日本共産党員のブログや、コメントに対する応答を読んでいると、いちいちどのブログかを特定しないが、なかなか面白いものが含まれていることがある。若干の例を挙げて、コメントする。月日も特定しないが、比較的近日中のものだ。
 第一に、同党の実質的な初代「教祖」と言える宮本顕治の経歴、とくにスパイ・リンチ事件についての知識が不十分な日本共産党員がいる。例えば、某党員ブログはこう書く。
 「宮本顕治が逮捕されるきっかけになった事件についていってると思うんですが、宮本は「殺人」ではなく治安維持法違反で有罪になっているわけで、「殺人罪」では有罪になっていません。」(賢治→顕治に訂正しておいた)
 1933年12月のスパイ・リンチ死亡事件については、立花隆(日本共産党の研究)や当該「査問」の参加者の一人・袴田里見(昨日の同志宮本顕治へ)などの研究書や「実録」ものがある。
 日本共産党員として正しい知識と教養を身に付けるためには、そして、自己の立場に自信があるならば、同党関係文献や新聞・中総決定だけではなく、こうした本も広く読んだらいかがだろうか。
 上の本で確認しないまま書くが(それでも上の引用文よりは正確な筈だ)、宮本顕治はなるほど殺人罪で起訴され有罪判決を受けたわけではないが、治安維持法違反のみで起訴され有罪となったわけでもない。つまり、小畑某か大泉某が「査問」途中で逃亡しようとした際に拘束し実力を行使している間に死亡した件につき、過失致死か傷害致死(たぶん後者)という一般刑法犯を冒した者としても宮本は起訴され有罪判決を受けた。
 宮本顕治は治安維持法違反者としてのみ服役していたわけではない。一般刑法上の犯罪者でもあったのだ。この程度の知識も、一般の日本共産党員にはない、つまり、赤旗(新聞)等々によって誤魔化されている(正確な知識を与えられていない)ということに、改めて驚く。
 ちなみに、1.立花隆の本には、戦後すみやかに解放されえたのは「政治犯」のみで「一般刑法犯」は対象外だったが、法務省のミスで宮本顕治も<釈放>された旨書かれてあったと記憶する。
 2.ひょっとしてお知りにならない日本共産党員もいらっしゃるかもしれないので書いておくが、副委員長・袴田里見までをも除名しなければならなかったのは、まさに袴田里見が前衛(だったと思う)に連載してのちに本にしたものの一部がスパイ・リンチ事件を扱っていて、その内容が宮本顕治による殺人(柔道的首締め。未必の故意)と解釈されるおそれがあったことがきっかけだった。
 日本共産党は宮本顕治を守るため、戦前からの長い宮本の同志・当時副委員長だった袴田里見まで犠牲にしたのだ。
 第二に、某ブログ上のコメントとその反論に次のようなものがあった。一部のみ抜粋する。
 コメント-「スターリン、毛沢東、金日成、ホーチミン、ポルポトみんな一杯人殺してるよ。/共産主義者の殺人は綺麗で正義の殺人なのかな。
 反論-1.「長時間過密労働・過労死・過労自殺…資本主義の国・わが国日本でも資本が労働者を抑圧する行為がやられてますよね。
 2.「「社会主義」「共産主義」「共産党」の看板掲げているからといって、彼らのやってる事がすべて「社会主義」「共産主義」「共産党」というわけではありませんよ。わが国の政権党・自由民主党だって党名は「自由民主」でも、やってる事は大企業を応援し、庶民を増税で苦しめるなど「自由民主」とはほど遠いですからね。
 反論の1.はあまりにもひどい。「資本」の「労働者抑圧」の例である?「長時間過密労働・過労死・過労自殺によって、社会主義国(旧も含む)又は共産主義による自国民の大量殺戮が<相殺>されるわけがないではないか。前者に対応するのは、現・旧社会主義国における、労働環境・労働条件の悪さ等々による工場労働者等の死亡の多さだ。
 反論の2.についてはまず、些細なことだが、最後の文の、<大企業の応援や庶民を納税で苦しめる>のは「自由民主」に反する、との主張は全く論理的ではない。「自由」を実体的価値・「民主」を手続的価値とかりに理解するとしても、いやこのように理解しなくとも、上のことが「自由・民主」と矛盾するわけでは全くない。自由主義と民主主義の範囲内で上のような政策も十分に成り立つ(もっとも上のような簡単・単純な政策の叙述自体に同意しているわけではない)。
 「自由・民主」の意味について、(日本共産党も何か関係する宣言を出している筈だが、自党の理解も含めて)もう少し考えていただいた方がよい。
 上に引用しなかったが、イギリス労働党と北朝鮮労働党を「労働党」という名前だけで同類視しない筈との名?文章があった。だが、コメント者が問題にしているのは、いくつかの人名で代表される、マルクス主義又はマルクス・レーニン主義(=日本共産党における「科学的社会主義」)を採用し、社会主義社会・共産主義社会への展望を綱領で(どんなに短い文章でも)示している政党、という意味だろう。
 従って、「「社会主義」「共産主義」「共産党」の看板掲げているからといって、彼らのやってる事がすべて「社会主義」「共産主義」「共産党」というわけではありませんよ」という答え方では答え・反論になっていない。
 むしろ、「すべて…というわけではありません」という表現は、<一部>は<真の>
「社会主義」「共産主義」「共産党」である可能性又は余地を認めるもので、100%の反論に全くなっていない。
 私が日本共産党員としての正答を教えてあげる義理は全くないのだが、同党の立場にかりに立てば、こう言うべきだろう。
 「スターリン、毛沢東、金日成、ホーチミン、ポルポト
」、この人たち(又はこの人たちが指導した国家)は真の「社会主義」者(「社会主義」国家)ではなく、この人たちが指導した共産党は誤った「共産党」だった。従って、正しい路線を歩んでいる日本共産党と同一視するな。
 こう書いておいて、ベトナムのホーチミンについては自信がないことに気づいたが、この人以外については、<日本共産党の主張をよく勉強している>党員ならば、上のように答えるだろう。ソ連について、レーニンまでは正しく、スターリンから誤った、大量虐殺の責任も主として又は大部分はレーニンではなくスターリンにある、と主張しているのが日本共産党だからだ。
 むろん、私はさらに、上の「正答」に反論することもできる。誤っていたスターリンの指導を受け、それを支持していた日本の政党こそが、戦前およびスターリン死亡までの戦後の日本共産党ではなかったのか、ということはすでに書いた。
 他にも、もともとレーニン→マルクスと遡る源流そのものに<血生臭さ>は胚胎していたのであり、表面的には今のところ<平和的>・<紳士的>でも、日本共産党も本質的にはマルクス・レーニン主義のDNAは引き継いでいる筈ではないのか、との疑問を出しておくことも可能だろう。
 思わぬ長文になったが、最後にいくつか。
 とくに上の後者の回答者党員の知的レベルの低さは何とかしないと、ブログ上で、日本共産党は(ますます)恥を掻くことになるのではないか。
 また、同回答者の他の文章にもかなり目を通してみたが、要するに、日々の赤旗(新聞)や選挙パンフに書かれてあることをなぞっているにすぎない。語彙・概念に独自なものはなく、すべて共産党用語だ。歴史や基礎理論の勉強の足りない党員が、赤旗や選挙パンフの文章を多少は順序を変えて反復しているに過ぎない。
 ついでに。いつぞや共産主義(→日本共産党)は「宗教的」ではなく「宗教」そのもの、と書いたことがあった。党員の精神衛生のためには、日々、教典にもとづく教祖の具体的教えが書かれた文章を読み、「正しい」ものとして学習し、それに基づいて、場合によっては信者を増やすべく布教をする必要があるのだろう。
 日本共産党のようなとくにイデオロギー性の強い政党については、入党というのは教祖又は宗教への全面帰依を意味する。入党するということは<思想・信条の自由>・<信仰の自由>を丸ごと放棄することと同義だ。
 そのようにして「自由」を喪失した者は、自分の言葉・概念・論理で語る能力もまた(ごく一部の幹部候補生以外は)失っていく。そのような人たちが、ネット上でもけっこう多数うごめいていることを知ると、本当に可哀想だ、気の毒だ、と私は心から感じざるをえない。
 日本共産党に未来はないのに…。