絶論・日本「亡国」待望論で、林房雄、保田與重郎・福田和也の系譜だ。
 ・民主党は「国家解体」に直結する「地方分権」、民族消滅に直結する「日本女性の売春婦化である性道徳の破壊」など、「日本滅亡の革命を嫡流的に後継する政党」だ。だが、「民族系」は、民主党が支持される「土壌づくり」に協力した。
 ・「民族系」が「正気に目覚める」のは「外国人参政権」と「夫婦別姓」の二つに限られ、これ以外では無知で無気力だ。「深刻な出生率低下をさらに低下させる法制度や日本の経済発展を阻む諸制度」に反対せず、関心もない。「財政破綻状態にも、日本人の能力の深刻な劣化問題にも」憂慮しない。「民族系」論客・団体の「知的水準」は低く、民主党批判を展開する「学的教養を完全に欠如」する。
 ・だが、「あきらめるのは、まだ早い」。「十八世紀のバークやハミルトン、二十世紀のレプケやハイエクなど、多くの碩学から」学んで、「日本国の永続」方策を探り、「悠久の日本」のための「国民の義務」に生きる道を「歩み続けるしかない」。

 以上で、終わり。

 若干のコメントは次に回したい。

0985/「民主主義」と「自由」の関係についての続き②。

 〇既に言及・紹介したのだったが、いずれも東京大学の教授だった宮沢俊義や横田喜三郎は、戦後当初の1950年代初めに、「自由」も「平等」も「民主主義」から、または「民主主義」と関連させて説明するような叙述をしていた。

 反復になるが、ある程度を再引用する。
 宮沢俊義(深瀬忠一補訂)・新版補訂憲法入門(勁草書房、1950年第1版、1954年改訂版、1973年新版)は結論的にこう書く。

 ・「自由主義も民主主義も、その狙いは同じ」。「いずれも一人一人の人間すべての価値の根底であるという立場に立って、できるだけ各個人の自由と幸福を確保することを理想とする主義」だ。

 これでは両者の差異がまるで分からないが、その前にはこうある。以下のごとく、「自由」保障のために「民主主義」が必要だ、と説明している。

 ・「自由主義」とは「個人の尊厳をみとめ、できるだけ各個人の自由、独立を尊重しようとする主義」あるいは「特に国家の権力が不当に個人の自由を侵すことを抑えようとする主義」のことだが、国家権力による個人の自由の不当な侵害を防止するには、「権力分立主義」のほか、「すべての国民みずからが直接または間接に、国の政治に参加すること」、「国家の権力が直接または間接に、国民の意思にもとづいて運用されること」が必要だ。このように国家が「運用されなければならないという原理」を、「特に、民主主義」という。
 横田喜三郎・民主主義の広い理解のために(河出書房・市民文庫、1951第一版)は、こう書いていた。

 ・「民主主義」とは、「社会的な」面では「すべての人に平等な機会を与え、平等なものとして扱う社会制度を、すべての人に広い言論や思想の自由を認める社会組織を」意味し、「政治的な」分野では、「人民主権」や「人民参政」の政治形態を意味する。もっとも、「人民主権」・「人民参政」は「結局においては、すべての人が平等だという思想」にもとづく。

 ここでは、上の宮沢俊義の叙述以上に、平等・自由・民主主義は(循環論証のごとく)分かち難く結びつけられている(こんな幼稚な?ことを書いていた横田喜三郎は、のちに最高裁判所長官になった)。

 今日までの社会科系教科書がどのように叙述しているかの確認・検討はしないが、日本において、「民主主義」は必ずしも正確または厳密には理解されないで、何らかの「よい価値」を含むようなイメージで使われてきたきらいがあると思われる。一流の(?)<保守派>(とされる)評論家にもそれは表れているわけだ。

 〇何回か(原注も含めて)言及・紹介したハイエクの「民主主義」・「自由主義」に関する叙述は、ハイエク・自由の条件(1960)の第一部・自由の価値の第7章「多数決の原則」の「1.自由主義と民主主義」、「2.民主主義は手段であって目的ではない」の中にある。

 これらに続くのは「3.人民主権」だ。

 余滴として記しておくが、この部分は、「教条的な民主主義者にとって決定的な概念は人民主権の概念」だと述べつつ(p.107)、「教条的民主主義者」の議論を批判している。

 ハイエクによると、例えば、この「人民主権」論によって、民主主義は「新しい恣意的権力を正当化するものになる」(p.107)、「もはや権力は人民の手中にあるのだからこれ以上その権力を制限する必要はない」と主張しはじめたときに「民主主義は煽動主義に堕落する」(p.151)。

 このような叙述は、原注には関係文献は示されていないが、フランス革命時の、辻村みよ子が今日でも選好する「プープル(人民)主権」論や、現実に生じていた<社会主義>国における(つまりレーニンらの)「民主主義」論を批判していると理解することが十分に可能だ。

 また、菅直人が言ったらしい言葉として伝えられている、<いったん議会でもって首相が選任されれば、(多数国民を「民主主義」的に代表する)議会の存続中は首相(→内閣)の<独裁>が保障される>という趣旨の<議院内閣制>の理解をも批判していることになるだろう(菅直人の「民主主義」理解については典拠も明確にしていつか言及したい)。

 ところで、横田喜三郎の書を紹介した上のエントリー(2009年)は、長尾龍一・憲法問題入門(ちくま新書、1997)のp.39~p.41の、こんな文章を紹介していた。

 ・民主主義=正義、非民主制=悪となったのは一九世紀以降の「価値観」で、そうすると「民主主義」というスローガンの奪い合いになる。この混乱を、(とくにロシア革命後の)マルクス主義は助長した。マルクス主義によれば、「封建的・ブルジョア的」意識をもつ民衆の教育・支配・強制が「真の民主主義」だ。未来世代の幸福のための、現在世代を犠牲にする「支配」だ。しかし、「未来社会」が「幻想」ならば、その支配は「幻想を信じる狂信者」による「抑圧」であり、これが「人民民主主義」と称されたものの「正体」だ。
 ・民主主義が「民衆による支配」(demo-cratia)だとすると、「支配」からの自由と対立する。「民衆」が全てを決定すると「自由な余地」はなくなる。レーニンやムッソリーニは、「民衆代表」と称する者による「徹底的な自由抑圧」を「徹底した民主主義」として正当化した。
 反復(再録)になったが、なかなか鋭い指摘ではないか。

 以上で、「民主主義」と「自由」の関係についての論及は終わり。

0982/中川八洋・民主党大不況(2010)の「附記」を読む②。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.351-「附記/たった一人の(日本人)保守主義者として」の引用・抜粋-その2-。
 ・日本には「保守主義の知識人」が「ほとんど存在しない」。明治期には井上毅がおり、武士階級の子弟が「家」制度の存在とともに結果として日本を「保守主義」で導いたが、1910年以降、①「ルソー系の平等思想」と②「マルクス主義」が台頭し、1917年以降、「マルクス・レーニン主義」が燃えさかった。この火は大東亜戦争を生み、戦後日本を決定づけ、いまは日本全体に浸透し日本人を「洗脳」している。
 ・「保守」は戦後の新語で、社会党・共産党ら「革新」に対する「親米/日米同盟支持」勢力を指し、もともと「思想やイデオロギーが弱く、ほとんど無い」。英米の、バーク、ワシントン、ハミルトンらの「保守主義」は「全体主義とアナーキズムの極左思想」の排撃を目的とする「人類史に燦然と輝く最高級の知で武装された戦闘的イデオロギー」だ。

 ・「ないよりまし」だった「日本の保守」すら、1991年末のソ連崩壊によって「壊滅的に瀕死」の状態になった。「革新」に対する「保守」はもはや不要だと、自ら棄てる、「愚昧な選択」をした。私(中川八洋)はソ連崩壊により「国防の軽視ばかりか、コミュニズムが日本の隅々まで浸透し支配する」と予見したが、それは「完全な正確さで」的中した。
 ・予見した日本の「新型コミュニズム革命」は、想像をはるかに超えて大掛かりとなり、翌1992年に本格化した。「政治改革」キャンペーンは「新型共産主義革命」のための「新体制」づくりだった。「民族系論者」にも<反「政治改革」>を協力要請したが、「だれ一人として」相手にしてくれなかった。彼らは、翌年の1993年政変=細川政権誕生の意味を理解できず、「極左イデオロギー」は「変幻自在に衣装を変え色を変え信仰され続」いて「永遠に死滅しない」ことも知らない。(以上、p.351-355)

 ・1994年1月の選挙区制の改悪と同時に「極左イデオロギー一色の新型共産革命」が列島全体を覆った。1990年代半ばの「夫婦別姓」運動の盛り上がりはその一つ。1999年には、男女共同参画基本法という「伝統と慣習を破壊するマルクス・レーニン主義」そのものの「日本共産革命法」が制定された。その他、①ブルセラ/援助交際の奨励による道徳破壊、②フェミニズムやジェンダー・フリーによる日本男性の「夢遊病患者」化と日本女性の「動物」化という「人格改造革命」、③ポスト・コロニアリズムによる国家解体、等々の「大規模で組織的な」革命が日本を襲っていることを自覚する知識人は「ほとんどいなかった」。「正しい保守」は「日本から完全に消えた」。自民党の民族系国会議員は「新型共産革命」を傍観するばかりか「積極的に協力した」。日本の「民族系政治家の無教養ぶり」は「教育不可能な絶望のレベル」だ(p.356)。

 ・1960代までの日本の「保守」には吉田茂などの「保守主義」の匂いが残存した。バークやハミルトンが検閲されて「焚書」状態の中で、ベルジャーエフとクリストファ・ドウソンが「真正保守」を代用していた。
 ・「日本の保守」=「反共」人士は、1970年代に入ってから「激減」した。偶然にか、この劣化・消滅は核武装支持者の大衰退の傾向と合致する。核拡散防止条約加盟・批准(1970.02、1976.06)を境に、日本の核武装支持者は急激に下向した。上の加盟と批准の間に、1972.09の日中国交回復があった。これこそは、日本から「反共」を撲滅する「劇薬的な除染液」となった。「反・中共」路線が、「保守」であるべき自民党政権によって行われたことは、ブーメラン的に日本の「反共=真正保守」を撃破した。
 ・「反共」の文藝春秋社社長・池島信平が月刊誌・諸君!を創刊したのが「保守」衰退開始の1969年だったのは皮肉だ。諸君!は21世紀に入ると、「保守つぶし」の一翼を担った。諸君!は1990年代には「反米(隠れ親ソ)・アジア主義」の「民族系論客」や「反米一辺倒(極左)アナーキスト」を主執筆者に据えたため、「保守=民族系」との「大錯覚」が読者「保守」層に蔓延し、「保守偽装の極左=保守」という狂気の「逆立ち錯誤」すら90年代後半以降広く蔓延した。

 ・「民族系」は「反米(隠れ親ソ)・アジア主義」という「左翼思想」を基盤とするもので、「反共」の「真正保守」とは根源的に対立する。彼らは、日本国内でのコミュニズムの浸透・偽装・変身を見抜けない。たまには「左翼批判ごっこ」はするが、「左翼イデオロギー」に関する知識欠如のために「左翼運動や左翼言説」に「致命傷」を与えず、「必ず不毛に終わる」。(以上、p.357-359)
 まだ中途。余裕があれば、なお続ける。

0980/自民党は「民族系・容共ナショナリズム」-中川八洋・民主党大不況(2010)から③。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)p.300以下の適宜の紹介。逐一のコメントは省く。

 ・細川・村山「左翼」政権は二年半にすぎず、自民党が「保守への回帰」をしておけば「自由社会・日本」の正常路線に戻ることは可能だった。だが、自民党は村山「左翼」路線を継承し、「日本の左傾化・左翼化」は不可逆点を超えた。2009年8月の自民党転落(民主党政権誕生)は、自民党が主導した「日本国民の左傾化」による、同党を支える「保守基盤」の溶解による。「マスメディアの煽動や情報操作も大きい」が、橋本以降の自民党政権自体こそが決定的だった(p.300-1)
 ・自民党内の「真・保守政策研究会」(2007.12設立)には①~⑦〔前回のこの欄に紹介〕の知識がない。①の「マルクス・レーニン主義」すら「非マルクス用語に転換」しているので、知識がなければ見抜けず、民主党が「革命イデオロギーの革命政党」であることの認識すらない(p.312)。
 ・彼ら(同上)が理解できるのは、①外国人参政権、②人権保護法、③夫婦別姓がやっとで、1.①「男女共同参画社会」、②「少子化社会対策」、③「次世代育成」、④「子育て支援」が共産主義(「共産党」)用語であることを知らない。2.「貧困」・「派遣村」キャンペーンの自民党つぶしの「革命」運動性を理解できず、3.過剰なCO2削減規制が、日本の大企業つぶし・その「国有化」狙いであることも理解できず、4.「地方分権」が「日本解体・日本廃絶の革命運動」であることも理解できない(p.312-3)。

 ・彼ら、「民族系自民党議員」は正確には「容共ナショナリスト」で、チャーチル、レーガンらの「反共愛国者」・「保守主義者」とは「一五〇度ほど相違」する。自民党が英国のサッチャー保守党のごとき「真正の保守政党になる日は決してこない」。それは自民党ではなく「日本の悲劇」だ(p.313)。

 今回は以上。西部邁の言葉を借りれば、日本について「ほとんど絶望的になる」。

 中川八洋によれば、安倍晋三の「極左係数」は「98%」で(p.295)、明言はないが、平沼赳夫も「真正保守」ではなく「民族系」に分類されるはずだ。安倍晋三についての評価は厳しすぎるように感じるが、平沼赳夫の-そして「たちあがれ日本」の-主張・見解がけっこう<リベラル>で、<反共>が鮮明でないことを、最近に若干の文献を読んで感じてもいる。

 ナショナリズム(あるいは「ナショナル」なものの強調)だけでは「保守」とは言えない。反共産主義(=反コミュニズム)こそが「保守」主義の神髄であり、第一の基軸だ、という点では中川八洋に共感する。
 さらに、機会をみて、中川八洋の本の紹介等は、続ける。

0979/「透明な共産主義」の蔓延-中川八洋・民主党大不況(2010)による②。

 中川八洋・民主党大不況(清流出版、2010)は1週間ほど前に全読了。
 第八章の自民党批判(または批判的分析)の中の同党や同党幹部の「極左」扱いにはさすがに首を傾げる。櫻井よしこの「谷垣自民党」と民主党の「同根同類」論または<同質性が高い>論をはるかに超えて、自民党を「リベラル」以上に「左翼」政党視している。だが、同質論を強調しているわけではなく、中川によると、民主党はすっぽり全体が<極左>そのものなのだろう。

 中川八洋によると、「保守主義」とは「全体主義とアナーキズムの極左思想を祖国から排除すべく、剣を抜く戦闘的イデオロギー」だ(p.308)。あるいはまた、具体的には「反マルクス・レーニン主義」・「反ルーマン(社会学)」・「反フェミニズム」・「反ポスト・モダン主義」・「反ポスト・コロニアリズム」だ(p.311)。

 中川の論調にはついて行けないところがあるとはいえ、かかる反共主義・反コミュニズムという立場の鮮明さが、中国やアメリカとの関係での<ナショナリズム>の強調をむしろ主眼としているように読めなくはない<保守派>論者たちと比較しての中川の特長だ。その点は、「共産革命の脅威は、ソ連崩壊とともに日本から消えた」(p.304)と錯覚して、その旨を主張し、誤った幻想をふり撒いているかにも見える論者たちよりも明確に支持されるべきだ。

 中川が言うように、「日本の共産革命勢力」は、ソ連崩壊の頃(1991年末)より、「言葉を変え、まとう衣装を変え、従来のマクロな革命手法を、ミクロ的作戦を多く乱立させる戦術に変えた」のだろうと思われる。中川はこれを「透明な共産主義」と称している(p.304)

 日本共産党の国会獲得議席はたしかに減少し続けている(ついでに社民党もそうだ)。しかし、そのことをもって、「左翼」は弱体化していると見るのは大間違いだ。コミュニズム、マルクス主義あるいは「左翼」は、民主党等に影響を与え、あるいは浸透しているのであり(自民党もその影響の例外ではない)、戦後日本の主流的思潮の<平和と民主主義・合理主義・進歩主義>の中で、執拗かつ強靱にコミュニズム、マルクス主義(共産主義・社会主義)イデオロギーが根を張っている、ということを知っておく必要がある。その点でも、やや大げさに感じなくはなくとも、中川八洋の指摘・主張は基本的には正当と思われ、耳を傾けるべきだ。

 中川は、1992年以降の「共産革命の戦術」を大きく四つに分け、それぞれの具体的政策も挙げている。以下のとおり(p.304-6)。これらは「日本共産党」系のものとされ、他に大きくは二つあるが、今回は省略。

 A・マルクス/エンゲルス/レーニンの家族解体を実践する革命>①夫婦別姓→民法改悪・②子育て支援→少子化対策基本法・次世代育成支援対策推進法・子ども手当の支給・保育園の聖性化など。
 B・子どもの人格を「共産主義的な人間」に改造する革命>①ジェンダー・フリー教育・②性教育。

 C・共産革命にとって最大の障害である日本の伝統と慣習を全面的に破壊する革命>①男女共同参画社会基本法・②女系天皇への皇室典範の改悪。

 D・自由社会の生命で根幹たる「法の支配」を破壊する革命>①裁判員法〔ここは①のみ〕。

 また、中川八洋は、「主要な極左イデオロギー」に次の七つがあるとし、すべてに対して思想闘争をするのが「保守主義」だとする。心ある<保守派>は、けっして次の①のみではないことをしっかりと意識しておく必要がある、と考えられる。なお、→は分化または派生関係を示している。

 ①マルクス・レーニン主義→②ラディカル・フェミニズム、①→③性差破壊のフェミニズム、①→④フランクフルト学派社会学+知識社会学+ルーマン、①→⑤ポスト・モダン思想、⑤→⑥生殖放棄のセックス・サイボーグ化フェミニズム、⑤→⑦ポスト・コロニアリズム
 別の機会に、あらためて、このあたりについては紹介・言及する。
 不思議に思うのは、中川八洋が自らを「たった一人の(日本人)保守主義者」と理解している(p.351~)ことの当否は別としても、産経新聞や月刊正論、月刊WiLL等々の書評欄または新刊書紹介欄等で、中川八洋の本はほとんど無視されているように思われることだ。かりに中川八洋に論考執筆を求めることはしなくとも、この人の本(他にもある)を紹介し、書評くらいしたらどうなのか。

 なるほど、産経新聞やワックの基本的な論調とは異なるところはあるのだろう。しかし、産経新聞的(?)保守、あるいは中川のいう「民族系」論者に対する中川の批判を無視することなく、疑問だと思えばきちんと反論したらどうなのだろうか。

 中川の本からは、間接的に<保守>論壇の奇妙なところも感じさせられる。<保守>論壇が、そこそこの収益をもたらす、自己満足の<売文業界>に堕してはならないだろう。

0952/「左翼・容共」政権とブレジンスキー・大いなる失敗(1989)。

 一 1989年、昭和から平成に代わったこの年の11月、ベルリンの壁の崩壊。だが、この時点ではまだ、ドイツ民主共和国(東ドイツ)もソビエト連邦も残存していた。なお、6月に中国・北京で天安門事件発生。ハンガリーとチェコスロバキアの「自由」化だけは、10月~11月に進んでいる(後者がいわゆる「ビロード革命」)。

 この頃、10月に、ブレジンスキー(伊藤憲一訳)・大いなる失敗―20世紀における共産主義の誕生と終焉(飛鳥新社)は刊行されている。

 6月に書かれた日本語版への序文の中でブレジンスキーは、近い将来の「共産主義の死滅」を前提としつつ、<死滅の仕方>を問題にして、東欧と中国では異なるだろう等と述べる。そして、こう結んでいる-「共産主義が…どのような衰退の道をたどるとしても、われわれの時代の基本的な性格は『人類の政治史上における脱共産主義の段階への入り口にさしかかった時代』と定義することができるだろう」(p.5-7)。

 伊藤憲一の「訳者あとがき」はこの本を読まずして「二〇世紀の回顧や二一世紀の予測」はできないとしつつ、ブレジンスキーの叙述の「結論」をこうまとめている。

 「二〇世紀を語ることは、同時に共産主義を語ることでもある」。「二〇世紀は、共産主義の誕生と死滅を目撃した世紀だから」。「二〇世紀はロシア革命に始まる共産主義の挑戦を受けて始まり」「一時はとくに知識人の間で」資本主義に対する優位も語られた。しかし、「後半に入るとともに次第に共産主義の衰退があらわとなり、いまや世紀末を迎え人類はその最終的死滅を目撃しつつある」(p.360)。

 伊藤によれば、ブレジンスキーは共産主義が「たんなる政治理論」ではなく「偉大な宗教にも匹敵する人間にとっての万能薬」で、「人間の感情と理性の双方に働きかける怪物」だったことを「説き明かし」た、という(p.361)。

 別の機会にそのあとの中間の叙述は紹介するとして、伊藤は最後を、次のようにまとめている。

 ブレジンスキーは「二〇世紀、人類は共産主義と遭遇し、大きな被害を受け」、「非常に重要な教訓」を学んだとしたが、「日本人」はこの教訓を「わがものに…できるのだろうか」。1989年参議院選挙で自民党大敗と社会党躍進があったが「体制選択というマクロな争点」から目を逸らしてはいけない。このことは「とくに社会党のなかに…マルクス・レーニン主義の信奉者が強力な勢力を温存している」ので、「とくに重要」だ。「体制選択をめぐって、不勉強かつ不毛な議論―世界の常識からかけ離れた時代遅れの議論―を繰り返さないためにも」、最低限度ブレジンスキーのこの本の指摘程度のことは「国民共有の知識としておきたい」。この本の内容は、「いまや人類共有の…体制比較の常識論」だからだ(p.365-6)。

 二 さて、「社会党」の中に20年前にいた「マルクス・レーニン主義の信奉者」またはその継承者のかなりの部分は、現在は民主党の主流派(内閣内の重要部分)を形成している。

 このことは、上の伊藤の言葉によれば<体制選択>にかかわる重要な事実だ。

 菅直人個人や谷垣禎一個人の「思想」あるいは考え方に焦点をあてて、民主党政権と自民党は「同根同類」だなどとする櫻井よしこら一部保守派の議論は、基本的・本質的な問題・争点の把握ができていない。現在の民主党政権は基本的には<左翼・容共>政権だ。米国クリントン国務長官が日本の現首相・内閣よりも、韓国の(保守派)李明博政権に親近感をもって(?)、日本よりも先に韓国の名前を挙げたらしいのは、もっともだと思える。

 民主党が昨年の総選挙で大勝した大きな理由は、その<左翼・容共>性「隠し」に成功したことにあるだろう。なるほど現在の民主党全体をかつての日本社会党と同一視することはできない。しかし、明らかな<左翼・容共>主義者を重要閣僚として取り込んでいるのが民主党内閣であり、そのことは<安保・防衛>にかかわる具体的問題が発生するや、ほとんど白日の下に曝されてしまった。

 菅直人政権と谷垣自民党はその「リベラル」性で「同根同類」? 馬鹿なことを言ってはいけない。歴史的に見ても、「リベラル」(日本的・アメリカ的にいう「リベラリズム」)の中に巧妙に隠れてきたマルクス主義あるいはコミュニズムの怖さをあらためて思い起こす必要がある。

 伊藤憲一によれば、「単純な人々も教養ある人々」も共産主義「思想」を受け入れて、「歴史的な方向感覚と道徳的な正当性を与えられ、自己の正しさを疑うことなく、このドクトリンの指示に貢献した」。したがって、マルクス主義の「理論的誤謬を科学的に批判しても…共産主義者に動揺を与えることはできなかった」、「特定の宗教の教理の誤りや矛盾をいかに指摘してみたところでその信者がまったく動揺しないように」(上掲書p.362)。

 いくら具体的事項・問題について詳細に批判したところで、かつその批判は正当なものだったとしても、本来のマルクス主義者(社会主義者あるいは強固な「社会主義幻想」保持者)は、基本的なところでは決して<改心>などはしない、ということは肝に銘じておく必要がある。

 民主党内の何人かの氏名と顔が浮かぶ。それにまた、「共産主義」を綱領に今なお掲げる政党(日本共産党)が堂々と存在している日本とは、「人類共有」であるべき「体制比較の常識論」からしてもまったくの異常・異様な国家であることもあらためて強く感じる。この異様さへの嫌悪に耐えて、あと少しは生きてはいくだろう、自分は日本人だから。

0951/日本の社会系学者・研究者を覆う「欧米的進歩主義(・合理主義)」・「社会主義幻想」。

 一 隔月刊の歴史通1月号(ワック)で、北村稔(立命大)がこう発言している。

 「不思議なのは、中国近現代の研究者の多くが、中国を批判的に研究しようとしないこと…。社会主義の中国が好きで中国研究者になったものだから、なんでも好意的に解釈をするし、いまだに社会主義は資本主義より一段高いと思い込んでいるふしがある。そういう社会主義幻想にとり憑かれたスタンスを変えて、…共産党独裁の凄まじい現実を見据えた客観的・批判的な研究をするべきだと思う…が、そういう人が少ない」(p.67)。

 これによると、「中国近現代」の専門的研究者はいるらしいが、「多くは」いまだに「社会主義幻想」に取り憑かれていて客観的・批判的研究をしていない。

 おそるべき「中国近現代(史)」学界の現実だ。

 これでは、中国の<社会主義的市場経済>なるものの、きちんとした経済学的、社会科学的(?)分析はおそらくほとんどないのだろう。

 極論すれば、日本共産党員研究者に、日本共産党それ自体(の歴史)についての、彼等のいう「社会科学」的研究を求めるようなものかもしれない。いつか、日本共産党自体の<科学的社会主義>の観点からする自己分析をせよ、と日本共産党員学者には言ってみたいものだ。いや、そんなものはなされている、各回の党大会報告、中央委員会報告がそれに当たる、と反論されるのだろうか。

 日本の「社会科学」的、歴史的、近現代史研究の対象の大きな欠損は、日本共産党それ自体だ。

 二 なぜか、佐伯啓思西部邁西尾幹二も、日本共産党についての具体的・詳細な批判はしていないようでもある。ついでに、櫻井よしこも。当たり前のことで指摘する必要はないということかもしれないが、日本「共産」党は、日本ではまだ立派な<公党>であり、党員のみならず知的職業者(大学教員等)に対して、なお隠然たる影響力を持っている。

 佐伯啓思は上の隔月刊歴史通1月号(ワック)の書評中で、こう書いている。

 自分のように「社会科学を専攻しており、しかも、その入口でマルクス主義だの戦後進歩主義だのという六〇年代末の思潮的風潮の洗礼を受けたとなると、なかなかひとつの思い込みから脱することは難しい。それは、西欧近代は、中世・封建制を打倒して、人間の普遍的な自由を打ち出したという歴史観…。そして、日本は、…明治に西欧的近代を導入し、…戦後に改めて自由と民主主義を確立した、あるいはアメリカから『配給』された、というものだ」(p.164)。

 佐伯啓思ですらこう書いているのだから、「マルクス主義だの戦後民主主義だのという」思潮の洗礼を受けた「社会科学」専攻者の中には、上にいう「思い込みから脱する」ことができていない者が<いまだに>相当の数にのぼるほどにいることが想定される。

 佐伯は「マルクス主義」・「戦後進歩主義」という語を使っているが、これらは北村のいう(私も使っている)「社会主義幻想」(にとり憑かれること)とほぼ同じか近い意味のはずだ。

 ソ連崩壊後ほぼ20年。日本共産党が後づけでソ連は「真の社会主義国」ではなかったと主張したことが影響しているのかどうか、欧州における冷戦終了・社会主義の敗北の明瞭化のあとでもなお、日本の社会系「学界」はこの有り様なのだ。

 佐伯啓思自身が、上のあとでこう続けている。

 今日ではかかる単純な図式を描いている者は「ほとんどいまい」が、「それでも、大半の研究者は、仮に意識しないとしても、漠然とこのような見取り図を脳裏に隠し持っている」(p.164)。

 こうした、<社会>系研究者を覆っている空気のような意識が(教科書等を通じて)高校・中学の社会系教師たちに影響を与えないはずはなく、彼らの講義を聴いて単位を取って卒業して公務員やマスコミ社員(・出版社員)等々になっていく学生たちに何らかの影響を与えていないはずもなく、かくして、「マルクス主義」・「戦後進歩主義」(→欧米的「自由と民主主義」)・「社会主義幻想」に何となくであれ覆われた日本は、ますます<衰亡していく>。

0939/自衛隊を「暴力装置」と呼ぶ仙石由人の「反日」・マルクス主義者ぶり。

 一 仙石由人「健忘」官房長官が、11/18、自衛隊を「暴力装置」と呼んだ。

 軍(・警察)を「暴力装置」と呼ぶのはマルクス主義用語で、仙石の頭の中には、<自衛隊(軍)=暴力装置>という固定観念が根強く残っていることが、とっさの国会(参院予算委)答弁中の発言であることからもよく分かる。

 しかも、仙石由人は、「法律用語としては適切ではなかった」とだけ述べて陳謝し、撤回した。「法律用語」ではない「政治(学)」用語または「社会科学」(?)用語としては誤ってはいない、という開き直りを残していることにも注意しておいてよい。

 厳密には、マルクス・レーニン主義(コミュニズム)においては「国家」こそが「暴力装置」で、その国家を体現するのが<軍(・警察)>ではなかったか、と思われる。そして、マルクス・レーニン主義上は、「暴力装置」としての(またはそれを持つ)「国家」は、「家族」・「私有財産」とともにいずれ死滅する筈のものだった。現実に生まれたマルクス主義国家=社会主義国家が、まだ過渡的な時代のゆえか(?)、強力で残忍な「暴力装置」(政治犯収容所等を含む)があってはじめて存立しえたこと(しえていること)はきわめて興味深いことだが…。

 二 仙石由人は、奇妙で重要な発言を官房長官になって以後、しばしばしている。ソ連(ロシア)とは平和条約を締結しておらず国交を回復していないとの認識を示したらしいことも、官房長官としての資格を疑うに足りた(たしかのちに撤回した)。これよりも重大なのは、日韓関係についての発言だろう。

 2010.08.10の菅直人首相談話は100年前の日韓併合条約によって「その〔韓国の人々〕の意に反して行われた植民地支配」が始まった、と述べた。閣議を経ていることからも、仙石由人がこの文案作成に大きく関与している可能性がきわめて高い。

 また、2010.07.07には1965年の日韓基本条約に関連して、次のように述べた、と伝えられる。すなわち、「日韓基本条約を締結した当時の韓国が朴正煕大統領の軍政下にあった」ことを指摘し、「韓国国内の事柄としてわれわれは一切知らんということが言えるのかどうなのか」と述べ、同条約で韓国政府が日本の「植民地」時代にかかる<個人補償>請求権を放棄したことについて「法律的に正当性があると言って、それだけで物事は済むのか」と発言した。解決済みの筈の、または問題自体が存在しない、<従軍慰安婦>個人補償「問題」を、政府としてむし返す意向だ、と理解された。

 さて、当時にすでに感じたままこの欄に書いてこなかったことだが、仙石由人は、では、日本と日本国民にとって(韓国人にとっての日韓併合条約と同等に)重要な1947年の日本国憲法は日本国民の完全に<自由な意思>にもとづいて、つまり<意に反して>ではなく、制定され、施行されたのだろうか。当時は間接統治だったが、GHQの「軍政下」で制定され、施行された。朴正煕の「軍政」以上の、外国の「軍政」下にあったときに日本国憲法は作られたのだ。

 仙石由人は、日韓併合条約や日韓基本条約の韓国側の<任意性>や<(軍政下という)内部事情>を問題にするならば、日本国憲法の出自につき、万が一「法律的に正当性がある」と主張できるとかりにしても、なぜ「それだけで物事は済むのか」と考え、主張したことがあるのか?

 自分の国の憲法制定についての<任意性>や<(軍政下という)内部事情>という重大な事柄には思いを馳せず、韓国側の<任意性>や<(軍政下という)内部事情>は考慮するのは、いったい何故なのか? ちゃんちゃらおかしい。

 さらにいえば、1945.08.14の<ポツダム宣言>受諾自体、日本の<任意>だった、と言えるのか? 昭和天皇の「ご聖断」により決定された。だが、<任意に>とか<自由意思により>とかは厳密にはありえず、アメリカの強大な武力(核を含む)による威嚇によって<不本意>ながら受諾した、というのが、真実に近いだろう。敗戦という<終戦>が、本来の「意」に反して、行われない筈がない。国家間の戦争・紛争・対立の解消とは、少なくともどちらか一方の「意に反して」行われるのが通常だろう。

 仙石由人(や菅直人)には、このような常識は通用しないらしい。<意に反して>=<任意ではなく>=<強制的に>といった彼らの(とくに日中・日韓関係にかかわる)言葉遣いには注意が必要だ。

0926/佐伯啓思・日本という「価値」(2010)を全読了。

 佐伯啓思・日本という「価値」(2010.08、NTT出版)を11/02夜に全読了。全311頁。

 最初から順に読み通したのだから(但し、佐伯の発表論考をまとめたもの)、感想は当然にある。
 既に初出論文について書いたかもしれない、<保守>にとって重たいまたは刺激的な論述もあるし、その他、佐伯らしい鋭い指摘・分析もある。全体として挑発的・論争誘発的(ポレーミッシュ、polemisch)な本なのに、この著をめぐって論争・議論が発展・展開したようでもないのは、<保守>論壇の貧困さの表れでもないだろうか。

 佐伯啓思に全面的に賛同しているわけではない。この9-11月という時期に読んでいると、<中国>への言及が、アメリカや<欧州近代>等に比べてはるかに少ないことに、驚きすら覚える。また、「マルクス主義」は「一九九〇年代には、さすがに腐臭をはなち、どう廃棄処分にするかが関心事であった」(p.45、2008年)とか、1930年代とは異なり「もはやファシズムも社会主義もありえない」(p.99、2009年)とかいう認識は、佐伯の頭の中や佐伯の<仲間たち>や純経済理論にとってはそうなのかもしれないが、「マルクス主義」や「社会主義」(の危険性・脅威)に対して<甘すぎる>、と感じる。

 具体的な紹介等をしていない遠藤浩一・福田恆存と三島由紀夫(上下、2010.04、麗澤大学出版会)への言及とともに、より詳しい感想等は、他日を期したい。

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