人間の耳は、または聴覚は、20Hz〜20000(20k)Hzの音しか聞き取れない、というのは、至極当然の指摘なのかもしれないが、戦慄を感じるほどに重要なことだ。
 つまり、皮膚の色、毛髪の色、眼球の色等々は人種・民族等によって異なっても、ヒト・人間であるかぎり、その基礎的資質には上のように限界が共通してある、ということだ。アジア人の方がよく聞こえるとか、欧米人は高い音がよく聞き取れるがアジア人は低い音をよく聞き取れる、といったことはない。男女差がある、という指摘も全くない。
 いつ頃からかよく分からないが、ヒト(ホモ・サピエンス)というものが成立した頃にはすでにそうだったのだろう。
 聴能力と同じようなことは、視覚、嗅覚等々や走る能力、跳び上がる能力、等々々についても言えるだろう。
 以下にすぐに名を出すピタゴラスは紀元前6-5世紀の人だから、今から3000年前の地球人はとっくに、現代人と同じような音についての(能力と)感覚をすでに持っていたことは間違いない。
 なお、20Hz〜20000(20k)Hz、というのは、おそらく最小限度と最大限度だ。
 すでに書いたように、88鍵のピアノの最低音(A0)は27.5Hzで、最高音(C8)は約4186(4.186k)Hzなので、低い方にはまだ7.5Hzあり、高い方にはまだ15kHz以上の余裕?がある。通常の音楽の世界では25Hz〜4500Hzの間の音を使うのできっと十分なのだろう。
 健康診断に「聴力検査」があることがあって、高低二つと左右二つの音を聞き取れるかが検査されるが、どうやら、低い音は1000 Hz=1kHz、高い音は4000 Hz=4kHzの高さの音らしい。20〜20000の範囲に十分に入るもので、おそらくは、ふつうの人間が日常生活を支障なく行える程度の聴覚の可聴範囲は、20〜20000ではなく、1000〜4000程度だ、と実際的には判断されているのではなかろうか。
 私の場合、20000=20kHzの音を発信されても全く聞こえなかった旨、すでに書いた。とくに聴覚障害が、私にあるわけではない。
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  すでに関連してきているが、以下で書くことは<音楽理論>とか<楽典>といわれるものに全くシロウトの者が書くことなので、専門家や詳しい人々は読まないでいただきたいし、間違ってもいても侮蔑しないでいただきたい。
 至極当然のことと考えられているのだろうが、オクターブが一つ上でも一つ下でも、あるいは何オクターブ上でも下でも、音は「同じ」と感じられている、というのは不思議なことだ。
 ピタゴラスや古代の中国等の人々も同じことにとっくに気づいていたと思われる。
 ピアノではA0からA7まで7オクターブ、C0からC7まで7オクターブ、同じAまたはCであれば、「同じ」に聞こえる。だが高さは全く同一ではないはずだ。しかし、「同じ」に聞こえる。
 これは それぞれのHz数が、ある音(基音)を基礎にすると、2倍、4倍、8倍、16倍…、あるいは2分の1、4分の1、8分の1、16分の1、…になっているからで、つまり、音の波動の形が最も容易または単純に(厳密にはたぶんほとんど)「重なり合う」からだ。
 ギリシアの人だと、弦の長さを2分の1にして爪弾くくと「同じ(ような)」音になる、4分の1の長さにしても同様、中国の人だと竹筒または木筒のの長さを2倍にして吹いてみると「同じ(ような)」音になる、4倍の長さにしても同様、と「発見」したのに違いない。
 彼らもまた、現代人と、そして私と、同じまたは全く似たような「聴覚」・「音感覚」を持っていたに違いない。不思議ではある。
 なお、「Hz・ヘルツ」は音の高さの単位だが、電波・電磁波についても使われる。1ヘルツとは1秒間に1回の振動数(周波数)のこと。20kHzとは、1秒間に20000回の周波数・振動数のことを意味する(周波数が多いと音は「高く」なる)。
 さらに余計ながら、このヘルツはHeinrich Hertz という19世紀のドイツの学者の名に由来する。この彼が「電磁波」を発見する研究をしたドイツのカースルーエ(Kahrsruhe)大学には、今でもこの人の像があるという。
 Kahrsruhe(ドイツ西南部)にはたぶん今でも連邦通常〔民刑事〕裁判所と連邦憲法裁判所が、ドイツ鉄道駅から市街地を東へ抜けた所にある緑地・公園そばにあって、若かりし頃に外から建物だけを見たのだったが、きっと近くにあったに違いない大学とヘルツには、当時は関心が全くなかった。
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  ようやく、<ピタゴラス音律>とか<12平均律>に触れそうになってきた。
 ピタゴラスという人は数字に関心が深くて、1+2+3+4=10というふうに、1から3回一つずつ加えていった数の合計が10になることにも面白さ?を感じらしい。なお、ボーリング遊戯でのピンの並べ方とその数は、前方から1+2+3+4=10で、正三角形のかたちになる。
 基音(周波数1某とする)から出発して、1オクターブ上ずつの周波数は単純に1,2,3,4,5,…と増えていくのではない、ということは重要なことだ。つまり、一つ前の音よりもつねに2倍ずつ増えていくのだから、1、2、4、8、16,…と増えていく。
 さて、ピタゴラスは、あるいは古代の東西の人々は、弦または竹筒・木筒(竹管・木管)の長さが1/2、1/4、1/8と短くなれば「一オクターブ」(にあたるもの)ずつ高くなり、2倍、4倍、8倍と長くなれば「一オクターブ」(にあたるもの)ずつ低くなるが、元の音ときわめてよく調和する、ということを気づいたはずだ。
 そのうえで、種々の「実験」を試み、複数の音が「よく調和する」場合、あるいは連続する複数の音(音階と旋律)の選択の仕方等について、いろいろと試行錯誤したのだろう。
 その場合に、音を出す道具(楽器)のうち長さで区別しやすい弦または竹筒・木筒(竹管・木管)を使って、長さを①3分の2にしてみる、②2分の3(=1.5倍)にしてみる、ということを先ずはしたのではないだろうか。
 この辺りすでにシロウト談義になっているが、1/2にすれば1オクターブ高くなり、2倍にすれば1オクターブ低くなるのだが、その中間にある最も分かりやすい数字は、2/3と3/2しかないだろうと考えられる。
 1/2と1の間に3/4があるが、この3/4は、上の3/2の2分の1で、3/2の長さで「実験」する場合と実質的には異ならない。
 また、1と2の間には4/3もあるが、この4/3は、上の2/3の2倍で、2/3の長さで「実験」する場合と実質的には異ならない。
 さて、「ピタゴラス音律」についての説明を複数の文献・資料で読んでみたが、すでに現在一般に使われている「平均律」、正確には「十二平均律」を前提とする説明の部分が多いようだ。以下でも、それらを参照する。
 一定の基音(1とする)を前提にして、周波数を3/2ずつ乗してしていく、そしてその結果が2を超える場合は2で除すことによって2以下の数字とする。あるいは、周波数を2/3ずつ乗してしていき(3分の2にしていくということだ)、2分の1未満になる場合は2を乗することによって、1/2と1の間の数字とする。
 これをそれぞれを3回ずつ繰り返すと、すでに現代に一般的な音階符号を用いると、それらに近い(決して同じではない)数字の周波数の音が得られるのだという。
 かりに基音をDとすると1回めの×1,5で(上の)A、2回目のその×1,5(1/2)でE、3回めのその×1.5(1/2)でB。
 同じくDを基音として、1回目の×2/3(×2)でG、2回目のその×2/3(1/2)でC、3回めのその×2/3(×2)でF。
 これで現在にいう「全音」(白鍵)のA〜G、または C〜Bの7個(に近いもの〕が揃うことになる。
 上はDを基音としているが、C(ハ長調のド)を基音として(1として)音階を並べると、つぎのようになる、という。()内は、1に対する周波数の比。
 C(1)-D(9/8)-E(81/64)-F(4/3)-G(3/2)-A(27/16)-B(243/128)-C(2)。
 これは、分母に64や128が出てきて細かいようだが、その他のものも含めて、基音の3/2倍、2/3倍の各周波数という、古代人でも(楽器の長さを使って)発生させやすそうな音階だった。その意味では、原始的かつ最も人間的だつたとも言える。
 しかし、つぎの欠点、問題点があった、という。
 ①×3/2や×2/3を無数に繰り返していくと、いくら1/2や×2を使って調整しても仕切れない、つまり完結しない(元のいずれかに戻らない)。
 ②各音階の間が一定しない。
 しかし、この点は、現在でいう二つの「全音」間は上の数字によると全て9/8、「半音」と「全音」間(つまりEとFの間、BとCの間)はいずれも256/243なので、一貫しているとも言える。但し、後者は前者の半分(全音間の半分の17/16)ではない。
 上の②の但し書のような問題があると、今日でいう「転調」は、原則としてできなくなる。
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  そこで、「純正律」が現れ、そして「十二平均律」が現れた。
 これら、とくに後者に立ち入ることは今回はやめて、つぎのことだけを記しておこう。
 現在の音楽や音階上の「理論」では、おそらく「12平均律」が絶対視され、これを前提とする楽譜が書かれているものと思われる。演歌も、ジャズも、パラードも、等々全てそうだ。たぶん一定期以降の<クラシック>という西洋音楽に由来しているものは全てそうだ(但し、「君が代」も12平均律による楽譜で表現できる)。
 しかし、「理論」上絶対的に「正しい」と言えるようなものではなく、歴史的に、人間界(音楽関係者)の便宜が積み重なって、いまのような形になったものと思われる。
 なぜ、1オクターブを12で(再来する元の音階を含めると13だが、間の音階は12)で区切るのか。そう問われて、誰も「正しく」は回答できないのではないか。
 それに、ピアノに特有のことだが、なぜ全て白鍵ではなく5つだけ黒鍵なのか、なぜEF間、BC間だけ半音なのか、という素朴な疑問も湧く(全て白鍵では幅が長くなり過ぎて、両手でも届かないから?)。
 現在でも独特ないし特有の音階というのは一部残って使われているようだが、全世界的な「12平均律」の圧倒的優勢は崩れないだろう(しかし、1000年後のことは分からない)。
 したがって、その約束事に従って「理論」を勉強する必要も出てくる。和声・和音学とかコードとか(テンションとか)、長調・短調の区別とか、あれこれの「冒険」はあってもおそらくは全部そうだろう。
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