秋月瑛二の「憂国」つぶやき日記

政治・社会・思想-反日本共産党・反共産主義

ファシズム

1472/R・パイプス著『ボルシェヴィキ体制下のロシア』の内容・構成。

 既述のように、①Richard Pipes, The Russian Revolution (1990) <原著・大判でほぼ1000頁>とは別の、リチャード・パイプスの著に、② Richard Pipes, Russia under Bolshevik Regime (1995)<原著・大判で約600頁>がある。これら二つを併せて、「一般読者むけ」に「内容を調整し」「注を省き簡略に」一冊にまとめたものに、③Richard Pipes, A Concice History of the Russian Revolution (1995) <原著・中判で約450頁>がある。そして、この最後の③には、R・パイプス〔西山克典訳〕・ロシア革命史(成文社、2000)という邦訳書<約450頁>がある。
 上の①の構成・目次とそこに掲げられている年表はすでに紹介し、第9章にかぎって試訳を行った。上の②の、Richard Pipes, Russia under Bolshevik Regime (1995)〔パイプス・ボルシェヴィキ体制下のロシア〕の目次・構成は、つぎのように成っている。章番号については「章」という語はなく数字だけだが、「章」を加えた。
 ---
 リチャード・パイプス・ボルシェヴィキ体制下のロシア(1995)
 第1章/内戦-最初の戦闘(1918)
 第2章/内戦-頂点(1919-20)
 第3章/赤色帝国
 第4章/革命の輸出
 第5章/共産主義、ファシズムおよび国家社会主義
 第6章/プロパガンダとしての文化
 第7章/宗教に対する攻撃
 第8章/ネップ・偽りのテルミドール
 第9章/新体制の危機
 〔数字なし〕ロシア革命に関する省察
 ---
 以上のうち、第5章/共産主義、ファシズムおよび国家社会主義は、目次上では数字番号と「節」にあたる文字はないままに、つぎの節に分かたれている。但し、本文には見出し文章はなく、各節の間の区別は、一行の空白を挿入することによってなされている。
 National Socialism は、「国民社会主義」が定訳なのかもしれないが、「国家社会主義」と訳しておいた。
 第5章・共産主義、ファシズムおよび国家社会主義。
  第1節・「全体主義」の観念。
  第2節・「レーニン主義者」を源とするムッソリーニ。
  第3節・ナツィの反ユダヤ主義。
  第4節・ヒトラーと社会主義。
  第5節・全体主義三体制の共通性。
  第6節・支配政党。
  第7節・党と国家。
  第8節・大衆操作とイデオロギーの役割。
  第9節・党と社会。
  第10節・全体主義諸体制の差違。
 ---
 以上。
  

1409/ブレジンスキー: Out of Control(1993)の一部を読む③。

 一 ブレジンスキーにおいて「全体主義」または「全体主義のメタ神話」とは共産主義とファシズム(ないしナチズム)を意味する。そして、いかなる意味でも、レーニンを除外または「免責」することはない。
 「20世紀における最も強力で破壊的なメタ神話は、やはりヒトラー主義とレーニン主義だった。この二つが20世紀の政治の大半を支配し、また歴史に前例のない大量殺戮の原因となっている」(p.41)。
 よく<民族(・人種)>と<階級>が問題にされる。特定の前者の抹殺を図ったのがヒトラーで、特定の後者(ブルジョワジー)の抹殺を図ったのがレーニンだった。そうした旨を、ブレジンスキーも書いている(p.41、p.43)。
 かつまた、「全体主義」の代表者として共産主義の側ではスターリン(またはスターリニズム・スターリン体制)が挙げられることが多いが、ブレジンスキーは、「大衆を操作する政治」という点では、「ヒトラーとレーニンの方が共通点が多い」、「スターリンはどちらかというと、ヒムラーに近い」とする(p.42)。ヒムラーはゲシュタポ長官。
 したがって、ロシア/レーニン・スターリンとドイツ/ヒトラー・ヒムラー、という対比がブレジンスキーによれば成立することとなる。
 二 この1993年の本の一部を読んでの大きな印象の二つめは、ブレジンスキーはフランス革命を(そしてアメリカ独立革命も)肯定的に評価している、ということだ。
 この点で、ロシア革命あるいはマルクス主義の淵源の重要な一つをフランス革命(さらにルソー)に見出そうとするR・パイプスやハンナ・アレントらとは異なる。
 例えば、20世紀の「メタ神話は、フランス革命がヨーロッパに…解き放たれた多様な主張や姿勢を混ぜあわせた--そして悪用した--ものにすぎなかった」(p.34)。
 「強制的なユートピア」をつくろうとした「試みは、200年前のフランス革命でヨーロッパに解き放たれた合理的かつ理想主義的な衝動を誤った方向に導いてしまった」(p.8)。
 また、当初に想定した範囲外の第二部の冒頭では、つぎのように書いている。
 ・全体主義(=共産主義とファシズム)の失敗は、それによって歪曲されたとはいえ、「200年以上前にアメリカとフランスの革命が解き放った政治理念」を世界が受容する素地になりうる。「民主主義体制」のアメリカ・欧州・日本の成功が「その正しさを証明している」。「自由民主主義の理念〔liberal democratic concept〕そのものを、もっと魅力的なものにしなければならない」。
 しかし、彼は、世界中の「自由民主主義」の将来について、楽観視しているわけではなさそうだ。Out of Control という書名にすでに見られる。それは未読の第二部以下で語られるのだろう。liberal democratic concept という英語は、原著のZ.Brzenzinski, Out of Control(1993)p.47 による。
 なお、ブレジンスキーによれば、フランス革命等は、①ナショナリズム、②理想主義、③合理主義-脱宗教、を生み出した。これらすべてを「悪用」して成立したのが全体主義だ、とされる。
 近代市民革命または「近代」そのものにかかわる問題には、立ち入らない。
 三 きわめて興味深いのは、<自由と民主主義(liberal & democratic)>しか残らないという意味ではF・フクヤマ(「歴史の終わり」)と同じなのかもしれないが、ブレジンスキーは<反共産主義>を明確に語りつつ、同時に<自由・民主主義>への強い信頼も語っていることだ(世界がそれでまとまるかを懸念しつつ)。
 興味深いという気持ちは、日本での議論状況と対比して考える、ということをしたときに生じる。
 日本では、「左翼」の少なくとも有力な一傾向は、自民党・安倍政権等を「右」、ファシズム・軍国主義勢力とみて、その際に「民主主義」を有力な旗印にすることがある。その場合に、<人類の普遍的原理>なるものを持ち出して、例えば現憲法97条を削除する自民党改憲案を批判し、<人類の普遍的原理(基本的人権・民主主義等)を守る>勢力対<これを否定する>勢力の対立として政治状況(・理論 ?状況)を描こうとすることがある。要するに<自由・民主主義と平和を守れ>というわけだ。
 しかし、そのような日本の「左翼」は、決して<反・共産主義>を明確にはしていない。<非日本共産党>はあるかもしれないが、<反日本共産党>を明確にしている者はたぶんきわめて少ない。明確に<容共>・<親共産主義>だと思われる者は、上野千鶴子を含めて、少なくない。民進党も、いっときの政治判断かもしれないが、日本共産党との「共闘」を否定しない。
 このように、<反共かつ自由・民主主義>という勢力・理念が日本の「左翼」には少ないように見える。
 一方、「保守」の側はどうか。<反共>では、強調の程度の違いはあれ、一致しているかもしれない。
 しかし、<自由と民主主義>対する立場は、秋月によれば、「保守」の中において一様ではない。すなわち、①<自由・民主主義>は欧米産のかつ上記のアメリカ民主党系論者がそうであるように<アメリカ>のイデオロギーであって、日本国家と日本人は従えない、と日本の独自性を主張する勢力・論者がいる。とともに、②近代国家の諸原理あるいは「自由・民主主義」を日本も継承しているとみて、これの擁護について、全くか殆んど疑問視しない勢力・論者がいる。
 安倍晋三首相は<自由・民主主義・法の支配>といった「価値」の擁護を明言しているが、それは、純粋に上の②であるのか、あるいはそれは、アメリカの意向や共産中国等との違いを意識したりしての「政治的・戦略的」なもので、真意または個人的には上の①なのか。
 自民党の大臣や国会議員の発言や書いたものを見聞きしていると、自民党には、そしておそらくは「保守」論壇にも、①と②が混在している。あえて違いを見出せば、自民党議員には②の方が多く、論壇(要するに「保守」系雑誌)では①の方が多い。
 自民党という「保守」政党の個々の政治家が考えていることと、「保守」論壇の論者の思考には、かなりの乖離があると、秋月には思える。
 というわけで、<反共産主義と自由(リベラル)民主主義>を全く困難なく同居させ、素朴に主張できるアメリカの知識人・論者とは(こう簡単にアメリカをまとめられないだろうが、少なくともブレジンスキーとは)日本の「左翼」・「保守」ともに相当に大きく異なる、と感じられる。
 こんなことを考えさせたのが、ブレジンスキーの書の一部だった。
 これはしかし、重要な論点ではある。
 もちろん、日本には日本の議論があってよく、アメリカでの対立軸等に拘束されることはない。だが、日本の「保守」とは何か、どう主張するのが「保守」なのか、という問題に、あえて「保守」という言葉を使えば、根幹的に関係しているはずだ。
 *参考-なお、秋月瑛二は、以下の条文は削除されるべきだと考えている。1.条文にしては、「法規範」としての意味がないか、不明。2.実質的な憲法制定者が幼児・日本人を<説教>しているようだ。3.明らかに、元来は日本とは無縁の<自然権・天賦人権>論に立脚している。
 **日本国憲法97条「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

1384/試訳-共産主義とファシズム・「敵対的近接」03。

  F・フュレ=E・ノルテ・<敵対的近接>-20世紀の共産主義(=コミュニズム)とファシズム/交換書簡(1998)の試訳03
 Francoir Furet=Ernst Nolte, "Feindliche Naehe " Kommunismus und Faschismus im 20. Jahrhundert - Ein Briefwechsel(Herbig, Muenchen, 1998)の「試訳」の3回目。
 この往復書簡には、英語版もある。Francoir Furet = Ernst Nolte, Fascism & Communism (Uni. of Nebraska Press、2004/Katherine Golsan 英訳)だ。
 この英語訳書は計8通の二人の書簡を収載している点ではドイツ語版と同じだが、Tzvetan Todorovによる序言(「英語版へのPreface」)および雑誌Commentaire編集者によるはしがき(Foreword)が付いていること、および「ノルテのファシズム解釈について」と題するフュレの文章が第1節にあること(したがって、書簡を含めて第9節までの数字が振られている)で異なる。但し、この第1節のフュレの文章は、フュレの大著〔幻想の終わり-〕の中のノルテに関する「長い注釈」の前に1頁余りを追加したものだ。雑誌編集者による上記は、フュレの突然の死についても触れている。
 また、英語訳書には、ドイツ語版とは違って、各節に表題と中見出しがある。
 番号数字すらなく素っ気ないドイツ語版と比べて分かりやすいとは言えるが、そうした表題をつけて手紙は書かれたわけではないと思われるので、ドイツ語版のシンプルさも捨て難い。だが、せっかくの表題、中見出しなので、以下では、その部分だけは英語版から和訳しておく。
 ---------------
p.17-p.25.
 イデオロギーの障壁を超えて
 エルンスト・ノルテ <第一信> 1996年02月20日  
 敬愛する同僚氏へ
 貴方の著書、Le passe d'une illusion につい若干の感想をお伝えしたい。ピエール・ノラの申し出により雑誌 Debate で述べた意見よりも個人的で、かつ詳細ではありませんが。
 この本のことを、私はほぼ一年前にフランクフルト・アルゲマイネ新聞の記事で知りました。その記事は貴著の意義を述べているほか、貴方が私の本に論及していた195-6頁の長い注釈にもはっきりと言及していました。ふつうの〔健康〕状態であれば、もっと早く気づいていたでしょう。 
 私は貴方の本のすべてを、一行、一行と、強い関心と、さらには魅惑される愉しみとともに、読みました。
 貴方の本は二つの障害または妨害から自由だ、とすぐに分かりました。
 この障害または妨害によって、ドイツの〔歴史家の〕20世紀に関するすべての考察は狭い空間に閉じ込められており、個々には優れた業績はあっても無力です。
 ドイツではこの20世紀に関する考察は、最初からもっぱら国家社会主義に向けられました。また、その破滅的な結末は明白でしたので、思索の代わりをしたのは、「妄想」、「ドイツの特別の途」あるいは「犯罪国民」のごとき公式的言辞でした。
 ドイツの歴史を概観する、二つの思考方法がありました。
 一つは、全体主義理論です。これは、1960年代半ば以降、すべての「進歩主義者」にとっては旧くなっているか、あるいは冷戦を闘うための手段だと考えられました。
 もう一つは、マルクス主義思考方法です。これの結論は、第三帝国は、偉大でかつそのゆえに罪責ある全体のたんなる一部だ、例えば西洋帝国主義あるいは資本主義的世界市場経済の一部だ、というものでした。
 ドイツとフランスの左翼
ドイツの左翼は、彼ら自身の歴史についての一義的に明白な観点を持ちませんでした。その歴史自体が一義的ではなかったのですから。ナポレオン・フランスに対する自由主義戦争は「反動的な」動機を持ったとされ、1848年の革命は「挫折」でしたから、彼らが何らの留保を付けることなく自らを一体化できるような事象は存在しなかったのです。
 ドイツ左翼の小さな一派のみは、ロシア革命と自らを一体化したでしょう。大部分の左翼は、つまり多数派の社会民主主義者は、実際にも理論的にも〔ロシア革命を〕ドイツへと拡張する試みに断固として反対しました。
 左翼内部の狂熱と忠誠心を定量化できるとすれば、ドイツ共産党は十分に過半に達していたでしょう。なぜなら、社会民主主義者は、いわば「拙劣な社会主義者の確信」でもって共産主義者と闘い、国家社会主義者が大きな敗北を喫した1932年10月の選挙においてすら、ドイツ共産党は選挙のたびに勢力を増大させていたドイツでの唯一の政党でした。
 しかし、1970年代の初期のネオ・マルクス主義においてすら、1932-33年での共産主義者の勝利は可能だったと考えたり、社会民主主義者を「裏切り者」と非難したりする見解は、さほど多数ではありませんでした。
 反対意見もありましたが、まさにこのような見解が、「右派」反共産主義のテーゼ、すなわち、共産主義は現実的危険であり、「そのゆえにこそ」国家社会主義は多数派を獲得したのだ、というテーゼだったのです。
 だが、1945年以降にボンで再興された「ヴァイマール民主主義」の諸大政党にとっても、このような見解は誤りでありかつ危険であると思えたに違いありません。なぜなら、その見解は「ボルシェヴィズムからドイツを救う」という国家社会主義のテーゼときわめて似ていましたので。また、アメリカ合衆国との同盟によって「全体主義的スターリニズム」や東ベルリンにいるそのドイツ人支持者による攻撃を排斥する、というつもりでしたので。
 全体主義理論はたしかに、「全体的」反共産主義と区別される「民主主義的」反共産主義を際立たせる逃げ道を示しました。
 しかし、全体主義理論が優勢だった時期は長くは続かず、のちには右から左まで、かつ出版界から学界まで、ほとんど全ての発言者はつぎの点で一致しました。
 すなわち、注目のすべてを国家社会主義(ナツィス)に集中させなければならない。「スターリニズム」については副次的に言及するので足り、かつ決して「国際共産主義運動」について語ってはならない。
 まさにこの点にこそ、私が先に語った二つの「障壁」があったのです。
 貴方は著書において、「共産主義という理想」から出発し、それに今世紀の最大のイデオロギー的現実を見ています。急速に実際上の外交政策にとって重要になったロシアに限定しないで、フランスでもかつそこでこそ多くの知識人を熱狂させた「10月革命の普遍的な魅力(charme universal d'Octobre)」を語っています。
 貴方がそれをできるのは、ドイツの相手方[私=ノルテ]とは違って、フランス左翼の出身だからです。フランスの左翼は、つねに参照される大きな事象、すなわちフランス革命を国民の歴史としてもっています。フランスの左翼はさらに、ロシア革命を徹底したものおよび相応したものと理解することができ、つねに熱狂的に同一視することなく、ロシア革命に、何らのやましさなく少なくとも共感を覚えることができるからです。
 したがって、つぎのことは全くの偶然ではありませんでした。社会党のほとんどが1920年のトゥールズでの党大会で第三インターナショナルに移行したこと、Aulard やMathies のようなフランス革命についての著名な歴史家がこの世界運動に共感を示し、支持者にすらなったこと。
 貴方が特記している他の人たち、 Pierre Pascal、Boris Souvarine、あるいはGeorge Lukas のような人たちもまた、狂信者であり確信者でした。そして、貴方自身も明らかに、この熱狂に対する関心と共感を否定していません。
 歴史の現実はたしかに、Pierre Pascal、Boris Souvarine およびその他の多くの人々の信仰を打ち砕きました。貴方自身もこの離宗の流れに従っています。しかし、距離を置いたにもかかわらず、貴方は依然として、20世紀の基礎的な政治事象を、ロシア10月革命およびその世界中への拡張に見ています。
 貴方はこの拡張を検証し、それが多様な現実との格闘に消耗して内的な力を喪失し、ついには最初からユートピアたる性格をもつもの、つまり「幻想」であったことが今や決定的になるまでを、追跡しています。
 私から見ると重要でなくはないさらなる一歩を、貴方は進みました。
 今世紀の基礎的事象が結局は幻想だったことが判明してしまったとすれば、それが惹起した好戦的な反応は全く理解できませんし、完全に歴史的な正当性を欠いたものでしょう。また、「犯罪にすぎないものとしてのみ今世紀のもう一つの魅惑的な力」を認識するのは、共産主義者の見解の不当な残滓でなければなりません。
 「今世紀のもう一つの大きな神話」、すなわちファシズムという神話をこのように評価することによって、貴方はフランスですら多くの異論に出くわすでしょう。今日のドイツでは、すぐに「人でなし」になってしまうでしょう。
 しかしながら、私の意見では、貴方は完全に正しい。共産主義思想とファシズムという抵抗思想の対立は、1917年から1989-91年までの今世紀の歴史の「唯一の」内容だった、そして「その」ファシズムは、歴史的現実と共産主義運動の現実とを決定した雑多な差違や前提条件を無視して言えば、一種のプラトン思想だと考えられるべきだ、という貴方の考察を、誰も合理的には疑問視することができないのですから。
 私は貴方とは全く別の途を通って、先の二つの「障壁」を乗り越え、イデオロギーの世界内戦という(概略はずっと以前にあった)考え方に辿り着きました。
 若きムッソリーニ、彼の社会主義思想に対するマルクスやニーチェの影響に偶然の事情によって遭遇していなかったならば、国家社会主義やその「ドイツ的根源」に集中する思考は、私にも付着したままだったでしょう。
 そのゆえにこそ、「ファシズム」は私の1963年の本の対象になりえたのであり、反マルクス主義の好戦的な形態だとする一般的なファシズムの規定や、「過激なファシズム」だとする国家社会主義の特殊な定義は、私がそれ以降に思考し記述したすべてのものを潜在的に含んでいます。
 貴方の出発点である「共産主義思想」は、私には長い間顕在化していない背景のようなものでした。しかし、その状況は、1983年の「マルクス主義と産業革命」によって初めて、1987年の「1917-1945の欧州内戦」でもって顕著に、変わりました。
 全体主義の発生学的・歴史的範型
 そうして我々は、私に誤解がなければ、異なる出発点と異なる途を経て、同じ考え方に到達しています。それは、全体主義理論の歴史・発生学的範型(Version)と私が名づけたもので、ハンナ・アレントやカール・F・フリートリヒの政治・構造的範型とは、マルクス主義・共産主義理論と区別されるのとほとんど同じように区別されます。
 我々の間にはきわめて重大な違いがあるかのように見える可能性があります。貴方は上記の注釈で、私が解釈をおし進めすぎてヒトラーの「反ユダヤ人パラノイア」に「一種の理性的な根拠」を与えたのは遺憾だ、と書いています。
 つぎのことを貴方に強調する必要はないでしょう。すなわち、「ユダヤ人問題の最終解決」としてなされた大量虐殺の個別事象に、ドイツ人〔の歴史家〕が国家社会主義に集中した重大な理由があります。
 歴史において個別性は「絶対性」ではなく、そのように論じられてはならないことに、貴方もきっと同意するでしょう。
 付記します。個別の大量犯罪は、それに理性的で理解可能な根拠を与えうるということでもって悪質でなくなったり非難すべきものでなくなったりはしません。むしろ、逆です。
 貴方は1978年の論文でフランス左翼によるほとんど素朴なシオニズムの解釈を批判し、現象の本質はユダヤ人のメシア主義〔救世主信仰〕と分離されるべきではないと述べた、ということを思い出して下さい。貴方は引用記号を用いていません。そして、当然に、「ロシア的」とか「シーア派メシア主義的」とかと述べることができることをよく知っているにもかかわらず、そのような用語法を正当なものと見なしています。
 「ユダヤ人のメシア主義」なるもの自体への言及なくして、またアドルフ・ヒトラーや少なくはない彼の支持者たちが作り上げた観念にもとづいては、「最終解決」なるものも、-「了解できる(verstaendlich)」とは異なる意味で-理解できる(verstehbar)ものにはならない、と考えます。
 したがって、我々の間にある差違は除去できないものではない、と思います。むろん、引用された、フランスに出自をもつドイツの作家、テオドア・フォンターニュの言葉によれば、「広い畑」があります。
 適切な方法で耕すためには、多くの言葉と熟慮が必要でしょう。
 推測するに、ドイツでは、私が貴方の書物の出版について祝辞を述べると言えば、蔑視されるか、あるいは犯罪視すらされるでしょう。だが、貴方の国は、予断や神経過敏症の程度が、私の国よりも大きくない、と信じます。
  エルンスト・ノルテ
 ---------

1381/試訳ー共産主義とファシズム・「敵対的近接」02。

 Francoir Furet=Ernst Nolte, "Feindliche Naehe " Kommunismus und Faschismud im 20. Jahrhundert - Ein Briefwechsel(Herbig, Muenchen, 1998)、F・フュレ=E・ノルテ・<敵対的近接>-20世紀の共産主義(=コミュニズム)とファシズム/交換書簡の「試訳」の2回目。p.11~16.
 大きな段落の区切り後の表題は「(一つの)長い注釈」で、これは、書簡の交換の契機となったフュレの大著・Le passe d'une illusion. Essai sur l'idee communiste au XXe siecle (1995)の第6章に付せられた、もっぱらノルテに言及している長い注釈のことだ。
 この著には邦訳書・楠瀬正浩訳/幻想の過去-20世紀の全体主義(バジリコ、2007)があり、上の注釈部分も訳出されている(p.253-4)。したがって、この邦訳書の一部を読めば、この注釈の内容も分かるので、これを参照すれば足りる。フランス語原文にもとづく翻訳書は、いわば「正訳」書のようなものだろう。
 但し、フランス語文からドイツ語に訳された冒頭掲記の本に少し立ち入り、上記邦訳書と少しばかり対照させてみて、私なりの(ドイツ語文からの)訳も掲載しておこうと考えた。楠瀬正浩訳は一部にせよ間違っている、という理由では全くない。ドイツ人訳者の判断又は思い入れらしきものもあるのだろうか、同じ趣旨だとしても(それは当然だろう)、選択された言葉のニュアンスや意味の理解に、微妙な違いがあるように感じられたからだ。また、文章の構造自体が違っている場合があることも歴然としている。
 なお、英語訳書である、The Passing of an Illsion, The Idea of Communism in the Twentieth Century(Univ. Chicago、1999)ものちに入手したが、これまたかりに直訳すれば同じような感想を抱きそうだったので、これの参照は、ほとんどしていない。
 -----------------
 <(一つの)長い注釈>
 この20年、とくに1987年にドイツの歴史家が議論した国家社会主義(ナツィス)の解釈に関する論争(歴史家論争〔注12/秋月注、フュレの原本の数字〕)以来、エルンスト・ノルテの見解はドイツおよび全西欧で異口同音に批判されたので、特別の注釈を施しておく価値があると思われる。
 エルンスト・ノルテの功績は、とりわけ、きわめて早い時期にコミュニズムとファシズムを比較してはいけないという禁止を打ち破ったことにある。この禁止は西欧では多かれ少なかれ一般的であり、理解しうるまだきわめて生々しい理由でとくにイタリアとフランスで、またドイツでは特別に厳しく遵守された。
 エルンスト・ノルテはすでに1963年にその著「ファシズムとその時代(Der Faschismus in einer Epoche 〔秋月注-in seiner が正しいと見られる〕)で、新ヘーゲル派とともにハイデガー(Heidegger)の影響を受けた、彼の歴史哲学的な20世紀の解釈を、概述した。
 自由主義の制度(liberales System)はそれがもつ矛盾性と将来に対する開放性によって、コミュニズムとファシズムという二つの大イデオロギーを生んだ。マルクスが道を拓いたコミュニズムは、近代社会の「超越性」を極端にまで狩り立てた。著者はそれを、人間の思考と行動から本性と伝統の領域を奪い去る、民主政的な普遍性の抽象化と理解する。
 ファシズムは、これに対して、予め決定されていない自由な存在に対する不安を除去して安心を与えようと意図した。それは遠くは、ニーチェおよび「生」と「文化」を「超越性」から守ろうとする彼の「意思」に着想を得ていた。
 こうして導き出される帰結は、二つのイデオロギーを別々に切り離して考察することはできない、ということだ。これらは、一緒になって、ラディカルな方法で自由主義の矛盾を明らかにする。そして、我々の世紀全体が、これらの相互補完性・対立性の影響のもとにあった。
 年代史的な時系列でもって、それらを整序することもできる。レーニンの勝利はムッソリーニのそれに先行し、言うまでもなくヒトラーのそれに先行した。
 ノルテの見解によれば、最初のものが後続の二つの誘発原因になった。そしてノルテは後続の諸著作で、このような関係を強調している(1966年「ファシズム運動」、1974年「ドイツと冷戦」、中でも1987年「欧州の内戦 1917-1945」)。
 イデオロギーの面から見れば、ボルシェヴィズムという普遍主義的な過激主義は、ナツィズムにおける特殊性の増大を誘発した。実際の面から見ると、レーニンによって行われた階級なき社会という抽象化を掲げてのブルジョア階層の抹殺は、ヨーロッパはコミュニズムの脅威に対して最も弱いので、忽ちのうちにパニックをもたらした。これは、ヒトラーの、およびナショナリストによる逆テロルの勝利を導いた。
 ヒトラーですら彼の敵に対して、最初から敗北するはずの闘争を遂行した。彼も「技術」の普遍的な魅力に惹かれ、同じ方法を彼の敵対者に対しても適用した。スターリンと全く同様に彼は工業化を好み、社会的「超越性」をもつ、ユダヤ・ボルシェヴィキという双頭体の怪物と闘う、と彼は称した。だが実は、ゲルマン種族の支配のもとに人類を一つにするつもりだった。このようにして準備された戦争には、勝利できる根拠は何もなかった。
 ナツィズムは、その発展とともにその元来の論理に忠実ではなくなる。この観点からノルテは、彼の最近の著書(1992年「ハイデガー-人生と思索における政治と歴史」)で、ナツィズムに味方したハイデガーの短い活動家時代を擁護しかつ釈明している。
 ノルテによれば、のちに彼の師となった哲学者には、国家社会主義に対して初めに熱狂しのちに速やかに幻滅するだけの理由があった。
 以上のように見ると、贖罪意識に囚われている者であれ、ファシズムを理解しようとすることでそれへの嫌悪感を弱めるのではないかと怖れる者であれ、あるいはたんに時代の空気に順応しているにすぎない者であれ、戦後世代の人々にとって、ノルテの著作がきわめて衝撃的だったことが十分に理解できる。
 上の前の二つのような振る舞い方は少なくとも高貴な動機によるもので、歴史家はそれを尊重できるし、しなければならない。だが、そのような態度を歴史家がとるならば、ソヴィエトのテロルは1920年代と1930年代にファシズムとナツィズムが大衆性を獲得した重要な要因であることを考察することができなくなってしまうだろう。また、ヒトラーの権力奪取が、先行するボルシェヴィズムの勝利に、およびレーニンが統治のシステムにまで高めた裸の暴力という悪い実例に、いかに条件づけられていたかを、さらには、コミンテルンが共産主義革命をドイツへと拡張しようとしているとの強い印象づけよっていかに条件づけられていたかも、無視してしまうに違いない。
 実際のところ、このような出発点から考察することの禁止は、ファシズムの歴史の徹底的な研究を妨げている。歴史の世界でのこの禁止は、政治の世界でソヴィエトの影響を受けた反ファシズムが発揮しているのと同じ効果を持った。
 反ファシズムに対する批判を禁止することによって、この種の歴史資料編纂的な反ファシズムは、ファシズムを理解することも妨げる。
 ノルテの功績は、何よりも、このタブーを打ち破ったことにある。
 残念なことにノルテは、 ナツィズムに関するドイツの歴史家論争の過程で、彼のテーゼを強調しすぎて、彼の立場の解釈を弱めている。すなわち、彼はユダヤ人について、ヒトラーの組織化された対抗者で、敵と結びついた、と説明しようとした。
 ノルテを「アウシュヴィッツ否認者」[秋月ー邦訳書および英訳書では「ネガ・シオニスト」]と称することはできない。彼は、繰り返しナツィスによるユダヤ人虐殺への嫌悪感を強く表明しているし、一つの人種のかつてない工業的な抹殺だとして、ユダヤ人ジェノサイドの異常性も承認する。
 彼が維持する考え方は、だが、ボルシェヴィキによるブルジョア階級の廃絶がそうしたものへの道を開いた、強制収容所(Gulag)はアウシュヴィッツよりも前にすでに存在した、というものだ。
 しかし、ノルテの眼からすればユダヤ人ジェノサイドは時代風潮を構成する要素だったとしても、勝利のためのたんなる手段だと見なされてはいない。彼は恐るべき特異性を認める。その特異性とは、目標それ自体が目標で、さらに優位する目標が「最終的解決」という勝利の産物だ、というものだ。
 さらにノルテは、彼の最近の文書が示すように、ヒトラーの反ユダヤ主義というパラノイアを考察しようとするに際して、ハイム・ヴァイツマン(Chaim Weizmann)が世界ユダヤ人会議の名前で1939年9月に世界中のユダヤ人に対してイギリス人の側に立って闘うことを呼びかけた宣言に、一種の「理性的な」根拠を見い出したようだ。
 このような議論は、衝撃的であると同時に、誤りだ。
 疑いなく、ノルテは、潜在意識下にある辱められたドイツ・ナショナリズムと関係している。それについて、ノルテの論敵はこの二十年の間、彼を非難してきた。また、それは、彼の諸著作の主要なモティーフだ。
 しかし、ある観点からはこのような批判が適切だとしてすら、彼の全業績と解釈の価値を失わせることはできない。それは、最近の50年間において最も洞察力に富むものの一つだ。
 参照、〔以下、ノルテに関するフランス人の二つの論考が挙げられており、邦訳書にもあるが、省略〕。 
----------------

1376/試訳ー共産主義とファシズム・「敵対的近接」/01

 フランソワ・フュレエルンスト・ノルテの交換書簡である、以下の著を試みに訳しておく。その著は、Francoir Furet = Ernst Nolte, "Feindliche Naehe " Kommunismus und Faschismus im 20. Jahrhundert - Ein Briefwechsel(Herbig, Muenchen, 1998)で、仮訳すれば、F・フュレ=E・ノルテ・<敵対的近接>-20世紀の共産主義(=コミュニズム)とファシズム/交換書簡(ヘルビッヒ出版社(ミュンヒェン)、1998年)だ。
 フュレのフランス語文章は、Klaus Joeken とKonrad Dietzfelbinger によってドイツ語に訳されている。
 フーバー大統領回顧録の一部を試みに和訳した際と同様のことを記しておかなければならない。筆者・秋月は共産主義・ファシズムあるいは政治思想史・欧州史等の専門家ではないし、ドイツ語の専門家でもない(ましてや翻訳を業とはしていない)。
 だが、この本の邦訳書は未公刊のようであるので、多少の関心を惹くことができれば幸いだ。
 本文は全体で118頁しかないので、全文を訳出する予定で、かつ(フーバー大統領回顧録の場合とは違って)最初から頁数どおりに訳していく。
 以下の第一回めの「序言」でノルテが書いているように、この本には各章または各節のタイトル・見出しはなく、数字番号すらない。
 全体・概要を把握する一助になるだろうと思って、あえて「第1節」というような見出し(表題)を付け、かつ各冒頭の1-2行めの言葉だけを記しておくと、つぎのようになる。
 第1節/序言〔ノルテ〕 p.05-
 第2節/「一つの長い注釈」〔フュレ〕 p.11-
 第3節/エルンスト・ノルテ 1996年02月20日 p.17-
 第4節/フランソワ・フュレ 1996年04月03日 p.27-
 第5節/エルンスト・ノルテ 1996年05月09日 p.39-
 第6節/フランソワ・フュレ 1996年08月 p.49-
 第7節/エルンスト・ノルテ 1996年09月05日 p.61
 第8節/フランソワ・フュレ 1996年09月30日 p.85-
 第9節/エルンスト・ノルテ 1996年12月11日 p.97-
 第10節/フランソワ・フュレ 1997年01月05日 p.109-p.122
 このように4往復の「交換書簡」が主内容だ。「序言」はテーマに直接に論及しているわけではないが、交換書簡に至る経緯等が記されているので、訳しておいた方がよいと判断した。「一つの長い注釈」(フュレ・幻想の終わり第6章の注13)については、その部分の「訳」の際に説明する(「序言」でも何度か触れられている)。
 全体を3~4回程度に分けて掲載するのが元来の予定だったが、それではこのブログサイトの1回分の掲載容量を超えてしまうだろうと思い直して、試訳作業の途中ではあるが、<第1回・「序説」>部分だけを、まずは紹介する(上記のように、数字番号すら、この書の全体を通じて付されていない)。
 なお、読みやすいように、段落の途中でも改行していることが多い。0
 --------------------------
 F・フュレ=E・ノルテ・<敵対的近接>-20世紀の共産主義(=コミュニズム)とファシズム/交換書簡(1998)01
 序言 <p.5-p.10>
 この交換書簡の特徴を述べることはしない。これの成立と公刊の事情を記しておこう。
 フランソワ・フュレについては、以前からフランス革命に関する指導的な歴史叙述者であることを知っていた。だが、一人の歴史家が自分の専門分野からすれば「資格」がない他の歴史家の仕事を知っている程度においてにすぎなかった。
 彼の側では事情は少しばかり異なっていたことは、1995年末に二十世紀のコミュニズムに関する彼の大著が公刊されたときに初めて明らかになった。彼の大著とは、Le passe d'une illusion, Essai sur l'idee communiste au XXe" siecle 〔秋月訳-幻想の終わり/20世紀の共産主義者の思想に関する省察〕だ。
 この彼の著作についてフランクフルター・アルゲマイネ新聞(Frankfurter Allgemeine Zeitung, FAZ)はすぐに詳しい書評を掲載した。その記事が明らかにしたのは、フュレのテーマはコミュニズムのみではなく、少なくとも含意するところでは、今世紀の第二の「大きなイデオロギー」、すなわちファシスムだ、ということだった。また、その記事には、私の著書が彼の著作の195-196頁にある際立って長い注釈〔秋月-次節「一つの長い注釈」)の中で論及されていると、明確に書かれていた。
 1996年の秋にドイツ語訳書がパイパー出版社(Piper Verlag)から出版されたので、その著書を取り寄せた。見てすぐに分かったのは、私のいくつかの著作が一頁半の長さで、ドイツでは長い間読まなかったほどに、力強く論評されていることだった。
 フュレはむろん、つぎの「悲しい事実」を指摘しなければならないと考えていた。私はユダヤ人をヒトラーの「組織された対抗者」だとし、国家社会主義(ナツィス)の反ユダヤ主義(nationalsozialistisches Antisemitismus)を「理性的核心」だと見なした、という事実をだ。
 この注釈では、同じ程度ではなかったが、同意と批判とが一緒になっていた。
 ほどなくして、ピエール・ノラ(Pierre Nora)が、彼の雑誌「討議」(Debat)が企画するフュレの本についての討論に出席して欲しいと言ってきた。そして、その雑誌の1996年3=4月号、第89号が公刊され、そこには、「20世紀のコミュニズムとファシズム」というタイトルのもとで、Renzo De Felice、Eric J. Hobsbawn、Richard Pipes〔リチャード・パイプス〕、Giuliano Procacci、Ian Kershaw そして私の意見表明とフュレの答えが掲載されていた。
 これと比較できるような討論会は、ドイツでは、私の知る限りでは、構造的な範型による全体主義理解〔秋月-とくにハンナ・アレント〕や1963年の「ファシズムとその時代(Der Faschismus in seiner Epoche)」〔秋月-エルンスト・ノルテの著書〕についてはすでに十分に議論されていたにもかかわらず、催されたことがなかった。
 だが今や、個々に見ると多くの意見の違いはあっても、問題設定自体の正当性は、このきわめて国際的な公開討論の場(Forum)で承認された。
 そのすぐ前に、イタリアの雑誌「リベラル(liberal)」が、フュレと私が手紙を交換して、諸問題についてもっと詳細に意見を述べたい、という気持ちを刺激するような提案を二人にしてきていた。
 我々はお互いにまだ個人的な知り合いではなかったので、ミラノ(Mailand)で出逢うことが計画された。そこで、編集部と考え方を相談することになっていた。
 だが、私は健康上の理由で決まっていた時期を守ることができなかったので、心臓手術の期日がすでに決められていた時点の1996年2月に、第一の手紙を書いた。
 私の手紙とフュレの返書は、「リベラル」の5月号に掲載された。そのとき私はまだ、リハビリテーション施設にいた。
 同じ月にもう私は十分に回復することができたので、第二の手紙を書いた。そして1997年4月に、最後の二つの-二人にとって第四の-手紙が、私には適切では全くない「エルンスト・ノルテがフランソワ・フュレと闘う(… a confronto con …)」というタイトルのもとで、その雑誌上に公刊された。
 1996年の末頃にミラノでのある学会で、フュレと個人的に親しくなっており、1997年の6月に、「リベラル」によってナポリ(Neapel)で開催された「20世紀のリベラリズム」というテーマの会議で、我々は再び逢った。そこで、二人で協力して、古く有名な哲学研究所での夜の催し(Abendveranstaltung)を引き受けた。
 そうしている間に、我々の交換書簡集のイタリアでの書物が発行された。
 上の会議のあとで我々が交換していた私的な手紙では、お互いを「Cher ami(親愛なる友!)」あるいは「親愛なる友よ(Lieber Freund)」と話しかけていた。
 7月11日に、「シュタンパ(Stampa)」から電話があった。きわめて不運なことにフュレがテニスをしているときに転倒し、昏睡状態にある、望みはない、追悼文を書いてほしい、と。
 その報せは、私には青天の霹靂だった〔落雷のごとく私に命中した〕。ようやく70歳になったばかりで、ごく最近に「フランス学士院(Academie francaise)」の会員になっていた。ナポリでは、全く健康な様子だった。
 だがしかし、我々はともに8回めの人生10年間を迎えていた。手紙の交換を始めたとき、一方〔私、ノルテ〕には生命の危険があった。他方、彼の最後には、死があった。
 1920年代に生まれた世代は、1991年〔秋月-ソ連崩壊年〕以降に初めてではなく、最初に、20世紀の基本的特徴を包括的に解釈しようと試みることができたが、その世代の者たちは今や別れをを告げている。
 Renzo De Felice は1996年に逝去し、Thomas Nipperdey〔トーマス・ニッパーダイ〕、Martin Broszat そしてAndreas Hillgruber〔アンドレアス・ヒルグルーバー〕 はもう数年前に逝去している。
 この交換書簡は、ひょっとすれば、この世代の者の、最後の非個人的な証言書の一つだ。
 ナポリ(Neapel)で会話していたとき、フュレは、交換書簡は次はパリの雑誌「批評(Commentaire)」で発表される、と語った。そのとおりに、1997年の秋=冬号、第79-80号が公刊された。
 ドイツ語版は、フュレの私あて第一信が、私の「ヨーロッパの内戦(Europaeisches Buergerkrieg)1917-1945」の新版の付録として、1997年の秋に公刊された(ヘルビッヒ出版社、ミュンヒェン)。同じ出版社から、この完全な交換書簡集が出版される。
 パイパー出版社(Piper Verlag)の厚意により、手紙の交換が始まったきっかけになった彼の脚注〔秋月-次節「一つの長い注釈」〕の文章をこの本に収載することが可能になった。
 一つ一つの手紙に表題を付すこと-イタリア語版のように-はやめることにし、中見出しを挿入すること-「批評(Commentaire)」のように-もやめた。その代わり、本文の後に、人名索引の他に事項索引がある。結びの言葉は、すべての手紙について省略した。フランソワ・フュレやエルンスト・ノルテという名前は、人名索引に載せていない。
 どの読者も、この交換書簡には、とくにフュレには、同意と不同意とが密接に一緒になっているという印象を受けるだろう。どの読者も自分で、彼の見解のどこに最も強調したい点があると理解すべきなのか、決定しなければならない。
 しかし、誰もが決して疑ってはいけないのは、先行業績からすれば非常に異なる二人の歴史家の間のこの交換書簡が、論争的にかつお互いを尊敬する精神でもって交わされた、ということだ。これと類似のことは、残念ながらドイツでは、いわゆる歴史家論争の期間でもなされなかった。
   1998年1月、ベルリン(Berlin)にて、エルンスト・ノルテ。 
 ---------------------

1373/F・フュレ・幻想の終わり(1995)等-その2。

 一 フランソワ・フュレ(楠瀬正浩訳)幻想の過去-20世紀の全体主義(バジリコ、2007)を読んでも、フュレ=ノルテの"Feindliche Naehe" Kommunismus und Faschismus im 20. Jahrhundert〔敵対的近接-20世紀のコミュニズムとファシズム〕を読んでも、まずは感じることが二つある(「近似」は「近接」へと少し訳し変えておく)。
 第一は、異論はむろん国内や国外にあれ、フランスとドイツの歴史学の大家がいずれも「コミュニズム」(共産主義)という言葉を平気で用い、これにかかわる諸論点を正面から叙述したり議論したりしていることだ。
 このような知的雰囲気は、残念ながら日本にはほとんどないように見える。ましてや、「日本共産党」を俎上に載せての批判的な学問的研究は、皆無なのではないか。
 実質的に日本共産党の現在の見地を批判しているような場合であっても、「一部には」とか「という説」とか、あるいは共産主義者一般の話として、直接には日本共産党を名指ししていないことも少なくないようだ。
 第二に、フュレのぶ厚い本の題について、幻想の「終わり(終焉)」と「過去」のいずれが適訳かという話題を前回に出したが(英語版のタイトルは、The Passing of an Illusion , The Idea of Communism in the Twentieth Century だった)、共産主義という幻想が日本において「終焉」しているとは、まったく思っていない。
 つまり、もともとフュレの大著は叙述対象を「欧州」に限定しているのだが、フランスやドイツという欧州の学者・知識人にとって(おそらくは一般公衆にとっても)、ソ連の崩壊は同時に「冷戦の終わり」であり欧州人にとっての「コミュニズムの終焉」なのだろう、ということがよく分かる。
 彼らにとっては、中国(・北朝鮮)におけるコミュニズム(共産主義)などは知的関心の対象ではなく、日本にまだあることを知っているのかどうかすら分からない、日本のコミュニズム政党(日本共産党)の存在とその主張(あるいはなぜ今だに存続しているのか)もまた知的興味の対象ではないように見える。
 欧米の文献だけを読んで、日本のことを論じてはならない。
 日本共産党も含めて、日本のことは日本人こそが議論し、研究しなければならない。
 二 福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2016)p.131は、「民主主義=反・反共主義=反ファシズム」という「現代リベラルの公式」は、ソ連崩壊以降に「むしろ純化された」、と書く。
 日本人のほとんどにとって、先の戦争で日本(・日本軍国主義)は<悪い>ことをした、少なくとも<過ち>をした。ほとんどの日本人の意識にとってこの出発点はきわめて強固だと見られ、これが日本に対する勝利者の中にソ連も加わっていた、という紛れもない歴史的事実が結びついて、1990年までは大づかみに言って<反民主主義>の日本・ドイツ等と<民主主義>のアメリカ・ソ連等という対置を基本とする<歴史認識>が(少なくとも「左翼」・日本共産党には)形成されていた。
 この「日本軍国主義」は「ファシズム」に少なくとも近似のものと理解されたので、上の公式・図式は、「民主主義=反ファシズム=反日本軍国主義=反・反共主義=ソ連擁護」ということにつながった。この「ソ連擁護」を「社会主義」に置換すると、「民主主義=反ファシズム=反日本軍国主義=反・反共主義=社会主義」ということになり、「民主主義」者は「反・反共」で親「社会主義」者であるはずだ、あるいは「民主主義」と「社会主義」は対立物ではないはずだ、という倒錯が生まれた。
 朝日新聞岩波書店も、青木理斉藤貴男も、大江健三郎も、鳥越俊太郎も、日本の<左翼>は、<何となく左翼>も含めて、かつての、この大きくて単純な<図式>の意識構造のもとで、かかる観念世界の中で、生きている。
 かくして、ファシズムも日本軍国主義もすでに存在しないのだが、つねにそれらの<再来>を警戒し、<戦後が戦前にならないように>とか<再びきな臭くなってきた>などとじつに教条的な批判・攻撃をし始めるのが、日本共産党を中核とする日本の「左翼」だ。そして、安倍晋三は攻撃しやすい「ネオ・ファシスト」となる
 三 上の後半で述べたのた似た事情が、欧州にもあったことを、フュレの大著は述べている。邦訳書(楠瀬正浩訳)のp.244-5は、「コミュニズムとファシズム」と題する第6章のはじめに、つぎのように書く。
 ・歴史家は19世紀の眼鏡を通して20世紀を見たため、「民主主義対反民主主義」という図式を繰り返し、「ファシズム対反ファシズムという対立に固執した」。この傾向は第二次大戦後「殆ど神聖にして犯すべからざる思想上の観点」とさえ見なされるようになった。
 ・この「精神的束縛」はきわめて強く、フランスとイタリアでは「コミュニズムと反ファシズムは同一の立場を示す」ものと考えられて、「コミュニズムに対する分析はすべて妨げられる」ことになり、かつまた「ファシズムの歴史を語る」ことも困難になった。
 ・「反ファシズム思想が20世紀の歴史に充溢するためには<ファシズム>が敗北や消滅の後にもなお生き続けている必要があったのだ!」
 ・「ファシズム以上にわかりやすい攻撃目標を見つけることのできなかったヨーロッパの政治世界は、定期的にファシズムの亡霊を蘇らせ、反ファシズムの人々の結集を図ってきた」。
 以上。ここでの「ファシズム」をそのままか又は「日本軍国主義」または「軍国(好戦)主義者」に置き換えて、ほとんど同じことが、日本でも起きてきたし、起きていることが分かる。
 共産主義という「幻想」が生み出した別の「幻想」・「妄想」の図式からまずは脱出し、別の図式を打ち立てる必要がある。
 それはどのようなもので、どのようにして達成されるのか? 長い闘いが知的・意識のうえでも必要であり、この欄も、少しはこれに役立つことを願って記しつづける。

1372/F・フュレの大著・共産主義という「幻想」の終わり(1995)等。

 この欄の2008年5月に言及したことがあるが、フランソワ・フュレはフランス革命の研究で知られるフランスの歴史学者で、フランソワ・フュレ(大津真作訳)・フランス革命を考える(岩波書店、1989)でも知られるように、従来の通説的フランス革命観を批判する「修正主義」派の代表者だともされる。
 一 そのフュレに、Le passe d'une illusion. Essai sur l'idee communiste au XXe siecle (1995)という著作がある(フランス文字に独特の記号?は表現できないので悪しからず)。つぎの邦訳書をほとんど読んでいないが、いくつか指摘したいことがある。
 邦訳書はフランソワ・フュレ(楠瀬正浩訳)・幻想の過去-20世紀の全体主義(バジリコ、2007)で、700頁を超える厚い本だ。
 1 訳者(だけ)の責任ではないと思うが、この邦訳書のタイトルは、正確には、<幻想の終わり-20世紀の共産主義(コミュニズム)>でなければならない、と感じる。
 後半部については、もともとフランス語の表現が「20世紀の共産主義〔又は共産主義者の思想〕に関する省察」と訳されるべきものであることは、フランス語に通暁していなくとも、上に示したフランス語の題名から、容易に理解できるだろう。
 前半部については、たしかに「幻想の過去」と日本語訳できそうだ。
 しかし、このフランス語書のドイツ語訳書(1996、Muenchen)の前半部は、Das Ende der Illusion. だ。このドイツ語の意味は「幻想の終わり」または「幻想の終焉」だろう。
 むろん、フランス語のLe passe は「過去」とも訳せるのだろうが、ドイツ語版と照合すると、<過去になってしまったもの>、つまりは<終わったもの>、という意味で、「終わり」または「終焉」の方が適切であるように思われる。
 後半部のドイツ語版の表現はやはり、Der Kommunismus im 20. Jahrhundert. であり、決して日本語訳本のように「20世紀の全体主義」と訳してはいけないものだろう。
 2 さらに翻訳者(1947-)の責任から遠ざかるかもしれないが、この邦訳書のいわゆるオビの背部分には、「コミュニズムとファシズムが繰り広げた血みどろの争いの軌跡。」とかなり大きい文字で書かれている。
 これは、フュレの真意を全く損なっているのではないか、と感じる。後でノルテとの交換書簡集にも触れるが、そのタイトルは日本語に仮訳すれば「敵対的な近似」なのであり、コミュニズム(共産主義)とファシズムの近似性こそが、フュレの(そしてエルンスト・ノルテ)の重要な関心事(の少なくとも大きな一つ)なのだと思われる。
 また、そのオビの表紙部分の最初には、「コミュニズムの『幻想』を通して、20世紀の総括を試みた初めての書」とある。
 これで誤りだとは言えないだろう。しかし、フュレが叙述する前提にあるのは、<コミュニズム(共産主義)とは「幻想」だ(だった)>、ということもまた強調されなければならない、と思われる。
 なぜこのようなオビの文章になり、なぜ明確に「コミュニズム(共産主義)」と書かれている言葉が「全体主義」と翻訳されているのか、を考えると、奇妙な気分になる。
 憶測、仮説なのだが、日本の出版界には、「共産主義」を堂々とタイトルにすることを避けたい<特殊な>事情があるのではないだろうか。
 この憶測、仮説はさらに大きな<仕掛け>があることの想像にもつながるが、その点にはここでは触れない。
 二 少し上で言及したように、半分は本国といえるドイツ語版の書、フランスのフランソワ・フュレとドイツのエルンスト・ノルテ(Ernst Nolte)の「交換書簡(集)」=Ein Briefwechsel. として、"Feindliche Naehe" Kommunismus und Faschismus im 20. Jahrhundert.(1998、Muenchen)が公刊されている。上のフュレの大著のドイツ語訳書と同じく、ミュンヒェンのHerbig Verlag GmbH (ヘルビッヒ書店・有限会社)から出版されている。
 このタイトルの直訳を試みると(既に前半部を記したが)「敵対的近似-20世紀におけるコミュニズム(共産主義)とファシズム」ということになる。
 ほんの少し目を通しただけだが、相当に面白い(ものであるような気がする)。
 だが、この本の日本語訳書は、まだ(なぜか)ないようだ。
 なお、面白くかつ十分に教えられつつ読み了えている、福井義高・日本人が知らない最先端の世界史(祥伝社、2016)の末尾の参考文献として、フュレ=ノルテの上の本は(「敵対的近親関係」と仮訳されて)挙げられている。しかし、先の、フュレ・幻想の終わり(Le passe d'une illusion)を、福井は挙げていないようだ。邦訳本もあるのに、不思議だ。
 三 前者は日本語本の一部を読み、後者はドイツ語本の一部を通読したにとどまるので断定的なことは言えないが、いずれも、少しは知的営為を行なっている日本の<保守>派の人々は、読むべきではないか、と感じている。
 そして、前者については、2007年に日本語への訳書もあるのに、<保守>派論壇人によって紹介・言及・引用等がなされているのを読んだことがない、ということを不思議に思っている(たんに私の怠惰かもしれないが)。
 また、後者については言及されにくいのはある意味では仕方がないかもしれないが、テーマ自体ですでに(私には)魅力的であるのに、日本語への訳書が出版されていないことを不思議に思っている。
 四 なぜ、日本の<知識層>は(左も右も)、「コミュニズム(共産主義)」を(そして日本共産党を)正面から問題にしようとすることがきわめて少ないのか。
 なぜ、日本の出版界は、「コミュニズム(共産主義)」を(そして日本共産党を)正面から問題にしようとすることがきわめて少ないのか。「左翼」出版社がコミュニズム(・日本共産党)批判につながるような書物を出版したくないのは分かる。しかし、「左翼」とは言えない出版社もまた(産経新聞出版も含めて)、なぜ似たような状態にあるのだろう。
 敢えていえば、福井義高の上記の本も、表向きは<世界史>の本になっているが、じつは<反・共産主義>という観点・関心で一貫しているように読める(そう私は読んだ)。
 にもかかわらず、「共産主義(コミュニズム)」とか「共産党」とか「反共」とかを表に直接には出せないのは、日本の戦後に<特殊な>知的風土と出版界の事情があるようにも見える。
 日本人の多くは(福井義高を含めてはいない)、日本とアメリカの戦後<主流派>による<大仕掛けのトリックに嵌められた>ままではないか、ということを最近は感じる。
 報われることのない鱓(ゴマメ)の歯軋りのような作業を、生きているかぎりは、時間的余裕があれば、続けてはいく。

1319/政治・歴史・個人02。

 歴史の現実とは苛酷なものだ。
 この欄に書いたことがあるように、20世紀は二つの大戦とか<民主主義対ファシズム>の闘いとかによって特徴づけられるのではなく、1917年のロシア革命による<社会主義国家>の誕生と1989-91年のロシアを中心とするソ連の崩壊によって最も特徴づけられる世紀だった、と考える。つまりは、いわば前期(第一次)社会主義(・共産主義)国家の生誕と解体であり、その間に前期(第一次)の<自由主義対共産主義>の闘いがあり、前者が勝利した。現在は、後期(第二次)の<自由主義対共産主義>の時代だ。
 上のような叙述を時代遅れ、古くさいと感じる者が日本には少なくないだろうことは、実に残念な、深刻なことだ。それはともかく-。
 二つの大戦の死者数よりもソ連や中国等の<社会主義国>(の政権)による粛清や政策失敗による飢餓等での死者数の方が多い(この欄で既述)。
 ソ連のスターリニズムの犠牲になった人たちや中国の文化大革命時に殺害された人たちのことを想う。あるいは例えば、いっときの「自由」のあとでソ連圏に組み込まれてその傀儡国家になった=ソ連共産党の従属政党が権力を握ったチェコ(・スロバキア)の人たちのことを想う。
 1968年にいわゆる「プラハの春」事件が起きたのだったが、一時期の「自由(・自立)・改革」の運動は弾圧されて、その時の指導者たちは苦しい生活を強いられたはずだ。
 詳しくは知らない。だが、1989-91年以降に20年!を経て政治活動を復活することができた、まだ幸福な人たちの他に、自国の政治・体制を間違っていると感じながらも(あるいは強く確信しつつも)、1989-91年を待たずして死んでいった人たちも多くいたに違いない。政治的行為・活動を理由とする逮捕・拘束が直接・間接の原因ではなくとも、人間には、個々の人たちには、「寿命」というものがあり、長くても80-100年くらいしか生きられないからだ。
 1968年に抗議の自殺をした青年たちも含めて、<ソ連社会主義>は間違っているとの確信や感覚を持っていた人たちは、その確信・感覚の正しさが現実によって証明されることなく、無念のうちに、あるいは憤懣とともに死んでいったに違いない。チェコにもちろん限らない。数の上では旧ソ連や共産党支配の中国等における方が多いに違いない。
 むろん、もっぱら他国の国民のこととして書いているわけではない。日本にも無念や憤懣をもって死んでいった同胚たちが多数いる、はずだ。その人たちの人生や正義感は誤っていなかった、まっとうなものだった、と現在に生きるわれわれ日本人の多くが理解しているのだろうか。彼らの名誉は回復しているのだろうか。
 政治的な駆引きによる歴史認識操作によって、依然として「悪者」扱いされたままの人たちがいるとすれば、彼らはそれこそ浮かばれないのではないか。
 歴史の現実とは苛酷なものだ。個々の人間には一つの、かつ限りある「生命」しかない。したがって、いかに<正しい>人生を送ったところで、<正しい>主張をし続けてきたところで、それが証明されることを実感することなく、あるいは現実では何ら報われることなく、死んでしまう者もいることになる。

1290/戦後70年よりも2016年末のソ連崩壊25周年-2

 西岡力=島田洋一=江崎道朗「歴史の大転換『戦後70年』から『100年冷戦』へ」月刊正論2015年5月号(産経新聞社)の諸指摘のうち重要な第二は、<2015年は戦後70年>ということのみを周年・区切り年として語るべきではない、ということだろう。
 <戦後70年>ということ自体、平和条約=講和条約によって正式に戦争が終了するのだとすると、サ講和条約発効の1952年を起点として、今年は<戦後64年>であるはずだ。
 それはともかくとしても、1945年の8-9月以降も日本や世界にとって重要な画期はいくつもあった。
 1947年の日本国憲法の施行、1952年のサ講和条約発効もそうだが、1950年の朝鮮戦争もそうだった。
 この戦争勃発によって、日本の歴史も変化している。警察予備隊・保安隊、そして1954年に自衛隊発足となる。そしてまた、この戦争に正規の中国軍も北朝鮮側に立って参加し、実質的にはアメリカ軍だとも言えた国連軍と戦火を交えた。すでに成立していた中華人民共和国の軍隊は、国連軍、そしてアメリカ軍の「敵」だったのだ。
 中国はまた、ソ連とともに<東側陣営>に属して、西欧やアメリカにとってのソ連ほどではなかったとしても、<冷戦>の相手方だった。アメリカとは基本的に異質の国家・社会のしくみをもつ国家だった。
 中国は、2015年を<反ファシズム戦争勝利70周年>として祝うらしい。そして、アメリカに対しても、同じく<反ファシズム戦争>を戦った仲間・友人ではないかとのメッセージを発しているらしい。GHQ史観・東京裁判史観に立たざるをえないアメリカがこれになびいている観もなくはなく、このような行事を批判・峻拒していないのは嘆かわしいことだ。
 しかし、第一に、上述のように、<反ファシズム戦争>なるものの時期よりもあとに、中国はアメリカと対決してきている。仲間・友人だった時代よりも、対戦相手・「敵」だった時期の方が新しく、かつ長い。
 第二に、先の大戦を<反ファシズム戦争>と性格づけるのは、日本共産党はぜひともそういう性格づけを維持したいだろうが、正しくはない。つまり、ソ連はそもそも<反ファシズム>国家だったのか、という根幹的な問題がある。
 上の鼎談で島田洋一は言う-「ソ連は一党独裁で、しかもスターリンは二十世紀でも指折りの人権弾圧者」、「経済は市場メカニズムを排除する点でファシズム以上に抑圧的」、「政治的な自由度も当時の日独伊を遙かに下回って」いる(p.88)。
 このようなソ連を<反ファシズム>の「民主主義」国家だとはとても言えないはずだ。
 アメリカがソ連と「組んだ」こと、そして当時の中国よりも日本を警戒・敵視したこと、結果として<共産中国>を生み出してしまったことについては、当時のアメリカの大きな判断ミスを指摘できるとともに、なぜそのような「誤った」判断ミスに至ったかに関係するアメリカ内部の共産主義者の動向をさらに把握しておく必要がある。だが、この点は、ここでのテーマではない。
 第三に、<反ファシズム戦争>なるものの当事者では中国共産党はなかった。実際に日本と戦争したのは中国国民党で、毛沢東らの中国共産党ではない(p.88の西岡力発言も同旨)。
 さらに、毛沢東らの中国共産党によって建国された中国が<反ファシズム>の戦いを祝える資格がそもそもあるのか、という問題もある。
 上の鼎談で再び島田は言う-中国は「政治・経済体制として典型的なファシズム」で、少数民族弾圧の点では「ナチズムの要素」もある。一言では「帝国主義的ファシズム」国家ではないか(p.89)。
 <ファシズム>についての厳密な定義が語られているわけではないが、ハンナ・アーレントがナチズムや社会主義(・少なくともスターリニズム)を<左翼全体主義>と性格付けていることを知っていたりするので、中国を「ファシズム」国家とすることに違和感はまったくない。
 そのような現在の中国がアメリカやフランス・英国等とともに<反ファシズム戦争勝利>70年を祝おうとするのは狂気の沙汰だと感じる必要がある。島田洋一によれば、「ファシズムに加えて、ナチズムの要素を持ち、ヒトラリズムの傾向をも見せている中国が、反ファシズム戦争の勝利を祝うのは倒錯の極み」だ、ということになる(p.89)。
 もともと戦前・戦中の日本が「(天皇制?)ファシズム」国家だったのかという問題もあるのだが、さて措く。
 さて、いわゆる戦後の忘れてはならない重要な画期は、1989年11月のベルリンの壁の「崩壊」(物理的には「開放」だが)等につづく、ソ連邦の崩壊であり、「独立国家共同体」の成立をその日と理解すれば、それは1991年12月21日のことだった。
 この1991年末をもって、少なくともソ連-さらには東欧旧「社会主義」諸国-との関係での<冷戦>は終わったのであり、かりにソ連等に限るにせよ、ソ連のかつての力の大きさを考慮すれば、<自由主義(資本主義)の社会主義に対する勝利>が明瞭になった、じつに重要な画期だった。
 20世紀を地球上での<社会主義>の誕生とそれを奉じた重要な国家の崩壊による消滅過程の明瞭化の時代と理解するならば、この1991年という年を忘れてはいけない。そして、時期的な近さから見ても、1945年よりも(1989年や)1991年の方が重要だという見方をすることは十分に可能だと思われる。
 「冷戦」に敗北したのはソ連だったとしても、同じ<社会主義>(を目指す)国家である中国もまた、<冷戦>の敗戦国と言うべきだろう。また、日本はドイツ等とともにアメリカと協力して<冷戦勝利>の側にいたのだ。
 まさしくこの点を、上の鼎談で江崎道朗は次のように言う。
 「日本は戦後、自由主義陣営の一員であることを選択し、アメリカと共にソ連と戦い、勝利した戦勝国であることを誇るべきであった」(p.92)。
 さらに、日本国内でかつて全面講和を主張したり、日米安保条約改訂に反対したりしてソ連(や中国)の味方をした「左翼」論者・マスコミ等は、日本社会党等とともに、現実の歴史では<敗北した>のだ(p.92の西岡発言参照)。日本共産党も<敗北>の側にいたと思うが、この点は、日本共産党が、ソ連は「社会主義」国ではなかった、崩壊を歓迎するなどと<大がかりな詐言>を言い始めたことにかかわって、別に扱う(この点に、この欄ですでに批判的に論及したことはある)。
 1991年末から2016年末で25年が経つ。戦後70年における反省とか謝罪を話題にするよりも、<冷戦勝利>25周年の祝賀をこそ祝い、なお残る<社会主義>国の廃絶に向けた誓いの年にすべきだろう。
 西岡力は、次のように言っている。至言だと考えられる。
 「今年から来年にかけ、一九九一年の冷戦勝利二十五周年を記念する行事を日米が中心となって開催すべき」だ(p.91)。
 

1128/丸山真男の1950年論考と現在の「左翼」・「保守」。

 丸山真男は「自由主義者への手紙」の中で、興味深くかつ重要なことを書いている。これは月刊・世界(岩波)の1950年9月号に発表された。アメリカ、GHQが日本の敗戦後当初と異なり、反共(反ソ)へと政策転換をした後の時期だ。丸山真男全集第4巻(1995)所収、p.313以下。
 丸山がいう「君」とは誰か判然としないが、一定の思想・評論の潮流なのだろう。その「君」は自分=丸山真男に対して次のような不満・批判を吐露・提出している、とまず丸山は述べる。
 「君や僕のようなリベラルな知識人」は「思想を否定する暴力に対して左右いずれを問わず積極的に闘うことが必要」で、そのためには「ファッショに対してと同様、左の全体主義たる共産主義に対しても画然たる一線をひいて」自分の主体的立場を堅持する必要がある。にもかかわらず、「僕みたいな…マルクス主義者ではなく、性格的にはむしろコチコチの『個人主義者』」が「現代の典型的な全体主義たる共産主義に対してもっと決然と闘わない」のは何故か(p.316)。
 同旨の疑問・批判は、より簡単には、次のようにも書かれている。
 「左右いかなる狂熱主義にも本能的に反発する」はずの僕=丸山が、「共産党に対して不当に寛容であるのはおかしい」(p.333)。
 これに対する丸山真男の回答・釈明・反論はこうだ。
 「日本のような社会の、現在の情況において、共産党が社会党と並んで、民主化…に果す役割を認めるから、これを権力で弾圧し、弱体化する方向こそ実質的に全体主義化の危険を包蔵することを強く指摘したい」(p.333)。
 共産党の日本社会の「民主化」への役割を認め、それに<寛容>であることによって、共産党を「弱体化」することによる「全体主義化の危険」を防止したい、と言うのだ。
 同趣旨のことは、「政治的プラグマティズムの立場に立てばこそ」として、次のようにも語られている。
 ①「下からの集団的暴力の危険性」と②「支配層が偽善的自己欺瞞から似非民主主義による実質的抑圧機構を強化する危険性」、および①「大衆の民主的解放が『過剰になって氾濫する』危険性」と②「それが月足らずで流産する危険性」とをそれぞれ比較して、「前者よりも後者を重しとする判断を下す」(p.333)。
 つまり、上の①よりも②の危険性の方を重視して、②の危険性の方を抑止したい(そのためには日本共産党に対して<寛容>であることが必要だ)というわけだ。
 この論考の発表当時、日本共産党は衆議院に35議席を有するなど勢力を拡張していたが、1950年1月にコミンフォルムによるその「平和革命」論批判(のちに分裂につながる)や同年6月のGHQによる共産党員等の公職追放(レッド・パージ)があった。
 のちの主流派による武力闘争まで丸山真男が支持したかどうかは確認しないが、日本共産党勢力が拡大し、かつ抑圧?を受けつつあったときに、この丸山真男論考は書かれている。
 そういう時代的背景はふまえておく必要があるが、興味深いのは、丸山真男のような<進歩的文化人>のかかる<容共>姿勢というのは、少なくとも日本共産党が「平和」路線(「人民的議会主義」路線)を明確に採って以降の、日本の<左翼>に特徴的な考え方または気分だ、ということだ。
 丸山真男は「民主化」に「しかり西欧的意味での民主化」という注記を施しているが、それはともあれ、丸山は「民主主義」(民主化)対「全体主義」という対立軸を設定している。「共産主義」が「左の全体主義」・「現代の典型的な全体主義」であることを否定していないようであることも目を惹くが、これとは区別されたものとして、日本社会の「全体主義化の危険」・「支配層が偽善的自己欺瞞から似非民主主義による実質的抑圧機構を強化する危険性」を語っている。
 「民主主義」対「全体主義」という軸設定は今日ではそのままではあまりなされてはいないかもしれない。しかし、後者に代わって、「(日本)軍国主義」とか「戦前のような日本」ということが言われ(ときには「偏狭な(排他的な)ナショナリズム」)、戦前のような社会を復活させるな、「民主主義」を守り、拡充させよう、という論調はしばしば見られる。
 それが「左翼」の主張であり、「何となく左翼(サヨク)」の気分だ。
 このような主張・気分は、丸山真男の上の文章に明確に示されているように、共産主義・日本共産党に対する「寛容」さを内包している。 
 共産主義・日本共産党に完全に同調しないとしても、それよりも「軍国主義」勢力・「保守反動」勢力の拡大による<戦前のような日本>の復活・「戦争ができる」国家の復活の危険を重視し、そのためには日本共産党と闘うどころか「共闘」することすら容認するのが「左翼」・「何となく左翼」だ。
 「左翼」の中核に日本共産党はいる。その周辺に、自覚的・意識ではないにしても、幅広く厚い<容共>層がいるのが、日本の「左翼」陣営の特徴だ。
 かつて自民党政権時代に、『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズム』(1990)というおそらく唯一の研究書を刊行した上野千鶴子は、マルクス主義者または親マルクス主義の立場の者だから当然だろうが、日本共産党を含む野党の対自民党統一戦線の結成を主張していた。
 上野千鶴子ほど明確にではないにしても、岩波や朝日新聞系の知識人・論壇人の中には、日本共産党よりも<保守>政党(従来だと自民党)を嫌う、共産党の力を借りてでも自民党政権を倒したいと考えていた者が多かった、と思われる。
 むろん、マスコミ従事者や一般国民においても<民主主義対全体主場(=保守反動)>という何となくのイメージを持っている者が多いから(それはかつての戦争の性格を含む歴史認識・それに関する教育に深く関係するがここでは触れない)、<反自民党>気分は一気に2009年の民主党内閣の成立に結びついた。
 日本共産党を批判したこともあり、そのゆえに日本共産党から攻撃されたこともある丸山真男だが、上のように、日本共産党を「民主主義」の側に位置づけ、<全体主義・軍国主義>傾向にむしろ重要な危険性を感じるという意識・気分(論者によってはイデオロギー)は、今日でもなお強く残存している。
 丸山真男とはまさに戦後進歩的知識人の代表者であり、「戦後左翼の祖」の一人と言ってよいだろう。
 上のような対立軸をかりに設定するとしても、共産主義・日本共産党を「民主主義」の側に位置づける、という馬鹿なことをやめ(させ)なければならない。
 むしろ、共産主義・日本共産党の「反民主性」・「反自由主義性」こそを強く、いや最大の対立軸として、主張し続けなければならない。
 そのような<反共>を最大・最重要の旗印として掲げるのが、私の理解する言葉の意味での<保守>だ
 こういう意味で<保守>概念が使われないとすれば、別に言葉ごときに拘泥はせず、「平等」教・「共産」教に対する<自由>主義と表現してもよい。
 ともかく、<容共か反共か>、これが今日の最大・最重要の対立軸だ、と考えられる。この対立軸の設定は、決して時代遅れ、あるいは決着済みのものでは全くない。
 この点が明瞭ではない論者、評論家、月刊雑誌等の論壇類は、「保守」概念をめぐっても含めて、混乱するか(あるいは混乱を持ち込むか)、少なくとも現在の日本と日本国民にとって適切な方向・指針を示すことができないだろう。
 

1103/「B層」エセ哲学者・適菜収と重用する月刊正論(産経)。

 〇月刊正論5月号の巻頭、適菜収「橋下徹は『保守』ではない!」は「保守ではない」と言っているだけで橋下徹を全面的に消極的に評価しているわけではないとの印象を持つ人や、そのように釈明する者もいるかもしれない。しかし、この論考は「橋下徹大阪市長は文明社会の敵です。そして橋下流の政治…の根底には国家解体のイデオロギーがある」という文章から始まっているいるように、全面的な、人格面も含む、橋下徹攻撃・非難の論考に他ならない。したがって、問題はたんに「保守」の意味・内容にとどまるものではない。
 月刊正論編集長・桑原聡が明言している、橋下徹は「きわめて危険な政治家」、「橋下氏の目的は日本そのものの解体することにあるように感じられる」、というのと全く似たようなことを、より長く書いているのが適菜収だ。
 編集部員の川瀬弘至もまた、イザ!内のブログで、適菜論考を「とってもいい論文」と評価し、川瀬が「保守」性を疑っている石破茂に読むことを勧めている(4/04エントリー)。
 ちなみに、川瀬弘至は自ら「保守主義者」と称し、さらに「小生、今後は『真正保守』を名乗らせていただきます」とまで明言している。
 そのような「真正保守」の方にはご教示を乞いたいこともあるので、別の回に質問させていただくことにしよう。
 〇さて、適菜収は月刊正論5月号で「B層」という概念を使い、橋下徹を「理念なきB層政治家」(タイトル副題)と称したりして「B層」を何度か用いているが、その意味をきちんと説明しているわけではない。
 ほぼ同じ時期に公表された、雑誌・撃論+(オークラ出版、2012.05)上の適菜収「B層政治家の見抜き方」(p.142~)の方が「B層」なるものについては詳しいだろう。
 これによると、「B層」とは「マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち」を意味する(p.142)。より簡単には「知能指数の低い者たち」、だ。
 こんな言葉がキーワードとして用いられる論文(?)に、まともなものはない、と思われる。また、自らは「B層」には含まれないことを当然の前提にしているようだが、「知能指数の高い」者ならば、そのこと自体をまずは疑ってみる方がよいように思われる。
 ところで、適菜の「B層」論という<じつに差別的な>議論を気持ち悪く感じながら読んで思いだしたのは、丸山真男の<ファシズムの担い手>論だった。
 この欄でかつて紹介したことがあるが、丸山真男は「日本ファシズム」も「中間層が社会的担い手」だったとし、以下の「層」が(日本ファシズムの)「社会的基盤」だったと断じた。丸山真男はこれを「疑似」又は「亜」インテリと称する。
 「たとえば、小工業者、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校職員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官
 これに対して、丸山真男によると、以下の「本来のインテリ」は、「ファシズムの社会的基盤」でなかったとする(つまり<免責>する)。
 「都市におけるサラリーマン、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、その他自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層」。
 ここで丸山真男が「学生層」として念頭に置いているのは、彼が「皆さんのような」と呼んだこともある、東京帝国大学の学生(その他、広げても旧制大学の後身大学の大学生)だ。
 丸山真男と適菜収が同一のことを言っているのではなく、適菜の方がはるかに粗くて単純なのだが、丸山真男の上の区別も、何やら<知能指数の程度>による<職業差別>意識を背景にしているように見える。
 丸山真男のこの部分を読んで、アホらしい、まともな学問の結果ではないと思ったものだが、適菜収が書いていることについても、そのまま、あるいはそれ以上にあてはまる。
 適菜は要するに、<バカ>が多いから<バカ政治家>が生まれ、勝利する(=民主主義)、バカは政治家等の甘言にダマされやすい、したがってうまくバカを騙せる政治家等が勝利し、バカの「民意」を背景にして「独裁者」も生まれる、というようなことを、ときどきは外国人や歴史に言及したりしながら、言っているだけのことなのだ。
 じつは、行きがかり上、仕方なくこれを書いているようなところがあって、適菜の文章をまともに取り上げようとすることすら、本当はアホらしい時間潰しだと感じている。
 「大衆民主主義」時代における「大衆」を、私もまた基本的なところでは信頼してはいない。この点では、大衆=有権者は結局のところは適切な判断をするものだ、とかときどき書いている産経新聞の論説委員・コラムニスト等とは少し異なる。
 しかし、騙されやすい「大衆」を「『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち」と定義して、思考し叙述する気はまったくない。
 騙しているマスメディア(や政治家)の責任の方がはるかに大きい。また、結果的には読者を騙そうとしている、月刊雑誌等の「論壇」の執筆者=評論家・大学教授たち(・「哲学者」?)の責任も大きいだろう。
 適菜収は、「かつて『B層を騙す側』にいたB層政治家がB層そのものになりつつある」と書いているが(撃論+p.143)、「かつて『B層を騙す側』にいたB層哲学者がB層そのものになりつつある」のではなかろうか。
 適菜収というまだ三〇歳代の自称「哲学者」は、大学・研究機関に所属しているわけでもなく、また、学術研究者(・哲学者)または「評論家」としてのまともな業績は全くかほとんどないようだ。
 こんな人物の「トンデモ」論考を巻頭に持って来て大々的に広告を打つ編集長がおり、また「とってもいい論文」だと評価する編集部員もいる月刊正論という雑誌は、まともな雑誌なのだろうか。
 このような疑問は、当然に産経新聞(社)自体にも向けられうる。

 産経新聞本紙はともあれ、月刊正論には常連の「保守派」の執筆者もいるとは思うが、こんな編集長・編集部員の依頼を受け、唯々諾々と従って文章を提供して金銭をもらって、編集長・編集部員の<考え方>・<質>については何の関心もないのだろうか?? 

1063/日本共産党は「猫なで声と微笑とともに」やってくる-大阪市長選。

 〇産経新聞11/14(大阪版)夕刊は「大阪再生『協調』か『強さ』か」を一面トップの見出しにしている(なお、産経ニュースによると他の対立軸設定の表現も使っている)。これは以下の毎日新聞よりはましだ。
 毎日新聞11/14(大阪版)朝刊一面トップ横書き大見出し-「『反独裁』VS『都構想』」。
 「都構想」は容易には理解できない内容等をもち、大阪府知事候補倉田某(民主・自民支持)が<争点にならない(争点にしない)>旨を発言しているらしいのはむしろ誠実な反応だ。維新の会は2015年までにと主張しているようだが、最短でもその程度は要し、かつ実現可能性が高いとはまだ言えない。大都市制度のあり方に大きな問題提起をしている、という程度に理解するのが妥当で、そのような問題を提起していること自体に意義がある、といったところだろう。
 そのような「都構想」に比べて、「反独裁」は分かり易い。
 このような争点設定では、読者は「反独裁」へと容易に傾斜するだろう。
 毎日新聞は「じっくり風穴VSスピード改革スピード維新」、「橋下流か/じっくり改革、平松流か」というように対立軸を表現していることもあるが、11/15朝刊(大阪版)の見出しは以下。
 「『独裁』是か非か
 「独裁」を支持するか否かと問えば、大多数の人々は支持しない、と回答するのではないか。その意味で、11/14の見出しとともに、<世論誘導的>だ。
 だが、前回記したように、「独裁(的)」 =「強いリーダーシップ」のような意味で橋下徹自身は使用しているので、毎日新聞の見出しのつけ方は、誤った争点設定で、そして誤った世論誘導である可能性が十分にある。
 〇最初の産経新聞に戻ると(11/14夕刊)、橋下徹陣営と平松某陣営の各動向に関する記事で、橋下側の記事の中には「時折、橋下氏への反発の声を上げる人の姿も見られた」との文章がある。
 一方、平松某側の記事の中には、そのような批判的な「声」があった旨の文章はない。平松某らの動きに密着していて本当にそのような「声」を聴かなかったのかもしれないが、しかし、一般論として、市民からの平松某批判が皆無だとはとても思えない。
 産経新聞(大阪)の報道ぶりは、やはり少しは奇妙(=公正ではない)なのではないか。<反橋下>で一貫させたいならば、むしろそれを明瞭にしたらどうか。産経新聞にのみあてはまることではないが、巧妙な誘導ほど、有権者をバカにした、気持ちの悪いものはない
 〇その平松陣営の動向に関する記事は、日本共産党の大阪府知事候補梅田某の、次の発言を紹介している。
 ・橋下徹を「ファシスト」、「ペテン師」などと批判。
 ・「ファシズムは猫なで声でやってくる。…」と批判。
 日本共産党が橋下側を、「ファシズム」、「ファシスト」と論難しているというわけだが、日本共産党にそのようなことを語る資格はあるのだろうか。

 産経新聞はむろん、そんな問題に立ち入っていない。「ファシズム」(「ハシズム」)という批判に対する、橋下徹側の平松某らに対する「大政翼賛会(的)」という反?批判も同時に紹介していればまだ公平ともいえるのだが、後者の言葉はどこにも出てきていない。
 産経新聞はさておくとして、そもそも「ファシズム」とは何なのか。日本共産党(や産経新聞記者)はどのように理解して用いているのだろうか。
 丸山真男らは好んで「日本ファシズム」という語を使い、日本でも「ファシズム」が成立していたことを前提とする論述をしていたようだが、「日本ファシズム」は必ずしも定着した概念になっていない。むしろ、「日本軍国主義」とか「天皇制絶対主義」などが、戦前(の少なくとも一時期)を表現する言葉として用いられてきたように思われる。

 独裁=ヒトラー=ナチス=ドイツ・ファシズムというイメージ連関のもとで、<悪い>イメージの「独裁」と「ファシズム」を結合させているのかもしれない(この場合でも両者は同じではないはずだ)。
 かりに上のような連関が成り立つとしても、しかし、例えば私は、「独裁」といえばフランス革命期の<ジャコバン(・ロベスピエール)独裁>、ロシア革命期のレーニンや<スターリン独裁>、中国の<共産党一党独裁>、北朝鮮の<労働党一党独裁(または金日成・正一独裁)>を(も)連想する。
 「独裁」というのは、「プロレタリア独裁」(-・ディクタトゥーア、労働者の「執権」)を通じて社会主義・共産主義を、という、まさに共産党(・コミュニスト)こそが将来に構想しているものではないか。
 「ファシズム」という概念も曖昧だが、「全体主義」という語もある。そして、「全体主義」は前者を含みつつも、<左翼>のそれ、つまり<左翼全体主義>をも含むとして使われることが少なくないと見られる。
 しかして、コミュニストが究極的に目指すのは<左翼全体主義>に他ならないだろう。ファシズムに近似の体制の樹立を将来的には狙っているのが、コミュニスト=日本共産党だ、と理解しておくべきだ。
 そのような日本共産党の党員が(しかも弁護士資格のあるらしき男が)「ファシズムは猫なで声でやってくる」と批判するとは恐れ入る。
 コミュニスト、日本共産党は「猫なで声と微笑とともに近づいてくる」、とでも言っておこう。

1062/「独裁」批判と「大笑い」大阪・自民党。

 〇大阪の選挙で、「政治手法」とやらが争点の一つになっているらしい。もっと正確に書けば、「独裁(的)」か否かだ。
 11/13夕方の産経ニュースでも大阪市長選について、「市役所組織の解体につながる『大阪都構想』や、平松氏が『独裁的だ』と批判する橋下氏の政治手法の是非などが主な争点」と記している。
 上では民主党・自民党・共産党の支持する平松某の主張として「独裁的」が出てくるが、産経新聞も含めて、引用のかたちではなく、「独裁(的)」という語を橋下徹に関して用いているように見える場合もある。
 教育に関してだが、産経新聞11/09の「『政治の関与』か『独裁』か」という大きな文字も、橋下が後者だとは断定していないが、そのような見方のあることを少なくとも強く伝えるものになっている。
 また、府知事選への倉田某(民主党・自民党支持)の出馬表明を報道する産経新聞の10/27の記事の最も大きな文字の見出しは「『橋下氏は恐怖政治』」となっている。これは倉田某の発言の引用で、産経自体の見方を示しているのではない。だが、最大の見出しにする必要があるのか、という疑問がまず湧く。
 それに本文を読むと、倉田某はこう発言していることになっている。
 「橋下氏の府政運営については『恐怖政治』と厳しく断じたが、『やんちゃだが、大好きだ。純粋さ、スピード感はいい』とも」。
 これが倉田某の発言紹介の大部分なのだが、この発言をとらえて、「『橋下氏は恐怖政治』」という大きな見出しを打つのは、乱暴で、公正さを欠いている

 また、産経新聞10/22の橋下「知事辞職へ」の記事の最大のヨコ見出しは「破天荒な橋下府政」であり、「知事辞職へ」よりも大きなフォントを使った見出しに、「過激発言、都構想…借金6兆円」もある。

 ついでに、産経10/25の「ハシズムを斬る」集会の記事は、これを「…市民集会」と称しつつ、中島岳志・雨宮処凜・寺脇研の主張(橋下批判)を紹介するだけだ。
 産経(の少なくとも大阪の編集者)は、橋下徹には好意的ではないようだ。
 産経ですらこうなのだから、あとの新聞の論調(あるいは誘導方向?)はほとんど明らかだ(いちいち確認していないが)。

 このような産経新聞の論調が、大阪の自民党が橋下徹の対立候補を支持していることと関係があるとすれば、産経(大阪)もまた、まともな感覚をもってはいない。ますますもって「大政翼賛会」的、あるいは<左翼ファシズム>的になっている。
 〇その「独裁(的)」だが、橋下がつぎのような旨を言ったのはそのとおりだ。何度もテレビ報道がなされている。
 <政治で一番重要なのは独裁です。
 とくにこの部分を捉えて、橋下の「独裁」(的)政治手法批判に結びつけている者たちやメディアもあるのかもしれない。
 だが、一度だけ、テレビで見た(聞いた)が、上の部分にすぐ続けて、橋下徹は次のような旨を言ったのだった。
 <独裁と言われるような(ほどの)、強いリーダーシップが必要なのです。>

 かりに上半分のみを捉えて「独裁(的)」か否かが争点だとしているのだとすると、マスメディアや反橋下の人々は、じつは「強いリーダーシップ」が必要か否かが争点だとしていることになり、または「強いリーダーシップ」に反対していることになることを知らなければならない。
 マスコミ、とりわけテレビとは怖ろしいものだ。ほとんどの場合、橋下自身は「強いリーダーシップ」に少なくとも近い意味で用いている「独裁」を、後者の言葉を使った部分のみを(後続部分をカットして)放映してきたのだ(最近は減っているかもしれない)。
 橋下がおそらくはこの点について、マスコミの報道ぶりに反発しているらしいのもよく分かる。
 〇大阪の自民党の愚劣さ(「バカ}・「アホ」ぶり)については、すでに書いた。
 とくに大阪市長選について、その愚劣な選択はさらに際立つことになった。日本共産党が独自候補を(予定変更して)立てず、民主党・自民党とともに平松某を支持することに決めたからだ。
 11/07か11/08の夕方のテレビで途中から、府・市の有力?候補5人がナマ出演して討論しているのを視聴したが(府知事3名、市長2名)、その中で、日本共産党の府知事候補某は、市長選での平松某支持について<反ファシズム(反ファッショ)統一戦線ですよ>と言い放った。
 平松某を積極的に支持してきたわけではないが、「ファシスト」橋下徹の当選を阻止することを優先して、自党候補を立てず、平松某を応援する、というのだ。
 コミンテルンは社会民主主義者を「社会ファシスト」とか呼んで批判してきたところ、それを改めて、社民主義者とも<統一戦線>を組んでドイツ・ナチスと対抗しようとした。主唱者は、ディミトロフだった。
 中国における<国共合作>もこれと同じまたは類似の戦略だったが、それはともあれ、日本共産党は橋下陣営と橋下徹をファシズム・ファシストと見なし、これを敗北させることを最優先課題と位置づけたわけだ。
 橋下陣営・橋下徹についての「ファシスト」という性格づけはそもそも問題で、厳密には十分に検討する余地がある。「強いリーダーシップ」の必要を訴えて、あるいは教育行政への「政治(首長)関与」の増大を訴えて「ファシスト」と呼ばれたのでは、たまらないだろう。だが、「ハシズム」という造語に見られるように、反橋下陣営は「ファシズム(・ファシスト)」という語を自分たちに有利に使おうとしている。
 旧東ドイツの政権党(実質的に共産党)が「社会主義統一党」(SED)という名称だったのは、元来の共産党と社民党の合同・統一政党だったからに他ならない。
 そのような、もともと「左翼」の戦略としての「統一戦線」に、今日の日本の大阪では、「保守」または「自由主義」政党のはずの自民党(自由民主党)までが入っている。
 これはもはや「お笑い」・「大笑い」としか言いようがない。
 大阪の自民党は共産党とともに、元来は民主党推薦だった現職候補を支持する、というのだ。
 大阪の自民党諸氏は恥ずかしくないのだろうか。奇妙だとは感じないのだろうか。
 京都や大阪では(東京等とともに)共産党の力が強く、1970年代途中まで社共連合の(社共統一候補による)「革新」知事が続いた。社会党の離反によりそれは消滅したのだったが、代わりに生じたのは(きちんと確認しないで書くが)<非共産>連合による府知事だったように思われる。つまり、自民党と旧社会党は、非共産という点で一致し、ともに与党であり続けてきたわけだ。
 それは国政と全く同じではないが、一種の<55年体制>であっただろう。自民党と旧社会党がそれなりにうまく<棲み分けて>きたのだ。
 今回の<反維新>・反橋下の自民党の行動も、そのような意識を引きずっているように見える。
 つまり、民主党系・公明党とうまく<棲み分けて>市議会や府議会を構成して、その「既得権」を守りたいにもかかわらず、橋下徹らの「維新の会」が誕生し、その地域政党が自分たちの「既得権」を侵そうとしていることに、自民党の市議たちは我慢ができない、ということなのではないか。
 そこでは、もはや<反共>政党という理念などは忘れ去られている。国政の小選挙区とは異なり複数の定数をもつ地方議会選挙において、自分たちが他党と<うまく棲み分けて>当選してしていきたいのに、それを邪魔するのが橋下徹・「維新の会」だと感じているのではないか。
 政策論もあるかもしれないが、むしろ自民党(大阪)が優先したのは市議会・府議会議員の「保身」だと思える。
 今からでも遅くはない。<共産党と同じ候補を支持するわけにはいかない>という勇気ある、そしてまっとうな声は、大阪の(とくに大阪市の)自民党内からは出てこないのか。
 〇最近に書いた、<赤(コミュニズム)か自由か>、および反・反共=「反ファシズム」という表現については、補足しておきたいこともあるので、別の機会に書く。

1031/片山杜秀「ヒトラーの命がけの遊び」新潮45/8月号と菅直人。

 産経新聞7/24の稲垣真澄「論壇時評」は、新潮45の2011年8月号の、片山杜秀「国の死に方2/ヒトラーの命がけの遊び」にほとんどを費やして注目し.要約的な紹介もしている。
 この書評記事を読む前に上記の片山杜秀の新潮45論考を読んで感心していたので、あらためて印象に残った。
 稲垣真澄の文章から離れて(それに依拠しないで)片山の文章の一部を紹介してみるが、菅直人・菅内閣という言葉はどこにもないにもかかわらず、つまりヒトラーに関する文章であるにもかかわらず、菅直人・菅内閣を強く想起させるものになっている。以下、一部の要約的紹介。
 ・ナチス時代のドイツは無統制的で責任の所在不明確で役割分担が曖昧だった。平時にも非常時にも徹しきれず、中途半端。ヒトラーは何か失敗したのか。いや、すべてが計算づくだった。「ヒトラーは意図的に国家を麻痺させていった」。ハンナ・アレントはこれを(のちに)「無秩序の計画的創出」と呼んだ(p.83-84)。
 ・なぜそんなことをしたのか。「ヒトラーは一日でも長くドイツ国家の頂点に居座りたかっただけ」だ。しかも、自らの権力を単なる調整ではない実のあるものにしておきたかった。それには、「ワイマール共和国の作り上げたいかにも近代国家らしい複雑精緻で能率的な機構」が邪魔だった。政治・経済・文化・科学の専門組織がきちんと機能すれば、各分野の専門家が実権を握る=「官僚等が幅を利かせる」。独裁者・権力者も調整役に甘んじ、専門家たちを統制できず、権力の上層は空洞化する(p.84)。
 ・いやならば専門組織を機能させなければよいが、「いきなり壊しては国家が即死する」だけなので、近代国家の「精密なメカニズムを怪奇なポンコツへとわざとゆっくり時間をかけて」変貌させる。党と政府の組織をすべて「二重化」し、党と政府の中に「似た役割の機関を増殖させる」(p.84)。
 ・その果ては「国家の死」だが、ヒトラーにはそれでよかったのだろう。彼は中下層の実務家に降りていた権力を上へと回収し、裁量権を拡大した。「法律の裏付けも実現可能な根拠もない思いつきの命令」を「唐突に」発しても、組織が多すぎて批判すべき部署が分からなくなり、「権力の暴走」を止められなくなった(p.84)。
 ・ここに「ヒトラーの政治の肝腎かなめ」がある。古代ローマの「一時的独裁」とはまるで異なる「ファシズム」なのだ。軍国主義・戦争を連想するように、平時にはファシズムは成立し難い。しかし、非常時は戦争に限らず、軍隊が登場しなくてもよい。「経済危機でも大災害でも電力不足」でもヒトラーの掲げた「共産主義の恐怖」でも何でもよい。そうした「非常事態に対処するためと称して、社会の見通しを悪くし、人々から合理的な判断の基盤を失わせ、世の中が刹那的な気分で運ばれてゆく」ようになれば、もう「立派なファシズム」だ(p.85)。
 ・ヒトラーは「命がけの遊び」を続けた。「日々に新しい組織を仕立て、次々と非常事態的新事態を引き起こした」。何が根本的問題でどう解決すべきなのか、彼はナチス党員にも国民にもゆっくり考える暇を与えなかった。そして、「目先の混乱状況をエスカレートさせては、それだけでいつも人々の頭を一杯にさせた。そうやって一日一日と綱渡りで延命した」(p.85)。
 以上、どう考えても、どう読んでも、菅直人(・民主党内閣)が念頭に置かれていないはずはない文章だ。
 例えば、大災害・原発不安等々の「非常事態に対処するためと称して、社会の見通しを悪くし、人々から合理的な判断の基盤を失わせ」ているのは菅直人そのものであり、ほとんどのマスメディアも本質的なことは報道しないで、ヒトラー、いや菅直人のお先棒を担いでいるだけではないのだろうか。
 思えば、ナチス党の正式名称は「国家(民族)社会主義労働者党」なのだった。ナチスあるいはファシズム=「右翼」と多くの人々は理解している(感じている)のかもしれないが、「社会主義」・「労働者」を冠した、立派な<左翼>政党だったとも言える。
 もともとハイエクやハンナ・アレントが指摘したように、あるいは旧民社党が「左右両極の全体主義を排し…」などと言っていたように、コミュニズム(共産主義)とナチズムは「全体主義」という点で共通性がある。
 「左翼」・菅直人がヒトラーによる「ファシズム」的政治・行政手法を採っていても、何の不思議もない。

0760/実教出版の高校教科書・世界史B(2007、鶴見尚弘・遅塚忠躬)を一読。

 実教出版高校/世界史Bの教科書(2006.03検定済み、2007.01発行)。執筆・編修代表者(表紙掲記者)は鶴見尚弘遅塚忠躬
 ・「フランス革命の意義」をこう書く(p.238-9)。
 「旧体制を打倒」して「資本主義に適合した社会をもたらしたという意味で」、「市民革命(ブルジョワ革命)の代表的なもの」だった。イギリスとは異なり「広範な民衆や農民が積極的に革命に参加」したので「自由の実現」だけでなく「社会的な不平等」の是正の努力がなされた。「そのような意味で、…民主主義をめざす革命」で、「民主主義」理念は19世紀以降の「革命運動」に大きな影響を与えた。「しかし…深刻な問題もあった」。「反対派を暴力で排除しようとする恐怖政治がうまれた」からだ。同じ状況は「20世紀のロシア革命でくりかえされる」。(以下の6行分省略)
 基本的には「市民革命」と位置づける従来型と変わらない。「社会的な不平等」の是正を目指したという意味で「民主主義をめざす革命」だった、という叙述は、「平等(主義)」と「民主主義」の関係がよく分からない。あるいは、「民主主義」をいかなる意味で用いているのかがよく分からない。
 但し、「恐怖政治」という「深刻な問題」があったこと、それがロシア革命で繰り返されたこと、をきちんと書いている点は積極的に評価できるだろう。
 執筆・編修者に私の知るようなマルクス主義者はいないことも、上のような叙述につながっているのかもしれない。但し、この教科書に限らないと推測されるが、マルクス主義や社会主義国「ソ連」等に対する批判がやはり弱いままだし、日本にとっての<自虐的>な叙述もなお多く残ったままだ。
 ・マルクスとエンゲルスの「共産党宣言」、前者の「資本論」は、「労働運動と社会主義」の項の中で、「後世に大きな影響を与えた」ものとして記述される(p.253)。
 肯定的評価をしているように読めるし、少なくとも後世にとっての<悪い>大きな影響だった可能性を考慮していないかの如き書きぶりだ。
 ・「現代の文化」、多くの潮流のある「20世紀の思想」等として明記されるのは、つぎの4つ(p.391)。①「レーニンらが発展させたマルクス主義」、②「ベルクソンに代表される生の哲学」、③「サルトルらの実存主義」 、④「フロイトの精神分析学」。
 ・ソ連解体と東欧諸国の変化に当然に触れてはいるが、その原因らしきものとして書かれるのは、「社会主義体制下での政治的自由の欠如、経済の停滞」のみ(p.375-6)。
 これでは「世界史」は理解できないだろう。一方ではマルクスらの著や「レーニンらが発展させたマルクス主義」を肯定的に叙述しているが、これらの<誤り>こそが<ソ連解体>等の基本的原因ではないのか?。
 ・「全体主義」との概念はいっさい用いられていない。ドイツ・ナチスとイタリア・ファシスト党が「ファシズム」の担い手として語られている(p.334。日本は?)。
 ・「日本軍」による1937年の「市内外での多数の捕虜・民衆など」の「虐殺」を「南京大虐殺事件」と表現して、事実として書いている。注記では「女性・子どもを含む非戦闘員や武器を捨てた兵士も虐殺…。犠牲者は20万人以上といわれるが…他の説もある。中国ではその数は30万人以上としている」と記述(p.338)。
 これでは、被「虐殺」者数が20~30万人と読まれてしまうだろう。
 ・「日本の植民地支配」につき、朝鮮で「徹底した日本への同化政策をおしすすめた」とし、「台湾でも同様の政策を強行した」とする(p.344)。
 また、「日本は、太平洋戦争遂行のために植民地・被占領地の人的、物的資源を収奪した」との一文のあと、「70万人に及ぶ朝鮮人が強制的に…連行され」、少なくない人が「従軍慰安婦として戦場に送られた…」等と書く(p.344)。受動態になっていて隠されているが、主体は「日本」(国家)としか読めない。
 さらに、日本軍は中国で「三光政策」を採ったと書く(p.345)。
 朝鮮や台湾はかつて日本の「一部」であり、そうなったことは合法的という意味でも(非難されるいわれのない)正当なものだった。そうした地域について、なぜ「収奪した」などという表現が使えるのだろうか。
 こうした、日本や日本軍に関する叙述は、この教科書が突出して「左翼的」あるいは「自虐的」だからではないだろう。おそらくはほとんどの教科書が同様なのだろう。ここにむしろ、恐ろしさがある。
 こんな教科書を読んでいると<反日・自虐>は、当然の<マナーとしての心情>になってしまうに違いない。
 じわじわと形成されているのが感じられる<左翼全体主義>は、こうした教科書による学校教育によるところも大きいと考えられる。
 NHKの濱崎憲一らもこうした教科書を学んだのだろう。また、自民党の国会議員の中でも(相対的に若手の)相当数の者が、学校教育の結果として、こうした<反日・自虐>「史観」に嵌っていると思われる。推測だが、石原伸晃山本一太片山さつき佐藤ゆかりも。稲田朋美は異なると思われるが。

0737/自由社・日本人の歴史教科書(2009)を一瞥-「市民革命」・「全体主義」。

 藤岡信勝編集代表・日本人の歴史教科書(自由社、2009.05)に収録されている最新版<新しい歴史教科書>(中学校用)の近現代部分を概読して、とりあえず印象に残ったことが二つあった。
 一つは、「市民革命」に関する叙述が、従来のもの、つまり私が学習した頃と何ら異ならないようであることだ。
 上の教科書では、17世紀後半から約100年間に欧州政治に新しい動きが起こったとし、イギリス、アメリカ、フランスについて述べたあとこう書く。「これら国々の政治の動きは、王や貴族の政治独占を認めず、人々が平等な市民(国民)として活動する社会をめざし、近代国家を生み出したので、市民革命とよばれている」(p.130、太字はママ。執筆者不明)。
 ここには「フランス革命」は「革命」ではなく支配層の中での権力の移動だった等々の<修正主義>の影響はない。のちのロシア革命(暴力革命)と共産党独裁につながるような「フランス革命」の一時期の<怖さ>、「フランス革命」の<影>の部分への言及又は示唆もない(のちのロシア革命についてはある)。
 アメリカの独立と合邦との間の理念の違いへの言及もなく、アメリカ「革命」とフランス「革命」が異なる性質のものだったとの言及・示唆もない。
 「市民革命」の「市民」の意味の詳しい説明はない。また、上の三国にのみ「市民革命」は起こったのか(そうだとすれば何故か)、他の国々も「市民革命」はあったのか=普遍的なのか(そうだとすれば、例えばドイツ・イタリア・日本はいつが「市民革命」だったのか)、といった疑問に答えてくれるところはなさそうだ。
 中学生用の簡潔な叙述なので、やむをえない、と言えるのだろうか。少なくとも、イギリス、アメリカ、フランスを例として「市民革命」を語るのは、何ら「新しい」ものではなく、かつ従来のマルクス主義的歴史学による理解・叙述と何ら矛盾していない。
 もう一つは、欧州で生まれた二つの政治思想が1920~30年代に台頭して世界に広まったとし、その二つとして①「共産主義」と②「ファシズム」を挙げて、「どちらも全体主義の一種」だと明記していることだ。その部分の項の見出しは「二つの全体主義」で、左欄には「20世紀の歴史を動かした共産主義とファシズムにはどのような特徴と共通点があったのだろうか」という文章もある(p.192)。
 このように①「共産主義」と②「ファシズム」が同種のものとして明記されていることに、よい意味で驚いた。かかる理解は、必ずしも日本人の「通念」になっているとは思えないからだ。
 かつて民社党は左翼全体主義(=共産主義)・右翼全体主義(=ファシズム)という言い方をしていたと思われる。だが、日本の戦後「思想」界・「歴史学」界等々で、かかる理解は少数派ではなかったかと思われる。
 外国では、ハイエクやハンナ・アレントなど、「共産主義」と「ファシズム(とくにナチズム)」を同列のものと扱う傾向が日本におけるよりも強かっただろう。
 日本では、例えば丸山真男は(あるいは「戦後民主主義」者のほとんど全てが)「民主主義」と「ファシズム(・日本軍国主義)」を対置させたが、その際、「民主主義」の中に、「人民民主主義」という言葉が今でも残るように、「民主主義」の徹底した形態又は発展形態としての「社会主義(・共産主義)」を含めていたように解される。
 そのような日本の戦後<進歩的文化人>にとって、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」が「どちらも全体主義の一種」などという理解は耐えられるものではなく、「全体主義」という語を使うとしても、「ファシズム(・日本軍国主義)」のみを意味させたものと思われる。
 そして、彼らにとっては、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」は両極にあって対立しているものであった。後者の<復活の阻止>こそが最大目標だった(そして「民主主義」の擁護・徹底による日本の「社会主義(・共産主義)」化こそが<隠された>目標だった)のだ。
 丸山真男に対して、「社会主義(・共産主義)」と「ファシズム(・日本軍国主義)」のどちらを選ぶかという<究極の>選択を要求すれば、丸山真男は間違いなく後者ではなく前者を選んだと思われる。丸山には、「社会主義(・共産主義)」も「ファシズム(・日本軍国主義)」も<同じ全体主義>などという考えは、露も浮かばなかったのではないか。
 「民主主義」対「ファシズム(・日本軍国主義)」というあの戦争の把握の仕方はアメリカ・GHQのものであり、丸山真男および戦後<進歩的文化人>は占領期当初のアメリカ・GHQの「歴史認識」あるいは<パラダイム>に少なくとも客観的には<迎合>していたと考えられるが、この点は別の回でもあらためて触れる。
 ともあれ、「二つの全体主義」とかつて学習した記憶はなく、「新し」さを感じさせた。これで教科書検定を合格するのだから、決して悪い方向にばかり動いてはいない、という感もする。
 ところで、上掲書には教科書部分のほか、寛仁親王殿下のほかに、櫻井よしこ・加瀬英明・高山正之・黄文雄・西尾幹二・中西輝政・石平等々の15名の2頁ずつの文章を収載している。
 <新しい教科書をつくる会>分裂騒ぎに関する知識も大きな関心もないが、「自由社」版の他に産経新聞社グループの「扶桑社」の子会社「育鵬社」版の、殆んどか全くか同じの教科書も刊行されているらしい。
 上の15名の名前を見ていると、八木秀次、渡部昇一、岡崎久彦あたりの名前がないことに気づく。西尾幹二と八木秀次の間に確執があるのは知っているので、どうやら八木秀次らが「育鵬社」グループらしい(屋山太郎は?)。
 だが、15名の名前の連なりはなかなか重厚だ。いわゆる<保守派>というのがあるとすれば、八木秀次らのグループはその中の少数派なのではないか。そうだとすると、八木秀次と渡部昇一の二人への信頼度は私には相対的には上の15名の平均よりずっと低いので、悪い印象ではない。些末なことながら。

0723/カール・ポランニー「ファシズムの本質」等、佐伯啓思。

 〇 週刊エコノミスト5/5・12合併号(毎日新聞社)で、佐伯啓思がインタビューに答えて、同・大転換-脱成長社会へ(NTT出版)の要旨のようなことを述べている。最近に言及した読売新聞の記事より詳しい。
 全く余計だが、同誌同号の巻頭の斉藤貴男のコラムは東京都の五輪誘致活動につき石原都政が「切り捨てた福祉や教育、小児医療等」の予算を財源とする「許されざるカネ儲けの典型」と批判。さらに、石原慎太郎は「何かと言えば戦争だ戦争だと喚き立て、女性や在日外国人や障害者や、社会的弱者に罵詈雑言を浴びせては居直った」等とそれこそ<罵詈雑言>を浴びせている。九条2項護持派・「左翼」は石原慎太郎のやることはみんな憎いのだろう。毎日新聞は朝日新聞の亜流、第二朝日新聞なのかもしれないが、その発行する雑誌の巻頭には、もう少しはまともな神経の持ち主の、上品な文章を掲載してほしいものだ。
 〇 佐伯啓思・大転換(NTT出版)の書名が、カール・ポランニー(1886~1964)の『大転換』に倣っている又はヒントを得ていることは、佐伯も記している。
 その『大転換』ではなくカール・ポランニー・経済の文明史(ちくま学芸文庫、2003。初出単行本は1975)の訳者・平野健一郎「あとがき」によると、ポランニーは「社会主義者」だっともされるが大学卒業後にハンガリー急進党書記長を務めたほかは「非政治的」だった(p.416)。但し、ソ連のフシチョフに「人間的社会主義」を見い出して「平和共存」のための理論誌の創刊を複数の者とともに企図した(没後刊行)とされる(p.418)。『大転換』の刊行は在米中の1944年。
 上掲書の解説者・佐藤光「解説/ポランニー思想の今日的意義」によると、ポランニーは「社会主義者であった」ともされるが(p.432)、彼へのマルクスの影響は「元来限定的なもので」、『大転換』における資本主義批判は「マルクス主義的」というよりも「ユダヤ=キリスト教的」なものだった(p.434)。また、晩年の著作には、「人間的自由の全面的な実現を過激に求めて失敗したロシアのボルシェビズムをはじめとする思想や運動への、そして、それを支持したかつての自分自身への、苦い反省の思いが込められている」、という(p.440)。そして、上掲書所収の一論文は、「キリスト教にまで行き着く」、「西欧世界に伝統的な個人主義
」を基調として、ファシズムはそれを「踏みにじり」、「社会主義こそがその理想を…実現する」と強調するが、晩年にはそのような「個人主義的理想の事実上の放棄」を説くはずだった、しかし、「愚かさ」を自他に語りつつ「近代的個人主義の理想」は「理想」であり続けたのではないか、とされる(p.440-1)。
 単純ではないポランニーの「思想」が、ある程度は、何となく、わかるような気もする。
 〇 上の上掲書所収の一論文とは「ファシズムの本質」(1935)で、少なくともその一部には、興味深い叙述がある。以下は、翻訳を通じてだが、ポランニーの一部の文章のかなり思い切った(従って厳密さを欠く)要旨又は抜粋。
 ファシズムの「哲学大系」をウィーンのオトマール・シュパンはある程度は作りだしており、その体系の基礎には「反個人主義の観念」がある。「普遍主義」を採るシュパンによると、ボルシェヴィズム(共産主義)は「個人主義」の理念を政治から経済領域へと拡張したもので、マルクスは「完全に個人主義者」・「無政府主義的ユートピアニズムとさえいえるまでに、個人主義的」だ。「歴史的にみれば、民主主義と自由主義を経過して、個人主義はボルシェヴィズムへと到達する」(p.172-3)。
 エルンスト・クリークも、「社会主義」への諸力は「個人主義」的性格をもつとしつつ、一八世紀の個人主義と「社会主義に具現される」個人主義の二段階を語る。クリークによると、社会主義においては個人主義にかかる「重点の移動」が生じるだけだ。そして、「社会主義」は「民主主義」の中で用意されており、「個人主義にほかならない」(p.174-5)。
 ヒトラーも、「西欧民主主義はマルクス主義の先駆」
で、前者なくして後者はない、と言った。ローゼンベルクによっても、「民主主義運動もマルクス主義運動」も「個人の幸福」に立脚する(p.176)。
 ボルシェヴィズムは個人主義の封殺、「個性の終末」とするのがこれまでの社会主義(・共産主義)に対する批判の仕方だったが、ファシズムはかかる「単純な批判派」との連合を拒否し、「社会主義は個人主義を継ぐもの」、「個人主義の実質を保存しうる唯一の経済体制」だと主張して批判する(p.176)。
 「社会主義と資本主義」はいずれも「個人主義の共通の所産」だと非難して、ファシズムはこれら二つの「不倶戴天の敵の姿を装う」(p.179)。
 だが、「社会主義」が拠り所とする「個人主義」と、シュパンが実際に議論の対象とした「個人主義」は全く異なったものだ。そしてたまたま、彼のおかげで、「社会主義とキリスト教が共通にもつ個人主義の意味」が明晰になってくる(p.180)。
 シュパンが主観的には批判しようとするのは「社会主義の内容としての個人主義」で、これは「本質的にキリスト教的」だ。だが、彼が実際に批判しているのは「無神論的な個人主義」だ。「絶対者」との関係を前者は肯定し、後者は否定する。これらを混同すると「有効な」結論には達しない(p.181)。
 「キリスト教的個人主義」と「無神論的個人主義」はまったく反対だ。前者は「神」の存在のゆえに「個々の人格は無限の価値」をもつ、「人間みな同胞」という考え方で、「共同体」の外では「個人の人格」は現実化しない、とする。これ(キリスト教的個人主義)は<社会主義(・共産主義)>と親和的であるのに対して、ファシズムが闘っているのは「人間と社会に関するキリスト教の観念全体」で、「キリスト教とファシズムはまったく両立しない」(p.183-4)。
 以上の程度にしておく。
 ドイツ・ファシズム(ナチス)がまだ敗北していない(そしてソ連「社会主義」は現存した)時代の論文だけに、理解し難い面もある。
 だが、骨格だけを抜き出せば、①ファシズム(ファシスト)は、より一般的な批判の仕方とは違って、「社会主義」は「個人主義」の発展型だと批判する、②たしかに「社会主義」は「個人主義」と親和的だ。③しかし、その場合の「個人主義」は「キリスト教的個人主義」であって、その反対の、ファシズムに親和的な「無神論的個人主義」ではない、ということになろう。
 上記の解説等によるとポランニーは親社会主義的で、ここではファシズムによる批判から社会主義(「ボルシェヴィズム」)を守ろうとしているようだ。その際の決め手は「キリスト教的個人主義」であり、ファシズムはこれに敵対的だとみている。
 さてさて、種々の議論があったものだと、人間の知的営為の蓄積にあらためて感心する。
 そして、まだソ連「社会主義」の実態が明らかになっていない段階で、反資本主義意識のあったポランニーはその「理想」を「社会主義」に求めたかにも見える。だが実際の「社会主義」はキリスト教を含む「宗教」に対して苛酷な態度をとり、かつ実質的には「個人主義」あるいは「個人の尊重」の理念を無視するものだったのではないか。
 また、ファシズムの側が、「近代」への幻滅・批判を前提としてだが、「社会主義」を「近代」個人主義・民主主義を継承するものとして捉えた(そして批判した)という点も、マルクスやレーニンによるルソーやロベスピエールへの肯定的評価を併せ
観ると、一面では的確な見方をしていると考えられ(じつはさらに奥底ではルソー・ロベスピエールの「全体主義」性を継承し発展させたのが「社会主義」だと捉えていたとも理解できる)、この点も興味深いところがある。ポランニー自身も、この1935年の論文では、「社会主義」は近代の「(キリスト教的)個人主義」を継承するものと見ていたのだ。
 「キリスト教」が理解できていないと、欧米の、こうした(社会・政治・経済の)文献は理解し難い面があることもあらためて感じる。

0517/菅孝行ブックレットにおける丸山真男と樋口陽一。

 一 反天皇主義者らしい著者による菅孝行・9・11以後丸山真男をどう読むか(河合出版・河合ブックレット、2004)は、丸山真男を分析し部分的には批判的なコメントを付してはいるが、全体としては、丸山真男の問題関心・分析を受けとめ、<右派>の批判から丸山真男を<戦後民主主義>を標榜する代表者として<護る>というスタンスの、<政治的>プロパガンダの本だ。
 1 「多くの丸山非難言説に反対して、擁護の立場に立たなければならない」(p.70)を基本的立場とし、佐伯啓思西部邁の名をとくに出してこの二人をこう論難する。
 「国家主義的視点から丸山の進歩主義や左翼性を非難する…」、「丸山を非難したい、と決めた彼らは自分のアタマの中に、勝手放題な丸山の像を歴史的な文脈も事実関係も無視して描き出し、レッテル貼りをやってのけた…」(p.79-80)。
 佐伯啓思・西部邁の主張・論理(図書新聞と新潮45の紙・誌上のようだ)が簡単にしか紹介されていない(p.48-49)ので論評しようもないが、菅孝行のこういう反批判の仕方は、きっと同様の論法で反論されるだろう。つまり、<丸山を擁護したい、と決めた菅孝行は自分のアタマの中に、勝手放題な丸山の像を…>という具合に。
 2 菅孝行によると、「戦後丸山は、マルクス主義が生み出すであろうと当時予測されていた政治的現実への必然性と正当性を意識しつつ、認識の問題や政治倫理の問題としてはこれに抵抗して独自の立場を保持するという二面作戦をとった」(p.63)。
 これはおそらく適切な指摘だろう。「当時予測されていた政治的現実への必然性と正当性」とは<社会主義への移行>の「必然性と正当性」であり<革命」の「必然性と正当性」だった。丸山真男はこれを肯定しつつ、ファシズム(の再来)かコミュニズム(社会主義・共産主義)か>という選択を前にすれば、当然の如く後者を採った人物だと思われる(=「反・反共主義」)。一方で、組織的・運動的には岩波「世界」等に活動の場を求めることによって、政治的セクト・「党派」性の乏しいイメージの<進歩的文化人>として、日本共産党員たることを公然化していたような<進歩的文化人>よりも、より大きな影響力をもったのだと考えられる。
 二 主題である丸山真男のことよりも関心を惹いたのは、菅孝行がときどき樋口陽一に言及していることだ。しかも共感的・肯定的に。
 1 「普遍的人権論や人間中心主義」への疑念を列挙したうえで、なお樋口は「『近代』を擁護するだろう」、と書いた。樋口は「『虚構』の『近代』の『作為』を有効とみなしている」。「丸山の軌跡の延長に樋口の立場があ」る(以上、p.25-26)。
 2 樋口陽一は「日本人は一度は強者の個人主義をくぐれ、ルソー・ジャコバン型民主主義をくぐれと執拗に提唱している」(p.88)。
 聞き捨てならないのは上の2だ。続けて菅孝行自身はは次のように主張する(「喚く」)>-樋口の「提唱に意味があるのは、丸山の構想した『自由なる主体』が成立してないままに戦後五二年が経過してしまったから…。決着がついていないなら何十年でも何世代でも延長戦をやるしかないではないか」(同上)。
 上の「自由なる主体」は、1946年の丸山真男「超国家主義の論理と心理」に出てくる。-「八・一五の日は…、国体が喪失し今や始めて自由なる主体となった日本国民…」(丸山・新装版/現代政治の思想と行動(未来社、2006)p.28)。
 丸山真男の議論はさしあたりどうでもよい。
 丸山の「自由なる主体」とはおそらく<西欧近代>流の<自立した自由な(主体的)個人>を意味するのだろう。だが、冗論は避けるが、菅孝行は勝手に「何十年でも何世代でも延長戦」をやるがよいが、おそらく確実に、<勝てる>=<西欧近代>的な<自立した自由な(主体的)個人>に日本人がなる日、は永遠に来ないだろう(日本人が西欧人になれる筈がないではないか。別の回に書くが、「永遠の錯覚」)。
 気になるのは、菅孝行などよりも、樋口陽一だ。樋口陽一とは、私が想定していたよりも、遙かに<左翼>又は<親マルクス主義>者のようだ。回を改める。

0479/佐伯啓思・諸君!5月号における「社会主義」・「共産主義」。

 某の連載があることを理由に諸君!(文藝春秋)の購入をやめていたが、佐伯啓思の最新の文章が読みたくなって、20日ほど遅れて同・5月号を買った。
 佐伯啓思「アメリカ文明の落日と『世界史の哲学』の構築」(p.26~44)。新聞のコラムと比較するのは無理があろうが、朝日新聞の若宮啓文の駄文を読んだあとでは、知的刺激を感じる、豪奢な食事の如き論稿だ。
 佐伯啓思・日本の愛国主義(NTT出版、2008)についてと同様に、筆者(佐伯)の主題とは異なる(佐伯にとっては)瑣末であろう事項・問題についての叙述を要約的に記しておく。すなわち、「社会主義」あるいは「共産主義」について。
 ・<「冷戦の主役である社会主義という実験」も「西欧近代主義の極限的な形態」だった。20世紀初頭の「西欧知識人たち」は「新たな価値創造」に賭けるとすれば、「ファシズムかボルシェビズムかという選択に迫られた」。>
 ・<「社会主義という人間理性の極端なまでの過信」と「歴史を導く正義という理念への過剰な期待」は、「あまりに独断的な価値創出」で、「世俗化された疑似宗教というべきもの」だった。>
 ・<20世紀「西欧社会」の「ニヒリズム的状況」を「不透明に覆い隠した」のは、「ナチズムとスターリニズムの蛮行」だった。「ナチスによるユダヤ人虐殺とスターリンによるおそるべき粛清、さらに共産主義による驚くべき虐殺」は、「自由・民主主義、ヒューマニズム、人権などの近代主義の理想をもう一度、呼び覚ますに十分」だった。>(以上、p.38)
 「社会主義」・「共産主義」に言及があるのはこの部分だけだと思われる。そして、以上の諸点に反対はしないし、逆に基本的にはそのとおりだろうと相槌を打つ。
 但し、上の最後の文は、そのために「自由・民主主義」あるいはアメリカの「歴史観」や「価値観」が検討されずに「聖域」化された、という論旨につながっていき、全体としてアメリカニズム(「アメリカ文明」)の問題点・限界を指摘することが主題になっている(その帰結として、最後に「日本の精神」の再発見の必要を説いているが)。
 そして、(上のカッコ内を除いて)どこか違う、「思想的」にはともかく「現実的」には、日本の現在の焦眉の論点ではないのではないか、という感想をもってしまった。別の機会に少しはより詳しく書こう。

0434/佐伯啓思・<現代文明論・下>(PHP新書)における「世論」。

 佐伯啓思・<現代文明論・下>-20世紀とは何だったのか・「西欧近代」の帰結(PHP新書、2004)をp.149(第五章の途中)くらいまで読んだ(半分を超えた)。
 第二章はニーチェ、第三章はハイデガー、第四章はファシズム、第五章は「大衆社会」が主テーマ。論旨は連続して展開していっているが、省略。
 前回書いたことにかかわり、「大衆社会」における、又は大衆民主主義のもとでの「世論」なるものを佐伯が次のように表現・説明しているので書き記しておく。
 「世論」とは「国民の意思」=「民意」と言い換えてもよいだろう。昨年の参院選後に<ミンイ、ミンイ>と叫んでいた者たちに読んで貰いたい。佐伯の本を聖典の如く扱っているわけでは全くないが。
 ①「世論」は、「人々の個性的な判断や討議の結果というよりも、もともとはひとつの情報源から発したものが多量に複製された結果というべきもの」(p.140-1)。
 ②「世論」は、「人々のさまざまな独自の意見の結集ではなく、人々がお互いに相手を模倣しているうちに、ひとつの平均的な意見に収斂してしまったものにすぎない」(追-「発信源になるものは多くの場合、新聞やラジオといったメディアでしょう」)(p.145)。
 ③「世論」は、「人間がある集団のなかで、その集団に合わせるために、その集団の平均的見方で物事を考えているだけだ」(p.148)。
 以上。なお、佐伯は、これらを現代日本を念頭に置いて書いてはいない。20世紀に入って生成した「大衆社会」(大衆民主主義)の時代における「世論」について一般論として(欧米の議論を参照しつつ)書いている。だが、むろん、現代日本もまた「大衆民主主義社会」だ。

0349/デモクラシーに再言及すると。

 デモクラシーとは元来は讃えられるべき状態又は理念を意味したのではなく、悪い状態又は忌むべき理念だったことは、長谷川三千子の文春新書にも書いてある。
 長谷川三千子・文春新書だから信用できない、という(朝日新聞・岩波シンパにはいるかもしれない)人は、かの<権威がある、正しいことが書いてあるはずの>岩波新書、福田歓一・近代民主主義とその展望(1977)のp.3にさっそく次のように書かれているのを知るとよいだろう。
 ヨーロッパの場合はどうかというと「実はここでも民主主義という言葉ははなはだいかがわしい言葉であって、それが間違いなく正当な言葉、いい意味をもった言葉として確立したのはこの第一次大戦のときだったのであります」。
 単純・素朴な<民主主義>礼賛者は、マスコミの中にいる人も含めて、こんな単純なことも、おそらくは知らないのだろう。
 もう一点、別のことに触れておくと、第二次世界大戦は<民主主義対ファシズム>の闘いだったという理解の仕方も、戦勝国側の後づけ的な説明によることが多大であることを知っておく必要があると思われる。
 日本はいかなる意味で<ファシズム>国家だったかという基本的な問題がまずあって、丸山真男のそもそもの出発点が誤っている可能性が大だが、その点は別としても、社会主義・ソ連を含めて<民主主義>陣営と一括して理解することに、相当の欺瞞があったと言うべきだろう。
 かかる<民主主義>概念の曖昧さ、「人民民主主義」とか称して社会主義は「民主主義」と矛盾しないと説かれた、その<いかがわしさ>は、1929年のケルゼン・デモクラシーの本質と価値(岩波文庫、1948)の序文の中にも実質的にはすでに論及されている。

0228/鶴見俊輔とは何者か-九条の会呼びかけ人。

 かつて司馬遼太郎の幕末・維新の時期の小説を読むようにしてフランス革命の経過を楽しみながら知ることはできないかと思って、マリー・アントワネットに関する小説を買ったりしたが、読むに至らず、結局は世界の歴史21・アメリカとフランスの革命(中央公論社、1998)の後半(フランス革命の部分=福井憲彦執筆)を読もうと思い立った。
 その本には月報の小パンフが入っていて、2名の著者と鶴見俊輔の三名の座談会が載っている。そこでの鶴見俊輔の発言内容がまずは印象に残った。
 鶴見俊輔(1922-)の本など読んだことなく、小田実や日高六郎に近いような、非政党の「市民派的左翼」というイメージしかない。
 ひょっとしたらと思って今確認したら、何と九条の会の呼びかけ人9人の一人だった(そんなに大物なのかね?)。九条の会のサイトには、彼自身の文かどうかは分からないが、「日常性に依拠した柔軟な思想を展開」と紹介してある。
 さて、フランス革命後のナポレオンが世界で初めて国民皆兵制(徴兵制)を導入したらしい。
 たぶんこのことにも関連して、上の座談会中で鶴見は次のように言う。ナポレオンは偉大な個人だったが、「ここで国民国家ができる…。この国民国家の枷がいまもある…。この枷は、ファシズムのときにものすごい力を発揮した。国民国家が打って一丸とするかたちで、均質に兵役を強制してしまう」等。
 ここまでなら何気なく読み飛ばしていたかもしれないが、つづく次の文章には目が止まった。
 「ここに現在の日本の問題がある…・偶然、アメリカの力によって憲法に不戦条項をもっているけれど、これが「普通の国家」になるなんてことになったら、「普通の国家」とは国民国家だから、個人としてこの戦争はまちがっているなどという場所はなくなる」等。
 1998年の座談会だが、こんなふうに「国民国家」概念が使われるのだとは知らなかった。正しい用法かどうかは分からない。
 それはともかく、この鶴見の発言によると、現在の日本は「憲法に不戦条項をもっている」がゆえに、「普通の国家」=「国民国家」ではないのだ。しかも、鶴見の発言には、「国民国家」の(少なくとも重要な側面・要素)を毛嫌う気持ちがこもっている。さらに言うと、けっこう重要だと考えられる問題を、よくも簡単に片付けるものだ、という感想も湧く。
 推測になるが、この人は、近代諸国で成立したとされる「国民国家」に批判的で、それに同質化されたくないという心性のもち主のようだ。
 また、ひょっとすると<国民国家>の国民ではなく<地球市民>でいたいのではないか。九条の会の呼びかけ人の一人に名乗りを上げている心情も、理解できそうな気がする。

0050/丸山真男は職業差別者、まともな政治学者ではない。

 田原総一朗・日本の戦後上-私たちは間違っていたか(講談社、2003)の中で、田原は、60年頃、昔風にいうと「革新」勢力を支持した反政府・反自民の知識人として、「向坂逸郎、丸山真男、清水幾太郎、末川博、田畑忍」の5名を挙げている。そして、これらを含む500人以上の学者・文化人が1957.03には「安保条約再検討声明書」を発表して不平等条約改正等と主張していたのに、この5名は「後に反安保の理論的中軸」になった、という(p.243-4)。田畑忍は土井たか子の「師匠」だ。
 以上の5名の中では丸山真男が最も若そうだが、70年頃はすでに昔の人で、私は彼の本を1冊も20代には読んだことがなかった。
 丸山の指導教授は南原繁らしい。南原-丸山ラインだ。諸君!2007年2月号の「激論」によると、中国社会科学院近代史研究所々長が「若き日の大江(健三郎)氏は丸山真男氏や、その師の南原繁氏の戦争に関する反省の意に大きな影響を受けた、と告白…。このような戦後日本の知識人たちの考え方を、私は評価し尊敬します」といったらしいが(p.42)、彼らの考え方を日本人が「評価し尊敬」できるかは別問題だ。
 丸山真男については、再評価・再検討の本も出ているようだ。竹内洋・丸山真男の時代(中公新書、2005)は、確かな記憶はないが、決して丸山を賛美しておらず、皮肉っぽい見方をしていたのではなかっただろうか。また、そもそも、遅れて読んだ丸山の、「日本ファシズム」の「担い手」はこれこれの職業の人々だったという議論などは、これでも社会科学・政治学・政治思想史なのかと思った。きっと反発する関係者がいるだろうが、適当な「思いつき」を難しい言葉と論理で、さも「高尚ふう」に書いた人にすぎないのでないか。それでも社会的影響力を持ったのは、東京大学(助)教授という肩書、岩波「世界」等の発表媒体によるのだろう。
 もともと昭和戦前の日本を「ファシズム」と規定してよいのか、その意味の問題はある。
 かつて中学・高校の授業で又は歴史の教科書で、第二次大戦は民主主義対ファシズムの闘いだったと習った気がする。だが、「民主主義対ファシズムの闘い」という規定(・理解)の仕方は正しいのだろうか。まず、ソ連が「民主主義」陣営に含められていて、この国の本質を曖昧にし、又は美化すらしているのでないか。次に、日独伊は「ファシズム」というが、そして日本には「天皇制ファシズム」との表現も与えられたが、そのように単純に「ファシズム」と一括りできるのか。後者は無論、「ファシズム」とは何か、日独伊に共通する要素・要因はあったのか、あったとすれば何々か、という疑問に直ちにつながるわけだ。そして、上のような理解は占領期(少なくとも東京裁判「審理」中を含む初期)の米国によるもので、そうした「歴史観」が日本人の頭の中に注入されたように思える。
 こんな難しい問題がそもそもあるのだが、丸山の、「日本ファシズム」の「担い手」論をより正確に書くとこうだ。
 丸山真男の増補版・現代政治の思想と行動(1964)という有名な(らしい)本は所持しているのだが室内での行方不明で別の本から引用するが、この本の中には1947.06の講演をもとにした「日本ファシズムの思想と運動」も収められている。この中で、丸山は日本の「ファシズム運動も…中間層が社会的担い手になっている」と断じ、かつ中間層・「小市民階級」を二つの類型・範疇に分け、前者こそが「ファシズムの社会的基盤」だったと断じた。
 その前者とは、「たとえば、小工業者、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、大工棟梁、小地主、乃至自作農上層、学校職員、殊に小学校・青年学校の教員、村役場の吏員・役員、その他一般の下級官吏、僧侶、神官」で、「疑似インテリゲンチャ」又は「亜インテリゲンチャ」とも称する。
 一方、「ファシズムの社会的基盤」でなかったとされる後者は「都市におけるサラリーマン階級、いわゆる文化人乃至ジャーナリスト、その他自由知識職業者(教授とか弁護士とか)及び学生層」で、「本来のインテリゲンチャ」とも称する。
 一瞬だけは真面目に言っているようにも感じるが、ふつうに読めば、上の如き職業・階層の二分と前者のみの悪玉視は、端的に言って<職業差別>ではないか。むろん自分の職業・自由知識職業者は除外だ。これは学問ではない。酒飲みの雑談、しかも質の悪いレベルのものだ。何故こんな男が多少は尊敬されてきたのか、馬鹿馬鹿しい思いがする。

0049/阿比留瑠比の最近のブログ・エントリーの中で目を惹いたこと。

 阿比留瑠比氏のブログ・エントリーは熟読ではないにせよ、目は通しているつもりだ。近日のもののうちから、いくつか目を惹いたものを取り出して、何がしかの感想を記しておく。
 1 2007/03/26-「国会議員会館内で開かれた反日慰安婦問題集会」/2005年2月1日に、衆院第2議員会館で「女性国際戦犯法廷に対する冒涜と誹謗中傷を許さない日朝女性の緊急集会」という集会があった。その内容の紹介だが、当時すでに社民党委員長だったはずの次の福島瑞穂の発言が目を惹いた。
 「福島氏 (前略)この女性戦犯国際法廷につきましては、もともと私自身も、いわゆる従軍慰安婦とされた人たちの裁判を担当する弁護士で、この女性国際法廷にも、傍聴人として一般の市民として、あそこの会館のところに出席しておりました。今回、ものすごい危機感を持っております。ファシズムというのは、こういう形で起きていくのだということを痛感しております。(中略)/今回のケースは、もちろんNHKもしっかりしてほしいとか一杯思いもあります。ただ、政治権力によるメディアへの介入の問題である、政治家によるパワハラだと思っております。こういう形で恫喝をし、メディアの問題を私物化していくこと、安倍晋三さんがこれで何も問題はなかったと居直ることを許してはいけないと。(後略)
 上の発言のうち最もスゴいのは、「ファシズムというのは、こういう形で起きていくのだということを痛感…」だろう。仰々しいが、日本はファシズム・軍国主義へと向かっていっている、という時代認識が、この人やこの党(社民党)にはあるのだろう。「ファシズム」をどう定義しているかのかと突っ込みたくもなるが。
 次に、「
こういう形で恫喝をし、メディアの問題を私物化していくこと、安倍晋三さんがこれで何も問題はなかったと居直ることを許してはいけない…」。完全に朝日新聞と同じ認識ですなぁ。こういう認識から出発して、安倍氏や同内閣への見方が「真っ当な」ものになる筈がない。
 2 2007/03/31-「河野衆院議長のふざけた新「河野談話」と教科書検定」
 これは長くてとてもまともなしっかりした文章で、河野洋平という人物がますますいやになる。それはともかく、本来の主題ではないが、彼の次の文章が目を惹いた。
 「私も長年取材していますが、文部科学省は日教組などと馴れ合い、左派からの攻撃を恐れる一方で、保守派が大人しいのをいいことに、甘く見ているように感じます。
 これは見過ごせない情報だ。自社さ連立政権のおかげで文部省と日教組が仲良くなった旨の指摘も別の日にあったが、それよりも「保守派が大人しい」と見られていることも大問題だ。何が「保守派」かは難しいが、日本の「保守派」なるものが必ずしも強くはないこと、たしかに国民は自民党等を与党とする政権に政治を委ねているが、自民党に投票する国民の全員が「保守派」と意識しているかは疑わしいし、自民党の国会議員すら、全員が自らを「保守派」と自覚しているとは思えない。別言すれば、自民党の国会議員すら、全員が明確な「保守」理論=「保守」思想に支えられているとは思えないのだ(ただ政権与党だから、選挙区国民のために仕事がしやすい党だから程度の理由で自民党員である国会議員もいるのではないか)。
 中川八洋・正統の哲学/異端の思想(徳間、1998)p.55のグラフは、「思想」の分布・割合につき(私の目分量だが)、英米では保守(真性自由主義)が4:リベラル(左翼的自由主義)が5:社会主義(全体主義)が3なのに対して、日本では、保守(真性自由主義)が1:リベラル(左翼的自由主義)が4:社会主義(全体主義)が5だということを示している。
 ソ連等社会主義国崩壊後もかかる分析又は印象がなおある(そして私も相当程度現実でもあると感じている)ことについては別に論じる必要があるが、ともかく、日本にはきちんとした「保守主義」が強くは育っていないのではないか。これはむろん、「きっこ」?氏が出てくるような、戦後「平和・民主主義」教育と無関係ではない。阿比留氏の何気ない一文に、色々なことを考えさせられる。
 3 2007/04/07-「民主党の立派な「慰安婦議連」と岡田克也元代表」
 民主党は雑多な人たちの政党で、改憲が現実的争点になってくるときっと分裂する、と私は想定している。
 それはともかく、このブログ中では、「慰安婦問題で謝罪と反省を表明した平成5年の河野官房長官談話の見直しを求める動き」が民主党内にも出たという3/10の記事が引用されていて、その議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」の呼びかけ人メンバー全員の名が記載されているのが目を惹いた。次の16人だ(前原誠司の名はない)。
 衆議院-「石関貴史、市村浩一郎、河村たかし、北神圭朗、小宮山泰子、神風英男、鈴木克昌、田名部匡代、田村謙治、長島昭久、牧義夫、松原仁、三谷光男、吉田泉、笠浩史、鷲尾英一郎、渡辺周
 参議院-「大江康弘、芝博一、松下新平」。
 松原仁と河村たかし(+西村真悟)くらいしか名を憶えていなかった。自民党の某、某、等々よりもむしろ、こうした特定の民主党議員は、選挙でも当選させるべきではないか。
 岡崎トミ子、平岡秀夫らは落選させなければならない。

0033/掛谷英紀・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)を全読了。

 先日、掛谷英紀・学者のバカ(ソフトバンク新書)に肯定的に言及した。著者に興味をもったので、続いて同・日本の「リベラル」-自由を謳い自由を脅かす勢力(新風舎、2002)という計79頁の、冊子のような本を29-30日の一晩で読み終えた。
 「リベラル」とは何か。大きなテーマだが、掛谷氏は「リベラル」を1.人権尊重+法の下の平等、2.他者の権利を侵害しないかぎりでの個人の諸選択の自由の尊重、3.これらの保障のため相応の責任分担、を要素とするものと捉える(私の簡略化あり)。
 また、a個人的(・政治的)問題とb経済的問題のうち、「リベラル」は、aへの国家介入をゼロに近づけること、bへの国家介入が100%へ接近することを容認するもので、逆にaへの国家介入を期待しbへの国家介入を最小にしたいのが「保守」と位置づける。さらに、aとbともに100%に近い国家介入を認めるのが「権威主義」(リベラルに振れれば「社会主義」、保守に振れれば「ファシズム」、一方、その対極にあってaとbともに国家介入を最小又はゼロにしたいのが「リバタリアン(無政府主義)」と位置づけている。
 もともと欧州と米国とで「リベラル」の意味は違うのだが、掛谷の概念用法は米国的だろうと思われる。それはともかく、かなり参考になる一つの分類の仕方で、「社会主義」と「ファシズム」の近似性の指摘も納得がいく。もう一つ、c軍事・平和軸(憲法九条や日米安保同盟の評価)を加えれば、(「思想」は大袈裟だとすれば)「基本的な考え方」の分岐が整理できるのではないか。また、リベラルと社会民主主義(社民主義)の違いも、この本を読んでに限らず、従来から気になっているところだ。(私は自らの立つ位置をなおも模索しているところがある。つまり、経済的自由への国家介入・政策的介入については基本的には「自由」優先だが、介入の程度、介入の態様、介入する場面・論点等の問題は、永遠の課題で、他の点はともかく、簡単には答えられないように感じているのだ…。)
 具体的には、仔細には立ち入らないが、介護・保育制度、薬害エイズ報道、夫婦別姓論等について、「リベラル」派と自己認識していると思われる知識人やマスコミ等がじつは上のような意味での正しい「リベラル」的主張をしておらず、むしろ「(選択の)自由」を制限する矛盾を冒しているとして、(「合理的」かつ「客観的」なリベラリズムを目指すというのが主観的意向のようだが)批判している。ここでのリベラル派マスコミの中には朝日新聞も入ると思われ、とすると、朝日新聞批判の著でもありうることになる。
 頭の体操的にも、前に読んだ著と同様に面白い。公的資金を投入した保育サービスの提供は自分で育児をしたい母親に不利に働き、子どもを保育所に預けて外で働くという選択肢を強要する傾向を持たざるをえず、選択の自由というリベラルの理念に反する、とか、ほぼ同じ意味だが、自分で育児したいとの女性(母親)の「自由」を抑圧・制限する方向に働く制度設計は誤りだなど、本格的なフェミニズム批判又は男女共同参画的施策批判につながりそうな指摘もある。
 新風舎刊ということは原稿持ち込みの半分自費出版的なものだろうか。掛谷英紀氏、32歳になる年の書物である。

-0023/上野千鶴子にとって日本社会は居心地がいいはず。

 26日付朝日の続き。保阪正康は「無機質なファシズム体制」が今年8月に宿っていたとは思われたくない、「ひたすらそう叫びたい」との情緒的表現で終えているが、「無機質なファシズム体制」の説明はまるでない。解らない読者は放っておけというつもりか。編集者もこの部分を「…を憂う」と見出しに使っている。執筆者・編集者ともに、良くない方向に日本は向かってる(私たちは懸命に警告しているのに)旨をサブリミナル効果的に伝えたいのか? 訳のわからぬ概念を使うな。使うなら少しくらい説明したまえ。
 今年のいつか、喫茶店で朝日新聞をめくりながら今日は何もないなと思っていたら、後半にちゃんと?大江健三郎登場の記事があったことがあった。26日付も期待に背かない。別冊e5面の「虫食い川柳」なるクイズの一つは、「産んだ子に〇紙来ないならば産む」(〇を答えさせる)。
 月刊WiLL10月号で勝谷誠彦が朝日新聞の投書欄に言及し、同様の傾向は一般の歌壇にもあるらしいが、「築地をどり」の所作は周到にクイズにも目配りしているのだ。
 小浜逸郎・ニッポン思想の首領たち(1994、宝島社)の上野千鶴子の部分を読了。小浜の別の複数の本も含めて、関心の乏しかったフェミニズムに関する知見が増えた。
 詳しく感想を述べないが、一つは上野の唯一?の、小浜が酷評する理論書(1990)でマルクスが使われていることが印象的だ。マルクス主義(この欄ではコミュニズムとも言っている)やその概念等の悪弊が上野そしてたぶんフェミニズム全般に及んでいる。今日ではマルクス主義は学問的にもほぼ無効に近いことを悟るべきだ。
 1990年本の執筆時点ではまだソ連もチェコスロバキアもあったのかもしれないが。
 二つは戦後のいわば男女平等教育の影響だ。小浜は触れていないが、男らしさ・女らしさや男女の違いに触れない公教育の結果として、社会に出る段階で(又は大学院で)「女だから差別されている」と初めて感じる優秀な女子学生が生じることはよく分かる。
 フェミニズムなるものも「戦後民主主義」教育の不可避の所産でないか。一般人の支持は少ないだろうが、現実政治・行政への影響は残存していそうなので注意要。フェミニストたちには尋ねてみたい。「搾取」・「抑圧」をなくし人間を「解放」しようとしているはずの中国・ベトナムで(又は旧ソ連等で)女性は「解放」へ近づいている(いた)のか、と。
ギャラリー
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1181/ベルリン・シュタージ博物館。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 1180/プラハ市民は日本共産党のようにレーニンとスターリンを区別しているか。
  • 0840/有権者と朝日新聞が中川昭一を「殺し」、石川知裕を…。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0801/鳩山由紀夫は祖父やクーデカホフ・カレルギーの如く「左の」全体主義とも闘うのか。
  • 0800/朝日新聞社説の「東京裁判」観と日本会議国際広報委員会編・再審「南京大虐殺」(明成社、2000)。
  • 0799/民主党・鳩山由紀夫、社民党・福島瑞穂は<アメリカの核の傘>の現実を直視しているか。