J・グレイ/池央耿訳・わらの犬-地球に君臨する人間(みすず書房、2009)。
 =John Gray, Straw Dogs -Thoughts on Human and Other Animals (2002)。
 邦訳書からの一部引用・要約のつづき。
 「各『小節』の見出しは原書にはないようで、…」とこれまで記してきたが、大間違いだった。
 例えば、第一章第2節「恣意的進化の蜃気楼」の原語は、The Mirage of Concious Evolution。
 同第6節の「反原理主義…」の原語は、Against Fundamentalism …。
 「」は邦訳書からの直接引用。太字化は秋月による。
 <わらの犬>の意味は、第12節で説明されている。
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 第一章・人間③。邦訳書、p.23~p.35。
 第8節・人間中心主義を矯正する科学。
 「科学」は「人間中心主義の要塞」で、他生物と違って「自然を意のままに服従させることも…可能であるという思い込み」を助長して身を守っている。
 しかし、「最先端の自然科学」は「因果律も古典論理」も本質からずれていると疑問視し、例えば「時間が外的世界の部分」ではないと示唆し、「一つの事象に複数の現実が存在する」ことを肯定する。「観測者の立場次第で世界は変わるとするのが量子力学の根幹」だ。
 「ほんとうは、人間が知覚するように組み立てられた世界は絵空事(ギメラ)であることを露呈するところに、科学ならではの意味がある」のではないか。
 第9節・真理をもたらすもの。
 ヒューマニストは「真理を知ることで人間は自由になる」と言うが、そうした「ヨーロッパ思想」はソクラテスからプラトンを経てキリスト教に伝わった。
 ソクラテスにとって「真理の本質」は問題にならず、「人間の知識と福利は別物」だ。「内省」を重んじ、真の「充足は不変のうちにある」とする立場には「原始宗教の名残」がある。「シャーマニズム」という「精霊との交感」を大切にした風習の影響で、彼は「内なる声」を「神の声」と呼ぶ。
  「ヨーロッパの合理主義は神秘体験が原点」だが、現代ヒューマニズムが異なるのは「その不合理な起源を自覚せず、大それた高望みを正当」とする点にある。
 ヒューマニストの一部は「真理が人間を自由にする」とするソクラテスを含む「ギリシア思想」とキリスト教の「解放の希望は万人のもの」とする信仰を混同している。
 「現代のヒューマニズムは、人間は科学を通じて真理を知り、自由を手にするという信仰である。
 しかし、ダーウィンの自然淘汰説が正しいとしたら、これはありえない。
 人間の頭脳は、…ひたすら真理を求めるようにはできていないからだ。」
 ダーウィン以前の誤りの一例は「ミーム論」=「模倣子」・「意伝子」論で、残念だが「ミームは仮想の主体であり、遺伝子とはちがう」。 
 「思想の対立が真理の勝ちで決着するとは思いもよらない」。「思想は対立し、反目するが、…権力と愚昧を味方につけた側が勝つことに相場が決まっている」。
 ダーウィン・進化論は「真理への関心が生存や繁殖のためには無用で」「むしろ少なからず有害である」ことを示す。
 「進化心理学」は「動物が擬態で外敵を欺く」ことを教えるが、「同じことは政治の場をはじめ、さまざまな人間関係について言える」。
 進化過程は、「真理」は「誤謬」より「優位」ではなく「その逆」で、「自己欺瞞の度合いで方向を選ぶ」ことを示す。
 「生存競争の修羅場で真理を求めるのは贅沢か、さもなければ無知の業である」。
  人間と同じく「科学」は「もっぱら真理の探究と人間の向上を目指す」ことはなく、「知識」は「むら気と曲がった心に妨げられる」。
 「日常生活の中で人間が一所懸命になるのは、損得の勘定である。<一文略>行動がただ感情を発散させるため」だけのこともある。これらは「改まる落ち度ではない」。
 第10節・啓蒙家パスカル。
 17世紀のパスカルは、「信仰」が「心の空白を満たす」と考えなかったが、「信仰を支える習慣」の力を知っていた。同様に現代人は「科学」に期待し、「理性を眠らせて、人類に対する信仰を深め」ている。
 第11節・人間主義対自然主義。
 「分子生物学」のジャック・モノー(J. Monod)によると、「生命は理論では説明できない偶然の産物だが、ひとたび発生すると突然変異と自然淘汰で進化する。人間は、宇宙が賽子を投げていい目が出た他の生き物と少しも変わらない」。
 この「なかなか容認しがたい事実」、「自身の存在がまったくの偶然であることを認めなくてはならない」。但し、モノー自身が「人類は特権に恵まれた孤高の種」だとしてじつは認めていない。 
 モノーは「人間主義と自然主義を折衷」した。ダーウィン・進化論は「自然主義の真理」を明らかにしたが、「逆説」的に、この論が「人間が獣性を超越して地球の支配者たりうるとするヒューマニズム信仰の要石となっている」。
 第12節・わらの犬。
 <ガイア説>は、「地球は一個の自動制御システムであり、その動作は少なからず生命体に似ている」とする。ラヴロックの<デイジー>モデルは「惑星温度は自動制御される」とする。
 <デイジー>モデルのごとく<ガイア説>は「狭義の科学信仰」にもとづくが、「科学原理主義者」はこれに反発する。「ガイア説と現代の正統派の対立は、科学的な論議」に由来せず、「その根底にあるのは、キリスト教信仰と、はるか以前か伝わる古い信仰の衝突」だ。
 <ガイア説>の「概念」は、「老荘哲学の原典」・「道徳経」に明記されている。
 「古代中国では、わらの犬を祭祀の捧げものにした。
 祭りのあいだ、わらの犬は丁寧に扱われたが、祭りがすんで用がなくなると踏みつけにされ、惜しみなく棄てられた」。
 「人間とても、地球の平穏を乱せばたちまちに踏みつけにされ、情け容赦なく棄てられる」。<ガイア説>批判者は「非科学的」だとこれを忌避する。
 しかし、「実を言えば、人間はわらの犬でしかないことを認める勇気がないばかりにそっぽを向いているのである」。
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 第2章以降につづく。