秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

マルクス

日本共産党の大ウソ27-02-不破哲三・平凡社新書02。

 不破哲三・マルクスは生きている(平凡社新書、2009)は、「ソ連とはいかなる存在だったか」という節見出しのもとで、レーニンについて、つぎのように書く。日本共産党2004年綱領のレーニン関係部分を説明していることになろう。
 この欄は<反共デマ宣伝>を意図してはいないので、これまでと同様に、客観的に、日本共産党・不破哲三らの文章も引用または紹介する。
 ・日本共産党は「ソ連の歴史を見るとき」、「レーニンが指導した初期の時代と、スターリンの指導に移って以降の時代」とを、「はっきり区別」している。
 ・「レーニンは、…革命のあと、経済的には遅れていたロシアを社会主義への道に導くために、真剣な努力を行いました」。
 ・「初期、とくにイギリス、日本など14の資本主義諸国が軍隊を送り込んだ内戦の時期には、『戦時共産主義』などの誤った模索もあ」った。
 ・だが、「戦争終結のあと、内外の諸政策の抜本的な転換をおこない、内政面では、市場経済を通じて漸進的に社会主義に進む『新経済政策=ネップ』路線を、対外面では資本主義諸国との平和共存および周辺の諸民族の独立の尊重を基本とする外交路線をうちだし、それを基本路線として社会主義の道にふみだし」た。
 ・「しかし、不幸なことに」、「確立した路線にそっての前進を開始したばかり」の1923年にレーニンは「重い病に倒れ、翌24年1月、生涯を閉じ」た。
 以上、p.198。
 ここでは、「戦時共産主義」を「誤った模索」と明記していることのほか、レーニンの積極面として、①内政における「新経済政策=ネップ」、対外面での②「資本主義諸国との平和共存」と③「周辺の諸民族の独立の尊重」を基本路線としたこと、を挙げていることを、確認しておく必要がある。また、1923年には「確立した路線にそっての前進を開始した」とされていることも、関心を惹く。
 以上のあとはスターリンの時期の叙述だが、そのはじめに、「レーニンの最後の時期に」、つぎの点について、スターリンはレーニンと「激しい論争を交わしてた」と書かれていることも確認しておく必要があろう。
 すなわち、「国内の少数民族政策と党の民主的運営の問題について」。同じく、p.198。
 この欄では大きな第二の論点として「ネップ」導入は<市場経済を通じて社会主義へ>の路線の発見・確立だったのかを取り上げるが、その他の不破が上で言及しているような問題・事項についても、余裕があれば断片的にではあれ、論及する。例えば、資本主義諸国との「平和共存」 ?、「周辺諸民族の独立尊重」 ?(「国内の少数民族政策」 ?)。
 なお、このような日本共産党・不破哲三によるソ連またはレーニン・スターリンにかかる歴史の認識について、近年または最近の-いや1994年以降の-産経新聞社発行等のいくつかの<日本共産党研究>本は、きちんと批判的にとりあげているだろうか。反共産主義または「反共・保守」派の論壇は、日本共産党の主張・議論を詳しくかつ個別に反駁しておくことをしてきたのだろうか。相当に怪しく、心もとない。

日本の保守-田村重信(自民党)。

 筆坂秀世=田村重信(対談)・日本共産党/本当に変わるのか-国民が知らない真実を暴く(世界日報社、2016)は、筆坂秀世と自民党政務調査会審議役という田村重信の対談本で、田村重信が安保法制等に関する著書も出している、国会議員ではない有力な論者なので、日本共産党について語られていることが関心を惹く。
 しかし、自民党という政権与党の論客であるわりには、日本共産党の理解に、きわめて大きい、致命的とも思われる誤りがある。田村は、p.55-56でこう言う。
 ・ソ連批判が生じると「ソ連を美化していた」のを「今度は独立路線」だと言う。
 ・「最近は」、結局、「マルクス、エンゲルス」だという。「ソ連も北朝鮮も参考にするものがなくなつたから、原点に戻ってマルクスだと言っている」。
 田村重信は自民党きっての理論家らしく思えてもいたが、日本共産党についての理解は相当にひどい。自民党自体については別に扱いたいが、自民党議員や閣僚等の日本共産党に関する認識もまた相当に怪しいのだろうことをうかがわせる。
 第一に、「ソ連を批判されると…」というのがいつの時期を指しているのか厳密には不明だが、日本共産党は、ソ連は現存の又は生成途上の「社会主義」国家だとは見なしつつ、1960年代後半には、ソ連や同共産党との関係では(中国ついても同様)<自主独立>路線をとっていた。ソ連をかつては全体として「美化」していたかのごとく理解しているようで、正確さを欠いている。
 重要な第二は、日本共産党はソ連崩壊後決して、レーニン・スターリンを飛び越して単純に「マルクス、エンゲルス」に戻れ、と主張しているのではない。「原点に戻ってマルクスだ」と主張していると理解するのは正確でない。
 たしかに不破哲三には<マルクスは生きている>という題の新書もあり、日本共産党はかつてのようにはレーニンの議論全体を採用していないところがある(例えば、「社会主義」と「共産主義」の区別)。しかし、今なおレーニンを基本的には肯定的に評価しており、何度もこの欄で紹介しているように、<スターリンとそれ以降>の歴代指導者が「誤った」と理解・主張しているのだ。
 なぜ日本共産党はレーニンを否定できないのか。それはすでに簡単には記述したし、もっと詳しく明確にこの欄でも書いておく必要があるが、レーニンを否定すれば、レーニン期に作られた(第三)コミンテルンの支部として誕生した「日本共産党」自体の出生も否定することになるからだ。この党が、戦前の「日本共産党」とは無関係の新しい共産主義政党だと主張していないかぎりは。
 自民党の有力な論者がこの辺りを理解していないとは、まったく嘆かわしい。
 現在の日本の「保守」の、日本共産党や共産主義についての理解・認識のレベルの決定的な低さを、田村重信の発言は示しているようだ。ため息が出る。

試訳/共産主義とファシズム-「敵対的近接」03。

  F・フュレ=E・ノルテ・<敵対的近接>-20世紀の共産主義(=コミュニズム)とファシズム/交換書簡(1998)の試訳03
 Francoir Furet=Ernst Nolte, "Feindliche Naehe " Kommunismus und Faschismus im 20. Jahrhundert - Ein Briefwechsel(Herbig, Muenchen, 1998)の「試訳」の3回目。
 この往復書簡には、英語版もある。Francoir Furet = Ernst Nolte, Fascism & Communism (Uni. of Nebraska Press、2004/Katherine Golsan 英訳)だ。
 この英語訳書は計8通の二人の書簡を収載している点ではドイツ語版と同じだが、Tzvetan Todorovによる序言(「英語版へのPreface」)および雑誌Commentaire編集者によるはしがき(Foreword)が付いていること、および「ノルテのファシズム解釈について」と題するフュレの文章が第1節にあること(したがって、書簡を含めて第9節までの数字が振られている)で異なる。但し、この第1節のフュレの文章は、フュレの大著〔幻想の終わり-〕の中のノルテに関する「長い注釈」の前に1頁余りを追加したものだ。雑誌編集者による上記は、フュレの突然の死についても触れている。
 また、英語訳書には、ドイツ語版とは違って、各節に表題と中見出しがある。
 番号数字すらなく素っ気ないドイツ語版と比べて分かりやすいとは言えるが、そうした表題をつけて手紙は書かれたわけではないと思われるので、ドイツ語版のシンプルさも捨て難い。だが、せっかくの表題、中見出しなので、以下では、その部分だけは英語版から和訳しておく。
 ---------------
p.17-p.25.
 イデオロギーの障壁を超えて
 エルンスト・ノルテ <第一信> 1996年02月20日  
 敬愛する同僚氏へ
 貴方の著書、Le passe d'une illusion につい若干の感想をお伝えしたい。ピエール・ノラの申し出により雑誌 Debate で述べた意見よりも個人的で、かつ詳細ではありませんが。
 この本のことを、私はほぼ一年前にフランクフルト・アルゲマイネ新聞の記事で知りました。その記事は貴著の意義を述べているほか、貴方が私の本に論及していた195-6頁の長い注釈にもはっきりと言及していました。ふつうの〔健康〕状態であれば、もっと早く気づいていたでしょう。 
 私は貴方の本のすべてを、一行、一行と、強い関心と、さらには魅惑される愉しみとともに、読みました。
 貴方の本は二つの障害または妨害から自由だ、とすぐに分かりました。
 この障害または妨害によって、ドイツの〔歴史家の〕20世紀に関するすべての考察は狭い空間に閉じ込められており、個々には優れた業績はあっても無力です。
 ドイツではこの20世紀に関する考察は、最初からもっぱら国家社会主義に向けられました。また、その破滅的な結末は明白でしたので、思索の代わりをしたのは、「妄想」、「ドイツの特別の途」あるいは「犯罪国民」のごとき公式的言辞でした。
 ドイツの歴史を概観する、二つの思考方法がありました。
 一つは、全体主義理論です。これは、1960年代半ば以降、すべての「進歩主義者」にとっては旧くなっているか、あるいは冷戦を闘うための手段だと考えられました。
 もう一つは、マルクス主義思考方法です。これの結論は、第三帝国は、偉大でかつそのゆえに罪責ある全体のたんなる一部だ、例えば西洋帝国主義あるいは資本主義的世界市場経済の一部だ、というものでした。
 ドイツとフランスの左翼
ドイツの左翼は、彼ら自身の歴史についての一義的に明白な観点を持ちませんでした。その歴史自体が一義的ではなかったのですから。ナポレオン・フランスに対する自由主義戦争は「反動的な」動機を持ったとされ、1848年の革命は「挫折」でしたから、彼らが何らの留保を付けることなく自らを一体化できるような事象は存在しなかったのです。
 ドイツ左翼の小さな一派のみは、ロシア革命と自らを一体化したでしょう。大部分の左翼は、つまり多数派の社会民主主義者は、実際にも理論的にも〔ロシア革命を〕ドイツへと拡張する試みに断固として反対しました。
 左翼内部の狂熱と忠誠心を定量化できるとすれば、ドイツ共産党は十分に過半に達していたでしょう。なぜなら、社会民主主義者は、いわば「拙劣な社会主義者の確信」でもって共産主義者と闘い、国家社会主義者が大きな敗北を喫した1932年10月の選挙においてすら、ドイツ共産党は選挙のたびに勢力を増大させていたドイツでの唯一の政党でした。
 しかし、1970年代の初期のネオ・マルクス主義においてすら、1932-33年での共産主義者の勝利は可能だったと考えたり、社会民主主義者を「裏切り者」と非難したりする見解は、さほど多数ではありませんでした。
 反対意見もありましたが、まさにこのような見解が、「右派」反共産主義のテーゼ、すなわち、共産主義は現実的危険であり、「そのゆえにこそ」国家社会主義は多数派を獲得したのだ、というテーゼだったのです。
 だが、1945年以降にボンで再興された「ヴァイマール民主主義」の諸大政党にとっても、このような見解は誤りでありかつ危険であると思えたに違いありません。なぜなら、その見解は「ボルシェヴィズムからドイツを救う」という国家社会主義のテーゼときわめて似ていましたので。また、アメリカ合衆国との同盟によって「全体主義的スターリニズム」や東ベルリンにいるそのドイツ人支持者による攻撃を排斥する、というつもりでしたので。
 全体主義理論はたしかに、「全体的」反共産主義と区別される「民主主義的」反共産主義を際立たせる逃げ道を示しました。
 しかし、全体主義理論が優勢だった時期は長くは続かず、のちには右から左まで、かつ出版界から学界まで、ほとんど全ての発言者はつぎの点で一致しました。
 すなわち、注目のすべてを国家社会主義(ナツィス)に集中させなければならない。「スターリニズム」については副次的に言及するので足り、かつ決して「国際共産主義運動」について語ってはならない。
 まさにこの点にこそ、私が先に語った二つの「障壁」があったのです。
 貴方は著書において、「共産主義という理想」から出発し、それに今世紀の最大のイデオロギー的現実を見ています。急速に実際上の外交政策にとって重要になったロシアに限定しないで、フランスでもかつそこでこそ多くの知識人を熱狂させた「10月革命の普遍的な魅力(charme universal d'Octobre)」を語っています。
 貴方がそれをできるのは、ドイツの相手方[私=ノルテ]とは違って、フランス左翼の出身だからです。フランスの左翼は、つねに参照される大きな事象、すなわちフランス革命を国民の歴史としてもっています。フランスの左翼はさらに、ロシア革命を徹底したものおよび相応したものと理解することができ、つねに熱狂的に同一視することなく、ロシア革命に、何らのやましさなく少なくとも共感を覚えることができるからです。
 したがって、つぎのことは全くの偶然ではありませんでした。社会党のほとんどが1920年のトゥールズでの党大会で第三インターナショナルに移行したこと、Aulard やMathies のようなフランス革命についての著名な歴史家がこの世界運動に共感を示し、支持者にすらなったこと。
 貴方が特記している他の人たち、 Pierre Pascal、Boris Souvarine、あるいはGeorge Lukas のような人たちもまた、狂信者であり確信者でした。そして、貴方自身も明らかに、この熱狂に対する関心と共感を否定していません。
 歴史の現実はたしかに、Pierre Pascal、Boris Souvarine およびその他の多くの人々の信仰を打ち砕きました。貴方自身もこの離宗の流れに従っています。しかし、距離を置いたにもかかわらず、貴方は依然として、20世紀の基礎的な政治事象を、ロシア10月革命およびその世界中への拡張に見ています。
 貴方はこの拡張を検証し、それが多様な現実との格闘に消耗して内的な力を喪失し、ついには最初からユートピアたる性格をもつもの、つまり「幻想」であったことが今や決定的になるまでを、追跡しています。
 私から見ると重要でなくはないさらなる一歩を、貴方は進みました。
 今世紀の基礎的事象が結局は幻想だったことが判明してしまったとすれば、それが惹起した好戦的な反応は全く理解できませんし、完全に歴史的な正当性を欠いたものでしょう。また、「犯罪にすぎないものとしてのみ今世紀のもう一つの魅惑的な力」を認識するのは、共産主義者の見解の不当な残滓でなければなりません。
 「今世紀のもう一つの大きな神話」、すなわちファシズムという神話をこのように評価することによって、貴方はフランスですら多くの異論に出くわすでしょう。今日のドイツでは、すぐに「人でなし」になってしまうでしょう。
 しかしながら、私の意見では、貴方は完全に正しい。共産主義思想とファシズムという抵抗思想の対立は、1917年から1989-91年までの今世紀の歴史の「唯一の」内容だった、そして「その」ファシズムは、歴史的現実と共産主義運動の現実とを決定した雑多な差違や前提条件を無視して言えば、一種のプラトン思想だと考えられるべきだ、という貴方の考察を、誰も合理的には疑問視することができないのですから。
 私は貴方とは全く別の途を通って、先の二つの「障壁」を乗り越え、イデオロギーの世界内戦という(概略はずっと以前にあった)考え方に辿り着きました。
 若きムッソリーニ、彼の社会主義思想に対するマルクスやニーチェの影響に偶然の事情によって遭遇していなかったならば、国家社会主義やその「ドイツ的根源」に集中する思考は、私にも付着したままだったでしょう。
 そのゆえにこそ、「ファシズム」は私の1963年の本の対象になりえたのであり、反マルクス主義の好戦的な形態だとする一般的なファシズムの規定や、「過激なファシズム」だとする国家社会主義の特殊な定義は、私がそれ以降に思考し記述したすべてのものを潜在的に含んでいます。
 貴方の出発点である「共産主義思想」は、私には長い間顕在化していない背景のようなものでした。しかし、その状況は、1983年の「マルクス主義と産業革命」によって初めて、1987年の「1917-1945の欧州内戦」でもって顕著に、変わりました。
 全体主義の発生学的・歴史的範型
 そうして我々は、私に誤解がなければ、異なる出発点と異なる途を経て、同じ考え方に到達しています。それは、全体主義理論の歴史・発生学的範型(Version)と私が名づけたもので、ハンナ・アレントやカール・F・フリートリヒの政治・構造的範型とは、マルクス主義・共産主義理論と区別されるのとほとんど同じように区別されます。
 我々の間にはきわめて重大な違いがあるかのように見える可能性があります。貴方は上記の注釈で、私が解釈をおし進めすぎてヒトラーの「反ユダヤ人パラノイア」に「一種の理性的な根拠」を与えたのは遺憾だ、と書いています。
 つぎのことを貴方に強調する必要はないでしょう。すなわち、「ユダヤ人問題の最終解決」としてなされた大量虐殺の個別事象に、ドイツ人〔の歴史家〕が国家社会主義に集中した重大な理由があります。
 歴史において個別性は「絶対性」ではなく、そのように論じられてはならないことに、貴方もきっと同意するでしょう。
 付記します。個別の大量犯罪は、それに理性的で理解可能な根拠を与えうるということでもって悪質でなくなったり非難すべきものでなくなったりはしません。むしろ、逆です。
 貴方は1978年の論文でフランス左翼によるほとんど素朴なシオニズムの解釈を批判し、現象の本質はユダヤ人のメシア主義〔救世主信仰〕と分離されるべきではないと述べた、ということを思い出して下さい。貴方は引用記号を用いていません。そして、当然に、「ロシア的」とか「シーア派メシア主義的」とかと述べることができることをよく知っているにもかかわらず、そのような用語法を正当なものと見なしています。
 「ユダヤ人のメシア主義」なるもの自体への言及なくして、またアドルフ・ヒトラーや少なくはない彼の支持者たちが作り上げた観念にもとづいては、「最終解決」なるものも、-「了解できる(verstaendlich)」とは異なる意味で-理解できる(verstehbar)ものにはならない、と考えます。
 したがって、我々の間にある差違は除去できないものではない、と思います。むろん、引用された、フランスに出自をもつドイツの作家、テオドア・フォンターニュの言葉によれば、「広い畑」があります。
 適切な方法で耕すためには、多くの言葉と熟慮が必要でしょう。
 推測するに、ドイツでは、私が貴方の書物の出版について祝辞を述べると言えば、蔑視されるか、あるいは犯罪視すらされるでしょう。だが、貴方の国は、予断や神経過敏症の程度が、私の国よりも大きくない、と信じます。
  エルンスト・ノルテ
 ---------

日本共産党の大ペテン・大ウソ23。

 一 ようやく二つのうちの第一の論点を終える。
 1991年のソ連崩壊前後の日本共産党の文献を通じて(もちろん全てではないが)、①1994年第20回党大会による綱領改定に際して、(とっくに、1930年代に)ソ連は社会主義国ではなくなっていた、という同党の歴史理解を明らかにした、ということが分かり、②日本共産党は、ソ連崩壊後の一時期はソ連(・ソ連共産党)の「覇権主義」等を厳しく批判しながらも、ソ連が社会主義国だったのか、つまりは社会主義国をめざす国家や共産党に対していわば<(国際共産主義運動の)仲間うち>の問題として「覇権主義」等の誤りをしてきたのか、社会主義国ではもはやないソ連に対して「覇権主義」等を批判してきたのかを曖昧にしてきたことも分かった。そして、③上の②の答えは1991年以前は明らかに前者、つまり<(国際共産主義運動の)仲間うち>の問題としての指摘だったにもかかわらず、ソ連崩壊以後は何と、<30年にわたってソ連を批判し続けてきた>ということを、日本共産党は「正しい」(1994年7月以降は、崩壊したのは社会主義ではない)と言い張る根拠にする、という大ペテンを仕掛けたのだった。
 1994年に至って、このようなソ連の性格に関する見地の根本的な変更、従来とは全く反対の理解をすることについて、不破哲三は、1994年の党大会で日本共産党中央委員会幹部会委員長として、「旧ソ連社会にたいする私たちの認識は、多くの逸脱と否定的現象をともないつつも大局的にはなお歴史的な過渡期に属するという見方の上にたったもので、今日から見れば明確さを欠いていた」とだけ、反省(?)の言葉を述べたのだった(2016.05.23秋月「…の大ペテン・大ウソ09」参照)。
 二 第二の論点は、すでに少し立ちいっているのだが、ソ連の歴史について日本共産党がいう、スターリン以降に「誤った」(レーニンは「正し」かった)という旨の1994年以降の日本共産党による<歴史の評価>は適切なのか、だ。
 「…大ペテン・大ウソ」の第01回めでは、「日本共産党は、レーニンまでは正しく、つまりレーニン時代は「社会主義」の方向に向かっていたが、<大国主義・覇権主義>のスターリンによって誤った、と言っているようだ。/このような、レーニン時期とスターリン時期の大きな(質的に異なると言っているような)区分論は歴史把握として適切なのか。あるいはまた、この対比は、レーニン=「社会主義」、スターリン=<それ>からの逸脱、と単純化してよいのかどうか」、と書いた。
 この問題は第一の論点と異なり、関係文献をきちんと読んで分析すれば(客観的に把握すればよい)というものでは必ずしもない。なぜなら、レーニンとスターリンの異同そのものの問題として言えば、共通性もあれば異質性もあったということになるはずなのであり、問題は<社会主義>の方向に向かっているか(「正し」かったか)、逆(又はそうでない)方向に向かっている(「誤って」いたか)という、<評価・論評>の世界に入ってしまうからだ。
 しかし、<社会主義>にとっていずれが「正しい」(正しかった)かどうかは秋月の関心ではないし、そもそもが<社会主義(・共産主義)の方向>とは何かを論じるつもりも資格もない。
 厳密に論理的にいえば、かりにマルクスが理解し主張したのが<正しい>社会主義だったとすれば、第一に、レーニンもすでに「誤って」いた(=突き詰めれば、ロシアの1917年10月にあったのは「社会主義革命」ではなかった)、したがって「誤って」いた点ではレーニンもスターリンも同じだ、という理解・論評も成り立つだろう。
 一方、第二に、かりにマルクスが理解し主張したのが<正しい>社会主義だっとして、レーニンもスターリンもともに「正しく」社会主義の道を歩んだ、ソ連の崩壊(とソ連存続中に生じた事象)は、マルクス主義自体が含む歴史的な必然の表れだった、という理解・論評も成り立つはずだ。
 上の二つ捉え方は、マルクス・レーニン・スターリンの三者の基本的な異同に着目すれば、次のように図示できる。
 A 〇-×-×。 B 〇-〇-〇。
 これらと対比すれば、日本共産党の理解・評価の仕方は、次のようになる。
 C 〇-〇-×。
 また、実際に主張者があるどうかは知らないが、ロシアに「社会主義革命」が起こったにもかかわらず、レーニンはとくに「ネップ(新経済政策)」の導入によって市場経済・「資本主義」への方向へと道を切り換えて社会主義への道を踏み外した、これをスターリンが本来の社会主義への道へと戻した、という理解・論評もありうる、と考えられる。かりにマルクスの理解・主張は「正しい」ものだという前提に立てば、この理解・論評は次のように図式化できるはずだ。
 D 〇-×-〇。
 すでに論及し始めているここでの論点は、上のC(日本共産党の評価)の適否だ
 マルクスとの間の対応関係を捨象してしまえば、より正確には、あるいは厳密には、レーニンは「市場経済を通じて社会主義へ」という道を、ロシアに特有のかつ一時的戦略としてではなく、社会主義到達方法論の一つとして<理論的に>選び、少しは<現実に>も実施したのか(そして、スターリンはそれを覆したのか)、ということになる。
 はたして「市場経済を通じて社会主義へ」という道が(とりわけマルクスから見て)一部にせよ、あるいは一般論としても、ありうるのかどうか、という問題は関心対象ではない(<社会主義>社会を夢みている人々は真摯に議論していただきたい)。
 要するに、日本共産党の理解・主張の適否は、レーニンはロシアに特有のかつ一時的戦略としてではなく、社会主義建設方法論の一つとして「市場経済を通じて社会主義へ」という道を主張しかつ実践した、と評してよいのかを、とりわけレーニン関係文献を通じて検討することによって明らかになるはずだ、と言えるだろう。
 以下、あらためてこの作業を続けていく。
 <つづく>

2008年4月に「日本共産教」・「科学的社会主義教」と言っていた(再掲)。

 2007/03/23付けで、次のように、日本共産党を「日本共産教」・「科学的社会主義教」という宗教団体と皮肉っていた。同じことを、つい最近も感じたわけだ。再掲する。最後の一段落は無関係なので、以下では省略。 
 --------------
 日本共産党ではなく「日本共産教」・「科学的社会主義教」という宗教団体。
 安い古本だからこそ店頭で買ったのだが、日本民青同盟中央委・なんによって青春は輝くか(初版1982.04)という本がある。中身は青年・若年層向けの宮本顕治・不破哲三等の講演を収めたもの。
 宮本顕治のものは四本ある。宮本は逝去まで日本共産党中央から非難されなかった珍しい人物なので、この本で宮本が語っていることを日本共産党は批判できず、「生きている」日本共産党の見解・主張と理解してよいだろう。
 全部を読んでいないし、その気もない。p.14を見ていて、こんな内容が少しだけ興味を惹いた。以下、宮本の講演録(1982年2月に民青新聞に掲載)の一部。
 <「社会主義」とは第一に「搾取をなくし、特権的な資本家をなくして、労働者の生活を守る」、第二に、「広範な働く人の民主主義を保障する」、第三に「民族独立を擁護する」。ポーランド問題で社会主義自体がダメだとの批判が起きているが、そうではない。社会主義そして「将来の共産主義社会」は「どんな暴力も強制も不要な」「すべての人びとの才能が花ひらく、才能が保障される社会」で「マルクス、エンゲルス、レーニンたちが一貫して主張してきた方向」だ。>
 ここまででも「搾取」・「特権的な資本家」といった概念がすでに気になるし、またこの党が「民族独立」=反米を強調していることも面白い(社会主義の三本柱の一つに宮本は挙げている。はたして、「社会主義」理論にとって「民族独立」はこれほどの比重を占めるものなのか)。
 だが、面白いと思い、さすがに日本共産党だと感じたのは、上に続く次の文だ-マルクスらの説は「ただ希望するからではなく、人類の歴史、いろんな発展が、そうならざるを得ない」。
 このあとの、マルクスらの説は「人類のつくったすべての学説のすぐれたものを集めたもの」だということが「共産主義、科学的社会主義のほんとうの立場」だ、という一文のあとに「(拍手)」とある。
 いろいろな事実認識、予測をするのは自由勝手だが、上の「いろんな発展が、そうならざるを得ない」とはいったい何だろうか。「そうならざるを得ない」ということの根拠は何も示されていない。共産党のいう<歴史的必然性>とやらのことなのだろうが、それはどのようにして、論証されているのか??
 たんなる「希望」であり、そして要するに「確信」・「信念」の類であり、<科学的>根拠などどこにもない。
 上のような内容を含む講演というのは、信者または信者候補者を前にした<教主さま>の<説教>・<おことば>に違いない。その宗教の名前は、<日本共産教>または<科学的社会主義教>が適切だろう。
 現在も、こんな(将来の確実な<救済>=仏教的には「浄土」の到来?を説く点で)基本的には新興宗教を含む「宗教」と異ならない「教え」を信じて信者になっていく青年たちもいるのだろう。1960年代後半から1970年前半頃までは、今よりももっと多かったはずだ。
 こんな民青同盟又は日本共産党の組織員になって「青春」が「輝く」はずもない。一度しかない人生なのに、日本共産党(・民青同盟)に囚われる若い人々がいるのは(この組織だけでもないが)本当に可哀想なことだ。
 ------------------
 以上。

歴史・政治・個人03

 おそらくは平均よりも多く神社仏閣をまわっている。そこでは、神社と寺院に分けて、共通する言葉を内心で語るようにしている。神社ではそれぞれの祭神に、寺院では両親と祖先に(宗派と無関係に)内心で話しかけている。参拝とかお祈りとかふつうは言う。
 もっとも、正確にまたは厳密にいえば、秋月瑛二は「神」・「仏」あるいは「霊」というものの存在を「信じて」いるわけではない。人は死ねば「仏」になるとか言われ、人間でも死後に「神」になったらしい者もいるようだが、そもそも人間は死んでのちになお「霊」として存在するのかどうか、自分についていえば-死んだことがないので分からないが-きわめて疑わしく思っている。生まれる前にはいかなる自意識もなかったが、あるいは自分にとっては悠久の静寂だったが、死んだ後もまた、再びそのような、意識のない沈黙の世界に戻っていくだけなのではないか。
 死自体を自らは感知できないとすれば、個々の人の「死」とは、逆説的ながら、生きている人間のためにこそありうるのだろう。
 池田晶子・人生は愉快だ(毎日新聞社、2008)p.268-には、「共産中国」を批判する、あるいは皮肉る、つぎの旨の文章がある。
 ・人の死後にはその人の「霊魂」など存在しないはずだ。にもかかわらず、「英霊」を祀る靖国神社参拝を批判するとは、「英霊」という「存在しないもの」の「戦争責任」を追及しており、奇妙だ。「存在しないものを存在すると信じ込んでいる日本人の『迷信』を、まず論破すべきではないか」。
 池田の説、ごもっともだ。
 しかし、池田は徹底した?「唯物論」者ではないようで、上の著のp.111-は、マルクス(の「唯物論」)を例えばつぎのように述べて批判している。
 ・「この人は、意識がすなわち自己であるというこの当たり前が理解できない」。「自己を自己として思惟する者が、『利己主義者』と見える。そこに見えるのは一個の肉体だけだからだ」。
 ・この人は「目に見える肉体、目に見える社会しか眼中にない社会革命家」で、「目に見えない思惟の類はすべて、迷妄でなければ阿片である」。
 ・「人間に葬式を禁じることだけはできない」。「いかなる民族、いかなる体制においても、人間は人間が死ぬことを『何事でもない』と思うことができない」。人はその時「一個の石でもそこに置く」。「死とは必ず何らかの意味なのである」。
 これまた、ごもっとものように思える。
 池田の書いていることについて、丁寧な議論をしようとしているのではない。
 前回に「戦犯」被処刑者、とくに1948年の今上天皇(当時の皇太子)の誕生日に「首を吊られて」死んだ7名の人たち、を念頭において、「浮かばれないのでないか」とか書いたのだったが、とくに彼らの死と彼らの(あるとすれば)「霊」 というものに想いを寄せていて、ふと池田晶子の文章に接したにすぎない。
 彼らの「霊」は実在しないかもしれない。おそらくそうだろう。しかし、生きている者が、日本人が、彼らの「霊」を感じる、あるいは感じようとすることはできる。そして、涙することはできる。 

1002/大地震・大津波後2週間余-風土と思想、朝日新聞と岩波。

 〇レマン湖畔生まれのJ・J・ルソーは地中海や大西洋を見たことがあるだろうか。あったとしても、津波を知らず、大地震を経験したこともなかっただろう。

 マルクス、エンゲルスも同様。彼らに限らず、スコットランドのアダム・スミスもエドマンド・バークも(コウクも)、ドイツのヘーゲルやカントも、オーストリア(出身)のケルゼンもハイエクも、大地震や津波を経験することなく、これらによって不意に多数の人々が生命を喪うことがあることを知らないままで「思考」しただろう。

 農耕民族と狩猟民族という対比のほかに、相対的には日本の方が温暖で、欧州は(イタリア南部等を除いて)日本人な感覚では寒冷地だということも日本と欧州の差異として指摘しうるだろう。この後者は、日本の自然の方が恵まれている、という趣旨でも指摘されてきた。四季があり、美しい山と平地と海とを一箇所からでも望見できることは、日本の誇りでもある(あった)だろう。

 だが、地震と津波をおそらく全く(またはほとんど?)経験することのない欧州人と、何十年かに一度はそうした自然の「襲撃」を受けてきた日本人とでは、寒冷地と温暖地という差異も含めて、自然観、死生観、人間観、そして宗教や「思想」が異なって当たり前だと思える。

 いかに魅力的な?「欧州近代」の思想も理念も、そのままでは絶対に日本に根付くことはないと思われる。「日本化」されて吸収されてこそ、あるいは吸収されたのちに「日本」的な変容をうけてはじめて、日本と日本人のものになる、というべきだろう。
 「風土」は<思想>(や<宗教>)と無関係ではない。それぞれの「風土」ごとに<思想>や<宗教>は成り立つ、というべきだろう。
 というような、当たり前のことかもしれないことを昨今、感じている。欧州産の「思想」を理解した気分になって<偉そうに>日本(・日本人)への適用を説くエセ知識人、日本人ではなくなっている(とくに人文・社会系の)学者・研究者たちを、軽蔑しなければならない。(かつてはマルクスが…、ルソーが…、)ルーマンが…、ハーバーマスが…、レヴィ=ストロースが…などとさかんに言っているような人々は、「日本」と「日本人」をいかほど理解しているのだろうか。日本国憲法もまた「欧州近代」の思想・理念を継受して(によって作られていて)いるが、その憲法を欧米の思想・理念・原理によってのみ理解する日本の憲法学者は、はたして「日本人」だろうか。

 〇大震災・原発問題を表紙とする雑誌・週刊誌類に混じって、「日本破壊計画」と銘打った週刊朝日増刊・朝日ジャーナル2011.03.09号(朝日新聞出版)が書店に並んでいるのを見て、朝日新聞が進めている「日本破壊計画」がまさに実現しているようで、ゾッとする。この時点で、「日本破壊計画」を特集する週刊朝日増刊を出版するとは…。

 むろん偶然ではあろう。「左翼」政治活動家・編集長の山口一臣は巻頭言は、今の日本にある「アンシャン・レジーム」を解体・破壊せよとの旨を書いているが、じつに興味深い倒錯が(やはり)見られる。戦後「平和と民主主義」のもとで日本国憲法を戴きつつ「アンシャン・レジーム」を形成・維持してきた中心にあったのは、朝日新聞(社)そのものではないか。また、「アンシャン・レジーム」というフランス革命時代に愛用された語を使っていることも、山口一臣の「革命」願望を示しているに違いない。

 これまた偶然だろうが、月刊世界の別冊-2011年819号(岩波)も並んでいて、「新冷戦ではなく、共存共生の東アジアを」という大きな見出しを表紙に掲げている。掲載されているシンポジウムのテーマは「2050年のアジア―国家主義を超えて」(日本側の基調報告者は東京大学名誉教授・坂本義和。また東京大学だ)。
 尖閣問題のあとでなお「共存共生の東アジアを」と叫びつづけるとは、さすがに朝日新聞とともに「左翼(・反日)」の軸にある岩波書店、というべきだ。「国家主義」が(厳密にどう定義・理解されているのか読んでいないが)<悪>として描かれているのも、相変わらずの<反ナショナリズム>(「ナショナル」なものの否定)を明瞭にしていてうんざりする。
 大手メディアはきちんとは報道していないようだが、自衛隊とともに在日米軍は被災地で奮闘してくれてくれているようだ。
 一方、「東アジア」の中国が日本に派遣したのは東南アジアの小?国と同程度の15人らしい。これで反米・非米の「共存共生の東アジアを」と叫んでいるのだから、異様な感覚だ。今さら指摘するまでもないのだが。
 〇月刊WiLL5月号(ワック)に掲載の諸氏の「東北関東大震災/私はこう考えた」の文章のうち、(全部読んだわけではないが)最も印象に残ったのは、つぎの西部邁の文章だ(なお、西部邁を<保守>派の第一位と位置づけているわけではない)。
 「この大震災は日本国家の沈没を告げる合図だ、と感じないほうが不思議といってよい」(p.50)。
 そのような「合図」に少なくとも結果としてはなったと、後世の「日本」史学者あるいは世界の歴史家が叙述しない、という保障はまっくないだろう。西部邁はこう続けている-「そのことについての率直な感想が、どのTVのどの番組においても、ただの一言もなかったのである」。
 西尾幹二らも、また別に山際澄夫「国難を延命に利用/菅総理の卑しい魂胆」(p.233-)も縷々指摘していることだが、「戦後」のなれの果ての、「左翼」民主党政権下で大震災を被ってしまったことは、なんという悲痛なことだろう。

0963/近代(ブルジョア)民主主義よりも「進歩的」な(はずの)「社会主義国」の民主主義。

 ある程度は知識のあることだが、レーニンの書いたもの(の一部)を読んでいると、マルクス・レーニン主義における「民主主義」論にあらためて関心をもたされる。ギリシャ・ローマ時代の「民主主義」ではない。近代国家(ブルジョア民主主義国家)やレーニンらにおける「革命」との間の、「民主主義」なるものの意味だ。

 レーニン「国家と革命」(1917)の目次からすると、「民主主義」に関するまとまった叙述は以下に限られるようだ(レーニン10巻選集第8巻p.77-80による)。
 ・マルクス「ゴータ綱領批判」(1875)でマルクスは、資本主義社会と社会主義社会の間の「政治上の過渡期」である「プロレタリアートの革命的独裁」について語った。この「独裁」と「民主主義」との関係はいかなるものか? マルクス=エンゲルス「共産党宣言」では、プロレタリアートの支配階級化と「民主主義をたたかいとること」は二つの概念として並置されていたにとどまる。

 ・最も順調に発展した資本主義社会では「民主的共和制」という「多少とも完全な民主主義」があるが、これは、実質的には少数者・「有産階級」・「金持ち」のためだけの「民主主義」だ。「窮乏と貧困」にある住民の多数者は「民主主義どころではなく」、「公共生活、政治生活への参加」から排除されている。

 ・「資本主義的民主主義」・「骨の髄まで偽善的で、いつわりの民主主義」から「ますます広い民主主義」へと単純に発展するわけではない。「プロレタリアートの独裁」を通じてのみ共産主義社会へと発展する。

 ・「プロレタリアートの独裁」は「民主主義の拡大」をもたらすだけではない。それは「金持ちのための民主主義」ではない「人民のための」・「貧乏人のための民主主義」にならせるが、同時に、「抑圧者、搾取者、資本家に対して一連の自由の例外を設ける」。われわれは彼らを「抑圧しなければならず、彼らの反抗を暴力によって打ち砕かなければならない」。
 ・「人民の大多数のための民主主義と、人民の搾取者、抑圧者にたいする暴力による抑圧、すなわち民主主義からのその排除――これが、資本主義から共産主義への過渡にさいして民主主義がこうむる形態変化である」。
 ・資本主義社会にあるのは「制限された、かたわな、にせものの民主主義」・「金持ちだけのため、少数者のためだけの民主主義」だが、「プロレタリアートの独裁」がはじめて、「少数者、搾取者にたいする抑圧」とともに、「人民のため、多数者のための民主主義をもたらすであろう」。「ただひとつ共産主義だけが、ほんとうに完全な民主主義をもたらすことができる」。
 以上、マルクス主義についての知識のある者には常識的なことだが、実際の社会主義国(ソ連、中国、北朝鮮)における民主主義の「実態」は別として、マルクス・レーニン「主義」における「民主主義」は資本主義国家のそれよりも<広い・進んだ・完全な>ものなのだ。

 平野義太郎編・レーニン/国家・法律と革命(大月書店、1967)によると、マルクス・レーニズムにおける「民主主義」論が上よりもより豊富に、多様な概念をともなって語られている。以下、適当に抜粋する。

 ・「ブルジョア民主主義革命」は「プロレタリア的、すなわち社会主義的な革命」へと「成長転化」する。「ソヴェト体制」は一革命が他革命に転化するのを確証するものであり、「労働者と農民のための民主主義の極致である」。同時にそれは、「ブルジョア民主主義との断絶」を意味し、「プロレタリア民主主義、あるいは、プロレタリアートの独裁の発生を意味する」(p.400、1921)。
 ・「権力をソヴェトへ」とは「旧国家機構全体」・「民主主義的なものを、いっさい阻止するこの官僚機構」を、「徹底的に改造する」ことであり、この機構を除去して、「新しい、人民的に真に民主主義的なソヴェト機構に代える」ということだ(p.164、1917)。

 ・こんにちのロシアでは二つの異なる社会戦争が行われている。一つは「民主主義のための」・「人民専制のための全人民的闘争」で、もう一つは「社会主義的社会組織のための、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの階級闘争」だ。社会主義者は、これら二つを同時に行う。「プロレタリアートが民主主義革命に参加する…任務を蔑視して」。「プロレタリアートと農民の革命的民主的独裁というスローガンを避ける」のは「愚か」であり「反動的」だ(p.80、1905)。

 他にもあるが、これくらいにしておく。
 ロシア革命の展開時期によって重点や用語は同一ではないが、大まかにいってつぎのような「理論」または概念用法のあることは明らかだろう。

 コミュニズム(マルクス・レーニン主義)において「民主主義」には二種がある。「ブルジョア民主主義」と「新しい、人民的に真」の「民主主義」または「プロレタリア民主主義」だ。後者こそが「完全な」民主主義だとされる(そして共産主義社会の完成=国家の消滅とともに民主主義も死滅するとされる)。但し、労働者大衆(プロレタリアート)は「ブルジョア民主主義」を目指す「民主主義革命」にも参加し、「革命的民主主義的独裁」=「プロレタリア独裁」を経て「完全な」・「プロレタリア民主主義」をもつ共産主義へと発展する。

 日本共産党が「自由と民主主義」の徹底を主張し、「真の民主主義」という言葉を使うことがあるのは元来のマルクス・レーニン主義と何ら矛盾していない。講座派マルクス主義によれば、日本はまだ「(真の)民主主義革命」を経験しておらず、「民主主義革命」と「社会主義革命」の二つの段階の「革命」を今後経なければならない(なお、「ブロレタリア独裁」は「人民の執権(ディクタトゥーア)」とかに訳語(?)変更しているはずだ)。

 また、旧東ドイツの正式名称、旧北ベトナムの正式名称が<ドイツ民主共和国>、<ベトナム民主共和国>であったのも、北朝鮮の正式名称が<朝鮮民主主義人民共和国>であるのも、不思議ではない。

 「実態」ではなく「理論」・「理念」のレベルでは、社会主義国の「民主主義」は資本主義国の(ブルジョア)民主主義よりも「進んだ」(進歩的な)ものだとされていることに注意しておく必要がある。

 いささか単純化しすぎかもしれないが、辻村みよ子が対比させる「国民(ナシオン)主権」と「人民(プープル)主権」は、<ブルジョア民主主義>と<プープル=人民の民主主義>の対比とほぼ同じなのではないか。辻村みよ子に看取できる<プープル主権>への憧憬は、<社会主義への憧憬>でもあるのではないか?

 さて、最近に紹介したように(12/22エントリー参照)、佐伯啓思・日本という「価値」(NTT出版)は、「冷戦以降」(ソ連崩壊後)の「最も進歩主義的な」国はアメリカ(合衆国)になった、と論定している。これは適切だろうか。

 「社会主義」国がまだ残存しているとすれば、資本主義国・アメリカよりも、あくまでマルクス・レーニン主義によるとだが、その現存「社会主義」国の方が、<より進んだ>・<より進歩的な>国なのではないか。この点でも、佐伯啓思の論定にはにわかに賛同することができない。

 だが、それをアメリカだとしたうえでの佐伯啓思の論述自体は日本の「保守(主義)」にとって興味深いものなので、紹介・コメントはつづける。

0960/レーニンとフランス・ジャコバン独裁(1793年憲法)-その2。

 レーニンが1915年11月に雑誌か新聞に寄せた論文「革命の二つの方向について」(レーニン10巻選集第6巻(大月書店、1971)p.172-3)は、フランス一七八九年革命に次のように言及している。

 ①プレハーノフは、マルクスの「フランスの一七八九年の革命は、上向線をたどったが一八四八年の革命は下向線をたどった」との文を引用する。前者では権力が「より穏健な政党からより左翼的な政党へと」、すなわち「立憲派―ジロンド派―ジャコバン派」へと移行した。後者では逆だ(「プロレタリアート―小ブルジョア民主主義派―ブルジョア共和派―ナポレオン三世」)。これらの事例からするプレハーノフの現在のロシアに関する推論は誤っている。

 ②「マルクスは、一七八九年にはフランスでは農民と結合し、一八四八年には小ブルジョア民主主義派がプロレタリアートを裏切ったと書いている」。

 ③「一七八九年の上向線は、人民が絶対主義に勝った革命の形態であった。一八四八年の下向線は、小ブルジョアジーの大衆がプロレタリアートを裏切って革命を敗北させた革命の形態であった」。

 プレハーノフによるロシア(1915年時点)への推論を批判してはいるが、マルクスが示したという「革命の二つの方向」、一七八九年の「上向線」と、一八四八年の「下向線」という理解そのものには、レーニンも反対していないことは明らかだ。成功(上向)と失敗(下向)の各事例の階級・階層関係の分析がプレハーノフとは異なるようだ。

 さて、上の②をプレハーノフは知っていたのに無視しているとレーニンは批判しているが(p.172)。上の②とこの批判を含まない、これらに続く文章が、平野義太郎編・レーニン/国家・法律と革命(大月書店、1967)に引用されている(平野編p.115)。

 「一七八九年のフランスでは、絶対主義と貴族を打倒することが問題であった。ブルジョアジーは、……農民との同盟に応じた。この同盟が革命の完全な勝利を保証したのである。一八四八年には、プロレタリアートがブルジョアジーを打倒することが問題であった。フロレタリアートは、小ブルジョアジーを自分のほうに引きつけることに成功しなかった。そして小ブルジョアジーの裏切りが革命を敗北させたのである」。

 このあとに、上記の(レーニン選集第6巻の)③がつづく。

 但し、平野編著は、上の①・②を割愛しているからだろう、そのまま引用するだけではなく、〔〕内に平野による「注」または「補足」を挿入している。したがって、上の③は次のようになっている。
 ③「一七八九年の上向線立憲派―ジロンド党―ジャコバン党〕は、人民が絶対主義に勝った革命の形態であった。一八四八年の下向線〔プロレタリアート―小ブルジョア民主主義派―ブルジョア共和派―ナポレオン三世〕は、小ブルジョアジーの大衆がプロレタリアートを裏切って革命を敗北させた革命の形態であった」。

 レーニン自身による上の①を参照すると、ここでの〔〕内への挿入内容が平野による独自の解釈などではなく、レーニンの理解と矛盾していないことは明瞭だろう。

 つまり、こういうことだ。レーニンは、<絶対主義→ブルジョア民主主義>というフランス革命の「勝利」の最後の頂点に「ジャコバン派(党)」を位置づけている。

 レーニンにおいて、ジャコバン独裁・1793年の時期が肯定的に評価されていることは明らかだ。あらためて記しておくが、そのようなジャコバン独裁期に制定された(だが施行されなかった)、「人民(プープル)主権」原理に立つ1793年憲法を熱心に研究して1989年に著書を刊行したのが、辻村みよ子(現東北大学教授)だ。

 なお、レーニンが執筆したもののすべてに目を通すことは不可能で、平野編著も決して網羅的ではないようだ。河野健二・フランス革命小史(岩波新書、1959)によるとレーニンは1915年に「偉大なブルジョア革命家」として「ロベスピエール」(ジャコバン派)に言及したらしいのだが、該当部分をレーニンの著書や上の平野編著の中に見出すことはできなかった。

 レーニン(またはマルクス)がフランス・ジャコバン独裁をどう評価していたかの探索(?)は、とりあえずはこれで終えておく。

0956/マルクス・レーニンとフランス・ジャコバン独裁。

 河野健二・フランス革命小史(岩波新書、1959)によれば、レーニンは1915年に、「ロベスピエールの名前をあげ」つつ、「マルクス主義者」は「偉大なブルジョア革命家に、最も深い尊敬の念をよせ」る、と書いたらしい。また、「ロシア革命の一歩一歩は、フランス革命におけるジャコバンのたたかいと、公安委員会とパリ・コミューンの経験を貴重な先例として学びつつ進められた」とされる(p.193)。

 実際のところ、レーニンは、ジャコバン派・ジャコバン独裁あるいはフランスの1793年の時期について、どのように語って、または書いていたのだろうか。

 平野義太郎編・レーニン/国家・法律と革命(大月書店、1967)という450頁を超える書物がある。これは、日本共産党員だったと見られる平野義太郎が、ほぼロシア革命の段階の順に、およびテーマ・論点ごとにまとめて、レーニンが種々の論文(・演説)等で記した(・語った)ことを整理して紹介したものだ。ある程度は、レーニン自身の言葉・文章の辞典的な役割も果たし、便利だ。

 この書物から、索引を主として手がかりにして、上記の関心に応えてみよう。レーニンは次のように述べた(「」は各論文等からの平野による抜粋的引用の部分。「…」はこの欄での省略部分。引用部分自体には平野による簡潔化・修正は加えられていないと見られる)。

 ①「ジロンド派は、フランス大革命の事業の裏切り者であったろうか? そうではない。しかし彼らは、この事業の、一貫しない、不決断な、日和見主義的な擁護者であった。だから、革命的社会民主主義者が、二十世紀の先進的階級の利益を首尾一貫してまもりぬいているのと同様に、十八世紀の先進的階級の利益を首尾一貫してまもりぬいたジャコバン派は、彼らとたたかったのである。だから、…あからさまな裏切り者・王党派・立憲主義的僧侶等々は、ジロンド派を支持し、ジャコバン派の攻撃にたいして、彼を弁護したのである」(1905.03.08)。

 ②「国民の大多数の利益のために革命的暴力を用いることに、反対するものではない。…/問題はただ『ジャコバン派』にも、いろいろあるということだ」。「機知に富んだフランスの格言は『人民ぬきのジャコバン派』をあざわらっている。/真のジャコバン派、一七九三年のジャコバン派の歴史的偉大さは、彼らが『人民とともにあるジャコバン派』、人民の革命的多数者、…とともにあるジャコバン派だったことにあった。/…ただジャコバン派ぶっているだけの連中、…はこっけいであり、みじめである」。「プレハーノフらの諸君。…一七九三年の偉大なジャコバン派が、…当時の国民の反動的・搾取者的少数者の代表を…人民の敵と宣言するのを、恐れなかったことを、諸君は否定できるか?」(1917.06.10)

 ③「民主主義的独裁は、…『秩序』の組織ではなくて、たたかいの組織である。…ペテルブルクを占領して、ニコライをギロチンにかけたとしてさえ、われわれは若干のヴァンデーに当面するであろう。マルクスも、一八四八年に…ジャコバン派のことを回想したとき、このことをみごとに理解していた。彼は、『一七九三年のテロルは、絶対主義と反革命とを片づける平民的なやり方にほかならなかった』と言っている。われわれも『平民的』なやり方でロシアの専制をかたづけるほうをえら」ぶ(1905.04.08。「ヴァンデー」とは、抵抗した農民に対する革命軍の大虐殺があった地域名-秋月。以上、p.44-45)。

 ④1849年のドイツでの「反動」期に、「マルクスは、…労働者が自主的に自分自身の組織をつくるように勧告し、とくに全プロレタリアートの武装が必要であること、プロレタリア衛兵を組織すること、『武装解除の試みは、すべてこれを必要とあれば暴力を用いても、阻止しなければならないこと』を主張している」。「マルクスは、一七九三年のジャコバン党のフランスを、ドイツ民主主義派の模範としている」(1906.03.20。p.82)。

 以上を、平野義太郎編著を使ってのレーニンの叙述紹介の第一回とする。

 レーニンやマルクスが、「1793年のジャコバン派」をどのように評価していたかは、すでに明瞭だろう。

 くり返しておくが、そしてまた再度述べるだろうが、フランス1793年憲法・ジャコバン派を研究した辻村みよ子が、このようなマルクス、レーニンによる評価にまったく(ほとんど?)言及することがないのは一体なぜなのか? 全く知らなかったはずはないのだ。

 付記すれば、既述のように、樋口陽一も、ルソーやジャコバン派を肯定的に評価していた憲法学者だ。樋口陽一・自由と国家(岩波新書、1989)p.170は、「一九八九年の日本社会にとっては、二世紀前に、中間団体をしつこいまでに敵視しながらいわば力ずくで『個人』をつかみ出したルソー=ジャコバン型個人主義の意義を、そのもたらす痛みとともに追体験すること」が「重要なのではないだろうか」とすら書いていた。樋口陽一も、マルクスやレーニンがジャコバン独裁(・テロル)を肯定的に評価し、実践的な「模範」としていたことに言及していない。一体なぜなのか?

0921/藤生京子という朝日新聞記者の書いた記事(2010年8月)。

 朝日新聞の今年(2010年)8月23日(と思われる)記事にこんなものがあった。執筆者の朝日新聞記者「藤生京子」は、親マルクス、親コミュニズムのようだ。あるいはマルクス主義に何がしかの<郷愁>を持っていると見える。この新聞社に入社すると、かりにそれまではまともな精神をもっていても、「社風」という<空気>の影響を(可哀想に)受けてしまうのだろう。いかにも朝日新聞らしい記事として、記憶に残されてよいと思う。

 それにしても、冒頭の「…カール・マルクス…が、このところ相次ぐ入門書や解説書、新訳の刊行で、再び注目されている」というのはいかなる<事実>をいうのだろうか。朝日新聞または藤生京子が<注目したい>と主観的に考えている、というだけのことではないのか。

 なお、①「左翼政党の後退は著しい」と書くが、日本の民主党も十分に「左翼」政党であることを読者一般に知らせたくないのかもしれない。日本の「左翼」政党は(少なくとも<左翼>が首脳部に居座る政党は)日本共産党と社会民主党に限られはしない。②途中に出てくる長谷川宏は、今どき丸山真男を<持ち上げる>新書(講談社現代新書)を書いている人物。③途中に出てくる「かもがわ出版」は、北朝鮮拉致被害家族の運動を<政治的に偏向>していると批判して、みずからの<政治的偏向>を明瞭にした蓮池透・拉致-左右の垣根を超えた闘いへ(2009.05)〔この欄で取り上げる暇がなかった〕を出版している、日本共産党系(かつ北朝鮮系?)と見られる出版社。

 -----------------------
 <見出し>今、再びマルクスに光 入門・解説書や新訳、相次ぎ刊行

 <リードと本文> 冷戦終結とともに葬り去られたはずのカール・マルクス(1818~83)が、このところ相次ぐ入門書や解説書、新訳の刊行で、再び注目されている。現実政治への影響力は薄れたが、経済のグローバル化や環境問題、個人の生き方など、21世紀の課題に向き合う思想として新たな光を放ちつつある。

 〇現代の課題に向き合う

 「強靱(きょうじん)な論理でぐいぐい読者を引っぱりながら、瞬間的な目くらましで跳躍する。作家・マルクスのドライブ感あふれる文体について、書きたいと思っていた」

 内田樹(たつる)・神戸女学院大教授(フランス現代思想)が熱を帯びた口調で語る。

 同僚の石川康宏教授(経済理論)との共著『若者よ、マルクスを読もう』(かもがわ出版)を6月に出した。『共産党宣言』『経済学・哲学草稿』などマルクス青年期の著作を往復書簡の形で解説。今後も『資本論』など続編を発表していくという。

 「座標軸をなくした日本社会には、一本筋の通った左翼の存在が必要だと思う。今の若者は左翼アレルギーが強いが、ブルジョアジー出身のマルクスが弱者への友愛から連帯の思想を紡いでいったように、本来の左翼的知性とは熱くて柔軟なものだ」

 とはいえ、礼賛だけの本ではない。「マルクスにどっぷりつかってきた」という石川教授と、違いを認め合いつつ進める対話は、左翼につきものだった党派対立をこえる実践の書としても読める。

 マルクスを呼び戻そうとする思潮は欧州でも目を引く。近著『ポストモダンの共産主義』(ちくま新書)が話題を集めるスロベニア生まれの思想家ジジェクは、現代社会は環境破壊や遺伝子工学による倫理破壊などによって「世界の終わり」に達していると警告。それはマルクスの指摘した「実質なき主体性」に帰すものだとみる。

 6月に新訳『共産党宣言』(作品社)を発表した的場昭弘・神奈川大教授(経済思想)も確信を込めて言う。「千年、二千年単位で構想されたマルクスの世界観にとって、ソ連・東欧の失敗は序曲にすぎない。共産主義を求める波は今後も繰り返し訪れる」
 新訳は、一文ごとの詳細な解説を含んだ付録資料が400ページに及ぶ。マルクスの著作は実はきちんと読まれてこなかった、と的場教授は考えるからだ。たとえばブルジョアジーが競争と自由をもたらしたことを評価した点。疎外された労働も一方で人々をつなぐ喜びの源だとした点。「マルクスの魅力は、矛盾をはらんだ二重性の豊かさにあるのです」

 「豊かさ」は、6月に『経済学・哲学草稿』の新訳を光文社古典新訳文庫から発表した哲学者、長谷川宏さんが力を込める点でもある。学生運動のあと40年間、私塾で子どもたちに教えるかたわら研究を続けてきた。主著『資本論』よりも、『経済学・哲学草稿』が問題提起する人間と自然、社会との信頼関係のほうが、きわめて今日的なテーマとして身に迫ってきているという。

 「政治解決できる問題など実際には少ない世の中で、一人ひとりがどう生きたらいいのか? マルクスが、人が地べたで生きていること自体に可能性と希望を見た意味は、深いと思う」

 〇思想見極め選ぶ時代に

 左翼政党の後退は著しい。なのにマルクスが読み直される状況について、近く現代書館から『労働者の味方マルクス』(仮題)を出す橋爪大三郎・東工大教授(社会学)は「アナーキーでクレージーな思想家も安全に受け入れられる時代になった」と話す。

 「政権交代が起きたのが象徴的だが、労働者が革命を起こす前提が日本では完全に消滅した。マルクスも、社会改善のヒントを提供する一人になったということだ」

 橋爪教授は、それをある意味での「進歩」と呼ぶ。思想の側に無理やり人々があわせるのではなく、信頼と納得ができる思想かどうかを人々が見極め選ぶ時代がやってきたというのだ。

 「牙を抜かれたマルクスから、また新しい思想が生まれていくと思う」(藤生京子
 ----------------------------

0811/「レーニンから毛まで」。<容共>か<反共=反コミュニズム>かが基本的対立軸。

 産経新聞社の別冊正論あたりに近いだろうか、ドイツの新聞社 Die Zeit〔時代〕 が季刊で「Die Zeit /歴史」という本又は雑誌を発行していて、今年秋号で第18号になったようだ。
 その2009-03号のタイトルは<危機の予言者-カール・マルクス>。内容を紹介するつもりはないし、その能力もない。
 目次を瞥見して興味を惹いたのは、Iring Fetscher(イリング・フェッチャー)という人物が「父の名前において-レーニンから毛まで-マルクスのイデーから生まれたもの」という文章(論文)を書いていて、マルクス-レーニン-毛沢東を一つの系統として捉えていることだ。毛(沢東)の名前が挙がるなら、実質的には「金日成まで」続いていると理解して何ら差し支えないだろう。
 毛沢東と金日成のあと、中国と北朝鮮において、体制の基本的思想において断絶はあったのか。むろん、<市場経済>を一部で導入した中国のように、政策的に重要な変更はある。だが、毛沢東や金日成の後継者たちが両国を支配していることにほとんど誰も異論を挟まないだろう。
 だとすれば、イリング・フェッチャーの言葉を借りれば、<マルクス・レーニンから毛沢東・金日成まで、そして現在の中国・北朝鮮の指導者たちまで>という系列を語ることが可能だ。
 日本共産党のように、マルクスとレーニンまでは「正しく」、スターリンから誤って<真の社会主義>ではなくなった(少なくとも目指す国でなくなった)、などという<寝言>を、ドイツ人を含む欧米人は誰も(一部のマルクス主義者を除き「ほとんど」が正確だろうか)語ってはいないだろう。
 現時点ではまだ政権与党であるドイツ社会民主党も戦後に早々と<反共=反コミュニズム>を明確にし、そのゆえにこそ、政権を担え、首相も出せる<現実的・建設的な>政党になった。
 <反共=反コミュニズム>は、欧米では、諸国民や知識人たちの(ほとんど)<常識>であるに違いない。
 日本ではどうか。<反共=反コミュニズム>は一部の<保守・反動>・<右翼>の心情で、共産主義=コミュニズムに対しても<優しく><リベラルな>のが(つまりは<容共>が)<進歩的>な感性の人間だとの、根拠のない思い込みになお多くの国民が陥っているように見える。はなはだしいのはマスメディアに従事する輩たちであり、大学の人文・社会系の学者たちだ。
 「レーニンから毛まで」と簡単に断言することのできない、曖昧な知識人・マスコミ人士の何と多いことか。
 グローバル化というなら、こういう<反共=反コミュニズム>においても日本は<国際標準>に合わせるべきだ。そこに達していない日本は、欧米に比べて<グロテスクに異様だ>と感じなければならない。
 もともと外国所産の思想に対する<反共=反コミュニズム>を掲げることに反対するために(つまり<容共>のために)、日本に固有・独自の歴史・文化を持ち出す持ち出すことはできない。上のことは何でも欧米の真似をせよ、という主張をしているのではない。
 民主党は全体としては又は多数派は<共産主義・社会主義志向ではない>という了解と安心があったからこそ、有権者の多くは同党に票を投じたのだろう。たしかに、米帝は日中人民共通の敵だと北京で声明した委員長がいたり、日米安保廃棄を唱えつづけてきたかつての日本社会党とは異なるようだ。
 だが、この政党に<旧社会党>一派がいることは周知のことだし、新総理大臣・鳩山がはたしてどこまで<反共=反コミュニズム>意識の持ち主であるかは疑わしい。むしろ<容共>に傾きうるのではないか、という危惧がある。
 こんな曖昧な政党に政治を委ねなければならないとは、憂鬱な事態だ。
 ドイツでは同盟(CDU/CSU)と自由民主党(FDP)の<保守・中道>連立政権が生まれそうだとされているが、かりにドイツで社会民主党(SPD)ほぼ単独の政権ができても、日本の新政権よりはマシなのではないか。ドイツ社会民主党の<反共=反コミュニズム>ははっきりしており、米国等との北大西洋条約機構(NATO)からの離脱を主張するはずもないからだ(もっとも、独社民党はドイツ国内の米軍の核兵器の撤去を要求しているらしい。ということは、現時点で、ドイツには明確に米軍の核兵器がある、ということ、そしてそのことが広く知られている、ということだ)。
 一部であっても<隠れマルクス主義者>や<容共>の者が民主党内で力を持つとすれば、日本は由々しき状況になるだろう。
 かくのごとく、中国・北朝鮮の現況を前提とすると、日本での思想・政治の最も基本的な対立軸は、なお<容共>か<反共=反コミュニズム>だ、と考えている。
 多くのマスコミ人士や学者たちは、<民主主義(の徹底・充実)>か<古い(愛国的・保守的)思考(の存続)>かの対立だと捉えているように見える。こういう対立軸の設定は、<民主主義かファシズム(軍国主義)か>という、戦後昭和<進歩的文化人>、丸山真男らも描いた、戦後当初の思考枠組みをそのままなお引き摺る、じつはアンシャン・レジームの発想だ。
 決して万全の、理想的なイデオロギーでも何でもない(実現すべき実体的価値を何ら示さない)<民主主義>(国民の「皆様」が主人公!)の実現・充実・徹底、という「青い鳥」を<夢想>して、大多数の国民(・マスコミ人士・学者)はこれからも生きていくのだろうか。むろん、その先頭に朝日新聞や岩波書店や某大学等々の学者たちがいる。どこかが大きく間違っている。

0774/ルソーとフランス革命と「全体主義」。

 1.ルソーは将来の「フランス革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない。マルクスも、将来の「ロシア革命」の具体的戦略・戦術を論じてはいない(それをしたのはレーニンだ)。
 だが、ルソーが「フランス革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を、マルクスが「ロシア革命」の理論的・理念的ないし<思想的>根拠を提供したからこそ、ルソーとマルクスは後世にまで名を知られ、影響を与えたのだろう。言うまでもなく、「フランス革命」と「ロシア革命」は現実に(とりあえずは)<成功した>革命だったからだ。「フランス革命」と「ロシア革命」が現実に生起していなければ、ルソーもマルクスも、現実に持ったような「思想」的影響力を持たなかったように思われる。
 2.ルソーのいう「社会契約」等が内容的・思想的にフランス革命に影響を与えただろうことは推測がつく。また、『人間不平等起原論』が人間の「本来的平等」論につながるだろうことも判る。だが、ルソーとフランス革命の関係、前者の後者への具体的影響関係は必ずしも(私には)よく分からないところがある。
 前回言及の小林善彦ら訳の本(中公クラシックス)のルソーの年譜に、1778年に死去してパリの「エルムノンヴィル邸」(城館)に面する池の中の「ポプラの島」の埋葬されたが、1794年10月11日に遺骸が「ポプラの島」から「パンテオン」に移されて葬られた、とある。中心部の南又は東南にある「パンテオン」はフランス又はパリの<偉人>たちの墓でもあるらしいので、ロベスピエールの失脚(斬首)のあとの、1794年10月段階の穏健「革命」政府によって積極的に評価された一人だったことは確かだ。
 詳細な人物伝ではないが、中里良二・ルソー(人と思想)(清水書院、1969)という本があり、次のような文章を載せる。
 ・「ルソーの『社会契約論』は、その存命中にはあまり広くは読まれなかったが、かれの死後、革命家たちの福音書になり、デモクラシーの精神を発達させるのに役立った。そして、一七九三年には、ロベスピエールとサン=ジュストは、『社会契約論』を典拠として国民公会憲法をつくったという」(p.24)。この「国民公会憲法」は1793年制定だとすると、これは<プープル(人民)主権>を謳った、しかし施行されなかった、辻村みよ子お気に入りのフランス1793年憲法のことだ。
 ・「ルソーがフランス革命において、ただ一人の先駆者」ではないが、「その一人であるということはできよう」。「一七九一年一二月二九日、デュマールは国民議会でルソーの像を建てることを提案する演説の中で、『諸君はジャン=ジャック=ルソーの中に、この大革命の先駆者をみるだろう』といっている」。
 ・「マラは一七八八年に公共の広場で『社会契約論』を読んでそれを注解し、それを熱心に読んだ聴衆が拍手喝采したという」。
 ・「一七九一年には、モンモランシーに建てられたルソー像には『われわれの憲法の基礎をつくった』と刻まれている」(以上、p.25)。
 このあと、中里良二はこうまとめる。
 「このような例だけによってみても、ルソーのフランス革命への影響がいかに大きかったかがうかがい知られる…」。
 ロベスピエールを<ルソーの子>又はこれと類似に表現する文献を読んだような気がする(中川八洋の本だったかもしれないが、確認の手間を省く)。
 ともあれ、ルソーのとくに『社会契約論』は(他に所謂<啓蒙思想>等もあるが)「フランス革命」の現実の生起に<思想的>影響を与えたことは間違いないようだ。
 なお、松浦義弘「ロベスピエール現象とは何か」世界歴史17・環大西洋革命(岩波講座、1997)p.200によると、ロベスピエールは「ルソーの霊への献辞」と題する文章の中で、「同胞たちの幸福」を求めたという自らの意識が「有徳の士にあたえられる報酬」だ、と書いたらしい。
 3.もっとも、以上は、松浦義弘(1952~)のものを除いて、フランス革命を<進歩的>な<良い>現象と捉えたうえで、ルソーにも当然に肯定的な評価を与えるものなので、その点は割り引いて読む必要がある。
 中里良二(1933~)の本の「はしがき」は次の文章から始まる。
 「ルソーは、今日にもっとも影響を及ぼした一八世紀の思想家の一人である」。
 その「影響」が人類にとって「よい」ものだったか否かはまだ結論を出してはいけないのではなかろうか。
 しかし、小林善彦(1927~)はこうも書いている。
 『社会契約論』は理解困難だった歴史をもつ。「二〇世紀の後半になると、ルソーこそは全体主義の源流だと見なす研究者さえ出てきている。時代背景も著者の生涯も無視して、たんにテクストだけを切り離して読むならば、そう読めないこともないとはいえるが、それならばルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか。やはり素直に読めば、主権者たる市民による民主主義の主張の書として読むのが正しいのではないかと思う」(中公クラシックス・ルソーp.18)。
 ここでは、①「たんにテクストだけを切り離して読むならば」、「ルソーこそは全体主義の源流だ」と「読めないこともないとはいえる」、と認めていることが興味深い。そして、フランス革命時の革命家たちは「テクストだけを切り離して」読んでいたのではないか、と想像できなくもないので、彼らは実質的には<全体主義>者になったと言うことも不可能ではない、ということになりそうなことも興味深い。
 ②疑いなく、「主権者たる市民による民主主義」を、肯定的に理解している。全世界に、少なくとも日本とっても<普遍的に正しい>思想だと理解している。かかる、小林善彦が当然視しているドグマこそ疑ってかかる必要があるのではないか、と特段の理由づけを示すことなく、言えるだろう。佐伯啓思・自由と民主主義をもうやめる(幻冬舎新書、2008)という本もあった。
 もっとも、日本の中学や高校の社会系教科書では、圧倒的に、ルソーは小林善彦らの(従来の)通説に従って評価され、叙述されてはいるのだが。
 ③「ルソーが二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした影響をどう説明するのだろうか」との指摘は<全体主義の源流>論に対する、何の反論にもならない。<二百年以上もの間、日本を含めて世界中におよぼした「悪い」影響>の可能性を否定できない。ルソー(・フランス革命)はマルクスに影響を与え、従って「ロシア革命」にも影響を与えた。共産主義(コミュニズム)による一億人以上の殺戮に、ルソーは全く無関係なのかどうか。

0764/NHK教育テレビ7/10(金)夜<芸術劇場>・「カール・マルクス:資本論、第一巻」。

 NHK教育テレビ7/10(金)午後10時46分からの<芸術劇場>は、2009年3月1日に東京の「にしすがも創造舎」で収録したらしい「カール・マルクス:資本論、第一巻」という演劇(舞台)を放送していた。
 演劇の手法は「リミニ・プロトコル」という新しいものらしいのだが、ほとんどがドイツ人によってドイツ語で演じられる、かつ以下のような内容の「芝居」をそのまま録画中継のかたちで放映するだけの価値のあったものなのか、すこぶる疑わしい。
 NHKのサイトによると、この「芝居」の放映は次の意義をもつらしい(「」は引用)。
 「20世紀を変えた書物と言われる『資本論』。この本は一体、私たちにどんな現実をもたらしたのか?」、「今回、究極のベストセラー」=「カール・マルクス:資本論」を、「ヨーロッパで爆発的人気のリミニ・プロトコル」が題材に選んだ。
 「プロの俳優を使わず、実際(ホンモノ)の経済学者、労働運動家、通訳、学生など…“素人”が登場。『資本論』に関わった人もいれば、無関心だった人、忌避した人とさまざまで、そこに描かれるのは単なる社会主義のプロパガンダでも批判でもない。出演者たちが、自ら実人生を語り、ユーモアたっぷりの対話を展開しながら、名もなき個人からみた世界の歴史と現在が浮かび上がってくる」。
 「奇しくも『蟹工船ブーム』など格差が社会問題となり、金融危機など資本主義そのものが問われる今、この舞台が日本と世界の今をどう映し出すか注目された。話題の国際演劇祭『フェスティバル/トーキョー』開幕を飾ったリミニ・プロトコル来日公演をお届けする」。
 以上がほぼ9割の引用・紹介だが、NHKエンタープライズ制作のこの番組の担当者は、「今」、「奇しくも『蟹工船ブーム』など格差が社会問題となり、金融危機など資本主義そのものが問われ」ている、という時代認識を持っていることが分かる。
 あえて論じないが、金融危機=資本主義
「そのもの」の問題という理解は、幼稚極まりない(また、国際演劇祭『フェスティバル/トーキョー』とはどの程度「話題」になっている著名なものなのか?)。
 さらに、「単なる社会主義のプロパガンダでも批判でもない」といちおう書いてはいる。しかし、①上の<時代認識>と併せると、「カール・マルクス:資本論、第一巻」という演目の芝居を(決して消極的・否定的にではなく)取り上げること自体が一種の<政治性>を持っており、②なるほど種々の反応をする人びとが登場したようだが、印象に残るのは、資本主義(国)批判を内容とする「資本論」の一部を読む日本人、<社民青年同盟やドイツ共産党は変革のために闘ってきた>等々と演説するドイツ人青年、中国のマルクス・資本論の翻訳本を好意的に紹介する老年学者風ドイツ人などだ。残念ながら録画していない。
 途中から何となく観たのだが、NHKはまたもや<狂った>か、と感じた。この演劇は明らかに特定の<思想傾向>をもって、あるいは特定の<思想傾向>をもつ人びとによって制作されている。NHK(エンタープライズ)はそれに<便乗>したかに見える。あるいは、少なくとも<奇矯>=まともではない、という印象を与える。
 <芸術>・<演劇>の名のもとに特定の傾向のものを放映するのは、あるいは特定の別の傾向のものは放映しないのは、放送法にも違反する<偏向>と評すべきだろう。
 以下は、NHKサイトによる上記演劇の「内容」の叙述だが、こう叙述される以上に、マルクス的又はマルクス主義擁護的な匂いの強い演劇であり、その放映だ。なお、最後の、「それぞれ」の「胸に秘めた夢と希望」等々をこの叙述は省略しているが、紛れもなく全体として「左翼」的だ。
 これを観た人の感想を聞きたいものだ。

 「(内容)
 舞台の巨大な本棚には300冊の『資本論』が並び、棚のテレビモニターには、西暦の年号や映像が映し出されている。すでに数人の出演者が、レコードをかけたり、本を読んだり、思い思いに過ごしている。
 まず、盲目の電話交換手、シュプレンベルク(43)が、初老の経済学者、クチンスキー(64)から点字版「資本論」を渡され、一節を読み上げる。モニターに「1946」の文字が浮かび、舞台が始まる。その1946年、マルゲヴィッチ(62・映画監督)は、戦後のソ連軍から逃避行中の個人的「事件」について語り出す。食料と引き換えに、当時一歳の自分が地元農婦に、まるで「商品」として「交換」されかけた事件だ。20歳になってラトビア大学で「資本論」に出会うが、今「講義は苦行だった」とふりかえる。同じ年、ノート(67・中国コンサルタント)は、学生運動に参加、市の行事を妨害して逮捕された体験を語る。3年後の1969年、クチンスキー(64)は最初の修士論文をドイツ恐慌をテーマに書き上げる。同年、東ベルリンに生まれた女性通訳のツヴェルク(39)が、デパートで誘拐されかけた事件を語る。1971年、25歳のマルゲヴィッチは映画「集団農場」を監督。その年、26歳のノートは学生結婚。娘が生まれた年も学生運動に参加したと回想する。モニターに「1973」の文字。その年マルゲヴィッチはソ連留学。「資本論」講座教官の「わが国は警察国家。思想の自由がない」の言葉に驚愕したと言う。翌1974年、ヴァルンホルツ(48・ギャンブル依存症自立支援団体)は労働運動に参加。スト中に仲間が買収され、落胆した体験を語る。
 60年代から70年代の労働運動と学生運動のうねり。やがて、ペレストロイカから「壁」崩壊とドイツ統一、ソ連解体と資本主義へ。それぞれ、仕事や家族をめぐる人生の一断面が語られる。
 やがて終章、来るべき2015年。いったい自分は地球のどこでどんなことをしているか、それぞれが、胸に秘めた夢と希望を語り出す」。

0760/実教出版の高校教科書・世界史B(2007、鶴見尚弘・遅塚忠躬)を一読。

 実教出版高校/世界史Bの教科書(2006.03検定済み、2007.01発行)。執筆・編修代表者(表紙掲記者)は鶴見尚弘遅塚忠躬
 ・「フランス革命の意義」をこう書く(p.238-9)。
 「旧体制を打倒」して「資本主義に適合した社会をもたらしたという意味で」、「市民革命(ブルジョワ革命)の代表的なもの」だった。イギリスとは異なり「広範な民衆や農民が積極的に革命に参加」したので「自由の実現」だけでなく「社会的な不平等」の是正の努力がなされた。「そのような意味で、…民主主義をめざす革命」で、「民主主義」理念は19世紀以降の「革命運動」に大きな影響を与えた。「しかし…深刻な問題もあった」。「反対派を暴力で排除しようとする恐怖政治がうまれた」からだ。同じ状況は「20世紀のロシア革命でくりかえされる」。(以下の6行分省略)
 基本的には「市民革命」と位置づける従来型と変わらない。「社会的な不平等」の是正を目指したという意味で「民主主義をめざす革命」だった、という叙述は、「平等(主義)」と「民主主義」の関係がよく分からない。あるいは、「民主主義」をいかなる意味で用いているのかがよく分からない。
 但し、「恐怖政治」という「深刻な問題」があったこと、それがロシア革命で繰り返されたこと、をきちんと書いている点は積極的に評価できるだろう。
 執筆・編修者に私の知るようなマルクス主義者はいないことも、上のような叙述につながっているのかもしれない。但し、この教科書に限らないと推測されるが、マルクス主義や社会主義国「ソ連」等に対する批判がやはり弱いままだし、日本にとっての<自虐的>な叙述もなお多く残ったままだ。
 ・マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」、前者の「資本論」は、「労働運動と社会主義」の項の中で、「後世に大きな影響を与えた」ものとして記述される(p.253)。
 肯定的評価をしているように読めるし、少なくとも後世にとっての<悪い>大きな影響だった可能性を考慮していないかの如き書きぶりだ。
 ・「現代の文化」、多くの潮流のある「20世紀の思想」等として明記されるのは、つぎの4つ(p.391)。①「レーニンらが発展させたマルクス主義」、②「ベルクソンに代表される生の哲学」、③「サルトルらの実存主義」 、④「フロイトの精神分析学」。
 ・ソ連解体と東欧諸国の変化に当然に触れてはいるが、その原因らしきものとして書かれるのは、「社会主義体制下での政治的自由の欠如、経済の停滞」のみ(p.375-6)。
 これでは「世界史」は理解できないだろう。一方ではマルクスらの著や「レーニンらが発展させたマルクス主義」を肯定的に叙述しているが、これらの<誤り>こそが<ソ連解体>等の基本的原因ではないのか?。
 ・「全体主義」との概念はいっさい用いられていない。ドイツ・ナチスとイタリア・ファシスト党が「ファシズム」の担い手として語られている(p.334。日本は?)。
 ・「日本軍」による1937年の「市内外での多数の捕虜・民衆など」の「虐殺」を「南京大虐殺事件」と表現して、事実として書いている。注記では「女性・子どもを含む非戦闘員や武器を捨てた兵士も虐殺…。犠牲者は20万人以上といわれるが…他の説もある。中国ではその数は30万人以上としている」と記述(p.338)。
 これでは、被「虐殺」者数が20~30万人と読まれてしまうだろう。
 ・「日本の植民地支配」につき、朝鮮で「徹底した日本への同化政策をおしすすめた」とし、「台湾でも同様の政策を強行した」とする(p.344)。
 また、「日本は、太平洋戦争遂行のために植民地・被占領地の人的、物的資源を収奪した」との一文のあと、「70万人に及ぶ朝鮮人が強制的に…連行され」、少なくない人が「従軍慰安婦として戦場に送られた…」等と書く(p.344)。受動態になっていて隠されているが、主体は「日本」(国家)としか読めない。
 さらに、日本軍は中国で「三光政策」を採ったと書く(p.345)。
 朝鮮や台湾はかつて日本の「一部」であり、そうなったことは合法的という意味でも(非難されるいわれのない)正当なものだった。そうした地域について、なぜ「収奪した」などという表現が使えるのだろうか。
 こうした、日本や日本軍に関する叙述は、この教科書が突出して「左翼的」あるいは「自虐的」だからではないだろう。おそらくはほとんどの教科書が同様なのだろう。ここにむしろ、恐ろしさがある。
 こんな教科書を読んでいると<反日・自虐>は、当然の<マナーとしての心情>になってしまうに違いない。
 じわじわと形成されているのが感じられる<左翼全体主義>は、こうした教科書による学校教育によるところも大きいと考えられる。
 NHKの濱崎憲一らもこうした教科書を学んだのだろう。また、自民党の国会議員の中でも(相対的に若手の)相当数の者が、学校教育の結果として、こうした<反日・自虐>「史観」に嵌っていると思われる。推測だが、石原伸晃山本一太片山さつき佐藤ゆかりも。稲田朋美は異なると思われるが。

0706/ルソー・人間不平等起源論(中公クラシックス他)は「亡国の書」・「狂気の哲学」。

 谷沢永一=中川八洋・「名著」の解読-興国の著・亡国の著-(徳間書店、1998)という本がある。
 和洋5冊ずつ計10冊の著書が採り上げられている。もともとは「名著」だけのつもりだったようだが、結果としては副題のように「興国の著」のほかに「亡国の著」が和洋1冊ずつ計2冊、対象とされている。
 「亡国の著」(悪書)は、丸山真男・現代政治の思想と行動(未来社)と、ルソー・人間不平等起源論(中公クラシックスほか)。
 ついでに「興国の著」(良書)とされているあと8冊(和洋四冊ずつ)を紹介しておくと、日本-①林達夫・共産主義的人間、②福田恆存・平和論に対する疑問、③新渡戸稲造・武士道、④三島由紀夫・文化防衛論。外国-①マンドヴィル・蜂の寓話、②ハイエク・隷従への道、③B・フランクリン・自伝、④バーク・フランス革命の省察
 それぞれについて面白い対談がなされているが、丸山真男とルソーの著は、それこそ<ボロクソ>に非難・揶揄されている。ルソーは文字通り<狂人>扱い。
 思想家・哲学者なるものの全てがそれぞれそれなりに<偉く>もなんでもないことは、年を重ねるにつれ、確信にまでなっている。
 異常で<狂気>をもつ<変人>だからこそ、奇矯な(あるいは良くいえばユニークな)、そして読者に「解釈」を求める、つまりは理解し難い著書を数多く執筆し、刊行できた、ということは十分にありうる。
 長い、何やらむつかしそうな文章で詰まった本の著者というだけで<偉い>わけではない。そうした本の中には、明らかに、人間・人類に対して<悪い影響>を与えたものがある。
 人間というのはたまたま言葉と論理を知ったがゆえに、過度に、<新奇(珍奇)な>言説・論理に惑わされ、誘導されてきたのではないだろうか。
 人の本性・自然と自生的「秩序」から離れた<知的空間>には、危険な「思想」がいつの時代でも蔓延してきたし、国家・社会の<主流>になっていることすらある。ルソー「的」・マルクス「的」な「思想」は、日本が戦後、もともとは西欧「思想」の影響下にあったアメリカの影響を受けたために、そして(欧米的)「民主主義」=善、(日本的)「軍国主義」=悪という<刷り込み>をされてしまったために、<主流派>西欧思想がなおも日本人の意識の中では、正確には大学を含む学校教育やマスコミ等の<公的>空間に表れている意識の中では、<主流派>のままだと考えられる(土着的な又は深層レベルでの意識においてはなお「日本」的なそれは残存している筈だが)。
 <主流派>西欧思想としてホッブズ、ロック、ルソーらが挙げられようが、決してこれらは(佐伯啓思の言葉を借用すれば)西欧においてすら<普遍的>ではなかった。
 日本の社会系・人文系学問・学者の世界はおそらく<主流派>西欧思想(戦後はアメリカのそれを含む)が支配している。
 日本国憲法自体が<主流派>西欧思想の系譜に属すると見られるのだから、この拘束・制約は相当に重く、解け難いものと見ておかねばなるまい。
 憲法学者のほとんどが「左翼」(←<主流派>西欧思想)であるのも不思議では全くない。そして、辻村みよ子もまた、その憲法教科書で、当然のごとく、ルソーの「思想」に、善あるいは<進歩的>なものとして少なからず言及している。
 上の本での中川らの評価と辻村みよ子の本によるルソーの参照の仕方を、対比させてみたいものだ。

0459/日本共産党ではなく「日本共産教」・「科学的社会主義教」という宗教団体。

 安い古本だからこそ店頭で買ったのだが、日本民青同盟中央委・なんによって青春は輝くか(初版1982.04)という本がある。中身は青年・若年層向けの宮本顕治・不破哲三等の講演を収めたもの。
 宮本顕治のものは四本ある。宮本は逝去まで日本共産党中央から非難されなかった珍しい人物なので、この本で宮本が語っていることを日本共産党は批判できず、「生きている」日本共産党の見解・主張と理解してよいだろう。
 全部を読んでいないし、その気もない。p.14を見ていて、こんな内容が少しだけ興味を惹いた。以下、宮本の講演録(1982年2月に民青新聞に掲載)の一部。
 <「社会主義」とは第一に「搾取をなくし、特権的な資本家をなくして、労働者の生活を守る」、第二に、「広範な働く人の民主主義を保障する」、第三に「民族独立を擁護する」。ポーランド問題で社会主義自体がダメだとの批判が起きているが、そうではない。社会主義そして「将来の共産主義社会」は「どんな暴力も強制も不要な」「すべての人びとの才能が花ひらく、才能が保障される社会」で「マルクス、エンゲルス、レーニンたちが一貫して主張してきた方向」だ。>
 ここまででも「搾取」・「特権的な資本家」といった概念がすでに気になるし、またこの党が「民族独立」=反米を強調していることも面白い(社会主義の三本柱の一つに宮本は挙げている。はたして、「社会主義」理論にとって「民族独立」はこれほどの比重を占めるものなのか)。
 だが、面白いと思い、さすがに日本共産党だと感じたのは、上に続く次の文だ-マルクスらの説は「ただ希望するからではなく、人類の歴史、いろんな発展が、そうならざるを得ない」。
 このあとの、マルクスらの説は「人類のつくったすべての学説のすぐれたものを集めたもの」だということが「共産主義、科学的社会主義のほんとうの立場」だ、という一文のあとに「(拍手)」とある。
 いろいろな事実認識、予測をするのは自由勝手だが、上の「いろんな発展が、そうならざるを得ない」とはいったい何だろうか。「そうならざるを得ない」ということの根拠は何も示されていない。共産党のいう<歴史的必然性>とやらのことなのだろうが、それはどのようにして、論証されているのか??
 たんなる「希望」であり、そして要するに「確信」・「信念」の類であり、<科学的>根拠などどこにもない
 上のような内容を含む講演というのは、信者または信者候補者を前にした<教主さま>の<説教>・<おことば>に違いない。その宗教の名前は、<日本共産教>または<科学的社会主義教>が適切だろう。
 現在も、こんな(将来の確実な<救済>=仏教的には「浄土」の到来?を説く点で)基本的には新興宗教を含む「宗教」と異ならない「教え」を信じて信者になっていく青年たちもいるのだろう。1960年代後半から1970年前半頃までは、今よりももっと多かったはずだ。
 こんな民青同盟又は日本共産党の組織員になって「青春」が「輝く」はずもない。一度しかない人生なのに、日本共産党(・民青同盟)に囚われる若い人々がいるのは(この組織だけでもないが)本当に可哀想なことだ。
 読了済みの佐伯啓思・日本の愛国心(NTT出版)の紹介を含めた言及をしたいのだが、内容が重たいので、書き始められずにいる。

0243/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す(2000)のフランス革命論。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)は副題に「フランス革命」が付いているし、第Ⅱ部のタイトルは「立憲主義の転回―フランス革命とG・ヘーゲル―」なので、全篇がフランス革命に関係していると言える。そのうち、第Ⅱ部第6章「立憲主義のモデル」からフランス革命に直接関係がある叙述を、私が阪本昌成氏になったつもりで、抜粋的・要約的に以下にまとめてみる。
 フランス人権宣言16条が「憲法」の要素(要件)として「権利の保障」と「権力分立」の二つを挙げるていることは誤った思考に陥りやすく、要警戒だ。同宣言はいくつかの「権利」を明記しているが、それらのうちの「自由」・「平等」・「財産権」はフランスと米国ではニュアンスが異なる。とくに、「自由」の捉え方が根本的に違う。
 いま一つの「権力分立」は、フランス革命期には権力分立の亜種すらなく、ルソー主義の影響で、立法独占議会・「一般意思」表明議会の下での司法・行政だった。建国期アメリカの権力分立論は、人間に対する不信・権力への懐疑・民主制の危険等々<保守>の人びとの構想だった。
 今日では民主主義の統治体制を統制する思想体系が必要だ。
 フランス革命の意図は、1.王権神授説→理性自然法の実定化、2.民主主義と中間団体の排除、3.君主の意思が源泉との見方の克服、4.人間の自律的存在の条件保障、にあったが、1978年の封建制廃止・人権宣言による国民主権原理樹立後数十年間も変動したので、「近代の典型でもなければ、近代立憲主義の典型でも」ない
 フランス革命が安定をもたらさなかったのは、それが政治現象(=下部経済構造の変化に還元不可、=宗教対立でもない)で、<法と政治を通じて、優れた道徳的人間となるための人間改造運動>、<18世紀版の文化大革命>だったから。
 プープル(peuple)とは政治的には人民の敵を排除し、道徳的には公民たりえない人々を排除するための語だった。
 だが、人間改造はできなかった。「人間の私利私欲を消滅させようとする革命は失敗せざるをえ」ない。「偉大な痙攣」に終わった。
 フランス革命は均質の国民からなる一元的国民国家、差別なき平等・均質社会の樹立を目指したが、諸理想は「革命的プロパガンダ」に終わり、「結局、中央集権国家をもたらしただけで失敗」した。
 ブルジョア革命との高橋幸八郎ら歴史学者の定説やフランスでの「ジャコバン主義的革命解釈」はあるが、一貫性のないフランス人権宣言との思弁的文書、その後の一貫性のない多数の成文憲法、ジャコバン独裁、サン・キュロット、テルミドール反乱、ナポレオン、王制復古という流れには「構造的展開」はない。<フランス革命は民主主義革命でもなければ、下部構造の変化に対応する社会法則を体現したものでもない>。
 フランス革命の後世への教示は、自由・平等、自由主義・民主主義を同時に達成しようとする「政治体制の過酷さ」だった。ヘーゲルはこれを見抜いていて、「市民社会」の上に「国家」を聳え立たせようとした。これはマルクスによってさらに先鋭化された。
 フランス革命時の「憲法制定権力」との基礎概念は「革命期における独裁=過酷な政治体制を正当化するための論拠」で、「人民(プープル)主権論」こそが「代議制民主主義を創設」しなかったために「全体主義の母胎」になった。
 辻村みよ子は「近代市民社会」と「人権」との基礎概念を生み出した1789年の重要性にはすでにコンセンサスがあると反論するだろうが、1.1789年以降の諸憲法は「どれほどの自由を人びとにもたらした」のか、2.フランス人権宣言は政治的PR文書だ、3.91年憲法も93年憲法も「人為的作文(…法学者が頭の中で考えたデッサン)」で、ナシオン主権→間接民主制、プープル主権→直接民主主義原則というロジックは、「タームの中に結論を誘導する仕掛けを用意しているからこそ成立」する。
 91年憲法か93年憲法かとの論争は、ある憲法が<実際、どれだけの自由保障に貢献したか>で評価する必要がある。マルクス主義的階級・経済概念を用いてフランス革命を分析すべきでない。<人民主権原理が徹底するほど民主的で望ましい>とか<自由よりも本質的平等を謳う人権宣言が進歩的>などと断定すべきでない。
 ヘーゲルはフランス革命に「市民社会」作出を見たが、ヘーゲルの「市民」とフランスの「公共善を目的として活動する活動するシトワイアン」とは同じではない。
 後世の歴史家はフランス革命を二項対立図式で捉えて旧体制との「非連続性」を強調するが、トクヴィルルフェーブルは「連続性」を指摘した。
 「市民社会」=「ブルジョア社会」とし人間の労働が「プロレタリア階級」を不可避的に生むと論じたのがマルクスだ(ヘーゲルにおける「ブルジョア」概念はこうではなかった)。
 フランス革命による「第三階級」の解放に続く「第四階級=プロレタリア階級」の解放、フランス革命のやり遺しの実現を展望する者もいたが、フランス革命中の「恐怖政治」を「過渡的現象として不可避なこと」と見る脳天気な者は「歴史に対して鈍感すぎる」か「政治的に極端なバイアス」をもっている
 「均質化された大衆の権力ほど、自由にとって危険なものはない」。「実体のない国民が人民として実体化され、ひとつの声をもつかのように論じられるとき、全体主義が産まれ出ます」。フランス革命中の「一般意思」、「人民主権」、「人権思想」は「合理主義的啓蒙思想の産み落とした鬼子だ」。
 教科書でロックとルソー、フランス革命とアメリカ革命が同列に論じられるのは「私からすれば論外」だ。
 マルクス主義の強い日本では、イギリスが資本主義誕生国だったので、イギリスを乗り越えようとしたフランスを「モデル」にしたのでないか。
 以上、阪本昌成のフランス革命の見方・評価は明確だ。近代の典型でもなければ、近代立憲主義の典型でも」ないと言い、ルソーの人民主権論」こそが「全体主義の母胎」になったとも明言している。また、すでに言及した、杉原泰雄が前提としている歴史の「構造的展開」を否定し、
ナシオン主権→間接民主制、プープル主権→直接民主主義原則という単純化も否定している。「民主主義」を無条件に受容してはならない旨も繰り返されている。
 ヘーゲルの意図と違うとはいえ、フランス革命(「市民社会」作出)がマルクス主義につにながったことも明記している。総じていうと、わが国のマルクス主義的フランス革命理解を公然と批判している、と言ってよい。
 ルソーやフランス革命を肯定的に理解するかどうかが親共産主義(<全体主義)と親自由主義を分ける、といつか書いたことがある。また、マルクス主義自体は公然とは語られなくともルソーの平等主義によってそれは容易に復活する旨の中川八洋の言葉を紹介したこともある。
 桑原武夫をはじめとして、戦後の「進歩的」文化人・知識人はフランス革命を賛美し、民主主義革命の欠如した・又は不十分な日本を批判し、「革命」へと煽るような発言をし論文を書いてきた。
 今やフランスでもフランス革命の「修正主義」的理解が有力になりつつあるとも言う。
 フランス革命がなければマルクス主義もロシア革命もなく、1億人以上の?の自国民の大量殺戮もなかった(ソ連、中国、北朝鮮、カンボジア等々)。一般の日本人もフランス革命のイメージを変えるべきだろう、と思う。

0240/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す(成文堂、2000)のわが国主流派憲法学論。

 阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)の第Ⅱ部のうち、わが国の憲法学に関する部分を、私が阪本になったつもりで、抜粋的に述べて、読了後のメモ書きにしておこう。
 1 戦後憲法学の基礎が弱々しかったのは、戦後憲法学が「自然状態」、「自然法」、「自然権」、「市民」、「市民社会」、「政治社会」、「国民国家」、「家族」、「個人」等の基本概念を曖昧に使用したからで、これらの根本的再検討が必要。<国民国家/市民社会>につき深く考えないままで<国家/個人>の対立をいきなり考えたのではないか(p.89)。
 1999年2月26日の経済戦略会議答申は<古典的リベラリズム・ルネッサンス>(人によっては「ネオ・リベラリズム」)の象徴だ。この答申は「公平な社会」よりも<公正な社会>の、<結果の平等>よりも<参入機会平等>の実現を重視している。「自由」と「平等」の関係、「自由・自律」→自己責任?等の課題が出てくる(p.93)。
 2 わが憲法学の特徴は、フランス革命とフランス人権宣言の「美しいイデオロギー」に、自由・平等の対立や自由主義・民主主義の対立に言及しないまま、大きく依拠したことだ。その結果、立憲主義(法の支配)の真の価値を見失った。
 フランス公法学の影響と言いたいのではなく、フランス人権宣言の「人の譲渡不能かつ神聖な自然権」を守るための「社会契約の理論」や「全ての主権原理は本質的に国民に存する」との民主主義理論を問題にしたいのだ。「フランス流の思考は立憲主義のコアからずれている」(p.113-4)。
 フランス憲法史を学んだドイツ公法学者、そしてドイツ・フランス公法学から学んだ日本の学徒は、民主制と人権保障の同時実現が立憲主義の課題かの如く考え、両立し難い筈の<主権/人権>は、「立憲民主主義」・「リベラル・デモクラシー」との矛盾に満ちた言葉で隠蔽された。
 一方、英米憲法史から立憲主義のコアを学んだ学徒は「法の支配の実現こそそのコアだ」と了解した。英米の立憲主義は、「権力欲という人間の悪しき性、民主主義のもつ権力集中的統治への誘因力」等に警戒的で、立憲主義が「民主制、そのなかでも直接民主制と鋭く対立する」ことを知っていた(p.114)。
 <大陸的憲法学/英米的憲法学>の溝の中で、わが戦後憲法学は「双方のいいとこ取りをしてきた」。
 わが主流派憲法学は、人の「理性」・「本性」、「自然権、自由と平等、社会契約、国民主権」という「美しいイデオロギーに嵌ってきた」と思えてならない。これらにわが国では「平和」が加わる
 この理由の一つは、公法学者の多くがルソーとマルクスは読んでも、アダム・スミス、ヒューム、ハイエクを読まないためだ。又は、ルソーから、ヘーゲル軽視して、いきなりマルクスへと飛んだからだ。
 こうしたわが公法学者たちが黙殺した思想家たちに共通する姿勢は、「経済的自由の規制に関してであても、国家の役割を限定しようとする思考」、「自由と平等がときには対立する」との考え方、「自由にとってデモクラシーは警戒」される必要があるとの思考だ。「経済市場は健全に機能する大部分と、機能しない残余部分がある」との洞察を加えてもよい(p.115)。
 自由と平等の対立は、経済的には<富の実現と平等の達成は両立困難>と換言できるが、公法学者の多くは、<自由は平等の中に>、<自由主義は民主主義の中に>と考えた。主流派憲法学は、「自由と平等の実現」、「富の実現と平等の達成」を「立憲民主制の目標」の如く考え、過去と現在を<自由主義が人の政治的な解放に成功したが経済的なそれには失敗したのは「経済市場が民主的でない」ことに理由があるので、「議会という民主的機構」により「国家/市民社会」の二元主義の克服が必要だ>と評価した。そうした憲法学者にとってドイツの「社会的法治国」は「まばゆいほど輝いてみえた」だろう(p.115-6)。
 憲法学の教科書は<民主主義とは自由と平等を保障する体制>、<経済的市場の自由は貧富の差を拡大する>、<私的自治を基礎にする市民法原理は社会法原理に道を譲るべき>等としばしば書き、市場が発生させた不平等の是正が「社会的正義」で、この正義実現が国家の正当で本来的な役割だ、「経済的自由は政策的な「公共の福祉」によって制約されてよい」等と述べる。<二重の基準>、<積極国家>がこれらを正当化する(p.116-7)。
 主流派憲法学が1.自由・平等の対立、「法の支配」と「弱者保護」の対立を真剣に思考せず、2.人間の共通の特性を強調して「個性が自由の根源を支えている」との視点を欠き、3.「少数者・弱者保護の必要性」を強調しすぎたこと、等はわが国の「過剰な公的規制」の遠因になった。
 また、1.自由主義・民主主義の対立局面を真剣に考えず、2.国会の民主的存在を強調しすぎて立法権を統制する理論が欠け、3.「法の支配」と「権力分立」の定見にも欠けた。「近代の合理主義的啓蒙思想に依拠しつつ、人間の人格的な側面を強調しすぎた」ために「人間の利己心」問題(ホッブズ問題)を簡単に処理しすぎたのだ(p.117)。
 3 憲法学が人間は「合理的」、つまり「人格的で理性的な道徳的特性をもつ」と言うだけでは、「ヘーゲル以前の近代の啓蒙思想」から一歩も抜け出ていない。人間は「主体」だ、と言う場合も同様だ。すなわち、「ロックやカントのように、人間の人格的存在規定から人権を基礎づけることは、<美しいイデオロギーにすぎない>」。「<国家はその人権を守るために人びとの合意によってつくられた>と説明することは<格別に美しいイデオロギーにすぎない>(p.118-9)。
 経済学・政治学は人間の「行為の動機が自己利益の最大化にある」ことに留意してその「社会的効用」を分析してきたが、かかる人間観と法学のそれとは異なる
 
17世紀の自然法学は規範の淵源を人間の道徳・精神に求めて従来の神の意思に依拠した法思想よりも進歩したが、自然法学の想定した人間は「アトミズム的人間」で、これを歴史と伝統を重んじる」ヒュームやモンテスキューは嫌った。モンテスキューの「法」は「人間の本性から演繹的に把握」されるものではなく、「諸社会の相互関係のなかに経験的・機能的に発見」されるものだった。「自然法」という概念の意味は多様で注意が必要(p.120-2)。
 私の関心の大きな一つは、(一般国民レベルの意識と大きく異なり)日本の憲法学者の大部分は何故「左翼」なのか、大部分は何故九条二項改正に反対しているのか、にある。少なくとも遠因らしきものは分かる。<近代合理的啓蒙思想>の影響下にあって、<人間観>(そして「国家」観)が、一般国民のそれとはかなりズレているのではないか。<美しいイデオロギー>に酔ったまま、醒めていないのではないか。
 この本は、<過剰な公的規制>から<規制緩和>へという現実の政治社会の流れとの関係でも示唆に富むところがあるが、現実の政治・行政の動向を直接に論評するものではない。阪本昌成には、おそらく、日本の国家・社会よりもまずは日本の憲法学こそ変わらなければならないとの想いの方が強いのだろう。

0235/阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す(成文堂、2000)を全読了。

 たぶん6/15(金)の夜だろう、阪本昌成・「近代」立憲主義を読み直す-<フランス革命の神話>(成文堂、2000)を全読了した。
 中川八洋の著(保守主義の哲学ほか)と比べると、登場させる思想家・哲学者は少ないが、ヒュームアダム・スミスについてはより詳しい。
 また、中川が<悪しき>思想家の中に分類しているヘーゲルについても詳しく、むしろ親近的に分析・紹介している。
 阪本昌成はルソーやカントらの国制設計上の曖昧さを批判的に克服しようとして苦労したのがヘーゲルだったと見ているようだ。
 阪本によれば、「わが国の憲法学におけるヘーゲル研究は、マルクス主義憲法学においてネガティブな形で継承されたこと以外、華々しくない」が、それは「マルクスによるヘーゲル批判を鵜呑みにした」からで、例えば、「ヘーゲルこそ合理主義的啓蒙思想〔秋月注-ルソー、ロックら〕に果敢に挑戦した人物だった」(p.106-107)。ヘーゲルは「ホッブズ以来の自然権・社会契約理論が社会的原子論であるばかりではなく、徹底したフィクションだ>と批判しつづけた」(p.126)。あるいは、「ヘーゲルによる市民社会の分析は、マルクスよりもはるかに適切」で、「国家と市民社会の相対的分離を見抜いていた」が、「マルクスは国家が市民社会の階級構造を反映しているとみたために、”階級対立がなくなれば国家が消滅する”などという致命的な誤りに陥ってしまった」(p.132)、等々。
 このような中川との違いが出ている背景又は理由の少なくとも一つは、中川が広く政治思想(社会思想)の専門で、かつマルクス主義に(批判的にでも継承されて)つながるか否かによって思想の<正・邪>が判別されているように見られるのに対して、阪本はマルクス主義はもはや<論敵>ではないとしてマルクス主義との関係に焦点を当ててはおらず、かつ専門の憲法学の観点から(国家・人権等の基本概念に主な関心を寄せて)諸文献を読んでいるからだ、と考えられる。
 それにしても阪本昌成が日本の憲法学者にしては?思想史への広汎な関心を持っていること、現に相当量を読んでいること自体に感心する。別の機会に、<わが国嫡流憲法学の特徴>(第二部第3章)と<フランス革命>に関する叙述(とくに第二部第6章)に限って掻い摘んで紹介して、メモ書きとしておこう。

0149/「大衆」の忘恩と小児性-「民主主義」は機能するか。

 すでに読み終えた中川八洋・保守主義の哲学だが、刺激的な言葉が随所にある。例えば、
 「日本列島は無政府状態の色を濃くしているし、レーニン/ヒットラーの全体主義を再現するかのような不気味な土壌をつくりつつある」(p.297)。
 「日本の学界・教育界は、大正デモクラシーの大波をかぶってそのままデカルト/ルソー/マルクスの住む島に流れつきそこにとじこもることすでに八十年、理性万能の狂妄から目を覚ますことがない」(p.325)。
 ところで、読みながら、失礼ながら何故か、「きっこのブログ」や「きっこの日記」のきっこ?を想起してしまったのは、第六章「平等という自由の敵」の第四節「大衆という暴君」の中の、次のような、紹介されている等の、いくつかの言葉だった(p.298-9)。
 オルテガ-「大衆人」は「生の中心がほかでもなく、いかなるモラルにも束縛されずに生きたいという願望にある」。
 中川-「道徳」とは…のことだが、「これを欠くか、ない方がよいと願う「大衆人」とは、その本性において、社会主義者・共産主義者のシンパとなりやすい特性をもっている」。
 オルテガ-「大衆人」は「倫理・道徳性の欠如」を示し、「忘恩の徒」となる。「忘恩」とは「甘やかされた子供の心理」でもあり、「今日の大衆人の心理図表に…線を引くことができる。…安楽な生存を可能にしてくれたいっさいのものに対する徹底した忘恩の線を…」。
 ホイジンガ-「ピュアリリズム(小児病)」とは「子供を大人に引き上げようとせず、逆に子供の行動にあわせてふるまう社会、このような社会の精神態度」のことだ。
 ホイジンガ-「ピュアリリズム(小児病)」の特質は「…他人の思想に寛容でないこと、褒めたり、非難するとき、途方もなく誇大化すること、自己愛や集団意識に媚びるイリュージョンに取り憑かれやすいこと」だ。
 ル=ボン-「衝動的で、昂奮しやすく、推理する力のないこと、判断力あよび批判精神を欠いていること、感情の誇張的であることなど…こういう群衆のいくつかの特徴は、野蛮人や小児のような進化程度の低い人間にもまた同様に観察される」。
 自戒の意味も込める必要があるが、きっこ?氏に限らず、日本という国家への「忘恩」、上に種々書かれている「小児」性は日本国民のかなりの部分に蔓延しているのではないだろうか。上では「大衆」という言葉が使われ、中川八洋には「大衆蔑視」的ニュアンスが全くなくはないと感じるのは気になるところだが、ほぼ「(一般)国民」と置き換えて読むべきだろう。そして、国民の「忘恩」と「小児」性は、「民主主義」は適切に機能するか、の基本的な問題でもある、とも考えるのだ。

ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。
アクセスカウンター